2018年6月

   
ジャズ大名 オンリー・ザ・ブレイブ
僕らはあの空の下で 可愛い悪魔 カメラを止めるな! 月給泥棒
白衣の妹 
無防備なお尻
異常飼育 ワイセツ性交 熱き心を 縄と男たち2 
男地獄の使者(メッセンジャー)
不道徳教育講座 空飛ぶタイヤ 佐藤家の朝食、
鈴木家の夕食
羊と鋼の森
飛び出す立体映画
 イナズマン
飛び出す
人造人間キカイダー
飛び出す冒険映画 赤影 万引き家族
友罪 英霊たちの応援歌
 最後の早慶戦
妻よ薔薇のように
(家族はつらいよV)
OVER DIRVE 
オーバードライブ

ジャズ大名


日時 2018年6月30日17:15〜 
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 岡本喜八
製作 昭和61年(1986年)


時は幕末。海の向こうのアメリカでは南北戦争が終わった頃。黒人の3人組はご先祖の故郷、アフリカに帰ろうとした。しかしだまされて乗った船は香港行き。しかしその船も嵐にあって日本の駿府の国にたどり着いた。
お城はちょうど江戸と京都を往来する途上にあり、薩長と徳川がすれ違うこともあった。そんな時は鉢合わせにならないように気を使う。
殿様(古谷一行)は漂着した黒人に会わせろと家老(財津一郎)に言うが「なりませぬ」と取り合ってくれない。
そのうちに黒人の彼らが楽器を持っていると解る。家臣の一人(本田博太郎)が彼らに演奏してみせろ、という。そのジャズの音を聞いて殿様はいてもたってもいられない。
やがて薩摩の兵士やその追っ手の幕府軍が城内を通るという。
「勝手にしろ!」とばかりに城内を片づけ、往来自由にしてしまう。
その下で殿様、家老、家臣全員が太鼓や三味線、そしてそろばんまでも楽器にして演奏に明け暮れるのだった。


この映画は封切り時に観ている。大映の製作だが、松竹邦画系での公開だった。同時上映は井筒監督の「犬死にせしもの」。こちらは観ていない。
公開初日には岡本監督も舞台挨拶に新宿松竹に見えられ(今の新宿ピカデリーの場所)、そこで色紙にサインをもらった。(そのサインはまだ家にある)

正直、当時はピンと来なかったが、先日「吶喊」も観て、「幕末」「アメリカ」「ミュージカル」の3つを三題噺のようにミックスさせた企画がこれだったのだな、と理解した。
(当時岡本監督は「近頃なぜかチャールストン」以来の5年ぶりの映画で、当時はもう作品が作りにくい状況だった)

「吶喊」を観て世の中がどうなろうと自分たちは生きていくたくましさ(というかしたたかさ)を描いていたわけだが、今回はそれにジャズが加わった感じ。「ああ爆弾」で桜井浩子が歌う「ああ10円」(というタイトルでいいのか?)で銀行で行員がそろばんを楽器に演奏するシーンがあったが、あんな感じである。「血と砂」という中国戦線での軍楽隊の話もあった。
この映画のラストの大演奏シーンはこれらの発展的リメイクだ。

そう考えると初見の時はちょっとピンと来なかった部分も見えてきた。
この映画、83分と短いし、ストーリーもあまりない。(今観ると黒人が日本に着くまでが長い)薩摩長州、官軍、幕府軍が争い「ええじゃないか」が通っていっても「我関せず」と演奏し続ける。

結局は世の中がどうなろうと自分の道を生きていってやる!という人々のエネルギーを感じる。
そういう映画だったんだと(岡本監督の意図とは違うのかも知れんけど)改めて思った。

今、安倍政権がとにかく暴走している。いつまで続くんだとイヤになる。でもそんな時だからこそ、この映画の人物たちのようにたくましく生きていきたい、そんな気になった。





オンリー・ザ・ブレイブ


日時 2018年6月30日10:10〜 
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン6
監督 ジョセフ・コシンスキー


アリゾナ州ブレスコットの森林消防隊員たちは日夜森林火災に立ち向かっていた。現場の権限は「ホットショット」と言われる精鋭部隊にあり、指揮官のマーシュは苦い思いをしていた。
そんな時、2名の欠員が出来る。その一人にヤク中だったマクドナウが応募した。付き合っていた女性が妊娠し、子供を産むというので心を入れ替えて立ち直ろうとしたのだ。
彼らの努力は認められ、地方自治体の森林消防隊から「ホットショット」に昇格し、「グラニット・マウンテン・ホットショット」と命名される。
ある日、ヤーネルで森林火災が発生した。
マーシュ達も早速現場に向かったが。


一言で言うと「観る映画間違えたな」という印象だ。「タワーリング・インフェルノ」以来、火災映画は好きで観ているが、「20人の少人数で大規模火災を鎮火させたヒーロー物語」だと思って観に行ったのだ。

ところが実際は「自分たちのチームを格上げしてほしい」と願うマーシュと「ヤク中から更正しようとしている」マクドナウの話がだらだらと続くばかり。
「おいおいいつになったら大規模火災を鎮火させる冒険物語になるんだよ!」と思っていたら最後までならなかった。
最後、マクドナウ以外の隊員全員が死亡するのだ。

こっちは「は?」である。
案外アメリカの観客はこのチームが最後に事故で亡くなるのを知ってみているのかも知れない。それを知ってみてる方が、映画を観てる間も彼らに対する気持ちが違ったかも知れない。

それに彼らの火災の鎮火方法が良く解らない。森林火災で火が迫った時に先に一部を火災にしておいてそれ以上火が進まないようにするらしい。
20人ぐらいで火災の規模に比べればポイント的にやっても効果あるの?(いや効果あるんだろうけどさ)その辺のところをきちんと最初に見せてほしかった。
そうでないと彼らの努力がよく解らないんだよね。

