このページはリンクしている「DAY FOR NIGHT」においての西部劇特集「荒野のウエスタン劇場」に掲載したものを再録いたしました。

「海の向こうへ渡った西部劇」

〜西部劇に翻案された黒澤時代劇

西部劇は何もアメリカ特有のものではない。
西部劇の中には外国映画を翻案したものもある。
その代表例として日本の代表的映画監督・黒澤明の「七人の侍」
がユル・ブリンナー主演、ジョン・スタージェス監督によって「荒野の七人」に、
「用心棒」がクリント・イーストウッド主演、セルジオ・レオーネ監督によって
「荒野の用心棒」としてリメイクされた事が上げられる。
そして「野獣暁に死す」という仲代達矢が出演したマカロニウエスタンまである。

ここでは先日DVDも発売され、またまた再ブーム到来と言った
感のある黒澤明作品がどのように翻案されたか、を書いていこう。


第1章「荒野の七人〜アメリカ人は日本の『侍と百姓の関係を』本当に理解していたか?」
第2章「荒野の用心棒〜もともとが西部劇ぽかった黒澤映画」
第3章「野獣暁に死す〜海を渡った仲代達矢」




第1章
「荒野の七人〜
アメリカ人は日本の『侍と百姓の関係』を本当に理解していたか?」

「荒野の七人」と「七人の侍」のストーリーの概略は同じ。

あるメキシコの寒村は毎年、山賊のカルヴェラ一味の収穫を奪われていた。
村の長老と相談し、自分たちも銃を取って戦う決意をし、
同時にガンマンを雇う事にする。
国境近くの村で村人たちはクリス(ユルブリンナー)と知り合う。


このクリス登場のエピソードが「七人の侍」の勘兵衛(志村喬)登場と異なっている。
「七人の侍」では子供を人質に立てこもった夜盗(東野英治郎)を
坊主に化けた勘兵衛が捕まえるエピソードだった。

「荒野の七人」では、「黒人が死んだので埋葬してやりたいのだが、
町の中には黒人嫌いがいて町の墓地に埋葬することを許さない。
霊柩車の馬車を襲われるかも知れないので葬儀屋は埋葬を断ってくる。
その騒ぎを聞きつけたクリスは自分が霊柩車の馬車を墓地まで牽くことに
する。『それなら自分も』というわけでヴィン(スティーブ・マックイーン)
も手伝う。黒人嫌いの人々もクリスとヴィンの護衛の下では手出しも出来ず、
馬車は無事墓地につく」

というもの。

その姿を見た村人がクリスに村の防衛を頼むのだが、「七人の侍」の名シーンの
一つの勘兵衛が「このめし、おろそかには食わぬぞ」と言って村人への協力を
決意するシーンがない。これは残念。


そしてガンマン探しが始まる。
オレイリー(チャールズ・ブロンソン)登場のシーンはやはり平八(千秋実)
と同じく薪割りシーン。
ブリット(ジェームズ・コバーン)は久蔵(宮口精二)と同じように
あるガンマンとの対決シーンで登場する。
一度対決して「引き分けだな」と言われて「俺の勝ちだ」という所も同じ。
(但しクリスとは以前からの知り合いだったようだ)
ハリーラック(ブラッド・デクスター)はクリスの以前からの仲間。
クリスが新しい仕事を始めると聞きつけて「俺にも一口のせてくれ」と
自分からやってくる。
リー(ロバート・ヴォーン)は今は落ちぶれた賞金稼ぎ。
これもハリーラックと同様自分から参加を希望する。
そして農民出身の若者、チコ(ホルスト・ブッフホルツ)は
勝四郎(木村功)と菊千代(三船敏郎)をあわせた役柄。
最初のクリスの墓地での活躍を見かけてついてくるところは同じだ。


