2017年4月

   
映画 クレヨンしんちゃん
襲来!!宇宙人シリリ
神々が消えた日
バーニング・オーシャン M★A★S★H 激入 主人よりずっといい 家政婦が見た痴態
 〜お願い汚して〜
股間の純真
ポロリとつながる
3月のライオン後編 ReLIFE リライフ おかあさん(2)
おかあさん(1) 宵闇せまれば 歌麿 夢と知りせば 性春リバーサイド
ふたりでイこう
秘書とお医者さんごっこ 長編怪獣映画
ウルトラマン
ふたりのイーダ サクラダリセット 前編
乱 4K やっちまった夏休み PとJK LOVE INN Exile
避暑地の出来事

映画 クレヨンしんちゃん 
   襲来!!宇宙人シリリ


日時 2017年4月30日11:00〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン1
監督 橋本昌和


明日が日曜という土曜の夜、野原一家が夜空を見ていると流れ星が!
さっそく家のローンの減額を願い出るひろしとみさえだが、それは流れ星ではなくUFOだった。しかも野原家の2階に激突。
中からナースパディ星の宇宙人シリリが出てきた。地球人より高等な生物だがシリリはまだ子供。父親から「地球人は野蛮だ。気を許すな」と教えられているシリリはひろしとみさえをバブバブ光線で子供にしてしまう。
これはナースパディでは使われる力で、相手を子供にしてしまうのだ。
「地球人の様々な問題は大人が起こしている。だから相手を子供にしてしまえば問題は解決だ」ということで使われた。
シリリは父親のいる屋久島に行きたいといいだす。小学生の体になったひろしと幼稚園児の体になったみさえとしんのすけ、ひまわり、シロは屋久島を目指すことにする。
シリリはしんのすけのオケツに隠れて春日部を出発。
しかしシリリが人々の目に留まり、テレビに写ってしまう。なんとかその場は逃れたものの、東京駅から乗った新幹線でひろしたちの財布の入った鞄が盗まれてしまう。
あとはヒッチハイクしか手がない。


「もういいかなあ」と思いつつ惰性で観ている「クレヨンしんちゃん」。
今回は宇宙人もの。
お話はこのあと宇宙人研究マニアのあぶない男に助けられるのだが、結局その男に追われる羽目になり、しんのすけとシリリはひろしたちと分かれてしまう。

リンガーハットのトラックに乗ったために九州長崎へ。
ひろしたちは宇宙人マニアの男に無理矢理車を出させて九州へ。
あわやと言うとところで謎の男たちに捕まるが、それはシリリの父の差し金だった。実は鞄を盗ませたのもシリリの父のしわざだったのだ。

という展開。
「人類を全部子供にしちゃえば問題は解決」っていうけど、そうだよねえ。
でも作った人はそこまで考えていなかったろうけど、「○○すれば問題は解決」っていう魔法はないと思うんだよね。だからシリリの父も考えが甘い。
「自民党が政権でなくなれば大丈夫」とか言われたが、そう簡単ではなかたからなあ。

あと以前ネットで「野原ひろしはうだつのあがらないサラリーマンではなくエリート」というのがあったけど、今回も「野原ひろし35歳係長。ローンはあと35年」という台詞があったけど、35歳で春日部でも2階立ての家が建てられるのだから、いまなら十分いい方だ。
「クレヨンしんちゃん」が始まった当初はこれが当たり前だった。
それだけ今の日本は夢がなくなってきたということです。
みさえも専業主婦だしね。

そんな映画とは関係ないことを観ながら考えてました。








神々が消えた日


日時 2017年4月29日13:10〜
場所 光音座1
監督 小林悟
製作 OP映画


シンイチの母は戦争中に長崎で疎開したときに原爆の放射能を浴びた。そのせいで若くして亡くなってしまった。それから8年、シンイチも一人前になっていた。幼なじみで仲のよかった今井タカシ、前田ヒロシの3人で毎年命日に母の墓参りをしていた。今年も故郷に向かう途中でバイクから転倒してしまう。どうやらシンイチも母の遺伝で白血病になり、バイクの運転中にめまいがしたために転倒したようだ。
海岸で倒れていたところを通りかかった近くで民宿を営む井上に助けてもらった。
タカシとヒロシはシンイチの母の墓参りにやってきたが、シンイチはこない。ヒロシは女装をしていてタカシは驚く。一通りお参りをすませると子供の頃3人でよく相撲を取った砂浜に行く。
そこでヒロシは実は子供の頃タカシが好きだったと告白する。
自然に結ばれる二人。結ばれた後、ヒロシは「シンイチに会うのが恥ずかしい」と一人大阪へ帰る。
シンイチは井上の家で起きるが「墓参りに行かなきゃ」と民宿を出るが、しばらく歩いたところで倒れてしまう。
井上の妹がシンイチがいないことに気づき、兄とともに探す。見つかって再び寝かされるシンイチ。
井上の妹は学校に行った後、タカシたちが待っている寺に寄ってみる。
タカシが一人でシンイチを待っていた。
その頃、井上はシンイチを抱いていた。
タカシを連れて行く井上の妹。
シンイチはみんなに看取られながら亡くなる。
タカシは思い出の海岸で「原爆が落ちてから日本には神様はいないのか!神様、一人ぐらい助けてくれよ!」と叫ぶのだった。


話は最後まで書いた。
「ゲイ映画に原爆問題を絡めたベテラン小林悟の異色作」みたいな紹介のされ方をしていたので、期待したが、やっぱり小林悟、テキトーさは否めない。

まずヒロシが女装して出てくるってどうよ?
女装というか完全に女になっている。演じているのも男優が女性を演じているのではなく、最初からどう見ても女優。
これなんかあったんだろうか?
例えばヒロシ役で予定していた男優が急に出られなくなり、新しく探す時間もないので「ええい、女装した男ということで女優でいこう!」って撮影しちゃったとか。
だからタカシとヒロシの絡みなど完全に普通のセックス。

ただし一応気を使っていて、ヒロシの裸は見せない。そしてタカシの方は全裸になって彼ばかりを写すようにはしてましたが。

そして井上は病気で苦しんでいるのになんとなく(話としては強引に)シンイチを抱いてしまう。
そこでムカついたのが井上の妹がタカシと寺で出会う。
それを妹が電話で知らせるのだが、全く電話に出ないで(一戦終わった後だが)まだシンイチのパンツをすりすりとさわっている。
おいおい、電話ぐらい出ろよ。しかも内容はシンイチに関わることだぜ。

でシンイチが「水がほしい」と言ったので飲ませるとむせてしまう。そしたら井上はタカシや妹が見ている前で口移しをする。複雑な思いをするタカシだろうなあ。
シンイチはタカシが来たとすると「また昔みたいに相撲がしたい」と言ってフォギーのかかったイメージカットで今の二人が上半身裸で相撲を取る、という最期。

とにかく話は暗いし、テキトーだし、やっぱり小林悟だな、と思える一編でした。

(同時上映は「奴隷調教ドラゴンファクトリーの男たち」。以前に感想は書いたのでパス。この日はN-stageのショー付き)







バーニング・オーシャン


日時 2017年4月28日19:10〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン12
監督 ピーター・バーグ


2010年4月20日。メキシコ湾に浮かぶ海底油田の堀削施設・ディープウォーター・ホライゾンに電気技師のマイク(マーク・ウォールバーグ)は21日間の予定でこの施設にやってきた。
ディープウォーターではいま行っている採掘作業が38日遅れており、依頼主の石油会社BPから作業の遅延を責められていた。
本来行うべきなテストを行わず、作業を強行しようとしている。現場責任者のジミー・ハレル(カート・ラッセル)は安全第一を主張するが、コストを心配するBP側は「大丈夫だ」「心配しすぎだ」と言って聞く耳を持たない。
負圧テストだけは行うとジミーは主張。BP側も承知する。テストは行われた。しかし結果は通常なら現れない結果になった。現場は「何らかの異常がある」と考えたが、BP側は「センサーの故障だ。大したことではない」と主張し、作業は進められた。
しかし大量の原油が逆流し、大火災を招いてしまう。


2010年に実際にあった事故をベースにした映画。この事故のことは知らなかった。日本ではあまり報道されなかったのかも知れないし、されても記憶にはなかった。

観ていて思うのは「現場は安全第一を主張、上層部はコスト第一を主張」という構図はどこの国でもどの時代でもあるのだなあ、ということ。
これはどんな会社でもあるのではないか。原発事故でも要はそういうことだ。
安全を優先すればコストはかさむ、コストを優先させればどこか危険になる。その微妙なバランスの元でこの世界は成り立っている。

本来リーダーシップをふるって現場を指揮していくべきジミーは前半のBP社とのやりとりでは活躍するが、事故の起きる瞬間はシャワーを浴びていたし、後半は負傷のためあまり活躍できない。
(BP社のやりとりの中で「俺のじいさんは歯医者に行かなかった。行って悪いところが見つかるのがいやだったから。あんたらBPも同じだ」というセリフがいい)
これは本来なら脚本としておかしいのだが、現実の事故を描いたのだから、仕方なかったのだろう。映画のために事故が起こったのではないのだから。

どうようにマイクも事故の瞬間は妻とネットのテレビ電話で妻と話しているという緊張感のないシーンとなる。
本来なら「主人公が事故の現場にいて事故が起きる直前に異変を察知するのだが間に合わず、事故が起こってしまう」というようにしたいのだが、それも出来なくて残念だ。

