2018年2月

   
スリー・ビルボード きっと会える
おくりもの 警視庁物語 
全国縦断捜査
リバーズ・エッジ マンハント
だいじょうぶ
マイフレンド
不倫狂いの人妻 
喰いまくり
吉沢明歩のSEX一本勝負
 いっぱい突いて!
兄嫁の肌は熱く甘く
おっとり姉さん
 恥骨で誘う
羊の木 西鶴一代女 億万長者
名前のない女たち
〜うそつき女〜
ビルマの竪琴 嘘を愛する女 警視庁物語 聞き込み

スリー・ビルボード


日時 2018年2月25日13:00〜 
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン11
監督 マーティン・マクドナー


ミズーリ州のエビングという田舎町。ここの住人、ミルドレッド(フランシズ・マクドーマンド)は町外れの道路に今は広告が載っていない3枚の看板を見て思いつく。すぐさまその看板の広告代理店に向かい、3枚の看板に3つの言葉を書いてもらうよう頼む。「レイプされて死亡」「犯人逮捕はまだ?」「なぜ?ウィロビー署長」。
7ヶ月前にミルドレッドは娘をレイプされ、焼死体となって発見されたのだ。全く犯人が捕まらないことに業を煮やしてのことだった。
ウィロビー署長は人望も厚く、町の人々も署内の警官もミルドレッドを非難した。署長は彼女を訪ね、「さぼってるわけではなく捜査は手詰まりになっているのです。解ってください」と説得するが彼女は「そんな暇があるなら捜査して欲しい」とにべもない。
実はウィロビーは末期のガンだった。それを知っている警官のディクソン(サム・ロックウエル)は広告代理店に広告を取り下げるよう抗議するが「何も違法はない」と反抗的だ。
ウィロビーはついに自殺した。翌日、ウィロビーの妻がミルドレッドに署長の遺書を届けてくれた。そこには事件が解決出来なかったことの謝罪が書いてあった。
怒り狂ったディクソンは広告代理店の若者を怒りにまかせてリンチする。
新署長にそれをとがめられ、ディクソンは解雇される。
ディクソンは今度は3枚の看板に火を付ける。今度はミルドレッドが警察に放火した。たまたまディクソン宛の署長の遺書を取りに来ていた彼は大火傷を追ってしまう。


今年のアカデミー賞の呼び声も高い本作品。迷ったがポイントで鑑賞。やっぱり見逃さなくてよかった。

結局のところ、本作のテーマは「やり場のない怒りや憎しみにはどう対応するか」ということになると思う。
そしてミルドレッドの別れた夫の新しい恋人(19歳!)が何気なく「怒りには怒りが帰ってくる」という言葉。彼女自身は「いや本のしおりに書いてあった」と何気なく言った言葉だ。

ディクソンは病院に運ばれるのだが、そこで同室になったのが自分が2階から突き飛ばして重傷を追わせた広告代理店の青年。
でも彼も怒りを押さえ、ディクソンを許す。(ここでオレンジジュースを与え、ストローの向きをディクソンに向けるシーンがよい)

そしてディクソンは署長の「お前はいい警官になれるはずだ、ただキレやすいのが難点だ」という遺書にほだされる。たまたま入った酒場で後ろの席の奴が「前に強姦したとき」という話をしてるのを聞きつけ、彼の顔をひっかき、男のDNAを採取する。

てっきり最後はアメリカ映画らしい勧善懲悪の物語になるかと思ったらそうは問屋がおろさなかった。
男は今回の事件とは無関係だったのだ。レイプは国外の話らしい。

ディクソンとミルドレッドは男を殺すために彼の街に向かう。しかし映画はここで終わる。二人は車中で「ホントにやる気?」「迷っている」「私も」と会話する。

彼らにしてみれば正義の為に行うのだろう。しかしそこまでする必要があるのか?ミルドレッドにもディクソンにももはや何の関係も殺す理由もない。ただ自分たちの怒りを向けても良さそうなところに向けているに過ぎない。

しかしアメリカは、いや日本も世界も「報復」しか考えていない。それらしい理由をつけて。
それはまた新しい報復を生むだけである。こんなことみんな解っている。しかし解っていてもこの「報復の連鎖」は止まらない。
「正義」(という言葉は映画のなかでは登場しないが)という言葉に隠れた暴力を暴き出した感がある。

私はミルドレッドもディクソンも殺しを止めて帰ってくれることを願う。
私はそういう結末を望む人間である。





きっと会える


日時 2018年2月24日17:40〜 
場所 光音座1
監督 関根和美
製作 大蔵映画


大学の男子寮に入っている公一。しかしこの寮の寮長(牧村耕次)はボクシングの練習に励む公一にねちねちといやみをいう。
公園でシャドーボクシングをする公一にある青年が「そんなパンチ子供でもかわせるぜ」という。思わずその男にパンチを食らわせようとした公一だが、あっさりかわされ逆に腹にパンチを食らってしまう。
寮に帰ってみたが寮長に従順な奴が公一のボクシング用具は燃やしたという。部屋に戻ってみるとさっきの青年がいた。これから同室だというのだ。青年の名は英樹。
寮長が新人を自分の部屋で犯しているのを知ると「やってやろうぜ」と爆竹を部屋に投げ込んだ。寮長は「俺は右の方とつながっていて文部省ともつながりがあるからお前等の奨学金は俺の一存でどうとでもなるんだ。だったら俺の言うことを聞け」と命令し、寮の学生を犯し続けていた。
公一のボクシングの練習を見てくれたことがきっかけでますます好意を寄せる公一。公一はボクシングを始めたきっかけは寮長から身を守るためだった。
ある日、若い女が英樹を訪ねてきた。英樹が不在なので公一が話を聞く。実は英樹はボクシングの高校チャンピョンだったが、けがでプロの道を断念して、彼女とも別れたのだった。
そして寮長はついに「お前はホントは男が好きなんだろう」と公一を犯す。なんとか英樹に助けられた公一。
公一の気持ちを受け入れ、結ばれる英樹と公一だった。


関根和美監督作品。加藤義一さんが助監督で脚本も書いている(関根和美と共同)。小松公典さんが助監督で参加していた。(当時疑似精液を初めて作った、とツイッターで書いていた)

あこがれの同室者がノンケだと思っていたら最後には結ばれる、というBLっぽい甘いストーリー。
そういう甘い話は嫌いではないが、牧村耕次の演じる権力を笠に着た寮長というのが人間として許せない鬼畜なので、そこがいやだった。
きっと現実の安倍政権にもいそうな感じがしていやだったのだと思う。
ま、それだけ牧村さんの演技がはまっていたといえるのだが。

