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八つ墓村日時 2014年10月30日 場所 Bru-ray 監督 野村芳太郎 製作 昭和52年(1977年) 戦国時代、今の岡山県の山奥の村に尼子の8人の落武者が逃れてきた。彼らは村人に迷惑をかけることなく静かに暮らしていたが、毛利よりの報奨金を目当てに村人たちはその落武者たちを殺した。落武者たちは末代までたたると言い残し死んでいった。 現代、空港職員の寺田辰弥(萩原健一)は自分を捜している新聞の尋ね人を見かける。連絡先の大阪の諏訪弁護士(大滝秀治)の元に言ってみると、自分の母方の祖父(加藤嘉)が待っていた。しかし会ったばかりの祖父はその場で死んでしまう。 親戚に当たる森美也子(小川真由美)によって故郷の村につれてこられる辰弥。辰弥は子供の頃に母が死に自分の出自については全く知らない。辰也は故郷の村、八つ墓村にやってくるのだが、次々と殺人事件が起きる。 昭和52年、1977年というのは邦画はミステリーブームだった。前年には角川映画の「犬神家の一族」の大ヒット、それに続き東宝は77年4月に「悪魔の手鞠唄」8月に「獄門島」を連作して公開。 そして出遅れた形に見えるが数年前から準備をしていた松竹のこの「八つ墓村」が9月に主要都市の洋画劇場で先行ロードショー公開、11月に全国松竹系公開という大々的な公開だった。 東宝は10月には「天国と地獄」をリバイバル公開するという、ミステリーブームにのっかってしかも製作費はなしというリスクを避けた形で、この時私は「天国と地獄」を初めて観た。 僕自身、この映画は友達から貰った試写会状で1回、その後松竹系での公開で1回以上観ている。ひょっとしたら続けて観たのかも知れない。この映画は何となく3回ぐらい観た気がするのだ。 でもそれから1回も観ることはなく、今回Bru-ray化をきっかけに37年ぶりに観た。 かなり記憶に残っていたが、今回気がついたのはとにかく引きの画が多いのだなあ。 道を歩く人物をカメラが追っていても途中でズームダウンして風景全体を写す、風景の中に立つ人物を写す、ととにかく周りの風景を写し込もうとしている。 「砂の器」で日本全国の風景を取り込んで画に厚みを持たせていたが、今回もその手法を使っている。 その成果、画がやたらと豪華に感じる。 そしてとにかくオカルト色が強い。 犯人は森美也子なのだが、「大阪で行ってる事業がすべて失敗していて金に困っていて多治見家の財産を狙った」というのが直接の動機。 しかし金田一耕助の関心はそちらにはなくて、戦国時代の落武者殺しの犯人たちの子孫はどうなったか、32人殺しの一家皆殺しにされた一家がその子孫ではないかと仮定して各地の寺の過去帳まで調べてその家系を探っていく。 「そんな昔の村人の家系まで分かるものなのかなあ?」という疑問は残るが。 映画では金田一が何を調べているかは判然としないで、最後の謎解きで明かされる。 ここの殺人事件の手口や手法などは一切説明がなく、この家系の話が中心だ。 「犯人は森美也子です」と金田一が言うと村の警官(下条アトム)が「証拠は?」と聞き返す。それについて金田一は「証拠?そんなことよりねえ、この事件は不思議な因縁があるんです」と32人殺しの一家皆殺しが落武者殺しの犯人の子孫だと説明し、森美也子が落武者の祖先らしいと解説する。 とにかくオカルト色が強いのだ。「たたりに見せかけた殺人」ではなく「本当のたたり」として事件を構築している。 当時「エクソシスト」から始まるオカルト映画ブームがあったので、それにのっかった、と批判的に言われたが、後の橋本忍の「幻の湖」や「愛の陽炎」などを観るともともと橋本氏にはオカルト志向が強かったのかも知れない。 最後に辰弥が森美也子を犯人と知ってしまった途端に美也子の形相が変わるシーンでは当時映画館でも笑いが起きたこともあったと記憶する。ここ唐突なんだよね。 その前に洞窟を二人で歩くシーンは音楽の使い方といい「砂の器」を彷彿とさせる。 で、最後は突然起こった地震(?)により洞窟が崩壊し、森美也子は圧死、洞窟の裂け目からコウモリの大群が出て多治見家を火事にしてしまうという圧巻のクライマックス。 ここ、理屈からするとなんだか変なのだが、力技で見せきる橋本脚本、野村演出の真骨頂と言える。 70年代後半の松竹の代表作。東宝の金田一シリーズとは違ったひと味の大作。渥美清金田一ももう1本ぐらい観たかったな。 おやじ男優Z日時 2014年10月27日21:00〜 場所 ユーロスペース2 監督 池島ゆたか 早期退職制度で会社を定年前に退職してスナックを始めたものの借金まで作って店をつぶしてしまった豆田満男(なかみつせいじ)。女房は実家に帰り自分はネットカフェ暮らし。スポーツ紙で見かけたAV男優募集の広告を見ていってみたがホモの親父(世志男)にしゃぶられた。お金は貰ったけど。その紹介で汁男優として働くことに。 初めての現場では分からないことだらけで戸惑うばかり。 その現場で蜂谷(牧村耕次)、大前(竹本泰志)という同業と知り合い、彼らの住むボロやに住むことに。家賃6万円なので3人なら一人2万円だ。 こうして3人の暮らしが始まった。その頃現場に行くとやたらと感じがいい夏目ゆりあ(坂ノ上朝美)という子がいた。 ある日、ゆりあが豆田たちのボロやにやってきた。 ここに住まわせて欲しいというのだ 池島ゆたか監督の自主制作映画にして初の一般映画。 この自主映画については後述する。 さすがに池島ゆたか監督作だけあってプラグラムピクチャアとして一定のレベル。 前半の豆田がAVの現場で慣れなくて戸惑うシーンなど、業界裏話として面白い。僕なんかは本とか雑誌などで読んだことがあったりしてそれほど初耳の話ではなかったが、それでも発射した男優が、回数によってギャラが異なり、発射する度に輪ゴムを貰っているという話は笑った。あと1回3000円というのも切ない。輪ゴムは今度AVを見たときに気をつけて見てみよう。輪ゴムをしてる手首が写るかもしれない。 ゆりあは実にいい子で、「実は・・・」というオチがあるかと思ったらそういう裏もなし。 男にだまされて借金を作り、渋谷でその巨乳をスカウトされてAV女優に。 「AVから始まって演技することの楽しさを覚えて演劇を始める子もいる」という蜂谷の説明があったが、そういうものなのか、と納得した次第。 AVから始まってピンク映画で女優をして演技の楽しさを知って続けていく子もいれば、もちろんやる気はなくてすぐ辞める子もいる。 ラスト、ゆりあは故郷に帰って第2の人生を、蜂谷は息苦しい妻との結婚生活を終えて離婚、友人を頼って沖縄に移住、大前は東日本大震災で被災して電器屋がつぶれて汁男優になったのだが妻の実家の北海道に行って電器量販店に再就職する。 豆田が一人行き場がなくて落ち込むのだが、勇気を持って娘に電話、結局は妻の実家を手伝うようになって元の生活に戻るというハッピーエンド。 見終わって何か違和感があったのだが、時間が経ってから気がついた。つまりそれは主要人物全員がAV業界から去っていくのだ。 確かに長く続けられる仕事でもないし(特に女の子は)、辞めて行く方がハッピーエンドなのだろうけど、「所詮は長くいる世界ではない」と否定的な結論になっている。 原作がそうなってるからそうした、と言えばそれまでなのだが、一人ぐらいこの業界の良さに気づいて長く続けよう、と思ってくれてもいいのでは? 原作者もこういった業界には長い方だから、逆に業界のことを知ってるからこそ、去っていって欲しかったのかもしれない。 現実ピンク映画の世界ではこの業界から抜けない人も多いのだがなあ。本心は抜けたいと思ってるのだろうか? 確かに金銭的にはきつい業界だしなあ。 最初に書いた自主映画の話。 この映画、池島監督に資金を提供したのは実は一般のファンである。 グリソムギャングで池島監督の監督デビュー作の上映会をしたときにお客さんとして来ていた方が懇親会で300万円の現金をだし、「これで映画を作ってください」と行ったことが始まりだという。 ものすごい話だ。 企業が映画製作に乗り出した話は今までたくさんある。 だがそれはあくまで会社の金で社長が新規事業という名目でお金を出しただけ。ところが今回は個人のお金だ。 300万円すべてその人(エグゼクティブプロデューサーの空乃雲之氏)お金ではなく、集めたお金もあったらしいがそれでも200万以上は空乃氏の資金だそうだ。 映画を応援してるということでツイッターやブログに感想や応援コメントを書く人はたくさんいる。 