2015年12月

   
母と暮らせば 色情トルコ日記 スター・ウォーズ
フォースの覚醒
杉原千畝
スギハラチウネ
JFK orange-オレンジ- モノクローム 青春肉弾戦
アウターマン 海難1890 恋人たち コードネーム
U.N.C.L.E

母と暮らせば


日時 2015年12月30日17:05〜
場所 新宿ピカデリー・シアター7
監督 山田洋次


昭和20年8月。福原浩二(二宮和也)は長崎医科大学の学生だったが、講義を受けている時に原爆が炸裂した。
一瞬の高熱と爆風で何が起こったか理解する間もなく死んだ。
それから3年。浩二の母・伸子(吉永小百合)は浩二と結婚する予定だった町子(黒木華)と浩二の墓参りに来た。
遺骨も遺品も何もない浩二のことを「ひょっとしたらどこかで生きているのでは?」と諦めきれないでいる伸子だったが、ついに諦めて浩二の死を受け入れることにする。
その晩、浩二が家に現れた。もちろん死んでいる。
母のことも心配だが、浩二は結婚するつもりだった町子のことが気がかりだという。
町子は学校の先生をしていて元気だと知って喜ぶ浩二だが、伸子は「町子さんにもいい人が見つかったら結婚してほしい」という気持ちを伝える。
「僕よりいい男性が現れる筈はない」と拒否する浩二だったが。
学校の生徒の話では黒田(浅野忠信)という戦争から復員してきた先生が町子のことを好きらしい。


「終戦70周年映画」としている。本来なら8月公開の方があってると思うが、8月は「日本のいちばん長い日」があったせいか、12月の公開。
井上ひさし氏が「長崎を舞台にした原爆の映画」を企画していたのだが、亡くなったために山田洋次が意志を引き継いだそうだ。井上ひさしは具体的な脚本があったわけではなく、アイデアレベルだったのかな。

黒木和雄が映画化した「父と暮らせば」の(はっきり言って)二番煎じだなという印象から逃れられない。
「父と暮らせば」は父を亡くした娘の元に亡くなった父(原田芳雄)が訪ねてくる話だったが、今回は亡くなった息子が訪ねてくる。となるとタイトルは「息子と暮らせば」ではないだろうか?

と最初から辛口である。
というのはこういう内容の映画は「いい映画だ」と言わなければならない強迫観念に襲われるからだ。
「原爆で亡くなった息子が幽霊になって母親の元に現れる」ってまるで善意の固まりのような映画ではありませんか。

実際、映画としての完成度は高いと思う。
吉永小百合なんてもう70ぐらいだと思うが、そこまでの年は感じさせず、なおかつ大女優の貫禄で演じきる。
往年の田中絹代に負けてない。
受ける二宮和也も立派なもので、30過ぎだが大学生役にぴったりだ。おそらく実際の20歳の役者が演じたら吉永と釣り合いが取れなかったと思う。

一度は「町子が他の男と結婚するなんて許せない」と認めない浩二だったが、結局は受け入れる。他の男との結婚を勧められた町子も一度は「同級生はみんな死んだ。私だけ幸せになるわけにはいかない」と断るが、結局黒田と結婚する。

この黒田が片足がない傷痍軍人として登場したのは驚いた。ここで五体満足ないかにも健康的な男を設定しなかったのは山田洋次のシニカルさのような気がする。うまくいえないが。

それにしても町子の扱いなど小津の「東京物語」の原節子の役に影響を受けている気がしてならない。
またラストでは吉永が画面にまっすぐ向かうカットがある。
なんだか山田洋次の小津への傾倒ぶりを感じた。

いい映画だと思う。良心の固まりのような映画だ。
でも善意過ぎて私はちょっと好きになれない映画である。
予想はしてたけど。

あと前半が「舞台劇が原作なのか?」と思わせるほど(特に浩二のせりふが)演劇的なリズムでそこもちょっといやだった。













色情トルコ日記


日時 2015年12月27日21:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 山口和彦
製作 昭和49年(1974年)


駒田拓也(梅宮辰夫)は売春防止法で逮捕されたが6ヶ月の刑期を終え出所した。彼の会社はストリップからコールガールまで女性の紹介が業務。
あるパーティでの女性の派遣を頼まれたが、以前の女の子はオイルショック不況でどこかへ行ってしまった。
部下の松(佐藤蛾次郎)と途方に暮れていると米軍機が飛んでいった後から金髪女性がパラシュートで降ってきた。
早速彼女を捕まえる駒田。ダイアナ・モンロー(シャロン・ケリー)と彼女は名乗ったが、何故か怪しい男たちから車で追跡される。
ダイアナは駒田に一目惚れで求めてきたが、駒田は最近何故か勃起しない。自慢のモノで今まで仕事をしてきた彼だったが、困ったもの。そんな時、車で追跡されたときに廃車置場に逃げ込んだが、ここで車ごとつぶされそうになる。その時何故か勃起する駒田。
何とかその場はやり過ごし、ダイアナを頼まれていたパーティに連れていく。
お客も気に入ってくれ、その上ダイアナは8人の男を相手にしても平気というツワモノ。
ダイアナのおかげで駒田の景気も上向いた!


