2016年4月

   
テラフォーマーズ 夢の女 ユメノヒト ウエストワールド 暗黒街最後の日
クレヨンしんちゃん
爆睡!ユメミーワールド大突撃
スポットライト
世紀のスクープ
評決 バット・オンリー・ラブ
モヒカン故郷に帰る ハルフウエイ ビースト・シャドウ
暴行の爪痕
エヴェレスト
神々の山嶺(いただき)
マネー・ショート
華麗なる大逆転
ドロメ 女子篇 ドロメ 男子篇 暗殺教室―卒業編―

テラフォーマーズ


日時 2016年4月30日14:15〜
場所 新宿ピカデリー・シアター1
監督 三池崇史


西暦2500年代。
人口問題を解決するために人類は数百年前から火星移住計画を進めていた。500年前にコケをゴキブリを送り、地球に似た環境を作らせていた。
やがて探査船バグズ2号が火星に到達した。その乗組員は地球では犯罪者などを集め、ある適合手術を施して送られてきたのだ。メンバーは小町小吉(伊藤英明)、秋田奈々緒(武井咲)、武藤仁(山下智久)ら。
彼らが火星に降り立つと、不思議な生物がいた。
しかし彼らは凶暴で、奈々緒はすぐに殺されてしまう。
一旦バグズ2号に帰る彼ら。地球にいるこの「テラフォーミング計画」首謀者・本多(小栗旬)に問い合わせると、その凶暴な生物は500年前に送ったゴキブリが進化したものだという。
バグズ1号を送ったときに火星にそういうゴキブリをいることが発見されたのだ。小吉たちの任務はそのゴキブリの駆除だという。
それだけではない、小吉たち乗組員全員には地球の昆虫の特徴を受け継ぐ手術をしたというのだ。薬を打ち込むとその力が覚醒するという。
小吉や仁はゴキブリに勝てるのか?


三池崇史監督作品。
三池監督は合うときと合わない時があるが、今回はだめ。
というより企画そのものかも知れない。
完全にリドリー・スコットの後追いだもの。

冒頭、地球で小吉たちが逮捕されるシーンがあるが、これが完全に「ブレードランナー」の未来の地球。
ここで完全に私の気持ちは離れた。
もともと「ブレードランナー」は好きじゃないし、全く同じで能がない。

そしてメンバーたちが昆虫になって戦うのだが、そうすると顔も特殊メイクなどで隠れてしまう。
私はもともと特殊メイクで役者の顔が隠れるのが好きではないので、だんだん乗れない。
だって山下智久の美形を楽しみにしてきたんだよ。
隠してどうなる!

それにそれでなくても小栗旬も過剰なメイクをして気にいらない。
本多には別の目的があって、それは火星ゴキブリの卵を持ち帰ること。それを研究して兵器にしようって「エイリアン」シリーズじゃん。
完全に二番煎じ。

武井咲をすぐに死んじゃうし、たぶんよみがえるかな?と思っていたらラストにちょっと蘇っただけ。ちょっともったいない。

それに火星ゴキブリ。完全CGなのは解るが、個体差がなくどれも同じ顔、同じ体型。
本来なら個体差があって顔や体つきが違って欲しかったなあ。
まあ予算の問題でそうは行かないのは理解しますが。

完全にアメリカSFの焼き直し、パクリ映画でがっかりでした。









夢の女 ユメノヒト


日時 2016年4月29日21:00〜
場所 ポレポレ東中野
監督 坂本礼

永野(佐野和宏)は60歳。18歳で精神病院に入院し38年間病院で過ごす。2011年の大震災で被災し、そのときにもう病気は治っていると解り退院した。その後は喉頭ガンになって声帯を摘出した。
そんな彼は中学の同級生から忘れられない同級生の女性立石幸子(伊藤清美)が東京にいると聞き、自転車で東京に向かう。
中学時代、幸子は「1000円払えば誰とでもやらしてくれる」と言われ、実際クラスの半分は彼女で童貞を失っていた。
福島の避難地域を抜け、東京を目指す。


中野太脚本、坂本礼監督作品。
国映製作のピンク映画風作品。「1BR」などの作品に次ぐようだが、今回はピンクシナリオ大賞ではないらしい。

言ってみれば「初恋の女性に会いに行く男のロードムービー」なのだが、「1000円払ってやらしてくれた女」というのがいい。
甘酸っぱい初恋なんて映画だけの話。
こういう風俗(でもないがそれに近い)で抜いた方がリアルで私は好きです。

幸子に会って幸子の働いている店で大滝詠一の「思い出はモノクローム」を歌う。
もちろん永野は声が出ないのだが、今回はカラオケなので、歌詞はモニターに小さく表示されるので声がなくても彼の想いは伝わってくる。
(このカラオケ映像がオリジナルで亡くなった伊藤猛さんのアーカイブ映像で作った映像に歌詞のテロップが重なるという凝ったもの。まあ知らない人には解りませんが)
初体験の記憶の甘酸っぱさ、というのはこの歌で伝わってくる。(しかもカラオケだから使用料はかからない?)

幸子と二人でホテルに行く永野。
実はその初体験の時は挿入しておらず、手でやっただけだったと解るのだが、「もう一度」と再び手でやってくれる。
そのときの幸子の「永野君のもう一つの人生」を語りながら手でしてくれる姿はジーンとなった。

ロードムービーなので、福島を抜けるとき放射能の高い地域は自転車では通れない。たまたま知り合った女性に車に乗せてもらって抜けるのだが、そこには今や廃墟となりつつある町の風景が映し出される。
坂本監督に聞いたところではこういう風景を記録したかったというのが(本作のテーマとは少しずれるが)やりたかったことの一つだそうだ。

確かに本作の中心は永野君の初恋話で、別に福島を持ってくる必要はない。今福島を持ってくるといろいろと特別な意味を持ってしまうので、いかがなものかと思わないでもないが、311をこういう形でとらえるのも意味はあるだろう。

ところで声が出ないでうなずくだけの佐野和宏はなんだか可愛い。

全体としてよかった。坂本作品でまた一つ好きな映画が増えた。DVDも欲しい。















ウエストワールド


日時 2016年4月24日
場所 DVD
監督 マイケル・クライトン
製作 1973年(昭和48年)


シカゴの弁護士ピーター・マーティン(リチャード・ベンジャミン)は友人のジョン・ブレイン(ジェームズ・ブローリン)に連れられてデロスランドにやってきた。
ここは西部の世界、中世ヨーロッパの世界、古代ローマの世界に分かれていて、それぞれの世界で今まで映画や小説でしか味わうことの出来なかったそれぞれの世界が楽しめるテーマパークだった。その滞在料は1日1000ドルと高額だったが、客はみな満足して帰っていった。
マーティンたちは西部世界、ウエストワールドにやってきた。
ここでガンマンの衣装を着てその世界に溶け込む。そこではガンマン(ユル・ブリンナー)が喧嘩を売ってきてもすぐに撃ち殺すことが出来る世界だ。もちろん女だってやり放題。ただしガンマンも女もすべて高性能ロボットだった。
制御ルームでは最近の故障が話題になっていた。今まで末端の部品が壊れるだけだったが、最近は制御に関する中枢部の故障が多い。
やがて中世の世界では客が女性を口説いても逆にロボットがビンタをするし、ロボット蛇がブレインの腕を咬む。
いったいどうしたのか?


