兄貴と俺U 燃える菊紋 | 兄貴と俺 | ||
サザエさん 七転八起の巻 |
海魔陸を行く | SORCERER(恐怖の報酬) | ブリッジ・オブ・スパイ |
警視庁物語 行方不明 |
何が彼女をそうさせたか | 私は二歳 | モンスターズ 新種襲来 |
忠治旅日記 | 犬神家の一族 | 平成任侠伝 兄弟、あの空で会おうぜ! |
007 スペクター |
兄貴と俺U 燃える菊紋日時 2016年1月31日15:25〜 場所 光音座1 監督 加藤義一 製作 OP映画 俺は藤木コウタロウは高校3年生。ゲイだって意識したのは中学の水泳部の先輩を好きになってから。 今は担任の体育教師安住ヨウイチ(倉木亮)に恋している。ところがうれしいというか悲しいというか先生は姉(林由美香)の夫なのだ。 ヨウイチは妻の家、つまりコウタロウの家に同居している。姉は別の高校で教師、父は自分の高校の校長というコウタロウの家は教師一家。 コウタロウは姉夫婦の夜のあえぎ声を聞いて悶々としていた。 「先生に授業中に告白できたら」などど妄想を膨らます毎日だが、姉は修学旅行の付き添いで、父親は校長の研修合宿で家には先生とコウタロウの二人きり。 コウタロウは「先生がお風呂に入ってきて、そして・・・」などと妄想を膨らませたが、先生は大学時代の友人が「東京に来たから」と泊めにつれてきた。 がっかり。でもこの友人がゲイで、寝ているところをおそわれた。そして自分はヨウイチとは学生時代「セクフレだった」と教えてくれた。 えっ先生ってゲイなの? 「兄貴と俺U」などとシリーズのようなタイトルだが、全作とは話のつながりはまったくなし。だからどちらから見てもかまわない。「兄貴と俺」というお題で作られた映画だ。 端的に言ってゲイピンクとしては面白いほう。 高校生がピンク映画の主人公って今では出来ないかも知れないが(ほら児童ポルノがどうとかと言って未成年の描けないらしいから)、彼の妄想が面白い。 「授業中に告白してみたら」「先生がお風呂に入ってきてそのままセックス出来たら」「先生が性教育の授業中に『何ボケーっとしてるんだ。罰としてお前を教材にしてやる』と教室の黒板の前で下半身を露出させられる」などなど。 こういった妄想は実に楽しいなあ。 これを自然に映画に入れ込む脚本(岡輝男〜「兄貴と俺」も岡氏の脚本)がよい。 結局コウタロウがゲイだとヨウイチにばれ、また自分もゲイだと打ち明けられる。姉とは仮面夫婦という訳ではなく、姉とは高校3年に出会ったという。姉は前の高校でレイプされて転校生としてやってきた。最初は心を開かない姉だったが、やがて二人は心を通わせる。彼女は男が愛せなくなり、ヨウイチもゲイ。二人は信頼関係だけで体の関係はなかったが、それで十分だという。もちろん父親も知っている。 「俺には恋人がいるからコウタロウの気持ちには応えられない」と言う。 ここで映画は終わるかと思ったらまだまだ終わらない。 コウタロウは大学に進学し、ラグビー部に。そしてそこでOB(なかみつせいじ)に出会い、二人は愛し合うように。 そしてヨウイチの恋人とは誰か? 実は義父である校長(野上正義)だ! コウタロウとなかみつせいじ、そしてヨウイチと校長のからみが連続して描かれる。 無茶苦茶な感じもするが、これぐらいハッピーエンドの方がいい。 明るいハッピーエンドなゲイピンクで、よかった。 兄貴と俺日時 2016年1月31日14:25〜 場所 光音座1 監督 加藤義一 製作 OP映画 俺、ノボル(倉木亮)の兄貴は現在刑務所に服役中。俺がシャブで刑務所に入っていたときに看守に犯されていたところを救ってくれた。それ以来兄貴と俺はつきあい始めた。 俺は出所して今はカタギの暮らし。でも夜になると兄貴を思って毎晩オナニーをしている。 その兄貴タカシが出所した。タカシは対立する黒坂組の幹部を刺したのだが、自分の組の小笠原組と黒坂組が杯を交わすことなった。その条件としてタカシを破門にする事だった。タカシは自分の兄貴分からそのことを告げられる。 タカシも出所してノボルと暮らし始める。 ところが小笠原組の組長が殺された。 実は黒坂組は最初から小笠原組を乗っ取るつもりだったのだ。 タカシは黒坂組に殴り込みをかけ、返り討ちにあうのだった。 正月映画の「平成任侠伝」と同じくやくざもの。 こちらは現代やくざである。 まずこの映画の見所は主役の倉木亮。 なかなか均整のとれた美しい体をしている。ゲイピンクの役者でも上位にはいるのではないか。 冒頭のノボルのオナニーシーンから始まって、刑務所での看守に犯される、兄貴と初めてのカラミ、そして出所してからのカラミなど見せ場は多い。 兄貴が出所してからどこかへ出かけるのをつけるノボル。 兄貴はある男とホテルに入っていった。実は兄貴が会った男は小笠原組の幹部で黒坂組の親分を倒す算段の為だったが、ノボルは兄貴は別に好きな男がいる、と思いこみ、再びクスリに手を出し、ハッテン場に行く。 そのハッテン場のシーンでノボルは男とするのだが、その奥でサーモン鮭山が別の男に手を出すが断られるのを写し込んでいく。 手前のカラミだけではなく、こういった動きも入れるのが芸が細かい。 こういった芸の細かさはなかなかなく、さすが加藤監督と言うべきか。 最後は結局兄貴は死んで、でも刑務所に入ったように兄貴に当てて再び手紙を書くノボルの姿は悲恋だった。 倉木の男前ぶりが印象に残る。 サザエさん 七転八起の巻日時 2016年1月31日11:30〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 荒井良平 製作 昭和23年(1948年) サザエさんは結婚前の娘さん。弟のカツオ、妹のワカメ、母のフネ、父の波平の5人暮らし。 出版社につとめているが、とにかくおっちょこちょい。 友人の妹が交通事故にあった。手術すれば元の体に戻れるが手術には5万円かかるという。 人気劇団の女優の楽屋写真を撮れば特ダネとして5千円の賞金が出るので、それを足しにしようとするのだが。 「サザエさん」の実写映画化というと江利チエミが有名だが、これは東屋トン子がサザエさんのマキノ映画作品。 