虎影 | 日本の仁義 | ||
危険な誘い(いざない) | 刺青・愛・乱舞(ラブ) | 海街diary | 名探偵登場 |
ヒンデンブルグ | おかあさんの木 | ある取り調べ | 事件 |
単純な話 | 縄と男たち5 傷だらけの懺悔録 |
予告犯 | あん |
虎影日時 2015年6月27日16:20〜 場所 新宿武蔵野館3 監督 西村喜廣 忍者の女首領・幻斎は宝物の場所が記された巻きものを手に入れた。しかしそれは金と銀の2つの巻物で一つだった。両方そろわなければ宝の場所はわからない。幻斎が手に入れたのは金の巻物。もう一つ巻物を手に入れるためにかつて最高の忍者と言われた虎影(斎藤工)を呼び寄せる。しかし虎影は妻の月影、息子の孤月と3人で平和に百姓として暮らしていた。 幻斎は弧月を人質にして虎影たちを巻物を手に入れさせる。 その巻物は耶厳藩の藩主・板東リクリ(津田寛治)の元にあった。首尾よく銀の巻物を手に入れた虎影だが二人は捕まってしまう。しかし幻斎の元にある金の巻物を奪ってくることを条件に月影を解放させる約束を虎影はさせる。 弧月の元に急ぐ虎影。その途中、虎影に助けられた農民(仁科貴)が作った仕掛けを借りていくことに。 はたして虎影は弧月、月影を助けることは出来るのか? 斎藤工主演映画。 だから観に行ったわけだが、正直期待していなかった。 忍者映画だけど、今まで時代劇に登場したような忍者ではないらしい。しかも「新感覚のアクションムービー」とある。はっきり言って「新感覚」と説明された(あくまで私にとって)映画が面白かった試しがない。 「新感覚」という言葉は「今までなかった変な映画」というマイナスイメージの言葉である。(私にとっては) もう完全にセンスがあわないとしか言いようがない。 虎影が普通の髪型をしている。それでなんだか引く。 一番好かないのは津田寛治の悪役が顔になんだか変な線を描いている。絵ではない。模様みたいなもの。 私は昔から顔に線や絵を描くのが嫌いで(喜劇やコントでそれをやられるとそれでだめ)完全に映画に乗れない。 出てくる女忍者がなにやら胸の谷間を強調するカット(というかアップのカット)が多くそれもシラケる。 手の平がたくさん集まって出来た翼をつけた怪物が登場するが、その造形も趣味じゃない。 一時が万事その調子。 それに竹製のパワードスーツってなんだよ。 そりゃそういう(お馬鹿な)からくりも映画としては必要だけど、シラケるなあ。斎藤工がイノシシのかぶりものかぶって「ブヒ」とか言ってるのは馬鹿馬鹿しいを越えて悲しくなる。 パンフレットでは監督は「監督のこだわりだけを見せられてよく分からんというのは(映画として)最悪のパターン」と言ってるけど、私にとってはまさにその通りの映画。 そうそういまおか監督の「星の長い一日」のヒロイン水井真希が津田寛治に操られた宗教の教祖として登場。 同じく津田寛治の子分で小場賢が出演。 監督ががんばってるのは分かるけど正直センスがあわないので、とにかくだめ。 日本の仁義日時 2015年6月26日 場所 TSUTAYA宅配DVDレンタル 監督 中島貞夫 製作 昭和52年(1977年) 大阪の新宮会は会長(藤田進)は引退し建設業に専念し、実業家としてやっていくことになり、2代目は若頭の須藤(菅原文太)が継ぐことになった。 須藤は拡大路線の方針を取り、対立する千田組と対決姿勢を鮮明にする。 一方三流紙の記者・関(林隆三)は鉄道会社・阪鉄の社長稲田(岡田英次)が若い男性とホモ関係にあることをつかみ、それをスキャンダルとして書こうとしたが編集長(野坂昭如)に止められる。たまたま酔っぱらっていたところ、その記事を須藤の配下の小暮(千葉真一)に見つかってしまう。そのネタを元に稲田を恐喝する小暮。しかしそれは逆に阪鉄が千田組に近づくきっかけを作ってしまった。 千田組と新宮会の対立は倉敷、そして松山の傘下の組同士の代理戦争になっていく! 「日本の首領」に続く「日本」シリーズ。「日本の首領・野望篇」はこの後の製作になる。 この映画は学生時代に新宿昭和館で観たと思う。封切り時は観なかったが、当時キネマ旬報は読んでいたので、映画のことは知っていた。フランキー堺が東映ヤクザ映画初出演が話題になっていた。 で、数年経って80年代に昭和館で観たわけだが、「なんだフランキー堺が主役かと思ったらそうじゃないんだ」とちょっとがっかりした覚えがある。フランキー堺みたいなコメディの役者がヤクザ映画で主役なら面白かったが、「助演でキャスティングに新鮮味を持たせる」という感じだったのだな。 それよりも印象に残ったのは、冒頭の阪鉄社長を恐喝するシーン。社長が拉致されたら部屋にパンツ1枚の美少年がいて「パパ!」と助けを求める、というのが記憶だったのだが、「パパ」とは言わなかったし、美少年でもなかったな。長髪にした80年代東映風美青年ではあったけど。 あとはフランキーが松山の田舎ヤクザだったことしか記憶になかった。 話の方は東映ヤクザ映画の王道を行く、武闘派が巨大組織に立ち向かっていく話。 