あと公一がボクシングをしてる設定で、スリム筋肉質で体がきれいだった。
そこがよかった。





おくりもの


日時 2018年2月24日16:40〜 
場所 光音座1
監督 荒木太郎
製作 大蔵映画


雪の林の中で刺殺された中年男。やがてヨシロウ(今泉浩一)という青年が逮捕された。彼と被害者西村(荒木太郎)は恋人同士だという。
ある日、二人の共通の友人のスネオが5年前にあった高校生リンチ事件の主犯は西村だと言い出したのだ。その被害者ケンジはヨシロウの高校時代の親友だった。西村にスネオの話を話すと3人で会った。スネオは「あれは嘘だった」という。
ヨシロウは西村が犯人でないことを納得するために故郷のケンジに会いに行く。ケンジは事件のショックで心を閉ざしていた。ケンジも犯人については何も言わない。
西村は今度アメリカに行くことになったと話す。同時に「俺を信用出来ないのか」と怒る。「信じたいから調べたのだ」とヨシロウは言う。
しかしスネオが今度は「証拠の写真がある。これは僕が撮ったのだ」と打ち明ける。5年前の事件は西村がケンジを犯し、スネオが写真を撮ったのだ。そしてその写真は町にばらまかれた。
そのことをケンジの兄に話すヨシロウ。実は彼らも西村が犯人だと知っていたのだ。西村を愛しているヨシロウを思って犯人は解らないふりをしていたのだという。
ヨシロウは西村に会う。そして西村はヨシロウを犯す。ヨシロウはかつて西村がケンジを刺したナイフで西村を刺し殺す。


荒木太郎監督作品。
ものすごく一生懸命作ってる感は伝わってくる。ゲイ映画だからと言って手を抜いている、いやいや撮っている感は全くない。
でも全体的に暗いので、私が観たいタイプの映画ではなかった。

雪のシーズンに撮られた映画で、西村が殺されたりケンジが犯されたりするのが雪の林の中なので、なんだか妙に美しい。
特に最後に西村がヨシロウを無理矢理犯し、そのことがきっかけでヨシロウは西村を刺す。この刺される直前が西村とヨシロウの絡みなのだが、雪の中のヨシロウの体が美しい。
この頃の今泉浩一は小柄のスリムでかつての佐賀照彦を思わせる。

あとスネオとヨシロウが会うシーンなどが湖畔のシーンだが、ここも雪景色が美しい。このシーンをモチーフとした絵が登場するのだが、クレジットによると「絵 川瀬陽太」と出てきた。
川瀬さんは絵もたしなむのか。
多彩な方だなあ。






警視庁物語 全国縦断捜査


日時 2018年2月24日10:30〜 
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 飯塚増一
製作 昭和38年(1963年)


奥多摩山中で焼死体が発見された。現場に落ちていたベルトのバックルが死因となった絞殺に使われたものと思われた。バックルには特徴があり、沖縄の那覇小学校の同窓生が記念に6個作ったものとわかった。
長田(堀雄二)が沖縄に向かう。そこでそのベルトを無くした男(今井健二)がいたと解る。
一方被害者の身元が割れ、被害者の佐山は女のいざこざで大垣というやくざ者と喧嘩していたことが解った。大垣が犯人か、と思われたが、大垣は喧嘩の原因となった女と心中未遂をして大垣だけが死んだ。大垣には佐山殺しの時間のアリバイがあり、犯人ではなかった。
佐山の同居している義姉の話では犯行日の昼間に仕事を世話してくれる人と会う約束になっていたという。その義姉や、聞き込みで見つかった犯人がガソリンを買ったスタンドの店員の証言からモンタージュが作成された。
そのモンタージュから秋田で祖父母を殺した中北(八名信夫)という男が浮上。刑事たちは中北を探しに秋田に向かう。


「警視庁物語」シリーズ22作。
いつもは60分程度のSPだが、今回は83分のスペシャル版。
地方ロケも沖縄、秋田といつにない全国捜査。
特に沖縄のシーンでは沖縄の刑事・南風原(清水元)が東京の刑事・長田の道案内をする傍ら、沖縄の現状も解説する作り。
沖縄のシーンおファーストカットが轟音を立てて離発着する米軍機のカット。映画的にみればいかにも説明的なのだが、それにしても現在抱えている問題と全く同じで何にも変わってない。

「アメリカ統治領とか言ってるけど、それはアメリカが勝手に決めただけで戦後18年経っても米軍が居座ってるんですよ」と基地に対する反発をいう人間もいれば、「お客さん(米軍のこと)がいるから、この店もやっていけるんです。本土に復帰したらそれを補償してくれますか?」と基地容認をいう人もいる。全く同じである。
またベルトのバックルを息子さんを沖縄戦で無くした女性にもあげたというので聞き込みにいくが、ベルトのバックルはあった。しかし「息子は返ってくるはずだ。そのために息子のものはすべてそのままにしてある」という。沖縄戦では15歳から20歳ぐらいの若者がかり出されたという説明に続いての(本筋とは関係ないが)戦争の傷跡も描く。

また秋田では干拓地の埋め立て問題も描く。
埋め立てをすることによって農地が拡大することのメリットを説明される。「しかし今まで漁業をしていた人たちは?」「一応補償金で話がついたようです」
しかし聞き込みに行った先で「干拓しても漁業は今まで通り出来ると言うが、農薬を使ったせいで海は汚染され魚が住むとは思えない」そして最後に吐き捨てるようにいう。「神様が作った通りにしておけばいいのに」

また例のバックルの持ち主の一人が四日市に住んでいるとわかり、山本麟一の刑事が聞き込みに行く。そこで見たのは米国資本の進出である。
外国資本が是非を刑事たちは口にしないが、なんらかの警戒感を持っている。それは「政治だけでなく経済も外国に支配されるのではないか」という肌で感じる危機感だろう。

犯人は秋田での殺しから逃亡するため、人を殺しその人の戸籍を乗っ取ってなりすましていたのだ。そして今回佐山になりすまそうとしたが、新聞に身元がでたので不可能になった、そして別の男に犯行を及ぼうとしているのではないか?と情報がもたらされ、現場に現れたところを逮捕される。

この逮捕シーンが上野駅なのだが、ここで映写中に音声がなくなった。逮捕のシーンだけ無音にするという演出かと思ったらやはり映写事故だった。
でも画だけでも迫力あったなあ。

その後、名前を変えた中北は結婚していて(相手は中原早苗)、彼女は出産のため病院にいる。刑事が訪ねてきて動揺する。刑事たちは「足したことではないんです。ご主人の行き先に心あたりはありませんか」と聞いている。
逮捕後、中原早苗の病室から悲鳴が聞こえる。刑事が駆けつけると中原早苗は赤ん坊を殺そうとしたのだ。看護婦が助けてくれたが、その時の中原早苗の狂気の表情がすごい。
(この辺も音声が切れてしまい、残念)
おそらくは殺人犯の子供となってしまった我が子をいっそ殺そうと下のだろう。
その後、何も知らずにやってきた北川刑事(南廣)が「中北の子供ですか。かわいいですねえ。父親が犯人でも赤ん坊は関係ないですからね」という。

実は秋田に聞き込みに行った際にも中北の前の妻の子供がカエルを殺して遊んでいるところを見て母親が「やっぱりあの子には殺人犯の血が流れている」とつぶやく。
「殺人犯の家族」ということで何かと世間はバッシングするが「それは関係ない!」という製作者たちの思いを南廣のせりふに感じた。

シリーズ屈指の代表作。





リバーズ・エッジ


日時 2018年2月23日20:50〜 
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン8
監督 行定 勲


