2017年5月

   
ちょっと今から仕事やめてくる
家族はつらいよ2 恋する男たち メッセージ いぬむこいり
ピーチガール ろんぐ・ぐっどばい
〜探偵 古井栗之助
映画 夜空はいつでも
最高密度の青色だ
サクラダリセット 後篇
神様のくれた赤ん坊 追憶 その男、エロにつき
アデュ〜!久保新二伝
怪獣ウラン
無限の住人 ラストコップ THE MOVIE 帝一の國 男はつらいよ
口笛を吹く寅次郎

ちょっと今から仕事やめてくる


日時 2017年5月28日14:00〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン11
監督 成島 出


青山隆(工藤阿須加)は広告会社の営業マン。一生懸命に働くが成績は上がらない。今日も上司の山上(吉田鋼太郎)から怒鳴られまくる。
帰りの駅で発作的に自殺しようとした時に助けてくれた男(福士蒼汰)がいた。その男は自分を「小学校の時同級生だったヤマモトだよ」という。
そういえば3年生で転校していった山本という奴がいたな。
ヤマモトは休みの日に隆の家にやってきて外へ誘い出す。ヤマモトは「ネクタイの柄ももっと明るくした方がいいで」と関西弁で親しく話しかける。
ヤマモトのアドバイスに従い仕事をする隆。今までがんばって営業してきた小谷製菓とやっと契約が取れた。しかし喜んだのもつかの間。納品されたポスターが指定した用紙と違うとクレームが入ったのだ。
山上には「お前は会社に迷惑をかけるお荷物だ!」とまた怒鳴られる。そんな隆を先輩の五十嵐(黒木華)は励ましてくれた。
しかしヤマモトは3年前に自殺していたと隆は知る。いったい自分の目の前のヤマモトは何者なのか?


今一番注目している俳優の福士蒼汰主演作。
もう福士蒼汰主演なら何でも見る気分である。この映画も監督が誰かも知らずに映画館に行き、上映前にパンフレットを勝って成島出と知った次第。

クレジット上では福士蒼汰の方が先だが、物語の視点は工藤阿須加の隆である。
だから圧倒的に隆の出演シーンの方が多い。

福士蒼汰のさわやかさと笑顔にあったら。人生やり直す気にもなる。
隆と同様に仕事も励みが出る。ヤマモトが流山の霊園に行ったのを偶然隆が見かけてからヤマモトの正体に疑問が出てくる。
結局オチは自殺した山本純の双子の兄だった、ということ。
ちょっとがっかりしたが、これは原作の設定だろう。
「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」というようなファンタジー設定だと思っていたので、意外に論理的だったな。

それにしても「人生は誰のためにあるんや、自分だけでなく、自分を思ってくれる人のためにあるんや」とわざわざせりふで言わなくても、と思う。
後半隆が実家の両親を訪ねるシーンがあるが、それを見れば十分である。

先日「ミッドナイトイーグル」をDVDで見直したのだが、後半妙に饒舌な所があり、「いちいちせりふで言わなくても」と思ったのだが、やっぱり今回もそんな感じはあった。

あと隆が会社辞めてからヤマモトの正体がわかってバヌアツまで行く件がちょっともたつくかな?
小池栄子の孤児院のあたりはもう少しまとめてもよかったと思う。

最後、隆はヤマモトの後を追ってバヌアツに行く。
もうここまで来たら二人の間に愛を感じてしまう。
映画を観てる間は思わなかったが、見終わって、主人公がバヌアツまで行くっていうのは「こんなブラック企業でなければ生き残れない日本なんて捨てちゃえば?」という「脱・日本」のメッセージが込められているのかと思った。
いや深読みだとは思うけど。

電通の若手社員の過労死自殺が話題になる昨今の日本社会だ。
「逃げ出すことは悪だ!」と教え込まれた日本人だが、その前提も見直す時代に来た感もある。
「バヌアツには孤児院がない。親がいなくても周りが育ててくれる。そんな国だからだ」というせりふがある。
一見途上国のようで日本人は下に見がちだが、案外そうでもないかも、という当たり前だが、今の時代に改めて問いかける内容だった。
時代性のある映画だと思う。







家族はつらいよ2


日時 2017年5月28日11:15〜
場所 新宿ピカデリー・シアター2
監督 山田洋次


横浜郊外の2階立ての一軒家に住む平田一家。周造(橋爪功)は引退した身で妻富子(吉行和子)、息子夫婦の幸之助、史枝(西村雅彦、夏川結衣)とその息子たちと同居。史枝は最近周造の車の傷が増えてきたのが気になっていた。運転がおぼつかなくなっているようだが、大きな事故を起こさないかと心配だ。頑固な周造を誰が説得するかで幸之助の妹成子(中島朋子)と夫の泰造(林家正蔵)たちと話し合った結果、次男庄太(妻夫木聡)の妻憲子(蒼井優)がいいということになり、仕事帰りに実家による庄太と憲子。しかし周造は全く聞く耳を持たない。
富子が友人たちとオーロラ鑑賞旅行に出てる間に周造は近所の小料理屋の女将・かよと車でてんぷらを食べに。その途中の工事現場で働く男を見て驚く周造。なんとその男は周造の高校時代の親友、丸田吟平(小林稔侍)だった。


昨年の「家族はつらいよ」に続く第2弾。いろいろと不満のある前作だったが、ヒットしたせいか続編登場である。このメンバーをもう一度そろえられるのはやはり天皇・山田洋次の力であろう。

でもこのシリーズ、どうも馴染めないのである。
「男はつらいよ」のとらや一家は馴染める部分があったのだが、この家は浮き世離れした高収入、富裕層である。
これが一般的日本人の家庭だと未だに山田洋次は信じているのだろうか?
なにせ「クレヨンしんちゃん」の野原一家が「春日部に一軒家を持ち、妻が専業主婦、とは勝ち組ではないか」と言われてしまう時代なのだ。
「しんちゃん」が始まったころは「普通のよくある一家」だった。

しかし今回はどうも富裕層だと意識している。
富子はオーロラ旅行に行く、その日に友人が迎えにきてくれるのだが、孫の運転する車で来る。その車がベンツである。そしてその友人が「いま慶応に通ってまして」と自慢する。いやな感じである。
しかも周造の車も傷ついた16年も乗った車とはいえ、マークUである。
娘の職業は税理士、幸之助も「上海に出張」をラストで繰り返すから高給サラリーマンっぽい。
唯一金持ってなさそうなのは次男の庄太夫婦。

そして運転をやめてもらおうの件だが、これは喜劇にするような題材ではない。いったん人身事故が起きれば単なる金の問題ではなく、相手側に多大な迷惑をかけることになる。
これが幼い子供が亡くなってみろ、大変なことである。いや死ななくても車いすになるようなことになったら大変なことだ。
「お父さんがどこへも出かけられなくなってかわいそう」とかのレベルではない。

