2015年9月

   
SUPER EXPRESS 109
GONINサーガ ヒロイン失格 合葬 黒衣の刺客
プライベート・レッスン 首相官邸の前で 進撃の巨人 
エンド オブ ザ ワールド
仮面ライダー THE NEXT
仮面ライダー 
THE FIRST
つぐない ラジオの恋 獅子舞ボーイズ
カリフォルニア・ダウン ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション 天空の蜂 極道の妻たち 
死んで貰います
Sー最後の警官ー 奪還 RECOVERY OF OUR FUTURE アンフェア the end 薩ちゃん正ちゃん 
戦後民主主義的独立プロ奮戦記
誘惑遊女 ソラとシド

SUPER EXPRESS 109


日時 2015年9月27日
場所 DVD
監督 佐藤純彌
製作 1975年(昭和50年)


ストーリー省略。
言わずとしれた「新幹線大爆破」のフランス編集版である。
10年前に東映から英語版「THE BULLET TRAIN」と2枚組で発売された奴。
英語版の方は海外から輸入して画質は極悪ながら、そして日本語字幕なしで観ている。
そしてこのフランス語版、私は日本上映時に観ている。
確か2週間ほど名古屋駅前の毎日ホール小劇場で上映されてその時に2回続けて観たと思う。
当時名古屋は名画座とか2番館はなかったし、今のようにDVDもレンタルビデオもなかったから、オリジナルの「新幹線大爆破」が観れない代用品として観た覚えがある。

上映時間は1時間40分。50分ぐらいカットされているが、面白さは十分だ。東映の岡田社長は「こっちの方がいい。オリジナル版の関係者は頭を丸めにゃいかん」と言ったようなこと雑誌で読んだ気がする。まあ社長としては上映時間が短い方が一日の上映回数も増やせるから、その方がありがたかっただろう。

今回フランス語、そしてカット版で観たわけだがその面白さはオリジナル版にひけをとらない。
もっともこちらは何十回もオリジナルを観てるわけだから、カットされたシーンも脳内補完出来る。
いっそもう少しカットしてもよかったのでは?とさえ思えてくる。
特に怪我した古賀が帰ってきて「もう潮時かな」と沖田が言うあたりは「何を弱気になってるんだ!」とこちらも叱咤したくなる。

その代わりに逆に1回目の撮影失敗とか、山口県の田園地帯で停める停めないの議論のシーンを入れて欲しかったかな。

私の記憶では新幹線の空撮にタイトルが重なるところから映画が始まり、アバンタイトル部分はなかった気がしたが、このDVDではあった。
はて、記憶違いだったのか?

「天空の蜂」とか観たときにこの映画を思い出したが、やっぱり時間が限られた中でのサスペンスって一番盛り上がるなあ。
もっとそういうネタで映画は作れないものかと思う。
この映画はもちろんアラもあるけど、逆にそのアラはこうすればもっとよくなる、という観点で現代の映画人にも映画を作ってもらいたいものだと思う。

何度観ても面白い映画だ。












GONINサーガ


日時 2015年9月26日18:10〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン11
監督 石井隆


1995年、五誠会大越組での銃撃事件があった。ヤクザ同士の抗争事件と思われたが、実は五誠会の闇の金をねらった5人組と彼らをねらう五誠会との抗争だった。
2000年、その時に死んだ大越組組長の息子・大輔(桐谷健太)は今や五誠会三代目・誠司(安藤政信)のボディガードをしながら組の再建を夢見ていた。同じく大越組の若頭の息子久松・勇人(東出昌大)は今や小さなバーを経営する母親安恵とともにカタギで生きていこうとしていた。
2014年、安恵の元にルポライターの富田(柄本佑)が訪ねてきた。19年前の事件の真相を調べている彼は自分なりに調べた事件の状況を安恵に説明する。
大越も久松も事件の時に親分を守り切れなかったことから、組を破門され冷たい仕打ちを受けていた。しかし久松も大越も立派に戦ったと知り、五誠会への復讐を誓う。
しかし返り討ちにあって殺されてしまう。
そこへやってきた富田。彼は勇人や大輔に五誠会への復讐を呼びかける。五誠会に弱みを握られ一生をめちゃくちゃにされた麻美(土屋アンナ)も加わり、復讐が始まった!


1995年に公開された「GONIN」。これは観ている。その後「GONIN2」は観たかどうか覚えていなかったが、前作とは全く関係ない女たちのアクション映画だったようだ。ならば観ていない。
「GONIN」は男たちのノワールアクションとして期待してみたが、もう一つだった記憶がある。たぶん石井監督
のねっとりとした演出に対して、スピーディーさを好む私としてはあわなかったのだろう。

今回の映画は「GONIN」の正当な続編。
回想(説明)シーンで「GONIN」のシーンが出てくるが、そんな正当な続編なら見直してから観ればよかった。

今回観たのはやっぱり東出昌大が主演だから。今日は朝から柳楽優弥、瀬戸康史、山崎賢人とお気に入りの若手の出演作を立て続けに観たことになる。
東出、本作も最高だ。
「アオハライド」のような甘いイケメンぶりもいいが、本作のようなワイルドさ満載もいい。
もし東映がかつてのようにヤクザ映画を作っていたら、主演に迎えて欲しいところである。

「ヤクザの金を奪っても警察には訴えれない。しかしヤクザは徹底的に追ってくる」というコンセプトでアウトロー対アウトローの面白さ満載である。
酸素ボンベを持ったままの殺し屋(竹中直人)など、そんなやついるわけないと思いつつ、その不気味さを堪能する。かつての日活アクションの西村晃や藤村有弘を彷彿としてしまう。

正直、展開がくどかったり(母親が乗り込んで、今度は息子が乗り込むとか。さっさと乗り込めばいいのに。あと結婚式のクラブのステージ下に3日ぐらい隠れているが、それをだらだら描くのはくどい)して、完全には好きになれないのだが(それは「GONIN」も同じ)、それは石井隆と私の好みのテンポの違いなのだろう。

久々の日本映画の男性ノワールアクションを堪能した。
面白かった。ストーリーを確認するためにも「GONIN」を再見したい。
 











ヒロイン失格


日時 2015年9月26日15:00〜
場所 新宿ピカデリー・シアター3
監督 英 勉


松崎はとり(桐谷美玲)と寺坂利太(山崎賢人)は幼なじみ。はとりは自分こそが利太のカノジョになるべき女でこの世のヒロインという幻想を持っていた。そんなはとりを冷ややかに見つめる中島。 
ある日、安達未帆(我妻三輪子)が食堂で不良に絡まれていたのを利太が助けたのがきっかけで、利太と安達はつき合うようになった。
はとりに言わせれば安達は「六角精児似の地味で目立たないエキストラな存在」で、そんな女が利太とつき合うのが許せない。しかし中島は「告白してもいないあんたに比べれば安達は告白というオーディションを経てなった正当なヒロイン」と非難されてしまう。
そんなはとりをイケメンな弘光くん(坂口健太郎)が声をかけてきた。強引な弘光くんに押され気味なはとりだが、利太への想いが断ち切れない。
夏休み。安達は海外へ短期留学するという。「その間寺坂君を一人にしないでね」」という安達。しかしはとりは「わざと連絡を取らないでじらす作戦」に出る。
しかし利太からは連絡こない。夏休みも終わりかけの日、「花火大会を見に行こう」とはとりは利太を誘う。


山崎賢人主演作である。
前に同じような恋愛コミック原作の「L・DK」の時はまだまだ売れてなかった印象のある山崎だが、この1年でCMやテレビドラマの主演をして売れてきた。
いいですねえ、正当派イケメンです。
妻夫木聡のデビュー当時はこういった少女マンガの実写映画化が流行ってなかったけど、当時流行っていたら出ていただろう。
また2000年代半ばに流行した「どっちかが病気で死ぬ映画」には辟易した私だが、こういったコミカルな少女マンガものは嫌いではない。

監督の英勉は以前に「高校デビュー」という同じようなコミック原作ものを手がけたが、今回もコミック色は強い。
前半ではとりの上に「ヒロイン」という文字が出て、その文字ががれきとなって崩れて落ちてくるというあたりはコミックそのもの。
正直、私はあまり好きではないのだが。

山崎賢人は相変わらずイケメン。ただただ惚れ惚れする。
そして今回私が注目したいのは、相手役の我妻三輪子!
あの「こっぱみじん」で主役をして「さよなら歌舞伎町」にも出演していた子ではないか。
へ〜、大役をしとめたなあ。心から今後の活躍をお祈りしたい。

利太は両親が離婚していて母親がいない設定なのだが(映画には父親も出てこないが)、その離婚した母親が修学旅行先で偶然再会する。
私としてはもうちょっと母親との再会の様子を描いてほしかったが。

