イニシエーション・ラブ日時 2015年5月30日16:40〜 場所 新宿ピカデリー・シアター1 監督 堤 幸彦 1987年7月、静岡大学理学部学生、鈴木夕樹はコンパに誘われた(合コンという言葉はまだない時代)。 そこで成岡繭子(前田敦子)という歯科助手をしている女性と出会う。繭子と目があった鈴木は一目惚れする。 まさかと思ったが、繭子は鈴木に好意を持ってくれてるようだ。 友人たちと海に行く、テニスをする、などをしていくうちに、二人で会う関係になる。 12月、運良くキャンセルがあったホテルを予約し、食事を楽しむ二人。鈴木は繭子にネックレスをプレゼントし、繭子は鈴木にナイキのスニーカーをプレゼントした。 4月、鈴木(松田翔太)は静岡で就職し繭子にもらったスニーカーを履いてジョギングをする日々。ところが7月から東京本社勤務を命じられる鈴木。 繭子と遠距離恋愛をする鈴木だったが、同じ課になった石丸美弥子(木村文乃)から告白される。 コンパで知り合った大学生が、就職して遠距離恋愛に。「タックンが初めての人でよかったあ」などと前田敦子に言われる予告の最後で「ラスト驚愕の5分。あなたはだまされる。もう一度観る」などと煽るコピーに興味が沸いて観に行った。 結論を言おう。 見事にだまされました。 最初、予告で観ていた松田翔太とは違う男が鈴木として登場する。デブでいかにもさえない男だ。 観てるこっちはまず「?」となる。 映画の中盤、クリスマスでスニーカーをプレゼントされ、「やせてもっとかっこよくなる」と鈴木たっくんはダイエットを誓う。 カット変わって「4月」。 走ってるのは生まれ変わった松田翔太が演じる鈴木だ。 オチは書かないでおこう。 とにかく前田敦子がいい。 小首をかしげて「この後カラオケ行ってくれます?」などと言われたら男なら断れまい。男を手玉にとる怖さが前田敦子にはある。 前田敦子がなんかあやしい、この女、なんかたくらんでるのでは?なぜ鈴木のようないかにももてなさそうな男に声をかけたんだろう?「白日夢」的な犯罪に巻き込むつもりなのだろうか?などと想像が膨らむ。 でも違った。 だましたのは前田敦子ではない。 推理小説で言うなら「犯人のトリック」ではなく「作者のトリック」である。 お話についてはこの辺で。これ以上書くとネタバレになる。 舞台をなぜ80年代後半にしたのだろう?ケータイやパソコンがある現代では成り立たない話なのだろうか?と思っていたが、どうもそうではなさそうだ。 パンフレットによると原作者は1963年生まれ。 87年ごろというと大学を卒業して就職した年齢だ。 ちょうど物語の男女と同じ。 だから選ばれたのだと思われる。 それにしても当時のヒット曲がやたらと流れるのがちょっと気になった。「そんなにノスタルジーに浸りたいのかよ!」と思ったら(実は帰りに思わず紀伊國屋書店で原作を買った)原作自体がそうらしい。 それなら仕方ないか。 映画館を出るときに観終わった女の子が「映画になって大衆向きになったね」などと言っている。 はてでは原作はどうなのだろう? 楽しみである。 (映画のクレジットの横で「80年代のあれこれ」紹介されていた。そこには出なかったと思うが、松田翔太のサラリーマンがペイズリー柄のネクタイをしている。懐かしかった) 戦争と平和日時 2015年5月24日19:00〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 山本薩夫・亀井文夫 製作 昭和22年(1947年) 健一(伊豆肇)は妊娠中の妻・町子(岸旗江)を残して出征した。しかし彼の乗った輸送船は敵の攻撃で沈没。町子の元には戦死報告のハガキが届いた。健一の幼なじみの親友・康吉(池部良)も満州の戦線で夜襲で戦車に追われ死の恐怖を味わった。そのことが彼の精神を狂わせ、病院送りとなった。 日本に帰った康吉は町子と再会。今は子供も産まれ何かと苦労している町子を見て結婚を申し出る。結婚はしたものの、戦死した軍人の妻があっさり再婚するとは何事かと近所には非難する者もいる。 空襲がやってきた。逃げるうちにまた死の恐怖を味わった康吉は再び精神が狂ってしまう。 やがてついに終戦。 中国の漁船に助けられた健一は中国で暮らしていたが、日本に帰国。しかし彼の見た風景は浮浪児たちがかっぱらいをし、教師だった健一の教え子が売春をしている日本だった。 そして町子と再会。健一と再婚していることを知る。 ラピュタ阿佐ヶ谷の池部良特集で鑑賞。 重たい、限りなく重たい。 監督は山本薩夫と亀井文夫の連名。左翼の傾向映画と言われそうな組み合わせである。 戦争中の描写もきつい。 町子は妊娠中にも関わらず夫は出征、そして戦死。それだけでなく空襲の対策として小さな家も日本人によって取り壊される。金持ちの家の物置に近所の人と居候する。健一との再会で生活に光明が見えたと思ったら周りからは非難される。やっとつかんだ生活も空襲が襲う。そして夫は発狂。 これでもかこれでもかと困難が襲う。 戦後、健一が帰国。 教師だった彼にとっては今の日本はきつい。 途中、上野の地下道で栄養失調で死んだ元兵士の手帳が読まれる。「自分は天皇のために命を捧げる覚悟でした。しかし日本は負けその責任を天皇に追わせようとはとんでもないことです」。そんな純粋な兵士は何故帰国してから死なねばならないのか。 健一は町をさまよううちに昔の上官に再会。 その上官は今は闇屋をやっていて一儲けしている。 上官「お互い戦争中の無駄な苦労は忘れよう」 健一「あなたは苦労してなかったでしょう」 上官は闇屋を手伝わないかと誘ってくる。 「戦争で不幸になった奴は大勢いる。しかし戦争でいい思いをする奴もいるんだ」 結局、健一は町子と康吉がこれからも暮らしていくことを認めていく。 康吉。 精神が犯されていたために敗戦をわかっていない。 やがて発作が起きて無茶苦茶にミシンを操り始める。 もともと縫製の仕事をしていた彼にとってはミシンをさわっている時が平穏だったのだ。しかし今日の彼は違う。 ミシンを無限に動かしていく。この時のミシンの回転音が戦争中の戦車のキャタピラ音のように聞こえてきてひたすら怖い。 正気に返った康吉だが、仕事もなくただ町を歩く。東京裁判も始まった。 再び発狂するかもしれないからまともな仕事にもありつけない。ついに悪い奴らの仕事をしようと思うのだが、健一に止められて諦める。 昭和22年という戦争が終わったばかりの頃の映画。 当時観ていた人は自分や自分の周りの人々を想起させ、観ていてきっとつらかったのではないか? それほどまでにリアルすぎる。 ラスト、健一のモノローグとして「日本は憲法で武力を放棄した。平和を守るためには戦わなければならない」。 もちろん健一のいう戦いとは「平和のために他国と戦争をする」ということではなく、「戦争をさせないために努力が必要」という意味だ。 何かと戦争に向かおうとする安倍晋三が総理をやっている2015年という現在に観るとその訴えは切実に感じる。 観ていて重かった。 さすが山本薩夫&亀井文夫の映画だけのことはある。 坊っちゃん日時 2015年5月24日16:50〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 丸山誠治 製作 昭和28年(1953年) 江戸っ子の俺(池部良)は物理学校を出て数学の教師になることになった。赴任先は四国の松山だ。下女のきよ(浦辺くめ子)が駅の途中まで見送ってくれた。 松山へ着いて山城屋という旅館に泊まったが、部屋が悪い。学校へ行ったら当直の教師しかいない。翌朝茶代に五円渡したら部屋や待遇が格段によくなった。 学校へ行って校長に挨拶。先生たちにあだ名をつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、国語はうらなり、画学は野だいこ、数学の主任は山嵐だ。 当直で泊まった晩、布団にはバッタを入れられるわ、2階で暴れて大騒ぎするわ完全に教師をバカにしている。 生徒を退学させるか自分が教師を辞めるかどちらかどいきまいたが、狸や赤シャツは穏便にすませようと言うだけでなく、バカにされる教師にも責任があると言う始末だ。 やがてうらなり君が九州の延岡に転任すると聞いた。しかし周りに言わせるとうらなり君の許嫁の遠山のお嬢さん、マドンナを赤シャツが横取りしようという話だ。 