映画に罪はないんだろうけど、完全にこっちが勘違いして観に行ったいい例。いや、「火災パニック映画」と思わせた配給の宣伝に乗せられたというべきか。

それにしてもアメリカ人ってタトゥーはしてるし、下ネタの冗談とか下手したら新入りいじめみたいなこともあったりして、日本はまだまともにも感じる。
ああいう命を張った軍隊的な世界はああなるのかな。

まだまだ男尊女卑の世界がアメリカにはあるんだろうなあ。





僕らはあの空の下で


日時 2018年6月24日 
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 平林克理 
製作 平成21年(2009年) 


高校3年生の沢田修(細貝圭)は卒業式に出席できないため、卒業証書を学校に取りに来た。
去年の春、修はボストンからやってきた。両親は日本人だが、母親が病気で治療のために日本に1年間やってきたのだ。
生徒会長の神崎浩紀(古川雄大)は漫画家志望だったが、雑誌のコンクールではいつも残念賞だった。「絵はうまいが話がだめ」というのが彼の評価。先生に転校生の修を紹介される。
浩紀は沢田修という名前に覚えがあった。そうだ、いつもボストンから投稿していて同じくいつも残念賞の奴だ。修は浩樹とは逆に「話は面白いが絵が下手」と言われていた。
浩紀は自分のマンガを修に見せ意見を聞いてみる。辛辣な意見にへこむ修だったが、浩紀は修が作った話を絵にしたくなる。
最初は戸惑った修だが、浩紀の提案を受け入れ、二人でマンガを書くことに。友人のナオも手伝ってくれて、何とか完成。
そしてそのマンガは入選。
しかし修の母の病気の治療もめどが立ち、春にはボストンに帰ることになったのだが。


日曜の夜に何か映画を観ようというわけで「軽いBLものなんかいいかな」と思って見始めたのが、これ。
だがセレクトミスだった。
これBLじゃねえよ。
なんとなくさあ、「テニスの王子様ミュージカル」でてた俳優の高校生の映画ってなんだかBLかと思うじゃないですか。
(勝手な思いこみだったかな)

ところが単なる「バクマン」である。
いろいろ事情はあったと思うよ。
でも話の展開がなさ過ぎ。
尺延ばしかと思うようなだらだらとした無駄の多いせりふ。

入選したんだからこの後、雑誌の編集者が登場しても良さそうだし、浩紀の親も出てきても良さそうだし、男子校なのか女子が出てこない。
それに映画は卒業式の前日と1年間の回想が交互になるのだが、時制が入れ替わりすぎてかえって解りづらい。
そんなに凝った構成にしなくても。

修はアメリカに帰ることが10月ぐらいには決まってるのだが、それが言えなくて悶々としていく。
なぜ言い出せないのかがはっきりしない。
もう二人で描けないならもっと描けばいいし、日本に残る方法を探る展開もあってもいいのでは?
事実母親も「日本にいたい?」と聞いてるんだしさ。

BL要素はまったくなく、ファンですら楽しめたか心配になるような出来。
観る前にちゃんと調べなきゃ。








可愛い悪魔


日時 2018年6月23日21:00〜 
場所 新宿K's cinema
監督 佐藤寿保
脚本 いまおかしんじ


弁護士・桑田(萩野崇)は助手の小塚美穂(七海なな)と浮気した。しかしそれは美穂の夫の一樹(鐘ヶ江佳太)に知られるところとなり、逆上した一樹は桑田の事務所に押し掛け、桑田の男根を枝切りハサミで切った。
事件後、マスコミでも話題になり、美穂はひっそりと暮らしていた。
世間では美穂が悪女と言われていたが、ルポライターの法月(杉山裕右)は疑問を持ち、「あなたを助けたいんです。世間の評判からあなたを守りたいんです」取材に訪れる。
最初は戸惑っていた美穂も法月の熱意に押され、取材を受けることに。
実は法月はもともとルポライターではなく、桑田の事務所が入っているビルの警備員だった。美穂がトイレに財布を忘れたことがありそれを連絡したことがきっかけで法月は彼女を見初め、以後、彼女を見ていることに生き甲斐を感じていた。
法月は事件の前から桑田と美穂が関係があることを知っていた。
法月は一樹の友人や、美穂の友人を訪ね歩き、美穂のことを調べていく。
そこで法月も知らなかった美穂の一面が見えてきた。


いまおかしんじ脚本、佐藤寿保監督作品。
数年前に実際にあった事件を題材にしている。
その事件に関しては男根を切り取るという猟奇性が強すぎたせいか、あまりテレビのニュースでは扱われなかったと思う。僕自身もちょっと覚えていたが、それほど関心が高かった事件ではなかった。

映画を観る前にいまおか氏から「男根を切り取った事件を題材」とだけ聞いていて鑑賞した次第。でもその話を聞いて「切り取っちゃうとか寿保さんらしいなあ」と思ったものだった。
「狂った舞踏会」とか体を切り取る話がお好きなのだ、寿保監督は。(さすがに眼球をくり抜く前作「眼球の夢」は僕には耐えられなくて観なかった)

弁護士と美穂が出会って徐々に関係が出来ていき、男根を切り取るシーンがクライマックスになる構成かと思っていたらさにあらず。
映画は事件後を描いていく。
そこに法月という自称ルポライターが出現し、事件の概要を調べていく。
「みんな自分に都合のいいことばかりをいう」と法月は言う。まるで黒澤の「羅生門」を観るかのようだ。

美穂は自分で意識してかしていないのか男を引きつけるところがあり、それで昔から男子がもめていたと聞く。一樹の友人は美穂に誘われて一度セックスをしたという。
「美穂さんはそんな人じゃない!」と法月は叫ぶ。男の勝手なイメージを作り上げさせる魔性の女、美穂。

しかしぶっちゃけ美穂を演じる女優がちょっと力不足。その魔性が伝わってこないのだな。法月も美穂という魔性の女に翻弄されていくキャラクターで好きなのだが、役者なのか演出なのかもう一つはじけ方が足りなかった。

謎解き要素のある構成だから、探偵もの的楽しさがあってその点はよかったと思う。





カメラを止めるな!