東映ポルノでアメリカのポルノスター女優を連れてきての豪華映画。
トルコの話かと思ったら全然違う。タイトルに偽りありである。

でも主演はシャロン・ケリーじゃないんだな。トップクレジットは梅宮辰夫。シャロン・ケリーはトリである。
観ていて思ったが、基本は東映アクションだ。
しかも話は時々つながってない。
ダイアナと出会って怪しい男たちからつけられたとき、廃車置場に逃げこむが、スクラップにされそうになる。

シャベルで掴まれて駒田たちの車はどうなる?と思った所でカットは変わる。
えっどうなったの?ここはとぼけた運転手が出てきて「いや人が乗ってたの?」「バカヤロー」でいいから何で助かったか説明してくれよ。

その後もダイアナが狙われてると解ったら、駒田は女たちの託児所を兼ねたコールガールの元締めをしている妹にかくまってもらう。
そしたら次は何故かダイアナは芸者になってお座敷にいく。そこで客だったのが、都合よく敵のボスである。
ご都合主義もここまで来たかの展開だ。

そもそもダイアナは米軍機からパラシュートで降りてきたのだが、それは実は米軍の横流しのオイルの受け渡し場所を書いた紙をそうとは知らず預かっていたのだ。
それを相手は手に入れようとしていたのだ。
それに気づいた駒田たちがオイルをいただこうとしたのだが、そのオイルを積んだ船はすでに日本を離れていた。
そこで駒田は相手に「俺たちがオイルをもらった」と売りつけようとする。
で、オイルの見本が必要だろうということで、ガソリンスタンドからバキュームカーを使って盗み出す、という展開。
おいおい、ガソリンとオイルは違うだろう?
それとも米軍から横流ししようとしたのはガソリンなのか?

まあ細かいことは気にしない。
ところが相手から5000万円ふんだくる話になるとダイアナが登場しなくなって梅宮と佐藤蛾次郎のドタバタアクションになる。
お客さんは梅宮よりシャロン・ケリーを観たいんじゃないの?

さっきも書いたけど、基本は東映ギャングアクションなんだなあ。
ラストはせっかくの5000万円はシャロン・ケリーに持ち逃げされるオチ。

今回ラピュタ阿佐ヶ谷での上映では現在のシャロン・ケリーの数分間のインタビュー上映付き。すごい!
一番印象に残っているのは登場シーンの星条旗をデザインしたオッパイ丸だしの衣装とマシンガンを撃つシーン。
梅宮とのラブシーンより、山口監督とラブシーンをしたかったとか。
サングラスがかっこよかったとおっしゃってました。
お元気そうでなによりです。
ちょっと太ったばあさんだったけど。














スター・ウォーズ フォースの覚醒


日時 2015年12月26日18:00〜
場所 新宿ピカデリー・シアター1
監督 J・J・エイブラムス


帝国軍が再び力をつけてきた頃。
共和国軍のパイロット、ポー・ダメロンは伝説のジェダイ、ルーク・スカイウォーカーの居場所を記した地図を入手していたが、基地に帰る途中、帝国軍のカイロ・レンの率いる軍隊に地図を奪われそうになる。
ドロイドのBB8に地図を託し、ポーは一旦は帝国軍に捕まったものの、帝国軍のやり方に疑問を感じ裏切ったストームトルーパーの助けで惑星ジャクーに降り立った。
しかしその時ポーの姿はなく、ストーム・トルーパーのフィンだけが残されていた。BB8はジャグーで廃品回収をしているレイに助けられる。
レイとフィンはBB8をレジスタンスに届けるべく廃船として積まれていたミレニアム・ファルコンに乗り込み、ジャグーを脱出。しかしミレニアム・ファルコンも何者かに捕まる。そこに乗り込んできたのはなんとハン・ソロとチューバッカだった!


10年ぶりの「スター・ウォーズ」の新作で映画業界はグッズ販売も含めて大にぎわいだ。公開初日にはスターウォーズコスプレの人々も多かったと報道。若干報道が過熱している気はする。「ジェダイの復讐」が公開されてから「エピソード1」が公開されるまでの方が間隔あいてないか?

今回は製作の母体がディズニーに移ったとか、色々と映画のバックヤードの話題も事欠かない。関連本も新書が2冊のほか多数。2冊とも読んだ。

そんな感じで世間は大騒ぎだが、私はそれほどのファンではないので(新三部作がまったく受け付けなかったので、完全にSWから心は離れた)ゆっくり観るつもりだったが、色々と情報が入ってきそうなので早めに観た。

「衝撃の展開がある!」と聞いていたのだが、きっとハン・ソロが死ぬんだろうな、と思っていたらやっぱりそうだった。
いや、それ以前に感じたのは今度の映画は原点回帰というか「スター・ウォーズ・第1作」(77)のリメイクみたいな話なのだ。

冒頭で帝国軍に反乱軍(今回はレジスタンス)が捕まって、重要情報を持ったドロイドが砂漠の惑星に降り立つ、という展開からしてまんま同じである。
そしてデススターの強力版が出てきて、最後は突撃隊が破壊するという展開もそのまんま。
そのほかにもハン・ソロが宇宙人のたまり場の怪しい酒場に行ったりで、その辺も似てるなあ。
みんな気づいてると思うけど。

