2015年7月

   
電エース
ハンケチ王子の秘密
マッドマックス
怒りのデス・ロード
七つの弾丸 アマゾン無宿
世紀の大魔王
誇り高き挑戦 男はつらいよ
寅次郎あじさいの恋
独裁者、古賀 黒と黒
OUT OF THIS WORLD
ふたりの恋人 あの胸にもういちど ローリング VIRUS
デビルマン 5月の7日間 ストレイヤーズ・クロニクル サイコ(1998)

電エース ハンケチ王子の秘密


日時 2015年7月28日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 河崎実
製作

 
先日、「私はいかにして30年、一度も自腹を切らずに『電エース』を作り続けられたのか」という河崎実監督の著書を読んだ。
赤字を出さずにどうやって電エースを作り続けてきたかのノウハウが書いてあり、本人に言わせれば「ビジネス書」だそうである。
正直、河崎実監督は「おばか映画の監督」のイメージしかなかったし、「電エース」も「不思議箱」というオムニバスDVDの1本に「電エースに死す」というのを観ただけだった。ただし観たことは観たが内容は全く記憶に残っていない。ただのおふざけ作品の記憶しかない。

でも今回この本を読んで、「河崎監督も河崎監督なりに考えているんだなあ」と(よく考えれば当たり前だが)感心したので(大変失礼な話である)、「電エース」を改めて観てみることにした。
友人に「電エース」に出演したことがある人がいて、その人が「買うことないですよ、レンタルで十分です」などとのたまうから、最新作を一瞬買おうかと思っていたのを思いとどまって、レンタルした。
とりあえず斎藤工が出演してるのにした。

ああ、なるほどねえ。
「電エースってこういうゆるい作品なんだ」と思ってみれば実に楽しい。面白いっていうより楽しい。
緩さに思わず頬も緩む。

今回のテーマはUMAだそうで、4分ぐらいの連続スタイルである。たしかに80分を1本の映画として作ると脚本がしっかりしてないと持たないが、4分の短編の連続だから飽きる前に終わる。

北海道のクッシーの近くの土産物屋でグッズを買って領収書をもらう、同じく鹿児島のイッシーに行って同じように土産物屋で領収書をもらう。
クッシーやイッシーが出てくるのだが、これが首部分だけ。
首は腕の長さのギニョールを作って中に手を入れて動かす仕組み。1、2度動かしてる手が写った。
同じように芝居(というか会話)をしてる部分でもマイクがちらっと写る。1回だけではなく、3回ぐらいはそういうカットがあった。

さらに東宝ビルトを訪ねてそこの裏庭でも撮影。
最後の最後に河崎実がプロデーュサーに「主役交代させるから」と言われて斎藤工が出てくるというオチ。

ちゃんとした特撮作品を期待せずに、パロディというかオマージュというかを緩く観るというのが正しい姿勢なのだな。
それが私は解ってなかったと思う。
他の作品もヒマな時に観てみようか。

それにしても本のタイトルの通り、決められた製作費の中で作品を作り続けるのは大切だと思う。
正直、河崎監督を見直した。








マッドマックス 怒りのデス・ロード


日時 2015年7月26日19:10〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン1
監督 ジョージ・ミラー


核戦争後の地球。すでに国家は無くなり強い者が水とガソリンを支配する世界だ。
元刑事だったマックス(トム・ハーディ)は放浪の旅の途中で争いに巻き込まれる。水を支配するジョーの手下の女戦士のフュリオサはジョーの女たちと共に緑豊かな土地に逃げようとした。フュリオサは自分がいつも使う武装したウォータンクで逃亡する。気づいたジョーは自分のウォーボーイズと共にフュリオサを追いかける。
果たしてフュリオサ、マックスの運命は?


「マッドマックス」は公開当時、オーストラリア映画という映画としては日本にとっては馴染みの薄い国の作品で、それも含めてかなり話題になっていた。
でも観なかった。なぜだろう。何となく馴染めないものを感じていたのだろうか?

今回30年ぶりにシリーズの新作が公開されるということで、多少は話題になっている。
正直、前の作品も観てないし今回も観ないつもりだったが、周りの評判はいいし、この日映画館でもう1本映画を観たい気分だったので、選択してみた。

ああ、なんかこう馴染めないものを感じる。
それはちょうど石井聡互(当時)の映画(「狂い咲きサンダーロード」とか「爆裂都市」)を観たときに感じた違和感、馴染めなさと同じである。
不良生感度の高いファッション、というのだろうか。私の趣味に合わないのだよ。
追跡チームの中にロックを演奏しながら走る車があるとなんだか「バカだなあ」と苦笑してしまう。
車と爆音ロックですね。
暴走族の感覚だなあ。
爆走とロック、というのは日本の暴走族だけじゃないのか。

車もベンツを改造したり、昔のアメ車を改造したりの改造車ばかり。あのセンスは既存の車をシャコタンにしたりするセンスと同じ。
結局、暴走族のセンス満載である。

最初のうちはそのあたりのセンスがあわなくてちょっと閉口したのだが、観てるうちに段々気にならなくなる。
逃げる、追跡する、戦う、また逃げる、追跡する、戦うの繰り返し。
砂漠だったり、山道だったり、夜間だったり、泥道だったると色々変化を加えている。
それにしても2時間ほとんどカーアクションだけでつないでしまうセンスはやっぱりお見事である。

求めていた緑の園はすでになく、ばあさんのバイクチームだけが生き残っていたという展開。
ばあさんってのがすごいね。意外性が。ばあさんがバイクに乗って銃をバンバン撃ちまくるのは痛快である。

観た後で何か残るような映画じゃないけど、2時間カーアクションだけで見せきった力技は見事です、ホント。
















七つの弾丸


日時 2015年7月26日14:40〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 村山新治
脚本 橋本忍
製作 昭和34年(1959年)


矢崎哲男(三国連太郎)は新橋駅前の明和銀行の強盗を計画していた。銀行の路地を挟んだ隣には交番がある。しかし交番があることの安心感が逆に防犯意識が薄くなっていると矢崎は考えた。
その明和銀行の出納係の安野は急な連絡を受ける。弟がタクシーに引かれて死んだのだ。父をすでに亡くしている安野家は弟が死んだ今、安野と母の二人になった。母親も寂しかろうということで安野の結婚話が進められる。彼には中谷という恋人がいた。
銀行の隣の交番には江藤巡査(高原駿雄)がいた。江藤は青森から上京し、近く行われる巡査部長の昇進試験のことで頭がいっぱいだった。
タクシー運転手の竹岡(伊藤雄之介)はタクシー会社では煙たがれれる不良運転手だった。運転は乱暴、勤務時間は守らない。彼は埼玉の深谷に女房(菅井きん)と子供が3人いたが、名前を変えてキャバレーのホステスと同棲していた。
矢崎はいよいよ犯行を実行する!


