日本の夜と霧


日時 2009年1月22日
場所 DVDツタヤレンタル
監督 大島渚
製作 昭和35年(1960年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


昭和35年秋の夜、かつての破防法闘争の時に学生運動をしていて今は新聞記者の
野沢(渡辺文雄)と安保闘争で学生運動で戦った玲子(桑野みゆき)と結婚式が
行われていた。
司会は野沢の学生運動時代の友人、中山(吉沢京夫)とその妻美佐子(小山明子)、
仲人は大学時代の恩師宇田川(芥川比呂志)、出席者には野沢や中山の学生運動時代
の友人、東浦(戸浦六宏)坂巻(佐藤慶)たちだった。
そこへ玲子の友人の太田(津川雅彦)が乱入する。玲子や太田の友人北見が
いなくなったのに君は何も感じないのかと太田は玲子を詰問する。
やがて野沢、中山、坂巻、東浦たちも交えた学生運動への挫折への討論が始まって行く。


学生時代に文芸地下の大島渚特集で見て以来、20数年ぶりに再見。
武力闘争から対話路線に党の方針が転換した後に、運動の一つとしてフォークソングを
歌う集会で歌われる「若者よ〜体を鍛えておけ〜」という歌以外はまるで覚えていなかった。
当時よりは今は多少は学生運動の知識もあり、そして「実録・連合赤軍」を見たあとだ。
そんな今見るとこの映画はとんでもない映画であることに気がついた。

この映画に登場した学生運動の問題点はそのまんま「実録・連合赤軍」に登場する。
変な言い方だが映画「実録・連合赤軍」は映画「日本の夜と霧」の発展的リメイクではないかと
思えてしまうのだ。

小さな事件にこだわる、中央の方針転換、自分たちの活動に疑問を感じると批判される、
ほとんど強引な理屈付けによる批判と「自己批判」という名の人格の否定、若い男女の
集まりだから当然恋愛感情も生まれる、それによる嫉妬も生まれる、貧乏な学生と
親が裕福な学生の差、運動に対して結果が出ない無力感、それによる袋小路、
リーダーに意見が言えなくなる空気、何かいうと「脱落者」「裏切り者」と批判される、
反省の過剰な強要が仲間を死に追い込む、仲間をまとめることの難しさへの直面、
話しているうちにの論点がずれやがては相手に対する罵詈雑言になってしまう、
そんな学生運動の二つの時代に大島渚が体感した(あるいは見聞した)事実が
擬似ドキュメンタリーとなって表現される。

ワンシーンワンカットという長まわしは観客自らもその場に居合わせるような錯覚を
起こさせる。俳優がセリフをとちってもかまわない、現実にだって言い間違えることはある
NGカットとせず、とにかくセリフを言いきることが俳優に課せられたようなライブ感だ。
大島渚はこういう学生運動の問題点に対して「ではどうすればよいか」は示さない。
示せなかったかも知れないし、運動をする次の世代に対する課題を示したのかも知れないし、
自分たちの失敗の教訓をさらけ出すことによって、次世代に同じ失敗をしないでほしい
と願ったのかも知れない。
同時代で学生運動をやっていたものにはどう映ったんだろうか?
共感したのだろうか?果たしては反発したのだろうか?


しかしすべてはむなしく、学生運動はまた同じ失敗を繰り返す。
我々は映画「実録・連合赤軍」でその後を知ることができる。
「歴史から学んだことは『結局歴史からは何も学べない』ということだ」というシニカルな
言葉を聞いたことがある。
この映画と「実録・連合赤軍」を見ると体感してしまう。