日時 2018年6月23日16:40〜 
場所 新宿k's cinema
監督 上田慎一郎


ある廃墟の中ではゾンビ映画は撮影のまっただ中。監督は熱が入りすぎて女優の恐怖の演技に満足出来ずに怒鳴り散らす。とりあえず休憩になり、監督は外に出て行く。
メイクの女性は「監督も入れ込んでるね〜。でもあんまり気にしないで」と若い俳優たちを慰める。「でもこの廃墟、実は昔の日本軍が死者を生き返らせる研究をしてたって噂があって」と話し出す。
そこへゾンビになった助監督がやってきた。若い男女優とメイク係りは逃げ出す。ゾンビになったカメラマン、音声が襲いかかる!
という感じで映画は終わる。実はその1ヶ月前・・・・・


新聞評やネットでの前評判がやたらいい「カメラを止めるな!」
「自主映画だからはずされることも多いのでパスかな」と思っていたが、今日の午後は「猫は抱くもの」を観に行こうと思っていたのだが、ピカデリーでの上映時間があわず、こっちを観ることに。

実は観る前は否定的だったのだ。
「ゾンビ映画でワンカット映画らしい」という程度の予備知識しかなく、「ゾンビ映画って『キツツキと雨』とか『桐島、部活やめるってよ』とか映画の素材としてはよくあるけど現実には日本ではあんまりないなあ」とか「映画は編集が命なんだからワンカット映画って作り手の実験、自己満足でしかないよね」みたいな生意気な先入観で観ていた。

ところがゾンビ映画のクレジットは30分ぐらいで出てくる。そのあと「1ヶ月前」としてまた映画が始まった。「えっこっちはカット割ってるじゃん?」「???」と思った。
実は今まで観ていたのは「ゾンビチャンネル」という専門チャンネルの開局記念特番の「ゾンビ映画をワンカットで生放送で行う」という番組だったのだ。

監督は今までバラエティの再現映像とか、カラオケビデオの監督。モットーは「安く早く、出来はそれなりに」。
主演女優はアイドルでわがままばかり、主演男優は脚本に意味のない質問ばかり、アル中やら「硬水を飲むとおなか壊す」という役者もいる。
そして撮影当日、役者が二人来れなくなった!
仕方ない、監督が役者をやる、元女優の監督の妻も出演する、っていう展開。

いや最初のゾンビ映画の段階で監督役が急に「カメラを止めるな!」って画面に向かって言ったり、いきなり女優が「こんなところに斧があった、運が良かった」とかいうので変だな、と思ったのだ。
特に最初のカメラの件は「?この映画のカメラってどういう視点なんだ?」と思ったものだ。

しかしそれはすべて計算だったのだ。
緻密に張られた伏線、三谷幸喜の「ラヂオの時間」を思い出した。
ほんとに笑って最後は(意外にも)泣ける映画だった。
すべての映画ファンにおすすめ!

なにも言うまい、とにかく観てほしい。











月給泥棒


日時 2018年6月23日12:20〜 
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 岡本喜八
製作 昭和37年(1962年)


吉本(宝田明)はクラウンカメラの営業部員。関西出張から帰ってきて部長(中丸忠雄)や課長(宮口精二)jへのおみやげは欠かさない。しかも部長の方が大きい。
出世の鬼の吉本は人事部長(浜村純)の息子が私立中学への入学を希望してるが、どうも成績がよくない。それを知った吉本は旧知の広告代理店の友人(堺左千夫)の父親がその中学の教務主任と思いだし、広告を出す代わりに裏口入学を持ちかける。人事部長は断るかと思いきや、あっさり受け入れ、吉本は課長補佐に出世。
バーで知り合った和子(司葉子)に一目惚れ。会社の交換手の友達からライバルのオリバーカメラがサバール国のバイヤーのダゴン氏(ジェリー伊藤)が来日すると聞いた。
もちろんオリバーカメラがダゴンを押さえている。吉本は和子をモデルにしたて、彼女の写真を撮るふりをダゴンの前で行って気を引く。
その後もダゴンの前に和子を連れて現れ、なんとか食い込みに成功。クラウンカメラの部長たちにダゴンを引き合わせるが、商談はうまく行かない。
吉本は専務(十朱久雄)から「商談を成立させなければクビだ」と言われ、巻き返しを計るが。


ラピュタ岡本喜八特集での上映。
今回は見逃している岡本作品を見ている。正直、今まで見逃していたのは食指が動かなかったからだ。

監督自身が植木等の「ニッポン無責任時代」を見て、「同じじゃないか」と思ったそうだが、その通り。植木等が演じるような役を宝田明が演じている。

しかしなあ、植木等が演じると笑ってすませられるが、宝田明が演じるとイヤミな奴にしか見えない。
吉本がやってることは自分の幸せのために(彼の言葉でいうなら「幸せとは人より上にいること)だそうだ)不正や嘘も当たり前、という感じなのだ。
どうも吉本という人間が好きになれない。
こういう批判は的外れだと思うが、まるで安倍政権の「モリカケ問題」まで想起させてしまう。
そんな感じで映画を見てる間、終始機嫌が悪くなってしまった。

何となく岡本喜八向きの題材でもない気がするが、これを岡本喜八に撮らせた金子正且の意図はいかがなものだったのか。

そうは行っても「お尻のアップから始まって人物が奥に進んでいく」とか岡本喜八らしいカットがいくつか見られた。

そしてザバール国の惚れ薬(興奮剤)が小道具として効いていて、ダゴンは酒が飲めないのでいつもオレンジジュースを飲むのだが、宝田が旅館の仲居さんに「この薬を男の人に女性(和子のこと)に飲ませてくれ」と頼んでおいて、仲居さんはついオレンジジュースの方に入れてしまう。
そしてダゴンに薬が効いてしまうという展開。
ここは笑った。

結局は吉本は商談を成立させ、逆にオリバーカメラに話を持って行って部長になる。(しかしよく考えてみれば吉本が邪魔しなければオリバーと契約するだろうから、部長待遇はちょっと甘すぎる気もする)