そのあと、「閉じこめられた環境からどう脱出する?」的なドラマチックなそれこそ「ポセイドン・アドベンチャー」的なシーンを期待したが、それはなかった。(すこしあるのは操縦士のフレイタス(ジーナ・ロドリゲス)を海に飛び込ませるあたりか。
これも現実の事故を描いた映画だから、あまりフィクションは入れにくかったのだろう。

大満足作、というほどではないが、十分楽しむことは出来ました。








M★A★S★H


日時 2017年4月27日
場所 DVD
監督 ロバート・アルトマン
製作 1970年(昭和45年)


朝鮮戦争の最中の陸軍野戦病院。この病院にホークアイ(ドナルド・サザーランド)、デューク(トム・スケリット)の二人の外科医がやってきた。
腕はいいが、軍隊の規則にはなじめない二人。胸部切開の専門医を隊長のブレイク大佐に補充をお願いする。そこでやってきたのがホークアイたちに負けない型破りなトラッパー(エリオット・グールド)だった。
お祈りだ規則だとうるさいわりには藪医者のバーンズ少佐を殴る。そのころ同じく規律にうるさい婦長のホーリハンも着任。ホーリハンとバーンズは本部にホークアイたちの無軌道ぶりを訴える告発状を書く。堅物同士意気投合した二人はテントの中で裸で抱き合う。しかし伍長のレーダーによってマイクを仕掛けられ、病院中に彼らのあえぎ声が響いてしまった。
ある日、巨大なイチモツを持つと評判な歯科医のワルドウスキー大尉の悩みをホークアイたちは聞いてみた。故郷に婚約者を3人残しているのに、自分はホモに目覚めてしまったというのだ。それで自殺したいという。
ホークアイたちはワルドウスキーに最後の晩餐を与え、「遅効性の死ねる薬」を渡す。そこへ美人の看護婦を行かせてワルドウスキーに男の自信を取り戻させる。


ロバート・アルトマンの出世作。カンヌ国際映画祭でグランプリを取ったそうで、有名だし私も知っていた。ただ何となくみる機会を失っていたが、今回いまおかしんじ監督と話しているなかで最近観たというので以前に買っていたDVDで鑑賞。

ずっと以前テレビの映画放送で一部を観た記憶あり。それはエリオット・グールドが着任して「マティーニにオリーブがないといけない」と言ってオリーブの実を瓶から出して入れるところ。歯科医が「実はホモなんだ」と告白するところ。

正直、それほどでもないかなあ、というのが本音。
面白いと言えば面白いのだが、「戦争のはじめかた」(2005)という映画の方がインパクトがあった。たぶんあれはこの「MASH」の影響を受けての映画だったのだろう。

堅物の二人が実は陰でセックスしてるとか、威張ってる婦長のシャワーを覗くとか、フットボール狂いの司令官のチームを負かせるとか徹底的に「反権威」の精神で貫く。
その辺りが評価されたのだとは思うが、今観ると(というか私には)ちょっとインパクトにかける印象が残った。

朝鮮戦争のため、日本の基地から放送されているのか、日本の歌謡曲が流れる(と言っても今の私が知ってる曲ではなかったが)。
アメリカ人には「歌詞の意味不明曲」だが、日本人にははっきり歌詞の分かる曲なので、ちょっと印象が違うかも知れない。

あとホーリハンたちの告発状を読んだ基地司令官が、野戦病院の隊長に電話をかけるシーンで「信じられないことが書いてあるが」「じゃ信じるな」という会話が笑った。

ちょっと期待はずれだったかな。

映画鑑賞後、特典メニューでついていた関係者インタビューを観て少し驚いた。この映画、1969年制作、1970年の公開だが、その頃は「トラ・トラ・トラ!」「パットン大戦車軍団」の2本の大作を製作中で、首脳陣に目立たないように撮影が出来たんだそうだ。何しろ型破りの映画だから、従来の首脳陣には受け入れられなかったろうと思われたから。
で、撮影時には脚本のせりふは無視してすべてアドリブ、脇の俳優がアップで撮られることもあり、俳優たちはどういう映画になるのかさっぱり分からなかったとか。
また手術のシーンが残酷だからカットするように要求されたが、とりあえずこのディレクターズカットで試写させ、観客の評判を観たらよかったのでそのままになったとか。
興行的にも成功したが、脚本家は「私の書いたせりふが一つも残っていない」と激怒したそうだ。しかしアカデミー賞5部門ノミネート、受賞したのは脚本賞というから面白い。
映画というのは分からないものである。






激入 主人よりずっといい


日時 2017年4月23日13:36〜
場所 上野オークラ劇場
監督 深町章
製作 新東宝映画


昭和22年。資産家の妻・田鶴子(若宮弥咲)は分厚い手紙を受け取った。差出人は鵜飼幸也(岡田智宏)という知らない男だった。
実は幸也は肺病病みで寝たきりの生活だった。高台の家に住む彼は戦前から周りの家を望遠鏡で覗くのが趣味だった。美しい田鶴子に魅せられた彼は田鶴子をずっと観察し続けていた。彼は読唇術を心得ているので、唇の動きから会話もだいたい察していた。
田鶴子の夫・静馬は復員船が沈没したと連絡が入る。しかしその後、静馬の腹違いの弟という中村五郎(なかみつせいじ・二役)が訪ねてくる。
静馬が亡くなったと聞いた静馬の妹が田鶴子を追い出そうとしてきた。
そのためには「通知は誤報だった」とするために五郎を静馬にした。
しかし出征する前に神社に奉納した手形の指紋を比べてみればいい、と義妹は言い出す。
そこへ静馬が生きて帰ってきた。実は静馬は違う復員船に乗って帰ってきたのだ。


望遠鏡で覗く男、届いた長文の手紙、など「屋根裏の散歩者」や「人間椅子」を想起させ、江戸川乱歩ワールドが展開する。実際ポスターにも「欄歩調エロスの傑作!」とある。
でも乱歩だけでなく、横溝ワールドもいっぱいだ。

静馬という名前は「犬神家の一族」にも登場したし、奉納手形で指紋鑑定というのも「犬神家」であった。復員兵の話も「獄門島」であった。
とにかく乱歩と横溝という日本の二大ミステリーの要素を集めたピンク映画で、十分に面白い。

幸也は田鶴子の家を覗いているうちに田鶴子と五郎の絡みも目撃する。
田鶴子はなんと処女だったのだ。
田鶴子は静馬に手形を押させ、義理の妹を認めさせた後は静馬を殺して埋めてしまう。

ここが全部幸也のナレーションなのだ。ピンク映画だから絡みが重要なのは分かるけど、ミステリー映画としては、静馬を殺すシーンは一番重要なのではないか。
それに五郎ではく静馬を殺したのは「たぶん静馬は不能者か同性愛者ではなかったか」と幸也が説明する。
その辺の肝をナレーションで片づけるのは惜しいなあ。

絡みとしては田鶴子の家にお手伝いがおり、それが田鶴子の家の情報を義妹に連絡していたのだが、二人はレズ関係にあるということで絡みあり。

手紙を読んだ田鶴子は幸也を殺す。しかしそれは命が長くない幸也にとって望んだことだった、という結末。

惜しいところもあるけど乱歩+横溝ワールドは楽しかったから、十分楽しめる作品だった。






家政婦が見た痴態 〜お願い汚して〜


日時 2017年4月23日12:36〜
場所 上野オークラ劇場
監督 関根和美
製作 OP映画


実家がペンション経営をしている幸生(なかみつせいじ)の元に父親が危篤と連絡が入った。急いで妻とともに駆けつける幸生。だが実家に父はいなくてお手伝いのしおりと雑用係のショウタ(久保田泰也)がいるだけだった。
幸生と妻は休みがてら絡み始める。それに刺激を受けるしおり。
夕方になって次男のトオルも到着する。
実はトオルはデザイナーとして一時は羽振りがよかったが、今は景気の波を受け、苦しい状態だった。幸生も公務員として働き、安定してるように見えたが、妻がカード破産をして苦しい状態だった。
実家にはしおりが使ってる部屋には「禁入室」の紙が貼ってあった。
実は父親はぴんぴんしていて、息子たちのことを試したのだ。
案の定、二人とも財産目当てで自分の父親のことなど全く心配していない。
それを知った父親はしおりに全財産を渡すと言い出す。
土下座して謝る息子たち。
しおりとショウタは結婚を約束し、二人でペンションを盛り上げようと誓って抱き合っていた。


幸生夫婦が絡むとしおりが外からうかがっている、幸生夫婦の様子でしおりはオナニーするが、幸生たちの痴態はしおりの妄想。
次男のトオルに風呂場にタオルをもってこい、背中を流せ、と言われて風呂場で犯されるのもしおりの妄想、という感じで絡みは基本妄想。

最後に父親が出てくるが伏線もなく出てくるので単純に唐突なだけだ。
そして息子たちが土下座して「心を入れ替えます!」というので、どう入れ替えたかを見せてほしかったが、それはなく、その後のしおりとショウタの絡みで映画は終わる。