逆に本人としては「その人のためにあえて苦言を呈する」という気持ちで映画の批判的なことを書く人もいる。 しかし自分の応援する監督にポケットマネーで数百万円を出した人は聞いたことがない。 その方も特に映画の内容には口出さなかったようだ。 ものすごい方だと思う。 金を出したら何かと口を挟みたくなるのが普通。 「俺が金出したんだから俺の言うとおりに映画を作れ」となっても不思議ではない。 はっきり言うけどレイトショー2週間のみの公開では(例え大阪名古屋での上映が決まっていたにしても)、宣伝費を回収するのがやっとだろう。それすら怪しいかもしれないのだ。 だから僕はこの映画に関しては最初に資金を提供した方の評価は大切にしたい。 そしてその期待を裏切らなかった池島監督も立派である。 少なくともブログやツイッターで上から目線でああだこうだ言ってる沢山の自称映画ファンよりよっぽど腹が据わっている。 私も見習いたい。 幸福日時 2014年10月26日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 市川崑 製作 昭和56年(1981年) 刑事の村上(水谷豊)は妻に逃げられ二人の子供を育てるのに悪戦苦闘している。そんな時に管内の書店で拳銃の乱射による殺人事件があった。被害者は大学教授、サラリーマン、女子大生の中井庭子(中原理恵)だった。現場に駆けつけた北刑事(永島敏行)は驚く。庭子は彼の婚約者だった。北は一旦は捜査から外されたが、本人の強い希望で捜査に加わることになった。 捜査の方は遅々として進まない。3人の被害者には接点はなく、3人のうち誰かを殺そうとして他の2人は巻き込まれたらしい。 では誰を殺すのが目的だったのか? 庭子はその日、北と会う約束をしていたが、約束の時間に遅れると連絡していた。彼女はどこへ行って何をしようとしていたのだろう。 庭子は社会福祉のバイトをしていた。それは介護ヘルパーの仕事。バイト先に行って様子を聞いてみた。その中で車崎るい(市原悦子)に不振な点があるので、聞き込みに行く村上。しかしその帰りるいの息子に村上は襲われる。 市川崑の87分署シリーズの「クレアが死んでいる」の映画化。 公開当時この映画は知ってはいたが観なかった。 なぜかというとタイトルの「幸福」が気になったのだ。 エド・マクベインの87分署といえば邦画ファンとしては黒澤の「天国と地獄」の原作としてなじみがある。 でも「幸福」ではなんだか刑事映画というより刑事の私生活を延々と見せられる気がして興味が失せた。 そしてその勘は当たっていた。この映画、水谷豊が妻に家出されて小学生の娘と息子の育児が延々と描かれる。 正直だれるのだな。 北刑事も庭子との結婚を望んでいたのだが、庭子は母がいなくて父(浜村純)と二人暮らし。その父のことが気になってなかなか結婚に踏み出せない。 庭子が死んだ後で父と二人で会うシーンがあるのだが、娘が死んだ愚痴を延々と言い合うシーンがあって正直いやになった。 結局庭子と車崎親子の件はこの殺人とは関係なし。 車崎の娘(川上麻衣子)が兄に犯されその子を妊娠してしまい、それを中絶に行くのに付き添いで行っていたということだった。 被害者の一人が会社から400万円を借りていてその金の行方がわからないということで事件は急転回。 87分署の映画化で「複数犯罪」が大好きなのだが、87分署では「今まで追っていた件は最初の事件とは無関係であるきっかけから事件が急転回」というパターンが多いのか? その400万円を使って脱サラしてそばや経営を考えていたのだが、共同経営をする予定の男がばくちに使ってしまった為に返済を求められ殺した、という結末。 刑事の私生活をちょっと挟みつつ殺された人々の私生活が明らかになっていく、というのは先月観た「刑事」でもあったが、正直「刑事」の方がおもしろかった。 話題のシルバーカラー(銀残し)はそれほどの効果は感じなかった。 あと加藤武が金田一シリーズのように「よーし、わかった」という遊びあり。 正直、期待はずれだった。 グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札日時 2014年10月25日18:50〜 場所 新宿ピカデリー・シアター7 監督 オリヴィエ・ダアン 1956年、オスカー女優のグレース・ケリー(ニコール・キッドマン)はモナコ公国のレーニエ3世と結婚、モナコ公妃となった。 それから5年、今や二人の子供に恵まれていた。 しかし自分の意見が言わせてもらえない、自分の考えが通らないなどの窮屈な生活でもあった。そんな時、ヒッチコック監督から新作「マーニー」への出演依頼を受け、彼女は出演を希望する。しかし公妃が映画出演となると反対も少なくない。しばらくは発表を控えることとなった。 そんな時、フランスはアルジェリアの戦争で戦費が必要となり、モナコにも圧力をかけてきた。 モナコは会社には無税にし企業を誘致しその経済活動で国の経済の一助としてきた。しかしフランスは企業から徴税することを求めてきた。 軍隊を持たないモナコは外交交渉しか頼る手だてはない。 ヨーロッパ各国から軍事支援を得ようとしたが、ド・ゴール暗殺計画によりその見込みは失敗に終わった。 グレースは国のために自らが立つことにする。 グレース・ケリーについては正直よく知らない。 私が物心ついた頃にはすでにモナコ公妃で、「ハリウッド女優から王妃になったシンデレラみたいな人」というイメージしかなかった。 世界中にそう思ってる人は少なくないと思う。 しかし実体はなかなか厳しかったようだ。 前半、パーティの席ではっきりものを言うグレースに対し夫は終わった後でたしなめ、赤十字の活動で病院改装を提案するが他の富豪のおばさんたちは却下、10月の舞踏会の開催に熱心だ。 日本の皇室はいかにも窮屈な感じがして外国の王室はそれほどでもなかろう、と思っていたのだが、どこの国でも同じなようだ。 ましてやモナコの人からすると外国人で、ハリウッド女優出身となれば「たかが〜のくせに」と陰口を叩かれることも多かったのだろう。 まして途中でなにかと相談に乗ってくれていたタッカー神父がアメリカに帰国。そして親族として信じていたレーニエの姉アントワネットがフランスと通じていたとなると不信感もつのり、四面楚歌だったろう。 そして最後に彼女は自らが主催して舞踏会を開き世界中の政府首脳に招待状を出す。 もちろんド・ゴール大統領もだ。 そこでグレースは世紀の演説をする。 「愛があれば世界は戦争をしない。愛のある世界を目指しましょう」 (と言った訳ではなかったと思うが、そういう意味の演説) 出席者は全員拍手喝采。 これでド・ゴールもモナコ攻撃も出来ない。 正直、この演説はグレース・ケリーという美人が言ったから効果があったわけで、そういう自分の女優としての武器を使ったのだから、グレース・ケリーもただ者ではない。 「美人だから」と斬り捨てることも出来るが、それを生かしきったのだから、そこは文字通り役者が一枚上手なのだ。 予告編を観て勝手に、「自分に国を救うなんて無理」と断るグレースを閣僚が説得して外交交渉をさせる話、と思っていたので、グレース・ケリーの積極ぶりには驚いた。 正直、グレース・ケリーという方の偉大さ、立派さを知った次第です。 結婚までの恋愛話を描いてもそれはそれで映画になったと思いますが、こちらのエピソードの方が僕は好きです。 今でも世界各地で紛争はありますが、グレースのようにやりようによっては戦争をしない方法はいくらでもあるのではないか?というメッセージを感じ、好感のもてる映画だ。 福島 生きものの記録 シリーズ2〜異変〜日時 2014年10月25日10:30〜 場所 ポレポレ東中野 監督 岩崎雅典 福島第一原発事故による放射能汚染がそこに生きる生物たちにどのような影響を与えたかを探っていくシリーズ第2弾。 ちなみにシリーズ1作目は観てない。 福島の土地に住むモリアオガエルから始まってタンポポ、ツバメ、牛などの現在を追っていく。 モリアオガエルは今のところ、特段の変化はない。 タンポポは巨大な茎を持ったものがいくつか発生した。 そしてツバメ。 首のあたりに白い毛が生えているものが1割ほどいるという。 チェルノブイリを研究しているアメリカの学者が登場したが、これは福島とチェルノブイリのツバメにのみ見られる特徴だという。 そして牛にも白斑が見られるという。 黒毛の牛の体中に白い毛が点々としている。毛を剃るとその地肌も白くなっている。 牛の持ち主は農水省に調べてもらう。