2016年2月

   
黒崎くんの言いなりになんてならない 恐喝こそ、我が人生
第二話
ヤクザと憲法 シェル・コレクター 愛の言霊 グッバイボーイ
誘惑は嵐の夜に ライチ☆光クラブ 夢の足跡 日本映画大学第2回卒業制作上映会
炎の肖像 パールハーバー(PEARL HARBOR THE TRUTH) オデッセイ ちーちゃんは悠久の向こう
恐喝こそ、我が人生 不屈の男
アンブロークン
ピンクとグレー 残穢
住んではいけない部屋

黒崎くんの言いなりになんてならない


日時 2016年2月28日18:45〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン5
監督 月川翔


中学時代の冴えない自分を変えるために親の転勤をきっかけに寮のある高校に転入した赤羽由宇(小松菜奈)。しかし入寮そうそう副寮長の黒崎晴人(中島健人)に「俺の奴隷になれ」と言われてしまう。そんな由宇の味方になってくれたのは寮長の白河タクミ(千葉雄大)だった。
強引な黒崎をいやだと思うものの、黒崎や白河から声をかけられている由宇をやっかんだ女生徒より寮の男湯に入ってしまう嫌がらせを仕掛けられてしまう。
そんな由宇を優しく守ってくれたのは黒崎だった。
嵐の晩、寮が停電になった時、強引にキスマークを由宇につける黒崎。
親友の芽衣子が黒崎を好きだと知った由宇は、黒崎や白河も含めて遊園地に行く。黒崎と芽衣子を二人きりにするつもりが、いつの間にか黒崎は由宇と観覧車に乗ってキスをする。
白河と黒崎は幼なじみ。白河にとって黒崎は「いつも自分が好きになった人が好きになる男」としてライバル視してきた。しかし黒崎は逆に自分が身を引いて白河に譲っていたが、それはかえって白河に敗北感を抱かせただけだった。今回も黒崎は身を引こうとしたが。


中島健人、千葉雄大主演のコミックの映画化。
昨年12月に2夜連続でドラマ版が放送されたよう。
こっちは未見。この映画の冒頭に「今までの流れを整理しよう」というのが出てくるから、この部分がドラマ部分菜のかな。3月にソフト化されるようだから観てみたい。

やっぱりこの二人は華がありますね。千葉雄大も同じようなコミックものに過去に出ていたが、本作の白王子が似合っている。
今までの千葉は優しいだけの印象があったが、由宇をかけてのバスケットボールのシーンなど、今までにない男気を見せ、新しい魅力を観た気がした。

中島健人は安定の魅力。「SexyZoneではキラキラ王子、『黒崎くん』はドS王子で正反対」などという文章を見たけど、そうかなあ。どっちも自信たっぷりな余裕で女に接してるように見えるけど。
風呂場のシーンなど、セクシーさ全開である。

それにしても気になったのが、バスケ対決をして「由宇を賭けよう」という所。
女を賭けて対決なんてずいぶん古くさい気がする。それに対決して勝った方が由宇をもらうということなのだが、それって女性をモノ扱いしてないか?
第一勝った方を由宇が気に入らなかったらどうなるんだ?

という疑問が浮かんできたが、だからといってこの映画に対する批判が女性陣から聞こえてこないので、そこは受け入れられてるんだろう。

それに「黒崎君のいいなりにならない」とか言いつつ、結局縛られるのを望む。これ、はっきり言って官能小説の展開ではないか?

中島健人と千葉雄大のようなイケメンなら何をしても許されるという女の身勝手を感じないでもない。
勘違い男が現れて女性に命令したりすることが起きないように祈る。

関係ないが、ロケされた遊園地がよみうりランドなのが楽しい。

中島健人と千葉雄大のイケメンぶりを十分堪能できる映画で、ファンには堪らないだろう。
佐藤勝利もこういう映画への出演を望む。
















恐喝こそ、我が人生 第二話


日時 2016年2月28日
場所 DVD
監督 渡辺武
製作 平成18年(2006年)


恐喝しようとした相手の反撃にあい、スナイパーから狙撃された敬一(曽根悠多)。後藤(火野正平)の紹介の医者のおかげで一命をとりとめた。
再び恐喝を決意する彼ら。次のターゲットは最近話題の投資会社シーランドだ。最近経理部長が自殺し、社長逮捕の噂も広がっていた。後藤たちは過去に起こったワンダーフォーチューンの事件を思い出していた。
あの事件と今回の事件の黒幕は同じではないのか?
フォーチューン事件が社長が惨殺され、その後3人の幹部が失踪していた。うち2人は死亡が確認されたが、もう一人、堀井という男が自殺の跡が見つかったが死体そのものは発見されていない。
後藤はその堀井が今回の詐欺事件のマニュアルファイルを持っていて、そのファイルの存在を突き止めればシーランドの黒幕の政治家を恐喝することが出来ると判断する。
ジャーナリスト安井や堀井を追っていた刑事の力を借りて茂(嶋大輔)や亜紀も動き出す。


「恐喝こそ、我が人生」の続編。
前作で瀕死の重傷で、あそこで終わっても主人公が勝たないという意外なラストでよかったが、死んでないのでやっぱり気になる。前後編形式だが、おそらく撮影はテレビシリーズと同じで2話同時だったと思う。

前回は登場人物紹介に時間がかかったが、今回は一つのターゲットを追いつめていく。女性のヌードのサービスカットもなく、ひたすら堀井を探っていく。
その過程で信用できると思った刑事が実は通じていて、敬一も殺されかかる。このシーン、廃車置場で待ち合わせして教われるのだが、廃車の窓ガラスを割りまくり、アクションシーンとしての画の派手さはなかなか。
見せ場でしたね。

後半、頼みにしていたジャーナリスト安井も殺される。彼の残された手帳を手に入れた後藤はついに堀井の隠れ家を突き止める。
この田舎にある家を発見するときに後藤はメロンパンを食べながら歩いていく。
こういうのが画になるのは火野正平の存在感。演出ですね。

そして火野も殺されるのだが、隠れ家の廃工場で七輪で干物か何かを独り言を言いながら焼いている。このシーンがいいのだなあ。こういう火野の芝居、好きです。
そして近づいてきた殺し屋に向かって「ご苦労さん、どうや一杯?」と堂々としてる火野正平がいいですねえ。

堀井に会った敬一。堀井は「ファイルはここにある!」と言って自ら首を切って自殺。敬一たちが堀井の死体を切り刻んでファイルの入ったチップを探すあたりはちょっと猟奇的で私は苦手。

ラスト、金を手にした敬一だったが、カジノですってしまうというオチがつく。
なるほど主人公が負けても悔しいし、金を手に入れて豪遊されても観客はフラストレーションがたまる。

結末の付け方の難しさを感じた。
それにしても火野正平はやっぱりいいなあ。













ヤクザと憲法


日時 2016年2月27日19:10〜
場所 ポレポレ東中野
監督 土方宏史(土に、がつく)


指定暴力団「二代目東組二代目清勇会」。大阪府堺市の住宅街に事務所を構える。このヤクザに密着取材をした東海テレビ製作のドキュメンタリー。
取材したのは2014年9月から2015年1月まで。

最近の暴力団排除条例により、民間人にも彼らに利益供与をしてはいけないとしていく。
この条例が出来たとき、「ヤクザが出前を取ったら利益供与となるのか?」などと「少し行き過ぎなのでは?」と話題になったが、最近はこの条例に関してニュースになることはない。