実際周造は止まったダンプに追突をする。しかも同乗していたかよは数万円を渡してなかったことにしようとする。
この対応はよくないと思う。

んで久しぶりにあった高校同級生を探し出して励ます会の同窓会を開く。
そして周造は酔った丸田を泊めてやる。
ここまではいい。

ところがこの後がよくない。
丸田が突然死をするのである。ここが私はてっきり「死んだのはみんなの勘違いでした」という展開になると思っていたので、いつまで経っても生き返らないので戸惑った。
生き返ると思ったのは、死んだのを最初に発見した庄太やその周りの対応がどうも笑いを誘おうとしていて、どうにもその死を受け入れられなかったのである。
(あと予告編で棺桶に入って死装束の小林稔侍が「俺も出てるよ〜」とピースサインを送ったためだ。予告編のための映像だとは思ったが、あの笑いを誘う雰囲気が「死んだのは勘違い」の展開にいくとか勘違いさせたのだ)

「あいつは事業をして確かにバブルが崩壊して破産した。しかし税金だって納めたし、事業もして雇用を生み出して十分やってきたじゃないか。それがこんな寂しい死に方があるか!」と周造が憤るが、横浜の一軒家に住んでマークUに乗って女房は海外旅行で自分は女とデートする、人生の後半が「勝ち組」の男に言われても上から目線でしかない。
そう思うのはこっちのひがみか。

結局前半の免許返納問題は決着せずに終わる。
パンフレットを読むと山田洋次は「喜劇に死を持ち込むのはタブーとだけども、そのタブーに挑戦してみます」と書いてあった。
私なんか水と油の要素が一つになった混乱した企画にしか見えないのだが、山田洋次なりに挑戦はあったようだ。うまく行ったようには思えなかったが。





恋する男たち


日時 2017年5月27日11:05〜
場所 光音座1
監督 池島ゆたか
製作 OP映画(2002年)


2話のオムニバス映画。
「弟の恋人」
出版社で編集の仕事をしている桃子(河村栞)と弟の大学生の竹雄(桜井雅也)。二人は厳しい親元を離れて東京で二人で暮らしていた。
竹雄にはリクというゲイの恋人がいた。桃子が仕事で遅くなるという晩、竹雄はリクを部屋に呼んでゲイビデオ鑑賞。リクは以前アルバイトでゲイビデオに出たことがあり、それを見て竹雄は興奮。
ことが終わって二人で酒を飲んでいると桃子が帰ってきた。仕事の接待が早く終わったのだという。
リクをただの弟の友達と思った桃子は3人で飲もうという。竹雄は翌朝桃子がリクに好意を持っていると知る。
リクに確認すると「今度映画に行こうと誘われている」と言う。
竹雄は気が気でない。リクは「カミングアウトしちゃえば?」というが簡単にはいかない。
ある日、桃子は竹雄の部屋を掃除しているとアルバムを見つける。
それはリクと竹雄がつきあっているとわかる写真ばかりだった。
竹雄が帰ってくると桃子は「今度リクと行ってくれば?」と映画の試写状をくれた。
桃子はつぶやく。「いい人だと思ったんだけどなあ」

「あいつの恋人」
秋彦はある事情で女のあかちゃんの世話をしていた。会社で残業を頼まれても「すいません、赤ん坊の世話があって」と断ると上司から「なに!」と怒鳴られる始末。
秋彦には恋人のユウキから「単に利用されてるだけだよ」と言われる。
その赤ん坊蓮花は秋彦が好きだったバンドマン和哉の子供だった。和哉はノンケで比呂美という女に子供を生ませ、比呂美は出稼ぎにどこかへ行っていた。比呂美とルームシェアをしていた秋彦がなんとなく面倒を見ることになってしまったのだ。
ある日、ユウキが持ってきたゲイビデオを見る秋彦。それは和哉がかつて出演したビデオだった。和哉を好きな秋彦はユウキが横にいるにも関わらず、我慢できなくなってトイレでオナニーしてしまう。
秋彦とユウキは二人で子供を育てていく決意をする。


池島監督の2002年作品。エンドマークの後に「2002年セメントマッチ」とクレジットされたから制作年がわかった。

1話約30分のドラマだが、正直、短すぎて「もう終わり?」「これからドラマが始まるんじゃないの?」といったところで終わった感があるので、2話とかにせずに1話ずつ別の映画としてやってもよかったのではないか?と思う。

脚本は五代響子。池島=五代コンビの他のゲイ作品にもあったが、「家族」が大きなモチーフになっている。「弟の恋人」では田舎に住んでいる父が厳格で姉も弟もその怖さをたびたび口にする。
だが最後には姉が父親に電話で「もうあたしたち子供じゃないんだから!」と応え。自立を宣言する。
そして弟の恋人も認める、という形で終わる。

「あいつの恋人」では「家族作り」がテーマ。
ゲイカップルが子供得て育てていく、という家族作りに話はまとまる。
主人公はあこがれの男への想いや現在の恋人と関係という複雑な想いを抱えながら、これからも和哉の子供を育てていき、疑似家族を作っていく決意をする。
私はゲイカップルが子供育てていく話はあまり共感ないので、「ふーん。五代=池島コンビらしいなあ」と傍観してしまった。

両作品を結ぶのはゲイビデオ。それぞれのゲイビデオに出演したそれぞれのその後を描く形なのは面白い。

同時上映は「愛の処刑」。昨年B&Bで観たので感想割愛。






メッセージ


日時 2017年5月25日19:40〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン7
監督 ドゥニ・ヴィルヌーヴ


ある日突然世界の12カ所に謎の物体が現れた。世界は騒然となったが、物体は地上から10mほどのところに浮かんだまま、なにもしない。
数日後、言語学者のルイース・バンクス(エイミー・アダムス)の元にアメリカ陸軍のウェバー大佐(フォレスト・ウィテカー)がやってきた。
米軍をはじめ世界各国は現れた物体とコンタクトを取っていたのだ。
その中には異星人が2体乗っていて、彼らとコミュニケーションを取るために調査チームに参加してほしいということだった。
調査チームには物理学者のイアン(ジェレミー・レナー)も参加していた。
早速物体の中に入るルイースとイアン。その中では地球の引力とは別の引力が働いていた。音声でのコンタクトが難しいと判断したルイースは文字による交信を計る。
果たして彼らの目的は?


宇宙人襲来映画と聞いて楽しみにしていたが、ちょっと期待はずれだったかなあ。いや別に「インディペンデンス・デイ」のような宇宙大戦争を期待したわけではないのだが、予想とは違っていた。
これはもう言語とかコミュニケーションについての映画だった。

宇宙人2体はヘプタポットと名付けられる。ギリシア語で7本足を意味するらしい。イカのような形状をしていて、案外「タコ型火星人」から変わっていないのだな、と思った。
さらに宇宙人にはアボット、コステロと名前が付けられる。

宇宙人の示す文字は円形だがなにやら縁に滴があるような文字。
一つの図形で一つの文になっていると推察したルイースたちはこちらが示した行動(たとえば「歩く」)に対するアンサーから探っていく。

日本人からすると漢字は表意文字だから、ヘプタポットの文字は親近感が湧く。だが表音文字のアルファベットを使用する欧米人からすると「異文明」感が増したのかも知れない。

映画の中ではコミュニケーションとか言語とかの話題が時々出てくる。
その中で「オーストラリアに初めてやってきた欧米人が袋に子供を入れて歩く動物を見て面白がった。何という名だ?と問うと『カンガルー』と答えた。しかし『カンガルー』とは『理解できない』という意味だった」というエピソードが紹介される。
なるほど、面白い。

