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映画 兄に愛されすぎて困ってます日時 2017年6月30日21:00〜 場所 新宿ピカデリー・シアター1 監督 河合勇人 橘せとか(土屋太鳳)は17歳の高校2年生。根っからの恋愛体質で今まで告白した人は12人。しかしすべて全滅で彼氏が出来たことがない。 たまに告白しかける男子もいるが、1つ上の兄、橘はるか(片寄涼太)が「オレの妹に手を出す奴は許さねえ」と邪魔をする。 そんなせとかの前に年上の幼なじみでせとかの初恋の人、芹川高嶺(千葉雄大)がインターンとなって現れ、今度は学校一のホスト系イケメン美丘千秋(草川拓弥)が告白してきた。 二人のイケメンの間で揺れるせとか。だがそのうちにせとかもはるかも自分の本当の気持ちに気づく。 少女コミックの映画化。千葉雄大は最近お気に入りだし、主演の片寄涼太(EXELEグループのメンバー)が予告とかポスターで見る分にはいいかんじだったので楽しみにしていて初日に観た。 でもパンフとか観ると「黒崎くんの言いなりにならない」と同じくテレビドラマとの連動映画らしい。だから前半で高嶺との再会など、ドラマとして重要なシーンがナレーションで説明されるだけ。 テレビドラマの最終回の扱いだ。(だからタイトルの頭に「映画」とつくわけだ) 始まりはやたら効果音やスローモーションを多用したバラエティ番組的演出が続いていやになる。 「ピーチガール」もそうだったが、この手の映画は仕方ないのか。 それで定番とも言える夏祭りの浴衣のシーンあり。このデート合戦が終わった段階でホスト系の千秋は戦列から離れる。あっさりしている。 あとお笑いのノンスタイルの井上裕介が英語で口説く教育実習生役で出演だが、笑えない。うっとうしいだけ。 そして恋のライバルは高嶺だけ。でも高嶺もせとかが本当に好きなのははるかだと悟り、自分から身を引く。 せとかは実ははるかが2歳の時に養子でもらってきた子で血のつながりはない、という設定。 結局せとかもその事実を知り、はるかと堂々と愛し始める。 そして時々出ていた父親だけでなく、どこかから帰ってきた母親(YOU)に二人は「俺たち付き合うことにした」と告白。 母親はあっさり「いいんじゃない」と言い、「これでせとかがどこかへ出て行く心配がなくなった」とのたまう。 血がつながっていないのは結果で、別にだから好きになったわけじゃないだろ。「好きになってしまった」という近親相姦の世界に入りそうになったが、「実は二人は血はつながってませんでした!」と作者がいいわけをしているようで私は不快な解決である。 かっこいい年上に愛されまくりたい、かっこいいお兄ちゃんがいるといいな、という女子の妄想全開の映画。 まあ少女マンガってそういうものだけど。 価値ある男日時 2017年6月25日15:00〜 監督 イスマエル・ロドリゲス 製作 1961年(昭和36年) メキシコ南部の田舎町で暮らすトルハーノ(三船敏郎)は怠け者で酒とバクチに明け暮れるような男。そんな彼にも夢があって年に一回行われる祭りの世話役になることだった。世話役になることは人々の尊敬を集めるが、祭りの費用は自分で負担し村人は招待となる。だから人望と財力が必要だった。 近くのテキーラの酒造工場が人を募集していると聞き、トルハーノの妻はいやがるトルハーノを何とかつれて仕事に出た。しかし彼はさぼってばかりで、さらに酒造所のテキーラをこっそり飲んでしまう始末。 美人の彼の娘ドロテアが酒造所の工場長の息子と会っているのをみて、逆上し息子を怪我させ投獄されてしまう。 その牢獄でも牢で一緒なった男に「この磁石を拝むと運が向いてくる」と言われ、毛布と交換にその磁石をもらう。男は入れ替わりに牢を出て行った。 トルハーノは何とか出所したが、家族の元へは帰らず、妻が保釈金として用意した金を「俺が使っていい金だ」と言って巻き上げて街の女のカタリーナの元へ行ってしまう。だがその金も闘鶏で無くなってしまう。 ドロテアは酒造工場の息子の子供を産んでいた。その子供を工場主は引き取りたいと言って金を渡す。 トルハーノはその金を受け取る。その金で今年の祭りの世話役になったトルハーノだが。 数々の外国映画でも活躍し、名実ともに国際スターと呼ばれた三船敏郎の外国映画初出演作。 タイトルは聞いたことがあったが、日本ではソフト化されておらず、また上映の機会も少なく(私の中では)幻の映画となっていた「価値ある男」。 外国映画初出演ががアメリカとかヨーロッパ映画とかではなく、メキシコ映画というのが不思議。