2018年1月

   
禁じられたア・ソ・ビ 南に飛ぶふたり 警視庁物語 
血液型の秘密
ジオストーム シネマ狂想曲 
名古屋映画館革命
闇金ぐれんたい 竹取物語
あ・うん 伊藤くん A to E 人妻Mの告白 
終わりなき欲望
きみのいた夏 前編/後編
つる 鶴 恋とボルバキア 未成年だけどコドモじゃない キングスマン:ゴールデン・サークル
おはん 映画女優 嘘八百 IT イット "それ"が見えたら、終わり。

禁じられたア・ソ・ビ


日時 2018年1月27日18:53〜19:58 
場所 光音座1
監督 渡邊元嗣
製作 ENK


大地と賢太は同棲中のゲイカップル。賢太は最近仕事のゲーム開発が忙しくてなかなか二人の時間が取れない。大地は星を見るのが趣味で今夜も天体観測をしていた。そんな時、光る物体を見かけ、空飛ぶ円盤だと確信する。
そんな頃、大地たちのアパートの隣の部屋の引きこもりの人(樹かず)の部屋に若い男が侵入してきた。彼はオナニーしていた住人の精液を口で受け止め、ガラス瓶に入れる。アパートの空き部屋で機械にその精液を検査させる。結果はNG。
若い男はミリタリーおたくの別の部屋の住人の精液も回収する。やはりNG。
そんな時、今度は若い男は星を見ている大地と知り合う。「君も星が好きなの?」と声をかける大地。大地の部屋に若い男がやってくると男は意外な話を始めた。
自分はヘラクレス座第4惑星の住人で、我々の星で男だけにかかる病気が流行り、政府は同姓愛者が原因として弾圧を始めた。また男の恋人も病気にかかり命が危ないという。それで自分たちに近い地球人のDNAを調べて病気の治療法を探しているというのだ。男は鈴木と名乗った。
鈴木は大地の精液のサンプルも欲しがった。大地は事情を知って精液を提供するが、そのために二人は結果的にセックスした。
近所のおばさんのちくりで大地が浮気したと思った賢太は大地を殴ってしまう。大地はフられたと思い、鈴木の星に行くと決める。
その時、賢太が交通事故に合う。見舞いにいく大地。そして鈴木の元にも星の恋人が死んだと連絡がある。
もはや地球人のDNAもいらなくなった鈴木は星に帰ろうとする。


SFチックなゲイ映画。地球の男の精液のサンプルを採取しにきた、というのは見たことがあるような気がするが、まあ男同士の絡みのシーンのきっかけにはなる。そこは工夫を感じる。

で、問題はこの後なのである。大地は賢太に輸血しなんとか快方に向かう。鈴木も星に帰ろうとするが、あるものがないのに気づく。
大地は鈴木にもう一度会おうとしたが会えなかったので鈴木の部屋に行ってみる。そこにCDが1枚落ちていたので、自分の部屋で再生してみる。
それはゲームのCDだった。
そこへ鈴木がやってくる。そのゲームは「地球人のDNAが必要となったとき、地球の代表者とそのゲームをして我々が勝ったら侵略する」というルールのゲームなのだ。
しかもゲームを始めた者しかゲームを続けられず交代は許されない。

なんじゃそれ?
話が急展開過ぎる。それに結局どんなゲームなのかは一切画面には写らない。ゲームに弱い大地はどんどん負けていくが、大地の危機を察した賢太は大地が使ってるパソコンにハッキングして相手を弱くして結局勝つ、地球は助かった、という展開。

急にゲームの話になるのもなんだし、それに映画中ではどんなゲームをしてるのか全く出てこない。そりゃピンク映画の規模でゲームを作るのは無理だというのは理解できるけど、だったら返ってこんな展開しない方がよかったんじゃないか?

最後ゲームに勝ってもバミューダ海域だけ穫られた状態になっている。それを大地は「このモニター、調子悪いって賢太が言ってたからそのせいだろう」ですませる。
んでラストで退院した賢太と大地が「バミューダ海域で飛行機が行方不明になりました」というニュースを見て、「えっまさか!」となるのがオチ。

大地が「なんで俺が困ってるのが解ったの?」と事件が終わった後に賢太に聞く。「俺の体にはお前の血が流れてるからさ」という台詞はよかった。
でも前半と後半のアンバランスが惜しい。






南に飛ぶふたり


日時 2018年1月27日17:46〜18:46 
場所 光音座1
監督 川井健二
製作 OP映画


ヤクザの麻薬の取引現場から金を奪った男がいた。だがそれは取られたヤクザの幹部・ジョージ(杉本まこと・現なかみつせいじ)が仕組んだことだった。金を取ったケンと合流するジョージ。
ジョージは自分の親分の岩崎(久須美欽一)に孤児院から引き取られて養子縁組した仲だったが、それは岩崎がジョージを性奴隷にするためだった。
ケンは絵の勉強をしていたが、金がない時に岩崎の息のかかった店で無銭飲食してしまったことが原因で岩崎に「体で払ってもらおう」と犯されていた。犯されてぼろぼろになっていたケンをジョージは救ったのだ。
二人はデートを重ね、愛し合うようになった。
「こんな世界から抜け出して南の島、スリランカに行こう」というのが二人の夢になった。そして岩崎から金を奪うことを計画したのだ。
岩崎の部下(樹かず他)はジョージの部屋に残されていたスリランカのパンフレットから二人が海外逃亡を考えていると知る。車で空港に向かう途中、ジョージとケンは捕まる。
ジョージはなんとか逃げ出したが、ケンはそのまま岩崎のもとに連れて行かれる。
ジョージは岩崎の元にケンを取り戻しに向かう。しかしジョージは岩崎に拳銃で撃たれてしまう。
ケンはジョージを助けながら逃げる。しかしジョージの傷はひどくついに絶命した。ケンはスリランカ行きを諦める。


なかみつせいじさんがまだ若い。携帯電話もでかいのが出てくるから、80年代末か90年代のはじめだろう。
絡みのシーンが長いせいか、話がまったく進まない。
ケンとジョージ、ジョージと岩崎、岩崎とケン、岩崎の手下に犯されるケンなど。一つ一つが割と長い。
細かいことだけど、二人がデートする映画館が「世界傑作劇場」。自動販売機でチケットを買ってモギリで場内に入るだけで中は出てこないけど、ホモ映画館でデートとは恐れ入る。

んで手下たちがジョージを追いかけるのだが、部屋にスリランカのチラシが残っていただけでスリランカに行ったと思う勘の良さ。
ジョージがわざわざ裏道(というかどこかの造成中のような人気のない道)を通っているのに手下は待ち受けている。
ジョージ「くそ、頭は悪いのに昔から勘だけはいいな」と言う。
おいおい感心してる場合かよ、ジョージ、などと突っ込むのは野暮。

アラの多い脚本でもう少しひねりが欲しかった気もするが、それをゲイ映画に求めるのは酷か。いやそんなことはないぞ、もっと面白いゲイ映画はある。





警視庁物語 血液型の秘密


日時 2018年1月27日10:30〜 
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 飯塚増一
製作 昭和35年(1960年)