夏目漱石の「坊っちゃん」の映画化。「坊っちゃん」は大好きな小説だが、あれは映画化向きではないと思う。 「坊っちゃん」の面白さはストーリーの面白さではなく、「無鉄砲な俺」の一人称の文体にあると思う。 主人公が見聞する事件や人々の描写に面白さがあるのだ。 とは言っても赤シャツは野だいこたちを誰が演じるか気になる。 赤シャツは森繁久弥(絶品!)で野だいこは多々良純、山嵐は小沢榮(栄太郎)である。小沢榮は悪役のイメージが強かったので、山嵐とは驚いた。 マドンナは岡田茉莉子。 もっと驚いたのは生徒役で佐藤允、中谷一郎が出演していたことだ。クレジットには出てたかなあ? あと清は浦辺くめ子。これは笑った。 話はほぼ原作と同じだが、ターナー島に行くあたりはない。その代わり赤シャツの家に呼ばれてベートーベンを聴くうちに坊っちゃんは寝てしまう。起きてから「僕は江戸っ子ですから」と言ったら「ああ、いいですねえ。テケテン、ツクテンツクテン」と踊った後で「違う、こうだ」と坊っちゃんも踊り出すところは二枚目の池部良にしては意外な三枚目のシーンであった。 あとはマドンナが鈴虫を坊っちゃんにあげたりして「気性がまっすぐでよい」とちょっと好意を持つあたりが原作にはない描写だ。 夏祭りで生徒の喧嘩を止めようとして警察に留置される。 一晩たって出てくるのだが、原作ではすでに新聞沙汰になっていたが、映画では新聞にはまだ出ていない。 それを赤シャツが新聞記者を焚きつけて山嵐たちの批判記事を書かせようとしたのを生徒(佐藤允)たちによって解ってしまい、坊っちゃんと山嵐が殴り込むという展開。 だから旅館に何日も張り込む描写はなかった。 映画は坊っちゃんが松山を去るところで終わる。 しかし原作の清との再会も描いて欲しかったな。 アンコールワット物語 美しき哀愁日時 2015年5月24日14:50〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 原作・脚本・監督 渡辺邦男 製作 昭和33年(1958年) 元日本軍少尉の河井(池部良)はカンボジアにやってきた。彼は戦争中、日本軍の守備隊長としてカンボジアのアンコールワットにいたのだ。 カンボジアの国王の妹・コラット姫(安西郷子)は家庭教師のアンジェラ(山口淑子)とともに身分を隠して町へ出て買い物をして町の人々から国王などの評判を聞くのを楽しみにしていた。 ある日、町で河井と出会うコラット姫。日本人である彼に話しかける。「カンボジアを案内しますから日本のことをお話ください」と。 「そんなに日本のことをお知りになりたいとは誰か好きな方でもいらっしゃるんですか?」と訪ねる河井。 河井はアンコールワットに行きたいと言い、「それなら飛行機なら40分ほどですわ」と二人でアンコールワットへ。 実は河井はアンコールワットで終戦を迎えたのだ。 その時彼は当時7歳の王族の姫を無事な場所まで届けた思い出があった。河井に抱きついた娘を自分の妹のように思ったのだった。 河井は目の前の娘があの時の姫とは知らない。 池部良特集で鑑賞。 日本で好きな女優の一人が安西郷子です。 ツイッターなどで安西郷子が王女に似合っているという評判を聞いたので時間を作って観に来た次第。 ラピュタのチラシにもあったけど、カンボジア版「ローマの休日」である。 カンボジアというと私の中では「僕たちは世界を変えることができない」のイメージが強いが、この映画は昭和33年作品で、ポルポト政権の前。 第2次世界大戦後の新しい国作りに励むカンボジアの姿が描かれる。 (「僕たちは世界を変えることができない」と2本立てで上映したら面白いだろうに) 主要キャストはすべて日本人。 王女が安西郷子で侍従長が東野英次郎、家庭教師が山口淑子、町の車引きが田崎潤、レストランのショーで歌う歌手が雪村いづみ。 カンボジアロケだが、せりふも全部日本語だし、なんだか日本を舞台にしているようだ。 カンボジアの俳優とか使うのも難しかったろうし、仕方ないと思う。 「僕せか」の頃でもカンボジア人の俳優とかは難しいらしい。というか映画会社とかがないらしい。2010年頃でもそうなのだから、昭和32年では完全に無理だったろう。 河井と一緒にカンボジアに来た日本人がコテコテの関西人で完全な大阪弁。それを田崎潤をはじめ、カンボジア人たちに「今月は標準語使用月間です。あなたも標準語ではなしてください」という笑いのネタがあるが、カンボジア人が標準語を話して奇妙な感じである。 昔の日本軍人にカンボジアの王女が恋心をいだいていたなんて手前味噌な気がしないでもないが、まあそこは映画だ、許そう。渡辺邦男は「明治天皇と日露大戦争」の人だしな。 カンボジアのアンコールワットと安西郷子の美しさを堪能する映画。私にとってはそういう映画だった。 褐色の標的(ターゲット)日時 2015年5月23日18:50〜 場所 光音座1 監督 野上正義 製作 ENKプロモーション 1984年横須賀。 黒人のアルバートはどぶ板横町でバーテンのバイトをしていた。時々店にやってくる黒人好きの女に迫られることはあるが、そんなものに興味はない。所詮彼女たちは体だけが目当てだからだ。 フミオは米兵とホテルに行って相手がシャワーを浴びてる隙に財布から金を抜き取るチンピラだった。 ある日、フミオは別のチンピラに「いい儲け仕事してるっていうじゃないか」と稼いだ金を全部取られ、ボコボコにされた。 けがをしてるフミオを見つけたアルバートはとりあえず自分の家に連れていく。 バーのマスターはフミオのことを聞き、「そいつはヤクの売人もやってるワルだ。早く追い出した方がいい」と忠告するが、アルバートは怪我をしているフミオを追い出せない。 体の調子の戻ったフミオがホモ仲間を呼んで乱交パーティをアルの部屋でしてしまう。帰ってきたアルは「みんな出ていけ!」と追い出す。 アルの夢がピアニストになることだと知ったフミオは黒人好きの女を紹介し、お金をもらうことを計画する。 しかし女とベッドをともにしようとしたアルを見て、フミオは自分の気持ちを抑えきれずに女を追い出してしまう。 フミオはアルを愛し始めていたのだ。 野上正義監督作品。 横須賀を舞台にした国際色豊かな作品だ。外国人好き(いわゆる外専)もいることはいるので、そういったファン向けか。 今までにもタイトルは忘れたが白人米兵との作品や「サンタモニカの白い薔薇」など白人との絡みの作品はあったが、今回は珍しく黒人だ。 話の方だが、フミオはアルのためにとヤクの売人の仕事をする。彼がヤクを売るのはアルが勤めているバーのマスター。「俺は表には出ないからな」とか行ってるけど、ヤクを店で売ってるとは知らなかった。この展開は無理矢理感がしてくる。 そして最初にフミオがボコられたチンピラたちがまたやってきて「シマを荒らすんじゃねえ」とついでにアルも一緒に暴行を加える。 おかげでフミオは眼が見えなくなる。アル自身も手に怪我をした。手術すればフミオは見えるらしいが、金がいる。 何故かバーも首になり仕方なく、ゲイバーに行って「俺を買ってくれ!」と体を売る。 そのゲイバーにいた客とホテルに行くのだが、この時布団に寝たアルの全裸の体がしっかり写される。 これが黒光してなかなか美しい。 客との絡みが終わって、アルの家で寝ているフミオがカットバックしてEND。 何にも物事が解決しておらん。 ただただ前途多難が予想される二人である。 天使が僕に恋をした日時 2015年5月23日17:40〜 場所 光音座1 監督 荒木太郎 製作 OP映画 吾助(今泉浩一)はデリバリーボーイ。今日も山の上に住む元俳優の老人(港雄一)に指名されていた。吾助は小川という男がマネージャーで電話だけで営業している無店舗のボーイだ。 ある日、吾助の前に天使が現れる。 吾助は実は心臓に病気を持っており、そう長くはない体だった。 小川は天使を吾助が拾ってきた男と勘違いして、「なんだか知らないけど、あなたも働きなさい」とボーイにしてしまう。 例の元俳優のところへ二人で行く吾助と天使。人間は働くものだと思った天使は老人のモノをしゃぶり出す。それを見て吾助はたまらなくなり、彼を老人から引き離す。 吾助は「僕にとっては大切な人なんです」と老人に謝るのだった。 荒木太郎監督作品。 主演の今泉浩一って「僕は恋に夢中」の脚本を書いた人ですね。