日時 2015年4月29日18:30〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン8
監督 橋本昌和
野原ひろしは会社からメキシコで最近発見されたサボテンの実からとれる蜜が非常においしいので当社で販売したいと思う、というわけでメキシコ支部長に任命される。
最初は単身赴任を考えたひろしだったが、「家族はいつも一緒!」というみさえに従って一家でメキシコの田舎町へ。
例のサボテンを管理する町長と商談をまとめようとするひろしだが、町長はよそものを信用しようとはしない。
しんのすけはこちらの幼稚園でもカロリーナ先生に夢中。
サボテン祭りの日、カロリーナ先生や野原一家で祭りに出かける。
しかし巨大サボテンは突如人を食べ始めた。そして人間の大きさぐらいのサボテンが出てきてこいつらが人間を襲い始める。
警官が銃で撃ったがばらばらになってもすぐ再生してしまうのだ!果たして野原一家の運命は?
今年も予備知識なしで惰性で観ている「クレヨンしんちゃん」。今年は面白かったです。
映画全体が昔のアメリカのモンスター映画のセオリー通りなんですね。
田舎、閉じられた世界、逃げ出せなくなる、次々とモンスターが襲いかかかる、等々セオリー通り。
まずは酒場に逃げ込む、ひまわりのおむつが必要になってスーパーに向かう、そこもサボテンたちに襲われてバスで町から逃げようとする。
町長は町の発展のためになんとかサボテンと共存をはかる。
観てる途中、なにもない過疎の町に巨大な経済資源が現れたが、それが今度は人を襲い出す、町長はものともせずになんとか制圧しようとする、という点がサボテンは原発のメタファーかとも思ったが、それは深読みか。
サボテンの蜜を持つ実を危険を省みず集めようとする町長を観てふとそんな気がしました。
後半、サボテン遊園地に逃げ込みそこにあったダイナマイトでサボテンを一瞬蹴散らし町から逃げようとする。しかし町長がサボテンの実を集め始めたために失敗!
結局水に弱いとわかり、山の上にある給水タンクの水をかけてしまうという大作戦!
こういう「ありもの」で勝負しようとするあたりは60年代のSF映画的で私は好きです。
最後は巨大サボテンに大量の水を浴びせることに成功し、食べられたと思われた人もサボテンの中から帰ってくることが出来た。
結局サボテン公園が成功して町はなんとかなった模様。
でも双葉商事は事業を断念し、しんちゃんたちは再び春日部に。
最後は「サボテン倒して万歳!」っていう終わり方もアメリカSF映画みたいで、ちょっとひと味足らなくて残念。
日時 2015年4月29日14:30〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン6
監督 山崎貴
母親を寄生生物に殺された泉新一(染谷翔太)はミギーとともに寄生生物を見つけ次第殺す生活をしていた。
ミギーは「もう意味がないからやめよう」と消極的だが、新一は意に介さない。
高校教師の田宮良子(深津絵里)は自分の赤ん坊を育ててはいたが、人間の持つ愛情の感覚をつかみかねていた。
彼女は人間と寄生生物の共存の例として新一たちの監視を行っていた。同じ寄生生物ではミギーに探知されてしまうので、フリーのジャーナリストの倉森(大森南朋)を使っていたが、やがては新一に見つかってしまい、逆に田宮が寄生生物だと知らされる。
新一に次々と寄生生物を殺されるのをよく思わない寄生生物たちは新一を殺すことにする。
田宮の意向を無視して彼らは5体の寄生生物が一つの人間に集まった三木(ピエール瀧)が新一殺害に向かうのだが。
昨年11月公開の「寄生獣」の完結篇。
正直、前作のことはほとんど忘れている。深津絵里の子供って父親は誰だっけ?
とにかく前作は殺戮に次ぐ殺戮のアクション篇だったが、今度は前に広げた風呂敷をまとめていく作業である。
「GANTZ」も1作目は面白かったが、広げすぎた風呂敷を後編でまとめきれずに失敗した記憶がある。
それと同じ。
だんだん話が小さくなっていく。
話の展開もテンポが遅くなった感じがあるし。
話のテーマは結局(忘れていたけど前作の感想に書いてあった)「人間の方が地球にとっては寄生虫。いや相手を殺しあうだけ寄生獣だ」ということ。
そして後半、深津絵理が死んで終わりかと思ったら、ピエール瀧の寄生生物が今度は浅野忠信になって復活。こっちも襲ってくる。
途中で心配で追いかけてきた村野里美(橋本愛)と結ばれる新一。
橋本愛とセックスするわけだが、ブラジャーのホックをはずし、背中までは見せる。さすがに前を向くと胸は手で隠したまま。
でもここまで脱いでがんばったなあ、大人になったなあと感心した。
そして浅野忠信を殺して終わりかと思えば、またまた新一は普通の生活に戻り、ミギーも去っていく。
まあこうしないと物語は終われないですからね。
で、ここで終わりかと思ったらまだ続く。
新しいキャラクターだった新井浩文の強姦魔が里美を襲う。
ここまでくるとしつこい。
話をうまくまとめてほしい。
原作のファンならあれがないこれがあるといろいろ思うことがあるでしょうが、私は原作を読んでいないのでそういうしばりはなし。
結局スプラッターシーンは多いし、第一寄生獣はグロテスクだし、正直観ていて気分のいい映画ではなかった。
日時 2015年4月26日16:00〜
場所 シネマ・ノヴェチェント
監督 石田勝心
製作 昭和50年(1975年)
久々に映画館で鑑賞した。
公開当時は「外国人テロリストによる脅迫事件」などピンとこないものがあったが、本年2月の「イスラム国」による日本人ジャーナリスト殺害事件などの事件を経た2015年に観る実に現実味があった。
そしてこの映画の何よりいい所はラストシーンだ。
テロリストたちを倒し、タンカー爆破を防いだ主人公たちだが、タンカーを去るシーンで船長の遺体とテロリストたちの遺体も同乗している。
そのカットでテロリストの一人にある指輪のアップが入り、彼も結婚して妻がいることを暗示させる。
「戦いに勝って万歳」的なファンファーレのある曲ではなく、ドヨーンとした音楽になる。
テロリストを一方的な悪と決めつけるのではなく、「お前も大変だよなあ」とすこし理解を示すような終わり方である。
イベントのために来ていらした中野昭慶監督にこのラストシーンの感想を話したら「石田監督と話して『日本政府万歳!』という映画にはしないと決めた。こういった問題に関して日本政府も考えろよ、という主張があった」という話だった。
あとテロリストがトリックと気づくのに雨が降ったという展開だが、もっといいのがありそうだが、思いつかなかったことが心残りだそうだ。
私としては「例えば本来写ってるはずの月がない、とかはどうですが?」と提案してみたが、気に入ってもらえなかった感じだった。
そうじて40年早い映画だったのかも知れない。
今こそ再見する価値を感じた。
日時 2015年4月26日12:30〜
場所 シネマ・ノヴェチェント
監督 伴野朗
製作 1992年(平成4年)
昭和6年、関東軍の元参謀・賀屋達馬(加藤雅也)は3年ぶりに中国奉天に帰ってきたが、早々命を狙われる。
彼は3年前に事件を起こし、陸軍をやめていたのだが、理想国家、満州国を建国する野望の燃える関東軍参謀・石原完爾に呼び戻されたのだ。
石原の夢にのった賀屋は関東軍のための資金作りに奔走する。
そんな中で3年前賀屋が救った女歌手・蓮紅(ダイアン・レイン)と再会。賀屋は資金厚めのために阿片を商売にするのだが・・・
「落陽」というと映画ファンの間ではつまらない映画の代名詞になっている。公開当時この映画のことは知ってはいたが見なかった。戦前の満州を舞台にした映画というと「戦争と人間」を連想させるし、興味もあったが当時は仕事が忙しかった時期でもあって見なかった。
その後DVDにもなっていないし、観る機会に恵まれなかったが、今回初鑑賞。
ああなるほどね。
「つまらん」とか「トンデモ映画」と言われるのがよくわかった。
冒頭の奉天の酒場のシーン、ダイアン・レインの歌手に日本の役人が自分の席に呼んでおさわりをして「ヤメテクダサイ」と言われてもやめない、それを加藤雅也が咎めるのだが、相手の名前を聞いて「おのれ!」と切りつけるというシーンから始まる。
このシーンを観てだめだ、と思った。
展開が唐突だし、「どうしてそうなる!?」という展開が続く。
例えば、にしきのあきらが実は裏切っていて命の危険があったのだが、それは大体わかりそうなのに加藤雅也の主人公は気づかずにまたにしきのあきらを協力させるのだから、またまた命の危険にあう。
「それぐらい分かれよ」と思ってしまう。
またダイアン・レインと途中で再会するのだが、彼女は馬賊になっている。これも強引な展開だなあ。
もういちいち書かないけど、まるで素人が書いたような脚本なのだ。脚本の段階で「この映画はだめだ」とわかりそうなのだが、なぜこんな脚本でゴーサインが出たのか?