あと不満点は少し話がくどい。
8月の終わりの花火大会でキスまでしたにも関わらず、利太は安達に別れを切り出せない。でまたずるずるとつきあいを続けてしまうが、ついに修学旅行で・・・という訳なのだが、少々話がぐるぐる回っているだけの印象を受けた。
原作の段階でもそうなのかも知れないが。

蛇足ながら8月の花火大会のあとすぐに学校が始まるわけだが、そのカットではブレザーをみんな着ていて利太などは中にパーカーを着ている。もちろんビジュアル重視な嘘なのは解るが、9月はまだ夏服でしょ?ちょっと気になった。

でも山崎賢人がかっこいいので、すべて許す。













合葬


日時 2015年9月26日11:30〜
場所 新宿ピカデリー・シアター3
監督 小林達夫


幕末。徳川慶喜が新政府軍との話し合いで江戸城を無血開場した。しかし江戸警護のために作られた「彰義隊」の中には薩摩長州に屈することを良しとしない人間も多くいた。
徳川将軍に殉ぜんとする秋津極(柳楽優弥)は彰義隊へと参加していった。極は許嫁・砂世と婚約を解消したのだが、それに納得しないのが砂世の兄、福原悌二郎(岡山天音)だった。悌二郎と極は幼なじみだったが、「徳川の時代は終わり、今や新政府の時代。それに刃向かうなど時代遅れの愚の骨頂」と考えを改めるよう悌二郎は極に迫る。
そんな時二人の幼なじみの吉森柾之助(瀬戸康史)と二人は出会う。
柾之助は養子に入っていたが、義父が「新政府を討つ討たない」の酒の席での喧嘩の上でなくなってしまっていた。
義母は仇討ちを望んだが、柾之助はそんなつもりはない。
仕方なく仇討ちに出かけたふりをして家を出てきた(追い出された)のだった。
行くところがない柾之助は極に誘われるままに彰義隊へ。
極に彰義隊を辞めさせようとした悌二郎だったが、彰義隊の穏健派の森(オダギリ ジョー)に誘われ、極たち決戦派を抑えるために彰義隊へ。


柳楽優弥、瀬戸康史というどちらも映画に出演したら観たくなる二人の若手俳優共演の作品。
時代劇だろうと気にしない。
監督の小林達夫という人は全く知らなかったが、それもそのはず自主映画出身で今回が商業映画第1作だそうだ。
ふーん、最初からずいぶんいい条件の映画だねえ。
どういう経緯でこの映画の監督をできるようになったんだろうか?

観ていて「ああ江戸時代の『日本のいちばん長い日』なのかなあ」と思った。
徳川を天皇、薩摩長州をアメリカ軍に変えれば基本的心情は同じだろう。
だから戦いを挑もうとする極も理解した。

で面白かったというとそうでもない。
話がだらだらとして縦線がないのである。
「何月何日に決起する」という縦線があってその準備があって薩摩長州のスパイがいて彰義隊にも裏切り者がいて・・・というようなメインストーリーがあって、そのサイドストーリーとして3人の青春ドラマがあればよかったろうが、だらだらと話が進むだけである。
87分と短い映画なのだが、結構長く感じた。

柾之助が料亭の女中に惚れるのだが、その女中は極に惚れていて、柾之助はその女中のために買ったかんざしを女中が極に惚れていると知ってそのかんざしをたまたま遊びに行った女郎にあげてしまうあたりのエピソードが面白かったが。

最後は新政府軍との戦いになり、悌二郎は死に極は自決、生き残った柾之助は旅に出る、という展開。












黒衣の刺客


日時 2015年9月25日19:40〜
場所 新宿ピカデリー・シアター8
監督 ホウ・シャオシェン


9世紀、唐の時代。外国からの侵略に備えるために地方の豪族に力をつけさせたが、一部の豪族は力を付けすぎて中央に敵対するようになった。
刺客として育てられた隠娘(スー・チー)はその豪族を倒すように命じられる。その相手は子供の頃に親が結婚させようとした相手だった。


今年のカンヌ映画祭で監督賞受賞の台湾の有名監督ホウ・シャシェン監督作品。
各種映画祭での賞受賞作品が必ずしも私の好みと合うとは限らないし(むしろ合わないことの方が多い)、外国の時代劇なんて歴史の知識がほとんどない私にはよく解らないことが多いので、大抵はパスするのだが、今回は「主人公を助ける日本人役」として妻夫木聡が出演するというので観に行った。

正直、唖然とした。
映画の内容がよく解らないのである。
それは私が中国史とか中国の地理に詳しくないし、理解力の問題だと思っていた。
ところが映画を観終わってから映画紹介サイト「映画.com」の投稿レビューを読んでみると「話がさっぱりつかめなかった」と言っている人が複数いる。
「ああやっぱりみんな解りにくいのか」とほっとした次第。
ストーリーが解らないと言っている人は点が低いし、高得点をつけてる人は映像の美しさを誉める。

確かに映像は美しい。
でもそれだけでは私は満足出来ない。
私はどちらかというと「一スジ、二ヌケ、三ドウサ」の人なので、話が面白くなければだめなのですよ。

とは言っても主人公の女刺客は殺しの腕はあるのだが、殺そうとする相手の子供が近くにいたりすると、一瞬迷いが生じ、相手を殺せない性格。
結局最後になってもそれは変わらず、目的の暗殺は失敗する(と思う)。

それに最後の方で突然「呪いの紙人形」を作ったりするご老人が出てきて、混乱するのだが。

妻夫木は映画の中盤から登場。まずは川で水を飲んでいるところからだと思う。というのは髭をつけているので、妻夫木と解りづらい。
次に村で子供たち相手に金属製の鏡を見せている。寝てる時に自分の結婚式の夢を見る。けがをしている主人公の傷を手当てしてる。
ラスト、一緒に旅に出る。どうやら新羅まで一緒に行くらしい。 

こんな感じ。紹介記事を読むと「日本に帰れなくなった遣唐使」らしいのだが、せりふはないしそんな説明一切ない。
第一せりふがないので、中国人にも見える。
自分の夢で日本での忽那汐里との結婚式のシーンがあるのだが、このシーンは日本公開版だけとか。
お寺での結婚式のシーンだから中国台湾で撮影されたのかと思ったら、日本ロケだそうだ。
意外と金かけている。

台湾チャンバラを期待したのだが、全く期待はずれ、というか予備知識なしで期待した私の方が悪いのだが、妻夫木聡の出演作品は全部観る主義なので、観てしまう。
でも時には主義を曲げることも大切かなと思う。
お金も時間も無限ではないのだから。












プライベート・レッスン


日時 2015年9月23日
場所 DVD
監督 アラン・マイヤーマン
製作 1981年(昭和56年)


15歳になったフィリー(エリック・ブラウン)は運転手付きの家に住む裕福な家庭の子。だが母親はいなくて父や住み込みの運転手レスター、新しい家政婦のニコール・マロー(シルヴィア・クリステル)たちと暮らしている。
父が3週間ほど出張で出かけることになり、しばらくはフィリーと使用人たちだけの暮らしになる。
空港まで父を見送ったフィリーたちだが、父がいなくなった後はレスターはあからさまにフィリーをないがしろにする。
マローはスカートの下のパンティをちら見せするような誘惑してくる。夜、マローが着替えているのを覗き見するフィリー。しかし意外にもマローは部屋に招き入れ、裸を見せてくれたのだった。
風呂にも一緒に入ろうというマロー。女性に興味はあるけど、まだまだ心の準備が出来てないフィリーはドキマギするばかり。


シルヴィア・クリステル主演映画。
この映画は封切りで観ている。たしか新宿ピカデリー(もちろん建て替え前)。
今回ネットで調べてみたらサイトによっては「プライベイト・レッスン」とも表記がある。封切り時はどっちだったか知らん。

年上の色っぽいお姉さんが15歳(日本で言えば中3か高1か)の少年を誘惑する。15歳なんてまだやったことないけどやりたい盛り。友達はもうしたとかしないとかの話をする年頃だ。

少年役のエリック・ブラウンがなかなかよい。
実際シルヴィアと比べても背も低いし、体つきもまだまだ大人ではなく、少年っぽさがあってよかった。
なかなか美少年だから、この後もティーンの恋愛ものとか青春映画で活躍してスターになってもよさそうだが、そうはならなかった。作品に恵まれなかったのか知らん?
惜しいな。1965年生まれらしいから当時16歳、今の姿はネットで検索すれば出てくるかも知れないが、きっとただのおじさんだからやめておこう。

前半のマローがやらせてくれそうになるのに「いや、その、今日は・・・」と断ってしまうあたりが、おじさんになった私にはもどかしさも感じるが、かわいくもある。
「女に恥をかかせちゃいけないよ」とフィリーにアドバイスを送りたくなる。

映画館デートとか一緒に食事とかだんだん大胆になってきて、ならいっそすれば?という感じにさえなってきて、いよいよベッドイン!