昭和23年の製作(もちろんトーキー)。 前半は原作の4コマ漫画をそのまま映画にしたようなエピソードが続く。 ラジオをつけてちょうど「代用食の作り方です。まずキュウリを切って・・・」と続いていき、サザエさんはその通りに作る。そしてラジオが最後に「以上、ニワトリの餌の代用食でした」というオチ。 あと出版社に勤めるサザエさんは時計を見て12時になったので弁当を食べ出す。同僚が不振がると「えっもう12時でしょ?」というと別の同僚が時計に「故障」と紙を貼る。 また商店街が登場し、肉屋や魚屋が歌うのだが肉屋の歌詞で「うさぎの肉を混ぜたりしてはいません」という。 はあ、当時はきっと豚や牛の肉にうさぎの肉を混ぜて水増ししていたのだな。 とにかく代用食とか(後に出てくるが)復員兵とか「終戦直後」の時代を感じさせる。 チラシに「ミュージカル仕立て」と書いてあるが、サザエさんやカツオが歌うわけではない。 このあたりから話が脱線するのだが、ある劇団の練習風景をサザエさんが取材する。そこのシーンで延々とミュージカルシーンが続く。サザエさんとはほとんど関係なく当時のレビューが登場するのでこちらとしては少々退屈する。 で、友人の妹が事故に遭う。妹と言っても夫の妹。夫は戦争からまだ帰ってきていない。「夫の留守中に妹に何かあったら申し訳ない」という。 そこで5万円を用意すべくサザエさんたちは奮闘。 例の劇団に行って女優の楽屋写真を撮ろうとするが「各社お断りしてますので」と断られる。事情を知った女優は写真を撮らせない代わりにいくらかカンパする、という展開。 それをサザエさんはあっさり受け取るのだな。「いやいやそんないわれのないお金をいただくわけには・・・」と断らない。 最後にサザエさんは広告で見た「モデル募集時給300円(だったか)」に募集する。 実はそれはヌードモデルで、といっても今のAVモデルみたいなものではなく、画家の描く絵のモデル。 サザエさんは「芸術のためですもの。芸術ですから何ら恥じることはありません」という。 いや〜今でもなかなか言えないような進歩的な考え方である。これぞアプレゲールなのか。 (もっともサザエさんがヌードになって芸術の創作意欲がわくかどうかは別の問題である) で、実はそれをラジオ局が取材していて、サザエさんの発言は録音される。 サザエさんのことを好きな男(マスオという名前ではない)が登場していて、その男がラジオ局の人間でサザエさんの声を録音したのだ。 そして二人がそろった喫茶店で友人もそろう中その放送を聞き、二人は結ばれる、という展開。 彼女がヌードモデルになってもむしろそれを誇りに思うようなカレシの考え方には進歩的すぎて恐れ入る。 これってシリーズ化して他にも作品があるのだろうか? 面白い面白くないで言えば面白くないけど、珍作なので興味はある。 海魔陸を行く日時 2016年1月31日10:30〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 伊賀山正徳 製作 昭和25年(1950年) ラピュタ阿佐ヶ谷の「映画探偵の映画たち」特集での上映。戦前のサイレント作品ばかりかと思ったが、本作はトーキー。ドラマとドキュメンタリーの中間のような映画だが、動物目線で動物が旅をする映画だ。(昔ディズニー映画によくあったような) この映画はプラネットという個人のコレクションの所有映画。チラシによると「ラジオ映画」なる会社が製作。 権利関係などどうなっているのだろう?今やパブリックドメインと言っていいのかな。 映画は蛸の視点で進行。このナレーションがチラシによると徳川夢声。(このプリント、メインタイトルもクレジットタイトルもないのでチラシの書いてあることしか分からない) まず、蛸が「私の住んでる海の仲間たちです」と言ってタツノオトシゴやらエイやらコバンザメを紹介する。この海中のシーン、非常にきれいに写っているので、水中撮影ではなく、水族館の水槽を写したものではないか? その蛸が漁師の蛸壺に入ってしまい、陸揚げされ魚屋のリアカーに乗せられる。漁師が離れている間にかごから逃げ出す。漁師は足下しか写さず、人間は登場しない。 かごから逃げ出した後は海へ帰るべく大冒険。 川を渡り、畑のジャングルを越える。途中でカマキリの交尾を目撃。ここはかなり丁寧に描写される。そして最後にメスのカマキリがオスを食い殺すシーンも描写される。 今度は石ばかりのところにたどり着いたと思ったら、そこは線路。あわや機関車に引かれるところでした。 そして蜘蛛の巣に捕まった蝶を得意の墨吹き攻撃で助けたり、亀の背中に乗ってしばらく楽したりする。 まあ各シーンを見てるとスタッフが蛸に無理矢理やらせてるんだろうなあ、という気がする。 今なら動物何とか協会からクレームが付くんじゃないだろうか? ラストで蛇に狙われる蛸。そこへたまたまカエルがやってきたもんだから、蛇はそっちへ。 ここで蛇がカエルを丸飲みするシーンがカットなしで丁寧に描写される。 大自然の残酷さというか弱肉強食をそのまま描いている。 そんな感じで万事丁寧に作られた動物映画だ。 「ラジオ映画」なる製作会社が作ったようだが、上映時間は53分の添え物の尺だが、なかなか立派な映画だった。 SORCERER(恐怖の報酬)日時 2016年1月24日 場所 米国版blu-ray 監督 ウイリアム・フリードキン 製作 1977年(昭和52年) ニロは殺し屋。ある男を今日も殺した。カセムはテロリスト。爆破テロを起こした後、仲間は政府に捕まって殺された。サラノのパリの富豪。優雅なランチを食べる裕福な生活を送っていたがのっぴきならない事態になり、その生活を捨てた。ドミンゲスはアメリカで仲間と強盗をして大金を稼いだが、逃亡中に仲間割れから交通事故を起こし、3人の仲間は死んだ。ドミンゲスもヤクザな連中と警察から追われる羽目になった。 そして4人は今南米にいた。近くの製油所で働くカセムとサラノ。ドミンゲスは旅館で働いていた。ニロはこの村に着いたばかりだった。 280マイル離れた石油採掘所で火災が発生した。その火災を鎮火させるためには爆破させるしかない。 