フランケンシュタイン | 愛の果実 | 6才のボクが 大人になるまで。 |
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インターステラー | 続・光る少年 裸舞裸舞(らぶらぶ) |
愛欲のデッサン | 欲動 |
滝を見に行く | 神様の言うとおり | 最後の命 | 紙の月 |
映画「日本と原発」 | そして、僕らは変わった | どっちの男だ! | 小野寺の弟 小野寺の姉 |
禁断の果実3 近親相姦の誘い |
無知の知 | パニック・イン・スタジアム | トム・アット・ザ・ファーム |
フランケンシュタイン日時 2014年11月30日 場所 DVD 監督 ジェームズ・ホエール 製作 昭和6年(1931年) 若き医学者ヘンリー・フランケンシュタイン(コリン・クライヴ)は生命の再生という研究にとりつかれ、死体を再生する実験を行っていた。 ヘンリーにはエリザベスという婚約者がいたが、数ヶ月連絡をとっていなかった。やっとヘンリーから手紙がエリザベスに来たが「今は実験で忙しい」というだけ。 エリザベスはヘンリーの恩師ヴァルドマン博士、ヘンリーの友人のヴィクターと3人でヘンリーの実験室を訪ねてみる。 最初は拒んだヘンリーだったが、最後には自分の実験を見せてくれた。つぎはぎにした死体に雷を当て、再生させるのだ。そしてその死体の手は動き出した! 切通理作さんの「本多猪四郎 無冠の巨匠」を読んだら、「ゴジラ」との共通点について書いてあったので観てみた。(自分が観たDVDは昭和6年の映画とは思えないほど、映像、音声ともにきれいになっていた) 「人間が自分の実験で怪物を誕生させてしまう」という点で確かに共通項を見いだすことが出来る。 前半はヘンリーの助手はせむし男のフリッツでこのあたりからして怪奇ムード満載で満足。 しかし後半になって私の想像と違う映画だった。 ヘンリーは前半では正しく「マッドサイテンティスト」なのだが、怪物を怖がったフリッツが怪物を火で脅したためにかえって怪物に殺されてしまう。 それで彼も正気に戻ったのか、ヴァルドマン博士と怪物を倒すことにして薬を注射する。 怪物は一旦おとなしくなったのでヘンリーはエリザベスとの結婚のために家に帰る。 ヴァルドマンと怪物が二人になった所で怪物は復活!博士を殺して村にでる。 ここから怪物が暴れまくるのかと思ったら、怪物は結構言い奴。そんな悪党じゃない。 むしろ怪力で無知な故に周りに迷惑をかけてしまうのだ。 村で一人で遊んでいる少女と出会い、彼女と一緒に花で遊ぶ。この時の怪物のなんと穏やかな表情よ! やがて花がなくなると花のようにかわいい少女をつい投げてしまう。 怪物はただかわいいものを花のように放っただけなのだ。 彼には悪気はない。それはまるで歩いているだけで東京を壊してしまうゴジラに似ている。 ヘンリーとエリザベスの結婚式の日、怪物は村にやってくる。やがて村人に風車小屋に追いつめられる。自分で決着をつけようとするヘンリー。(怪物に向かうときにヘンリーはヴィクターに「僕になにかあったらエリザベスを頼む」という。それは「ゴジラ」で「恵美子さんと幸せにな」と言った芹沢と尾形の関係を思わせるというのは深読みか) 結局ヘンリーも怪物によって殺されかかるが、村人の協力もあって何とか助かる。 ヘンリーも改心して怪物も風車小屋ごと燃やされてメデタシメデタシ、というハッピーエンド。 怪物もフランケンシュタイン博士ももっと凶暴でマッドな存在だと思っていたので、ちょっと意外な結末だった。 あとヘンリーの研究室が天井が高いセットで見事だった。 愛の果実日時 2014年11月29日21:00〜 場所 K's cinema 監督 金田敬 高校時代は人気者だった孝治(吉岡睦雄)と結婚した真理子(嘉門洋子)だったが、孝治が実家のクリーニング屋をついだ時の設備投資で借金をして、それがいつの間にか膨れ上がってしまい、いまやクリーニング屋の他にもバイトをする日々だった。 ある日週刊誌でかつての高校時代の友人、安西(河合龍之介)がいまやIT企業で大成功をしていると知る。 恥を忍んで5000万円の借金を申し込む孝治と真理子。 安西は借金の条件として真理子を3ヶ月自分の元におくことを提示した。最初は断った孝治だったが、やはり借金返済のために条件を受け入れた。ただし「5000万円はもらうんじゃない、借りるだけだ。毎月50万円ずつ返す。そのかわり利子はなし、毎月の返済時に真理子と会わせてほしい」。安西も孝治の条件を受け入れ、真理子と安西の生活が始まる。 実は高校時代、真理子は孝治とつきあう一方で、自殺しかけた安西と知り合い、密かに会うことを繰り返す仲だったのだ。 レジェンド・ピクチャーズの「ラブストーリーズ」シリーズ第5弾。先月のいまおかしんじ作品に続くシリーズだ。 吉岡睦雄さんが主演級だと聞いて観に行った。 本日は金田監督、河合龍之介、吉岡睦雄らの舞台挨拶付き。主演の嘉門洋子は体調不良のため欠席。 正直あんまり面白くない。 設定の「5000万円の借金の利息代わりに妻を貸す」という点は面白そうなのさが、面白いのはそこで止まっている。 以降、安西と真理子のだらだらが続く。 安西が「大金持ちに似合わずおかしなところがある」という訳で、二人でカラオケに行ったり、ドリンクバーのドリンクを混ぜてみる、とか安西が船の音を録音するのが好き、とかやたら安っぽい。 それにITの社長なのだが、仕事をしてる姿が全くなく実在感に乏しい。 予算がないから安西のオフィスのシーンなど作れなかったのは予想されるけど、それにしてもなあ。 金持ちらしいシーンがないのだな。安西と真理子がクラスのも「安西の家」ではなく「高級ホテル」っていうのも・・・ 途中、真理子が「終電に向かって走るのをやってみたい」などと言いだし、いやな気分になった。あれ、やると気落ち悪くなるよ。「あたしすぐに結婚して友達と飲みに行くってほとんどなかったからやってみたい」というのだが、なんだかイヤである。 それに第一、二人の生活が始まってからだらだらしてるだけで、安西も真理子とセックスしようとしないし。二人が結ばれるのがクライマックスなのだな。 結局、真理子は孝治の元に帰り、安西はいままで献身的にサポートしてくれていた秘書(サヘル・ローズ)と結ばれることを予感させて終わる。 そうは言ってもいいところはあった。金田監督が上映前の挨拶で「脚本の森田剛行さんはダメ男のせりふがうまい」と言っていたのだが、確かに。 孝治が50万円を作るために競馬をして稼ぐのだが、「そんなことしてもし外れたら」という安西に「こっちは金賭けてんじゃない、人生賭けてんだ!道を歩いてるサラリーマンもフリーターもみんな人生賭けて生きてんだ!お前は金があるかも知れないけど、人生賭けられるか?!俺は出来る!」と2回目の返済の時に単価を切るのだが、このせりふは(よく考えると訳解らんのだが)よかった。 あと真理子が高校時代の校歌をよく口ずさむのだが、それが「あたらし〜い朝が」という出だしなのだが、そのメロディがラジオ体操のオープニング曲と同じフレーズで、妙におかしかった。 6才のボクが大人になるまで。日時 2014年11月29日16:40〜 場所 新宿武蔵野館3 監督 リチャード・リンクレイター メイソンは6才。姉のサマンサと母親の3人暮らし。父と母は離婚しているが、父とは時々会ってボーリングなんかに連れてってくれる。母は大学に行ってもっといい所に就職するために、3人でおばあちゃんのいるヒューストンに引っ越した。 大学に行きだした母だが、メイソンはある日、母親の先生に紹介される。やがてその教授と母親は結婚。教授にもマイソンたちと同じ年の姉弟がいたために6人で暮らすようになった。