第32進海丸


日時 2006年6月24日13:00〜
場所 東京グローブ座2階席
監督 鈴木裕美


土佐のこの町にはなんだか不似合いなおしゃれなバー。
そこで牧野サトル(三宅健)は店番をしていた。
サトルはカツオ漁船の船員の間では伝説的な名漁師の息子だった。
その父も今は亡くなり、父が乗っていた船の第32進海丸が今日長い漁から帰ってきた。
サトルは第32進海丸の乗組員に自分もカツオ漁船に乗りたいと言い出すのだが。


三宅健、「卒業」以来2年2ヶ月ぶりの舞台出演。
カツオ漁船に乗る漁師たちの世界を描いた男ばかりの芝居、と聞いててっきり
船の上が舞台になると思い「嵐に遭遇してそれを乗り切る」というような盛り上がりが
あるドラマかなと思ったら大違い。
見る直前に田舎町には似合わないおしゃれなバーが舞台になっていると聞いてどうなる
ことかと思った。

しかし、地元の人からも「この町には似合わないようなおしゃれな店」と終始言われ続ける。
そういう店を舞台にしなければならない理由がよくわからないが、設定上もこの町に
似合わないことを認めているので、一応納得。

サトルがなぜ急に船に乗りたいと言うようになったか?
また第32進海丸の漁労長・坂本は何故水揚げが少なくなるのをわかっていながら漁を途中で
中止して港に帰ったか?が物語のポイント。

サトルの答えは坂本たちから聞かれても「いつまでもブラブラしているわけにも行かない」
ともっともらしい、しかしあやふやな答え。
サトルに子供の頃、いじめられた経験を持つイサオ(山崎裕太)などは昔の悪行のいろいろを話し
大反対。サトルの兄のヒロシ(伊崎充則)もサトルには無理だと猛反対。
また坂本の方針への反発から船のオーナーは漁労長を替えると言い出す。

この辺のディスカッションで観客の目を離さない。
そしてこの店にたまたま迷い込んだ先の漁で進海丸の漁を邪魔した船の船員が捕まってしまう
あたりで笑をちりばめる。
(このつかまった人が逆に協力する、というのは黒澤明の「椿三十郎」か?)

実はサトルには遊びで作った借金があるらしいという展開になる。
が最後にはサトルの船に乗りたかった本当の理由は父に対する憧れだったと告白される。

このあたりの男というものの「父」に対する反発と憧れがない交ぜになった感情は最近の
自分にはよくわかる。
男としてのライバルであり、近づきたいそんな感情をもつ青年を三宅健は充分に演じきった。

今までの「二万七千光年の旅」にしろ、「卒業」にしろ、企画に初めに「三宅健ありき」だった
気がする。
しかし今回の芝居は「アイドルの三宅健」が必要とされたのではなく、一人の青年俳優が
必要とされたとき、それを三宅健が演じた、というような印象を受けた。
これは誉めているのだ。
今までの芝居では舞台に立っているのはどうしても「三宅健」の印象がぬぐえない。
しかし今回は「サトル」が立っていた。
役者として役になりきった感がした。
これは三宅もすごいが、それをさせたスタッフの努力も評価したい。

またサトルのドラマだけでなく、「漁を途中で中止して港に帰ったか?」の部分の興味も尽きず、
三宅健が出ていなくても充分にドラマとして面白かった。
年々高くなる燃料費など、時代の変化を考えると単に水揚げ高を多くするよりより効率よく利益を
出すほうがいいということだ。
この漁労長を演じた阿南健治、船長(舵取り)を演じた大鷹明良の二人がこの第二のドラマを
引っ張り、ドラマに厚みを出していた。

三宅健が出ているから面白かったのではない。
ドラマとして、芝居として面白かった。
満足した時間を過ごすことが出来たのは幸せなことだった。