ところが保管してあったダイナマイトは保管方法がずさんでニトロが染み出してしまっている。ヘリコプターでは危険すぎてパイロットが拒否した。 陸路で運ぶために「危険物を運ぶトラックドライバー募集。報酬は破格」として村の男たちを募集する。テストの結果、サラノ、カセム、ドミンゲスが選ばれた。トラックを準備し出発しようとしたが、一人殺された。ニロが殺したのだ。仕方なくニロを代わりのドライバーにする。 ドミンゲスとニロ、カセムとサラノの組み合わせで出発することに。 いよいよ旅が始まった! 有名なフランス映画「恐怖の報酬」のリメイク版。 アメリカでも評判が悪かったようだし、日本では92分の短縮版だった。公開当時も観ていて正直、それほど面白くもなかった記憶があるが、それでも完全にだめというわけではなく、再見したい映画だったがDVDにはなっておらず、アメリカ版ブルーレイで鑑賞。 日本語字幕はないのだが、英語字幕が付いていたのでだいたいの意味は理解できた。もともと台詞が少ない映画だったということもありますが。 今回再見して一言でいえば面白かった。 公開当時なぜ不評だったか理解に苦しむ。きっとオリジナル版をリアルタイムで観た人も多くてリメイクにありがちな「ぜんぜんダメ」攻撃にあってしまったのではないか? 私はオリジナル版はリアルタイムでは観てないので、ちょっと思い入れが違う。 映画の冒頭25分は4人がなぜそれぞれの土地を出なければならなくなったかが丁寧に描かれる。 こちらの年齢のせいもあるのかも知れないが、「俺は望んでこの土地に来た訳じゃない」という感情が、観てるこちらへの伝わり方がまるで違うのだな。 この辺をカットしちゃうと登場人物への感情移入の度合いが違ってくると思う。 思うに「この出来じゃダメだ」と判断され、少しでも回転をあげるために92分に切ってしまったのではないか? 旅が始まってからは崩れ落ちそうな橋桁、何も知らない現地民がトラックによってくる、雨の中のジャングル、迷う道、今にも落ちそうな吊り橋を豪雨の中渡る、そして嵐で倒れて道をふさぐ巨木、サラノたちの車の爆発、ゲリラの襲撃と次々と押し寄せる困難は前作にひけを取らない。 私の記憶では日本公開版では4人のバックボーンはそれぞれフラッシュバック的に短く表現されただけだったと思う。(カセムが巨木を破壊するためにニトロを準備するあたりでテロ事件のフラッシュバックがインサートされていたと思うが、このオリジナル版ではなかった) ジャングルを抜けて妙な奇岩が並ぶ荒野にたどり着く。 ここが奇妙な風景で、ドミンゲスがみんな死んでやや錯乱状態に陥るのだが、その心情が表したような風景だった。 そしてついにトラックが故障。でもあと2マイル。 ドミンゲスはダイナマイトの箱を素手で歩いて運ぶ。 (実を言うとドミンゲスが歩いて採掘所に行き、そこで車で帰ってくる手もあったと思うのだが) このシーンは妙に覚えていて、今でも普段重い荷物を運ぶときに思い出す。 で、問題はラストシーンなのだ。 私の記憶では金は小切手で払われて、ドミンゲスは「自分だけが生き残った」という贖罪意識からか嬉しそうではない。 その顔のアップと空を飛ぶヘリコプターのカットバックがあって、そのヘリからドミンゲスがちぎった小切手が舞い散るカットで終わった気がしていた。 ところが違ったのである。 記憶の短縮版ではドミンゲスの銀行強盗をして交通事故から逃げ出していただだけだった。今回観たオリジナル版では事故から逃げて、実は仲間内からも追われる羽目になっている状況が描写されていた。 オリジナル版のラストでは、ドミンゲスは小切手を受け取り、ちょっと自分に優しくしてくれた地元の女性とダンスを踊る。 そこへドミンゲスを追っているヤクザ仲間がこの街にやってきた、という展開で終わっている。 短縮版では警察だけに追われていたので、このラストが出来なかったのではないか? もう一度短縮版を観て確認したいなあ。 でも今回オリジナル版を見直して、存外面白かったので観てよかったと思う。 短縮版とオリジナル版の関係は、まるで「新幹線大爆破」のオリジナルと海外版の関係みたいだと思った。 面白かった。 ブリッジ・オブ・スパイ日時 2016年1月22日20:05〜 場所 新宿ピカデリー・シアター8 監督 スティーブン・スピルバーグ ソ連のスパイ、ルドルフ・アベルがニューヨークで逮捕された。裁判が開かれたが、アメリカとしては「スパイも公平な裁判を受けることができる」ということを内外にアピールするために弁護士を選任することになった。 選任されたのは今は保険を主に扱う弁護士、ジェームズ・ドノヴァン(トム・ハンクス)だった。アメリカ中から憎まれているアベルを弁護することは自身だけでなく、弁護士事務所や家族にも危害が及ぶことを意味していた。 ドノヴァンは「一部に令状がない」として捜査方法に疑義を唱えたが却下。しかし判事に「将来アメリカのスパイがソ連に逮捕されるかも知れない。その時の交換のために彼を生かしておくべきだ」と直接訴え、何とか死刑を回避することに成功した。 数年後、ドノヴァンの予感は当たった。その時は苦肉の理由付けだったのだが、実際にアメリカの偵察機U2のパイロットが逮捕された。 米ソともにスパイから情報が漏れることを恐れ、スパイの交換交渉を行うことになった。その時、東ベルリンではアメリカ人の学生プライヤーが逮捕されてしまった。 東ドイツとアメリカには国交がない。さらにスパイの交換を表だって行うわけにはいかない。そこでアメリカ側の交渉役としてドノヴァンが選ばれた。 スティーブン・スピルバーグのヒューマン路線。「リンカーン」に続きアメリカ史に題材を取った作品。 この映画を観ると日本だけでなくアメリカの不寛容さを感じてしまう。改めて思うのは冷戦下のアメリカのソ連に対する恐怖、憎しみは今の「イスラム国」を中心とするテロ組織に対するものに匹敵すると感じてしまう。 ドノヴァンはアメリカ中から憎まれ、地下鉄に乗れば周囲の人々から憎しみの視線を感じる。 判決後には自宅に銃弾が撃ち込まれ、捜査にきた警察官の中には「なぜスパイなんかの弁護をする!」とののしる奴もいる。 