(後に「初恋」というタイトルで監督作品としてリメイク) 天使との恋ねえ。そういうファンタジックなのは難しいと思います。限りなく天使っぽいイメージでなければならなと思いますが、それはなかなか難しい。 今回もイケメンはイケメンですが、天使というほどではないと思う。もうちょっと幼さが欲しい。何しろ羽根の生えた赤ん坊のイメージも強いので。 話の方は吾助は自分の部屋に天使を連れていき、結ばれる。それを見て嫉妬した小川は(実は小川は吾助が好き)吾助が病院に行っている間に天使にボーイとして働かせる。 吾助は天使がボーイとして働いている姿を見てショックを受ける。天使もまた吾助から離れてしまう。 しかし吾助と天使は天使が光音座から出てきたところで再会。 二人は再び結ばれ、小川もあきらめる。 二人で元俳優が誕生日だというので指名を受けて二人で向かうが、その途中吾助は死ぬ。 数十年後、天使は(よう解らんけど)人間になって吾助のことを想い続ける、というラスト。 本作の見所はロケ地。 横浜が舞台なので、みなとみらいとか光音座など映画を観ていた映画館の近くでロケされている。 天上の天使たちが見た地上のイメージ(??)として新文芸座のロビーまで登場。ここはちょっと見では解りづらい。違うかと思ったがポスターに「協力 新文芸座」と書いてあったから間違いあるまい。 やっぱりファンタジックなのは難しいですね、ゲイピンクでは。 ゆずり葉の頃日時 2015年5月23日11:00〜 場所 岩波ホール 監督 中みね子(岡本みね子) 商社で働き、今は海外勤務の小河進(風間トオル)は会社の命令で1週間帰国した。一人で暮らす母・市子(八千草薫)を訪ねてみたが旅行中。近所の人の話だと軽井沢に絵の展覧会に行ったらしい。 母の家に入ってみると世界的な画家でパリで活躍している宮謙一郎(仲代達矢)の展覧会のようだ。 とりあえず軽井沢に行った進だが、市子には会えず終い。 市子は「原風景」という絵が見たかったのだが、それは展示されていなかった。スタッフの話だと期間中に展示が変わる予定があるので、展示されるかも知れないということだった。 近所の喫茶店のマスター(岸部一徳)に真楽寺の行き方を訪ねる市子。実は戦争中に市子はこの軽井沢に疎開していて、その真楽寺の息子が初恋の相手だったのだ。 その息子が宮謙一郎だったのだ。 一旦東京に返った進だったが、「母も心配だし今まで分かれて暮らしてきたが、母とお前と3人で暮らそうか」と妻・陽子(岡本真実)と話すのだった。 監督の中みね子氏は故・岡本喜八監督の妻で喜八プロのプロデューサーの岡本みね子さん。今回は学生時代の脚本家を目指していた頃の名前に戻しての初監督作品だ。 観てる最中に思ったのは「上品だなあ」という一言。 日本の映画監督なんて貧乏でお金に苦労しているイメージがあるし、「映画製作のために金策で苦労した」という話を聞いていたが、なんだかんだ言っても大東宝の人気監督である。 映画製作のための1億円には苦労したろうが、生活費に困るという訳ではなかったのかも知れない。 喜八監督の映画は一流だし、周りには一流の映画人だけでなく、各界一流の人々との交流があったわけだ。 自然と一流の品々に触れる機会もあり、一流の眼を持っているのだろうなあと思えてくる。 登場人物が全員いい人なのだなあ。 展覧会のスタッフは見知らぬばあさん(市子のこと)にも親切に対応し、コーヒーショップのマスターは道案内だけでなく、お店を紹介したり宿を紹介したりとやたら善意である。 そういった善意に何か裏があると思ったり、「こんな親切な人いないよなあ」と思ってしまう私はダメ人間である。三流である。一流ではない。 結局宮謙一郎とも交流のあるコーヒーショップのマスターの紹介で、宮謙一郎との再会もかなう。 例の市子が見たかった「原風景」の絵は宮謙一郎が持っていたのだ。 しかし今は謙一郎は眼が弱ってしまって見えない。 市子のことも解らない。 しかし子供の頃に聞いたオルゴールの音で二人で踊り、そして「今私の指が絵筆だ。あなたの髪や顔を触らせて欲しい」と言われて「どうぞ」と許す。 それはひどくエロチックな行為だと思った。 ラスト、再び真楽寺に行った市子は息子と再会。 進は母と暮らすために転職を考えていることを話すと「私のためにそんなことをする必要はありません」とピシャリ。 タイトルの「ゆずり葉」についてここで明かされる。 それはまだ青いうちに新しい葉が出てくると自ら落ちていく葉っぱを持つ木だという。 人生の最後をそのように終えたいという思いの現れなのだろう。 しかし今の私にはまだその域には達していない。 だから頭では解ってもまだまだ実感は出来ないなあ。 それにしても中みね子さんは本当に上品なお方だ。 映画を観てるとそれがひしひしと感じられた。 原子力潜水艦浮上せず日時 2015年5月18日 場所 DVD 監督 デヴィッド・グリーン 製作 1978年(昭和53年) アメリカの原子力潜水艦ネプチューンは大西洋での航海を終え、東海岸に帰港しようとしていた。ブランチャート艦長(チャールトン・ヘストン)にとってはこれが最後の航海だった。 浮上して航海中、レーダーの故障した貨物船と衝突した。濃霧のため気づくのが遅すぎたのだ。 沈没し海底の大陸棚の斜面に何とか引っかかった。しかし現在でも限界深度を超え、その上機関室は衝突のため破壊され、そこからの浸水のため余談は許さない。 直ちに米海軍は西海岸より潜水艦事故の救助用特別潜水艦DSAVを手配する。 しかし海底斜面の地崩れによりネプチューンの救助用ハッチが土で埋まってしまった。 これを除去するには実験段階の試作品の小型潜水艦スナークを使うしかない。スナークの開発者・ゲイツ大佐(ディッド・キャラダイン)とその助手ミッキー(ネッド・ビーティー)は直ちに出動した! この映画は封切りの時にも観て、今回観るのは37年ぶり。 初見の時も面白くなった覚えがあるのだが、この映画は映画雑誌(「ロードショー」だったか)のラインアップに乗った段階から気になっていて期待して見に行ったのだ。 それで期待はずれだったのが、どの辺が面白くなかったかを確認するためにDVDを買ってみた。 ラインアップ時点での最初のタイトルは原題のまま「グレイ・レディ・ダウン」。原潜のことは「グレイ・レディ」という隠語があるらしい。こっちの方がかっこいいタイトルだと思うのだが、結局公開時のタイトルは「原子力潜水艦浮上せず」。なんか返って安っぽい。 スナークが到着してゲイツはミッキーと潜ろうとするが、現場の指揮官ベネットは自分の部下をつける。案の定、時間を無駄にしただけの結果に終わる。 そしてネプチューンの無線は壊れ、外部との連絡不能、副長は「浮上航行を命じたあんたのせいだ!」と逆ギレ。 人間関係の難しさは現実にはあるかも知れないが、ここではやっぱり不要じゃないかなあ。 その後、土を取り除いたがまた地滑りでネプチューンは横転、それを立て直すためにバラストの排水を実行、しかし岩にぶつかって完全ではない、その岩を爆破するためにスナークが爆薬をセット、成功しDSRVは救助を開始したものの、艦そのものが大陸棚から落ちそうになってしまう、とどんどん事件は起こるのにもう一つ盛り上がらない。 (まあ最後の大陸棚から落ちそうになるところではハラハラしたが) 面白くない原因の一つは艦長が大した活躍をしないせいではないだろうか。 不安がる乗組員に「大丈夫さ、きっと助かる」しか言わない。 なんかもう情けない上司みたいである。 艦長自らが指揮をとってあれこれ作戦をたてて動かなければ話が盛り上がらないんじゃないのか? 魚雷発射管から何かを放出するとかさ、なんかもっと動いてよ。艦長は艦を立て直すために排水することを思いつくだけじゃん。 ここで死ぬのはさっき艦長に逆らった副長と衝突時に艦橋にいた当直士官。彼らは責任を感じて自ら進んで犠牲になったが、やっぱりラストには艦長が自己犠牲精神を発揮して部下を救わねばならなかったんじゃないかなあ、「東京湾炎上」の丹波哲郎船長みたいに。 話は面白くなりそうな要素は詰まっているのに、もう一つ盛り上がらない。それこそ演出力というものか。 しかし70年代のウォルター・ミリッシュ(製作)ってB級以上A級未満の映画が多い気がする。 「ミッドウエイ」もそうだったけど。 あとベネット大佐の副官役で後のスーパーマン役で有名になるクリストファー・リーヴが出演。 