話にもう一ひねり欲しかった。






股間の純真 ポロリとつながる


日時 2017年4月23日11:17〜
場所 上野オークラ劇場
監督 吉行由美
製作 OP Pictures


中原ヒカル(あゆな虹恋)は男の子として生まれたが、心は女性だった。自分自身女性として生きる決意をして家を出る。
そんなある日、町でチンピラに絡まれているレイジを助けた。子供の頃から空手をやっていたヒカルは実は初段なのだ。お互い一目惚れする二人。
ホテルに行くまで時間はかからなかった。しかしレイジはヒカルの股間についているモノに驚く。「ごめんなさい」というヒカルに「謝らないで」というレイジ。
5年後、今は一緒に暮らしている二人だが、今度結婚式をヒカルの働くエスニックレストランで開催することになった。
それをSNSにアップしたところ、レイジの母親という女性藤野(倖田梨李)から連絡がある。藤野は14歳の時にレイジを産み、周りからまだ早いとレイジを施設に預けられたのだ。ヒカルは自分を実は男だと隠して藤野に会う。男だとはわかってしまったが、藤野は二人を祝福する。
問題はヒカルの母親クミコ(吉行由美)だ。ヒカルの実家は大企業で、父は婿養子でクミコには逆らえない。クミコにしてみれば跡継ぎを生んだつもりなのに女性として生きるとは逆らっているようにしか思えなかった。
父親もクミコとの仲は冷え切っており、今は秘書のアヤセと親密になっていた。ヒカルと父親とアヤセの3人でアヤセの家で食事をする3人。
しかし父はクミコに急に呼び出され帰って行った。アヤセは親切にしてくれる。でもヒカルが酔って寝た隙に股間のモノをくわえだした。「あなたの精子をちょうだい。中原家の孫が生まれればクミコに勝てる」と言い出す。なんとかなだめてその場を帰るヒカル。
しかしレイジが元カノと浮気をしているのでは?と疑いを持ってしまう。
だがそれは杞憂にすぎず、レイジはヒカル一筋だった。


ピンク映画はそんなに観ないのだが、先日「性春リバーサイド」を観たときに予告でやっていたのがこれ。
性同一性障害、というと言葉が難しくてピンク映画にはなじまないが、用はLGBTの男の娘の純愛だ。

失敗作だとはいわないが、純愛とピンクでは両立は難しかったと思う。
純愛だからセックスしまくってはおかしいが、しかしピンク映画だから主人公がセックスしないわけにはいかない。
レイジとは出会って(たぶん)その晩にホテルに行っている。この段階で無理がある。

その後、レイジの母親が登場するが最初は自分が男だと隠しているが、レイジの母親が占い師をしていて手相を見る。そのときに手を見て気づいてしまう。ここでもめる方に話が展開するかと思ったが、そうはならずにすぐに認める。

実家の方は母親が反対する。普通は父親の方が反対するパターンになるが、そうはならない。それでも濡れ場を入れなければならないためか、アヤセがヒカルを犯そうとするという無理矢理な展開になる。
レイジの方も裏切らないので、濡れ場が成立しない。

非常に意欲的な作品で、「僕は恋に夢中」などLGBT作品に強い関心のあるらしい吉行監督だが、もう一つうまく行かなかった気がする。
非常に惜しい。
もう一度チャンレンジしてほしい。オークラのピンク映画を見る観客に受けたかは分からんけど。
再編集して多少話は改変されるかも知れないが、LGBT映画祭に出品してもらいたいものだ。

レイジの元カノに絡む中年男役で白石雅彦氏出演。





3月のライオン後編


日時 2017年4月22日12:40〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン6
監督 大友啓史


新人王になった桐山零(神木隆之介)。「現在の名人VS未来の名人」ということで話題作りのための対局を将棋連盟は企画した。それは天才・宗谷(加瀬亮)との対局だった。彼と対局した者はことごとく自分の弱点を思い知らされることになり再起に時間がかかるような相手だ。
「負けてもともと」などと考えてしまう零だが、友人の二階堂(染谷将太)に「何言ってる!」としかられ対局する。結果は負けたが大いに勉強になった一戦だった。
そんな時零を家族同様に扱ってくれる川本家の次女・ひなた(清原果耶)が学校でいじめにあっているという事実を知らされる。なんとか力になりたいと思った零だが結局は何も出来ない。
いじめの方はエスカレートとしたために逆に担任教師が壊れてしまい、明るみに出て学校側も本気で取り組み解決した。
今度はひなたたちの父親・清二郎(伊勢谷友介)が再びひなたたちと暮らしたいとつきまとい始めたのだ。清二郎は他に女を作って出ていったのだが、出ていった先で会社も退職し寮を追い出されることになったからというのが本音だった。
これも何とか力になろうとする零。「お前は関係ない」と清二郎に言われるが、勢いもあって「僕はひなたさんと結婚を考えています。他人事ではありません!」と言い切ってしまう。そして「あなたは人間のくずだ」と言い切るが、ひなたたちは「それでも私たちの父親です」と返って迷惑がられてしまう。


先月公開の前編に引き続く完結編。
前回は勝負勝負の話だったが、今回は零と川本三姉妹との関わりの話が中心になる。
ひなたがいじめられる展開だが、こういういじめの話は悲惨な感じがして観ていてつらい。それにこちらとしては将棋の勝負が観たかったのでちょと論点がずれてくる気もするが、最初からこういう構成だったのだろう。
零の棋士としての成長を描くのが前編ならば、人間的成長を描くのが後編だ。

とにかく神木隆之介が圧倒的な存在感で演じる。
彼なしではこの映画は成り立たないと言っていい。画面に写っているだけでなんだか観客として満足できる。すごいなあ、神木。

後藤(伊藤英明)との対局にも逆転勝ちし(どういう戦いをしていたかこっちにはさっぱり解らない撮り方をしているが)、最後は再び獅子王戦として宗谷と対局に向かうところで映画は終わる。
義理の姉の香子(有村架純)は結局後藤とは別れ、川本家の三姉妹も自分たちの力で父親との問題を解決させる。

結局零はうろうろしただけでどの問題も彼が解決したわけではない。
彼はまだ18歳で未熟である。将棋しか出来ない。しかしならばその将棋を徹底的に強くなる生き方を選択する。
ラストの勝負に向かう零は力強く映った。

面白かった。







ReLIFE リライフ


日時 2017年4月18日19:10〜
場所 新宿ピカデリー・シアター8
監督 古澤健


海崎新太(中川大志)27歳、二浪して大学に入学、その後大学院に進学し卒業後は大企業に就職したが、1年も経たずに退職。今は無職の身だった。
就職活動をしてもすべて不採用。学生時代の友人たちには無職のことは話していないので、飲み会にも会社帰りの振りをして参加。むなしさを覚えているところへ「リライフ研究所」の職員という夜明了(千葉雄大)という正体不明の青年から「1年間17歳になって人生をやり直してみませんか?生活費も支給しますし、1年後の就職先も紹介します」と言われる。
夜明によるとある薬を飲むと外見が10歳くらい若返るので、高校生に十分見えるという。そして高校生になって人生をやり直すのだ。
一旦は断った新太だが、朝になって気がついたら自分が若返っていた。知らぬ間に薬を飲んだらしい。夜明に従い、ある高校の3年生に編入した。
そこで成績優秀だが人付き合いが全く出来ない日代(平祐奈)と知り合う。
「友達になってください」という日代に承知する新太。
一見チャラいが成績優秀の大神(高杉真宙)や大神に想いを寄せる狩生(池田エライザ)などと高校生活を送っていく。


千葉雄大とか高杉真宙などの少し注目の若手が出演しているので鑑賞。
中川大志は最近よく名前を見かけるが全く興味が沸かない。
あと出演では先に書くと川瀬陽太が体育教師(?)役でワンシーン出演。
(「PとJK」にも川瀬さんは出ていたし、最近売れっ子である)

27歳が17歳になって高校時代をやり直す、というからてっきりタイプスリップものかと思ったらさにあらず。
薬で若返るので、時代は変わっていない。
それでタバコをうっかり学校に持ってきてしまって職員室で若い女性教師に「若いのに責任ある仕事について立派だなあ。尊敬します」とつい言ってしまうあたりは笑った。

でも面白かったのは最初だけであとは凡庸だった。
「この夏は一回だけなんだぞ」とかやたら同級生に説教するようになる。
で周りから「おっさんくさい」などと言われてしまうが、本当のおじさんの私からすると「27歳でも高校生からしたら『おっさんくさい』って言われるのか」とやや驚きとショック。
本当のおじさんからすると27歳なんてまだまだ青二才だけどね。

それでまあ日代とだんだん両思いになっていくのだが、日代は「私留学しますから」とはっきりしない。
実は日代もリライフの被験者で、彼女は最初の1年を過ごしたが何も変われなかったので、もう1年延長させてほしいと願い出た女性だったのだ。
1年経つと被験者の周りの人間はその人間のことを忘れてしまう設定なのだ。

それで新太も日代もお互いのことを忘れてしまうので夜明もなんとかしたいと思うが、こればかりはどうにもならない。
1年経って新太は元に戻ってから「やりたいことがある」と夜明の紹介する仕事を断ってなにやら勉強を始める。それが高校教師だった、というオチ。

で、さらにそこへ日代も教師としてやってきて二人は再会するというオチになる。
ポスターなどには「1年後、驚きの未来が胸を打つ、青春ストーリー」とか書いてあるけど、全然驚かない。そんなん誰だって予想がつくよ。

それよりも予想外だったのは「リライフ研究所」の正体、目的がまったく開かされなかったこと。
いったい何のためにこんな実験をしているのか。
夜明の上司がちょっと出てくるが、このとき体と声だけで顔が写らないので、意外なオチにつながるかと思ったら、それはなし。

1年高校生に戻して一体どんなことがわかるのだろう。新太はなぜ選ばれたのか?
ものすごい陰謀的なこと裏があるんじゃないかと思ったらただの青春恋愛映画だったなあ。
がっかり。

