魚津のパン屋さん日時 2015年10月31日15:00〜 場所 シネマ・ノヴェチェント 監督 市川徹 東京でアナウンサーを志望していた加藤ちえ(高田亜矢子)だが、結局夢果たせず彼氏とも別れて故郷の富山県魚津に帰ってきた。 就職活動をしてみたもののうまく行かない。 ちえはその時、昔の同級生から今魚津市では「チャレンジショップ制度」というのがあって、商店街の閉店した所に新たにお店をオープンする人たちを支援する制度があると知る。 就職活動がうまく行かないちえは自分も何かお店を持とうと思い立つ。 そこで思い出したのは旅で出会ったパン焼きのうまい女性。新幹線で出会った女性だった。彼女は自分でパンを焼くのだが、夫ともうまく行かず誰も食べてくれないパンを持って旅に出たのだった。 スカイプを通じて彼女からパン作りを教わっていく。 孫娘のちえが可愛くて仕方ない晴雄(八名信夫)も彼女を応援する。 「獅子舞ボーイズ」を観たときに予告編が上映され、ちょっと関心を持った映画がこれ。 予告編で故郷に帰ったちえが近所のおばさんに「東京でアナウンサーしてるんだって?サインして」と言われて困惑するシーンが妙に引っかかったのだ。 だから「敗者復活戦映画かな」と思って少し期待したが、外された。 まずちえのキャラクターが好きになれない。 世の中なめてる。 正直、アナウンサーになりたいと言った段階でもう考えが甘い。 そして夢やぶれて就職活動をしてだめだったから店を開こうとは安易すぎ。 「なんとかなるでしょ」とつぶやくちえに母親が「東京でなんとかならんかった者が魚津でなんとかなる訳ないでしょう」と反論される。全くその通り。 まあそこまでは許しましょう。 映画なんだから。主人公がグダグダと就職活動していても仕方ない。 一番気になったのはその後である。 なんとパン作りをスカイプで習うのだ。 仕事をバカにするにもほどがある。 テレビ電話やビデオでパン作りが覚えられるか!! 映画なら普通、師匠に何か教わるときに「これ何の役に立つの?」と思ってしまうことをやらされて、実践になった時、「ああこのことだったのか!師匠さすが!」となるわけだ(「ベストキッド」方式)。 そういうのは全くなく、スカイプで習うだけ。 仕事をなめないで欲しい。 その後、店が開店準備になるわけだが、ここはあっさりとしていていきなり友人たちが内装を手伝っている。 厨房設備はどうしたのかなあと思っていたら後でちらっと写るが、立派なものである。 おいおいあれだけそろえたら数百万はかかるよ。 その資金をどうしたという経緯はない。 映画だから金の話でグダグダするのはどうかとも思うが、要は困難が描かれなさすぎなのだな。 主人公が壁にぶつかるということはなく、話がトントン拍子に進みすぎる。 支援制度があるかも知れないが、それならその辺もちらっとでもいいから説明して欲しかった。 主人公があまりにイージー過ぎるので腹が立って途中で帰ろうかと思った。 市長や知事や地元の人がいきなり出てきたり、埋没林の話など全く本筋とは絡まないエピソードが出てくるのは「ご当地映画」としてのご愛敬として許そう。 それにしてもよかったのは八名信夫演じるおじいちゃん。 高倉健の話題になったときに「昔は憧れたもんだ。『おひけえなすって。渡世の義理でお命ちょうだいします』って言うんだよ。あと『古い奴だとお思いでしょうが』」と鶴田浩二のまねをするのは笑った。後のトークショーでは鶴田の件は八名さんのアドリブだったそうだ。 法螺ばかり吹いて女性には愛想がいい愛すべき存在として描かれる。実際にいたら迷惑かも知れないが、映画としては楽しいキャラクターだった。 あとエンディングテーマとして、ジャズのスタンダード「素敵なあなた」を使用。 この曲はよかったので、劇場で売っていたCD1500円を買った。 たまたまトークイベントに脚本家の方がいらっしゃったので、スカイプの件について個人的に訪ねてみた。「教えてくれた女性の方もちえと出会って踏ん切りがついて夫と別れて世界中を旅するようになったという展開で、彼女もちえによって変わったということを描きたかった」という面があったそうです。 う〜ん、でもなあ。 やっぱりスカイプでパン作りは学べませんよ。 それならば世の中の大抵のことはスカイプで授業が出来てしまい、学校がいらなくなってしまうよ。 虹をわたって日時 2015年10月31日13:00〜 場所 シネマ・ノヴェチェント 監督 前田陽一 製作 昭和47年(1972年) 天使のような笑顔のまり(天地真理)は横浜のダルマ船の木賃宿にやってきた。家出してきて泊まるところがないと言う。 ちょうどその頃、その木賃宿の住民の一人じいさんが亡くなって、ダルマ船のばあさんはまりをそのじいさんの孫娘として紹介し、他の住民たち(なべおさみ、大前均、岸部シロー他)に手を出さないように言う。 しかしこの住人たちは一癖ある奴ばかりで、死んだじいさんがコツコツ貯めていた100万円を競艇につぎ込んでスッてしまう。 さらにやくざとつながりのある一人が中津(財津一郎)に「あの娘を売り飛ばすから手はずをしろ」と10万円貰ってまたまた競艇へ。今度は何も知らないまりもついていったが、なんと大穴を当ててしまう。 やっぱりまり売り飛ばす訳にはいかないと中津に金を返しに行った住人だが、儲けた金はすべて中津に盗られる。 実はまりは父と娘の二人暮らしだったが、父が再婚しその新しい母親とうまく行かずに飛び出してきたのだった。 この映画はドリパス(あらかじめ投票して数が一定数に達した映画を上映するシステム)で上映されたことが確か銀座シネパトスであったので知っていた。 その時は時間があわずに見逃したが、今回上映されたので鑑賞。 はっきり言ってこの映画は性に合わない。 まず私はギャンブルが嫌いなのである。金持ちが遊びの範囲でやるならいいのだが、貧乏人が一攫千金を夢見てギャンブルに手を出すなど、はっきり言ってアホである。 こういう人間がどうにも好きになれないのだな。 もちろん一旦落ちてしまったらなかなか這い上がるのは困難なのはわかる。今の格差社会の非正規雇用など見ているとそれが至難の業であるのは理解する。 しかしだからと言って酒飲んで何もしないで一攫千金を夢見ているのは映画の登場人物として好きになれない。 そういうのが悪役として登場するならともかく、「愛すべ好人物」として描かれるとだめである。 どうしても許せなかったのは住人たちの一人に船長と呼ばれる小型船の船長が出てくる。この娘が兄夫婦に預けられているのだが、それが田舎から修学旅行で横浜にやってくる。船長は自分は外国航路の船長と言ってある、だから自分の本当の姿を知られたくないというのだが、住人たちはちかくのモデルハウスを乗っ取って娘さんの歓迎パーティを開く。 ここで映画中劇の「白雪姫」が上演されるが、ばかばかしくて私はしらけるばかり。 翌朝、娘さんは帰ってくのだが、まりが送っていってその途中、彼女は父親の本当の姿に気づいていた、というよくあるオチ。 その後がいけない。 住人たちもモデルハウスで目を覚ます。 結局自分たちにはこんな家は買えないと悟り、「だんだん腹が立ってきた」となべおさみが言い、モデルハウスの家具を壊しだし、他の住人も一緒に壊し出す。 おいおいそれはアカンでしょ。 よほどの富裕層に格差社会の怒りをぶつけるならともかく、そのモデルハウスを見て家を買う層は大金持ちという訳ではない。 せっかく買っても交通の便の悪いところで定年を越えても払わなければならないローンを抱え、ローン破産の危険を持たなければならない層だろう。 そんな人たちに怒りをぶつけるというのはお門違いである。 「松竹だからかなあ。東宝ならこうならないのでは?」と思ったが、脚本家に田波靖男が入っていた。 映画は偶然会うまりの友人に萩原健一が登場。オープンカーを乗り回す凄い金持ちの坊ちゃん。 そして後半ヨットに乗った大学生役で沢田研二も登場。 父親の再婚相手(日色ともゑ)が実はダルマ船の近所に実家があり、ホステスから玉の輿に乗った設定。 で、日色に見つかったまりは逃げようとして沢田研二とヨットに乗って海に出るが、台風にあって遭難しかけたところを救助される。 そして結局父親の元に帰るという話。 木賃宿の住人のグダグダぶり怠け者ぶりが気になって、私には合わない映画だな、というのが正直な感想。 天地真理は・・・・まあ懐かしかったです。 それだけ。 ギャラクシー街道日時 2015年10月30日21:50〜 場所 新宿ピカデリー・シアター2 監督 三谷幸喜 スペースコロニーと地球を結ぶスペース幹線道路、ギャラクシー街道。開通して150年、当初はにぎわっていたが、最近は交通量も少なく、閉鎖の噂も立っていた。 そんな街道のバスストップの上でサンドサンドバーガー・コスモ店を経営するノア(香取慎吾)と妻のノエ(綾瀬はるか)、それとパートのハナさん(大竹しのぶ)。 今日も少ないながらも客はやってくる。 まずはノアの元の彼女(優香)とその今の夫(梶原善)、ギャラクシー街道の実態を調査中の役人(段田安則)、ポン引き(山本耕史)とその客(石丸幹二)、そしてスペース警備隊のハトヤ隊員(小栗旬)、トチヤマ隊長(阿南健治)、マンモ隊員(秋元才加)などなど。 そんなとき、ノエに言い寄るリフォーム業者のメンデス(遠藤憲一)がやってくる。 三谷幸喜の新作。三谷作品は「ラヂオの時間」からずっと観ていたが、予告を観て「イタそうな映画だなあ。さすがに今回はパスするか」と思っていたが、あまりの悪評に逆に観たくなって鑑賞。(悪評だけでなく客も入ってないらしい。私が観たのは給料日後の公開1週目の金曜日の夜9:50〜の回。そこそこ入っても良さそうな時間帯だが、お客さんは10人ぐらいしかいなかった) まず観る前にどの辺がイタいと思っていたか。 今回は登場人物全員宇宙人という設定で、その宇宙人メイクは50年代60年代のSFのようなイージーな感じ。 これが予告で観ていてイタかったのだ。 「宇宙家族ロビンソン」とか「宇宙大作戦」(スタートレックね)もそんな感じだったが、あれは欧米人がやると様になるのだ。ミスター・スポックのとがった耳もレナード・ニモイがやるから様になるのであって、同じことを日本人がすると何故か似合わない(と私は感じる)。 