原点回帰は「ゴジラ」も「スター・ウォーズ」も同じなんだなあ。
とは言っても全く同じではなく、カイロ・レンはハン・ソロとレイアの息子だと早々に明かしており、さらに素顔までさらす。謎で引っ張るようなことはしない。

第1作ファンとしては(この映画だけは公開時数回観た)とにかくハリソン・フォードの出演はうれしい。
キャリー・フィッシャーが出てきたときは涙が出そうになった。
でもマーク・ハミルと3人が並ぶ姿を期待していただけにハン・ソロの死は悲しい。

しかし映画を見た帰りに思いついた。
実はハン・ソロは死んでないのである。刺されて落ちていっただけだから、実は助かっていて手術を受けて生きているのである。
で今回からの主人公のレイはルークの娘なのだ。
だからフォースを持っている。つまりカイロ・レンとレイは従兄弟なのである。
今回は最後に姿だけ現したルークが2作目でレイを教育して育てていく。
2作目ではフィンはカイロ・レンに捕まって冷凍付けにして終わりなのだ。
そして3作目で死んだと思っていたハン・ソロ登場。
ルークとレイアとハン・ソロの3ショットは3作目にして実現し、オールドファンは涙するのである。
(案外ラストの3ショットだけはもう撮ってるかも知れないな、ほらハリソン・フォードもお歳だし、なんかあったら困るから)

これが予想する今回の3部作。
たぶん外れると思うけど。
まあ頑張って作ってください。












杉原千畝 スギハラチウネ


日時 2015年12月26日13:15〜
場所 新宿ピカデリー・シアター10
監督 チェリン・グラック


1934年満州。満州国外交部の杉原千畝(唐沢寿明)は北満州鉄道のソ連からの買い取り交渉に当たって、ソ連が勝手に機関車などをソ連に持ち去る現場を押さえ、交渉を日本側に有利にした。しかしこの時に協力を頼んだ関東軍将校(塚本高史)は無駄に敵や協力者を殺し、杉原は絶望する。
日本に帰った杉原。念願のソ連勤務が決まったが、満州での活躍がソ連ににらまれ、入国を許可されなかった。
代わりに任地として選ばれたのがリトアニア。ソ連の隣国で、ドイツがポーランド進撃を行い混沌とした状況のヨーロッパにおいてソ連の動きを調査することが彼の任務だった。
しかしポーランドからのユダヤ難民がリトアニアにやってきていた。
独ソ不可侵条約は実は東欧のドイツとソ連の二分割が密約であるのではと疑い、ドイツに対して不信感を持つが、大島ドイツ大使(小日向文世)や日本政府は三国同盟を押し進めた。
ユダヤ難民は日本経由でアメリカへ渡ろうとする。そのためには日本の通過ビザが必要だ。日本政府はビザの発給を許可しなかったが、杉原は独断でビザを発給する。


スピルバーグの映画「シンドラーのリスト」が公開された頃から「日本のシンドラー」としてこの杉原千畝は有名になった。私が知ったのも当然この頃である。
「ユダヤ人にビザを発給し続けた善意の人」というイメージであったが、この映画、別に新しいイメージが出てくるわけではない。
「ドイツに対して不信感を持っていた」「三国同盟には反対だった」という私が特に知らなかった事実を知ったわけだが、さりとてイメージが変わったというわけではない。
日本政府の意に反してビザを発給した人だからドイツに不信感を持っていても不思議はないし、そうならば三国同盟には反対したのも想像される。

で、ビザの発給がクライマックスかと思ったら、そうではなく、その後もドイツに行ってドイツのソ連侵攻を予測したりするが、結局映画としては長いエンディングにしかならない。
このあたりはもっとチャッチャとやっちゃってもよかったのでは?
そして戦後、外務省からは疎まれて追われたようだが、このあたりの「政府に背いた男を排斥する日本政府」を悪役にしてドラマを展開させた方が面白かった気がする。
映画は数十年たって助けられたユダヤ人が杉原と再会するだけだもん。

でもロケや外国人俳優は立派で映画は見劣りがしない。
その点は評価したい。













JFK


日時 2015年12月23日
場所 blu-ray
監督 オリバー・ストーン
製作 1992年(平成14年)


1963年11月22日の午後。ジョン・F・ケネディ合衆国大統領は遊説に訪れたテキサス州ダラスでオープンカーによるパレード中にライフルにより狙撃された。
程なくオズワルドという男が警官殺しにより逮捕され、同時にケネディ暗殺犯として逮捕された。
オズワルドは無実を主張。そして数日後、ジャック・ルビーという男に警察署の駐車場で殺された。
このケネディ暗殺事件を調査するために特別委員会が組織され、「ウォーレン報告書」としてまとめられ、オズワルドが犯人と確定した。
地元地方検事のジム・ギャリソン(ケビン・コスナー)は当初からこの結論には疑問を持っていた。
3年間、地道に追っていたが、彼と彼のスタッフはいよいよ事件の核心に迫る。
オズワルドの身辺を洗い直した。オズワルドはソ連に亡命経験があり、共産主義者とも言われていたが、右翼的な団体にもよく顔を出していた。
その中でクレー・ショー(トミー・リー・ジョーンズ)という男が浮かび上がる。
ジャック・ルビーもクレー・ショーとつながっていた?
真相は?