保健所の野犬捕獲を行っている職員が野犬が掘り起こした赤ん坊の遺体を発見した。2月頃に生まれたらしい。近くに落ちていたおむつに使われたらしい手ぬぐいは酒屋が得意先に配ったもの。刑事たちは酒屋に配った先で2月に赤ん坊が生まれた先はないかと訪ねる。また酒屋の近くの産婦人科、助産院にあたり赤ん坊の身元を特定。
赤ん坊の名前は吉本浩。浩の名は同じ頃に生まれた浩宮にちなんだと近所のおばさん(沢村貞子)が教えてくれた。
そのおばさんや管理人の話では夫の吉本と安子は別居中。安子は昨日吉本に呼び出されて帰っていない。安子の実家に行ったところ、安子は勤め先の社長野崎の妾になっていたが、吉本と知り合って子供まで作ったが、吉本は女出入りの激しい男で、子供が出来ても吉本は出て行ったのだそうだ。
吉本が自分の子供が邪魔になって殺したと推理、吉本(今井俊二)の家を張り込んで身柄を確保した。
参考人として野崎にも来てもらった。野崎は安子に復縁を迫っており、3人の関係は複雑だった。


「警視庁物語」シリーズ第13作。今回ラピュタ阿佐ヶ谷でのモーニングでシリーズ24作中8作品を上映。(今回すでに「顔のない女」「遺留品なし」「深夜便130列車」が上映されたが、すでに観たので今回はパス)

相変わらず丁寧な描写で犯人に迫っていく。遺体の近くに落ちていた手ぬぐいが本当に遺体に使われてたものなのか警察犬に臭いを確かめさせる実験も描かれる。
また刑事たちの何気ない会話や表情がユーモラス。
今回も山形(中山昭二)が助産院に行って周りが女性ばかりで居心地の悪そうな顔をする、女性から聞き込むためにあんみつを奢って「刑事さんの自腹なんでしょ?」と言われ「いや捜査費で」と言ってもやっぱりバツが悪そうだったり。また赤ん坊の肩に痣があったというので沢村貞子の近所のおばさんが「妊婦が火事を見ると子供に痣が出来るって言うじゃありませんか。2階家の火事があったんですよ」と言われ、後で山本燐一の刑事が「私も腰のあたりに痣があるんですよ。きっと2階じゃなくて一階建ての火事だったんでしょう」というユーモア。

野崎や吉本が名前だけでなかなか姿を現さない。吉本は最初にちらっと社員がでてくるが、野崎は名前だけ。若い女を妾にし、別れ話になると「今までやった金返せ」というせこい男。どんな男かと思ったら東野英治郎だったから驚く。
吉本が赤ん坊は自分の子供でないから殺す理由にもならん、という。ならば血液鑑定を、という話になる。
この時、血液型が「Oのmn」とか「m」「n」という言葉が出てきた。
当時はそういう呼称だったのか?

そのうちに安子の遺体が見つかり、野崎も吉本も安子殺しの疑いもでてくる。
赤ん坊は吉本の子供である可能性も出てきたところで事件は急展開。
なんと郵便で警察宛に安子の遺書が送られてきたのだ。

「この遺書は偽物だ」という展開にはならず、遺書は本物として扱われ、「安子が浩を殺し埋めたが、警察の捜査が始まって自分も自殺した」という形で事件は落着。

犯人は吉本や野崎ではなく、安子であったという「犯人を逮捕しない」という意外で(私は)好きな結末。よかった。

あと捜査本部がおかれたのが野方署。新井薬師とか練馬とか比較的ラピュタの近所の地名が出てきてそこがなんだか楽しい。




ジオストーム


日時 2018年1月26日19:20〜 
場所 新宿ピカデリー・シアター1
監督 ディーン・デブリン


異常気象に対し人類は人工衛星を使って気象を制御することを可能にした。ダッチボーイと名付けられたシステムは今はアメリカが管理している。
開発者のジェイク・ローソン(ジェラルド・バトラー)は「上層部の意向に逆らう行動をとる」ということで解任された。彼にしてみれば許可を撮る前に嵐を破壊したり、よかれと思ってやったことばかりだった。
ジェイクの弟マックス(ジム・スタージェス)がその後任にあたる。
3年後、2022年。アフガニスタンで急激な気温低下が起こったり、香港で地中の温度の上昇によるガス爆発が起きるなど異変が続いた。
合衆国大統領(アンディ・ガルシア)はジェイクに対し、ダッチボーイが原因ならその解決を命じる。マックスはジェイクに宇宙ステーションに行ってもらうよう頼む。一度は断ったジェイクだが、結局は宇宙へ。
しかしシステムの記録を調べようとしてもアクセスできない。
これは政権内部に犯人がいて、彼がダッチボーイを兵器として利用してる。果たして犯人は誰か?


世界各地で起きる異常気象によるデザスタームービー。
こう聞けば「日本沈没」ファンの私としては面白そうに思えるが、なぜかもう一つだった。

なぜだろう?
キャストとかに漂うB級感か?それとも宇宙や災害の描写がなんとなくCGっぽいからか?
(ブラジルの海岸で寒波が襲ってきて一瞬にして人間が凍るシーンは「改訂軍艦」を思い出した)

それもあるのだが、やっぱり自然に対する考えか?
気象をコントロールしているのは人間だが、システムにウイルスを入れて逆に武器にして大統領を災害事故に見せかけて殺してしまい、システムも手に入れて世界制覇(そこまで考えていたか?)をたくらむ男が犯人なのである。(犯人は国務長官。だから秘密をかぎつけたものが次々と殺される)

そういう「人間が気象をコントロール出来る」という前提に立った物語なのだ。いやいや「人間ごときが自然には逆らえない」というのが私の思想なので、ものすごく「何でも支配してやる、出来る」という「アメリカ人的」発想を感じたのだろう。
「人類は気象をコントロールしようとすて一時はうまくいったが、やはりそうは問屋が卸さない」というのが私の好みの展開なのだ。

とにかくねえ、自然をなめちゃいかんよ。
あと爆発するステーションから衛星に乗るあたりの流れとか「そんなうまく行くかい!」と心の中でつっこんでしまい、そのあたりの脚本のご都合主義が「B級」感を漂わせてしまった気がする。









シネマ狂想曲 名古屋映画館革命


日時 2018年1月24日20:25〜 
場所 渋谷アップリンク・スクリーン2
監督 樋口智彦


名古屋駅西口にある映画館シネマスコーレ。その副支配人、坪井篤史氏を追ったドキュメンタリー。め〜てれ製作のテレビドキュメンタリーの劇場版(65分と短い)

シネマスコーレは80年代に故・若松孝二監督が作った映画館。映画狂の坪井氏は以前はシネコンで働いていたが、自分と考えが合わないので「シネマスコーレで働きたい」と押し掛けて就職した。モギリやテケツなどの通常業務の他に上映する映画の映画監督らが来館したときのトークイベントも行う。映画について話し出すとそれこそ止まらないマシンガントーク。
それだけでなく今池のライブハウスで「アメカル映画祭」という映画のトークイベントを定期的にしている。
さらに極めつけがVHS部屋。今まで買い集めたVHSを収集する部屋だ。その数7000本。中古VHSを扱う店に行って今は1本100円となったVHSを買い集める。(映画では出てこないが、本日上映後に行われた富永昌敬監督、中村祐太郎監督、川瀬陽太氏のトークイベントで話題になったが、VHSは最近は買い集めるだけで観てはいないらしい。まあ普通に働いて新作映画も映画館で観てイベント、大学での講義もしてれば観てる暇はないと思うよ)
それだけでなく、愛知淑徳大学で非常勤講師として週1回映画の講義を行っている。講義といっても名作映画の話をするわけでなく、BC級、あるいはZ級映画についての話。「映画に興味を持ってもらえればよい」と本人は話す。でも大学側はどう思っているのか?一応大学の講義だぜ、「シャークなんとか」の映画の話でいいのか?いいんだろうな。
また東海テレビでもトーク番組も持っている。完全に地方タレント扱いだ。
映画は最後に「貞子VS伽椰子」の「超次元絶叫システム」のイベントを紹介して終わる。(これは要するに発生可能上映。さらに役者が貞子などの格好をして登場する。もはや映画ではない)


名古屋の映画館の人を扱ったドキュメンタリーが面白いと聞いて観に行った。でも私には実はそれほどではなかった。
理由は単純で、自分の周りにはあれに近い人、もしくはその予備軍的な人がたくさんいるので、坪井さんが特別な人ではなく「普通の人」にしか思えなかったからだろう。
むしろ「俺の方がすごい」ぐらいに思ってしまったせいではないか?