1、取材謝礼金は払わない。2、収録テープは事前に見せない。3、原則としてモザイクはかけない。という3つを条件に取材は行われたそうだ。

いわゆる「本家」ではなく、末端のヤクザの組だ。
事務所の様子などVシネなどで観るのと全く同じ。会議も行われる。ラフな服装で和室で座布団を引いて「総会」である。
「ではただいまより総会を開始します」というあたりは普通の会社と同じ。
でも「○○は以前破門、絶縁、所払いの通達を出しましたが、まだいるようなので再度通知します。みんなも何か情報を得たら事務所まで報告お願いします」
なんだかおかしい。

事務所は1Fが駐車場、2Fが事務所と応接室、3Fが組員の住居となっている。
住み込みの若者が1名。
住居に大きなバッグがあるのを見つけ、「これは何ですか?」と問うと「テントです。バーベキューとか行ったときに使うとか」「マシンガンとかではないんですか?」「そんな。ヤクザの事務所だからマシンガンとかありませんよ。拳銃もないです。日本には銃刀法がありますから。そんなの映画の観すぎです」
たしかにヤクザといえども毎日抗争してるわけではないわな。

カメラは組員が出かける時にもついていく。
夜、組員はどこかで車を止め「ちょっと待っていてください」と出かけていく。そして数万円もって戻ってくる。
「クスリとかですか?」「それは言えません」と言われる。

大阪・新世界の定食屋で飲む会長。そこの女将は「ヤクザは怖くない。守ってくれる。警察は守ってくれない」という。(新世界のピンク映画館のあたりが懐かしい)

そして山口組の顧問弁護士の山之内幸夫弁護士も取材される。「事務員も昔は5人いたが今は仕事がなくなって私一人」と古参のおばちゃんが答える。
「山口組の顧問料は月10万円ですよ。ヤクザだからもっとくれると思ってました?今はヤクザ金持ってないですよ」
具体的に事件の弁護となると別料金らしいが、それでも10万円ではやっていけないだろう。山之内弁護士にしてみると山口組の弁護士ということで新規の仕事も少なくなるらしい。まあそうだろうな。
それでもやってるのは「ヤクザだからと言って弁護士がつかないのはおかしい」という彼なりの正義感だろう。

その山之内弁護士も今在宅起訴されている。ある事件で相手の倉庫の鍵を壊したことを教唆したという罪だ。鍵の被害金額は3万数千円。別の弁護士も「普通なら罰金で済む事件」という。弁護士は禁固刑以上の判決を受けると弁護士資格を失う。
映画は2015年1月の一審の判決まで捉える。「懲役10月執行猶予付き」。控訴したがこの刑は後に確定。
(パンフレットに明記されているが、これで山之内弁護士は資格剥奪)

映画の中で記憶に残ったのは2014年の衆議院選挙。
ヤクザだって選挙に行く。誰に投票したか非常に気になったが、それは出てこなかった。
もう一人会長の弟分、組員からするとオジキは「私選挙権ないですから。帰化すればいいのでしょうが」。ああなるほど。

住み込みの若者にも話を聞く。
彼は学校でもハブられて行くところがなくて「ヤクザなら入れてもらえる」と思ったらしい。
この若者君、別のシーンで応接室に呼び出されてブン殴られる。(音がするだけだけど)この辺はやっぱりヤクザである。
着替えのシーンもあるが、背中には入れ墨が描かれている。やっぱりヤクザである。

後半、車の修理代の件で保険会社ともめているという話が出る。必要以上の金額を詐取しようとしているという話だ。
「そんなことしても2、3万にしかならん。そんなことしたら損だ」とヤクザはいう。
結局この件で逮捕される。
そして家宅捜索のシーンがあるが、「カメラを止めろ!」と怒鳴る刑事の方がよっぽどヤクザぽかった。

会長がヤクザがどんな人権侵害を受けているかの実例を集めている。
「ヤクザは銀行口座が作れない。ヤクザを隠して口座を作ったら詐欺と言われる」「親がヤクザだと子供が幼稚園に入れない」などなど。
「だったらヤクザ辞めれば?」と私なんかは思う。
その答えはラストに用意されている。
取材者が会長に同じ質問を投げかける。
「でもどこで受け入れてくれる?」

もちろんヤクザなんかいない平和な社会がいいと思う。
ヤクザは東映映画の中だけで十分だ。
しかし締め付けるだけで解決する問題なのか?

駐車違反が厳しくなったとき「厳しくすればいいってもんじゃない。駐車場の確保の問題も同時しなければ駐車違反はなくならない」と私は思った。
それと同じなんだろうな。
ヤクザだって厳しくすればなくなるものじゃない。
今までヤクザだったものをどう転業させるか、それを阻むものは何か、を平行して行わなければヤクザ問題は解決しない気がした。
帰りの電車の中でそんなことを考えた。

知らなかったヤクザの実際を知ることが出来、興味深いドキュメンタリーだった。
















シェル・コレクター


日時 2016年2月27日14:40〜
場所 テアトル新宿
監督 坪田義史


ある貝類学者(リリー・フランキー)は沖縄の海岸に一人で住んでいた。彼は盲目だった。色んな貝を生きたまま採ってきて、それから殻だけにして集めていた。
美しい標本を得るには生体から作らなければだめだった。だから砂浜の貝殻を拾ってくることはしない。
そんな日常が続いていたし、続くと思われた。その頃、ちまたでは手足がしびれ出す原因も治療法も不明な病気が流行っていた。
ある日、山岡いづみ(寺島しのぶ)という女が流れ着いた。彼女は画家だったが、例の奇病に冒され絵を描くなっていたのだ。
そんな時、イモガイという猛毒を持つ貝を水槽で学者は飼育を始めた。ある日、家に帰ってみるとイモガイの水槽が倒れていた。いづみがその貝に刺されたのだ。
ところが毒によって死ぬどころか逆に奇病が完治してしまった。いづみは学者の家の壁に絵を描き、島を離れていった。
奇病が治った人がいるという噂が広がり、隣の島の有力者弓場もやってきた。娘(橋本愛)が例の奇病にかかったのだ。
「あれは猛毒だ」という学者に無理矢理にそのイモガイを採ってこさせる弓場。娘の病気は治った。
噂は全世界に広まり、外国人ジャーナリストや数年間会いに来なかった息子・光(池松荘亮)もやってきた。


最近お気に入りの俳優、池松荘亮目当てで鑑賞。
そうでなければ見なかったろう。2014年は数ヶ月に1本主演級の作品が公開されたが、去年は観てないかも知れない。長々とストーリー紹介を書いたが、池松荘亮が出てくるまでは書かねばならなかった。
原作はアンソニー・ドーアのアメリカ文学。
盲目の貝類学者とは大胆なファンタジックな設定だ。

正直言うけど全く映画に乗れなかった。
大体盲目の貝類学者って何だ?盲目でそういう研究って続けられるのか?
それとこの学者(役名はない)はどうやって暮らしているのだろう?週に何度か生活必要品を届けてくれる人がいるのだが、そういう意味ではなくて収入はどうしてるのだろう?質素な生活をしてもかかるものはかかるだろう。

そういうことを考えてはいけないからファンタジックな作品なのだろうが、入り口のところでこの映画に乗れなかったので、もうダメ。

池松荘亮は今は海外ボランティア(海外青年協力隊みたいなものらしい)で働いている青年。
「今回の奇病もきっと環境汚染が関係してるんだ」とか環境保護団体にありがちな台詞を吐く。

最後は火山が爆発して(その前に使われなくなった桟橋が朽ちているカットがあって)、「大自然の力には人間など無力」的なメッセージらしきもの(それほど強くはないが)がある。

貝殻はカルシウムで出来ていていわば骨。骨に守られて生きている生物。なんだか人間とは真逆の生体でそういわれてみれば面白いなあと思う。

自然を撮った風景や貝殻の映像美がなければさぞかし退屈な映画だったと思う。
私にとっては池松荘亮と貝の美しさだけが記憶に残る映画だった。
















愛の言霊


日時 2016年2月21日
場所 DVD
監督 金田敬
製作 平成19年(2007年)


