あゝひめゆりの塔日時 2016年6月26日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 舛田利雄 製作 昭和43年(1968年) 昭和18年、女子師範の与那嶺和子(吉永小百合)や比嘉トミ(和泉雅子)は男子師範の西里順一郎(浜田光夫)と知り合う。 女子師範の運動会は家族しか見学できず、和子の弟を使って西里は校内に紛れ込んだのだったが、見つかってしまい、受付の女子に糾弾され謝る羽目になっていた。 戦争はまだこの沖縄にはやってこなかったが、徐々にやってきていた。学童疎開が始まったが、その中でも対馬丸が敵潜水艦によって沈没させられていた。 和子の母も教師で、その疎開の引率で対馬丸に乗っていたのだ。「きっと生きてる」和子はついつぶやいたが、弟は「お袋は先生だ。生徒が死んで自分だけ助かっている訳がない」と否定する。 10月、那覇空襲。やがて3月の卒業と同時に和子たちは南風原陸軍病院に看護婦として昭喜名先生(二谷英明)と共に徴用された。 4月1日、ついに米軍が上陸する! 訳あって今沖縄戦についての本を読んでいる。ついでに映画も観ようということで、おなじみの「ひめゆりの塔」を。これは日活で映画化された「ひめゆり」もの2作目。 監督は舛田利雄。 前半はのんびりとしていて女子師範の運動会に男子生徒が潜り込むエピソードが出てくる。この生徒が浜田光夫と藤竜也など。浜田光夫が出てくるので、「やっぱり日活らしい青春路線か」とすこしげんなりしたが、二人の恋物語は特別には発展しない。「ちょっと想い合っていた」程度である。 対馬丸のエピソードで弟が「母が生徒を残して生き残る筈がない」と主張するシーンは堪えた。肉親なら「きっと生きている」と思いたいもの。それを一瞬に否定されたのだから。 そして映画が始まって1時間ぐらいで看護婦勤務に。 ここからは怒濤のごとくの試練が待っている。 絶え間ない機銃掃射。食事や水を運ぶだけでも命がけだ。この機銃掃射で吉永の弟や、浜田光夫の友人の藤竜也も死ぬ。 足を切り落とすだけの野戦病院。 そして司令部移動に伴う雨の中の病院の移動。 知ってる話とはいえ、病院に生徒を残し、その生徒が青酸カリを飲む姿は観るに耐えない。 (この病院に生徒を残すエピソードは「沖縄決戦」にも出てくるが、何か出典があるのだろうか) 南部の洞窟での生活、そして軍による解散命令。 やっぱりあそこで解散はまずい。師範の校長は南部撤退の時点で解散命令を司令官に懇願するエピソードが出てくるが、そうすべきだったと思う。 生徒に解散命令を伝えようとして命を落とす校長も人格者である。 そしてラスト、ついに解散して逃げようとするが米軍の攻撃に合う。何とか逃げ出した和子も最後は手榴弾で自決。 沖縄戦についてはある程度は知ってるけど、改めて観ると悲しみと怒りがわいてくる映画である。 MARS〜ただ君を愛してる〜日時 2016年6月25日13:10〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン1 監督 耶雲哉治 麻生キラ(飯豊まりえ)はある事件から男に対して恐怖感を抱くようになった。そんなキラを零(藤ヶ谷大輔)は愛するようになった。零は今まで気楽に女と付き合ってきたが、今回のキラに対する気持ちだけは真剣だった。 そんな零を見つめる人物がいた。桐島牧生(窪田正孝)。彼は零の強さに惹かれており、時折凶暴なまでに相手を倒す零に対し、独占的な感情を抱いていた。 キラの出現によって零が優しい男になっていくのを耐えられない牧生はキラの過去を調べる。実はキラは母親が再婚した際に新しい父親にレイプされていたのだ。 自分が知ったことをキラに告げる牧生。そして零にもそれを告げる牧生。 しかしそんなことでキラと零の気持ちは変わらない。 藤ヶ谷大輔、窪田正孝の共演作。ポスターを見て思わず前売り券を買ってしまったが、チラシなどを見ると日本テレビで放送されたドラマの続きを映画公開だという。 ドラマの方は全く見ていないで、細かいところはさっぱりだ。 でも話が分からないということはなかった。 映画ではちらっとしか出てこないが、零には双子の弟がいて(これが映画で見る限るではちっとも似ていない)、その彼と牧生は仲がよかったが、弟は自殺した。 そのことを気に病んでいる、という伏線があるらしい。 でもドラマは観ていないので、さっぱり分からない。 それにテレビドラマの手法を踏襲したのか、回想でついさっき出てきたシーンがカットインされるのが気になった。 前から思ってるけど、テレビドラマは途中から見る人もいるから、こういうインサートは必要かも知れないが、映画は始めから観ることが前提だからいらないだろう。 同様に登場人物の独白が非常に多い。 これもテレビ的手法なのか。 出演者について。 藤ヶ谷大輔の演じる零(少女マンガらしいキラキラネームだなあ)は怒って喧嘩になったら狂気の強さが出るキャラクターらしいのだが、そうは見えないなあ。もうちょっとヤンキーっぽいイメージなのかな。 それに第一藤ヶ谷大輔ってKis-my-ft2のメンバーだが、このキスマイ字体がジャニーズの中でも格下、B級でその中でもメインではない。その程度の人だから台詞は下手だし、どうにも魅力が乏しい。 ジュニアの頃から知ってるから、主演映画を持つようになったかという感慨はあるけど、華の少なさは否めない。 そして飯豊まりえに至ってはどんな顔だったか思い出せない。たぶん他の映画で観ても思い出せないだろう。 ではこの映画に全く魅力がないかというとそんなことはない。 窪田正孝が狂気の愛情を見せてくれる。 優しい笑顔で残酷なこと言う窪田正孝は実に怖いし、魅力的である。さすが実力派窪田正孝。 最近は映画テレビに出演しまくりでファンの私も追いきれない位だ。 ゲイ(と言っていいのか今回は)の役は「エイプリルフール」に続いて2回目だが、零を愛し、キラを憎むその姿は実にすばらしい。 ラストには零を刺してしまうのだが、それも納得の迫力で演じきる。彼にとっても代表的な作品と言っていい。 でも牧生に刺されて死んだと思った零がラストではピンピン生きているのはちょっとどうよ? まあどうでもいいけどさ。 クリーピー 偽りの隣人日時 2016年6月24日21:15〜 場所 新宿ピカデリー・シアター5 監督 黒沢清 犯罪心理学を身につけた刑事として活躍していた高倉(西島秀俊)だったが、あるサイコパスを取り調べ中に逃亡させてしまい、その途中で一般人を殺させてしまうという失態を犯した。そのサイコパスは射殺されたものの、その事件がきっかけで高倉は刑事をやめ、今は大学で犯罪心理学を教えていた。 ある日、助手の誘いで日野市で起こった一家3人失踪事件の現場に行ってみる。「何かある」直感で思う高倉。 その頃部下だった野上(東出昌大)もこの日野市の事件について相談を持ちかけた。失踪した3人には末に妹・早紀(川口春菜)がいて、彼女の話を聞いてほしいと。 高倉は早紀に会うが、彼女はもう思い出したくもない様子だった。問いつめて聞き出したことは、「母は誰かに操られていた感じがした」「私が修学旅行でいない時をねらっていたようだった」 高倉は引っ越した。妻の康子(竹内結子)と隣の西野(香川照之)に挨拶に行くが、どうにも会話がかみ合わず、いやな印象である。 西野には中学生の娘・澪(藤野涼子)がいた。彼女はある日高倉に言う。「あの人お父さんじゃありません。全然知らない人です」 黒沢清のホラーチックなミステリー。