だがその教授はアル中のDV男で、4人の子供も母親もおびえるようになる。やがて夫の暴力に耐えかねた母親は自分の子供二人を連れて逃げ出した。夫の連れ子の二人も連れていきたかったが、実の子ではないので誘拐になってしまうため、見捨てるしか出来なかった。 また新しい学校に通い出すメイソンとサマンサ。 16才の誕生日は父親の両親も祝ってくれた。 写真と出会ったメイソンは写真家になる夢を持つのだが。 3ヶ月ぐらい前に「めざましテレビ」で「12年間の家族の歴史を同じ俳優で12年かけて撮影された映画」として紹介され、非常に興味を持った。 監督のリチャード・リンクレイターってどこかで聞いた名前だと思ったら、「がんばれ!ベアーズ ニューシーズン」の監督だった。 小説なら何十年に渡る物語も簡単に書ける。しかし映像では役者が演じなければならず、非常に難しい。 年代に分けて複数の役者が演じるか、老けメイクや若作りメイクで登場するのが普通。 でも監督なら「同じ役者で12年に渡って撮影してみたい」と一度は思うだろう。しかし映画はそう簡単には行かない。 それをやってのけたのがこの映画。 少年役で出た俳優がそのうち事件を起こして映画に出られなくなるとか、出演者の一人が事故で亡くなるとかそういうことだってありうる。でもそれを乗り越えて12年間に渡って出演出来た4人の役者にまずは賛辞を送りたい。 (姉役の子は実はリンクレイター監督の娘) 思えば「ハリーポッター」もそうだった。主要メンバーが変わることなく10年に渡るシリーズだった。 (しかし「ハリー・ポッター」では校長は変わっている) でも逆に言えばこの映画、私にとってはそれだけの映画。 あとは普通の家族のだらだらとした12年。 自身が母親や父親のものはその12年を自分の子育ての12年の重ね合わせたり、子供にしてみれば自分の12年と重ねて何かを感じるかも知れないが、私は子供には遠すぎるし、結婚もしてないから親や夫婦の実感がまるでない。 だから何もピンとくるものがなく、(退屈はしなかったが)特に何かを感じることはなかった。 それにしてもこの映画の母親は結婚離婚を繰り返すが、アメリカでは普通のことなのだろうか? そして白人の子供って顔が変わるなあ。 6才の時と18才の時ではまるで別人。日本人ならもう少し面影があるような気がするのだが。 それと16才になった時に祖父から散弾銃を渡される。 さすが銃社会アメリカだなと恐れ入った次第。 インターステラー日時 2014年11月28日11:50〜 場所 新宿ミラノ座 監督 クリストファー・ノーラン 近未来、地球は乾き常に砂が降る毎日。いまや軍隊もなくなった世界だ。元NASAの宇宙飛行士クーパー(マシュー。マコノヒー)も今や15歳の息子トムと10歳の娘マーフィー、父ドナルド(ジョン・リスゴー)とトウモロコシ畑を営んでいた。 ある日、マーフィーの部屋の本棚から本が落ち、オカルト現象だとマーフィーは気にする。クーパーは思い過ごしだと取り合わなかったが、マーフィーは本が落ちて残った隙間、そしてその後にやってきた砂が作った模様がモールス信号やバイナリではないかと思う。 そのコードを解読したマーフィーやクーパーはそれは地図上の一点を示していた。その場所に行ってみる二人。 そこにはNASAの研究所があり、そこでは科学者たちが人類を他の惑星に移住させる計画「プランA」と、人類の受精卵を保存し、他の星で増加させようとという「プランB」が計画されていた。しかも土星の近くにできた時空を飛び越える空間を利用し、すでに何回も調査船が打ち上げられていた。 その中で3つの惑星から人類が移住できる可能性のあることが報告されていた。 責任者のブランド教授はクーパーに人類移転計画のために先遣隊を追って各惑星に向かってほしいと頼まれる。 上映時間2時間49分のSF大作。なのだが11月後半という正月映画でもない微妙な時期の公開。さらに新宿ミラノ座の最後の新作となる。(12月20日よりさよなら番組がある) つまらなくはないが、長いのと派手さが足りないのがちょっと難点。 そしてやたら理屈っぽい。 相対性理論がどうしたとかで、最初の星は時間の流れが遅くなりその地の1時間は地球の7年に相当するという。時間の流れが遅くなるというのがよく解らない。たぶん科学的にはあってるのだろうが、重力が重いブラックホールの近くでは時間の流れが遅くなるってさっぱり解らない。いやそもそも時間って何?という疑問が浮かぶが、その辺は説明なしに「君たちが降りてから23年経った」という展開。 最初に行った星は大海原ばかりで人類の移住は不可能。しかし最初に降りた宇宙飛行士からの連絡が時間の流れの違いから地球には遅れて届いたのだろうという結論。 あと2つ候補が残っているが、遠いけど条件がいいマン博士の惑星、条件はいまいちだが近いエドマンズ飛行士の惑星。クーパーはマン博士の方を選ぶ。しかしそこは氷だけの惑星。実はマン博士が地球からの救助隊を期待してデータをねつ造して送っていたのだ。 何とかマン博士を振り切って脱出したクーパーたち。 しかしエドマンスの星に向かうには燃料が足りない。そこでクーパーは自らが犠牲になって宇宙船を向かわせる。クーパーはブラックホールに落ちていくが、そこは時空を越えた5次元の世界。 その5次元の世界が最初のマーフィーの部屋とつながっており、マーフィーに信号を送っていたのは実はクーパーだった!というオチ。 最後はクーパーは助かって、物語の最初からおよそ80年経ったあたりで今や宇宙コロニーで生活する人類の中でマーフィーと再会する。ここは少しうるっと来たね。 そしてクーパーはエドマンズの星に行った仲間を追って再び宇宙へ、で終わる。 タイムパラドックスものは作者の都合でなんとでもなるので、実はあまり好きじゃない。 「スター・ウォーズ」のような大うそのSFもいいけど、本作のようなハードSFは最近観てなかったのでその点は満足した。 あとSFメカとして棒状のものが4つくっついた形のロボット登場。これがなかなか大活躍で、SFメカ好きとしては楽しかった。 続・光る少年 裸舞裸舞(らぶらぶ)日時 2014年11月24日15:30〜 場所 光音座1 監督 小川和久 製作 朝の新宿。あるゲイバーに一人の少年がやってきた。 何も食べていないらしい。ママ(久須美欽一)は可哀想に思ってとりあえず食事を与える。話を聞いてみると記憶喪失で自分の名前も覚えていないという。 とりあえず自分の店で働かせることにしたが、名前は店の常連の作家に頼んで「麻也(マヤ)」とつけてもらった。 麻也は美少年だったこともあり、記憶喪失という物珍しさもあってたちまち近所で評判となった。麻也は歌が上手でギターもうまかった。店でも歌うようになる。 その評判を聞きつけ、キクチという男が「自分と一緒に暮らしていたフミオだ」とやってくる。 しかし話を聞いてみると知り合いでもなんでもなく、麻也を利用して芸能界デビューさせようとするいい加減な芸能プロだった。 やがて麻也はママの優しさに惚れていく。 大蔵作品。 「光る少年」という映画の続編だが、こっちの方は見ていない。2年ほど前に光音座で上映されたようだ。 しかし「裸舞」と書いて「ラブ」と読ませるセンスが古いなあと思う。たぶん80年代後半の映画だと思うが、当時でも古く感じた。 (この映画はタイトルだけは知っていたから昔見たことがあるのかも知れない。全く記憶にないからポスターを見ただけかも知れないが) ママの息子(?)が今ニューヨークにミュージカルの勉強に行ってる設定で電話がかかってくる。たぶん「光る少年」の方は彼とママの話だったのだと思う。 そうこうしてるうちにまた麻也を知ってるという人が現れる。今度は女。 女は自分の部屋に連れ帰り「前みたいにしよ!」と早速ベッドイン。