大谷晋也(徳山秀典)と立花都(齋藤ヤスカ)は高校時代の親友で今は同じ大学に通っている。それだけでなく1DKの一緒の部屋に暮らしていた。二人はゲイカップルだった。
ある日、高校時代の友人、水沢雪子とばったり再会した。
立花と雪子は昔から仲がよく、高校時代も雪子が立花を誘い、それに晋也がついてくるパターンが多かった。
再び立花と雪子は会うようになる。晋也は二人が親密になるのが気になって仕方ない。
そのことがきっかけで二人はぎくしゃくする。ちょうどアパートも更新を迎えていた。いっそ二人は別々に住もうかと話し出す。


徳山秀典は「仮面ライダーカブト」、齋藤ヤスカ「轟轟戦隊ボウケンジャー」に出演のイケメン俳優二人によるBL映画。タイトルはサザンオールスターズの歌とは全く関係ないようだ。別にBGMとして出てくるわけじゃないし。

晋也がやたらと雪子に対し嫉妬するのが気になった。ちょっと強面の晋也が嫉妬するのは見ていてイタい。これがウケキャラの立花が嫉妬するならまだ解るのだが。
ところがこの映画では雪子と立花が女子キャラ同士で波長が合うのか仲がいい。
すると晋也が嫉妬するという展開。

この繰り返しで正直映画に乗れないのだなあ。同じBLでもタクミくんはウケキャラのタクミ(浜尾京介)が切ない顔をしているとなんだか同情したくなったが、タチキャラの晋也が嫉妬しても醜いだけである。「もっと自信持てよ」と言ってやりたくなった。

ラストは結局、雪子の方が二人の仲の良さを認めて「私は二人が仲良くしてるのがいい」とか言って一人になったときに泣いて身を引く、という結末。
まあいいんじゃないですか。

本筋とは関係がないが、晋也も立花もほとんどタバコを吸っている。タバコを吸うシーンが昨今少なくなったが、それにしても多すぎじゃなないかと言うくらいタバコのシーンが多かった。まあライターを誕生日プレゼントにしたり、タバコもモチーフになっているとは思いますが。

それと同様に晋也も立花も部屋にいる時は上半身裸が多い。もう完全にイケメンの裸目当てのサービスカットである。
二人ともやせてはいるが、筋肉質のいわゆる「スリ筋」のため、見応えがある。

それにしても齋藤ヤスカは歯並びが悪いなあ。
タクミくんシリーズにもゲスト出演したときにも思ったが、あの前歯の歯並びの悪さはイケメンとしては致命的に惜しい。


















グッバイボーイ


日時 2016年2月21日14:25〜
場所 光音座1
監督 滝田洋二郎
製作 昭和59年(1984年)


田舎でホモ雑誌を買ってオナニーばかりしていたリュウジだったが、東京へ出ていった友人ハルオがグラビアに出てるのを観て自分もミュージカルスターになろうと東京へ。
東京に向かう列車の中で石炭を研究する石山(蛍雪次朗)という学者と知り合う。
リュウジは早速ハルオを訪ねてみる。ハルオは今はボクサーを目指しており、近く新人戦でデビューの予定で、事務所の社長(池島豊)から特訓を受けていた。
リュウジはダンススクールに通うことにし、その教師のシゲオ(大杉漣)に気に入られる。
ハルオの対戦相手、バッファロー大岩は頭痛に悩まされていた。医者に行っても「大したことないです」としか言われない。自分の後輩がもらってきてくれた薬を薬局で聞いたところ、脳腫瘍の薬だという。自分の死を覚悟する大岩。
リュウジはある晩、石山が暴漢に襲われてるのを助ける。
石山が研究している筑豊のボタ山とその周辺で起こっている病気についての因果関係を報告したら襲われたという。
リュウジはシゲオの厳しいレッスンに耐えられなくなっていた。シゲオは「自分は数年前に『ドッグ』というミュージカルの主演をする予定だったが、男と駆け落ちしたためにだめになった。そしてその男にも捨てられた」と過去を語るのだった。


今やアカデミー賞監督とまで言われる滝田洋二郎のピンク映画時代のゲイピンク。
テンポがよいコメディなのだが、色々エピソードが詰め込まれるが、それらが全く関連性がない。

それは脚本が混乱してるとも言えるが、サービス精神の現れとして嫌みには感じなかった。
このあたりがやはり滝田洋二郎が一般映画でも成功した要因と言えばちょっと拡大解釈か。

ボクシングの方は実は大岩の後輩が薬をもらうときに大岩ではなく「小山」と自分の名前を言ったための単なる薬の取り違いで脳腫瘍の薬を手にしてしまっただけ。大岩はハルオの「俺をリングで殺してくれ!」と言っていたのでハルオは勝つ気まんまんで試合に臨むが1ラウンドでノックアウト(このシーンは字幕で表示されるだけ)

石山の方は実は政府はボタ山からダイオキシンを製造しようとしているという陰謀を知ってしまう。
それでアフリカに左遷され、殺されそうになるが、リュウジに助け出され二人でボタ山を爆破してしまう。(ここも「数日後、筑豊のボタ山大爆発」と簡単に説明されるだけ)

石山の話とハルオ=大岩のボクシング対決の話は絡まない。さらにシゲオの話はもっと絡まない。
脚本の混乱と片づけるのは簡単だが、ここはサービス精神の現れと好意的に評価したい。
















誘惑は嵐の夜に


日時 2016年2月20日21:10〜
場所 ユーロスペース1
監督 いまおかしんじ


佐和子(高樹澪)は一人娘はアパートに独立し、今は夫と二人暮らし。その夫も最近は全く口を利いてくれない。
ある日、夫が花束を持って帰ってきた。その日は定年退職の日だったのだ。しかし夫は何にも言わない。退職したのに翌日もスーツを着てどこかへ出かけていった。
娘、康子(石川優美)はミュージシャンの彼氏と生活していた。しかし最近は全くライブもしなくてセックスも勃たない状態だった。康子は会社勤めをしていたが、上司と喧嘩して辞めてしまう。しばらくはスナックの夜のバイトだけでやって行かなきゃいけない。彼氏の為にそのスナックで彼氏にライブしてもらうことを計画した。
佐和子は最近、道で石を売っている不思議な青年と出会う。
佐和子が康子のアパートを訪ねた晩、嵐になった。その時アパートに雷が落ちた!
なんと二人の心は入れ替わってしまった。
仕方なく二人はしばらくお互いを演じることにしたのだが。


いまおかしんじ監督最新作。レジェンダリーの「ラブストーリーズ」シリーズの第2弾。今回も3作品上映だが、2週間で3作品というタイトな上映。1本目が20日(土)〜24日(水)、2本目「母の恋人」が25日(木)〜28日(日)、3本目「オトナの恋愛事情」が29日(月)〜3月4日(金)。前は1週間は上映してくれたが、それだけ諸々きびしいのだろうなあ。

今回のいまおか作品だが、正直前半がもたもたしすぎ。
チラシにも「母と娘が入れ替わる」というのは書いてあるのだから、そこは映画が始まって5分10分で入れ替わって話が転がっていかなければならないのでは。
入れ替わる前にそれぞれの事情を説明したかったということだと思うが、観てるこちらは「母と娘が入れ替わったことで起こる騒動」を期待してるからなかなか入れ替わらないのはいらいらする。映画が始まって30分以上経ってから入れ替わるのはちょっともたつきすぎ。

入れ替わってからはドラマが動き出し、アパートに帰ってきた彼氏に康子が「どなた様ですか?」と言って彼氏が落ち込んだり、佐和子が父親(夫)に「娘がどうして出ていったか知ってる?男とイチャイチャしたかったからよ!」と父の無関心をなじる。

また佐和子も前から気になっていた石売りの青年との関係を深めてしまう。母娘ともダメンズが好きになるタイプなのか?