CIAの捜査官に「アベルは何かしゃべったか?それを教えろ」と脅す。ドノヴァンは「弁護士の守秘義務で教えられない」と断る。「今回は別だ、普通の犯罪者じゃない」と再び脅す。 ドノヴァンは「あなたはドイツ系、私はアイルランド系。民族が違うのにアメリカ人だ。それをつないでいるのは『ルールを守る』ということだ」と反論する。 とにかく映画を見ていて終始思ったのは現在の日本のことだ。 今の日本でも「ルールより現実だ。憲法守って国滅ぶでよいのか!」とルール(憲法)を無視しても現実にあわせようとする。私などはそれなら最初からルールもいらないだろう、と思ってしまう。 後半、表だって動けない(動きたくない)政府によってドノヴァンはソ連との交渉役を任される。 こういうところがアメリカの懐の深さというかしたたかさだと思う。 翻って日本を見ると去年「イスラム国」に拘束されたジャーナリストの後藤健二さん、そして北朝鮮拉致被害者などの事例を見ると「あらゆる手段を使ってやってます」と言うだけで(実際はやってるのかも知れないけど)結果は出せてない。 そして「自己責任」と自業自得にしてしまう。 それは日本だけでなく、アメリカにもそういうところがやっぱりあり、この映画でもU2パイロットの救出には尽力するが、学生に救出には「東ベルリンで共産主義の研究をする方が悪い」と否定的な態度を取る。 それでもドノヴァンはめげずに交渉していく。 これがパイロットの交換にはソ連、学生の交換は東ベルリンと交渉相手が違ってややこしい。 こちらからするとソ連も東ドイツも同じ東側陣営で仲間だろう、と思いがちだが、東ドイツには東ドイツの思惑があって(考えてみれば当然なのだが)、お互い勝手な言い分を言ってくる。 パイロットのみの交換だけでいいじゃないか、とソ連もアメリカ政府も言ってくる。しかしドノヴァンはめげない。 ソ連、東ドイツに「今までアベルは秘密を話さなかったが、今回交渉が決裂すればアベルは故国に見捨てられたと思って裏切るかも知れない」と脅しをかける。 東ドイツとソ連がどう協議したか、それは映画では出てこないが、話がまとまったようで、学生とパイロットの同時解放を承諾する。しかし東ドイツもメンツがあるようで別の場所での解放を要求してくる。 ここでパイロットの方は現れたが、東ドイツの学生はなかなか現れない、というのが映画的見せ場。 アベルも自分のために働いてくれたドノヴァンに報いるために東ドイツが学生を解放する連絡が来るまで動こうとしない。 このあたりのアベルとドノヴァンの奇妙な信頼関係は心を打つ。 パイロットが解放されて飛行機に乗せられた時、パイロットは礼を言おうとするが、無視される。 このあたりが「余計な仕事を増やしやがって」というアメリカ政府の怒りを感じた。 それに基本的に「捕虜になるなら自殺しろ、機体は絶対爆破しろ」と日本の特攻隊に命じたようなことを平気で命じる。 よく「特攻なんて日本だけだ」というけど、結構アメリカのえぐいことを命じるなあ。 ラスト、ニューヨークに帰ったドノヴァンは地下鉄で車内の人々から賞賛の目で迎えられる。 彼が車窓から見るアメリカの風景、それは子供が塀を乗り越えて遊ぶ風景だ。東ベルリンで見た車窓からの風景は壁を乗り越えれば撃たれてしまう風景だった。 その対比が(ちょっとあざとい気もするが)何とも言えない。 どこの国の政府にも見受けられるような光景が出てくるが、日本に関していえば「二元外交は許さない」と自らのメンツばかりにこだわって結果を出せてない外務省の情けなさを感じてしまった。 もちろんスピルバーグは意図してなかったと思うが。 警視庁物語 行方不明日時 2016年1月16日19:00〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 小西通雄 製作 昭和39年(1964年) 警視庁の戸川主任(神田隆)は捜査一課長(松本克平)より旧知の大平皮革の川原部長(加藤嘉)の部下の松井と小山が行方不明になったことの相談を受けた。 事件の可能性もあるので、まずは大平皮革に刑事を送った。 失踪当日の夜、二人は会社で酒を飲み、すしの出前を取っていて、出前持ちの話では二人は口論していたという。実は小山は年上の松井を普段からバカにしており、松井はそれを「自分が専門学校しか出てないからだ」とひがんでいた。 そんな時、二人が酒を飲んでいた部屋から血痕が見つかった。松井が小山を殺したと思われたが、現場付近でタクシーを拾った男が小山とわかり、時点は急転する。 そして小山の大学卒業という学歴は詐称であることが解っていた。 シリーズ24作目。 「警視庁物語」は過去に観たことがあったがシリーズでまだまだ観てないので鑑賞。SPの58分作品だから当時は添え物だったわけだ。 今回ラピュタの「東京映画地図」という東京の風景が多く写っている作品の特集での上映。 いくら捜査一課長の友人でも2日間会社を休んだぐらいでは警察は動かんだろう、という疑問はあったものの、殺人の疑いが出てきてからは圧倒的なスピード感で進行していく。 刑事たちは地道な聞き込みで事件を調べていく。 ヒーロー的な刑事は存在しない。 会社の近くからその夜にタクシーに乗った可能性を調べ、タクシー運転手の証言から小山の行き先が解っていく。 また小山たちの勤務先が皮革会社なのだが、この会社の工場の中にある硫酸に死体をつけていたのだ。こうして死体を隠そうとする。 その前にネズミの死体を硫酸に付け、どのくらいで溶けて行くか実験もする。 (実験の途中でタクシーの運転手が名乗り出て、その実験のビーカーを観てぎょっとなるのが芸が細かい) 最初は松井が女の取り合いから小山を殺したと思われる。 松井は離婚後アルサロ(キャバレーみたいなものらしい)の女に熱をあげており、告白したら「あたしは小山さんの方がいい」と言われたらしいので松井が色恋のもつれから殺したと思われていた。 しかしアルサロの女に聞き込むと完全の「営業」で言っていたと解る。(しかも彼女は結婚もしている) そういった見込み違いの捜査なども行い、事件は解明されていく。 