まとめてみよう。
クリス(ユルブリンナー) =勘兵衛(志村喬)
ヴィン(スティーブ・マックイーン) =五郎兵衛(稲葉義男)
オレイリー(チャールズ・ブロンソン) =平八(千秋実)
ブリット(ジェームズ・コバーン) =久蔵(宮口精二)
チコ(ホルスト・ブッフホルツ) =勝四郎(木村功)+菊千代(三船敏郎)
ハリーラック(ブラッド・デクスター)
リー(ロバート・ヴォーン)

勝四郎と菊千代が合わさった分、新キャラクターとしてハリーラックと
リーが登場した。
「七人の侍」でも比較的影の薄かった七郎次(加東大介)は姿を消してしまい、
勘兵衛の昔からの知り合い、という設定のみはハリーラックとリーに生かされている。


6人のガンマンがそろった所で村へ出かける。
菊千代と同じく、チコは頼まれもしないのについてくる。
途中、川で魚をとったり、「いなくなるとさびしい」とガンマンたちが
言っていると前から飛び出すあたりも同じだ。



で村へ到着。

「七人の侍」と同じように村人が恐がって近づかないのだが、
チコが教会の鐘を鳴らしてカルヴェラ一味がやってきたと皆が
勘違いして大騒ぎになるあたりも同じ。

但し、鐘の音では「七人の侍」の番木の音のようなリズミカルないい音はしないし、
何よりチコの演技が三船ほど面白くないのでこのシーンは成功したとは言いがたい。


この後は多少シーンの前後はあるものの、カルヴェラ一味の3人が物見に
やって来たのを襲ったり、村人たちに銃の使い方を教えるあたりは同じだ。
チコは村娘と恋仲になったりするのも同じ。


そんな中でオレイリーと村の子供3人との交流がある。
子供たちは畑を耕すだけの自分の父を嫌い、カッコいいガンマンの
おじさんと仲良くなりたいという。
しかしオレイリーは「家族を守って地道に生きていくお父さんたちは
えらいんだ。ガンマンなんて所詮は流れ者の半端な奴なんだ。
お父さんたちを悪く言うのは許さん」としかるくだりがある。

この辺は「七人の侍」にはなかった展開。

そしてこの後だんだん「七人の侍」とは違ってくる。
「七人の侍」では途中で侍が二人(平八と五郎兵衛)が死んだが
「荒野の七人」では最後の決戦まで誰も死なない。

また最初はやってきたカルヴェラ一味と戦った村人だが、村人の中に
これ以上戦いが大きくなるのを恐れてカルヴェラ一味と和解してしまうものが
出てくるのだ。
当然ガンマンたちもお払い箱。
しかし村の外れまで行った所でクリスは村に引き返してカルヴェラ一味と
戦うことにする。

そして他のガンマンもクリスと行動を共にし、カルヴェラたちとの決戦に挑む。
ハリーラック、リー、オレイリー、ブリットが死に
クリス、ヴィン、チコの3人が生き残る。
またチコは村娘と結婚し、村に残ることになり、「勝ったのは農民だ。
俺たちじゃない。俺たちはこの大地を過ぎる風さ。農民は大地だ」
というような「七人の侍」と同じセリフをクリスは言う。



ストーリー的には以上だ。
では作品の質としてはどうだったかというと、大きな声では言いにくいのだが
成功だったとは言いがたい。

そもそも無理もあったのかも知れない。
侍とガンマンでは「流れ者」という一点でしか共通項がなく、
「七人の侍」では重要な要素だった「本来身分の高い侍が身分の低い百姓
のために戦う」という設定の意外性が生かしきれてない。
メキシコの百姓と西部のガンマンがどのような関係にあったか
日本人には解らないが、逆にアメリカ人(「荒野の七人」のスタッフ)も「侍と百姓」
の関係を理解していなかったのではないか??