また「言語にそれを使う人たちの特徴が現れる」という話。
パンフレットにもそれに触れているが、よく言われるのは英語は主語の次に述語が来る。ところが日本語などは主語の後説明があって述語となる。
日本語の特徴でよく言われる話だが、「日本語が表現が曖昧だ」ではなく「日本人が元々曖昧な民族だから、そういう民族の言語は曖昧な表現になる」と考えた方がいいのかも知れない。日本人って「みなまで言わなくても分かるだろ?」というコミュニケーションだからな。
はっきり白黒を言う言語、という性格の民族とはちょっと違うわけだ。

んでラストはついにしびれを切らした中国が(昔の映画ならロシアだが)ついに宣戦布告をする。そこでルイースは知らないはずの中国のシャン上将の携帯電話に電話をし、説得する、という展開。
ここでルイースは中国語で話すのだが、後のシーンでも何を話したのか字幕では表示されない。
パンフレットによると「シャンの亡くなった妻が『戦争は勝者ではなく未亡人を生むだけ』と言った」と書いてある。いい話だから字幕に表示すればよかったになあ。

で、今までルイースはいないはずの娘ハンナとのシーンが回想シーンの用に出てくる。これが実はヘプタポットから未来を見る能力を与えられたからということらしい。
いやそもそも「引力」が地球とは違うように「時間」の概念も違うらしいのだが。

なんだかはっきりしないラストだったな。
原作「あなたの人生の物語」(テット・チャン)もちょっと読んでみたい。




いぬむこいり


日時 2017年5月21日15:00〜
場所 新宿K's cinema
監督 片嶋一貴


第1部
梓(有森也実)は40歳の小学校教師、独身。彼女の家には、「時代の武将が自分の城を攻められたとき部下の侍にみの褒美をやるから敵の大将の首を取ってこい』命じ、匹の犬が敵の大将をかみて殺してきた。犬は武将の娘をほしいと願った。武将は願いを聞いたが、『娘を犬に嫁がせるわけにはいかない』と二人を島流しにした。二人は暮らしたが、犬は人間になりたいと願って1週間経ったら戻ってくると言って娘の元から離れた。だが6日目に娘は耐えきれずに犬の元に行った。そしたら首だけは犬の姿のままの人間になっていた。この姿でもよい、と娘は納得し、子供を生んだ。そして島は人が増えていった」という伝説が伝わっていた。
その話を授業でしたところ、親から抗議、さらに恋人にも逃げられ、失意の時にイモレ島に行くようにお告げを感じた。
第2部
イモレ島に行く途中で沖之大島という島に立ち寄った。だが詐欺師のアキラに有り金を盗まれてしまう。
この島では今独裁体制になっている鈴木海老蔵市長(ベンガル)を落選させようと地元の改革派は画策していた。そのリーダー的存在の奥本(柄本明)、沢村(石橋蓮司)によって梓は市長候補になってしまう。
だが鈴木の反撃は熾烈で、ついには梓陣営は「テロリスト」のレッテルを貼られ、選挙には負けてしまう。
梓はこの島からアキラとともに逃げ出す。
(休憩)
第3部
梓とアキラの乗った漁船は台風に遭い、梓だけある島に漂着する。
この島には翔太という青年が一人で住んでいた。彼は実はイモレ島の部族ナマ族の王の息子だった。戦争を好まぬ翔太はイモレ島を逃げ出したが、ある日電車の中で犬の頭を持った男にかまれ、自らも時々犬男になってしまうのだ。
梓と翔太はやがては愛し合うようになる。
第4部
いよいよイモレ島に到着した梓。
ナマ族とキョラ族がずっと争っていた。やがてキョラ族の女王・卑弥呼(緑魔子)はイモレ島の聖なる土地を攻める。それはナマ族との最後の戦いを示していた。
梓はアキラと再会。そして妊娠をしていた。梓は現れた犬男・翔太にかみ殺された。やがて生まれる子供。その子供は犬の頭をしていた。
犬男は卑弥呼もナマ族の王ナマゴン(PANTA)をかみ殺す。しかしアキラも犬男を撃ち殺した。
アキラは赤ん坊をつれて島を出るのだった。


上映時間4時間10分の長時間映画。
ここからは私の映画の持論になるので、異論のある方もあろうが、とりあえず書く。
映画の上映時間は2時間以内に納めるべきである。
それを越える映画は縦糸がしっかりしていないとダメ。
縦糸というのはまず映画の中心をなすストーリーの部分だ。
「日本が沈没する!」「博多行き新幹線に爆弾が仕掛けられた。止まったら爆発する!」「野武士から村を守る!」と言った話の中心である。
こういった映画のお話の芯がしっかりしていて欲しい。

そして長時間映画はオールスターであるべきだ。
「戦争と人間」「人間の條件」「七人の侍」「華麗なる一族」などはオールスター映画。結局映画は役者に負うところが大きい。監督がどうであれ、やっぱりノースターよりスターが出ていた方がいい。
役者を見ているだけでも間が持つのだ。

そういう意味ではこの「いぬむこいり」は完全に私のセオリーに反する。
縦糸が全くない。
主役の梓が「イモレ島に行くように導かれた」ので旅をする話だが、なんだそれ?というぐらい弱い。
そしてその縦糸だが統一性がなく、ファンタジーだか社会派だか戦争映画だかさっぱりわからない。
よく言えば「ありとあらゆる映画が詰まっている」ともいえるのだろうが、それは単なる「ものはいいよう」という奴でしかない。
単なる統一性のないバラバラの話をだらだらと続けただけである。

主演は有森也実。
「がんばっているな」とは思うのだが、いかんせんかつての美少女ではなく、40過ぎた今はただのおばさんだ。
同じ日に「ピーチガール」を観たが、こちらでは山本美月の母親役で菊池桃子が出ていた。こういう青春映画での主人公の母親役なら似合いだとは思うが、4時間超えの映画の主役は相当重い。

そういう意味では2部では柄本明と石橋蓮司、ベンガルが出演しており、この三人が出てるだけでも画面は持つ。さすがだ。
この位の実力俳優がたくさん出演していればともかく、あとは名前も知らないような人ばかりだからきつい。

ケイズシネマでは2週間1日1回の上映だし、今日は日曜日で満席だったが、平日はどうなのか?
平均50人として客単価(一般2500円だが割引で2000円の人もいるので)2200円と計算すると
14日×50人×2200円=1540000円。
今後とも地方での公開もあるだろうが、合計しても1000万円の興行収入をあげるのだろうか?

長時間映画は上映回数の減るだろうし、観る人も構えちゃうし、よほどのことがない限りハードルが上がると思うよ。
でもそれを超えるパワーは感じなかった。
正直、1部と4部だけでも話は成立するんじゃないか?