しかも川原部長の社内不倫の相手のOLを、小山は好きらしい。そこでそのOLのアパートに逃げていたのだ。 そのOLと小山は一緒に駆け落ちするかと思われたが、実はOLはそんな気なし。 OLの案内で小山を逮捕しようとし、待ち合わせの浅草に向かう。 結局小山は罪を自白する遺書を書いてビルから飛び降りて自殺する。 刑事たちはすんでのところまで追いつめるが、間に合わなかった。 (この飛び降りるビルはどこなのだろう?浅草松屋デパートかな?違うかな) 硫酸に溶かすという偽装工作までした男が簡単に自殺するかという疑問もなくはないが、そんな疑問を思わせないぐらいに圧倒的スピード感で事件は進展し、解決する。 刑事たちが妙に感傷的になったりせずに単純に集団劇で事件を追っていくのがいい。 南廣はいるけど別に中心となる刑事ではない。 まだまだ観ていない作品ばかりだから他の作品も観たいものだ。 何が彼女をそうさせたか日時 2016年1月16日10:30〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 鈴木重吉 製作 昭和5年(1930年) 父親が失業と病気で子供を育てられなくなったため、すみ子は伯父の元に預けられた。しかし伯父もすみ子を育てる余裕もなく、曲芸団に売られてしまう。 そこでも厳しい生活が待っていた。新太郎という若い団員と知り合う。他の団員たちからも座長に対する不満がくすぶり、ついに団交が始まる。その騒動の中、すみ子と新太郎は二人で曲芸団を逃げ出す。 しかし新太郎が「道を聞いてくる」とすみ子の元を離れたとき、新太郎は車に牽かれてしまう。そうとは知らないすみ子で、二人は離ればなれに。 やがて1年が経ち、すみ子は詐欺の手先となってしまう。 彼女は捕まったが、単なる手先と解って釈放される。 今度は施設に入れられたが、やがて県会議員の女中となる。ところがこの家の娘は大のわがまま。奥様の仕打ちにも耐えかね、彼女はその家を出てしまう。 次に琵琶の先生の元で女中を始める。その時に雨宿りをする青年を見かける。それは新太郎だった。 今は劇団で働いている新太郎だったが、二人は一緒に生活を始める。だが、新太郎は劇団を解雇される。 二人は海で心中を決意、しかし幸運にも地元の漁師たちに救われる。 すみ子は天使園というキリスト教の施設に入り、俗世間と関わりを絶つこと決意する。 天使園を出ていくという女性から新太郎も生きていてその連絡先が解ったというので手紙を書くように勧められる。一旦は断ったすみ子だが、勧められるままに手紙を書く。 それは園の規則を破ることだった。その手紙は園長に見つかってしまい、すみ子は懺悔を強要される。 「忠治多旅日記」と同様に「映画探偵」の本に紹介された映画。帝国キネマというスタジオの代表的作品だそうだが、フィルムはほとんど残っていない。この映画も一時は失われたと思われていたが、ソ連にあることがわかり、(お金を払って)日本に返却された。(このあたりのことは「映画探偵」の本に詳しいが、ソ連崩壊の頃で金が欲しかったらしい) 映画の主人公はこれでもか、これでもかという試練に打ちのめされる。 冒頭と結末の巻がない不完全な状態だそうだが、それでも力は伝わってくる。 それ故に冒頭ではすみ子はとぼとぼと線路を歩いてくるシーンがあるらしいが、そこで修学旅行の生徒とすれ違うそうだ。冒頭からの「貧富の差」を見せつけるモンタージュは観たかったなあ。 それよりも圧巻なのはラストである。 冒頭とラストは字幕で説明される(今回はさらに弁士がついたが)のみ。映像で観たいと思う。 すみ子は自分の「恋人に手紙も出せないとはおかしい」と園や神を否定するのである。 そして園や教会に火をつけるのだそうだ。 うわっ、大胆だなあ。 そんな大胆な映画、観たことない。今そのシーンがないのが残念でならない。 教会が燃えていき、それを観たすみ子が狂気にあるいは狂喜に笑い出す、そんな画が想像される。 観たかったなあ。 戦前の映画って時代劇とか喜劇とかそんな映画ばかり見ていたので、勝手にそんな映画ばかりだったと勘違いしていたが、こういうシリアスな映画もあったのだな。 いやもちろん知識としては知っていたが、実際に観てみるとそのインパクトは大である。 名作と言われるだけの映画だと思う。 今回の上映は音楽付きの上映。音声トラックをつけたため、当時の映像の横の一部をトリミングした状態だという。気にする人は気にするだろうけど、私はその程度のトリミングなら気にならない。 それにしてもこの音楽はオリジナルのスコアか何かなのだろうか? さらに今回の上映は弁士付き。 最後のシーンなど字幕だけなのだが、それにしても弁士がその字幕を読み上げるとただ読むだけとは迫力が違う。 よい環境で観ることが出来、よかった。 私は二歳日時 2016年1月11日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 市川崑 製作 昭和37年(1962年) ボク、小川太郎は母・千代(山本富士子)父・五郎(船越英二)の間に生まれた。 両親は太郎をとても可愛がり、でもちょっと目を離すと外へ行こうとしたり、夜泣きをする太郎に手を焼いていた。 一家は団地住まいだが、隣の棟では2階の窓の柵が壊れ、赤ちゃんが落ちてしまう事件が!幸いにも通りかかった人が受けてくれたから助かってけど、本当に危ない。 また太郎が砂場でよく遊ぶ子がはしかにかかってしまって母親は心配する。 やがて五郎の兄が大阪に転勤になり、母親が一人になってしまうため、五郎たち一家は祖母(浦辺粂子)と同居することに。 祖母は太郎の世話を焼き、千代は「あまり甘やかさないでください」と懇願する。 やがて祖母は亡くなった。 太郎は2歳の誕生日を迎える。 市川崑の「私は二歳」は以前から機会があったら観てみたいと思っていた映画。 今回DVDで鑑賞。 なるほど面白いなあ。 市川崑は同時代としては「犬神家の一族」以降しか観てなかったが、本当に面白かったのは大映時代ではないか。 この映画もそんな1本だ。 太郎が外へ出るといけないと言うので、玄関に父親が柵を作るのだが、太郎の声で「ボクは早く大きくなってあの柵を乗り越えたい」というナレーションが入る。