それにもともと私は(特に喜劇において)顔にモノを書いたりして笑いを取るのが好きではないのだよ。笑いはせりふや動きで見せてほしい。だから今でもお笑いの方が顔に大げさなメイクをして出てくるのは苦手である。(最近で言えば「東京エレキテル連合」) そんな理由でこの「ギャラクシー街道」もパスするつもりでいた。 しかし世間の悪評を聞いていると「そんなにヒドいならどれくらいヒドいのか」と観てみたくなるという不思議な気持ちになる。ピカデリーのポイント鑑賞で無料で観た。 結論からいうと見逃さなくてよかったな、というのが本音。もちろん今年のベストワンとかではないが、世間で言うほど私は嫌いではない。 特に小栗旬に関するエピソードが私は好きだった。 明らかに「ウルトラマン」「ウルトラセブン」のパロディで私は大いに笑った。 まずは警備隊の隊員ハトヤ(ハヤタのもじりと思われる)が隊長のトチヤマ隊長(キリヤマ隊長か?)に「自分は実はキャプテン・ソックスでして。来週は故郷に帰らなければなりません」でいろいろ会話して隊長が「でもキャプテン・ソックスがいなくなると困るなあ」というと「大丈夫です。来週には別のヒーローが派遣されます。そういうシステムみたいなんで」。私はここでウケた。 ユニフォームは平成ウルトラマンの時代に似てるが、腕には「ウルトラセブン」に登場したビデオシーバー(腕時計型通信機)をしている。 でハトヤは実は女性隊員のマンモ(たぶんアンヌ)まで登場。いつまで経っても結婚をしてくれないハトヤに愛想を尽かしてトチヤマ隊長と結婚し振られるという展開。 ヒーローもののお約束を破る展開で、ここは面白かったなあ。 で最後はキャプテン・ソックスが登場するのだが、これがウルトラマンではなくミラーマンとかスペクトルマンのような造形。はてはてこれはどうしたものかと思ったが、(邪推だが)ウルトラマンはTBSだが、スペクトルマンやミラーマンはフジテレビ。そういった権利関係のトラブルを避けるための措置だったのではないか。 しかし他の箇所は特に面白くはない。 遠藤憲一が網タイツ姿で登場するが、全くもって悪趣味としかいいようがなく、ピンク映画のお笑いシーンみたいだ。 出産シーンもグロテスクだし、生まれた子供が遠藤憲一と同じ顔もさらに気持ち悪い。 これがいっそ福士蒼汰とかの今のイケメンがやっていたらそれなりに面白くはなったと思うが。 10月29日の朝日新聞の夕刊の三谷幸喜の連載コラムで彼なりの言い分を書いていた。 「自分としては今まで自分が書いてみたことのない喜劇を書いてみたかった。自分としては楽しかったし、出来も完璧とは言えないまでも十分満足している」という見解。 「試写観た人の反応も様々で面白かったという人もいれば全く笑えなかったという方もいた」と続いて書いているから、世間の悪評も本人は伝わっていると思う。 出来に関しての意見は様々だろうが、ヒットしないとフジテレビでは映画を作れなくなるかも知れないから、それはちょっと寂しいな。 是非また彼の映画は観たい。 遠すぎた橋日時 2015年10月18日 場所 Blu-ray 監督 リチャード・アッテンボロー 製作 1977年(昭和52年) 1944年9月、ノルマンディーの上陸から3ヶ月。連合軍は徐々に補給が困難になり、膠着状態が続いていた。 そこでオランダの5つの橋を占拠する「マーケット・ガーデン作戦」が行われることになった。 空挺部隊が5つの橋を空から占拠し、地上部隊があとから応援に駆けつけ、占領する作戦だ。 一番奥のアーネム橋にはドイツSS機甲師団の戦車がいるという情報がもたらされたが、今更作戦の変更は出来ない。 作戦は強行された。 まず最初の橋のソン橋がドイツ軍に爆破されたことから遅れが出始める。地上部隊は1本道を進撃すると何かあるとそれで止まってしまい、予定より進撃が遅れている。 アーネム橋のドイツ戦車隊を担当するイギリス軍フロスト中佐(アンソニー・ホプキンス)は苦戦する。もともと空挺部隊は軽装備しか持てないので対戦車兵器は持っておらず、しかも持久戦は不向きだ。 フロスト部隊は徐々に追いつめられていく。 最近邦洋を問わず第2次大戦ものにはまっているので(「日本のいちばん長い日」「プライド」「大東亜戦争と国際裁判」(再見)「空軍大戦略」など。「パリは燃えているか」も観るつもり)封切り以来38年ぶりにブルーレイで鑑賞。実は一度数年前にDVDを買ったのだが「史上最大の作戦」をDVDで観たときに細部がつぶれまくっていてとてもつらかったので、ブルーレイを買いなおした次第。 ブルーレイで観て正解だった。 色のコントラストは鮮やかだし、何しろ細部がつぶれてるということはない。 実は封切り時に観たときはあまりいい印象がなかった。 戦況がどこで何をやっているのかさっぱり解らず、ポカンとしてしまった記憶があったのだ。 テレビ放送があったときに少し観たが(大学生ぐらいになっていたか)、テレビ局が「今はこの橋のシーンです」とテロップの地図を入れてくれて分かりやすかった記憶がある。 今回見直したが解らなかったのは私が単に子供だったからと解った。そりゃもう少し橋と橋の距離とか位置関係を詳しく最初に説明して欲しかったが、まあ長々とやられても困るか。考えてみれば他の戦争映画もそれほど詳しくは説明してない。 日本の戦争映画ばかりいていると日本軍はバカばっかりでアメリカ軍は優秀、みたいな錯覚に陥るが、本作にでてくる連合軍もたいがいにしとけよ、である。 まず作戦前に情報部から「アーネムには戦車隊がいる」という情報がもたらされてるにも関わらず、「数千枚の写真のうちたった3枚じゃないか!あてにならん」と作戦総責任者のブラウニング中将(ダーク・ボガード)は握りつぶす。「もう決めたことは今更変えたくない」という根性は日本軍もそうだった。 ポーランド軍のソサボフスキー少佐(シーン・ハックマン)は唯一作戦に不安を抱く。 さて作戦開始。 空を覆いつくす空挺部隊だ。(でも日本でも「加藤隼戦闘隊」のパレンバン作戦のシーンも負けてないよ) 実際のカメラマンも落下し、落下していく目線でのカットもある。 アーカート少将(ショーン・コネリー)とフロスト中佐の隊が一番奥のアーネムに降り立つ。 ところが無線は故障し、他の部隊との連絡が取れない、しかも敵戦車隊はやってくるで完全に孤立状態。 アーカート少将など自らも前線に行こうとし、日本の司令官とは大違いである。この映画にでてくる将官は後方でふんぞり返ることなく、自ら戦線に立っている。映画的誇張があるのか?はたまた実際にそうなのか? そしてキャラクターとして面白いのがスタウト大佐(エリオット・グールド)。常に葉巻を加えていて、いつも一番乗りを目指して最初にいく。 ソン橋が爆破されるシーンでびしょ濡れになるのはこの映画で数少ない笑いのシーンだ。 4番目の橋をボートで渡るクック少佐(ロバート・レッドフォード)はレッドフォードは戦争ものは似合わないのか、というかレッドフォードが活躍する時代は戦争映画も少なかったが、もう一つ印象が薄い。 この映画、主に上層部や師団長クラスの動きが多く、一般兵クラスのシーンは少ない。スターのでるシーンでは、仲間を助け、病院に連れていき軍医に無理矢理診察させるドーハン軍曹(ジェームズ・カーン)のシーンぐらいか。 しかし軍医も診察し、兵士は助かりドーハンも罪に問われないという「いい話」だけど。 「つらい話」だとアーカートの部隊が飛行機で補給が来るが、すべて敵陣地に落とされてしまう。そこで一人の兵士が無理に落下した物資を取りに行き、あと一歩で殺されてしまう。しかも中身は軍服の帽子しか入っていなかった、というシーンはむなしい。 ドイツもドイツで将軍は「自分の暗殺が目的だ」と勝手に逃げてしまうし、墜落した機から作戦書が見つかっても「これは陽動作戦の偽物だ」と取り合わない。 そもそもドイツがアーネムに戦車隊をおいていたのは偶然にすぎない。 4番目の橋までは何とか成功したが、5番目の橋の1・6kmまで来たのにブラウニングは作戦中止を決意する。 「天気はずっといいに違いない」「楽勝で橋を占拠できるはず」「ドイツ軍は老人と青年隊しかいない」などの「こうであって欲しい」が「そうに違いない」になっていき、甘い見通しで作戦を行い、大失敗になっていく。 日本の「ミッドウエイ作戦」や「インパール作戦」と同じである。 しかし日本との最大の違いは(もちろん全力で戦うが)最後の最後には捕虜になる選択肢が残されている点ではないか。 これが日本では玉砕だもんな。 最後の悲壮感が違うよ。 ラスト、イギリスに帰ったアーカートはブラウニングと面会する。 アーカートは戦場から帰ったばかりで汚れたまま。「着替えますか」と言われるが拒否する。汚れたままブラウニングに会う。 ここは自分や部下たちの苦労を見せてやりたいという思いなのだろう。 「90%は成功だったと考えている」というブラウニング。その前のシーンで「上の者が命令を出すと下の者が死ぬんだ」とソサボフスキー少佐がつぶやく。 この思いは戦争中のすべての共通する思いなのだろう。 子供の頃には解らなかったこの映画の面白さが大人になった今は解る。 面白かった。 出演は他にギャビン准将(ライアン・オニール)、オランダ人医師(ローレンス・オリビエ)、ドイツ側将校でハーディ・クリューガー、マクシミリアン・シェルなど。 たまあそび日時 2015年10月25日17:50〜 場所 光音座1 監督 大木裕之 製作 ENK 高知の会社の野球部で活躍していた夏目子規は松山の支社に移動になった。実は高知本社にいたときに同じ野球部でつきあっていた人がいるのだが、結果的に疎遠になってしまう。 そして松山でも野球部に入り、同じチームのケンと体を重ねるようになる。 高知時代の恋人と久しぶりにあった子規だが、彼は会社をやめ兄の仕事を手伝いに東京へ出るという。 大木裕之は私の中では衝撃的だゲイピンク「あなたがすきです、だいすきです」の監督で、非常に関心のあった監督なのだが、以前銀座シネパトスであった「午後8時の映画祭」というピンク映画特集で上映された作品が(もはやタイトルさえ忘れた)全く私にあわない映画だったので、ちょっと距離を持っていた。 