それと原子力潜水艦の沈没で最初の方で海軍長官が「原子炉は大丈夫なのか?」と心配するが「大丈夫です。原子炉は完全に覆ってあります」の一言でおしまい。 スリーマイル島の事故はこの次の年の1979年に発生。 まだノンキなものでした。 震える舌日時 2015年5月17日 場所 Bru-ray 監督 野村芳太郎 製作 昭和60年(1980年) 三好昭(渡瀬恒彦)は妻の邦江(十朱幸代)とまだ幼い娘の昌子(若命真裕子)の3人で団地暮らし。 ここ数日、昌子の様子が変だ。病院に行っても「風邪でしょう」と適当に言われるし、昌子も診察をいやがってしまう。 ある晩、昌子がひきつけを起こし救急車で病院へ。しかし医者は「よく分かりません。明日大きな病院へ行ってください」とつれない。 知人山岸(蟹江敬三)の紹介で大学病院へ。小児科の教授(宇野重吉)に診察してもらったところ破傷風と診断された。しかしこの病気は実はよく分かっていなくて死亡率も高い。担当医能勢(中野良子)の指示の下、入院。 大きな音や光が刺激となって発作を起こすので、病室には暗幕を張った。 果たして昌子ちゃんの運命は? 70年代後半〜80年代前半、「八つ墓村」以降の数年間は毎年秋には野村芳太郎作品が公開され、見応えのある作品が多く毎年期待していた。 その80年公開作品がこの「震える舌」。 この映画は封切りの時に観て以来、今回35年ぶりに鑑賞。 音や光に反応して子供が「ギャー」と体をエビぞりにしてけいれんを起こす姿は本当に怖かった。 ストーリーの細かいところは忘れていたが、その姿の恐怖だけはよく記憶していて、一種のトラウマ映画だった。 特に他の病室の食器を下げていき、それが台車から徐々に落ちそうになっていくところがホントにドキドキしたのを覚えている。もうヒッチコック並にハラハラしたのだ。 そのシーンを今回楽しみにしていたのだが、記憶していたよりあっさりしていた。もっと食器が落ちそうな様がジリジリしていたように思ったのだがなあ。 先ほどストーリーの細かい点は覚えていないと書いたけど、その筈で大した話はないのだ。 入院してから「音や光の刺激がある」→「ギャーと子供が痙攣を起こす」→「先生を呼びにいく」の繰り返しなのだ。 スローモーションを使ったり、階段を降りていくカットを増やしたりと手を変えてはいるが、基本、上記の繰り返しなのである。 でも不思議と飽きずに観続けちゃうのだ。 それは何といっても芥川也寸志の不気味な音楽が流れ、J.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲」(ジャケットの解説に記載)が静かに流れる。 これがなかなか恐怖ムードを盛り上げてくれるのだ。 そして子供のギャーという叫びに加えて治療中の子供の苦しそうなうめき声も重なった日には、そりゃあもう痛々しくて観てられません。 ジャケットの解説文にも「闘病記を当時ブームだったホラー映画テイストで纏め上げた」とあり、野村監督もホラー映画にしようとしていたようである。 確かに少女がおかしくなってエビぞりになって「ギャー」と叫べばもう「エクソシスト」ですよ。 やがては親の方がノイローゼでおかしくなっていく。 クライマックス的に「この手術に成否がかかってます」とか「この薬が利くかがヤマ」みたいなものはなく、「もう大丈夫ですね」と突然直り始める。 結局は菌と少女の戦いなのだから、映画的なクライマックスはないのだろう。 日本にも難病ものの映画は数あれど、ホラー映画テイストの難病ものはこれ1本ではないか? 唯一無二の珍しい作品。 面白かった。何度も観たい映画ではないけど。 龍三と七人の子分たち日時 2015年5月16日16:20〜 場所 新宿ピカデリー・シアター 監督 北野武 かつてはその世界では名前を知られた龍三(藤竜也)だったが、今じゃ息子夫婦に世話になる身。自慢の入れ墨も「世間体もあるから見せないでくれ」と言われる始末。 昔仲間のマサ(近藤正臣)に会おうと約束したとき、オレオレ詐欺の電話がかかってくる。 息子が会社の金500万を紛失して立て替えてほしいという詐欺に引っかかりそうになったが、金を取りにきた若い奴が相手がヤクザのじじいと知って逃げ出す。 マサと一緒に昔のヤクザ仲間と連絡をとって再会する。 近頃京浜連合とかいう暴走族上がりが老人相手の詐欺をしまくっている。それと度々はち合わせする龍三たち。 ついに仲間の「はばかりのモキチ(中尾彬)」の孫娘に手をかけようとしてモキチは単身京浜連合に乗り込むがあえなく殺される。 怒り心頭の龍三たちはついに京浜連合に殴り込む! この映画を観た友人のYさんが「昔のたけしの漫才の小ネタを集めたような映画だった」と言ってたけど、まさにその通り。 藤竜也を始め好きな役者も多いので楽しみにしていたが、ちょっとがっかり。 「仲間がオレオレ詐欺にあったのでその仕返しに現代ヤクザに殴り込む」という話だと思っていたが、ちょっと違う。 最初にオレオレ詐欺に引っかかるのは主人公の龍三である。これ正直みっともない。 映画の主人公が詐欺にひっかかっちゃみっともないだろう。 詐欺にあうのは知り合いの近所のばあちゃんとか、仲のよい人のほうがよかったのでは? それで怒り心頭になった龍三が昔仲間を集めて「京浜連合壊滅大作戦」を実行する、となって欲しかった。 そうすると仲間集めから武器集め、敵の同行を下調べして計画実行!とプロジェクト作戦ものとして面白くなったと思うのだがなあ。 ところが映画はなにやら小コントみたいなのが連続して出てくるだけ。 しかも面白くないこともある。 最大の笑えなかったのは、最後に京浜連合に殴り込みの時に小野寺昭のヤクザが特攻隊にあこがれていて、セスナを盗んで京浜連合のビルに突っ込む予定だったのだが、それが「ちょっと海が見たい」と言って神奈川に行き、横須賀の米空母に着艦してしまうという展開。 全く笑えない。単なるバカである。 最後にベンツで逃げ出した京浜連合のメンバーをバスを乗っ取って追いかけるのだが、「追いかけろ!」「行け行け」などの台詞の多くが走るバスにOFFで入るだけのシーンが多い。 何でだろう? せっかくだから役者撮らなきゃなあ。 小ネタの連続で映画としてのまとまりは悪かったように思う。 出演ではあとは品川徹がいい。 ヤクザの数も8人もいらなかったかも。 かえって印象が散漫になった気がする。 映画 ビリギャル日時 2015年5月16日13:20〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン8 監督 土井裕泰 工藤さやか(有森架純)は両親と弟と妹の五人家族。父親は野球好きで弟をプロ野球選手にしようと子供の頃から少年野球チームに入れてその応援ばかり。娘であるさやかや妹には全くかまってくれない。 小学校でも友達が出来ずにいたが、私立中学に入って友達は出来た。しかし高校大学とエスカレーター式の学校のため、勉強を全くしなくなり学年ビリになってしまった。 タバコを吸った件で無期停学になったが、学校にも見放された娘を何とかしようと母親は子別指導の塾に通わせることにした。 塾の坪田先生(伊藤淳史)はものすごく前向きな人。 学力判定テストで0点のさやかに「間違っていても全部解答欄は埋めてある。その前向きさがいい」と誉める。 「どこの大学を受験しよう?いっそ慶應大学とか?」何となくその気になったさやか。算数は小学校レベルからやり直し、英語も中学1年からやり直し。 しかし彼女は徐々に実力を上げていく。 塾内のテストでは点数を上げるさやか。 しかし模擬テストでは慶應合格の可能性は「E」判定。 一時はやる気を無くすさやかだったが。 原作は「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」というタイトル。映画になって「ビリギャル」のタイトルになった。もちろん実話である。 観客の多くは中高生の主人公と同世代の方々だったが、「いや〜泣いちゃった」「学校でみんなに観せるべきだよ」「めっちゃやる気でたよね〜」と語っていたから、映画としては大成功だろう。 まさにそういう映画である。 「ミッションもの」「プロジェクトもの」というジャンルがあるが、これも実はその1本。 「慶應合格」という大目標に向かって、数々の困難に打ち勝っていく。 