途中クラウンカメラの(俗にいうバカチョンカメラ)が左手の下の方でフィルムの巻き上げをしていた。
あれ上下逆に持ってるというギャグなのか?それともそういうカメラもあったのか?
ちょっと気になった。







白衣の妹 無防備なお尻


日時 2018年6月17日19:45〜 
場所 光音座2
監督 加藤義一
製作 OPPICTURES


温泉のある小さな町。この町で父親が残した家に独りで住む絵里(桜木優希音)はこの春念願かなって看護師になり、地元の藤村病院に就職した。
藤村先生(山本宗介)はかっこよくてあこがれてしまう。肩をもんでるときもつい妄想してしまう。だが家に帰ってびっくり。何年も前に家出した姉の良江(しじみ)が帰っていた。父親の葬式にも帰らなかった姉を絵里は嫌いだった。しかも今回は男にフられたから帰ってきたという。
ある日、中学時代の同級生だったお金持ちのお嬢様、通称お嬢(松下美織)とガリ勉だった通称ガリ(櫻井拓也)と出くわす。
藤村先生はお嬢の元に往診に行く。そこではお嬢は藤村に迫っていて、藤村もそれを受け入れる。
ガリのことは何とも思ってないが、優しくしてくれて心地いい。
家に帰ってみると姉の男がいるではないか!男の方は妻と別れて姉と一緒になるという。
姉と喧嘩した絵里は家を飛び出し、ガリの家に泊めてもらう。酒を飲んで絡む絵里をガリは優しく受け止めてくれた。
ある日、藤村先生とお嬢がキスしてるところを見てしまう絵里。


加藤義一の新作。
櫻井拓也さん出演なので拝見。今日は光音座1、2をはしごした。こういうことも久しぶりだ。

主人公がかっこいい医者の先生にあこがれるが、結局はフられて、自分を見てくれてるちょっとダサいけど優しい男と結ばれるって月並みな感じだけどいいですね。
共感します。
櫻井さんはこういうちょっとさえない青年の役が似合う。
ラストで橋の上で告白するシーンがあるが、櫻井さんがかっこいい。

あと絡みのシーンでは姉の連れてきた男との絡みで男が「どM」なので、ペニスバンドでアナルを犯されたり、乳首を洗濯ばさみでつねられたりするシーンがあってなかなか変化球。

またガリが今はヘルパーの仕事をしてるが、その訪問相手の家に絵里も行くのだが、足を怪我してる人(たぶん小滝正大)で、絵里に「モデルになってくれ」とせがんで裸になってもらうとか、藤村先生との妄想Hとか飽きさせないパターンになっていた。

また長野の田舎町で撮影したらしいが、その山がバックにある田舎の風景が作品に彩りを添えている。
面白かった。




異常飼育 ワイセツ性交


日時 2018年6月17日18:45〜 
場所 光音座2
監督 山崎邦紀
製作 

エロ漫画家、月野こよみはある日、「あと7日で世界は終わる」と暗示を受ける。
姉は精神科医をしているが、姉の患者でもある雑誌の編集長を紹介される。彼はこよみに「まだ何か出してないものがあるんじゃない?」ともっと自分をさらけ出すことを勧められ、参考にとある秘密クラブを紹介される。
行ってみるとそこは男性が女装して楽しむ世界だった。編集長もいる。
編集長と姉は医者と患者の関係だけでなく、体の関係もあった。
姉は妹に様々なセックスを教えようと自分の患者との体の関係をビデオカメラを通じて見せる。
秘密クラブのオーナーはこよみの母親と関係を持っていた。


山崎邦紀監督作。
ゲイ映画だと腹が立つような私にはあわない作品が多いが、ピンク映画だと普通のフェチとか変態映画である。

この映画だと「あと7日で世界が終わる」と啓示を受け、それが後押しして今まで経験してなかった性の冒険をしてみるというわけ。
で、その7日目に何が起こってオチをつけるかと思ったら、その辺はなんとなくスルーした。
がっかり。

あと女装も「男の娘」ならまだビジュアル的に許せるがおっさんが女装しててもキモいだけのような気がしてピンク映画としてはいかがかと思う。
その辺の感覚が理解できないなあ、山崎監督は。





熱き心を


日時 2018年6月17日15:30〜 
場所 光音座1
監督 スワナ・ペン 青柳一夫
脚本 小林悟
製作 OP映画


やくざの下田組幹部3人が殺された。抗争相手の門馬組を取り調べる大木刑事。親友の小堀刑事もこの事件の直後に失踪しており、親友の大木は大いに気にしていた。
下田組の組長飯田は男好きでタイの少年を使って麻薬の運びを行わせていたという情報を得る。
大木は小堀もタイに行ったのではないかと推理する。すべての始まりはタイと確信した大木は単身タイに向かい、飯田の使っていた少年を発見する。
しかし少年はあちこちに登場する。現地の刑事の話では彼らは双子だという。
大木は寺院で小堀を発見した。


小林悟脚本で監督はスワナ・ペンと青柳一夫という知らない人。
今までゲイ映画で海外ロケ作品を見たが、どれもこれも映画以前の出来で「なんじゃこれ?」という映画ばかり。

本作もその予想を裏切らない。
完全に手抜き映像の連続。説明せりふは多いし、飯島組長のことを後輩刑事が大木に報告するときに「このあたりのバーで飲んでました」と新宿2丁目のネオンにナレーションをかぶせる手抜き。

そしてタイに行くのだが、別に向こうの役者とか使ってるわけじゃないし、風景を適当に手持ちカメラで撮ったのを、連れて行った大木役の役者を隠し撮りで撮ってる感じ。
向こうの刑事とレストランで会話するシーンがあるが、明らかに隠し撮り。

タイの寺院で小堀らしいのを見かけて、その後彼の事務所に訪ねていくシーンで、なぜかタイの踊りのショーのステージのカットをカットバック。
意味解らん。

そんで出てきた男が小堀なのかどうかよく解らない。
その後、例の双子の少年がクスリを打たれて犯されるシーンがあるが、これをしてる男は誰?小堀なの?
よくわかんないよ。