あと市川実日子が新太がサラリーマン時代に頼りにしていた先輩役で出演。スーツ姿はどうみても「尾頭さん」だった。

そうそう新太が朝起きたら自分が若返っていた、と驚くカット、鏡の中の自分を見たら若くなっていたというカットなのだが、カメラが全く映らない。
どうやったんだろう、と思ったが、その後に部屋のポスターの左右が逆になっているところあり。
そうか、カメラは正面から撮影して、鏡の中に見えるようにあとで裏焼き(とは言わないか)をしたんだろうな。






おかあさん(2)


日時 2017年4月16日14:00〜
場所 渋谷ユーロスペース2
監督 実相寺昭雄
製作 昭和37年〜38年(1962〜63年)


「鏡の中の鏡」(第168回)脚本・須川栄三
今売り出し中の女優風間ミネコ(朝丘雪路)は父(清水元)の支配から逃れたいと思っていた。自分が望んだ仕事でも父がキャンセルしてしまうのだ。父と話してみると「おまえにはまだああいう汚れた役はまだ早い」という。今は亡くなったミネコの母も女優だった。父は母の代わりをミネコにさせようとしているとミネコは思っていた。
そしてミネコの母の後妻となった女性(丹阿弥谷津子)もミネコの母の代わりでしかないと思っている。ミネコは家を飛び出しホテルに泊まる。
朝になってボーイがやってくるが、そのボーイは実は父が前に結婚していた女性の息子だという。つまりはミネコの母違いの兄だ。
ミネコは勝手に父の呪縛を感じていただけで、考え方を変えて行こうと決める。

「さらばルイジアナ」(第173回)脚本・田村孟
神学校の寮にサエコ(原知佐子)はやってきた。サエコは最近30も年上の男と結婚したのだが、その息子(柳生博)がこの神学校にいるのだ。
その義理の息子に会いに来たのだが、彼は会おうとしない。その代わり友人のマルタ(川津祐介)が会う。マルタはサエコに好意を抱く。
サエコは息子に何度か会いに来たが、すべてマルタが対応する。
やがてサエコは離婚したことを報告に来る。マルタはこれで晴れて交際出きると喜ぶが、サエコは「もうここに来る理由が無くなったのだからあなたとは会わない」と告げられる。

題名の「さらばルイジアナ」とは劇中でヒット曲「ルイジアナ・ママ」がよく歌われることから来ている。

「汗」(第197回)脚本・恩知日出夫
チエコ(加賀まりこ)はまだ17歳だが、学校を辞め、クラブで歌手として歌っていた。そんな彼女にファンのテツオがつきまとう。チエコは姉夫婦の団地で暮らしていた。
チエコはクラブの関係者カンザキという男の子供を宿していた。チエコの姉は子供を生むことには反対するが、チエコは生むという。
「変なものね、堕ろすと祝福されて、生むとされないなんて」。


今回合計6本の「おかあさん」を観たが、どれもこれも「母と子の愛情」という素直な作品ではなく、どこかゆがんだ親子関係を扱ったものばかり。
たぶんシリーズとしては異色作ばかりなのだろう。
「ウルトラ」シリーズでも異色作ばかりだった実相寺だが、この人はやはり基本のものがあって「そこからはずれた変化球」の時にいいものができている気がする。

ある程度の縛りがあってその枠の中で変化球をするといいのだ。
だから映画など「基本」がない状態で撮るとイマイチなのである。
これが私の実相寺感で、今回の特集でもそれを改めて思った。

あと時代なのか、やたら台詞が小難しいというか理屈っぽいのだな。
偏見と不適切を承知で言えば「左翼の時代なあ」と思う。

上映後、実相寺夫人の原知佐子さんのトークイベントあり。
「さらばルイジアナ」は生放送で川津さんが緊張して「台詞が飛んだ」というレベルではなく、「ここはどこ?私はなんでここにいるの?」というレベルになったそうで、大慌てだったらしい。最終的には鎮静剤を打ってなんとかなったそうだ。
実相寺監督と原さんはこの時が初めて会ったんだそうだ。

周りから変人のように言われる実相寺監督だが、原さんによると「普通の人」だそうだ。結婚するときも周りから「あんな汚い男やめなさい」とか「あんなキチガイやめなさい」とさんざん言われたそうだ。
また原さん曰く「実相寺は名字で得してると思う。『実相寺』っていう名前だけでなんか凄そうな気にさせるから。これが『田中昭雄』とかなら、こうはならないかも。こう言っちゃ田中昭雄さんに失礼だけど」という奥様なら許される発言。

イベントのロビーで原さんに「シン・ゴジラ」の出演について訊いてみた。
品川のシーンで逃げ遅れた線路を渡ってる二人組のおぶわれてる方。
「周りに『あなたが逃げ遅れたせいでゴジラが大きくなった』とさんざん言われました」と笑いながらお話になってました。
たぶん折に触れていろんな方から「シン・ゴジラ」について話題にされたんですね。

あと今回の上映では素材の中に当時スポンサーだった中外製薬のCMあり。
グロンサンやゴキブリではなく「油虫」の殺虫剤が見られる。
今回思い出したが、昔のテレビ番組って番組中に商品告知のテロップが流れたんだった。
最近、無くなったなあ。










おかあさん(1)


日時 2017年4月16日12:00〜
場所 渋谷ユーロスペース2
監督 実相寺昭雄
製作 昭和37年〜38年(1962〜63年)


TBSでかつて昭和33年から放送された30分のテレビドラマ。
その中で実相寺昭雄が演出した6本を3本づつ上映。
母親をテーマにしたいつもはほのぼのとしたドラマだったそうだが、実相寺らしく尖ったドラマばかり。
もとはVTRだったり、生放送だったりしてビデオに残っていたものを実相寺監督は16mmにして、それをブルーレイにしたものを今回は上映。

「あなたを呼ぶ声」(第139回)脚本・大島渚
妊娠したことを喜ぶ若い女性(池内淳子)に少年(池田秀一)が「おかあさん」と呼びかける。話を聞いてみると少年には母親がいなくて耳の聞こえない妹、そして大工で仕事のない日は酒ばかり飲んで酔うと自分たちを殴る父親と暮らしているという。
可哀想に思った女性は自分の家に招いて食事をごちそうしたりレコードを聞かせたりする。そのレコードを気に入った少年に女性はレコードをあげてしまう。
だが夫(戸浦六宏)は少年を信じきれない。その少年を止めてやる妻。
しかし朝になったら少年はいなくなっていた。心配になった女性はその少年を探し、その家に行ってみる。
そこには耳のほとんど聞こえない母親がいるだけだ。父も妹ももともといないという。

完全に大島渚。「愛と希望の街」の縮小再生産、あるいはリメイクと言っていい。大島渚ファンとしては実相寺作品というより大島作品としてみてしまいました。
昨日の「宵闇せまれば」といい、実相寺と大島渚の関係が解ってきました。
今回の「おかあさん」の中では一番面白かった。
上映後すぐに少年役で出演した池田秀一さんのトークイベント。
池田さんは「ガンダム」などで声優としてもご活躍である。

これはスタジオドラマで1週間ぐらい準備、稽古をして収録されたそうだ。本読みの段階では大島渚監督もお見えになっていたとか。

「生きる」(第145回)脚本・石堂淑朗
壁の薄いアパートに住む学生(山本学)の隣の部屋には妾になった女性が住んでいた。しかもその女性の母親(菅井きん)も住んでいる。
学生は女性に惚れており、寝言と称して大きな声をだし、何かをアピールしている。
妾の旦那(原保美)がやってきた日も壁を突き抜けてその部屋に入ってしまう。喧嘩になって「俺はひも付きの女は囲えん」と出て行ってしまう。

そんな内容。
山本学の友人もこの妾の女性を好きになる展開もあり。山本学が歯磨き粉のチューブを絞っても出てこなくて、見かねた女性が歯ブラシに自分の歯磨き粉をつけてくれるのが縁というのがいい。

「あつまり」(第151回)脚本・中山堅太郎
金持ちのボンボングループに雑誌モデルのアルバイトをしているレイコ(斉藤チヤ子)も加わっていた。彼女自身は金持ちという訳ではなかったが、モデルをしているうちにグループの一人カズオ(田村正和)と知り合ったのだ。
レイコはカズオの子を妊娠していた。彼女は生むという。カズオは結婚もしないし、認知もしないという。「だから金を払うから堕せ」と。
それでもレイコは子供を産む決意をする。

後の実相寺監督の傑作「怪奇大作戦 京都買います」の主演、斉藤チヤ子が出演しているのが興味深い。そうかこの頃から出ていたのか。







宵闇せまれば


日時 2017年4月15日17:00〜
場所 渋谷ユーロスペース1
監督 実相寺昭雄
製作 昭和44年(1969年)


あるアパートの一室。マサアキ(斎藤燐)、ヤナ(清水紘治)、サミー(樋浦勉)の3人はジュン(三留由美子)のアパートでごろごろしていた。大学に行ってもつまらない、ボーリングやゲームをしてもつまらない、生きていることに充足感を感じていない若者たち。
マサアキたちが帰ろうとしたとき、一人が誤って足をかけてしまいガスホースをコンロから抜いてしまう。あわててサミーが挿し直そうとするが、誰かが「このままガスを出しっぱなしにして、誰が最後まで部屋にいられるか賭をしよう」と言い出す。
賛成する4人。「俺たちの時代は戦争もなければ特高警察もいない。極限状態になることがないんだ。だからこうして極限状態を作り出すしかない」という。
たばこを吸いたくてたまらないサミー。うっかり火をつけようとして止められる。やがてヤナが抜ける。サミーも抜ける。
マサアキとジュンが残る。マサアキは「なにも希望がない。抜けた奴はまだ希望があるから生きたいと思うのだ」という。
やがてジュンが根を上げた。先に廊下にでていたヤナとサミーも戻ってきて窓を開けようとする。しかしジュンは「開けないで。この場でマッチをするわよ」とマッチを構える。