そして出演者にも魅力がない。
正直、加藤雅也ってデビュー当時はある程度期待されていたが、その後はどうなったか。あまりこれと言った活躍は記憶にない。
あと日本側の出演者としては室田日出男が登場だが、こういう大作の主要メンバーになるにはちと弱い。
ユン・ピョウも中国マフィアの頭領として登場だが、脚本、演出の不備もあって記憶に残らない。
ドナルド・サザーランドに至っては何のために出てきたのかわからない程度の脇役。
最後にダイアン・レインもこの頃は低迷していた時期だから日本映画に出た、と思わざるを得ない。
あと主要メンバーの石原完爾もスター級の人が演じた方がよかったと思う。
最初から舛田利雄なりの日活出身のプロの監督に監督をさせればこんなことにならなかったと思う。
原作者の伴野朗は朝日新聞の上海特派員だったらしいから、その頃の経験で原作を書いたのだろうが、そんな人になぜ監督をさせたのだろうか?
製作費を50億円もかけたというが、どこに使ったのだ?
もちろんそれなりの大作であることは認めるが、50億ってほどではない気がするが。
絶対どこかに金は流れてるよ。
これはもう日活の「幻の湖」だ。
でも「幻の湖」ほど針の振れ方が足らないような気がする。
その辺がソフト化もされない理由な気がしてならない。
日時 2015年4月21日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 ジョン・ハウ
製作 1971年(昭和46年)
地中海の小さな島。そこでジギー(マーク・レスター)は姉のピッパ、元軍人のアームストロングと暮らしていた。
ジギーはいつも「海で船が沈んだ!」「誘拐された!」などの嘘ばかりついているイタズラ好きな少年。
島に外国の大統領がやってきてジギーは姉と歓迎パレードを見に行く。
高いところから見ようと姉から離れてビルの上の方にいくジギー。その時、大統領は狙撃された!
大混乱になる現場。ジギーが部屋を出たところで男と出くわした。その男が大統領を撃ったのだ!
犯人は警官だった。
現場から逃げるジギー。犯人は仲間とバイクでジギーを追いかける。
知り合った旅行者のトムとピッパはジギーを探すのだがなかなか見つからない。
犯人たちから逃げてきたジギーはピッパと合流し、とりあえず家に帰るが、狙撃犯を見たことを話しても誰も信じてくれない。
「小さな恋のメロディ」を観て、マーク・レスターをまた観たくなったのでレンタルで早速鑑賞。「小さな目撃者」ってひょっとしたらマーク・レスターつながりで「小さな」シリーズだったのかな?
「小さな恋のメロディ」と同年の公開。
アクション、サスペンスなのだがアメリカ映画ではないのでどことなく地味。
でも前半で犯人の警官たちにバイクで追いかけられ、そのバイクが古い町並みの石畳の階段をかけあがったり降りたりするあたりは地味とはいえ、なかなかの迫力。
何しろ犯人が警官だから、警察にただちに駆け込むわけには行かない。下手したら犯人の警官と遭遇してしまうわけだし。
ジギーはそこを考えて友達の女の子のアンに警察への伝言を頼む。
ところが警察は適当に聞き流し、アンを送って行くように言われた警官がなんと犯人。
それで家の前で父親もろとも殺されてしまう。
おお、何という残酷な犯人!
ジギーも自分が頼んだことがきっかけでアンが死んだにも関わらず、特に悲しまない。おめえ冷たいな。
後半、ジギーの家をアンから聞き出していた犯人たちはジギーの家に。
おじいちゃんは何となく「いつもの嘘と違う」察していたのだが、ジギーは一人で家から逃げ出し近所の家に。
ピッパと町で知り合った若者のトムが犯人と戦うために「火炎瓶を作りましょう」とおじいちゃんに提案。この火炎瓶という発想が70年代の学生運動を思い出させる。
おじいちゃんはさすがに元軍人で大佐なだけあって戦闘はお得意。
火炎ビンをバンバン投げまくってこれまたなかなかの迫力。
結局犯人たちは大統領を殺したかったのではなく、警備責任者の警視を撃ちたかったと判明。
(だったらもっと別の機会のほうがよかったんじゃないかと思うけど、それは言わない)
ラストではそのトムと姉が結婚。
ずいぶん軽いな。
その式場でジギーが「ヒトラーを見た」とおじいちゃんに言うがおじいちゃんは相手にしない。
しかしふと見ると老人になったヒトラーがいるではないか!というオチ付き。
中程度のアクションといい、なんか「西部警察」の1エピソードを観るような感じだった。
マーク・レスターの美少年ぶりも発揮されるが、まだまだ見たりない感じがした。
日時 2015年4月19日16:00〜
場所 シネマ・ノヴェチェント
監督 福田純
製作 1974年
この映画は何年か前にDVDで観て、今回久々(?)の映画館で鑑賞。(ひょっとしたら映画館で観るのは初めて?)