この絡みのシーンも少年たちも上半身シャツを着たままでズボンをおろした状態で犯されたりしてよく見えない。
あのさあ、ゲイ映画なんだから男の裸はちゃんと写しましょうよ。
小林悟(今回はクレジット上は脚本だけだけど)は男の裸を写したがらないから好きでない。

そして最後にやっと小堀と大木が対面するのだが、小堀が「聞いてくれ、この子たちは革命の名の下に起こった戦争で犠牲になった子供たちなんだ。俺はこの子たちのためにまだまだやらねばならないことがあるんだ!俺はもう死んだと思ってくれ!」という。

は?
急にここで社会派になられてもねえ。
何考えてるのかさっぱり解らないよ、小林悟は(だから今回は脚本だけだって)。

縄と男たち2 男地獄の使者(メッセンジャー)


日時 2018年6月17日14:30〜 
場所 光音座1
監督 片岡修二
製作 ENK


多摩川で首を絞められた若い男の死体が発見された。肛門に挿入の跡があり、男同士の性行為が見受けられる。
週刊誌記者の桐生(南城千秋)は上司からこの事件の取材を命じられる。
被害者はろくめい館というSMクラブの常連だったことしか解ってない。
とりあえず取材のために桐生はその店に行ってみる。そこでは男同士のSMショーが行われていた。衝撃を受ける桐生。その客の中にサングラスをかけた男(下元史郎)が気になった。
店が終わった後に若い従業員(津川たかし)に「事件のこと何か知ってる?」と聞いてみたが、彼は知らないと言う。家に帰っても今夜のSMショーが頭から離れない桐生。
その後、ろくめい館に通う桐生。ある日、帰りに例のサングラスの男につけられ、怖くなったので、もう一度ろくめい館に帰る。例の若い従業員に「じゃあうちにくる?」と言われ、ついいていく桐生。
彼はモデルガンが趣味でサバイバルゲームもやっていた。彼に誘われるままにSMプレイでM役をやってみる桐生。その楽しみを知っていく桐生。
ある日、店が終わって桐生はその従業員と帰ろうと襲われ拉致された。
倒れていた従業員を助けてくれたのは例のサングラスの男。
実は彼は刑事でろくめい館のオーナー(池島ゆたか)が今回の事件の犯人と追っていたのだ。
従業員に案内してもらいオーナーの部屋に駆けつける刑事。
殺されかけたところを間一髪で桐生は助けられた。


話は全部書いた。
ミステリー、アクション系の作風の片岡修二。今回の作品でもその作風は乱れない。
最初は「サングラスの男が怪しい」と思わせて、でもきっと違うんだろうな、と思っていたらやっぱり刑事で裏切らない。
それほど高度なミステリーは求めてないから、十分である。
そしてこういう時にはやっぱり下元史郎が登場する。

最後の最後で事件が解決した後、桐生が家にいるときに皮マスクの男に後ろから襲われる。書き忘れたけど、殺人事件の犯人はプレイの時に皮マスクをするのだ。
それで(ちょっとだけ)ドキッとさせて、マスクを取ると今や恋人になったSMクラブの従業員だった、というオチ。

SMって小道具があって絵になるし、SMの絡みも多く、話も退屈しないし、十分おもしろかった。

主役の南城千秋は顔は普通だが、脱ぐと締まった体が美しい。
冒頭に工藤克己がゲスト出演するのがよかった。








不道徳教育講座


日時 2018年6月16日17:00〜 
場所 学び舎 遊人
監督 西河克己
製作 昭和34年(1959年)


某県山城市。ここでは道徳教育の見本都市として文政省にアピールし、その交付される補助金1000万円を目的としていた。今度若き事務次官・相良(大坂志郎)が今度視察にやってくる。
同じ頃女をだまして刑務所に入っていた藤村(大坂志郎)が出所した。しかしかつての仲間・小島(佐野浅夫)たちは藤村が刑務所に入る前に独り占めした金を得ようと狙っていた。
とりあえず逃げようと列車に乗った藤村は、自分とうり二つの男・相良がいるのを発見する。相良と成り代わる藤村。そうとも知らず小島たちは相良を拉致する。山城駅で降りようとしたとき、山城出身のスター大月麗子(月丘夢路)が同じ列車に乗っていてその歓迎の騒動に紛れて藤村は脱出する。
相良を見失った市長たちは大慌て。市は今や芸者屋を休業にさせ、肉体映画を上映する映画館には看板を撤去させるという徹底ぶり。
しかし山城市も学校の校長・朝吹(信欣三)は教科書会社からリベートをもらい、その妻(三崎千恵子)は市の運転手によろめき、長男は東京で「女を何人も泣かせた」とプレイボーイを気取り、娘は処女券を三角九時にして1枚1000円で売り、次男はミステリーマニアで完全犯罪殺人を計画している。いったいどうなる?


三島由紀夫原作映画。友人のイベントで上映されたので鑑賞。
原作は未読だが、ストーリーのある小説ではなく、エッセイのようだ。
「弱い者をいじめるべし」とか「人に迷惑をかけて死ぬべし」というタイトルで道徳をアイロニーとして書いていたんだと思う。(未読だけど)

そんな週刊明星に連載されたエッセイを映画化。小説でなくても映画化する当時の映画界のエネルギー(あるいはでたらめ)を感じる。
余談だが歌謡映画、というヒット曲を映画にするジャンルもあったしな。

映画は軽喜劇という感じで進んでいき、肩の凝らない映画だった。
大坂志郎が主演だし、白黒だから添え物映画だっただろう。

三島由紀夫ってその後半の盾の会、とか自決とか今では右翼界隈では「神」の扱いを受けているが、当時はまだ普通の流行作家だったんだな、と思う。
冒頭とエンディングに三島がちらっと出てきて話す。
こういうところからもマスコミに顔を出すのは好きだったのだなあ、と思う。

映画の方は可もなく不可もない、軽い映画で楽しめた。
役者陣も他に岡田真澄、藤村有宏、高品格、柳沢真一などが登場。





空飛ぶタイヤ


日時 2018年6月16日11:20〜 
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン7
監督 本木克英