担任から笑われて無理だと言われる、やめて欲しいと塾講師に談判にいく担任、友達とも遊ぶ約束をしてしまっている、父親は弟のことしか関心がない、そして模試でE判定。 数々の困難を乗り越えて受験当日は大雪、そして肝心の慶應文学部ではお腹の調子が悪くなる。 原作のタイトルは知っているから最後には合格するハッピーエンドは分かっている。 でも見入ってしまう。 この映画では「努力すれば必ずかなう」などと単純には結論づけない。 弟は野球で高校に入ったものの、周りは自分よりもっとうまくて挫折してしまう。 努力すれば必ずかなう訳ではないという厳しい現実。 でも主人公は努力をあきらめない。 素直に感動する。 塾仲間の森玲司(野村周平)は名古屋大学を受験するが落ちる。 再び、「努力すればかなうわけではない」 さやかに恋心を抱いてた森だが、受験が終わった最後ぐらいは告白っぽいことをしてもよかったかな? THE NEXT GENERATION パトレイバー首都決戦日時 2015年5月15日21:10〜 場所 新宿ピカデリー・シアター3 監督 押井守 レイバーというロボットが活躍する時代にそれを使った犯罪に対抗するために作られた警視庁特車2課パトレイバー中隊だったが、今や存続の危機が訪れていた。 そんな時、かつてクーデター計画をして逮捕された自衛隊員柘植のシンパが最新ヘリ・通称グレイゴーストを強奪した。 彼らはまずはレインボーブリッジを破壊。 警視庁からの命令はないが、特車2課の後藤田隊長(筧利夫)以下の面々は彼らの補給基地を急襲。しかしグレイゴーストやその主要メンバーは取り逃がした。 やがてグレイゴーストらによる東京襲撃が開始された。 都庁や六本木ヒルズは攻撃される。グレイゴーストは熱光学迷彩により、目には見えない。レーダーでは何とか補足出来るが、攻撃により市街地に落下した場合の被害も甚大になる恐れがある。 パトレイバー中隊はついにパトレイバーを起動させる! 押井守の「機動警察パトレイバー」は名前だけは知っていたが観たことない。そしてそれが最近実写化されたとは知っていたが観たことない。 でも予告編で「自衛隊ヘリが強奪され、それによって東京が襲われる!」という話が面白そうだったので観てみた。 アニメや実写のシリーズを全く知らずしてこの映画を観るのは果たして人物設定などについていけるか心配だったが、細かいことは分からなくても気にしないことにした。 実際、特車2課が何故疎まれているのかとか、前任の後藤隊長ってどういう人なの?とかよく分からない。 正義がどうとか言ってるけどそれも考えない。 でもそこそこ楽しめたというのが本音です。 CGも特に見劣りはしないので(ここが一番のキモですから)、大丈夫。 しかしクーデター軍と日本政府との駆け引きとかそういうのが全くない。 あと特車2課の面々がいきなりロシア語をはなす女子がいたり(あとでパンフを読んだらロシア警察の研修生だとか)、軍事オタクがいたり、やたらキャラが立ってるのがアニメ的な印象を受けた。 でも元がアニメなんだからなあ。 肝心のパトレイバーが起動するのがラストだけ。 しかも3分しか動けないなんてウルトラマンかよ! さらに1台はあっと言う間に海に落とされて戦線離脱。 こちらとしては「ゴジラ×メカゴジラ」の機龍みたいな活躍を期待したが、ちょっと活躍が少なくて残念。 でも総じて楽しめましたよ。90分と短いのがよかったし。 しかし柘植によるクーデター計画を描いたエピソードがあるそうだが、それがどれに当たるのかパンフレットを読んだけど分からない。(まだ詳しくは読んでませんが) それはアニメなのか実写なのか、 何というエピソードなのかせめてパンフレットには詳しく書いて欲しかったな。 天国と地獄日時 2015年5月11日 場所 クライテリオン版Bru-ray 監督 黒澤明 製作 昭和38年(1963年) ナショナル・シューズの常務・権藤金吾(三船敏郎)は自身の仕事人生を賭けた勝負に出ようとしていた。 自社株を買い集め社長や重役たちを株主総会で追い出すつもりだった。そして最後の株を買おうとしたその夜、自分の子供(江木俊夫)を誘拐したという電話があった。 しかし誘拐されたのは自分の子供ではなく、運転手・青木(佐田豊)の子供だった。 「子供を間違えたと判ったら脅迫にはならん。すぐに返すさ」権藤はそう考えた。しかし犯人はそうは考えない。 「子供は間違えた。しかし身代金はお前が出すんだ」 警察は戸倉警部(仲代達矢)以下の刑事を権藤邸に向かわせ、犯人からの連絡を待つ。 権藤は金を払うのか?払ったら自分の身の破滅だ。 一度は金を払わない決意をした権藤だったが、部下の河西(三橋達也)の裏切りにより、金を払うことにする。 「金は7cm以下の鞄に詰め明日の特急こだまに乗れ」 犯人はそう指示する。果たしてどうやって身代金を受け渡すのか? 5月2日にシネマノヴェチェントで「ゴジラ」(84)の上映があり、ゲストとしてお見えになった美術の桜木晶さんが黒澤作品を多く手がけてると知り、少しだけお話も伺った。 この「天国と地獄」も助手時代に関わっており、この権藤邸のセットはスタジオ内とオープンと二つ作ったそうだ。 別の機会に詳しく伺いたいものだ。 その話を聞いて無性に観たくなり、クライテリオン版で鑑賞。 この映画を観るのはたぶん学生時代以来ではないか? 初めて観たのは1977年10月のリバイバル時。 当時横溝正史に始まる角川ブーム、ミステリーブームで「八つ墓村」「人間の証明」などの大型ミステリーが同時期に公開され、東宝はこの「天国と地獄」のリバイバルでリスクを避けた。 こちらとしては映画の観始めで、黒澤映画を劇場で観ることが出来ありがたかった。 また鑑賞後、リアルサウンドトラック盤と称する映画の音声のみを再編集したアルバムを何度も聞いていたので、映画の中身はすっかり頭に入っていった。 だから今回観ていても数十年ぶりの鑑賞にも関わらず、覚えていないカットがなかった。 じゃあ感想も同じかというとそうではない。 加齢による感想の変化も起こる。 権藤は年齢はおそらく40代後半。たぶん今の私より年下だ。 子供の頃は「俺も努力して金持ちになれる」などと思っていたけど、この歳になると金持ちになる夢はない。 権藤は大きな家に住み、運転手付きの車に乗る身分。 「見習い工からがんばって今の地位を築いた」というが、格差社会となった今では夢物語のような出世話だ。 戦後の復興とかの波に乗れたこともあったのだろう。 私との接点もなく、権藤の苦悩はどうにも他人事である。 邪推だが権藤自身が黒澤なのではないか? 彼は自分の商売哲学に従って靴を作ろうとする。 「いい靴を作っていれば長い目でみれば利益は出る」 しかしそれを会社の幹部からは「夢物語」と笑われ、「とにかくコストの安い商品を!」と提案される。 これは東宝VS黒澤ではないのか? 黒澤も次の「赤ひげ」を作った後に東宝で作れなくなる。 テレビの普及で映画が一時の勢いがなくなったこの頃、「いい映画を作ればお客さんは来てくれるはずだ。しかし会社は製作費の安いくだらない映画ばかり作ろうとする」という攻防を行っていたのかも知れない。 犯人の竹内銀次郎(山崎努)。 これが自身の言葉によるとひどい貧乏だったというが、教育格差も広がっている今から観ると「なんで貧乏だったのに医学部に入れるんだ?」という疑問が沸く。 昔は篤志家もいて頭が良ければ医者になれたのかも知れない。立身出世の見本である。 彼だって「大学教授になる!」とかの財前五郎並の野望を抱かなければ、そこそこの収入と地位と尊敬は得られたのではないか? 私との接点なし。 警察の戸倉警部。 まだ30代でこの事件の指揮をとる。年上の巡査部長に指示していく。この年上の巡査部長通称ボースン(石山健二郎)も特に嫌ってる節はない。戸倉は時々冗談など言って刑事も笑っているから、実際に仕事も出来て仲間の尊敬も得ているのだろう。 「今の法律では懲役15年にしかならん!共犯の殺人を再現させて殺人罪も適用してやる!これで死刑だ!」と行動するのは正直、越権行為だと思う。(これは当時から指摘があったらしい) 映画の後半で竹内がシャブ中の女をクスリの純度を確認するために殺すのだが、明らかにこれは警察の失態だ。 でも「シャブ中一人が死んだって何かまずいの?」といわんばかりに全く気にしてないようだ。 近頃は後輩から軽んじられる今の私との接点はまるで感じない。 