プリント状態は退色が進んでおり、真っ赤かというほどではないが、全体として赤みを帯びていた。
それよりも驚いたのは例の由美かおるのおっぱいがでるカット、そこがばっさり抜け落ちている。
あれはリールの最後で短くなったのではない。
映写技師が意図的にそのフィルムからそのカットを抜き出したのだ。(要は盗んだ訳である)
そういったことは実は時々あって、ひし美ゆり子主演の「鏡の中の野心」でもひし美さんのヌードシーンで同様のことがあったそうだ。
いやあ、びっくりしたねえ。
ひどい話もあるもんだ。
こういったレベルの低い映写技師の話を聞くとフィルムを否定してデジタル派になりたくなる。
フィルムなんかだめですよ。
すでに数回観ているこの映画だが、東宝特撮SF映画の流れの一本として観るとなにやら、失敗作に見えてしまう。
今回気がついたのだが、この映画、東宝無国籍アクションの系譜として観ると納得する。
「暗黒街」シリーズ、「国際秘密警察」シリーズ、「100発100中」シリーズなど怪しい外国人が登場し、外国の設定で日本で撮影しているというハッタリ感などそのまんまである。
その東宝無国籍アクションシリーズの流れに小松左京というSFのスパイスを入れてみました、という感じだ。
そういう風に考えるとSFとしての飛躍が足らなく、中途半端などっちつかず映画になってしまった残念さを感じた。
別にいまさらリメイクして欲しいとも思わないが、どうもSF的ぶっとび感が足らなかったなあと思う。
惜しい映画だった。
日時 2015年4月18日14:35〜
場所 K's cinema
監督 片元亮
製作 2013年
恋人と同棲を始めた刑事の小林秀は催眠術の一種を使って自分の患者に殺人をさせた精神科医・藤堂明に暴力を働いたことで謹慎を受けていた。
その謹慎が解けた晩に新たな殺人事件が発生する。
その事件では被害者の右手首が切り取られるという猟奇的なものだった。小林は23年前に同様の被害者の右手首が切り取られる事件があったことを思い出す。その時の容疑者は死んでしまって事件の全貌は不明のままだった。
そんな時、小林の元へたれ込みが入る。小林たちは駆けつけるが、実は藤堂の罠で、小林は藤堂によってけがをさせられる。
怪我も直りきらないで捜査に復帰する小林。
小林の恋人・美咲の兄・松岡は有名な精神科医で犯罪のプロファイルも行って警察の捜査に協力していた。
松岡は小林に「何かおかしい。精神が犯されているのでは?」と直感する。
現場の状況など23年前と同じだ。果たして同一犯?
4月10日(金)の夕刊の芸能欄に「関西で人気の自主映画、ついに東京で公開」という形で紹介されていてこの映画を知った。
正直、役者が初めて見る方ばかりなので、その辺がちょっと弱い。
でも脚本がしっかりしているので映画に引き込まれる。
映画は説明的な部分は少な目で、やや早口で事件について語っていくのでちょっと解りづらい。
でもいちいち丁寧すぎる説明をされるよりこの方がいいか。
果たして23年前の事件と同じ犯人なのか?
今度の事件は23年前と同様、遺体の右手首はない、現場には足跡が一つだけ残っていたという共通点がある。そして今回も容疑者を逮捕時に交通事故で死なせてしまう。
そして主人公の不可解な行動とは?
などなど謎がたくさんで飽きさせない。
この映画の事件には複数の犯人が登場する。
連続して起こっていく、関連している事件犯罪が発生するのだが、それらが同一の単独犯ではなく、独立した犯人たちが偶然に導かれて大きな事件を構成していく。
その脚本の緻密さは見事だと思う。
実は主人公もその犯人たちの一人だったと開かされる。しかし正直観てる人はそれは途中で気づくだろう。しかしどの辺を主人公が行ったかが解らないので知っていても楽しめる。
ラスト、主人公が公衆電話で電話をかけ、テレビ画面のストロボの点滅を見てるであろう状態で「もうすぐ会えるから」という。
はっきりしないエンディングで余韻を残す。
私はここで主人公は自殺すると解釈した。
映画上映後に片元監督や主演の小林秀役の福地教光さん、最年少刑事の吉行役の坂城君さんの舞台挨拶付き。
上映後にロビーで監督とお話したが、私の自殺説に「いい解釈ですね〜」と言っていただいたから、監督の頭の中ではそうなのだろう。
「もうすぐ会える」を美咲と会うと解釈する方もいらっしゃるようで、きっとそれは観客が「こうであって欲しい」という願望なのかな、と思う。
「蟻が空を飛ぶ日」に匹敵するインデペンデントのサスペンス映画の傑作。
日本映画としてこのジャンルでは上位にランクされるべき映画だと思う。
是非「蟻が空を飛ぶ日」と2本立てで上映してもらいたい。
日時 2015年4月18日10:00〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン1
監督 ワリス・フセイン
製作 1971年(昭和46年)
ダニエル・ラティマー(マーク・レスター)とトム・オーンショー(ジャック・ワイルド)は少年軍で知り合った。
気の弱そうなダニエルと悪ガキのトムだったが、なぜか気があった。二人は学校帰りに家とは反対方向の繁華街に遊びに行ったりした。
学校でダニエルはバレエの授業を受けていた女子たちを見かける。その中のメロディ(トレイシー・ハイド)が気になった。
ラテン語の宿題をやってこなかったダニエルとトムが先生に叱られた日、メロディはダニエルを待っていてくれた。
トムを振り切ってダニエルはメロディと帰る。
二人は学校をさぼって海岸に出かける。
そこでダニエルは言う。
「結婚しようか」
この映画、私が映画を観始めた75年頃、リバイバルで大ヒットした。映画雑誌「ロードショー」や「スクリーン」で特集が組まれ、しばらくの間、毎号主演の3人がグラビアを飾っていた。
なぜかリバイバルで3人が大ブームとなり、本国イギリスよりヒットしたとも聞く。
その頃は成長していた3人の姿もよく観た。
肝心の映画の方ではマーク・レスターは何作かあったが、他の二人はよく知らない。
で、肝心の映画の方だが、そのリバイバルヒットの時にちょっと遅刻して途中からになってしまうのでやめてしまった。その後、テレビ放送で少し観た気がする。
DVDや映画専門チャンネルでの放送でも観る機会はあったが、なんとなくそのままになっていた。
今回デジタルになった「新・午前10時の映画祭」に選ばれ、さらに17日にコマ劇後にオープンしたTOHOシネマズ新宿で上映されるのでいい機会と思ってみてきた。
はあ、こういう映画だったんだあ、というのが率直な感想。
昔テレビで少し観たときに途中しか観なかった理由がちょっと解った。
ドラマ的に面白くないのだ。
映像のほとんどは望遠レンズで捉えられ、ドキュメンタリー的というか、まるで本物の少年少女の姿をカメラが追っていったような印象さえ受ける。
望遠で捉えられたため、主人公の顔の一部が何かに遮られることカットも少なくない。
それもいとわない。