でもセックスの最中に「ああ、こんなの初めて!」と言ってしまったために「初めてって僕とセックスするの初めてなの?」と嘘がばれてしまう。 こういう風に女性との絡みをつい入れてしまうあたりは基本ピンク映画の監督なので「ホモ映画」なんかやりたくなかったんだろうなあ、と思ってしまう。 その点、今日観た「愛欲のデッサン」はまじめにホモ映画を撮っている。 結局嘘がばれ、もう一度ママの元に戻ってくる。 麻也もギターをもう一度本格的に習いはじめたのだが、またまた事故にあってしまう。 そして今度は記憶を取り戻して自分の名前を思い出したはいいが、今度は記憶喪失の時の記憶をなくしてしまう。 忘れられるママ。 前作もやっぱり最後はママがフられる話だったのかなあ。 となるとママの働く店が「とらや」みたいなもので、ママは旅こそしないが寅さんの役回りである。 そういえばタコ社長に相当するいつも店にいる作家先生もいて、この人がなにかと力になってくれる。 前作も観たくなってきた。 ただし上映される機会があるかどうか。 愛欲のデッサン日時 2014年11月24日14:30〜 場所 光音座1 監督 橋口卓明 製作 美大生の山崎カズオはゲイ雑誌を買った帰り道、ツツイという男とぶつかって雑誌を見られてしまう。「僕もその雑誌を毎月買ってるんです。よかったら家にビデオを見に来ませんか」とカズオはツツイに誘われる。ツツイも画家志望だったが、今はエロ雑誌にイラストを描いている。 やがてツツイはカズオに「一緒に住みませんか?」と誘ってきた。カズオが大学でモデルのデッサンをするうちに男を忘れられなくなったという話をすると「じゃあ僕も彼を描いてみたいから、ここにモデルで来てもらおう」と提案。 一方ツツイはカズオからもらった絵を旧知の画商・片桐(池島ゆたか)に見せていた。片桐の反応は悪くなく、ツツイはその絵がカズオのものだと伏せていた。 モデルのユウキが二人の部屋にやってきた。絵が終わったあと、ツツイはカズオに囁く。「彼には話をつけておいた。あとはうまくやりなよ」と出かけていく。 カズオはユウキに抱かれる。 ベッドの下には盗聴機が仕掛けられており、ツツイはその音を外で聞いていた。 ENKの橋口卓明監督作品。 このツツイが盗聴を始めるあたりからサスペンスが増してくる。 前半は無理矢理「一緒に住もう」と言い出してその辺はピンク映画らしい強引な展開かと思っていたが、やはりツチイは怪しい。 その前にビデオを見てるときのイメージでカズオとツツイの絡み、そしてカズオとユウキの絡みなど見ているとねっとりと絡みを描き、エロさを強調している。 監督によってはエロさを全く出さないこともあるから、ちょっとくどくテンポがだるいくらいの絡みは新鮮に見えた。 カズオがユウキに惚れてしまい、ユウキのアパートの部屋を外から見上げるようになってしまう。 そして画商の片桐はツツイのもってくる絵(実はカズオの作品。でも劇中では写らない)を気に入り展覧会に応募して入選させようとしてくる。 一方ツツイはユウキの部屋に行き、彼とも関係を結んでいく。それを見てしまうカズオ。 ツツイが部屋に戻るとカズオが荷物をまとめている。ツツイの留守中に片桐から電話があり、すべてを知ってしまう。 「あなたって最低ですね。明日展覧会に行ってすべてを話します。あの絵が僕の絵ということは僕の友人はみんな知ってますから」 それを聞いたツツイはカズオを絞め殺す。 ここまではかなり強引だけどサスペンスが楽しめた。 そしてこの映画の衝撃はその後。 カズオを裸にして、その尻に顔を埋めオナニーをする。 そしてさらにカズオの尻に自分のザーメンを塗り、挿入する。 片桐から電話。「時間通り来てくれよな。マスコミも来るから」 ツツイの恐怖性、異常性が前半でももっと強調されていれば(というか伏線として示されていれば)もっと面白くなったと思う。今でも十分面白かったが、その点がちょっと惜しい気がした。 欲動日時 2014年11月23日11:50〜 場所 新宿武蔵野館2 監督 杉野希妃 看護師のユリ(三津谷葉子)は夫・千紘(斎藤工)の妹の九美(杉野希妃)の出産に立ち会うため、九美の住むバリにやってきた。 九美はバリで知り合ったオランダ人のルークとこの地で暮らしており、子供も病院ではなく自宅で出産するつもりだ。 千紘は病に冒されており、実はもう長くはないようだ。 4人でバリの観光を楽しむが、千紘が「もう日本には帰りたくない。ずっとここにいる」「お前の死になれきった態度がいやなんだよ!」と言いだし、ユリと喧嘩になってしまう。 ユリは一人バリを歩く。そこでさっきルークに紹介された日本人・キムラと夜の街へ。そこでゲイのキムラは友人とセックス、ユリもバリの青年に誘われるが拒否してでてくるのだが。 「まぶしい一日」を観て以来だから杉野希妃は長く知ってる方だと思う。 アジアのインディーズ映画の世界では各国の映画人とも交流があるらしく、また自身も映画プロデュースもするなど積極的な活動をしている。 かように活躍してるが、日本での評価はさっぱり(に見える)。 彼女の映画についての評価は配給会社のチラシの宣伝文以外聞いたことがない。 私自身が好きかと言われると実は特に好きではない。 特に「おだやかな日常」は嫌いだった。あの映画については反論したいぐらいだ。 女優としてもそんなに好きなルックスでもないしな。 昔学校にいた学級委員でほんのささいな校則違反(だからなんだというレベル)を見つけだし、「先生に言いつけてやる」というタイプ。 実際はどうか知らないが、そんなイメージである。 とまあひとしきり杉野希妃について書いた。 で女優、プロデューサーときてやっと監督だ。 今回、斎藤工主演だから観た。 レイトのみ1回上映の予定だったらしいが、昼間も1回上映してる。しかも私が観た回は立ち見が出るほどだ。 さすが斎藤工効果なのだろうか? で肝心の映画なのだが、まるで面白くない。 日常的なシーンがだらだら続くばかりで話が全く進まない。 そしていやになったのは「バリの観光地映画なのか?」というぐらい観光地的なシーンが多い。 バリの民族を延々と聞かせ、踊りも見せる。 水に入る場所があるのだが、「バリでは血が汚れているという考えだから、生理の人は入れないの」「私、今日か明日ぐらいだから」「じゃやめとこうね」とわざわざ説明的解説的せりふが入る。 そして闘鶏を見に行ってり、何やら火を囲んでの踊りがあったり、興味があったりお好きな人にはいいのだろうが、私なんかにはまったく興味がない。 じゃこう猫がコーヒー豆を食べ、その糞の中から取り出したコーヒー豆を焙煎したコーヒーの話も紹介され、わざわざそのコーヒーをサイフォンで抽出するカットまで出てくる。そんなにバリを紹介したいのか??? で話の方だが現地の青年と一夜限りのセックスをする事に最初は抵抗を感じたユリだが、結局その青年とセックスし、朝になって千紘の元に帰りセックスする、というのがクライマックス。 そして夕焼けの海に千紘は入っていき、砂浜で待つユリに「こっちに来いよ〜」と呼びかけて終わり。 だから何だよ。 私にとっては今年最低級の映画。 斎藤工が出ている以外観る価値なし。 滝を見に行く日時 2014年11月22日15:50〜 場所 新宿武蔵野館1 監督 沖田修一 「幻の滝を見にいく温泉ツアー」に参加した7人のおばちゃん。だがツアーガイドは何やら紙を見ながらしどろもどろの案内。バスを降りて滝まで山歩きを始めたが、ガイドは道がよくわからなくなった。「みなさん、ちょっと見てきますから待っててください」と一人で行ってしまう。 しかしいつまで待ってもガイドは戻ってこない。 おばちゃん達は相談し、「この場所で待つ」組と「ガイドを捜す」組の二手に分かれた。 しかしガイドを捜しに行った組の一人、桑田が腰を痛めてしまう。