「東映現代劇の潮流」特集での上映。
犯罪ドラマで橋本忍脚本なので、今まで聞いたことのなかった映画だが、興味を引かれて観てみた。
なるほど、見応えがあった。
「犯罪映画特集」とかでも再上映したらいい。

こういった銀行強盗ものだと始めに強盗をして逃亡劇となるパターンが多いが、この映画では一見つながりのない警官や銀行員、タクシー運転手のドラマが続く。
警官や銀行員は矢崎が狙ってる銀行と関係があるが、タクシー運転手は関係がない。冒頭の安野家の葬儀から帰る銀行の同僚たちを乗せたタクシーの運転手として映画に登場。
その後、女との同棲生活や竹岡を探しにきた女房のドラマが展開され、こちらとしては「どうなることか」という期待と不安に襲われる。

映画は途中で矢崎の半生に話が移る。
北海道から上京したが、ろくに学歴のない彼は苦労する。同じアパートに住む女子医大生(久保菜穂子)とつきあうようになり、「いつか君に病院を持たせてあげたい」と夢を持つ。
しかし現実は厳しく神戸の友人を頼ってみたが、その友人は行方不明。日射病で倒れて交番に運ばれるが、そこで警官の隙をみて、つい拳銃と財布を奪ってしまう。
それからは名古屋、浜松で強盗をし金を作る。そしてついに銀行強盗だ。

逃走用の車はタクシーを奪うことを計画。しかし運転手が抵抗したために予定外の殺人をしてしまう。銀行の前まで行ったが、いつもはその時間帯は一人しかいない警官が3人いて計画を中止。

別の日についに計画を実行。
まずは一人だった交番の警官・江藤を縛るだけのつもりだったが、抵抗したために殺害。そして銀行に入って安野も殺害。逃走用に待たせておいたタクシーは驚いて行ってしまう。そして流しのタクシーを拾うがこれが竹岡の車。
逃走中に竹岡も殺される。

この流れでなぜ江藤や安野、竹岡のドラマを延々と撮っていたかが解り、その鮮やかさには舌を巻く。
さすが橋本忍!
惜しいのは特に安野が殺されるところで、彼のアップがなかったところ。延々と彼のドラマを描いてきたのだから、死に際はもう少し強調してあげてもよかったのでは?
そこが惜しい。

矢崎は車で逃走の末に行き止まりになり、警官隊に逮捕される。
そして1年11ヶ月後に死刑が執行される。
警官一人を殺し他にも2人殺したのだから、死刑にもなるか。
(ちなみに大阪北浜であった銀行強盗事件を題材にしてるそうだ)

救いのないのはエンディング。
江藤の実家では矢崎の死刑の報を受け、父親(左卜全)は「農家の次男三男では仕事もない。殉職して2階級特進で本望だろう」というしかない。
安野の恋人は別の男性と結婚。やや寂しさをまとう。
安野の母は二人の息子が次々と死んでしまい、今や精神病院に入れた方がいいと言われる始末。
子供3人(もう一人生まれて今は4人)を残された竹岡の妻はついにデパートで万引き。
一人の犯罪者は直接死んだ者だけでなく、その家族をも不幸にしてしまう重大な事態を改めて知らされた。

作者たちもそこが描きたかったに違いない。
(ちなみに助監督は深作欣二だった)









アマゾン無宿 世紀の大魔王


日時 2015年7月25日15:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 小沢茂弘
製作 昭和36年(1961年)


裏社会の賭博稼業も今は昔ほど儲からない。アメリカの賭博業界のボスたちが集まって日本を新しい市場として開拓するためにゴールドラッシュの熊吉(進藤英太郎)を送り込むことにした。同じようにフランスのボスも、エジプトのボスも日本に人を送り込んだ。フランスからやってきたのはスペードのジャック(江原慎二郎)だった。
そこへ今度はブラジルからアマゾンの源次(片岡千恵蔵)という日本人が久々に帰ってくる。
また香港の暗黒王の竜(月形竜之介)も美人秘書(久保菜穂子)を連れて日本にばくち場を開こうとやってきた。
さあ三つ巴四つ巴の戦いが始まった!


数年前にシネマヴェーラで「ヒマラヤ無宿 心臓破りの野郎ども」という滅茶苦茶な映画を観たが、片岡千恵蔵の「無宿」ものがあると聞いていたので、今回ラピュタの「東映大泉撮影所特集」で観た。
ちなみにニュー東映なので、冒頭の社名マークは波ではなく火山。しかもカラー。

ソンブレロを被った千恵蔵御大が登場。おいおいソンブレロはメキシコだぞ。千恵蔵は昔ブラジルに移民で行った日本人が帰ってきた設定だぞ。そこら辺からしてもう滅茶苦茶だ。
しかも衣装は闘牛士のような出で立ちだ。

竜は日本の協力者のホテル(オーナーは三島雅夫)の地下の博打場を足がかりに日本でも賭博場を開こうとする。
そこへやってきた千恵蔵や進藤英太郎、江原慎二郎たちをなんとか抱き込み、日本のボス(小沢栄太郎)とその隠れ蓑の組織の教団を乗っ取ってしまう。
で、秘書の久保菜穂子は実は竜の命を狙っていて、ついに殺そうとするが見つかってしまう。
そこで突然気が狂ったふりをして精神病院送りとなる。

それで何かあると睨んだ千恵蔵御大もきちがいのふりをして精神病院に潜入。
そこで「祭り」と称する患者たちが集まって自由にさせる場に行くのだが、まあ昔の「きちがい」のイメージで押しまくる。いまなら問題になるよ。

ここで由利徹や南利明、トニー谷らがきちがいとして登場。ゲスト出演で笑わせる。
なんだかんだで逃げ出して、千恵蔵御大や久保菜穂子は信州の久保菜穂子の実家に隠れる。
ここで竜は久保菜穂子の姉(だったかな、兎に角身内)を殺していてその復讐のために竜に近づいたと解る。

東京に戻ってなんだかんだで結局竜は警察に逮捕。
そこで実は江原慎二郎は国際警察の刑事だったというオチ。千恵蔵御大はただのブラジルの百姓。

結局この映画の面白さは無茶苦茶な設定な話を千恵蔵をはじめとする大スター達が大まじめに演じてるところがおかしい。
これが聞いたことのない俳優が低予算で作っていたらただの恥ずかしい映画にしかならない。
こういうおバカな役を千恵蔵御大にやらせた会社もすごいし、演じた千恵蔵ももっとすごい。
面白かった。
「無宿」シリーズとして「アマゾン」と「ヒマラヤ」の2本立てで観たいですね。