とここまでは青春映画、童貞喪失映画として王道の展開で、いいのである。
ところが初めての夜にマローは死んでしまう!
前半でレスターとマローが実は何かたくらんでいるのは伏線として出てはいるのだが、それにしても唐突だ。

そして動転したフィリーはレスターに対応を相談し、一度冷凍庫にマローの遺体を隠しその後に庭に埋める。
しかしマローが動かなくなって動転したフィリーが部屋を去ったとき、マローの目が開くのを観客は観るので、これが嘘だとすぐ解る。

しかしその後埋めた遺体が翌朝になくなったという展開。
いやもちろん犯人はレスターだと思うのだが、なんかだクルーゾーの「悪魔のような女」を連想させるミステリー調の展開で私はどうも統一性がない展開に見えてしまった。

結局、良心がとがめたマローはフィリーにすべてを話し、知り合いのテニスコーチを刑事にしたてて、逆に「マローさんが失踪したが、君が殺したんだろう?」と責めていくという展開。
このあたりになるとレスターが慌てふためく様が面白く、本来のエロティックコメディ路線に戻る。

初めて見たときも、この殺人事件の展開は作品のトーンが変わりすぎていやだった。
その感想は今回も変わらなかった。
それがうまく展開してればもっとよかったのだが。

ラスト、マローは去っていき、今度は学校の美人教師を食事に誘うフィリー。すっかり年上キラーに成長したようだ。
もうちょっとシナリオが整理されてればシルヴィア・クリステルとエリック・ブラウンの組み合わせはよかったのでもう少し気に入った映画になったと思う。
惜しかった。













首相官邸の前で


日時 2015年9月23日10:30〜
場所 アップリンク・スクリーン3(2F)
監督 小熊英二


2011年3月11日、東日本大震災が起こりそれに伴って福島第一原発が事故を起こした。
菅直人首相は一時は250km圏内に住む5000万人の人々を避難させなければならないのかと思った。
とりあえずそこまでの事態には至らなかったが、放射性物質は飛散した。
5月、高円寺で反原発デモが始まった。菅首相は浜岡原発の停止を命じた。
しかし菅直人は退陣、野田首相は2012年6月に大飯原発再稼働を決定した。反原発運動はますます激しくなり、13年には再稼働した大飯原発も停止した。
それから2年、2015年8月現在、原発は止まったままだ。


社会学者の小熊英二が作ったドキュメンタリー。
インターネット上に出ていた映像を(もちろん投稿者の許可を取った上で)つないだドキュメンタリーと聞いていたが、それだけでなくデモを行った人々や菅直人のインタビューをつないで、311以後の「デモの起こる国になった日本」を描いていく。

監督の小熊さんは朝日新聞にコラムを連載していて、よく拝読して共感できることも多い方で、存じていた。
そのコラムの中で「デモで何が変わる?という人がいるが、日本はデモが起きる国になったということが重要だ」とか「現在日本で原発は止まっている。それは経済界やアメリカの要請があるからではない。デモがあるからだ。大きな変化は見えないかも知れないが、着実に効果は上げている」と言った文章を拝読し、ずいぶん励まされた覚えがある。

インタビューを受けるのは菅直人以外の人々は特に有名ではない市井の人々だ。福島原発の近くに住んでいて避難を余儀なくされた亀屋幸子さん、アメリカ企業に勤めるヤシンタ・ヒンさん、販売員だった吉田理佐さん、会社経営の服部至道さん、イラストレーターのミサオ・レッドウルフさん、病院事務員の木下茅さん、アーティストの小田マサノリさん。
これらの人々がなぜインタビューを受けてるのは最初は解らない。それが徐々に明らかになっていく。彼らはその後のデモに参加していく人なのだ。
デモに参加し、マイクを持って意見を言う。
本人たちに言わせれば「人前で意見を言うことなんて今までなかった。でも言わねばならないという衝動にかられた」

そう、ここ30年ぐらい日本で大規模デモが出来ることはなかった。
しかし原発事故の放射能の問題で、「政府は信用出来ない」と本気で思い出した。今までも政府を全面的に信用していたわけではないが、せいぜい金権体質とか汚職とかそんな問題で、もちろん腹は立つけどこちらの命が危うくなるような問題ではない。
しかし原発事故は命や家や財産を奪われる場合もある問題である。そうなるとさすがに黙ってられない。

野田政権の時にデモの人々と話し合おうと政権側が言ってきた。その時の担当者が言う。「あなた方の代表者と話しましょう」。しかし市民は答える。「代表者などいない。我々は組織ではない。自然発生的に集まってきたにすぎないのだ」と。
ああ、既存の政権はこのデモを理解出来ないでいるのだな、と実感した。
彼らはデモに参加した5万人なら5万人だけの勢力だと思っている。ところが実体は「たまたま5万人がきてくれたにすぎない。来たくてもこれなかった何万人がいる」のだ。
それを理解できなかったのだろう。

またデモを主催する人たちは絶対に暴力的活動には出ない。時間がくると「今日は解散しましょう」という。
それを歯がゆく思う人もいるだろう。
しかし主催者は「もし暴力的行為に出たら警察は必ずデモ運動をつぶしにかかる。それでは元も子もない」と冷静に未来を見据えている。
政権より一枚上手である。

再稼働した大飯原発が2013年9月(だったか)に13ヶ月運転後の定期検査に入った。これで日本ですべての原発が停止した。
原発0の夏を迎えた訳である。

この映画は2014年から5月ぐらいから映像の選択などの作業が始まって2015年5月に完成したそうだ。
映画の最後ではクレジットに「ジョニーが凱旋するとき」(映画ファンには『博士の異常な愛情』のコング機長のシーンの音楽と言った方がなじみがあるか)が流れ、最後に「2015年8月現在日本の原発はすべて止まっている」と我々の運動が勝利したように見える。

実際その時点ではそうだった。
しかしその後、安倍政権による安保法制問題が起き、我々は原発のほかにも対決しなければならない問題を持ってしまった。
9月19日未明、参議院でも可決された。8月には鹿児島の川内原発も再稼働した。
戦いは終わるどころか振り出しに戻り、まだまだ先は長い。

「日本と原発」という映画を見に行った時、舞台挨拶に立たれた監督の河合弁護士が「世論調査をすると大多数の人が原発廃止なんです。でも実際に選挙をすると自民党が勝つんです。これはつまり、まだまだみんな本気ではないと思うんです」と叱咤された。
いや別に河合さんは叱咤したつもりはなかったかも知れないが、私は叱咤されたと思った。

デモをはじめとする抗議活動はまだまだやめられない。
だから数年後「首相官邸の前で・2」が作られる必要がある。
人々がデモなんかしなくても暮らしていける時代が戻るには、まだまだ先は長そうだ。








進撃の巨人 エンド オブ ザ ワールド


日時 2015年9月22日17:55〜
場所 新宿ピカデリー・シアター3
監督 樋口真嗣


一度は巨人に食われたエレン(三浦春馬)だったが、ミカサ(水原希子)、アルミン(本郷奏多)、ジャン(三浦貴大)、サシャ(桜庭ななみ)、ソウダ(ピエール瀧)、ハンジ(石原さとみ)たち仲間によって助け出された。
しかし司令官のクバル(國村隼)によって「巨人になった人間」として人間でないとエレンは判断され、殺されかけたがまたもや仲間によって助けられた。その時にエレンの秘密を知るソウダは何かを言いかけたがクバルによって殺された。
壁を修復するには火薬が必要だが、かつての町はずれに不発弾があったのを思いだし、それを使おうと全員で向かう。
しかしシキシマ(長谷川博巳)によって阻まれる。
どことも知れない白い部屋で話し合うシキシマとエレン。
シキシマが言うには巨人は100年前に人間が作り出したものだという。兵器なのか実験事故なのか、とにかく人間が巨人になってしまうのだ。そして人類は壁を作って生活するようになった。
現在の体制を維持させようとした現政府がわざと超巨人を使って壁を壊したのだ。そして人々を恐怖に陥れ併せて勇敢な人間を巨人によって全滅させる計画だというのだ。
シキシマは「一緒に巨人を使って現政府を倒そう」と言うのだが、それでは犠牲が出るだけだ。
エレンはシキシマの計画を拒否する。


「進撃の巨人」後篇。予想通り巨人は人間が作ったものだった。エレンが巨人に食われても死ななかったのは、彼の父(草ナギ剛)が自分で巨人の研究をしてエレンにその研究の結果の注射していたのだ。だからシキシマはエレンの兄なのかも知れない。

感想を言うと「猿の惑星」だなあ、と思う。もちろん最近のではなく、チャールトン・ヘストンが出たシリーズのほう。いや何となく。
だから最後に東京タワーがちらっと写ると自分は納得です。(ってことはこの映画の舞台は墨田区江東区あたりなのか?)

そして「ローレライ」である。あれも(いや「亡国のイージス」とか「戦国自衛隊1549」もそうなのだが)現体制に不満を持つ者が人々の暮らしを犠牲にしても新たな秩序を築こうとするのを阻止する話である。
今回はその新しい秩序を築こうとするのがシキシマ。
原作がどうなってるのか知らないので、判断するのは難しいが、そのあたりが樋口真嗣だからなのか?

