絞死刑


日時 2009年3月15日
場所 DVD
監督 大島渚
製作 昭和43年(1968年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


日本。
この国には死刑制度があり、刑務所の一角で今死刑が行われようとしていた。
死刑は問題なく行われた。しかし死刑囚Rは心臓は止まらず、心神喪失状態
になっただけだ。
法律では心神喪失状態の者は死刑には出来ない。
自分がRであることがわからなくなった彼に教育部長(渡辺文雄)保安課長
(足立正生)、所長(佐藤慶)、検視官(戸浦六宏)たちは彼に自分が
Rであることを認めさせようとする。

大島渚のATG時代の傑作。
この映画を大島渚のベストワンに上げる人も多いのではないか?
学生時代、2,3回は見たと思う。

冒頭、「あなたは死刑廃止に賛成ですか?反対ですか?」と字幕が出る。
そして死刑廃止反対が圧倒的に多い世論調査の結果を示す。
「死刑廃止に反対のあなた、あなたは死刑場を見たことがありますか?
死刑を見たことがありますか?」観客に喧嘩を売るような問いかけをする。
そして大島渚のナレーションに従って空中撮影された死刑場から始まって
その内部を示すところから映画は始まる。

映画はRの死刑失敗の後、教育部長をはじめとした刑務官の面々がなんとか
Rに記憶を取り戻してもらおうと事件を自分たちで演じてみせる。
ある者はRにある者は被害者にある者はRの父親に母親に。

その姿は彼らが真剣であればある程、滑稽であり、爆笑の連続だ。
呼吸のあった掛け合い漫才ようであり、よく出来たシチュエーションコメディだ。
大島渚の映画で笑いとは予想もつかない。
「この映画で出演者の誰一人演技賞をもらわなったのが不思議」と大島渚
が言ったらしいのだが、それも納得。
特に渡辺文雄の熱演は記憶に残る。

事件は昭和33年に起こった小松川事件。
韓国人少年が2人の女性を殺害強姦した事件だ。
死刑の是非、日本と韓国朝鮮の問題をも描こうとする。
映画はやがて空想の女性(小山明子)が登場し、登場人物や観客をも
混乱させる。
(本音をいうと小山明子が登場するあたりから映画としてはだらける気がする)

そして戦争と死刑は国家が人を殺すという点では全く同じだと断罪する。

実を言うと死刑問題と朝鮮人問題を絡めてしまったため、死刑のことは言いつくせた
と思うが、朝鮮人問題は食い足りない(物足りない)印象が残る。
あるいはこの映画においては朝鮮人問題は余計、あるいは消化しきれていない
印象を受けた。
(もっとも大島渚に言わせるとそういうことを言うのは愚かな評論家になるらしいが)

映画は小松方正の検事の声で「所長、今日は御苦労さまでした、教育部長、御苦労
さまでした、あなたも、あなたも、あなたも」と繰り返し、そして大島渚の声で
「そしてこの映画をご覧になったあなたも」と言って終わる。

こういう観客に挑みかかる、あるいは喧嘩を売るような映画は今はない。
いやかつても少なかったかも知れないが、今は皆無だ。

最近の映画は愛だの恋だの幸せになりたいなどと言う。
みんな「自分が」愛したい愛されたい幸せになりたい、だ。
「みんなを幸せにしたい」という精神を感じない。
いやそういう映画を作りたい人は多いのだが、見たい人が少ないだけかも知れないが。

大島渚は「みんなが幸せになる世界を作るにはどうすればいいか、どうして出来ないのか」
そんなことを問うているような気がする。