誇り高き挑戦


日時 2015年7月25日13:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 深作欣二
製作 昭和37年(1962年)


10年前にある婦女暴行事件を調べた大手新聞社の記者・黒木(鶴田浩二)は、今は鉄鋼新報という業界紙の記者だった。
彼は自衛隊向けのマシンガンを作っている会社に目を付ける。どうやら自衛隊以外のお客様、アジアの某国に武器を売ろうとしているらしい。工場から出てきた車を調べて行くうちに、その武器ブローカーとして浮かんだ男が高山(丹波哲郎)だ。
高山は10年前の事件で黒木に取材の中止を迫った男だった。元日本軍の特務機関だった高山はその頃はGHQに協力し、米軍が絡んだ事件のもみ消しを計ったのだった。
実は彼女はソ連関連の仕事をしており、情報を取ろうとした米軍情報部に逆に殺されてしまったのだ。
黒木が調査をしていくと高山は最近革命が起こった某国の旧政府側に武器を売ろうとしていた。革命側は武器が旧政府側に武器が渡ることを恐れ、この取引をつぶそうとしていた。
しかし政府側の大統領の妻は日本に亡命を希望していた。
大統領の妻は黒木に情報を流す。


深作欣二監督作品。
この映画は学生時代に「日本映画思想史」という佐藤忠男さんの本を読んだときに登場していた。
「アメリカとの関係」を批判的に描いた映画として紹介されていた。その学生時代にもレンタルビデオで観た。
黒木が普段サングラスをしていて「このサングラスをしていたほうが、世の中が正しく見えるのさ」という趣旨のことを言っている。ラストで黒木がサングラスをはずし国会議事堂を見つめるカットを佐藤忠男氏は誉めていて、そこはちょっと期待したのだな。
でもそれほど面白くなかった記憶がある。

たぶん後の熊井啓の「日本列島」を先に観ていたので、武器商人とかアメリカの謀略などがモチーフだが、どうにも東映調のギャング映画になった作りが物足りなさを感じたのだと思う。

今回30年ぶりぐらいに再見したのだが、その学生時代の感想と変わらなかったというのが正直な感想。
政府側がいて、革命軍側がいて、女が裏切ってという展開なのだが、どうにもやっぱり東映ギャング映画にしか見えない。
深作欣二もまだまだ新人監督の頃だし、バリバリの社会派映画は出来なかったのかも知れない。

中原ひとみが黒木に協力し、今は朝鮮戦争で片腕を失った黒人の元米兵と結婚している設定で登場。
しかしこの頃の中原ひとみは本当に可愛い。
東映なんかじゃなく、東宝とか日活のほうがもっといい扱いをしてもらったんじゃないかと残念に思う。

ラスト、高山は日本に残った某国大統領の妻に米軍情報部に売られて殺されてしまう。
そして黒木が(小さな業界紙とはいえ)今回の武器輸出の件を書いたので、うるさく思われて高山は米国に消されたのだ。
それは単なるやくざの仲間割れ事件として片づけられる。
黒木も事件の裏側を警察に訴えるが無視されてしまう。

で警視庁から出てきた黒木がサングラスをはずし、近くの国会議事堂を見つめるのだ。
「これが本当の敵だ」と言わんばかりに。

実は今回特に驚いたのは(製作者の意図とは関係ないのだが)、この国会議事堂を見つめるシーン。
鶴田浩二の周りには何もないような広野なのだ。
そしてその奥に国会議事堂がある。
今ほど開発されていなかった赤坂あたりで撮影したのかなあと思うが、昭和37年の東京の国会議事堂付近であんな広野がまだあったことが驚いた。
映画の出来とは関係ないけど。

(ちなみにニュー東映作品なので、波の東映マークではなく、火山のニュー東映マークだった)











男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋


日時 2015年7月24日
場所 DVD
監督 山田洋次
製作 1982年(昭和57年)


寅次郎(渥美清)は葵祭りでにぎわう京都で一人の老人と出会う。それは人間国宝の陶芸家加納作次郎(十三代目・片岡仁左衛門)だったが、そうとは知らずの寅次郎、持ち前の明るさですっかり作次郎に気に入られ、料亭で酒を飲んだ後、作次郎の家に一泊した。
翌朝帰ろうとしたところを女中のかがり(いしだあゆみ)と出会う。ちょっと陰のあるその姿は美しかった。
実はかがりは作次郎の弟子の一人と結婚すると思われていたが、その弟子は「自分の工房が持てる」といういい話がきたために別の女性と結婚することになってしまう。
失意のかがりを作次郎はつい「あんた何であの男に無理にでもついていかんのや!」と叱責してしまう。
かがりは作次郎のもとをやめ、丹後の実家に帰ってしまう。
事情を聞いた寅はかがりを訪ねて丹後に向かう。


7月21日に角川から「戦後70年戦争映画コレクションDVD」というような名称の主に外国映画の戦争映画のDVDシリーズが創刊。その第1号が「トラ・トラ・トラ!」なのですでにDVD、ブルーレイも持ってるが買ってみた。
そこで渥美清の出演シーンを観て、なんだか寅さんを観たくなったのでDVDを購入。

寅さんはシリーズ半分ぐらいは観ているが、この「あじさいの恋」はちゃんと全部観ていない。というのはこの映画の公開の頃は新宿の松竹館でアルバイトをしていて、その関係で劇場には入ったが、途中までしか観ていなかった映画なのだ。
前半の京都での加納家でのやりとりが好きだった。
その数年前にNHKの「ザ・商社」というドラマで江坂商事の社主を片岡仁左衛門が演じていて、好きな役者だったのだ。
だから特に前半の片岡仁左衛門の出演シーンはよく覚えていた。

出会いは片岡の下駄の鼻緒が切れる。そこへ寅がやってきて「どうした、鼻緒切れちゃったか。芝居なら若い綺麗なねえちゃんがやってきて『お困りでしょう』ってなもんでハンカチで直してくれるもんだが、俺じゃしょうがねえなあ」とか言いながら鼻緒を手ぬぐいで直すシーン。
渥美清の一人語りがなんとも言えない。

他にも好きなシーンは多いのだが、今回「恐れ入った」と思ったのは寅が「じいさん、茶碗焼いただけでこんな立派な家が建つわけねよな。なんか陰で悪いことしたんだろ?」というシーン。寅がいなくなってから片岡が「きっついこといいよる」というのだが、それ妙に印象に残った。
彼も人間国宝と言われるまでの陶芸家になるまでにはいろいろあったのだろう。他人を蹴落とすようなこともしたのかも知れない。
その前に寅と酒を飲んだときに酔っぱらって「有名になりたい、売れたいと思ってるうちはいいものはできへん」という。
その売れたいと思っていた時期のいろいろを「きっついこといいよる」という一言で連想させてしまうせりふがすごい。
もちろん片岡、渥美の名優が掛け合うからこそだとは思うが。