東京の神奈川に近い河口付近の高校。
若草ハルナ(二階堂ふみ)は観音崎(上杉柊平)とつきあっていたが、観音崎はセックスのことしか興味がない。同級生の山田(吉沢亮)は観音崎からひどいいじめにあっていた。ハルナの友人、ルミは観音崎とセックスだけのつきあいもあった。彼らはコカインもやっている。
ある日、山田が廃教室のロッカーに閉じこめられているのを助けたハルナは山田から「僕の宝物を見せてあげる」と河原の茂みに連れて行かれる。
そこにあるのは白骨化した死体だった。「もう一人この死体について知っている人がいる」と山田はいう。そして自分は同性愛者だと打ち明けた。
それは1年生で今モデルとしても活躍している吉川こずえだった。
ある日、河原の藪に一億円が埋まっているかも?という噂がでて、みなが藪に立ち入り始めた。山田は誰かに見つかるよりは、とこずえとハルナでその死体を埋める。
山田はカンナという女子と付き合っていたが、それは同性愛者であることを隠すためのカモフラージュだった。


「オオカミ少女と黒王子」を観て以来気になっていた吉沢亮の主演作。
昨年助演作が何本か公開されたが、今年になってからこの作品を始まりに主演作の公開が続くと聞く。ANAで綾瀬はるかとの共演CMも始まり、これからイケメンスターとしてどんどん活躍していきそうである。
期待する。私にとっては福士蒼太、山崎賢人に続く存在になりそうだ。

でもこの映画、はっきり言って私は好きになれない。
いじめとか観ていていやだし、高校生がクスリやりながらセックスするとか世の中の終末感を感じてしまう。死体を観てほっとするとかも。
そういう私なんかが観ていてもっとも嫌悪感を感じる描写のオンパレードで勘弁してくださいという感じである。

若者が同性愛者だと決まっておじさんとセックスするシーンがあって、この映画も山田もカンナとデートの後、「この後約束があるから」と言ってホテルに行き、一人全裸シャワーシーンがあって(ここで美尻を見せるがいじめのための痣がある)、先にベッドにいたおじさんの前でバスローブを脱ぎ(ここで白ブリーフをはいている)、おじさんのナニをくわえ始める、という描写。
ここで彼が売り専的なお金のやりとりがあったのか、恋人なのか解らない。でもね、若いゲイ=おじさんとセックスというステレオタイプな描写がいやである。
山田は別におじさん好きではなく、同級生のサッカー少年に恋している。おじさん=汚いもの、そのおじさんに身を任せるという破滅的なイメージ、が作品全体のトーンにあっているのは解るが、どうもねえ。

作品の舞台は、人物が携帯電話を持っていない、CDがあってアナログレコードもなくなった訳ではない、ということから80年代末から90年代前半と解る。その頃なら出会いは雑誌の投稿欄が中心となるだろうけど、若者同士の出会いが無かったわけではない。

まあゲイを描くのが目的ではなく、ギリギリの追い込まれている若者たちを描くのが目的だったとは解りますが。(まさに登場人物たちはエッジに立っているわけですよね)

最後は山田にうっとうしがられたカンナがハルナに嫉妬し、彼女の家に火を付けようとして逆に自分に火が移ってしまってカンナの住む団地から落ちて死ぬ。そのことがきっかけでハルナは引っ越す。
またルミも妊娠し、観音崎の子供と思い手術の費用をせがむ。そのことで喧嘩になり観音崎はルミの首を絞める。ルミが死んだと思った観音崎だが、ルミは蘇生して家に帰ったが前から仲の悪かった姉と喧嘩してカッターで腹や胸を切られる。

そんなところで話は終わるのだが、もともと行定勲の映画は好きではないし、話も陰惨だし、いまさら10代の心の悩みは共感出来るはずもなく、観終わったあとは後味の悪さだけが残った。
吉沢亮、これからの活躍を期待してます。







マンハント


日時 2018年2月18日19:15〜 
場所 TOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン4
監督 ジョン・ウー


大阪の天神製薬の顧問弁護士をしていた中国人、ドゥ・チウ(チャン・ハンユー)は天神製薬の社長が酒井(國村隼)から息子(池内博之)への交代記念パーティで遠波真由美(チー・ウエイ)という女性と知り合った。
家に帰ってみると何者かに襲われ、朝起きたらベッドに女性の死体があった。
大阪府警の浅野(トクナガクニハル)はドゥを連行しようとしたが、途中で逃るように仕向け、しかしその後で射殺しようとした。
なんとかその場は逃げたドゥだったが、応援にやってきた矢村(福山雅治)に逮捕されてしまう。
なんとか逃げおおせたドゥは再会を約束していた真由美の元へ。しかしそこでも追っ手がやってきて、やむなく新幹線に乗って真由美の実家へ。
矢村も浅野も追う。しかしドゥは同時に二人組の女殺し屋にねらわれる。
真由美は実は「かつての婚約者は天神製薬の研究員で、しまいには自殺に追い込まれた」と思っている。


佐藤純彌監督「君よ憤怒の河を渉れ」のリメイク。
日本では全く評価されていないこの映画、かつて中国では大ヒットしたと聞く。そのことがあっての中国でのリメイクだろう。
ただし主人公は中国人というだけで、舞台は日本、登場人物も日本人だ。
(役者は日本人以外もいるけど)

ジョン・ウーって私もそんなに何本も観ていないが、やたらスローモーションにして鳩が飛んで様式美のようなアクションシーンが続くイメージ。
今回もまさにその感じで上映時間の半分(あくまで体感)はスローモーションだ。普通の上映スピードなら上映時間は90分以下じゃないのか?

もうこれは好みの問題になるが、私はスローモーションでアクションを強調するのは嫌いである。それとああいう様式美というような立ち回りも好きになれない。
どっちかというと「仁義なき戦い」風のアクションの方が好きである。
だから完全に作品に乗れないのでただただ退屈だった。

特に冒頭から登場した二人の女殺し屋の設定が荒唐無稽で何やら違和感がある。

外国映画になると日本人俳優が演じていても何か違和感が出てくる。これは何故なのだろう。
福山雅治が福山に見えないで、中国人の役者に見えた。
外国映画だからどうしても新幹線を強調したり、居酒屋とかを妙に強調したカットになってしまう。そこから違和感が生じてるのかも知れない。

福山雅治も國村隼も日本語を話しているのだが、唇があっていない。
撮影では日本語のシーンも中国語、もしくは英語で話していたのかな。そしてあとで本人が日本語でアフレコしたとか。その辺も違和感の原因に鳴ってるのかも知れない。
あと中国人俳優が日本人の役なので日本語を話すのだが、これがちょっと違うのでまたまた違和感ありありになる。

そんなこんなで最初から最後まで違和感ばかりでスローモーションの連続には飽きがきた。
やっぱりジョン・ウーは好きになれない。

あと斉藤工と吉沢悠が福山が登場したときにテロリスト役で出演。あっさりやられて5分で終了。もったいない。
そしてかつてのカンフースター、倉田保昭が出演。最後には立ち回りを見せて、香港映画らしい倉田へのリスペクトをこの出演に見た。






だいじょうぶマイフレンド


日時 2018年2月17日15:20〜 
監督 村上 龍
製作 昭和58年(1983年)