それとクバルをはじめとしてコスチュームがどうも旧ドイツ軍っぽい。これも「ローレライ」との関連を想起させてしまう。

最後は巨人と化したシキシマとエレンが対決したり(ちょっと「サンダ対ガイラ」っぽい)、怪獣映画的楽しみがあった後、壁を壊すための爆弾が爆発するしないでサスペンスを盛り上げる。
しかし時限爆弾が爆発するかと思わせておいて、爆発しないのは何か理由がないとちょっとシラケるのだな。

最後はエレンたちが壁を壊して、普通の巨人を防ぐことに成功し、壁の上に立って「海」を初めて見て再生を誓ってエンド。

今回は気持ち悪い巨人はほとんど出ずによかったけど、でも根本的に私とはあわない部分があって、樋口真嗣は(私にとって)どんどん違う世界に行ってしまうようで、ちょっと寂しい。

「ゴジラ2016」(仮題)はどうなることやら。








仮面ライダー THE NEXT


日時 2015年9月20日14:00〜
場所 シネマ・ノヴェチェント
監督 田崎竜太
製作 平成19年(2007年)


本郷猛と一文字隼人がショッカーを裏切って2年後。
前作では大学の研究員だった本郷猛は今は城南大学付属高校の物理の教師。でも学級崩壊中。
その中でも本郷は琴美(石田未来)という子がいたが、彼女のことが気になっていた。
その頃。人気絶頂のアイドルCHIHARUの新曲には呪いの言葉が入っていてその言葉を聞くと死ぬという噂が起きていて、意味不明の惨殺事件が相次いでいた。
実は琴美はCHIHARUの幼なじみで、最近全く連絡が取れなくなって何かあったのでは?と心配していた。
連続惨殺事件はもちろんショッカーの仕業。そして今のCHIHARUは整形した別人だったのだ。
もともとCHIHARUはその人気をねたんだものに階段からつき落とされ、顔に大けがを負ってしまい整形手術をしたものの、とてもアイドルとしてやっていける状態ではなかった。プロダクション社長(嶋田久作)がやってことだった。
CHIHARUの実の兄でIT企業で成功した風見たちを訪ねる本郷と琴美。
風見たちの会社は数ヶ月前に社員が一斉に姿を消すという事件があった。


「仮面ライダー THE FIRST」の続編。
「THE FIRST」と同じ理由で観た。

そうそう「THE FIRST」の感想で書き忘れたけど、天本英世さんが出演してるのはよかった。といってもモニターの中だけで登場するショッカーの首領やくで過去映像だけだったけど。声はどうやってたのかな。
(それと「THE FIRST」ではオープニングで石橋蓮司の政治家とその秘書(?)で本田博太郎が出演してたな)

今回は前回のウエンツの病気少年のだらだらとした話はなく、CHIHARUはどうなっているのか?という謎で話を引っ張る。
でもその兄の風見が仮面ライダーV3に(Version3の略らしい)なってるとかさっぱり話がついていけない。

風見の会社はショッカーがナノロボットというのを開発して、人間の中にロボットを侵入させ殺してしまうというテストをしてそこで生き残ったものを改造人間にするというテストも兼ねていたようだ。
これを世界で実施すれば優秀なん人間だけが生き残って世界を制覇できるという陰謀。
「ナノロボット計画」と「消えたCHIHARUの謎」という二つの話があるので、まあ前作よりは退屈がなかった。

でも最後はV3もショッカーを裏切って正義の人になってしまい、前作と同じ話。
考えてみれば怪獣映画も怪獣に関心のない人からすれば同じ話に見えるかなあ。

最後はライダー3人がショッカーと対決する展開だったと思うけど、関心がないのでさっぱり記憶にない。
やっぱり仮面ライダーはどうにもピンとこないなあ。











仮面ライダー THE FIRST


日時 2015年9月20日12:00〜
場所 シネマ・ノヴェチェント
監督 長石多可男
製作 平成17年(2005年)


本郷猛(黄川田将也)は城南大学の研究室で水について研究していた。取材にきた雑誌記者の緑川あすか(小嶺麗奈)に好感を持つが、彼女は結婚が決まっている。
そんなある晩、本郷は謎の組織ショッカーによって拉致され、改造人間にされてしまう。ショッカーは裏側から世界を操っている組織で、その実体は分かっていない。
そして重要企業に忍び込み、秘密を探り出し自分たちを見た者は殺していった。
あすかは「都会のビルに怪人が現れた」という記事を書き、怪人を見た人を取材していったが彼らは次々と死んでいった。
今度はあすかが狙われる番になった。一緒にいた彼女の恋人が殺された。そのときに降った雨を浴び、水の美しさを研究していた本郷猛は正気を取り戻す。しかし恋人を殺された現場に居合わせた本郷猛を見てあすかは猛が犯人と思いこんでしまう。


仮面ライダーは藤岡弘のテレビシリーズ1作目の頃から全く観ていない。なんだか好きになれなくて。
それでも今回観たのはウエンツ瑛士が出演していて公開時に観ようかなと思ったのだが、時間が合わなくて見逃したことと、今日16時から「キングコングの逆襲」の上映のためノヴェチェントに行くのだからという、極めて消極的な理由で観た。

昔仮面ライダーで「変身!」で変身ポーズで変身するとウルトラマンみたいに完全に変身していたが、今回はコスチュームだけ変わってマスク部分はヘルメットのように自分でかぶるんですね。知りませんでした。

肝心のウエンツだが、本郷猛が自分の中にある怪力を知ったとき、ダンプに引かれそうになった少女を助けた病院に入院していた患者役で登場。はじめの方は本郷猛の本筋とは関わらず「俺はどうせ死ぬんだ!」とやさぐれた役。

で自分を心配してくれる女の子と知り合って(その子も入院患者)徐々に心を開いていくのだが、「君たちの病気を治してあげよう」というショッカーの誘いに乗って改造人間になってしまう役。
なかなか本筋と絡まないので、正直、ウエンツの件はいらいらした。
(デートのシーンは名古屋の栄の建物で撮影してた。お台場あたりで撮影しても良さそうなのに、なんで名古屋まで行ったのか?)

で、本筋の方は死んだ恋人とそっくりな男・一文字隼人(高野八誠)があすかに近づく。別に死んだ恋人に似てなくてもよかろうと思うのだが、似てる設定。
                         
で、一文字隼人も結局はショッカーを裏切り、ウエンツたちを本郷と一緒に倒す。
ライダーの格闘技には何の感傷も起きないし、私にはあわない映画だった。
ウエンツだけが私にとっての観る価値。


そのあとおまけで「仮面ライダーSD 怪奇くも男」という20分ぐらいのアニメ付き。
3等身の仮面ライダーが女の子を取り合ったりして。パロディアニメなんだろうけど、元がわかってないので、その面白さもさっぱりだった。












つぐない


日時 2015年9月14日16:40〜
場所 光音座1
監督 小林悟
製作 大蔵映画


カイとその父親(港雄一)はある海岸にやってきた。その季節はずれの海岸の海の家に二人は入る。若い店員が他の客の相手をしてる間に父親は金庫から数千円持ち出す。
父親はすぐに逃げていったが、カイは忘れ物をしたので戻ってきたのだ。それは他人からみれば他愛のないものだが、カイが子供の頃に父親に買ってもらった怪獣のおもちゃと同じという忘れられないものだったのだ。
親父の盗んだ金の分を海の店で働いて返すカイ。店員は「いくところないんだろう?しばらくいていいよ」と言ってくれた。
その頃親父はゲイバーでボーイを指名し、楽しいことをしていた。しかし金が足りなくなり、カイがバーのオーナーに呼び出され、体で支払う羽目に。
そんな時、海の家にある女性が訪ねてきた。
彼女はカイの過去を知っていた。


ゲイピンク。同時上映は広木隆一監督の「ぼくらの季節」。以前銀座シネパトスの「午後8時の映画祭」というピンク特集で観たので感想はパス。(大杉漣と池島ゆたかの絡みがある映画です)

ゲイピンクもホントにしょうがない映画ばかりだなあ、と思いつつ、映画館がなくなるか、ゲイピンクで観る物がなくなるか、私が死ぬか、どれかになるまで観ようと思っている。

お話の方は実は、以前にあるバーで住み込みで働くことにまったカイは同僚と仲良くなる。ある日その同僚が病気で寝ているときに親父が彼を犯してしまう、それがショックで彼は自殺してしまった、という事件があった。
それ以来、そのバーを辞めてしまったそうだ。

でまたまたゲイバーのオーナーから50万円借金をして焼きを入れられそうになったところを、たまたま知り合った金持ちの男が50万払ってくれた。その前に息子であるカイの写真を見ていたその男はカイを金で買う。
「俺の愛人にならないか」と誘われるが、断るカイ。