しかし結果は「原因不明」。そもそも通常の白斑だって何が原因かよくわかっていない。 もちろん放射能との因果関係も「わからない」。 否定もないし、もちろん肯定もない。 実際のところ現在ではそうなのだろう。 放射能を浴びたからすぐに何かが起こるとか、全部に同じ症状が出るわけではないようだ。 人間にしてもすぐに亡くなる方もいれば数年たってから、あるいは数十年経ってから癌という形で現れることもある。 「放射能との因果関係は証明されていない」 これは事実だろう。なんだか原発推進派が喜びそうな結論だが、早とちりしてはいけない。「証明されてない」だけで「関係ない」と証明された訳ではない。 放射能被害はその被害がなんだかはっきりしないところがまた怖いのだ。 因果関係がはっきりしなければ何も追求のしようがない。 傾向があることだけは確かだが、それだけのことである。 最後にはニホンザルの観察をこれから行っていく話が出る。 ここは専門家の先生が出てきていろいろ解説してくれる。 スリーマイルやチェルノブイリの付近には野生の霊長類はいないので、その影響は全く事例がないそうだ。 2011年に生まれた猿が大人になるのに数年かかり、2016年ぐらいから大人になるという。その後どうなるかがわからない。 正直、「映画としては」衝撃のシーンもないし、大発見的な映像もなし。 今のところ、タンポポ以外は大きな変化も出ていない。 ツバメや牛の毛が一部白くなったからと言って「まだ」それだけのことだ。 しかし繰り返すが何もないと言うことではない。 そのことを改めて教えてくれる。 今日見に来たのはトークイベントで菅原文太さんが来たから。トークの相手は岩崎監督。 俳優は引退したという文太さん。 「若い俳優のじゃましちゃいけないと思ってやめたけど、じゃましてもいいような奴が多い。真剣さが足りない。今でも出ないかと言われてるがいったん辞めると言った以上また出るのも迷うが色々義理もあって断りきれなくて・・・」と今後の出演のついては白紙。 「今は農業をなさってますが、農薬とかの影響はどうですか」という監督の質問に対し、「モンサックとかひどいよ。日本はアメリカの数倍農薬を使わされてるんだ。戦争が終わって何十年も経つのに未だに安倍総理とかアメリカの言いなりなんだから」と最近は政治的発言が多い文太さんらしいお話。 さすがに年齢を感じさせるところもありましたが、まだまだ俳優としても活躍していただきたいです。 蜩の記日時 2014年10月24日19:20〜 場所 新宿ピカデリー・シアター8 監督 小泉堯史 壇野庄三郎(岡田准一)は些細なことからお城の同僚と喧嘩になり、刀を抜いて相手を傷つけてしまう。 喧嘩相手が家老・中根(串田和美)の甥だったため、喧嘩両成敗を避けたい中根によって、壇野はある仕事を命じられる。7年前に郡奉行・戸田秋谷(役所広司)は大殿の側室と不義の関係を持ちそれを家臣に咎められたために切ったという罪で死罪を申し渡された。ただし藩の歴史を編纂中だったため10年間の猶予を与えられ、藩史を完成させることも命じられたのだ。つまり3年後には切腹しなければならない。 壇野の役目はその監視役として、もし秋谷が逃亡を計れば斬り捨てよと命じられたのだ。 壇野は秋谷と接するうちにその人柄に魅せられ、7年前の真相を追求し始める。 側室だったお由の方は今は出家して松吟尼(寺島しのぶ)となっていた。壇野は松吟尼と面談。ますます秋谷の無実を信じるようになる。やがて松吟尼からある手紙を渡される。それは大殿が残されたもので、正室の出自に関することが書いてあった。7年前の事件はどうやら中根が裏で画策したらしい。 「雨あがる」でデビューした小泉堯史監督作。未だに「黒澤明の愛弟子」という紹介をされ、本作も原田美枝子とか井川比佐志も出演のため、やたらと「黒澤DNA」という面ばかり強調される。 そういう風に見るとそういう風に観えてくるもので、役所広司と岡田准一がかつての三船敏郎と加山雄三に観えてきた。 「3年後に切腹が決まっている男とその監視役の若者の話」とだけ聞いていたので、もっと静かな映画かと思ったら意外に勧善懲悪の映画だった。ただしカタルシスは少ない。 大殿の正室というのは中根の紹介によるもので、正室の子を世継ぎにさせたい。しかし大殿は側室の方を気に入り、その子を世継ぎにと言い出しかねない。そこで先手を打って側室のお由の方とその子供を斬ってしまおうとたくらんだところで秋谷が駆けつけお由の方を救ったのだった。 それで秋谷を疎ましく思う中根によってはめられたのだ。 秋谷の住む村は厳しい年貢で苦しめられており、秋谷の息子・郁太郎(吉田晴登)の友達の父が、謀反を画策し、奉行を殺したとして追われる。彼は夜逃げしたのだが郁太郎の友達は厳しい詮索にあって殺されてしまう。 それを怒った郁太郎と壇野は中根の屋敷に押し掛ける。 そして郁太郎は中根のみぞおちに一撃を食らわせる。 ここ、カタルシスがあってよかったが、その後も壇野が捕らえられ、助けに行った秋谷が例の松吟尼から手紙を渡して救ったあと、秋谷が中根をぶん殴る。 う〜ん、また殴るだけかよ。ここはもうちょっとカタルシスが欲しいなあ。「隠し剣鬼の爪」は最後に加藤武を一突きでカタルシスがあったなあ。 その辺がもう少しインパクトがなくて寂しい。 でも最初の方で壇野が「藩の為に公にしない方がいいこともあるのでは?」と藩史を編纂する秋谷に意見を言うのだが、「いいことも悪いことも残すことが大事」というのは今の日本の歴史認識問題を言ってるようで興味深い。 出演は秋谷の妻・織江に原田美枝子、娘・薫に堀北真希。 壇野と薫は結婚するのだが、「COSMIC RESCUE」の競演から早10年と思うと感慨深い。 でも本来なら画の重厚さが欲しかったが、デジタル素材のせいか、カメラのせいか、映写環境のせいか粒子の荒さが目立って効果が出てないなのが残念。 ほんとに惜しいと思った。 痴漢やらせ電車日時 2014年10月19日19:45〜 場所 光音座2 監督 関根和美 製作 主人公のサラリーマンは元女子プロレスラーを妻に持つ33歳の男。毎夜技をかけられる格闘技のようなセックスを展開中。朝の通勤電車で痴漢をしたところ、隣からも手が伸びる。結局自分もその若い男も捕まって交番へ。 なんとか早々に出てきたが、若い男から「一緒に痴漢しませんか?」と誘われる。 男は予備校生で名前は飯塚たかし。 二人で翌朝女子高生を痴漢して3人でホテルへ。早速いい思いをしたが、彼女から「二人で5万円ね!」としっかりお金を取られてしまう。 今度は夜の公園でのぞき。 女子大生と中年男が夜の公園でしているのをしっかりのぞく二人。 しかし途中でたかしはその場を離れてしまう。 不思議に思った主人公は残されたたかしの定期入れを見てみるとさっきの女子大生が写っていた。 そういえばたかしは高校時代にあこがれの子がいたと言っていた。 滝田洋二郎監督の「真昼の切り裂き魔」が目当てで劇場に行って、おまけで観たのがこの映画。 本日若松孝二から始まってピンク映画を5本連続で観たのだが、その最後に観たのがこれ。 前半の女子高生、公園ののぞきと続き、このままオムニバスのようにドラマなしで二人ののぞきの活動が続いていくのかと思ったらそうは問屋がおろさない。 さすがは関根和美である。 覗いた子は実はたかしの高校時代のあこがれの子。 予備校生でちょっと元気がないたかしの夢をかなえようと一肌脱ぐ決意をする主人公。 彼女の大学をたかしから聞きだし、彼女が出てきたのをつけていったら渋谷のファッションマッサージ店。(ちなみ大学はアルプス大学でロケは青山学院大学付近で行われている) 客として入って彼女、村上あつこにたかしとデートしてセックスしてくれるように頼む。ただし10万円って言われたけど。 あつこはたかしに電話し、二人はデート。でもぎこちないたかし。結局自分の部屋に連れ込み、セックスまでする。 最後に風呂に入ってるときにたかしは「つきあって」と告白。しかしあつこは「実はお金もらって頼まれたの。それにあたし風俗してるし」と打ち明けられる。 ショックを受けるたかし。 まだまだ気持ちは純情な少年が受けるショック。 童貞少年(でもないが、気持ちは童貞みたいなものだ)の切なさ。 ラスト、「俺、そろそろ勉強に身を入れます」と成長を見せる。 主人公は「寂しくなったらまた電車で会おう」と励ます。 少年の成長を見たちょっと切ない青春ストーリー。 関根和美はこういう男の子の気持ちを描くのが得意ですね。 期待してなかった分、満足度は高かった。面白かった。好きです、この映画。 