東京の赤松運送は従業員80人の中小企業。整備工場から始まった会社だが、前社長の代で運送も始めていた。ある日、赤松運送のトラックの前輪が脱輪し、そのタイヤに当たって子供連れの母親が亡くなった。
社長の赤松(長瀬智也)は最初は整備課の不備を疑ったが、担当者が決められた項目以上の点検を行っていたと知る。また群馬県で同様のタイヤの脱輪事故があった。その会社野村陸運を訪ねてみると社長(柄本明)はトラックメーカーのホープ自動車の欠陥の可能性を指摘した。
赤松は販売店から本社の担当者は販売部カスタマー戦略課・沢田だと教えられる。沢田を訪ねる赤松だが、全く対応してもらえない。
沢田自身も赤松のことを単なるクレーマーだと思っていたが、社内の品質保証部の動きに不穏なものを感じ、同期の車両製造部の小牧(ムロツヨシ)に相談する。小牧も社内のつてを頼って後輩の杉本(中村蒼)を巻き込む。どうやら社内でリコール隠しが行われてるようだ。
ホープ自動車は経営計画が思うように進まず、同グループのホープ銀行に追加融資を求めていた。だが担当の井崎(高橋一生)はホープ自動車のずさんな経営計画や、友人の週刊誌記者榎本(小池栄子)からリコール隠しの噂を耳にする。


最近の流行作家、池井戸潤原作。池井戸作品はほとんど読んだことはないが、話題なので知ってはいた。昨年の10月からTBS放送された「陸王」を見てその面白さを知り、こちらは原作も読んだ次第。
(「陸王」は役所広司や山崎賢人出演だったのが観るきっかけだったが)

今回も中小企業が主人公。日本の企業のほとんどが中小企業だから読者の共感を得やすいのだろう。大企業の社長ってイメージがわきにくいけど、中小企業なら社長でも身近な存在だ。
そんな身近な存在が大企業に戦っていく姿は我々中小企業サラリーマンには共感が沸く。

途中、赤松や沢田の話になってくるので「被害者のこと忘れてないか?」と思ったらちゃんと話はそちらにも戻る。

この後ホープ自動車は沢田が内部告発をしようとするが栄転で口封じ。赤松には事故の証拠となる部品を返却せずに「補償金1臆円」を出そうとする。しかし赤松は拒否。メインバンクのホープ銀行からも融資をストップされ窮地に陥るが、同様の事故を経験した全国の運送会社を歩き、赤松は重大な情報を仕入れ、それがきっかけとなって、小牧や杉本も動き、ついには警察の強制捜査、責任者の狩野常務(岸部一徳)の逮捕となる。

ちょっとハッピーエンド過ぎて面はゆいのだが、これぐらいの方がいいのか?
ネクラな私としては山崎豊子の「正義は勝たない」的ラストも好きですが、本作もおもしろかった。

こういう大人の映画は年に1本ぐらいは作って欲しい。
何度も同じことを言うけど、イケメンの少女マンガ実写化もいいですが、それだけではいやです。やはりいろんな映画があって欲しい。






佐藤家の朝食、鈴木家の夕食


日時 2018年6月14日 
場所 amazonプライムビデオ
監督 月川 翔
製作 平成25年(2013年)


佐藤家は2人の母、晴子、平田彩(つみきみほ)、拓海(山崎賢人)の3人暮らし。晴子と彩は同性愛カップルで拓海は晴子が産んだ子だった。
高校2年生になった拓海は学校の授業で遺伝子について習ったこともあって、自分の出生、父親について悩むようになっていた。
そんな時、向かいの家に鈴木家が引っ越してきた。鈴木家はカメラマンの裕之、養子の省吾、娘のそらだ。晴子は「お近づきに」と夕飯のすき焼きを6人で食べることに。
裕之は自分たちがゲイカップルで省吾は戸籍上は義理の息子だが、実際はパートナーだという。
ある日、自分の出生が気になった拓海は晴子の弟の圭一に「俺の父親って誰?」と聞いてみた。圭一は迷いながらも教えてくれた。彩と晴子は自分たちの子供が欲しいと思い、「どちらとも血のつながった子供が生まれてくるように」と圭一の精子を彩の卵子に受精し、晴子が代理出産したのだという。
学校で種なしスイカの話を聞いた。それは人間の都合で生まれてきた自然には存在しない果実だ。自分も親の都合で生まれてきた本来生まれてはいけない者だったのではないか?


この春のドラマではテレビ朝日の「おっさんずラブ」というゲイカップルのラブコメが話題になった。
土曜日の深夜放送だったので、視聴率としては大したものではなかったらしいが、見逃し配信(最近のテレビドラマは放送が終了してもしばらくはテレビ局のサイトで無料配信されるのだ。おそらくは「見逃したから次から観るのを止めよう」とか「話題になってるのでおもしろそうだけど途中から観るのはためらわれる」という人のためだろう)は新記録だったらしく、新しいジャンルとして注目を浴びている。

で肝心のこのドラマ。その「おっさんずラブ」を配信で観たら関連作品として紹介され、ゲイ、レズカップルの子供の話で興味深いし、何しろ主演が山崎賢人である。「L・DK」の前でまだ少女コミックの実写化の常連になる前だ。

うーん、いろいろと意見がある作品だと思う。101分の作品で映画的なフォーマットだが、実際はBSジャパンで放送されたテレビドラマだという。ミニシアターで上映しても十分な作品だ。是非所有したい映画だが、配信では各社で観られるが、DVDなどの商品化はされてないようだ。
もったいない。主演が(まだブレイクする前の)山崎賢人だからそれなりに売れそうだが。

映画の中で彩が「同性愛だって好きな人と子供を持ちたいと思うのは自然でしょう?子供を望んでなぜいけないの?」と問う。
正直言うと私は同性愛カップルには子供は持つべきではないと考える。
ただしこれは「私が当事者だったら」という前提なので、私以外の同性愛カップルに対して強制するつもりはない。
私自身がやっぱり男と女が両親であった方がなにかといい、と思うからだ。
子供が学校でいじめられたり、不当な目に遭うのではないかと心配になるのである。子供自身が他の家庭と違って悩むだろう。

