キャタピラーCATERPILLAR


日時 2010年8月16日14:50〜
場所 テアトル新宿
監督 若松孝二

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
(公式HPへ)

昭和19年、黒田久蔵(大西信満)は中国戦線で負傷し、内地に帰還し
しかし彼は手足がすべてもげ、耳も遠くなっての帰還。一人では何も出来ない。
父は「いっそ死んでくれた方がよかった」と言ってしまう。
妻(寺島しのぶ)は軍神の妻として夫を支え続けることになるが。


若松孝二が「実録・連合赤軍」に続き、世に放つ問題作。
普通70も過ぎれば映画を撮ってもなんだか枯れた映画を作るが(黒澤明さえ
そうだった)、老いてますます盛んとは彼の為にあるような言葉だ!

この映画のキャッチコピーは「忘れるな、これが戦争だ!」。
もう今の日本人に喧嘩を売るような映画だ。
戦争で亡くなった方を必要以上に美化し、やがては戦争そのものさえ美化しそうな
今の日本に。

村の人々は久蔵を軍神と誉めたたえる。
軍は彼に勲章を与える。新聞も久蔵の武勲を一面に書き立て讃える。
久蔵は布団の中から妻に勲章や新聞を見せてくれるようせがむ。
彼は何も言わない。話せない。しかい彼の胸に去来するものは何だろう?
自分の武勲が讃えられたことの満足か?
それとも自分を美化している世間に対する滑稽か?

こんな体になっても食欲性欲だけはある。
いや何も出来ないからこそ、余計にそれが強くなるのかも知れない。
妻に求める。妻はあきれながらそれに応じる。
これが軍神さまの実態だと若松孝二は正面から描く。
客席は60代70代の方々が多かったが、となりでみていたようなおばあさんは
どんな気持ちでこの映画を見ていたのだろう。

軍神様は時折妻にリアカーに乗せられて村にでる。
人々は彼に頭を下げ、妻には「軍神様の看護も立派なご奉公です」と誉めたたえる。
そのシーンは見ている観客には滑稽だ。

やがて1年がすぎ、妻もストレスから夫に対し攻撃的になる。近所の人が召集され、
その見送りを久蔵は拒むのだが、彼女は無理にでも連れだそうとする。
夜、「何で勃たたないの!」と責める。

その久蔵の脳裏にあるのは中国で女性たちを強姦、輪姦した記憶。
そして彼の四肢が亡くなったのも必ずしも新聞にあるような美談ではなかったかも
知れないことが示される。
やがて終戦。

映画を見ている最中、このドラマをどう終わらせるか気になっていた。
うん、ああいう形でしか終わらせられなかったと思う。

映画中、戦陣訓が読み上げられ、大本営発表の「勝った勝った」のラジオニュースが
挿入される。
そして天皇の玉音放送も。
天皇は直接はこの映画にはでない。
しかし、久蔵の枕元には常に勲章と新聞記事とともに天皇皇后のご真影が飾られれておる。
久蔵は何も言わない、言えない。
しかし天皇を見つめる彼の気持ちはいかばかりであったか。

ラストで終戦を聞きつけ「万歳!万歳!」と叫び続ける村の馬鹿(篠原正之)がいい。

「キャタピラー」それは英語では芋虫を意味するそうだ。
しかしブルドーザーのキャタピラーのごとく、人間の命も誇りも尊厳もすべて蹂躙して
いってしまう、戦争そのものを意味しているようにも聞こえる。

若松孝二がやりたかったのは四肢を失った男を「軍神さま」と日本中、村中が称える
精神構造。
その「軍神様」の実態たるや、食うこと、寝ること、やることしかしない、出来ない。
ましてや中国では女を強姦しまくっていた、そして新聞に書かれていた武勲も
実はひょっとしたら嘘かも知れない。
そんな実態を「軍神様」と称える滑稽。
「それが戦争」

「反戦映画」なんて簡単な言葉ですまされない、ドス黒い何かがスクリーンから伝わってくる。
そんな圧倒的な迫力をもった映画、それが「キャタピラー」だ。