それとガンマン七人の個性が生かしきれていたとも言いがたい。
本来カッコいいナイフ投げのブリットも最初の登場シーン以外は大して
活躍がないのだ。
今は落ちぶれた賞金稼ぎのリーなんてなかなか面白い設定だが、この人も
あんまり記憶に残らない。
チコも三船ほどのインパクトはなく、ストーリーをなぞるだけ。

印象に残るのは先のオレイリーと最後まで「クリスがこんなつまらない仕事をするには
何か裏がある」と疑っていたハリーラックだ。
(ハリーラックの死のシーンで、「本当の目的はなんだったんだ」と問うハリーラックに
クリスが「実は金鉱があるんだ」と答えるシーンはよかった)


結論を言うとやはりストーリーをなぞっただけの単なるアクション西部劇にしか
なっていない。

だが、興行的には成功だったようで、この後「続・荒野の七人」
「新・荒野の七人 馬上の決闘」「荒野の七人 真昼の決闘」と計4本が作られた。
また今からするとスティーブ・マックイーン、ジェームズ・コバーン、ロバート・ヴォーン
チャールズ・ブロンソンと豪華共演だが、彼らは当時はそれほどのスターではなく、
この作品及び、同じジョン・スタージェス監督の次の作品「大脱走」でスターの
仲間入りを果たしたと見るほうが正しいようだ。


またイタリアでもシリーズ化され「荒野の七人・北海篇」「荒野の七人・南国の対決」
「荒野の七人・ナイアガラの決闘」「荒野の七人・瞼の母」「荒野の七人・ハイビスカスの花」
「荒野の七人・望郷篇」「荒野の七人・口笛の流れる港町」「荒野の七人・紅の流れ星」
「荒野の七人・クリスVSカルヴェラ」「荒野の七人・カルヴェラの逆襲」
「荒野の七人・裏切りの暗黒街」「荒野の七人・総長賭博」「荒野の七人・広島死闘篇」
(いずれも日本未公開)など10数本が製作されたというのは・・・・・・・・・
もちろんウソである。

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第2章
「荒野の用心棒〜
もともとが西部劇ぽかった黒澤映画」

で今度は「用心棒」だ。
「荒野の七人」の最後でイタリア製の西部劇の話をしたけども
このジャンル、一時期は「マカロニウエスタン」と呼ばれ、
クリント・イーストウッドのほかジュリアーノ・ジェンマなどのスターも
輩出し人気があった。
(そういえばジュリアーノ・ジェンマ、最近全く名前を聞かないが
どうしてるのだろう??)

「荒野の用心棒」は「荒野の七人」と違って映画化権は獲得せずに
無断でストーリーを借用し盗作騒ぎになったそうで、
当然クレジットにも原作等で黒澤明の名前は出てこない。

ストーリーはほとんど同じ。
登場人物が少し減った(黒澤版の志村喬と藤原釜足がレオーネ版ではいない)分、
上映時間も少し短くなった程度。


ある寒村に流れ者(三船敏郎またはクリント・イーストウッド)がやってくる。
この村にはボスが二人いて抗争を繰り返していた。
流れ者は一計を案じ、二人のボスを対決させ全滅させようとする。
ところが片方のボスのところに切れ者の弟(仲代達矢またはジョン・ウエルズ)
が帰ってきてそうは簡単にことは進まない。

そんな中で村人の中には片方のボス側に囲われてしまった女がいて、
子供と離れ離れになっている。
それを不憫に思った流れ者は女を救い出し、亭主と子供と3人で
逃げ出させるのだが、ところが女を逃したことがばれてしまう。
半殺しの目にあったが何とか逃げ出す流れ者。
そうこうしてるうちに片方のボスはもう片方のボスに叩きのめされた。
最後、生き残ったボスの切れ者の弟と流れ者の対決が始まる!