ケネディ暗殺事件は映画でも扱われたことも多い。
「ダラスの熱い日」など仮定の犯人側から描かれていたが、この映画は事件を追求する側から描かれた。
日本で言えば「下山事件」とか「帝銀事件」のようなものか。だとすればオリバー・ストーンはアメリカの熊井啓である。

この映画は封切りの時新宿ミラノ座で観た覚えがある。
最近の映画だと思っていたが、23年も前の映画か。
事件が起こってから29年後に映画化され、この映画をみてから23年である。

そしてこの映画、劇場公開の時も3時間以上だったが、今のDVDもブルーレイも「ディレクターカット版」で207分になっている。3時間27分だ。

今回見直してみて思ったが、とにかく台詞の洪水である。
映画的に画で見せる、というより台詞で説明の連続だ。
途中、事件の政府そのものの関与を語るX大佐(ドナルド・サザーランド)が登場するが、公園で話してるだけ。
画で見せる部分は少ない映画だったんだなあ。
だから結構疲れる映画である。

ラスト、クレー・ショー裁判のシーンでギャリソン検事が陪審員に対して事件のことだけでなく、「アメリカの良心」みたいなことを説くが、これなんか「チャップリンの独裁者」ばりの大演説だ。

まあ正直、ケネディ事件は「オズワルドは犯人ではなく、反ケネディ陣営が起こした」というのは(僕にとっては)定説なので、それほど驚くべき結末ではないのだな。
もっとも23年前にこの映画を見てるというこもあるが。

それにしてもこの映画を観てると、街の人々にも反ケネディの人も多く登場するが、人気もあったが嫌いな人も多かったのかな。

出演ではジャック・レモンとウォルター・マッソーがそれぞれバイプレーヤーとして出演。

面白くはあったけど、記憶以上に台詞の洪水の映画で、ちょっと疲れる映画だった。
なお、blu-rayには特典映像としてカットされたシーンも収録。
まだあるのかよ!という気分にちょっとなる。















orange-オレンジ-
日時 2015年12月20日10:55〜
場所 新宿ピカデリー・シアター6
監督 橋本光二郎


松本市に住む菜穂(土屋太鳳)はこの春高校2年になった。学年最初の始業式の朝、カバンに10年後の自分から手紙を受け取る。
そこには今日東京から成瀬翔(山崎賢人)が転校してくるが、どこにも誘わずにそのまま帰してやってほしいと書いてあった。
半信半疑の菜穂。しかし菜穂や彼女の友達は転校生の翔と仲良くなりたくて、学校帰りに翔に松本を案内していった。
翌日から2週間、翔は学校を休んだ。
学校に戻ってきた翔だったが、菜穂は彼を意識し始める。
例の手紙には「私は翔を好きになる」と書いてあった。
同じく東京から転校していた3年生の上田先輩が接近してきた。彼女は翔に告白する。
同じ東京から来た者同士通じる者があると思ったのか、翔は上田先輩とつきあうようになるが。
 

山崎賢人主演作品。でもポスターなどの序列では話の語り部の土屋太鳳のほうが上である。ポスターによっては16歳と26歳の土屋が写ってるだけ。悔しい。私は山崎賢人のファンだからだ。
今年お気に入りの役者は福士蒼汰、東出昌大そして山崎だ。
その主演作が9月の「ヒロイン失格」に引き続き見られるのはうれしい。

正直、一言で言うと話が暗くてつらい。
翔が2週間学校を休んだのは実は母親が自殺したからなのだ。
翔の父親はDVで母親は離婚、しかし母親も精神不安定になって実家で祖母の住む松本に引っ越してきた。始業式の日も学校から帰って一緒に母親の新しい病院に行く予定だったのだが、翔は新しい友達との時間が楽しくてつい「今日は忙しいから一緒に病院に行かれない。俺の邪魔するな!」とメールを送ってしまう。
それで母親は自殺してしまった、という訳。

それは暗くて重すぎる。
翔も責められないと思うし、かと言って翔に「気にするな、君のせいじゃない」というのは無責任すぎる。
で、菜穂たちが26歳になって翔の祖母を訪ねたら、翔はやはり母のことを気に病んで自殺したというのだ。

で菜穂と昔のグループで今は夫になった諏訪と10年前の自分に手紙を書く、という展開が交互にでてくるわけだが、手紙がなぜ届いたのかとかの設定はなし。
ファンタジーなのだから気にしなくてもいいかも知れないが、強引でもいいから何か説明が欲しかったなあ。もしくは菜穂たちの努力とか。単に手紙を埋めるだけだもん。
その点、ジャック・フィニーの「愛の手紙」という短編小説では、そのあたりが丁寧だった。

高校生の菜穂たちは結局12月31日の翔を助けることが出来るか?になる。
ここは現実は変えられない、ということでやはり死んでしまっても物語は成り立つし、途中で物理の先生が話した「パラレルワールド理論」によって「翔が死なない世界」もありと考えることが出来る。