真昼の切り裂き魔日時 2014年10月19日18:45〜 場所 光音座2 監督 滝田洋二郎 製作 新幹線の窓から外の風景を4000分の1秒のシャッタースピードで撮影している若い男がいた。彼は自宅で現像し、その中に誰かが誰かを襲っているようなカットがあるのを見つける。 その晩、雑誌編集者の奥村紀子とカメラマンの梶井(下元史朗)は夜の公園にやってきた。そこで体を切り裂かれた女の死体を発見。梶井は写真を撮り、雑誌はスクープとして部数を伸ばした。 その後梶井は写真雑誌で「4000分の1秒」というタイトルで例の誰かが誰かを襲ってるような写真を見つけ、投稿者に会ってみてた。望遠鏡でのぞきをやっている不思議な若い男だった。 奥村紀子も同じ写真をみて投稿者に興味を持つが、紀子は会えない。しかし電話番号を言っておいてので相手の男は紀子のことを知って尾行を始める。 やがて第2の殺人が!それは紀子の友人だった。 ツイッターで「今度光音座2で上映される滝田洋二郎の『真昼の切り裂き魔』は見逃さない方がいい」というのを見かけ、本日光音座1に行ったついでに観た次第。 1、2はしごは面白いがちょっと疲れる。 確かに面白い。滝田洋二郎は正直、今よりピンク時代の方が面白いのではないか? 例の若い男が怪しい。でも最初の切り裂き魔の犯行現場の写真を撮っているのだから違うはず。 しかし・・・ という感じで梶本はつきあっている女にその若い男を尾行させる。 そしたら奥村紀子と会っていて、しかも何か脅されているような。 第3の犯行として梶本の彼女がシャワーを浴びている時に殺される。このシャワーシーン、ヒッチコックの「サイコ」のシャワーシーンをまんままねている。シャワーのアップとか排水口のアップとか切り裂き魔のカットとか最後に被害者がカーテンを握りながら倒れ、カーテンが徐々にはずれていくカットなどなどそのまんまだ。 メジャーな映画ならどうかと思うが、ピンク映画なら「お遊び」として許せる。 私は実はこのあたりから梶本が切り裂き魔ではないかと疑い始めていた。「実は二重人格で・・・」という展開だ。 実際、この第三の殺人の直後梶本が部屋に入ってくるのだが、彼は職業柄彼女が刺された状態の写真を撮ってしまう。そのときにカメラバッグからカッターナイフが落ちる。 さっき自分が刺したのを覚えていないという展開か? しかしラストは大逆転。犯人は実は紀子だったのだ。 紀子は子宮もなく女でありながら女でない。彼女は女が憎かったのだ。時折挿入される卵の黄身をナイフで切ってだらりとされながら医者の問診のようなせりふがかぶるが、これは紀子と医者の会話だったのだ。 いつの間にか手を組むようになった紀子と例の若い男。 ラスト、今度は街を歩く女性に声をかける紀子たち。 「雑誌に載せる写真を撮るね」と言って写真を撮り殺していく。 ラストカットはポラロイドカメラから写真が出てくる。 やがてそれが現像されてきて写真が鮮明になってくる。 そこには被害者が死ぬ瞬間が写っていた。 (このカットはポラロイドの写真に合成で画がはめ込んであり、手の込んだカットだ) サイコサスペンスとして十分面白かった。 この頃の下元史朗は二枚目役ですねえ。 ミレニアムZERO日時 2014年10月19日16:40〜 場所 光音座1 監督 国沢実 製作 大蔵映画 20××年、謎のウイルス・ZEROによって人類の女性は死滅した。 SRIの金城はZEROウイルスを研究する市ヶ谷博士研究所に潜入捜査をしていた。実は市ヶ谷博士がZEROウイルスを開発したという噂があったのだ。 しかしある地下室で若い男が寝ているのを発見してから凶暴になり、研究員の一人を殺した。 知らせを受けた同じくSRIの桐山と嵐は市ヶ谷研究所に駆けつける。 主任研究員の牧はどこか冷たく他人事だ。 やがて桐山も地下室の若い男の存在に気づく。そしてその男を市ヶ谷博士は毎夜愛撫していた。 国沢実監督の「初薔薇族映画」とポスターに出てるけど、だから何なんだよって感じだ。 ゲイピンクには珍しくSF作品。マッドサイエンティストものになるんだろうけど、別にゲイピンクである必要なし。こういうSF映画を作りたいと思っていたところでゲイピンクの話があってそれにのっかったような映画。 20年前にZEROウイルスによって人類の女性は絶滅したわけだが、これがゲイピンクになりそうなネタかと思いきや、それほどでもない。 男性が全部死んで女性ばかりになって普通にピンク映画として撮ったほうがよかったんじゃないだろうか? 市ヶ谷博士が愛撫していたのは諸星光という男で、20年間植物人間となっている男。しかもこの間に歳を取らない体になっている。その体内で新しいウイルスを作られているのだ。その成長を市ヶ谷博士は見守っていたのだ。 そこで若い女性の侵入者登場。なんで彼女が生き残れたのかの説明は特になかったように思う。 彼女は諸星光を殺そうとする。 桐山たちに捕らえられ、事情を聞くと諸星がまだ生きている頃にこの研究所で働いていた菱美アンと諸星の間に生まれた娘だという。母はなぜか電話機のようなものの中にいて、声で指示してくれる。(母親は死んでるのかな?) で、市ヶ谷博士の計画を知って自分の父親だが諸星を殺しにきたのだ。 諸星の中で育ったウイルスは人類を凶暴にさせるもの。金城はこのウイルスに感染したのだ。 それを承知したSRIのフジ長官はこの研究所の爆破を実行。 なんとか逃げ出した桐山と諸星の娘がキスをする。 いやいやここはゲイピンクだから桐山と嵐が無事に逃げ出してキスでしょう。 嵐も途中で死んじゃうし。 最後に市ヶ谷博士の死に際に「すべてはフジ長官が承知のことだった」との言葉にラスト、ウイルスで凶暴になった桐山はフジ長官を殺す。 結局ゲイピンクらしい男性ヌードとか絡みはほとんどなく、絡みは冒頭の嵐と桐山の絡みがちょっとと市ヶ谷博士が裸の諸星の体を愛撫するぐらい。 ちゃんとゲイピンクならではの映画を作って欲しいなあ。 ちなみに登場人物の名前が全部(と言っていいかな)が「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」からの借用。 市ヶ谷博士って何?って思ったけど、一の谷博士の流用か? SF作品の自主映画を観終わった気分になりました。 僕らの学園 禁欲日時 2014年10月19日15:30〜 場所 光音座1 監督 小林悟 製作 OP映画 たかゆき(沢まどか)は英語教師だったが、学校にホモがばれてしまった。しかしそれを理由に辞めさせられないので、山奥の分校に一夏左遷された。 東京を離れる前の晩、バーのマスターに犯される。 そこでの授業の生徒は一人。丸山明(白戸正一)はどうしようもない不良。今度問題を起こせば少年院確定だ。 ホモ教師と一夏を過ごすか、それとも少年院か。 どっちにしても地獄。 あらばホモ教師をからかいながら過ごすか。 小林悟のゲイムービー。小林監督はピンク映画では名のしれた方だが、ゲイピンクに関してはどうもやる気を感じない。 男の絡みも冒頭のたかゆきとバーマスターの絡みがあって以来、しばらくない。 それも裸にならないでパンツを脱いで犯すだけだもんなあ。もう監督にやる気がないとしか思えない。 話の方は明はとにかくやる気がなく、授業中もたばこを吸ったり、電話をかけに行ったりする。で、たばこを買いに行ったついでに町へ降りてみればスナックがあったのでそこで飲みに入る。 泥酔してたかゆきが迎えに行く始末。 それでも「おみやげ」と言って弁当を渡すとそこにはカエルが入っていたりでやる気なし。 よく分からなかったのは明が帰ってきて、廊下から張り形が見える。それをしごいていって最後には射精する。 「えっ、これって写せないから張り形使ってるけど設定としては本物なの?」と思っていたら、明が張り形を手にして現れて「先生興奮した?」とかからかう。 やっぱり張り形なの? 明は好きな女がいてその女を呼び出して別の教室でやり出すが、やがてその兄貴が登場。これがやくざな男で「テメーぶっ殺してやる!」と言って殺しかかる。 最初は傍観していたたかゆきも明が「先生助けて!」の声にほだされて助ける。 すると翌日からまじめに授業を受け出すという展開。 でも明の悪友がやってきて(その一人がパーマヘアにバンダナでTシャツの袖を切っているというまるで光GENJIなのだな。たぶんその頃の映画)、廊下でたかゆきを犯す。 ここも服はほとんど脱がない。 最後は明とたかゆきが教室の床で抱き合ってキス、となるのだが、この二人が机に一部が隠れてよく見えない。 ここはクライマックスだからちゃんと見せましょうよ。 