音楽はいわゆる劇伴はなく、ビージーズの曲が当てられる。せりふは少なめで、メロディが歩いてる画とか、ダニエルとメロディの画に曲がかぶせられ、プロモーションビデオを観てるかのようである。
そういったドラマ性の少なさが初めてテレビで少し観たときには物足りなかったのだろう。
主人公たちの学年が日本で言えば中学1年ぐらいかな、と思ったが、ムービーウォーカーの解説文を読むと11歳だそうだ。日本で言えば小学5年か6年ですね。
そういった彼らの「ただ一緒にいたい」から「結婚しよう」という純粋さがマーク・レスターとトレーシー・ハイドが演じると納得させられてしまう。
私なんかもうおじさんだから「結婚って言ってもねえ」と完全に大人の説教になってしまうのだが、「好きだから一緒にいたい」という純粋さにはちょっとあこがれる。
中学生ぐらいが観たら、やっぱりそういう気持ちにはあこがれるよね。
長年見逃していた映画を観ることができ、満足した。
それにしてもマーク・レスターは美少年だなあ。
「小さな目撃者」も観たくなった。
日時 2015年4月18日
場所 DVD
監督 ビリー・ワイルダー
製作 1970年(1971年日本公開)
ある事件が解決してシャーロック・ホームズ(ロバート・スティーブンス)は退屈しきっていた。
持ち込まれるのはサーカス団の小人芸人が6人失踪したとか、ロシアバレエ団のダンサーがシャーロックと子供を作りたいとか、興味のないことばかり。
そんな退屈な日々の晩、ある一人の女性がホームズの部屋にかつぎ込まれる。彼女をつれてきた御者の話では彼女はテムズ川に浮いていたのを助けたのだという。彼女はホームズの住所を書いたメモを握っていたのだ。
ワトソン(コリン・ブレークリー)の見立てでは彼女は頭に打撲の後があり、その後遺症で一時的に記憶を失っているという。
ホームズは数少ない彼女の持ちものから彼女のホテルを見つけ鞄を回収する。やがて彼女の記憶も戻ってきた。
彼女はベルギー人でエミー・バラドンで、彼女の夫がイギリスのヨナという会社に雇われてから行方が解らなくなって探しにきたのだという。
エミーは夫に手紙を出していたのだが、その場所は空き家だったという。ホームズは彼女にもう一度手紙を書かせ、そのヨナ社の場所にやってきた。その手紙はどのように夫の元へ届くのか?ホームズたちはヨナ社に張り込む。
シャーロック・ホームズは私の読書の原点で、小学2年の時に子供向けのホームズ本を読み始めたのがきっかけだった。初めて読んだホームズは「まだらの紐」だったと思う。
この映画もテレビ放送があった時に観ている。いつだったか覚えていないが、9時からの洋画放送放送枠で観たから中学生にはなっていたと思う。
ネス湖の怪獣伝説とホームズを組み合わせて面白かった記憶がある。
映画を観始めて30分、正直映画を間違えたかと思った。
ロシアのプリマドンナが「あなたの子供が欲しい」と言いだし、「実は私はワトソンと秘密の関係なので・・・」と断る。ホームズとは別にバレエ団の打ち上げパーティに参加して踊り子と踊って楽しんでいたワトソンだったが、栄手が男性ダンサーが変わってしまうというエピソードがある。
このシーンが全く記憶にないので、不思議に思った。
DVDの解説文などを読むと、この映画、最初は4つのエピソードからなるオムニバス形式で合計4時間もあったようだ。
さすがにこれでは公開しにくいだろう、と判断されてメインのベルギー人技師失踪事件と上記のロシアバレエ団のエピソードが残ったらしい。
ロシアバレエ団のエピソードが30分ぐらいあるので、ここをカットすれば約90分。2時間枠のテレビ放送にはぴったりなので、私がテレビで観たヴァージョンはこれなのだろう。
その中でも特に覚えてるしーんんがあって、ヨナ社にホームズたちが行く、そこへホームズ宛の手紙がマイクロフトから届く、その手紙には「たぶん今は11時40分」としてホームズがワトソンに「今何時だ?」「11時43分」「この場合君の時計が狂ってると思うよ」という台詞があり、ここはよく覚えている。
でもこの映画、インバネス(ネス湖のある町)に向かうことになるのだが、ベイカー街を出発する朝にエミー・バラドン夫人が日傘を開け閉めしてなにやら合図を送っていることを示してしまう。
ここで観客は「彼女は単なる失踪した夫を探す妻ではないのだな」と解ってしまう。
だから気づかないホームズがバカに見えてしまう、彼女が実はドイツのスパイだったというオチも驚きがない。
これはちょっとまずかったのでは?と思う。
ベルギー人の技師はイギリスの潜水艦開発の手伝いをさせられていた、そしてネス湖の恐竜の首をつけた偽装をしていた、というオチ。
シャーロック・ホームズとネス湖の恐竜というお題の組み合わせはよかったと思うのだが、謎解きの妙がちょっと足りなかった感があるのが惜しい。
ロバート・スティーブンスとコリン・ブレークリーのコンビもよかった。
なおカットされたエピソードはDVD特典映像として残っているものは収録されているが、日本語字幕はない。
日時 2015年4月12日12:10〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン1
監督 成島出
自殺した柏木卓也は大出に殺されたのか?
柏木家に彼が死の直前にかかってきた電話は夕方にほぼ1時間おきに4件あった。発信元はすべて公衆電話だった。いったい誰が柏木に電話したのか?
いよいよ裁判が開始される。大出の家は放火にあったが、実は大出の父が保険金詐取のために放火したのだ。
その放火の実行犯は柏木が自殺した12月24日の夜に大出の家に打ち合わせのために来ていて、そこで大出を見たのだ。逮捕されているため本人の出頭はかなわなかったが、弁護人が代理証言してくれた。
大出が犯人だと告発した樹里は衝撃の証言をする。
しかし大出の弁護人であるはずの神原は大出のいじめの実態を法廷で暴き出す。
いったいどうなっているのか?
神原が裁判を開こうと言った真の目的とは?
先月公開の「ソロモンの偽証」の完結篇。
いやーすばらしい。
これは平成の「砂の器」ですよ。
見ている間の2時間半、緊張感が途切れることはない。
細部を忘れない状態で見たいと思ったので、金曜の夜に「前篇」をポイントを使って再鑑賞。
徐々に明らかになる真実。
先日「前篇」を見直して「実は先生が殺したとかのどんでん返しがあるとイヤだな」と思っていたがそれはなかったのでほっとした。
でもいったいなにを言えばよいのだろう。
見ている間の2時間以上、ただただ壮大なドラマに圧倒されっぱなしだった。
死んだ神原に電話を4回かけた奴がいる。それはたぶんあいつだと言うことは察しがつく。それはその通りだった。
ではいったいなぜ?
正直、最初に自殺した柏木が不登校になったいきさつとか、彼の心理がよくわからない。
でもそれ以上に真実をしようとする少年少女の姿に勘当する。ただただそれだけである。
生徒役の少年少女が素晴らしい。
特に主役の藤野涼子。彼女がこれからこれ以上の芝居が出来るだろうか?