で、結局どうなるかというと翔は菜穂たちによって助かるのだ。
「パラレルワールドでもいいから翔に生きていて欲しい」というのは無理矢理すぎる気がする。

結局話が重くて暗くて、見ていてつらかった。
それによくこの手の高校生恋愛映画で「俺が私が○○を守る」って言うけど、「高校生に何が出来るの?」というのはおじさんの若さに対する嫉妬だろう。
いかんいかん。

今度はもう少し暗くない話でお願いしたい、山崎賢人映画。











モノクローム


日時 2015年12月19日17:40〜
場所 光音座1
監督 浜野佐知
製作 OP


ヨシオは興味本位で近所のハッテン公園に行ってみた。そこはゲイの男たちが集い、ハッテンしていた。
しかしヨシオはある男にレイプされ、拘束されている姿を写真に撮られた。翌日、公園のその場所にはヨシオの写真に「怠」の字が書かれ多数貼られていた。
ヨシオの友人が見つけてくれて剥がしてくれたのだが、安心は出来ない。
ヨシオの恋人のヒデは何とか犯人を見つけようとする。
そうしてるうちに今度は別の男がレイプされ、同じように写真が撮られた。そして同じように漢字が一字書かれたレイプ写真が同じ場所に貼られていた。


山崎邦紀脚本監督作品。
監督が浜野佐知の時はまだしも山崎自身が監督するゲイピンクは正直、変な実験映画みたいな観客不在なことが多いのだが、これは比較的まともだった。(あくまで比較的だが)

謎のレイプ犯、そして残された漢字一文字。これが意味するのはなにか?という謎で話を引っ張る。
映画は時々修行の托鉢僧が登場する。
たぶんこの僧が事件の鍵を握っていることが想像がつく。
たまたま写真を見たヒデの店の客(荒木太郎)が2番目のレイプ犯の写真に書かれた文字を見て「どっかで見たなあ。仏教の中に出てきたような」と言う。

ヒデたちが調べて見ると仏教の修行を妨げる5つの状態を指す漢字なのだ。
ということはあと3人は被害者が出る。
好奇心からか現場に行ってみた例の荒木太郎が3番目の被害者になる。
ヒデたちは写真をレンタルラボで現像したに違いないと思って適当なレンタルラボを張り込む。

このレンタルラボで写真を現像したというのが時代を感じる。今はデジカメで現像いらずである。
そうだよなあ。2000年が始まった頃まではフィルムカメラが一般的だったから、エロ写真を撮った後、現像するのが大変だった。そういう意味でもデジカメは世界を変えたとも言える。

で、托鉢僧の回想として樹かずとの絡みが出てくる。
結局、僧はかつては寺(豪徳寺が登場する)で修行していたが、樹かず(立場は不明)と関係を持ってしまい、寺を離れたという真相。

自分が欲望に負けて寺を追われたからなぜレイプ犯になって漢字を書いたのかよく解らないが、まあレイプ犯や山崎監督に納得の行く説明を求めるのは無理だろう。

ラストはヒデたちが自分の店に帰ってきたらレイプ犯が自分で自縛していて「警察を呼んでも俺が被害者に見える」とよく解らないことを行ってサイレンの音が聞こえてFIN。
勧善懲悪のカタルシスもない、いやなラストだった。














青春肉弾戦


日時 2015年12月19日16:30〜
場所 光音座1
監督 浜野佐知
製作 ENK


ユキヤは落ち着いて働くことに抵抗があり、新宿2丁目の夜の町をただ過ごす毎日だった。そんな時、通りで声をかけられた男と「ニューコスモス」という店に入った。
店長のカツミ(工藤克巳)がとても大人に見えてまぶしかった。
その晩は「コスモス」に連れていってくれた男とホテルに行って1万円もらっただけだったが、翌日、また「コスモス」に行ってしまう。カツミは店で一緒に働いているヒロシと一緒に暮らし、もちろん体の関係もある仲だった。
ユキヤはカツミに対抗しようとヒロシと会い、ホテルに行った。
もちろんカツミは大人なので動じない。
ある日、店でカツミが大家に呼び出されてヒロシとユキヤだけになった時、そこにいた客に誘われてホテルに行くユキヤだが、この男がSMプレイを好む男だった。
体がボロボロになって帰ってきたユキヤをカツミは解放してくれた。そして体の関係を持っていく。


ENKの工藤克巳の主演作。
映画の最初と最後で工藤が自分の店で演歌を歌うシーンがあるが、これがなかなか堂に入っている。それもそのはずで、工藤克巳はゲイピンクに出演したり売り専もしながら「演歌歌手」としてもシングルを出しているのだ。
「あなたの妻になりたいが、それも叶わぬ夢」みたいな不倫に悩む女というベタベタな演歌を歌う。
当然別に売れなかった。
もともと売り専で歌がうまかったから歌手としてもデビューしたのだろうか?それとも歌手志望で売り専の下積みをしていたのだろうか?

