日本沈没

監督 森谷司郎
製作 昭和48年(1973年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


思い入れが強すぎて文章を書くのをためらってしまう映画というのが何本かある。
この「日本沈没」はそんな1本だ。

小笠原諸島の小さな無人島が一晩で沈んだ。調査に向った田所博士(小林桂樹)、幸長助教授
(滝田裕介)、潜水艇の操縦手・小野寺俊夫(藤岡弘)は日本海溝の大異変を目の辺りにする。
その異変の情報は山本総理(丹波哲郎)、そして日本の黒幕でもある渡老人(島田正吾)の
耳にも入った。
そして内閣調査室主導で「D計画」が始まり、田所博士を中心として日本海溝を中心とした
地殻変動の調査が行われる。その調査の結果は「日本列島は海の底に沈む」という驚くべき
内容だった。田所博士からその報告が調査船で行われていたとき、東京は大地震に見舞われていた・・・・



昭和48年、この年小松左京のSF小説「日本沈没」は大ベストセラーで、それをSF特撮映画
の伝統を持つ東宝が映画化するのは至極当然のことだった。
そして空前の大ヒット。
ポスターからしてド迫力だ。
イラスト化された「日本沈没」の4つ文字がポスターの中心にで〜〜〜んと構え、
吹き出た赤い溶岩はまるで血しぶきのよう。
そして「1億の民をのせ、ああ日本が沈む」という詠嘆調の宣伝文。
もうここで一気に気分は盛り上がる!

映画館は連日長蛇の列だったという伝説を持つが、私もその伝説を経験している。
封切られたのは12月29日。初日ではなかったが、それでも封切られてから間をおかずに
見に行ったと思う。朝の8時半からの上映の回で見たが、(私は座れたが)完全な満員で
通路にも人があふれていた。


そして映画は・・・・
と書き出すと実はキリがない。
オープニングの大陸移動をしていく地球、日本列島の形成、数々のお祭り、プロ野球、輸出される車、
新幹線、などなど日本の繁栄を示すモンタージュのタイトルバック、静寂の日本海溝、田所博士の興奮、
山本総理の予感、とドラマは迫力ある映像(特撮だけでなく、俳優陣の演技、音響効果も含めて)
ぐいぐいと引っ張られていく。

役者陣では特に記憶に残るのは小林桂樹と丹波哲郎。
「日本列島沈没」という誰もが信じない事態を(D計画の一員の邦枝(中丸忠雄)でさえ「僕には
信じられない。ないと思う」と言わせてしまう)迫力の興奮で説得させてしまう小林桂樹。
そして丹波哲郎。
閣僚の反対を押し切って日本民族移動計画を実行する。
「内閣総理大臣、非常対策本部長の山本です!門を開けて避難民を宮城に入れてください!」
「キミィ!東京の人口は!」「日本人は平均的に賢くなりすぎた。誰かとんでもない大ばか者が
いてだよ、東京は地震でえらいことになる、そうキチガイみたいに騒ぎ立ててさ、ジャーナリズムを
輪をかけて騒いでいたとしたら・・・金にもならんが、選挙の票にもならんけどさ、しぶしぶどの政党も
なんらかの重点対策を。そのなんらかができていればだよ、少なくとも360万もの人が死なずに
済んだんだ」「それとこれとは問題の本質が違うよ!いいか、太平洋か大西洋に人口10万の島が
あってさ、それがある日突然沈んでいまうとしたら。日本だって5千人や1万人は引き受けるだろう。
問題は数だよ!1億1千万、1億1千万という数だよ!!」「『なにもせんほうがええ』?」
「D計画の基本を作った3人の学者は偉いと思います。『なにもせんほうがええ』、そこまで
考えたからこそ1から第3案が出来たんです」
丹波哲郎の語りの真骨頂だ。

そして東京大地震を中心とする破壊のスペクタクル。
落ちる歩道橋、崩れる高速道路、石油ストーブによる火災、津波で折れ曲がる勝鬨橋、消化弾で消化に
あたる自衛隊、赤坂駅付近で地下鉄出口を出てきた乗客を襲うガラスの破片、燃え上がる車、
「助けてくれよ!」と叫んでも誰も助けない、宮城に押しかける群集、それを防ごうとする機動隊。
これらのシーンは一番の見せ場であり、小学生だった私には最高に怖い映像だった。

しかし映画は後半になるにしたがって加速度的に進行し「あれ?もう沈んじゃったの?」と思われる
ぐらいに唐突に近い形で「自衛隊に対し、救出作戦の終了を命じました」という山本総理の
指令がD計画メンバーに伝えられる。
何度みてもこの映画、まるで途中で予算を使い切ったから終わったかのような後半の駆け足が
感じられる。
DVDの音声解説などを聞くと最初は3時間の上映時間があったようだ。
それもシナリオの段階で切ったのではなく、一応の編集まで行って3時間あったそうだ。
劇場でのタイムテーブル編成の都合上、上映時間の短縮が求められたそうだ。
「タイムテーブルの編成のため」という理由もわからぬではないのだが、実に惜しい。
東宝はリメイクを機にぜひDVDでの完全版の復活を望みたいところだ。

まだまだ書き足りないのだが、いくら書いても書き足らないし、また他の多くの人が書いている
ので省こう。
ここでこういう意見を聞いたことがない意見を一つ。
脚本は橋本忍。
実はこの映画、橋本忍にとっては「日本のいちばん長い日」の続編的意味合いもあったのではないか?

東京大震災で「門を開けて避難民を宮城に入れてください!」のシーン。
これ、天皇制批判がこめられていたのではないだろうか?
総理は天皇を守ることより、一般市民を守ることを優先した。
「日本のいちばん長い日」の青年将校たちは何よりも天皇制を守ろうとした。
国民の生命財産を守ることより、「国体」を守ることに執念を燃やした。
「国」を守ることはなにより天皇を守ることだった。
国土さえ無くなる状況になったら、天皇より守らなければならないものがあるのではないか?
畑中少佐がもし「日本沈没」という状況に遭遇していたらそれでも「国体の護持」を第一に
考えたであろうか?

橋本忍はここでこっそりとここで畑中少佐たちに反論したのではないか?
橋本忍は「日本のいちばん長い日」の青年将校たちに「本当に大切なものは天皇制ではなく、国民だ」
と反論したかったのではないか?
そういった橋本忍の本心があればこそ、原作にはないこのシーンが書き加えられた気がする。

長い間気づかなかったが、昨年部分的にDVDで見直していたときにこのことにはたと気が付いた。
極私的な意見だが、自分の中では非常に納得してしまった。

「日本沈没」は偉大な映画だ。
そこに登場するここでは書ききれなかった数々の名優(東京地震の大久保正信まで含めて)、数々の名シーン
名カットを忘れることはできない。

私のとっては「日本沈没」は生涯忘れられない映画の1本だ。