以前「回路」とか「叫び」とか観たときに「ちょっとイメージシーンに走りすぎてるな」という印象があったが、今回はミステリー。 未解決の一見単なる失踪事件、そしてなにやら怪しい隣人。 香川照之がホントに怖い。 正直、ちょっとエキセントリックすぎる気がしないでもないのだが、それでも香川照之はこういった役が不気味でうまい。 高倉が早紀を追いつめて質問していくシーン。 照明のトーンもワンカット中で変わっていき、迫力の映像だ。 途中、康子がどのように西田に取り込まれていくかもう少し詳しく描いてほしかった気がしたし、隣の田中さんと西野の関係もちょっと疑問に残る。 また野上が単独行動を取って結果的に死んでしまうとか、高倉も元刑事なんだからもう少しうまく警察を動かすことが出来なかったのかとか、西田に取って家の並び方が意味があるらしいのだがそれは何故か、などちょっと気になる点も2、3ある。 (その辺を知りたければ原作を読めばいいのかな) しかし後半になって西田の正体も明らかになり、康子や高倉も捕らえられ、澪もあてにならないあたりの後半は怖かった。 このまま西田の思い通りになって映画は終わるのか、と思いながら観ていて、つい「あと何分映画はあるのか?逆転する時間は残されているのか?」とつい時計を観てしまう。 「早く終わらないかなあ」と思って映画を観ることは多々あるが、こういった気分で時計を観るのは珍しい。 ラスト、拳銃を持たされた高倉。「撃てよ!」と私が心の中で叫んだちょっと後に撃ってくれた。 正直、ほっとした。 あのまま西田が勝っていたら後味悪すぎる。 澪も康子もとりあえず西田に合わせて脱出の機会を伺っていてようでよかったよかった。ハッピーエンドで終わってくれてよかった。 帰ってきたヒトラー日時 2016年6月18日11:35〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン3 監督 デヴィッド・エンド 製作 2015年(平成27年) ある日、アドルフ・ヒトラー(オリヴァー・マスッチ)は街の片隅で目が覚めた。なんでここにいるのかさっぱり解らない。空襲もない。どうやら敵とは休戦してるようだ。 でもなんか変だ。街角の新聞スタンドの新聞を見ると今は2014年!行くところもなく、仕方なくこの新聞スタンドの世話になることに。 民法のマイTVの契約ディレクター・ザヴァツキ(ファビアン・ブッシュ)は局内の出世争いの余波を受けてクビになった。今まで撮影したビデオを再生していたら、画面の隅にヒトラーそっくりの男が写っている。 早速その男を探し出すザヴァツキ。この「ヒトラーのそっくりさん」を連れて全国を旅する番組を作ってみよう。マイTVの副局長ゼンゼンブルグ(クリストフ・マリア・ヘルプスト)に売り込んだが、反応が悪い。仕方なくザヴァツキは母親に頼み込み、金を工面して番組を作って売り込むことにした。 全国を旅するザヴァツキとヒトラー。予想に反して人々はヒトラーに否定的ではなかった。 やがてマイTVのバラエティ番組に出演し、高視聴率を稼ぐヒトラーだったが。 ヒトラーが何故か現代に蘇る、というドイツで2012年に出版されたベストセラー小説の映画化。2015年に映画化された。 観ていて「ああ日本もドイツも同じような問題を抱えているんだなあ」と実感。若者の貧困やら、出生率の低下、移民の排斥運動などなど。移民の排斥は日本ではちょっと違う形でヘイトスピーチになって現れていると思う。 同じようにアメリカでも起こっている。それは先日観た「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」を観ればよくわかる。 (そして多くの人が指摘しているが、2016年現在のアメリカ大統領選でのトランプ人気に「ヒトラー的なもの」を感じるだろう) 前半、ヒトラーが各地で人々と対話するシーンなどは(パンフレットを読んで知ったが)、ドキュメンタリー的に実際にヒトラー役の俳優が人々の前に現れて撮ったものだという。だから顔にモザイクがかかってたりしてるんだ。 政党の党首やジャーナリストと対談するシーンがあるが、あれもドイツでは有名な人々らしい。つまりは田原総一郎や橋下徹と対談するシーンがでてくるようなものらしい。 ドイツ在住の方にはきっと爆笑だったと思うが、日本ではその面白さは分からない。 映画の方はヒトラーはテレビに出て大受け、でも局内の出世争いのためにゼンゼンブルグがヒトラーが旅の途中に噛みついた犬を殺したことを暴いたために一時干されてしまう。しかし暇になったのをいいことに本を書いたらベストセラー。ちょうどヒトラーがいなくなって視聴率低迷の折りにゼンゼンブルグは「もうほとぼりは冷めたろう」とテレビに戻すことに。 ヒトラーの本を映画化中のザヴァツキは彼が「ヒトラーの物まね芸人」ではなく「本物のヒトラー」と確信する。 ゼンゼンブルグが視聴率低迷で困っているときに例のユーチューブで「総統閣下はお怒りです!」のパロディをしたのは笑った(場内も一部の人は大爆笑だった)。 あれはとにかく日本以外でもネタにされているのだな。 最後にユダヤの生き残りの認知症のばあさんが「ヒトラーめ!」とののしるあたりから、なんとなくヒトラーよりだった観客の心を元に戻す。 ザヴァツキとの最後の対決で「私を生み出したのは大衆なのだ」と「ヒトラーはみんなの心が生み出した怪物」と結論づける。 そしてアメリカのトランプ候補(まだ候補だ)が人気を博す状態を観てもドイツだけでなくアメリカでもいや世界各地で、いろんな排斥運動が起こっている。 民衆の不満が「あいつが悪い」と他者のせいにし、その他者さえ排斥すれば幸せになれると信じたい。 日本で言えば嫌韓、嫌中をすれば幸せになれると信じてると思ってる人がいるように。 日本では右派の安倍政権はまだ日本人からそれほど支持を受けてるとは思えない。安倍政権は選挙で有権者の25%の得票しか得られていないという批判。しかし棄権した50%に近い人々は少なくとも反対票は投じなかった。 「棄権したのは認めたからじゃない」という人もいよう。 しかし「反対しなかったのは容認した」とも取れる。 日本人が「ヒトラー的なもの」を生み出さないとは限らないのである。 そのことを改めて感じさせてくれる映画だった。 よかった。 マネーモンスター日時 2016年6月17日19:55〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン11 監督 ジョディ・フォスター リー・ゲイツ(ジョージ・クルーニー)は軽快な(軽薄な)トークでん人気を集める財テク情報番組「マネーモンスター」の司会者だ。番組のディレクターのパティ(ジュリア・ロバーツ)は台本通りに進行してくれないリーに頭を悩ませていた。 今日のメインの話題はアイビス社株の暴落。数週間前、株価が急上昇している投資会社のアイビスの株を「銀行預金より確実だ」とリーは勧めたのだが、75ドルだった株価は今は8ドル40セントにまで急落していた。 アイビス社は投資のプログラムのアルゴリズムのバグだと説明していたが、アイビスの広報担当のダイアン・レスターは疑問を持っていた。リーはダイアンに番組中でインタビューの生中継をする予定だった。 今日も番組は始まった。しかしスタジオに不審な男が紛れ込んでいた。男は本番中に銃を取り出し、リーに爆弾付きのベストを着せた。 彼はリーの言葉を信じてアイビス社株を全財産6万ドルをつぎ込んで、完全に無くしてしまったのだ。 「君の損した6万ドルを補填しよう」とリーはなだめる。 しかし犯人のカイル(ジャック・オコンネル)は、損失した8億ドルすべてを要求した。 