マイケル・クライトンの脚本、監督の映画。
この映画のことは公開時からチラシで知っていたが、今回ディスクユニオンのワゴンセールで100円でDVDが手には入ったのでやっと観てみた次第。
今回改めて気がついたが、テーマパークでアトラクションが人間を襲うっていう基本アイデアは「ジュラシック・パーク」につながるんですね。

この頃アメリカ映画の世界ではまだパニック映画の時代にはなっておらず、低予算のSF映画が流行っていたと思う。
確かに西部の町とか中世ヨーロッパとか古代ローマなんてありもののセットや衣装ですませたのかも知れない。

で映画の方だが、各地で徐々に故障が起こり、現場の技術者の中では「一旦満員を理由に新しい客を断って、ロボットの点検を行うべきでは?」という意見も出るが、却下。

何度もユル・ブリンナーのガンマンが襲ってくるのでマーティンたちは苦笑するが、ブレインが撃ち殺されて異常な事態を自覚する。

だが後半一人のガンマンに追われるだけなので、サスペンスの盛り上がりが足らない。
これがスピルバーグだったら、あの手この手で主人公が危機に陥るだろうが、どうにものんびりしたムードである。

ユル・ブリンナーの黒ずくめのガンマンの不気味さだけが見所で、これ「日本沈没」の同時期公開だったようで、ならば完全に負けている。
スピルバーグが「ジョーズ」で登場するまで、あと少し待たねばならない。















暗黒街最後の日


日時 2016年4月23日19:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 井上梅次
製作 昭和37年(1962年)


丸和産業は表向きは会社だが、実体は暴力団そのものだった。盛り場の飲食店に酒を卸しているが、丸和以外のところから仕入れたら即、店で喧嘩などの騒ぎを起こし営業妨害をするのだ。店側も丸和のことを憎いと思っていてもいざ裁判とかになると報復を恐れて丸和に不利な証言はしなくなる。
そんな時、前社長の中部(鶴田浩二)が仙台刑務所から出所した。東京へ帰る途中、宇都宮で殺されかかる。実は中部が留守中に会社を預かって社長になった弟分の星野(安部徹)の指示だった。しかし星野もすぐに狙撃されたが、防弾チョッキのおかげで助かった。
この関東勢の内紛に乗じて関西シンジケートの三鬼(丹波哲郎)が関東進出を狙ったが、何者かに襲撃される。


学生時代の最後に「いつか浅草の3本立て映画館にふらっと入って何の予備知識もない娯楽映画を観てやろう」と思っていて、それを実行したときにかかっていたのが鶴田浩二主演の暗黒街ものだった。てっきりこの映画と思って再見したが、ラピュタのチラシを観ていて気がついた。学生時代に観たのは「裏切りの暗黒街」だった(たぶん)。
もう切符も買ってあるので、今更どうすることも出来ずに観る。
監督は井上梅次だからそう外れではあるまい。

映画は冒頭から羽田空港での星野襲撃、宇都宮での中部(ナカベと読む)襲撃、東海道のいずれかでの三鬼(ミキと読む)とアクションシーン三連発で豪華なスタート。
早口のナレーションが解説してくれるが、早口なので名前を覚えきれないうちに次に進んでかえって混乱した。
それにしても三鬼の襲撃シーンで、燃える車の中から丹波哲郎が助け出されるカットがあってちょっとびっくり。
スタントマンじゃないんだ。

話はここへ丸和事件担当検事として芥川(三国連太郎)登場。二つに割れる関東に関西勢、さらに警察検察と四つ巴の戦いだ。
芥川と中部は実は学生時代の旧知の中で、金持ちの中部の家に芥川は書生としていたという設定。
二人が遊園地で再会するシーンがあるが、これが観覧車に乗って話し合う。「第三の男」ですね。

そして芥川の妹に佐久間良子。彼女には婚約者がいるのだがこれが忙しくて会ってくれない、と愚痴をこぼす。
誰だろう、きっと安部徹の子分の殺し屋の高倉健が格から言ってその立場か?と思っていたらやっぱりそうだった。

で中部の昔の女で今は星野の下で店をやってる女性に久保菜穂子。警察側に南廣と中山昭二、宇佐見淳也、星野の下のやくざの一人に春日章良、と「マイティジャック」「ウルトラセブン」の出演者という脇役陣が円谷ファンとしては目が離せない。

最後は中部と久保菜穂子の子供が星野に誘拐され、そえで結局中部が折れる。その話をつけに久保菜穂子の店に集まったところで三鬼も現れ、仕舞には三者による大銃撃戦。
いつもの東映アクションの銃撃戦よりずっと長い。

結局やくざ(この映画ではシンジケートの呼称)は全部滅びる。
まさしく「暗黒街最後の日」だった。

ところで中部が丸和を作った理由に「やくざがやくざでなくても食っていけるように会社にしたつもりだった。だが星野が完全なやくざにしてしまった」というせりふあり。
ここで鶴田浩二の正義のやくざぶりを伺わせる。

あとポスターでは鶴田浩二、高倉健、梅宮辰夫の3人が並んでるけど、映画の中の役の格から言ったら「鶴田浩二、丹波哲郎、三国連太郎」だと思う。
わざわざポスターをとらずにありものの写真でポスターを作ったのかな?と思わせる、映画の内容とのギャップを感じた。















クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃


日時 2016年4月23日15:45〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン9
監督 高橋 渉


野原一家は夢を見ていたが、最後には巨大な魚に食べられてしまうという夢を一家全員で見た。
翌日幼稚園に行くと風間君をはじめ、春日部防衛隊のみんなも同じような夢を見たという。
そこへサキという転入生がやってきた。みんなが友達になろうとサキに話しかけるが「私はバカは相手にしない!」と冷たい。

毎年見ている「クレヨンしんちゃん」シリーズ。
実を言うと今回、疲れや体調不良(熱はないが、なんだかだるい)こともあって途中寝ました。

どうやらしんのすけたちの悪夢はサキの父親の夢彦が起こしている。サキが毎晩怖い夢を見るので、もともと夢を研究していた夢彦は近所の人間たちの夢のエネルギーを使ってなんとかする装置を開発したようだ。
以上の部分が寝ていた時の部分。