こう書けば大体説明した事になる。
細かい点は多少違うが、それほどの違いはない。
むしろセリフやシーン全体が同じというのが驚くほど多い。

これで原作の断りを入れなかったというのだから大胆な事をする。
ひょっとしたらセルジオ・レオーネたちは「こんな(興行的に)大した事ない作品が日本で
公開されることはあるまい」と自分の作品を過小評価していたのかも知れない。

僕自身、黒澤の三十郎ものなら「用心棒」より「椿三十郎」が好きなのだが、
(注・「用心棒」を撮った翌年、別の山本周五郎原作の別の作品を
黒澤は準備していたが、東宝の希望でこれを同じ三十郎が活躍する話に
変更され、それが「椿三十郎」になった)

「用心棒」が好きでない理由はなんだか時代劇っぽくないところなのだろう。
ある藩のお家騒動を舞台にした「椿三十郎」のほうが時代劇っぽく、
「用心棒」は何か話、設定に違和感がありもう一つ好きになれない。

しかしその違和感こそが西部劇っぽさなのだ。
時代劇なのにリボルバーをもった悪役(仲代達矢)が登場するなど、
黒澤は本来西部劇を撮ってみたかったのだが、それを無理矢理時代劇で
作ってみたとしか思えない。
またこの「用心棒」がダシール・ハメットの「血の収穫」(筆者未読)
を元にしていると言われていることも黒澤が洋画風の作品を作りたかった
証拠と言ってもいいかも知れない。

いやそもそも「七人の侍」の馬のシーンはジョン・フォードの「駅馬車」に
刺激されて作ったとさえ言われてるのだ。
本来西部劇の話を無理矢理時代劇にした、つまりむしろ黒澤版の方が
リメーク作品という感じすらする。

じゃあ両者が同じ味わいの作品化といえば、これが全く違うんだなあ。
黒澤の方ははっきり言ってコメディなのだ。
細かいギャグ、ジョークは省略するけど、加東大介の頭の足りない
暴れん坊とか、米つきバッタの十手持ち(沢村いき雄)とか
いざ喧嘩となると逃げ出す用心棒の先生(藤田進)とか
お笑いキャラ満載なのだよ。
この稿を書くために数年ぶりにこの「用心棒」を見直したが
それでも大笑いしたシーンは多い。

レオーネ版はこういったお笑いネタは全くなく、ひたすら渋い。
多分この映画の中で私は一度も笑わなかった。
イーストウッドはくわえタバコで強面を通している。
ナイトシーンでは照明の陰影のコントラストが強く、暗いムードが漂う。

また黒澤版のように際立ったキャラクターは少ない。
仲代達矢の演じた敵役もレオーネ版ではライフル使いという設定で
登場し少し特徴をつけようとしてるが、時代劇におけるリボルバー使いと
いう設定と、西部劇におけるライフル使いという設定ではやはりインパクトは
弱くなっている事は確かだ。
また登場人物が全員ひげ面でイーストウッド以外、日本人には
極端な話、見分けさえがつきにくい。

そして黒澤版では三十郎が何故危険な目にあってまで
この村を救おうとするか説明はないけれども、三十郎は
「七人の侍」の菊千代が少し歳をとって江戸時代に来たような
感じがするので、三船が登場するだけでこの村を救うは当然という説得力がある。
でもレオーネ版では何故イーストウッドがこの村を救おうとするのか
イマイチ疑問が残る。

ではレオーネ版が魅力がないかといえば、それは間違い。

ラストの対決は黒澤版の仲代と三船のリボルバー対包丁(何故包丁なのかは
ここでは省略、本編を見てください)の対決はイマイチなのだ。
仲代が撃とうとするところに三船が包丁を投げる。
当然次のカットは仲代の腕に包丁が刺さる瞬間を捉えなければならない
筈なのに、すでに仲代の腕に刺さったカットが来るのだ。

「蜘蛛巣城」で三船の首に矢を突き刺した黒澤が、何故こんな手抜きカットを
挟んだか不明だが、僕はこのカットのおかげで随分しらけた。
映画全体の他がよいだけに余計にこのカットの手抜きが目立つのだよ。