財テク番組が流行になるというのは日本もアメリカも同じのようだ。一時期、私も副業にと財テクに手を出したこともあったが、損失を出しやめた。以前久米宏が「ニュースステーション」で「投資家と言いますが・・・まあ言ってみればギャンブラーですなあ」と言ったことが印象に残り、以来私は株とか投資とかすべてギャンブルだと思っている。 反論なさる方もあろうが、この株が上がるか下がるかなんて確実に解る方がいますか?あくまで予測、それはギャンブルとなんら変わらない。これがパチンコとか競馬より、経済情報を基本に考えたりするから他のギャンブルより知的なものと見なされて、なにやら高等なもの、競馬やパチンコとは違う、と思われてしまう。 しかし何度も言うけど「この株が上がるか下がるかなんて誰にも解らん」という点ではギャンブルと変わらない。 でさっきも言ったけどなにやら知的なものを感じるから「俺は(私は)他と違って頭がいい」と信じてる人がやるのである(例えば私)。そして(大抵)損をする。 だから途中、カイルの妊娠している恋人が登場し(涙の説得をするかと思いきや)「あんたなんか自分で思ってるほど頭よくないのよ!大バカ!」とキレるシーンは観客の期待を裏切る反応、というだけでなく、「株で儲けようするなんてバカ」と率直に言ったことが私には大爆笑だった。 もともと投資に対して懐疑的な意見を持つ私だから、この「株で損したことに逆ギレして勧めたキャスターを番組で脅す」という発想には興味があった。 犯人と何とか事件を無事に解決させようとして必死になるリーやパティ。「君だって捨てたもんじゃない」と説得しようとしたり、テレビを見ている投資家に「みんな、アイビスの株を買ってくれ!そうすれば株の値段は上がってカイルの損は埋められる。頼む。俺は人間を信じている」と言って10セントぐらいあがった後に、結局下がるシーンは複雑な思いがした。 うん、やっぱり人間甘くないなあ。 でもラストの結論の付け方にはちょっと不満が残った。 アイビスの社長が個人的な損失を埋めるためにアイビス株を暴落させたという事件の真相。 つまりアイビス社の社長が一人悪い奴で、すべての問題はこいつが悪かったから、という結論。 私自身は今のマネーゲームでしかない金融市場に懐疑的な意見を持っているので、単純に「こいつが悪い」というのは好きじゃない。 現代の金融市場そのものが、まさしく「マネーモンスター」で、それはコンピュターによる株取引、それをあおるマスコミ、それにのっかる市民、すべてがどこか狂っている。 いや自分たちだけで得した損したをやってればよいのだが、巨額の損失は世界経済の混乱を招き関係ない人にもその被害は及ぶ。 だからやっぱりおかしい。 現代のシステムのままでは、第2第3のカイルやリーが生まれてくる気がしてならない。 10クローバーフィールド・レーン日時 2016年6月17日14:40〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン6 監督 ダン・トラクテンバーグ 恋人と喧嘩して家を飛び出したミシェル(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)は夜道で交通事故に合い、車は崖の下に転落した。 気がつくと自分は無味乾燥な部屋のベッドに縛られていた。そして髭面の男ハワード(ジョン・グッドマン)が現れ、「世界はエイリアンの攻撃にあって人類は滅亡だ。ここはシェルターでここにいれば安全だ」という。 にわかには信じられないミシェル。 しかもこのシェルターにはエメット(ジョン・ギャラガーJr)がいた。 ハワードという男は外の世界を見せようとしないが、果たしてこの男の言うことは本当なのだろうか?実は自分は単に誘拐されて監禁されているだけなのでは? やがて外に女がやってきた。女の顔はただれており、ハワードの言うように外はエイリアンのせいで空気は汚染されているのか? 迷った末にミシェルはエメットと協力して防護マスクや防護服を有り合わせのもので作り、脱出を試みるのだが。 数年前に「クローバーフィールド」という私には全くあわない映画があって思い出したくもないくらい嫌いな映画だが、同タイトルの続編というか姉妹編の映画がこの映画。 面白いことは面白いが、いくつか文句をつけたい。 まず長い。 なんだかかつてのSFテレビ「ミステリー・ゾーン」のエピソード程度のネタである。 閉じこめられてそこから脱出しようとするだけでは100分は持たない。飽きる。 それとタイトルで完全にネタバレしてしまっているのだ。 「クローバーフィールド」と名乗ってしまうと、あの「クローバーフィールド」の続編だから、エイリアンの襲来であることは観客は解っている。 だからハワードが正しくて、それを疑うミシェルは間違っている。 まあハワードも娘を殺してるのか、どこかおかしそうな人間だから、そんな人間を全面的に信頼するのは無理だと思う。 だからミシェルの疑いも解らなくはないが、このエイリアンの襲来に関しては正しいと観客には解っている。 だからどうしても私は気持ちとしてミシェルと一体になれない。観ていて「お前、エイリアンは来てるよ」と教えたくなる。 これが「クローバーフィールド」のタイトルでなかったら、観客もハワードを信用していいのかどうかミシェル同様迷ってしまい、サスペンスも増加したように思う。 だから根本的なところで計算違いしてしまってる気がするのだな。 結局エイリアンは登場し、それなりに活躍してくれる。 このあたりの恐怖感は「エイリアン」やスピルバーグの映画の通りに演出してくれてるように思う。 それより何となく、その元祖のヒッチコックの影響も感じた。 タイトルの「10CLOVERFIELD LANE」の表記のシーンやエンドクレジットでLやIが下に延びていき、次の文字につながっていくやり方はなんとなく「北北西に進路を取れ」を思い出した。 いや違うかも知れないけどさ。 高台家の人々日時 2016年6月17日11:20〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン12 監督 土方政人 平野木絵(綾瀬はるか)は大手商社の総務課に勤める地味な女子(といってももう30だけど)。そこへニューヨーク支社から高台光正(斎藤工)という名家の出身で、イケメンで頭も良くてオックスフォード大学出身の青年が転勤してきた。 実は高台家の光正たちの兄弟は人の心が読めるのだ。 木絵は普段から妄想がたくましく、「実はあの人は王位の争いで日本に逃げてきた」とか「実はバンパイアの末裔」とかいつも考えて楽しんでいた。 そんな木絵だったが、ある日光正から食事に誘われた。 やがて二人は徐々に接近していき、光正から「好きだ」と告白される。 妄想好きの女子のラブコメなんてマンガチックな映像にありそうで(妄想シーンで塚地武雅がマンガチックな扮装をしているのを予告等で観てちょっと好きじゃないなと思った)、観るのを迷ったがやっぱり今一番好きな俳優の一人、斎藤工主演なので観てみた。 綾瀬はるかの妄想シーンのマンガチックな映像にはやっぱりなじめないものがあったが、そこは斎藤工のイケメンぶりで楽しめてやっぱり観てよかったなと思う。 それに基本ラブコメだから、笑えるところは笑える。 後半、身内に紹介するパーティに行くか迷って、妹の相談に乗ってあげて遅刻して、とかあってもう相手がテレパスとか上流社会とか気にしなくなったと思ったら、結婚式当日に逃げてしまう。 これはいくら何でも無茶だよ。 