あと好きなのは弟子の近藤(柄本明)に寅が「何年やってるの?」「は!もう12年になる」「へーそれで芽がでないの?向いてないんじゃない?人間いくらでも生きる道はあるんだからね」というシーンは初見の学生時代の自分にも大いに刺さった。

そして寅が丹後に帰ったかがりを訪ねて「こっちも好きで相手も自分のことが好きなら世の中から失恋ってのはなくなっちゃう。でもそうはいかねえんだよなあ」というせりふもよく覚えていた。
当たり前だが、当たり前すぎてなかなか言えない。

というように前半は名シーンが多い本作なのだが、後半は正直失速する。
今回、かがりが寅に積極的なのだ。
丹後の自宅で、娘(かがりには死んだ亭主との間に娘がいる)を寝かしつけたが、起きてしまう。それをまた寝かしつけようとするのだが、そのときにかがりのスカートから見える彼女の足が妙になまめかしい。
貧乏なあばらやだが、それが妙にそそるのだ。
それだけのみならず、寅がちょっとうろたえて先に床に着くのだが、かがりが「寅さん、もう寝ちゃったの?」と問いかける。
日活ロマンポルノ並の色気なのだ。
山田洋次もこういうのも撮ろうと思えば撮れる人なのだ。

そして寅が柴又に帰り、かがりがやってくる。
そこで「日曜日午後1時に鎌倉あじさい寺でお待ちしております」と手紙を渡される。
寅はおたおたするばかりである。

その後、あじさい寺になるのだが、物語の必然性として鎌倉まで行く理由がない。ただ「そこでロケがしたかっただけ」という理由しか見えないのだな。
そして寅は一方的に逃げるばかり。
満男まで連れていって防波堤を作っている。
(この作品の後、吉岡秀隆は10数年満男を演じることになる。この時、吉岡秀隆が30年後も俳優をしてるのはなかなか思わなかったろう)

いやあ男として女に恥をかかせちゃいけないよ。
「俺みたいな男はかがりさんにはふさわしくない」という寅が遠慮した気持ちも分かるが、それならそれで惚れてはいかん。
かがりさんを嫌いならともかく、ちゃんと受け止めてやれよ!寅次郎!

だから物語の必然性としては明確な理由を示さない限り、結ばれるべきなのだ。
「寅が結婚したらシリーズが終わってしまう」という作る側の都合しか感じないのだな。先のあじさい寺ロケといい、どうにも後半は作り手の都合が押しつけられた感が残った。

そういう不満はあるものの、特に前半の片岡仁左衛門とのやりとりが最高で、記憶に残る作品だ。
エンディングでまたまた柄本明が登場し、笑わせてくれる。
ラストシーンとの寅と加納作次郎との再会も味が利いていて、よかった。








独裁者、古賀


日時 2015年7月20日10:50〜
場所 新宿K's cinema
監督 飯塚俊光
製作 2013年


高校生でクラスでいじめにあっている古賀(清水尚弥)と副島は学級委員に選ばれた。選ばれたというより押しつけられたというほうが正解だったが。
副島はやがて学校に来なくなる。担任は古賀に「同じ学級委員としてプリントを持っていって」というだけ。
古賀はプリントを持っていくうちに彼女を意識するようになる。プリントのない日は手紙を書いた。
「同じ学級委員としてできることがあってら言ってください」。彼女からは「何もありません。でも手紙もらったのがうれしかったです」
古賀は自分が好きな落語の文庫本を貸し、彼女にも「寿限無」を読んでもらう。
彼女は「面白かったです。いつか古賀君と生の落語を聞いてみたいです」と返事が来た。
古賀は舞い上がって教室で読んでいた。
それをいつものいじめる子たちに見つかって取られてしまう。


先週「ローリング」を見て予告をやっていたこの映画。
主役の男の子がちょっと好印象だったので(チラシを見たら先日テアトル新宿でやっていた「死んだ目をした少年」で主演した子だ。こちらは見なかったけど)、見てみた。

冒頭に陰惨ないじめのシーンが続く。
私はいじめのシーンが苦手なのだ。
見ていて気分が悪くなる。
でもこの映画は途中から古賀の淡い恋愛話になり、見ていてほっとする。
プリントもないのに副島の家に行き、玄関前でうろうろするシーンはほほえましい。

副島の手紙をいじめる側に取られてしまい、教室に張り出される。古賀の励ましで一旦は登校した副島もまた登校拒否になってしまう。
古賀は子供の頃からいじめられたときに守ってくれた(変な)おじさんの黒柳に自分を鍛えてくれるよう頼む。

この黒柳というキャラクターが「幼児に性的いたづらをして逮捕されたことで一時姿を消した」というトンデモない性格。
このキャラクターは気に入った。
上映後、監督がいらっしゃったのでこの黒柳というキャラクターを「ホモのロリコン」という強烈な個性を持たせたことについて聞いてみたが、やはり賛否があったという。
あのキャラクターのおかげでひく人もいるそうだ。

それも世間のイメージで言えば納得するが。
監督としてはむしろキャスティングで迷ったそうだ。
頭の中のイメージとあう役者がいるのかということで。
監督の話では担任教師と対比をなす聖職者ではないキャラクターにしたかったそうで。

最後、古賀は手紙を取り返すが、副島さんは自分の意志で退学してしまう。
彼女との別れの場を作ってくれたのは頼りなかった担任の先生と黒柳。
別れのシーンもよかったが、個人的によかったのは最後に古賀のナレーションで「数日後、黒柳さんは児童猥褻で捕まった」というところ。

監督としてはそこはメインではないだろうけど、「ホモのロリコン」が「ベストキッド」のパット・モリタの役割を果たしたのがすごく面白かった。
見逃さなくてよかった。












黒と黒 OUT OF THIS WORLD


日時 2015年7月19日12:15〜
場所 光音座1
監督 新里猛作(第1回監督作品)
製作 ENK 


ケンイチたちは売り専バーでも働いているが、もっぱらゲイ映画館でお客を誘ってホテルに行き、その客からお金を巻き上げることをしていた。
でもそれもお店にバレたのかお店はクビ。
今日も上野の映画館の前でお客を張っていたがなかなか引っかからない。
仕方なく仲間のヒロミを加えてケンイチたちの仲間が働くバーに飲みに行く。
そのバーはマジシャンがサービスで各テーブルでマジックを披露していた。
そのマジシャン高木が今日で店を辞めるということで、店長からまとまったお金をもらってるのを見たヒロミ。
ヒロミは店を出て高木に話しかける。一緒に居酒屋に飲み行き、やがてホテルで一夜を過ごす。
高木は実は男の経験は初めてだった。
あと1週間でマジック修行でニューヨークへ旅立つ高木は、その間自分の恋人になってほしいとヒロミに頼む。


