2017年2月

   
愚行録 夜間中学
ポルノ★トーク 相棒 劇場版W
首都クライシス 人質は50万人!特命係最後の決断
兄貴と俺 ときめきのKiss 一週間フレンズ。
マグニフィセント・セブン 日本映画大学第3回卒業制作上映会 天使を誘惑 スノーデン
キセキ 
ーあの日のソビトー
古都 炎の舞 ふりむけば愛

愚行録


日時 2017年2月26日13:55〜
場所 新宿ピカデリー・シアター5
監督 石川慶


週刊誌記者の田中武志(妻夫木聡)は妹の光子(満島ひかり)が娘の育児放棄の罪で逮捕され、、面会に来た。妹は事件に対してどこか他人事で弁護士の橘(濱田マリ)は精神鑑定を勧める。
田中は自分の仕事で1年前に閑静な住宅街で起こった一家惨殺事件を追うことにする。編集長からは「記事にする保証はない」という条件をつけられたが。
この事件は田向(小出恵介)という開発会社に勤めるエリートサラリーマンとその妻友季恵(松本若菜)、その幼い娘が殺された事件だった。
田中はまず田向の会社で一番仲のよかった同僚・渡辺に話を聞いた。
彼は稲大卒業のエリートで、妻も名門・文應大出身だった。
会社に入ってからの女性関係を教えてもらう。
また妻の友季恵の学生時代の交友関係を当時の友人に聞いていく。
彼らの人間関係は彼らとしては悪気はないにしろ、他人から恨みを買うこともあるような人間関係だった。
その中で田中はある人物の関与を聞いてしまう。
それを知った田中の取った行動は?


妻夫木聡、満島ひかり共演で内容は一家惨殺事件を追う記者の話、という予備知識だけで見始めた。それで十分。それだけの情報で見たくなる。
幸せの見本のような一家が惨殺され1年が経ち、田中は改めて取材を始める。
まずは殺された夫婦のそれぞれの学生時代の人間関係。

正直言うとタイトルの「愚行録」が見終わってもピンと来なかった。
確かに主人公たちは選民意識があってそれぞれ自分の気持ちだけで相手のことは考えずに動く。それが「愚行」なのだろうが、私にしてみれば若い奴はみんなあんなもんである。
「桐島、部活やめるってよ」でも出てきたスクールカーストは、大学生になるとこのようにエグい形で表出する。

冒頭で田中がバスに乗っていて「席を代わってやれ」と言われていやいや席を代わってバスの中で転ぶシーンがある。これは私にはなんだかよくわからなかったが、「田中も100%のいい人ではない」と言いたかったらしい。でも私は妻夫木が演じれば誰でも「いい人」に思えてしまうので伝わらなかったです。
それより気になったのは予告編でもあったけど、取材対象者と酒を飲んで、自分の名刺の上にビールのジョッキを置かれてしまうシーンだ。
その様子を見ても田中は動じない。というかあれはすべてを知った上で考えると田中は彼らを内心軽蔑したのかも知れない。

事件の真相を書いちゃうけど、実は光子も文應大学(慶應の事だろう)の学生で友季恵とは同級生で知り合いだったのだ。
階層が上の学生に取り入るのがうまい友季恵は光子をいろんな男たちに抱かせていたのだった。そして結局誰とも結婚までは行かずに終わる。
光子は友季恵にマイナスの感情を抱いており、今になって彼女が結婚していかにも幸せそうにしているのを見て、「つい殺してしまった」のだ。
この告白をする満島の淡々とした表情がいい。

田中は友季恵の友人たちに取材をするうちに光子のことを疑う人に出くわす。そして一挙にその人を殺すのだ。
いや光子が映画の中で観客に自白する前にこの殺しはあるから、最初の惨殺事件も妹を守るために田中がやったのかと思った。

そもそも田中(この名字がくせ者だ。田中という名前なら田中光子の兄が目の前にいる田中武志とは思うまい)はいつから光子を犯人と知っていたのだろう。
取材対象者が「光子さんは友季恵に人生を狂わされた一人」と疑わしいと言ったからだろうか?
いやならば別の人間を犯人にするために置いたたばこの吸い殻は何だろう。その場で思いついたのか、いやいや「いつか使うときがあるかも」と彼が用意したものと考えるのが妥当だと思う。

考えてみれば被害者の友季恵と自分の妹が同じ大学の同じ学部だと田中があらかじめ知っているのが普通だ。
同じ学部でも友人とは限らない。しかしひょっとしたらと思っていたのか。そもそも彼がこの事件を追い始めたのは、「妹が関わってるかも知れない」と思ったからなのか?それとも妹から告白を受けていたのか?

もう一度見て確認したくなる。
妻夫木の演技は終始押さえ気味。取材中に何度か笑うが、心から笑っているのではなく、何となく寂しそうに笑うのだ。
この笑顔がたまらなくいい。

今年はまだ始まったばかりだが、もう妻夫木聡と満島ひかりは主演男優、主演女優賞は確実な気さえする。













夜間中学


日時 2017年2月26日
場所 DVD
監督 本多猪四郎
製作 昭和30年


鮮太(吉岡興成)は昼間は郵便局で働き、時間になると夜間中学に通っている。ある日自分の机の中に「夜の僕の机の人へ」という手紙が入っていた。昼の学校で同じ机を使っている水野良平(安藤武志)という子から「自分の筆箱を机に忘れたと思うが、朝来たら無くなっていた。知っていてら返してください」というものだった。
「昼間の奴らは俺たちが貧乏だと思って何でも物を盗ると思っていやがる」といきり立つ。そしてそのことを手紙に書いた。
その手紙を受け取った良平やその友達も逆に怒り、喧嘩になるかという勢いだったが、良平の筆箱は見つかり事は解決した。
良平は母を亡くし父(宇野重吉)と二人暮らし。良平は疑ったお詫びにリンゴを二つ机に置いていった。
そのリンゴはおいしくて、鮮太も鮮太の母(木暮実千代)も弟も大喜び。
そのお礼にと珍しい切手を鮮太は良平に送る。

日大芸術学部が製作し、OBの本多猪四郎が監督した幻の映画。43分の中編だが、出来がいいので劇場公開もされた(たぶん添え物として)。DVDジャケットの解説によると配給は大映だったそうだ。どうやら中野昭慶監督も学生時代に製作に関わったらしい。
しかも脚本は水木洋子。昭和30年当時は「浮雲」などの成瀬作品で活躍してたから、一流脚本家の起用である。ゲスト出演として夜間中学教師に小林桂樹、郵便局の客として田島義文、その他にも三木のり平も出演。なかなかの豪華版である。