そういった騒動は笑いを呼んで、入れ替わってからは映画を楽しめた。
最後、再び雷がやってきて二人は入れ変わるか?というクライマックス。ここはもう少しじらして「バック・トゥ・ザ・フューチャー」並に盛り上げたらもっとよかった。
でも一ひねりあって、雷が落ちても元に戻らない。
その代わりにあることがあって元に戻る。
ああここが元ネタになった大林宣彦の「転校生」のオマージュ(パクリ)なのだなあ。

また99分といまおか作品にしては長尺でそれもあったのか全体的にテンポが悪く間延びした印象を否めない。
ちょっと惜しい映画だった。














ライチ☆光クラブ


日時 2016年2月19日15:25〜
場所 新宿バルト9・シアター5
監督 内藤瑛亮


スモックで煙る町・蛍光町。この中の廃工場は「光クラブ」と呼ばれる少年たちのグループの秘密基地だった。
彼らのグループはゼラ(古川雄輝)と呼ばれる少年が絶対的支配をしていた。しかし元々は光クラブはそんなクラブではなかった。タミヤ(野村周平)とその幼なじみの二人が廃工場を遊び場としていたのを転校生でやってきたゼラを仲間にしたのだった。
彼らは大人を嫌悪し、工場に紛れた女教師を処刑した。
そして彼らは1年がかりでロボットを完成させ、ライチと名付けた。そのロボットに少女を捕獲するように命令する。
そして捕らえられた少女はカノン(中条あやみ)。カノンはライチに監視される。まだプログラムが不完全なライチに「人を殺してはいけない」と教える。


内藤瑛亮監督最新作。
「先生を流産させる会」以降、順調に作品規模も大きくなっている。今回は前作「パズル」にも出演した野村周平が主演。
コミックが原作(未読)。

「大人を嫌悪する少年たちの集団」というのは出世作「先生を流産させる会」を彷彿とさせるプロット。
でも正直言って出演者が20歳を過ぎているようなメンバーなので、きびしい。
実際の中学生ぐらいの少年たちが演じれば迫力も違ったと思う。

特に感じたのはジャイボという少年がゼラを愛していて、キスや下半身への奉仕も(本人が望んで)する。
最後で「僕は声変わりが始まった。髭も生えてきてしまった」と大人になりつつある自分への嫌悪と、それによってゼラに嫌われてしまうという恐れを訴えるのだが、これが「ベニスに死す」のような美少年が演じていればそれは迫力のあるカットになったと思うが、演じてる間宮祥太郎も22歳なのでさすがにこの台詞はキツイ。

やっぱりローティーンの子が全ての役を演じていれば、彼らの大人になることへの嫌悪感が伝わってきたが、内容がバイレンスに満ちているし、中学生には演じさせられなかったか。
従って大人が「中学生ごっこ」をしているよう。

野村周平が一番まともな少年を演じ、彼が画面に写っているとなぜかほっとさせる力があった。
それゆえにラストシーンを迎える前に彼が死んでしまうのは寂しい。

廃工場の美術セットも立派だし、映像も暖色系で美しい。
だからこそ演じている少年たちが二十歳過ぎというのが残念。
実際の中学生には演じさせられない内容というのは理解するが。だからこそ余計に「先生を流産させる会」というのは奇跡的な映画だったと思えてくる。















夢の足跡


日時 2016年2月14日
場所 DVD
監督 都鳥伸也


東宝の俳優、加藤茂雄と古谷敏の対談ドキュメンタリー。
映画というかテレビの対談番組に近いものだが、DVDを買ったので鑑賞。
(前日に新百合ヶ丘で日本映画大学の卒業制作の上映会を見に行ったとき、アートセンターで同じく日本映画大学の理論コースの学生が「団地映画特集」(正確にいうとそういう名前ではないが)をやっていて、その中で「ウルトラセブン〜あなたはだぁれ?」の上映があり、古谷敏さんのトークイベントがあった。そこで売っていたのがこのDVD。衝動買いは普段はしないタチだが、今回はつい・・)

鎌倉で漁師もしている加藤さんに合わせた形なのか、江ノ島駅で待ち合わせた加藤さんと古谷さんは江ノ島の裏側の岩屋へ。
歩きながら話すには、ここで「ウルトラQ〜宇宙からの贈り物」の洞窟の入り口のシーンが撮られたのだそうだ。

へ〜そうなんだ。
一平が拳銃を借りようとした警官が加藤茂雄さんだったそうだ。なぜか岩屋の入り口にはいかない。
せっかくならそのシーンを再現して欲しかったのに。

そして二人が俳優になったきっかけを対談形式で別の部屋で語っていく。
別に江ノ島とか関係ないなあ。

そこで加藤さんは「七人の侍」に出演した話(この時テロップは「黒沢明の最高傑作と言われる侍と百姓が野武士と戦う映画」と表示され「七人の侍」とは出ない。なんだそれ?何か事情があるのか?別にスチルを使う訳じゃないし・・・)などをなさって、黒沢、成瀬、岡本喜八、本多猪四郎、豊田四郎などなど日本映画の巨匠たちと仕事が出来たのは本当によかったと語る。
70年代になって東宝専属終了後は各社の監督と仕事をし、その中で沢田幸広監督は加藤さんの出演シーンをばっさり編集で切ってしまい、その事のお詫びの手紙が来たという。編集で自分のシーンがカットされるのはよくあることなので、加藤さんにとってはそんな監督が今までいなかったので、驚かれたそうだ。

そんな感じでゆる〜い対談というかインタビューである。
全体で40分の長さなので、そんな詳しい話はなし。
2時間ぐらいあれば密度の高い話もあったろうが、40分ではなんとも中途半端な印象は否めない。

古谷敏さんが先輩を訪ね歩くシリーズなのだろうか?
それならば続けて欲しいけど。















日本映画大学第2回卒業制作上映会


日時 2016年2月13日
場所 イオンシネマ新百合ヶ丘シアター8


昨年に引き続き、全作品鑑賞。昨年は学生に知り合いがいたから観たけど、今年は完全に映画ファンとしての視点で観る。
気になった点などを記していく。

<Aプロ>
「深爪」
監督・脚本 櫛田有耶

あかりは会社をリストラされ20年ぶりに母親と暮らしている。子供の頃、母親に暴力を受けたあかりはそれから祖母によって育てられたのだ。
マンガ好きなあかりは中古書店の店員、志村と知り合う。
やがて口を利くようになった二人だったが、あかりの友人は「志村さんはあかりに気があると思う」という。
あかりの母に男が出来た。なんだか気持ち悪い。
あかりは友人と志村と3人で飲みに行く。
ところが志村が関心があるのはあかりの友人の方だ。
母親は自分は結婚するからどうするか決めろと言う。

なんかもうドン詰まりの人生である。
私のような人生の先輩からすると「いやきっと希望はある」と安易に言ってしまうが、まだ若い彼らにはそう思うだけの根拠はないだろう。
ただ頑張れというのは無責任だが、ただ「頑張ってね。生きてればきっといいこともあるから」としか言いようがない。

「潮風」(ドキュメンタリー)
監督:金 善
韓国の南の島、済州島で1948年4月3日に政治的な問題から弾圧があり、韓国軍や警察官に約6万人が虐殺された。この弾圧から逃れようと多くの人が済州島を逃れた。
監督の祖父母は日本に逃れていた。落ち着いた頃に済州島に帰ろうとした祖母は、乗っていた船が高知沖で沈没し亡くなった。
今や写真もない祖母のことを親戚に尋ね歩く。