ENK作品。
製作年度がはっきりしないが、携帯電話も少し使ってるし、GSHOCKが流行ってるし、「世紀末だから」というせりふが出てくるので、90年代後半だろう。
ロケはほとんどが上野なので、今はなくなったオークラの世界傑作劇場などが写っていて懐かしい。
あと冒頭で新宿2丁目の仲通りのスクールメイツ(だったか?)の看板が出てくる部分は新宿ロケだ。

それにしても「世界傑作劇場から出てきた客に声をかけてホテルに行って金をせびる」なんて話、よく許したなあ。
これじゃみんな来なくなっちゃうよ。
あっ、「外で声をかけられるとこういうこともあるから気をつけましょう」という啓蒙か。
主人公たちが映画館に入らないのは入ると金がかかるし、従業員にも顔を覚えられてマークされるからね。

でもこの映画、ちょっと計算違いがあると思う。
冒頭、絡みがあって実は銀行員だった男が金をせびられる設定だが、どうしてもこのせびる若い男が主人公だと思ってしまう。
ところが実際の主人公はその後に出てくるヒロミだからな。

ヒロミとこの不良集団の関係もよくわからない。
ヒロミの他の3人のメンバーが腕に入れ墨タトゥーをしたのを見て、自分は疎外感を感じるという展開があるのだが、ヒロミはそれなりに自分を持っているので、どうにも仲間を欲してるようには思えない。
そのあたりで脚本の混乱を感じる。

結局、「恋人ごっこ」がだんだんヒロミも本気になり、ニューヨークに行く行かないでもめ出す。
最後には上野でスカイライナーに乗る高木をヒロミは見送る。
この時、スカイライナーの扉越しにキスをして、その直後に扉が閉まり発車するというのが絶妙のタイミングで行われており見事だった。

物語そのものはありきたりな感じがしたが、90年代後半の上野の風景が懐かしかった。












ふたりの恋人


日時 2015年7月19日11:05〜
場所 光音座1
監督 国沢実
製作 OP映画


アキオとヒロは同棲を始めて1ヶ月のカップル。
ある晩、ベッドの中でアキオがヒロを激しく求めて、ヒロは少し驚く。「夕べはすごかったな」と言われるアキオだが全く覚えがない。
ヒロが仕事に行った後一人考えるアキオ。そういえば昨日食器棚にあった「ミツル」と名前の書いたカップをヒロが「捨てていいよ」と言って割ったっけ。
その晩、ヒロはアキオのパスタの食べ方を見て驚く。それは別れた恋人のミツルとそっくりだったからだ。
ヒロはミツルが今どうしてるか探し始める。
一方、アキオは何者かにとりつかれていく。
幻影に従って付いていったらビルから飛び降りるところだった。それを救ってくれたのは自称除霊師のサコミズだった。
ミツルはヒロと別れた後、まるで生きる屍のような姿になっていた。


別れた恋人の生き霊が新しい恋人にとりつくというホラーテイストの映画。
別れた理由は、ヒロが「人間はいつか裏切る。裏切られる前にこっちから別れた」というもの。理屈になってるような、なってないような。

結局除霊もうまく行かず、ヒロに乗り移ったミツルに犯されてしまうサコミズ!
ミツルの魂はミツルに戻り、結局は「ずーっと一緒にいよう」というミツルはヒロとマンションのベランダから飛び降りてしまう。
一人になってしまったアキオは、そういえば最初テレビが自然ついてその中にちらっとミツルが写ったことを思いだす。
アキオもまた「僕も一緒にいたい」とそのテレビの中に入ってしまった?という余韻を残してEND。

ちょっとホラーテイストだが「ずーっと一緒にいたい」という愛の気持ちが伝わってきた。
面白かったほうだと思う。













あの胸にもういちど


日時 2015年7月18日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 ジャック・カーディフ
製作 1968年(昭和43年)


ある朝、結婚間もないレベッカ(マリアンヌ・フェイスフル)は自身を押さえきれなくなり、ハーレーのバイクでフランスから国境を越えてハイデルベルグに住む恋人のダニエル(アラン・ドロン)に会いに行く。
レベッカの夫のレイモン(ロジャー・マットン)は優しくていい人だが、学校では生徒にバカにされ、レベッカには物足りなかった。
ハイデルベルグまでの道のりにレベッカはダニエルとの出会いを回想していく。
ダニエルはレベッカの父が経営する古本屋のお客の大学教授だった。
大学では「自由恋愛とは?」と既存の結婚を前提とした恋愛感に疑問を投げかける。
レベッカは結婚前に友人やレイモンたちと行ったスキー場で再会。彼は夜ホテルの部屋に忍び込んできて、レベッカはレイモンではないと知りながら体を許した。
それはレベッカにとって堪らない快感だった。
レベッカはダニエルと不倫を楽しむためにレベッカと結婚する。


今はやってないけど、昔子供の頃に「木曜スペシャル」(だったか)で「世界名作映画の名場面集」とか「思い出のラストシーン集」などの映画の一部を放送して司会者がコメントをつける番組が時々あった。
「戦場にかける橋」「第三の男」のラストシーンなどもこういう番組で最初に(映画本編を観る前に)観ていた。
そんな中に「女性が着ている皮のつなぎのライダースーツのジッパーを男がくわえて下ろしていき、カットバックでその女性がオートバイに乗るカットが登場し、男は女性の乳房をもみしだき、女性のオートバイは車にぶつかって自身は吹き飛ばされて対向車のフロントガラスに突っ込む」というシーンがあった。

その映画のタイトルは覚えていなかったが、まだ10歳になるかならないかの少年には刺激が強すぎた。
以来、「あの映画はなんという映画なのだろう」と気になっていた。(「男と女」なのかも知れないと思ってみてみたが、違っていた)
先日「DVDブルーレイ映画紹介」という趣旨のムック本を見ていたら、どうもこの「あの胸にもういちど」らしいと解り、早速レンタルしてみた次第。

映画本編を観る前にラストのチャプターだけ再生した。
うーん、ちょっと記憶と違っていた。
ライダースーツのジッパーを下ろしていくカットや男が乳房をもむカットなどもっと長かった気がしたが、あっさり2、3秒しかなかった(いやもっと短い?)