「怖い夢を食べてくれるバクという動物がいる」という話を亡くなったサキの母親サユリがしていたので夢の中で春日部防衛隊の面々とサキはバクを探しに行く。
そこでは犬のシロやひまわりが巨大になっている。

この大きさの自由さが絵的に面白かった。
そこでバクを見つけたが、夢を食べるバクではなく大和田漠!パンフレットを読むと漠さんの登場シーンは「連想ゲーム」のセットを模したものだったようだ。
そういえばそうだな。

結局バクはいなくて、やっぱりサキの悪夢は自分たちで解決しなきゃと春日部防衛隊はサキの夢の中へ。
サキの悪夢の原因は「母親を死なせてしまったのは自分のせい。だから母親は自分を恨んでいる」というトラウマ。
しんのすけの母親みさえも彼らの夢の中に入り込み、「お母さんは絶対にあなたを恨んでいない」と諭す。

友人を思う気持ち、母親が子供を思う気持ちの強さを感じて、少し感動した。














スポットライト 世紀のスクープ


日時 2016年4月23日12:00〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン2
監督 トム・マッカーシー


2001年7月、ボストン・グローブ紙の新しい編集局長になったマーティ・バロンは「親会社のタイムズからリストラの為に送られてきた」と記者たちは不安な面もちだった。
しかしマーティは教会の牧師による児童虐待の疑い、いわゆる「ゲーガン事件」を調査するように「スポットライト」のチームに命じる。「スポットライト」は日々の事件を追うのではなく、あるテーマについて時間をかけて調査しそれを長期連載で発表するチームだった。
通常「スポットライト」のテーマは記者たちが決めるのが慣例だったため、この指示は異例のことだった。
ロビーをはじめとするチームは今は大人になったが「20年前の11歳の頃に牧師に性器をさわられた、さわらせられた、くわえさせられた」という男性に会う。
また被害者側の弁護士ガラベディアン(スタンリー・トゥッチ)にも会ったが、どうも非協力的である。
記者たちは取材により13人の牧師の虐待を確認した。
しかし精神科医の話では、「牧師全体の6%いてもおかしくない。13人は少なすぎる」。ボストンにいる牧師は1500人、その6%は90人!
記者たちは問題を起こした牧師は病気療養扱いになったりしているので、今度は「病気療養扱い」になった牧師の数を名簿から確かめた。その数87人。


今年のアカデミー作品賞、脚本賞受賞の話題作。
教会の権威や権力に負けることなくその不正を暴いた勇気ある新聞記者たちの物語でアメリカ映画らしい映画で文句のつけようがないし、つける気もない。

教会というものは日本には馴染みがないが、信者が各界の指導者的立場にいれば、その力は付いてくることになろう。
実際、「うちの購読者の50%以上は信者だから」ということで教会の批判には二の足を踏む。

しかし性的被害者の子供たち(今は大人)に会った後、弁護士は言う。「彼らはいい方。なぜなら生きているから」
子供の頃に性的被害に合った子たちはその後、ドラッグに陥ったり自殺したりまともな人生を送れなくなったりする事も少なくないらしい。
事実、記者たちが取材した一人の腕に明らかに薬物の注射の跡らしきものがあり、それを隠すカットもあった。

また彼らは新聞記者。フリーのジャーナリストや雑誌記者ではない。大きな事件が起こればそちらの取材を優先せねばならない。
そのために「全然記事にしてくれない」といった批判や信頼関係への不信にも遭遇する。

「グッドナイト&グッドラック」に匹敵するジャーナリスト礼賛映画だ。
この記事がきっかけとなってボストンだけでなく、全米各地で同じようなことが発覚。ラストで問題が発覚した地名が出てくるが、想像以上に多く数百となるだろう。
ぞっとした。

この映画の主点はあくまで「めげずに告発した新聞記者」を描くことにあろう。
だが、私は別の点に関心を持った。
子供をおそった加害者の方である。
牧師の6%に幼児性愛者がいることになっているが、これは全男性の中にいる幼児性愛者の比率から言って高い方なのだろうか、低い方なのだろうか?

LGBTの方々は、相手がゲイなら相思相愛となって幸せな人生を送ることができることもあるだろう。
しかし幼児性愛者にとって相手と相思相愛になることはまずない。それはエロ小説の中だけの話だろう。
それに相手は大人になっていき見た目の変化は著しい。
幼児性愛者にとってはいつまでも興味が続くか疑問である。

何がいいたいのかというと、つまりは幼児性愛者というのは実に不幸になってしまう存在だなあ、ということ。
好きになってはいけない対象を好きになってしまう。
普通は、たとえば身分違いの愛、というような「好きになってはいけない対象を好きになってしまう」ことはあるだろうし、それは犯罪でもないし周りも許してはくれないにしても理解は得られる可能性がある。

しかし幼児性愛者ではそれは全くない。
だが彼らの欲望は発生してしまう。
彼らの欲望は満たされることはないのか?
世間はそんな彼らを絶対に許すことはない。
彼らは生きていき、幸せになるのはどうすればいいのか?
まだ答えは見つかってないようだが、いつか解決方法が見つかるのを祈るだけである。
















評決


日時 2016年4月17日
場所 DVD
監督 シドニー・ルメット
製作 1983年(昭和58年)


フランク・ギャルビン(ポール・ニューマン)はかつては大手法律事務所に勤め、弁護士として順調な日々を送っていた。しかし「陪審員を買収しようとした」という疑いをかけられ、不起訴になったものの、事務所をやめ今や単なるアル中に成り下がっていた。
そんな時、友人のミッキー・モリッシー(ジャック・ウォーデン)が仕事を紹介してくれた。お産のために入院した病院で麻酔のミスがあり今や植物人間になってしまった女性の医療裁判だった。
フランクはある医師から「病院側のミス。法廷で証言してもいい」と言われ、有頂天になる。その上バーで知り合った美女ローラ(シャーロット・ランブリング)とも関係を持ち、運が向いてきたと思っていた。
病院側は21万ドルの示談を提示してきた。その金額は3で割り切れる数字。通常こういった示談では弁護士報酬は示談金額の3分の1だ。金だけで解決しようとする相手側の姿勢にフランクは裁判に持ち込む決心をする。
相手方の弁護士・コンキャノン(ジェームズ・メイスン)手強い弁護士。
強気に出たフランクだったが、裁判の直前にこちらの証人になる医師が長期の旅行に行って裁判を欠席することに。
果たしてフランクは?