つまり主要人物の誰一人として共感出来ない。言い方を変えれば好きになれない。 エリート3人ががちゃがちゃと騒いでいるだけである。 さらに私が気に入らないのは「俺のいうとおりにしてれば間違いない」というタイプの権藤(黒澤)を「ものすごい人だな、あの人は」(戸倉警部の台詞)と自画自賛している。 正直、私の気持ちはますます離れてしまう。 「椿三十郎」では「若者は年長者が教育してやらねばならない存在と黒澤が考えているようでお説教臭い」という批判があったようだが、この映画になると「黒澤も天皇になって『俺の言うとおりにしてれば間違いない』『俺が法律』という『俺様』になってしまったのかなあ」と今の私は思う。 強いていえばこの映画で好きなのは木村功の若手刑事である。こだま号の中で思わず疲れからこっくりしてしまったり、「母の日かな、今日は」などと空気を読めない冗談をいう間抜けぶりは愛すべき存在だなと思う。 後半、黄金町や伊勢佐木町が登場するが、すべてセットでどうも現実感がない。ここもなんだかシラケるばかり。 そして「天国と地獄」などという大げさなタイトル。 「そこまで大きくでなくても・・・」と思ってしまう。 だからこの映画は面白いことは面白いのだが、「七人の侍」ほど好きにはなれない。 思えば「七人の侍」は誰一人いわゆる今で言う「勝ち組」がいないのだ。侍しかり、野武士しかり、百姓しかり。 だから私は好きなのである。 いろいろ文句は書いたけどこの映画が嫌いかと言われるとそうではない。 前半の権藤邸での濃密なドラマ。 役者たちの名演もあって実に1時間魅せきるのである。 そして特急こだまを使っての身代金の受け渡し。 もうここは映画史に残る名シーンだ。 また伊勢佐木町のシーンで権藤にタバコの火を借りる竹内。こんなシーンなかなか思いつかないよ。 要するに私にとっては演出テクニックの素晴らしさを堪能してるだけで、登場人物たちには全く共感を感じない。 だから学生時代に観て以来、この映画は全く観ていなかったのかも知れない。 「天国と地獄」という映画に対して、何か「違和感」を直感的に感じていたのだろうか? 「すごい映画だなあ。この映画は黒澤でなきゃ出来ないだろうなあ」とは思う。 しかしそれだけの事で琴線に触れる部分はないのである。 不思議な映画である。 セシウムと少女日時 2015年5月6日12:30〜 場所 ユジク阿佐ヶ谷 監督 才谷遼 みみは子供の頃から記憶力はいいが正義感は強く周りからはちょっと浮いた少女。 入院中の大好きなおばあちゃんの飼っている九官鳥のハクシが逃げ出した。 偶然出会った神様たちにハクシを探してもらうよう頼む。 ハクシの名前の由来はおばあちゃんが若かった頃に大好きだった北原白秋から来ていた。その頃のおばあちゃんに会いに神様の力を借りて昭和17年の阿佐ヶ谷に行く。 そこはおばあちゃんが住んでいた場所で白秋も住んでいた土地だ。 映画館ラピュタ阿佐ヶ谷の館主・才谷遼氏の初監督作品。 「セシウムと少女」というタイトルだから、「反原発映画なんだろうなあ」という気持ちで鑑賞。 冒頭、みみちゃんが東京湾にカヌーのような小さなボートで浮かんでいて傘を挿す。 そして「彼女がどうしてここまで来たか」という展開になる。 もう岡本喜八の「肉弾」である。 才谷監督は喜八監督とも縁があったと聞いている。また劇場の通路には「肉弾」のポスターが張ってあった。 まあオマージュなのだろう。 で彼女が生まれてから今までがテンポよく語られていく。 とここまではいいのだが、この後、神様と出会ってからがよくわからない。 神様と言っても浮浪者風だったりのじいさん川津祐介はまともな感じだが、とにかくどこにでもいそうな感じ。 それでおばあさんの時代の昭和17年に行って当時の阿佐ヶ谷で北原白秋が登場する。 また神様とみみが居酒屋で飲んでいると店名がテロップで出る。 おいおいテレビのお店紹介番組じゃないんだから。 そして九官鳥も見つかって、今度はセシウムの東京分布図が出て玉川上水の水系の話になって東京に原発事故でセシウムが出た話になる。 その前に前半で原発事故について神様たちが「安倍首相は東京オリンピックの誘致で汚染水は完全にブロックされていると嘘をついた。ヨーロッパでは原発をやめたのに日本ではまた再稼働、さらに原発を海外に輸出しようとしている。なんかおかしい」と全部せりふでしゃべっている。 アニメーションと実写を組み合わせた映像はファンタジックでいいのだが、正直お話の方は整理がついていないように思えた。 アニメーションの方はラピュタと同時にアニメーションの学校を経営してるだけあって、なかなかの出来だと思う。 少なくとも見劣りするようなものではない。 でも映画全体としてはおばあちゃんの青春物語とセシウムと東京の反原発部分とうまくまとまってない気がした。 やっぱり映画って詳しいだけでは撮れないのだなあ、と映画作りの難しさを感じた次第。 インターネサイン・プロジェクト 恐るべき相互殺人日時 2015年5月5日13:00〜 場所 シネマ・ノヴェチェント 監督 ケン・ヒューズ 製作 1974年(昭和49年) イギリスで経済学者として活躍中のエリオット教授(ジェームズ・コバーン)は今度米大統領の諮問機関のメンバーになることが決まった。 自分を推薦してくれた人から出された条件はエリオットの情報網の秘密を知ってる人間を殺すことだった。該当する人間は4人。外務省の役人・アレックス、秘密兵器の研究員・デビット、VIPも通うサウナでマッサージ師をしているバート、高級コールガールのクリスティーナだった。 エリオットはデビットに研究中の音波殺人兵器を持ち出すように命令。なにも知らないデビットは素直に持ち出した。 エリオットはアレックスにバートを殺すように命令、デビットにアレックスの持病の糖尿病のインシュリンをすり替えるよう命令、クリスティーナにデビットの部屋に音波兵器を仕掛けるよう命令、そしてバートにクリスティーナを殺すよう命令した。 かくしてこの相互殺人計画は実行された。果たして成功するか? 70年代の日本劇場未公開の傑作映画をフィルム上映するシネマ・ノヴェチェントの配給第2弾作品。 正直、第一弾の「ファイナル・オプション」より面白かった。 完璧な殺人計画を立てるのだが、アクシデントや予想もつかないことが起きてハラハラする、というこの手の作品の王道の映画。 エリオットは各殺人者に「家を出る時に電話を3コールしろ、現場に着いたらまた3コールしろ、仕事が終わったらまた3コールしろ」と指示を出す。 今なら「メールしろ」になると思うが、電話に出ないでそれぞれメンバーでコール数を変えて人物の区別をするのが時代を感じさせる。 エリオットには女性テレビキャスターの恋人がいる。この女が実行中にエリオットに「逢いたい」と電話してきて、「今仕事中だから明日の朝にしてくれ」と行っても無理矢理やってくる。 そこへ電話が鳴って、とハラハラさせる。 長々といるかと思ったらあっさり帰ったけど。 そして一番気弱な外務省の役人アレックスが「やっぱり出来ない」と言い出す。 電話でなんとか「自分の身が破滅してもいいのか!」と脅して説得。なんとか実行させる。 ところが電話がこない。 あせるエリオット! で、アレックスの家に行ってみるとアレックスは持病の糖尿病で苦しんでいる。例の有害な分量のインシュリンは打った後なので、エリオットはしめしめと帰っていく。 すべてはうまく行った。 翌日送られてきた謎の小包。 開けてみると手帳が一冊。アメリカへ向かうために空港に向かっている車の中で読んでみたのだが・・・・ という展開。 地味な映画だが、89分十分面白かった。 もちろん2本立ての添え物で、観終わった後「メインの映画よりこっちの方が面白かったね」というレベルの面白さだけど。 LA PRIMA VOLTA SULL'ERBA(楡の木陰の愛)日時 2015年5月4日 場所 イタリア版DVD 監督 ジャン・ルイジ・カルデローネ 製作 1974年(日本公開1976年) 4月18日に「小さな恋いのメロディ」を観てマーク・レスターを思い出し、「楡の木の木陰の愛」を自分のサイトで感想を読んだら「ぼかしがあった」と書いてある。 さらにドイツアマゾンで「七人の侍」DVDを注文したということが続き、それならばとこの「楡の木陰の愛」の製作国イタリアアマゾンに原題で検索したらあった。 