正直言うけど監督の家族には興味ないです。
「ディア・ピョンヤン」は同じ家族を描いても「家族を通してその先にある『北朝鮮』を描く」ということで家族は手段で目的ではなかった。
「アヒルの子」も家族だけどあれは「ゆきゆきて進軍」的な無茶苦茶さがあった。
これはそれもなし。
個人的には「4・3事件」についてもう少し詳しく知りたかったし、親戚がたくさん出てきたので、家系図を出してどういう人なのかビジュアルで見せてほしかった。


<Bプロ>
「日々こもごも」
監督:本山航大

立花彩花は学校を卒業してアルバイトでゴミ清掃の会社に勤める。毎日、毎日いろんなゴミ屋敷に行って片づけていく。
もはや痴呆になっているある女性の家に行った。彩花はその女性がなぜか他人のように思えずにその晩泊まる。
その女性の家にあったピアニカで「猫踏んじゃった」を弾いてみる。

ネットで予告編を3作品とも観ていたのだが、一番興味を持ったのがこの映画だった。でも正直期待したほどではなかった。
老婆と彩花の交流を軸に、老婆の家族、上司の家族、彩花の家族などが描いていけそうだが、30分という時間の制約のせいか、登場人物の紹介で終わってしまった気がする。
もう少しドラマを絞った方がよかったのではないか?


「愛しきトラヂ」(ドキュメンタリー)
監督:全 智愛
在日コリアンの監督は川崎市の桜本のコリアンタウンの幼稚園で開催される敬老会トラヂ会にボランティアで参加するうちの韓国からやってきた須田栄子さん、ペルーで生まれ、日本人の父とペルー人の母の間に生まれた大城正子さんと出会う。
二人を通じて在日コリアンとしての自分を見つめ直す。

またまた「自分のアイデンティティとは?」です。
繰り返しますが、監督のアイデンティティは興味ないです。しかも「潮風」にも通じる在日がモチーフなので、同じような話はもう充分です。
ラストで「二人を見ていてどこの国で生まれようとどこの国で行きようとそれはそれほど重要ではないと思うようになった」という結論にたどり着く。
ナレーションで結末を言うのはどうかと思うが、結論を出してくれたのはよかった。


<Cプロ>
「水際の魚」
監督:高巣雄太

香織、伊織、詩織は三姉妹。27歳の詩織は子宮ガンが見つかり、やがては子供を生めない体になる。
長女香織は今東京で暮らしている伊織を呼び戻す。伊織はお土産に「ごまたまご」という詩織が好きなお菓子を買ってくるが、ガンになった詩織には体によくないので食べないものだった。
香織が伊織を呼んだのは詩織は今好きな人がいるらしいからだった。それはかつて香織と婚約していた今野だった。
ところがかつて今野は伊織とも関係を持っていた。


正直、これが一番よかった。
今野は伊織とも再び肉体関係を持ち、「やっぱり体の相性がいい」のたまう、そんないい加減な奴。
詩織が明確に今野を好きなのか微妙だけど、ラストで詩織は抜け始めた頭髪を坊主頭にし、「あたし、卵子を冷凍保存してもらう。お姉ちゃんに生んでもらう。そして育ててもらう」といい、ごまたまごを食べる。
自分がガンだから、将来子供を産めないからと後ろ向きになるのではなく、「楽しく生き抜いてやる!」という明確な意志と決意、そして希望を感じた。
他の2作品にはない強さと希望だ。
確かにそれは根拠のない希望だ。
でも映画にはこういう希望が欲しいし、そういう映画が私は好きである。
橋口監督の「恋人たち」はその「根拠のない希望」があった。そこがよかったと思う。

「EXPAT」(ドキュメンタリー)
監督:ヴァシリエヴァ・アリーナ

ベラルーシから日本に留学してきたヴァシリエヴァ・アリーナ。同じ旧ソ連のロシア出身やウクライナ出身の女子と日本で友人になる。
彼女たちは異国の地で自らのアイデンティテイを探っていく。


またアイデンティティである。
今回の上映会はさしずめ「アイデンティティ探し映画祭」になってしまった。
総論めいた表現になれば「いい加減にしろ」である。
大学生ぐらいでは「自分には何が出来る?自分って何者?」が気になるらしい。私は「自分は自分。自分に出来ることやりたいことを追求していく」という感じだったので「自分て何者?」には悩まなかった。

それは個人的な悩みなので、ドキュメンタリーとして人に見せるものではない気がする。
私にとってはドキュメンタリーは「私の知らなかったことを教えてくれるもの」という意識があるので、その意味ではこの「EXPAT」が一番まともだった。
在日の問題とかは今までに色んな形で描かれる事がおおかったから、あまり目新しさはないのだが、旧ソ連の「ウクライナ」「ベラルーシ」「ロシア」の3国の微妙な関係が感じられて興味深かった。

去年に比べ、イマイチだった作品群だが、来年もまた観たいなと思う。












炎の肖像


日時 2016年2月11日
場所 DVD
監督 藤田敏八 加藤彰
製作 昭和49年(1974年)


鈴木二郎(沢田研二)はロックスター。海で喧嘩して目覚めたらボートの上だった。ボートから降りて女の元に向かいセックスする。
彼女は翌日、線路脇で死体で発見された。
それから数日後、二郎の部屋に父親(佐野周二)がきり(秋吉久美子)を伴って訪ねてきた。父親によると「近所で二郎を訪ねてきたようだったから連れてきた」という。
きりは友達に会ってほしいと、ひろ(原田美枝子)を紹介する。
ひろは自殺した女の妹だという。


沢田研二の初主演映画(タイガース時代は除く)。
この映画は上半身裸のジュリーの前に全裸の女性がうつ伏せで横たわっているポスターを観て印象に残っていた。
(その時は観ていない)。
でもポスターのインパクトでずっと記憶には残っていた。
数年前にDVD化された際に買い求めたものの、DVDを買ったときによく起こる「いつでも観れる」状態でずっと棚においたままだった。
今日、何かDVDを観るつもりだったので、何となく選んだ。


なんだかなあ、というのが正直な気分。
話らしい話はないし、ジュリーがだらだらと移っているだけの映画。タイガース時代のようなアイドル映画にはしたくなかったのかも知れないが、この退廃的なムードはどうよ?
アメリカンニューシネマとか、なんとなく退廃的なムードだったのは分かるけど、この暗さは今は観ていてつらい。

第一、話がよく分からない。
この文章の頭で沢田研二の役名を「鈴木二郎」と書いたけど、二郎とは呼ばれていない。「あんた」とか「お前」とか二人称が多かった気がする。それと「ジュリー」。
映画の上で沢田研二はロックスターらしいのだが、本物のジュリーほどではないらしい。

本物のジュリー人気の設定なら、そう喧嘩には巻き込まれたりしないだろうし。ジュリーは最初の方で食堂の駐車場の車をいたずらしてトラックにぶつけるのだが、そのまま逃げ出してしまう。
なんで車にいたずらするのか意味不明だなあ、と思う。

それでもラストに「ロックンロール・サーカス」というタイトルのコンサートがあってそのライブ映像につながる。
その時の楽屋の入り口には「沢田研二様」って書いてあるからなあ。
鈴木二郎じゃないじゃん。

鈴木二郎というのはDVDジャケットの解説文やムービー・ウォーカー・データベースに書いてあるからなのだが、このムービー・ウォーカー・データベースに書いてある粗筋とは映画は全く異なっている。

変わった映画を作りたかったのは分かるけど、結果としてよく解らない、つまらない映画にしかならなかった。
当時の観客のがっかりしたのではなかったろうか

ジュリーのセックスシーンとかきわどい姿も見れたけど、せっかくだからヒット曲をもっとたくさん聞かせてほしかった。






パールハーバー(PEARL HARBOR THE TRUTH)