公開は1983年。公開時にも観ている。だから今回33年ぶりの鑑賞だ。滅茶苦茶面白かったという訳ではないが、ファーストカットとラストカットが印象に残っていたので、それを再見したくてDVDを買ったのだが、封を切らないまま数年経過し、やっと観た次第。

ファーストカット、窓の側にある酒場にあるピーンボールでビールを飲みながら遊ぶフランク。このカットが外の風景に露出があっているので、ニューマンは逆光でシルエットになっている。これが妙にかっこいいのだ。

事件そのものの展開はややスローテンポで前半は間延びを感じる。
裁判が始まったが味方の証人は(たぶん敵の妨害で)出廷しない。代わりにやってきた医療ミスを指摘する医師は黒人で(ここらがやはり白人の医師に比べると信頼性に乏しくなるらしい)、「所詮は町医者だろ」と相手に論破されてしまう。

めげないフランクは証言拒否をする看護婦の様子から誰かをかばっていると推理する。問診表を書いた受付係をかばっているのでは?と思い、必死に探し始める。
食後数時間経ってなら今回の麻酔処置は正しいが、食後1時間程度なら今回と同様の処置をすれば嘔吐しそれが気管に詰まり今回のような事故に十分つながる。
結局、問診表では「食後1時間」と書いたのだが、医師がそれを見落としたために今回の事故につながり、問診表も「食後9時間」に訂正させられていた、というのが真実だった。
しかし相手側の弁護士により「その証言は信憑性がない」という理由で却下される。しかし評決は?
という展開。

後半の展開としてローラの正体も重要な要素だ。
実は彼女、相手方の弁護士から送られたスパイだったのだ。
それがバレて裁判の最終弁論の頃にはローラは姿を消す。
判決後、裁判所の外でちらっと彼女を見かけるが、すぐに姿を消す。

ラスト、ローラがフランクに電話をかける。
フランク、電話が鳴り続けるが出ない。コールが何回も続く。ここでカットアウト。
鮮やかなラストカットで非常にかっこよく感じた。
それは今回も同じ。このカットだけでも私には観る価値のある映画だった。

あと蛇足ながら記憶に残っているシーンを。
問診表を書いた看護婦を探すフランクだが、どうしても見つからない。そこで証言拒否をする看護婦の家に行って電話局の請求書を盗んでくる。
それを見て電話をかけた先から問診表の看護婦を見つける、という展開だが、電話の請求書にかけた電話番号が記載されているのが「へー」と思ったのだ。
ナンバーディスプレイのサービスも始まっておらず、電話料金の請求書では月間のみで、各通話の明細金額は出なかった時代だった。だから「アメリカってすごいなあ」と思ったのも今や昔の感がある。















バット・オンリー・ラブ


日時 2016年4月16日19:00〜
場所 新宿K's cinema
監督 佐野和宏


佐々木宏(佐野和宏)は下咽頭ガンで声帯をとる手術をしたため、今は声が出せない。元は高校教師だったが手術した今はこの2年間、家にいて妻・晴美(円城ひとみ)との生活を楽しんでいた。
ある日、結婚した娘の久美子(芹澤りな)が妻が出かけている時に帰ってきた。不妊治療の検査で血液型を調べたところ、宏と晴美の組み合わせでは久美子の血液型はあり得ないというのだ。
何も知らなかった宏は動揺する。「お母さんに事情を聞く」という久美子をなだめ、「お父さんの気持ちの整理がつくまで待ってくれ」と筆談する。
かつての浮気相手・綾子(蜷川みほ)を訪ねる宏。たまたま道で声をかけられたことから知り合った男・山岡(飯島洋一)に娘のことをはなす宏。
山岡からある提案を受けるのだが。


ピンク映画界で活躍し、佐藤寿保、サトウトシキ、瀬々敬久とともにピンク四天王と言われた佐野和宏。その18年ぶりの新作映画である。

佐野さんはグリソムギャングでの上映会やらその懇親会などで何回かお会いしており、その人柄の一旦に触れていた。あえて言うけどそこでの印象はあまりよいものではなく、終始不機嫌そうな印象があった。
それは声帯手術をする前でも後でもそういう印象を受けた。

でも今日も上映後のプロデューサーの寺脇研、中森明夫との3人のトークイベントでの表情は終始柔らかく、ちょっと意外だった。
ああ、そうかあ、グリソムで会ったときの終始不機嫌だったのは自分が映画を作れないことに対するくるいらいら立ったのだろうな、と勝手に合点がいった。(ホントは違うのかも知れないが)
グリソムで会った時も「映画が作りたいのだが出資者を探している」とか後輩の森山茂雄監督作品をやたらとダメだしをしていたり、それはすべては自分が映画を撮れていないことから来ていたのだろうなあ、と今は思う。

また今月は主演作で(本作でも協力した)坂本礼の監督作品「夢の女ユメノヒト」がポレポレ東中野で上映されている。主演作と監督作が同時期に公開されるなんて(偶然とはいえ)なかなかあることではない。
だから映画を撮れないでいた不遇の佐野さんしか知らない私はちょっと佐野さんを誤解していたと言えるかも知れない。

僕自身の佐野さんは監督としてより俳優としての方が好きである。ちょっとねちっこそうな表情は刑事役などをしてもらうと絶品だった。
今回は主演作で、佐野和宏を観てるだけでも十分楽しめる。

映画の中の佐々木宏は高校教師だが、美術館で知り合った女と不倫したりしていて、それほど実直な男ではない。
だから今更「妻が浮気して娘は自分と血がつながっていないらしい」ということを知って動揺するのは、ちょっと受け入れにくい。
まあ自分のことは棚に上げるのが人間だから、こういう反応もありなのかも知れないが。

山岡の提案とは自分の妻(本人に言わせるとパートナー)とスワッピング旅行をしようということ。妻を汚したい衝動に駆られている佐々木にはいい提案だった。
そこで夫婦交換を楽しもうと思ったが、楽しみきれずにその場を離れてしまう。
結局娘から事情を聞いた晴美は夫の最近の不可解な行動を理解して電話で事情を説明する。妻は浮気ではなく、子供が出来ないことから精子バンクから提供を受けていたのだ。
つまり浮気はしていなかったのだ。
家出した晴美を探す佐々木。最後は佐々木の笑顔で終わり、ハッピーエンドを予感させる。

浮気してる男・佐々木に「家族愛の素晴らしさ」を言われてもちょっと違和感を感じて素直に楽しめない私だが、そういう身勝手さが人間か。

映画の途中で声の出ない佐々木が慟哭の叫びをあげるシーンが結構長く続く。
声がでないのに長台詞だから観てるこっちには何にも伝わらない。「ここは字幕でもだした方がいいのでは?」と思ったが、帰る道にパンフレットに載っていたシナリオを読んでみた。
「お前のことを愛していたのに裏切りやがって!」的な台詞が延々と続き、ここは台詞にしない方がいいな、と思い直した次第。