実はこの映画、去年中古DVDショップで800円ぐらいで買っていたので、家にあるのだが、ちょっと敬遠していたことと、どうせ観るなら映画館で観たいので、棚にしまったままになっていた。 結論から言えばあわない映画だった。 音が聞き取りにくくて、しかもデジタル素材上映なので画も音も不明瞭。 タイトルは正岡子規が野球好きで、そもそもベースボールを野球と呼び出したのも正岡子規だそうで、タイトルの「たまあそび」も野球のことを「たまあそび」と詠んだ俳句からきている。 それで子規なのか時々俳句や短歌が画面に出るのだが、これが手書き文字でしかもデジタル素材でピントはぼけてしまい、読みとれないことも多い。 んで手持ちカメラで映像はぶれまくり、しかもカット割とかきちんと考えずにテキトーに写しているようなホームムービーのような映像。 しかも時々露出を変えているのか一瞬色が変わったりする。 実は今日少し二日酔い気味なので正直、気持ちが悪くなった。 ケンが登場した時などインタビューみたいな映像が入っていたり、途中で打ち上げの席で脚本の南木氏のインタビューが入っていて「いや別に脚本の通りに撮る必要はないと思うんですよ」と言ったりする。 しかも途中でライトを持ったスタッフが完全に写っており(画面中央にいるのだから偶然ではあるまい)もはやその感覚にはついていけない。 「映像の魔術師」とか「映像の詩人」とかそういう言葉で紹介されたこともある大木監督だが、「あなたがすきです、だいすきです」以外はどうも合わない監督だなあ。 今日はメンズストリップショーとこの前に観た「乱菊伝説」が同時上映。 マジック・マイクXXL日時 2015年10月24日14:20〜 場所 新宿ピカデリー・シアター10 監督 グレゴリー・ジェイゴブズ メンズ・ストリップをやめて3年、念願のオリジナル家具の仕事を始めたマイク(チャニング・テイタム)だったが、仕事は順調とは言えずしかも婚約者には逃げられ不本意な日々を送っていた。 そんな時、かつての店のオーナー・ダラスが「旅立った」という連絡を受ける。てっきり亡くなったと思い、店の会った町、タンパに行ってみたがそこではかつての仲間がパーティを開いていた。 「旅立った」というのは死んだのではなく、店を捨てて海外から誘いがあったので行ってしまったということだったのだ。 一旦は帰ったマイクだったが、かつての仲間が「メンズストリップ」のコンテストに解散する前に出ようと行っていたのが気になっていた。結局仲間と一緒にコンテストに参加することにしたマイク。 みんなと一緒に旅に出たマイクたちだったが、途中で事故を起こし、運転手兼MCのトバイアスが入院してしまう。 かつての知り合いを頼りに旅を続けるマイクたちだったが。 「マジック・マイク」が2013年8月に観て2年ぶりの続編。前作ではラストで恋人婚約して家具職人になる、という小さな夢で終わっており「なんだそれ?」とがっかりした覚えがあった。 だから主人公が違う別の話なのかと思ったら、続きである。 「家具職人としては成功しませんでした」という展開もなんだそれ?と思ったが、まあそうするしか続けようがないか。 「XXL」となんだか卑猥さが増しているタイトル。 今回は旅をしながら昔なじみの店や旅で知り合った子の実家に泊めてもらい、行く先々でストリップをしていく。 かつてMCをしていて今は自分で店を持っている女性がお客さんをすべて「女王様!」「女王様たち!」と呼んで場を盛り上げる。 この女オーナーがなんともパワフルだ。 そしてお客さんたちは1ドル札を投げていく。 ラストのコンテストの入り口でもやっていたけど、これは100ドル札を1ドル札100枚に両替して、チップを投げるシステムらしい。 前半でメンバーの一人が今までの消防士とか兵士のスタイルはやめてみようということで、コンビニの無愛想なレジの女の子の前で踊るシーンが「TELL ME WHY」の曲もあっていて面白かった。 そしてマイクの仕事場とか個人宅とかメイン会場とかメンバーたちのストリップを見せていく。 若くてピチピチという男ばかりではなく、巨根のメンバー30代とか、絵も描けるメンバーがどう観ても40代以上だったり、必ずしも若くなくても頑張っている。 観ていて思うのはとにかく女性たちが元気である。 マイクをはじめとする男性ストリッパー(別の言い方ではエンタテイナー)に驚喜する。 日本ではああいうシステムないなあ。 せいぜいホストクラブなのだろうが、システムとしてはだいぶ違う。 ジャニーズアイドルとかイケメンたちのBL映画とか、イベント的に上映される小規模のアイドルとかになるからな。 町のイケメンストリップ、というのは無いなあ。 日本人は体型的にああいう筋肉質は少ないのか? それともああいう筋肉質より、例えば今日観た千葉雄大みたいなタイプの方が好まれるのか? 映画館の観客は95%女性。中には女子高生のグループもいた。 イケメンを楽しんでください。 かっこいいイケメンを楽しんで元気が出るなら、こんなにいいことはないじゃありませんか。 Mr.マックスマン日時 2015年10月24日9:20〜 場所 イオンシネマ板橋・スクリーン5 監督 増田哲英 子供の頃父の影響でスーパーマンやスパイダーマンなどのヒーローにあこがれていた谷口正義(千葉雄大)。しかしヒーローにはなれないと言われ勉強も運動も苦手だったが、幼なじみの祐子(山本美月)がジャーナリストを志望していると知り、誰もが無理と言ったが奇跡的にジャパンテレビのアナウンサーになった。しかしアナウンサーになって3年、朝のワイドショーで自分のコーナーを持つに至ってはいたが、失敗ばかりでアナウンサーでいられるかどうか解らない。 世間では「東京ボンバー」と名乗る者により連続爆破事件が起こっていた。 そんな時、正義は隕石が落ちたとされる場所に取材に行く。スタッフとはぐれてしまった正義だが、偶然落下地点を発見。そこに落ちていた隕石をさわると不思議な力が身に付いた。どうやら隕石をさわった時に力が身に付いたrしい。その隕石はガラス板に変わっていた。 正義はその力を使ってマックスマンとして活躍する! 「ゴセイジャー」のレッドというなかなかいいポジションでデビューしながら、なかなかもう一つブレイクしない割には消えずに生き残っている千葉雄大。 「たよりなさそうなヘタレな男の子」というキャラクターが似合う彼だが、やっと主演映画が出たか!と喜んだのもつかの間。 公開が非常に限定的なのだ。基本全国のイオンシネマでの上映。上映時間も62分と短いし、そもそもDVD販売が中心で劇場上映はあまり念頭にないのかも知れない。 イオンシネマは23区内では板橋しかないのだよ。バルト9でも1週間だけ上映したが「1日1回しかも深夜上映」ととても見せる気を感じさせない時間帯。 板橋も2週目になったら朝の9時と夕方の5時の2回の上映になった。 今週は土日とも夕方に用事があるので、仕方なく土曜日にも関わらず通常出勤するのと同じ時間に家を出発して見に行った。 肝心の内容だが、期待通りの面白さ。 アメリカのヒーローコミックにも実は「マックスマン」というのがあり、それとそっくりだという設定。 マックスマンに変身すると、聴覚嗅覚腕力などがすべてアップする。だから音がうるさい、においが気になるなどのハンデがつく。(でもそれは変身してすぐにどっかへ行ってしまう) 千葉雄大がヘタレなヒーローを軽やかに演じる。 最初に変身して包丁を持った男を捕まえる時にシャツとパンツ姿なのが面白い。 まためがねにスーツ姿が似合っていて、好感度アップである。千葉雄大はこのままメガネ姿でやっていった方がいいのではないか? またテロリスト集団「東京ボンバー」は右派の衆議院議員・海東(大和田伸也)がテロ対策を強化するために自作自演でやっていたという設定が現代的でよい。 いますねえ、最近こうやって危機を煽る政治家。 製作が吉本興業とテレビ朝日なので吉本の芸人の田村亮やなだぎ武などがゲスト出演。 低予算の映画だが、それほど安っぽさは感じない。 是非シリーズ化して数本は作ってもらいたいと思う。 草迷宮日時 2015年10月23日22:00〜 場所 新宿バルト9・シアター3 監督 寺山修司 製作 1979年(昭和54年) 青年・明は母がよく歌っていた手鞠歌の歌詞を知りたくて、母の恩師、寺の僧侶、ある家の老人(伊丹十三の三役)を訪ね歩く。 少年時代の明(三上博史)は自分の家の土蔵にいる女に犯される。少年時代の明は母から束縛を受けていた。 東京国際映画祭「寺山修司生誕80年」での上映。 30年もやってる割には一向に盛り上がりを感じない映画祭だなあ。いろいろ原因は言われているが、「東京」という街に原因がある気がする。私に言わせれば東京は1年中映画祭をやってるような街なのだ。今更映画祭と言われてもそれほどの価値を感じない。 話がそれた。この映画は製作時にキネマ旬報に紹介記事がでていた。「確か何かのオムニバスの1本として制作され日本では一般公開はされてないはずだ」と記憶していたが、映画祭公式HPに「ピエール・ブロンベルジェ制作のオムニバス映画の一編として1979年、パリ市内約30の映画館で上映され、日本では寺山が亡くなった83年に、寺山修司追悼特集として公開された」と記述してあるから、記憶通りで間違いあるまい。 寺山修司なんて「書を捨てよ町へ出よう」とか「田園に死す」とか観てるけど、どれも好きではない。 でも何となく気にはなって観てしまう。 決してスタイルのよいとは言えない女性が裸になったり、少年が裸になったり、いわゆる一般的な「エロチシズム」とは言えない性描写があるのが、そこが好きというか気になるんだろうな。 で観終わった後「つまんなかったなあ」と思うのだけど。 この映画は40分の中編。だから飽きたり退屈していやになったりする前に終わってくれる。 ストーリーは難解というか考えるのは私の頭では無理なので、理解しない。 戦前の日本のファッションとか(着物に学帽をかぶると言ったような)、ポスターなどのアートで囲まれる。 母に束縛される主人公明、「魔物がやってこないように」と木に縛られ、体中に例の手鞠歌の歌詞が筆で書かれる。