鮮太は「自分たちは貧乏で普段バカにされることが多いので、つい卑屈になってしまった。自分たちもひがみ根性を無くさなきゃ」と良平に手紙を書く。
物語の後半、良平は郵便局に鮮太の様子を見に行く。そこで働く鮮太を見て、自分はまだまだ子供だと反省する。
二人はお互いを理解する。

さらに人々の心のリレーという物が登場する。
良平は電車の中で鞠を無くした女の子が泣いているのを見て「みなさん、鞠を探してください」と話しかける大人(坊屋三郎)を見る。乗客は鞠を見つけ、鞠を順々に手渡しのリレーをして女の子の手に無事に戻る。
鮮太の方も今変電所の工事のために学校は時々停電する。そのために試験の時にろうそくを持ってくるよう先生から指示を受ける。試験中に案の定停電が起きる。そこで先生は一番前の生徒のろうそくに火をつけ、後ろの生徒に順に火を送っていく。
両方とも人々の小さな協力でこの世の中は成り立つする。

(郵便局に田島義文の客がやってきて鮮太は誤って証紙を500円分多く渡してしまうエピソードが登場するが、この件はその後田島義文が登場するわけでなく、「人間間違える事もある」という説明で終わった)

ハートウォーミングな映画で、学校の授業で見させられるような映画だが、本多監督の後の「ゴジラ・ミニラ・ガバラオール怪獣大進撃」に通じる少年雄の成長物語だ。






ポルノ★トーク


日時 2017年2月26日
場所 DVD
監督 デヴィッド・フェラーリオ
製作 2001年(平成13年)


ニーナ(エリザベッタ・キャバロッティ)はポルノ界の人気女優。ハードコア雑誌の女編集長・クリスティアナとその息子と同居している。ニーナとクリスティアナ(ステファニア・オルソラ・ガッレロ)はレズの関係でもあった。休みの日は二人で怪しい店に出入りし、そこでもセックスを楽しんでいた。そんな人気女優のニーナだが、業界の大物から専属契約を申し出られても受けようとしない。彼女は「ベッドの上で命令されるのがいやなの。この仕事は別に金だけが目的でやってるわけじゃないから」と断った。また母親にも自分の仕事を「金だけじゃない。お客さんが喜んでいるのをみるとセックスとは違う快感がある」と説明する。
定期検診で、ニーナはリンパ腺にガンが発見される。手術をせずに薬物療法で直る可能性があるという。
点滴治療を受けるうちに中学教師で同じ治療を受けているフラビオと看護師のダリオと知り合う。
ニーナは二人と仲良くなり、夜の海岸でダリオとニーナはセックス。だがフラビオはちょっと押され気味で手が出ない。


日本では劇場公開されなかったらしく、ビデオ(DVD)販売のみであったようだ。だから製作年は日本のビデオ販売年とした。
ディスクユニオンで安く売っていたのでつい買ったが、ちょっと期待はずれ。イタリア映画だが英語吹き替え版である。

「ポルノ映画界の内幕を描き出す!」とか書いてあったし、ニーナが病気になってある決断を下す、みたいな書き方がしてあったので、てっきりポルノ界の業界裏話が出てきたり、ポルノ女優の仕事に誇りを持つニーナは体が傷つくので、周りの忠告を無視して手術を拒んで治療より仕事を優先、みたいな結末になるのかと思ったら違った。

真面目そうな男が出てきてその男がニーナに惚れて、彼は真面目だからなかなかニーナに手が出せなくて、ニーナの方は回復の兆しが見えるが男の方は転移が見つかって、最後に病室でセックスする、というような話。

所々で撮影シーンがあるので普通の映画よりオッパイが登場する。そういえばこれだけ外国人女性のオッパイが登場する映画を久々に観た気がする。(ピンク映画は日本人だし、それにピンクって割と露出は少ないし)

ドラマチックな展開はほとんどなく、盛り上げるような演出もないから話が淡々と進んでいく。見終わってみれば最後に病室でフラビオとセックスするところがクライマックスだったのだが、観てる間は別に盛り上がらなかった。

もうちょっと話にも演出にもメリハリがあったほうがよかったんじゃないかなあ。
ヤリマンのポルノ女優が真面目な男と出会って「今までなかった愛を知る」って普通すぎるよ。






相棒 劇場版W
首都クライシス 人質は50万人!特命係最後の決断


日時 2017年2月19日14:25〜
場所 TOHOシネマズ日本橋・スクリーン7
監督 橋本一


特命係の杉下右京(水谷豊)と冠城亘(反町隆史)は国連犯罪情報事務局の元理事マーク・リュウ(鹿賀丈史)と共に国際犯罪組織のリーダー・レイブンの情報をつかんだマークの元部下ロイ・モリスと接触すべく向かっていた。しかし彼らが到着したときにはすでにロイは殺害されていた。
手がかりはロイの死の直前の電話で言っていた「天谷克則」という男の名前だった。
警察は日本中の同姓同名の天谷を調べたが、該当しそうな人物はいない。
そんな時、外務省のHPがハッキングされ、鷺沢瑛里佳の身代金9億円を要求するメッセージ動画が公開された。鷺沢瑛里佳は7年前にイギリスの日本大使館で起こった殺人事件で行方不明になり、誘拐された少女だった。その事件では日本政府は身代金の支払いを拒否したが、犯人が射殺体で発見され、鷺沢瑛里佳もその後は行方不明となっていた。
メッセージ動画では犯人たちは「大勢の人が見守る中、日本人の誇りが砕け散る」と言っていた。それは何なのか?
メッセージ動画から犯人のアジトを特定する右京たち。そして犯人たちは「世界スポーツ競技大会」の選手団の凱旋パレードで毒物をばらまくことが計画だと判明した!


「相棒」シリーズはテレビシリーズはほとんど観ていないが、映画の方は4作とも観ている。今回のクライマックスは世界スポーツ競技大会の凱旋パレードだが、素直にオリンピックとは言えないらしい。
「オリンピック」の名称はスポンサーでないと使えないのかな?