坪井さんの映画の趣味はBC級Z級の映画好きなのでその辺、私とちょっと違う。(ちなみにスコーレの支配人もかつて自分でアジア映画を配給したり結構な人だが、この人はもう少し高級な映画が趣味らしい)

坪井さんは正直、オタクっぽい風貌だし、映画狂なので結婚なんかしてないだろうな、と思ったら結婚して娘までいるというので驚いた。そこが一番驚いた。ビデオ部屋なんか俺の周りにはゴジラ部屋とかの人もいるよ。

でも東京では映画館の状況など恵まれているが、地方での映画館の状況はああいうクレージーな人が牽引しなければやっていけないんだろうな。
だからこそ若手の映画監督たちにも愛されてるというか。
一度はお会いしてみたい方ではあります。

ちなみに松江哲明監督がインタビューを受けてる後ろにいまおかしんじ監督がちらっと写っていました。









闇金ぐれんたい


日時 2018年1月20日21:10〜 
場所 渋谷ユーロスペース1
監督 いまおかしんじ


東京に出てきたが、今は仕事がなく困っている正次(松本享恭)はすし屋で修行中の大輔(細田善彦)と知り合う。
大輔は「俺とすし屋で修行しないか」と誘う。しかし皿洗いばかりに嫌気がさして結局二人とも辞めてしまう。そんな時、やくざから金を盗んだ男(櫻井拓也)をきっかけとしてやくざの成松(川瀬陽太)と知り合う。
成松は正次と大輔に「闇金やらないか?」と誘う。金に困っていた二人はさっそく始める。
しかしなかなか儲からない。
大輔には舞香(仁科あい)という恋人がいたが、彼女はギャンブル依存症の傾向があり、大輔には悩みの種。
たまたま街を歩いていた時、正次は昔の同級生に声をかけられる。
正次は福島出身だった。


「ろんぐ・ぐっどばい」の制作チームが作った映画。監督・いまおかしんじ、脚本・中野太、川崎龍太、撮影・鏡早智。

正直言ってもっと明るい映画かと思ったが、どうもそうでもない。
ラストで大輔は取り立てにいった追いつめられた男(吉岡睦雄)に殺されるのだが、殺されたあと大輔のお骨を持って故郷の岩手を訪ねる。実家は大きな寿司屋だと言っていたのだが、震災の津波で流され家族は行方不明だった、という結末。
正直、ここで震災を持ち出すのは(正次も福島出身だし)どうかと思う。
震災を持ち出されても唐突感が残ってしまう。

いまおかさんにこの発想はないな、と思って上映後に聞いてみたらやっぱり作品に参加している坂本礼さんの発想らしい。
やりたいことは解るのだが、事前に伏線を出しておけばもっとよかった。

明るい映画だと思ったのは事前の思いこみもあるが、正次と大輔の出会いで、上野駅前の高架橋で倒れている正次に大輔がおにぎりを渡すことが出会いのきっかけなのだが、ここで正次が大輔の財布をスリ取る。
このオープニングが「スティング」を思わせたのだからだと思う。

あと舞香が吃音(どもり)なのだが、この設定もどうもドラマに溶け込まず、浮いてる感じがする。障害者を笑い物にしてしまう感じもするので笑いの要素という訳にはいかないだろうし、なにか難しい。
しかしかといって何もなしではありきたりだなあ。何か加えたかったのはよくわかりますが。

取り立てにいくキャラクターが特徴的。吉岡睦雄の自殺しかける奴とか、弁護士を雇って追い払う奴など。この辺をワンカットで撮ってしまうあたりが特徴的でもある。
そんな中でぬいぐるみを預かって海外旅行させるというサービスを行っている旅行会社の女が面白かった。
ぬいぐるみを持って「うるしゃいですね〜」とぬいぐるみの口まねをするあたりは思わず笑ってしまう。

また全体的に引きの画が多く、せっかくのライダー出身のイケメン松本享恭のアップが少ない。今日も舞台挨拶にたくさんの女性ファンがきていたが、彼女たちは満足出来たろうか?





竹取物語


日時 2018年1月20日 
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 市川崑
製作 昭和62年)(1987年)


8世紀の終わり頃の平安時代。竹取りの造(三船敏郎)と妻の田吉女(若尾文子)は5歳の娘・加耶を病気で亡くし悲しんでいた。そんな晩、空から火の玉が降ってきて山が燃えるのを目撃する。
加耶の墓があり、竹林のあたりが燃えたとあって造は心配になって翌朝見に行く。竹林や加耶の墓は無事だった。しかしそのすぐ近くに竹の子ほどの大きさのものが割れ、なかなか女の子が出てきた。最初は赤ん坊だったその子も見る見るうちに5歳ほどの少女になった。そんな娘を見て田吉女は加耶の生まれ変わりだと信じる。
やがて加耶は美しい娘になり、加耶の入っていた金属を売りに出したところ、純度の高い金だとわかり、造は一財産を得て、高貴なお方が住むあたりに新居を構える。
加耶は美しい娘となり、加耶を妻にしたいと様々な男たちがやってきた。


昔話「かぐや姫」の映画化。昔、円谷英二が企画を温めていて実現しなかった、と言われる1本を田中友幸が今回映画化。

冒頭から光が山に落ちるシーンや、翌日の朝、山に大きな穴が空いていたりして、完全に「かぐや姫=宇宙人説」に乗っ取っている。
帝(石坂浩二)の周りの高官たち(加藤武など)が空の異変をの報告を受けて右往左往するあたりは今からみると「シン・ゴジラ」を想起させた。

その後は若い高貴な者たち(中井喜一、春風亭小朝など)に求婚された加耶がこの世に実在しないような宝物を欲しいと言ってそれを持ってきたものと結婚する、というあたりは昔話と同じ。
新解釈はない。

ラストはスピルバーグの「未知との遭遇」と同じようなシャンデリアのような宇宙船が現れる。
当時から「未知との遭遇」そっくり!とあまりいい評判ではなかったと思う。いまならツイッターで袋叩きだろうなあ。
本当に「未知との遭遇・平安時代篇」といった感じの映画だった。

それにしても「あ・うん」ほどつまらなくはなかったが、今観ても面白くいない。公開当時観なかったのもうなづける。
しかし脚本のトップが菊島隆三なのが驚く。この頃まだ現役だったのかな。