佐野和宏、役柄は限られるだろうが、役者としてもまだまだ活躍してほしい。台詞がなくても重要な役は監督や脚本家の腕の見せ所でいくらでも出来るだろうから。

また佐々木がよく行くバーの客として、柄本祐、川瀬陽太、吉岡睦雄がワンシーンづつ出演。佐々木と山岡が行く昼間からやってる居酒屋の客役で、いまおかしんじ監督がエキストラ出演。














モヒカン故郷に帰る


日時 2016年4月16日13:30〜
場所 テアトル新宿
監督 沖田修一


ヘヴィメタルバンドでボーカルの田村永吉(松田龍平)は売れないままでメンバーもやる気をなくしている日々。解散寸前の頃だが、恋人の由佳(前田敦子)の妊娠をきっかけに一度故郷の広島、瀬戸内海の小さな島に帰ってきた。
7年ぶりの故郷。永吉の父、治(柄本明)は変わった人物で矢沢永吉の大ファン、77年の矢沢の武道館公演で「目が合った!」と自慢し、地元中学の吹奏楽のコーチをしているが、中学生の吹奏楽で矢沢永吉の曲を演奏させるほどだ。
実家の酒屋に帰ってきたら、同じく家を出たはずの弟、浩二(千葉雄大)も家にいる。母親(もたいまさこ)も大喜び。その夜、治は7年ぶりの永吉の帰郷に近所の人を集めての大宴会。しかしその席で治は倒れてしまう。
旧知の医者(木場勝巳)の話ではガンが全身に転移しており、手遅れだと言う。
今までろくに話もしなかった治と永吉だが、最後の時間を過ごしていく。


沖田修一監督作品。ここ数年の沖田監督の劇場公開作品はなんだかんだで全部観ている。でも今回は「モヒカン男が故郷に帰る話」なんて今更感を感じたのでパスしようかと思ったが、千葉雄大が最近気になる俳優なので、千葉雄大目当てで観る。(千葉雄大は「ゴセイジャー」の頃より今の方が男らしさも加味されてよくなってきたと思う)

終始沖田監督らしいユーモアが漂う。自分が入院して、浩二が泣いたりしてその動揺ぶりを見て「ガンなのか?」と永吉と由佳に聞くと。永吉はうなずき、由佳は首を横に振るといったあたりは笑った。

普通この手の映画では父親は厳格な男で「ロックバンドなんて男のする事じゃない!」と理解のないのが定石なのだが、この映画では父親が「矢沢永吉の大ファン」というのが新しい。
真っ白いスーツで中学の吹奏楽に矢沢永吉を演奏させるというのは笑える。

でも母親と由佳がうまくいったりして割と平和である。ここで母親と由佳が嫁姑戦争を繰り広げてくれたら、もう一つ広がったような気がするのだが。

それよりも不満だったのは千葉雄大の扱い。
存在感がきわめて薄いのだ。
そもそもずっと実家にいた存在なのかと思っていたら、セリフの端々からすると浩二も一度は家を出たが、仕事を辞めたのかちょくちょく実家に戻ってきてるらしい。
浩二がなぜ実家に帰ってくるのか、どうも説明がないし、彼の活躍シーンが少ない。

まあ永吉と治の心の交流が映画の主軸なのは分かるが、だったら弟はそもそも不要な気がしてしまう。
それは私が千葉雄大目当てで見に行ってるからそう感じてしまうのかも知れませんが。

そうそうラストカット、クレジットが出終わったあとで瀬戸内を船が進むカットなのだが、これが「家族はつらいよ」にも出てきたラストカットと同じでびっくりした。
「東京物語」を意識していたのだろうか?
ちょっと気になる。














ハルフウエイ


日時 2016年4月10日
場所 DVD
監督 北川悦吏子
製作 平成21年(2009年)


北海道・小樽の高校三年生ヒロ(北乃きい)は同級生のシュウ(岡田将生)から告白を受ける。実は以前からヒロはシュウが近くにいるだけで緊張してしまうほど好きだったのだ。
交際を始める二人。しかし高校三年生の二人にとっては卒業後の進路は重大なことだった。ヒロは地元の大学に進学する予定だったが、シュウは「まだ決めてない」という。
ヒロはシュウの友人タスク(溝端淳平)に「シュウの志望校知ってる?」と聞くと「早稲田だよ。聞いていない?」と言われてしまう。
東京へ進学するつもりなのに自分に告白したシュウを無責任に思うヒロ。それをシュウになじる。
シュウは迷っていた。担任教師(成宮寛貴)に相談するも「一生は長いぞ。彼女がいるからって志望校を変えたら、目先のことにとらわれすぎてないか?」と諭される。
ヒロを想ってシュウは早稲田への進学を止める。
だが今度はシュウの決定についてヒロが悩みはじめてしまう。


テレビドラマ「ロングバケーション」などのヒット作のある脚本家・北川悦吏子の第1回監督作品。
タイトルの「ハルフウエイ」はヒロとシュウが一緒に勉強しているときに「halfway」(途中)を「ハルフウエイ」と読んだことによる。

映画を観初めて映像の感じが「岩井俊二みたいな映画だなあ」と思ってDVDのジャケットをよく見たら「岩井俊二X小林武史プロデュース」って書いてあった。
私は岡田将生目当てで観てるから見逃してました。

しかし岩井俊二がプロデュースするとみんな岩井俊二のような映像になってしまう。実際編集も岩井俊二だから、「セリフの途中でカットを割って、同じようなアングルのカットが続く」という映像など、岩井俊二である。
で、撮影がまた逆光も多く、完全に岩井俊二ワールドだ。
岩井俊二がプロデュースするとそれほど監督の入る余地がないのか?それとも岩井俊二の映画が好きな人が岩井俊二にプロデュースしてもらうのだろうか?