今回の根底にあるのはは「棄民」。
戦前に南洋開拓団としてトラック諸島に行った日本人が、終戦直前に日本軍に置き去りにされたことが発端だ。また「テロとの戦い」で「テロリストの要求には屈しない」と威勢のいいことを言うが、その実体は標的になった人々を見捨てるだけしかしない日本政府。
そしてそれは当然という顔しかしない日本のトップたち。

テロだけではない、今の日本政府は国民をどんどん切り捨て、トップだけが生き残ろうとする。そしてそのトップ集団に見捨てられまいとその周りの者(例えば与党議員)はトップの顔色ばかりを伺う。
これでは日本の国にいても捨てられる。

そういう国に喧嘩を売るような映画を作ったことは評価したい。
「一週間フレンズ。」ももちろんいいのだが、こういう骨太のテーマも観たい。
でも本音をいうと私は「相棒」が好きではないので、他のフォーマットだともっとよかったのだが。「東京湾炎上」なんて公開当時は絵空事だったけど、今観ると明日起こるかも知れない緊迫感がある。
そしてあの頃は国民も守ろうとしていたよ。

実というと(書いちゃ言うけど)鹿賀丈史がテロリストのリーダーだというのは察しがついたので、意外性は感じなかった。
その辺のマイナス点はあるけど「テロとの戦いとは?」についての硬派な映画なことは評価したい。







兄貴と俺 ときめきのKiss


日時 2017年2月18日19:55〜
場所 光音座1
監督 加藤義一
製作 OP映画


俺(津田篤)と兄貴(丸山真幸)は「片道切符」という売れない漫才コンビ。中学の時の先輩後輩。きっかけは俺が中学の時にたばこを吸っていたのを柔道部の先輩が注意してくれたことだった。
テレビ局などのオーディションは毎回落ちまくり。貧乏してるけど兄貴との同居は楽しい。
ある日同じ漫才コンビの「とっちゃんボーヤ」(マンボウ堀内、ちび介)がネタ合わせをしているうちに盛り上がって絡んでしまうのを見てしまう。
その日のオーディションは自分たちは落ちて「とっちゃんボーヤ」が合格した。やけ酒を飲んで寝てしまった俺の服を先輩は脱がせてきた。朝になって先輩は「すまなかった」と謝ってきたけど「覚えてないです」とごまかす俺。
ある日オーディションに落ちた後、トイレにいた時にプロデューサー(サーモン鮭山)に誘われホテルに行ってしまう。「枕営業なんて普通だよ。僕に気に入られれば色んな番組に出させてあげる」と言われて体を許してしまう。帰ったら兄貴には見抜かれてしまった。だけどそのせいで兄貴の気持ちを知ることが出来、僕たちは結ばれた。
でも結局売れたのは「とっちゃんボーヤ」の二人。
僕は何となく居づらくなって部屋を出てしまう。ピンク映画館などにも行ったけど、出て来たところで例の「とっちゃんボーヤ」のホモの方に会ってしまう。そのまま彼の部屋に行く。犯されそうになったけど逃げ出した。
一晩町を歩いたけど答えは出ない。仕方なく二人のアパートに帰った。兄貴は快く迎えてくれた。


ここ5年以内ぐらいの割と最近の映画ではないか。主演の津田篤さんは脚本家の小松公典さんのツイートでよく見かける。
城定秀夫さんが脚本に協力していて、(脚本は城定由有子。城定さんの婦人かな?)ちょっと期待したのだが、話はグダグダである。

特に後半、「俺」が家出をして町をふらつくあたりがよくわからない。
プロデューサーにだまされてしまったわけだが、それが兄貴に対する裏切りのように感じてしまったのかな?
でもそれはプロデューサーが悪いのであって「俺」のせいじゃないから気にするなよ、と声をかけてやりたい。

津田さんや兄貴の丸山さんはいい。
マンボウ堀内とかサーモン鮭山さんとかのデブ銭向けの体型で、そういうのがお好きな方には楽しめるかも知れません。
オーディションの審査員役で倖田李梨さんがワンカット出演。

同時上映は「境界線の向こう側」。映画館では初めてだが、以前DVDで見ているので、感想は今回はパス。





一週間フレンズ。


日時 2017年2月18日13:55〜
場所 TOHOシネマズ川崎・スクリーン6
監督 村上正典


漫画研究部の長谷祐樹(山崎賢人)は1年の春休みに図書室で見かけたことのなかった藤宮香織(川口春奈)という少女に出会う。
2年になって香織と同じクラスになった祐樹は「友達になってください!」とアタックするが「無理」と一言で振られる。
長谷の姿を見て担任が声をかける。実は藤宮は友達に関する記憶が一週間しか持たないというのだ。月曜日になれば先週の友達に関する記憶がなくなってしまうという。「だからあまり彼女に関わるな。ご両親もそう願っている」。
だがめげない長谷は交換日記をして彼女の記憶を補うことを思いつく。
彼女が気に入りそうなセンスのいいノートと色違いのペンを買い、彼女に「俺と交換日記をしてください」。
彼女もその想いに負けてとりあえず日記を預かる。
彼女も先週の記憶がなくなっても月曜の朝に交換日記を読めば長谷君のことはわかる。
二人は距離を縮め、順調に行ってるかに見えた。しかし夏祭りの晩、香織の中学時代の友達に会った。彼女はそれを見てショックを受けてしまう。


山崎賢人のコミック映画化。以前は「LDK」とか「ヒロイン失格」とかあったけど、昨年の「オオカミ少女と黒王子」「四月は君の嘘」と本作で連発している。楽しみだったので初日に鑑賞。
「黒王子」はさわやかイケメンとドSな部分を持ち合わせたキャラで彼の魅力が存分に発揮されていたが、「四月」はめがねをかけていてちょっと顔が隠れてしまうのが残念だった。今回はちょっとヘタレな少年を熱演。

猫背気味で、「友達になってください」も膝を曲げてなんだか頼りなさげな感じを出している。「黒王子」の時などはどこか「自分に自信を持っている少年」だったが、今回は「自信はない、でも一生懸命」という違うキャラクター。でもどちらも似合うのが山崎賢人の魅力だ。

祐樹は常に香織の幸せを願っている。だから彼女の中学時代の彼氏が現れたときはあっさりを身を引く。「男はつらいよ」の世界である。山崎賢人は車寅二郎を演じている。これはほめ言葉である。
香織が昔を思い出すと同時自分のことは忘れてしまう。

それで1年たっていよいよ卒業。
祐樹が冒頭から図書館の分厚い本に描き続けていたパラパラ漫画がついに開かされる。
もうここで私は号泣である。

友達のことだけ忘れるとかそういう物語に都合のいいような病気があるのか?とか疑問は残るが、まあ気にしないでおこう。
夏祭り、浴衣姿、文化祭などこういった高校生恋愛ものにお約束の要素も入れつつ、ラストの香織の行動でまた泣いた。