いやビギナーズラックと言っているのではなく、彼女という役者の力を発揮できる企画、脚本が現れるかと心配してしまう。
平成の田中絹代か高峰秀子かというレベルだと思ってしまう。
とにかく今年のベストワン候補。
それ以上なにも言えない。
日時 2015年4月11日18:30〜
監督 森谷司郎、他
製作 ロジャー・コーマン
「日本沈没」がアメリカで「TIDAL WAVE(大津波)」というタイトルで大改悪されているという話を聞いたのはいつ頃の事だったろうか?
初めてアメリカ(ハワイ)に行ったときもこの「TIDAL WAVE」がビデオになっていないかとビデオショップを見た覚えがある。
結局見つからずそのままになっていたのだが、大改悪されている(らしい)「アメリカ版・日本沈没」のことはずっと気になっていた。
この度某所でこの「TIDAL WAVE」を見る機会があった。
たぶん30年以上気になっていた映画である。
特撮シーンだけを抜き出してアメリカ人のシーンを加えて全く別の大津波の映画になっていると思いこんでいた。
果たして「TIDAL WAVE」とはいかなる映画なのか?
結論からいうと世間で言われてる「大改悪」は全くの誤解だった。
冒頭、地球の大陸移動のアニメーションの途中から始まる。
そして佐藤勝の音楽が始まったところ、オリジナルでも「日本沈没」と出るところで「TIDAL WAVE」と黄色い文字(確か)で表示される。
そして冒頭のクレジット部分のバックの絵はほぼそのまま。
しかし人名はすべて英語表記になっている。
画面はスタンダードにトリミング。
クレジットが終わってずぐ三崎港出航シーン。
つまりそのままなのだ。
映画はそのまま進んでいき、単なるオリジナルの短縮版である。
ちなみに全編英語吹き替え。
でもオリジナルは何十回も見てるから、何を言ってるかはだいたいわかる。
聞き取れる英語の断片を考えるとほぼそのまま訳されている印象を受けた。
ストーリーが大幅に変えられてるとかはない。
簡単に言えばスペクタクルシーンのその前後のシーンと、最低限ストーリーに必要なシーンだけを残しているのだ。
だから小野寺と玲子の海岸のシーンの後で火山が爆発するシーンもある。
関東大震災のシーンはそのまま。
無くなるかなと思った例の丹波先生の「門を開けてください!内閣総理大臣の命令です!」もあった。
日本海を韓国に向けて出航する漁船を警官が止めよううとして「うぬらに、わかるか〜」もあった。
さすがに「何もせんほうがええ」とか「人間の血は暖かい」と言って丹波先生の涙のシーンはない。
そういうドラマシーンが無くなっているのだ。
で加えられたシーン。
中村伸郎がオーストラリア首相に会って(この時アンドリュー・ヒューズと中村伸郎の英語もわざわざ吹き変えられている。中村伸郎は微妙にへたくそな英語に変わっていた)、そのあとニューヨークとかモスクワとか北京のスチルショットになるが、その後でアメリカの国連大使を日本の外交官が訪ねるシーンがある。
ここが第一の追加シーン。
日本の外交官がアメリカに協力の要請をするのだ。
この国連大使がローン・グリーン。日本の外交官役は「ミッドウエイ」で日本海軍将校役で出ていた方。
口ひげがあって髪の毛がない方だ。
同じ70年代だからまちがいないと思う。
そして中村哲たちも出演した国連会議のシーン。
会議が紛糾する中、ローン・グリーンが演説をする。
ローン・グリーンのカットはアップだけの別撮りだが、知らずに見たら違和感はないと思う。
おそらく「何を言ってるんだ!日本を助けるのは人間として当然じゃないか!」的な演説をして世界各国は動き出すという展開だと思われる。
そして中国特使が日本人の受け入れを山本首相に申し出るシーンになる。
あと日本の救出作戦終了のタイミングを協議するシーンでもローン・グリーンのせりふはある。
そしてオリジナル版ではオーストラリア首相が山本総理や小野寺が取材されている「TIME」を見るシーンがあるが、ここがローン・グリーンと女秘書の会話になっている。
聞いたところによると追加撮影は2日間でスタジオではなくホテルの一室で行われたらしいが、二日じゃなくて2時間だろう、と思われる程度の追加撮影である。
書き加えれば発音がしにくいのか、田所はタナカ、小野寺はオノダになっていた。山本もヤマトにちょっと聞こえたが、これは単なるいい間違いのレベルかも知れない。
ラストもシベリア鉄道と砂漠を走る列車のカットバック。
佐藤勝の希望に満ちた音楽があってエンド。
つまり同じである。
見終わって思わず拍手してしまった。
大改悪は嘘である。
何を持って改悪というかは異論があるだろうが、「日本沈没・チャンピョン祭り版」またはテレ東の「午後のロードショー」の90分放送用のカット版といい変えた方が僕はいいと思う。
そんなにひどくはない。
ちゃんとソフト化して誤解を解いてほしい。
日時 2015年4月11日15:00〜
監督 沢島忠
製作 昭和33年(1958年)
尾張の若殿(中村錦之介)と紀州の若殿(中村嘉葎雄)が江戸からそれぞれの国へ帰る途中に出くわしてしまった。家老たちは「こっちが先だ!」と喧嘩になるが歳が誓う二人は一向気にしない。一緒に行こうと旅を始めるが、そこへ町人(益田喜頓、他)の乗った馬が突っ込んでくる。
その町人、弥次喜多の二人は罰として若殿二人と入れ変わることを命じられる。
途中旅芸人の一座やピストルの名手、箱根の山賊たちと出会いながら旅を続けていく。
しかし尾張の殿様をねらう奴らがいる。
某所で行われた16mm特集での映写の1本。
観たい映画は別にあったので、抱き合わせで観させられた。
最初から興味はないのでこちらのテンションは下がりっぱなし。
もともと時代劇に興味がある方ではない。
「錦之介も若いねえ」「中村嘉葎雄も美青年だなあ」という気分で観ていた。
大井川の渡しのシーンでダークダックスが人足役でゲスト出演。へー昭和33年にはもう活躍していたんだ、ともう無知丸だしで観ていた。
紀州、尾張の両徳川家が渡るというので大井川の人足は人手が足りない。そこで両若殿も担ぎ手に回るという展開は面白かった。
で、最後は名古屋城の金のシャチホコをバックに若殿の命をねらう奴らと大チャンバラ。
沢島忠の東映量産時代の時代劇らしい時代劇。
たまにこういうのを観ておくのも悪くはない。
日時 2015年4月11日12:15〜
場所 光音座1
監督 広木(廣木)隆一
製作 ENK(昭和58年)
青山にあるおしゃれな美容室に勤める俊也と順平。
俊也は人気スタイリストだが、順平はまだアシスタントだ(と思う)。二人はお店には内緒だが二人で海の見える家に住んでいるゲイカップル。
ある日、お店にふらっと木又三郎と名乗る少年が現れた。
お客だと思ってカットしたが、実はなかなかの美少年。だがお金がなくここで働きたいという。彼が持っていたスケッチを見るとセンスは悪くないようだ。
住むところもなさそうなので、順平たちの家にしばらく居候する事に。
早速その晩、順平と俊也はゲイの関係であることを打ち明け、3人で楽しむのだった。
だが屈託のない三郎は他のお店のスタッフ、お店の常連客とも関係を持つのだった。
「ストロボ・エッジ」の廣木隆一のピンク映画時代の1本。こういう映画を撮った人が今は福士蒼汰の映画を監督すると思うとちょっと感慨深い。ゲイピンクとしてはかなり初期の映画らしい。
この映画、ひょっとしたら前に観てるかも知れない。
「若い男の子が家もなく誰かに拾われ、服を貸してもらって『どうもです』と挨拶する」というシーンに記憶があるのだ。その「どうもです」というフレーズを三郎はたびたび使い、「変な日本語だな」と思った覚えがあるのだ。