(太郎の声のナレーションは中村メイコ) そのイメージシーンで赤ん坊が柵を乗り越えるカットを人形アニメで表現してるのがユーモラス。 その他にも太郎が月を見てバナナを連想するあたりはアニメーションで表現され、さすがはアニメーター出身の市川崑だ。 映画に出てくる夫婦やその姉、兄、母親とのエピソードはいかにもありそう、と言った感じで今で言う「あるある」ネタだったと思う。 嫁姑の葛藤など今でもありそうだものなあ。 個人的には昭和30年代の家庭の様子が懐かしかった。 森永がタイアップだからか森永牛乳がやたら登場し、牛乳の宅配用の箱も出てくる。今は牛乳はパックで買って来るものだからね。 そして森永キャラメルも登場。 あとは当時の団地の風景、実家の風景やそこにある家具や電化製品が懐かしい。 引き出しの色がそれぞれ違うカラフルなタンスが出てくるが、あれは我が家にもあった。 ってことはあの当時流行っていたのか。 今まで昭和30年代の映画なんてたくさん見ているが、この作品は特に懐かしさを感じた。 きっと普通の映画では会社のオフィスとかそういう大人が出入りするシーンが中心になる。 ところが私の知ってる昭和30年代はやはり家庭風景なのだな。 だから特に見知ったものが多かったのだろう。 ストーリーも特にない。 子育てエピソードの羅列である。でもそれらを1本の映画として見せてしまうあたりが、市川崑、和田夏十(脚本)の非凡のなせるところなのだろう。 面白かった。 モンスターズ 新種襲来日時 2016年1月11日13:50〜 場所 シネマカリテ1 監督 トム・グリーン メキシコ付近に地球外生命体がやってきて久しい頃、モンスターはメキシコだけでなく中東にも及んでいた。 米軍は中東に空爆をしたが、その地域に死者を出し、米軍に対するテロを誘発していた。 デトロイトからやってきた新兵たちは軍隊経験は1年以上あったが、実際に戦場に出るのは初めてだった。 そんな彼らを率いるフレイターニ軍曹は戦場経験も豊富だった。 ある日彼らに命令が下る。ゲリラもモンスターも多くいる地域に行って消息を絶った4名の部隊を救助するというものだった。 フレイターニ軍曹一行は出発したが、行く手はモンスターだけでなく、ゲリラの危険も伴う。 ギャレス・エドワーズの出世作「モンスターズ」の続編。 怪獣映画は出来るだけ観る主義なので、前作も好きではないのだが、話のネタに観ることに。 正直、がっかりである。というか怒りすら感じた。 なぜかって怪獣映画ではないからである。 主人公たちは出発するのだが、すぐに1台のハンヴィーが攻撃される。これがなんとゲリラのRPGによってだ。 結論を書いちゃうと主人公たちが戦うのはゲリラばっかりでモンスターとは全く(と言っていい)ほど戦わないのだよ。 こっちは人間対モンスターを見に来たのに、ゲリラとの戦いとか、空爆でモンスターを倒した勢いで破壊されたスクールバスから少年を助け出すとか、その少年は結局死んじゃうとか、延々とゲリラとの戦いで話が進む。 最後は救出に行った部隊は結局死んでいたという結末。 そして今まで冷静だった軍曹が「誰が殺した!」と住民を殺し始めるのを二等兵が止めるという展開。 戦争の無意味さをいいたいんだろうけどさ、こっちは怪獣映画を見に来てるわけですよ。 そして軍曹たちがヘリコプターで助けられて帰る途中で、今まで観たことのないような巨大なモンスターが地中から登場して終わり。 「人間たちが争っているうちに巨大なモンスターがやってきてしまいますよ」と言いたいみたいだが、とにかくこっちは(何度も言うけど)「怪獣対人間」を観たくて来てるので、がっかりである。 早々に2016年ワースト映画候補になってしまった。 ギャレス・エドワーズはプロデューサーになってるけど、どの程度関わっていたのか? これが彼の作りたい怪獣映画なのかなあ? 今後の「ゴジラ」シリーズも彼が撮るけど、なんかピントをはずしそうな気がする。 たぶん周りが押さえてくれるだろうけど。 忠治旅日記日時 2016年1月11日10:30〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 伊藤大輔 製作 1927年(昭和2年) 2014年に「日本SF映画創世記」という戦前のSF関連の映画の解説本を書かれた高槻真樹氏が失われた映画を巡る顛末を書かれた「映画探偵」を本を2015年11月に出版された。その出版を記念しての上映で、その本に登場し、現在一般劇場で上映可能な作品を集めての特集上映。 その中でも伊藤大輔監督のサイレント期の名作(とされている)「忠治旅日記」の上映に行ってみた。 何しろ本の中では「封切り時に観た人たちの賞賛ばかりが聞こえてきて観ることの出来ない幻の映画だった。それを観ることが出来た時、衝撃という言葉ではない、まさに戦慄した」という主旨の文章がある。 まるで「七人の侍」級の映画が発見されたような書き方である。 そこまで言われては気になる。 「忠治旅日記」というのはもともと「甲州殺陣篇」「信州血笑篇」「御用篇」の3本で全部上映したら5時間になる大作だそうだ。 今回上映されたのは「甲州殺陣篇」の1分の断片、「信州血笑篇」と「御用篇」の部分を合わせて74分の作品。 プラス昭和12年に同じシナリオでマキノ雅弘がリメイクした月形龍之介主演版の19分の断片の「国定忠治 信州子守唄」。 結論から言うと高槻氏の「戦慄がした」は評価しすぎである。 というか私と高槻氏の映画眼の差から来るかも知れない。 今回の作品はサイレントなのだが、サイレント映画はやっぱり活弁がつかないと本来の姿ではないだろう。 サイレント映画を活弁、音楽なしで観るのは「相当につらい」と私はある時から思うようになったのだ。 音付きの刺激になれきっている私としては映像だけのサイレント映画は眠気を誘ってしまう。 だからきっとサイレント映画は見慣れないとだめなのではないか? それに今回の上映では本来の上映スピードよりちょっと早いのではないか?