体中に書いてある様は「耳なし芳一」を彷彿とさせる摩訶不思議な美しさ(と言っていいのか)。 そして女が着る赤襦袢。今回はフィルムではなくデジタル上映なので、その赤が一層目立つ。 「今回は白塗りが出てこないなあ」と思ったら、最後に砂丘で幼い男の子と女の子が白塗りになって踊る。 とにかく寺山節炸裂の摩訶不思議ワールド。 好きか嫌いかで言えばあまり好きではないが、あの独特の世界観はすごいと思う。 今の映画監督にあれだけの個性は感じない。 いや必要とされてないだけかも知れないが。 映画「日本と原発 4年後」日時 2015年10月18日13:15〜 場所 ユーロスペース1 監督 河合弘之 去年の「日本と原発」と同じく河合監督作品。 去年の続編、というか言い足りなかったことを出した映画かと思ったら、かなり重複する。 ほとんど同じような映画。 何で二本目を作ったのだろう? 「原発を利用したエネルギーの再利用循環」(使用済み燃料からMOX燃料を作って再び燃料にして無限の循環を行う計画)「科学の発展のためには事故はやむを得ない」「火力発電所では国富が流失する」などをホワイトボードを使って論破する。 このシーンは「日本と原発」と同じだと思う。 核燃料の再利用は不可能だが、映像の再利用は簡単だ。 今回の映像で、前回になかったのは「原発が外国のミサイル攻撃にあったら?」「原発がテロリストの標的になったら?」という観点からの危険性が出てくる。 「原発に向かってミサイルを撃ち込まれたらひとたまりもない、まさに自国に照準を定めた核兵器のようなもの」問い表現があって、ご丁寧に北朝鮮のミサイルは日本も射的距離内と解説してくれる。 原発がいかに危険かを説得されるが、私はこの説得方法はちょっと危険だと思う。 「だからこそ防衛が必要なのだ」「防衛予算を増やそう!」「自衛隊の海外派遣を認めよう」というあらぬ方向に議論が行ってしまわないか心配である。 一応推進派の方がちらっと登場する。 名前は忘れたが、原子力委員のおばさん。 「電気のない生活には戻れません。冷蔵庫のない生活は考えられない」。説得力ないなあ。 私でも反論できるよ。 「あなたの欲しいものは電気でしょう?原子力発電である必要はないのでは?」 最後に太陽光、風力、地熱などの脱原発に邁進する小泉元総理の講演が出てくる。河合弁護士と二人で演説してるカットもある。 改めて思ったが、小泉さんの演説は(私には)心に響くなあ。あの人はやっぱり演説がうまいですよ。 グダグダといいわけめいた要領を得ない演説をする人より「原発は安全で安い!と教えられてきましたが、よく勉強したらあれはウソだったんです!」とはっきり言われると実に分かりやすい。 ラストには前回と同じく新垣隆の音楽が流れて重厚感が増す。 私は基本的に脱原発の立場だが、実は心のどこかで「放射能を無害化する技術が将来開発されるのでは?」と何の根拠もなく期待する。 未来の人間に「昔の人間は放射能を無害化する技術を持たなかったから『原発は危険だ』と裁判までしてたんだって。バカだね」と笑われないか、ちょっと(ほんとにちょっとだけ)心配している。 野良犬はダンスを踊る日時 2015年10月16日21:00〜 場所 ユーロスペース2 監督 窪田将治 黒澤(近藤芳正)は幼い頃に借金取りに取り立てをくらう父を刺した。その現場に居合わせたヤクザの前橋(川瀬陽太)によって育てられる。 それから50年。黒澤も今ではベテランの殺し屋だった。 林田(加藤慶祐)や秋元(鈴木勝吾) という部下もいる。ただし秋元がやたらと殺す相手の背景を詮索したがるのが気になっていた。 今日もある殺しを行い、依頼主の高山(木下ほうか)に報告する。その晩、女を抱いたがイクことが出来なかった。 最近黒澤は体の衰えを感じていた。 ある殺しを行った際、後ろから相手の首を絞めたが失敗した。殺しそのものは秋元がやってくれたので、目的はなんとかなったが黒澤は自信を失った。 黒澤は高山の経営するクラブの常連でそこのナンバーワンホステス美織(柳英里沙)がお気に入りだった。美織は店のマネージャー川口(久保田秀敏)とつき合っていたが、川口が他のホステスと二股をかけていると知り、別れを決めた。 バイプレーヤーの近藤芳正の初主演映画。 しかもよくありがちな中年サラリーマンの家族の話、ではなくハードボイルドな殺し屋ものだ。 昔なら宍戸錠や藤竜也が演じたろうが、今はこういった「いかにも殺し屋ではない」人が演じる時代になってきた。そして近藤はその期待に十分応える。 黒澤は最近前はこんなはずではなかった、と思うことが多々ある。女とイケない、ナイフで怪我をする、部下は反抗的な態度を取る、引退を言われる。 ついに殺しの現場で失敗する、しかもそれを部下に見られた。 なんかこう身につまされるなあ。 50を過ぎた男の悩みである。若いもんには解らない。 彼は待ち合わせの時間に寝坊したことで決意する。 (本当は年を取ると早く目が覚めるので、年を取って寝坊するのは正しくないと思う。脚本はオリジナルで窪田監督だが、彼はまだ若いので解らないか?) 仕事には差し障りのない程度のミスだが、彼のプライドが許さないのだろう。 そして美織と知り合い、別の人生を歩もうかと考える。 美織も男と別れたがっている。 黒澤の部下の秋元はやっぱり深追いした。殺した相手のことを詮索し、それを元に恐喝しようとしたのだ。 一度は引退を高山に申し出たが、結局は自分で秋元を殺さなくてはならない。 この殺しのシーンが、黒澤が仲間を外に待たせたまま、秋元の隠れてる部屋に入っていく。そして銃声だけが響く、という演出。ここ、かっこいいですね。 店長から店の売り上げが下がったという理由で責められるマネージャー。美織に土下座して店に戻ってくるよう頼むマネージャー。最後は店に戻る。 それを黒澤が見るカットがある。 「辞めようと思ったが、周りに頼まれてやっぱり辞められない」ということで二人は共通だ、と言いたげな演出だが、黒澤と美織ではちょっと事情が違って同じには出来ないんじゃないか? 黒澤は「老い」を感じて自分の仕事に責任が持てないことをプロとしての誇りが許さなかったのだし、美織は男に裏切られただけだから、店さえ変えればまたホステスをしていくのはいとわないようにも見えた。 そういう不満は多少はあるものの、近藤芳正の殺し屋が妙にはまっていてよかった。 今まで観た窪田作品では一番面白かった。 プライド 運命の瞬間(とき)日時 2015年10月12日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 伊藤俊也 製作 平成10年(1998年) 昭和16年太平洋戦争開戦時の総理大臣・東條英機(津川雅彦)は終戦後、GHQにより逮捕される。 東條の弁護には清瀬一郎(奥田瑛二)が立つことになる。 清瀬たち日本側弁護士は「勝者が敗者を裁くのはおかしい」と裁判そのものに異議を申し立てたが却下される。 日本人でも日本側に不利な証言をするものもおり、南京では日本が虐殺を行ったかのように言われたが、キーナン検事の用意した証人ははなはだ弱い。 インドのパル判事は判事の中でただ一人この裁判に疑問を感じていた。 ついに東條の弁明の機会が訪れる。彼は日本の名誉を守るために証言台に立つ! 「東日本ハウス(株)創立30周年記念作品」となる。 住宅会社がどうしてこういう映画を作ったのかよく解らない。バブルの時にみたいに簡単に異業種が映画に参加できる時代でもないのに。 この映画は公開の時にも観ているが、初めの方で東條が自殺用に自分の心臓の辺りに印をつけるカットとインド独立が話に絡むことしか覚えていなかった。 上映時間も2時間40分もある。2時間ぐらいの映画だと思っていたからいささか驚いた。 覚えてなかったのはたぶん面白くなかったからだろう。 この映画、製作時に「南京大虐殺を否定する映画だ」という理由で東映の労組が製作反対運動を起こしたと記憶する。そういう物議をかもした映画だった。 面白くない理由はテンポが悪いのだよ。 裁判が始まったシーンなんか裁判長が英語でしゃべる、それを同時通訳が日本語に訳して話す、というのを延々とやる。実際の裁判はこうだったらしいから、実際に見た人の話ではすごく退屈だったそうだ。 でも映画でやるならもっとテンポをあげなきゃ。 (さすがに後半はテンポをあげるけど) はっきり言うが基本的に東條擁護、日本擁護のスタンスが強い。(露骨さは少ないけど) 東條が「君は私を弁護するに値する人間だと思っているのか?私は日本を敗戦に導き、多くの国民を死なせ、そして自決を失敗した人間だ。そんな人間が無罪を主張出来るか?」と清瀬に問う。清瀬は答える。「あなたは日本や日本国民には有罪です。しかし連合国のいう戦争犯罪に対しては有罪ではない」 その通り。 東京裁判そのものは不公正だったと思う。しかし日本が、東條が全く悪いことしてなかったということにはならない。 パール判事も最後の自分の判決文で「日本無罪論」を主張するが、それをもって「日本は悪くなかった」と主張する人がいるが、パールは「この裁判は不公正で認められない。裁判が成り立っていない。だから有罪ではない」という理由から「無罪」になったのであって、日本の行動に問題がなかった訳ではないと思う。 東條は「こんな無茶苦茶な裁判があるか」と清瀬に疑問を投げかけるシーンがあるが、それに清瀬は「負けたからです」と答える。 東京裁判にはいろいろと異議もあろうが、やっぱり負けたんだから仕方ないですよ。 さらに映画は「インドの独立は日本のおかげ」と言いたげである。大鶴義丹演じる立花という帝国ホテルの客室係が出て来てパールと交流し、東京裁判にも「兵士からの証言」をしようとする。証言は裁判所によって拒否されるが「え、そんな人いたの?」と思ったらネット情報ではこの人物は創作だそうだ。 立花は婚約者も捨ててパールの力(?)でインドに渡りインド独立運動に参加する。 それってこじつけすぎやしないか? 第一立花はインドで特に役に立ってるようには見えないのだが。 日本や東條の正当性を主張したいなら事実のみで構成するべきだろう。そうしないとすべて嘘くさくなる。