あと加耶の両親が三船敏郎と若尾文子。加耶の前の亡くなった娘がまだ5歳だったののだが、この老夫婦から生まれた来てのか?
昔話を聞いたときはおじいさんとおばあさんが出てくるのは当然だから気にならなかったが、実写になると妙に気になる。

三船敏郎のおじいいさん。昔話に出てくるおじいさんて「善意のかたまり」みたいな感じだが、本作ではおじいさんは都の偉い人とお近づきになろうとして新しい家(すごい立派)の場所を決めたり、なかなかの野心家である。そういう描き方も珍しい。
でももうお年のせいか精彩はなかったように思う。






あ・うん


日時 2018年1月20日 
場所 DVD
監督 降旗康男
製作 平成元年(1989年)


軍隊で一緒だったことから親友になった水田(板東英二)と門倉(高倉健)。水田は転勤で東京を離れることがあるが、東京に戻ってくる度に借家の世話などをしていた。門倉は密かに水田の妻・たみ(富司純子)に想いを寄せていた。水田もそれを知っているが、安心して門倉とのつきあいをしていた。
門倉の妻・君子(宮本信子)は3人の輪の中には入れず、いつもそのことを寂しがっていた。水田の一人娘・さと子(富田靖子)に君子は縁談を持ってくる。それは帝大に通う石川義彦(真木蔵人)という青年だった。水田は家の格が違うと断ったが、さと子と石川は愛し合うようになっていく。


高倉健=降旗康男コンビの文芸映画。この映画も公開当時知ってはいたが、観なかった。どうにも面白そうに思えなかったからなあ。
今回事情があって観たのだが、やっぱり自分には合わない映画で、退屈きわまりない。

この頃東宝は高倉健主演映画を年に1本、市川崑監督の文芸映画を年に1本作っていたようなイメージがあるが、この映画はその2つの要素をミックスしたもの。
監督は違うけど、なんかそんな感じの映画だった。
(原作は向田邦子のテレビドラマと自信による小説)

映画もこの後も水田の四国時代の部下が会社の金を使い込んでその責任を取らされそうになってその金5000圓を金属会社の社長である門倉が払ったりする。

観ていて途中で気がついたが、これはもう水田の妻・たみの視点からの映画である。たみは自分に二人もいい男が惚れているのがいいのだ。言い換えれば観客はたみの視点に立てば二人の男に愛される自分を感じることが出来るのだ。もう完全に少女マンガの世界である。
「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」のインタビューで小松菜奈が「男二人がわちゃわちゃしてるシーンが好き」と言っていたが、これは大人の男がたみをめぐってわちゃわちゃしてる映画だ。
そんな映画おっさんの私が楽しいはずはないだろう。

ストイックに想いを寄せる、というのは東映任侠時代に高倉健と富司純子はさんざんやってきたが、それの再来と思えば楽しめないことはないけど、そこには「やくざの抗争」という話の縦糸があって、横糸としての「ストイックな想い」が成り立つ。だからストイックな想い、だけでは話は(私にとっては)成り立たない。

それと門倉と水田では収入も違ってその辺のコンプレックスが水田にはあるようだが、それが今でいうなら年収1000万円と2000万円の差みたいなもので、どっちも富裕層には変わりあるまい、という気分になった。
これがもっと収入の差があったら、また感じ方も変わったように思う。

板東英二は頑張っていた。野球選手出身のタレントだが、俳優としても引けを取らないのはさすがである。







伊藤くん A to E


日時 2018年1月19日21:10〜 
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン12
監督 廣木隆一


かつて「東京ドールハウス」という恋愛ドラマで一世を風靡した脚本家の矢崎莉桜(木村文乃)は最近は売れなくなっている。「ヒロインみたいな恋をしよう」という恋愛エッセイ発売イベントをきっかけに若い女性の恋愛相談を受け付け、それをネタに新作を書こうとしていた。
A=智美(佐々木希)は美人で好きな男・伊藤(岡田将生)がいたが5年間で一度もセックスしていない。
B=修子(志田未来)は塾でアルバイトをしていたが、同僚の伊藤から誘われているが彼女は興味はない。
C=実希(夏帆)は大学の先輩伊藤に片想いをし続けていた。ある晩伊藤に誘われてホテルに行って処女を捧げようとするが、かえって重たく思われて拒否されてしまう。
D=総子(池田エライザ)は実希の親友。だが親友が幸せになるのに嫉妬ともいえる複雑な感情に襲われ、伊藤寝てしまう。
莉桜の脚本も順調に進むかに見えたが、莉桜が講師をつとめるドラマ研究会の生徒の伊藤と彼女たちが振り回されてる伊藤とどう一人物と気づく。
伊藤も「一人の男と五人の女」で脚本を書くというのだ。
莉桜は焦り始める。


岡田将生主演のラブコメかと思ったがそうでもないらしい。監督は私にとっては割と安定の廣木隆一。
もちろんストーリーは解るし、何がなんだか解らなくなった、ということはない。
でも若い女性の恋愛の悩みなど私の心には全く響かなかった。

出演シーンは多いが、伊藤は主役ではない。主役は莉桜だろう。
行き詰まってる脚本家(あるいはキャリアウーマン)がどうするか、という話。それにはっきり言って思いこみが激しいというような4人の女が登場するわけで、原作は連作短編だそうだが、どうも話のまとまりが悪い。
オムニバスというわけでもないのだが、どうも話がぶつ切れになっている。

自己中で他人の気持ちを考えない伊藤くんで、まあみんなから嫌われるタイプだが、それでもラストの莉桜との会話で「僕は傷つくことを恐れる。人を好きにならなければ傷つくこともない、闘わなければ負けることもない、だからリングに上らない」というせりふは(ちょっと)印象に残った。

「それじゃ勝つこともないし、何も得られないよ」という反論は容易だが、「勝つって何にですか?」と言われてしまう。
伊藤くんみたいな奴は嫌われるだろうし、友達も出来ないだろうけど、「それがなんだ?」と思ってしまえば不便でもなかろう。

原作は同じキャストでドラマにもなっているそうだ。「メディアミクス」ということらしいが、ドラマで人気があるから映画にした、とか同じ原作がドラマと映画になったという訳ではなく、同時進行らしい。
それって監督脚本などは一緒だったんだろうか?
制作者もいろいろ試行錯誤しているのだろう。
失敗となれば止めるし、成功となれば同様の企画が出てくるだろう。
それだけのことである。




人妻Mの告白 終わりなき欲望


日時 2018年1月13日17:30〜 
場所 千本日活
監督 小渕アキラ
製作 レジェンダリー・ピクチャーズ

蜜子(荒井まどか)は親子ほどの年の離れた夫・遠山と暮らしていた。夫は高収入で、生活には何不自由ない。遠山は1ヶ月半ばかり出張でいなくなるので、その間妻の行動を監視してくれるように運転手をしている光介に頼む。
光介は盗聴マイクを手に入れ蜜子のバッグに忍ばせる。
数日間は何もなく過ぎた。しかしやがて蜜子は一人の男とホテルへ行った。ホテルでの情事を聞いてしまう光介。
遠山への報告書に一度はそのことを書いた光介だったが、それを消す。
その時、蜜子から電話がかかってきた。「家で何か物音がする」というのだ。心配になった光介は、その夜訪ねてきていた恋人をおいて蜜子の元へ駆けつける。
何も危険なことはなかったが、蜜子に好意をいだいていた光介は蜜子に誘惑され、抱いてしまう。
そのことが原因で恋人とは別れる光介。
しかし出張から戻った遠山には「何もなかった」という嘘の報告書を提出。「ご苦労だった、何か欲しいものがあったら言ってくれ」そういう遠山に光介は「2、3日休暇が欲しい」という。
3日間の休暇の間、光介は蜜子との情事にふけるのだった。