ミミミ(広田玲央名)は朝、友人のモニカ(乃生佳之)にプールに誘われる。ハチ(渡辺裕之)と3人でプールで遊んでいると突然上空から人が降ってきた。
警察の刑事(タモリ一義)に事情を聞かれるが「人が降ってきた」と言っても信じてもらえない。ハチが更衣室に行くとロッカーの中に人(ピーター・フォンダ)がいた。彼はゴンジー・トロイメライと名乗り地球から2000光年以上離れた星の住人だという。
自分の星に帰ろうとしたが、途中で落ちてしまったというのだ。自分の皮膚は地球人の何十倍も強力なので、自分の皮膚を奪ってそれからクローンを作ろうとしている悪の組織ドアーズがねらっているというのだ。
一旦はドアーズに捕まったゴンジーだが、なんとか救出に成功。しかし何故かゴンジーは空を飛ぶ能力を失ってしまった。
そこで空を飛ぶ練習をするためにサイパンへ。
しかしそこでもドアーズには追いかけられ、日本に連れて行かれる。
ゴンジーの皮膚がどうしても切り取れないため、ロケットに打ち上げて爆破してしまうとなる。
ゴンジーは打ち上げの直前、「死ぬ前にマスターベーションさせてくれ」という。彼の筋力は人間の何十倍なので、射精すると精液は弾丸より速いのだ。彼は発射してロケットを破壊。なんとか空を飛ぶ能力を復活させ宇宙へ帰るのだった。


日本映画史上、最大級の駄作と言われる「だいじょうぶマイフレンド」。ある機会があって鑑賞。

なるほどなあ。確かに駄作の名に値する。だいたい作家が映画に口を出すとろくなことにはならない。「さよならジュピター」しかり、「落陽」しかり。小説家として名をなすと「映画も作れる」と思ってしまう、思われてしまうようだが映画を作る才能と小説を書く才能は別物である。それはお互いに自覚した方がいい。

「宇宙人を助ける話」なのだが、まあこれぐらいおバカな話は昔の日本映画(クレイジーキャッツ映画とか)でもあったのだが、映画の編集のテンポが悪すぎ。素人の私が観てもカット尻やシーンの最後が長くていらいらする。編集をちゃんとやり直せばもう少しまともになったのでは?と思う。

また主役の3人がよくない。広田玲央名ってこの映画がデビューだが、まるで魅力を感じない。乃生佳之も田原俊彦のバックダンサーなどしていたが本作では抜擢、その後欽ちゃんファミリーにも加わったが、こちらもどうも映画を引っ張るような魅力はない。
渡辺裕之はまあまあ。

バブルはまだだったけど80年代という時代も感じる。意味もなくサイパンにロケに行ったり、音楽が当時絶頂だった来生たかお、桑田佳祐、坂本龍一などが参加。やたら豪華である。
またモニカの設定がやたら金持ちでホテル(?)かなにかの都心の屋上のプールを貸し切り状態で遊んでいたり、何やらシンセサイザーなどの音楽に凝っている。それにミミミのことを「シャンパン飲ませればやらせてくれる女」と呼ぶ。サイテーな男だなあ。また冒頭に意味のないミュージカルシーンがあって、その後にミミミがおっぱい丸出しで寝ているカットから始まる。
もう村上龍は広田玲央名と「映画に出してあげるから」と言ってやりまくったんだろうな、と想像してしまう。

映画を観ている間中いらいらしっぱなしだったのだが、極めつけがラスト。
マスターベーションして射精すると弾丸より速くザーメンがでるっていう奴。ピーター・フォンダにそんなことやらせるなよ。
ピンク映画なら笑えるのだが、普通の映画でやるか、そんなこと。
やらねーよ。

あとトマトが50cm以内にあるとおかしくなるとか(でもジュースに下のはOK)、訳解らん設定になっている。さっきも書いたけど古澤憲吾ならもう少し生かせたのかも知れないけど。
うまくやればリチャード・レスターの「ヘルプ!」並のコメディになったかも知れないが、どうも外しまくってる。

出演はドアーズの頭領に根津甚八、その部下に岸部一徳、団次郎、サイパンのトマト農園主で小松政夫、ドアーズの奴隷の看守で武田鉄矢、すべての果物を一瞬でジュースにするのを売る変なおばさんで研ナオコ。などなど無駄に豪華。

とにかく村上龍がますます嫌いになった。
映画をなめんなよ!




不倫狂いの人妻 喰いまくり


日時 2018年2月16日19:43〜 
場所 上野オークラ劇場
監督 珠 瑠美
製作 エクセス


柏木兄弟は父の会社で兄弟で働いていた。弟健作は昨夜は徹夜で資料を作って帰ってきたところなので、今日は会社を休むという。住み込みのお手伝いのミヨコを外出させ、健作は妻の由美子を朝から励む。
会社では専務の兄は秘書と会議室でしていた。秘書と言っても元は水商売だったのを秘書という名目で雇っている。
お手伝いのミヨコは渋谷で彼氏とデートでホテルでする。彼氏は別れ際に「お前に会いたかったから、『兄より』と手紙を出した」という。
その手紙が柏木の家に届き、封書を見た由美子はミヨコに「今度お兄さんを連れてきなさい」という。柏木の家で食事をする由美子、ミヨコ、彼氏の3人。泊まっていく彼氏はミヨコと部屋でする。夜トイレに立った時、由美子のシャワー姿を見てしまう彼氏。そこで彼氏と由美子もする。
健作の方もミヨコを誘惑し、する。
彼氏は由美子にまた会いたくて時々電話する。あぶないと思った由美子は彼氏に「こちらから連絡するまで連絡しないで」と釘を刺す。
由美子と健作もやっぱり夜する。


荒木太郎監督(いまおかしんじ共同脚本)の「ハレンチ君主 いんびな休日」を観に行った時の同時上映がこれ。
話も何もあったものではなく、人間関係の設定だけで登場人物が次々と関係していく。
数えて見たら8回ぐらい絡みがあるからずいぶんと多い。
今ではみる機会も少なそうなピンク映画だった。(製作は服装の感じから80年代後半から90年代前半ぐらい)
監督の珠瑠美って女優出身でエクセスで活躍された方だそうだ。


んで、肝心の「ハレンチ君主 いんびな休日」だ。
これが上映されていなかったのだ。2、3日前に19:43〜この映画。20:43〜「ハレンチ君主」が上映されると調べておいて、19:40に劇場に到着、1本目でこの映画を観た。

んで2本目が「OP PICTUERS」の会社ロゴが始まって上映開始。
牧村耕次さんのカットから始まったが、ここがカラー。「?全編白黒と訊いてたけどな。最初だけはカラーなのかな」と思っていたらすぐに白黒のカットになる。「やっぱり」と思っていたら、どうも話が違うみたい。

タイトルになって「息子の花嫁 いんらん恋の詩」と出た。
「!!!!!」
である。慌ててその場でスマホで調べたら、昨日15日付けのオークラのブログで「上映作品が急遽変更になりました」と出た。
思わず「劇場に映画が違うんですけど」と言ったら「申し訳ありません」とあっさりチケットを返してくれた。(今回お金を払ったのではなく、ポイントカードがたまったので無料鑑賞だったのだ)
んでツイッターを検索したら池島ゆたか監督も「急遽上映中止になりました」と書いている。
他にも上映中止を嘆く声がチラホラ。

でも「靖国」とかと違って所詮はピンク映画。上映中止に関して、というか映画そのものを知らないで、話題にすらなっていない。
だから右も左も上の下も映画そのものを知らないから妨害も起きないと思っていたのだが。

なんとかして観る方法はないかなあ。
劇場スタッフは今後上映されるかどうかは全く未定、と言ってたしな。
悔しいけどまあ今後この映画を観るためにいろいろ活動する楽しみが出来た、と考えよう。
新しい課題である。









吉沢明歩のSEX一本勝負 いっぱい突いて!