日時 2016年2月11日
場所 DVD
監督 
製作 2001年(平成13年)


DVDで発売された52分のドキュメンタリー。
DVDジャケットの表記を観ると「パールハーバー」に便乗して作られたパッチもんDVDのようだ。
タイトルは日本語の表記だと「パールハーバー」だけで、英語表記だと「PEARL HARBOR THE TRUTH」となり「パールハーバーの真実」となるようだ。
ディスクユニオンで200円のセール品(それをさらに10%OFFだった)なので購入してみた。
(監督名の表記はDVDジャケットにも本編クレジットにもない)
元はテレビ放送用の素材だったらしく、時々フェードアウトしてフェードインしたときに今までのおさらいのように「1941年12月7日早朝、日本軍が真珠湾を攻撃した」とナレーションが入る。

パッチもんと思ってバカにしていたが、なかなか侮れない。
ほとんどがカラー映像なのだ。1941年当時アメリカ軍はカラーフィルムを持っていたかも知れないけど、日本軍のシーンまでカラー。おそらくはカラライズしたものと思われる。
山本五十六の肖像写真とか、大和が海を行き波が大きく左右に分かれる映像などもあるから、これもカラライズなのだろう。
また「トラ・トラ・トラ!」のカットも使われていた。

その中で明らかに新撮影と思われるカットが逆に画質が悪かったり、キズがあったりしている。ご丁寧だなあと感心する。

ドキュメンタリーなので、真珠湾攻撃を体験した人のインタビューが入る。(日本兵にインタビューした所は日本語で話す所で英語の音声が被さり、我々はその英語の日本語字幕を読む)
その中で面白かったのは日曜日の朝の攻撃だったから、とにかく無防備だったので最初誰が攻撃してきたかもわからず、「ドイツ海軍がやってきた」と思った者もいたらしい。

そして日曜日の午後には「日本軍がワイキキに上陸した」という噂が流れ、大混乱にまったそうだ。
確かに空襲だけでなく、ハワイ上陸までしていたらその後の戦争の流れも変わっていたかも知れない。

全体的には既存の映画、記録映像のカラライズなどを巧みに編集でつないでおり、そのあたりが見所でした。















オデッセイ


日時 2016年2月10日21:20〜
場所 新宿ピカデリー・シアター1
監督 リドリー・スコット


火星探査ミッション<アレス3>のメンバー6名は火星に到着し、探査を行っていた。ところが嵐に見舞われ、帰還用ロケットが倒壊する恐れが出たためルイス船長はミッションの中止を決定した。
しかしメンバーの一人、マーク・ワトニー(マット・デイモン)は嵐で吹き飛ばされ、宇宙服の破損が報告され生存が絶望しされた。ルイス船長は仕方なくロケットを発信させ、母船ヘルメス号で地球へと向かった。
しかしワトニーは生きていた。
アンテナの部品が突き刺さり宇宙服は破損したが、たまたま突き刺さった部品が栓となり空気の漏れを防いでくれたのだ。
居住施設に帰ったワトニー。食料は自分一人なら400日分があった。しかし次の火星探査チームがやってくるのは4年後だ。それまでなんとか生き延びねばならない。
彼は人糞を肥料に居住施設に火星の土を撒き、ジャガイモを栽培させる。これで食料の見通しはたった。
一番の難問は地球との交信だった。
その頃NASAでも火星の居住施設の付近の物の位置の変化からワトニーが生きていると確信していた。
ワトニーは1997年から使用していない無人探査機のカメラを利用することを思いつく。


昨年の秋ぐらいからこの映画の試写が始まったようで、観た映画関係者から感想が漏れてきた。その中には「リドリー・スコットだからそのうち怪物が出てきやしないかと思ってしまった」とツイートしていた人がいる気がする。

観る前は「マット・デイモンが火星で一人で生きていくだけなら退屈しやしないか?」と思ったがそうではない。
約50日目でワトニーの生存に気づき、彼の行動から無人探査機を利用しようとしてのでは?と気づく。

地球と連絡が取れてからは、補給用ロケットの発射、失敗、中国の援助、ヘルメス号での救助計画、ワトニーの脱出ロケットの危険性、そしてヘルメス号とのランデヴーなどなど難関難関また難関、危機また危機と全く飽きさせないのだなあ。
レイトショーで観たので疲れて途中で寝たりしないかと観る前は心配だったが、全くの杞憂に終わった。

こういったミッションドラマだと誰か犠牲になって一人ぐらい死ぬことがあるが、本作ではそういうことはない。
「ワトニーを救う」ことが目的なので、そのために誰かが犠牲になっては本末転倒なのだ。だから「ミッションのために自分が犠牲になる」という展開はない。
これは実は簡単そうで難しい気がする。

あと中国が補給用ロケットを打ち上げる展開。
「ゼロ・グラヴィティ」も中国の宇宙ロケットで帰ってきたし、中国の宇宙開発技術は日本人が意識してる以上に進んでいる(と少なくともアメリカ人は思っている)のだなあ、という気がした。
何年か前に中国が有人ロケットを打ち上げたとき、石原慎太郎あたりが「あんなの日本だってその気になれば出来る。だから気にすることはない」と負け惜しみを言っていたけど、口で言うだけと実行が伴うだけでは雲泥の差があると思いますから。

そんな映画の評価とは関係ないことを思ったが、期待以上に面白かった。














ちーちゃんは悠久の向こう


日時 2016年2月7日
場所 DVD
監督 兼重淳
製作 平成22年(2008年)


ちーちゃんこと歌島千草(仲里依紗)とモンちゃんこと久野悠斗(林遣都)は幼なじみ¥。ちーちゃんはいつもモンちゃんに無茶ぶりをする。「空を飛んでみたい」というもんちゃんに「じゃあ傘を持って2階から飛んでみれば?」とやらせる。怖い話をして驚かすのもちーちゃんだ。
二人とも高校に入学。モンちゃんは弓道部に入部、ちーちゃんはオカルト研究会に入るが「やる気のある部員がいない」と不満顔。
モンちゃんの両親は不仲で母親は出ていった。父親は「男が出来たんだ!」と酒ばかり飲んでいる。つらそうにしているモンちゃんにちーちゃんは心配する。両親のことを話したら「じゃあ、私がお弁当を毎日作ってあげる」と言ってくれた。
弓道部は先輩が厳しい。でもちょっとイジメに近い。武藤部長は女性だが弓道に向かう姿はりりしい。武藤部長はモンちゃんのことを気にかけてくれる。


この映画は公開の頃から知っていた。2008年1月の公開だが、その頃忙しくて時間が合わなくて見逃していた。
林遣都の映画は基本的に観るようにしていたからだ。
「バッテリー」「ちーちゃん」「ダイブ!!」「ラブファイト」の順になるようだ。主演作2作目に当たる。

この映画、DVDで観たのだが、その際に「本編を観る前に予告編を観てみよう」と予告を観てしまった。
でもこの予告、ちょっとネタバレしている予告編なのだ。
「ラストの驚きの展開!」などとDVDジャケットに書いてあるのだが、その展開が予告を観ると予想できてしまったのだ。

それは(書いちゃうけど)ちーちゃんは実は死んでいるということではないか?と思ってしまった。
そう思って観ていくとちーちゃんはモンちゃんとしか話さないのだ。他のクラスメートと話すシーンがない。
お弁当を食べて屋上から降りてきたモンちゃんがお腹をならす。そうするとちーちゃんは「まだ足りないみたいだね」という。
ここでもう確実である。いくらお腹が空いても少しは食べた直後ならお腹はならないだろう。