ネットで検索しても(ネット情報がすべてではないとは思いますが)情報がほとんどない。観た人の感想もない。 どんな映画だろうと思っていたが、ようやく観る機会があった。 何となくカラー映画だと思っていたので(たぶんネットで観たポスター画像のせいだろう)、白黒を知って驚く。しかも三船は日本人役ではなく、メキシコ人。メキシコの人は変に思わなかっただろうか? 「スペイン語のせりふはすべて事前に頭に入れてメキシコに行った」というエピソードがあるが、映画の方は吹き替えになっている。 これは実際は日本語訛で聞きづらかったのか、スケジュール的にアフレコまでいることが出来なかったのか、真実は不明。 肝心の映画の内容だが、はっきり言って面白くなく退屈した。 「ダメ人間がそれでも人々から尊敬されたいので『祭りの世話役』になりたがる話」で、結局最後には金の力で世話役をやらせてもらう。 しかしそんなの誰も尊敬しない。 トルハーノは「人の金で飲み食いしてるくせに!」と逆ギレしてしまう。 こういう「人々の尊敬は金では買えない」的な日本昔話のような話である。(「こぶとり爺さん」とか「舌切り雀」なんてそんな話だよな) その話に1時間40分は長いなあ。 演出もなんだかメリハリがないし、どうにも退屈した。 メキシコの風俗習慣をよく知っていればまた違った感想があったかも知れないがなあ。 ラスト、トルハーノの妻がナイフを持って夫と街の女の前に立ちはだかる。トルハーノを刺すのかと思ったら、街の女の方を殺す。 「この女がいたらあなたはますますだめになるから」と妻は言う。 さすがのトルハーノもこれには心を動かされ、自分が街の女を殺したと警察に自首すると言う。 「価値ある男」っていうのが原題なのか、日本独自の題なのか解らないが、「真の価値ある男とは?」をテーマにした、極端に言えば道徳の教科書にでも出てきそうないい話である。 それにしてもどうして三船がこの映画に出たのか。当時の記事とか調べてみるしかなさそうである。 それほど海外進出にメリットがありそうな感じはしないのだがなあ。 基本的にメキシコ映画なんてあまり世界的にメジャーな感じがしないし。 実際私はメキシコ映画をこの映画で初めて観たのではないか? 長年観たかった映画を観ることが出来、それは満足だった。 カントリー・サンデー/皆殺しの讃美歌日時 2017年6月25日13:00〜 場所 シネマ・ノヴェチェント 監督 ジョン・トレント 製作 1974年(昭和49年) ある田舎の日曜日。ラジオでは近所であった3人組の銀行強盗が未だに逃亡していると告げている。 キリスト教徒のアダム(アーネスト・ボーグナイン)は学校が夏休みで帰ってきている孫娘のルーシーと教会に行った。その途中、今度結婚するというルーシーの友人と車ですれ違う。しかしその直後、車を奪いにきた銀行強盗たちに殺されてしまう。 教会から帰ったアダムとルーシー。その頃銀行強盗たちも検問を避けているうちに車が通れない道に迷い込み、お金を持って徒歩で逃亡を始める。 やがてアダムの家を発見。まずは電話線を切って外部との連絡が出来ないようにする。 アダムは電話が通じないことに気づく。銀行強盗たちがやってきたと知る。ルーシーを2階の部屋に隠れているように命じる。 シネマ・ノヴェチェントによる自主配給第3弾。日本ではテレビ放送のみで劇場未公開。支配人の趣味炸裂の70年代B級アクション映画である。 近所に誰もいない開かれた密室でのサスペンス、という感じで話は進行していくから、鈴木英雄の「彼奴を逃がすな」みたいな展開を予想したのだが、大きく裏切られた。 銀行強盗たちがやってきた段階で、アダムはいきなり一人をショットガンで撃ち殺すのだ。 これは驚いたなあ。 この後、銀行強盗2人を縛り上げて、「えへへ」と笑いながら彼らに向けて銃を撃ったりする。 さすがにルーシーはまともなので「警察を呼んで逮捕してもらう」「おじいちゃんには裁く権利はない」と実に正論をいうのだが、アダムは聞く耳持たない。 このアダムという男、娘(ルーシーの母親)には家出されてるようで、家族からも嫌われてるようだ。さらに冒頭の教会のシーンで近所に人から「このままじゃ補助金が打ちきりだ。陳情しよう」と言うのだが、「そんなのしたって無駄だ」と無視する。 思うにこのアダムという男は「国のシステム」とかを全く信用していないようだ。ひたすら「自分でなんとかする」が信条のようである。 だから「政治」とか「警察」とか「裁判」なんて信用していない。 自分がこうと思ったら貫くのだ。 でもこの男の場合、めちゃくちゃ危険だけどね。 この後も納屋に強盗を縛り上げたりしていたぶる。 