その後工藤克巳がどうなったかをネットで検索しても何も情報は出てこない。

映画の方はとにかくモラトリアムな「働きたくない」ユキヤのだらだらしたキャラクター。ただのダメ人間である。
私はこういう人はだめ。

話の続きはカツミが知り合いの店に呼び出され、客を紹介される。それがユキヤでSM遊びをしたあの男だった!という展開。
厳しいSMプレイに耐えかねたカツミは「僕の特技を見せるから勘弁してください」とロウソクを使った踊りを見せる。
これは映画用の演出ではなく、工藤克巳自身の持ちネタ持ち芸なのだと思う。

なかなか帰ってこないカツミを心配したユキヤとヒロシがカツミを探しだし、無事に助かる。
ユキヤはついに「ニューコスモス」で働く決意をし、ラストはカツミとユキヤでヒロシを犯す3Pをして3人の絆は深まり、メデタシメデタシ!

という感じでFIN。
脚本は山崎邦紀。監督が浜野佐知だとわりとまともなゲイピンクである。












アウターマン


日時 2015年12月6日19:10〜
場所 ヒューマントラストシネマ渋谷・シアター2
監督 河崎実


特撮ヒーロー番組「アウターマン」は放送開始から50年を迎え、毎年新シリーズが放送されていた。
だがこの番組で主演を演じた役者は、ヒーローのイメージが付きすぎてしまったため、その後の役者人生はうまくいかないことが多かった。
平成アウターマンシリーズを演じた足立(塩谷瞬)はTシャツ屋、吉野(古原靖久)はバーをそれぞれ経営、森脇(戸塚純貴)は女とブラブラしている毎日。そして時々イベントやサイン会でファンサービスをしていた。
そんな時、日本に地震が連続して起こり、地震が起こった場所は地中から有毒ガスが吹き出し、動物が住めなくなっていた。そしてついに渋谷に初代アウターマンそっくりの巨人が出現した。
防衛省は密かに有毒ガスが吹き出す地域を調査し、「タルバ」と名乗る謎の男を捕らえていた。
タルバの話ではアウターマンは実は地球侵略者で、テレビ番組の「アウターマン」にそっくりなのは、「アウターマン」そのものが彼らが人間を操って作らせた番組だというのだ。
タルバは実はシルビー星人というアウターマンにいつも倒される宇宙人だった。タルバにアウターマンの攻略方法を訪ねる防衛省幹部だったが。


試写で観た友人から好評だったこの映画。河崎監督だから単なる「ウルトラマン」のパロディ作品なんだろうなあ、俺にはだめかも知れないなあ、と心配しながら観たのだが、すべて杞憂に終わり、友人の言うとおり面白かった。
脚本=右田昌万・監督=河崎実コンビの最高傑作ではないか?

冒頭、アウターマン俳優のサイン会の模様が描かれる。
私のような特撮ヲタには見慣れた風景が再現され、世代の違うファンたちが「平成シリーズはダメ」などと世代間抗争を繰り広げている。このあたりは特撮ヲタの心をくすぐる。
で男のファンには冷たくて女性ファンには優しい奴がいる。うん、正直、こういう俳優はいる。誰とはここでは言わないけど。

そして「アウターマン」にも封印された回がある。ヲタとしては「セブン12話」を想起されて微笑んでしまう。

そんな世界に初代アウターマンにそっくりの巨人が登場する。
これはいったいどういうことだ?
カオスな設定で、こういう不思議な設定にすると収拾がつかなくなって観終わった後には矛盾点が気になったりするのだが、今回は全くそういうことはない。
実は「アウターマン」は侵略者が作らせたアウターマンを正義の味方と思いこませるプロパガンダ映画だったのだ!

「アウターマン」の誕生について調べていくうちに特撮の神様と呼ばれた監督(もちろん元ネタは円谷英二)、枝正監督の突然の指示だったというではないか。
(ここで枝正監督というのは笑った。もちろん円谷さんを映画界に引っ張った枝正義郎が元ネタだ!)

で、アウターマンに対抗するのは「アウターマン」に対する好意が低い人間とシルビー星人が合体して戦うというもの。
この合体するのに選ばれたのが例の特撮俳優3人というのも笑える。現実は結構そうだったりするからなあ。

当初はいやがった3人もシルビー星人の本気を感じて合体し、最後はアウターマンを倒すという王道の展開。
(書き忘れてたけどシルビー星人の名前はバルタン星人の名前がシルヴィ・ヴァルタンが元になったということのパロディ。解る人には笑える)

アウターマンの弱点が隠されていたのが例の封印作品。この作品にアウターマンの弱点が登場するので、だからアウターマンが封印させていたというのだ。
この封印作品ネタが単なるギャグだけだと思っていたいたので伏線だったとは恐れ入った。

まだまだ書き足りないことがある気がするけど、面白かった!
河崎監督を見直した!