帰りに見終わった高校生が「あのラスト、友達で付き合ってくれる訳じゃないんだろ?」とか言ってたけど、若いなあ。友達から始まればいいじゃん。歳を取ったおかげでそれほどがつがつしない。
でも君の気持ちも分かるけどね。

よかった。山崎賢人の魅力全開の快作だと思う。






マグニフィセント・セブン


日時 2017年2月17日21:20〜
場所 新宿ピカデリー・シアター10
監督 アントワーン・フークワ

1879年、アメリカ西部のローズ・クリーク。近所の金鉱の鉱山主ボーグはこの町に住んでいる人々の土地を20ドルという二束三文で買い取り追い出そうとしていた。反対する住民を殺し、教会に火をつける。
ボーグは「3週間後にまた来る。それまでに答えを決めておけ。時間をかければ条件は悪くなるばかりだ」と言い残し去っていく。
その時に夫を殺されたエマ(ヘイリー・ベネット)たちはボーグと戦うべく助けになるガンマンを探しに町へ出る。
そのとき、賞金稼ぎのサム・チザム(デンゼル・ワシントン)を見かけ、助っ人を依頼する。断ったチザムだが、相手がボーグと聞いて考えを変えた。
チザムはギャンブラーのファラデー(クリス・プラット)、お尋ね者のメキシコ人バスケス(マヌエル・ガルシア・ルルフォ)らを仲間に加える。
また途中でグッドナイト・ロビショー(イーサン・ホーク)とその相棒ニリー・ロックス(イ・ビョンホン)、インディハンターのジャック・ホーン(ヴィンセント・ノフリオ)、そしてコマンチ族を追われたレッド・ハーベスト(マーティン・センズメアー)も参加し、ローズ・クリークへ。
彼らはこの町を戦い易いように砦とし、町の住民にも銃を持たせた。
それを聞いたボーグは機関銃ガトリングガンを持って彼らと対決する!


「七人の侍」というか「荒野の七人」のリメイク。
「荒野の七人」は私はあまり好きな映画ではないので、今回はパスしようかと思ったが、時間が合ったので鑑賞。

結論からいうと、「リメイクだから」ということで変にオリジナルを変えて新しさを出そうとして却って失敗する、という愚を犯さないでいる。そこがよかった。

しかも今回はインディアンや東洋人、メキシコ人も登場し、リーダーは黒人という多様な人種の設定になっており、「21世紀なんだなあ」と思ってしまう。また敵が資本家になっており、昨今いわれる格差社会の今では却って憎たらしいのは資本家だ。
昔の西部劇では白人はガンマン、黒人は奴隷、インディアンは悪い奴、東洋人は存在しない、という感じだったから。

今、トランプ政権になってメキシコ人は不法入国者で悪の権化のような言い方をするし(トランプが)、そういう政治的に見ても画期的だ。
監督の発想がすごいというより、こういう設定を許したプロデューサーがすごい。

あとはオリジナルへのオマージュ。
イ・ビョンホンが登場するシーンは「七人の侍」の久蔵のシーンと全く一緒。さらに「荒野の七人」のジェームズ・コバーンのナイフ投げの設定も加わっているのが楽しい。
あと町に塹壕を掘ったりして改造するあたりも「七人の侍」からの引用だろう。

そしてオリジナルの「七人の侍」で不満なのが、侍が町についてから最後の決戦までが長いということだ。
これを町についてから一週間後に敵と決戦をするという改変があってよかったと思う。

まあもともと西部劇が好きな方ではないし、だいたい登場人物がみんな髭づら、帽子なので時々登場人物を混同してしまうのだが、それは私の責任だろう。







日本映画大学第3回卒業制作上映会


日時 2017年2月11日
場所 イオンシネマ新百合ヶ丘・スクリーン8
監督 

一昨年、昨年に引き続き日本映画大学の卒業制作の上映会に参加。

<Aプログラム>
「乙女よ、走れ」(監督 原口大輝)
久実は陸上部で活躍する。親友の本子と帰る途中で、まじめ一筋の俊也から告白される。次の日曜日デートする二人。
でも久実は遅刻する、プラネタリウムでは寝る、俊也が作ってくれた弁当に文句をつける、電車の乗ろうとしたときに久実だけさきに乗って俊也は残され、そのまま久実だけ却ってしまう。
翌日「別れよう」と言われる久実。訳が分からないでいるが、本子に「久実は人の気持ちを解ってない」と怒られる。


高校生カップルの初デート物語。二人の気持ちがすれ違う細かい描写がうまい。遅刻、プラネタリウムで寝る、弁当のご飯の炊き方がよくない、電車で先に帰ってしまう。前の晩に久実が母親に「あたし世界で一番優しい女だから」という台詞とのギャップがあり、面白い。
本子が「あたしも久実が好き」と言ってLGBTに話がふれるかと思ったら、そこはあまり突っ込まない。
久実は反省し、再度俊也とつきあってみる、で終わる。
よかった。

「それでもいきていく」(監督 菅谷瑠美)
内海直人は監督の従兄弟。2年ほど前、渋谷で深夜に交通事故にあって植物状態になった。直人の親、友人、弟、妹、職場の人々にインタビューをしていく。

重い。重いテーマに堂々と取り組んだ。去年の作品では同じように親戚を題材にしたものがあったが、それは「自分探し」だったが今回はレベルが違う。
直人の色んな面が紹介されるが、最初に職場のレストランで「勤勉だった」という話が出たかと思えば、弟妹たちは「家で荒れててトラブルメーカーだった」と真逆のことを言う。中学時代のサッカー部の仲間に聞いてみると「いいリーダーだった」とまた反対の話になる。実は彼は怪我をしてサッカーが出来なくなったのだった。だから荒れていた時期もあったのだ。しかしサッカー部ではよく他の部員をサポートしていたという。
このインタビューの構成がうまい。

そして今は植物状態。直人は今20代前半で、親は私と同世代になる。
そんな話は出なかったが、親にしてみれば「自分が歳を取ったら誰がこの子の面倒を見るのだろう」という不安を抱えているはずだ。
また弟妹にしたって兄があの状態では結婚にも支障がでるかも知れない。