いや「いじめる方が悪い。うちは悪くない」という反論も成り立つ。
しかし世の中正論だけでは生きていけない。理不尽な、理屈が通らない要求をする人はいくらでもいる。

拓海の親友を山田裕貴が演じている。この友人が巨乳好きでいつもAVを勧めてくる。しかし拓海は興味がない。そしてその友人と何気ないときに手が触れ合うと妙に意識してしまう。
「自分はゲイなのか?」と気にしている。
友人の家庭は父親が別の女性に子供を作って今家庭内は離婚でぐちゃぐちゃである。街で偶然、その父親の女を見かけるのだが、巨乳だがデブ。それを見て拓海は「お前の巨乳好きは遺伝と解った」と言う。
(実際には「親子で嗜好が似る」というのは後天的、つまり同じ家に住み同じ食事をして、という同じ環境にいる中で育まれるものらしい)

実際に医学的根拠があるかどうかは解らないが、拓海は「性的嗜好は遺伝する」と考えているようだ。
だから「自分もゲイなのでは?」と気にしている。両親が同性愛者ならゲイを否定しなくてもと思う気がするが、高校生といえ、社会で生きている。社会が同性愛者を見る目は決して暖かくない。少なくとも両性愛者と同じではない。
だから拓海が「普通の家に生まれたかった」というのはよく解る。

そらの方だが、二人の父親を「お父さん」「パパ」と呼ぶ。彼女の中では全肯定で悩みはない。しかし彼女は学校に行ってない。はっきりとは描かれないが、彼女は中学時代にいじめにあって不登校になったようだ。
いじめの原因は二人の父親にあるのではないか?
表向きは二人の父親を認めていても、それは鈴木家の中だけで、世間では通じない。彼女は不登校になることで世間から逃げようとしている。

そして拓海が自分がゲイではないかと悩んでいることを知ったそらは「試してみる?」とキスをする。画面はここでフェードアウトだが、続く場面で拓海はそらとセックスしたようだ。
このことで拓海は自信を持ったようだ。

そらは裕之の知り合いのモデルが産んだ子で、父親は示されない。母親は早死にしてしまったようで。裕之と省吾とは血はつながっていない。
そらもそれを気にしていないようで、気にしている。二人の父親と両方の子供を産んで、血縁を作って「本当の家族になろう」と言い出す。
さすがに裕之に怒られるが、そらと拓海は家出をする。

結果的に簡単に見つかって二人はそれぞれの家に帰るのだが、それぞれの親の愛情に触れて思いなおしたようだ。
是枝裕和も何度も描いたように「家族をつなぐのは血ではない。一緒に作ってきた時間だ」という結論に落ち着く。

拓海とそらがこれから付き合っていくかどうかは不明だが、そらは学校に行きたいといいだし、それぞれ新しい一歩を踏み出したようだ。

男女が結婚したってうまく行くとは限らない。それは拓海の親友の家庭と比較すれば解る。案外脚本では最初は佐藤家、鈴木家、山田裕之の家庭の3つの家庭が平行して描かれていたのかも知れない。

出演者ではなんと言っても山崎賢人。去年のテレビドラマ「陸王」を見たときに「山崎賢人うまくなったなあ」と思ったが、本作もすばらしい。
そうなのだ。彼はもともと演技もすばらしかったのだ。
それが「少女マンガの実写化」という端正なルックスとわかりやすい演技が求められる企画ばかりだったので、彼の演技力が生かされなかったのだ。
彼のことを今まで低く見ていたことを恥じる。
初期の代表作と言っていいだろう。

見る人にとってもちろん賛否あるだろうけど、同性愛カップルの子供、というテーマを真っ正面からとらえたドラマとして、本作は賞賛に値する。
5年間もこの映画の存在を知らなかったことを深く恥じる。





羊と鋼の森


日時 2018年6月9日15:20〜 
場所 新宿ピカデリー・シアター6
監督 橋本光二郎


高校生の頃は将来の目標など何も無かった外村(山崎賢人)だが、学校のピアノの調律にやってきた板鳥(三浦友和)の仕事ぶりに魅了され、自分も調律師を目指すことにした。
東京の専門学校で2年勉強し、故郷の北海道の板鳥のいる楽器店に就職した。しかし気持ちばかり焦るがまだ何も出来ない。
ますは先輩調律師の柳(鈴木亮平)についてお客様を回ることに。
その中でお客さんとのコミュニケーションを取り、ただ調律すればいいのではなく、お客様の望む音を探ることの重要性を教えられる。
佐倉和音(上白石萌音)、由任(上白石萌歌)の姉妹の家のピアノも姉妹で求める音がちょっと違う。
そんな中で柳から「明日から一人で行ってこい」と言われ、新規の南という家のピアノを調律する。そこでの調律がうまく行ったことをきっかけに外村も自信をつけていく。
しかし佐倉姉妹がコンクールに出た後、「娘がピアノを弾けなくなったのでしばらく調律を見合わせます」と連絡が入り、自分の調律が何か悪かったかと悩む外村。
また板鳥が海外から来たピア二ストのための調律を行い、その仕事ぶりに感銘を受ける外村。


「氷菓」以来7ヶ月ぶりの山崎賢人作品。山崎賢人でなければみなかったよなあ。もう高校生役は卒業し、新人社会人の役だ。
「氷菓」と本作の間にテレビの「陸王」があった。これが就職浪人で就職活動をしながら父親の仕事を手伝って新製品開発を行う青年を好演し、「山崎賢人最高の出来」と思ったものだった。

本作は「陸王」ほどの追い込まれてはいないが、自分の仕事に迷いながら進んでいく姿は山崎の好青年ぶりがいかんなく発揮されたと思う。

実は自分もちょっと主人公たちと共通する部分もある仕事をしてるから解るのだが、お客さんの望むものを出せない時は自分の無力さを感じて悔しい。そういう時はごまかして帰ってきたりすることもあるのだが、まあその辺が私が所詮三流のゆえんだろう。