大島渚脚本、実相寺昭雄の初映画作品。
今回の上映のチラシでは1962年作品とあるが、Movie Walkerデータベースでは1969年作品とある。
43分の中編でもとは大島渚がテレビ用に書いた脚本だという。だからテレビ放送されたのかと思ったら、ATGで公開されたようだ。
そりゃそうだろう。内容が内容だけにテレビでは放送しにくいだろう。

大島渚の脚本らしく、冒頭ジュンがアパートから見える町の景色をして「夕日にあたり一面が照らされると家々がマッチ箱のように見えてくる」という。これは「鳩を売る少年」の頃の大島渚が言っていたような気がする。
命をもてあそぶ無軌道な若者、というモチーフは「青春残酷物語」にも通じ、いかにも大島渚らしい。

私は大島渚は好きな監督で、映画作品は全部観た数少ない監督である。
しかしこの映画は途中で出たくなった。

ガス管を外してガスを部屋に充満させ「誰が最後まで残れるか」なんて賭をするのは(私の倫理観では)あり得ない。
映画の登場人物をはり倒したくなる。
サスペンスは「ハラハラ」だが、この映画は「イライラ」。こんな風に命をもてあそぶ奴は好きになれん。

バイクで競争するとか崖の手前で止まるとかなら、自分が死ぬだけだからまだ分かるが、ガス爆発したら自分たちだけでなく大勢の人が死ぬんだぞ!
ホント観ていてイライラした。

でもこんなイライラさせる映画を作るんだから大島渚も実相寺も大したものだ。
「実相寺の映画作品はどうも・・・」なんて思っていたが、このころはエッジが効いてるなあ。効き過ぎてる気もするが。

話の方はジュンはもう少しで倒れそうだから、とマサアキが一旦止めたガスをまた開き、ジュンを倒そうとする。作戦は成功し、ジュンは倒れる。

60年代の若者ってこう行き場のない閉息感を抱えていたのだろうか?
その思いが学生運動に向かわせたのか?閉息感ということでは今の若者も同じだが、こういったガスゲームはしない気がする。
今の若者ならどうするのだろう?
諦めて考えないようにするか?それともただで遊べるゲームで暇をつぶすか?
命をもてあそぶようなことをするぐらいなら、今の若者の方が遙かに健全な気がする。

タイトルしか聞いたことがなくて内容は全く知らずに観たのだが、見逃さなくてよかった。不快感はあるが、それだけパンチのある映画だった。







歌麿 夢と知りせば


日時 2017年4月15日14:00〜
場所 渋谷ユーロスペース1
監督 実相寺昭雄
製作 昭和52年(1977年)


江戸時代、田沼意次が老中の頃。町人文化は花開き、町には春画を売る者もおり、芝居小屋では市川団鶴(平幹二朗)が人気を博していた。実は団鶴は「夢の浮橋」の異名を持つ大泥棒でもあった。今日も材木問屋から高価な茶碗を盗み出す。奉行所の橘(小林昭二)らに追いつめられて茶屋逃げ込む。危ういところをある宴席に助けてもらう。そこにいたのが田沼(岡田英次)や平賀源内(内田良平)、喜多川歌麿(岸田森)だった。
歌麿は花などを描かせれば見事であったが、版元(成田三樹夫)から「こんなに素晴らしい絵が描けるのになぜ女がかけない」と責められていた。
遊郭で他の男と女の交情を見たり、自分の妻を乞食に抱かせてみたりだが、なかなかうまくいかない。
歌麿はある日、やくざ者に絡まれて困っている駕籠の一行に出くわす。やくざ者は「駕籠の供の者にぶつかって怪我した」とかで絡んでいたが、歌麿は流れている血が偽物と見抜き、駕籠の一行を救う。その駕籠の中にいた高貴なお方(岸田今日子)に魅せられる。
やがて歌麿は女性を描けるようになり、人気を博す。
しかし老中・田沼意次は失脚し、後任の松平は風紀の取り締まりと称して芝居小屋や歌麿たちの絵を取り締まる。


ユーロスペースで行われた実相寺昭雄特集での上映。
(上映時間はネット情報では140分だが、今回の上映では120数分しかなかった。キネマ旬報のデータを元にしたMovie Walkerサイトでは「125分に再編集したRー18版も有」とあるから今回上映されたのはこのヴァージョンと思われる)

実相寺昭雄監督の映画作品はどうも苦手(というかつまらない)というのが私の中の評価なのだが、今回もそれは変わらない。「ウルトラ」シリーズなどの短編ではいいのだが、2時間の長編となるとどうにもつまらない。

ドラマにメリハリがないのだな。
起承転結というか山がなく、だらだらと話が続く。実相寺監督の映画作品って上映されたりソフト化されることが少ないのだが、人気のない証拠では?

今回も江戸時代の町人文化グラフィティといった感じで、団鶴と泥棒の話とか、平賀源内や杉田玄白、写楽なども登場する。
でもなぜか話が盛り上がらない。
実相寺監督本人もあまり話には興味がないのでは?と思ってしまう。

こういう話だから裸の女性も多く登場するが、どれも乳の大きさは小さい。いわゆる巨乳は出てこずに、貧乳ばかり登場する。あと女スリが捕まって折檻されるシーンなど有り。
実相寺監督のSM、貧乳趣味を見る感じがする。
桜井浩子さんは遊女の役で登場。お尻に刺青がある役でした。











性春リバーサイド ふたりでイこう


日時 2017年4月12日20:40〜
場所 上野オークラ劇場
監督 池島ゆたか
製作 OP映画


マコト(橘秀樹)とレイジ(細川佳央)は高校時代からの親友で卒業して10年経った28歳になっても時々川縁で会ってジョージアMAXコーヒーを飲んでだべっていた。
レイジは今はコンピューターのSEとして働いているが派遣社員の身。レイジは役者を目指してバイトと芝居の日々。
マコトの高校時代からの彼女しおり(佐山愛)との初体験の話、あこがれのマドンナが今どうしてるかという話、マコトの浮気話、レイジの劇団の演出家との話、彼らの話はつきない。
しかし彼らは人生の節目を迎えていく。


上野オークラがついに新作だけはブルーレイ上映になったことと、この映画が去年の「セトウツミ」を下敷き(というかパロディか)にしてる映画と聞き、どうしても観たくなり、平日仕事を終えてから上野オークラに駆けつけた。
(上野オークラは1週間で番組が変わってしまうし、ソフト化されるわけではないし、いつかは有料チャンネルで放送されるだろうけど、そんなのいちいちチェックしてられないので無理してでもいくしかないのだよ)
でも新作だけはブルーレイになったことはホントによかった。これで観に行くテンションが上がる。

たしかに「セトウツミ」。レイジはツンツンヘアーだし、マコトは黒縁メガネをかけている。ただし並び位置が「セトウツミ」では内海が左で瀬戸が右だったけど、レイジが左でマコトが右で逆。
これがちょっと気になった、というか違和感。

最初に見始めたとき「セトウツミ」は二人を真正面から捉えていたが、この映画はカメラポジションが少しナナメから捉えている。
観ていて思ったのは、二人が座ってる階段から川縁までの距離が短くカメラが置けなかったからかも知れない。

あと人物が出てくる度にテロップ画面になって名前と特徴などが示される。それとマルチスクリーン(分割画面)が多用される。
この位マルチスクリーンが多い映画は久しぶりだ。
この点が「セトウツミ」と違う。
なぜこの2点違いを出したのか聞いてみたいところだ。

章立てになっている点は同じ。
「こんなふたり」「30までには」「俺たちのマドンナ」「半端な千葉」「マコトの初めての浮気」「役者のレイジ」「絡めとる女」、エピローグ。だったかな。こんな感じ。
カラミのある章とない章がある。

「こんなふたり」はそれぞれの初体験。マコトは後輩の巨乳のしおり(その後11年つきあい続ける)、レイジは高校卒業後すぐに女教師とそれぞれ体験。
「30までには」はレイジが30までに役者で芽が出なかったら就職するという話、
「俺たちのマドンナ」は高校時代あこがれの先輩だった奥沢が実は英語教師の井上とつきあっていたらしいという話」。

「半端な千葉」はカラミはないけど「千葉は東京にも近いが、いつも微妙」「埼玉よりは上」と言った話題を二人がする。
そういえばこの映画、千葉に対する思い入れが強い。
二人が飲んでいる缶コーヒーは千葉限定の「ジョージアMAXコーヒー」だ。劇中では「マッカン」と呼ばれる。
そして千葉市を走るモノレール。このモノレールが上から車両がぶら下がっている形式で、実に独特。このモノレールが映画に全面的に登場するのは初めてじゃないだろうか。僕自身、この千葉のモノレールが独特で好きなので、映画に取り上げてくれてうれしい。
池島監督はスカイツリーといい、現実にある特徴的な建造物を入れるのがお好きなようだ。

「マコト初めての浮気」はしおりにときめかなくなったマコトが会社の後輩と出来てしまう話・マコトは「いまつきあっている人はいない」といって相手をその気にさせている。
悪い男だねえ。
「役者のレイジ」はレイジが若手監督の新作のオーディションに参加して決定する話。今稽古中の芝居の演出家(松井理子)と関係を持つ。
「絡めとる女」はしおりが妊娠して結婚を迫る話。収入が少ないので断ろうと思ってしおりの親の元に行ったら転職先を紹介されたというオチ。