用事があって京都に来て、数時間空いたので「千本日活っていうピンク映画館が古くて見所あるよ」と教えてもらったので行ってみた。
行ってみたらかつてシネフレンズ西陣があったところの近くだ。
ちなみにシネフレンズ西陣の方は跡形もなく、住宅が数軒立っている。

千本日活は3本立て500円と格安料金。すごいね、上野オークラの2階も500円で驚いたがこちらはさらに3本立てである。日本一安い映画館かも知れない。
2階席はプラス100円。1階から見てみたけど1名ぐらいしかそのときはいなかった。
ネットで調べると昭和35年ぐらいに出来た映画館らしい。たしかにそのころの建物の雰囲気を残していた。

あと本日は竹洞哲也監督や加藤義一監督の映画も上映していたが、こちらは時間がなく断念。(ちなみにこの日はあとまもなくなくなる京都みなみ会館にも前まで行ってみた)

で肝心の映画の方だが、ピンク映画ではなく、レジェンダリーのDVD作品。劇中「平成19年」という日付でレポートを書いているから、その頃に作られた作品か。

内容のほうは何の工夫もないようなエロスドラマ。
ルールに乗っ取った展開で安定の出来である、としかいいようがない。
千本日活、また行ってみたいな。というか全国のピンク映画館を回ってみたいな、と思った。






きみのいた夏 前編/後編


日時 2018年1月9日 
場所 DVD
監督 姫野嶺逢
製作 2012年(平成24年)


新人フォトグラファーの来夢(齋藤ヤスカ)はモデルのグラビア撮影などに疑問を感じていた。来夢にとっての思い出の海に行ったとき、不思議な青年・春人(南羽翔平)と出会う。
そんな時ある男性タレントのプロフィール写真を頼まれる来夢。目の前に現れたのは春人だった。
春人の写真を撮っているうちに衝動に突き上げられ、来夢は春人を抱いてしまう。スタジオで二人が裸になった時、誰かが入ってきた。(前編終わり)
その場はなんとか切り抜けた二人だった。来夢と春人は幸せな日々を送り始める。だが来夢のパトロン・さおり(高瀬媛子)に春人のことを知られ、「三宮公園に行ってみれば?あの子の秘密が解るよ」と言われる。
公園に行ってみると、そこは男が男を買っているゲイの集まる場所だった。ショックを受ける来夢。
来夢は前に一度告白されたことのあるスタジオの助手(才川コージ)に春人の事務所の社長、相原(木村圭作)について訊いてみる。
その助手の友人(板東大毅)の話によると相原は男にしか興味がなく、気に入った男を自分の事務所に入れると同時に「売り」もやらせているのだという。そして彼から春人は余命3ヶ月と聞く。病院にいる母のために体を売っていたというのだ。
来夢は春人を相原の元から助ける。だが、春人は来夢の腕の中で死んでいった。


BL作品。前編後編の2本組。でも前編が30分で後編が55分だから両方合わせても90分ないので1枚でも十分だろう。
でも営業上2本にしたんだろうな。その他にもディレクターズカット版もある。ほとんど変わらんだろうがちょっと見てみたい気もする。

話は突っ込みところも多い。そもそも芸能事務所で裏で売り専って、たとえば有名人、政治家などを専門に営業してるならともかく公園でって・・・・
そんなんじゃ大して稼げないよ。

それに春人が脳腫瘍で死ぬって、「病気で片方が死ぬ話」でご都合主義で展開で勘弁して欲しいな、と思う。

主演の齋藤ヤスカはBLドラマの常連だが、体つきも大人になって色も少し黒くなって変化している。特典映像のインタビューによると本人も意識して大人っぽくしてきている。
それにしても監督にやる気がないのか、裸のシーンが少ない。
来夢と春人のキスシーンもごまかして撮ってるし、その他でも二人とも上裸なだけである。
ワンカットでもバックヌードがないとお客さんは納得しないんじゃないかな。
またイケメンぶりで言えば助演の才川コージの方がよっぽどいい。
この子が来夢役をやったらまた印象が違ったと思う。

こういうBLドラマって内容的にも満足出来ないことが多いんだけど、でもやっぱり見てしまう不思議な魅力があります。(他の人は知らんけど)






つる 鶴


日時 2018年1月8日 
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 市川崑
製作 昭和63年(1988年)


病気の母(樹木希林)と二人暮らしの貧乏な小作農の大寿(野田秀樹)の元につる(吉永小百合)と名乗る美しい娘がやってきたのは雪の降る晩だった。つるは大寿の嫁になりにきたという。もとより反対する理由のない大寿だった。
つるは大寿の家に機織りの道具があるのを見つけ、自分が織ってもよいかと問い、布を織ってみた。出来上がったそれは大層立派でお金に換えようと大寿は長者様(菅原文太)の元へ持って行く。長者は高く買ってくれたが、その布を都でさらに何倍もの値段で売るつもりだった。
長者はまた布を織れと大寿に命じる。織らなければ貸してある田を取り上げる、織れば田を与えるという。
「布を織るのは一回だけ」という約束だったと断るつるだが、織らなければ家を追われと言われ、仕方なく承知した。
「織ってる姿を絶対に見ないでくれ」と言われていた大寿だったが、心配でついのぞいてしまう。そこには一羽の鶴が織っていた。
秋に猟師に弓で打たれた鶴を助けたことがあった大寿だが、鶴はその恩返しにきたのだ。


吉永小百合100本記念特別企画。
訳あって鑑賞。この映画も公開時に観なかった。「吉永小百合で鶴の恩返し?は?今更何考えてんだ?」と思ったから。
今回公開して30年以上経って初めて鑑賞したが、その感想は観る前と変わらない。
一体誰がこんな企画考えたんだ?と思ったが、特典映像の吉永小百合のインタビューによると「100本目企画としていろいろ考えていただいたが、市川監督が『鶴の恩返し』をやりたい、と言ったので決まった」のだそうだ。
普通なら大作となりそうだが、この企画になったのは製作費が安くてすみそうだというのがあったのかも知れない。
何しろセットは3つぐらいで済みそうだし、登場人物も少ない。

んで映画の方だが、観るのは苦痛だった。まず吉永小百合で鶴の役は無理だよ。いくらお綺麗と言ってももう40は越えている。そこで鶴って言ってもねえ。
さらに相手役が野田秀樹である。映画を見始めて全く知らない顔なので、誰かと思って調べてみたら、演出家の野田秀樹である。

これはないだろう。話が地味なんだから、もう少し華のある役者でなけりゃ。これが当時なら中井貴一がやればまだ何とかなったかも知れない。
あるいは若手女優と若手男優の組み合わせなら(それでもイタイ映画になったかも知れないが)、まだ映画としてなんとかなったろう。
10年前なら百恵=友和映画としてなら成立したろう。
当時なら沢口靖子と誰かとか(それもだめかな)。