再び合流する二組。下山することにした7人だが、途中で「下山近道」の標識を見つけそちらを進む。 しかし帰って道に迷ってしまった。 先日「めざましテレビ」の芸能コーナーやラジオの「大竹まことのゴールデンラジオ」で紹介され、この映画の存在を知った次第。東京では武蔵野館単館での上映だし、スタが出ているわけではないので完全に情報を見逃していた。 沖田修一監督だし、なんとなく面白そうなので見てみた。 う〜ん、つまらなくはないが特別面白い訳でなし、というのが率直な感想。 会話と会話に妙な独特な間があったりして、クスクス笑いは起こるが大爆笑するようなカットがあるわけではない。 それに遭難した、と言っても激しい山道ではなく、おばちゃんでも歩ける程度の道だからそれほどのところではあるまい。かといって死なないとは言わないが。 主導権争いになったり、自分だけ生き残ろうとするものが出てきて一人ずつ死んでいく、という「マタンゴ」のようにはならない。多少喧嘩はあるけど、10分もすれば元に戻ってるようなレベルだ。 それぞれの家庭の事情が出てきて、もっとドロドロになるかと思ったが、そうでもなかった。バックボーンが出てこない人もいたし。 ほんわか一晩みんなで野宿し、その中で不思議な一体感が芽生え、最後はみんなで滝を見て達成感を味わう、っていう感じ。見てる我々も一体化する。 隣で見ていた女性二人組(30歳前後)が「いや〜面白かった!」と言っていたから、男性と女性では感覚が違ったかも知れない。 それにしてもちょっと疑問。 「ガイドが一人で帰ってくれば捜索隊が探してくれるかも知れない」と捜索を待つのだが、一向にその気配はない。 それはガイドも迷っていたから、となるのだが基本的にバスツアーでしょ?バスの運転手はどうしていたのか? 全く帰ってこない一行をどう思っていたのか? 何らかの事情で運転手も連絡しなかったとすれば温泉旅館はどうなのか? 予約した一行が来なければツアー会社に連絡するだろう? そうすれば何らかの動きがあるのではないか? 些細な重箱の隅をつつく話で恐縮だが、観てる間気になった。 素人、もしくは演技経験の乏しいいわゆる無名の方々を使った映画で、その試みは間違いだとは思わないが、芸達者な女優陣の演技合戦でも観たかったな。 神様の言うとおり日時 2014年11月21日19:25〜 場所 新宿ピカデリー・シアター2 監督 三池崇史 高畑瞬(福士蒼太)は日常に何も興味が持てないような高校生。幼なじみの秋元いちかとつきあうでもなく、ただだらだらと日常を過ごしていた。 ある日、高校の授業中に突然、大きなダルマが乱入。 「だるまさんが転んだ」の遊びを始める。ダルマが生徒に背を向けている間に生徒が動けばダルマは生徒を殺す。しかしダルマの背中についているボタンを押せば「遊び」は終了するらしい。 なんとか勝ち抜いた瞬。同じく生き残ったいちかと共に体育館に逃げ込んだ。 しかしそこでは大きな招き猫が待ち受け、ネズミの着ぐるみを着た生徒達を殺していった。猫の首にあるバスケットボールの籠状の輪に鈴を通せば生き残れるようだ。 バスケ部のエースが試すが失敗。その時、学校一の問題児、天谷武(神木隆之介)が現れる。 果たしてこのゲームは?そして一体何が起こっているのか? コミックが原作らしい、今一番注目の若手イケメン福士蒼太の主演作。監督はスプラッター描写が多く、私が基本的には好きではない三池崇史だし、今書いたようにスプラッターシーンも多そうなので敬遠したくなったが、やっぱり福士蒼太主演となると観ざるを得ない。 結論からいうと面白かった。 最初の「だるまさんが転んだ」ゲームは一番血しぶきが飛ぶはずなのだが、レイティングを考慮して血しぶきの代わりに赤いビー玉が飛んでいる。これが例え表現ではなく、実際にビー玉になってそのビー玉で転んでいるから「映画の中では血しぶきだけど、表現としてはビー玉」なのか、「映画の中の世界でも人間の体からビー玉が飛んでくる不条理」なのかよく理解出来なくなったが、まあ深く考えるのはよそう。考えても答えは出ない。 その次は「招き猫」そして不思議な立方体に入って「こけしとかごめかごめ」「シロクマと嘘を言ったらだめ」最後は「缶けり」などのゲームが続いていく。 一体この状況はなんなのだ?と考え出すと訳が分からないし、「これだけ風呂敷を広げすぎると話をまとまらせるのが大変」などと心配にもなったが、そこは深く考えないようにした。 要は与えられた状況のゲームをいかに頭脳を使ってゲームを勝ち抜いていくかを楽しめばよい。 各ステージに分かれているところなど、テレビゲームの形式なのだろう。 だから途中からいろいろ考えるのはやめてゲームの頭脳戦だけを楽しんだ。 途中から登場する天谷の神木隆之介がいい。 「るろうに剣心」に引き続き、狂気の暴力少年を演じる。 「桐島」のヘタレ少年のイメージが強いが、こういった悪役もいい。周りもあえて役柄を広げるために悪役に挑戦させているのだろうか? いや挑戦するレベルではなく最早自分のものにしてしまっているが。 そして福士蒼太は相変わらずいい。 これからの日本映画を牽引していってもらいたい。 で、最後にリリー・フランキーの浮浪者が神だったり、大森南朋の引きこもりが最後に「神の子を殺す」と出ていったり、続編も出来そうだが、一体どうなるのか? 「るろうに剣心」「20世紀少年」のように最初から2部作3部作での製作ではないので、知りたければ原作を読むしかないか。 単純に設定とか気にしなくてゲームのシーンだけを楽しんだ映画だった。 最後の命日時 2014年11月15日21:50〜 場所 新宿バルト9・シアター7 監督 松本准平 明瀬桂人(柳楽優弥)と冴木裕一(矢野聖人)は幼なじみ。ある日、彼らは普段から知っているホームレスのおじさんたちが、同じようにホームレスの女性を集団で暴行しているのを目撃してしまう。 それ以来桂人は人との交わりが怖くなっていたが、冴木の方は逆にレイプでしか興奮できない性質になってしまった。 桂人は高校時代は冴木とつきあっていた香里と後につきあっていた。しかし彼女はいつの間にか精神に異常をきたし、今は入院生活を送っていた。 そして時々デリヘルの決まった子を部屋に呼んでいる日々だった。 高校卒業以来7年ぶりに冴木から連絡があり、桂人は会った。 その後、桂人が出先から帰るとそのデリヘル嬢が殺されていた。警察は最初は桂人を疑ったが、部屋から連続婦女暴行犯として指名手配中の冴木の指紋が出たため、冴木を犯人としたのだが。 柳楽優弥主演作。 彼の出てる映画は基本的に観るようにしているが、彼も規模の小さい映画ばかりに出るようになったなあ、というのが率直な感想。 私なんか柳楽優弥の目力に圧倒され、ほれぼれしてしまうのだが。 一時期太っていたが、最近は元に戻ってきた。 カンヌ国際映画祭主演男優賞なのだから実力はあるに決まってる。 もっともっと出てほしいと思う。 この映画、公開規模が小さい。 東京ではバルト9とヒューマントラストシネマ渋谷の2館だけなのだが、11月8日公開で1週目は渋谷は1日3回くらい上映したのだが、よほど不入りだったのか2週目からは朝の9時から1回だけ。バルト9も2週目からは11時ぐらいからの回とこの夜の回のみ。 前売り券も作ってなかったようだし、パンフレットもないし、ほとんど単館レベルの公開だ。それでもバルト9で上映なのは配給がTーJOYだからか。 最近は東宝も「東宝映像事業部配給」とかあったりしてややこしい。 で肝心の映画の方だが、これがあまり面白くない。 まず回想が多く時系列が若干混乱する。 小学校の頃に強姦を見てトラウマになったのは解るが、その後最初冴木とつきあって後に桂人とつきあった香里が精神になぜ異常を来すのかがよくわからない。 