二人は結婚、そして役者として活躍するきっかけが出来る、という人生の節目を迎える。
エピローグはしおりのモノローグ。このあたりも「セトウツミ」と一緒。
タンゴ風の音楽も「セトウツミ」と一緒。

「セトウツミ」ファンや関係者に是非観てもらいたい、パロディというかオマージュというかパクリ映画。
でも関係者に見せたら「盗作」とか言われちゃうかな。

もう1本加藤義一監督「女教師 秘密の放課後」の上映があったが、疲れて寝てしまいそうなのでパスした。









秘書とお医者さんごっこ


日時 2017年4月11日19:40〜
場所 上野オークラ劇場
監督 池島ゆたか
製作 新東宝


児童書専門の出版社の社長・克也(北千住ひろし)は妻の幸子と毎日幼児プレイを楽しんでいた。今日は妻が幼い娘になり自分はその兄になる、翌日は克也が赤ちゃんになり妻に母親なってもらってプレイを楽しむのだ。
社長秘書のカオルは同僚の木村から酔って一回やったことがきっかけで交際を迫られていたが、カオルはその気はない。カオルは克也に興味があり、食事とかを誘うのだが、克也は一向に考えてくれない。
克也はこのまま毎日幼児プレイが出来る日々が続けばいいと思っていた。
ある日、幸子は近所のシングルマザーの母親から、仕事に出かけてる間、子供のツヨシを預かることにする。
幸子が子供をかわいがっているのを見て克也は嫉妬する。いや嫉妬だけでなく子供を憎む。
幸子はやがて自分の子供がほしいと言い出す。そして幼児プレイはやめて普通の夫婦になろうとも。
克也は秘書と浮気をしたり、幼児プレイをする風俗に遊びに行ったが満たされない。


池島ゆたか監督のピンク映画。
例によって予備知識なしに観たのだが、なかなか面白かった。

克也は満たされず、幸子と険悪になる。そして幸子は克也が大切にしていた幼児プレイ用のおもちゃなどを全部、ツヨシにあげてしまう。
それを知った克也はついに幸子を殺してしまう。
もはや狂気に至っている。
そこへツヨシの母親が「たくさんのおもちゃを頂いてすいません」と訪ねてくる。
そこには幸子の死体と正気を失った克也がいた、というオチ。

かつてのテレビシリーズの「ミステリーゾーン」にいつまでも缶けりとか鬼ごっこの遊びをしていたい中年男の話があったと思うが、それを彷彿とさせる。

「彼の意識は幼い頃のまま。彼はついにミステリーゾーンに落ちたのです」というロッドサーリグ(というか久米明か)のナレーションでも聞こえてきそうな、そんな後味。
セックスシーンも必然性があるというか、いわゆるカラミのためのカラミになっていなくて、よかった。
さすが職人監督池島ゆたかである。








長編怪獣映画 ウルトラマン


日時 2017年4月9日
場所 DVD
監督 円谷一
製作 昭和42年(1967年)


昭和41年から42年にかけて放送された「ウルトラマン」の劇場版。
この後に続く「ウルトラマン」の劇場版の元祖だ。
といっても新作ではなくテレビ作品の再編集版。

第1話「ウルトラ作戦第1号」第8話「怪獣無法地帯」第26、27話「怪獣殿下(前後編)」の再編集。そのままつなげたら90分ぐらいになるが、本作は75分程度なので15分ぐらいカットされている。
クレジットは後の「実相寺昭雄監督作品」のように新撮ではなく、オープニングのバックの画は一緒。クレジットの人名は脚本家が何人もいる表記になっている。

一番の改変は第1話でS16に乗ったハヤタがベムラーに攻撃を開始したら、そのままベムラーは倒される。つまりウルトラマンには変身しない。えっ、それってどうなの?
(実は映画を見る前にWikiでそのことを読んでしまったので、驚きはなかった。Wikiなんか読むんじゃなかった)
尺の都合でカットの必要があったとは言え、そこは肝なんじゃないかなあ。

「怪獣殿下」は今回観て思ったが、「キングコング」の焼き直しなのだな。改めて観て気がついた。
前から思ってるけど、「大阪の万博に展示する」っていうけど、これは1970年の大阪万博のことを言っているのだろうか?
でも「ウルトラマン」の設定は未来のはずだから第2回目の大阪万博か?
現在、東京オリンピック続いて大阪万博の誘致運動も始まったようだから、2回目の大阪万博の設定はありか。
でも実際のところ設定の統一がなかっただけかも知れない。

それに尺の関係からか「怪獣殿下」の少年の出演シーンが大幅にカットされて、ベータカプセルを届けるだけになっている。
もっともこのベータカプセルもウルトラマンとゴモラが最初に戦ってるときに転がってきた、という話だから、なんだか不思議である。
いつものようにベータカプセルを落としたりするんじゃいんだなあ。

特に面白いわけではないんだが、初の「劇場版ウルトラマン」としての資料的価値はありますね。









ふたりのイーダ


日時 2017年4月9日12:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 松山善三
製作 昭和51年(1976年)


小学4年の直樹と3歳の妹のゆう子は夏休みに祖父母の実家のある広島の田舎に行った。ゆう子はよく「イーだ」と言う。
雑誌記者で母親の美智(倍賞千恵子)は二人の子供を実家に預けると、自分は取材に出て行った。
虫取りをして遊ぶ直樹は、ある日古い椅子が一人で歩いているのを見かける。不思議に思ってその椅子の後をつけていくと古い洋館に入っていった。椅子は誰かを探しているようだ。
あくる日、昼寝から冷めてみるとゆう子がいない。探しに行った直樹だが、なんとゆう子は洋館の椅子と遊んでいた。
洋館にあったカレンダーは昭和20年8月6日で終わっている。おじいちゃん(森繁久弥)の話ではこの家には昔ムナカタさんというおじいさんとその孫娘が住んでいたという。そして原爆で死んだはずだと。
孫娘とおじいさんは昭和20年8月6日の朝家を出て父親に会いにいった。そこで原爆にあって亡くなったのだ。その孫娘もイーダと呼ばれていた。
直樹は椅子に「あの娘は僕の妹でお前の待っているイーダじゃない」というが椅子は信用しない。椅子は「イーダには背中に3つのホクロがあった」という。椅子に妹の背中を見せる直樹。ホクロはない。
納得した椅子はイーダを探しに広島へ向かう。


ラピュタ阿佐ヶ谷での松山善三=高峰秀子特集での上映。
この映画は内容はともかくタイトルだけは知っていた。キネマ旬報を読み始めの頃で今より雑誌を何回も読んでいたのだろう。
今回の松山善三特集は(私は彼の善意の固まりのような映画がどうも苦手なので)パスするつもりでいたが、この映画は知っていたので「どんな映画だったのかな」と気になって観に行った。

ああ、もう亡くなった少女を待ち続ける椅子など善意の固まりのような映画である。椅子の声を宇野重吉が担当しているが、三人称になると女性の声のナレーションになって少々ややこしい。

直樹から広島でイーダは亡くなったと聞いた椅子は広島に向かう。
途中、道に止まっていたら、トラックの運転手(砂塚秀夫〜この映画のクレジットでは「英夫」表記)に荷台に乗っけられ、広島に着く。
んでゴミ扱いされ、ラーメン屋のゴミ箱に捨てられ、そこからぬけだしラーメンまみれになって町を歩く姿は少々痛々しい。

8月6日の鎮魂の日に川に落ちた椅子は川の中で少女を再会し、少女が死んだことを納得する。そして彼はいったんはバラバラになる。その後、海岸に遊びに来ていた直樹に椅子は発見される。再度組み立てられるが椅子は自ら海に飛び込んでいく。

製作当時の1976年はまだ戦後30年で、「原爆や戦争を風化させない」という決意の元に作られているが、あいにくと70年経った今では、憲法改正を叫ぶ勢力が力を付け、国民は政治に諦めたのか何も言わない。
いや言ってる人はいるのだが、安倍総理は聞く耳を持たない。
あああそこまで聞く耳を持たなくても政治は出来るのかと思ってしまう。
10年前なら選挙区に帰った議員たちが、地元の支持者に批判され、これではまずい、と総理や閣僚交代になったものだが、もはや誰も何も言わなくなったのか?