海の家(これが「喜多川」という店なのは偶然の一致か)では店員に殴られる親父。
帰ってきたカイに店員は「あんな親父と別れてここで暮らせ」と言われる。そして秘密を打ち明けるカイ。実は前の店の同僚が自殺する直前、カイは彼にキスをしたのだ。
だからショックを受けたのではないかとカイは思っていた。

結局カイは店員のことを好きになっており、最後はキスをして、拒絶されるかと思ったが、翌日彼は受け入れてくれたというオチ。
港雄一がダメダメの親父にピッタリで、やくざの親分よりよほど似合っていると思った。









ラジオの恋


日時 2015年9月13日14:00〜
場所 シネマ・ノヴェチェント
監督 時川英之


広島で25年間朝の人気ラジオ番組をしてきた横山雄二(横山雄二)だったが、最近仕事に疑問を感じていた。テレビもインターネットもある時代に誰がラジオなんか聞くのだろうか?ということだった。
毎晩飲み歩き、二日酔いで翌日のスタジオ入りするのは当たり前。リスナーからのメールの選定もディレクターに任せっぱなし。「打ち合わせしましょうよ」というディレクターに対し「大丈夫、大丈夫、俺天才だから」と言うだけ。
そんなある日、町で一人の少女と出会う。
彼女は自分のことを「ラジオの女神」と名乗る。彼女はラジオで活躍したご褒美に願いをかなえてあげるという。
今更願いなどない横山は彼女をあしらうが、彼女は「横山のラジオによってみんな勇気づけられてる」と賞賛する。
彼女は「あなたのラジオに将来のことや恋のことで遭難してくる人がいます」という。
翌日のラジオではリスナーからのメールは彼女が言った内容の同じものばかりだった。


私は全く知らない人だが、主人公の横山雄二さんは広島では知らない人がないくらいの有名ラジオパーソナリティだそうだ。
昔の名古屋の新間正次みたいなものか。(彼も選挙に出て学歴詐称疑惑とか散々言われたなあ。今はどうしていることやら)

この映画、「ラジオの女神」が登場し、ファンタジー路線である。正直、「トワイライト・ゾーン」の1話でもおかしくない。
そういう話。

しかし「トワイライト・ゾーン」は30分だが、この映画67分ある。もちろん普通の映画としては短い方に入る。しかし30分ドラマでも出来るようなネタを60分以上かけられると間延びする。
主人公が「ラジオはだめだだめだ」というシーンが何度も延々と繰り返される。

最後は女神が言った内容のメールが続々届く。その中で「野良犬」というラジオネームの人が「街で見かけるアコーディオンを弾いてる女性に恋をした」という相談を受ける。そして横山は「小さくてもいいから花束を持って告白しろ」とアドバイス。
でその時間に行ってみると同様に放送を聞いたリスナーも駆けつけ、告白しようとする男性(欧米の白人)に周りの人が「これも持ってって」と花束を手渡して告白、という展開。
そして横山もやる気を取り戻す、という話。
(途中ヘビーリスナーが「俺のメールを読んでくれない」と拳銃を持って押し掛けるという展開あり)

私自身は家ではラジオは聞かないが、車の移動中にはラジオを聞くことが多い。
予算の関係とか、逆に人数が多いと誰が話してるか分からなくなるという肯定的な理由からか、ラジオは3人ぐらいで話すことが多い。
そうしたほうが話がじっくりと聞ける。
また見た目に惑わされないから、その人の主張がよりよく分かるような気もする。

確かにラジオには一時の勢いはないだろう。
しかしテレビでも映画でもネットでもない、マスメディアとして、コミュニケーションツールとして、絶対に必要なジャンルである。
ラジオ関係者は誇りを持って仕事をしてもらいたいと思う。

全国のラジオ関係者に見てもらってますます元気になって欲しいな、という映画だった。

そうそう広島出身のスター、矢沢永吉の曲が数曲BGMに使用されていて、映画が終わった後(67分の上映時間では短いと思ったのか)、矢沢永吉のライブ映像が一曲分おまけについていた。














獅子舞ボーイズ


日時 2015年9月13日12:00〜
場所 シネマ・ノヴェチェント
監督 市川徹


高倉亘(ワタル)(布川隼汰)と野上春子は横浜みなと大学の学生。鉄道研究会に入っていたが、亘の関心は鉄道より春子。そんな春子は手芸にも関心があり、富山県高岡の福岡というところで菅笠作りの体験が出来ると聞き、Tヶ月の体験をしてみることに。
そこはソフトバンクのケータイは通じない田舎。高岡は獅子舞が盛んな町で、獅子舞をやりたがっている耕志やはじめという同世代の青年たちと知り合う。耕志やはじめは旅館をしている藤城(長谷川初範)の紹介で獅子舞踊りでは伝説的な人のもとで修行することに。
亘は春子のケータイが全く通じないので、心配になって高岡までやってきた。
耕志たちが合宿で獅子舞を習ってると知り、自分も獅子舞の合宿に参加すれば春子と同じ場所で一夏が過ごせると思って獅子舞を習うことに。


ノヴェチェントで「ご当地映画特集」ということでこの映画の上映が決まり、2ヶ月ぐらい前から場内にポスターが張ってあったのがこの映画。
主人公らしい青年がイケメンなので関心を持った。この主人公の青年、布川敏和の息子だそうで。確かに似ている。
しかし映画で見たら「あくまで素人のイケメン」というレベルだった。残念。

で、映画のほう。
この映画、基本的に私だったらこうしない。
まず、「高岡の獅子舞」をちゃんと見せる。高岡の獅子舞を見せてくれないから「すごいんです」とか言われてもピンとこない。

そして主人公二人が二人とも地元の人間ではない。
主人公の青年は地元の青年でしょう。
地元の青年が獅子舞をがんばっていき、そこへ横浜のおしゃれな女の子がやってきてその子に惚れてしまい、しかし横浜から男がやってきて、焼き餅を焼く、という展開であるべきではないのか?
要は「ウォーター・ボーイズ」を基本にしろ、ということである。
もっとも「ウォーター・ボーイズ」にはしたくないと思ったのかも知れないが、結局は失敗している。

映画の方は、来年の新幹線開業イベントで獅子舞を踊ってもらおうと市役所が考える。
市役所の人はネットで見た獅子舞を基本にしたなんとかいうパフォーマンス集団にお願いしようと思うが、「いやいや地元・高岡の獅子舞で」という願いからオーディションになる。

でそのパフォーマンス集団と亘たちの獅子舞対決になるのだが、パフォーマンス集団の方がバク転もあったりして明らかに派手。かたや亘たちは普通の獅子舞。
市役所の人が「審査の結果、パフォーマンス集団の方にしました」というと、パフォーマンス集団の方から「いや新幹線開業イベントにふさわしいのは彼らです!」と辞退する。
いやその展開はないんじゃないかなあ。

それで夏休みも終わり、亘は横浜に帰るが、春子は菅笠作りを学びたいということで高岡に残る。ってあんた大学は?

で、別れたあとに「2015年3月」ということで彼らの獅子舞が出るのだが、これがもっと見せ場にしなくちゃいけないんじゃないかなあ。
それに亘は参加してないし。何のための主人公だよ?
その前のオーディションでも本番中に唐突に話に関係なく足を捻挫してしまうし、よく分からない展開だよ。
撮影中に捻挫してやむなくシナリオが変わったのだろうか?
全く役に立たない男である。

それにご当地映画と言うことで、いちいち台詞が説明台詞。
酒を飲めば藤城さんがいちいち説明してくれるし、「大したことないけど滝に案内しましょう」と行って地元のおばさんに春子が案内されるが、ホントに大したことのない滝。
そして富山は鉄道が多い、ということで一応鉄道研究会の亘は写真を撮りまくる。

藤城さんで言えば、「今は辞めてしまった伝説の獅子舞師がいる」と盛り上げるのだが、耕志やはじめが獅子舞をやりたいと知ると「申し訳ないが教えてやってください」と藤城がその人に頼むと「藤城さんの頼みでは断れないなあ」とあっさり承知。
いやそこは映画的には説得する何かがあってしかるべきでしょう。

これではいかんと監督も思ったのか、ミュージカル風に4曲ほど歌う。
でも最初の曲は亘が春子をホテルに誘おうとするが断られるのをカラオケ風にしたという(ここは面白かった)曲とか、高岡についた亘が「春子はどこにいるのか?」を歌う恋歌とか獅子舞とか高岡を盛り上げるには役だってない感じ。

正直、これではご自慢の獅子舞も大した物ではないのでは?と思ってしまった。

よくも悪くも「ご当地映画」の見本のような映画。この映画は悪い見本だと思うけど。










カリフォルニア・ダウン


日時 2015年9月12日19:30〜
場所 新宿ピカデリー・シアター8
監督 ブラッド・ペイトン


LAのヘリコプター・レスキュー隊のレイ(ドウェイン・ジョンソン)は今日も地震で出来た割れ目に女性を救出した。仕事では完璧なレイだったが、妻エマとは別居状態、しかも今度妻は大きなビルのオーナー・ダニエルと同居するという。
翌日、サンフランシスコで大きな地震があった。新しい父親とともにサンフランシスコを訪れていたエマと娘のブレイクもその地震に遭遇する。
ブレイクはダニエルと一緒だったが、ダニエルは車に挟まれたエマに「助けを呼んでくる」と言って去ってしまう。
エマはダニエルの姉と高層ホテルのレストランで食事中だった。エマはすぐにレイと連絡を取る。
レイはすぐにヘリコプターでサンフランシスコに向かう。ビルの屋上にいたエマをなんとか救出するレイ。
果たしてダニエルを助けることが出来るのか?