やっぱり監督にやる気がないんだろうなあ。 日本暴行暗黒史 異常者の血日時 2014年10月19日12:30〜 場所 ポレポレ東中野 監督 若松孝二 製作 昭和42年(1967年) 警視庁刑事の佐久間はある若い男を乱痴気パーティで女性に暴行したとして逮捕した。その男の名前はカンバラヨシオと言った。佐久間にとってはその名前は彼の出身地のおぞましい血の歴史を象徴するものだった。 若松孝二の「日本暴行暗黒史」シリーズの1作。まあ別に当初はシリーズ化するつもりはなかったのだろう。 幕末、大正、昭和初期と時代を経ても暴行を繰り返すある血筋についての大河ドラマ(と言い切っていい)だ。 幕末に源七という農民がいたが、武士の馬屋番になっていた。一応武士になったが、卑しい身分ということで周りからはさげすまれていた。 ある日、源七は今まで自分をさげすんだ武士カンバラを殺し、その妻を犯した。源七は返り討ちにあったが、その子供はカンバラの妻に宿った。 大正時代、源七の子供・ヨイチは今はカンバラ家の当主として君臨していた。その頃、村の女が老若を問わず暴行されていた。 犯人は実はヨイチだった。ヨイチは自分が犯人だとばらし、女中を暴行。しかし彼もまた反撃に合い死んでいった。 女中とヨイチの妻のおなかにはヨイチの子が宿っていた。 ヨイチの妻の子は女の子でヨシコと名付けられカンバラの娘として育てられ、女中は佐久間という男と結婚し、ヨイチの子ヨキチは育てられた。 女中とヨイチの子供は男の子だった。 昭和初期、労農運動がさかんになり、この村にもその思想を説く男(山谷初男)がやってきていた。 その男の勉強会の帰り道、ヨシコは男に犯される。それを救ってくれたのはヨキチ(久保新二)だった。 ヨキチとヨシコは愛し合うようになる。しかしヨキチも出征が決まった。ヨシコはヨキチの子供を宿した。 ヨシコの子供はカンバラの子として育てられた。そう冒頭の暴行男のヨシオだ。 ヨキチは復員後、刑事となった。 冒頭、佐久間刑事が実家の村に帰るシーンから始まる。 彼はいったい何しに故郷の村に久々に帰ってきたのか? 村の墓地に行き着く佐久間。そこにはヨシオが待っていた。 「異常者の血は絶やさねばいかん!」と佐久間はヨシオを射殺、そして自らも自殺。 横溝正史的な呪われた血の物語。 いやそれ以上に若松孝二の怨念がこもった映画だ。 今の日本ではこの映画の頃より家系とか血というものが薄くなっている気がする。 でもなくなった訳ではあるまい。 70分ばかりの短い映画だが、それでも数十年に渡る血の物語。今井正の「武士道残酷物語」に負けない重量感があある。 若き久保新二が出演。 思いの外美青年でちょっと驚いた。 これなら四谷三丁目で働いていたのもうなづける。 アクト・オブ・キリング日時 2014年10月18日20:00〜 場所 早稲田松竹 監督 ジョシュア・オッペンハイマー 製作 2012年(平成24年) 1965年のインドネシア。クーデター事件が起こったが、その収拾後、事件の背後にいたのは共産党だとして共産党員の虐殺が行われた。 実際の虐殺を行ったのは軍部や警察ではなくプルマンと呼ばれる地域のやくざ者だった。プルマンの語源は英語のフリーマン、自由人ということだった。 アンワル・コンゴはそのプルマンの一人。ジョシュア・オッペンハイマーはアンワルを取材して、どのように殺害したか、どのように尋問していったかと聞いていく。 やがてアンワルや当時実際に虐殺に関わった人々にその時を再現させる作品を作ろうと提案する。 この映画はその撮影の裏側や実際に作った映像を見せていく。 「虐殺に関わった人物が自分の虐殺を再現していき、やがては彼らの態度に変化が起きるドキュメンタリー」と聞き、評判も良さそうだ。でも結局時間が合わず(というかたぶんいい映画なんだろうけど無理してまで観たいと思わなかったのだろう)、見逃していた映画。 今年の春に渋谷のイメージ・フォーラムで上映されていた。 今回早稲田松竹で上映され、ラスト1本割引800円で1本だけ観た次第。 正直言って予想したようなショッキングな映画ではなかったなというのが感想。 とは言ってもアンワルが自分のことを語っていく過程で徐々に変化が起き始める。 自分より年下のプルマン(たぶんこの人は虐殺には関わっていない)に自分の過去を演じさせ、自分は被害者を演じていく。 やがてふと気づく。「これを観た人は俺たちの方が虐殺してるように見えないか?」自分のやったことを客観視することによって自分たちのやったことを認識していく。 私はインドネシアの歴史を全く知らない。 だからアンワルたちがインドネシア内でどういう立場なのかは実感できない。途中で国営放送のインタビュー番組が挿入される。たぶんこういうドキュメンタリー映画を作っていると聞いての紹介番組なのだろう。 司会の女性アナウンサーは彼らが行ったことに顔をしかめるわけでもなく共産党員の殺害のことを聞いていく。 このあたりは正直、インドネシアの歴史、彼らの現在の立場を知識だけでも分かってないと理解できないのではないか? 自分が被害者役で演じることによってアンワルは「殺された人の気持ちが分かる」と言い出す。 そして出来上がった再現作品を自分の孫に見せるアンワル。ここで「残酷ですよ、いいんですか?」と何度も(たぶん監督の)声が入る。正直孫たちはまだ幼くてこのシーンの意味を理解していないように思えた。 ラスト、アンワルは最初に殺害方法を説明した建物の屋上に行く。そして殺害方法を説明しながら何度も吐き気を催していく。 映画は彼がこの場所を去るところで終わる。 その姿はなんだか寂しく、一人の老人でしかない。 「虐殺をやった人間がやがて自分の罪を理解する」というそういう単純な図式だけではない、人間の恐ろしさを感じる。 「虐殺者が基本の姿でその彼が後悔し始めた」と解釈もできるし、それも間違ってない。しかし「弱々しい老人の姿が基本で虐殺者の方が異常だった状態」とも思える。 どちらにしても人間の怖さを感じる映画だった。 それにしてもちょっとカメラアングルが決まりすぎてるのが気になった。 ポレポレ東中野で上映されるようなドキュメンタリー映画だと、元々カメラは1台か2台、それもゲリラ的に撮影しているので、映像は汚い。 それがこの映画はまるで劇映画のようにカット割りがしてあって気になった。複数のカメラを同時に回して会話などを撮影したのかと思ったが、カットが変わったときにカメラがあったと思われる場所にカメラが写ってない。 また車の中でのインタビューでもカメラが複数ある。 それだけ被写体が映画に協力的でカメラポジションを決める余裕があったのだろうか? どういう準備をして撮られたのかちょっと気になった。 日本暴行暗黒史 怨獣日時 2014年10月18日15:50〜 場所 ポレポレ東中野 監督 若松孝二 製作 昭和45年(1970年) ある村に吉三と若い男が江戸からやってきた。薬売りのなりをしているが、吉三はこの村に復讐にやってきたのだ。 この村の醤油問屋の主人、権田庄之介はかつては吉三の幼なじみの庄太として蔵破りで名の通った男だった。 15年前、吉三と庄太は大きな蔵を破り三千両を手にした。しかし仲間割れをして殺し合い、庄太が金を一人占めした。一命をとりとめた吉三は捕まり15年の島流しの刑にあった。 娑婆に戻ってきた吉三は江戸で若い男と知り合い、三千両の儲け話があると言ってこの村につれてきた。 吉三はこの村に着くと娼婦を衝動的に殺してしまう。 かつて庄太に殺されかかった後、自分の女房は庄太によって女郎屋に売られたことを思いだし、自分の女房とだぶったのか衝動的に殺してしまったのだ。 そしてその女を庄太の店の前にさらす。 庄太は吉三がやってきたことを知る。 若松孝二の「日本暴行暗黒史」シリーズの1本。ポレポレでの若松特集での上映。 先に感想を言ってしまうと、若松らしい政治的なメッセージや叫びはなく、若松バイオレンス作品だ。 というほどバイオレンスでもないのだが、悪党が主人公な映画。 庄太が「徳川の時代に俺は蔵破りだった」と妻に告白するから、時代は明治の初めだろう。捕まえにくるのも侍ではなく、警察っぽいからなあ。 なかなか復讐をしない吉三に業を煮やした若い男が庄太の娘を一人で誘拐、庄太は身代金をもってやってくる。そこで吉三と再会。吉三は若い男に庄太の娘を犯せと命じる。 庄太は吉三が捕まった後、妊娠していた吉三の女房を引き取って暮らしていたのだ。女房は娘を生んだ後、死んだ。 その娘を自分の娘として育ててきたと告白。 「その犯されている娘はお前の娘だ。