こういった素材ではかえって親戚であることが向き合えにくくさせたかも知れない。そういった困難にも関わらず、逃げず向き合った監督を誉めたいと思う。

<Bブロック>
「沢のぼり」(監督 石田晴花)
二宮大地は中学三年生。去年父を病気でなくし、看護施設で働く母、知美は遅くなりがちで大地が妹・菜摘、弟、睦巳の面倒をみることも少なくない。
大地自身まだ父親を失った喪失感から抜け出せない。
夏休み、祖母の家に遊びに行く菜摘と睦巳。そこで二人は祖母に黙ってかつて父と遊びに行った川の上流に遊びに行く。祖母は菜摘と睦巳がいなくなったと大騒ぎ。大地や知美も駆けつける。
大地は二人はあの沢に行ったと確信し、二人を追う。
その沢のぼりを通じて三人は父がいなくなった事実を受け止め、一回り成長していく。

3人の成長物語でさわやかな印象が残る。
好感のもてる作品だった。

「こるはの独唱」(監督 吉岡雅樹)
村野弘二は音大を出たが戦争中故に出征した。そしてフィリピンで自決した。現代、村野の親戚の女性が村野のことを理解しようと村野のことを知る女性を訪ねるがはっきりと解らない。自決したフィリピンにも行ってみるがもはや詳しいことは解らない。
一方、村野の作曲した楽譜を見て現代の音大生がその曲を演奏してみる。

はっきり言ってこれはあまり好きではない。
ドキュメンタリーは対象があってそれをカメラが追いかけるものだと思うが、この映画はカメラの望むように対象に動いてもらっている感じすらある。
特に現代の音大生のパートなど、上からピンスポットの照明を照らしいかもの「かっこいい」映像にしている。要は作り込みすぎている。
また風景だけの長いカットもあり、想田和弘を思い出させるような映像が何カ所かあり、私の生理とあわない。
ドキュメンタリー風ドラマと行った感じで、私の観たいドキュメンタリーではなかった。

「ひいくんのあるく町」(監督 青柳択)
監督の故郷は山梨県のある町。この町ではみんなから「ひい君」と呼ばれている知的障害者がいた。ひい君はホームセンターによく行く。工具が好きらしい。
町のみんなはひい君に優しい。
また監督のおじさんは商店街で電気店を営んでいたが、病気をきっかけに店を閉めていた。

ひい君は親切、というより好奇心からかやたら人の仕事を手伝うのだが、はっきり言って手伝ってもらう方からしたら迷惑である。私なんか邪魔者扱いするかも知れない。しかしそういったことをこの町の人はしない。
この町の人々の優しさがいい。というか心にゆとりがあるんだな。
そういう気持ちを思い出させてくれる。
この映画はひい君を描くのではなく、ひい君やおじさんの電気店を通して「町」を描いている。
心が豊かな町である。

<Cブロック>
「キャンバスの風景」(監督 三宅辰典)
出張介護の仕事をしている理彩は事故で首から下が動かなくなった裕太と利用者に出会う。
裕太は完全に心を閉ざしていて、着替えを手伝う理彩に裕太は勃起したあそこを「しゃぶってよ」という。
彼は体が悪くなる前から絵を描いていて、今でも口に絵筆をくわえ、絵を描いている。
そとに行ってみようという理彩に裕太は冷淡。以前体が動いていた時からの彼女と映画館に行ったのだが、そこで彼はついうんこをしてしまったのだ。周りのお客さんも気づき、彼女はパニックになってその場を立ち去ってしまった。親が迎えに来てくれるまでの惨めな時間を忘れることが出来なかった。
理彩の説得で雨の中の公園を散歩する二人。裕太にしてみれば顔に雨を感じてみたかったのだ。
「なんで介護の仕事してるの」そう聞く裕太に「人の役に立ってる気になれるから」と理彩は答える。「やっぱり自己満足かよ。俺はあんたの自己満足のために障害者をしてる訳じゃない」と言ってしまう。
理彩は裕太のペニスを自分に挿入する。理彩は帰宅してから同居している彼氏に話す。
結局理彩は裕太の担当をはずされる。裕太も理彩との公園の散歩を題材にした絵を描く。

障害者と向き合う介護士の話。人の役に立つとはなんなのか?それは単なる自己満足ではないのか?人にとってはどうすればいいのか?などこういった「人のために尽くす」というボランティア的な仕事に対しての問題点から逃げずに描いた作品。
監督や理彩の真剣に向き合っている姿が心を打つ。ドラマ3本の中ではあこれが一番よかった。

「鶴追人」(監督 ジッティウティンカン・タナラット)
北海道釧路湿原の鶴居町。この町でホテルを経営する和田正宏さんは仕事の傍ら丹頂鶴の写真を撮り続けている。鶴を撮るだけではなく、鶴の居る風景として全体をとらえた写真を撮り続けている。

和田さんの写真の通り、北海道の自然の美しさとその中に生きる鶴の姿が美しい。
ホテルを経営しながら鶴の写真を撮り続ける和田さんの姿は、なんだかかっこいい。仕事もちゃんとしながら趣味、というか自分自身のやりたいことをやっていく和田さんはすてきである。
本当に映像が美しく、すばらしい映像だった。

監督は日本映画大学に留学に来たタイ人だそうだ。彼も北海道の風景に魅了されたのだろう。
よかった。






天使を誘惑


日時 2017年2月5日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 藤田敏八
製作 昭和54年(1979年)


上杉浩平(三浦友和)は茨城の実家に帰った恋人の佐野恵子(山口百恵)を迎えに来た。恵子の勤め先の上司・岩淵(津川雅彦)との仲を疑ったことが原因の喧嘩だったが、恵子は地元の県会議員の2世(岸部一徳)とお見合いをしようとしていた。実力でそれを阻止する浩平。そして東京に恵子を連れ帰る。
アパートに帰ったら空き巣にあって所持金の15万円がなくなっていた。数千円しかなくなった浩平を見て、二人は同棲を始める。
浩平は翻訳をしていたが、実際に来る仕事はアメリカのエロ小説の翻訳。しかも自分の名前は翻訳者としては出ない。
浩平は中学と時からの友人松田(火野正平)の同僚として恵子と会ったのがきっかけだった。松田も結婚することになり、披露宴の司会を引き受けたが、岩淵が現れ恵子にちょっかいを出したことがきっかけで大喧嘩。式は大荒れ。
浩平のアパートに見知らぬ年寄りがやってきた。それは浩平の父・翔太郎(大友柳太朗)だった。翔太郎はなんとなく浩平のアパートに居着いてしまう。
岩淵と付き合っていた恵子の同僚妙子(神崎愛)がいなくなった。岩淵は妻帯者で妙子はずっと不倫の関係を悩んでいた。