但し記憶では服を貸してもらうのは畳のある部屋だった気がしたのだが。私の記憶違いかも知れない。
主人公の三郎は80年代美少年の当時のジャニーズで人気だった、田原俊彦、シブがき隊風の髪型。声もちょっとトーンが高く、美少年風。だが顔のアップが少ないので、イマイチこちらの気持ちはあがらない。
三郎は悪気は感じられないのだが、次々と男と関係を持ち、店のスタッフや常連客(池島豊〜ゆたか)ともセックスする。あっけらかんとしていて「誘われたら断るのは悪いなあ」というように体を重ねていく。貞操感がないとかそういう感じもしないのが不思議なところだ。
しかし俊也の方は三郎に本気になってしまい、順平も家を出ていく。
「一緒に暮らそう」と俊也は三郎に告白するが、三郎はあっさりと「でも僕今度ニューヨークに行って勉強するんです」と答える。何の悪びれもせずに。でもそれが嫌みに聞こえない不思議な魅力。
二人で最後の夜を過ごす俊也と三郎。
朝になったらすでに三郎はいない。あわてて追いかける俊也。それにつき合って一緒に車で成田まで行く順平。しかし間に合わずに飛び立つ飛行機を見送る二人。
俊也と順平が住んでいる家が湘南にありそうな家なのだが、勤めてる美容室は青山。その辺の距離間がちょっと気になったが、そういう事をあれこれ言うのは野暮だろう。
日時 2015年4月11日11:05〜
場所 光音座1
監督 小林悟
製作 OP映画
静岡の農家の長男として生まれた正史(樹かず)は農家として生きていくのがいやで家出して東京に出てきた。
知り合いを頼って出てきたが紹介してくれた仕事はゲイバーのボーイ。初めて出勤したその日に客がつき、男同士を初めて経験した。
それから今はアメリカのサンタモニカにいる。
そこで留学生の金井、同じ日本食レストランで働く女性アキコと知り合う。
やがてこちらでもゲイの世界へと。マーティというアメリカ人と知り合い、愛し合うようになった。
ある日、金井が最近話題のHIV感染の検査の話を聞く。そんな頃マーティの様子が最近変だ。
正史は決心してHIVの検査を受ける。正史は陽性だった。マーティに移されたらしい。
ポスターに「日米合作ホモ映画」とある。
すげー昔は海外ロケまでしたんだ、と驚いたが完全な見かけ倒しである。
サンタモニカは街の実景とマーティ(アシュビー・リード)のカットをいくつか撮っただけだろう。
脚本がヤコブ・ブレスラーという人だけど何者だ?
ストーリーはほとんど正史のモノローグで進行していく。
マーティのカットがあってその上に「マーティと知り合った。陽気でいいやつだった」とモノローグが被さることで話を強引に進めていく。
肝心のマーティと正史のからみのシーンだが、ベッドにいるマーティの顔のカットがあって、次に正史が男の下半身、尻とか股間とかをさわるカットがあってつないでいく。樹かずが触ってるのは別の男ではないか?
こうやって切り替えしだけで二人のカットを撮り、二人の顔が同時に写ってるカットはない。
二人のカットは顔の見えないロングだけなので、まあおそらく別人だろう。
かなりいい加減な映画である。
話の方は正史はマーティを責めて、それがショックで10日後にマーティは自殺。静岡の実家に手紙を書くが正史の弟や妹の手前、両親は勘当。(ただし両親は後に後悔するが)
正史も自暴自棄になるが、アキコの献身的な支えで生きていく希望を持つのだった、めでたしめでたし。
って全然めでたくない映画。
監督は小林悟だからな。やる気のなさが伝わってるよ。
日時 2015年4月9日
場所 TSUTAYA宅配レンタル
監督 萩庭貞明
製作 平成26年(2014年)
漫画家志望の青威雄一郎(窪田正孝)は有名な漫画家のアシスタントになるために大阪にやってきたが、その漫画家に50万円だまし取られた。仕方なくキャバレーでボーイをする日々。
そんな時にホステスに絡んでいるヤクザを注意したところ、逆に殴られてしまう。それを救ってくれたのは小藪(的場浩司)だった。小藪はヤクザから20万円受け取ったが、青威がもらったのは3万円。案外したたかな男だ。
青威はキャバレーの近所のたばこ屋のおばあちゃんが不動産会社から金を借りて3000万円の借金を持っていることを知る。孫の敦(駿河太郎)が事業で失敗して借金をしてしまい、その埋め合わせをしようと逆に詐欺に引っかかってしまったのだ。
小藪に相談する青威。初めはやる気のなかった小藪だが、裏にかつて自分をはめた不動産会社の我目津会長(升毅)がいると知り、俄然やる気を見せるのだった。
昨年の窪田正孝主演作。
窪田正孝の主演映画なら知っていたら観に行ったのだが、そんな映画が公開されていたとは知らなかった。DVDの舞台挨拶を見ると2014年7月にシネマート六本木で公開されたようだ。
窪田正孝は「僕たちは世界を変えることができない」で知って以来、注目をしている俳優。シネコンで公開されるメジャーな映画にも年に2、3本は助演で出演。また地上波のドラマにも助演で出演。なかなか順調に仕事をしている。「主演作を観たいな」と思っていたが、こういうマイナーなVシネ映画で主演をしていたのですね。
知ってから早速拝見。
原作は「ナニワ金融道」の青木雄二のスタッフたちがやっている「青木雄二プロダクション」。こういうヤクザ金融ものは竹内力の「ミナミの帝王」シリーズもあり一定の需要はあるのだろう。(ちなみに本作の監督は「ミナミの帝王」も監督している)
冒頭で助けたホステスが女優志望でちょっと青威は惚れるが、後にデリヘル嬢をしてると知る、また自分の弟子入りする予定だった漫画家が借金で仕方なく街で似顔絵を1枚5000円で描きだす、というエピソードが挿入されるが、ちょっと弱い。主人公が10代ならともかく、一応20代設定だからもう一ひねりほしいかな。
主筋のたばこ屋のばあさんの件。
孫がオレオレ詐欺の片棒を担いでいたとか、ばあさんが劇場型詐欺に引っかかったとか、どうも話がつながりすぎている、と思ったが、そもそも我目津がばあさんの土地を取り上げようとして、孫をだまし、ばあさんをだますという裏があったという訳。
我目津はばあさん及びその近所の土地をまとめてパチンコ屋に売ろうとする。最後の我目津と小藪の対決で、小藪はばあさんの土地は売らないという。
「土地がまとまらなんだら困るやろ」と迫るが「ならばその部分だけ空いていてもかまわん」と我目津。
「じゃあこっちはばあさんの土地で保育園を開く」と言って保育園のそばではパチンコ店は開業出来ない条例を出して対決する。
それってちょっと弱いなあ。
そうきたらこう出る、みたいな攻防がもう一押し観たかったな。
予算とかの関係もあってなかなか難しいか。
でも85分十分楽しめた。
窪田正孝の活躍は今後も期待したい。
出演は的場に協力するホステスに谷村美月、その父親でモツ焼き屋の親父にして元検事、元弁護士で大杉漣。
日時 2015年4月8日
場所 DVD
監督 エンツォ・ドリア ルイジ・ルッソ
製作 1983年(昭和58年)
アダムが生まれた。そしてアダム(マーク・グレゴリー)は海岸の砂浜で自分に似た形の砂の山を作った。雨が降る。驚いたことにアダムが作った砂の山の中からもう一人の人間、イブ(アンドレア・ゴールドマン)が現れた。
二人は森で平和に暮らしていたが、同じ事の繰り返しの日々に飽きたイブは蛇のささやきに従って禁断の果実を食べてしまう。
神の怒りに触れたのか、火山は爆発し天変地異が起きる。
今まで住んでいた平和な世界から追い出されるアダムとイブ。
そこは何もない砂漠だった。
アダムは鳥たちが飛んでいく方に行けば海へ行けると決意。イブを連れて進み出す。しかしその先の森には生肉を食べる人間のような姿をした者たちがいた!