2代目が強硬路線に突っ走るというのはよくあるパターンだが、その強行派が菅原文太というのがちょっと似合わない気がした。 文太は私のイメージではもうちょっと頭のいいヤクザのイメージなのだな。そういう見境ないのは松方弘樹のイメージなので。 特に抗争で死んだ組員の葬儀のために松山に乗り込んだ千田組白石(佐藤慶)に対抗すべく同じく松山に乗り込んだ須藤だが、警察に「両者ともすぐに引き上げろ」と忠告される。 「いいですよ、葬式が終わったらすぐに引き上げます」と白石は答えるが、「どこぞに武器を隠しとるんじゃろ!警察もグルかい!?」と脅すところは負け犬の遠吠えでしかなく、文太らしくない。 須藤の強硬路線は返って部下の反発を招き「それじゃ千田組に買っても警察につぶされる」と離反するもの多数。 追いつめられた須藤はやがてクスリにおぼれていく・・・というみっともなさ。 須藤の妻(岡田茉莉子)は映画の最初で須藤と離婚する決意をし、兄(鶴田浩二)の元に帰ってくる。そこでフランキー堺が惚れてしまう、というエピソードも出てくる。 抗争の果てに突然フランキーがライフル魔になってアパートに人質をとって立てこもってるのは話がちょっと飛んでいる。 シナリオに改変省略があったのだろうか? あとは川谷拓三のチンピラがヤク中の女に赤ん坊を押しつけられるというエピソードも面白い。 不満点も多少あるけど、オールスターの群像劇ヤクザ映画で、そういうのを久々に観たから面白かった。 危険な誘い(いざない)日時 2015年6月21日15:25〜 場所 光音座1 監督 市村讓 製作 大蔵映画 秀行は田舎のコテージに一人暮らしをしていた。その恋人、修は時々のコテージにやってきて愛を確かめあう。 二人の出会いは修の山での遭難だった。軽装で山に登った修は遭難し、それを秀行が救ったのだった。 修はあるパーティに出てそこでヤクザ風の男(港雄一)と出会う。ある日街でばったりその男に会った修は男に言われるままに着いていき、犯されてしまう。 その帰り道を秀行の元に出入りする中国人の宝石商に見られてしまう。 他の男と修が会っていると聞いた秀行は修を呼び出す。 そして男からSMプレイで縛られ責められたことを知られ、「お前はきっと喜んでいたんだ、淫乱のマゾヒストだ!」と責め立てる。 秀行のもとを逃げ出した修だったが、秀行は彼をライフルで撃ち殺す。 そして秀行も薬を飲んで死んでいくのだった。 話は分かるのだが、細かいところがよく分からない。 というかセリフで説明されてるらしいが、よく聞き取れないのだよ。 秀行は小説らしきものを書いていて、それで二人の出会いとかが回想で語られる。 最初の出会いもフィルター越しにテントの中が映し出され、そこで二人の会話で遭難した修を秀行が救ったことが分かる。 秀行だが、小説家なのかよく分からない。でも金は持っていて、中国人の宝石商を出入りさせて高そうな宝石を選んで修に買い与えようとしている。 修も元はいい家の子だったらしいが、何かのきっかけで不良になって、「自分は生きていてもしょうがない」と半分自殺する気持ちで山に軽装で登って秀行に救われたわけ。 でも何か怪しげなパーティ(乱交とかじゃなく、クスリとかやってそうなパーティ)に出席するのがよく分からない。 さらにそこで知り合った男と街で再会し、車に乗っていくのもよく分からないなあ。 さらにさらに秀行が撃ち殺すのも極端だよ。 ゲイピンクにそんなつじつまを求めてもいけないかも知れないが、ちょっと気になって楽しめなかった。 刺青・愛・乱舞(ラブ)日時 2015年6月21日14:25〜 場所 光音座1 監督 港雄一(第一回監督作品) 二人の若者が船の上で愛し合っている。 そのうちの一人、アキラは女に捨てられ、自暴自棄になっていた。バイクを疾走させていると、暴走族にからまれ暴行されてしまう。 アキラは気づくと立派なお屋敷で寝ていた。ここはヤクザの親分の家だった。会長(港雄一)と呼ばれる男はジローという若者を可愛がっていたが、アキラにも関心を寄せる。 アキラの快気祝いと称してお屋敷で宴席が開かれた。そこは男体盛りが行われ、ジローも裸になって天狗男とのショーも行われた。驚いたアキラだったが、関心はジローに向かっていた。 アキラは母が他の男と会っているのを目撃、そして愛した女性からは「遊びよ、遊び」と捨てられ、その女は今は別の男と暮らしてると知ってしまう。 そんな時、会長から「私の店で働かないか?」と言われる。そこはホストクラブで、中年女性たちを接待する仕事だった。 やがてジローとアキラはお互いを意識しあい、結ばれる。 しかし会長は二人を手放そうとしない。 男優の港雄一の第一回監督作品。 刺青にふんどしというそういうフェチで彩られた映画。 そういうのがたまらなく好きな人には堪えられないのだろうか?それとも「あそこが違う!」と不満を持つのだろうか? 私なんかは刺青がどっちかというと嫌い(否定的)なので、特になにも感じない。 刺青が素材だから、どうしてもヤクザが登場する。 会長はアキラを愛するあまりにジローと同じ鯉の刺青をアキラにも入れさせる。 