で、結局予想通りだった。
これでは映画的な面白さが半減である。
ちーちゃんは実は子供の時にモンちゃんが2階から飛び降りた後で「次はちーちゃんの番」と言って2階から降りるときにバランスを崩して落ちてしまったのだ。それでもう死んでいるのだ。

となるとモンちゃんは相当アブナイ少年である。
父親が途中で手を怪我して帰ってくるのだが、その手はなぜ怪我したか説明はない。映画を観終わってしばらくして気づいたが、あれはDVではないのか?
母親は仕事がうまくいってないのか酒とDVに走るようになった夫から逃げていったのでは?
そう思うと映画の途中で母親が電話をかけてきて「ごめん、もうお父さんとは暮らせない」と言ったのも意味が納得する。

家庭の崩壊がモンちゃんの精神のバランスを崩し、ちーちゃんの虚像を生み出してしまったのだろうか?
そうすると単なるファンタジーなラブストーリーにも思えなくなり、よくわからなさが残る映画だった。

この頃の林遣都はキラッキラである。













恐喝こそ、我が人生


日時 2016年2月7日
場所 DVD
監督 渡辺武
製作 平成18年(2006年)


敬一(曽根悠多)、茂(嶋大介)、亜希(廣瀬麻衣)は車で逃げていた。敬一は撃たれ血だらけだ。
1ヶ月前、敬一と茂は怪しい健康ドリンクを売っていたが、韓国ヤクザより「うちの縄張りで何してる!」と焼きを入れられた。
敬一と茂は親に捨てられ施設で育った身だった。
その時の施設で世話になった後藤(火野正平)にもう一度会いたいと願った。後藤は痴漢をして今やホームレスに転落していた。
後藤は俺たちが這い上がるには悪い奴から金を巻き上げるしかない、すなわち恐喝するしかないと説く。
第一のターゲットは闇金をやっている男。ヤクザへの上納金をごまかしているらしい。そこをついた所あっさり3000万円支払った。
そのころ敬一は最近化粧品のモデルの女が気になっていた。その女、亜希はかつて施設で一緒だった女ではないか?
接触してみたがやはりそうだった。彼女はモデルの陰で事務所の社長の女になり、同時に政治経済の世界に売られていた。
事務所の社長のネタをつかみ、亜希を救い出す3人。
亜希はこのまま3人と一緒にいたいという。
そして次なるターゲットは?


深作欣二監督、松方弘樹主演の「恐喝こそわが人生」という映画があるが、(たぶん)全く関係ない。(深作版は未見なので)
タイトルだけいただいた同名映画だ。
劇場公開作品とDVDジャケットにはあるけど、事実上はVシネマ。

Vシネマは低予算ながら小粒でも味のある作品が少なくないが、これはちょっとがっかり。
テンポが悪いというか、恐喝のディテールが描き込みが少ないのか。脚本にもう一ひねりあったらなあと思う。

最後の大物を恐喝しようとするのだが、敵も大物、単純には脅されない。
脅される側の飯島大介の雇った殺し屋(哀川翔)に狙撃されてしまう。
で冒頭のシーンにつながる。

映画は冒頭に戻って恐喝しかえすのかと思ったら、ここで突然クレジット。
「えっこれで終わりなの?」と消化不良感が残った。
第2話があるからまだ続くとは思うけどね。
1話作って好評だから「2」を作ったのではなく、最初から2本撮りだったのかな?

主演の曽根悠多という方を(私が無知だからだと思うが)全く知らないので、その魅力も理解できずにただただ知らない人が出てくる映画にしか見えない。
もともと火野正平が出演しているということで観たわけだが、スケベさと知的さとミックスしたつかみ所のないキャラクターで実によかった。

彼の活躍を観られただけで満足は出来た。
「2」も早く観よう。
話が続いてるかも知れないし。











不屈の男 アンブロークン


日時 2016年2月6日18:30〜
場所 シアター・イメージフォーラム2(地下)
監督 アンジェリーナ・ジョリー


イタリア系移民の家のルイ・ザンペリーニは子供の頃はイジメにあっていたことが逆に乱暴者にさせていた。
しかし兄に足の速さを期待され、トレーニングを受けるうちに1938年のベルリンオリンピックにアメリカ代表として出場し、メダルこそとれなかったが記憶に残る活躍をした。
1943年、彼は戦争で爆撃機の爆撃手として活躍していた。ある日出撃したが日本軍によって海に落とされた。
乗組員で生き残ったのはルイも入れて3人。
彼らはゴムボートで漂流する。
魚をとって食べ、日本軍機によって機銃掃射を浴びる。
47日後、日本軍の船に救助され捕虜となる。
マーシャル諸島に運ばれたが、やがて東京の大森捕虜収容所に運ばれる。
そこでもサディスティックな渡辺伍長が待っていた。


アンジェリーナ・ジョリーが監督した「アンブロークン」という映画が日本の捕虜収容所を描いていて、「反日的描写がある、許せん」と言われていると最初に聞いたのはいつだったろうか?
「靖国」や「ザ・コーヴ」のような事態になるのか?と言われたこの映画、去年、アメリカ版ブルーレイを取り寄せようかと思った頃に2016年2月に日本公開が決まったと聞き、楽しみしていた。
私は正直反日映画が好きなのである。

「アンブロークン」という映画が公開されるのかと思っていたら「不屈の男 アンブロークン」というタイトルに変わっている。で公開が近づいても朝日新聞にどこかの大学で試写会があり、森達也が学生とティーチインした、という記事を読んだが、別に右翼の街宣攻撃もなく、話題にすらならない。
ネットでもさっぱり話題にならない。
初日が近づいてもそういう動きはなかったし、実際初日に見に行ったわけだが、右翼も反対派もいない。
いつの間にか無視された映画になってしまった。

で見に行ったのだが、いつまで経っても日本軍の捕虜収容所の話にならない。
飛行機が撃墜されて海を漂流するシーンが延々と続く。
鮫が登場するのだが、これが「ジョーズ」ばりの怖さ。
でも小さい鮫を捕まえてボートに引っ張りあげて腹を割いて肉を食べる。最初はボートに止まった海鳥を捕まえて食ってみたが、食えたものじゃない。それを餌にして今度は魚を捕まえるという展開。
この漂流シーンが延々と続きつらい。

いやいやそもそも日本軍の捕虜収容所の話が、メインではないのだ。「不屈の男」のタイトルの通り、どんな過酷な状況にあっても生き抜く男、の話なのだから、海の漂流のシーンも映画としては大事なのはわかる。
でもこちらが期待したのは「反日的なシーン」なのだ。
だから観ていて始終いらいら。

で映画が1時間以上経ってやっと日本の捕虜収容所へ。
最初は多少暴行されて情報を強要されたが、日本本土の東京の大森捕虜収容所に送られる。
へ〜、大森にそういう施設があったとは知らなかった。

その後厳しい渡辺伍長などが出てきたが、捕虜を殴ったりするが、別に無差別に殺したり人体実験をしたりするようなことはなし。
日本軍の宣伝放送をさせられそうになるが、断固拒否。
やがて大森から直江津へ。ここでは石炭の積み込みをやらされる。
で、終戦。

正直言うけどこの程度の描写が反日的だというなら「戦場にかける橋」も「戦場のメリークリスマス」もみんな反日映画である。
いったい誰だ?この映画を反日映画だと言ったのは?
映画のことなど何も知らない無知がそう言ったのだろう。

この映画は実話なのだが、最後にご本人の映像が登場する。彼は「もう一度オリンピックで走りたい」という夢を持っていたが、それがかなうのである。
それは長野オリンピックでの聖火ランナーとしてだった。あのときの聖火ランナーはある程度お金を払えば(審査はあったとは思うが)誰でも出来た。
捕虜生活を送った日本で聖火ランナーをするとは何とも言えない因縁である。