見かねたルーシーが鎖をほどくと案の定ルーシーが危機に陥る。 強盗が「警察を呼んでくれ」という始末だ。(ここで場内から笑いが起きた) 結局、不審に思ったルーシーのボーイフレンドが電話線を復旧してくれて警察に連絡が付く。 そして一人生き残った強盗(いちばん危険な奴)が逮捕される。 警官に「明日調書を取るから警察に来てくれ」とか言われて映画はエンディングへと。 ここで終わるのかな、と思ったら意地悪な作者たちは終わらせてくれない。 犯人は護送中のパトカーから逃走、アダムの元へ再び帰る。 「殺してやるぜ」的な展開になったところで、アダムの方が犯人を撃ち殺す。 アーネスト・ボーグナインのアダムを「キチガイ」と一言で言い表すのは簡単だ。 でもそれだけではない、「国のシステムへの不審」が作者たちの根底にある気がする。 冒頭の「陳情しよう」と村人が言う。確かにそれってまどろっこしい。 強盗を警察に逮捕させて裁判にかける。それがシステムだがまどろっこしい。 それをアダムは否定し、自分で犯人を処刑する。 そしてそれを止めた警察は犯人を逃亡させてしまう。つまり作者たちは警察を「役立たず」としか描いていない。 作者たちも国のシステムを否定しているのか? そのあたりは積極的には描いていないし、必死に「国のシステム」に従うことを主張する孫娘を登場させることでバランスを取っているようにも感じる。 しかしアダムを否定していないようだし、作者たち自身の葛藤が根底にあるような気がしてならない。結論は出てないようだが。 ところで中盤で強盗たちがアダムに捕まってスーツのズボンだけを脱いで下半身がパンツ1枚のシーンが続くのだが、妙にエロくて変な感じだった。 ノヴェチェントの今まで配給した3本の中では一番おもしろかった。 ハクソー・リッジ日時 2017年6月24日19:00〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン9 監督 メル・ギブソン ヴァージニア州で育ったデズモンド・ドス(アンドリュー・ガーフィールド)は、子供の頃の兄弟喧嘩で弟を怪我させてしまったことがきっかけで「決して武器は取らない」と誓っていた。 やがて第二次世界大戦が勃発。デズモンドの弟や周りの友人は出征していった。デズモンドはその頃看護師のドロシーと結婚を考えていたが、自分も戦争に行くことを決意する。武器を持たないと決めている彼は衛生兵になる希望を持っていたが、軍隊では一人の勝手は許されない。 軍法会議にもかけられたデズモンドだが、彼の主張は認められ戦場へ赴くこととなる。 派遣されたのは沖縄、ハクソー・リッジ(日本名・前田高地)。 激戦下米軍は一旦撤退を決める。しかしデズモンドは負傷した仲間を見捨てられず、砲爆撃下、仲間を助け続ける。 メル・ギブソン監督作品。予告編の時から激しい戦闘シーンの連続で、戦争映画好きとしては期待も高まる。予備知識はあまりなかったが、ネット上で「沖縄戦が舞台だとあえて隠されている」と批判的な前評判を目にした。 うーん、でも配給側からしたらそこは大きく出しにくかったんじゃないかなあ。アメリカのテレビシリーズ「パシフィック」を観たときにも思ったが、どうしてもアメリカ側の視点になってしまう。 物語の視点となる主人公にとっての敵が日本人だから、どうしても悪役になってしまい(あえて描かなくてもそうなる)、日本人としては観ていて複雑である。だからそういうマイナス要素はちょっと隠したくなる気も解らないではない。 予告のイメージで全編戦場だと勝手に思いこんでいたので、前半の1時間、故郷での生活(父親が第一次世界大戦に従事し、人が変わってしまったとか、恋人との出会いとか)が延々と続いて正直、ちょっと退屈した。 戦場まだ〜?と言った気になってしまって。 そして入隊。過酷な訓練の中で彼は銃を持つことを拒否。最初は認められないが、(そりゃそうだ)結果的に「銃を持たない権利」も認められないのがアメリカの懐の深さを感じた。 日本軍だったらあり得ないのではないか? この中で「良心的兵役拒否者」という初めて聞く言葉が出てきた。 時間のある時にこれについて勉強したい。 そしてついに戦場。沖縄・高田高地。 激しい戦闘シーンの連続。こういった戦場描写は「プライベート・ライアン」以降で、映画の歴史を変えたと言えるだろう。 一旦退却を決めた米軍は負傷している兵士を見捨てて退却。それを見逃せないデズモンドは日本兵の攻撃の中、巨大な崖を一人また一人おろしていく。 そして彼はアメリカ兵だけでなく、日本兵も手当した事実も描かれる。 