この映画の存在を知ったのは実は数日前。
ピカデリーでも予告編も見かけなかったし、チラシも観た覚えはなかった。数日前にネットで偶然知った次第。
公式サイトで予告編を観たけど、どうもビルの崩れ方とかが綺麗すぎてCG感満載であまり期待は出来ないなと思ったが、地震の映画は好きなので見に行った次第。

見初めて「やっぱりアメリカ人に地震や津波は分からないかな」ということ。311以前ならともかく今の私にはちょっとねえ。

いやそれ以前に物語の基本、骨格に疑問を感じるのだよ。
「デイ・アフター・トモロゥー」とか「2012」とか最近のデザスター映画は「家族を守る」という点に話が終始してしまう。
この映画など完全にそうなのだ。

いや昔の「大地震」のチャールトン・ヘストンも離婚でもめてる妻や娘を助ける話だった。
でも今回の主人公はレスキュー部隊の隊長だ。
それが仕事をほっぽりだして、仕事のヘリを使って自分の家族の救出に向かう。しかも上司も無線で「行ってよし」と行ってしまう。

おいおい何十万人と助けを求めてる人がいるし、そのときの為にいままで活動してきたんだろ?自分の同僚だって家族が心配な奴もいるだろうに自分だけ家族救出に向かっていいのかよ?
日本の自衛隊員はな、自分や家族が被災者でも救助活動にむかったんだぞ!

しかもこの主人公、家族の為なら盗みも平気。
いくら車を盗んで略奪してる奴の車とはいえ、元の所有者はいるわけだろ。しかも車では娘の元にいけないと知ると今度は地元の航空会社の小型機を「勝手に」持ち出す。
しかも今度は空港には降りられないと知るとその飛行機を海の向こうに飛ばしたままで自分たちはパラシュートで飛び降りる。おいおい航空会社の飛行機勝手に持ち出しておいて勝手に捨てるなよ。
さらにおいてあったボートに「勝手に」乗り込んで津波でやられたサンフランシスコの街を捜索する。

その前に津波がやってきたときに津波に向かっていったろう?しかも「波に上りきれば大丈夫」ってホントかよ?
津波をなめちゃいかんよ!

娘も娘で街で人がいなくなった消防車から非常食とか勝手に持ち出す。周りに誰もいない状況ならともかく「見つけた者勝ち」という勝者の論理で生きていく。

さらに地震の描写で高層ビルの窓ガラスが散々割れるのに、全くといっていいほど窓ガラスの被害がない。
あるのは主人公の娘がたまたま知り合った青年の足に刺さるだけ。
あり得ない気がする。

それにCGで崩れていくビルを見ると、崩れ方が綺麗すぎるのだな。もっとみっともない形で崩れる気がするよ。
要はアメコミヒーロー物と同じレベルでビルの倒れ方を再現してる気がする。

んでエンディングは破壊された街を見て、その街に星条旗が翻る。
「こんな地震にはアメリカは負けない!」
って感じ。

「地震もなにもかもすべて征服してやる!」という何でもかんでも征服しなければならないアメリカ人気質を見たような気がした。
間違った解釈なのかも知れないが、そんな気がした。

 











ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション


日時 2015年9月12日16:40〜
場所 新宿ピカデリー・シアター7
監督 クリストファー・マッカリー


国際テロリストたちに科学兵器が渡りそうになったのを寸前で取り戻したイーサン・ハント(トム・クルーズ)をはじめとするIMFのメンバーたち。
しかし犯人たちにその科学兵器を購入できる資金があったとは思えない。陰で支援している組織「シンジケート」があるはずだ。
そう思ったIMFだったが、ハントはロンドンで敵に捕らえられ、ワシントンではCIA長官によってIMFの解体が提案されていた。
敵に捕らえられたハントだったが、謎の女イルサによって助けられる。
それから6ヶ月。ハントは仲間のベンジーに連絡を取り、ウイーンに呼び寄せた。ここに敵が現れる可能性があるのだ。その日、ウイーンの劇場でオーストリア首相もオペラを鑑賞していた。その劇場に張り込むハントたち。しかしその場にイルサがやってきた。ほかにも殺し屋が二人。イルサは首相を撃った。しかし傷は浅かった。
イルサを追ったハントたちだったが、またも逃してしまう。しかし彼女から受け取った口紅にはモロッコにある施設が記されていた。
ハントたちはこの施設の中に「シンジケート」の情報があるとにらみ、その情報をねらう。


「ミッションインポッシブル」シリーズは最初は観ていたが、「M:I:V」でアメコミヒーローばりの活躍で「そんな無茶苦茶な」と思ってしまい、「4」は観なかった。
(そもそも「3」は観たこともはっきりしなかったし、内容も忘れていた。DHLのトラックが登場したのがこの「3」だったかと自分のサイトの感想文を観て思い出した次第)

でも今回はツイッターの私のフォロワーさんの間では評判もいいし、「政治には『同盟』はない。あるのは共通の利益だけだ」という台詞があるみたいで「アメコミアクション」もどきのスパイ映画だけではないらしいと思って見に行った次第。

今回は面白かった。
「そんなアホな」的超人アクションは前に比べて控えめ。
(あくまで私の中の基準)

テレビの情報番組でよく紹介された「貨物機の扉にイーサン・ハントが張り付いたまま離陸する」というのはオープニングなんですね。

そしてレコード店で指令を聞くというテレビシリーズからのお約束あり。
ここで「君が追っているシンジケートは我々なのだ」というからてっきり映画の中盤まで私は「アメリカが各地のテロリストを応援している」と思ってしまいました。
あのレコード店は敵に踏み込んでいたのですね。

いろいろあって「シンジケート」の組織の全貌を記したファイルを盗み出すことに成功。
前から思ってるけどなんでも電子化されたせいで、ハッキングという「画にならない」で盗み出す方法が出てきたので、ホント、映画は作りにくくなったが、なんだかんだと理屈をつけて「体を使って盗み出す」という方法にしている。

ネタばらししちゃうけど、「シンジケート」の正体は実はイギリス情報部MI6だったという展開。
これには驚いた。

昔はソ連やナチスドイツが悪者で、冷戦終了後はそうもいかなくなり、中国や北朝鮮まで悪者に。それも今更になってついに同盟国のイギリス情報部が悪役とは!(もちろんあくまで「情報部が勝手に暴走」という言い訳はあるけど)

単なる悪者退治では終わらない、国際政治の複雑さも加味してよかったと思う。
楽しめた。


 











天空の蜂


日時 2015年9月12日13:25〜
場所 新宿ピカデリー・シアター1
監督 堤幸彦


1995年、阪神大震災の年の8月。錦重工業のヘリコプター設計士の湯原(江口洋介)はここ数年、心血を注いで作ったヘリコプター通称ビッグBの自衛隊への納入式に妻と息子の高彦を伴ってやってきた。仕事を優先する湯原と妻の間は冷えきっていた。
湯原たちが目を離した隙に高彦はビッグBに乗り込んでしまう。しかしそのときビッグBが遠隔操作の自動操縦で飛び立ってしまった。何者かに乗っ取られたのだ。湯原は高彦を助けられなかった。
ビッグBは福井県に新設された高速増殖炉「新陽」の上空に到達した。
犯人からの要求がやってきた。日本の原発を今すぐ破棄ししろというものだ。ヘリはあと8時間後の午後4時には燃料切れで「新陽」の上に落下する。爆薬を積んだビッグBが爆発し、炉が破壊されれば日本は「新陽」を中心とした半径250kmの地域を捨てることになる。そこは東京、大阪、名古屋が含まれ、事実上日本の壊滅を意味する。
ヘリに乗った高彦は?日本の運命は?


ここ数ヶ月楽しみにしていた作品。
原発の破壊を要求するテロリストなんて今の反原発の時代にはピッタリじゃありませんか。しかもそれをエンンタテイメント作品にしてるのですから。
主演が私があまり隙でない江口洋介と本木雅弘、監督は以前嫌いだったが、最近は「イニシエーション・ラブ」などで見直してる堤幸彦。

高彦が無断で乗り込んでしまうあたりの展開がいやだったが(あれでは私の判断では自業自得になってしまう)、子供は物語の中程のクライマックスで救出される。
後ろの扉が開いたままのビッグBにワイヤーを打ち込みワイヤーを伝って自衛隊員が救助に向かう。
しかし高彦は落ちる!