送料込みで18.5ユーロ。(日本円で約2400円) ちょっと迷ったが、マーク・レスターのぼかしなしに興味があったので注文。 約2週間で届いた。 同じリージョン2なので難なく再生可能。昔はPALでだめだったけど、あれはブラウン管テレビの解像度に関係する話らしいので、今のデジタルテレビでは関係ないらしい。 日本語字幕、英語字幕もなくイタリア語字幕だけなので話はさっぱり解らんし覚えてもいない。 MOVIEWALKERデータベース(キネ旬データベース)で調べても略されすぎていてよくわからん。 第一そのサイトには出てこないメンヘラっぽい女の子が登場する。ラストシーンはこの女の子が列車から飛び降り自殺をして終わる。 さっぱり解らん。VHSを買って調べて観るしかないか。 (原題を直訳すると「芝生の上で初めて」らしい。初体験のシーンは芝生じゃないけどな) 先日シルビア・クリステルの「卒業試験」をDVDで再見したのだが、あれも避暑に田舎町に来た父と子の子供の方の初体験物語だった。 田舎の美しい風景とか湖でのボートとか共通点も多い。 どちらかがどちらかに影響を与えたような接点は感じないから、やっぱり定番の物語として存在してしまうのだろう。 19世紀後半か20世紀前半のファッションがかっこいい。マーク・レスターのスーツ姿などほれぼれする。 で肝心のボカシはどうだったかって? ボカシはなかったです。無修正版。 約52分目例の滝の前のシーン(名シーン)ではマーク・レスターのアンダーヘアが少し見えるだけ。 このシーンの後半で二人が全裸で重なっているところで雨が降り出し、マーク・レスターが立ち上がるカットがあるが、ロングショットだし、一瞬なのでよくわからない。 まあ今なら最初から無修正のレベルだろう。 あとは1時間17分目ぐらいでマーク・レスターと彼女がホテルの部屋で全裸で絡むシーンあり。 マークレスターもこんなエロVシネみたいな映画に出て格が下がったなあとも思ったが、そもそもそれほどの人ではなかったのかも知れない。 「小さな恋のメロディ」も本国より日本の方が人気があったと聞くしさ。 日本語字幕の入った国内版無修正DVDの発売を望む。 特典映像でプロデューサーのエンツォ・ドリア氏のインタビュー収録。イタリア語のみで字幕なしだから話の内容は解らないが、先日観たZ級映画「アダムとイブVS食人族」の監督もしていた人だった。(映像が一部紹介されたので解った) すごい偶然だ。 イタリアもフェリーニやデ・シーカもいれば、こういうエロ映画を撮る人もいるんだなあ。 七人の侍(短縮版)日時 2015年5月4日 場所 ドイツ版DVD 監督 黒澤明 製作 昭和29年(1954年) 「七人の侍」は3時間27分の大作だがベネチア映画祭出品用に上映時間の規定にあわせるために黒澤自身が2時間40分に短縮させたバージョンがあるのは聞いていた。 それがあるきっかけでドイツ版DVDに特典映像として収録されていると知り、早速ドイツアマゾンに注文して取り寄せた次第。 1975年のオリジナル版再上映まで約20年この短縮版しか上映されない時代があったそうだ。 しかし今上映もソフトもオリジナル版のみであり、そうなると「黒澤自身に優先順位をつけたか」が知りたくなる。 以下、観ていて解ったカットされた箇所を書いておきます。 1、冒頭の百姓たちの話し合いのシーン。 「代官所に訴えるだ」「無駄だ無駄だ」のくだり。 2、山形勲の侍が勘兵衛の誘いを断るシーンで「拙者の望みは」でカットが変わる。 3、五郎兵衛の参加のカットで「お主の人柄についてまいるのでな」でワイプ処理。すぐに七郎次を連れてくるカットに変わる。 4、朝起きたら与平が「米盗まれた」と嘆くあたりもカット。 平八が勘兵衛に「巻き割り流を使います」のあたりがカット。勝四郎を加える加えないで相談するあたりがカット。 さらに「腕を磨く、戦に出て手柄を立てる。そう言ってるうちに髪が白くなる」のあたりもカット。 侍たちが村に到着するまででオリジナルは1時間5分ぐらだが、短縮版は約49分とここまでで16分カット。 5、利吉の家に泊まることになり、菊千代が女物の着物を見つけるあたりがカット。 6、離れ家三軒を引き払うよう告げるカットがなく、それを聞いた小杉義男のリアクションから始まる。 第一部の終了がオリジナルは1時間42分。海外版は1時間21分。ここまでで21分のカット。 7、野武士たちが攻めてきて久蔵、五郎兵衛たちが勝ちどきをあげるシーン。 8、川向こうの3軒が燃やされ、その家の人々が泣き叫ぶところへ小杉義男がやってきて「持ち場へ帰れ!」という数カットがカット。 9、夜襲になって万造が怪我したと思って倒れるが、七郎次に「こんな怪我で死ぬ奴はおらん」と叱られるシーン。 10、「明日は死にものぐるいで来るぞ」と勘兵衛と久蔵が話し合うシーン。 11、勝四郎と志乃が「明日死ぬんだべ」「死ぬとは限らん」「でももしかしたら死ぬんだべ」と言って藁に倒れ込むカットに続いて万造が自分の家に帰り「志乃はいないか」というところでフェードアウト。 一気に朝になって「残るは13騎。これは全部村に入れる」になる。 つまり決戦前夜に百姓が酒盛りをするシーン、菊千代に酒を持っていくシーン、その後勝四郎と志乃が小屋から出てきてそれを万造に見つかって責められるシーン、朝になって「勝四郎、貴様ももう大人だ」と勘兵衛にからかわれるシーン、カット。また多少カットの順番も変わっている。 約8分のカット。 おそらくここが一番カットしたところだろう。 雨の決戦シーンは特にカットはなかったように思う。 志乃と勝四郎が最後に結ばれたのは二人だけの秘め事というラストになっており、よりプラトニックな感じさえする。 そうか黒澤さんはやっぱり男女の仲はプラトニックにしたかったと解釈してもいいのだろうか。 このドイツ版DVDの短縮版はオリジナルのデジタル版を短縮しただけらしい。 実際の短縮版は台詞をアフレコしなおしたり、早坂文雄の音楽もスピードを変えたり新録音もあるそうだ。 (そう言えば山形勲の台詞の切り方も大胆だし、雨の決戦の最初で勘兵衛が「勝負はこの一撃で決まる」が「勝負は」で切れていた。ここもちょっと不自然。) それも早く確認してみたい。 また今回観たDVDでは台詞がいままで聞きなれた音と違ってほとんどちょっと甲高い声になっていた。 これがPALとNTSCの違いなのか、はたまた単にDVD化した際の音のリマスターの関係なのかは不明。 帰れない三人 快感は終わらない日時 2015年5月3日10:20〜 場所 上野オークラ劇場 監督 いまおかしんじ 製作 OP映画 恋人のケンジ(櫻井拓也)とアナルセックスが出来る出来ないで喧嘩した志保(涼川絢音)はホテルを出てきたところで、泣いている幼い女の子を抱いている夕子(工藤翔子)と出会う。志保は看護師なので子供をあやすのも経験があった。 昼間に営業しているスナックで働く智代(夏希みなみ)は河原で偶然10年前に別れた父親がいまはホームレスになって死にかけてると知る。 夕子のつれている子供テルコ(テルコ)は夕子がつきあってる近藤の子供だった。近藤とはもう5年の付き合いだが、彼には妻子がいる不倫の関係で別れ話になっていた。 智代がホテル街を歩いていると坊主(佐藤宏)に「いくらですか?」と言われる。ホテルに行った智代はその坊主から「自分の母が長患いで、100人斬りをしたら病気が治ると願掛けをしましてあなたがその100人目です。ありがとございました」と言われる。 いまおかしんじ監督の久しぶりのピンク映画。(たぶん2008年の「罪」以来だと思う) そしてオークラ映画デビュー作。 脚本は「つぐない」の佐藤稔、撮影は鈴木一博、音楽はビト、出演も佐藤宏、守屋文雄などいまおかピンクの常連。そして「川下さんは何度もやってくる」に続いての出演の櫻井拓也。彼もいまおか組の新メンバー。さらにいまおか監督のデビュー作「彗星まち」でデビューした岡田智宏も出演。ここまで来ると吉岡睦雄さんの出演がないのが寂しい。 お話は「父と娘」の関係が中心。 いまおか監督も娘が出来てそういう心境になったか。(映画に出ている女の子テルコはいまおか監督自身の愛娘である) 映画はカラミから始まる。 志保とケンジがラブラブのセックスをしてるところから始まるが、志保がアナルセックスをやってみたいと行ったがうまく行かず喧嘩になってしまうところから始まる。 