デズモンドが崖から兵を下ろしているときにやってきた日本軍を下から米軍が撃つシーンはアメリカや他の国の観客はカタルシスを感じるのだろうが、日本人の私としては複雑な思いである。 もっともアメリカ人が岡本喜八の「沖縄決戦」を観たら、同じように感じるんだろうな。 戦闘終結のシーンとカットバックで牛島司令官らしき人物の切腹シーンがあるが、時系列的にはおかしい。 でもここは「日本敗戦の象徴として」考えるべきだろう。 ここで日本でも顔を知られている俳優が演じていればすこし印象が違ったかも知れないが、描こうとしているのは「沖縄戦」ではなく、戦争全般の不条理だからこれでもいいのだろう。 「米軍ってこういう異端児も許す土壌があるのだな」と妙な所で感心してしまい、アメリカの懐の深さを感じた映画だった。 大いなる眠り日時 2017年6月24日 場所 blu-ray 監督 マイケル・ウィナー 製作 1978年(昭和53年) 舞台はロンドン。私立探偵マーロウ(ロバート・ミッチャム)はロンドン郊外に住む富豪、スターンウッド将軍(ジェームズ・スチュワート)を訪ねた。彼の次女カミラが「バクチの代金を払え」とガイガーという表向きは古書店を営む男から脅迫されたというのだ。「大した金額ではない、払えば」と助言するマーロウ。将軍は「味をしめて何度も脅迫してくるかも知れん」と心配していた。また長女のシャーロットの夫リーガンが1ヶ月前から失踪しており、そのことも気にしているようだった。 とりあえずガイガーという男の店に行き、彼に会おうとするマーロウ。 ガイガーには会えなかったが、彼らしき男を尾行してみる。彼の自宅から銃声が聞こえた。マーロウは窓ガラスを割って部屋に入る。ガイガーが撃たれ、クスリでラリったカミラが全裸で写真を撮られていた。 マーロウはカミラを自宅に送り届け、タクシーでガイガーの家に行くと死体はない。ガイガーは誰が殺し、死体は誰が隠したのか? マーロウは出会う人々の「リーガンを探しているのか?」と訊かれる。リーガン失踪の真相は? 最近発売されたブルーレイで鑑賞。日本では劇場未公開だが、映画専門チャンネルなどでは放送されていて、80年代に観た記憶がある。 世間ではマーロウというと「三つ数えろ」のハンフリー・ボガートの印象が強いらしいが、私の中ではマーロウのイメージはこのロバート・ミッチャムである。ボギーのような強面ではなく(それに私にはボギーは「マルタの鷹」の印象の方が強い)、エリオット・グールドのようなグダグダでもない。(エリオット・グールドの「ロング・グッドバイ」は名sか宇田が、私のマーロウのイメージとは違って別物だ。あの作品の成功と松田勇作のTV「探偵物語」で「私立探偵もの」は基本が決まってしまった感がある) この前に同じロバート・ミッチャムがマーロウを演じた「さらば愛しき女よ」があり(こちらは80年代に観た気がするのだが印象が薄い)、こちらは1940年代が舞台だったが、本作は現代のロンドン。 同じ制作者、主演でマーロウをやろうとするなら続編的に同じテイストで作るのが普通だが、大幅な変更が行われた。アメリカ人からするとロサンゼルスとロンドンでは大違いなのだろうが、ロンドンの古い町並みが近代的なビルが並ぶロサンゼルスと違って、味わいがあって古いような新しいような不思議なロケーションで私は気に入っている。 キャストもジェームズ・スチュワート、エドワード・フォックス、コリン・ブレークリー、リチャード・ブーンと無駄とも言えるぐらい豪華。 話の方はハードボイルド作品らしく、複雑に絡み合った人間関係で、正直解りづらい。でもそれを魅せてしまうのはロバート・ミッチャムのかっこうよさだ。 リーガン殺しの犯人も解り、シャーロットに「金が目的じゃないの?」と訊かれる。 「金は欲しいさ。わずかな費用で仕事をし稼ぐ。終わったら、何かありましたらまた連絡ください、名刺を置いていきますってな」 そういう主旨のことを言って汚い金は受け取らないことを宣言する。 ここがかっこいいのだなあ。最初に観たときは日本語吹き替え版でこれがよかったのだが、今回のブルーレイには入っていないのが残念。 世間的には人気がないようだが、私は好きなマーロウものである。 こどもつかい日時 2017年6月20日13:55〜 場所 新宿ピカデリー・シアター3 監督 清水 崇 地元紙の新人記者、江崎駿也(有岡大貴)は最近不可解な死亡事件が起こっていることに興味を持ち、ある女子中学生から話を訊いていた。 その中学生、友里の話では「団地の隣に住む人が、数日前に子供がいなくなったと騒動になったがしばらくしたら見つかった、しかしそれから子供を怖がるようになり、その後亡くなった」というのだ。 