ピーチガール


日時 2017年5月21日10:35〜
場所 新宿ピカデリー・シアター2
監督 神徳幸治
 

水泳部出身のため色が黒く髪も茶色のため遊んでる女と思われている安達もも(山本美月)だったが、実はファーストキスもまだなピュアな女の子で、中学時代からの友人とーじ(真剣佑)に片想いしていた。
そんなももを学園一のモテ王子と言われる岡安浬(伊野尾慧)が好きになる。しかしももを常にうらやむ柏木沙絵(永野芽郁)がももの前に立ちはだかる。
ももは浬とももがつきあってると噂を流し、とーじとももの仲を引き裂こうとする。しかし、「ももに笑顔でいてほしい」と願う浬が沙絵のたくらみを暴き、とーじとももはつきあうことに。
しかし沙絵のたくらみは終わらない。
さらに
果たしてこの三角関係プラス小悪魔、いったいどうなる。


「めざましテレビ」の木曜日のレギュラーキャスターに2016年4月から出演し始めた伊野尾慧。HEY!SAY!JUMPのメンバーであることは知っていたが特に目立つ存在ではなかった。ところが「めざましテレビ」に出るようになってから俄然私の中では急上昇した。
しかし不思議なもので雑誌などでHEY!SAY!JUMPのメンバーと写っているとそんなには目立たない。
やはり山田涼介がいるせいか。

映画が始まり、あまりにコミック的、バラエティ番組的な演出が続き辟易する。「こりゃだめだな」と思っていたのだが、人物紹介的なオープニングが終わってドラマが本格的に始まり出したら、これがじっくりとしている。

登城したときはチャラチャラだった浬がもものために働き始めると俄然魅力が増してくる。「一週間フレンズ」でも主人公の男がひたすら彼女の幸せだけど願う犠牲的なキャラクターとして登場。なんか「車寅次郎」的な良さを感じる。
「映画で人がいちばん感動するのは自己犠牲だ」と言ったのはジェリー・ブラッカイマーだったと思うが、これもまたしかり。
自分がももとつきあうことより、ももの幸せを願う浬の姿は感動する。

しかしラストに至って浬にいったと思ったら今度はまたとーじ、そして浬に戻ってくる逆転逆転はすこしくどすぎ。
原作が長編マンガだったのだろうか?

それにしても伊野尾慧の笑顔、明るいキャラクターは本作ではぴったりだった。山本美月とともに20代半ばで今後は高校生役は難しいかも知れない。
しかし二人とも120点の出来だったと思う。

伊野尾慧は独特のマッシュルームヘアのため、大学生役は出来てもそのあとがサラリーマンは難しいかも。しかし自由業とかフリーターの役も出来そうだから、今後は役者として活躍してほしい。
二人の魅力がいっぱいで、やっぱり映画はスターの魅力である。






ろんぐ・ぐっどばい〜探偵 古井栗之助


日時 2017年5月20日21:10〜
場所 渋谷ユーロ・スペース1
監督 いまおかしんじ


古井(森岡龍)は施設で育ったが、その施設のオーナー岸田(伊藤清美)のいいなりになって危ない仕事も引き受けていた。例によって前の住居者が自殺したマンションに住む。そこへ岸田から仕事の依頼。
会社社長の服部の娘、柚子が古井が今住む部屋で自殺したのだが、その柚子は父親の金500万円を盗んだのだ。その金を取り戻してほしいという依頼。
父親からの情報で柚子はデリヘルで働いていたと解るが、そこでも評判は悪い。柚子の友人だった女も居場所不明。
糸が切れたところで古井の部屋に柚子宛に真壁(吉岡睦雄)という男から荷物が届いた。真壁を追っているうちに競輪場で沙織というニューハーフと出会う。沙織は自分の記憶している父親の口癖と同じことをいう。


いまおかしんじ監督の新作。いまおか監督、初の探偵ものである。
DVDセルが中心の企画だが、劇場上映もレイトショーながら公開。
連作、シリーズ化の企画もあるそうだが、どうなることやら。
すべては売り上げ次第か。

松田優作の「探偵物語」(テレビシリーズの方)を意識していて、まあ今はあれがスタンダードの形式になってしまったのだが(私としては「マルタの鷹」風なのも観たいのだが)、今の流行はこっちなのだろう。
もちろんアルトマンの「ロンググッドバイ」も意識している。
脇のキャラが立っているが、それも意識してのこと。

映画はこの「小娘のお金探し」を中心に古井がかつてつきあっていた女医ゆかり(手塚真生)からHIVウイルスに感染させられたという設定が加わる。
そしてゆかりの昔の男に病気のことを伝えにいくエピソードも加わる。
さらに沙織の父親疑惑も加わって少々詰め込み過ぎの感がする。
同じく施設で育った妹もワンシーン出てくるのだ。

連作、シリーズ化が前提で企画が進んでいたそうだから(実際にそうなるかは別にして)、そうやって盛りだくさんの要素になったのかも知れない。

柚子もその友人もある男に殺されていた、という展開で犯人探しの方は割とあっさり終わる。
しかし70分という短さや、出演者の際だったキャラでなかなか面白く観た。

いまおか監督の新しい一面である。
ファンとして是非シリーズ化(最低3本くらい)を願ってやまない。
また吉岡睦雄、川瀬陽太、佐藤宏、守屋文雄などいまおか組の常連がワンシーンづつ出演してるのが、ファンとしてはなおさらうれしい。





映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ


日時 2017年5月14日18:20〜
場所 新宿ピカデリー・シアター8
監督 石井裕也


美香(石橋静河)は看護師をしながらガールズバーでアルバイトをしていた。慎二(池松荘亮)は建設現場で日雇いで働いていた。
ある日、一緒に働く先輩の智之(松田龍平)にガールズバーに同じく同僚の岩下(田中哲司)らと行ってみた。智之は美香のメルアドを聞き出し、外でも会うようになる。うまく行きかけたと思ったある日、智之は急死する。慎二は美香と智之の通夜で再会する。
やがて二人は徐々に心を開いていく。


石井裕也監督の「バンクーバーの朝日」以来、2年半ぶりの新作。
「バンクーバー〜」は巨大セットまで作った大作だったが、今回はたぶんオールロケのローバジェット作品。「バンクーバー〜」はあまりヒットしなかったと言われたが、その影響かな?
タイトルに「映画」とわざわざ書いてあるので「何のこっちゃ?」と思っていたが、原作は詩集だそうだ。
未読だが詩集が原作ではストーリーは石井監督のオリジナルだろう。

だからストーリーを重視する映画ではなく、イメージ的な映像でストーリーは綴られていく。
なんか岩井俊二の映画に近い。
そのせいか新宿や渋谷の夜景を捉えた映像が美しい。

でもよかったのは逆にそれだけで、好きか嫌いかで言えばそれほど好きになれる映画ではない。
どう考えても私好みの映画ではないのだが、それでも観たのは主演が池松荘亮だから。といっても最近は食傷気味である。
今年の1月〜3月にはテレビ東京で「銀と金」というギャンブルものの連続(3週で1話)も観たしな。

で池松の問題ではないのだが、時々映像が左半分が黒くなるカットがあるので、何かと思ったら慎二は左目が悪くほとんど見えない設定なのだ。
彼の性格の複雑さ(というほど複雑ではないが)の要因がこの左目の問題にあるような描き方。
「ヘブンズ・ストーリー」の時も片耳が聞こえない女性が出てきて辟易したが、今回の慎二はあれほど被害者意識が丸出しではないから腹は立たないが、でもなあ、主人公の体の不具合を性格付けに利用する手法は好きじゃない。
それに学生時代に視力検査などがあるから、何らかの待遇(体育の授業とか)を受けるから同級生とかは知ってると思う。