説得力がなくなる。 そういう意味では新東宝の「大東亜戦争と国際裁判」の方が1時間40分で簡潔で見やすいよ。 津川雅彦がたっぷりと間をとった演技をするのでテンポがたるいたるい。 裁判が始まった頃に巣鴨プリズンに向かうバスに女性が飛び出してその場で割腹自殺を行う。これは旧日本の指導者に自分の夫が戦争で死んだことへの抗議だそうだ。 その後で裁判中に東條の顔が歌舞伎役者のような顔になって能の舞が出てくるイメージカットは意味がよく解らなかった。 絞首刑のシーンはあまり詳しくは描かない。ただ「皇太子の誕生日に行った」というだけ。 その点は広田弘毅の東條たちの「天皇陛下万歳!」を「今漫才をしてたでしょう?」のシーンがあると私はよかったが、東條が主役の映画だからそれは入れられないか。 物議を醸し出すのも納得の映画である。 36時間 ノルマンディ緊急指令日時 2015年10月12日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 ジョージ・シートン 製作 1965年(昭和40年) 1944年5月の末。連合軍は6月4日のノルマンディ上陸作戦の準備を着々と進行中だった。ドイツも6月上旬に連合軍が上陸することは予想していたが、その場所はイギリスに近いカレーだと思っていたが、確証はなかった。 連合軍もドイツがカレーに師団を集結させているという情報を得ていたが、まだまだ安心は出来ない。 そこでアメリカ諜報部のパイク少佐(ジェームズ・ガーナー)を中立国のリスボンに向かわせ、リスボンのドイツ大使館員から情報を得ようとした。 リスボンに向かったパイクだが、カフェで飲んだコーヒーに薬が入っていて意識を失う。 気がついたら病院にいた。軍医のガーバー(ロッド・テイラー)が言うには今は1950年で戦争は44年11月に終わったという。 実はそれはドイツ軍がしくんだ罠でもちろん今は1944年。昔話をするつもりで連合軍の上陸地点を聞き出そうという作戦だ。 ネットサーフィンをしていたら、この作品の情報に当たりレンタルしてみた次第。なんか「スパイ大作戦」(テレビオリジナルの方)みたいな話じゃありませんか。しかも主演は私の好きなジェームズ・ガーナー。 最近邦洋を問わず第2次大戦映画が観たくなっていたので鑑賞。 「スパイ大作戦」は罠をかける側が主人公だが、今回はかけられる側が主人公。しかもドイツ軍が罠の準備をする様子も描かれ、観客にはすべて解っている。 髪も白く染め、一時的に老眼にさせるなど手が込んでいる。 完全にパイクの視点で描き、観客もだます話も出来たが、今回はそうしてないので、「パイクは話してしまうのか?」「いつ気づくのか?」に興味が注がれる。 パイクはあっさり昔話をしてノルマンディに上陸の詳しい人員の数まで話してしまう。 しかしドイツ軍とてこの情報が真実か解らない。司令部の分析ではやはりカレーが有力だからだ。 罠を仕掛けるドイツも一枚岩ではなく、親衛隊が「我々が拷問をした方が早い」とパイクの引き渡しを要求するが、「36時間やらせてみる」ということで見張りにシャイク大佐を派遣してくる。 冒頭、パイクが指を怪我するシーンがある。「これが伏線だな」と思ったらその通りで、それでパイクは今は1950年ではないと知る。 それを確認するために門番の兵隊(ドイツ人だが英語を話しアメリカ兵の振りをしている)に「将軍が来た!」というと条件反射でドイツ式の敬礼をしようとしてしまう。 という感じでパイクは気づくが、今度は「初めから知っていてノルマンディは偽情報」とガーバーたちに知らせる。 ガーバーも去るものでDデイの朝に「今連合軍がノルマンディに上陸したよ」と言ってパイクの反応を見る。 それを見て「やっぱりな。実はその時計は進んでいて、まだ上陸は始まっていない」という。 この辺りまでは心理戦があって楽しめたが、その後親衛隊に不信を抱くガーバーはパイクや看護婦役のユダヤ人を逃がす。 ここまで騙しあいがきたのだから、てっきりガーバーが逃がすのは裏があると思ってしまった。 だから「逃がしてやるから金目のものを」という国境警備兵も何か裏がある気がして、そしてガーバーが「健忘症の研究をしてる過程で今回の作戦を作ってきた。その健忘症についての資料だ」と言って書類を渡すのだがそれも何か裏があるとずっと思っていた。 だからパイクたちが無事にスイスに逃げたら「なんだ終わりか」とがっかりしてしまったのが事実。 こういう騙しあいの映画ってどこまでも観客が疑い出すから終わらせところが難しいですね。 監督は「大空港」のジョージ・シートン。 白黒だし派手さはないが面白かった。もう一ひねり欲しかったのも本音ですが。 ぼくらの瞬間日時 2015年10月11日 場所 光音座1 監督 広木(廣木)隆一 製作 ENK 渋谷でミニFMのDJをしているタカアキ。彼は「所詮半径500mでしか聞かれていない放送。金魚鉢の金魚だ」と今の仕事に悩んでいた。 そのFMのスポンサーのブティックのオーナーのフルダテ(池島ゆたか)はカズヨシという青年と結婚を考えていた。 そのフルダテの下でデザイナー修行をしているノリタケはタカアキに惚れていたが、タカアキは今のところノンケ。 タカアキのDJの助手をしているメルモもタカアキに惚れていたが、全く関心を持ってくれない。 ある日事情があってタカアキの家に居候するノリタケ。 フルダテの娘・小雪も結婚が決まっており、彼女も結婚するし、自分がゲイで男と結婚することを打ち明ける。 小雪はショックを受けて失踪してしまう。 それを知ったタカアキは放送で小雪に呼びかける。 やがてタカアキもノリタケを受け入れる。 広木隆一のピンク映画時代のゲイピンク。 「ぼくらの時代」「ぼくらの季節」と「ぼくら」三部作と言われ評価が高いそうだが、どこで評価が高いのだろう? 映画が始まった頃にフルダテやカズヨシが「結婚するんだ」というので誰と誰が結婚するのかわからなかった。 いや音が悪いのかカツゼツが悪いのか時々せりふが聞き取れない。 「結婚、結婚」というからカズヨシと小雪が結婚するのかと思っていたよ。 男同士の場合、何をもって結婚というのだろう? 「一緒に暮らす」ということなのだろうか? 男同士の場合は基本的には「ない、出来ない」訳だから安易に「結婚」という単語は使わないで欲しいなあ。 正直、混乱する。 で、タカアキが放送で「お互いに尊敬しあって高めあっていく存在なら男も女も関係ない」などと青臭いことを言う。 これだからノンケの作ったゲイ映画は解っとらんよ。 理屈ではそうかも知れないが、そうは世間様が受け入れてくれないから、みんな苦労するんでしょ? そういう放送だけでコロっと小雪が親を認めてしまうなんて安易すぎます。 ロケ地として横浜ドリームランドが出てきたのが懐かしい。と言っても行ったことはないですが。 鈴木清順の「カポネ大いに泣く」という映画で出てきましたから。 解ったような顔してゲイピンクを作るより、「俺には解らん」としてやる気のなさ全開で撮ってた小林悟の方が正直で好感が持てます、私には。 乱菊伝説日時 2015年10月11日17:40〜 場所 光音座1 監督 市村 譲 製作 大蔵映画 平成元年(1989年) トキオは病院にかつぎ込まれ、それまでの事情を聞かれていた。大麻タバコを吸って荒れていたところを刑事の山下ヨシオに見つかった。山下は逮捕しようとしたが、そのままトキオを犯してしまう。 その後、山下の友人ナルミと組んでトキオを区会議員(港雄一)に抱かせ、ナルミがやくざ、山下がそれをなだめる刑事の役で区会議員を安心させ、金を引き出した。 その金でナルミは小さなスナックのオーナーになった。 ナルミはトルコ嬢(ソープ嬢)のメグミに惚れており、彼女と結婚を申し込む。しかしメグミには今刑務所に入ってる男がいた。単純なナルミは「刑務所に行って男と話をつけてきた。俺はメグミを幸せにする」などと言う。 それを聞いた山下は驚く。案の定、ヤクザに焼きを入れられるナルミ。 しかし今度はメグミが親分の命令で別の男の妾になると聞き、その事務所に飛び込むナルミ。それを止める山下。 山下は警察をやめ行方不明に。風の噂で四国で用心棒をしていると知るトキオ。 トキオは肺炎になり道に倒れているところを病院にかつぎ込まれた。 意識がもうろうとするトキオの前に山下が現れた。 話はラストまで書いた。 この脚本、本当は普通のピンク映画だったのを無理矢理ゲイピンクに変えたんじゃないだろうか? そうじゃないかも知れないが、とにかく脚本の軸がない。 こうやって話を整理して書いてみたら、話は山下とナルミの友情物語になるはずではないか? それがゲイピンクである。 だからこそトキオという男が絡んできたから話の軸というか芯がぶれまくり。 で最後にナルミがナントカ商事に拳銃もって殴り込むのだが、相手が写らない。で「俺を撃て!」とか急に山下が出出て来てカットのつながりが悪いことは渡辺文樹と同レベル。 なんかいろいろ事情があったんだろうなあ。 からみのシーンもとってつけたようだし、どうにもまとまりの悪い映画だった。 ドローン・オブ・ウォー日時 2015年10月11日12:15〜 場所 TOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン5 監督 アンドリュー・ニコル トミー・イーガン空軍少佐(イーサン・ホーク)はかつてはF16のパイロットだったが、今はアフガニスタンのタリバン攻撃を行っている。しかしアフガンには行ってない。 ラスベガス近郊の空軍基地のコンテナの中からアフガン上空を飛ぶ無人飛行機の操縦を行い、地上の兵士を攻撃する。 飛行機は上空3000mにいるため地上は見えない。つまり攻撃される側は全く無防備な状態でいきなりミサイルを撃ち込まれるわけだ。そしてパイロットは絶対に安全。イーガン曰く「往復の高速道路の方が危険」 だから楽な攻撃のように見えるが、イーガンにとってはストレスと罪悪感にさいなまれる日々だった。 やがて彼らのチームはCIAの指揮下に入る。「ラングレー」と名乗るCIAの担当者からCIAが独自に得た情報に基づき、テロリストの協力者を攻撃、さらに近くにいる民間人を攻撃することもいとわない。 