そしてアキラとジローを愛する会長はアキラの目の前でジローを攻める。それが苦痛の二人は「アキラの前で攻めるのはやめてください」と会長に懇願する。 しかしドSの会長は聞く耳を持たず、ついに浣腸プレイをジローにしてしまい、二人はついにキレてしまう。 会長を包丁で刺し、逃げる二人。 ヤクザから逃げきれないと思った二人は船の上でお互いを刺してあの世で結ばれることにしたのだった。 ヤクザ役が多い港雄一だが、その個性を生かして作った刺青映画。 その趣味がないと楽しめない。 海街diary日時 2015年6月19日19:10〜 場所 新宿ピカデリー・シアター6 監督 是枝裕和 香田幸(綾瀬はるか)、香田佳乃(長澤まさみ)、香田千佳(夏帆)は鎌倉に住む三姉妹。彼女たちの父はずいぶん前に女と出ていき、母親(大竹しのぶ)もすでに再婚し、三姉妹だけで暮らしていた。 ある日、山形の温泉街で父が亡くなったと連絡が入った。三姉妹は行ってみるとそこには父が再婚した間に生まれた子供、浅田すず(広瀬すず)がいた。 すずの母はすでに亡く、父は三度目の結婚をしていた。すずにしてみれば今の母とは何の縁もなくなってしまった。 葬式でそんなすずを見て、幸は「鎌倉で一緒に暮らさない?」と声をかける。居場所をなくしかけていたすずはその場で「はい」と答える。 数ヶ月後、ずずは鎌倉にやってきた。 幸たちの祖母の妹、大叔母(樹木希林)は「あの子はあんたたちの家庭を壊した人の娘なんだよ」と複雑な思いだ。 新しい学校にもなじみ、地元のサッカーチームに入って活躍し、いつしか人気者になっていくすず。 「そして父になる」の是枝監督の以来1年8ヶ月ぶりの新作。 是枝監督は特に好きな監督ではないのだが、そうは言っても「誰も知らない」以降の作品はだいたい観てるので嫌いというわけではないと思う。 女性が主人公だし、普通ならちょっと食指は動かないのだが、新宿ピカデリーでさんざ予告編を見せられたし、なにより末の妹役の広瀬すずが凛とした美しさを感じて、見に行った。 観に行ってよかったと思う。 おそらく今年の各種ベストテンでも上位に来るであろう良作である。 それにしても是枝監督の描く家族の多くは「ちょっと普通でない」場合が多い。「誰も知らない」では母親に捨てられて子供だけで生きていく話、「そして父になる」は子供の(悪意による)取り違えの話だった。それらは事件性を帯びているがために観客には(私)その事件に目が行ってしまいがちだったが、今回の家族には事件性はない。 そしてドラマチックな展開もなく、淡々として物語は進んでいく。 それでも3人の女性の恋人なる男性の描き方がちょっと意外だった。 しっかり者の「昔から学級委員だった」という幸の相手は同じ病院に勤める小児科医師(堤真一)だが、これが現在別居中とは言え既婚者だ。 佳乃の相手は前半は頼りなさそうな年下の男だが、これが何か悪い遊びにはまったのか、せっかくの貯金を全額おろして怪しい男に渡しちゃうような男。いわゆるだめ男だ。でも次に選ぶ男は銀行のきまじめそうな上司、というか先輩(加瀬亮)。 特に幸などはあんなに妹たちに「あれだめこれだめ」と言ってるのに、不倫か。人間ってそんなものかねえ。 すずは広瀬すすの美しさもあってとにかく画面で目立つ。長澤まさみも大人になっていい女になったが、それにしてもすずと並ぶと「歳取ったな」と思えてしまう。 後半明らかになるが、やっぱりすずは周りの顔色を伺って生きてきたんだなあと思った。千佳に「実はしらす丼を食べたのは初めてじゃなくて、仙台にいた頃に父がよく作ってくれた」という。初めて香田家で食べた時は「初めてです」と言っていたのに。それが彼女の大人っぽさにつながっていたのか。 これも後半明らかになるが、父も釣りが好きだったという。千佳も釣り好きである。そうか、千佳が実は父から受け継いでいるものが多いかも知れない。 千佳はご飯をかき込む癖があってよく幸に注意される。 最後ではすずも同じようにご飯をかき込む。 案外父を見てすずにもその癖が移って、千佳にもそれが移ってるんのかも知れないな。 葬式で始まり、近所の食堂のおばちゃん(風吹ジュン)の葬式で終わるこの映画。 冠婚葬祭ごとが多い点では小津さん的だが、結婚式はない。 誰か一人が結婚する(あるいはしそうになる)というのが話の軸になっても良さそうだが、それぞれパートナーが現れつつも結婚まではいたらない。 この四姉妹には大きな事件もなく、しかし少しずつこれからも静かに生きていくんだろうな、と思わせて終わる。 四女優(特に広瀬すず)の魅力にあふれた良質の映画だったと思う。 ソフトを買うほどではないが、好きな映画ではある。 名探偵登場日時 2015年6月14日 場所 DVD 監督 ロバート・ムーア 製作 1976年(昭和51年) 世界的に有名な名探偵、ディック(デヴィッド・ニーブン)とドラ、チャーリー・チャン(ピーター・セラーズ)、ミロ・ペリエ(ジェームズ・ココ)、サム・ダイヤモンド(ピーター・フォーク)、ジェシカ・マーブルズ(エルザ・ランチェスター)はライオネル・トウェイン(トルーマン・カポーティ)という富豪に「晩餐と殺人にご招待します」という手紙をもらってやってきた。 