日時 2018年2月12日18:07〜 
場所 上野オークラ劇場
監督 深町 章
製作 新東宝


宮本武蔵の子孫の武子(吉沢明歩)と剣道の名門、吉岡家の子孫・鈴之助(千葉尚之)は幼い頃からのライバルで、男の学生服を着ている武子を鈴之助は「この男女!」と何とも思っていなかった。しかし年頃の武子は鈴之助を意識している。
悶々としてオナニーに興じている鈴之助を母親(佐々木麻由子)は「練習に専念できるように」と体の関係になる。思わず飛びついてしまった鈴之助だが、「畜生になってしまった」と自分を責める。
落ち込んでいる鈴之助を見て武子は「どうしたの?悩みがあるなら言ってみなさい!」と叱責。渋々母親と関係したことを話す鈴之助。
数日後、武子は鈴之助に「母親が息子を誘惑するなんてどうもおかしいと思って調べてみたんだ。実は鈴之助は亡くなった父親が外で生ませた子供で、今の母親とは血がつながってない。だから気にする必要はない」と説得する。
鈴之助は気にする必要はないんだ!と元気になって、武子と鈴之助は体を重ねる。そして武子と試合をするのだった。


前半寝た。しかし母親と鈴之助が関係を持つシーンは見たから、話は理解してるだろう。
時々、牧村耕次の幽霊みたいなのが出てきて、武子や鈴之助の姉と絡むシーンがある。本筋とはまったく関係ない、濡れ場のためのシーン。

鈴之助と母親は血がつながっていない、という話はひょっとしたら武子が鈴之助の罪の意識をなくすためについた嘘かと思ったが、そういう展開はなし。

千葉尚之は以前ゲイ映画で見たことがある。眉がきつすぎて甘さは足りないが、なかなかの好青年。
特に女優の上になった時、背中の筋肉が締まっていて、美しかった。





兄嫁の肌は熱く甘く


日時 2018年2月12日17:06〜 
場所 上野オークラ劇場
監督 国沢 実
製作 OP映画


圭一は交通事故でED障害になる。3ヶ月仕事を休んでいたが、なんとか復帰できた。圭一の弟慎二(久保田泰也)はバーのマスターをしていた。従業員(水井真希)は慎二に好意を持っている。
バーが終わった朝、慎二は圭一が出勤した後の圭一の家に立ち寄る。
義理の姉の未歩は快く迎えてくれた。慎二は未歩を犯す。
バーの従業員は慎二と未歩の関係に気づき、「圭一さんに言うわよ」と脅す。しかし慎二は「言ってみれば?」と開き直る。
もともと慎二と未歩の関係は圭一が望んだことだというのだ。勃起障害になったため妻を満足させるために、と望んだことだった。


久々に久保田泰也さんを見た。前から思っているが、美青年というわけではないのだが、妙にエロチックな雰囲気を彼は持っている。
今回も登場した時からなにかエロさを放っている。

圭一の会社の女性社員が圭一に好意を持っていて、誰もいない会社で圭一のパソコンのマウスに触れて、それに顔に寄せて舐めるオナニーシーンはエロチック。
その後圭一が入ってきて驚いて二人は体の関係を持とうとするが圭一は勃起できない。

未歩が勃起しない圭一のためにペニスバンドを持ってきて「こんなものつけられるか!」と怒るシーンはちょっと切ない。気分は盛り上がるのだが、勃起しない時はつらかろう。

後半ちょっと寝たのだが、水井真希が大蔵映画にも出ていたとは知らなかった。彼女のことはいまおか監督の「星の長い一日」で知ったが、独特のキャラクターでなかなか印象に残る女優だと思う。





おっとり姉さん 恥骨で誘う


日時 2018年2月12日15:46〜 
場所 上野オークラ劇場
監督 竹洞哲也
製作 OP PICTURES


遠藤家の三兄弟がバスも2時間に一本しかこない田舎の実家に集まった。先日亡くなった母親のトヨの遺産についての集まりだ。長男の一男は途中でアパオ(森羅万象)と呼ばれている村の男に出会う。
一男とその妻、次男の次郎と妻、その息子長生(櫻井拓也)、末っ子の里奈(しじみ)の親族6人の前で本村弁護士はトヨの遺言を伝える。
「遺産の一部、一部の量はお任せするという事ですが、は世話をしてくれたアパオに、残りは『私の一番大切な物を見つけてくれた人に渡す』ということです」
兄弟たちは共同戦線を張ったり、里奈は長生を誘惑して仲間に引き入れようとする。


竹洞監督の新作。櫻井拓也さんの出演と言うことで観た。
正直言って今回の竹洞作品は期待はずれ。
遺産の取り合いを巡っての「ミステリーコメディ」ということだったが、コメディはともかくミステリー色は感じられない。

兄弟たちがくっついたり離れたりがちゃがちゃやっているがイマイチである。
結局、長男が「子供の頃兄弟が集まっていた木」が問題の物だろう、というのだが、答えを知ってる弁護士をはじめ、全員死亡。
長生がキノコに凝っていて、山で見つけてきた怪しげなキノコを鍋にいれてそれを一族が食べたから、という訳。

このオチも読めたし、問題の物も「一番大切な物は家族の仲の良さ」みたいなことではないかと思っていたからそのまんまである。

正直今回はがっかりだった。







羊の木


日時 2018年2月12日12:15〜 
場所 TOHOシネマズ上野スクリーン6
監督 吉田大八


北陸の地方都市、魚深市の職員、月末一(錦戸亮)は上司から新しく転入してくる6名の世話をするように命じられる。毎日一人一人を駅や空港に迎えに行き、彼らを借りてあるアパートに連れて行く。
しかし彼らの行動に何か普通でないものを感じる。彼ら6人は全員刑務所の仮釈放の身だった。実は更正の見込みがある受刑者は積極的に仮釈放にしていき、身元保証人のいない受刑者は自治体が10年間面倒を見るというテスト中のプロジェクトだというのだ。
そんな時、月末の高校時代に好きだった文(木村文乃)が帰ってきた。
昔の友人須藤(松尾諭)を誘ってまたバンドを始める月末と文たち。
そこへ今は宅配便のドライバーとなった仮釈放の一人宮腰(松田龍平)も加わる。
他の5名、杉山(北村一輝)は釣り船屋、太田(優香)は介護センター、大野(田中民〜さんずいの民)はクリーニング店、福元(水澤伸吾)は床屋、栗本(市川実可子)は清掃業についた。
いつの間にか宮腰と文がつきあい出す、太田は介護が必要な月末の父(北見敏之)と結婚を考え出す、福元は祭りの酒席で暴れ出す、など月末の周りで何かが起こり出す。
そして祭りのことが全国紙に取材され、宮腰が写真に偶然写ってしまった。
しばらくしてその写真を見たという男が市役所にやってくる。男は「昔この写真の男に息子が世話になったから」という。