いわゆるZ級映画と呼ばれる映画なのだろう。
未公開・カルト映画がお得意のWHDジャパン発売のDVD。アマゾンで「おすすめの映画」だったかで表示され、この映画の事を知り、美男美女が全裸で登場となれば気になって購入。
しかしどうせ画質は悪いだろうな、と思っていたが予想以上の画質の悪さ。まあ1500円ぐらいだから贅沢を言ってはいけない。
DVDのジャケットには「アナログマスター使用」と意味不明の、だが「画質はよくないですよ」と言い訳してる表記あり。
何しろ画の中のものが動くとその部分の画質が乱れる。
静止画のアップなら大丈夫なんだが。
しかも乱れた時に走査線のような線が走る。何だろう?
ひょっとしてPAL版のビデオを再生しているテレビ画面をカメラで撮影したのか知らん?
英語字幕が入り込んだ箇所が1カ所あったから英語版のビデオから起こしたものらしい。顔のアップになったときなど顎が切れてるカットがあるから、下の方をトリミングしてるんだろうな。
で、史上初の人類のアダムとイブのはずなのに、なぜか毛むくじゃらの肉を食べる凶暴な人々(しかも何十人もいる)に捕まって逃げ出したり、アダムとイブは喧嘩して別れたと思ったら、今度は木々の緑を保護色にするために前進を緑に塗ったまたまた人々(グリーンマンとイブは銘々していた)と出会ってしまう。
やがてアダムとイブはその民族たちや動物のセックスを見て自分たちもセックスを覚える。イブも妊娠して出産してめでたしめでたしで終わる。
それにしても最初は袋の中から血塗れになってアダムが登場したり、途中で鳥におそわれるのだが(その鳥はファーストカットではプティラノドン。次のカットでは鷲みたいな感じ)、その鳥をアダムは捕まえ首をへし折る。
そして生のまま食べる。
最後にはイブが半身を海につけた状態で出産。
水中に赤ん坊がでてくるカットもあってなかなかエグい描写あり。
イタリア映画だからかな?
火山の爆発シーンとか先のプティラノドンとかまともな特撮シーンがあったけど、それは何かの映画から抜いたのだろう。
予想通りの(いやある意味予想以上の)Z級映画。
日時 2015年4月5日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 坂本礼
製作 平成20年(2008年)
賢一(石川裕一)と美紀(華沢レモン)はやや倦怠期のカップル。今夜もセックスしたけど賢一はうまく勃たずにちょっと険悪。その帰り道、賢一は高校3年の時に付き合っていた嘉子とばったり再会。
「うちへ寄っていく?」と誘う賢一。その晩嘉子はあっさりと「したいんでしょ?」と体を許してくれた。
翌朝、彼女は帰り道で交通事故に合い、あっけなく亡くなった。
警察から連絡を受けた賢一だったが、彼女には今身寄りがなく遺骨の引き取り手がないという。
警察から教えてもらった彼女の住所を手がかりに賢一は嘉子が住んでいた新潟に向かう。最近賢一の様子がおかしいと察した美紀は賢一とともに新潟に向かう。
坂本礼監督作品。国映のピンク映画。
「乃梨子の場合」がきっかけで最近坂本作品を観ている。
嘉子の死をきっかけに賢一が知らなかった最近の彼女の様子が明らかになっていく。
嘉子はアパートの大家さんの話ではいつも男を連れ込んでいたという。意外な一面にショックを受ける賢一。
彼女の元同僚で今は旅館の家に嫁いだ女性を訪ねる。
彼女に言わせると嘉子は優しかったからだという。
その頃美紀は海岸で知り合った海辺の喫茶店のマスター(佐野和宏)とその場限りのセックスをする。
一方賢一も旅館の彼女とセックスをする。
そして旅館の彼女から聞いた嘉子が好きだった(ただし妻子持ちだった)男の事を聞く賢一。
その男(伊藤猛)と対峙する。
妻子あるその男には何も期待できないが、それでも賢一は嘉子の骨の一部を男の家が見える場所に埋める。
心と体は別だ、と言うのは簡単だが、それだけではない気持ちとセックス。美紀は一度は別れを切り出すが、気持ちでは求めあう二人は別れない。
ラスト、結局遺骨の引き取り手も見つからず新潟を後にする二人。新潟駅でやっぱりこれからも付き合っていくことを決める賢一と美紀。
クレジットが終わった後のラストカット、骨を埋めた場所からきれいな花が咲いている。
暖かい幕切れでよかった。
坂本監督の演出はロングの長回しも多く、抑制的。
それが分かりやすい演出の多いドラマを最近見慣れているこちらとしては、返って心地よい。若干ケレン味がなくやや退屈な印象もあるが、たまにはこういうドラマもいい。
それにしても新潟にロケにいくわ、新幹線での撮影はあるわ、新潟の多分ランドマークらしい回転展望台は登場するわピンク映画にしては贅沢な作りだ。
ラストの賢一と美紀が乗る新幹線では二人はグリーンの2階席に座ってたぞ。
機会があったらその辺の贅沢にとれた事情も坂本監督に聞いてみたい。
日時 2015年4月4日14:10〜
場所 新宿ピカデリー・シアター8
監督 石川淳一
4月1日エイプリルフール。この日はあちこちで嘘が飛び交う。
朝のテレビでは42年前に遭難した少年がフィリピンで発見されたと報じている。
いじめられて引きこもりの中学生・野沢はネット情報で実は自分が宇宙人だと知る。まもなく母星に帰ると知り、やり残したことをやっておこうとまずは自分をいじめていた奴に復讐、そして好きだったあの子にもキスをした。
病院の掃除婦の新田(戸田恵梨香)は自分の子を妊娠させた天才外科医(自称)の牧野(松坂桃李)に籍を入れてくれと談判に。
自称皇族の夫妻(里見浩太朗、富司純子)はパーティに着ていくドレスを買った後、ハイヤーの運転手(滝籐賢一)に「あなたの行きつけのお店で食事がしたい」と言われ、ハンバーガーショップへ。
小学生・江藤理香は学校へ行く途中、やくざ風の男(寺島進)に誘拐され、遊園地に連れていってもらう。
不運続きの青年(岡田将生)は除霊師(りりぃ)を訪ねていたが、そこへ刑事(高嶋政伸)が彼女を詐欺の疑いで連行する。
大学生松田(窪田正孝)は親友の梅田(矢野聖人)から「実は俺、ゲイなんだ。お前のことを友人以上だと思っている」と告白される。そして松田は?