イーガンの助手の女性空兵スアレスは「これは戦争犯罪では?」と疑問を投げかけるが取り合ってもらえない。 イーガンもストレスからアル中になり妻・モリーとの間に亀裂が入っていく。 今年の4月に首相官邸の屋上に小型の無人ヘリコプター・通称ドローンが落ちているのが発見され急にマスコミの話題になった無人ヘリコプター。その後も中学生が善光寺の祭りで落下させたり、法規制が話題になった。 この映画の邦題の「ドローン・オブ・ウォー」は原題ではない。原題は「GOOD KILL」。「よい殺人」というより「GOOD JOB」に近い意味なのかな? 徴兵制が話題になると「未来の戦争はドローンを使ったものになり、素人を集めて前線に送るなどあり得ない。だから徴兵制などあり得ない」という反論が出る。 そのドローンによる戦争とはどういったものなのか? この映画を観る前までてっきり私は小型ヘリコプターがやってきて兵士を追い回して攻撃するのかと思っていた。 無人飛行機による攻撃とはこういう事だったのですね。 イーガンは通常のパイロットに復職を願っている。しかし上司は「考えとく」しか言わない。 おそらくイーガンの中には同じ戦争で相手を殺すのに「お前を殺さなきゃ俺が仲間が殺されるんだよ!こっちも命張ってるんだよ!」と対等に戦ってる気持ちがあったのではないか。 実際はアメリカ軍の方が装備も優れており有利なはずだが、それでも死ぬ危険はあった。それが今度は絶対に死なない。でも相手は確実に死ぬ。 これでは卑怯だといやになるのではないか? さらに今度は民間人への攻撃も辞さない命令がCIAから下る。「あいつらがテロリストになる可能性がある。だから認められる」とCIAは言う。 スアレスは「私たちが殺さなかった少年は将来銃をもってテロリストになる。私たちのしてることはテロリスト製造よ」と反論する。 しかし結局は直接の上司に「戦いは際限がないと思うかも知れない。しかしこちらが攻撃をやめれば向こうも攻撃をやめてくれるか?そんな事はない。だから攻撃し続けるしかないんだ」と説得される。 この論理では戦争は永久になくならない。 いや(映画には出てこなかったが)戦争をなくすつもりなど最初からないのかも知れない。 地上軍兵士が眠る間敵がこないか一晩中監視したこともあった。だがその兵士は翌朝地雷で死んだ。 妻は子供を連れてさっていった。 イーガンは機械の故障のふりをして、攻撃命令をわざと無視する。それがばれてとりあえずチームからははずされる。 最後には元の監視任務に戻る。そして今まで何度となく監視対象の家でタリバン兵士がその家の使用人を強姦しているのを目撃していたが、部下たちを休憩名目で外にだし自分一人になったところで、そのタリバン兵士を殺す。 被害者の女性まで巻き添えにしてしまったか!と一瞬心配するがその女性は助かる、という結末は正直「アメリカ映画だなあ。勧善懲悪だなあ」とちょっとがっかりした。 ああいうラストにしないとやっぱりアメリカではだめなのかな。希望がありすぎる。被害者の女性まで死んでしまう方が私は「映画として」好きなのだが、それでは暗すぎるか? スアレスからも言い寄られたりするが、奥さんを迎えに行くラストといい、とにかく希望がありすぎるラストで、「やっぱりこれがアメリカ映画の限界か?」と思わざるを得なかった。 図書館戦争 THE LAST MISSON日時 2015年10月10日14:35〜 場所 新宿ピカデリー・シアター1 監督 佐藤信介 今日も図書館の自由を守る図書隊特殊部隊とメディアを規制しようとするメディア良化機関は争っていた。 そんな時、笠原(榮倉奈々)に焚書の疑惑がかかる。残業をしていた時に同僚の段ボール箱を持つのを手伝っただけだったが、その同僚がその中の本を燃やし笠原はその仲間だという疑惑をかけられたのだった。 もちろん堂上(岡田准一)や手塚光(福士蒼汰)、柴崎たちは笠原の無罪を信じていた。 実はそれは手塚の兄・慧(サトシ/松坂桃李)がしくんだ事だった。かつては図書隊のエリートだった慧だったが、その後図書隊の存在に疑問を感じ、図書隊をつぶす側に回っていた。 そんな時、水戸図書館から水戸の美術館で行われる「表現の自由を考える」という展覧会に1冊しか現存しない「図書館法規要覧」を「自由の象徴」として展示したいという養成があった。 この本がなくなっても図書館法がなくなるわけではないが、象徴として規制側も狙ってくる。 仁科司令(石坂浩二)は特務隊全員を警備に当たらせることにする。 2013年GWに公開された「図書館戦争」の第2部。原作はシリーズものらしい。 とにかく前作はその特殊な設定に疑問ばかりを感じ、話ついていけずに楽しめなかった記憶がある。 でも今回はその辺は私も考えないようにし、映画もくどくどと説明していない。続編ならではの説明の省略である。 だから完全に吹っ切れた訳ではないが、前よりは楽しむ余裕が出来た。 観終わって「なぜこの映画の世界に入れないか」が解ったような気がした。 「ペンは剣より強し」の精神と矛盾するからだ。 言論の力は剣=武器よりも強い、という考えからすると「言論を守るために武器を使う」というのは自己矛盾してないか? 今までうまく言えなかったが、だからこそ話になじめなかったのだ。「メディア良化法」に反対ならそれを廃案にする方法を考えるべきではないか? まあそれはこの辺で考えるのはやめる。それは原作を読んで考えるべき事だ。 今は2015年で先月安倍政権下で安保法制が成立し、今月TPPは大筋合意した。安倍政権は露骨ではないが、「公平公正な報道を望む」と通達したりマスコミに圧力をかけているように見える。 そんな時期にこの映画を観ると「言論弾圧への抵抗」というテーマは実にリアルだ。 前半に焚書の話が出てくるが、これは図書隊を批判した本や雑誌を燃やしたのだ。「自分の反対の意見を言う表現の自由も保証されるべき」というのは実にしんどい。 映画の後半に「そもそもメディア規制が始まったのはどうしてだったか?」と問いかける。 「言論表現の自由と称して言いたい放題、これが表現の自由と言えるのか?という事態になったからだ」と手塚・兄は説明する。 そうそう最近はヘイトスピーチとか、ネット上で悪意のあるデマが広がって炎上騒ぎが起こったりする。これでは「メディア規制も必要では?」という意見も起こってしまう。表現の自由というのは「何でもあり」とは違う。 他者に対する寛容の精神が大前提にあるべきだ。 とそんなことを映画を観ながら考えた。 テーマについての感想はこれくらいにして、文字通り戦争映画としても楽しめた。 第2次大戦ものと違って制服(コスチューム)もアメリカの戦争映画か、またはSF映画みたいでかっこいい。 「スターシップ・トゥルーパーズ」に似てる気がする。 福士蒼汰がライフルを構えると実に様になりますねえ。 もっとやってほしいですよ、ホント。彼には恋愛コミックもいいけどこういうアクションものも似合う。 そもそも出身が「仮面ライダー」だからな。アクションが似合うのは当然だ。 今回は岡田准一はどうも影が薄い。話の上での主人公はどうも榮倉奈々に移ってるし、個人的に福士蒼汰のほうに目がいくので、岡田はどうも記憶に残らなかった。 公開前に放送されたテレビSP、見逃してしまったがソフト化もされるだろうから、その時は観てみたい。 罪の余白日時 2015年10月10日11:35〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン12 監督 大塚祐吉 大学で行動心理学を教える安藤(内野聖陽)の一人娘の加奈(吉田美佳子)が学校で死んだ。昼休みにベランダの手すりに立っていて、バランスを崩し下に落ちたのだった。 自殺?事故?事件?警察はいじめなどを見いだせなかったので事故と断定した。 それが受け入れられない安藤は仕事を休職し、酒浸りの日々を送るようになる。 そんなある日、笹川と名乗る同級生が訪ねてきた。彼女は「日記があったのでは?」と聞いていた。実は加奈のパソコンはパスワードが設定されていて、今まで開くことが出来なかったのだ。そういわれて改めてパスワードを試す安藤。パスワードは解って日記を読むことが出来た。 そこには木場咲という子に追いつめられていく様がつづられていた。担任教師に連絡するが、真剣には取り合ってくれない。 改めて学校の文化祭の日に笹川を訪ねる安藤。しかし笹川は訪ねてきた子とは別人だった。訪ねてきたのは木場咲だったと知る安藤。 実は加奈は咲から「テストの点が低かったから罰ゲームとしてベランダの手すりに立って」と言われたのだった。 昼間ラジオの文化放送をよく聞くのだが、そこでラジオCMをよくやっていたのがこの映画。最近の映画でラジオCMは珍しいと思う。娘を殺された男のサスペンスドラマと知って観に行った。 正直、不愉快な映画だった。いや映画が不愉快なのではなくて、不愉快なのは咲である。 学校で安藤が待ち伏せしてると知るや警察に通報する、コンビニの前に安藤を訪ねてわざと怒らせて殴られ警察に安藤を連行させる、あげくには「加奈は父親から性的虐待を受けていた」という噂を流す。 安藤ならずとも男なら咲をはり倒したくなる。 そして警察も学校も非協力的。 しかしがっかりしたのは安藤の行動。 あれだけいろいろ咲からいやがらせを受けても直接「加奈の死のいきさつを教えてくれ」というばかり。 心理学の教師ならその知識を使って徐々に咲を追いつめていくという展開を期待したが、ただのサラリーマンのおじさんと行動が同じである。 せっかく主人公を心理学者にした意味がないではないか? 咲は女優になりたいという夢を持っている。 彼女のアプローチの方法は劇団とかで活躍するのではなく、表参道でスカウトされるのをひたすら待つという方法だ。 安藤がある日、咲を尾行してそれを見るという方法で観客に提示される。 しかしスカウトされたものの、チーフマネージャー(加藤雅也)から「君、友達とか彼氏とかいないの?なんで作らないの?人を演じるんだからそういうの必要だと思うんだが」とかなり辛辣なことを言われる。 正直、観客としては咲がボロクソに言われて溜飲が下がる。 