海難1890


日時 2015年12月6日15:30〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン3
監督 田中光敏


1890年(明治23年)、トルコから明治天皇に親書を持参した使節団の乗ったトルコ海軍のエルトゥールル号が、トルコへの帰り道、台風にあって和歌山沖で座礁した。
地元・大島の人々は嵐の中、献身的な救助活動を行い、乗組員69名を救助した。総員600名以上のうち500名が行方不明となる大惨事だった。
大島の人々も決して裕福ではなく、トルコの人たちを救助し、食事を与え、死者に棺桶を作るのは大変なことだった。でも遠い異国で事故に遭い、そして命を落とした者たちに出来るだけのことをしてやりたいと思ってのことだった。
そして別れの時、トルコの兵隊は「故郷の空」をトランペットで吹き、子供たちは歌う。
時は流れて1985年。
テヘランはサダム・フセインによる砲撃が開始され、戦闘状態に陥っていた。フセインは48時間後に航空機の無差別攻撃を開始すると宣言。
テヘラン在住の日本人も帰国を試みたが、日本からの救援機は来ない。その時、トルコ大使館の人間が「日本人を助けよう!」と立ち上がる。


正直言って前半のエルトゥールル号が遭難するまで1時間近くあるのだが、この辺は退屈だし、うつらうつらの状態で観たが、後半観ていて別に困らなかった。
エリート士官と機関室のたたき上げ班長の対立と和解みたいなものがあるのだが、本作の描く中心はそこではないのであまり長々と描く必要はないと思うのだが。

そして船の遭難となるのだが、船の遭難シーンと村でのお座敷の宴会の様子がカットバックされるが、正直よく解らない演出だし、盛り上がらない。
盛り上がらないのは船が座礁するのが私が知っているからなのか?

この映画が面白くなるのは船の乗組員を救助し、男も女もみんなで手当したり助けるあたりだ。
登場する人がみんないい人だから、ものすごく観ていて照れるのだが、最後の「故郷の空」を歌いながら分かれるシーンではちょっとうるっとくる。
(あれ「飛べ!ダコタ」にも似たようなシーンがあったような)

さらに面白くなるのはテヘラン編だ。
テヘランから逃げ出す日本人をトルコが救助してくれたとは知らなかった。
申し訳ない。

映画で盛り上がるのは「自己犠牲だ」と言ったのは確かジェリー・ブラッカイマーだったと思うが、まさにその通り。
とにかく外国においては日本政府は日本人を守らない、守れない、あるいは守る気がないというべきか。

こういうお互いの美談を称えあうような映画、どこからお金が出てるんだろう?
パンフレットにはトルコ首相と安倍総理の挨拶が並んでいたが、政治的な意図のある映画なのだろうか?

しかしこんな友情の厚いトルコに対して危険極まりない原発を輸出しようとしている。
日本政府は本当にどうかしている。
民間の交流の方がよほど人間的でまともである。













恋人たち


日時 2015年12月5日18:20〜
場所 テアトル新宿
監督 橋口亮輔


首都高速の橋梁検査をしているアツシ。弁当屋でバイトしている主婦の瞳子。大手弁護士事務所で弁護士をしている四ノ宮。
アツシは3年前に妻を通り魔に殺され、それを引きずってすべてに投げやりだった。瞳子は夫と姑と暮らすが、その生活はギスギスして夫とはただ挿入するだけのセックスをする。
四ノ宮はある日、階段から突き落とされ入院する。見舞ってくれたのは学生時代からの親友、聡とその妻、その息子。四ノ宮はゲイで中山という同居している恋人がいた。
四ノ宮はエリート臭丸だしの男でどこか人をいらっとさせるところがあるが、本人は気づいていない。
アツシの妻を殺した犯人は責任能力なしで釈放された。
瞳子はバイト先の弁当屋に鶏肉を納める藤田(光石研)と親しくなり、やがては体の関係になった。
3人とも閉塞感を抱えている。
それを破ろうと踏み出しているが結局うまくいかない。


橋口亮輔監督の新作。橋口作品は数が少ないし同世代の作家なのですべて封切りで観ている。
今回は主演級はノースター(なじみのない俳優)。
これがちょっとやっかいで、予備知識なしで観始めると誰が話の中心人物なのか分かりにくい。
例えば弁当屋で主人夫婦が怒鳴りあいながら弁当を作っていると弁当屋夫婦が主人公かと思ってしまう。
弁護士が成田離婚を訴える女性を観ると、この女性の方が主役かと思ってしまう。
スター(というかよく知ってる役者)がどちらかを演じていれば、そっちなのかな、と思うのだが、そうはいかない。
それで映画世界に入るまで少し時間がかかった。
これは私がバカだからであるのだが。

このなじみのない俳優さんは橋口監督のワークショップで知り合った方々だそうだ。よいことです。ワークショップは役者さんがお金を払って参加してるわけですから、元は取ってもらった方がよい。

映画の方に話を戻す。
中心となる人物は3人だが、その中でもアツシが比重が高い。
「妻を通り魔に殺され、犯人は責任能力なしで釈放」というぶつけどころのない怒りを抱えている。
人生これ以上の絶望はないというくらいどうしようもない絶望である。しかも弁護士に何か犯人に報いる方法はないかと頼んでも「ひどい世の中だから仕方ないです」しか言われない。5人目の弁護士として四ノ宮に会うが、彼は基本的にやる気はない。