その証拠に亡くなったお前の女房にそっくりだろう」と言って最初は信じなかった吉三も最後は思い直す。 若い男は金を持って一人で逃げる。 そこへ警察がやってくる。 結局吉三と庄太はお互いを殺しあって二人の対決は終わる。若い男は金を持って船で逃げようとするが、警察が追ってきている所で映画は終わる。 庄太が自分は実は蔵破りだった、と今の妻に話すシーンがあるが、そこでは三千両を手にしたあと、吉三が襲ってきたという。吉三が連れの若い男には庄太が襲いかかったという。 ここでの言い分が全く違う。どちらが本当かによって二人のうちどちらが悪党か見えてくるのだが、そこはあまり深く突っ込まない。もし吉三が本当なら、庄太の吉三の女房を助けた話も嘘の可能性も出てくるからここ重要なポイントだと思うけど、「庄太が吉三の娘を育てた」という話はホントとして最後は話が進んでいく。 この辺を突っ込めば観客が庄太と吉三のどちらの肩を持つかが変わってくる。その辺をあっさり片づけたのはちょっと惜しかったと思う。 若松孝二の政治映画というより、もう一つのお得意のバイオレンス映画の1本。 影なき声日時 2014年10月18日13:00〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 鈴木清順 製作 昭和33年(1958年) 毎朝新聞の電話交換手、高橋朝子(南田洋子)は記者の石川(二谷英明)に頼まれてある家に電話した。間違い電話をしてしまったのだが、出た相手は「ここは火葬場だぜ」と言って不気味に笑った。翌日の新聞を見て驚いた。自分が間違い電話をした先が強盗に襲われていたのだ。 自分が聞いた声は犯人のものに違いない。しかし事件は迷宮入りした。 3年後、朝子は小谷(高原茂雄)と結婚していた。小谷は新しい仕事に就き、その仕事でお世話になってるという浜崎(宍戸錠)という男、そしてビリヤード場を経営する村岡(芦田伸介)、薬局の川井(金子信雄)という男たちと毎晩のように賭麻雀をするようになった。 やがて朝子は浜崎の声が3年前の強盗犯の声と確信した。 怯える朝子。しかし浜崎は死体となって発見される。 ラピュタ阿佐ヶ谷のミステリ映画特集。この企画は好評なのか、毎年のように特集される。それでも作品がかぶらないのはミステリ映画って多いんですねえ。プログラムピクチャアとしては作り易いんでしょう。 今回は数ある上映作の中でこの「影なき声」を選んだのだが、それはツイッターで誰かが「松本清張の原作を鈴木清順が改作したトンデモ映画」というツイートを見かけたから。 それで興味が出たのだが、特に変な映画ではない。 鈴木清順も初期の頃は普通に撮っていたのだ。 たしかに前半で朝子が浜崎の正体に気づき、彼の影に怯え出すシーンはなんだか怪談映画を観るような感じはあったけど、それほどでもない。 浜崎は石炭の粉を吸っていた、着衣から石炭の粉が付着していた点から石炭に関係ある場所で殺されたと思われた。 石炭から田端の国鉄車両基地と思われ、それは小谷のアパートの近くだった。 浜崎は村岡と川井から賭麻雀を通じて金を脅し取っていた。浜崎が堅気の人間ではないと知った小谷は浜崎と手を切ろうとした。その時に喧嘩になって殺しただろうと疑われる。 新聞社の石川は真相を追求し始める、という展開。 村岡たちを疑う石川だったが、犯行時間は近所の人(柳谷寛)と飲んでいたと証言。アリバイは成立する。 実は浜崎は石炭のある場所にいたわけではなく、彼の着衣の石炭も吸い込んだ石炭も村岡の偽装で、犯行現場は村岡の家。 黒幕の犯人がいて、これが私は実は柳谷寛だった!というオチを期待したが、外れ。 川井だった。浜崎、川井、村岡の3人が3年前の強盗事件の犯人だったのだ。 松本清張の短編を鈴木清順が普通に映画化した普通のサスペンス映画だった。別にトンデモ映画ではない。 近キョリ恋愛日時 2014年10月17日19:10〜 場所 角川シネマ1 監督 熊澤尚人 櫻井ハルカ(山下智久)はこの4月から枢木ゆに(小松菜奈)たちの高校にやってきた英語教師。ゆには他の教科は学年トップだったが、それに比べて英語だけが弱い。 彼女の英語力をアップさせるためにハルカは放課後にゆにの補習を始める。ハルカはイケメンで女生徒たちから大人気だったが、ゆにはそんなことは意に介さない。 しかしやがてゆにはハルカを好きになる。人を好きになったことなどないゆには動揺するが、親友ナミ(山本美月)の後押しや恋愛指南本を読んでハルカに告白を決意。 しかしなかなか口では言い出せない。 ノートに書いて見てもらうことを思いつき、ある日、授業の始まる前に教卓の中に隠れる。ハルカがやってきて授業が始まった時、ゆにはそのノートを見せる。 「先生の事大好きだけど大嫌いです。どうすればいいですか?」 それを見てハルカは思わずキスをしてしまう。 山下智久、久々の映画出演。最近のジャニーズは人数が増えてしまって人気がばらけているので、特に誰がという感じがしない。だから山下智久一人では動員力が弱いのか劇場はがらがらである。(11日公開。1週目の終わり) というのはこの映画、退屈せずに観たのだが、見所は山下智久以外にないのだな。アイドル映画なんだからそれでいいのだから、それが不満ではない。 相手役の小松菜奈は(私は女優、特に若い女優は詳しくないので)知らない人。それで「表情を表に出さない子」という役なので、可愛らしさもなにもなくただいるだけ。 表情がないのだから演技で感情を表現するのが難しくなり、必然的にせりふで感情を説明することが多くなる。 原作コミックがそうなのだから、仕方ないと言えるが監督としてはやりにくかったろう。 むしろ「桐島、部活やめるってよ」の山本美月の活躍がうれしい。 山下智久は特にシャワーシーンがあるとかそういう裸のカットはないけど、ツンデレのわざと憎まれ口を叩くようなところがまたいいのだろう。ドM女子はきゅんきゅんする事請け合い。 監督の熊澤尚人は「親指さがし」「虹の女神」「ダイブ!!」「おと・な・り」などで活躍。最近は観てなかったが、久々に観たがどうもこういう青春映画が多い。 しかしどれも大きなはずれはないから、見逃した「君に届け」も観てみようかと思う。 それにしても今年は「L・DK」とか「好きっていいなよ。」とかこの「近キョリ恋愛」とか少女マンガ原作の高校生主人公の恋愛映画が多い。以前からもあったが、それでも1年に1本だった気がする。 それだけイケメンも増えたし安くて外れが少なくて手軽に儲けられる企画なのだろう。 あっ話の方はこの後密かにつきあい出すが、ハルカの幼なじみの元カノが学校に赴任してきてハルカとゆにの関係に気づき、やめさせようとする。ゆには英語力もアップしたのでカルフォリニア大学に留学。 でもハルカとは将来の結婚を誓いあうというハッピーエンド。 いいんじゃないですか、ハッピーエンドで。 こういうイケメンとの疑似恋愛も映画の楽しみ方ですから。 話とは関係ないが、山下智久がたばこを吸うシーンが多いのが気になった。別にたばこを吸わなくても話は困らないと思うのだが。最近では主人公がたばこを吸うとは珍しい。 現代性犯罪暗黒編 ある通り魔の告白日時 2014年10月13日18:20〜 場所 ポレポレ東中野 監督 若松孝二 製作 昭和44年(1969年) 大学生の山崎弘(福間健二)はおとなしい性格で周りからは軽く見られていた。 彼は夜になると河原で強姦している男を見、「俺もやりたい」と思う。ある晩カーセックスをしているアベックを覗くが、それは友人の若林春代だった。 彼女は翌日山崎に昨夜のことは黙っていてほしいと頼む。 その代わりに山崎が前からほしがっていたナイフをあげて、ついでに童貞だった山崎に体を開くのだった。 自信をつけた山崎は同じ英文学科のさゆりをデートに誘い、その帰りに河原で強姦した。「よかったろ?」と山崎を笑うさゆり。山崎は「バカにしやがって!」とさゆりをナイフで殺してしまう。 死体とナイフを一緒に埋める山崎。 その晩、新宿に遊びに行き、深夜喫茶でショウ子という女と知り合う。彼女の部屋に行くがそこには姉が寝ていた。かまわずセックスする山崎。翌朝起きてみるとショウ子はいなかった。代わりに横で寝ていた姉とセックスする山崎。姉も山崎をバカにした。 山崎は「ナイフがないと俺はだめだ」と埋めたナイフを掘り返し、ショウ子たちの部屋に戻る。 そこには別の男がいてショウ子と姉が遊んでいた。 若松孝二特集の1本。 主演は後に映画監督や詩人として活躍する福間健二。(といっても私は氏の映画を観たことないけど) このころは都立大学生で脚本も福間健二だそうだ。 (クレジットは出口出だが、このペンネームは足立正生も使うことがあったし、複雑だ) これもとにかく爆発するエネルギー全開だ。 「俺のことバカにしやがって」で相手を殺しまくる男の話。でもこの「俺のことバカにしやがって」っていうのは男のエネルギーの源ですね。少なくとも私は分かります。 そういう所、ありますから。 映画の方は山崎はショウ子や姉、その場にいた関係ない若い男も殺し、その後、河原で強姦した時に途中から割り込んできた男たちも事が終わったあと殺してしまう。 大学で学生たちが最近起こった新宿のアパートでの女二人とさゆり殺しを話題にしていた。 「さゆりが殺されたのは山崎の下宿の近くだけど、山崎にそんな度胸ないようなあ」と言われる。 ますます「俺のことバカにしやがって」のボルテージがあがっていく。 最後には「俺がこんなになったのはあの女がナイフをくれたせいだ」と春代を強姦し殺す山崎。 ラストシーンは逮捕され、警察と春代殺害現場での検分に立ち会ってるシーンだ。 「俺のことバカにしやがって!」という怒りの負のパワーが画面からほとばしるようで、今の私自身にはもうないけど、かつての私にはあった。 そんな負のパワー全開の頃を思い出させてくれた好感のもてる作品だった。 戒厳令の夜日時 2014年10月13日12:30〜 場所 ポレポレ東中野 監督 山下耕作 製作 昭和55年(1980年) 江間隆之(伊藤孝雄)はかつては学生運動の闘士だったが逮捕され出所してからはルポライターの仕事でなんとか暮らしていた。 ある時、九州博多に行った際にたまたまあるバーに入った。そこには南米の幻の画家パブロ・ロペスの絵が飾ってあった。ロペスは南米のグラナダの画家だったが、民衆のクーデターによる混乱で絵は消失、彼はパリへと亡命した。しかしパリもナチスドイツの占領下にあり、ロペスの絵もナチスによって強奪されてしまう。 その強奪された絵がなぜ博多のバーに? 江間は学生時代、自分にロペスのことを教えてくれた大学助教授の秋山(佐藤慶)を訪ねた。ロペスの絵を見た話をすると秋山は激怒。江間を追い返した。 翌日、秋山は自殺した。 江間はかつて一緒にヨーロッパを旅行したことのある日本の黒幕、鳴海望洋(鶴田浩二)を訪ねた。 人気作家・五木寛之の小説の映画化。 この小説が出たときの新聞広告に「パブロ・ピカソ、パブロ・ネルーダ、等4人目のパブロの秘密に迫る」とかコピーが載っていたと記憶する。 原作小説は読んでいる。これが映画を観る前だったのか、観た後に読んだのか覚えていない。 映画に不満を持った覚えがあるので、やはり映画を観る前に読んでいたのか? というのは今観るとこの映画、なかなか面白いのだ。 クーデターによって大西洋を渡った南米のグラナダの画家はパリでナチスによってその絵は略奪される、そして30数年を経て日本の博多の場末のバーに出現する、というはったり。 いや〜「マルタの鷹」並である。 その絵はナチスによって戦争中にUボートで日本に持ち込まれていたとなり、戦後の成り上がりによって隠匿され、日本戦後政治史や外交史に裏で賄賂として活躍してるなど無茶な話で面白い! いや〜70年代大作はこういうハッタリが利いた大作が多くて好きですねえ。 場末のバーから九州の鳴海以外の大物、原島(大木実)にたどり着くまでがせりふの説明で終わってるのが、観ていて話が簡単に転がりすぎる気がしたが、観終わってみるとそこをもたもたしては2時間ちょっとでは収まらなかったかも知れない。 鳴海は九州の行ってみれば被差別の出身だが、戦前戦後と活躍し、今では日本のフィクサーの一人。被差別の設定は別にすれば児玉誉士夫とかを思い出させるような大人物だ。 当時観た不満の一つにこれを鶴田浩二が演じたことだろう。 リアルタイムの頃はその頃の鶴田浩二はまだ50代で、老け役が気になってしまったのだ。 当時ならば佐分利信とかの方がイメージにあっていた。 しかし佐分利信なら「またか」と当時なら思ったろうけど。 それが今観ると「鶴田が生きていて70代だったらこんな感じだったかなあ」と思わせて納得してしまうのだ。 博多のバーには酔っぱらいが飲み代に置いたものだったが、その前は質屋など経てある男(長門勇)にたどり着く。(この辺がせりふで片づけてあるのがちょっと不満) その男はある廃坑で見つけたという。その炭坑の持ち主が原島という男で、戦争中にドイツから運ばれた美術品を自分のものにしていたのだ。 その美術品は国際政治の賄賂にも使われ、与党幹事長、総理にもつながっていく。 鳴海は義侠心からその美術品奪還を計画する。 となるのだが、ポスターにもなっている樋口可南子が活躍がない。彼女は秋山の娘なのだが、どうにも活躍がない。 それは主役であるはずの江間にも言えて、鶴田浩二の大物ばりにはどうにもかすんでしまうのだ。 伊藤孝雄ではどうにも華がない。ここはやはり主役級の若手スターを持ってこないとなあ。 当時の役者なら誰がよかったろう? 藤岡弘でも黒沢年男でも三浦友和でもないことは確かだけれど。 (今なら私は妻夫木聡を推すけど) そして鳴海望洋が絵を原島から取り返したが、逆襲されるのを防ぐために、たまたま九州に来ていた総理たちを襲って監禁する。 すべてを闇に葬ろうとするフィクサー(伊藤雄之助)は総理を見捨てて強行突入を指示。しかし鳴海は総理を道連れに自爆という大展開! この時かつての仲間を殺した原島を殺す長門勇! 「仇はとったぞ!」と言って彼も死んでいく。 いままでオカマ役でコメディリリーフだったのが最後は決め手死んでいく姿はかっこいい。 (ちなみのオカマのママ役で東郷健が出演) で九州の鳴海の旧い知人(浜村純)が(これがまた日本の九州におけるルーツ論まで出てくる)、江間たちを逃がす。 その日本出発の前に酒蔵の2階に連れていき、突然全裸になり(後ろ姿が丸だし)、そこで「あんたらも脱ぎなさい。愛しおうとるもんが求めあわんのは不自然たい」というシーンは高校生の私には強烈に残った。 なんてたって浜村純の尻が丸だしだもん。 しかし再びグラナダはクーデターに巻き込まれ、ロペスの絵は何処かへ。 江間たちも戦乱に巻き込まれて死んでしまう。 すべてはまた闇から闇へといういい結末だったなあ。 なんでDVDにもなってないのかと思ったら、この映画、製作の舞台裏ではかなりいろいろあったらしい。 まず脚本の夢野京太郎というのが竹中労(製作もしてる)のペンネーム。 そしてスーパー16という16mmを使った撮影方法をやり始めたがカメラマンが宮島義勇というまた巨匠だからややこしいことこの上ない。 さらにスポンサーのマリンフーズという映画にはまったく関係ない水産会社が金を出したが倒産。(この頃は角川春樹に続けと異業種がさかんに映画に進出しようとしてたことも背景にあったのか) そして脚本は二転三転。 製作の屋台骨がぐらぐらしていては映画を宣伝させよとするパワーがあるはずもなく(たぶん)、ヒットせずに終わり。 これでは忘れられてしまう。 製作は「白夜プロダクション」というこの映画を作るために作った会社。それでは権利関係も不明瞭になっているのかも知れない。 当時はいろいろあったろうけど、30数年の時のフィルターを通り抜けると「世界的な幻の画家の作品を追う壮大なサスペンス」としての面白さしか残ってない。 再評価してもいい映画だと思う。 妻が恋した夏日時 2014年10月11日21:00〜 場所 新宿K'cinema 監督 いまおかしんじ 浩二(金子昇)の妻、かおり(宮地真緒)が突然死んだ。 かおりは妊娠3ヶ月だったと医者から告げられる浩二。 一体誰の子供なのだ? かつての不倫相手、玲子(穂花)から「自分もかつてあなたの子供を堕ろしたことがある」と告げられる浩二。 1年前、玲子はかおりの元へ乗り込んだが、土下座して「子供はあきらめてください」とかおりに懇願され許したことがあった。 かおりはフラワーショップで働いていたが、夫の不倫のことで仕事が手が着かない。配達に行ったホテルでふと自殺を考えたが、通りかかった男、中村(河合龍之介)に止められる。 中村とかおりは小学校の同級生だった。 そのことがきっかけで中村とかおりは時々会うようになり、実はガンで死期の近い中村はかおりを求めるようになる。 いまおかしんじ監督の新作。 正直言って青春Hシリーズより女優のレベルは高いと思う。 あえて言わないけど青春Hに出てくる若手女優は素人レベルである。 今回の映画もいまおかさんらしい「死」が関わっている。 