黒い画集 ある遭難

監督 杉江敏男
脚本 石井輝男
昭和36年製作

(詳しい内容はキネ旬データベースで)

ある夏、黒部渓谷に近い山で遭難した岩瀬(児玉清)の遺体が収容される。
彼の姉、真佐子(香川京子)は山に比較的なれた弟が死んで、初心者だった
浦橋(和田孝)が助かったことに疑問を抱いた。

ここから映画は岩瀬、浦橋、そしてリーダーの江田(伊藤久哉)の3人のパーティが
遭難にいたった経緯を浦橋が山岳雑誌「岳人」に投稿した追悼文に書かれた
内容に沿って進んで行く。
このあたりは時制がやや複雑で、遭難直前の動き、出発から山の天候が
崩れ始めるまでを交互に描いていくだけど、石井輝男の脚本が
しっかりしているので混乱することなく、見てるほうは悪しき偶然の
重なりと悪天候による事故だと納得させられます。

ここまでで映画は上映時間の半分の45分を用いてきっちり説明していく。

そして次の冬、真佐子は自分の従兄弟の槙田(土屋義男)を岩瀬の
遭難した場所に案内して花をささげて欲しいと江田に頼む。
迷惑に感じつつも断るわけにも行かない江田は再び同じコースで槙田と
山を上る。
このあたり、同じ景色で夏と冬にロケしてるようで、ノースターながら
作品の厚みは感じさせるものはあります。

後半の40分は土屋義男と伊藤久哉のふたっりっきりになり、開放的密室とも
言うべき山の中で、この遭難に見せかけた殺人のトリックを土屋義男が
徐々にあばいていく。
観客も遭難と信じて疑わなかった岩瀬の死亡に疑問を抱きはじめるサスペンスは
なかなか。
しかも開放的密室の中では二人とも何処かへ逃げる事は出来ない。

「天候の急激な変化は長期予報で推測できたのではないか」
「あなたは岩瀬たちが疲れないようにとわざわざ寝台車まで用意している。
親切すぎやしないか」
「浦橋さんの手記によると岩瀬はやたら疲れていたようだ。前の晩何か
精神的なショックで寝付かれなかったのではないか」
「岩瀬が疲れたのでたびたび休ませているが、リュックを下ろしての休憩は
多すぎると返ってペースが狂って疲れるのではないか」
「この地点で下の町の工場の音が聞こえたという事は、風の向きから言って
天候が悪くなる前兆と判断できたのではないか」
「余計なものは持っていかないほうがいいと地図を減らしたのは作為ではないのか」
「遭難した付近は道を間違えやすいと山岳の本には書いてある。あなたはそれを
知っていたのでないか」

このあたりの緊張感あふれる二人の旅は実にスリリング。
やがて事件の全貌を暴く土屋義男だが、動機だけがわからないと言う。

最後、時間短縮のため、雪の断崖を降りようという江田。
江田はついに自分の岩瀬を殺す動機を話す。
しかし江田は土屋義男の足元の雪を削って彼が崖から落ちるように
仕向ける。
ここで崖を滑り落ちて死んでいく土屋義男(もちろん人形だろうが)を細かい
カットの積み重ねでごまかすことなくロングで
ワンカットで捉えた長いカットは、さすがの一言!!
しかし、その直後・・・・・・
事件は真相は公表されることなく、山だけがすべてを知っている。


ほとんど最後まで書いちゃったけど最後の最後だけは伏せておく。
実に面白い映画だった。
日本にもこんな面白い映画存在するのだ。
前半の遭難にいたる過程も面白いが土屋義男が追い詰める後半もなかなか。
派手なアクションシーンはない。美女も登場しない。
登場人物たちの裏切りも仲間割れもない。
爆弾も爆発しないし、拳銃も発射されない。
しかし面白い。

面白い映画に対して「面白い」という表現しか出来ない自分がもどかしい。



実はこの映画は85年だったかに池袋東宝(今はない)の特集オールナイトで
「黒い画集シリーズ+白と黒」の4本立てで見た。
私事だがこのとき精神的にかなり落ち込む事件があり、私にとってその頃は
映画どころではなかった憶えがあるのだが、そんなときだからこそ
気晴らしに見に行った特集上映だった。

「白と黒」もベタ誉めで書いたけど、これらの「実に面白いサスペンス映画」を
みてからだが震えるような楽しさを感じた憶えがある。
その時に、自分はこういう「面白い映画」を見てる時がいちばん「生きててよかった」
という、一種エクスタシーにも似た快感を感じる人間だと言うことを
再認識した記憶がある。

この「ある遭難」と言う映画は、極私的な記憶と共に私にとっては
忘れられない映画なのだ。