しかし執事のベンソンマム(アレック・ギネス)は盲目、やってきた女性料理人イエッタ(ナンシー・ウォーカー)は聾唖者で二人は会話が成り立たない。 やがて晩餐会が始まったが、案の定、料理は出てこない。 しかしトウェイン氏は登場した。 今夜12時にこの部屋の誰かが死ぬという。 トウェイン氏はいつのまにかいなくなり、名探偵たちが残された。 そして料理女がやってきた。どうやら誰か殺されたと伝えている。ペリエとチャンとマーブルズが行ってみると執事が台所で死んでいた。 探偵たちが食堂に戻ると誰もいない。 いったいどうなっているのか? この映画も公開当時に観ている。(確かシネラマ名古屋) 名探偵が登場する映画は大好きで、それが沢山出るとあっては見に行かねばなるまい。 しかし正直言ってペリエの元ネタのエルキュール・ポワロ以外は観たことがない。(「マルタの鷹」を観るのはしばらく後)。マーブルズの元ネタのミス・マープルは聞いたことがあったけど。 大爆笑ということはないが、ニヤリ笑いぐらいはしていた。 それはやっぱりピーター・セラーズやピーター・フォーク、アレック・ギネス、デヴィッド・ニーブンら芸達者のおかげだろう。 盲目のアレック・ギネスがやってきた探偵たちを迎えて部屋へ案内するあたりとか、とぼけた味のピーター・セラーズなど存在だけでにやにやしてしまう。 そしてハードボイルド派の代表としてピーター・フォークのサム・ダイヤモンド。ボガート風の私立探偵が実に似合っていた。彼を主人公にして続編「名探偵再登場」が作られたのももっともだ。 謎解きで「犯人はベンソンマムだ」「いや弁護士が実は化けている」「いやいや実は会計士が化けている」「いやいやいや実は・・・」と際限のない「実は」合戦。 ところがその実体は・・・トウェイン氏だった、というオチ。 基本コメディなので、まじめに推理をしてはいけない。 ここで「おまえ等はいつも最後の5ページになって出てきた人物を犯人にしたり、証拠や手がかりを全部自分だけが分かるようにしてるくせに!」と毒づくあたりは探偵小説ファンの「たまには言い返してみたいセリフ」だったと思う。 探偵が全員帰って、トウェイン氏が帽子とマスクを取るとそこには料理女が! 繰り返すが基本コメディである。まじめに推理してはいけない。 面白かった。 日本でも金田一や明智や多羅尾伴内や十津川警部等が登場するのを観てみたいですね、二番煎じかも知れないけど。 ヒンデンブルグ日時 2015年6月14日 場所 DVD 監督 ロバート・ワイズ 製作 1976年日本公開 1937年、前年から大西洋横断飛行に就航している飛行船ヒンデンブルグが爆破されるという手紙が駐米ドイツ大使館に届いた。 ヒンデンブルグはナチスの象徴であり、その爆破などあってはならないこと。ただしヒンデンブルグの船体には水素が多く使われており、これに引火したら大爆発になる危険性を持っていた。 ドイツは空軍諜報部のリッター大佐(ジョージ・C・スコット)を保安主任としてヒンデンブルグに乗り込ませた。 乗組員のベルト、広告代理店のダグラス、シャルニック伯爵夫人(アン・バンクロフト)などなど怪しい人物は沢山いる。 カメラマンのフォーゲルは実はゲシュタポから派遣されてきた男だ。 プルス船長(チャールズ・ダーニング)はヒンデンブルグを出発させる。 この映画も1976年の公開当時に観ている。 当時、オールスターキャストのパニック映画ブームだったし、ヒンデンブルグ号の謎の大爆発は知っていたから、その真相を描くミステリーという感じだったので観た。 しかし全く面白くない記憶しか残っていなかった。 題材としては面白そうなのだがねえ。 今観るとまた違った感想があるかと思って再見したがやっぱりつまらない。 ジェット機を違ったゆったりとしたテンポで進む飛行船の釣られたのか映画自体もまったりと緊張感にかける。 スパイと思われた人物が殺され、「犯人は誰か?男はスパイだったのか?」というサスペンスとか拳銃の撃ち合いとか派手な話になればまだまだ面白くなったのだが、そこまで針は振れていない。 乗組員のベルトが誤って(ここがバカなのだが)船体の一部に穴をあけてしまう。 でそれをベルトと他の乗組員で穴を修復しようと船外活動をするところがややハラハラさせるが、このシーンももう少し派手にやってほしかった。 「ベルトは命がけで船を救ったのだから犯人ではない」と思われたが、やっぱり犯人。 ところがリッターもナチ反対運動に荷担した息子を死なせた過去を持っており、必ずしもナチにいい感情を持っていない。それでベルトの破壊工作を認めてしまうのだ。 映画としてそれはないんじゃないかなあ。 ナチを守る男をアメリカ映画としては主人公にしたくなかったのかも知れないが、それにしても破壊工作を認めてはまずいだろう。 結局ゲシュタポにベルトが怪しいとなり、ベルトは逮捕されてしまう。 