そのシーンの最後でスカウト担当の女性が「どうしても映画だけの仕事がしたい」という咲に「ところでどんな映画が好きなの?」と聞くカットで終わる。 映画ファンとしてはそこは知りたい。重要な事項だ。 でも私の印象では彼女は女優ではなくスターになりたいんだろうな。果たしてそれでやっていけるかどうか。 咲を見送ったスカウトの女性に安藤が近づき、「さっきの女の子の同級生の父親ですが、ここは何の会社ですか?」と聞くカットで終わる。 その後スカウトの女性がどの辺まで話したかは重要だと思う。「俳優のプロダクションです」だけだったのか、それとも今の面接の内容まで教えたのか? 不明なのがもどかしい。 結局安藤は咲ともう一人いじめに荷担した真帆という子を自分のマンションに呼び出し、咲を追いつめ自分をベランダからつき落とさせる。それを映像に撮っていたために無事に咲は逮捕される。というラスト。 とにかくこの咲という子が不愉快極まりなく、そこは作者の術にはまっている訳だが不愉快感が強うすぎた。それに対する安藤の行動も素人過ぎ。 期待したほどではなかったというのが正直な感想。 バクマン。日時 2015年10月9日19:10〜 場所 新宿ピカデリー・シアター1 監督 大根仁 マンガ家になりたいが絵が下手な高木秋人(シュージン/神木隆之介)は同じクラスの真城最高(サイコー/佐藤健)が絵がうまいこと知り、「一緒にマンガ家になろう!」と誘う。サイコーは最初は断るが、クラスで好きな女の子亜豆(あずき)美保(小松菜奈)が声優を目指してると知り、自分が亜豆の絵ばかり描いているのを知られた時に勢いで「自分たちマンガ家を目指します!アニメ家されたらヒロインをやってください!」と言ってしまう。 二人は初めてのマンガを描き始める。 実はサイコーの叔父は「バックマン」という人気マンガをジャンプに連載していたマンガ家だったが、疲労がたたって亡くなったのだ。子供の頃、編集者とのやりとりを見ていたサイコーはマンガ家の厳しさもよく知ってた。 とりあえずシュージンは「この宇宙にはもう一つ地球がある」というSFマンガを描き、「ジャンプ」に持ち込む。 会ってくれた編集者の服部(山田孝之)の反応は悪くなく、いくつか問題点の指摘を受け描き直すことに。 人気コミックの映画化。とにかくマンガのことは知らない私は当然このマンガのことも知らなかった。佐藤健と神木 隆之介のコンビということで観に行く。 神木隆之介は「桐島」と同じように黒縁メガネをかけているが「映画監督は無理」と言い放った前田君と違って、積極的にマンガ家を目指す。 最初に描いたマンガが編集者の目に留まり問題点を指摘した上で「描き直したら持ってきて」と言われる。それでまあトントン拍子に手塚賞受賞するまでが「そんな簡単にマンガ家になれるか!」と言いたくなったが、まあ物語なんだし、そこでモタモタしてたらダメだな、と許した。 そうすると彼らの成長物語が途端に面白くなる。 いちいち腹が立つのは「10年に一度の天才」と言われる同じく高校生マンガ家の新妻タカシ(染谷将太)。正直、「また染谷かよ!」とそのキャスティングに疑問を持つ。最近染谷を観るだけで「またか!」と思う。 また自分はマンガのことは全く知らなかったので、「ネーム」と言われる下書き(のようなもの)が存在するのを初めて知った。ああ言うものなんだなあ。 「ちょっとウケを狙いすぎてる」という理由で最初は連載を勝ち取ることが出来ない。なるほど、どんな世界にもいる。 それで自分たちのマンガ「この世は金と知恵」の連載が始まる。 締め切り締め切りに追われ、新妻との人気投票順位争いに疲れて、ついにサイコーは倒れる。 そして亜豆はタレント活動が順調で「事務所に二人のことが知られるとまずい」ということでフられてしまう。 奮起して病院から抜けだし、マンガを描きはじめ締め切りに間に合わせるために新人仲間が駆けつけるというのがクライマックス。 ちょっとの挫折はあるけど総じてハッピーエンド。 彼らの成功物語。「人生そんなうまく行かないよ」と言いたくなるのは疲れた中年男のひがみと思ってもらってよい。 親や教師が全然ドラマに絡まないのがちょっと気になるが、総じて面白かったし、こっちもやる気が出た。 またシナリオを書くのも悪くない。 原作も読んでみたい。 あとリリー・フランキーがよかった。 皆川猿時の挫折するマンガ家も。 それにしてもマンガ家の世界も厳しい。あの「少年ジャンプ」に連載を持っても打ち切られてマンガ家を辞める人も多いだろう。たぶんそっちの方が多い。 クリエーターで「一生」食べていくのは本当に大変な事である。 空軍大戦略日時 2015年10月4日 場所 DVD 監督 ガイ・ハミルトン 製作 1969年(昭和44年) 1940年、フランスを支援する形でドイツと戦ってきたイギリスだが、フランスも占領され、ついにドイツから直接攻撃されることになった。 イギリス空軍は600機あったが、ドイツはその4倍の2500機、しかもパイロットはまだまだ未熟。 完全に不利だ。 そしてドイツからの空爆が始まる。まずは海岸近くの航空基地から攻撃が始まった。 そしてついにロンドン空襲。劣勢だったイギリス軍もついに反撃に出る。 そしてドイツ空軍を徐々に倒していく。 数年前に買ってそのままになっていたDVD。 どういう動機で買ったのかさっぱり覚えていない。3枚買うと1枚タダ、みたいなキャンペーンで安かったのかなあ?それに戦争映画なのでとりあえず面白そうだと思ったのだろう。 完全にはずれ。 ここまで退屈した戦争映画も珍しい。 まずドラマがないのだ。登場人物がいろいろ出てくるのだが、これがどれも見せ場を作るような大活躍をしない。 まあ史実ですから、そんなに映画的な見せ場なんかもともとなかったのかも知れませんが。 ロバート・ショーが飛行隊長でその部下の一人にエドワード・フォックス。なんと「ナバロンの嵐」コンビではないか?(エドワード・フォックスは新人扱い。「ジャッカルの日」の前だからなあ) 映画的な大活躍をしてくれるのかと思ったらそうでもない。映画の最後の戦いでエドワード・フォックスは撃墜され、パラシュートで降りるが降りたところが比較的裕福そうな民家の庭に降りる。そうするとその家の子供が家から何かを持ってくるとそれはタバコ、というエピソード。 うん軍人さんは尊敬されてるんですね。 面白くない原因はまずは脚本にあろう。 メリハリのないただダラダラと戦況を説明するだけの脚本では面白くなりようがない。 映画の面白さとは別に、第2次大戦について勉強になった点が多い。 まずロンドン空爆である。 日本が本土空襲にあったのは戦争末期だ。 でもイギリスは戦争が始まった途端にドイツから空襲を受ける。 これはうまく言えないが、心理的にだいぶ違うだろうなあ。 日本の場合は敵が何年もかかってジワリジワリとやってきて、そして大空襲だもの。 そしてイギリス軍には女性兵士がいるのだ。 もちろん戦闘要員ではなく、敵の位置を味方機に知らせる管制連絡要員だが、それにしても驚いた。 「謎の円盤UFO」で月面基地のムーンベースの管制官が女性なのだが、これは「第2次大戦の名残」という解説を読んだことがあるが、そのときは「そうかあ?」と思ったが、今回観て「確かにその影響はあるかも?」と思った。 最初の基地攻撃などがあった後で、イギリス軍は被害が小さかったように過小報道する。そうか、大本営発表は日本だけの話ではなかったのか。 あとドイツのゲーリング元帥が登場するが、一人だけ派手な色の制服を着てまるでバカ殿的描き方だった。 ふん、そういう評価なのかな。 軍事マニアにはスピットファイヤーやドイツ軍機の空中戦の再現を観られて感激だったのかも知れないが、ゼロ戦ならともかく、英軍機では私はピンと来ない。 正直、私にはただ退屈な戦争映画だった。 やっぱり戦争映画はヨーロッパ戦線より太平洋戦線ものの方が興味あるな、私は。 絶対やせる電エース 宇宙怪獣小進撃日時 2015年10月4日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 河崎実 製作 平成19年(2007年) 電一(南郷勇一=河崎実)は専門学校の教師になっていた。生徒に惚れられてつきあうが、怪獣レッドンを見て電エースに変身。怪獣は倒したが「変身するなんてキモい!」とフられてしまう。 その後も数々の女性に告白したり結婚を申し込むがすべて敗退。 これは何か陰謀があるのでは?と弟の電次郎(加藤礼二郎)に言われて気づく。電エースにそっくりな厭エースの陰謀だったのだ! シリーズ6作目だそうだ。 今回は理由は解らないけど新潟が舞台。 専門学校の全面協力で撮影されている。電一が次々とフられるシーンで20名以上の若い女性が登場。たぶんこの学校の生徒ではないか? でたぶん新潟では有名な遊園地サントピアも登場。 そしてつぶれてしまったロシア村という感じのテーマパークも廃墟として登場。 で、途中せんだみつおが偽電一の電−(マイナス)として登場。 後半登場した怪獣が電エースによって右手がなくなると次にその右手が復活。ただしそこにはギララの右手がついていた。 でそもそもギララとは?という解説で3回分費やす。 このギララの解説シーンはあまり見たことこともない資料も登場し、なかなか見所があった。 「電エースってみんな同じ」と河崎監督も言っていたらしいが、はまると癖になるな。 時々観たくなる不思議な味がある。 ジュラシック・ワールド 3D字幕 MX4D日時 2015年10月3日21:00〜 場所 TOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン8 監督 コリン・トレボロウ ストーリー省略。 この夏に公開された映画をMX4D版で再見。 MX4Dというのは映画に併せてイスが上下左右に動いたり、ミストが顔に吹き付けられたりする奴である。 私の記憶が正しければ「パシフィック・リム」の頃からこの設備を備えた映画館が登場した。当初は東京近郊にはなくて愛知県とかにはあった気がするが、定かではない。 23区内では新宿にTOHOシネマズが出来たことをきっかけに都内の私の行きやすいところにも出来た。 