という感じでどうにもならない映画でしかなく、企画からして間違っていると思う。企画が間違ってる映画はどんなスターを連れてきてもだめはだめである。

他に隣の家の百姓として馬右衛門(川谷拓三)が出演。

恋とボルバキア


日時 2018年1月7日20:00〜 
場所 ポレポレ東中野
監督 小野さやか


「アヒルの子」の小野さやか監督のドキュメンタリー作品。構成として港岳彦。
4年ほど前にフジテレビの深夜に放送された「僕たち女の子」という女装男子を追ったドキュメンタリー作品をベースにして作られた映画。
どうも既視感があるなと思ったら、「僕たち女の子」は観ているからなのだろう。女装雑誌の編集者井戸隆明さんと彼を好きな女装男子のシーンなど、観たことがあった。

ボルバキアというのは映画中では説明されないが、パンフレットによると「蚊などの昆虫に感染しメスの卵巣に入り込んでオスなしで生殖できるようにしてしまう」のだそうだ。ボルバキアは人間の性を変換することは出来ないが、生物の「性」というのは意外にあいまいだということが解る。

この映画はLGBTというようなカテゴリーでもないような自分の性に違和感を感じ、女装をしていく男子たちの話だ。
しかし女装をするきっかけも人それぞれで、また好きになる対象も男だったり女だったりする。

そしてこの映画に登場する人は好きな人が出来て子供が欲しい、一緒に暮らしたい、という家族指向がある。もちろんドキュメンタリーとして追うにはそういう満たされない想いを抱えて格闘する人間の方が映画として成立しやすい。何かと戦ってぶつかっていく姿は画になろうが、そうでない人間は撮っても面白くなかろう。

それでも撮影対象(「化粧男子」というバーをしていた人は途中で連絡が取れなくなったりしたそうだ)とのコミュニケーションをとりながら、女装雑誌の編集者の井戸隆明氏に「一緒に住んでる女性がいる」と言われて落ち込むみひろを撮るシーンなどは、小野さやかの演出、そういうシーンを撮れるように状況を設定した、はめられた、など言い方は様々だが小野さやか監督のドキュメンタリー作家としての力量だと改めて思わされる。
「アヒルの子」を「あなたの個人的な愚痴は興味ない」と酷評した私だが、映画自体の感想は変わらないが、私を酷評させるだけの力はあったのだ。(無視できない力を持っていたということ)

本来なら自分の気持ちの性と見た目の不一致に悩む彼ら姿に何からの感想を持つのが正しい感想なのだろうが、意外にその辺は特に思わなかった。たぶん私が現実に(詳しくは知らないが)彼らのような存在を知っていて、「初めて知った」的な感想がなかったからだろう。

LGBTなど10年前に比べれば社会的理解は深まっていると思う。これは数十年かけて認識を変えていく問題なので、一夜にして変わるものではない。
しかしこの映画に登場する人々の悩みはそういう社会の認識が変わることで解決するとは思わない。人が人を好きになって、その想いが満たされるかどうかということは男と女、女と女、男と男、あるいはそれ以外でも全く変わりはないし、時代が変わっても変わらないだろう。

この映画に私があまり心を動かされなかったのは、そういう恋の悩みというのは普遍的で彼らが特に特別ではないと思ってるからだろう。

その中で50過ぎて女装を始めたタクシー運転手の方が、世代が近いこともあって妙に親近感を感じた。この人は恋愛で悩んでないから、余計に他の人とは違って見えたかも知れない。







未成年だけどコドモじゃない


日時 2018年1月7日13:20〜 
場所 新宿ピカデリー・スクリーン10
監督 英 勉


折山香琳(平祐奈)は大金持ちのお嬢様。16歳になり高校1年生になり初めて高校に行ったがそこでサッカーをするイケメンの先輩に一目惚れ。
その夜、父親(高嶋政宏)より「明日先代の希望により結婚する」と明示される。最初はいやがった香琳だったが、相手の写真を見て例のイケメンだと知ると承知する。
イケメンは鶴木尚(中島健人)。彼は香琳を好きでもなかったが、親の借金を香琳の父が肩代わりしてくれるというので結婚を承知したのだ。
普通の家に住みたいという尚の希望でおんぼろな借家で生活を始める二人だったが、香琳の幼なじみの海老名(知念侑李)は二人の結婚に気がついた。海老名も香琳を愛していたのだ。


中島健人主演の少女コミックの映画化。
監督は英勉。英監督はなんだかテレビのバラエティ番組っぽい演出をする事があるので、あまり好みではなかったが、本作ではそういうバラエティ風演出は特に気にならない。

原作がそうなのだと思うが、冒頭の香琳のお嬢様ぶりにはいやになる。日本にあんなお嬢様もいないと思うが(リムジンで送り迎えなど)、そういう「お嬢様」設定を読者は望んでいるんでしょうね。私は望んでないけど。こうなるとマンガっぽい馬鹿馬鹿しさが先に立ち、どうも気になる。

また父親の借金のために結婚し会社を継ぐと言うが、その割には香琳の父親との関係が不明である。父親も末娘で自由にしてよい、というならともかく、借金のある子より資産家の海老名と結婚させればよいだろう。
どうも設定に疑問を感じる。
親は海老名と結婚させたいのだが、本人は尚先輩がいい!とかでドラマが作れる気がするが、まあ少女コミックの世界の設定をおっさんの私の基準であれこれいうのは野暮というものだのだろう。

とにかく中島健人を観る映画なのだ。知念なんか中島と並ぶと完全に負けている。同じジャニーズでHey! Say! JUMPの知念の方がSexyZoneの中島より先輩に当たるのだが、アイドルとしての貫禄では完全に中島の価値である。(まあ私がファンという贔屓目はあるだろうけど)

中島のシャワーシーンとかのサービスカットはなし。でも中島がアップになると画面が引き立ちますねえ。それを見に来たんだ!という気分にさせてくれます。

話の方は穴だらけで全然おじさんとしては感動しないんだけど、中島健人の笑顔を観るための映画だし、それで十分価値はあるのです。






キングスマン:ゴールデン・サークル


日時 2018年1月7日9:30〜 
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン7
監督 マシュー・ヴォーン


イギリスの独立したスパイ組織、「キングスマン」のエグジー(タロン・エガートン)は帰り道をキングスマンの養成組織で落第になったチャーリーに襲われた。兵器係のマーリンの助けでなんとか助かったエグジーだが、チャーリーの目的はキングスマンの組織のメンバーの情報を得ることだったのだ。そのおかげで他のメンバーや本拠地は敵のミサイルに攻撃されてしまう。
マーリンとエグジーはアメリカのウイスキー工場「ステイツマン」が何らかの鍵を握ると判断し、ケンタッキーに向かう。最初は敵と思ったステイツマンだったが、実はキングスマンと同様の独立系のスパイ組織だった。チャーリーはポピー・アダムズという女麻薬王に雇われていたのだ。
彼女は麻薬で富を築いていたが、表に出れない。彼女も他の富豪と同じように賞賛されるために麻薬を合法化することを米大統領に要求する。
ポピーが売った麻薬をしたものは顔に青筋が入る病気となるのだ。
直す薬を渡す代わりに大統領と交渉するポピー。しかし大統領は「クスリをやった奴なんか死んじまった方がいい」と患者を見殺しにする方針だ。
やがてステイツマンのエージェントの一人(チャニング・テイタム)やエグジーの恋人、大統領補佐官も発病する。彼らもストレスからクスリに手を出していたのだ。
エグジーはステイツマンの施設で生きていたハリー(コリン・ファース)、ステイツマンのエージェント・ウイスキー(ペドロ・パスカル)とともに特効薬を奪いにいく。