(今回ラピュタではデジタル復元されたDVDを使っての上映)カットが妙に短かったり、せりふ字幕がこちらが読み切れないうちに終わってしまうのだな。 字幕に関しては見慣れないフォントで、しかも旧かなづかいをしているから、こっちが読むのが遅いと言うこともあるのかも知れないし、カットが短いのは失われてしまっただけかも知れない。 そんな感じで映画には乗り切れない。 話の方は忠治が故郷を追われて、逃げながら旅をしてその道中でのエピソードをつないでいくオムニバス形式。 最初は忠治が子供連れで、ところがその一帯で忠治を名乗る盗賊が現れ、忠治は「人は殺しても子分は殺さない」を旨としていて子分を疑わない。しかし結局子分の仕業で、その責任を取ってその町から出ていく。町の有力者が子供を引き取る話があったのだが、忠治は断って出ていく(でも結局子供だけは貰われていき、後に再会する) で、次に名前を変えて酒屋(だったか)の番頭になっているのだが、そこの娘に惚れられる。そして店の若旦那が長岡の女郎に入れあげてしまい、その道中で金を盗賊に乗られてしまう。 その盗賊の元に忠治と若旦那が金を取り戻しに行くのだが、盗賊は金を返す振りをして障子の裏から忠治を刺そうとする。 ところが忠治は何でもない振りをしてヒョイヒョイとその竹槍をよけてしまう。そして相手に一言「子供には甘いんですね」盗賊「?」忠治「だって隣の部屋で子供が遊んで障子を破ってるのに怒らないんだから」というやりとりがカッコイイ! 後半は忠治も病気に倒れ、故郷に戸板に寝かされて運ばれてくる。 そしてついに追っ手が・・・・というところで終了。 映画は断片だが、大体はわかった。 次回観るときは是非活弁付きでみたいものだ。 一緒に上映したマキノ版は忠治と名乗る盗賊が現れているのを有力者と話すシーン。 こちらはトーキーなので見やすかった。 あと伊藤版では「彩色」という技法で、シーンによっては全体にオレンジだったり紫だったりしていた。 この辺の当時のことも知りたいなあ。 犬神家の一族日時 2016年1月10日 場所 bru-ray 監督 市川崑 製作 昭和51年(1976年) 信州那須の製薬王の犬神家の当主佐平衛(三国連太郎)が亡くなった。その遺言状は親族の者すべてがそろった時に開封されるとされていた。 戦争に行って行方不明になっていた長女・松子(高峰三枝子)の息子・佐清が戦地から帰ってきていよいよ遺言状は開封されることになった。 そんな時、東京から金田一耕助(石坂浩二)という風変わりな探偵がやってきた。遺言状の管理をしている古館弁護士の助手の若林がこれから起こる悲劇を予感して来てもらったのだ。 ところが金田一が着いた早々若林は何者かに殺された。 古館弁護士(小沢栄太郎)も事件を予感し、改めて金田一に捜査を依頼する。 佐清は戦場で顔に大きな傷を負い、マスクを被っていて本物かどうか不明だ。しかし遺言状は開封された。 そこには犬神家と縁の深い野々宮家の珠世(島田陽子)が佐平衛の孫、佐清、佐武(地井武男)、佐智(川口浩)のいずれかと結婚したとき、犬神家の財産はその夫婦に送られるというものだった! やがて佐武が菊人形の首に生首を据えられるという残酷な形で殺された。 果たして事件の真相は? この映画は封切り時にも観ている。この映画を特集したキネマ旬報は買った覚えがあるが、これが最初に買ったキネ旬ではないかと思う。 角川映画第1作として注目の話題作だったのだ。 その後、「人間の証明」などの話題作で日本映画を変えていく。個人的には角川映画の10年は70年代、80年代の日本映画史に残るべくな活躍だったと思う。 またこの映画の成功で、映画界に同時に金田一ブームが起こり、東宝も4本、東映でも「悪魔が来たりて笛を吹く」、松竹でも「八ツ墓村」が公開された この映画、そう何度も観ている映画ではないのだが、非常に思い出のある映画である。 実は最後に観たのがいつだったか思い出せない位昔だったが(たぶん学生時代が最後だったか。となると約30年ぶり?)、かなり記憶していた。 「悪魔の手鞠唄」が評価が高いが、私はこの「犬神家の一族」の方が好きです。 理由の一つに金田一の髪型だろう。他の金田一の石坂浩二じゃどうもカツラっぽい髪型なのだが、この映画の髪型はちょっと油っぽくてリアルな感じなのだな。 そして今回見直して感じたのは、編集のカットつなぎの独特さだ。 ストップモーションで画をつないでせりふを被せたり、短いインサートカットを挿入したり、実にモダン(という言い方が適切なのか迷うのだが)なのだ。 そして音楽。封切り時、大野雄二のサントラLPは購入して何度も聞いたので耳になじんでいることもあるのだが、ジャズ風でこちらも違和感さえある。 モダンなカットつなぎとジャジーな音楽。 この二つが昭和22年という当時にしても過去だった映像を実に現代(1976年だけでなく2016年でも)においても古さを感じさせない作りになっている。 考えてみれば佐武、佐智も殺されてしまえば、犯人は松子以外には考えられないのでミステリーとしては意外性が少ないのだが、それでも古びた(一種時代劇にも近い)町並みや日本家屋の美しさ、そして菊人形に飾られた死体や湖に浮かぶ足だけを出した死体など画的な見所は満載だ。 この映画に関しては思い出を語り出したらキリがない気もするのだが、数十年ぶりに見直してもその魅力は色褪せていなかったのはうれしい。 最後にソフトについて一言。 今回は角川から発売されているブルーレイで観たのだが、正直、色がおかしい気がした。全体的に紫のフィルターをかけたような映像なのだな。 ブルーレイのジャケット画像からして今までこの映画の素材では見たこともなかったような紫がかった写真なので、私の再生環境のせいではない気がする。 本当の色はどうだったか、DVDなども確認してみたいと思う。 平成任侠伝 兄弟、あの空で会おうぜ!日時 2015年1月9日 場所 光音座1 監督 清水大敬 製作 OP映画 今は弱小だが老舗の加藤組の組長は新興勢力の沢木に詫びを入れに来ていた。しかし元はと言えば沢木が加藤の縄張りの柳町に進出してきたことが始まりだったのだ。 沢木は加藤に柳町の縄張を沢木に渡すよう要求する。