むしろ私としては同世代の岩下さんに共感を覚えた。
コンビニの女の子に恋をしてデートまでしたらしいのだが、結局振られる。
ラストは体を悪くし、派遣会社(というほどかっこいいものではない)を辞めていく。
「ざまあみろ」とうそぶくが、その前に「俺は生きている。死んでいく奴に比べれば上だ」と言ったせりふがあり、それがあっての「ざまあみろ!」だ。
この力強さは好きである。
私としてはこの岩下さんをもう少し描いてほしかった位だ。

また外国人労働者、アンドレス(ポール・マグサリン)が「借金までして日本にやってきた」というのが現在の日本の外国人労働者の立場を表していて、若干興味深い。




サクラダリセット 後篇


日時 2017年5月14日13:00〜
場所 TOHOシネマズ渋谷スクリーン1
監督 深川栄洋


相麻(平祐奈)をよみがえらせた浅井ケイ(野村周平)たちは、今度は能力者たちを管理する管理局の幹部、浦地(及川光博)と対決することになる。
浦地は咲良田の能力者たちの能力を無効化することを考えていた。
その計画を阻止するべく、相麻はいったん姿を消し、そして浅井たちの力でよみがえったのだ。
浅井は浦地と対話すべき、カラオケボックスに呼び出した。


3月公開の前篇に引き続き、後篇の公開。
3月末に公開して、1週目から新宿でも1日1回とか2回しか上映しないし、2週で都内各館は上映終了する有様。
上映回数が少ないなあ、と思っていたらネットニュースで興行的にコケたという記事があがっていた。だからかあ。
普通こういった前篇、後篇ものでは後篇が始まっても1日1回ぐらいは前篇も上映するのだが、今回は上映なし。
それに新宿では上映がなく、都心のTOHOシネマズでは渋谷と錦糸町のみ。ドライだなあ。

そんなグチを書いたけど、実はヒットしないのも納得の出来なのだ。
後篇のあらすじを上に書いたけど、たったあれだけ。浦地と浅井ケイが延々と「なんとかの板がどうしたこうした」と対話をするだけで画的に全く面白さがない。

前篇では後半に「魔女救出作戦」とかあって面白さがあったが、今回は前半は相麻と浅井の会話が続き(ここ、実は少し寝た)、そして後半はグダグダと浦地と浅井の会話が続く。
んで、最後のキーパーソンとなるのが右手でロック、左手で解除出来る加賀谷さん。特に知ってる俳優が演じてるわけではないからあんまり注目していなかったが、急に重要になってもピンと来なかった。

出演の野村周平や黒島結菜はよかったが、映画としては画的な見せ場は作りにくいし、いろんな能力を駆使して(その能力自体も「念力」とか「瞬間移動」のようなわかりやすい能力ではなく、「リセット」とか「記憶保持」とか、「写真の世界に入る」とかわかりにくい能力)対決するのだが、その能力が解りにくいので説明のせりふでいっぱいになってしまう。

小説ならこの複雑さがまた面白さにつながるのかも知れないが、そもそも映画向きの題材ではなかったのでないか?

若手人気俳優をそろえて(というほどそろってないが)、ベストセラーのライトノベルを前後篇で映画化すればヒット間違いなし、という数字だけで判断した企画のような気がする。
ヒット映画を作るって難しいですね、という感想しかわいてこない。






神様のくれた赤ん坊


日時 2017年5月13日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 前田陽一
製作 昭和54年(1979年)


売れない漫画家の三浦晋作(渡瀬恒彦)と売れない女優の森崎小夜子(桃井かおり)。二人は同棲中だったが、小夜子の生理がないために小夜子は妊娠したと思いこむ。結局妊娠は勘違いだったのだが、そんな時に彼らのアパートに晋作が昔つきあっていた明美の子供だという子がつれてこられた。連れてきた人(樹木希林)の話では明美は男と海外へ行ってしまい、子供の父親の可能性のある人のリストが送られてきたのだという。
その中で東京住まいなのが晋作だけなので、ここに連れてきたというのだ。
晋作は自分の子ではないと言い張ったが、子供を放り出す訳にも行かず、翌日から父親探しの旅へ。小夜子も「一緒に行くわけではない」といいつつ、一緒に尾道へ。
小夜子にとっては尾道は中学生の頃に過ごした町。
最初の父親候補はこの町の市長選に出ている田島啓一郎(曽我廼家明蝶)だったが。
果たして父親に巡り会えるのか?


この映画は公開時にも観ている。「男はつらいよ」の同時上映作品だった。また当時のキネマ旬報でも過去の「集金旅行」という映画のリメイクという記事が載っていて、「集金旅行79」という仮題で紹介されていた。それが「神様がくれた赤ん坊」というなんとも松竹的なタイトルでげんなりした覚えがある。

今回見直して観て、最初の曽我廼家明蝶が「わて、10年前にパイプカットしています」のあたりはよく覚えていた。
「パイプカット」という言葉は最近では聞かないが、高校の保健体育の避妊についての授業でならったばかりだったと思う。

あと最初に訪れた尾道で、小夜子が初恋の人を訪ねるところで森本レオが出てくるのだが、ここはよく覚えいていた。ただし映画の中盤だった気がしたが、そこは記憶違いではじめの方だったが。

そして2番目が今日結婚式という新郎の元に行き、ご祝儀を全部もらってくる展開だった。このシーンもよく覚えている。
結婚式のご祝儀って合計すれば100万円になるんだ、と思ったものだった。確かに3万円ずつでも33名いれば100万円ぐらいにはなる。
あの規模の結婚式なら300万円ぐらいになってもおかしくはない。
その新郎が吉幾三だったとはすっかり忘れていた。
「俺は田舎のプレスリー」でヒットしか直後だったか。

3番目の元西鉄ライオンズの投手だった男。この頃ライオンズは西鉄から西武に移っており、確か映画撮影時は西鉄でその後西武になってしまったので、「ライオンズ西武に移って今九州に球団ないじゃない」という台詞をあとで入れたという記事を(たぶんキネ旬で)読んだ。

小夜子は自分のルーツ探しの旅を(当時アメリカのテレビ映画「ルーツ」がヒットしていて、「ルーツ」という言葉は流行語だった)しているのだが、母親の生家に行き、長崎で女郎をしていたと知る。
小夜子は設定では24歳ぐらいなので生まれは昭和30年頃。
その前に母親は女郎をしていたのだから、赤線廃止の前で合法だった頃の話だな。

それを知った小夜子は自分の母の気持ちを理解しようと、赤い派手な口紅をして夜の町に立つ。男に誘われるが、いざという時になって逃げ出してしまう。
このあたりは説明的なせりふはないのだが、それでも小夜子の気持ちは伝わった。
夜の町に立つ、っていう話の流れはやはり脚本の一人荒井晴彦の路線か。

それにしても「母は女郎だった」とか「夜の町に立つ」とか「パイプカット」とか表現が下ネタというか性的である。
当時はそれほど思わなかったが、松竹もこのころはこういう表現が許されたのだなあ。

最後に訪れたのは唐津。
ここで小夜子の記憶の町の「小さなお城が見える町」がここだったと分かる。

最後は「花と竜」の世界だから、と渡瀬が仁義の切り方を練習するのがおもしろい。東映出身の彼に対するパロディか?
また出てくる相手も嵐勘寿郎である。
このころは「男はつらいよ 寅次郎と殿様」にも出ていて、松竹づいてたのだな。

