木更津キャッツアイ


日時 2002年1月19日〜3月15日22:00〜22:54 TBS系 毎週金曜全9回放送
出演 岡田准一、桜井翔、岡田義範、薬師丸ひろ子、森下愛子、古田新太 他

日本のどこにでもある「木更津」の青春

千葉県木更津市、大東京から電車で約2時間、通勤圏にはちょっと遠い、かといって過疎の田舎という訳では
ないという程度の中程度の地方都市。
街にはバブル景気のころに建設され、今ではもてあまされたアクアラインがある。

これが木更津の特徴だが、この中の「東京」を「大都市」に、「アクアライン」を「大型公共建造物」と言い換えれば
日本のどこにでもありそうな街ではないだろうか。

トレンディドラマを見ているとかっこいい自立した女とフリーのめずらしい仕事をしている男が、
カッコいいスーツを着こなし、行きつけの店は広尾や六本木のおしゃれなバーという姿ばかりが
展開される。
そういうテレビのトレンディドラマの世界はみんなのあこがれ。
夢や憧れを具体化するのがテレビドラマなのだが、自分と比較して逆に
自分のだささを感じさせ、何か居心地の悪い気分にもさせてしまう。

10代のうちは将来のあこがれ、として見ることが出来るけど、しかし大人になるとそういう夢のような
男女が出てくるドラマは、ウソ臭くていやに感じることがある。
東京に住んでたってトレンディドラマの世界に生きてるわけじゃない。
みんな自分のダサさに気付いている。東京なんて所詮は田舎者(私もそうだが)の集まりだもの。
みんな今は東京だけど(ちょうど最終回の妻夫木聡のように)生まれは「木更津」なのだ。

しかしこの「木更津キャッツアイ」はそんなトレンディドラマとは違う。
ぶっさん(岡田准一)は着替えない。、
パッチもんのグラサンをかけたミッキーマウスのトレーナーに紺のスタジアムジャンパー姿は
(厳密に言うとスタジャンの下は着替えているのだが)ほとんど全篇通してのものだ。
高校時代の先生(薬師丸ひろ子)。そして野球部の仲間、大学生がいたり、フリーターがいたり、
もう結婚してる奴もいる。これもありふれた男のグループだ。
全国どこにでもある、地方の人々の等身大のせこい青春像を、この「キャッツアイ」に見出すことができるのだ。
地元に住むちょっと危ないキャラクター達。
それがローズ(森下愛子)であり、オジー(古田新太)であり、ものまね先生のヤクザであり、
謎の多いうっちー(岡田義範)であり、クラスで一番馬鹿なモー子なのだ。

等身大の青春といっても完全等身大では能がない。
キャッツアイは泥棒という冒険をする。我々にでも出来そうな手の届きそうな冒険を繰り返す。
手が届きそうだが届かない、我々には出来ないもう一歩踏み込んだ青春を体験する。

そして主人公ぶっさんの限りある命。
いつまでも続かない青春のタイムリミット。
でもそれをまともに描いたのでは、それこそ陳腐なくらいな難病ものの有期限青春ドラマになってしまう。
これらのきわめて誰にでも出来そうなアイテムを詰め込みつつながら、1回表1回裏というような
1話の中に二つの時間軸(時制)を持ち込むという、ドラマの新しい手法を作った脚本は秀逸。

数々の昭和50年代を想起させるアイテム。
それは嶋大介であり、ブルーハーツであり、ピンクレディーのケイちゃんであり、薬師丸ひろ子だ。
30代の男女が聞いたら青春の懐かしさを感じるアイテムたち。
そして10代にとっては今の30代が「アメリカングラフィティ」や「バック・トゥ・ザフューチャー」を見た時に
感じるような近過去に対するノスタルジーになり、とても心よいのだ。

また映画フィルムのようなざらついた(鮮明すぎない)映像〜最初見たとき本当にフィルムで
撮影されたかと思った〜、ローズの劇場やスナック「野球狂の詩」の内装に見られる
精神の高揚を示す赤の発色の美しさ。
第1話を見たときにはその美しさに思わずため息をついたものだ。

脚本、映像、魅力的な出演者(ぶっさんの父親、公助〜小日向文世〜が後半よかった)
は近年まれなるTVドラマを作り上げた。
「アンティーク〜西洋骨董洋菓子店」なんてドラマの演出の放棄。
あれはアイデアのない頭の悪い人間の作るやり方である。

「TVドラマは最近壁にぶち当たっている?」製作者が壁を感じるのは才能がないからだ。
能力あるものはその壁を壊していく。
「木更津キャッツアイ」はその壁をぶち破ったドラマだ!!!

(2002.4.28更新)