等身大の高校三年生のゆれる乙女心炸裂である。
冒頭の「シュウのことを好きだけど告白出来ない」というヒロの気持ちはやっぱり同世代の子からは「解る解る」と共感を得るのだろうか?
逆光の映像や不自然なカットつなぎがドキュメンタリーの映像を編集していったようなリアル感を感じさせる。

派手な学園祭や修学旅行、キスシーンといった少女コミックのようなシーンはなく、等身大に徹する。
まあそこが好きな人にはたまらないのだろうが、私は手持ちカメラの揺れる映像が苦手なので、好きにはなれない。

話としても書道の先生(大沢たかお)に「お前、なんか悩んでないか」と言われ「自分の友達が彼氏のことで悩んでます」という「架空の友達」の話に置き換えて相談するあたりのもって行き方はさすが人気脚本家である。
私なんか絶対にそういう発想はない。

結局、書道の先生に「東京に行って一回り大きくなった男の方がいいだろ?」的なことを言われて考えを変えるヒロ。
でも次のシーンでいきなりシュウを職員室に連れていって、「シュウを早稲田に入れてください」と頼むところは正直私は引く。
あんな女、ちょっと怖い。

という訳で地味な、登場人物も少ない、高校生の恋愛話。
この頃の岡田将生は美少年の極みだなあ。













ビースト・シャドウ 暴行の爪痕


日時 2016年4月9日17:50〜
場所 光音座1
脚本・監督 山崎邦紀
製作 OP映画


植木職人の水男と見習いの風男、その恋人の石男の3人は山のロッジにやってきた。のんびり過ごす日々の予定だったが、一人で山に出かけた水男はシーツをかぶったような姿の男に無理矢理犯されてしまう。
そのことを二人に内緒にする水男。しかし翌日石男が同じような男に犯されてしまう。それを聞いた水男は「実は俺も被害にあった。もうこの山を下りよう」というが石男は「こっちから逃げるのはイヤだ」と取り合わない。
そんな時、ラガーマンの夢男はかつてシーツをかぶったような男に犯されたことがあったが、自分はそれが夢なのか現実なのか判断がつかなくなっていた。彼は神社で同じようなシーツをかぶったような女性に会う。彼女はそのシーツ男は自分の弟だという。


山崎邦紀作品。何度も言うけど山崎氏のゲイピンクは苦手である。
なにがやりたいのか見えないし、第一どっちを向いて作っているのか?

まずレイプというのが私は苦手です。そして本作では犯されるシーンがシーツの中なので、引いた画ではシーツの中でこそごそやっているだけで何も見えない。
これでは画にならないよ。

そして途中から神社になってシーツ女が登場する。その時に話す男がさっきまでのロッジの3人のうちの一人だと思っていたので、こちらは大いに混乱した。(ロッジの3人とも顔なじみのない俳優なのでよく覚えていなかったのだ。私がバカなのかも知れないけど)

いやそれでなくてもロッジの3人から突然新たな人物が出てきてシーツ女も出てくれば解らなくなるよ。
で女が言うには「自分たちはひどい父親に暴力を受けながら育てられ、終いには性的暴行を受けた。だから弟は父親を犯して出ていった」というような話になる。

ところが後半弟と対峙すると「実は父親に性的暴行を受けたというのは作り話だ。そういう作り話を信じ込み、自分を正当化して父親殺し(だったと思う)をしたのだ」と言い出す。

ああ山崎氏は「記憶の中では妄想と現実がごっちゃになって自分の都合のよい記憶に作り替える」ということがやりたかったのかな?

最後はロッジの3人は「今度シーツ男がやってきたら倒してやる」と意気揚々となる。川遊びをしている時に上流では例のレイプのシーツ男が岩に立ってオナニー。射精したザーメンが川に流れていき、3人が「なんだこれ」と見つける。

そして「オナニーすると風と結婚する〜エジプトの諺」と字幕がでる。
もうよく解らん。
山崎作品は合わないなあ。

同時上映は友松直之監督の「一輪の薔薇」。2013年に観ているので感想はパス。いよいよ一巡してきたのかな。
















エヴェレスト 神々の山嶺(いただき)


日時 2016年4月8日21:45〜
場所 新宿ピカデリー・シアター4
監督 平山秀幸


1993年、山岳カメラマンの深町誠(岡田准一)はヒマラヤ登頂隊にカメラマンとして参加したが、二人の死者を出したために中止となった。ヒマラヤふもとのカトマンドゥの骨董屋で古いカメラを見つける。それはヒマラヤ初登頂を目指して遭難したマロリーのものではないかと重い購入する。しかし直後にやってきた二人の男にそれは盗品だと言って取り替えされてしまった。二人のうち一人は日本人で伝説の登山家・羽生丈二(阿部寛)ではないかと深町は思う。
帰国後、深町は羽生のことを調べ始める。かつてのパートナーは羽生のことを「天才的な登山家だが、人間としては最低」と言い放つ。
その後も羽生を知る人に話を聞く深町。全員の話は彼の登山家としての実力は認めつつ、一種の狂気を秘めた男と感じさせた。
彼はかつて遭難しかかった時、ザイルパートナーの岸文太郎(風間俊介)を見殺しにしたという噂があった。しかし岸の妹涼子(尾野真千子)によると羽生は岸の死後、毎月涼子の元にお金が送られてきたという。それをきっかけに二人の交際が始まったが、数年前、ヒマラヤに行ってそのまま失踪したという。
マロリーのカメラ、失踪した天才登山家、スクープを追って深町は再びヒマラヤへ。


岡田准一主演作として注目していた映画。3月12日後悔だが、時間が合わず見逃していた。というかいまいち食指が動かなかったのだな。岡田准一主演でなかったらパスしていたかも知れない。

というのは私は「出かけるのはせいぜい映画館という」完全なインドア派なので、山登りというようなアウトドアには興味がない。岡田准一も髭面だしなあ。

金曜の夜という疲れがたまっている時に観たので、余計にテンションは下がる。それでも評価したいのはヒマラヤロケだろう。
スタッフ、キャスト(当然岡田や阿部、尾野も)標高5000m以上のロケ場所まで10日以上かけて歩いて向かう。
山なんてろくに登ったことがない者もいる中で、これはすごいなあと単純に思う。
それは評価する。それだけでも賞に値する。

でも観ていて思ったのは山登りに対する執念はそれはスポーツと同じなのだなあということ。
どんなスポーツだって「人が出来ていないことをする」ととが挑戦の目的だ。
それは人間の生きている存在証明になるのだろう。
どんな分野、世界の人間だって「他人には出来ない(出来なかった)何か」をやり遂げようということがモチベーションになる。

そのことを改めて感じさせる。
で、映画として面白かったかというと私にはそれほどでもない。
そもそもドラマが作りにくいのかも知れない。

前半は羽生の話を聞く深町のシーンの連続で、回想シーンばかりで話が面白くない。
これは「羽生のライバル」的な人物を主人公に据えれば彼らの長い間のライバルのドラマになったかも知れないが。

映画は後半、深町がエヴェレストに行き、羽生を発見する。例のカメラもマロリーのものらしい。
羽生を撮るために深町もエヴェレストに同行する。しかし深町は事故を起こし、それを羽生が助けた段階で、羽生は誰も上れない壁を登っていく。
一旦帰国した深町だが、やはり羽生を探しに再びエヴェレストへ。そして羽生の遺体を発見する。
「山への挑戦」の羽生の狂気にも似た想いを理解した深町だった、という展開。