同時に友里の友人から「子供の呪い、トミーの呪い」の都市伝説も耳にする。不審なものを感じる駿也だが、それだけでは記事には出来ない。 ちょうどその帰りに駅ビル内のテナントでリサイクルショップを営む友人近藤(尾上寛之)と再会する。 駿也は保育園で保母をしている尚美(門脇麦)という恋人がいたが、同姓だけで結婚には至っていない。そんな尚美だが自分が担任をしている笠原蓮(中野遙斗)という子の母親が蓮を迎えに来てくれず、つい「蓮君のおかあさんが迎えに来てくれるまでおかあさんになってあげる」と言ってしまう。しかし蓮の母親は翌日死体で発見された。 駿也は連続死亡事件の周りにいつも子供がいることに気づく。そしてその子供が意味不明の歌を歌っているのを録音してみる。 その中に「かみのごうサーカス」という言葉を聞き取る。検索してみるとそのサーカスは60年前に三重県で火事を起こしなくなっていた。 駿也と尚美は事件の発端を調べるため、三重県に向かう。 清水崇の新作ホラー映画。滝沢秀明映画初主演ということで言ってみた。 NHK大河ドラマ「源義経」を演じてから、芸能界出世双六をあがってしまったのか、テレビでの活躍は極端に少なくなり、「滝沢歌舞伎」などの舞台を中心に活動している。 しかし老けたなあ、と思う。もはや35歳だから美少年の年ではないのだが、かつての美少年ぶりを知っているとそのおっさんくささは萎える。 仕方ないとはいえ世の諸行無常を感じる。 死んでいく大人はネグレクト、育児放棄などの児童虐待とかロリコンの痴漢をしている。いやーこれは見ていてきつい。 子供がいない私だから育児のことはどうこう言える立場ではないのだが、見ていてきつい。さらにだめ押しでリサイクルショップの店長が万引きした子をバックヤードで服を脱がせてそれをビデオに撮っていたとか見ていてへこむ。正直ピンク映画でもやらないような企画である。 さらに三重県で60年前に火事になったサーカスが出てくる。サーカスって移動するものだと思っていたから、「町の名士が自分の夢だったサーカスを作った」と言われてもちょっとぴんとこない。その中に腹話術師のトミーというアメリカ人がいたという。 村から子供たち7人がいなくなる事件が起こり、サーカスの仕業だと村人が詰めかける、その騒動の最中に火事になった、というのだが真相はそのトミーがこれまた幼児性愛で(男女は関係ないらしい)で彼らをお人形のように着飾って自分の世界を作ろうとしていて、村人に抵抗されて自分でサーカスに火を放ったというのが真相と描かれる。 よく考えて見れば「幼児を自分の人形のようにしていく」ってちょっとどこかの芸能界を思い出させるが、それは深読みのしすぎか。 それにしてもさっきも書いたが幼児性愛とか話が悲惨すぎてよく映画になったなと思う。いや映画には出来るだろうが、メジャーなシネコンで上映するような映画になったと感心する。 トップクレジットは滝沢だが、映画の出演シーン数で言えば「トメ」でいい存在。有岡と門脇のダブル主演だ。 有岡はちょっと若すぎて存在感が薄い。 何度も書くけど児童虐待とかロリコンの話で見ていて引いた。それしか残らない。 昼顔日時 2017年6月11日14:10〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン5 監督 西谷 弘 木下紗和(上戸彩)と北野裕一郎(斎藤工)はかつてはお互いに結婚している身でありながら不倫の関係にあったが、紗和は離婚し北野は離婚せずに妻の元に戻り、「もう二度と会わない、連絡も取らない」という合意書を取り交わしていた。 それから3年。紗和は海辺の町に引っ越し、一人で生活をしていた。 そんな時、町の公民館で、大学の生物学講師となっている北野の講演会のチラシを目にする。行ってはいけないと思いつつも一目姿を見たいと思い出かける紗和。目立たないようにしたつもりだったが、客席にいた紗和は北野の発見されてしまう。 講演会での話の様子から、この講演後北野がこの町の自然公園に行くと思い出かける紗和。案の定、会うことが出来た。 それがきっかけで再び会うようになる二人。 しかしそれも北野の妻・乃里子(伊藤歩)の知るところとなる。 2014年に大ヒットしたテレビドラマ(フジ)「昼顔」の映画版続編。 「来年ブレイクする俳優」と何年も言われていた斎藤工の出世作となったドラマだ。 予告の作り方がうまかったし、流れる主題歌がよかったので(公開時ではシングル発売はしていないようだ)テレビドラマは観ていないのも関わらず、2日目に観た。 でもやっぱり不倫ドラマなので、紗和の身勝手さにはついていけない。 