結局子供はこの家で引き取られることになるのだが、小夜子も晋作も「なんか忘れ物してきたみたいだな」「あたしたちの考えてること同じなんじゃない?(このせりふは最初の小夜子の女優としての初めてもらった、でもカットされたせりふとして登場する)」などと言って、子供を引き取りにいく、というので「終」

何とも松竹的な善意のラストだなあ、とちょっとあきれた覚えがある。
でもなんだかんだ言っても寅さんの併映作品としては面白く、それだけ記憶に残ったのだろう。

私にとってはずっとひっかかる映画になったのである。






追憶


日時 2017年5月11日19:20〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン11
監督 降旗康男


四方篤は少年期に母親は男に夢中になり捨てられた。そんな彼を救ってくれたのは仁科涼子(安藤サクラ)という女性だった。彼女の元には篤と同世代の少年、田所啓太、川端悟がいた。篤は啓太たちや涼子としばらく平穏な日々を送っていた。そこへやくざ者(渋川清彦)がやってきた。
彼の出現で幸せな日々は壊される。3人の少年はその男を殺す。それをみた涼子は「あなたたちは何も見なかった。これから他人になりましょう。もう会わない」と誓う。
それから25年。篤(岡田准一)は富山県警の刑事になっていた。
今の彼は妻(長澤まさみ)の流産がきっかけで夫婦仲は冷えていた。そんな時、悟(柄本佑)と再会。今は東京でガラス店を経営する社長だが、会社は苦しく金に困っていた。悟は明日啓太(小栗旬)に会って金を借りるという。
どうやら今までに何回も借りているらしい。
翌日、男の他殺死体が発見される。現場に駆けつけた篤は驚く。
被害者は悟だったのだ。
被害者を知っているが、それを話すと25年前の事件まで蒸し返される恐れがある。それは避けたい。
そんな時、篤の母(りりぃ)が自殺未遂をする。様子を見に行くという口実で捜査の現場を離れる篤。
篤は啓太に会いに行く。


撮影=木村大作、監督=降旗康男コンビの良心的感動巨編、という感じでの宣伝で公開。
脚本は原作ものではなく、映画オリジナル。
それなりに期待はしたが、それほどでもなかった、というのが正直なところ。

その原因はどこか。
まず岡田准一がよくない。演技がよくないのか演出がよくないのか脚本がよくないのか、どうにも岡田准一の篤に共感がもてないのだ。
なんかこの世の不幸を全部背負ったような悲痛な面もちを最初からしている。
そして啓太に会った時も「疑われたくなかったら捜査に協力しろ」と上から目線というか命令調。
これでは啓太ならずとも(少なくとも私は)反発するね。
非協力的にならざるを得ない。

黙っていたって繁華街の防犯カメラの映像がきっかけで悟と篤が会っていたことが上司(北見敏之)にばれてしまう。
篤もどんどん追いつめられてしまう。

結局、事件の犯人は唐突に捕まる。
刑事が追っていた容疑者は実は無関係だった、という展開は嫌いじゃないし、むしろ好きなのだが、ならば犯人を追いつめる過程をもう少し描いてほしかった。
ミステリーはないのは解るし、そこは重要じゃないと判断したのだろうが、せっかくだから東京に行った刑事(安田顕)が「ちょっと気になることがあるので、もう少し調べてから帰ります」だけでなく、犯人を突き止め、自白させるところがあればもっとよかったのだがなあ。
犯人は書いちゃうけど、悟の妻が従業員(太賀)と結託しての保険金目当ての殺人。でも東京と富山じゃ距離があって一晩家を空けたとき、小学生の娘はどうしたのかの疑問は残る。

スタッフ、キャストとも豪華なのだが、どうももう一つ。
惜しい映画だった気がしてならない。






その男、エロにつき アデュ〜!久保新二伝


日時 2017年5月7日
場所 DVD
監督 池島ゆたか
製作 平成23年(2011年)


久保新二の半生を描くセミドキュメンタリー作品。
疑似インタビューと久保新二の生涯を再現シーンをつないでいく。

3億円事件を映画にし、久保新二が犯人を演じたが撮影中に警察に捕まって拘留されたエピソードから始まる。
初体験は中学生(久保田泰也)の時。同級生の子(日高ゆりあ)としたのだが、その子が医者の息子としてるのをみてしまう。
これで初恋は終わり。その娘に「田久保君は顔がいいから俳優になれば?俳優になったら二人のこと考え直してもいいよ」と言われ発憤する。

俳優になった経緯は省略されているが、売り専で働き始める。ここは客が男も女もいた。
男の客のエピソードとして藤村有宏登場(映画では村藤有宏)。
藤村有宏がゲイだったというのは聞いたことがある。
「役者めざしてるんです」というと「じゃあ芸名にした方がいい。久保新二はどう?」と藤村につけてもらったというエピソードは初めて聞いた。

その後も女性相手の売り専ボーイを繰り返す。
この間に役者は野村貴浩に変わる。
山本晋也監督の「未亡人下宿」シリーズの撮影風景。
そしてスタッフの一人の妹(小滝かれん)を見初める。そして結婚。
向こうの親と同居だが、居づらくてその父親の土地に家を建てる。
家を建てたらローン返済のために「久保新二一座」を立ち上げ、女優たちと地方の映画館やストリップ劇場でショーを始める。
ところが半年も帰らないから、子供も出来たが、結局はうまくいかなくなり離婚。

その後はカラオケスナックを開いたが、心筋梗塞で倒れる。
このあたりから演じるは久保新二本人になる。
入院したときの診察した医者の同僚が久保新二のことを「親父」というが、別に感動の再会はなかった。

その後、今は無くなった新宿国際のポスターを見ているカットがあって、久保新二が風俗店に行く。
そこで相手をしてくれたのが、なんと初体験のあの子!
このラストはよかった。

まあそんな感じだが、どうにも映画としてつまらない。
これをつまらないと言ってしまうと久保新二の人生そのものをつまらないと言っているようになってしまうが、そうではない。
どこかに絞った方がよかったのではないか?

そうやって見ると木下恵介を描いた「はじまりのみち」はエピソードに絞り、あとはフィルムのダイジェストでつなぐ構成がよかったと思う。
絞りきれなかった分、冗長になった感は否めない。

特典映像で「久保新二生前祭」の模様が収録されている。
司会の野上正義さん、ゲストの若松孝二監督などもう亡くなった方もいる。
滝田洋二郎までいると「久保新二ってやっぱりすごいな」と思える。
主催者が桑原氏で驚いたけど。






怪獣ウラン


日時 2017年5月7日
場所 DVD
監督 レスリー・ノーマン
製作 1956年(昭和31年)


陸軍がガイガーカウンターの使用訓練をしている場所で、兵士のランシングが強力な放射能を検知。不思議に思っていると地面に亀裂が入り、爆発が起こった。ランシングは放射能による被曝のやけどで死亡した。
近くの原子力研究所のロイストン(ディーン・ジャガー)博士に協力が求められたが、博士にも原因はわからなかった。
今度は現場の近くで夜遊びをしていた少年が被曝によるやけどで病院に運ばれてきた。少年たちが遊んでいた塔に行ってみると博士の実験室にあったコバルトの容器が転がっていた。しかしその容器からは放射能は検出されない。実験室に戻ってみると、何者かが実験室を破壊して容器を盗んだ形跡があった。
さらに少年が運ばれた病院の放射線治療室が何者かに襲われた。放射能治療室の出入り口は破壊されておらず、一体何者仕業なのか?
博士は大胆な仮説を披露する。


最近またクラシックな怪獣映画を観たい気分になったので、Amazonでタイトルを観ただけで購入してみた。「怪獣ウラン」いいですねえ。ジャケットに怪獣の姿はないけど、多少は街の破壊をしてくれるんだろうな。

しかも冒頭から地面が割れ、水たまりが沸騰し爆発、と導入は上々である。
そして夜の少年のシーンでは少年が驚くリアクションだけのカット。
おお、いいですねえ。でも少年が見上げる訳ではなかったから、大きさは小さいのかな?