とにかくヒマラヤロケの実際に行ったのはすごい。
実景以外のシーンはセット撮影も多かったろうが、それとの違和感(つまりセットや合成が丸わかり)というのも立派である。

発見された羽生の遺体は凍り付いている。
目を開けたまま凍っているので、「あるいは人形かも?」と思ったが、パンフによると阿部自身が遺体を演じているそうだ。
冷凍倉庫での撮影だったようだが、目を開けたままじっとしているその役者根性は賞賛に値する。















マネー・ショート 華麗なる大逆転


日時 2016年4月3日18:30〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン5
監督 アダム・マッケイ


2005年、投資家のマイケル・バーリ(クリスチャン・ベール)はAAAの格付けの債権の中に低所得者向け住宅ローン(サブプライムローン)が多く含まれていることに気がついた。サブプライムローンが破綻すれば、多くの金融商品も破綻する、そう予測し、住宅ローン証券の「空売り」を決意する。
同じく銀行家のジャレド・ベネット(ライアン・ゴズリング)も同じことを察知し、偶然知り合ったヘッジファンド・マネージャーのマーク・バウム(スティーブ・カレル)に同様の投資を進める。
20代の投資家コンビ・ジェイミーとチャーリーもこの住宅ローンの破綻に気がついていた。二人は旧知の元銀行家ベン・リカート(ブラッド・ピット)の協力を得て大儲けをたくらむ。
やがて住宅ローンの焦げ付きが始まったが、各種金融商品の価格は一向に下がらない。


「マネー・ショート 華麗なる大逆転」というタイトルを聞いて「なんかB級の詐欺師映画みたいだなあ」と思って(というか意識していなかったのだが)、ツイッターでの評判は悪くない。しかも2008年のリーマンショックを題材にした映画と言うことで、観に行った。

正直言うけどまず「空売り」というのが理解出来ない。
金融のプロ(銀行勤めとか証券会社勤務とか)なら用語の意味、それをすることの可能性など理解できたかも知れないが、こちらにはさっぱりである。

ただ主人公たちは「住宅ローンの破綻が各金融商品の破綻につながる」ということを察知し、大儲けをたくらんでいることは理解できた。たぶんそれで十分だと思う。

具体的によく解ったのは、マーク・バウムのチームが住宅ローンの実態を調べに行ったところ。
住宅の持ち主はローンを10ヶ月滞納している、しかしすんでいる人は家賃はちゃんと払っているという。(ラストでこの家族が路頭に迷っているシーンが登場する)
そしてみんな住宅を転売目的で買っているが、売れなくなってきている。無審査でどんな人にも(ストリッパーにも)多額のローンを貸し出し、彼らはその危険性を解っていない、などなどの実態が暴かれる。

そう、現場に行けば解ることもあるのだ。

住宅ローンの破綻が始まっても他の金融商品の下がらない、格付けも変わらない。
マークたちが格付け会社に怒鳴り込むと結局は「銀行とは古いつきあいだから格付けを下げることは出来ない」という。
何のことはない、格付けというのは正当な理由での格付けではなく単なるお付き合いでの相場なのだ。それでは格付けを信用して債権を買った人はどうなるのか?

結局。金融商品は破綻し、リーマンブラザーズなどの大手は破綻する。大儲けした主人公たちはみんな沈痛な面もちだ。
それはブラッド・ピットのベンが若い二人に言ったように「我々が儲ける事態になるということは多くの人が失業し、破産するんだ」

そして映画は政府、金融機関の人間はほとんど罪を問われなかったと告げる。
なるほど、みんなつながって助け合っている。

僕自身、ある時から(たぶんこのリーマン・ショック)から金融商品を信用しなくなった。株式市場も始まったころは「資金はないけどいい商品、いい技術を持っている」人たち(会社)に対する資金提供の場だったが、今は完全に金が金を生むなんだか解らないものになってしまった。
いや、解らないものではない、単なるギャンブルである。

金を貸して利息で儲ける。ビジネスのようだが、これは「約束通り利息を払って返済する」ということが大前提だ。
そうなる保証はどこにあるのだろう?
これはもうギャンブルである。

金融はギャンブルだ。
名前や歴史でなにやら格付けをしているが、基本ギャンブル。「たぶん返してくれる。その確率は高い」ということにすぎない。しかしたまにはそれははずれる。
それが金融危機である。

映画は時々登場人物がカメラを向いて解説をするという普通はしない手法を取る。それだけわかりにくい話なのだろう。
私は「空売り」でつまづいたので、あまり深く考えないようにした。
気になったのはカメラがぶれて時々ズームアップしたり、ズームダウンしたりすること。こういう安定していない画の映画は苦手です。

とにかく人間は地道に体を動かして何かを作って(あるいはサービスをして)対価をもらわなければいけません。
金融は「信用」という賭率に頼るギャンブルです、絶対。













ドロメ 女子篇


日時 2016年4月2日21:00〜
場所 シネマート新宿・スクリーン2
監督 内藤瑛亮


山の上にある男子高・泥打高校演劇部は来年合併する女子高・紫蘭高校と共同合宿を行った。
小春たち女子生徒が到着。
実は数ヶ月前、この高校の女教師が行方不明になっていた。この地域にはドロメと呼ばれる幽霊の伝説があり、その仕業ではないかと言われていた。
ドロメは昔々、農民が土の中から観音像を掘り出した。祠を作って祭ったが、翌日また土に戻っていた。掘り返し再び祠に安置したが、また土に戻る。そこから泥が好きなんだろうとその観音様に泥をぶつけると願い事がかなうという伝説が生まれたのだ。そしてその観音様の首がなくなることがあった。それから人がいなくなることがあったのだ。それが言い伝えとなって、女教師の失踪もドロメと関係があると言われている。
小春たちの部屋に顔のようなシミが出る。そのシミは何度消しても数時間後にはまた現れている。
このシミは何なのか?