フジテレビ製作映画。
エイプリルフールを題材1本映画を作るとはフジテレビっぽいなあと思う。
脚本は人気ドラマ「リーガルハイ」の古沢良太。
「リーガルハイ」のスタッフが作った!という売りだけど肝心の堺雅人は出演していない。
この映画は予告を観て観る気になったのだが、それは窪田正孝のエピソード。
大学生が「エイプリルフールだから」と冗談で「俺ってゲイなんだ」と言ってみたら実は相手がゲイで「俺もなんだ!」と逆告白されてしまうというエピソード。
窪田正孝が相手の男をベッドに押し倒し、服を脱いでいくのが数秒出てきたのだが、どう決着をつけるのか興味がわいたのだ。
あとは虚言癖のヤリチンに捨てられた女がレストランで立てこもるとか、ヤクザが自分の娘に名乗らずに会いに行くとか、ガンで余命のない妻と贅沢する夫婦の話とか、かる〜いタッチで描かれていく。
ヤクザが自分の娘が「義務教育終えたら女なら誰でもできる仕事でやっていく」というので、ソープランドやSMクラブに連れていくシーンがフジテレビなのによく出来たなあ、と思った。基本フジテレビの映画って親子で観れる映画しか作らないと思っていたので。
で、肝心の窪田正孝。
二人でベッドに入って相手が「エイプリルフールだよ!」と抵抗するところで他のエピソードに変わり、ラスト近くまで出てこない。
再び二人のエピソードになったときは二人は完全にいいムードでベッドで添い寝している。窪田正孝などは相手のおでこに「チュ」とキスをして添い寝して寝てしまう。
もうラブラブだ。
窪田の愛に応えてしまったの?それとも元々相手もゲイで、エイプリルフールにかこつけて告白したの?
たぶん前者だと思うけど、それはないんじゃないかなあ。
結局一人の手配犯を除いて最後は「みんないい人だった」で終わってしまうあたりはフジテレビだな、と思う。
それにしても後半徐々についていた嘘をばらしていくのだが、戸田恵梨香が子供を生んでからの展開が少々長い、もたつく。
それにホントのことを話し出すのだが、「実はそれも嘘でした」というドンデンがありそうで落ち着いて観れない。
あんまり嘘が多いと「次も嘘かも知れない」と観客は構えてしまうので、嘘はつきすぎてもだめだな、と思った次第。
窪田正孝のBL展開だけは観る価値があった。
日時 2015年4月3日20:30〜
場所 シネマカリテ2
監督 堀江慶
葉山タカシ(村上虹郎)は高校三年生。夏休みを迎えた晩、レンタルビデオの返却期限が迫っていることに気づき、夜遅くにも関わらず自転車で外へ出た。
その途中、同じ歳ぐらいの美少女(早見あかり)とぶつかってしまう。「大丈夫です」と言って名前も言わずにその場から去る少女。だが翌日学校で彼女と再会。
彼女の名前は織部あずさと教えてくれた。
彼女を仲間とのバーベキューに誘うタカシ。あずさはタカシたちと同じ高校の3年D組だというが同じD組の女子たちからは「あんたなんか知らない。誰?一体何者?」と言われてしまう。
その場を逃げ出すあずさ。彼女を追いかけるタカシ。
「一体どういうことなの?」そう問うタカシに彼女は答える。
「みんな私のことは数時間経ったら忘れてしまうの。2年の後半から起こってきて3年になったら完全に忘れられるの。信じないと思うけど」
結局のところ存在は記憶である。
観ながらそう思った。誰かと一緒に写った写真があったとして、その写真を写したときの記憶がないと実に不安になる。いや誰かと写しただけでない、例えばニューヨークで自分が写った写真があったとして、しかし自分はニューヨークに行った記憶がなければどうなる?
写真は記憶を補完するもので保管するものではない。
実は最近では仕事上でもちょっと経験がある。日報にはそのユーザーに訪問したことが書いてあるが、記憶の方にはまるでない。これって結構不安にさせる。自分の書いた日報なのだから間違いないだろうが、それにしても・・・
この映画、なぜみんなが織部あずさの記憶がなくなるのかについての説明はない。そこが気になる人もいるだろう。
しかしよく考えれば現実に実は起こっているかも知れないのだ。
あなたは実はAという人と暮らしている。
しかしそのAについての記憶が全くなくなったとしたら?
いないと同じ事だ。だから織部あずさのような子がいないと誰が断言出来る?
映画を観ながら直接関係ないけどそんなことを考えた。
タカシは彼女のことを忘れまいと必死にメモを取ったり壁に写真を貼ったりしている。彼女と約束すればそれを携帯アラームで知らせてくれるようにする。
それでも後半になると徐々に怪しくなっていく。
実はタカシとあずさは去年つきあっていたことが解ってくる。自分を好きでいてくれる人が自分を忘れてしまう恐怖はどんなものだろう?
あずさは老人介護センターでボランティアをしている。そこにいるのは痴呆で記憶がなくなっていく人たちだ。
あずさたちと重なり切ない。
「ラスト3分に驚きが!」的なことがチラシに書いてあったからどんでん返しがあるのかと思ったが(その前にあずさがタカシの部屋に入り、タカシの部屋にあずさの写真がたくさん貼ってある、その後あずさが帰ってからタカシが部屋に入ったらその写真がまったくない、というシーンがあって混乱したので、それが伏線になるのかと思っていたがそういう訳ではなかったらしい)、別に今までをひっくり返すようなオチがあるわけではない。
タカシは自分のPCをよく観たら「あずさという女の子と付き合っていた時の画像」が出てきたので彼女を思い出す、という展開。
正直自分PCのデスクトップにフォルダがあるのだから、もっと早く気づいてもよさそうだというのが気になるが、まあ細かいことを言うのは野暮か。
あずさはラストに「あずさという子から伝言頼まれた」と言ってタカシの前に登場。タカシは自分の好きな相手だと気づかないという切ない結末。
具体的な記憶を失っても好きだという感情は残る。
とにかく切ない。
記憶というかなり曖昧なものの中でしか人間は生きていけないのか。
とにかく切ない。
期待以上にいい映画だった。
原作も読んでみよう。
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