11時過ぎるような上映だからこっちも多少ぼうっとしてたからかなあ。 結局事件の犯人は冴木ではなく、病院を抜け出して桂人の部屋にやってきた香里が偶然鉢合わせしてしまったデリヘル嬢を殺してしまった、という顛末。 レイプ癖のある冴木は「俺なんか生きてない方がいい」と服毒自殺をする、というラスト。 正直話の意外性もないし、柳楽優弥を観る以外は楽しみのない映画だった。 紙の月日時 2014年11月15日18:30〜 場所 新宿ピカデリー・シアター1 監督 吉田大八 わかば銀行の外回り担当の契約社員・梅澤梨花(宮沢りえ)は夫とは不仲ではなくともどこかすれ違っていた。 ある日、自分の担当の老人平林(石橋蓮司)の孫、光太(池松壮亮)と知り合う。 二人はすぐに体の関係になる。ある日、化粧品を買うときにちょっとお金が足りなかったので顧客から預かったお金から借りてしまう。最初はすぐに自分の預金から返した。 しかし光太が学費がなくて大学を辞める話を聞き、平林から預かった定期預金200万円を彼に渡してしまう。 銀行の方は定期はキャンセルされたことにして、定期預金証書だけを手に入れ平林には渡したのだ。 やがて梨花は顧客から預かった定期預金を自分のものにし、顧客には自分で偽造した証書を渡す手口を思いついた。 そして梨花と光太は豪華ホテルでの贅沢ざんまいをするのだが。 「桐島、部活やめるってよ」以来2年ぶりの吉田大八監督作品。 つまらないとは言わないが、それほどでもなかったなあというのが本音。 契約社員の梨花がなぜ横領に手を染めるかがどうも解らない。もともと浪費癖があったわけでもなさそうだ。 確かに立派な家を多少無理してローンを組んでいるようだし、最初の方で契約社員になって夫とペアウオッチ(1ヶ3万円ぐらいで2ヶで6万円ぐらい)を買ってるし、それほどの節約型ではないことは認めるが。 そして光太との出会いだが、まず平林の家で出合う、駅ですれ違い光太が自分を意識してるらしいと気づく、3回目の出会いでせりふなしですぐに見つめあってラブホテルへ直行だ。 梨花の設定年齢がいくつかよく解らないが、宮沢りえと同じくらいとなれば30代後半か。 その歳で大学生とは戸惑いを持たないか? それに光太もそんな年上と出来てしまうとは随分年上好みだ。 普通若い恋人が出来ると手放したくないばかりに金を使う、となりそうだが、光太の方もほいほいついてきてあんまり金目当てでもなさそうだ。 学費がなくて大学を辞めるつもり、という話を聞いて金を用意するところから横領が始まるし、梨花は中学生の頃のミッションスクール時代から海外の被災地の義援金のために父親の金を盗むところがあるから「困ってる人のためなら自分が必要だと思えば盗んでいい」と思ってるのか? だとするとホテルで豪遊して百数十万円使うのは解せない。 それに偽の預金証書を作る手口だがカラーコピーを使ってる。コピーはコピーで素人でも解るものなのだがなあ。 この辺現実の事件でもカラーコピーを使用したのだろうか? その辺が詰めが甘い。これは映画の問題ではなく、原作の問題かも知れないが。(ここで印鑑を偽造するのにプリントごっこを使ってるのには懐かしかった。映画の時代設定は1994年〜95年。この頃はパソコンはまだまだ一般的ではなかったですね) そんな感じで映画自体にどうも乗れなくてイマイチ。 小林聡美のお局様的行員が梨花の不正を暴いていくのだが、この辺もあっさり解ってしまう。 仕方ないか、そもそも顧客に確認すれば解るレベルの横領だしな。 結局銀行はスキャンダルを恐れて内々に処理して梨花は不問になってしまったらしい。 で、海外に逃亡し、タイで自分が中学生の頃に支援してお礼の手紙をくれた子と出会う。 でもだからなんだ、っていう感じで私には何も響かなかった。 記憶に残ったのは前半の池松壮亮と宮沢りえの連続の絡みのシーン。今年の池松は大活躍ですね。 映画「日本と原発」日時 2014年11月15日14:00〜 場所 シネマート六本木スクリーン4 監督 河合弘之 反原発運動の弁護士河合弘之氏の監督作品。 この上映の終了後に河合監督から舞台挨拶があったが、その中で「はじめから監督をするつもりはなかったが、頼んだ人が『この映画を作ったら私は映像業界から干されてしまって二度と商業作品が作れなくなる」ということで降板され仕方なく監督を引き受けたそうだ。 「今まで本などを書いてきましたが、やっぱり映像というメディアに訴えるしかないと思って映画を作り始めました」というのが映画を作り始めた動機。 脚本・編集・監督補として拝身風太郎という方がクレジットされているが、これは変名だそうだ。変名にした理由は上記の理由である。 今までの反原発ドキュメンタリーと違うのは極めて理詰めなことだと思う。ともすると「福島の人々は故郷を追われ狭いアパートや仮設住宅で暮らしているんです。事故がショックで自殺した人もいるんです」という情に訴える場面が多かった。 もちろん福島の方々のご苦労は大変だと思うが、今の時代、「仮設住宅っていう家があるだけいいじゃん」「狭いアパートっていうけど、私の家もそんなもんだよ」「いままで原発からいろいろお金もらってたでしょ?それってこういうことがあるから、先に危険手当としてもらってたのだから今更ねえ」という意見も出てくる。 もちろんそれらの反論に反論することは可能だが、それは水掛け論だろう。 特に前半は理詰めである。 なぜ原発はやめられないか? まず電力会社を中心として原発を作るメーカー、納入業者、天下りを目的とする役人、これらが取り巻く完全な利権構造を作り出しているからだとする。 そして彼らが得ていく金額の元は電気料金や税金だ。 また彼らが主張する原発の利点とは何か? 日本は資源が少ない、従ってウランを使って始めた原子力発電はコストがかからない。そしてウランを燃やして出来たプルトニウムを使って燃料を再処理し、そしてそれを使って再び発電させ、出来たプルトニウムを使って再び発電させる、という夢の無限エネルギーとなるからだと主張する。 しかし世界各国でこれは失敗し、原子力大国のフランスでさえ、この再処理をあきらめている。つまりこの核燃料サイクルは完全に机上の空論だという。 また出来上がったプルトニウムを使って核兵器の開発準備も兼ねている。 そして科学発展の一般論との比較。 開発する、事故が起きる、それを改善する、事故が起きる、それを改善する、の繰り返しで科学は発達してきた。従って原発にも失敗は付き物だ、という論理を推進派は提案する。 しかし自動車や飛行機とは違い、事故が起こった時の被害はケタが違う。福島原発事故も最悪の場合、東日本壊滅のおそれさえあった。 自動車や飛行機は事故原因を追求することは出来るが、原発の場合、放射能の影響で事故原因追究すらままならない。 従って原子力と他の科学技術の発達とは同じに語れない。 また原発は二酸化炭素を出さないクリーンエネルギーと称するが、これは裁判でも「事故が起きたら計り知れない公害をもたらすのにクリーンエネルギーとは言えない」と一刀両断される。 あとは福島の避難生活の方々を紹介し、ひとたび事故が起こったときの悲劇を紹介する。 エンディングは北海道から鹿児島まで日本各地の原発の外観を紹介する。そこで流れるのは新垣隆さんの音楽である。あの今年前半で世間を賑わせた佐村河内事件の新垣隆さんだ。 オープニングの日本の原発の始まり、原爆投下からアメリカの原子力の平和利用、そして日本の原発建設開始に至る部分の音楽も力強い交響楽が流れる。 そしてエンディングもそう。 新垣氏の音楽は初めて聞いたが、たとえて見れば「砂の器」みたいな音楽と言ってよい。 いや〜新垣氏にはこれからも映画音楽作曲家としても活躍してもらいたい。 やっぱり実力はある人なんだな、と実感した。 