百恵友和シリーズ11作目。最初は「伊豆の踊子」などの文芸作品だったが、「霧の旗」以降、サスペンス、オリジナル作品が続いて新路線を探っていた。今回は原作物だが高橋三千綱で監督は藤田敏八。
完全にテイストが違う。今までは針が振れた「ふりむけば愛」でもどこか「東宝的」な感じがあったのだが、今回は日活青春映画、言い換えれば日活ロマンポルノ的と言ってもいいかも知れない。

同棲、不倫、妊娠、中絶、などキーワードだけを見ても今までの百恵友和映画ではあり得ない題材だ。

火野正平の松田も女遊びが激しくていろいろ不始末をして最後には結婚前に関係のあった女から妊娠を告げられる。また翔太郎にしてもいつの間にか妙子といい仲になって浩平の実家、つまり翔太郎の家で二人で暮らし始める。緩い男女関係で、このあたりが日活的な感じがしてしまう。

恵子自身も妊娠をするが、浩平は子供を望んでいないと思い勝手に中絶してしまう。
そして松田の妊娠女の交渉役で出かけた浩平は説得させることは出来たが、結局大喧嘩になり、その女の友人(古尾谷雅人)からボコボコにされる。血だらけになった浩平を見つけた恵子は二人でアパートへ帰る、というなんだか締まらないラストだ。

百恵友和映画も末期的症状だったのだな。
そして百恵も引退することになり、市川崑の「古都」に出演する事になる。






スノーデン


日時 2017年2月5日15:40〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン11
監督 オリバー・ストーン


2013年6月、アメリカの青年、エドワード・スノーデン(ジョセフ・ゴードン=レヴィッド)ドキュメンタリー作家やイギリス・ガーディアン紙の記者と香港のホテルの一室で会った。彼はアメリカの情報関係の仕事をしていたが、そのことでアメリカを告発しようというのだ。
2003年、911にショックを受けたスノーデンは米軍の特殊部隊に入隊を希望するが、もともと運動神経がよくないスノーデンは怪我で除隊。
しかしコンピュータの知識を生かし、CIAに入った。
そこで同期の誰よりもコンピュータについての知識が深く、優秀と認められる。
ジュネーブ、東京、ハワイと情報戦の現場やプログラムの作成や管理を担当する。やがて自分の作ったプログラムが無人攻撃機の攻撃システムに流用されたり、アメリカが他国以上に自国民のメールや電話、SNSを盗聴し監視している現実を知る。しかもそれをアメリカ国民は知らない。
それは憲法やアメリカの精神に反するものではないか?アメリカ人が政府がやっていることを知った上で考えてほしい。スノーデンはそう考え、告発を決意した。


数年前に話題になったスノーデンの映画化。今の映画界では反権力の代表みたいになったオリバー・ストーンが監督だ。

スノーデンが日本にいたときに日本が同盟国でなくなる時に備えて、日本中の電力などのインフラにそれを停止させるプログラムを仕掛けているという事実に恐れ入った。
これでは日本政府は絶対にアメリカに逆らえない。日本国民全員が人質にされているようなものだ。
21世紀になってから特にアメリカの言いなりになった印象があるが、これが原因なのかも知れない。
地勢学的に言って中国ロシアの極東における防波堤としての日本は重要な拠点と考えていると改めてわかった。

SNS、特にフェイスブックに私は名前とメールアドレスしか登録していないのだが、怖くて使えない。時々「あなたの友達では?」というメールが来るが、それが6割ぐらい当たっているのだ。メールアドレスと名前だけでどうしてそんなことがわかるんだ?ツイッターやmixiで使ってるハンドルネームは全く違うんだぞ。全部見透かされてるみたいでとても怖くて使えない。

それと同じようにネットを使っての情報はすべて政府の情報機関に筒抜けなんである。治める側からすれば国民監視ほどやりたいことはないだろう。すべての攻撃や犯罪が未然に防げるような気がするのだから。(たぶん気がするだけである。本気でテロを起こそうとするなら相手はネットを使わない方法をとるだろう。それも不可能ではないと思う)

映画の最後でスノーデンの告発によってNSAやCIAのやっていたことは違法だと言われ、禁止される。
でもだからといってやらなくなった訳ではなかろう。
「可能」であれば法律など無視して実行するのが「彼ら」だからだ。
本当に必要な情報はネットを使わないに限る。







キセキ ーあの日のソビトー


日時 2017年2月4日18:40〜
場所 新宿バルト9・シアター6
監督 兼重淳


メタルバンド「ハイスピード」のボーカル・ジン(松坂桃李)の家族は、父は厳格な医者、母(麻生祐未)は自分を理解してくれ、弟のヒデ(菅田将暉)は父と同じく医者になるべく受験勉強をしていた。
「ハイスピード」はレコード会社の売野(野間口徹)の目に留まり、メジャーデビューの可能性が出てきた。
ヒデは受験に失敗、浪人生活を余儀なくされる。一方ジンの方はデビューは決まったものの、売野からことごとく直しを要求され、迷っていた。売野の要望に応えることはことごとく今までの自分たちのやってきたことを否定することになる。結局売野の要求に応えることは諦め、バンドは解散する。
ヒデは自分の成績では医大は無理と諦め、歯医者を目指すことにする。
よく行くCDショップの店員の理香(忽那汐里)とも知り合ったのはそんな頃だった。
ヒデは歯科大に合格。そして大学の友人と話すうちに音楽好きな連中とバンド「グリーンボーイズ」を結成する。オリジナル曲を作ったヒデは兄に聞いてもらいアレンジをお願いする。最初は気乗りしなかったジンだが、曲を聞いて自分がプロデュースすることを決意。売野に頭を下げて売り込みに行く。


実在のバンド「GReeeeN」の誕生物語の映画化。「GReeeeN」は特別ファンというわけではないが、「顔出しはしない」「実は全員歯医者をしている」などの異色の経歴は知っていた。曲も「ストロボエッジ」の主題歌で使われたことは知っている。
そんな「GReeeeN」にも興味があったし、松坂桃李、菅田将暉の共演というのも惹かれて観に行った。