「卒業」は奪っていってそのまま復帰しないからいいけど、結婚式ぶちこわしておいては戻れないだろう。 そこが気になった。 それにしても先週「植物図鑑」を観たが、これも妄想女子映画である。 こんな男性が(自分は何も努力せずに)現れて欲しいという願望の映画だ。そういう恋愛映画が同時期に公開されているというのはちょっと興味深い。 まあ福士蒼汰や山崎賢人主演映画が流行ってる時点でそうなのだが、女子高生などがポスターやチラシ置き場などで若手イケメン俳優たちの出演作のチラシを観ながら、キャーキャー言ってるのを観ると、正直面白い、楽しい。 「オオカミ少女と黒王子」など劇場ロビーに記念写真用のパネルがおいてあるのだが、それに友達同士で写真を撮る(山崎賢人とツーショット写真が撮れるような大きさなのだ)のを観ると実に楽しそうだ。 やっぱり映画はスターですよ。 イケメン(あるいは美女)を観て楽しむのが映画。 もちろんそれだけじゃ無いけど、やっぱりそれは基本にある。 そういった映画の基本を再確認させてくれる映画だな。 なんだかんだ言っても綾瀬はるか主演の映画はよく観ている。去年の「海街dairy」も「ギャラクシー街道」も観た。「ハッピーフライト」も好きな映画だ。 あのポワンとした雰囲気は私は嫌いではないらしい。 団地日時 2016年6月12日14:10〜 場所 新宿シネマカリテ・シアター1 監督 阪本順治 山下ヒナ子(藤山直美)と清治(岸部一徳)の夫婦ははある事情で商店街での漢方薬の店をたたみ、郊外の団地に移り住んだ。ヒナ子は近所のスーパーでバイトするが、ついレジで客と話し込んでしまい、「仕事が遅い!」と上司から怒られる日々。そんな山下夫婦を自治会長の行徳(石橋蓮司)と妻の君子(大楠道代)は気遣ってくれていた。 そんな時、漢方薬店時代の常連客だった真城(斎藤工)が訪ねてきた。どうしても山下さんの漢方薬が欲しいという。 団地の自治会の会長選挙があり、清治は君子の推薦もあって立候補。口では「イヤだ」と言っていた清治だったが、自分が自治会長になった時々懇親会を開こう、などと考えていたが、結果は落選。やっぱり行徳が当選した。 それがきっかけでいやになった清治は団地の台所の床下収納庫に籠もってしまう。 やがて団地の中で清治が見かけなくなったので、「ヒナ子が殺したのでは?」と噂が立ち始める。 そんな時、真城が「5000人分の薬を調合して欲しい」と頼みにくる。彼の正体は? そして・・・・ 「顔」でその年の主演女優賞を総なめにした藤山直美と阪本監督の久々のコンビ作。 「顔」はテアトル新宿でみた覚えがあるが、HP作成以前で感想とか書いてないから、詳しい内容とか感想が残っていない。(でも面白かったことは覚えている) 今回もそれなりに面白く、藤山、岸部、石橋、大楠、斎藤のそれぞれの会話は面白い。 特に斎藤工が「ご無沙汰です」を「五分刈りです」と言ったりする変な日本語のシーンは面白い。(後半の伏線にもなるわけだが)。 で、清治が床下に籠もってそれが殺人の噂になるのはいいが、後半、真城が「実は宇宙人で・・・」となるのは話が飛躍しすぎではないか? 私がプロデューサーならちょっと迷うシナリオだ。 清治やヒナ子が店をたたんだのは息子が運送会社のトラックとの交通事故で亡くなったことが原因だと明かされていく。 そのこともあって真城が「漢方薬がなぜ効くか解ります?なぜ心臓が動き続けるのか解ります?生きてる方が神秘なんです」と答える。 そして死んだ息子との再会を願う清治とヒナ子。 そういった阪本監督の(脚本も阪本監督)の死生観や宇宙観が全面に押し出されていく。でも宇宙人を出すのはどうか? しかしこういう語り口で語りたいというのもまた監督の映画観なのだろう。 ちょっと感想に困るけど、登場人物の会話を観ている分には楽しめる映画だった。 植物図鑑 運命の恋、拾いました日時 2016年6月12日11:25〜 場所 新宿ピカデリー・シアター1 監督 三木康太郎 不動産会社で働くサヤカ(高畑充希)は一生懸命働いても上司は認めてくれない。家に帰ってもコンビニ弁当で食事する毎日。 そんなさえない日々を送っていたが、ある冬の日、自分のアパートの前で倒れている青年(岩田剛典)を見つける。その青年は言う。「お嬢さん、僕を拾ってくれませんか?咬みません。しつけは出来たよい子です」。 青年はなにも食べてなくて倒れていたと言う。とりあえずカップ麺を食べさせるサヤカ。翌朝、起きてみると彼は朝食を作ってくれていた。そのおいしさに感動するサヤカ。 朝食を食べたら出ていこうとする青年。サヤカは「行くところがないなら、ウチにいれば?」と同居を申し出る。 「じゃあ半年いてもいいかな?」。青年は名を樹と名乗った。でも名字は言いたくないと言う。 樹は植物に詳しく、休みの日にサヤカを河原につれていき、植物のことを教えてくれた。そして河原で摘んだフキなどでおいしい食事を作ってくれた。 ただの同居人のはずだったが、サヤカは樹を好きになる。 EXILEや三代目J Soul Brothersに所属する岩田剛典初主演作。この映画の予告編は去年の年末ぐらいから観ていて大体の話は知っていたが、本編を観てもその通り。 EXILEってなんだか不良性感度の高そうなグループだが、本作での岩田剛典は笑顔のさわやかな好青年そのもので、嫌いな人はいないんじゃないかというぐらいに爽やかな笑顔である。 観ていて女子の妄想力の極みという感じだ。 あんなにイケメンでお金もかからず、毎日食事を作ってくれて、弁当も作ってくれて、掃除洗濯をやってくれる男がいたらさぞかしありがたいだろうなあ、と思う。 そういう願望が生み出した産物だが、実際にあんな男はいないだろう。 でも男の方も男性の願望のような女性の話を数々生み出しているのだから、たまには女性の願望もかなえてもいいだろう。 映画館は女性でいっぱい。 初めて結ばれた翌朝に、シーツの中で笑顔を見せるカットなどなんだかザワツキさえ感じた。 確かにベッドの上であんな笑顔を見せられたら、溜まらんだろうなあ。 それ以上の感想は持ちようもなく、でも話におかしさは感じるが。 樹はサヤカに「半年だけ」と言っているのだから、その日は最初から解っているので、近くなったら話し合えたのではないか? そしていなくなっても名前は「日下部樹」で解っているから、ネットで検索してみればなんらかの情報が得られたのではないか? (大和田伸也の華道家の息子っていうのは予想ついたけど) まあ細かいことは抜きにして、とにかく岩田剛典の笑顔を楽しむ映画だし、その目的は十分に達せられてると思うから、アイドル映画として満点の出来と言っていいと思う。 ヒメアノ〜ル日時 2016年6月11日19:45〜 場所 TOHOシネマズ新宿・シアター3 監督 岡田恵輔 清掃会社で働く岡田(濱田岳)は失敗ばかりで自分に嫌気がさしていた。そんな時、清掃会社の先輩の安藤(ムロツヨシ)から「カフェで働く子に恋をしている」と告げられる。 安藤につれられてそのカフェに行く岡田。その子・阿部ユカ(佐津川愛美)は確かに可愛いくて、安藤には似合わない気もする。そのカフェで岡田は偶然高校時代に一緒のクラスだった森田(森田剛)を見かける。安藤の話では森田もこのカフェでよく見かけるという。 安藤にユカのことを調べるように言われる岡田。しかし逆にユカから話しかけられる岡田。あの金髪の男(森田)が最近自分のストーカーをしているらしいと相談を受ける。 そのことがきっかけで岡田とユカは親しくなる。 やがてユカの友達も含めて4人で飲みに行く岡田と安藤。 