ノストラダムスの大予言


監督 舛田利雄
製作 1974年

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


西山環境研究所の所長・西山良玄(丹波哲郎)は日夜環境汚染について
実施調査、研究をし、一方ではノストラダムスの予言の研究もして
人類への悪影響を警告しつづけていた。
30cmの巨大ナメクジの出現、赤潮の発生による漁場の壊滅
九州では新生児の3分の1が奇形児として生まれ、尼崎では
骨がちぢむ病気が発生していた。
ニューギニアに放射能調査に行った西山たちだが、そこでは
巨大ヒル、巨大こうもり、凶暴化した原住民らがいた。
やがて異常気象による食糧難が起こり、各地で食料品を
奪い合う暴動が起こり無政府状態になりつつあった。
そんな中、国会で西山は「このままではやがて核戦争が起こり、
死の土地と化した未来にはミュータントが出現する」と警告する。
山村総の総理は「今からでも遅くはない。人類はやり直すのだ」と
誓うのだった。


2003年の現在に見ると、少なくとも1999年には人類は滅亡
しなかったから、この映画がこけおどしだったと思える。
しかし封切当時、子供だった私はこの映画を恐くて見にいけなかった覚えがある。

スト−リーめいたものはあんまりなく、各地で起こる異常現象を
丹波氏が解説するような作り。
冒険映画的なところはニューギニアのシーンのみ。
ここに出てくる体長1mはあるような巨大こうもりが、かなりチンケなので
苦笑するのだが、そこは丹波先生の迫力で気にならなくなる。

で、丹波哲郎の学者は国会で今後の対策を聞かれた際に
「食料統制を行い、不要な産業は停止。生活圏と生産圏は分離し、
弱いもの、能力なき者は・・・・」と答えるマッドサイエンティストぶり。
私は丹波哲郎氏のファンなのだが、前半は丹波先生の一人芝居であり、
丹波節とも言える彼独特の特徴のあるイントネーションのあるしゃべりが
堪能できる。この丹波節を楽しめるかどうかがこの映画が好きか嫌いか
分かれる事になるかも知れない。

あと、黒沢年男と由美かおる(丹波哲郎の娘役)が「未来への希望」を
象徴するようなカップルで登場するけど、あんまり活躍がないなあ。
黒沢年男はカメラマンなのだが、どこへいってもただ写真撮ってるだけだし。
「日本沈没」の藤岡弘といしだあゆみにあたるカップルなのだが、惜しいなあ。

映画はその他、地下鉄の線路上に突如として巨大植物が発生したり
空が大気汚染のせいで鏡状になり地上の風景が空に写ったり、
ピラミッドに雪が降ったり(今は地球温暖化が問題になっているのだから
えらい違いだ)、大地震による原子力発電所の爆発等、
これでもかこれでもかと可能な限り、地獄絵を見せていく。

いまから見ると「おいおい、やりすぎだろう」と思えるのだが、1974年
当時は本当に明日にでも起こる真実として本当に恐かった。

もちろんこの映画に描かれたようなことは多分起こらないだろうけど、
「人類が欲望のままに産業を発達させていったら、人類に対して
しっぺ返しがくる」というテーマは永遠不滅、「ゴジラ」以来の東宝SFの伝統。

その意味では東宝SFの王道を行く集大成ともいうべき作品になる可能性も
あったのだが、いかんせん破滅エピソードのバーゲンセールとでも言うべき
オンパレードであれこれ詰め込みすぎた。

また映画の内容の立脚点が「核実験」というような事実ではなく、
「ノストラダムスの予言」という怪しげなものなので、「ブームにのったキワモノ映画」
にされてしまった。
(地下鉄に突如あらわれる植物とか、鏡状になる空などそれだけで1本の映画が
出来そうなエピソードなだけに惜しいなあ)

そして描かれたシーンが余りに刺激が強かったので各方面から
クレームがつき、今では事実上オクラ作品になってしまった。
本当はもっと名画座での上映やビデオ、DVDなどで多くの人に観てもらって
再評価して欲しい作品なんだが、要はやりすぎちゃったんだよね。


2003年現在、東西冷戦は終わったが、今度は地球温暖化という新たな問題が
起こってきている。
この映画でやろうとしたことは意味のあるテーマなので、今でも通じる映画として、
見る価値のある作品だと思うのだが。