と、このあたりまではいいのだが、病院での事件で博士が網戸になっている通風口を見て「ここから出入りしたのではないか?」と言い出したあたりで不安になる。
「怪獣っぽくない姿なのかなあ」と。
博士はついに仮説を身内に話す。
太古の地球は液体状でやがて冷えて地表が出来た。太古の液体状のエネルギーが今は地下で進化して地上に出たくなり、食料である放射性物質を求めているというのだ。

ゲゲ、じゃ恐竜状の怪獣じゃないのか。
実際の物体(映画では「X」と呼ばれている)は泥状のもので、どろどろとした固まりである。
がっかりだなあ。
きっと日本未公開だったんだろうなと思ったら公開されている。タイトルの「怪獣ウラン」はきっとその時につけられたものだろう。
怪獣なんか出てこないのにね。きっと「ゴジラ」などにあやかったのだろうけど、観客は裏切られたろうなあ。

博士は放射能を無力化する研究をしていた。それは2枚の板の間に放射性物質をおいて同期させれば(?)放射性物質はただの土の塊になるというのだ。

最初の地面の亀裂部分から怪物が出入りすると考えた博士たちはそこにコバルトをおいて怪物を誘いだす作戦を実行する、という展開。

50年代60年代のクラシックSFの味わいはあったからいいけど、怪獣じゃなくて泥のかたまりだもんなあ。
ファンには評価されないよ。道理で聞いたことのない映画だ。

そうそう「被爆」と字幕で表記されていたが、放射能が原因だから「被曝」だと思う。気になった。






無限の住人


日時 2017年5月4日17:50〜
場所 TOHOシネマズ新宿スクリーン11
監督 三池崇史


万次(木村拓哉)は自分の過ちから妹を気が触れさせてしまい、しかも自分が賞金のかかった罪人になったことが原因で妹を死なせてしまった。
妹を切った相手を殺し、自分も瀕死になったとき、八百比丘尼(山本陽子)によって不死の体にされてしまう。
50年後、浅野道場に道場破りがやってきて主の浅野を殺してしまう。
殺したのは天津影久(福士蒼汰)だ。浅野の娘、凜(杉咲花)は敵討ちを誓う。
一人で天津を倒そうとする凜だが、出会った八百比丘尼に「絶対死なない男を用心棒につけろ」と言われる。やがて万次を探しだし用心棒を頼む。
万次は凜が死んだ妹にそっくりなので驚く。万次は凜の頼みを受け入れ、天津を斬ることにする。
万次の前に次々と剣の達人が現れる。


木村拓哉主演の話題の時代劇。去年、SMAPの解散騒動の時、木村拓哉が京都で撮影していた映画がこれだ。
実を言うと私は木村拓哉が好きではない。
時代劇もあまり好きじゃない。(でも黒澤時代劇は好きなのだ)
だからどう考えてもこの映画は楽しめないと思うのだが、実際スルーするつもりでいたのだが、それでも観たのは福士蒼汰が出演しているから。

今彼の映画は全部観たい気分なので、マイナス要素はあったものの、鑑賞。あと満島真之介とか。

やっぱり福士蒼汰だけを目当てで行くと退屈である。
それにキムタクの「オレ様」の口調がどうにも鼻につく。
今回気づいたが、あれ、松田優作を意識してるんじゃないだろうか?
だんだん聞いているうちに「もし松田優作がこの役を演じたらこういう話し方をしたのでは?」と想像し、そのモノマネをしてる気がする。
違うかも知れないが、私にはそう見えた。

チャンバラが続くが、元々時代劇には興味が薄い方なので正直退屈した、というか後半にはあくびまでした。

そんな中でも福士蒼汰はさすがである。色気と殺気が同居するたたずまい。いや今旬な俳優だけのことはある。それだけでも観る価値はあった。

天津自身も自分の祖父が浅野の祖父に認められなかったことを無念に持ち、お互いに敵討ちに燃えているとわかる。
だから最後は「敵討ちの連鎖などやめねばならない」という結論になるかと思ったら、どうもそこは軽く扱われた。

見終わった観客(若い男性)が「原作は読んでないから知らないけど、映画として面白かった」と言っていたのを聞いたから、あくびが出たという私の意見は少数派なのだろう。

福士蒼汰は今後も見続けていきたい。






ラストコップ THE MOVIE


日時 2017年5月3日19:40〜
場所 新宿ピカデリー・シアター5
監督 猪股隆一


1985年に若手熱血刑事だった京極浩介(唐沢寿明)はある事件で重傷になり昏睡状態に陥った。しかし30年後の2015年、彼は目覚めて熱血刑事として復帰し、草食系刑事・望月亮太(窪田正孝)と組んで数々の事件を解決した。
そんな時、人工知能のサンプル実験が本部長より命令される。
人工知能に過去の犯罪記録や人々の行動記録のビッグデータを活用し、犯罪捜査に役立てようというのだ。
現場におかれた人工知能ロボットはふなっしーに似た歩行ロボットぶなっしーだ。
試しに人間の捜査とぶなっしーの予測捜査を比べてみるとぶなっしーの指示に従うだけで捜査経験のない婦警でも犯人逮捕が出来た。
そのころ、浩介の体に異変が起こっていた。実は彼の体は急激な覚醒により、体が持たず、余命1ヶ月だった。
その頃人工知能研究の西園寺(加藤雅也)の助手藤崎(吉沢亮)が人工知能のマザーコンピュターを持ち出し、テロ行為を予告した。


日本テレビ製作。配信とテレビ放送で人気のあったドラマの映画版だそうだが、そちらの方は全く観ていない。唐沢寿明の暑苦しい演技が苦手だし、そもそもドラマの存在自体よく知らなかったのだが、今回は窪田正孝主演ということで観た。
最近窪田正孝の出演作を観ないなあ、と思っていたところだったので。

まあでも呆れてついていけないというのが本音。
同じ日に日テレとフジのテレビ局映画を続けてみたが、フジの方がまともである。日テレも「桐島、部活やめるってよ」という名作があったのだがなあ。

京極のジーパンにスタジャンスタイルは「ビバリーヒルズコップ」から来ているのだろう。
それにしてもふなっしーを出す感覚がわからん。
ふなっしーなんて流行遅れだし、そんなものをなぜ出すのか?