前半ジンがレコード会社の売野からダメだしを食らって葛藤するところ。売野は二言目には「ビジネスだから」というが、実際そうだ。
売れるものと作りたいものはイコールとは限らない。これは映画でも何でも同じことで、やりたいこととお客さんがくることは別である。
私はこういうのを聞くと植木等が「スーダラ節」の曲を貰ったとき、「俺はこんな歌を歌うためにこの仕事を始めたんじゃない」と憤ったというエピソードを思い出す。植木等だってそうなのだ。
やりたいことと、売れることは大抵別である。

歯科医になるために勉強をするために音楽を諦めるか、やはり音楽は続けるか。そういう葛藤は今までの青春映画ではありがちな展開だが、その展開が「ありがち」、として責めるより「王道」として評価したい。
夢を追うものは親との対立とか将来への不安とかはいつの時代でも変わらない。

私も小林薫演じる父親にも昔なら反発しか覚えなかったろうが、この歳になると父親の気持ちも解らなくはない。夢を追うといいながら結局はただの「だらしのない人間」にしかなれなかった人間を何人か見たのだろう。
彼のような自分に厳しい人間にとってはそういうだらけた人間は許せないのだ。

彼の患者が「『GReeeeN』の曲を聞いて元気が出た」と言うのを聞いて音楽を見直すという展開は予想が出来たが、これも王道の展開と言いたい。
でも最後に一ひねりあって、父親は本格的に音楽合宿に行く息子たちに「お前等も『GReeeeN』みたいな音楽が作れるようになれ」」という。
私は父親は息子たちが「GReeeeN」と知らずに言ったと解釈したが、パンフレットによると息子たちが「GReeeeN」と知っていて言ったとも解釈できるらしい。
名シーンだと思う。

青春の努力と挫折と成功と再生を描いた王道の青春映画。面白かった。






古都


日時 2017年2月4日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 市川崑
製作 昭和55年(1980年)


昭和29年。京都の呉服問屋の娘、佐田八重子(山口百恵)は幸せに育っていた。父・太吉郎(實川延若)は単なる問屋に飽きたらず、自分で帯などをデザインしておらせていたが、地味な柄を好む故、返品も多かった。八重子は実は太吉郎と母・しげ(岸恵子)の実の子ではなく、捨て子だった赤ん坊を太吉郎としげによって拾われたのだった。しかし親子は愛情で結ばれていた。
八重子はある日友人と北山杉の村に行ってみると自分にそっくりな娘を見かける。続いて祇園祭の晩、お参りをしているときにそのそっくりな娘と出会う。娘は「お姉さん」と呼びかけ、「自分は生き別れになった姉をずっと心配しているのです。ここで会えたのも神様のお導きです」とはなしてきた。戸惑う八重子だが、その娘、苗子(山口百恵)の言葉を信じる。


山口百恵シリーズ最終作。山口百恵は三浦友和との結婚を決め同時に芸能界引退を発表していた。さよならコンサートなどが行われフィナーレを飾った。
その1本がこれ。
監督は今までの中堅どころの職人監督ではなく、巨匠・市川崑である。
市川崑は「犬神家の一族」の興行的、作品的成功により、70年代後半から完全に「巨匠」扱いだった。

舞台は京都の呉服問屋。「日本の伝統的風景」「和服」となれば「犬神家の一族」などの金田一ものから殺人事件を取り払った映画だ。(この路線は後も続き、「細雪」につながっていく)
山口百恵は双子役。双子なんて映像の合成とかあって手間だから避けそうな企画な気がするのだが、役者のファンは一つの映画で二つのキャラクターを観られるし、作る方も「挑戦してやる!」っていうチャレンジ精神が働くのかも知れない。
(この双子役は後の田原俊彦の「ジェミニYとS」にもつながっていく)

驚いたことに三浦友和が全くでないのだ。クレジットでは冒頭で「山口百恵」「三浦友和」とそれぞれ1枚でクレジットされるのに映画になると、友和は55分ぐらいたってやっと登場する。それも主人公(話の視点)の八重子の側ではなく、苗子の友人役だ。一応恋人というか苗子を慕う木こりの役だが特に見せ場はないし、出演シーンも少なく役柄としては完全にわき役である。三浦友和の役を作るために話を変えなかったのはさすがである。(今回改めて気づいたが、私は三浦友和が苦手なのだ。百恵友和映画をあまり面白く感じないのは山口百恵のせいだと思っていたが、違った。三浦友和が苦手だったからだ)

三浦友和を生かすなら後半登場する、八重子の幼なじみ(北詰友樹)の兄でもよかったのではないか。八重子に一目惚れし結婚を申し込むのだが、この役は沖雅也である。不思議である。

あと帯を織る職人が八重子惚れていて、頼まれもしないのに帯を織ったりするのだが、身分違いを親(浜村純)にいさめられて諦めるのだが、八重子とそっくりな苗子に出会うと今度はそちらに向かっていく。
苗子に八重子の幻影を見いだして、「ならば苗子に」という気持ちは職人の立場に立てばわからなくもないのだが、ここは完全に苗子の視点から描き「八重子さんの身代わりにはなりたくない」と男を袖にする。
男の立場からするとちょっと可哀想だが、仕方ないか。

映画の方は淡々とした話だ。特に事件が起こったりもめ事が起こったりするわけではない。娘に双子の妹がいたからといって財産を巡る争いとか恐喝とかそういうのなし。
ラストに一晩苗子が八重子の家に泊まりに来て姉妹の絆を確認して終わりである。

それにしても映像が美しい。陰影のある照明、古風な日本家屋のセット、杉林の美しさ、着物の華麗さ、祭りのにぎやかさなど、映像自体が見事である。
父親役・實川延若の好演が記憶に残る。名前を存じない方だったが、関西歌舞伎の役者さんで、映画はこれだけのようである。あとちょっとおっとりした母親役の岸恵子も安定感があって映画を支えている。

合成シーンで八重子が苗子に傘を渡すシーンが難しかったというのを聞いたことがあるが、これは最後の最後のカットだった。

山口百恵映画のフィナーレを飾るにふさわしい、格調高い映画だった。
フィナーレ作品が成功し、非常によかったと思う。






炎の舞


日時 2017年2月4日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 河崎義祐
製作 昭和53年(1978年)