森田は和草(駒木根隆介)という男から金をせびっていた。今まで和草は父親の会社のホテルから恋人の経理係に金を工面してもらっていたが、ほとほと困り果てていた。 恋人に問いつめられて答える和草。実は高校時代に和草と森田はいじめられていて卒業式の間近にいじめの主犯を殺したのだ。 和草は自首しようと決意するが、恋人が「森田を殺そう」と持ちかける。二人は森田の殺害に向かったが。 森田剛主演作。森田は芝居はうまい方だと思っていたので、久々の映画主演はうれしい。でもバイオレンス性の強い映画らしいと聞いて前売りは買ったものの、観るのは躊躇していた。 予想通りで後半、森田の殺人の暴走が始まると嫌悪感でいっぱいになる。監督の吉田恵輔は昨年同じジャニーズの中島健人の「銀の匙」を撮った人だけど、パンフレットを読むと「ヒューマンな映画ばかり続いたので、今度は観客がいやになるような映画が作りたかった」という趣旨の発言をしているが、ご勘弁願いたい。 こっちは金払ってまでいやな気分にはなりたくないよ。 まあバイオレンス描写が好きな人がいるのは解るけど、こう連続してやられるとねええ。 それにしても話にちょっと引っかかるものがあった。 最初の同級生の殺人だが、それは事件にならなかったのだろうか?死体がないから事件にはならなかったろうけど、行方不明として問題にならなかったのか? あと途中一軒家に押し入ってその夫婦を殺し、それを申請から連絡を受けて様子を見に来た警官(鈴木卓爾)を殺すんだけど、警官が殺されたら何日も発見されないというのはおかしい。職務中の失踪なら拳銃の盗難もあり得るわけだから、もっと騒ぎになるはずだ。 最後は岡田と森田が対決し、逃走の途中で犬をよけたために電柱にぶつかって森田も逮捕される。 森田が逮捕されるラストで本当によかった。 でもなんだか焦点が定まらないし、連続殺人のシーンは観ていて不快だったし、いやな気分になった映画だった。 64 ロクヨン 後編日時 2016年6月11日11:25〜 場所 新宿ピカデリー・シアター3 監督 瀬々敬久 「64」事件を模倣するような誘拐事件が発生。三上(佐藤浩市)はマスコミ各社と報道協定を結ぼうとするが、捜査本部は人質、及びその家族の名前を匿名としたため、東洋新聞の秋川(瑛太)をはじめとする記者たちからもう反発を喰らう。 三上は情報をとるために自ら捜査本部に乗り込むが埒が明かない。そこで操作一課長(三浦友和)を捕まえ、被害者氏名を聞き出す。だがその後も記者会見に捜査一課長ではなく、部外者の二課長(柄本佑)を当てたために大混乱。 三上は単身、捜査指揮車に乗り込む。 身代金は2千万円。被害者は目崎(緒形直人)。目崎は犯人の指示のままに動く。その経路は64事件と同じだ。 そのころ、誘拐されたはず目崎の高校生の娘が補導されたと連絡が入る。 しかしその件を一課長は目崎に伝えようとしない。 いったいどうなっているのか? 先週観た「64前編」。この1週間は「後編」を観ることだけが楽しみだったと言ってよい。 結論から言うと「前編」を観終わった直後に予想した展開は大はずれ。 やっぱり犯人は普通でした。 警察内部に犯人がいて、警察内部の抗争が誘拐事件を生んだというのは間違い。もっとも個人的にはそれも面白かったと思うのだが。 総じて面白い。 時間を忘れて映画に没頭できる楽しさがあった。やっぱりミステリーというのは引き込まれますよ。 原作を読めば解ることなのかも知れないが、少々疑問が残った。 1、捜査本部はなぜ被害者を最初匿名としたのか? 別に警察関係者というわけではないのだから、匿名にした理由が解らない。 2、記者会見になぜ慣例を破って不慣れな二課長を担当させたのか?返ってマスコミとの関係を悪化させただけなのでは? 3、雨宮(永瀬正敏)が無言電話だけで犯人を突き止めたというのはややご都合主義だと思う。確かに雨宮が執念で突き止めたかったのは解るけど。 この設定にしたいがために「犯人の声は雨宮だけしか聞いていない」という枠を作るために「録音に失敗する」必要があったということなのだろうか? だとしたら日吉(窪田正孝)の引きこもりの件は枝葉に広がりすぎてる気がする。 ここは日吉に活躍してもらいたいと思ってしまうのは、私が窪田正孝のファンだからだろうか? 4、捜査一課長は模倣事件の身代金受け渡し中の段階で、目崎が64事件の犯人と疑っていたのだろうか? だとするとどの段階で?それとも目崎は継続捜査の段階で捜査線上に浮かんでいたのだろうか? とまあいくつか疑問は残るが、それは原作を読んだり映画を再見するときの楽しみに取っておこう。 それにしても三上が犯人に「なぜ殺した?!」と問われ「そんなこと解るか!」と答える台詞は気になった。 もちろん考えた上での台詞だと思うし、「騒がれたから」「顔を見られたから」というありきたりな台詞でも困るけど。 でも殺人なんてそんなものかなあ。 いろいろ言ったけどとにかく面白かった。 今年のベストテン入り確実の、瀬々監督の最高傑作である。 地獄の掟に明日はない日時 2016年6月11日16:50〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 降旗康男 製作 昭和41年(1966年) 九州長崎。この町では競艇場の利権を争って山崎(河津清三郎)と権藤(佐藤慶)が争っていた。権藤は山崎の子分だったが、山崎が刑務所に入っている間に組を起こし、ご山崎にしてみれば裏切った奴だった。しかし山崎にしてみればこちらが支えて競艇場の理事になったのに儲けを独り占めしている、というものだった。 山崎組の代貸の滝田(高倉健)は子供の頃被爆し、原爆病に悩まされていた。彼は原爆で両親を亡くした所を山崎に拾われ、以来恩義を感じていた。ある日、滝田は岩村由紀(十朱久代)という女性と知り合う。 滝田の幼なじみで今は新聞記者の北島(今井健二)は山崎と権藤の抗争を書き立て、組が壊滅することを狙っていた。 山崎組の弁護士郡司(三国連太郎)はこのままでは山崎、権藤ともに世論につぶされると感じ、何とか抗争を止めさせようと躍起になっていた。 そこで郡司は山崎と権藤に手打ちをさせた。山崎は仲直りの印に今度のレースで八百長を行い、権藤を儲けさせようとしたのだが。 ネット上である映画ファンが「降旗監督と言えば『地獄の掟に明日はない』がよかった」とおっしゃっていたのを記憶していて、機会があれば観てみようと思っていた映画。 なるほどね。私は東映ヤクザ、任侠ものには一般的な知識しかないので的外れなのかも知れないが、確かにひと味違うヤクザ映画だ。 長崎が舞台である。よくあるご当地映画かと思ったらそれだけではない。主人公が原爆の後遺症でめまい、嘔吐などをしていて医者から「今すぐ入院した方がいい」と言われるレベル。 でも佐世保の軍人が話に絡んでくるとかはない。 反米的な要素はない。主人公が病気持ち(しかも原爆症)ってのは珍しいんじゃないかな。 二つの組が争っていて、その間を行き来する弁護士、というのはなんだか黒澤の「用心棒」を思わせる。 しかし三国連太郎が演じるから、三十郎のような「偽悪ぶった善人」にはやっぱり見えない。 でも言ってることは正論だし、陰で威張り散らすとか、女を追いかけ回すと言った悪人風にも描かれないから、ひょっとしてたまには三国もいい奴なのかも?と思ってしまう。 今井健二の新聞記者。無精ひげを生やしてベージュのコートを着てネクタイもだらしなく締めて、いかにも「新聞記者」と言った風情。こう言った「いかにも」というのは嫌いではない。そしてこう言ったファッションは実は好きである。