亡国のイージス


監督 阪本順治

(公式HPへ)


日本国海上自衛隊の誇るイージス艦「いそかぜ」の先任伍長・仙石(真田広之)は
新たに配属された如月行(勝地涼)を気にかけていた。他の隊員たちと常に距離を
おこうとする如月。孤独な中に自分と同じ絵の趣味があると知り、興味を深める。
そんな中、宮津副長(寺尾聰)ら艦の幹部から如月は艦長を殺害し反乱を企ていると
聞かされる。一人説得に向かう仙石。しかし如月は反乱を企ているのは副長たちだと
言う。

ここまではお話の導入部。
そして艦は乗っ取られる。このイージス艦には米軍が開発した化学兵器グソウが
運び込まれており、それを東京に撃ち込むというのだ。
彼らの要求は??
といった感じで最近の日本映画にはなかった大型ポリティカルフィクション!

とにかく面白い。
かつてここまで自衛隊、自衛隊員が前面に押し出された映画はかつてなかった。
(「ゴジラXメカゴジラ」で機龍隊がリアルだったが、この映画に比べたら
やはり怪獣映画の範疇を超えていない)
スピード感とか活劇の派手さから言えば同じ原作者(福井晴敏)の「ローレライ」の
方が上だが、こちらも負けてはいない点がある。

それはなんといっても自衛隊全面協力による「いそかぜ」の迫力。
もちろん実艦は時折の空撮部分だけでお話の大部分はセットで撮影されたものだろうが
それにしても「本物感」満点でそれだけでも興奮させられる。
(「いそかぜ」の司令室のかっこよさを見よ!)
セットだけでなく「渡します」「達する」「実際」とかのいわゆる自衛隊用語連発で
そのリアリティはますます倍加する。
人に向けて銃を撃ったことのない自衛官が、人を撃つ事が当たり前の某国工作員と
対峙した時、瞬間撃てない自衛隊員が妙にリアルだ。

また太平洋戦争を舞台にした作品ではどうしても時代考証的に引っかかったりするのだが
(「ローレライ」で原子爆弾の投下を8月6日に一般兵士まで知っていた設定が最後まで
引っかかったのだ)こちらは現代の設定。
その辺の違和感はない。
むしろ吉田栄作のようなすらっとした足の長い自衛官がいかにも「現代日本の自衛官」
といった感じを出しているようにさえ思えてくるのだ。
(吉田栄作が旧日本海軍軍人を演じたら違和感ありありだったろうけど)

そしてこの映画、メインの登場人物に女性がまったくいない。
北朝鮮の女性工作員が一人登場するが、それほど活躍はない。
あるのは大人の男たちの熱き戦いだ。
とにかく最近の映画はやたら女性向きすぎるのだ。
「ローレライ」でさえ、「女性にも受けるように」とパウラという女性キャラクターを
設定したと聞く。
昨今の「純愛映画ブーム」に象徴されるように女性向けの映画ばかりが偏重されすぎている。
そんな中にあってこの「亡国のイージス」はいわゆる客を呼べる若手が存在せず、大人の
男たちのドラマだけでの勝負だ。
私はこういう映画が見たかったのだ!

最後に「グ・ソ・ウ・カ・ク・ホ」と手旗信号を送る仙石。
しかしそれだけでは終わらない。

内閣総理大臣(原田芳雄)、DAIS内事本部長(佐藤浩市)、宮津副長(寺尾聰)、某国工作員
パクヨンファ(中井貴一)らの大人の男たちがいい。
そんな中で特筆すべきは如月行役の新人・勝地涼。
如月が拳銃を撃ち、その瞬間薬莢が飛び出るカットなど最高にかっこよく演出されている。
日本映画で拳銃の撃つ瞬間のカットでもっともよかったショットといえるかも知れない。

僕自身は彼を見るのは初めてではなく岡田准一主演のTBSドラマ「末っ子長男姉三人」に
セミレギュラーで出演したときに名前と顔を覚えた。
そのきりっとした目元が妙に印象に残ったのだ。
(むしろそのドラマではその力強い目が違和感があるほどだった)
近頃はやりの女性受けするイケメン俳優とは違った男らしい個性がこれからも期待される。
本年度の新人賞ものだ。



しかしこの映画の中に私は実は何を見たのだろうか?
東京にミサイルが撃ち込まれる!というサスペンスより自衛隊、自衛官のかっこよさを
見ていたような気がする
この映画を見たおかげで「自衛官」「自衛隊」というものに今まで以上の親近感を持った。
その意味では今回の自衛隊の協力は彼らにしてみると「広報活動」の一環として充分
目的を達したろう。
しかし、10年後に「この映画は一種の戦意高揚映画だった」などと言われないよう、
これからも戦争を絶対にしない自衛隊であってほしい。

そしてそういう国にするのは我々国民一人一人の小さな積み重ねだと私は信じている。