2年前に公開されヒットした「キングスマン」の続編。前作が評判いいのは知っていたが、「いまさらスパイアクション」「最近のアクション映画は派手すぎてやりすぎ」という気分だったので、パスした。
今回はTOHOシネマズの1ヶ月パスポートで観られるので鑑賞。
それも「パスポートがあるんだから観なきゃ損だ!」と思っての鑑賞である。
お正月だし少し贅沢しようかと思って、プレミアムシートで観た。
この席で観ると映画が3割り増しでよく見える。

カット割りが早すぎたり、カメラが動きすぎたり、スローモーションになったりとアクションシーンには不満もあるんだが、観てる間は楽しく観ることが出来た。
昨日「おはん」とか観た後なので、数倍楽しめた。

時々エルトン・ジョンが本人役で出てきてコメディ・リリーフとして活躍。

それにしても人質にされるのがクスリに手を出したもの、という設定はなかなか皮肉である。米大統領のように「そんなの自業自得」と切り捨てる意見も出てくる余地のある設定だ。
しかも大統領補佐官や主人公の恋人も発病するのもすごい。彼らもクスリをやっていたのだ。
この辺は日本よりあちらではクスリをやってる人が多い、と解釈していいのだろうか?

主人公たちはそういったクスリをやった人だって生きる資格はある!という観点に立って行動する。
そういう寛容さ、というのが裏テーマのような気がした。
あと、キングスマンのメンバーがリーダーとか兵器係とかがあっさり死んでいくのが意外だった。そういう人って普通のスパイ映画じゃ死なないじゃない。
そのあたりが新タイプのスパイ映画と言えるのか。

1作目の「キングスマン」は未見だったが、今度暇があればレンタルして観てみたいと思う。
面白かった。




おはん


日時 2018年1月6日 
場所 DVD
監督 市川崑
製作 昭和59年(1984年)


幸吉(石坂浩二)は妻おはん(吉永小百合)と別居して芸者のおかよ(大原麗子)と暮らすことになった。幸吉は別れ際に「おまえが嫌いになったわけではない。そうなってしまっただけだ」という。
7年後、幸吉は町でおはんとすれ違う。追いかける幸吉。「今自分は他人の家の軒先で古道具屋をやっている、寄ってくれ」という。
季節が変わる頃、おはんはやってくる。大家のおばさん(ミヤコ蝶々)が気を利かせてくれ、二人は抱き合うことができた。
おかよは仕事に一生懸命で置屋の二階に二人だけの部屋を作った。妹分も二人育てている。姉の娘のおせんを呼び寄せて芸者修行させようという。
ある日、幸吉の店に一人の男の子がやってきて「ゴム鞠が欲しい」という。鞠は売っていないのでそのままで返した幸吉だったが、後でその子はおはんと幸吉の間に産まれた子だと知る。おはんは幸吉と別れるとき、子供をお腹に宿していたのだ。
やがておはんと幸吉は借家を借りて3人で暮らそうとなる。おはんは幸吉を奪って悪いとおかよに悪いと考えてきた。「おかよさんにはちゃんと話してくれましたね?」と確認するおはんだが、幸吉は「うん大丈夫だ」とつい嘘をつく。
幸吉はおかよに黙って家を出る。借家に至る山道で崖沿いの道が大人でも危ない。おはんと息子は別々に家を出て借家で落ち合うことに。
その日、午後から急に雨が降った。おはんの息子は雨の中一人借家に向かう。しかし崖沿いの道を誤って滑ってしまう。


訳あって鑑賞。
この映画は公開の頃から存在は知っていた。「細雪」のヒットを受け、市川崑女性文芸路線第2弾である。着物の店とタイアップして完全におばさん向け企画なので、スルーした。「細雪」のヒットで、それまであまりターゲットにしていなかった中年女性層という新しい鉱脈を発掘しての公開だったと思う。
これに影響を受けて、松竹も松坂慶子主演の文芸映画も企画されたし、東映も「極道の妻たち」のヒットにつながったと記憶する。要するに今まで映画は男性層向けが多かったが、これからは女性客をどんどん取り込もうという発想だったのだ。

そういう映画史の話はあくまで個人的記憶の話。
んで今回鑑賞したのだが、完全に私向きではない。

冒頭からして気に入らない。
オープニング、黒地のクレジットタイトルに延々と(というわけではないが)五木ひろしの主題歌が流れる。完全にど演歌の世界でうんざりである。
「犬神家の一族」などの金田一シリーズで日本的世界の中にどこかあか抜けた感じのあった市川崑と思えない土着ぶり。
当時から映画に主題歌をつけてのタイアップはありましたけどね。

んで映画が始まって石坂浩二の幸吉のキャラクターが嫌い。
幸吉はまったく客の来ない古道具屋をやっていて、まるで生活力なし。
芸術家なら売れてなくても素晴らしい作品を作っていれば納得も出来るが、そういう訳ではない。完全にダメ人間である。
にも関わらずおはんとかおかよとか美人にモテる。
稼ぎがなくても女を惹きつけるヒモタイプか?
こういった人間が私は苦手である。
川島雄三の「洲崎パラダイス赤信号」の三橋達也の役もダメだったが。

その後もだらだらとろくに働きもしないで、女に食わせてもらっていて、二人の女とする事だけはしている。
吉永小百合も肩までは見せる。
まあピンク映画になるような話である。

子供が死ぬのも事前に「この崖は危ない」とか言ってるので、事前に解った。
それでも最後に「私が欲をだしたばっかりにみなさんにご迷惑をおかけしました」と最後に旅に出るおはんも意味不明で、都合のいい女である。

特典映像を見るとおはんもおかよも原作者の宇野千代が投影されているのだという。
宇野千代自身も文壇の有名人と浮き名を流したようだが、俺にはだらだらした恋愛は解らんなあ。
とにかく私にはあわない映画だった。





映画女優


日時 2018年1月6日 
場所 DVD
監督 市川崑
製作 昭和62年(1987年)


田中絹代は松竹京都下加茂撮影所の大部屋女優だったが、撮影所の閉鎖に伴い、清光宏監督(渡辺徹)の推薦で東京蒲田撮影所に女優として入ることが出来た。
絹代の女優としての成功を願う、母(森光子)叔父(常田富士男)、兄二人、姉を交えての状況だった。
絹代は清光監督の後押しや本人の努力もあり、撮影所長(石坂浩二)にも認められ頭角を表す。主演の五生監督(中井貴一)の「恥しい夢」は公表を博した。清光監督と同棲生活を始めたが、女優として人気が出るにつれもともと女癖の悪かった清光監督とはうまく行かなくなり、2年持たなかった。
叔父や母が相次いで亡くなっていくが、絹代は準幹部、幹部と順調に出世していく。
やがて溝内監督(菅原文太)の新作を撮影するために京都にやってきた。


訳あって鑑賞。
この映画は封切り時に知っていたが観なかった。今更田中絹代だったし、吉永小百合=市川崑コンビもいい加減に飽きていたのだ。
またちょうど就職した頃で忙しかったこともあったと思うけど。

正直田中絹代は私の世代では完全に過去の人だった。印象に残るのは熊井啓の「サンダカン八番娼館 望郷」ぐらいで、今でもその作品はこの映画に登場する全盛期の作品は観ていない。「伊豆の踊子」なんてサイレントだもんなあ。

そんな訳で観なかったわけだが、前半は田中絹代を通じて松竹史、日本映画史をなぞっていて、それなりに楽しめる。
しかし清水宏監督とのあれこれなど(この映画、出てくる映画人はみんなバレバレの仮名なのだな)「ああそうですか」としか言いようがない。

後半は溝口健二監督(映画では溝内)の「浪速女」(昭和15年作品。この映画は現存していない。というか発見されていない)での撮影の格闘が起きる。
そういえば同時代の映画を描いた「キネマの天地」ってのもあったな。
これはそれに影響を受けたんだろうか?