アメリカについて乗員乗客がすべて降りた頃に爆発するように時限爆弾をセットしたが、悪天候で着陸が遅れる。 「ああ、爆発しちゃう!」と思うけど、観客は爆発することを知っているから、サスペンスになりにくい。 リッターは爆発を止めようと時限爆弾を操作している間に失敗して予定時刻より早く大爆発! ここでニュースフィルムを使うので画面は白黒へ。 当時は「そんなものかあ」と気にしなかったが、アメリカ映画にしては手抜きである。 やっぱり脚本が面白くなかったなあ、というのが結論。 題材としてはすごくよかったのだが。 そうそう乗客に日本人らしき人がいて、その人の荷物検査をリッターがしたときに中に伊藤博文の千円札が入っていた。その当時はなかったんじゃない? おかあさんの木日時 2015年6月13日15:25〜 場所 新宿バルト9・シアター1 監督 磯村一路 大正時代、幼い頃学校に行けずに字もあまり読めないミツだったが、郵便局員の田村謙次郎に見初められて結婚した。 やがて7人の男の子を生むミツ(鈴木京香)。6番目の子は子供が出来なかった姉に養子に出した。しかし日中戦争が始まると長男次男と次々と7人全員が兵隊に取られていった。ミツは子供が一人出征していく度に畑に桐の木を植えてそれを自分の子供だと思って話しかける。 長男は戦死、三男は輸送船が沈没、四男はガダルカナルで戦死。さすがに五男が出征の時は駅で息子を引き留めようとして警察に連行された。姉の養子にした子は沖縄で、七男は特攻隊で戦死した。 二男と五男は南の島で再会したが、二男は結局戦死した。 戦争が終わったが、五男は行方不明で生死不明のままだった。 「戦後70周年記念作品」と銘打っている直球の映画だ。 10年前の私が観たら「なんか古くさい映画だなあ」と思ったし、実際観る前はそんな気がしていたが、これが観始めると引き込まれるのである。 それだけ私も歳を取ったということなのだろうか? 実際の私には子供はいないが、世代的には20代の子供がいてもおかしくない歳である。 子供を戦争に送り出す親の気持ちは想像するだけで痛くなる。 子供を育てるというのは想像するだけで大変だと思う。金もかかる。それを召集令状一枚で取り上げてしまう「お国」とは何なのか? 「天皇陛下のために」などと言われたら、それはもう怒り心頭であろう。映画はそこまで触れてないけど戦後「昭和天皇の戦争責任」とか「天皇制打倒!」と言われても仕方あるまい。 母の気持ちも痛ましかったが、出演シーンこそ少ないが印象に残ったのは「死に神!」とまで言われる村役場の兵事係(有薗芳記)である。「おめでとうございます!」と行って赤紙を届ける気持ちはどんなものだったろう。 いくら仕事とはいえ、行く先々で恨み事を言われる。いや言われないにしてもいやな空気は察するだろう。 いやな仕事である。 そんな彼がミツが「非国民」として警察に連行された際に「この方はすでに息子さんを3人もお国のために捧げられております。どうか寛大なご処置を」と弁明に来るシーンは彼の見せ場だった。やや映画的な展開になりすぎている気がしないでもないが、ああいう描き方でもいいと思う。 戦闘シーンは少なく、息子たちも多くはミツの台詞でのみ最後が語られる。その中でも二男と五男は戦場で再会。 バンザイをして多くの人が崖から飛び込むシーンがその後にあるから、あれはバンザイクリフだったのだろう。 この間も「イニシエーション・ラブ」で三浦貴大を観たし、本作にも二男で出演。もはや親の七光りを越えて俳優として一人前になってきた感がある。 剛速球の直球反戦映画。 実は今国会では安倍首相による集団的自衛権を認める、いわゆる「安保法制」論議が真っ盛りなのだが、そんな今観ると10年後の現実ではないかと思えてくる。 ある取り調べ日時 2015年6月13日10:30〜 場所 新宿K'cinema 監督 村橋明郎 ある雨の日の朝。 仕事が忙しくてなかなか家にも帰れない中年刑事(中西良太)。彼の妻は鬱病で大学生の娘からは「お父さんは家から逃げてるんじゃない?」と責められる。 そんな朝に一人の殺人容疑者が連行されてくる。名前は松田(佐藤B作)。妻と息子を殺し自分から110番通報してきたのだ。 取り調べにあたる中年刑事。松田は「私が二人を殺しました。死刑にしてください」しか言わない。 記録係の刑事も妻の母のことで仕事を早退したい。みんな家庭に悩みを抱えている。 松田の息子は26歳だが知的障害者で、長年松田が働き妻が息子の面倒を見てきたが、昨年末から妻の様子がおかしいので会社を辞めて最近は3人で暮らしていたという。 鑑識の報告では息子は手で絞め殺され、妻は紐で首を絞められたということだった。 取り調べには素直に応じ始めた松田だったが、肝心の殺害の瞬間のことは覚えていないを繰り返すばかりだった。 K's cinemaでチラシを見かけて「取調室だけの密室劇で、犯人役は佐藤B作」と知って興味があったので初日に観にいく。(初日に行ったのはそれだけ楽しみだったというより、モーニング2週間だけの上映なので見逃さないように早めに行ったのだ) 佐藤B作と中西良太というベテラン俳優が圧倒的な存在感で魅せきる。 