大体結婚もしていない私に不倫など理解不能である。 「もう二度と連絡も取らない」と誓約しておきながら会いに行き、蛍を取りながら「これは独り言だから」などという身勝手さ。 北野の視点ではなく、ほとんどが紗和の視点で描かれるが、どうもこの紗和という女が好きになれない。 それでも予告でさんざん観た北野がバスを追いかけるシーンや、バスに乗っている二人が徐々に距離を縮めていくシーンなどは映画的に魅力的だ。 そして紗和と北野の仲が妻の乃里子にばれたにも関わらず、「今度はちゃんとするから」と言って付き合いだして、唐突に(と私には見えた)北野と紗和は同棲を始める。 乃里子は誓約書を使って反撃しないの? 少女コミックを原作とした恋愛ドラマはよく観るけど、所詮は結婚していないので、元彼が出てこようがよりを戻そうがそもそも結婚している仲ではないので罪はない。だからどうくっつこうが許せる。 また結婚している人がちょっと浮気をする、というのも解らないでもない。しかし「もう二度と会いません、連絡も取りません」と約束した人が再び会うのは完全な犯罪者と同等だ(私基準)。 これでは主人公が好きになれないなあ。 それに斎藤工脱ぎまくりのエロいドラマかと思っていたが、その辺は意外におとなしかった。 「まざましテレビ」でさんざん言っていた「衝撃のラスト」、そう言われたら大体想像がつくよ。死ぬんだろう、と思っていたがやっぱりそんな感じ。私は二人が心中するかと思っていたが、そんなタマではなかった。 紗和が海辺のレストランで働きオーナーがウインドサーフィンをしてるのだが、いや何ともフジテレビドラマ的設定だ。 第一不倫騒動があって3年たった時点でこのレストランで働き始めるって時間的にどうよ?それに昼の3時間ぐらいしか働いていないみたいだけどそれで暮らしていけるのか?アパート2LDKぐらいある広い感じだったし。 そして肝心の主題歌、エンドクレジットでワンコーラス流れただけで、私にはちょっと物足りなかった。 斎藤工がめがねをかけた地味な感じでよかった。あれでエリートサラリーマンとか高収入の自営業だったら引くね。 やっぱり紗和のわがままぶりが気になって私の倫理観ではついていけなかった。 22年目の告白ー私が殺人犯ですー日時 2017年6月11日11:30〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン5 監督 入江悠 1995年、阪神大震災や地下鉄サリン事件のあった年、東京で連続絞殺事件があった。犯人は被害者のごく近しい人の前で目の前で殺人を犯すという残虐きわまる事件。警察は4件目の事件があったとき報道しないで犯人をおびき出すという作戦に出た。そこで刑事の牧村(伊藤英明)は犯人を追いつめ、肩を銃で撃ち抜いたが相手の反撃で逃がしてしまっていた。 だが犯人に身元を知られ、自分のアパートでガス爆発が起き先輩刑事の滝(平田満)が死んだ。 そして2010年時効成立。ところが7年たった2017年、この事件の犯人を名乗る曾根崎(藤原竜也)という男が現れ手記を発表する。 手記はベストセラー、サイン会も行い時代の寵児に。彼はテレビの生放送出演を願ったが、道義的な批判を恐れたテレビ局は乗り気でない。 だが夜のニュース番組のキャスター仙堂(仲村トオル)が自分の番組に呼ぶと言い出した。彼にとってこの事件は、若いときに追いかけた事件でその事件の取材が現在の自分の基礎を築いたので、思い入れのある事件だったのだ。 犯罪者が出所後や獄中から手記を出版しベストセラーになり、世の批判を浴びる、という時々ある現実をモチーフにした映画。 映画を見終わると予告編では本編にはない音声が入れてあったりして、ミスリードを誘うが見たくなるような作り方をしている。なるほど、予告編は本編のダイジェストではないな。 藤原竜也、伊藤英明というちょっとありきたりのキャストなのが惜しい。 藤原竜也など猟期的な殺人犯とか性犯罪者とかよくやっているので、「またか」という感じが否めずに惜しい。それに事件時に20歳として22年目なのだから42歳のはず。ちょっと藤原では若くないか? サイン会の騒動など現実にも起こりそうな展開で観ている者を飽きさせない。そして仙堂が本についての疑問点を指摘し何かを隠していると思わせさらに盛り上がる。 しかし「曾根崎は犯人ではない、俺が真犯人だ!」と名乗る者まで出てくる。そして意外な犯人、という結末。 だがこの犯人の設定、途中で解ったし(ここで作者もヒントを出したのだが。「自分がされたことを相手にしてしまうことってありますか?」