内藤瑛亮監督の新作。
今度は「女子篇」。時間の関係で「男子篇」を先に観てしまったが、「女子篇」を先に観た方がよかったと後悔した。

というのは「男子篇」では話の中心的役割だった、颯太の母親の幽霊が登場しないのだ。
だから颯太に女子が近づくと女子が後ろから引っ張られる、颯太がおびえる表情をする、ということの答えがない。
「男子篇」を先に観てしまうと「犯人を知ってる状態で推理小説を読む」状態になってしまうので、少し楽しみが減る。

女子篇の方が本来の対決すべき幽霊、ドロメやもう一人の幽霊の正体が中心に描かれる。
そう考えると「ドロメ」の正篇はこの「女子篇」で、「男子篇」はむしろスピンオフ企画と言っていいかも知れない。

3ヶ月前に行方不明になった女子教師は実は演劇部顧問の男子教師に殺害されていた、殺害をドロメの仕業にしようとして演劇部教師が観音像の首を落とした、という訳。
黒いシミは殺された女子教師の怨念であり、首をはねたからドロメが登場したとなる。

そういう「幽霊」という即物的な恐怖もそうだが、女の子同士の心のゆがみも面白い。
小春は中学時代に颯太に告白しようとして颯太は母の幽霊が現れて逃げ出したのだが、そのことを親友ではなく先輩に話してしまう。それを知った親友が「あたしに最初に話してくれると信じていた」と言うところ、二人の先輩が「小春ってメンヘラでちょっとうざい」という内容の話をしてるところ、女子同士のちょっとした心のゆがみが怖かった。
即物的な恐怖だけでなく、こういった「心の恐怖」が出ていて、そのあたりが内藤監督らしいと思う。

「男子篇」ではドロメ、女教師だけでなく颯太の母の幽霊まで登場し、盛りだくさんなホラー映画になったと思う。

面白かった。













ドロメ 男子篇


日時 2016年4月2日14:55〜
場所 シネマート新宿・スクリーン2
監督 内藤瑛亮


山の上にある男子高・泥打高校演劇部は来年合併する女子高・紫蘭高校と共同合宿を行った。
星野颯太(小関裕太)や二人の男子生徒はは女子との合宿を楽しみにしていた。そこへOBの津田も加わった。
小春たち女子生徒がついに到着。しかし星野はそんなとき例の幽霊を見ていた。また他にも幽霊が現れる。
実は数ヶ月前、この高校の女教師が行方不明になっていた。この地域にはドロメと呼ばれる幽霊の伝説があり、その仕業ではないかと言われていた。
ドロメは昔々、農民が土の中から観音像を掘り出した。祠を作って祭ったが、翌日また土に戻っていた。掘り返し再び祠に安置したが、また土に戻る。そこから泥が好きなんだろうとその観音様に泥をぶつけると願い事がかなうという伝説が生まれたのだ。そしてその観音様の首がなくなることがあった。それから人がいなくなることがあったのだ。それが言い伝えとなって、女教師の失踪もドロメと関係があると言われている。
たびたび幽霊を見る颯太。颯太の母は亡くなっていたが、彼女は颯太を溺愛するあまり、女の子と会話することを許さなかった。しかし死んでも幽霊となって颯太が女子と話す度に現れる。


内藤瑛亮監督の新作。
低予算らしいが男子篇、女子篇の2部構成。普通なら男子と女子をカットバックでつなぐが本作は別々の視点からの映画としている。
同じ予算で映画を2本作れば入場料は倍もらえるとい滅茶苦茶な(?)発想。
映画を作る方もあの手この手を考える。
最近流行の2部作(これは「ハリー・ポッター」の最後と「僕等がいた」から始まったらしい)の「長大な原作をまとめるのに必要な手法」から「少ない予算で少しでも儲ける手法」に変化している。
それを非難する向きもあるけど、「社長」シリーズってみんな2部作だぞ。

ホラー映画では登場する幽霊は普通一つ(1種類)だが本作ではなんと3種の幽霊が登場する。
まず颯太の母親。
颯太に対する独占欲が強く、(なぜ彼女がそうなったのかの説明はないが)生きてる間は怒られるが死んでからも幽霊になってその独占欲は変わらない。

ドロメそのものより母親の幽霊との対決が話の主軸になってるくらいだ。

映画中で演じられるのが「シラノ・ド・ベルジュラック」なのだが、ラストでは通し稽古のため衣装をつけるのだが、中世の騎士のような衣装で幽霊と対決する様はなんだか楽しい。

全体の感想は女子篇で。
















暗殺教室―卒業編―


日時 2016年4月1日21:20〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン1
監督 羽住英一郎


タコ型超生物で椚ヶ丘中学3年E組の担任・殺せんせーと生徒たちは文化祭を迎えようとしていた。初めての文化祭に殺せんせーは大喜び。しかし多くの人が訪れる文化祭はせんせー暗殺のチャンスでもあった。
凄腕のスナイパー・レッドアイを送り込むも失敗。せんせーは演劇「桃太郎」を大いに楽しんでいた。
しかし文化祭終了後、茅野カエデ(山本舞香)が首から触手を生やし、殺せんせーを襲い始めた。そして自らを「雪村あぐりの妹」と話し出す。
彼女の正体は?そもそも殺せんせーは一体何者なのか?


昨年3月公開の「暗殺教室」の続編にして完結編。
撮影は昨年10月頃クランクインしたようだから、やはり前作公開後に撮影したようだ。最近は2部作作品は多いが、それはまとめて撮影し、公開は数ヶ月ずらすということが多い。まとめて撮影できない理由でもあったのかな。

で、殺せんせーの正体。
前作で「地球を破壊にきた宇宙人」と紹介されていた気がするが、なんと実は地球の人間。
「死神」と呼ばれる殺し屋で戸籍がないので年齢、出身地不詳。逮捕され、成宮寛貴のマッドサイエンティストによる生体実験の結果生まれた人間だったのだ。
つまりは「ガス人間」や「電送人間」と出自は同じである。

そうかあ、だから他にも触手がある人間が登場するのか。
政府は「宇宙人」ということにして自分たちの秘密は隠していたのですね。
そして雪村あぐりというE組の元担任は「死神」の監視役も勤めており、その際に「死神」と心を通わせてしまった、という縁。事故で雪村先生は亡くなり、その意志をついでE組の担任になったのだった。
なるほど、全部わかりました。

前作はとにかく色んなやつが登場して殺せんせーを殺そうとするアクションにつぐアクションで逆に細かいことは覚えていない。
今回は殺せんせーの出自を知った潮田渚(山田涼介)たちが先生を助けようとするのだが、そこに成宮のマッドサイエンティストが現れ・・・という展開。

最後はみんなで殺せんせーを助けたい、でも殺してもらうことが先生の願い、という葛藤に悩まされながらも涙の大団円。
思わずこちらもうるっとした。
金八先生並である。

山田涼介が圧倒的美少年で画面をさらう。
学園祭の演劇のシーンでは彼は背景の「木」の役なのだが、それでもどこにいるか解る。(あの芝居、桃のせんせーを切らなければ話が進まないのに先生は逃げて切られない。そういう新解釈のドラマなのか?)

加藤清四郎の触手のある少年が単なる生徒1になってしまったのが意外。もう前作で活躍は終わったのか?

とにかくアクションにつぐアクションでバタバタしてるだけの印象がある前作だが(というか細かい話は覚えていない)、今回は涙涙のドラマになっており、完結編にふさわしい内容だったと思う。