映画だけでは何も出来ない現実を改めて感じる。

本日は本作のプロデューサーの山口逸郎氏が来館されていて、上映前に挨拶。「上映後、質問等がありましたらロビーでお話ししましょう」と言うことだったので、「椅子はどうやって動かしていたのか」を聞いてみた。
電動の仕掛けでもあったのかと思ったら、テグスで操っていたそうだ。
椅子を製作したのは人形劇で有名な「ひとみ座」。「ひょっこりひょうたん島」などを作ったところ。なるほど。
また脚本協力に山田洋次の名前があるが、原作者の元に行ったときに「山田洋次さんが映画化されようとしてうまく実現しないでいた。出来れば山田さんとも共同でやってほしい」という希望があったそうだ。松山監督も山田洋次も松竹で旧知の仲なので、脚本協力という形になったそうだ。

40年来ちょっと気になっていた映画が鑑賞出来てよかった。






サクラダリセット 前編


日時 2017年4月8日19:15〜
場所 TOHOシネマズ渋谷・スクリーン4
監督 深川栄洋


咲良田市。そこには特殊な能力を持つ人間が多数住んでいる街だ。だが街を出るとその能力の存在を忘れてしまう。
高校3年の浅井ケイ(野村周平)は記憶保持の能力を持ち、見たもの聞いたものはすべて記憶できる。春埼美空(ハルキミソラ)(黒島結菜)はリセットという過去のある一点までさかのぼることの出来る能力を持っていた。
彼らは管理局という彼らの能力を管理する公的機関によって監視され、高校ではその下部組織の奉仕クラブに所属している。
奉仕クラブの顧問、津島(吉沢悠)から佐々野(大石吾郎)という老人の特殊能力が奪われたのでその能力を取り戻す仕事をケイは頼まれる。
佐々野の力は、かつて写した写真を写したその場所に行って破るとその写真の世界に10分間だけ入れるというものだった。
奪ったのは岡恵理(恒松祐里)だ。彼女の能力は他人の記憶を操る事が出来、佐々野の力も使い方を忘れさせたのだ。
翌日の9月18日、ケイと春埼は管理局の中枢の人間が会いたいというので面会に行く。そこには魔女(加賀まりこ)と呼ばれる美しい女性がいた。彼女は未来がわかる能力を持っているのだが、管理局の完全な管理下におかれ、ある建物に監禁されていた。
建物を出たところでケイと春埼は岡と村瀬(玉城ティナ)というコールした対象を消すことの出来る能力を持つ少女と出会う。
ケイに不満を持つ岡は春埼のリセット能力を奪ってしまう。


最近流行の前後編のSFファンタジー大作、と思って拡大公開なのかと見に行く順番を後回しにしていたら、危うく見逃しそうになった。
新宿での公開館はTOHOシネマズ新宿なのだが、これが初日以外1週目は1日2回、2週目は1日1回、で上映終了。都内のほとんどの上映館も2週で終わって3週目は渋谷だけである。それも1日1回だけ。
ひどいなあ。前後編で作るような映画だから大作!という訳ではないのですね。

何本も観ているがどうにも「これ!」と言った作品を私が感じなかった野村周平だが、今回は代表作となる。共演の黒島結菜は「ストレイヤーズ・クロニクル」で最後に残る少女を演じ、その後はTVの柳楽優弥の「アオイホノオ」で主人公をやたらべた褒めする同級生を演じていて、私は注目と期待していた子。今回は準主役でその存在感は十分。
しかし先の公開館、上映回数の少なさから考えると、やはり福士蒼汰や山崎賢人、広瀬すずなどに比べると「格下」なのかな。惜しいけど。

で肝心の映画だが、結局はエスパー対エスパー、エスパー対権力者の話で、「エスパイ」とか「ストレイヤーズ・クロニクル」と構造は同じ。
しかしその2作が「念力」とか「透視」という比較的分かりやすい(画にしやすい)能力だったから映画にしやすいが、この映画に出てくる能力は「リセット」とか「写真の中に入る」とか「バカも休み休み言え!」というぐらい想像もつかないので、ちょっとわかりにくい。小説ならいくらでも説明が出来るが、映画は画にしなければならいないのでちょっとわかりにくい。それに村瀬の「コールした対象を消す」という能力がさっぱりわからなかった。

こちらの「?」の疑問はおいたまま、ケイの説明もわかったようなわからないような複雑な気分のまま、「とにかく成功したんだな」と2年前に謎の死をとげた同級生が生き返ったことで前編は終了する。
この同級生が生き返るとケイの気持ちがそちらに移ってしまうのではないかと逡巡する春埼がよい。

後編は管理側対能力者となるようだが、何はともあれ、野村周平、黒島結菜の活躍は楽しみである。

乱 4K


日時 2017年4月8日13:15〜
場所 EBISU GARDEN CINEMA スクリーン1
監督 黒澤明
製作 昭和60年(1985年)


戦国時代。一文字秀虎(仲代達矢)は家督を3人の息子に譲り、自分は雄隠居すると宣言した。長男・太郎(寺尾聡)、次男・次郎(根津甚八)は「身に余る光栄」とおべんちゃらを言うが三男・三郎(隆大介)は反対する。しかしその直言に耳を傾けず、秀虎は三郎を追放する。追放された三郎だったが、事の子細を見ていた隣国の大将藤巻(植木等)に気に入られ、藤巻の婿となった。
一の城に住む秀虎だが、かつて秀虎に両親を殺された過去を持つ太郎の妻・楓(原田美枝子)は太郎をそそのかし、「あなたはこの国の領主なのだから」と父をないがしろにする。その振る舞いに腹を立てた秀虎は一の城を出て二の城へと向かう。しかし次郎の重臣・鉄(くろがね)(井川比佐志)によって「今こそ太郎を討ち取って殿がこの国の領主となられる時です」とそそのかす。
二の城にも入れなかった秀虎は三の城に向かう。しかしそこへ太郎軍、次郎軍によって攻められ、秀虎は広野をさまよう。混乱の中、太郎は銃撃される。撃ったのは藤巻だ。
秀虎の窮状を聞きつけた三郎は父を捜しに国へ帰るが、それは次郎にとっては藤巻が攻めてくるように見えた。


黒澤明の最後の時代劇超大作。この映画は封切りの初日に見ている。
6月1日が封切り日で、いまでこそ毎月1日が映画半額デーだが、この頃は数ヶ月に一度だけでその日とぶつかったのだ。だから初日にも関わらず半額の700円(確か。当時は一般1500円で半額デーは700円だったと記憶する)で、前売り券を持っていた私としては損になるのだが、それでも初日の日劇東宝(だったと思う。洋画の日本劇場の方だったかもしれないが)で観た。

んで最近流行の4K化されたのがこれ。
配給は東宝ではなく角川である。公開時も配給は東宝と日本ヘラルドが共同だったが、今回は角川。他の作品と違って外資も入った映画だから権利関係が複雑なのか。(今回の上映では東宝マークはなかった)
4Kの仕上がりだが、正直「この程度?」と思った。
ロングショットなど不鮮明で、4Kならでは細密な画を想像していたから正直肩すかしを食らった。

映画の方だが、32年前に観たときも「つまらんなあ」と思ったが、32年経って観れば見方も変わるかと思ったが、今回も同じ。つまらん。
以下、気になった点を列記する。

1、せりふのテンポがまったりしすぎている。かつての映画のテンポの良さはどこへ行ったのか。

2、せりふがシェークスピアの「リア王」から引用したような日本の時代劇には似つかわしくないような言い回し。同じ事だが、シェークスピア劇では「外国の事だからそういうのもあるのかな」と思って見過ごせた「道化」が日本の時代劇に持ってきてピーターの演じる狂言が実になじめないで違和感ありありだ。

3、仲代達矢のメイクが大げさすぎて引く。
今朝日新聞に仲代達矢の回顧録インタビューが連載してるが、その中で語られているがメイクに毎日4時間かけていたそうだ。そしてメイクが終わった後で「黒澤監督が二日酔いのため撮影中止」ということもあったそうだ。いや、それはあかんでしょ、黒澤監督。俺がスタッフなら椅子蹴飛ばすね。
また三の城が燃えてその中から仲代が石段を降りて行くカットだが、4億円かけて製作した城を燃やすので、非常にプレッシャーをかけられたとか。でも複数のカメラで撮影してるからいざとなったら複数のカットをつないで編集で何とかする準備はしていたと思う。
仲代の周りの煙は、仲代がむせるといけないのでドライアイスだったそうだ。そう思ってみると仲代の周りの白い煙は上っていくのではなく、降りていくのがわかる。

4、俳優陣のアップが少なく、正直舞台劇を観てるような引きの画が多い。
宮崎美子が出演しているが、当時宮崎美子は「観た人から『どこに出てたの?』と言われた」と言っていたと記憶する。次郎の正室の末の方役なのだが、ロングの画ばかりで顔がろくにわからないカットばかり。
「君の笑顔は悲しいね」と黒澤監督に言われて「そんなこと言ってもらったの初めてだった」と言って喜んでいたいた宮崎美子だが(先の話とともに雑誌のインタビューだったかで読んだ)、肝心のその笑顔のアップはない。
これはないやな。

5、合戦のシーンは太郎軍=黄、次郎軍=赤、三郎軍=水色、藤巻軍=白、綾部(田崎潤)軍=黒、と色分けされ、それは色彩的にとても豪華なのだが、その画作りは「影武者」の時に堪能したから、今回は二番煎じに初見の時は感じたが、それは今回も変わらない。

最初にも書いたけどやっぱり「乱」は黒澤老いたり、の想いは否めない。
当時は知らなかったが、後に「黒澤VSハリウッド」で黒澤がいかに映画作りの難しさに翻弄され裏切られてきたかを知ったから、「黒澤=秀虎」だったのかも知れないが。

初見の時の思い出をもう一つ。
公開後1週間たった6月8日だったと思うが、渋谷のPARCO(だったと思う)で「乱」の公開記念のパネル展だかのイベントがあったのだが、そこにトークイベントで加藤武さんと植木等さんがやってきた。
その際に加藤さんが「ロングで撮ってるからOKなのかNGなのかわからない。それでこっちも少しいらっとして『OKなんですかっ?!』って大声で聞いたら、黒澤さんがあっと言う間に走ってきて『OKなんて言ってもらえる仕事してると思ってるのか?!』って怒鳴られた」というエピソードを話されてました。
また会場からの質問で(だったと思う。ひょっとしたら俺だったかも?)植木さんに「日本一シリーズの頃黒澤映画に出るって考えられなかったですか?」と問いに「いやあ、あの頃俺が出たらそれこそ映画が『乱!』になってただろうね(無茶苦茶になってたであろうという意味)(笑)」とおっしゃってたのが印象的だった。