だから実生活でも私はあんな感じになる。 映画の話の方だが、八百長を選手にやらせてわざと負けるようにし向けたが、選手は本番では結局全力を出して勝つ。 権藤は大負け。これで権藤は山崎が「勝たせると思わせて実は資金を使わせる」という魂胆だったと疑い出す。 そしてその競艇の選手(これがクレジットを観ると串田和美である)の姉が滝田が惚れているカタギの女、由紀だから話はややこしい。 競艇選手にヤキを入れようとする山崎をなだめる代わりに自分が権藤を殺すことにさせられてしまう。 そして権藤を殺す滝田。しかし郡司が山崎を殺人教唆で警察に密告し、山崎も逮捕。両方の組は壊滅。怒った滝田は郡司を殺す。 任侠ものによくあった「いい親分」と「悪い親分」と言った明確な対立もなく、どっちもいいとはいえない親分、そしてそれをつぶして漁夫の利を得ようとする悪い奴。 すべてが悪い奴なのだが、その中で高倉健はなんだか屁理屈のような「掟」で人を殺していく。 時代的には「仁義なき戦い」に代表される実録路線はまだである。しかし任侠ものとも違う。 その進化(変化)の過程にあるような映画に見えた。 そうそう最後に滝田は名も知れぬチンピラに刺されて死ぬ。 由紀と船で島へ行こうと約束していて、由紀は波止場で待つ。ボーっと汽笛が鳴る。 ああ「望郷」だなあ、と思う。 この世代の監督って「望郷」か「第三の男」だな、と改めて思った。 終わりの季節日時 2016年6月5日17:35〜 場所 光音座1 監督 小林悟 製作 OP映画 桜の季節。露天で焼きそばを作る梅之助(港雄一)とカズオとヒロシ(樹かず)と同居している。 と言えば聞こえはいいが、梅之助は元はカズオとつきあっていたのだが、カズオはヒロシに乗り換えてそのまま居着いてしまい、だが梅之助は一緒に住んで二人の家政婦のような扱いを受けていた。 カズオとヒロシがベッドで絡んでいてもその間梅之助は一人で酒を飲む。さらにはがからかってなのか、風呂場でフェラを強要される日々だ。 ある日、焼きそばを焼いていると若いカップルがやってきた。その晩遅くにそのカップルの男が梅之助たちの家にやってきた。 「焼きそばは芸術です。自分も焼きそばを焼きたいんです」と無理矢理弟子入り志願。 仕方なく翌日から雇ったのだが。 引き続き訳解らん映画だ。 まず露天商の焼きそば屋って、今は桜の季節だから桜並木の土手で商売してるけど、季節が変わったら移動するんでしょう?そういう移動する商売の人って家はどうなってるのかな?みんなこういう決まった家に長く住んでるの? 一年の半分は旅、みたいな勝手なイメージがあったが、それって違うの? (たぶんに寅さんのイメージだな) で主人公の3人の関係。 カズオと梅之助はかつてつきあっていて、別れた後も新しい男ヒロシを梅之助の家に連れ込んで同居ってどういうこと? 普通は追い出すし、出てくし、そうならないなら余程おかしい頭の持ち主と思われても仕方ない。 梅之助がカズオへの無償の愛で住まわせてるならともかく、カズオやヒロシに何かを命じられて、梅之助は「ハイ、ハイ」と答え「ハイは一回でいい!」と怒られている。 梅之助も今の状態に不満ではあるようだ。 そして焼きそばや志願者のアキラ。恋人もいて、焼きそば屋になったと知ると「お腹壊した」とかいちゃもんをつけてくる。その女は沢まどか演じるオカマが追い返すが、それにしても「私は納得出来ない「職業に貴賎はない。俺は焼きそば屋がやりたいんだ!」と主張する。 いやいやいその女の感覚は決して間違ってはいない。 もちろん焼きそば屋がさげすまれる仕事ではないけれど、サラリーマンを続けてほしいと思うのは比較的多数派の考えであろう。 で、ラストは「昼間の女の客はテメーの女なんだって?服脱げ」とアキラをカズオとヒロシが犯し始める。 見かねたのか、ついに梅之助が怒ってカズオとヒロシを犯し、「みんな出ていけ!」と追い出す。 翌日、桜を見ながら「もう桜も終わりだなあ」とつぶやくのだった、という訳の分からん行動。 とにかく出てくる人物みんな行動がめちゃくちゃで共感できない。相変わらず小林悟はやる気を感じられない。 そうそう梅之助は昔浪曲師で、浪曲をヒロシたちに歌わせられる。そこで「夫は妻をいたわりつ〜」とやるのだが、その感覚は80年代でも古いと思った。 薔薇の夢(ドリーム) 性愛日時 2016年6月5日16:35〜 場所 光音座1 監督 野上正義 製作 昭和58年(1983年) 光音座公式ブログによると80年代のピンク映画界では風俗レポ的なドキュメンタリー映画が流行ったそうで、その形をゲイピンクでもやったのがこの映画。 (始まりは東映の「トルコ渡り鳥」などのセミドキュメンタリー路線かも知れない) 各地のハッテン場などのレポがあるのかと思ったが、大阪ミナミの某所で行われている秘密パーティに久保新二が潜入取材する、という形。 どこかの大きなバーに入って(スタッフはふんどし姿に仮面をつけている)、まずは酒を飲む。やがて「上映の準備が出来ました」とスタッフに客が導かれて隣の部屋へ。 そこでは映画が上映される。 ブルーフィルムでもやるのかと思ったら、ふんどし姿の祭りの映像。 やがて「必然的に暗闇になり、即席のカップルたちがそれぞれ絡み合う」みたいな堅い感じのナレーションが入り、乱交状態へと突入していく。 それが5分ぐらいあって次のハッテン場レポになるのかと思ったら延々と続く。 しかも暗い会場の中を写してるから何がなんだかよく解らない。もちろん男同士が絡んでることは解るけど、それにしても解りづらい。 結局朝まで同じ会場で過ごし、朝になってから一部のメンバーと久保新二は車で(たぶん六甲山かな)ロープウエイのある山に行き、そこの野外レストランでジンギスカンバーベキューなどを楽しむ。 そして森の中で全裸になって、頂上で6人ぐらいの男が立ち並び、「ホモ万歳!」的な展開になる。 なんだこれ? これが秘密パーティとか映画館ハッテン場とか公園とかサウナとか色んな場所をレポすればそれなりに価値はあったろうが、どちらかというと「ホモじゃない人がホモの現場に潜入し、ホモじゃない人向けにレポートする」と言った趣で、観ているホモは「訳の分からないものを見せられた」感があるんじゃなかろうか? あとさっきも書いたけどナレーションが森山周一郎みたいな渋い声で「人間の性愛の欲望とは何だろうか?生殖行為はその一部に過ぎない」などとやられると妙にまじめぶってるだけに余計に違和感があった。 ほんとに「なんだこれ?」と言いたくなる映画。 ゲイピンクの初期の映画だが、まだ作り手も方法が確立されてなかったのだろうなあ。 一応やらせなしのドキュメンタリーと言ってるけど、やらせ全開の企画に見えた。 裏切りの暗黒街日時 2016年6月5日13:00〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 降旗康男 製作 昭和43年(1968年) 矢島(鶴田浩二)、松木(水島道太郎)、小池(待田京介)、田熊(山本麟一)は岩崎商事の車を襲い、積んであった5億円の現金を強奪した。 この金は岩崎商事の岩崎(渡辺文雄)が大和田先生(柳永二郎)に麻薬の代金として支払う予定だった金だ。 ところが矢島たちは逃走する途中、山道で混血少年ジミーをはねてしまう。田熊は殺そうと主張したが、矢島が止めた。 4人は成功し、金はほとぼりが冷めた3年後に1億2500万円づつ分けることにした。しかし岩崎の手下にジミーが捕まり、見たはずの犯人についての追求を受けていた。 岩崎は心当たりのある奴の写真をジミーに見せる。その反応から矢島が主犯とにらむ岩崎。 