まじめに撮られれた映画だけど、偉人の伝記映画で「ああそうですか、立派な方ですね」としか言いようのない映画だった。
結局この映画の日本公開がなかなか決まらなかったのは、反日だからではなく、「面白くない、興行的期待できない」という理由ではなかったのかと邪推してしまう映画だった。

注)2月9日の朝日新聞朝刊にこの映画についての記事あり。その記事で明治大学名誉教授の越智道雄さんによると主人公が渡辺に材木を担がせるシーンはキリスト教徒にとっては「キリストの受難」に見えるそうだ。へ〜そういう意味があるのか、あのシーンには。










ピンクとグレー


日時 2016年2月6日15:40〜
場所 TOHOシネマズ渋谷・シアター2
監督 行定勲


ごっちこと鈴木新吾(中島裕翔)とりばちゃんこと河田大貴(菅田将暉)は幼なじみ。二人は渋谷で読者モデルとしてスカウトされる。やがてエキストラから始まって芸能界に。ごっちはある学園ドラマでのアドリブが監督の目に留まり、やがて俳優として頭角を表す。
しかしりばちゃんはエキストラの仕事か、ごっちのバーターでたまにせりふをもらえる程度だった。
やがてごっちは若手スターとしてトップクラスの人気者となる。事務所も変わって高級マンションに住むごっちは今や別の世界の人となった。
そんな時、高校の同窓会でりばちゃんは久しぶりにごっちと再会。二人だけで酒を飲む。
翌日、ごっちは自殺した。
マスコミは大騒ぎ。ごっちのことを書いた本はベストセラーになり、映画化されることに。その主演をつとめるのはりばちゃんだ。彼がごっちを演じる。


加藤シゲアキの書いた原作は出版当初の2012年に読んだ。その時私は絶賛している。アイドルが(遊びで)書いた小説、というレベルではなくプロの書いた小説だった。
人気アイドルが書いた小説だから映画会社としてはすぐにでも映画化したかったろうが、これが映画にしにくい話で、「映画化は難しいなあ」と私自身感じていた。

で、4年経っての映画化。主演はジャニーズJrの中島裕翔。この中島裕翔というのは私は名前は知っていたが、どうにも印象が薄い青年で魅力を感じていなかった。
ファンには悪いけど、正直、中島裕翔はよくなかったと思う。
まるでスター性を感じないのだ。
大スターになった青年の役なのだが、どう観ても「大スター」の華を感じない。うそっぽい。

原作がおもしろかったことの一つに芸能界の小ネタだった。ごっちはエキストラで行った現場で「主人公が人を捜してみんなに訪ねまくる、でも知らないって答えてください」と事前に指示を受ける。
ところが本番でごっちは「あっちへ行ったよ」と答え「君、面白いね」と覚えてもらって役をもらっていく、という展開が、正直説得力があった。
ドラマは役があるからそう簡単にはいかないかも知れないが、ジャニーズJrが出演するバラエティでは、「一言がきっかけとなって・・・」というのはありそうな話だ。
原作者の加藤自身もそういう体験は見聞きし自分でも体験してるのだろう。
あとはごっちが事務所を移籍する話。自分の意志ではなく「事務所同士の金のやりとり、前の事務所が借金があったからそれを肩代わりすることが条件だった」というあたり。
タレントの移籍ってそういう事情もあるのかと驚いたものだった。
でも今回の映画ではその辺の小ネタは省略されている。

映画の宣伝文句で「62分目に衝撃の展開!」と書いてある。「衝撃の展開がある」と書いた段階でもうネタバレしている感じは否めないが、どうなるのかと期待はする。

あっ、そういうことね、と思った。
映画は前半でごっち、りばちゃん、さりー(夏帆)の青春劇が繰り広げられる。
首吊りをしたごっちをりばちゃんが発見したところで「はいカット!」の声がかかる。
我々が今まで観ていたのは「映画化されたごっちとりばちゃんとさりーの話」だったのだ。

なるほどねえ。こういう展開は予想してなかった。
このあたりからオリジナルの展開になっていく。
いままでりばちゃんを演じていた菅田将暉は俳優成瀬として登場。夏帆もぜんぜんキャラクターの違う女優として登場。
正直、中島は「売れない役者」としての河田の方が似合っていた。

で、本当のごっちがりばちゃんの幻想として登場するのだが、これを演じるのは柳楽優弥である。
正直、柳楽が演じると存在感というかスター性が半端ではない。
柳楽だったら若きスターと言われても納得だ。

結論として正直、中島裕翔には映画を主演できる魅力を私が見いだせずに、ただただ冗長な映画にしか見えなかった。

そうそう、原作者加藤シゲアキは映画中映画の関係者試写の打ち上げのシーンで行定監督立ち話をしてるカットで登場。出演者としてのクレジットはなく、せりふもなかったが、発見できた。















残穢 住んではいけない部屋


日時 2016年2月6日11:25〜
場所 新宿ピカデリー・シアター8
監督 中村義洋


ホラー雑誌に読者からの投稿を元に短編小説を書いている「私」(竹内結子)の元に女子大生の久保さん(橋本愛)から手紙が届いた。大学の寮を出て東京郊外のマンションで最近一人暮らしを始めたが、奇妙な物音がするという。
再び久保さんから手紙が届いた。和室で着物の帯が畳をこする様がちらっと見えたのだという。
私は数年前に同じような話を聞いたことがあった。過去の読者からの手紙を探して見ると、なんと久保さんと同じマンションだった。ただし部屋は違う。隣とかでもない。
久保さんはこのマンションのことを不動産屋に聞いてみたが、このマンションでは自殺、殺人などが起こったことはないという。久保さんはマンションが建つ前に立っていた家で何かあったのでは?と考える。
久保さんと私は近所の昔から住んでいた人たちに話を聞いてみた。そこには驚愕の事実があった!


ホラーというか怪談もの。スプラッタは苦手だが、こういうミステリー調の怪談はOKだ。
今回は特にミステリー色が強い。今のところ(あくまで今のところだが)久保さんに魔物が襲ってくるというような危機はない。
横溝ミステリーのような過去の因縁を探っていく。

近所の話を聞いていくとマンションの立つ前にはゴミ屋敷になっているおかしな人がいたり、家庭内暴力の少年がいたり、痴呆の老人が床下に食べ物を投げていたり、自殺したご婦人がいたりした。
久保さんの所に現れたのは和服で首吊りをしたご婦人らしい。
しかしそもそも彼女はなぜ自殺するように追い込まれたのか?
(それにしても80年代が「30年前」としてかなり過去になっているのに個人的にちょっと驚く)

そして最後に行き着いたのは北九州の炭坑の火災事故だった。火災の鎮火のために炭坑夫を見殺しにしたその恨みがついているのだった。

こういう風に言われると日本中どこに行ってもなにか歩きがしてしまう。
今住んでるマンションは90年代後半からだけど、その立つ前のことは聞いたことがあるが、さらに前はわからない。
そういった誰にでも起こりうる恐怖、不安をついた題材がいい。

ラスト、全ての元になった炭鉱事故の持ち主の家に行ってみる。夜に行くのである。正直、そんなに急いで行かなくても次の日の明るい時間に行ってもよいのではないか?などと怖がりの筆者は思ってしまう。
でもホラー好きからすると、夜に行くのが画的にいいんだろうな。その方が怖いもん。明るくちゃ怖くない。

全ては明らかになったが解決したわけではない。久保さんの部屋にまた音が聞こえるという。「私」の新居でも人がいないのに人感センサーが反応して電気がつく
クレジット部分でなくなったと思われた北九州から東京へ穢れを運んだと思われる巻物が登場。
まだまだ穢れはなくならないというエンディングで終了。

面白かった。この手のミステリー調のホラーならまた観たい。