そして延々と続くせりふの応酬。
京極の体を心配して捜査をやめるように言う亮太に延々と「でも行かねばならぬ」的なことで延々とせりふが続く。
おいおい早くいけよ。
「海猿」並のどうでもいいやりとりである。

さらにもう一回ある。
藤崎が人工知能に京極を殺すことを命じると人工知能はミサイルを発射させる。おいおいどこからミサイルが発射されたんだよ。
しかもあと30分で着弾するという。それで藤崎がセスナで逃げたら、京極、亮太もセスナに乗る。
んで操縦方法を同僚の刑事(竹内涼真)がネットで訊くという展開なんだが、30分でそれが可能か?
そして京極がセスナを飛び移って藤崎を飛行機から突き落とす。
おいおい犯人勝手に殺しちゃうのかよ。

でミサイルを止める方法は激突するしかないとなり、「京極さんさようなら」「亮太、結婚して幸せになれ」的な会話を延々とする。
あと5分で落下という設定だが、そんな会話してるうちにミサイル落ちちゃうよ。
第一セスナのスピードでミサイルに追いつく?というかぶつかるのは相当困難だと思うけど。

コメディだからいいと言えばいいのですが、私にはついていけませんでした。窪田正孝を観るだけで観てるのですが、やっぱり苦痛でしたね。

そうそう竹内涼真がこの映画にも出演。
2本観た映画の両方に出てるとは珍しい。




帝一の國


日時 2017年5月3日16:30〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン5
監督 永井聡


赤場帝一(菅田将暉)は名門海帝高校に入学した。この高校で生徒会長になると政界にも影響力を持つ「海帝高校生徒会長OB会」に入ることが出来、それが総理大臣への近道だった。
帝一の父は通産省の事務次官、母はピアニストで、帝一は母の遺伝子を受け継いだのかピアノを弾くのが小さい頃から好きだった。だが父に止められ、それからは勉強一筋、総理大臣になるために海帝の生徒会長になることを目標するようになった。
海帝の生徒会長はクラス代表と各クラブの代表による生徒評議会の会員30名による投票だった。次期選挙は2年生の中から選ばれるが、その候補の派閥に入り応援をする事が自分の会長戦に有利に働く。
帝一は氷室ローランド(間宮祥太朗)の派閥に入るが、ライバル東郷菊馬(野村周平)によって、実は赤場の父が氷室の父の会社に規制をかけたことで氷室の父は煮え湯を飲まされたことを告げ口される。
帝一は生徒会長選挙は全校生徒の投票にすべきと学内民主化を訴える森園億人(千葉雄大)の派閥に鞍替え。
問題は文武両道な正義漢、大鷹弾(竹内涼真)の出方だった。


フジテレビ製作のコミックの映画化。人気イケメン俳優6名の競演ということで話題になっている。
登場人物のメイクが立ちすぎていて(特に野村周平の髪型)ちょっと拒否反応がなくはなかったが、まあそこはイケメンたちに免じて楽しみにしていた。

この映画、時代設定は一応昭和にしている。だから携帯電話は出てこない。「スキャンダルになるといけないから」と帝一は彼女の家に行って糸電話で話す。1万円札が出てくるが、今の福沢諭吉ではなく、大きかった聖徳太子の1万円札だ。表は写らないが、裏面の色合いがあれは聖徳太子の1万円だ。

マンガチックな設定と展開だが、これは昭和の自民党総裁選のパロディだろう。だから「金環蝕」のコミック版である。
だから逆転逆転の展開は面白く、買収があり世論操作がありの大合戦だ。
森園を勝たせ、自分が生徒会長への道を開く。
だが彼女に「なんのために総理になりたいの?総理になってどういう国を作りたいの?」と問われても答えることが出来ない。
「ピアノが思いっきり弾きたい」。
世の中の政治家の信条とは所詮こんなものだということだろう。

現在の総理にしたってしきりに改憲を訴えるが、もう完全に「改憲のための改憲」で改憲が手段ではなく目的化している。

最期に帝一は自分の会長選の時にわざと弾を勝たせる。「負けたというより相手に勝たせた、とみんなに思わせる方がずっといい」と言う。
計算ずくである。
そして弾の会長の就任式の時に弾く曲が「マリオネット」
帝一は小さな声でのたまう。「操り人形とはみんなのことだよ」
なかなかの策士である。

後半の逆転劇など観ていて飽きがこなかった。

そうそうテレビでよく紹介された文化祭でのふんどし姿での太鼓のシーン。太鼓を叩きながら菊馬が邪魔をする展開になるかと思ったが、そうはならず、アップもなくあっさりしたものだった。
期待してはいけません。







男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎


日時 2017年5月3日
場所 DVD
監督 山田洋次
製作 昭和58年(1983年)


旅の途中で博の父親の墓参りの為に岡山県の寺にやっていた寅次郎。
たまたま法事で酒を飲んでしまったお寺の住職(松村達雄)の手助けをしたことからお茶をごちそうになる。その娘の朋子(竹下景子)に一目惚れした寅次郎はなんとなく夕飯をご馳走になり、住職の酒の相手をするうちにその寺に泊まることに。
翌朝、住職は二日酔い。しかし法事があるので仕方なく寅次郎が代わりを勤めた。寅次郎の話芸で檀家には大受け。やがて博の一家の法事もあり、やってきたさくら(倍賞千恵子)たちはびっくり。
明るい寅次郎は町の人の受けもよく、朋子と寅次郎が結婚して寺を継ぐのではないかと町の人々は噂していた。
ある晩、住職が朋子に「お前寅さんと結婚したいか」と言ったのを寅次郎は聞いてしまい、いたたまれずに柴又へ帰ってしまう。


「男はつらいよ」シリーズ32作。この映画は封切りの時にも観ている。
寅さんもマドンナもその気だったのについ「そんな訳ないよなあ」とラストで言ってしまったことで別れてしまうラストが印象に残っていた。
ちょっと最近また寅さんが観たくなったので再見。

封切りの時はまだ若かったから気づかなかった、というか見過ごしていたが今観ると感慨深い点が多々あった。

まず博たちの一家。この岡山の土地には博の一番上の兄が子供の頃住んでいて、思い出のある家を兄が相続したいと言い出す。しかし次男が「だったら俺の遺産の分を買い取ってくれ」と言う。「それが出来ないから頼んでるんじゃないか」
いやー浮き世離れした寅次郎の世界だが、こういう現実とのせめぎ合いもある。

同様に儲けのない仕事ばかりを押しつけられるタコ社長とかラストに出てくる瀬戸大橋が開通したら定期連絡船がなくなり、寂れていく売店とか、博の家にパソコンが入るとか、時代の変化は絶対にあるという描写も見逃せない。

そして朋子の弟の一道(中井貴一)と近所の酒屋の娘ひろみ(杉田かおる)との恋。カメラマンになることを父親に反対され、家出をしてしまう一道。
源公(佐藤蛾次郎)が寅さんと朋子の二人のことを「でも愛があればなんとかなるんちゃいます?」というが「それはねえ、お前。若い人の話だよ。俺ぐらい分別がつくとそうは言ってられない」という。
理想、理屈通りには行かないのが人間社会だ。

そんなこともちゃんと描いているのがやはり「男はつらいよ」というシリーズの奥深さなのだろう。

それにしても扱われるギャグはベタである。
シナリオも定石通りである。
普通なら「ありきたり」の一言ですまされそうなこの映画も、渥美清や山田洋次の手に掛かるとそんな気持ちにはならない。

やはり名手だなと思う。