ある日、地方都市に6人の元殺人犯の男女がやってきた、その世話をする市役所職員の話、というからなんだか面白そうじゃないですか。
実際に面白いのだが、もう一つである。

観てる間、理由を考えたがやはり6人という人数が多かったのではないか?これが4人ぐらいに減らしてればもう少しすっきりしたのかも知れない。しかし原作物だからそうは簡単にはいかなかった気もするが。

結局宮腰は10代の頃から人を殺したことがある男で、やはり再犯してしまう。それを知った杉山も宮腰に殺される。宮腰は月末を道連れに自殺しようとするのだが・・・というのがクライマックス。

それまでこの地方の伝説、「おろろ」という守り神の祭りなどが登場する。その「おろろ様」の巨大な像があるのだが、それが突然崩れて宮腰の上に落ちて宮腰は死ぬ、という展開。
このおろろ様の像の崩れは唐突だよ。前に月末の後輩が「錆びてますね」というせりふが登場するが、それまでにも画で「今にも崩れそう」っていうのを見せた方がいいんじゃないかなあ。
唐突にしか見えないよ。

それと月末が「課長が教えてくれなかった真実」を後輩が教えてくれる設定だが、どうも安易だな。月末がいろんな事実を知っていく過程をもう少し工夫して欲しかった。

「前科者はやっぱり再犯する」的な結論になってはイヤだな、と思っていたが、再犯したのは宮腰と杉山ぐらい。後は更正していくようなのでほっとする。

出演では主演の錦戸亮がいい。イケメンだけどイケメンすぎずにいかにも地方にいそうな公務員になっていた。後6人の一人の水澤伸吾。いまおか作品などで知っていたので、こういう大きな映画に出るのはうれしい。








西鶴一代女


日時 2018年2月11日 
場所 TSUTAYA宅配レンタル
監督 溝口健二
製作 昭和26年(1951年)


お春(田中絹代)は御所に仕える身であったが、身分の低い侍(三船敏郎)に見初められ、二人は将来を誓い合ったが、それは許されずお春は洛外追放、若者は斬首となった。
ある時、ある藩の殿様が世継ぎが出来ない、そこで側室を求めて家臣が京にやってきた。殿様の条件は厳しくてなかなかあう女がいない。しかしたまたまお春が気に入られ、その殿様の側室となった。お春の両親は娘が出世したと喜んだ。めでたく男の子を生んだが、正妻から疎んじられ、追放されてしまう。お春の両親は娘が殿様の世継ぎを生んだというので安心して派手な生活をしてしまい、借金をしてしまった。
その借金の為にお春は身売りした。金持ちがやってきて身受けしてくれると思ったが、その男は偽金作りで捕らえられた。
以前からの知り合いの呉服屋の住み込み女中となったお春。たまたま帰宅客に遊郭で働いていた事がばれてしまった。主人は「ならばいいだろう」と体を求め、それが原因で主人の妻に疎まれ、出されてしまう。
たまたま知り合った扇屋(宇野重吉)はいい人で、お春にも平和な日々が訪れたが、扇屋や強盗にあって殺されてしまった。
以前の呉服の丁稚・文吉(大泉幌)がお春の為によくしてくれていたが、それは店の品をごまかしての事だった。文吉はお春を連れて京を逃げたが、結局は捕まった。お春は夜の女になった。


市川崑の「映画女優」に撮影シーンが出てきた映画。有名な映画だから以前から知ってはいたが、溝口健二はどうも興味がわかないのでパスしていたが、今回初鑑賞。

ある一人の女性が運命にもてあそばれ堕ちていく話である。
どうしようもない、運命としかいいようのない流転が訪れる。不幸の釣瓶打ちである。
間接的にしろ、後の映画にも影響を与えたのかなあ。

テンポのだるさとかで私にはあわない部分もあったが、お春は全然悪くないのに(呉服屋のおかみには彼女が病気で薄毛なのだが、それが主人に知られたら嫌われると恐れているため、信用してる人にしか教えていない。それを復讐のために猫に彼女のつけ毛を取らせるシーンがあるがお春が自発的に動くのはここぐらいだ)、人生うまくいかないという点は面白かった。

「映画女優」に出てくるのは夜の女になったお春がもう歳で暗いところでしかいられない、明るい場所では歳がばれる、という立場になっていて、そこでお遍路をしているものたちが、旅の途中でちょっと遊ぼう、と思ってる者に戒めとして見せる(見せ物にする)というシーン。
やはり吉永小百合では田中絹代の迫力は出せないな、と思った。





億万長者


日時 2018年2月10日 
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 市川崑
製作 昭和29年(1954年)


舘(木村功)はある税務署の徴収課に勤める職員。彼は万事控えめな性格で自分から何かを主張するようなことをしない性格になってしまった。
ある日、署長から税金不払い者に督促をするよう命じられる。
1軒目のアルミ工場は主人が飛行機で外遊中に飛行機が墜落し、妻(北林谷栄)と子供18人で工場は倒産に近い状態、2軒目は贋(信欣三)昔は写真館を開いていたが今はなく、子沢山で貧乏している。長男(岡田英次)はどこかの劇団のニューフェイスに受かったと言ってるが今はまだ仕事なし。二階には下宿人(久我美子)が住んでるが、家賃は払わないし原爆を作ろうとしている。
車の妻はなんとか税金を払わなくてもいいように取りはからってくださいと現金1万円を舘に渡す。「それは汚職になる」と断った舘だったが、強引に押しつけられてしまう。
困った舘は死を考え、タクシーに引かれそうになったところを芸者花熊(山田五十鈴)に助けられる。事情を聞いた花熊は「悪い奴はもっといっぱいいる。あんたの同僚や税務署長の汚職を調べて報告してちょうだい。それを使って日本をただそう」という。
その気になった舘は必死で署長たちの行状を調べる。しかし調べた結果を花熊は日本をただすためではなく、関係している悪い奴に売り渡して金を儲けようとしていた。そのたくらみを立ち聞きしてしまった舘は行状を調べたメモを町においたままにしてしまう。
それが拾われて国会でも取り上げられてしまい、舘も国会に証人として出廷したが、しどろもどろになったあげくに狂人扱いされてしまう。
一方、贋の家はついに一家心中を試みる。拾ってきた魚を最後の晩餐に食べたらそれは原爆マグロで一家は長男以外死亡、二階では「原爆が出来た!」と喜んでいる。舘と長男はその場から逃げ出すのだった。


話はほぼ全部書いた。
Twitterで「『億万長者』という映画で久我美子は下宿で原爆を作ってしまう」というのを見かけ、しかも監督は市川崑というのでツタヤレンタルにあったので鑑賞した次第。

なんというかブラックコメディ。でも正直、タイトルに違和感があった。
この映画、億万長者は別に出てこない。みんな事情があって苦しんでいたり、小悪党ばかりが登場する。
話の内容より演出のセンスが面白かった。