怒ったケンジがホテルの部屋から出ていくのだが、ここでせめてパンツぐらい履けばいいのに、全裸のまま服と鞄を持って出ていく。この全裸で出ていくという針の振れた行動が「いまおか節」だと思う。 夕子の男・近藤に見つかってもめているところに出くわす智代。 3人を助けるためにとりあえず自分のスナックへ。 坊主の話を聞いて自分も100人斬りをすれば父親が助かるかも知れないと思い、自分も100人斬りに挑戦する。 そもそも願掛けって何か自分の好きなものを止めることで「これを止めますから代わりに○○をお願いします」とお願いするのが願掛けだろう、気持ちのいいセックスをして何が願掛けだとも思うのだが、その辺がいまおかワールドである。 父のことを願う智代、誘拐してきた娘を想う父親など話の柱が「父と娘」がモチーフであり、人情話としてほっこりさせられる。 智代が男をナンパするのだが、その男(岡田智宏)がなぜか鍋をカバンに隠し持っていて、その鍋で女を殴ってレイプする性癖の持ち主。 ナイフとか棍棒ではなく、鍋っていうのがいまおかさんらしいなあ。 智代の話を智代の常連客(守屋文雄)から聞いて自分たちも100人斬りをしようと展開。 夕子がナンパした男は例の鍋男。 志保がナンパ待ちをしてるところへやってきたのが女(倖田李梨)をつれたケンジ。この「やりたくて仕方ない」(本人の台詞)によって3Pをすることに。 このとき「あへ〜」と気のないあえぎ声を出しながらタバコを吸う倖田さんがいい。 その女とはアナルセックスもするケンジ。 結局、夕子は鍋男に襲われたところを近藤に助けてもらう。テルコは近藤の元へ返すことに。 智代の父は亡くなったが、みんなで葬式をあげることに。 (お経を上げる坊主は最初の100人斬りの坊主!) 別れ話になってしまった志保とケンジだがもう一度やり直すことに。 映画の最後はケンジと志保のセックス。 今度はアナルもうまく行った! めでたしめでたし、のいまおかピンクの名作。 このところ青春Hやレジェンド作品が続いて今一つ低迷していたいまおか監督だが、まだまだやれるという感じである。 テルコちゃん今回は大活躍。映画の中で「テルコちゃんはどうしたいですか〜?」と問われ「パパ」と答えるシーンがあるが、偶然だったそうだ。 映画見るとテルコちゃんがおとなしくしているが、実際は泣きっぱなしでなかなか撮影が進まず大変だったそうだ。 テルコちゃんも将来の女優ぶりが楽しみである。 (同時上映は「かえるのうた」「彗星まち」) ラブホテル あぶない関係日時 2015年5月3日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 今岡信治 久保寺和人 製作 レジェンド・ピクチャーズ STORY1〜義母・サナエの場合(監督:今岡信治) 浪人生、良介(近藤貞治)は美しい義母・サナエ(南あみ)のことばかり考えて何も手が付かない日々が続いていた。サナエのパンティーを洗濯機から盗み、それを履いている。父とのセックスのあえぎ声を聞いたり、母がさっきまで使っていた便器の便座に頬を寄せてオナニーする日々だった。 良介の友人・友一(松野智優)はなんだか最近つきあいが悪い。友一は最近出会い系サイトで人妻と出会い、初体験を済ませたという。 良介はついに父・哲夫(諏訪太朗)にパンティを盗んだことを見つかって責められる。それがきっかけで家出をしてしまうのだが。 STORY2〜人妻ミドリの場合(久保寺和人) ミドリ(つかもと友希)はある雨の日に高校の同級生・健作(濱本康輔)と再会する。ミドリにとって健作は初恋の相手だった。 故郷の福井から出てきて数年、最近は田舎の海を思い出す日々だ。 ミドリは健作と連絡を取り、明後日会う約束をする。しかし健作は今はヤクザの舎弟だ。今度、組のヒットマンとしてある男を殺す命令を受ける。決行の日は明後日だ。 レジェンド製作のVシネマ。 「ラブホテル」をモチーフにした2作品をオムニバス形式でつなぐ。短編集なので特につながりはない。 第一話が今岡信治(いまおかしんじ)監督作品、第2話が久保寺一人監督作品。1話30分。 STORY1 良介が父親に「母さんの下着を盗んだろう!この変態が!」と責められるシーンで、良介が無言でズボンを脱ぎ、義母の下着を履いているのを見せてその後無言で部屋を出ていくシーンがよい。 言葉を使わずに自分の意志を宣言するようでよかった。 あと冒頭良介が母が出てきた後のトイレの便座に頬すりするのも良介の義母への想いが現れてよかったと思う。 サナエは友人に息子が家出してしまったことを相談する。 その友人は最近若い男と知り合って楽しんでいるという。 彼女にそんぼ若い男の友人を紹介してもらおうということで4人で会うことに。それで出会ったのが義理の息子の良介という展開。 普通なら二人が出会った時点で驚いた表情を短いカットで表現しそうだが、それがないのが返って新鮮に見えた。 二人はホテルに入ってからサナエは一度は拒否するものの、結局結ばれる。 息子は家に帰り、平和に母と食卓を囲んでいる。 そこへ父親が帰ってきて「どうなってるんだ」というが笑う二人。というハッピーエンド。 良介役の近藤貞治が、裸になっても腹筋が割れた痩せ体はいるが筋肉質の体で、見ていて不快感がなくよかったと思う。 STORY2 故郷福井がイヤで東京に出てきた二人が一人はおそらくはエリート会社員と結婚し、金銭的には不自由はない。 初恋の健作は今はヤクザの下っ端で鉄砲玉になる。 相手を殺した後、健作はミドリと会い、二人はホテルへ。 翌日、公園に健作の死体が転がっている。 ありきたりと言えばありきたりなのだが、故郷を出てきて成功した者とうまくいかなかった者の対比があり、それがラブホテルという空間で結ばれる展開は見ていて切ない。 公園の人から見えない草むらで健作の死体が転がっているシーンで、その前にサラリーマンが女子高生をお金でナンパしてるシーンが、ただ死体を写すだけでないひと味が加わっていてよかった。 僕らの迷宮日時 2015年5月2日12:25〜 場所 光音座1 監督 山崎邦紀 製作 OP映画 マミヤ・ヨシオは怒っていた。 前の彼氏シンイチとは話し合って別れたのに、「病気を移してインポにさせた」という噂を流されたのだ。 そんな噂を流した奴を見つけだそうと探し始める。 まずはタジマ(樹かず)にあって噂の出所を聞き出そうとする。タジマは自分とセックスしてくれればヒントを教えると言った。 そのセックスはアメフトのユニフォームを着て自分をレイプしほしいというものだった。 プレイが終わってタジマは今度はタカギという男と会えという。タカギはローションプレイで遊び、「俺はそんな子としても興奮しない」というヨシオに「男の体は潜在的能力の宝庫なの」と言い放ち、彼の体をローションで刺激する。 今度はキダという男を紹介してくれた。 このキダはローソクを使ったSMプレイが好みだった。 廣木隆一監督が「ぼくらの時代」などの「ぼくら」シリーズがあるようだが、この「僕らの迷宮」は関係ない(と思う)。向こうはENKだが、この映画はOPだしな。 監督が山崎邦紀だからいやな予感はしたが、やっぱりである。 普通に撮ればいいのに気取ってるのかインテルぶってるのか小難しく話を進める。 最初のカットでは主人公の別れた恋人シンイチが登場し「僕の前の彼は噂を流されて怒ってます」とインタビューに答えるかのような映像から始まる。 彼だけかと思ったら、樹かずのシーンが終わったら、また彼も「いや〜なんだかこだわってましたね。僕はタカギを紹介しちゃいましたけど」となにやら適当に話す。 そしてSMプレイの後に今シンイチがつきあっているバーのマスター・セリザワ(荒木一郎)とかと会うのだが、彼のバーのシーンが暗い暗い。 フィルム上映ならまだ解ったろうけど、いまはDVD上映だからなんだか見にくいだけである。 最後はタジマやタカギでみんなで小理屈をいうセリザワを犯し、「潜在的な欲望を持つ自分を解放した」とかなんか理屈っぽい結論になる。 最後はどうなったっけ? もう忘れた。 もう山崎のゲイ映画はだめだね。 さらに主人公のヨシオが長髪にサングラスなのだが、これがかっこいいというより、みうらじゅんみたいに見えてもう完全にダメ。 ゲイ映画ではなかな面白いものに出会えない。 (同時上映は「ぼくらの時代 木又三郎君の事」Nステショー付) |