ところがレオーネ版では、最後の対決でライフルで何発もイーストウッドは
撃たれるのだがそのたびに立ち上がる。
ライフル撃ってる悪役側はだんだん青ざめてきて、恐怖におびえたところで
バンバンバンとイーストウッドがやっつけちゃう。

(イーストウッドが何故撃たれても死なないかは本編を観てね)

この最後の対決は僕はレオーネ版に軍配を上げます。

ちなみにこのラストの対決シーンは「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」にも
挿入されていますので、こちらを観てもイーストウッドが何故死なないかは
解りますが。




「用心棒」と「荒野の用心棒」、この二つは同じシナリオを二人の監督が
競作し、タッチの違う作品を作り上げたと言ってよいくらいだ。
どちらが上かは観た人の判断に任せたい。

レオーネとイーストウッド、このあと「夕陽のガンマン」「続夕陽のガンマン」
の2作品を作り、イーストウッドは新しい西部劇スターに育っていく。
イーストウッドの後年の西部劇「許されざる者」のエンドクレジットに
「セルジオ・レオーネに捧ぐ」とあるのは、自分を育ててくれたのは
レオーネに対する哀悼と感謝のあらわられだろう。

蛇足ながら「荒野の用心棒」、このあと「続荒野の用心棒」「新・荒野の用心棒」の
2作品があるが、内容は全く関係なく、日本の配給会社東宝東和が勝手にシリーズ的に
宣伝しただけのようだ。



今では本国アメリカでも全く流行らなくなった西部劇だが、イタリア人のレオーネが
西部劇を作ったように、日本でも黒澤だけでなく多くの人が「西部劇もどき」を作った。
岡本喜八の「独立愚連隊」、小林旭の「渡り鳥シリーズ」、赤木圭一郎の「幌馬車は行く」
宍戸錠の「早撃ち野郎」、和田浩二の「俺の故郷は大西部」などなど。

多くの日本人にとって、いや世界中の人々にとって西部劇は「強くて正義のアメリカ」への
憧れの象徴だったのかも知れない。


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第3章
「野獣暁に死す〜
海を渡った仲代達矢」


実はこの稿は最初、上の「荒野の用心棒」のところで終る予定だった。
この稿を書いたのがきっかけで西部劇というジャンルに関心を払うように
なったのだが、そんな時、仲代達矢が出演したマカロニウエスタン「野獣暁に死す」
(’68 監督 トニーノ・チェルヴィ)があることを知った。
しかも発売されてるDVDジャケットを読むとどうやら黒澤作品のオマージュらしい。

そこで急遽見てみたのだが、これが見事な快作!
どうしてこれが黒澤ファンの間で語られないか不思議なくらいだ。

ストーリーにしたがってこの映画を紹介していこう。


独房で拳銃のダミーを作り、日夜早撃ちの練習をしていたビル・カイオワ。
模範囚のため刑期が早まり、5年で出所することになる。
「感情を害してもまた銃を使うなよ」という刑務官に対し、
「感情はない。憎悪だけだ」
カイオワは出所してすぐに町に出て拳銃を買う。
そして知り合いが蓄えておいたカイオワの全財産を受け取り、
腕利きのガンマンを4人集め始める。


このガンマン集め、というのがまず「七人の侍」だ。
7人じゃなくて4人に減ってるけど何せ1時間半の映画、ガンマン集めに
時間を割いていられません。
(見ているときは気づかなかったけど後で考えると、まず最初の独房のでの
早撃ちの練習が、「用心棒」のラスト近くで三船が隠れてる時に
包丁投げを練習するシーンから来ている?)