一方ジミーはたまたま原宿で矢島と再会する。どこの誰かも知らない黒人と日本人の母の間に生まれたジミーは「でっかいことをやりたい」と思っていた。岩崎の手下の会話から矢島たちがでっかいことをしていると思ったジミーは矢島に仲間に入れてくれとせがむ。 岩崎たちは矢島の仲間に見当をつけ、もともとヤク中で今はヤクを止めた小池を再びクスリ付けにする。 大学卒業の頃、「今までやってみようと思っていてできなかったこと」をしたことがあったが、その一つが「浅草の3本立て映画館に何の予備知識を持たずに入って3本見る」ということ。 で、その時にかかっていたのがこの「裏切りの暗黒街」だ。3時頃に入って3本立てが終わったのが9時頃だと思う。(ちなみに新宿昭和館はやくざ映画の3本立て専門館だったが、この頃は最終1本が夜の9時スタートで終了が10時半頃だった) で内容は全く覚えていなかったが、そういう思い出があるので再見したいと思っていた。詳しい内容は覚えていなかったが、鶴田浩二が車を運転するカットから始まった覚えがあるので、間違いない。記憶のカットはあった。 ただしその時に見たプリントは真っ赤で、コマも時々飛ぶプリントだったと思うが、今回はニュープリントに近いきれいな状態だった。 映画自体は記憶に残らなかったのも納得出来るようなレベル。悪い奴から金を奪ってどうしたこうしたというアクション映画なのだが、何となくテンポがだるい。もう少し全体的にテンポアップしてもらいたいと思う。 そして黒人少年の登場。恐らくは朝鮮戦争の頃にやってきていた米兵の子供か。 この少年が「這い上がろうとする世代」というキャラクターで登場なのだろうが、後半鶴田を助けて大活躍するならともかく、もう一つ活躍がない。 そしてお姉さんが香山美子でラジオの司会をミッキー・安川としている。この二人は公開スタジオで放送しているのだが、これが原宿の表参道沿いにある。ちらっと写るこの頃の原宿の風景は今とは全く違う。 ちなみにこの後、渋谷西武百貨店付近も登場する。 映画は小池を助けようと松木が岩崎の手下の元にやってくるが、二人とも結局殺されてしまう。 小池がヤクに犯されたときに赤と緑の渦巻きの光が小池の顔面に写される演出は何とも不思議な感じで、降旗康男もこんな変わった演出をしていたんだなあ、という気になった。 で田熊は金分けてもらって逃亡しようとするが、彼にはおしの弟がいるので、身動きが悪い。しかし何とか金をもらったが、結局は岩崎の手下に兄弟とも殺される。 矢島も岩崎のオフィスに殴り込み、岩崎たちを殺して自分も死ぬ。 ここが日活アクションなら(「拳銃は俺のパスポート」のように)何とか敵を倒して生き残る所だが、東映らしく自分から死んでいく。 (ちなみに「ムービーウォーカー」にでている映画のストーリーとは異なっています) 特に面白い映画ではなかったが、個人的な記憶にある映画と再会出来て楽しかった。 64 ロクヨン 前編日時 2016年6月4日13:40〜 場所 新宿ピカデリー・シアター4 監督 瀬々敬久 昭和64年1月、群馬県で漬物工場を営む雨宮芳男(永瀬正敏)の7歳の娘が誘拐された。犯人からの要求は2000万円。刑事の三上(佐藤浩市)は身代金受け渡しの現場に立ちあうため、雨宮の追尾班として事件捜査に参加。 しかし身代金はまんまと取られ、人質も死体で発見された。事件は昭和天皇の崩御と重なり、事件報道は他の誘拐事件と比べて小さくなり、事件は未解決に終わった。事件は以降「64」と呼ばれるようになる。 14年後、時効まであと1年の頃。 三上は今は警務部広報室広報官という役職で、新聞記者たちへの対応を仕事にしていた。 ある交通事故で被害者の女性を匿名にしたところ、秋川(瑛太)をはじめとして新聞記者から猛反発を食らう。 そんな時、警務部長の赤間(滝籐賢一)から「『64』の時効が近づいている。警察庁長官が現状の視察に来る。雨宮宅にも伺うから了解を取り付けろ、記者会見もさせろ」と命令される。 久しぶりに雨宮に会う三上。しかし雨宮は警察に対して不信感を持っている。 三上はかつて「64」事件の仲間に会う。そこで出てきたのは「幸田メモ」の存在だった。幸田(吉岡秀隆)は事件当時、自宅班として脅迫電話の録音、逆探知などを担当していた。 幸田は事件半年後に警察を辞めていた。同じく録音担当だった日吉(窪田正孝)は事件後、引きこもりになっていた。一体何があったのか? 昨年の「ソロモンの偽証」に続く(というわけではないだろうが)、オールスターキャストのミステリー大作。 前後編の公開。後編が気になるので、GW開けすぐの公開だったが、6月11日の後編公開の直前まで待った。 面白い。 やっぱりオールスターのキャストはいい。警察は男社会なので、女性の活躍は少なく、メインキャストでは三上の部下・美雲(榮倉奈々)と三上の妻・美那子(夏川結衣)ぐらい。 オールスター男優の演技合戦は全く飽きさせない。 匿名発表の是非を巡っての対立。 結局最後は「原則実名」ということで決着をさせようとするが、「原則という言葉をはずせ」と向こうも聞き入れない。 最後に三上が交通事故の被害者の反省を延々と語るこ所は「砂の器」の丹波哲郎も負けない語りである。 あと吉岡秀隆がスーパーの駐車場係をしていたが、それを辞めてしまって、それを告げるのが吉岡睦雄さん。吉岡が辞めた後、また吉岡がやって来るというのは楽屋落ちのアソビか。 そして再び事件発生。 という所で前編は終わり。 後編が待たれる。 ここからは個人的な予測。 「64」事件の時に日吉が担当していたテープレコーダーによる録音が機器の故障で失敗していたのだが(ここまでは前編で明かされてる)、この時機械は壊れたのではなく、壊されていたのだ。警察内部に犯人がいるのだ。そしてそのことを幸田は知っていた。 子供が殺されたのは昭和天皇の崩御により、事件の扱いが小さくなるのを恐れた犯人がマスコミに注目してもらうために殺人という更にエスカレートしていった、というが私の推理。 この推理が当たっているかは来週のお楽しみ。 海よりもまだ深く日時 2016年6月4日10:50〜 場所 新宿ピカデリー・シアター9 監督 是枝裕和 篠原良多(阿部寛)はかつて文学賞を取って本を出版したこともあるが、今は興信所で取材と称して探偵をしている。 探偵といってもほとんどが素行調査。助手の町田(池末荘亮)と張り込みの日々。でも浮気調査で旦那から依頼を受けて奥さんの浮気を押さえたのに、奥さんに接触しネタを売って会社には内緒で金を稼ぐ。 良多もかつては結婚して子供もいた。しかし甲斐性のない良多にあきれて妻・響子(真木よう子)は息子・真吾(吉澤太陽)を連れて出ていき、今は養育費と引き替えに月に一度面会させてもらっている。 良多は団地で一人暮らしの母親・淑子(樹木希林)がいる。未だにちょっと頼っている。 良多は別れたものの、未だに響子には未練がある。響子に新しい彼氏が出来たと知り、その男の素行調査もする。 是枝監督作品。なんだかんだ言っても是枝作品は観てるなあ。そんなに好きではないのだが、観てるんだから嫌いではないのだろう。 阿部寛の境遇が私と共通点も多いので、なんとなく親近感を覚える。 父を最近亡くし母が一人暮らし、何となく母を未だに頼っている、未だに夢を持っている、好きな人がいて未練たらたら。ギャンブル好きな点を除けば人事ではない感じがする。 良多や淑子の言動には何となく笑わされるものも多く、ほっこりした気分になる。 ラストは台風がやってきて、そのために良多と響子、真吾が再び一晩を過ごす、という展開 大きな事件があるわけではないが、共感させられる部分も多く、面白かった。 