金日成のパレード  
東欧の見た“赤い王朝”


監督 アンジェイ・フィディック
製作 ポーランド
製作年 1989年

(詳しくはキネ旬データベースで)


「北朝鮮はあと5年で崩壊する」と言われるようになってから、もう何年経つだろうか?
最初に書いておくがこの文章を書いているのは2003年6月末である。
これを書いておかないと、数年後、いや数ヵ月後に初めてこの文章を目にされた方は戸惑うかも知れないのだ。
そういう不安感を抱かせるほど北朝鮮という国は危なっかしい国だ。
今の金正日体制がいつまで続くかという問題は常に言われつづけている。
しかし現在も金王朝は継続している。


この映画は1988年、ソウルオリンピックの年に行われた朝鮮民主主義人民共和国の建国40周年記念式典に招かれたポーランドの映画スタッフが、その式典及び北朝鮮の模様をとらえたドキュメンタリー映画だ。
ドキュメンタリーと言っても編集による作者たちの作為は感じられず、あくまでも映画スタッフたちが見たもの(あるいは北朝鮮によって見せられたもの)を素のままでみせようとしている。
「ボウリング・フォー・コロンバイン」のようにアメリカの戦争映像にルイ・アームストロングの曲をかぶせるといったような演出は、そこにはない。
ただただ主観を排し、客観的になろうとしつづける。


平壌市民たちが金日成を称えるパレードの模様が実に克明に映し出される。
そのパレードの壮大な規模にはただただ圧倒される。
それこそ何十万人という規模の人々の行進である。
金日成の立像が載っている車、スポーツの模範演技をその上でしながら進む山車などなど、この国のどこにそんな国力があるのかと問いたくなるような壮大なパレードが繰り広げられる。
そのパレードは昼間だけでなく、夜になって今度はたいまつを持った人々の行進に変わる。それも何百人というようなチャチな規模ではない。
何十万人の延々とパレードが続いていくのだ。

またスタジアムで繰り広げられる圧倒的なマスゲーム。
階段状の席にいる人々が人文字、というか一人一人が手にした画用紙大のカードを上にかざす。遠くから見るとそれは絵画になっている。
人々の持つ色のついた紙はさながらデジタル写真の一つの画素のようだ。
その画素の集合、すなわち人間の集合が絵画となり、彼らがその紙を持ち返ることにより一瞬にして絵は変わるのだ。
その壮大さ、スケールの大きさにはただただ驚くばかりだ。

この映画に出てくるスケールの大きなパフォーマンスは文章で書いても表現できるものではない。
本当に一度見てみるといい。

そして途中途中に挿入される映画スタッフが案内された北朝鮮の名所旧跡。
しかしそれはすべて「偉大なる首領様」「親愛なる指導者同志」を称えるものばかりだ。
曰く「金日成が子供の頃相撲を取っていた場所」「金日成が生まれた場所」「金正日が指導にきた場所」などなど、などなど。
幼稚園では小さい頃から金親子の業績を覚えこまされ、称える言葉を呪文のように口にする。

また人々は口々にいう。
「私たちは偉大なる首領様のおかげで幸せに暮らしています」
その表情は完全で、彼らは全く疑問なくその言葉を発する。
またパレードの夜に行われた行事で人々は本当に幸せそうに踊っている。
その表情に疑問は感じられない。

私たちはその光景に非常な違和感を感じる。
我々は北朝鮮が、多くの人々を飢餓に追い込み、日本人を拉致し、大韓航空機爆破事件をはじめとする数々のテロ行為を行っていることを知っている。
にもかかわらずこの国のトップを照れなく称えるこの国の人々は一体なんなのだろう?

しかし戦前の日本もあるいは同じようなものではなかったか?
「天皇陛下万歳!」と言って死ぬ事が理想とされたのではなかったか?
時折世間の注目を浴びるカルト的宗教集団。
オウム真理教を思い出すといい。そのメンバーたちは何の照れもなく、地下鉄サリン事件以降も麻原を称えつづけはしなかったか?

いやいやそんな遠い世界のことではない。
いわゆる「会社人間」もこの類ではないのか?
人間は自分自身が楽しむことが幸せの条件だが、「何かに己をささげる」ことも幸せの条件なのか?

国家とはなにか?
体制とは何か?
幸せと何か?
今我々が生きているこの日本の民主主義体制も本当に正しいのか?
正しいと思い込まされているに過ぎないのではないか?
人間が暮らす社会とは一体どんな社会が正しいのか?

数々の疑問が湧いてくる。
解らない。さっぱり解らなくなる。
もちろん現在の日本の体制は北朝鮮のそれよりはマシなのだろう。
不況とはいえ、何百万人が餓死するにはいたっていないのだから。

この映画はドキュメンタリー映画だ。
見てきたものを忠実に伝えようとしてる。
だが返ってそれが恐い。
何も教えてくれない。
どんな答えさえも与えてくれない。

北朝鮮のおかしな姿に失笑するのもこの映画の見方だろう。
しかしこの「おかしな北朝鮮」を観た後、あまりのおかしさに逆にこちらの脳みそがおかしくなってしまう。
映画を観た後、私は自分の立脚点をもう一度見直してしまうのだ。

単なる北朝鮮問題だけではない。
人間とは、国家とは、幸福とは。
映画を観終わった後そんなことまで考えさせる力を持った映画だ。