回想シーンはなく、事件の全貌はすべて二人の会話だけで成り立っていく。 「覚えていない」を繰り返し、そして報告では無理心中の末に松田が自殺を図った後はないという。 かといって「真犯人は別にいた!大どんでん返し」があるわけではない。私は「妻が息子を殺し、自殺した。夫は朝まで気づかなかった。妻を助けてやれなかった自分を責めてすべて自分がやったことにしようとしている」という展開なのかなと思ったが、ちょっと違った。 妻が息子を殺し、妻は自分を殺してくれと懇願し夫はそれに応えたのだった。 「妻は私の手を取って自分の首に持っていきました。そしてニコッと笑ったのです。いいのか?と私が聞くとさらに笑いました。もう何年も妻の笑顔は見てなかったのに」と告白をする佐藤B作は圧巻である。 というか終始二人の俳優の緊張感のある演技だけで見せられる。 ちょっと音楽が多くて「うるさいな」と思う瞬間もあったが、それだけ二人の迫力がすごかったのだろう。 ほとんど取調室だけで話が進行する映画だが、それでも全く飽きがこない。 観てよかったと思える良作だった。 事件日時 2015年6月7日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 野村芳太郎 製作 昭和53年(1978年) 神奈川県の長後駅近くの雑木林で若い女性の死体が見つかった。容疑者として逮捕されたのは上田宏(永島敏行)。被害者は坂井ハツ子(松坂慶子)だった。宏はハツ子の妹ヨシ子と同棲中だった。ヨシ子は宏の子供を宿していた。 裁判が始まった。岡部検事(芦田伸介)は殺人と死体遺棄を主張。菊地弁護士(丹波哲郎)は殺意はなかったと主張。 ハツ子は厚木でスナックを経営しており、その常連客の話から、事件当日ハツ子は客からツケの支払いを貰いに回っていた。そして宏とハツ子は町で出会い、ハツ子に「ちょっと送っていってよ」と頼まれて二人で自転車で出かけたという。 ヨシ子の妊娠に関してハツ子からは堕ろすよう言われていたが、宏もヨシ子もその気はなかった。 果たして宏に殺意はあったのだろうか? 「八つ墓村」に続いて製作されたのがこの映画。大作だった前作に比べ、小じんまりとした作りだ。 映画になる前にNHKでドラマ化され(45分枠で3回か4回連続だった)、そこでは菊地弁護士を若山富三郎、裁判長に宮口精二、事件の鍵を握るハツ子のヒモ宮内辰造を石橋蓮司が演じていたことを覚えている。 映画自体も封切りの時に観てるので、今回37年ぶりに鑑賞。 映画版では弁護士・丹波哲郎、検事・芦田伸介、裁判長・佐分利信と重厚すぎる顔ぶれ。事件自体は大きな事件ではないので、この顔ぶれは重すぎるぐらい。 さらに証人に西村晃、北林谷栄、森繁久弥となってこれも重量級。森繁なんか目立ちすぎというぐらいだ。 これは初見の時にも違和感があった。 実は初見の時にあまり面白くなかった印象があったのだが、それは姉妹と関係を持ってしまうという男女の仲を理解してなかった頃だから、なのかと思っていたが、それだけではない。 長いのだ。 弁護人は証人たちに質問を繰り返すが、検事から「弁護人は本件とは関係ない質問ばかりしています」と再三注意される。正直回りくどい。 それで驚異の新事実が出るかと思えば「殺意のなかったとも考えられる」とそれほどのことではない。 新事実といえば実は宮内は犯行の瞬間を見ていた、ということなのだが、宮内がそれを隠していた理由がよくわからない。捜査段階で言っていてもいいのでは? あと回想シーンが長いかな。 「ハツ子とは関係がなかった」という宏だが実は長い間関係があった。そして妹とも関係が出来てしまうのだから、エロ映画のようだ。 割と上品に描いているが、冷静に考えればなかなかやることはやっている。 あれほど「あの男はお姉ちゃんに食らいつくダニのような男です」と宮内を嫌っていたヨシ子だが、ラストシーンでは談笑しているのが気になった。 舞台は長後付近だが、偉く田舎になっている。新宿とも距離感があるような言い方だが、実際は急行で1時間ちょっとだろう。十分通勤圏だと思うが、70年代はそんな田舎だったのだろうか? あとは大竹しのぶね。乳房もちらっと出してなかなかの体当たり。 それにしても犯人が19歳で、「最近の19歳は少年法でしか裁かれないと知って罪を犯している」と昨今の少年法改正問題と同じことを言っている。 この頃より前からその論議はあったのだろう。 単純な話日時 2015年6月7日 場所 DVD 監督 サトウ・トシキ 製作 平成4年(1992年) (劇場公開タイトル 「不倫妻の性 快楽あさり」) 鉄鋼所の社長の妻・坂井洋子は従業員の桑田と不倫関係にあった。夫の坂井はそれに感づき探偵の清水に素行調査を頼む。 実は清水の妻・智子は若い男の市原と不倫関係にあった。 清水も妻の不倫を知った。そして洋子と桑田のことも坂井に報告した。逆上した坂井は清水を殴り殺す。 坂井は自分の作業場で桑田と妻の現場に現れる。坂井は桑田を顔が変わるほど殴って蹴った。