そして河合弁護士がインタビューや対談で「僕なんか時々めげちゃうよ」と本音を言うのが人間的でよい。 反原発ドキュメンタリーの決定版。 しかし参考資料として東京電力が作った説明用アニメなどを使っていたが、あれ大丈夫なんだろうか? まあ弁護士が作ってる映画だから、違法なことはしてないと思いますが。 そして、僕らは変わった日時 2014年11月9日15:35〜 場所 光音座1 監督 山崎邦紀 森川(なかみつせいじ)を議長とする5人のグループは森に住む粘菌と人類の共生を計る研究をしていて合宿生活を送っている。 そのなかで木島は経堂駅前で賛同者を募る署名活動をしていた。木島は自分たちの行動に疑問を感じていたが、5人の会議の場で森川によって否定される。 その晩、木島は仲間の板垣(樹かず)と中山が絡んでいるのを目撃する。緊急会議を召集し、「このような状況ではとても共同生活など出来ない」と提案するが、森川は否定するどころか、男色を奨励し、「今後は男色も我々の研究対象にしよう」と決定する。 そしてまずは中山にもう一人のメンバーの加川とセックスすることを命じる。 ぎこちないながらもセックスする二人。 木島は森川に「あなたは男色をしないのですか?」と問われ、森川は自分の相手に板垣を指名した。中山は一瞬躊躇したあと「異議なし!」と叫んだ。 「なんか面白くないなあ」と思ってみていたら山崎邦紀監督作品だった。 以前山崎作品はこりごりしているので、やっぱりなあという感じ。 五人が会議してなかみつせいじが議長なのだが、これが「連合赤軍のパロディか?」と思わせるような会話のノリ。 「〜を提案する!」「木島同士の動議は十分検討に値する」「異議なし!」ってそんな感じ。 いったい何の意味があるのだろう? 森川の命令により木島もセックスさせられるが、その間に泡を吹いて死んでしまう。 森川は「これは自分を高められなかったことによる死、すなわち自殺と同様だ」と決めつける。 でまたまたメンバーでセックスしていると木島が生き返る。 もう滅茶苦茶。 森川はさらに個別のセックスではなく集団のセックスを提案する。だが森川は木島を抱こうとしたときに吐いてしまう。 森川は「自分は実は木島が嫌いだった。男色を理念で乗り越えなれなかった」と自己批判し、森の中へと去っていく。 一時は集団指導体制(つまり合議制)になったが、男色に否定的だった木島が次のリーダーに立候補。 で終わり。 結局粘菌が何なのかは話には関係なかった。 たぶん連合赤軍のパロディをしたかったのだろう。 でこのグループがハーフパンツにサスペンダーをしているという子供みたいな服装を全員してるという謎の集団。 宗教集団とかそういうのパロディというか時事ネタがあったのかも知れないが、製作年不明のため、その辺はよく解らない。 追記 この映画の上映中に監督の山崎邦紀はこの映画に関して「パトリシア・スタインホフの『日本赤軍派』を呼んで感銘を受け、連合赤軍事件をいかにして薔薇族映画にするか企画段階で悪戦苦闘した作品だった。勝手な読解で元ネタの面影は残っていない。パロディではなくマジで連赤を映画したかった。永山洋子は自分にとって生涯のテーマだ」とツイッター上でつぶやいた。 また製作年は1993年らしい。 どっちの男だ!日時 2014年11月9日14:35〜 場所 光音座1 監督 浜野佐知 脚本 山崎邦紀 人生なにをやっても不運続きだったヨウヘイ(山本竜二)は亡くなった祖母から東京新宿にあるホテルを相続した。 人生を一転させようと友人のテッタとこのホテルのオーナーとして田舎からやってきた。しかし着いてびっくり、そこは新宿区でも下落合で相続したホテルは廃屋のような建物だった。 そこにいた管理人のエツジに聞いてみるとここは今ホモのカップルのリュウイチとタツキチが下宿のように住んでいるだけだという。しかも多額の借金もあるという。 ヨウヘイはリュウイチとタツキチのセックスを見てしまい、嫌悪感を持つ。 ヨウヘイがいない間にエツジはテッタを誘惑し、体を重ねてしまう。 帰ってきたヨウヘイはそれを見てショックを受け飛び出してしまうのだ。飲みに行ったスナックで男が少年を口説いてるのを見てまたショックを受ける。 翌日、不動産屋(久須美欽一)がやってきてこの土地を打ってほしいという。ヨウヘイは承諾してしまうのだが。 監督=浜野佐知、脚本=山崎邦紀作品。 浜野佐知らしく男の体はたっぷり見せる。まずフルショットぐらいのサイズで始まってその後クローズアップ、というカットがよくあって、男の体は見せる。 これが小林悟あたりだとさっぱり見せようとしないから、やっぱり女性監督の方が男の裸に対する嫌悪感がないんだろうなあ。 つまり絡みが多い分、ドラマはない。 二人のリュウイチとタツキチがSMプレイを始めたり、別に話に関係なく絡みのシーン多い。 でヨウヘイはたまたま入ったバーがゲイバーで(ここ強引)そこのマスターに「何でもありなの」と言われやがて考えを改める。 一旦は売ろうと思ったこのホテルだが、バーのマスターにゲイを肯定されたり、自分のテッタに対する思いに気づき売るのを止める。 ところが不動産屋は「そんなのあるか!」と怒って出てゆき、改めてチンピラを連れて出直しくる。 ヨウヘイが駆けつけ、みんなでチンピラを撃退し、ヨウヘイもこのホテルを「男専用ホテル」として続ける決意をし、メデタシメデタシ。 ホントドラマがない。 ちなみにロケされた廃屋のようなホテルは80年代には実際に西武新宿線下落合駅北口にあった山楽ホテル。当時は営業していたか解らないけど。 いつの間にかなくなっていた。 今はホテルは取り壊され、(株)山楽の看板だけが残っている。 ホテルはないけど、まだ会社としてはあるようだ。 小野寺の弟 小野寺の姉日時 2014年11月8日11:40〜 場所 新宿ピカデリー・シアター8 監督 西田柾史 小野寺進(向井理)は姉のより子と二人暮らし。早くの両親を亡くしたのでもう長い間、二人で暮らしている。そんな二人ももう33歳と40歳。結婚はしていない。 実は好美(麻生久美子)という恋人がいたが、あるきっかけで別れていた。進は調香師の仕事をしていて今は会社で入浴剤の新製品の開発中だった。より子は駅前商店街の眼鏡屋で働き、コンタクトレンズの営業マン・浅野(及川光博)が気になっていた。浅野は何かと自分に話しかけてくれて、自分に好意がある? そんな頃に一通の郵便の誤配があった。ちょっと離れていたが、その手紙を届ける二人。手紙の受取人は奥野薫さん(山本美月)。 ある日、進は新製品の「ありがとうの香り」のヒントのために公園で色んなにおいを嗅いでいた。そこで奥野薫と再会する。 二人の恋の行方は? 向井理が寝癖頭でめがねをかけたダサい青年を演じているので興味がわいた。 ホームコメディで不細工な二人がなんだかほほえましい。 姉と弟はお互いに気遣いあっている。 姉は右の前歯が欠けているのだが、それは中学時代に弟を自転車の後ろに乗せている時に、弟がいたずらをしたから気にぶつかってしまったのだ。それは姉がクラスの男子マッチの話ばかりするから、つい目を姉の目をふさいでしまったのだ。 それをずっと気にかけていて進は姉に申し訳なく思っていて、姉に幸せになってもらいたいばかりに自分が先に結婚は出来ないと思っている。実は前の彼女と別れた原因は彼女が同居を希望したのだが、姉のことが気になって同居に踏み切れなかったのだ。 薫も進とおつきあいを希望したのだが、姉のことが告白された直後に逃げ出してしまう進。 その薫が絵本作家で、絵本で「はぐれた犬が人を幸せに仕様とするがそれが裏目に出てしまうこともある」という絵本を進のアドバイスを受けながら描く。 現実の進とより子もお互いに気を使いあっていては二人とも幸せになれない、という結論に達する。 