噂に聞いていた腕利きのガンマンを前にすると、「今5千ドル、仕事が終ったら5千ドル」
と単刀直入に話を切り出す。
集めたガンマンは怪力の巨漢・オバニオン、保安官のミルトン、結婚詐欺師のような
伊達男のフォックス、ギャンブラーでナイフ使いの名人モラン。


ガンマンを集める過程はやはりエピソード付き。

オバニオンは特にないんだけど、次に向かったのは保安官のミルトン。
やばい仕事はしたくない、と一旦は断るミルトンだが、オバニオンに
「こんな意気地なしやめようぜ」と言われて気が変わる。
そして保安官バッチを外し、その時監獄にいた男(おそらく無銭飲食か何かの微罪で
捕まったような男)を「おまえを保安官に任命する」の一言を残し出発する。
また彼はウインチェスターライフルの銃身とストック部分を切り詰めた
特徴のある銃を持参。

フォックスはブサイクなデブの女を口説いてベッドインしようとするところへ
ビルたちがやってくる。ビルが「今5千ドル、仕事が終ったら5千ドル」と
言うと何にも言わずについてくる。
「仕事の内容は・・・」と説明するビルに「5千ドルならどんな仕事でもかまわない」

ギャンブラーのモランだがギャンブルで負けて捕まっていたところを
ビルたちに助けてもらうのだが、性懲りもなくまたすぐにギャンブルへ。
ポケットからエースの札を出そうという、相手のいかさまを見破ったモランは、
テーブルの下で相手の手元にナイフを投げて一発でしとめる。
銃撃戦になったところをビルたちに助けられ仲間に加わるという、本筋には
関係ないエピソード付き。


実は盗賊に捕まってる子供を助ける、というようなエピソードがあることを
期待したが、そこまではしていなかった。


カイオワの目的は今は盗賊の頭領のファーゴ(仲代達矢)を倒すこと。
その頃ファーゴは銀行の現金輸送の馬車を襲っていた。


何故に日本人の仲代達矢が西部劇に登場するかの説明は特に無し。
「とにかく仲代達矢が必要だから、ここにいるのだ!」という
強引なまでの存在感で登場する。


襲撃後、逃げる護衛の兵隊に追い討ちをかけるファーゴ。

このとき仲代は拳銃やライフルで相手を倒さずに大刀を振り回しながら
追いかける。
このシーンが「隠し砦の三悪人」で三船が馬に乗ったまま、刀を両手で握り
相手を追っかけ倒すシーンによく似ている。
(さすがに仲代は両手で刀は握らなかったが)

時代劇では拳銃をもたされ、西部劇では刀を持たされるのだから仲代達矢も忙しい。


現金輸送の馬車が襲われた後にたどり着いたカイオワ一行。
ここでカイオワ=オバニオン、ミルトン=フォックス=モランの二組に分かれ
3日後に落ち合う場所を決め、ファーゴたちを探し出す。
ところがカイオワたちはファーゴたちに捕まってしまう。

ファーゴは明日10時に現金輸送の馬車を襲う。そして現金袋を
カイオワたちのそばに起き、彼らを犯人にしようという。
「なんか昔同じような事あったよな」うそぶくファーゴ。
そう、カイオワが投獄された事件とは、このファーゴによって
同じように現金輸送車襲撃の犯人にされ、それだけならいざ知らず
インディアン出身の愛する妻を殺されたのだ!

翌朝、ファーゴたちは現金輸送車襲撃に出かける。
カイオワたちの見張りはオバニオンを挑発する。オバニオンは縛り付けられていた
椅子をその自慢の怪力でぶっ壊し、見張りを倒しはじめる。
だが敵もさるもの形勢逆転、あわや!というところで駆けつけたミルトンたちに
カイオワたちは助けられる。

カイオワたちは追ってくるファーゴたちを逆におびき出し、自分たちの有利な
条件で襲う作戦に出る。
わざと馬の足跡を残し、森に誘い込むビルたち。


この森の中に入っていくあたりが「羅生門」になるのだ。
「羅生門」自体がアクション活劇ではないのでシーンをまんま真似したような
所はないが、森の中で対決するシーンなどは森雅之と三船敏郎の決闘シーンを
髣髴とさせる。


敵を一人一人倒していくカイオワたちだが、ついにファーゴが
オバニオンを拳銃で撃ち、オバニオンは一度は倒れる。
ファーゴが安心したところをオバニオンは逆襲する。
「確かに当たったのに・・・・・」

おいおい、それは黒澤の「用心棒」じゃなくてレオーネの「荒野の用心棒」だろう??
もう無茶苦茶である。
モランのナイフ使い、というのも「荒野の七人」のジェームズ・コバーンの影響か??