というせりふの所で解った)、何より意外のための意外みたいな感じがしてイマイチな気がしないでもない。 しかし全体としてはよく出来たミステリーでミステリー映画史に残してもいい作品だった。 牧村の妹の婚約者役の野村周平が「サクラダリセット」に引き続き好演している。 日テレ製作、ワーナー配給。 異常性変態日時 2017年6月10日 場所 監督 荻西太郎(野上正義) 製作 昭和57年(1982年) 海辺の町。カズヨ(日野繭子)は恋人との情事にふけっていた。その頃、ホテルを営むカズヨの父は、彼の妻、カズヨの母親を「お前には淫乱の血が流れている」と言って殺してしまう。 ショックを受けたカズヨは東京へ。そこでピンクサロンで男の接客をしながらヤクザな男(阿部勉)と同棲していた。しかしその男は他にも女がいて、アパートに連れ込んではシャブを打ちながらセックスに興じていた。 カズヨが「あの女は誰よ?」と問いつめても「うるせえなあ。人間たまには別のものを食べたくなるんだ」と言って取り合わない。 たまりかねたカズヨは警察に覚醒剤の使用を通報し、男は逮捕される。 数年後、今は故郷に帰り結婚し夫婦でホテル経営をしていた。 平和な日々だったが、そこへ出所したヤクザ男が現れる。 「近くのホテルに来い」と言い残し男は去っていく。夫が止めるのも聞かず、ホテルに男を訪ねるカズヨだった。 新右翼団体「一水会」立ち上げに関わった一人、阿部勉が主演したピンク映画。しかしポスターには名前が出ていない。ポスターには男優の名前が二人出ているが、これは主人公の夫役と父親役らしいので阿部勉は変名でもポスターには出ていなかったかも知れない。 いやそもそもポスター上の監督名は「荻西太郎」だが、実質的な監督は野上正義だそうだ。(野上さんの本の中にも野上監督作品として話題に出る) 荻西太郎(これも「オギ ニシタロウ」なのか「オギニシ タロウ」なのか判然としないのだが)も深町章監督の別名義なので、もう何がなにやらさっぱり分からない。完全に映画を消耗品としか考えていない時代のピンク映画だ。 話の方はこの後、カズヨは男と何度も会い、夫からは「やめてくれ」と言われる。夫は男に「金が欲しいのか?」と言うが「金じゃない。体だ。こんな上玉なかなかないぜ」という。 そしてヤクザ男は別の女も連れてきていて、カズヨも交えての3Pも楽しむ。 海岸の砂浜で3Pを楽しんでいると夫が現れ、包丁を持ち出しヤクザ男を刺し殺す。という悲劇的なラスト。 実を言うと父親が母親を殺すそれで何で東京に出たのかよく分からない脚本なのだが、まあ昔のピンク映画らしいテキトーさである。 要するに母親も男好きで、その娘も男好き、という変態の血が流れているという話だ。 右翼の阿部勉がなぜピンク映画に主演したかは1976年のロッキード事件に怒った日活ロマンポルノに出ていた前野光保が児玉誉士夫邸にセスナ機で突っ込むという事件があったが、「ポルノ俳優が右翼になったんだから、今度は右翼がポルノ映画に出てやろう」ということだったようだ。 もちろんその前に新宿ゴールデン街でのつきあいがあったかららしいのだが。 阿部勉は成田三樹夫にちょっと似ている強面。この風貌なら確かに映画に出したくなるのも納得する。ただし声が役と似合わないと判断されたのか、素人にありがちな「しゃべると台詞が棒読み」になったためかオールアフレコで声は別人だそうだ。 ピンク映画らしいピンク映画で「新右翼の阿部勉が主演した映画」という以外は観る価値の少ない映画。阿部勉を知らない人にはもはや特に観る価値ないかも知れない。 リーマンブルース日時 2017年6月4日12:15〜 場所 光音座1 監督 北沢幸雄 製作 1999年 土浦キイチロウ(杉本まこと・現なかみつせいじ)は大手企業の営業課長。未だに独身で周囲からは結婚を勧められている。 本人も迷っていてある女性とデートしたが、今日も食事だけで帰る。実は彼には同居している恋人がいた。名前はカズオ。街で女の子AV出演のスカウトをしている。 キイチロウは会社でバツイチだが専務の娘との縁談を部長を通じて持ちかけられていた。カズオはカミングアウトを勧めるが、そうは簡単にはいかない。そして彼女を作って部長に紹介し、縁談を断るつもりだったのだ。 普通の女性だと思っているその女性をホテルに誘うキイチロウ。しかし結局女性とのセックスは出来ず、彼女に「実は私はゲイなんだ。立場上彼女が必要だったんだ」と打ち明ける。彼女は怒るどころか笑い出す始末。 実は彼女もレズでパートナーが両親に恋人を紹介しなければならず、適当は男を捜していたのだ。 利害が一致した二人は、まずはキイチロウの部長に彼女を紹介し無事解決。 