でも「世界名作映画ラストシーン集」などで扱われ、上記のようなカットバックがある映画が他にあるとは思えないので、たぶんこの映画なのだろう。強烈なイメージが脳内再生によって増幅していたと思われる。

正直言ってエロティックな映画だなと思う。
全裸に皮のつなぎ、というだけで皮フェチには堪らないだろう。
冒頭、レベッカはオートバイに給油するが、ガソリンタンクの穴に給油管を差し込む様はまるで男性器が女性器に挿入されていくように見えた。

そもそもオートバイにまたがっている姿は騎乗位でセックスするように見えてくる。
また彼女のイメージするのはサーカスの馬にまたがるレベッカが、鞭をならすダニエルに馬ではなく自身がぶたれて徐々に全裸になっていく姿だ。
もうドMである。

映画の中でもレベッカに「私はマゾで色情狂」というせりふもあり、十分に意識した上でのシーンたち」なのだろう。
68年という時代らしく、レベッカのイメージシーンではブラウン管テレビの色調整を狂わせたようなサイケ調の画が登場する。

70年前後という時代を感じさせる、ストレートには写さないがエロチシズムを感じさせる映画だった。
レベッカの全裸に皮のスーツにバイク、というイメージが「ルパン三世」の峰不二子に影響を与えたという話だが、それも納得。
このエロチシズムさを求める傾向が後の「エマニエル夫人」につながっていったといえるかも知れない。











ローリング


日時 2015年7月12日14:50〜
場所 新宿K's cinema
監督 富永昌敬


元高校教師の権藤(川瀬陽太)は10年前に女子更衣室を盗撮して退職させられた身。東京にいたがキャバクラ嬢のみはり(柳英里紗)と教師時代に住んでいた水戸に帰っていた。そこでおしぼり会社で配送の仕事をする教え子だった貫一(三浦貴大)と再会する。
かつての教え子から突き上げをくらう権藤だが、「先生が盗撮したビデオ見せてくれよ」と男子生徒にせがまれ、自宅で寝ている時に観られてしまう。
その中には今はテレビタレントになった朋美が目立たない子だったジュンと同性愛の現場が収められていた。
教え子たちはこの動画で一儲けしようとたくらむ。
貫一とみはりはお互いに惹かれあい、つきあうようになる。


ツイッターで話題になっている(あくまで私のフォロワーの間の話)し、川瀬陽太さんが主演の一人なのでちょっと迷ったが観に行った。

見逃さなくて正解だったと思う。
川瀬陽太がどうしようもないダメ教師を演じる。
盗撮する、キャバクラ嬢と出来るけど教え子に取られる、盗撮画像をタレント事務所に売りつける、結局その画像が流出して事務所から損害賠償を請求される、そしてキャバ嬢と逃避行となるのだが。

私なんかもう教え子の若者の年ではないので、どうしても教師目線で観てしまう。物語のナレーションが権藤で、権藤の視点で物語りが語られるせいもあるだろうが。

物語はちょっとコミカルな演出もあり、暗くはない。
ばかばかしさが満ちている(あふれているほどではないけど)

動画の入ったハードディスクを壊そうとしてもなかなか壊れない、損害賠償を請求された教え子の一人が電動ドリルで襲われるが電源コードが抜けてしまったり(ここは最後に貫一が襲われるシーンで拡大再生産されるのだが)。

権藤のナレーションで「私は教師には向かなかったのだ」と言っていたのが、社会でも生きていけずに「私にとって教師は天職だった。私のような人間が一般社会で生きていけるはずはなかった」とまるで違うことを言い出すのが印象的なせりふだった。

映画の途中で「これが私の今の姿です」と鳥の巣の中にいる小鳥のカットが挿入される。
「鳥になったってどういうこと?」と観客(私)は「?」となるのだが、最後にその意味が明かされる。
ここはうまいな、と思った。

最後、逃避行の果てに権藤が死んでいったことが伺える。
タレントだった朋美は流出した画像が原因で芸能界引退、でも最後はそれなりに幸せ。
その朋美は権藤先生が盗撮してくれたことを感謝している。

思わぬ方向に動いていく人間の感情が予測がつかず、まったく予想もつかない方向に話が動いていく。
盗撮した教師って何か人間の「欲望には逆らえないもの悲しさ」を感じ、そこが私にとってはツボだったように思う。






VIRUS


日時 2015年7月12日
場所 DVD
監督 深作欣二
製作 昭和60年(1980年)


ストーリー省略。
基本的にオリジナル版を短縮したバージョンで、昔のように新撮影のカットがあるわけではない。
カットされたのは主に日本人関連のシーン。
緒形拳も出てこないかと思ったら、診察していて過労で倒れるというシーンはあった。もっともここだけ。
多岐川裕美関連の東京湾に出て自殺するシーンはなかった。(もっとも今年1月に書いた自分の感想文を読んでなかったことに気づいたが)

あと南極基地のシーンも多くがカットされており、偶然受信した少年の無線を聞いて「スイッチから手を離すんだ!」というくだりはない。
まあここはなくていいんだけど。

だから外国人キャストの出演するシーンはたぶん全部残っている。
一応スターでなくてもそれなりの俳優(つまり在日外国人の素人ではないという意味)を起用しているので、鑑賞に耐えるレベルなのでしょう。

それにしても今回思ったのは会議のシーンがやたら多い。
アメリカ大統領も上院議員も執務室で話してるだけ。
南極も各国で評議会が開かれてまた会議。
女性問題でまた会議。
延々と会議ばかりで退屈する。
何らかの動きがなきゃなあ。

で、地震が予知されてワシントンに自動報復システムを止めにいく。
結局失敗。任務完遂ならず。ミサイルはどんどん発射される。キノコ雲がつぎつぎと現れる。
ここでなんとクレジット。
つまり「人類の復活」はないのである。

なんかキノコ雲が繰り返されたり、「博士の異常な愛情」のB級な焼き直しである。
アバンタイトル部分で吉住(草刈正雄)が髭もじゃで歩いて教会にたどり着き、キリスト像と無言の問答をするシーンは残ってたので、「吉住は生き残ったのかな?」とは匂わせるのだが、それだけ。

いやあテーマもすべてぶっ飛んだこちらも怪作である。








デビルマン


日時 2015年7月5日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 那須博之
製作 平成16年(2004年)


高校生の不動明(伊崎央登ヒサト)と飛鳥涼(伊崎右典ユウスケ)は無二の親友。不良にいじめられることの多い明だが、それを涼は守ってくれていた。
明は4年前に両親を事故でなくし、今は同級生の牧村美樹(酒井彩名)の家に引き取られ、家族同様に暮らしていた。
ある日、明は涼に「自分の父が南極で研究中に地中奥深く眠っていたデーモンをよみがえらせてしまった。自分はデーモンになっている」と打ち明けられ、明もデーモンになってしまうが、人間の心を残したのでデビルマンだった。
やがてデーモンの存在は公になり、政府はデーモン法を制定、デーモン及びその疑いのある者は容赦なく射殺されていく。その動きは世界的なものとなる。
美樹の友人でいじめの対象だった川本巳依子(渋谷飛鳥)は両親がデーモンになってしまった小学生マナブ(染谷将太)を助け出す。
やがてデーモンを滅ぼす動きは国家間の戦争へと広がっていった。