洋子はガスバーナーで坂井を攻撃。坂井は死んだ。 智子は夫が殺されたと警察から連絡を受ける。警察は市原がやったと思う。追われた市原は刑事を拳銃で撃つ。 智子と海辺のホテルで会う約束をし、ヒッチハイクをしていたところ、桑田を乗せて逃亡中の洋子の車に出くわす。 サトウトシキ作品。立ち寄ったディスクユニオンで中古が安く売っていて、DVDの購入もキリがないからと一度は買わなかったが、また行った時に売っていたのでつい購入。(2回目に行ったときはセール期間中で1割引で安く買えた。待って正解だった) 同じサトウでも寿保さんの映画かと思うほどのバイオレンス描写。中年男のいいわけのような映画のばかりの最近のサトウトシキ監督だが、この頃はエッジが立っている。 (脚本の小林宏一は小林政弘と同じ人) 登場人物がすべて衝動で相手を殺していく。 自分の女(あるいは男)寝取られれば、怒る。それをぐっと堪えて離婚だなんだとなるのだが、この映画の人物たちは衝動で殺していく。 そのストレートさはもはや清々しいとさえ感じてしまう。 智子=市原、洋子=桑田の4人は海辺のホテルに逃げ込む。桑田は瀕死の重傷で寝たきり。洋子は市原にちょっかいを出す。それを知った智子は洋子にお湯をかける、桑田はそれを見て、洋子は市原と関係を持ったと知る。 智子は洋子を殺す、今度は智子が桑田と関係を持つ、それを知った市原は智子の性器に拳銃を突っ込んで撃つ。その直後に市原は桑田に首をはねられて死ぬ。 とにかく殺しあって殺しあって殺しあう。さっきも書いたようにそのストレートさは快感ですらある。 また殺し方も殴り殺す、バーナーで焼く、拳銃で性器を撃つ、スコップで首をはねるなどなど画的にも派手さ満載である。 最後は実は生きていた洋子と桑田が海岸で再会。 桑田は洋子を拳銃で殺すのか?という結末をぼかしたシーンで終わり。 見応えはあった。 何にも知らないでピンク映画館で観たらたまげるだろうなあ。 縄と男たち5 傷だらけの懺悔録日時 2015年6月7日 場所 DMMレンタルDVD 監督 橋口卓明 製作 平成11年(1999年)ENK 子供の頃、親の離婚再婚で幸福な環境ではなかったアツシは今でもリストカットを繰り返していた。 そんなアツシをマサアキは見守り一緒に暮らしていた。 アツシはパソコン通信でホームページを持ち、「ガリガリ君の懺悔録」というサイトの中で自身の過去を告白し、立ち直ろうとしていた。ある日クラブのゲイナイトで出会った男とトイレで関係を持つ。 アツシはスナフキンという人とチャットで自分の身の上を相談するうちに「自分の好きなことをやってみれば」と言われ、もともと興味があったSMにはまっていき、自縛し、友人に縛ってもらうよう頼み、その友人の紹介でSの人と出会い、やがてはSMショーに出演するようになる。 SMショーに出演し、お客さんはみんな誉めてくれる。 ゲイピンク作品。 ピンク映画大賞の脚本賞受賞らしいが、私はだめだった。 物語があまり動かないし、この主人公のメンヘラぶりがどうも好きになれない。 チャットで会話していたスナフキンも最後には自殺すると言い出すし、自殺願望というのがどうにも苦手だ。 現実世界でもこういう自殺願望というかメンヘラは苦手である。鬱病とかも。 「頑張れよ」などと応援の言葉をかけても全く通じない。 そんな人々に医者でもない専門知識もない私が話しかけても何も力になれない。 従って私はお手上げなのである。 だからこういう自殺願望の人を主人公にされると共感も反感も出来ずにただただ観ていてつらくなるのだ。 またマサアキの会社の社長がホモで社員と関係があるのだが、マサアキのことを気に入って関係を迫る、というエピソードがあるが、これも無理矢理につけたような(おインク映画らしい)展開で、その点も納得がいかなかった。 ラストはアツシとマサアキが町を飛び出し、新天地を求めて旅立っていく、という形で、救いのあるラストでそこはよかったと思う。 予告犯日時 2015年6月6日17:00〜 場所 新宿ピカデリー・シアター3 監督 中村義洋 ネット上に「明日の予告をしてやる」と新聞紙を被った男が翌日の犯罪予告をする動画が人気を呼んでいた。 シンブンシと呼ばれるその男は食中毒を起こした食品会社に放火したり、「強姦される女の方が悪い」とツイッターで発言した大学生にリンチを加えたり、ネット上で炎上しているような相手に制裁を加えて、一部では喝采を浴びていた。 警視庁サイバー犯罪室の吉野絵里香警部(戸田恵梨香)たちはシンブンシはいつも特定のネットカフェチェーンから発信していることを突き止めた。しかし該当の時間、ブースは使った人間がいないという。何らかの形でハッキングを受けているようだ。 3年前、IT会社で派遣社員として働いていた奥田宏明(生田斗真)は社長のパワハラ、同僚の嫌がらせによって体調を崩し退職し、その後再就職を試みたが、うまく行かなかった。 彼は違法な産廃処理場で働き始める。 そこでフィリピンから日本にやってきたネルソン・カトー・リカルテという少年(福山康平)や仲間たちと出会う。 