本日は上映前に舞台挨拶があったが、そこでいまおか監督は「今回の基本アイデアはプロデューサーから『妻が死んだ。妊娠3ヶ月だった』というお題をだされてそこから始まった」ということだが、それにしてもいまおか監督らしい「死」が関わっている。 でも正直、はじめの方から映画に疑問を感じてしまった。 浩二は妻が自分の他に男がいたと知って驚き、怒るのだが自分も不倫していたではないか? そのことがきっかけでかおりも男と知り合うのだから、そんなに責められないんじゃないかなあ? てっきり仕事が忙しくてかまってられなかった、という(ありがちだが)展開なら分かるのだが。 そして中村も死期が近いので、つき合ってる女性もいないので何となくほだされてかおりも体を許すようになる。 しかし妊娠したと知って「生んでくれ!」はないんじゃないだろうか? 自分死ぬんでしょ?養育費も払えないし、第一夫には内緒で他人の子供を育てなければならないんだよ? それってどうかなあ。 でも中村は湖の近くで車のカレー屋をやっているのだが、そこでおいしいカレーを作るコツを中村からかおりは教えて貰う。 それを浩二に食べさせて浩二は喜んでくれる。 ラスト、実はかおりが出していた手紙を読んでかおりがつき合っていた男が中村だと知る浩二。 その手紙を元に中村を訪ねる浩二だが、そのカレーを食べてすべてを悟る。 この展開は好きである。 (でもそこで「妻が作ってくれたカレーと同じ味だった」という意味のナレーションが入るのは蛇足だと思う) かおりはすべてを告白する気になって手紙を浩二に書いてポストへ投函したところで倒れる。 しかし倒れなかったらその手紙を出しただけでどうなっていたのか?中村の元へ行くのだろうか?でも中村死ぬんでしょ? しかも「あと半年の命」と1年前に言っていて、その1年後の映画のラストでも生きている。 うーん、無理矢理な感じだなあ。 「百日のセツナ」以降のいまおか作品は息切れしてる気がしてならない。 そうそうその中でも気に入ったせりふがあった。 中村がかおりに「好きになった人が好きになってくれるなんて奇跡だよ」「そうかなあ、みんなしてるよ」というあたり。僕は奇跡だと思いますね、絶対。 血は太陽より赤い日時 2014年10月11日15:30〜 場所 ポレポレ東中野 監督 若松孝二 製作 中島ヒロシは大学受験を控えている高校生だが、なんだか勉強に身が入らない。今日は悪い仲間とゴーゴー喫茶に遊びに行った。 YS製薬の総務につとめる三原は麻酔薬がある病院に害しての出荷が多すぎることを疑問に思ったが、上司からは気にするなと言われていた。三原は労働組合のメンバーだったが、執行部は会社となれ合っているようにしか思えなかった。 中島の兄はYS製薬の社員でエリートコースの男。ある日社長に呼ばれ三原を解雇するように言われる。「彼は現在の組合の執行部に対して批判的だ。将来会社にとって煙たい存在になるかも知れない」 三原は解雇され、娘も高校をやめることに。中島ヒロシと三原の娘は仲がよかった。ヒロシは兄が三原の父をやめさせたと怒りを持つようになる。 実は社長の山田と中島の兄の妻(ヒロシの義理の兄)は肉体関係があった。 ヒロシは学校をさぼり遊び歩くようになる。そんなとき、今はやくざになった高校の先輩と出会う。 そしてヒロシは義理の姉と社長の関係に気づく。 ポレポレ東中野での若松孝二特集の1本。 「血は太陽より赤い」タイトルからして大迫力である。 この後映画は、ヒロシは義理の姉を脅迫し20万円の金を手にする。友人たちと遊び回るヒロシ。大人社会の不正に嫌気がさしたヒロシはやくざになった先輩の元に行き子分になる。 また麻酔薬を横流ししていたのは社長であり、三原は会社をやめた後も調査し、その横流しを助けていたのはヒロシの先輩のやくざだった。三原が会社をやめさせられたのは組合問題ではなく、薬の横流しに気づいたからだ。 社長はやくざに三原と娘を殺すように命じる。 三原と娘はやくざに拉致される。 「度胸をつけるため」と組織を裏切った男だと行って正体を明かさないでヒロシに殺しを命じる。殺される男は三原だった。三原を殺した後、やくざは「こんな時は女を抱け。紹介してやる」と拉致してあった三原の娘をあてがう。 すべてを分かったヒロシはやくざも殺す。 そして「社会に対して報復を開始する!」と朝日に向かって叫んで「終」 うーん。 正直前半だらだらしていたり、無駄に長いシーンもあるので退屈したが、後半の混沌ぶりは面白い。 もちろん登場人物がみんな複雑に絡み合っており、ご都合主義的に話が進むと批判されても仕方ないと思うが、それにしてもその混沌ぶりがすごい。 ヒロシは「社会に対して報復する」と誓うが、その社会は「正義と不正義」「善と悪」と簡単に色分けできずに複雑に絡み合っているとしか言いようのない状況に対しての叫びを感じた。 話はご都合主義だし、別にエロくもない。 批判することは簡単だが、それだけでは片づけられない若松孝二の怒りの叫びが感じられ、好きな作品である。 あっそうそう、ヒロシは20万円を手にしてマンションの部屋で友人たちとドンちゃん騒ぎというか乱交パーティをするのだが、その前に女の子が「我々は不正義に満ちた大人たちに断固抗議する!」と宣言してから飲み始める。 学生運動の時代なのだなあと思った。 LAST LOVE/愛人日時 2014年10月5日21:00〜 場所 新宿K'cinema 監督 石川均 ギタリストだった岩田(火野正平)は音楽を棄て、第二の人生としてマンションの住み込み管理人となった。 一人で行うことが多いこの仕事は今の岩田にはあっていた。そんな時404号室ユミ(桜木梨奈)という女に出会う。 酔っぱらって朝帰りした時部屋まで送っていったことがきっかけだったが、その後彼女の自転車のパンク修理やら部屋にゴキブリが出たとかで岩田は彼女と距離を縮めていく。 ある晩、404号室に女が訪ねてきた。ユミを訪ねている男が自分の夫で浮気をしているのだという。 それがきっかけでユミと「パパ」の関係は終了し、ユミは部屋を追い出されることに。 しかしユミは脳の病気で進行中だという。岩田はユミと暮らすようになる。 レジェンドの「LOVE&エロス」シリーズが「ラブストーリーズ」と名を変えての新シリーズ。でも特に内容が変わった訳ではない。ただし劇場はテアトル新宿、池袋シネマロサ、ケイズシネマとだんだん小さくなっていくけど。 この映画は火野正平主演だから観てみた。火野正平は好きな役者で、主演作を観るのはたぶん初めてだ。 でも正直、火野正平以外は(私にとっては)いいところがない映画だった。 まずユミのキャラクターが好きになれない。 まずは酔っぱらって朝帰りで玄関で寝込みそうになって部屋まで連れてって貰う。 次に自転車がパンクしたと言って自転車屋までついていかせる、部屋にゴキブリなどいないのに「ゴキブリが出た」と言って部屋に連れ込む。 こういう甘えて男に媚びる女性が私は苦手(というか嫌い)なのである。 まあこれが「可愛い!」と思える方もいらっしゃるでしょうから、否定はしませんが。 で不動産屋の愛人だった訳だが、妻がやってきて別れさせられる。マンションの家賃はその不動産屋が払っていたのだから、追い出される。 しかも脳の病気(というか分裂病とか)で精神が犯されている。 岩田は結果的に優しいから放っておけずに面倒をみるようになる。 でもこういう心の、精神の病気を持つ人は背負えないよ。 実際、岩田は仕事をやめて別の医療施設で働くが結局出る羽目に。たまたま入ったライブハウス風の喫茶店でマスターにギターの腕を見込まれて復活しかけるが、やっぱりユミの病気がきっかけで客とトラブルとなり、その喫茶店も出ていく羽目に。 マスターに貰ったギターとユミのダンス(ユミはダンスが出来る)で路上ライブを続けながら旅をしていく。 というと聞こえがいいが、事実上は乞食が旅をするようなもんだ。まるっきり「砂の器」である。 そしてラストで彼女の病気はいよいよ進行してきたことが明らかになっていく。 で映画は二人が歩きだしたところで終わる。 まあ彼女が死ぬところとかを観たいとは言わないが、中途半端で結末がつけられずに逃げたなあという印象もある。 悲劇的な結末になるのは違いなさそうだけど。 岩田がギターを再び持ったとき、彼の生が再始動していくようで、映画的にも分かりやすく迫力あり。 やっぱり火野正平はいい。 ユミの愛人がベンツをマンションの駐車場にぶつけてるのだが、それを追いつめるときの火野正平の目は迫力があった。 またユミ役の桜木梨奈、役柄は好きになれないが、ユミのような女性を色気たっぷりに好演していたと思う。 |