沢木の後ろには政治家の鮫島(森羅万象)がいて、近く始まる柳町の再開発の利権が目的だった。 沢木の要求を断る加藤。数日後に加藤の一の子分で娘婿の山倉健児が出所してくるのが頼みの綱だった。 沢木組の客分、池山良は沢木に言われて加藤を刺す。しかしわざと急所ははずしていた。実は池山と健児は刑務所で兄弟盃を交わし、それだけでなく体も重ねあった仲だった。 健児は出所したが、沢木の子分が健児を狙う。また加藤の息子も出所してきたが、姉とともに沢木に捕まってしまう。 そして加藤の息子は鮫島に犯され、ツルハシで頭を割られてしまう。その一部始終を姉は見せられる。 それらを知った健児は沢木に殴り込みをかけることを決意。池山も同行し、二人は沢木や鮫島に挑む。 話はほぼ最後まで書いた。この後は健児と池山が沢木や沢木の子分たちと立ち回りをして、鮫島たち全員を倒すが、彼らも傷つき、死んでいく。 こんな感じである。 まあ正直、東映任侠映画のパクリというかオマージュというか、そのまねごと映画。 悪いけどゲイピンクじゃないね。 今日、前回来たときにも観た「青春肉弾戦」も観たのだが、やっぱりこっちはゲイピンクですよ。男の裸から逃げてない。 「東映任侠映画みたいな映画が作りたいなあ。ゲイピンクなら企画が通りそうだぞ」ってな感じで、監督が作りたいのはゲイピンクではなく、任侠映画である。 だから「一応男同士のからみも入れておきました」というアリバイだけのからみ。 健児が池山との出会いを回想するのだが、そこでは「仁義なき戦い」の菅原文太と梅宮辰夫の時のようにお互いの腕を切って血をすする。その後からみが始まるのだが、お互い交代でケツを堀あう姿はもう滑稽である。 背中に入れ墨をしたいかにも「男!」という人が掘られちゃねえ。まあ「いかにもオカマ!」が掘られても困るが。 ヤクザでは男らしさが過ぎるので、帰って似合わなくなるように思う。 で政治家の鮫島が男好きで、沢木がいかさまバクチで玉井という男の精神病院を手に入れた設定で、最初の方でその患者たちから2名ほど選んで複数プレイをするのだが、鮫島が男を掘ってサンドイッチで掘られる展開。 で掘るほうも頭のはげたおっさんで、森羅万象もおっさんだからおっさん同士のからみというなかなか渋い趣味の展開だ。 あと沢木は健児がム所にいく原因になった喧嘩で、健児に金玉を切られてる設定。よくわからない。 それと健児は親分の娘と結婚していながら、池山と堀あうほどの仲ってどうよ。高倉健は「愛した女はただ一人」ってストイックだったぞ。 最後に殴り込みをかける健児の元に池山がやってきて「お供します」というのだが、ここなんか完全に「昭和残侠伝」のパロディというかまねである。 池山良という名前は「池部良」が元ネタだったんですね。 ゲイピンクにありがちな、「本当はゲイピンクじゃなくて○○映画が作りたい」ってのが見えてくる映画で、私はあまり好きになれなかった。 そうそう、玉井病院って出てくるが、ここは他のAVでも観たことがある病院だった。 007 スペクター日時 2016年1月2日15:25〜 場所 新宿ピカデリー・シアター3 監督 サム・メンデス ボンド(ダニエル・クレイグ)はメキシコでスキアラという男を狙った。メキシコシティ上空で大暴れをしてスキアラを倒すことが出来た。 ロンドンへ帰って上司Mに謹慎を言い渡されるボンド。 実は00課自体がCによって統合され消えようとしていた。インターネット時代には旧来のスパイなど不要だというのだ。 ボンドがスキアラを追っていたのは死んだ前のMの遺言だったからだ。彼女は死ぬ前にボンド宛に「私が死んだらスキアラという男を狙い、葬儀にも出てほしい」ということだった。 ボンドはスキアラの葬儀に行くためにローマへ。 そこである組織の会議が開かれると知ったボンドはその会議に潜入。その首領がオーベルハウザー(クリストフ・ヴァルツ)と知る。 その席でホワイトという男が鍵と知ったボンドはホワイトを訪ねるが、組織を抜けたい彼は娘を案じて自殺した。 その娘マドレーヌ・スワンを訪ねるボンドだが。 ダニエル・クレイグがボンドになって4作目。 もう007には期待してしていないのだが、観ないわけにも行かないので鑑賞。それでも今年の正月映画では最後に観たのだから、その辺が期待してない証拠。(「杉原千畝」とか早く行かないと回数が少なくなるかも?という事情もあるけど。) 正直、ボンド映画は飽きた。 もう同じことの繰り返しなのだ。 オープニングで事件かある。砂漠とか雪山とか手がかりを追って世界中を回る、カーアクションがある。秘密兵器が出てくる、などなど。 飽きさせないようにアクションシーンも多いのだが、結局は毎回同じことの繰り返しだし、ましてや今年は「ミッション・インポシブル」もあったし飽きがくる。 ボンドの車は絶対アストン・マーチンという縛りがあって出てくる秘密兵器も結局は同じである。 時計にどんな仕掛けがあるのかと思ったら、単なる時限爆弾。もう一ひねりしろよ!と思ったが、結局何をやってもかつてのリメイクにしかならないだろう。 とにかくダニエル・クレイグになってから面白いと思ったことが1本もない。 ダニエル自身の魅力というより、話がボンドの子供の頃の記憶とかそっちに行くんだな。 本作でもオーベルハウザーはボンドが養父の子供で。子供の頃に一緒に過ごした相手だ。 悪役がクリストフ・ヴァルツなので少しは期待したが、(ヴァルツが悪いのではなく)活躍が足りない。 彼がスペクターのボス、ブロフェルドなのだが、前のブロフェルドとは関係ないみたい。 それに昔みたいに「敵のアジトを叩く!」という展開ではなく、コンピュータの作動を止めるのどうしたとそんな話で画的に見せ場にならない。 最近は昔と違って金庫を破って書類を持ち出すのではなく、コンピュータに侵入するだけ。 それも画にすると単純にPCに詳しい奴がキーボードをカタカタ叩いて「アクセス拒否」「成功!」などの文字が出てくるだけ。 映画にならないよ。 そうは言っても最近から登場した若いQはなかなか面白い。 Qが今後も活躍するのを期待する。 でももういいかなあ。 とにかく何を観てももう飽きた、007は。 |