愛と希望の街


(原題 鳩を売る少年)(注1)


監督 大島渚

大島渚の第一回監督作品。(1959年製作)
後の作品群ほど声高ではないがその予感は感じさせるSPだ。
大島渚という監督を知る上では欠かす事の出来ない作品。

川崎の駅前で鳩を売っている少年がいた。
貧困なゆえに飼っている鳩を売るのだという。
ある大会社の重役の娘に鳩は買われていく。
鳩はすきを見て逃げ出し、また少年のもとに帰ってくる。
そのことがきっかけで重役の娘と少年は友人になる。
やがて娘の口利きで彼女の父親の大会社の入社試験を
受けることが出来た。
しかし結果は不採用。少年は逃げ帰ってくる事を予測して
鳩を売り、帰ってきた鳩をまた売るという詐欺的行為を
繰り返し行っていた事がわかったからだった。
それを知った少女は、もう二度と彼にそんな不正が出来ないように
鳩を再び買い、猟銃を持っている兄に撃ち殺してもらう。
結局、少年は地元の零細工場に就職する。


鳩を撃ち殺す事により少年の詐欺的行為の連鎖は断ち切ることが
出来たかも知れないが、何も変わらない。

絵に描いたような金持ちの娘と、絵に描いたような貧乏な少年が登場する。
あまりにもミエミエな設定、演技のため、今の10代、20代の方が
ご覧になったら失笑するかも知れない。
そこが1年程前に見直した時に「松竹大船調な感じがして古臭くていやだな」
と思ったのだが、今回見直してそれは誤りだと思った。

これは一種の童話なのだ。
鳩は金持ちの女の子と貧乏少年を結びつける「ガラスの靴」なのだ。
しかしシンデレラと違って「ガラスの靴」は貧乏から救ってくれず、
逆に貧乏に釘付けにしてしまう。

そういう運命の皮肉に少年のやり場のない怒りは
鳩小屋の破壊という衝動に向けられ、少女の怒りは
鳩を撃ち殺す衝動に向けられる。

この少年少女の皮肉な運命に、私自身もやり場のない怒りを感じずには
いられない。
ただ言葉を失うばかりだ。

確かに今の日本ではこの映画に登場する絵に描いたような
貧乏人は存在しなくなったかも知れない。
しかし世界的レベルでみたらどうだろう。
世界にはまだまだ貧しい国があるだろうし、「鳩を売る少年」もきっといるはずだ。
彼らに我々は何がしてやれるのか?

富むものと富まざるものの差。
このテーマは現代の金銭中心主義の世の中では永遠のテーマだ。
この作品は決して過去の問題をテーマにしているのではない。
充分現代にも通じるテーマだ。

今の子供達にも見せてやりたい作品だ。

大島渚、製作当時27歳。
さすがである。
この作品、処女作にして大島渚のベスト3に入る出来の素晴らしさだ。



余談だけど主人公の少年がJrの東新良和(「3年B組金八先生」
で殺人犯を父に持つ転校生役)に少し似ている。
東新が主役でリメイクしてもらいたいな、とふと思ったりした。


(注1)
この映画のタイトルについて大島はこう語っている。
「『鳩を売る少年』では(会社側が)小品に見えるというんです。
小品なんだけどね。しょうがないから、まず『怒りの街』という題名に
したんだよ。そうしたら不穏当だっていうんだな。またまたしょうがないから
『愛』を付けて『愛と怒りの街』。でもまだいけないという。
最終的には『愛と悲しみの街』で手を打ちますといって帰ったの。
そうしたらあくる日、台本には『愛と希望の街』って印刷されていたんだよな。
これには腐った」