映画としては好きではないが、何かと青春の思い出がある映画である、「乱」は。






やっちまった夏休み


日時 2017年4月8日
場所 DVD
構成・編集 国本隆史
      レー コン ビエット
スーパーバイザー いまおかしんじ
製作 2011年


特定非営利法人 他言語センターFACILが制作したビデオドキュメンタリー。神戸の長田区に住む外国人の生活の相談のコミュニティと言ったらいいのか。
そんな団体が映像制作も行っていて(それは「Re:C」という活動)その中で作られた32分の作品。
ここで取り上げたのはスーパーバイザーという肩書き(DVDのジャケット表記。作品のクレジットには特に出ていない)でいまおかしんじ監督が参加してるのだ。

神戸の長田区鷹取に住むベトナム人の子供たちが夏休みに「せっかくだから何かにチャレンジしてみよう。それをビデオに撮ろう」ということでやってみたチャレンジ企画。
いまおか監督はミーティングなどで「ちょっとがんばらないと出来ないことにしようよ」とアドバイス、というか盛り上げる役目。

コックミ(13歳)は人生初のナンパ待ち。地元の夏祭りで誰かに綿飴をおごってもらおうとするがうまく行かない。
結局、逆ナンをするということで声をかけてみたのが名古屋から来ていた高校生。
コックミは笑顔がかわいい子だった。彼女は性格も明るいので、将来もてそうである。

ビエット(18歳)は噴水に入ってみたい、ということにチャレンジ。
サン(18歳)は須磨海岸の砂浜に服を着たまま埋められてみたいという企画。
ハオ(17歳)は「別にやりたいことないんだよなあ」と言っていたが、周りに「女装とかしてみれば?」と言われ、渋々承知。
女装して家に帰って父親に会うが、反応はイマイチ。
それに「まあ、子供に興味のない人なんで」と答えるハオ。「なんか複雑な家庭なのかな?」とちょっと思ったが、その辺は広がらない。
そして夜になって大国公園の祭りに参加する。

正直、コックミは楽しそうにやっていたが、後の3人はノリがいまいちで、ちょっと無理矢理参加させられてる感があった。
なかなか素人を起用しての作品はうまく行かないものである。
コックミの明るい笑顔がよかった。


PとJK


日時 2017年4月6日19:00〜
場所 新宿ピカデリー・シアター4
監督 廣木隆一


カコ(土屋太凰)は友達のミカド(玉城ティナ)に誘われて大学生の合コンにやってきた。カコやミカドは高校生だが、ミカドの姉にドタキャンがあったからと人数合わせで無理矢理参加させられたのだ。
お酒を飲まされそうになったときにイケメンの若者が助けてくれた。
それが功太(亀梨和也)だった。二人はいい雰囲気になったが、カコが高校生とばれると功太は激怒した。実は功太は警察官で正義感の強い彼には高校生が合コンに参加するなどあり得ないのだ。
一人で帰るカコだが、不良たちに絡まれてしまう。そこを功太が助けてくれたが、不良グループの一人の大神(高杉真宙)によってカコは怪我をする。
不良たちは功太が追っ払ってくれたが、功太は自分の対応が悪かったから怪我させたと責任を感じていた。カコに一目惚れした功太は、「警察官である自分が女子高生と付き合うには結婚してしまうしかない」と思い、カコに結婚を申し込む。
びっくりしたカコの両親(村上淳、ともさかりえ)だったが、やがては許してくれた。


「好きっていいなよ」「オオカミ少女と黒王子」を快作を放ってくれた廣木隆一監督の少女コミックもの第3弾。期待するような期待しないようなそんな気分で観たのだが、やっぱりちょっと乗れなかった。

理由は簡単である。出演者がそれほど好きではなかったからだ。
福士蒼汰、有森架純、山崎賢人、二階堂ふみという今お気に入りの俳優が俳優たちが活躍した前の2作だったが、今回は亀梨和也と土屋太凰である。

はっきり言って土屋太凰は私はだめである。しもぶくれの顔がどうも魅力的には感じないのだな。そして亀梨和也が嫌いではないが、特に好きでもない。またKATTUNの全盛期の頃と比べると、撮影時点は30を越えていて「老けたな」と思わざるを得ない。
主演二人が好きではないので、完全に乗れない。

また話の方も「結婚しているが、それは内緒にしてあるので、時々ばれそうになる」的な笑いを少し想像していたのだが、そういうのなし。
ではどうやって話を回していくのかと思ったら、「クラスに不良がいて、彼の家庭は複雑」という設定が、今更感を感じてしまった。

大神はカコのクラスメートで、文化祭の準備を通じて仲良くなっていく。
彼にとっても初めての普通の友達で、一緒にチェキを撮ったりしてそこに「いつまでも友達」などと書き込みがあるのがうれしい。
母親は水商売で、母親の男がDV野郎(川瀬陽太)というわかりやすい展開。

主人公が警察官だから、最後はなにか事件が出てくるのかなと思っていたらその通りで、でも殺人とか強盗の事件に巻き込まれるのかと思ったら、そうではなく、大神を不良グループから辞めさせようと話は進む。
グループを抜けようとする大神を許さないと、文化祭当日に不良グループはカコを誘拐する。

功太と大神の活躍でなんとか無事に事件は解決、大神の家もDV男とは別れて母親の実家でやり直す、というラスト。
その前に命がけでカコを助けたのだが、「命がけで守ってくれても相手が死んでしまったら残されたものが悲しい」と言ってカコは功太と別れを言い出す。

そんなあ。命がけで守って別れを切り出されたのなら男としてはやってられないよ。全編を通じてカコは「夢見る乙女」なのだが、まあまだ子供である。
結局はよりを戻すんだけどね。

ラストで功太とその同僚の警官がカコの高校で防犯講演会を行ったことで二人は再会するのだが、ミカドの「どうして危険な警察官になったんですか?」という質問に「命を捨てても相手を守る、という考え方でしたが、命を捨てずに相手を守るという考え方に変わりました」という趣旨の回答をする。映画としては答えなってるが、質問の答えにはなってないような。

その後、二人で学校を歩くシーンになるのだが、講堂の出口を出て廊下を歩き、学校の敷地を歩き、校門まで行って二人は車に乗り込み、それをクレーンに乗って俯瞰の画になる長いワンカットは見応えがあった。

川瀬陽太の出演はうれしい。
書き忘れたが、不良グループのリーダーに「ストレイヤーズ・クロニクル」の瀬戸利樹出演。アップがなくて目立たないのが残念。彼ならこういう少女コミックものの主演は張れると思うのだが。






LOVE INN Exile 避暑地の出来事


日時 2017年4月1日16:15〜
場所 日劇ローズ
監督 ソアー・ステファンズ


僕の名前はトミー。カリフォルニアのパームスプリングスの避暑地のホテルにやってきた。でも恋人もいなくて一人で過ごす。
そこへいかにも明るいゲイのグループがやってきた。堂々としてゲイライフを楽しんでいるかのようだ。そんな中の一人にいい男がいる。
彼らが屋外のジャグジーで戯れているのを自分の部屋からつい見てしまう。そのいい男は他の男たちの誘いにも乗らずに何となく一人でいる。やばい、目があってしまった。覗き屋と思われたかな。
翌朝、そのいい男以外は外へ出かけていった。彼は一人でジャグジーを楽しんでいる。僕はそのサイドで昼寝をしたふりをしていると彼に話しかけられた。全裸の彼。立派だ。
彼の名前はブレンダン。ドライブに誘ってくれた。うれしい。
近所をドライブしてホテルに戻る。一緒にジャグジーに入った。彼が抱き寄せてくれた。でもびっくりして僕は彼を突き飛ばしてしまった。ジャグジーの縁に頭をぶつける彼。
彼を部屋に連れて行く。でも彼の方が「びっくりさせた」と謝ってくる。
いよいよ、となったときに彼の友達が帰ってきた。
僕は部屋へ帰る。はずかしい。もう帰ろう。そう思っていたらブレンダンが部屋にやってきた。彼とのキス。熱い夜。


神戸に用事があってきたので、ついでに新世界の日劇ローズへ。
かつての東梅田ローズの無き後2014年に開館した劇場だ。新世界東映、日劇シネマと同じ建物内にある。新世界東映では昔、「影の車」を観た覚えがある。3本立てだったと思うが他の2本は興味なくてそれだけ観て帰ってきた。

で、肝心の映画だがENK配給の洋画。日本のピンク映画と違ってドラマはない。ビデオ素材を35mmにしてさらに今度はデジタル化(DVDのSD画質)にしたんじゃないか。だから画質は悪い。
でもDVD素材で映写技師がいらなくなったから毎夜オールナイトも可能なのだろう。(近くに新世界国際という洋画2番館があって、地下にも国際地下というピンク映画館があったがこちらも毎夜オールナイト)

話はほとんど主人公のモノローグで進み、会話とかのドラマはほとんどない。主人公のトミーはめがねをかけたネクラな感じ。
こういうネクラな子にイケメンが惚れてくれる、という妄想は昨日観た「ひるなかの流星」と同じ。
洋の東西、時代、男女を越えてこういう妄想は広がるわけですね。

ブレンダンの友人たちが乱交(3P)をしてるんだろうな、というトミーの妄想が入るが、総じてセックスシーンはおとなしめ。
ハードな描写はなく、ソフトな感じ。

やっぱり日本のゲイピンクの方が見応えがありますね、たとえつまらなくても。

(同時上映は「僕は恋に夢中」なので感想は割愛)