しかし家に帰ると部屋は荒らされ、引き出しにあった20万円ぐらいのお金がなくなっていた。そして二人の思い出の写真の裏に「ありがとう。楽しかった」と書かれていた。 「思いはあなただけ」で大変評価された北沢監督作品。 名前が違っていたので事前に知らずに見始めたが、なかみつせいじ氏が30代くらいの頃の主演映画。 正直見ていてつらかった。面白くないからではない。切実すぎるのである。 サラリーマンの結婚物語。会社の上司しか出てこないが、もし両親とか出てきたらいたたまれなくなって見られない。 K's cinemaとかユーロスペースとかはたまたゲイ映画祭で見る分はまだ耐えられるかも知れないが、そういう浮き世の生き難さから逃れようとして光音座に来てる私にとっては見ていて身につまされて楽しめるどころではなかった。 映画はこの後、キイチロウとカズオの出会いがあって、二人が一緒に暮らす過程が回想シーンとして描かれる。 二人で撮った写真の海岸に行った思い出も。 カズオは昔の悪い友人(樹かず)にそそのかされてキイチロウの部屋から金を取って逃げた。しかしやっぱりキイチロウの前に姿を現す。 しかもキイチロウが会社帰りで同僚と一緒の所を。 会社の部下の前でイチチロウへの愛をぶちまけるカズオ。部下は気を使って「今日の所はお先に失礼します」と言って帰ったが、果たして翌日からどうなるのか? 「思い出の場所(二人で写真を撮った場所)で待ってる」と言い残し去るカズオ。 自分のマンションで写真を見ながら迷うキイチロウ。 映画はここで終わる。 キイチロウが思い出の場所に行ってハッピーエンド、という安易な終わりではなく、余韻を残した終わり方はよかったと思う。 同時上映「恋する男たち」 美しい星日時 2017年6月2日21:10〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン1 監督 吉田大八 大杉重一郎(リリー・フランキー)は夜のニュース番組でのお天気キャスター。長男・一雄(亀梨和也)は就職もしないで自転車メッセンジャーで長女・暁子(橋本愛)は美人だが友達はいない。妻の伊余子(中嶋朋子)は最近友人に勧められ、水の販売をしている。 重一郎はお天気のコーナーの助手をしている玲奈と不倫関係にあった。 玲奈とホテルに行った帰り道、車の中から光る物体を見る重一郎。気がついたら10数時間が経過し、自分と車は見知らぬところにいた。 一雄は高級車と交通事故になりそうになり、それがきっかけで車に乗っていた国会議員・鷹森の秘書の一人になる。鷹森の第一秘書は黒木(佐々木蔵之介)という男でなにやら不気味なところがある。 重一郎は光を見たことがきっかけで自分は火星人と確信するようになり、お天気のコーナーで地球温暖化に対する警告を発するようになる。 暁子はある日路上ライブのミュージシャンを見、彼が歌う「金星」という歌を聴いたことがきっかけで自分は金星人と思うようになった。 一雄は彼女とプラネタリウムに行ったときに自分は水星人と確信する。 原作・三島由紀夫のSF小説。三島ファンからは異色作とされているらしい。原作は昭和37年に書かれたもので、当時は冷戦の最中、核戦争の危機が叫ばれていた。映画でも「博士の異常な愛情」もあったし。三島が「博士の異常な愛情」を観ていたか知らないが、要するに世の中のクリエーターは核戦争の危機を感じていたに違いない。 現代では大国同士の核戦争の危機はないと思う。だったらこの映画も映画化する価値がなくなる気もするが、「人類は繁栄すると同時に破滅の危機にも向かっている」という共通項は今でも去っていないといえる。 それで今回は「地球温暖化問題」である。 主人公が火星人に覚醒し、地球人に危機を知らせようとする、そしてそれに反対する勢力(この映画では謎の男、黒木)が登場する、とここまでは分かる。 しかし子供が水星人や金星人というのが分からない。 原作は未読なので比較はしないが、この二人の星人が地球温暖化とは関係がないのだなあ。 特に金星人は単に「いい加減なミュージシャンにだまされただけ」という結論になっており、ますます金星人だった必要がなくなる。 「太陽系連合」間のもめ事とか結束で火星人、金星人、水星人が三つどもえになるならともかく、どうにも収まりが悪いなあ。 それにまだアポロが月に行ってない昭和37年なら火星人、金星人、水星人もなんとなく「いるかも知れない」感があったが、今ではそうは思えない。 いっそ「銀河連合」の中の宇宙人にした方が話に乗れた気がする。 残念。 橋本愛、最近ちょっと観なかったが久しぶりでうれしい。 |