そしてついにカイオワとファーゴの二人の対決の時がきた!!
向かい合う二人の元にミルトンやオバニオンら仲間が駆けつける。
「おまえら仕事は終わりだ。俺たちの対決に手をだすな!」

えっ!?ひょっとしたら「あれ」をやるつもりなのか?
熱心な黒澤ファンならここでもうお解りだろう。
映画史上最も迫力のある、あの、対決シーンだ。
そして誰もがやってみたいような、しかし有名すぎて誰もやらないあのシーンが
ここで再現されるのだ!(敢えてここでは書かない)

10数秒のにらみ合いのあと、勝負は決まる。

黒澤のオリジナル版を見てる方はお解りになろう。
仲代達矢もイタリアまで来て同じシーンをまたやるのだから大変だなあ。


対決が終わり、「どこへいくんだ」と問うミルトンに
「南にでも向かうか」と答えるカイオワ。
「じゃあ俺たちと同じだ」と5人で旅を続ける。


というさわやかな幕切れで終る。


この作品に僕は「用心棒」「七人の侍」「荒野の七人」「隠し砦の三悪人」
「羅生門」「荒野の用心棒」「・・・・(漢字4文字。敢えて秘す)」の7作品の
あとを見た。
解釈が強引だったかも知れないし、僕が気づかなかった引用があったかも知れない。
黒澤ファンには是非一度見ていただき、ご意見をお聞かせ願いたいところだ。


この稿では西部劇に翻案された黒澤映画について書いてみた。
だが「荒野の七人」「荒野の用心棒」の2本と「野獣暁に死す」では
明らかに異なる点があると思う。

ジョン・スタージェスもセルジオ・レオーネも黒澤明には敬意を払っているだろう。
だが本音では
「ミスター・クロサワの映画は確かに立派だ。だが俺のほうがもっと面白い映画を
作ることができる!」

と黒澤明に挑戦し、乗り越えようとした匂いが感じられる。

ところが「野獣暁に死す」にはそれがない。

「いやその、自分はイタリアでホラー映画なんぞ何本か作ったケチな野郎ですが、
クロサワ先生の大ファンでして。手前も是非クロサワ先生のような映画を一度は
撮ってみたいと思ってる次第ですが、ついてはミスター・ナカダイをお借りしたい。
そこで先生にも一言ご挨拶しておくのが筋だろうと思いまして」


なんて仁義をトニーノ・チェルビィ監督は黒澤明に切ったんじゃないかと思えてくる。
(あくまで想像。根拠無し)

仲代達矢を起用したんだから、見た見ないは別にして、この作品の存在は
黒澤明の耳に入っていなかったことは多分ないだろう。
黒澤はこの作品は観たのだろうか?

(そして今発売中のDVD版にはトニーノ・チェルビィ監督のインタビューが
収録されてるそうである。是非聞いてみたい。
目下、4800円だしてDVDを買おうかどうしようか真剣に悩んでいる。)


ここまで全面的に黒澤映画に捧げられた西部劇はこれだけだろう。

「黒澤西部劇大賞」はこの「野獣暁に死す」に与えられるべきなのである。


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それにしてもマカロニウエスタン、他にもあのビートルズのリンゴスターが
出演した「盲目ガンマン」とか無茶苦茶な作品があるらしい。
あなどれないなあ。私にとっては新しい鉱脈となるかも知れない。
Fさん、有難う。あなたは新しい鉱脈とそれを掘る楽しみと苦しみを与えてくれたようです)