この「高いところから落っこちる」というのはヒッチコック以来の映画の伝統的サスペンス。

そして平行して行われる捜査。
ビッグBが盗まれた錦重工業の社内を捜査する愛知県警(ちょっと名古屋弁が変)、反原発運動をしていた者からたどっていく福井県警の刑事(柄本明、落合モトキ)たち。

こういう二重構造は「新幹線大爆破」並の面白さだ。

そして浮かび上がってくる実行犯(綾野剛)。この男が実は過去にクーデターを計画したということで自衛隊を追われた過去を持つらしい。
で、ヘリのリモコンが壊される、それを修復するがヘリは制御できない、と事態はどんどん悪化していく。

やがて明らかになる実行犯の裏にいた黒幕。
この黒幕が徐々に明らかになってからが、正直ちょっともたつく。回想シーンなどがはいってテンポが乱れる気がする(この辺は2回みたり原作を読んだりすれば納得するかも知れないが)

そしてついに午後4時!
ビッグBは?新陽は?
まあ誰でも予想されることだから書くけど、無事に解決する。

しかしこの原作が書かれたのは実は1995年。
犯人たちの目的は「何となく無関心な日本人に原発の是非を考えさせる」ことにあったようだが、それは2011年の福島原発事故で現実となった。少なくとも1995年の日本人より今の日本人のほうが原発についての関心は高い(と思う)。

でもそうはいっても2011年には高彦は自衛隊員(向井理)になって地震の被害者を救出している、というのは蛇足の感がある。

ちょっと文句もつけたけど総じて面白かったし、今年のベストスリーには入るだろう。
もう1回観たい。


 











極道の妻たち 死んで貰います


日時 2015年9月6日15:00〜
場所 シネマ・ノヴェチェント
監督 関本郁夫


京都の老舗ヤクザの館山組の組長が亡くなった。亡くなって100日目で幹部会の投票で次の跡目を決めることが組の習わしであり、それに従って投票が行われた。
18人の幹部の投票では半沢(本田博太郎)が10票、現在服役中だが組のナンバー2として次の跡目と思われていた拝島は8票だった。
半沢が祝勝会を開いたバーのママ・飛鳥は半沢の女だったが、その晩バーを出たところをヒットマンに半沢は撃たれた。店の従業員が盾になってくれたおかげで半沢は九死に一生を得た。
半沢は拝島の妻・久仁子(高島礼子)が自分を殺そうとしたと激怒するが、半沢の妻・しのぶ(斉藤慶子)は落ち着くように戒める。
久仁子は拝島が仮出所も近いと知り、正式な襲名までまだ数ヶ月あるので、その間に形勢を逆転しようとする。
飛鳥の店のオーナーは久仁子だった。
久仁子、しのぶ、飛鳥の3人はお互いに反目しあい、しかい共感しあってそれぞれがこの跡目争いに挑んでいく。


「極道の妻たち」シリーズ。まだシリーズは続いているが、さすがに正式な東映系での公開は難しくなった時代で、基本ビデオリリース作品。劇場公開はされたそうだが、単館で2週間程度の公開作品だったようだ。
今回の上映は35mmプリント上映だが、撮影はスーパー16での撮影だったそうで、かなり予算の縮小が余儀なくされている。

だから面白くないかと言えばそんなことはなくて、シリーズは数本しか観てないけど一番面白かった。
五社英雄が撮った1本目はたっぷりと間を取ったねっとりとした演出が私には合わなくてちょっとつらかった。
その点今回は話もテンポよく進み、飽きがこない。

久仁子は半沢に対抗しようと親しい幹部からゴルフ場開発が中止になった土地を買って転売して10億円儲けるという話に乗る。
資金は闇金(六平直政)から借りる。この闇金おやじの初登場のシーンが、バーで女の子に「シャンパングラスをおっぱいに挟んで飲み干したら10万円」と言ってやらせる。女の子はおっぱいを丸だしにしてそれをするというサービスカット。こういう遊びはこういう映画では必要ですよね。

このゴルフ場転売計画は半沢の知るところとなり、半沢は裏を取り始める。ところが自分の味方のはずの唐津(三田村邦彦)が闇金を久仁子側に紹介したと分かる。
いったいどういうことだ?
実は唐津は今回のゴルフ場転売話は嘘で久仁子たちを陥れようと言う計画なのだ。

そんな風に話は展開していき、飛鳥は半沢に自分を妻にしてくれとせがみ、しのぶと対立していく。
さらに飛鳥は久仁子とも対立していく。
途中、飛鳥と久仁子が川の中に入って殴り合うシーンの迫力はなかなかのもの。

しかし実は唐津は半沢をも陥れようとしてるのがばれて、半沢は粛正を試みようとするが、唐津は半沢も刑務所にいる拝島も殺してしまう。

飛鳥は極道の妻にコンプレックスを持っていて、あこがれ反面、反発反面の複雑な思いを抱いていたことも分かってくる。
そして大文字で盛り上がる京都の町を久仁子としのぶが唐津を殺しにいく。
健さんと池部良である。
女二人だからか時代なのか銃撃戦になって唐津にたどり着き仇を討つ。

二人が唐津に向かうシーンで一曲長山洋子の歌が流れる。
今日は関本監督と高田宏治さんのトークイベント付きで、その時にも話が出たが、ああいう曲に関しては作ってるほうも「いらないなあ」と思うこともあるが、「お金を出すから曲を使ってくれ」と言われることもあるようで、会社の事情で仕方ないらしい。
まあお金は大事ですからね。

というわけで久々にヤクザ抗争映画で楽しめました。
時々はこういうヤクザ抗争ものがみたいですね。あんまり血なまぐさい画があるのは苦手ですが。












Sー最後の警官ー 
奪還 RECOVERY OF OUR FUTURE


日時 2015年9月5日16:20〜
場所 新宿ピカデリー・シアター8
監督 平野俊一


SATやSITなど日本の警察にはテロなどに対応する組織がある。しかし相手を「制圧」することも辞さないこれらの組織とは違い、あくまで「確保」を前提とするNPSが誕生した。
神御蔵一號(向井理)はそのメンバーの一人。
ある日、幼稚園の通園バスがジャックされた。犯人は宿敵・正木(オダギリジョー)だった。
実は正木の計画はバスジャックが目的ではない。本当の目的は日本からフランスへあかつき丸で輸送されるMOX燃料だった。あかつき丸をジャックする正木の部下たち。
バスジャックは海上保安庁の特殊警部部隊の隊長の息子が乗っていたためにその人質を取るために行ったのだ。
NPSの活躍でバスジャックは解決。しかし正木はやむなく逃がし、あかつき丸へ。彼は南郷総理(辰巳琢郎)以下閣僚を人質に要求する。
この事件は元警察官僚の霧山(近藤正臣)が、危機管理の重要性を日本人にたたき込むための芝居だった。しかし正木は霧山の計画を無視し、MOX燃料爆破計画を実行しようとする。


向井理がSATみたいな部署に所属した警察ものテレビドラマがあることは知っていたが、観てなかった。髪の毛をショートにした向井はいまいち好みではない。
でも今回は「MOX燃料を積んだ輸送船がテロリストにジャックされた!」というストーリーを聞いて観たくなった。
いや〜「東京湾炎上」ですよ。

結論からいうと他のテレビの映画化と同じでテレビシリーズを観ていないと話についていけない。
特に霧島という老人が日本の黒幕として今回の事件の首謀者かと思っていたら大森南朋のNPSの隊長がほいほい会いに行くから少し混乱した。
ああそうなの、レギュラーだったんだ。

あと本田博太郎の町のおじさんとか、メンバーの恋物語とか結婚とか出産とか、なんだか事情が飲み込めないエピソード多数。

それでも後半あかつき丸に突入しようとし、船にワイヤーが張られてるためにヘリが着艦出来ない、その後のテロリストたちとの戦い、MOX燃料に仕掛けられた加熱装置を停止させるなど見所に次ぐ見所で飽きさせない。
そうは言っても向井が「ぜってえ捕まえてやる!」とかの言葉遣いが気になった。「HERO」もそうだけど、大人になって「ぜってえ」とかやめてほしい。子供だよ、それじゃ。

まあさすがに「制圧=殺す」ではなく「確保」を前提としているので、若干「この場合は制圧でもいいんじゃないか?1億人の命がかかってるんでしょ?」と思わないでもなかった。