溝口健二を風間杜夫が演じた作品(テレビだったか)でも「違う」「違う」しか言わない溝口が出てきて田中絹代が「どう演じたらいいんですか?」と問われて「私は監督ですから演技指導なんて出来ません」と言ったという有名なエピソードはここでも登場する。

そして時代は一挙に戦後の溝口の「西鶴一代女」になる。
この映画も観てないのでメイキングのシーンを観てもさっぱりである。
結局田中絹代も溝口健二も観てないので、その辺が楽しみきれなかったし、また公開当時観なかった理由だろう。
でもいい機会だから「西鶴一代女」はレンタルDVDであるので観てみようかと思う。

またラストで本番を見つめるスタッフが数名写るのだが、その中に手塚昌明監督もいた。
あと「西鶴一代女」は撮影が使えなくて元軍の倉庫だった枚方の場所を使用。制作担当がいろいろ苦労したという話になったとき、溝内が「ご苦労様です」というと相手が「いえ、仕事ですから」と答える。
「ああ、『シンゴジラ』だ」と思った。
市川崑監督も好んで使った明朝フォントだが、あれは庵野秀明にも影響を与えていると思っていたが、やっぱりそうだと確信した。









嘘八百


日時 2018年1月5日21:20〜 
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン11
監督 武 正晴


車で日本中を巡って蔵のある家から売れそうなものを買い取り、それをまた売るという商売をしている古美術商・小池(中井貴一)。今日は堺にやってきた。
ある家を伺っているとその家の主らしい野田(佐々木蔵之介)に「何かご用でっか」と話しかけられる。
野田の蔵にあるものの中に千利休が秀吉に切腹を命じられる直前に友人に贈ったとされる送り状を茶碗が出てきた。野田にばれないように他のガラクタと一緒に100万円で買い取る小池。
しかしよく見たらそれは偽物だった。しかも野田はその家の主人ではなく、留守番のバイトをしているだけの男だった。野田を見つけだし問いつめる小池。野田の周りには有名人の偽のサインを売っている西田(木下ほうか)、紙に詳しいよっちゃん(坂田利夫)、どんな箱でも作れる男(宇野祥平)がいた。
小池はかつて開花堂(芦屋小雁)と鑑定家棚橋(近藤正臣)に偽物をつかまされ、それがきっかけで店を失った過去があった。野田もかつては有望な新人陶芸家だったが、開花堂たちによって自分の作品が贋作として販売された。
二人は協力して利休の贋作を作り開花堂たちをはめようとする。


贋作作りのコメディ、という感じで予告編を観て面白そうだったので鑑賞。
うーん、つまらなくはないし面白いのだがもう一つ盛り上がりに欠ける感じ。

二人が共同して偽物作りを始めるまでがちょっと長い。何よりポスター、広告で佐々木蔵之介が偽物を作ることは解ってるので、もたもたする。
また開花堂と棚橋の悪役ぶりを高めるために彼らのシーンがもう少しあって、憎々しさを増加しておいた方がよりよかったと思う。

んで最後のだますシーンだが、野田がバイトしていた寺田農の家で行われる市である。利休にゆかりのある品のオークションとしては規模が小さくないか?
その辺のクライマックスの盛り上げが惜しい気がした。

で騙された開花堂たちが騙されたと気づくシーンがあるかと思ったら、エンドクレジットで少し出てくるだけ。ここで開花堂が茶碗を落として割れる音がするが、割れたのか?その辺りが微妙な描き方だ。
第一、物語は小池の娘と野田の息子が結婚して金を持ち逃げする方に行ってるし。
それにしてもクレジットで多量の現金が見つかって警官に部屋で取り調べを受けてるシーンがあるが、あれどういうことなのだろう?
出国の時は荷物検査なんかないと思うが。
X線の検査で解ったのかな?

いろいろ文句は言ったけど決してつまらなかった訳ではない。
坂田利夫、芦屋小雁、近藤正臣、木下ほうか達のベテラン陣の活躍は観ているだけで楽しい。






IT イット "それ"が見えたら、終わり。


日時 2018年1月3日18:20〜 
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン6
監督 アンディ・ムスキエティ


アメリカの田舎町、デリー。
ビルは弟ジョージーのために紙で船を作ってあげた。それをもって雨にも関わらず遊びに行くジョージー。ジョージーは排水溝に落ちた船を拾うとして、中にいたピエロに引き込まれてしまった。
翌年。ビルたちはやっと夏休みになってほっとしていたが、ビルはジョージーのことが頭から離れない。父親から「もう死んだんだ。諦めろ」と言われる。
ビルは街の不良にけがをさせられたベンを助ける。そのことがきっかけで悪い噂の多い娘ベバリーとも知り合う。
そして同じく不良からいじめられていた黒人少年のマイクを助ける。
やがてビルの仲間もピエロの怪物を見かけるようになる。
この街の歴史を調べたベンの話から下水道が集まる井戸のある家に原因があると思い、ビルたちは仲間7人でその怪物を退治に出かける


去年の11月公開だが、ネット上でも評判のよかった映画。
ホラーは苦手なのでパスするつもりでいたが、TOHOの1ヶ月パスポートがあるので、観に行った。

とにかくピエロが怖い。また効果音が「ドカーン」となって驚かせる驚かせる。ちょっとだけ帰りたくなった。
ホラーはやっぱり苦手である。

それにしても舞台はアメリカの田舎だが、単なるホラーだけではなく、アメリカの社会問題も根底にあるような気がする。

ビルの仲間の一人は喘息持ちだが、その母親から過干渉を受けている。彼は父親はいないようだ。
またベバリーは父親から性的虐待を受けているようだ。
いじめをする不良(日本でも時々事件化するが)も父親が警官で、絶対的な恐怖支配を受けてるようで、その恐怖の連鎖がいじめに走らせるのか?
また黒人のマイクは両親を人種差別主義者によって火事にあって死んだようだ。
そして子供の行方不明事件。

こういった日本では話題にならないアメリカの社会問題を素材にしているので、この映画(原作小説)に描かれる問題、人物たちは日本人以上に身近な恐怖として感じているかも知れない。
しかし不良によるいじめのシーンは観ていてつらかった。
いじめのシーンは精神的に受け受けられませんね、私は。

あと物語の基本が「スタンド・バイ・ミー」でしたね。
原作は同じスティーブン・キングだから仕方ないのかも知れませんが。

ラストで「第1章」と出たから、第2章、つまり主人公たちが大人になった篇も出来るのかな。
まあ今度は観に行くかわかりませんが。