阿部寛のデカい体が、逆に「ウドの大木」的な感じを出しており、よかった。池松荘亮は最近のどこか斜に構えた役柄ではなく、前髪を短くして少年ぽさがあり、それこそ「鉄人28号」の頃に戻ったような顔つきで面白い。 それにしても最近の家族を扱った映画の「家族はつらいよ」を思い出した。 あそこに出てくる家族は大きな一軒家に住み、どう観ても高収入な感じで庶民的な感じがしない。 山田洋次の中では庶民的な家族かも知れないが、今じゃ浮き世離れしている。 最近mixiのコラムだったかで、「クレヨンしんちゃんの野原家は今や勝ち組に見える」という話が出ていた。 春日部に一軒家を持ち、車も所有、そして二人の子供がいて、自分は丸の内の商社で係長。これが裕福に見えるのだ。 「しんちゃん」が連載が始まったころの90年代前半ではこの家族は普通だった。むしろ「都心に通うのには不便な春日部にしか家が買えない」というちょっと劣った感さえあったのだ。 確かに今の30代の社員とか見てると家とかマンションとか買える雰囲気はまるでない。 話はそれたけど、この「海よりもまだ深く」に登場した良多とその家族の形態が(良多の稼ぎが少ない姿や、離婚した、あるいは結婚していないという姿が)、ものすごく普通に見え(あるいは私に近い)非常に現代的な感じがした。少なくとも違和感はない。 山田洋次は感覚がずれまくっている気がする。 映画とは直接関係ないが、そんな気がした。 書き忘れたがタイトルの「海よりもまだ深く」はテレサ・テンの「別れの予感」の一節。映画の中で淑子がラジオで聞くのだ。 それと映画に西武線が登場する。「誰も知らない」も西武線沿線が舞台だった。西武線がお好きなのかな、是枝監督は。 マイケル・ムーアの世界侵略のススメ日時 2016年6月3日19:50〜 場所 角川シネマ新宿1 監督 マイケル・ムーア 第二次大戦の勝利以来、朝鮮、ベトナム、中東とアメリカは実は戦争に勝っていない。世界一の国のはずなのにこれは一体なぜなのか? 国防総省、陸軍、海軍、空軍、海兵隊の首脳は密かに宿敵であるはずのマイケル・ムーアに他の国にあってアメリカにないものの調査を依頼する。 引き受けたマイケル・ムーアはヨーロッパ各国を訪問する。 そこではアメリカのジョーシキでは考えられない制度や常識があった! という設定の下、マイケル・ムーアが世界各国を回っていく。マイケル・ムーアの作品は毎回観ていたが最近聞かないなあと思ってたのでファンとしては久々の新作で嬉しい。調べてみたら「キャピタリズム」の2010年以来なのでなんと6年ぶりだ。 イタリアでは多い有給休暇、ドイツでは勤務時間外に上司が部下に連絡を取るのは禁止、育休も十分ある国もある。 フランスは学校給食がフルコース料理、スロベニアでは大学は無償、ポルトガルでは死刑制度廃止、そしてそれも当然と答える警官、受刑者(もちろん殺人犯も)塀のある刑務所ではなく、一戸建ての家が独房だ。 そして「こんなの遺族が怒るだろう」と思っていると被害者の家族が出てきて「別に復讐は望まない」と語る。 日本人からしても信じられない制度ばかりだ。 これがおかしく感じられるということはいかに日本がアメリカ式になっているかと驚かされる。 フィンランドでは子供は宿題なし、授業時間も少ない。でも学力は世界トップレベル。 日本でも「ゆとり教育」の名の下、授業時間を少なくして余った時間で人間力を高めていこうとさせた。しかし今は昔に戻ろうとしている。このフィンランド式を試みたのだ。でもうまくいかなかった。 そうかあ、制度だけいじってもダメなんだ。 国民の意識が変わらなければ。 そしてアイスランドではリーマンショックの金融破綻の時に銀行などの幹部は逮捕された。 これだけの事態を引き起こしたのに偉い人ほど逮捕されずにのうのうとしているのは日本も同じ。 最後に「アメリカ人に何かいいたいことはないですか?」とマイケル・ムーアは取材対象者に問う。 「アメリカ人は他人の痛みに平気で自分だけがよければよいという考えなんですか?そんな国いやです」と答える。 それにマイケル・ムーアは「いや平気ではないです」と答える。 そして取材した国々で聞いたのは「この制度や方針はアメリカから学んだのですよ」 アメリカも本来は理想を追いかけて作られた新しい国だった。一番しがらみのないはずの国だった。しかし資本主義の行き着いた先が単なる格差社会、あたらしい身分制度の世界だった。 そう、世界に答を求める必要もなく「落とし物取扱所にいけばよかったのだ」と結論つける。 今までは「政府が悪い」「ライフル協会が悪い」「金融システムが悪い」と他人のせいにしてきたが、アメリカをよくするのは実はアメリカ人自身だという結論。 そしてそれはアメリカばかりの話ではない。 日本も全く同じである。 秋津温泉日時 2016年6月2日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 吉田喜重 製作 昭和37年(1962年) 昭和20年の戦争末期。河本周作(長門裕之)は空襲で東京から避難して岡山の叔母の家にやってきた。しかし叔母の家も空襲でなくなっていた。彼は病気で自分が長くないと思っていた。たまたま列車で知り合った女性が秋津温泉で旅館の女中をしているというので、その秋津温泉にやってきた。 その旅館・秋津荘の娘・新子(岡田茉莉子)と知り合う。 新子の溌剌とした姿を見るにつれ、一度は死を考えた周作も生き直すことを決意する。 岡山へ帰った周作だったが、金もなくなり再び秋津温泉にやってきた。 「一緒に死のう」と新子にいう周作だったが、新子は死んでくれなかった。 やがて周作は結婚。周作は作家を目指していた。妻の兄・松宮(宇野重吉)は新人賞に当選。流行作家になっていく。 周作は相変わらず売れない。仕方なしに松宮の紹介で出版社に勤めるために東京へ出た。 新子は母も亡くなり秋津荘の女将となっていた。 松竹メロドラマなんて全く趣味じゃないし、面白いとも思わないのだが、いまおかしんじ監督とのく会話の中で出てきたので話についていくために観てみた。 冒頭、松竹マークの前に「岡田茉莉子出演100本目作品」と出る。岡田茉莉子さんは映画では「人間の証明」以外リアルタイムで観たことがない方だったので、岡田茉莉子の偉大さがよくわかってないのだが、そんなに出てたんだあ、と感心した。 で、クレジットの最初に「企画 岡田茉莉子」と出る。 現実、どうだったかは別にして、名目だけでも「100本の記念に岡田君が演じてみたい企画でやってみよう」ということらしい。 で、肝心の映画だが、全く私の趣味に合わない。 まず主人公の河本周作がダメ人間である。 生きる気力もなく酒ばかり飲んで、金がない。大事な叔母からもらった懐中時計も安酒のために簡単に売ってしまう。 で、新子に死のう、と簡単に持ちかけるが死にきれない。 岡山で結婚。自分は作家になれずに他人がなるとそれを妬んでいるだけ。 新子も新子でそんな周作に惚れていく。よくダメ人間を好きになる女の話があるけど、さっぱり分からない。 お金持ちに惚れたりする女の神経の方がよっぽど理解できる。 最後には新子の方が(最初に出会ったのが17歳、で17年後の34歳の時に)今度は新子の方が「死のう」と持ちかける。 周作の方が東京でタバコ売店の娘を口説いていたりヘラヘラと生きているので、当然拒否。でも新子は手首を切る、というおよそ私の感性では共感できないバカップル。 約17年の恋愛感情というのは分かるが、それにしてもいただけない映画だった。 |