瞳子は藤田と体の関係になる。瞳子は雅子さん(皇太子妃)ファンで近所に来たときは友人たちと見に行き、その時のビデオを繰り返し観てる。
マンガを描いているが誰も読ませたことはない。その時たまたま藤田が読んでくれた。きっとこれがうれしかったのだと思う。分かる。藤田が読みながら瞳子の生活感あふれる乳房をまさぐるシーンが妙にエロい。

四ノ宮は自分の気持ちを恋人が分かってくれず(まあ四ノ宮の方が悪いのだが)、金はあるけど孤独を感じている。
そして学生時代からの片想いの聡は妙によそよそしくなる。
口ではゲイでもなんとも思わない、と言われてもやっぱり避けられる現実。
2丁目の街角で聡に電話を切られた後も延々と聡への思いを話す四ノ宮がこちらの心にも突き刺さる。

瞳子はやがて藤田から「一緒に養鶏場をやろう」と誘われる。家出を考えた瞳子だったが、結局は藤田も単なるだめ男でしかなかった。
でも夫とのセックスは今までのような単なる「挿入」じゃなくなった。

アツシもやがて会社を休み出す。先輩の黒田が様子を見に来る。「俺、あいつ殺していいですか!」そういうアツシに「殺しちゃだめだよ」という。
ここで理屈っぽい男なら「相手と同じになってしまう」とか何とかいうのだが、黒田はそんなことは言わない。「殺しちゃったらこうして色々話せないじゃない。僕はもっと君と話したい」という。
この一見ぼーっとした黒田がラストには実にかっこいい。
黒田は左腕がない。その説明が全くなく映画は進み、最後の最後になってアツシが「あの、どうして腕がないんですか?」と問う。実はかつては非合法の活動家でロケット砲を作っていた時に誤って爆発させてしまったのだと。

たぶん黒田とて自分を責めたろう。そして今のような優しい境地に達したのだ。

3人に共通するのは実は彼らの抱えている問題はほとんど解決していない。
しかし3人ともラストでは晴れ晴れとして何か乗り越えた様子である。

そう、閉塞感を感じて、何かを変えようたってそう簡単にはいくまい。
ならば自分が変わるしかない。
ラストの首都高の隙間から見える、透き通る青空。
空全体が青空じゃない。でも隙間から青空(希望)は見える。
それを信じて生きていこう。
そんな気になる映画だった。

もう1回観たいと思う映画だ。










コードネームU.N.C.L.E


日時 2015年12月5日20:50〜
場所 新宿ピカデリー・シアター10
監督 ガイ・リッチー


ナポレオン・ソロ(ヘンリー・カビル)はCIAのスパイ。東ベルリンから女性整備士ギャビー(アリシア・ヴィィキャンデル)を西側に連れてくるよう命じられる。
ところがソ連KGBのスパイ、イリヤ・クリヤキン(アーミー・ハマー)に邪魔される。
何とかギャビーを西側に連れ出したソロだったが、翌日上司から任務の続きを明示される。それはイリヤと組んでギャビーの父親の行方を追うことだった。
ギャビーの父親は核兵器開発の重要な過程の専門家。彼の技術が例えばナチスの残党の手に渡れば核のバランスは崩れてしまう。
昨夜の死闘で犬猿の仲のソロとイリヤだったが、命令ならば仕方ない。3人はギャビーの父の行方を知っていると思われるギャビーの伯父のいるイタリアに向かった!


テレビシリーズ「0011ナポレオン・ソロ」のリメイク。
映画の現代は「THE MAN FROM UNCLE」だからテレビシリーズと一緒。「ミッション・インポッシブル」とかかつての人気テレビシリーズのリメイクは多いなあ。

じゃあ全く一緒かというとかなり違っていて、ソロとイリヤは同じアンクルのメンバーではなく、それぞれCIAとKGBのスパイ。たまたま利害が一致したので共同戦線を張るだけ。ここらからして違っている。

テレビシリーズのソロの過去は知らないけど、本作では元美術品泥棒で刑務所に入らない代わりにスパイになったという設定。へっ?そうなの?
そしてテレビシリーズのイリヤ役のデヴィッド・マッカラムはインテリっぽいイメージだったが、今回のイリヤは「ザ・格闘家」という風貌で性格も怒りっぽい。
全然違う。

そして演出というか編集、テンポのセンスが今の21世紀の映像にありがちなチャカチャカした映像で、これも違う。
60年代を舞台にしているが、携帯とかパソコンがないだけで、どうにも現代が舞台に感じられてしまう。

そんやかんやでどうにも「コードネームUNCLE」などと名乗られると全く違うという気になってしまう。
普通に新作としてみればそこそこ面白い映画なのだが、「ナポレオン・ソロじゃない」という点が気になって映画を好きになれなかった。
まあ予想はしてたけど。

ついでに書いておくとワルサーP38を改造した「アンクルタイプ」と呼ばれた銃は登場しない。
私にとって「ナポレオン・ソロ」は映像作品そのものよりこの銃のイメージが強いので、これが登場しないだけでも気に入らなかったけどね。

後半イギリス情報部としてウィバリーが登場。
これでテレビシリーズのレギュラーは揃い、これからもこのチームで活動を続ける、というラスト。
続編が作れるようにはなってますが、果たして製作者の思い通りにいきますでしょうか?