生田斗真が主演で犯罪もの、という訳で見に行った。 結論からいうと「こういう形でしか結末はつけられないかあ」ということ。 主犯の奥田は「なんだかんだあったけどいい人」という結末。 前半は現実世界でも起こっている事件をモデルにしている。食中毒を起こした食品会社は「殺人ユッケ」と呼ばれた焼き肉店だろう。(所在地が石川県だからそう思った) そしてバイト先の居酒屋の厨房でゴキブリを揚げた映像をアップした高校生。これもバイト先でのバカ画像をアップするのが一時期流行った。 そういうのも面白がる風潮もあるし、面白がられてさらにエスカレートするという現象が起こっている。 それをネタに作り上げた映画なのだが、警察と犯人の丁々発止のやりとりがあるかと思ったが、それはあんまりない。 むしろ奥田という青年が浮かび上がれない状況が詳しく描かれる。六本木の現場で奥田と遭遇した吉野は「あんたは頑張りが足らないのよ!甘えてんじゃんわよ!」と一括する。「あんたには解らない」と奥田は言うがそうだと思う。東大卒業の公務員に言われると反論したくなるのはよく解る。現代の雇用環境は「頑張ればなんとかなる」というレベルではない。 10年給料が上がらないために恋人がいても結婚出来ない若者がいるのだ。これでは人口減少も避けられまい。 今や結婚して子供を作るというかつては当たり前だったことが当たり前に出来なくなっている。 そういう社会に対しての私的制裁を行う奴が出てくるのは想像出来るし、それに喝采を送る人間が出てくるのも想像される。しかし「そういうのはよくないよ、所詮は犯罪者だ」とまたまた冷静な反応をするのも想像出来る。 こういう犯罪者を称える訳にも行かないし、かと言って批判するのもなんだかいい子ぶっていて(映画として)面白くない。 結局「奥田の犯行の真の目的はネルソンの父親探しだった」とし、「3人の共犯者(荒川良々、鈴木亮平、濱田岳)らに罪はなく彼らは全部自分の指示に従っただけ」として「実はいい人だった」という結論にしか出来なかっただのだろう。 ここまで大きな事件を起こした奴はいないけど、「ドローン少年事件」とかそれに近いものがあるし(数ヶ月経ったら忘れられてるかも知れないが)、かなり現実社会を反映した内容だったと思う。 もう一歩大胆な結末でもよかったように思わないでもなかったが。 それにしても戸田恵梨香はへたくそ。出演シーンは少ないが、奥田の逃亡の手助けをする青年の窪田正孝が出色だ。 今後の活躍がますます期待される。 あん日時 2015年6月6日14:15〜 場所 新宿武蔵野館1 監督 河瀬直美 郊外の町の公園の近くで小さなどら焼き屋の店長をしている千太郎(永瀬正敏)。そこへ見知らぬ婆さんの徳江(樹木希林)がやってきた。あん作りが得意だから自分をバイトで雇って欲しい、時給は200円でも300円でもかまわないという。 徳江の希望を断った千太郎だが、徳江は再びやってきた。今度は自分の作ったあんを持ってきた。 そのあんを捨てかけた千太郎だが、気になって一口食べてみた。その味に惚れ込んだ千太郎は徳江を雇うことに。 11時に開店ならあんは夜明け前から仕込むのだという徳江につきあってあんを仕込む千太郎。 どら焼きはおいしくなり、近所でも評判になった。 しかしオーナー(浅田美代子)から「あの人はらい病患者だ。噂になるとまずい。辞めさせなさい」という言われる。 千太郎は「病気は治っているのだから」を気にしなかったのだが、噂が広まったのか途絶えなかったお客さんも離れていった。 私にとっては「カンヌで売れてるだけで日本での人気は全くない不思議な監督」という河瀬直美なんて正直興味なかったのだが、この映画の関係者に知人がいるので、今度会ったときのためにも・・・と思って鑑賞。 事前に予備知識なしで観たので「えっ、らい病患者がモチーフだったの?」と驚いた。(あとで新聞の紹介記事など見たら、徳江がらい病患者なことは書いてあった) らい病患者と言えば「砂の器」である。 でもこのテーマを持ち出させると映画の批判すら出来ない。 ユダヤ人のホロコーストを扱った映画を批判するようなもので、「映画として面白くない」ということを批判したつもりでも「ホロコースト」そのものを批判(というか擁護)することになりかねない。 だかららい病患者をモチーフにした段階でこの作品は批判できなくなる。 正直、「らい病患者の徳江の頑張りを知って、自分の人生にもう一度チャレンジする」という展開をすれば、どうやたって感動作になる。 その相手となるのが酒場で働いていて傷害事件(事故?)を起こして罪を背負ってしまった男、そして家庭的に決して恵まれているとは言えない女子中学生。 もう感動するしかないのである。 樹木希林や永瀬正敏がいいのは当たり前。 さらに市原悦子まで出てくれば何も言うことはない。 題材とキャスティングが決まった段階である程度の成功は約束されているような、僕にとってはそんな映画。 個人的には西武線が写ってて、そこが気に入った。(西武線の住人なので親近感が沸くのである) |