でも結局二人とも浅野にも薫にもフられてしまう。 で、また二人の生活に戻る。 それでは二人の成長物語は何だったのか? そりゃ今回の恋はうまく行かなかったけど、今度はうまく行くかも?という予感というか新しい出会いだけでもあってもよかったのではないか? これでは何の解決もなしに二人とも年をとっていくだけに見えてしまう。 それに二人の年齢が40歳と33歳。 晩婚化の昨今ならではの年齢だ。昔も小津安二郎の「晩春」など父に遠慮して娘が結婚できなくて、という話だがラストは結婚している。つまり進展があったわけだ。 でもこの結末では一生結婚しないまま二人で暮らして行くように見えてしまう。 その辺が21世紀の日本と言えばそれまでなのだが、それにしてもアンハッピーエンドでちょっと不満である。 禁断の果実3 近親相姦の誘い日時 2014年11月5日〜 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 杉本太郎 脚本 今岡信治(いまおかしんじ) 製作 良男(岡田智宏)は父・五郎(諏訪太郎)と母・かおり(羽田圭子)と3人暮らし。しかし父は外に愛人がいて、毎晩夕食を食べてその愛人の元へと帰る日々を送っていた。かおりは五郎がしてくれるマッサージが好きだった。 その愛人というのはかおりの妹・いち子だった。さらに良男もいち子とも関係があった。いち子はホステスをしている。 ある日良男が壁にボールを当てキャッチボールをしていると野球部時代の仲間、桜井がやってきた。桜井は女を17人強姦して、警察に行くので一緒に来てほしいという。 しかし良男は桜井に「行く必要なんかない」と言い、止めさせる。 そんな頃、五郎が突然死んだ。 かおりはその日から壊れていく。 いち子も妊娠したという。五郎と良男のどちらの子かは解らない。 「もう別れよう。私は田舎に帰る」と良男に言ういち子。 良男は桜井にいち子の部屋の鍵を渡し、「絶対大丈夫な女だ。強姦してこい」という。桜井は出かけていったが、いち子はすでに部屋の鍵を変えていた。 桜井は窓から入ろうとして、屋根から落ちて死んでしまう。 壊れていく母かおり。かおりは五郎と良男の区別が付かなくなっているのか? やがてかおりは良男と関係を持つ。 いまおかしんじ脚本ということで観た。 レジェンダリー・ピクチャーズ製作のビデオ映画。 岡田智宏さんがまだ若いので、2000年頃の作品か? いまおかさんも今岡信治名義だし。 そういう昔のビデオ作品なので、完全にブラウン管テレビ仕様だから、今のハイビジョンテレビで観ると画質が悪い悪い。 正直あまり面白くない。 「近親相姦もので何か」というお題で脚本を書いた感がする。 でもやっぱりいまおかしんじらしさは出るもので、父親が唐突に死ぬ(死ぬシーンなし、前兆なし、カットが変わると葬式のシーンになる)とか、桜井がいち子の部屋に侵入しようとして誤って屋根から落ちて死んでしまうとか、そういう大胆な省略がいまおかさんらしい。 そしていち子と良男の塗れ場で、「山手線ゲームしよう」と言ってお互いに山手線の駅名を言いながらセックスしていく様もなんだかいまおかさんらしい。 話自体は特にどうだということはないけれど、表現に「いまおかしんじらしさ」を随所に感じることが出来、その点は観る価値があったと思う。 ちなみに「禁断の果実1、2」は観てない。 特に本作とは内容的に関係なさそうである。 無知の知日時 2014年11月3日13:00〜 場所 ポレポレ東中野 監督 石田朝也 ドキュメンタリー映画監督の石田朝也は原発に関して疑問を持ち、311以降の福島の人々、あの事故当時の政治家の方々、引退された政治家の方々、原子力推進派の専門家の方々、ありとあらゆる人々に突撃取材を敢行する。 最近若干食傷気味の原発関連ドキュメンタリー。 先月若松孝二特集でこの映画の存在を知ったのだが、食傷気味にも関わらずこの映画を観たいと思ったのは、管直人、枝野幸男、細川護煕、村山富市、渡辺恒三らの政治家にもインタビューしているから。 とかくこういったドキュメンタリー映画は作り手の主張に会う人だけにインタビューして自分の主張を補完させ、また手軽に会ってくれそうな人だけにインタビューして完結させる。 大手マスコミや名のあるジャーナリストなら元総理も会ってくれようと言うものだが、誰も知らないような映画監督なら遠慮して(あるいはビビって)インタビューしない。 その点がこの映画は立派なところだ。 それだけでなく、原発推進派、原子力村の方々にもインタビューし、彼らの言うことを否定するでなくとりあえず彼らの主張を聞き出そうとしている。 印象に残ったインタビューをいくつか。(映画を観ての書いているので、記憶違いもあるかも知れないことをお断りしておく) 管直人「福島第一原発に視察に行ったことが非難されたが、とにかく情報が上がってこずに判断も出来ない。 とりあえず現場の責任者と会いたかった。吉田所長の人柄を信用することが出来、その後の判断に大いに役立った」 私は管さんが現場に行ったことは正しかったと当時から思っている。会社でもそうだがトップが現場を知らないでトンチンカンな指示を出すことはよくある。トップ自らが現場に行くことは正しいと思う。 下村健一(内閣報道審議官・当時)「原発推進派は『日本に原発は必要なんだ。一時の感情に惑わされてはいけない。彼らは利権とかではなく本気でそう思っている。反対派も本気で反対している。両方とも自分が正義で相手が日本を滅ぼすと思ってる」 その推進派の意見は後に登場する。 斑目春樹(原子力委員会委員長・当時)「質問に答えるのが精一杯でこちらから何か提案する余裕などなかった」 おいおい、総理たち原子力の素人の政治家に「こうすれば?」と提案したりするのがあんたの仕事じゃないの? 渡辺恒三(福島選出国会議員)「正力松太郎さんや中曽根康弘さんの作った安全神話を信じてしまった。福島の人々には大変つらい思いをさせてしまい、申し訳なく思っている」 この人も失言の多い名物議員だったが、引退され石田監督のアポなし取材に応じてくれたのだから、その点は誠実な方だと思う。 金子熊夫(外務省原子力課)「1972年のオイルショックがあってどうしても石油がなくなったら、という恐怖が消えなくなった。それで飛びついたのが原子力だった。エネルギー問題というのはとにかく難しいんです」 外務省に原子力課というのがあるとは知らなかった。 オイルショックというのがこの人にとってはトラウマなんだろうなあ。当時は私は小学生でトイレットペーパーがなくなったことしか覚えてないけど。 藤家洋一(前原子力委員会委員長)「地球の歴史において動物は火を制御出来なかった。人間だけが制御できた。いまこそ人間は原子力も制御しようとしているのだ。」 「福島の被災者は事故も収束してないのになぜ原発再稼働や輸出が出来るのですか?という石田監督の質問に対し、「人類全体の利益からみればそれは小さいことに過ぎない」要は多少の犠牲はやむを得ないということのようだ。 なんだかSF映画に出てくるマッドサイエンティストのようだった。リアルにいるんだと思った、ストレンジラブ博士みたいなのが。 あと澤田哲生さんという推進派の方も登場したが、とにかく推進派の方々は原子力に対する知的好奇心からどうしても研究をしたくてたまらないのだろう。自分の知的好奇心が押さえられないのだな。その探求心は理解できた。 与謝野馨「原発再稼働は安全が確認出来たらいいんじゃないですか?輸出に関しては相手が買いたいというんならそれもいいのではないかと」 って無責任だなあ。 でも喉頭ガンで声帯をなくされてもインタビューに応じる姿は好感がもてた。 インタビューに答えてくれた方に好感を持つのは安倍総理とか東電の広報部長とかはインタビューに応じないのである。