この映画、とにかく早口だ。特に芸者の花熊など何を言ってるのか解らない位早い。昔の映画はテンポが緩いという印象があったけど、こういう映画もあったんだ、と改めて発見。
久我美子が原爆を作ってると聞いて木村功が走って逃げ出して沼津まで行ってしまい、「100キロ離れれば安全だ」というぶっ飛んだあたりは面白かった。

しかしブラックコメディなのは解るが、どうも笑いが散漫になっている。
税務署の職員が右往左往する話ならもう少しやりようがあった気がする。
久我美子の原爆製造だが、とってつけたようでどうもかみ合っていない。
彼女は広島の原爆で家族を失った過去があるのだが、ならなぜ原爆製造に踏み切ったのか。あるいは昭和29年という「警察予備隊」「自衛隊」の発足という時代背景が「また戦争へ向かおうとしている」ということへのアイロニーだったのか?
そして疑獄事件の政治家は汚職ばかり。

そういうブラックコメディとか政治風刺を目指そうとしたのは解るが、必ずしも成功していない。惜しい映画だったと思う。




名前のない女たち〜うそつき女〜


日時 2018年2月9日21:00〜 
場所 新宿K's cinema
監督 サトウトシキ


フリーライターの志村(吹越満)は企画ものAV女優のインタビュー記事の連載を月刊誌「宝箱」でしていた。今日もAV女優のインタビューに行ったが、まるでゴミ屋敷。
編集者(川瀬陽太)から前田葉菜子(円城アンティア)を紹介される。会ってみたが「充実している」「自分にあっている」とかの表向きのことしか言わない。葉菜子は今はAV現場で知り合った将人(笠松将)という男と暮らしていたが、将人は無職で完全にヒモだ。
葉菜子の妹の明日香(円田はるか)が田舎から上京し姉を訪ねてきた。
明日香は葉菜子の服や保険証を持ち出し出て行った。街でホストをしているツバサ(小南光司)と知り合い、明日香はホストにはまっていく。
一方志村はAVライターではなく、介護事業の現場のレポでエロライター以外の仕事もしたいと思っていたが、編集者は求めていない。
ある日、葉菜子の家にサラ金から請求書が届く。それは明日香がホストで作った借金だった。260万円の借金を葉菜子はAVで作った貯金で返す。
志村は離婚していて養育費に困っていたが、ある日元妻から再婚することを告げられる。


中村淳彦氏の「名前のない女たち」の映画化。このシリーズはもう何年にも渡って連載され、文庫や単行本で出版されている。今回は去年の2月に出た「貧困AV女優の独白」の映画化。
中村氏のこのシリーズは私も大好きでかなり読んでいる。AVの世界も名前がタイトルに入ってアイドルのDVDのような扱いで売られる女優はほんの一握りであとは「企画もの」と呼ばれる、女優の名前ではなく企画、内容で作られたAVに出てくる、言ってみればいくらでも代わりが利く女優たちのレポだ。

正直、まじめにこつこつ働くサラリーマンの私とは別世界の人間の話で非常に興味深く読んだ。

んで映画化だ。以前にもこの本は映画化している。(監督は佐藤寿保)
観ようとは思っているが未だに観ていない。それはたぶんうまく行ってない気がするからだ。

今回は新作として公開されたので拝見。
うん、やっぱり正直イマイチだった。
扱われているAV女優の話が普通すぎるのだ。働かない男を養っていて妹はホストにはまるとかありきたりすぎる。

いや普通のピンク映画やエロVシネならそれでもいいのだが、「名前のない女たち」の映画化だ。
完全に消耗品として扱われ、名前すら与えられない女たちの物語でないとこれを映画化する意味がないのではないか?

志村が離婚してどうしたとかの話はいらないと思う。そもそも原作の中村氏をモデルにした志村を主人公にしたことが誤りではなかったか?
私ならAVマネージャーとかADとかAV現場の当事者を主人公に据えて「AV女優にしかなれなかった女たち」の話を作った方がより原作を生かせたのではないかと思う。

それに葉菜子の話を映画にするならそもそもの奨学金がいくらでどのくらいの返済の必要があったかとか描かないと、切迫感がない気がする。

原作としては面白い素材なので、別の監督に別のアプローチで撮ってもらいたいと思う。








ビルマの竪琴


日時 2018年2月4日 
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 市川崑
製作 昭和60年(1985年)


1945年7月、ビルマの井上隊は隊長(石坂浩二)日本と戦闘状態にないタイに入ろうとしていた。井上は音楽学校出のため、部下に合唱を教え、戦意高揚に役立てていた。その中で水島上等兵(中井貴一)は竪琴の演奏を覚え、合唱の演奏だけでなく、斥候に行った際の通信装置としても利用していた。
ある日、村で休んでいたがそこにイギリス兵がやってきた。井上は敵に「日本軍は油断している」と思わせるために「埴生の宿」を歌わせた。その時、敵も「埴生の宿」を英語の歌詞で歌い始めた。それがきっかけで相手に戦闘の意志がないことを知る。すでに停戦になっていたのだ。
捕虜になった井上隊だが、近くの三角山陣地の日本軍が抵抗していると聞く。井上は自分が投降するよう説得に行くと申し出るが、英軍は命令で井上ではなく、水島が行くことになった。
しかし三角山の守備隊は降伏せず、最後の戦闘になってしまった。水島はなんとか生き残り、ビルマの僧侶に助けられる。
井上隊が収容されているムドンの捕虜収容所に向かうため、水島は僧侶の僧衣を盗み、一人向かう。しかしそこで水島が見た物は累々たる日本兵の遺体だった。
水島はビルマに残ってこの兵たちを供養すると決意する。


公開以来32年ぶりに鑑賞。といっても封切り時の劇場ではなく、5月31日〜6月9日に開催された第1回東京国際映画祭で見た。(ちなみオープニングが黒澤明の「乱」でクロージングがこの「ビルマの竪琴」。「乱」は6月1日の公開時に日劇東宝で観たと記憶する。この「ビルマの竪琴」はNHKホールで上映されたと思う。駅までの帰り道、川谷拓三と会った。サインをお願いしたら「ちょっと急いでますので」と断られた)

という思い出がある映画だ。公開は7月だが、フジテレビが出資しており、テレビでの大宣伝がこの後あったと思う。

32年ぶりの鑑賞だが、当時感じなかったことがいくつかあった。
まず音楽だ。
井上隊が降伏するとき、「埴生の宿」を日英が歌いあうというシーンになる。なるほど、音楽は国境を越える。音楽は人の心を一つにする。
ラストの「仰げば尊し」のシーンもそうである。
こういう音楽を通じた戦争映画って珍しいと思う。

水島は言葉で別れを言ったりしない。寝仏のシーンも演奏だけである。そしてオウムを介して「イッショニ、ニッポンヘ、カエロウ」「アア、ヤッパリ、カエルワケニハイカナイ」などのシーンは涙を誘う。
そこがうまいなあ、と思う。下手に説得したりしないのがいい。

また三角山の隊長(菅原文太)が「ここで降伏しては死んでいった者に申し訳が立たん」という。
水島が「亡くなった人たちをおいてはいけない」
二人とも死者に縛られている点では正反対に見えて実は同類なのでは?と今回は思った。