あとキャラクターというか性格は違うけど、見た目の雰囲気は南郷総理は安倍総理に似ていた。
意図したものかは解らんけど。
テレビシリーズの方もちょっと観てみたい。












アンフェア the end


日時 2015年9月5日13:25〜
場所 新宿ピカデリー・シアター2
監督 佐藤嗣麻子


雪平夏美(篠原涼子)の父は警察内部の不正を暴こうとして殺されて24年が経った。雪平は父を殺した犯人を探そうと警察官になり、ネイルガン殺人事件(前作)の時に入手した警察内部の不正を暴く資料をどう使おうかタイミングを計っているときに村上検事親子が殺害された。
村上親子は日本の警察検察裁判所を支配する闇の組織の中枢ではないかと疑われていた人物だ。
村上のマンションの防犯カメラに写っていた津島(永山絢斗)が逮捕されたが黙秘する。彼は雪平になら話すという。
津島の取り調べを行う雪平。津島は雪平も追っている闇の組織の秘密を握っていて、その秘密を暴こうとしたために犯人にしたてあげられ、防犯カメラの映像も偽物だと主張する。
その頃雪平は武部(AKIRA)という検事から「検察内部の不正を暴きたい。何か情報があったら教えてほしい」と頼まれる。
津島を完全に信用したわけではなかったが、信じる価値はあると思った雪平は津島の逃亡を手助けする。


「アンフェア」シリーズは映画版だけ観ている。最初のテレビシリーズは観ていない。シリーズ開始から10年になるらしい。
結論から言うと今回が一番面白かった。

前はテレビシリーズを観ていないとよく解らない感じがしたのだが、今回は最初にちらっと説明があり、「殺人の疑惑をかけられた男と無実を信じる刑事の逃亡劇」という話にまとまっていた。

その中でも佐藤浩市の元恋人が登場したり、鑑識の三上(加藤雅也)も登場し、信じていいのか迷い出す。
一番の黒幕は武部。これは最後の最後、ではなく思ったより早い段階で開かされる。
三上が「俺は雪平を守るために組織に協力をしていたんだ!」というが本当か?ここまで来ると全く信じられなくなるのだが、映画の流れからするとほんとみたい。

ラスト、(書いちゃうけど)津島も実は武部の指示で雪平の持っている資料を奪うために近づいたと判明。
やっぱりね、そうだよね。ここは裏切られたことより予想していたのが当たった快感があった。

雪平の持っていた資料は海外メディアを通じて報道される。津島が「日本の新聞もテレビも国の言いなりだから、資料を持ち込んでも無視されるだけ」とマスコミ批判をする。
おいおいテレビ局製作の映画でよく言えたなあ、と思い、フジテレビの映画もちょっと見直す。

なんだかんだ言って映画版を3本を観たのは篠原涼子の魅力だろう。彼女のクールビューティな魅力がなければなりたたない作品だった。
いつか時間がある時に「アンフェア」のテレビシリーズも観てみたいとは思う。
 











薩ちゃん正ちゃん 戦後民主主義的独立プロ奮戦記


日時 2015年9月5日10:30〜
場所 新宿K's cinema
監督 池田博穂


山本薩夫と今井正を中心として、戦後の独立プロ映画の歴史を今井や山本の著書の朗読、関係者のインタビューで構成していく。
今井正の朗読は赤塚真人、山本薩夫は江原真二郎。

戦後の独立プロの始まりはまずは東宝争議。これによって今井も山本も東宝の監督だったが、組合のメンバーだった二人は東宝を退社。独立プロへの道を歩み始める。

東宝争議というのは実を言うと私はよく解らない。
文章にすれば上に書いた数行の事しか知らないのだな。もっと詳しく知りたいと思うのだが、そういった本もない。(というか知らない)
当時の東宝を知る人にちらっと聞くといろいろあったようで、皆口をつぐむのだ。
後に映画人としてすばらしい仕事をなさった方を(視点によっては)批判しなければならないこともあるようで、なかなか口が重くなるらしい。
ある者は東宝に残り、ある者は新東宝を作り、ある者は独立プロに活動の場を移したということだ。

東宝争議の話は本題ではないので、独立プロ設立の話に進む。山本薩夫は暴力団と市民の戦いを描いた「暴力の街」、今井正は戦後の日雇い労働者を描いた「どっこい生きてる」。

それから「荷車の歌」とか独立プロ作品が多数紹介されるが、半分以上観ていない。むしろ観ているのは「松川事件」「真昼の暗黒」ぐらいか。
新藤兼人の「裸の島」や家城巳代治作品も観ていない。
昭和30年代に独立プロで評判を得て、今井正は東映で「米」「武士道残酷物語」を撮ってこれは観ている。
まあ上映される機会も多かったからかな。

それだけではなく、やはりどこか暗かったり、主張が強過ぎて説教臭くなってる気がしてどこか敬遠してしまったのだろう。
山本薩夫は「白い巨塔」「戦争と人間」「金環食」「不毛地帯」「皇帝のいない八月」などのオールスター大作で好きになったのだから。
でも「証人の椅子」は観ているし面白かった。

山田洋次が「学生時代、『真空地帯』のエキストラに参加した。学生では金もないし、映画への応援はエキストラ参加だった」と語っていたのが印象に残る。
香川京子は「独立プロの映画に出て、社会人として成長させられた」という趣旨のことを言っていた。
乙羽信子は「原爆の子」に出るに当たって、大映の永田社長から「君はあほか。図太いのか。それとも大映をなめてるのか?」と言って出演を許可してくれたという話が面白い。やっぱり映画人である。

あととにかく金がなく、ストライキをテーマにした映画で、出演料が払えないためエキストラがストライキをしたとか、今井正が宇野重吉の映画のカメラマンのギャラが未払いだと聞いて「そりゃよくない」と批判して「君だって!」と渋谷の飲み屋で大喧嘩になった話も面白かった。
山本圭は山本薩夫に「君は何を養成所で習ってきたんだ!」と怒られた話や、今井正の「小林多喜二」で拷問のシーンで逆さ吊りにされた話をしていた
そして山本薩夫が独立プロを経て大映で「忍びの者」を撮ったときにスターや監督がハイヤーで送り迎えをされるのを観て「無駄使いだなあ」と憤ったという話は面白い。

最近はこういった社会派の映画もなくなってきた。興行形態が本当に変わってしまっただろう。
かつては労組とかもあったから、自主製作自主上映をしてもある程度の動員が期待されたろうが(娯楽は映画しかなかった時代もあったし)、今はそれもない。
今はそういう社会派のドラマを作ってもケイズシネマで2週間公開されて終わりだからなあ。
(そう言われてみれば「ソ満国境 15歳の夏」なんて説教臭いところも昔の独立プロ映画みたいだった)

そういう社会派映画はもっと安くできるドキュメンタリーに移っている。
独立プロ作品が成り立つ時代背景もあったろうし、今の時代ではもう成り立たなくなってるな、という映画とは直接関係ない感想を持った。

(今井正の作品ももっと観ようと思い、最近ディアゴスティーニの戦争映画コレクションで発売になった初DVD化の「望楼の決死隊」を購入した)







誘惑遊女 ソラとシド


日時 2015年9月2日21:00〜
場所 テアトル新宿
監督 竹洞哲也


ある田舎町のちょんの間「どれみ」で働く空・ソラ(かすみ果穂)と志渡・シド(RiKA)と轟麗・ドレ(倖田李梨)。特にソラとシドは仲がよく、いつも逆に喧嘩ばかり。この3人に店長の要(ダーリン石川)の4人で家族のように暮らしながらちょんの間を営んでいた。しかしこの田舎町にも風俗浄化の波は訪れ、閉店を迫られる。
町役場でその仕事を任せられたのはタカシ(津田篤)。彼は要の高校の後輩で、要のことは兄のように慕っていて、「どれみ」の立ち退きなど言い出せない。
シドは実はタカシのことを好いていた。
要店長はソラに惚れていた。ドレはたまたま転がり込んできて店員になった男といつの間にかいい関係に。


OPの一般公開作の2本目。
竹洞監督だから、期待するものがあったが外れた。
浄化のために閉鎖されるちょんの間、というのは解るのだが、話が悩んでいるばかりで進展しない。
特にタカシは要になかなか言い出せなくてぐずぐずと悩んでいるばかりである。

私の個人的な期待、というか予想では、「町の浄化をたくらむ町長に近づき、実は浄化というのは建前で利権が絡んでいた。ソラやシドが町長を誘惑し写真を撮って、クリーンなイメージで売る町長に写真を公表しない代わりにドレミの閉店を阻止させる」というものだった。

ところが彼らは何も抵抗はしないで、シドはタカシに告白し、一度は結ばれるものの、結局は分かれる。
ソラと店長も一度は結ばれるが、やっぱり最後は結ばれない(だったと思う)。
ドレは転がり込んできた男と結ばれて、二人で新たな旅立ちをするのだが。

世の中が浄化していく。
それはそれでいいことなのだろうけど、すべてが綺麗になっても逆にみんな幸せになれるだろうか、というテーマは好きなのだが、今回はうまく出来ていなかったように思う。

ちょっと残念である。