漁師の網元の息子だった拓治(三浦友和)は海軍での兵役を終えて故郷に帰った。ある日、山に行ったときに山の集落にすむきよの(山口百恵)と出会う。彼女とは幼い頃にも出会っていたが、今は美しい娘になっていた。きよのはかつての平家の落武者の末裔だった。
やがて二人は愛し合い、結婚。しかし戦争が始まり、拓治に召集がかかる。戦場で右足を怪我し、除隊した。足はもう直らないと言われ、軍医は右足切断を主張したが、きよのは拒み故郷へと連れ帰る。
きよのと拓治は山に籠もり、彼女は賢明に拓治を看病した。その甲斐あって誰もが直らないと思った拓治の右足も動くようになった。
村の若い男たちはみんな兵隊にとられ、働き手がなくなった村へ帰るきよのと拓治。
戦局は悪化し、拓治に再び召集令状がやってきた。
別れの晩、きよのは拓治の前で能の舞を披露する。


百恵友和シリーズ9作目。前作「ふりむけば愛」はオリジナル脚本の現代劇だったが、今回は原作ものに戻る。不評だったのだろうか?
原作は加茂菖子の「執炎」でこれは1964年に日活で浅丘ルリ子、伊丹十三で映画化されてるそうだ。今までは原作ものと言えば誰でも知ってる有名作家の文芸作品だったが、今回はちとマイナーである。

話を全く知らないで観ているので、「平家の落武者」が出てきた段階で「八ツ墓村」を思い出す。当時オカルトブームだったから、てっきりオカルトものになるのかと期待したが、そうはならない。

今回思ったのだが、最近「霧の旗」「ふりむけば愛」「ホワイトラブ」と見直しているが、山口百恵演じる主人公に共通しているのは意志の強さである。とにかく自分がこうと思ったらそれを貫き通すキャラクターだ。
正直「おいおいあんた思いこみ強すぎ」と突っ込みたくなるような所もあるのだが、映画はお構いなしである。
弱いかわいらしい女性像ではない。
これが当時の山口百恵のイメージだったのだなあ。
だから三浦友和と結婚して引退して、一切表には出てこないのも彼女の意志の強さを感じる。だからその意志の強さは山口百恵そのものだのだろう。

今回だって軍医や親戚の女医が「歩かせるのは無理」と言っても無理矢理歩かせてリハビリさせる。「うちは医者を信用しない!」と言い切って、意志の強さと言えば聞こえがいいが、単なる無茶にも見える。

最後は拓治の戦死通知が届き、拓治を慕って自殺する。
最初は短刀で胸を突こうとしたのだが、考え直してその短刀で長い髪を切り、それを遺髪として断崖に行く。そこで身を投げる、というシーンで終わり。

正直思いこみというか自分が強すぎてついていけない。ちょっと重い女になりかねない気もする。
あと赤紙や戦死通知を届ける村の嫌われ者の役人を有島一郎が好演。

封切り時の同時上映は「ピンク・レディーの活動大写真」。





ふりむけば愛


日時 2017年2月2日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 大林宣彦
製作 昭和53年(1978年)


石黒杏子(山口百恵)はサンフランシスコに一人旅にやってきた。
金門橋の近くで凧揚げをしている日本人青年、田丸哲夫(三浦友和)と出会う。翌日の再会を約束した二人だったが、杏子の待ち合わせ場所にやってきたのは哲夫の友人だった。怒った杏子は「実は毎日がつまらなくて自殺のためにやってきた」という。その場は別れた二人だったが、夜ホテルに哲夫がやってきた。心配でやってきた哲夫だったが、お詫びにとサンフランシスコの夜の街に遊びに行く。
杏子はピアニストと最初は名乗ったが、やがて実は調律師だと打ち明ける。自殺願望も嘘だったとも。哲夫のアパートに連れて行かれた杏子だが、そこで二人は結ばれる。
杏子がサンフランシスコにいる間、同棲状態で過ごす二人。「9月になったら日本に帰る。東京で再会しよう」という哲夫。
日本に帰った杏子だが、しかし哲夫から全く連絡はない。連絡場所として指定されていた百草園駅近くの「馬の骨」というスナックもなかった。
裏切られたと思う杏子。そんな時、杏子は交通事故にあう。加害者の大河内(森次晃嗣)はお金持ちの誠実な青年だった。やがて杏子は大河内からプロポーズされる。


百恵友和映画の8作目。初のオリジナル作品。監督も大林宣彦。今まで文芸作品が中心で「山口百恵文芸作品シリーズ」とも言われていた。前作「霧の旗」でミステリーサスペンスになったが、本作では現代劇の恋愛もの。
でもはっきり言うけど、この二人、バカップルである。

サンフランシスコで見知らぬ男にすぐに体を許してしまう(しかも処女だった)杏子もバカだし、「9月に再会しよう」といいながら全く連絡しない哲夫もだめ男である。
杏子は山口百恵が演じているから華があるけど、設定から言ったらかなり地味な女で、男と付き合ったことなどなかったんじゃないか。

哲夫も最後の方で素性が明らかになるが、「父親(岡田英次)が浜松で病院を経営していて、哲夫は3回医大受験を失敗した。父親が嫌いでアメリカへ行ってビッグになると言って家出した」という男。骨の髄までバカにしか見えない。

大体、杏子のことが好きなら手紙ぐらい書けよ。「書こうと思った」とやたら言い訳じみたことばかりいう口先だけの実行力のない男にしか見えない。
こういうのが案外女にもてるのかね?
大河内の方が誠実だし金持ってるし、普通そっちだろ。

これが大河内を三浦友和が演じていたら、絶対こっちになる。
この頃の森次さんは「ウルトラセブン」の後で悪役っぽい役が多かったからなあ。

連絡のない哲夫が気になって再びサンフランシスコに行く杏子。再会したら部屋に別の女がいた。でも言い訳しようとする哲夫。はっきり言えよ。「お前なんか遊びだよ」って。
で、結局大河内と結婚するのだが、やっぱり惜しくなって日本まで杏子を追いかけてくる哲夫。結婚式も終わってしまってサンフランシスコに新婚旅行に行く杏子。
しかし哲夫はサンフランシスコで杏子を奪っていった・・・っていう話。

哲夫なんて客観的に見たら「単なるバカ男」にしか見えないし、杏子にしても「地味な女の子」だ。ひょっとしたら小学校の時なんかいじめられてたかも知れない。どう見てもバカップルにしか見えず、働かないで大口ばかり叩く哲夫に杏子が愛想を尽かすのが目に浮かぶ。いや案外「あの人で。あたしがついていないとだめなのよ」とかいうのかな。

まあこの歳になると説教臭くなっていけませんね。

杏子と哲夫が初めて夜を過ごす(セックスする)シーンでは、百恵は肩から上は露出したり、手ブラで胸を隠しているカットもあった。割と大胆である。