「史上最低映画」としてよく言われるこの映画、名前はよく聞いていたが未見だったのだが、ある席で話題になったので観た。公開された頃は観たい気もあったのだが、時間が合わなかったのか観なかった。

確かに話がむちゃくちゃだなあ、と思う。この映画の不出来の原因はまずは脚本だろう。そしてこの脚本でゴーサインを出した人にも責任はある。

まず前半は学生同士のイジメという狭い世界から始まる。
明も不良からいじめられ、川本さん(通称ミーコ)も女子グループからいじめられている。
デビルマンになってもイジメの不良少年と対決するぐらいしかその力を使わない。
で唐突にマナブ少年が登場していく。

やがてデーモンが地上進出をしてきて、デビルマンがそれらと戦っていくのかと思ったら、それは最初だけでいつの間にか「特別警察」みたいなものができて「デーモン狩り」という恐怖が始まっていく。
でもなぜか明はそれに向かっていったりしない。

マナブの両親がデーモンになったので、行き場をなくしたマナブをミーコが助け、美樹の家にかくまってもらう。
やがて特別警察がデビルマンの明を捕まえてしまう。
そして暴徒と化した人々が牧村家を襲って一家皆殺し。
おいおい、その前に明は「美樹は俺が守る」とか言ってたじゃないか!捕まったのはわかるけど、デビルマンなんだからそこは逃げ出して来いよ!
(あと美樹をずっと見張っている変質者として大沢樹生が出てくるが本筋とは関わらずなぜ出てきたかよくわからない)

結局人類はデーモンを滅ぼそうとミサイルの撃ち合いをして人類ほぼ滅亡。明も美樹の死体から首だけを持ってきて「いつか結婚しよう」と誓った教会に持ってきて祭壇に飾る。首だけが載ってる画はホラー映画のようだ。
そこで明と涼がデビルマンとサタンになって対決!
となるのだが、ここはCGアニメである。

いやもう人類もほぼ滅びちゃったし、いまさら戦ってもなあ。
で、ラストは生き残ったミーコとマナブが人類再生を決意して歩き出す、という訳だがこの二人が廃墟となった東京を歩いても絶望しか感じない。

原作は未読だが、どんな話だったのかしらん?

キャストで言えば主役の伊崎兄弟(崎の字は大の部分が立が正しい字)は双子。目はくりっとしてイケメンのはずだが、もともとなのかキャラクターとしてなのか、眉間にしわを寄せ悪そうな顔つき。
FLAMEというダンスユニットだったが、それほど売れなかったようで、2010年に解散。
売り方とかあったと思うが、ちょっと惜しかった。
デビルマンにちょっとなっているときには特殊メイクをしてるとはいえ上半身裸でファンは喜んでくれたか。

それよりもマナブ役で染谷将太。ここ数年主演級の映画が年に数本という超売れっ子だが、この頃はまだ小学生。子役出身とは聞いていたが、その作品を観たのは初めてで驚いた。でも出てきてすぐに「あれ?」と思ってネットで調べたら「やっぱり染谷だった」という次第。
確かに堂々とした役者ぶりである。

とにかく演出以前に脚本の段階で無茶になっている映画。
さっきも書いたけどなぜこれでゴーサインが出たか不思議である。
結構金がかかってる感じがするだけにもったいない。










5月の7日間


日時 2015年7月5日
場所 DVD
監督 ジョン・フランケンハイマー
製作 1963年(昭和38年)
(DVDでのタイトル表記は「五月の七日間」ですが、当時のパンフレット、資料では「5月の7日間」の表記ですので、そちらを表記します)


ライアン大統領(フレドリック・マーチ)はソ連との核廃絶条約を結ぼうとしていた。しかし世論の反発も大きい。
対ソ強硬派の統合参謀本部議長のスコット大将(バート・ランカスター)を大統領に推す声も上がっている。
スコットの副官のケイシー大佐(カーク・ダグラス)はスコットが各地の基地司令官と競馬の賭をしていると部下から聞かされた。
旧知の友人がケイシーを訪ねてきたが彼が今勤務しているイコムコン基地というのは聞いたことがない。
スコットはクーデターを計画しているのでは?と疑念を持ったケイシーは直接大統領に進言する。
大統領も最初は一笑にふす。しかし万が一を考え、信頼できるスタッフを集め、調査を開始することに。
果たしてクーデター計画は行われるのか?


以前から高評価を聞いていた本作品。DVD化されていたのは知っていたが、オンデマンドとかで4000円以上する。迷っていたがついに購入。
なるほど、高評価もうなづける。

これが製作されたのは1963年。映画でいえば「博士の異常な愛情」「未知への飛行」が作られた頃。現実ではキューバ危機もあった。米ソの対立、核戦争の危険性は今よりもっともっと高かったと思う。

正直、面白いことは面白いが、やっぱりオンデマンドでしたかDVD化されていないというのは「マニア受け」でしかないなという気もわかる。
「博士の異常な愛情」などに比べると画的な派手さという点ではイマイチだと思う。
大部隊が発進するのを実力で阻止する、といういわゆる「派手さ」はない。

証拠を集めて合法的に相手を辞任させようとする大統領。
クーデターに参加しなかった将軍から計画の全容を聞き出しサインさせた文書をもった補佐官(マーティン・バルサム)は飛行機事故で死んでしまう。(これが偶然の事故かスコット将軍の差し金かはわからない)
その文書が最後の最後になって発見される。

その前にスコットと直接会う大統領。大統領の側近は「敵との直接対決ですね」というが「彼は敵ではない。敵は核兵器が存在するこの時代だ」と答える。
大統領はスコットに辞任を要求するが「その必要はない」と突っぱねる。
「選挙に出て大統領になれ」とスコットにいう。
「選挙の頃には国はなくなっている」と反論。
何を言っても聞かないスコットに対し、最後の切り札だったスコットが愛人(エヴァ・ガードナー)に出した手紙を出そうとする。
しかし結局はそれは使わない。

「彼もまたこの国の将来を本気で心配してのことだ」と一定の配慮をする。
相手を単なる「狂信者」として描くのではなく、「証拠によって諦めさせる」という力を用いない方法で活躍させたシナリオがよい。