それは腹が立つ。 村山富市「総理がやめようと思えば原発はやめられますよ」 石田監督は細川元総理にも同じ質問をしている。 細川さんも「総理の決意次第だ」と答えている。 監督は何か細川さんに考えがあると感じたが、そのインタビューの1ヶ月後に都知事選挙立候補という形になった。 つらつらと映画を観ていて感じたことを書いた。 そしてなによりこの映画の評価すべき点は原発推進派の意見を否定して聞かないのではなく、「とりあえず彼らの言い分を聞いてみようじゃないか」というスタンスだ。 「君の意見には反対だが、君が意見をいう権利は守る」というスタンスがあってそこがこの映画の特に評価すべき点だと思う。 この日は管直人元総理のトークイベント付き。 監督が壇上で細川さんや村山さんにした「総理が止めようと決意すれば原発は止められますか?」という質問をした。 「それは出来るのだが、それを言った途端にデマやらなにやらを飛ばして総理を辞めさせようとする力が働く。だから総理の意志だけでなく、数年間総理であり続けることが重要だ」という答え。 管さんの実感なんだろうなあ。 いい映画だった。 パニック・イン・スタジアム日時 2014年11月2日 場所 DVD 監督 ラリー・ピアース 製作 1976年(昭和51年) その日、ロサンゼルスではロサンゼルス対ボルチモアのフットボールの決戦が巨大スタジアムで行われようとしていた。 朝、自宅付近を自転車で走っていた夫婦の夫がライフル狙撃された。犯人は近くのホテルの11階から狙撃したのだが、手がかりは今のところなかった。 その犯人もスタジアムに入り、施錠を壊しスタジアムの一番高いスコアボードの上に侵入した。 試合開始してしばらくしてテレビの中継用の飛行船のカメラがスコアボードの上のライフルを持った男を発見する。 直ちに所轄のホリー警部(チャールトン・ヘストン)が出動、さらに特殊部隊SWATも隊長バトン(ジョン・カサベテス)以下隊員が駆けつける。マッキーバー・スタジアム支配人(マーティン・バルサム)は観客がパニックになるのを恐れ、事態を秘密にしようとする。 この映画もちゃんと封切りで観ている。それ以来だから38年ぶり。当時、パニック映画がブームでなんでもパニック映画として売られていた。 この映画は当時かなり前(たぶん半年ぐらいだと思うけど)から紹介されていて、そのときは原題の「ツー・ミニッツ・ウォーニング」(アメリカンフットボールでは最後の2分前になる時がこう呼ばれるらしい。この映画ではその試合最後の2分になったときがSWATの突入タイミングなのだ)。 でタイトルが「パニック・イン・スタジアム」になって中学生ながらに「変なセンスのない邦題だ」と憤っていて封切りの頃に期待して見に行った。のはいいのだがかなりがっかりして帰ってきた。 それで38年間も観なかったのだが、今回DVDになって久々に鑑賞。 たしかに面白くない。 それはまず前半。試合の朝が来て、観客となるべき人物たちの紹介があって、試合が始まって・・・となるのだが、ここが面白くない。 こういったパニック映画ではグランドホテル式に複数のドラマが展開していくのだが、それが全く面白くない。 試合の勝敗にお金を賭けていて負けたら破産の男、離婚したのか微妙な関係の夫婦(デヴィッド・ジャンセンたち)、失業中の若夫婦(ボー・ブリッジス)、二人組のスリなどが登場だが、基本的に会場に入れば観客席に座ってウダウダ話だけだから面白くなりようがないのだな。 50分ぐらいたってSWATが登場し始めてからはさすがに面白くなるが。 だからこの辺のドラマは10分ぐらいで終わらせないと。 ちゃっちゃとSWATが登場してくれないと物語に緊迫感が出ないのだな。 さすがにSWATが登場してからは緊迫感が生まれるが、それにしても犯人は動かないし、いまいち盛り上がりに欠ける。 この映画の犯人は背景がまったく明らかにされずにそこが不気味でいいとも言えるのだが、最初に狙撃事件を起こしているのだし、そこから追って犯人の背景も暴いていくという構造ならもう少し盛り上がったような気がするのだが。 でもラスト、犯人が乱射を始めてからのパニックシーンはなかなかの迫力。 前半をぶった斬って70分ぐらいの映画にすればきっと「小粒ながらなかなかの映画」となった気がするのだがなあ。 100分の映画にしたたのはいいが、「スタジアムにライフルを持った男がいる!」というワンアイデアを生かしきれなかった惜しい映画。 トム・アット・ザ・ファーム日時 2014年11月1日18:55〜 場所 シネマカリテ・スクリーン1 監督 グザヴィエ・ドラン 製作 ゲイの恋人のギョームが死んで葬儀の為に彼の実家にやってきたトム。そこにはギョームの母・アガットと兄・フランシスが二人で住んでいた。アガットは歓迎してくれたが、フランシスは「母に余計なことはいうな。葬儀が済んだらさっさと帰れ」と夜中に暴力的に強要する。 葬儀の式で友人代表としてトムは弔辞を読む予定だったが、悲しみのためか立ち尽くすだけだった。 葬儀の後、フランシスにまたも殴られて「しばらく母といてギョームの話をして安心させろ」と言われる。 なぜかフランシスに逆らえないトム。 ギョームが着ていた作業着を着させられて牛の乳搾りを手伝わされる。ギョームが実家には女性の恋人・サラがいることになっていた。どうやら職場仲間のサラの写真を送ったらしい。トムはサラを呼び寄せるのだが、トムはサラに「ここにいて欲しい」と頼むのだった。 「ゲイの恋人が死んで彼の実家にいって母親の前で友人のふりをする話」と聞いたので興味がわいて行ってみたが、観てる途中からゲイは話の中心ではなく、暴力的な男に支配されていくサスペンスに思えてきた。 だから主人公がゲイだったとかはあまり重要ではなかった気がする。 フランシスとその母親の関係もなんだか変。フランシスは父が亡くなったあとは母を一人にしてしまうわけには行かないからここにいるという。しかし母親を施設に入れたいとか「早く死んでくれるといい」と本音では思っている。 そしてそれをトムに話してるのを母親に聞かれたかも知れない。 母親もフランシスには暴力的なところもあり、実は父を殺したのはこの母子かも?と思ってしまったが、そうでもなかったようだ。 サラを呼び寄せるトム。実はギョームはバイだったらしく、サラとも肉体関係があったことが明かされる。 サラはこの家を逃げ出そうとするがトムの車はフランシスによってタイヤが外され使えない。 なんとかフランシスを説得して夜行バスの停留所まで送って貰う。 しかしここで不思議なことが起きる。 フランシスはサラに関係を迫るのだが、サラはそれを受け入れるのだ。 送っていったフランシスの車の中で行うのだが、同情していたトムに「散歩してろ」という。 まったく不可解な男だ、フランシスは。 そしてトムはたまたま入ったバーで、フランシスの噂を聞く。彼は9年前にそのバーの30周年パーティの席で男の口を裂いたという。その男はフランシスに「お前の弟に変な噂がある」と言ったとたんに怒りだしたようだ。 ひょっとしてフランシスは弟のギョームのことが好きだったのではないだろうか? ギョームにまとわりつく男たちを攻撃している? そんな解釈も出きる結末だ。 結局トムはフランシスの車を奪って自分の町モントリオールに逃げ帰る。 その途中で入ったガソリンスタンドに口の裂けた傷跡を持つ男がいた、と言うオチ。 ゲイの恋人の親や家族との関係を描いた映画かと思ったらちょっと違っていた。 ちなみに監督のグザヴィエ・ドランが主演も兼ねる。 本作では金髪だが、本当は黒髪のようだ。 美青年という売りだが、日本で言う美青年とはちょっと違う気もする。 1Dとかもちょっと日本人の美青年とは違う気もするしな。 |