そして私が初見の時にも思ったのが、この映画のナレーションがわき役と小林(渡辺篤史)という点が面白い。
小林は物語の中では特に台詞もなく、今まで存在が薄かった兵隊だ。その兵士がラストで「水島の手紙を水島の両親になんと言って隊長は説明するのだろうとちょっと変なことを心配していました」という。
これが正直、今回見直してみてもよく解らない。
でも初見の頃から印象に残ったシーンだった。

初見の時もめちゃくちゃ面白かった覚えもないのだが、「音楽は人の心をつなぐ」というのが新たに感じた点で、このシーンはよかったと思う。






嘘を愛する女


日時 2018年2月3日15:45〜 
場所 TOHOシネマズ上野・スクリーン1
監督 中江和仁


川原由加里(長澤まさみ)はキャリアウーマンとしてマスコミで表彰されるなどの活躍をしていた。彼女は研究医として働く小出桔平(高橋一生)という男と5年間同棲していたが家賃などは彼女が負担していた。
由加里が上京していた彼女の母親に小出を紹介しようとした晩、小出はその店に来なかった。その夜、帰宅しない小出を待っている由加里の元に刑事(嶋田久作)がやってきた。小出は近くの公園で倒れていたが、持っていた免許証などで身元を調べたところ、住所以外はすべてデタラメだったというのだ。小出が勤めているはずの大学病院に行ってみるとそこにも在籍すらしていなかった。
由加里は親友の伯父で私立探偵の海原(吉田鋼太郎)に小出の身元を調べてもらうよう依頼する。
ある日、若い女が由加里のマンションの郵便受けを開けているのを発見する。その女を問いただしてみると彼女は喫茶店のウエイトレスで、小出はその喫茶店でいつもパソコンで何かを書いていたという。
パソコンは小出が持っていたコインロッカーのキーを使って開けてみるとあった。早速起動させてみると小出は原稿用紙700枚分の小説を書いていた。その小説は親子3人で仲良く暮らす様子が描写されていた。
その小説に描かれた海、灯台を元に舞台が瀬戸内海と考える由加里たち。
当てはなかったが、由加里、続いて海原も瀬戸内海に向かう。


数ヶ月前から予告編で観ていて興味を持っていた映画。一緒に暮らしていた恋人のことを警察がやってきて「住所以外は全部デタラメです」と言われたショックはすさまじいだろう。私もちょっと似たような経験がある。

でもちょっと期待はずれだった(あるいは予想と違った)というのが本音。
まずは「男は失踪していて、警察も追っている」というサスペンスを思ったのだが、男はくも膜下出血で意識不明で入院中。警察も特に追っていないからそこで「時間との闘い」のようなサスペンスは生まれない。

小説の中に「夕日が見える灯台の下にビー玉などの宝物を隠した」とあり、実際に見つかるのだが、そこから次のステップへ行かない。子供の頃にここに住んでいたわけだから、小学校とか行けばなにか解ったのではないか?

あと小出の写真を見せた人から得た情報でたどっていったらそれは別人だった、というオチ、もう一つうまく行ってない。
結局パソコンの起動時のパスワード「20100920」と聞き込みの過程で得た「広島の警察の人が訪ねてきたことがあった」という情報で一発で解る。

「20100920」というのが「2010年9月20日で何かの日付」を意味することは海原たちも解っていたのだから、海原の助手のパソコンオタク(DAIGO)がそれだけで各種検索していけば顔写真も載っていたのだからもっと早くに解ったのに、と脚本のアラを感じてしまった。

あと免許証や大学の職員証を偽造はどうやったのか?あれほどの物が出来るのだから、何らかの犯罪に関わっていると思ったのだがなあ。
また小出に惚れていた喫茶店のウエイトレスも出てくる割には話におけるポジションがない(つまり何のために出てきたかよく解らない)

また小出と由加里の出会いが東日本大震災の日に設定されていたが、その意味がない。私は震災の日は特別な思いがあるので、何か東日本大震災でなければならない理由を感じてしまった。別にたまたま気分が悪かった日、でもよかろう。

そんな感じでやや期待はずれな作品でした。

今日、最初は新宿ピカデリーで観るつもりだったが、もう満席だったので上野に。渋谷でなく上野に行ったのはやはりこのシネコンが場所的に気に入ったのだろう、私は。










警視庁物語 聞き込み


日時 2018年2月3日10:30〜 
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 飯塚増一
製作 昭和35年(1960年)


ある日、警視庁に老婆が訪ねてきた。弟の石川平作が沼袋にある店に訪ねたらいなくなっていて、弟が持っていた店、土地が売られていたというのだ。捜査主任(神田隆)は身元不明死体に該当する死体がないか紹介。
先日多摩川で見つかった遺体が該当した。老婆に見せると石川平作と認めた。
石川平作が持っていた土地がすぐに売りに出されてたことから殺しを疑う刑事たち。不動産屋の話では石川平作の息子と名乗る30前ぐらいの男が売りに来たという。
その売買に関わった土地ブローカー小野を当たる刑事たち。だが小野のいう石川平作の息子の人相と、近所の聞き込みで得た石川平作の人相は異なっていた。
どうやら小野が嘘を言っている可能性が高い。小野が乗っていた車のナンバーから所有者の住所氏名を調べたところ、小野というのは偽名で秋田が本名だと解った。秋田は以前土地売買の不正で逮捕歴があった。
石川平作の殺された日の足取りを追ったところ、飲み屋の女の家に行ったことが解った。その家は先日の事件で関わった吉本(今井俊二)の家だった。
しかも小野と吉本は新宿で土地転がしをして儲けようとしていた。


「警視庁物語」シリーズ14作。
正直、今回は期待はずれだった。
刑事たちが聞き込みを続けて犯人にたどり着く、というパターンは同じだが、上映時間が52分と短いせいか、あまりにすいすい話が進みすぎる。
見込み違いの捜査をしたり、壁にぶつかって困る展開がないと面白味がない。
飲み屋の女がどうやって殺したとかあっさり自白するしな。

おそらく前作「血液型の秘密」と同時に2本撮りされたと思う。
同じ西武新宿線沿線で沼袋とかが被害者の家のあったところだ。もっともほんと沼袋で撮影したかは解らんけど。
だから最後の犯人、吉本が前作に引き続き出てくるのは脚本上の理由より「大人の事情」だったのかも知れない。
実際吉本でない人間が犯人でも困らない。

まあ脚本上はクズ男だが、前作では結局犯罪を犯したわけではなかった吉本をちゃんと逮捕させたいという造り手ての思いがあったかも知れんが。
だからバラバラではなく、2本連続で観ると「吉本が逮捕されて勧善懲悪」というカタルシスが得られたかも知れない。

そうそう刑事たちの笑いところ。
新聞記者にかぎつけられないように捜査本部は設置しないのだが、それについて花沢徳衛が「これからはパーカーフェイスで行きましょう」と言って他の刑事がきょとんとする。「パーカーフェイスってのはとぼける顔のことだよ」というと神田隆が「そりゃポーカーフェイスだ」「あっそうか。パーカーは万年筆か」と花沢が言って若手刑事が「ばっかじゃなかろうか、ってとこですね」とトニー谷のギャグを言った。
ここは面白かった。

あと山村聡が町の不動産屋役で出演。事件の黒幕役かと思ったら、そんなことはなかった。中山昭二も刑事役で出演。