脚本は「ミステリー・ゾーン」で有名なロッド・サーリング。
ジョン・フランケンハイマーはまだまだ未見の作品も多い。
また観ていこうと思う。

それにしてもバート・ランカスターって「ダラスの熱い日」とかタカ派の役が多いな。









ストレイヤーズ・クロニクル


日時 2015年7月4日11:10〜
場所 新宿ピカデリー・シアター4
監督 瀬々敬久


深夜の六本木。廃墟となったボーリング場。ここはある不良グループの大麻の畑であり、彼らのアジトだった。
そこで眠りこける少女が一人。それを助けだそうと3人の若者がやってくる。彼らは超人的な動きをして少女を助けていった。
彼らは昴(岡田将生)、亘(白石隼也)、良介(清水尋也)。20年ほど前、人間の進化に対してある実験が行われた。それは人間に異常なストレスを与え、そのストレスに抵抗できる能力を持った子供を生ませて出来たのが彼らだった。
そのプロジェクトはバブルの崩壊によって中止されたが、機密を知る衆議院議員の渡瀬(伊原剛志)によって管理されていた。そして昴たちは渡瀬の指示によって時々働いている。その夜助け出した少女は大物議員・大曽根(石橋蓮司)の孫だった。
その晩の活躍が原因で亘の脳が破綻してしまう。彼らは特殊能力と引き替えに大人になる頃に脳が負担により破壊されてしまう可能性を持っていた。
ある日、昴は自分たちと同じように実験で生まれた子供たちがいると渡瀬から聞かされる。それは動物の遺伝子と人間の遺伝子を組み合わせて出来た能力をもった人間たちがいるというのだ。
彼らは破壊活動を行っており、今度の目標はその遺伝子操作研究のリーダーだったリム・シャンヤン博士(団時朗)だった。


最近作品を観ていなかった岡田将生だが、岡田がアクションの構えをしたポスターを観て楽しみにしていた。
観初めて「これはあの『エスパイ』だなあ」と思った。
特殊能力を持った人間同士の戦いなんてそのままじゃないですか。
前から「エスパイ」は早すぎた映画であり、「ハリー・ポッター」が出来る今の技術をもってすれば見応えのある映画が出来るに違いないと思っていたのだが、それがまさにこれ。

そして同時にこれは「ゴジラ」だ、とも思った。
人間の科学探究の心が生み出してしまった存在。そういう点では昴たちはゴジラである。
「軍事、科学、様々な理由があったが、結局のところ好奇心」と渡瀬はプロジェクトの目的を説明する。
おそらく科学者たちにとっては遺伝子組み合わせもストレスから人類の進化を生むことも、単純な好奇心、探求心なのだろう。

現実では原子力研究だろう。原子力というとてつもないエネルギーを発見した、これを何とか実用化したい、ということで生まれたのが原爆、そして平和的な活用方法はと思って出来たのが原発。しかし結局はどれも制御できない。
でも科学者たちの好奇心とそれを利用とする金持ちだけの意図で動かされている。
映画中、リム博士を拉致しようとしたシンポジウムの会場が反原発テロリストに狙われるのは物語の必然である。

先ほどの「ゴジラ」との類似性で言えば昴たちはまさしくゴジラだ。科学への好奇心で生み出されたという点では昴もゴジラも全く同一。
僕は「ゴジラ」シリーズを観ていて、実はゴジラに感情移入したことはない。「ゴジラ」映画の主人公はまさしく人間であり、その人間を通して描かれるドラマである。
だからゴジラが本心でなにを考えているのか分からない。伝わってこない。いやそもそもゴジラに感情があるのか?
単なる破壊本能だけの動物ではないのか?

ところが本作に登場する「超人間」(という言葉は適切なのか?)たちは人間である。大人の勝手な都合、好奇心によって生み出され、「君たちはどうやっても長く生きられない。それを止めることは出来ない」と開発者に言われてしまう。何という無責任な大人たち。
ある意味、先ほどの現実で言えば原発の擬人化とも言える。

彼らは生きるために闘う。
もちろんアクション映画としての面白さもあるが、人間の身勝手な好奇心によって生まれてしまった者たちの叫びが聞こえ続けて私にはビンビンと心に響く映画だった。

各メンバーがどういう能力を持ってるか、最初にもうちょっと説明して欲しかった気もして手放しでは全部は誉められないのも事実だけれど。

岡田将生はアクション映画初挑戦だそうだが、それを感じさせない美しさ。(もっともちょっと頬が痩けてかつての美少年さからの変化も感じるが)
染谷将太はいい役者だけどちょっと出演作が多すぎ。
こうしょっちゅう観ると「他に役者はいないのか?」という気になる。

良介の清水尋也はどっかで観たと思ったら「ソロモンの偽証」のあの不良少年か。今後の活躍が楽しみだ。
出演シーンは少ないが、生き残ったアゲハ(染谷のチーム)のメンバーにちょっと想いを寄せる大学生役で本郷奏多。
「何とかならないことなんてない」(とは私自身は思わないが)希望を持ったラストだった。

本多=円谷コンビが作っていた東宝SFの精神を受け継いだ良作。東宝SFファンとしてはその遺伝子を観た思いがして、うれしかった。









サイコ(1998)


日時 2015年7月2日
場所 DVD
監督 ガス・ヴァン・サント
製作 1998年(平成10年)


ヒッチコックの「サイコ」をガス・ヴァン・サントが完全リメイク。
完全リメイクだから基本シナリオもそのまま。新キャラクターが登場するとか一切無し。
カメラアングルもほとんど一緒である。
従ってストーリー紹介省略。

私は「サイコ」を何十回も観た、というほどのファンではないので、「完全に一緒」と言い切ることは出来ないが、それでも記憶に残っている部分で比較すればほとんど同じだった。(だからと言ってもう一度オリジナル「サイコ」を観ようとは思わないけど)

要するにこれは実験である。
「シナリオやカット割り、カメラアングル、音楽などを全く同じにしたら同じ映画は出来るのか?」という。
結論から言えば、「かなり出来た」と言っていいと思う。

でも最大の違いはやはり役者だろう。どんなにスタッフががんばって再現してもカメラに写る俳優は違ってしまえば映画は違ってしまう。
特にノーマン・ベイツのヴィンス・ヴォーンは全然だめ。
アンソニー・パーキンスはその線の細さが魅力だったのだが、ちょっとマッチョ目の青年になってしまったからなあ。

オリジナルのイメージを損ねなかったのは探偵・アーボガストのウィリアム・H・メイシー(確か「セルラー」の刑事役だった人だ)。
最初に殺されるマリオン・クレイン(アン・ヘッシュ)は全く記憶に残らん。

この映画、ラズベリー最低リメイク賞を受賞して散々な評価だったようだ。
ガス・ヴァン・サントという各地の映画祭で受賞経験を持つような評価の高い監督が、なぜこのような名声を汚すような映画を作ったのか。一度聞いてみたい。
やっぱり映画ファンとして作ってみたかったのかなあ。