新宿TOHOの開館は4月だったが、このMX4Dが始まったのは少し遅れて6月だったと思う(同時期に六本木もMX4Dが始まった)。ただしこれらの時期はあくまで私の記憶です。 価格もそれなりに高く、通常料金+MX4D代1200円となる。これで3D上映も加わるとさらに300円、めがねを購入するとさらに100円(TOHOシネマズの3Dメガネは持ち帰りで再利用可能。自分のメガネを持ってくるとこの100円はかからない)。 つまり3D・MX4Dを観ると通常料金+1200円+400円で1400円のムビチケを使っても合計3000円だ。 普通の2D映画を観るより倍近い。 それでも映画ファンとしては「とりあえずどんなものか観ておくか」という気分で選択。 他にも今なら「進撃の巨人」とかもあるが、どうせなら面白い映画で観たい。 8月9月に観る予定だったのだが、何しろスクリーンの定員が100ぐらいなので、毎回チケットの争奪戦が起こっていた。 ネット予約が始まった2日前の午前0時を過ぎたとたんにアクセスが集中し、やっとつながったと思ったら売り切れ。 そんなことが何回も続き、「ゆっくり観よう」と思っていたら「進撃の巨人・後編」が始まったら「ジュラシック・ワールド」のMX4Dは終了。がっかりしていたら10月からまた再開。 たまたま六本木の土曜日の21時からの回のチケットが取れた。 冒頭のユニバーサルマークの段階からイスが動く。 「そこまでせんでもよかろうに」と思う。 ヘリコプターが飛んでいるカットになればそれに従ってイスも揺れる。ちなみにイスは4席がワンセットになっているようだ。 登場人物がヘリから降りれば顔に風が吹き付けられる。 例の水に住む恐竜が餌を食べてるために浮上して沈むカットなどでは観客の顔にもミストが吹き付けられる(これが顔に直撃する)。 ミストや風はドリンクホルダーのあたりに穴があって、そこから出てくる構造のようだ。 という感じで映画は進む。 あんまりぐらぐらイスが揺れるので船酔いになりそうだ。 あと銃撃戦のシーンで劇場の壁にあるフラッシュライトが点滅する。 でも観てるうちにはっきり言って「これは映画ではない」と思うようになった。 「MX4Dって遊園地のアトラクションみたいなものでしょう?」と言った人もいるが、それともまたちょっと違う。 遊園地のアトラクションでこのようなバーチャルリアリティ体験ものを初めて経験したのは90年代初めに行ったロサンゼルス(大阪ではない)のユニバーサル・スタジオだった。 「バック・トゥ・ザ・フューチャー・ライド」で前に4人後ろに4人の定員8名のデロリアンに乗り、デロリアンが過去に未来に旅をするアトラクションで、デロリアンの座席から観る前方の景色に併せてイスが横に縦に動き、本当に自分がそのデロリアンに乗っている気分にさせてもらって大いに感動した。あの感動は未だに忘れられない。 (後にUSJでも体験した) 同じようなものが東京ディズニーランドの「STARTOURS」だ。こちらはもっと大きな巨大宇宙船に乗って出発するが、敵の攻撃にあって逃げる、という設定で同じようにイスが動いて臨場感たっぷりだった。 実はこれらのアトラクションの映像には共通項がある。 映像は常に観客の主観映像なのだ。 デロリアンや宇宙船の窓から見える風景、が映像になっている。だからこそ、映像とイスの揺れがシンクロする事が出来、観客はあたかも自分も乗っているかのような体験を出来る。 ところが「MX4D」映画は(というか映画は)主観映像ばかりではない。 主観だけの映像にすれば臨場感が増すと思われてそういう映画が作られたことがあったが、私の知る限り1本だけで(「湖中の女」)で終わった。続かなかったということは「試しにやってみたけど思ったほど面白くならなかった」ということなのだろう。 そもそも映画って「映像」と「音」「だけ」で何かを表現する手段と言っていいのではないだろうか? アクションシーンの迫力(臨場感と言ってもいいかも知れない)を増すために、カット割りやカットのテンポ、カットの挿入などに工夫を凝らしたのではないだろうか? つまり「映像」と「音」というツールしかないのに、五感で体験しているようにさせるのが映画作りの腕の見せどころではなかったのか? ゴジラが目の前にいるような錯覚を起こさせるために、音を工夫させたり、映像を揺らしたりしたのだ。 ゴジラの足音を体感させるのにイスを揺らすならアホでも出来る。それが出来ない状態で体験させるのが映画の醍醐味なのだ。 例えば夏の暑さをクーラーの効いた映画館でどう感じさせるか、に工夫を凝らしてきたのだ。 黒澤明は「夏に冬のシーンを撮って冬に夏のシーンを撮るのがよい」と言ったと聞いたことがあるが(出典は忘れました)、それは「夏に夏のシーンを撮るとスタッフは撮影中は暑いからつい暑さもフィルムに写っていると勘違いしやすい。冬に夏のシーンを撮るから小道具や照明やその他諸々を使って夏を表現しようと工夫する」ということらしい。 なるほど、それが「映像」と「音」「だけ」を使って観客に感じさせることではないか。 だからMX4Dは映画ではない。 じゃあ「映画の定義とは?」という話題になると際限がなくなるので「これは映画ではない」という言い方は適切ではないとは思うのだが、それにしても今回だけは使いたい。 私は3Dもあまり評価していなくて、同じ映画が3Dと2Dがあれば迷わず2Dで観る(これは実は料金的な事情もあるけど)。 それでも「ゼロ・グラヴィティ」のように3Dの方が効果的になる映画も知っている。 だからきっと将来「MX4D」でなければ面白くない映画も現れるかも知れない。 しかし3D映画以上に劇場は設備投資を迫られるし、限られた映画館でしか上映できないのでは、なかなか製作も難しそうだ。 「映画館に少しでも多くの人に来てもらいたい。そのためにDVDやダウンロードでは味わえないことをやってみる」、そういう企業努力はもちろん評価するが、果たして10年後も「MX4D」があるかどうかは解らないと思う。 それにイスが揺れっぱなしでは映画に集中出来ないよ。 話のネタに一度ぐらい体験するのはいいかも知れないが、2回は行きたくないなあ。第一高いし。 遊園地のアトラクションは10分か15分だけど、2時間イスが揺れてれば飽きて感動はなくなるよ。 今後どのような展開をしていくのか楽しみではあるけれど。 徘徊 ママリン87歳の夏日時 2015年10月3日 場所 新宿K's cinema 監督 田中幸夫 大阪、北浜。都会のマンションに酒井章子55歳は母アサヨ87歳と同居している。章子は編集やライターの仕事の傍ら自宅マンションの2階でギャラリーを営む。 実はアサヨは認知症。同居する娘にも毎日毎日「あんた誰?」「あんた私の娘か?大きくなったなあ」と繰り返す。 「父が死んで母が一人暮らしになってから認知症になったんです。奈良で一人で暮らしていたんですが、近所の方に迷惑をかけるようになって私の家に同居させました。最初は毎日『泥棒!』『人殺し!』とまるでやくざのような暴言の数々。こっちがおかしくなりそうな日々が半年続きました。でもこれを引き受ける覚悟を決めてから気持ちが楽になりました」 アサヨことママリンは徘徊する。どんなに止めても徘徊する。止めて無駄だと思うようになり、章子も徘徊に同行するようになる。同行と言うより尾行。 ママリンが困り果てたり他人に迷惑をかけるようになると出ていって助け船を出す。 K's cinemaには時々行くが、予告編でやっていて関心を持ったので観てみる。 認知症を正面からとらえる。 「あんた誰?」「ここどこ?」「家に帰る。ほなさいなら」という会話が延々と繰り返される。毎日ではない。それこそ3分おきに交わされる。 私なんかとても耐えられない。 映画中にインタビューで「豪華なクルーザーを持っていてもそれが日常ならなんとも思わなくなる。それと同じでママリンと暮らすのが日常だと思うと何でもなくなりました」と章子さんはいう。 そうかあ、そういうものかあ。 人間大抵のことは「これが日常」と覚悟を決めれば慣れてしまうのだな。毎日終電まで残業するのも「これが普通」と覚悟を決めれば何とかなってしまうのと同じと言っていいのか。 ママリンは本当に徘徊する。 章子さんももう慣れたもので、あえて閉じこめるような事はしない。 そういう時間が取れる章子さんはある意味運がいいのかも知れない。働かなければやっていけない人だったら、どうしたのだろう。 同じ認知症でも足腰が弱って徘徊しない人もいる。 まさしく認知症と言っても対応は千差万別なのだ。 それにしてもママリンは本当に足腰が丈夫だ。 何時間も徘徊するらしいが、くたびれたりしないんだろうか? 章子さんはいう。 「記憶とかはなくなってますが、これからどうすればいいんだろう?とか、そういうことは考えるみたいです」 人間の脳というのは実に不思議だ。 老いは誰にでもやってくる。 自分もそうだが、その前に自分の両親だ。 父は去年亡くなったが、足が弱っていたので徘徊することはなかった。ボケはしなかったが、寝たきりに近い生活でベッドと居間、食堂ぐらいしかしなかった(出来なかった)。 徘徊しないだけ他人様には迷惑をかけることは亡かったのではないだろうか?第一実の父親に「あなた誰?」とか言われたらショックだろうしなあ。 母は大丈夫だろうか? 今は別れて暮らしているが、どうなることやら。 でもその時になったら、逆らわず、本当の私の生活はこうではないなどと考えずに、すべてを受け入れるしかないようだ。 そういう覚悟を教えてもらったような気がした。 ところでこの映画、どのように撮影されたのだろう? 音声が実にクリアなのだが、ママリンにマイクが付いていたのだろうか? ママリンがカメラを意識するのは私が分かっただけでは1回だけ。町を徘徊してる時に工事現場のコーンを「可愛いなあ」となでた後に「触っていかんかった?あんまり可愛かったもんで。スンマセン」と頭を下げるカットだけだ。 今での会話などはカメラの存在を意識していない。カメラだけが置いてあって、カメラマンはいなかったのだろうか? その辺の撮影方法はどのようだったかを監督に聞いてみたい。 面白かった。 |