この映画の中で南のエピソードが一番好きだ。
このシーン、せりふはほとんどなく映像だけで説明される。南の家はゴミ屋敷寸前の荒れた状態。ピアノも10数年調律していない。
しかし彼が子供の頃にピアノ弾くと両親が喜んでくれたが、その両親は早くになくなったことが解る。そして南自身荒れた生活をしていたが、再びピアノを弾くことで生き直すきっかけをつかんだようだ。

そして佐倉和音がまたピアノの弾くために柳の結婚式でのピアノ演奏をする。その調律を外村がするのだが、家やコンサートホールとは違った、結婚式のパーティ会場での音の響き方に合わせた調律を学ぶというエンディング。

悪人は登場しないし、大きな事件があるわけでもないのでなかなか盛り上がりにくい内容ではあるけど、山崎賢人のピュアな新人感が際だつ映画だった。
よかったと思う。






飛び出す立体映画 イナズマン


日時 2018年6月5日 
場所 DVD
監督 山田稔
製作 昭和49年(1974年)3月公開


悪の帝王、バンバは今までイナズマンに倒された怪人たちを復活させ、イナズマンに襲いかかる。しかしもう少しというところで何者かがイナズマンを助けていった。
イナズマンに味方はいない。不思議に思ったイナズマンだったが、移動中に「飛行機が落ちる!」と予言する不思議な少女・ミチル(斉藤浩子)と出会う。
一方バンバは何者かに連れてこられていた。実は別の悪の軍団デスパー軍団が人類征服を狙ってバンバを配下におこうとしていた。
バンバは自分が人類征服の際は幹部にしてやる、という条件でイナズマンと組もうとしていた。
イナズマンはそれを断り、また誘拐されたミチルを助け、デスパー軍団を打ち破る。しかし再び戦いは起こるに違いない。


東映まんが祭りで公開のヒーローものの立体映画。
立体シーンは都合3回。
「赤影」「キカイダー」の時と同じく、右緑、左赤のメガネを使う。

立体シーンの前にイナズマンの変身前の姿が登場し、「さあメガネをかけて応援しよう!」という。
そこでメガネを持って登場するのだが、そのメガネは両耳にかけるタイプではなく、右手ように取っ手がついていてそれを目に当てるタイプ。
「ああこんな感じだったんだあ」と解る。

それにしても今回は「キカイダー」よりドラマ部分がなく、ほとんどが造成地のような崖のある裸の土地で怪人と戦うシーンばかり。
ファンでないから、32分の映画だが途中で飽きた。
しかし日本の立体映画の歴史にふれて、勉強になった3本だった。









飛び出す人造人間キカイダー


日時 2018年6月4日 
場所 DVD
監督 北村秀敏
製作 昭和48年(1973年)3月公開


悪の組織・ダークは東京大阪名古屋横浜札幌の五大都市破壊計画を準備していた。それには横浜ドリームランドに勤める秋月ユカ(上原ゆかり)の持っているペンダントが邪魔だった。
ダークは怪人マダラスナトカゲを送り込む。しかし恋人のヒロシが犠牲になってユカを助ける。
ユカはヒロシの思い出を求めて鳥取砂丘にたたずむ。だがまたしてもダークに襲われる。
同じ頃、父を探してミツコ、マサルの姉弟の鳥取砂丘にやってきた。父の光明寺博士は実はこの鳥取砂丘で働いていた。そこへキカイダーが現れ、ユカやマサルたちを救ってくれた。
ユカは横浜に帰る。しかし再びマダラスナトカゲに襲われる。そこで再びキカイダーに助けられた。トカゲを追い払った後、ユカが狙われるのはユカの持っているペンダントが原因だと解る。それは光明寺博士が研究したオールマイティ合金の工場の爆破装置だった。ダークの手に渡るのを恐れた博士が仕掛けたのだ。
ユカがそのペンダントを拾った場所にやってきたとき、ダークの怪人たちが大量に襲いかかってきた!


東映まんが祭りの1本。32分の短編。
キカイダーはタイトルは知っているが観ていないので、設定がよく解らない。光明寺博士ってのがキカイダーの開発者で今は記憶喪失になって旅をしているらしい。それを追ってミツコ、マサルも旅をしてるらしい。
横浜ドリームランドから鳥取砂丘ってまるっきりタイアップミエミエである。

しかも光明寺博士って鳥取のシーンの後、突然マイティ合金装置の工場の場所に来るし。
まあいちいちつっこむのは野暮ですね。

立体シーンは4回。最初にトカゲがユカたちを襲うシーン。(ここではキカイダーは登場しないので、トカゲが「勇気のある奴はめがねをかけてみろ!」という。
2回目、3回目は両方ともキカイダーとトカゲ怪人との対決。
ラストでは怪人軍団との対決の計4回。

立体シーンに入るタイミングには画面が「立体メガネをかけてください」と表示され、ナレーションも入る。

それにしても怪人たちが実にチープ。東映らしい造形なのだなあ。
73年と言えば「日本沈没」の頃だ。
こういう映画が公開されていたのは全く気づいていなかったな。




飛び出す冒険映画 赤影


日時 2018年6月3日 
場所 DVD
監督 倉田準二 山内鉄也
製作 昭和44年(1969年)7月公開


豊臣秀吉がまだ木下籐吉郎だった頃、琵琶湖の南で金目教という怪しい宗教がはやっていた。
飛騨の忍者赤影(坂口祐三郎)は青影(金子吉延)をつれてその地に向かう。そこで鉄の棒を武器にする坊主と渡り合う。
坊主が消えた後の血の後をたどっていき、逃げた場所に向かう。そこにあった五重の塔からまたしても敵が現れた。敵はガマの怪物を出現させる。
赤影はいなくなった青影を追って行くと湖の上で小舟に乗った青影を発見。しかしそれも敵の罠。赤影は鉄の糸を張って舟に近づこうとする。
しかし空から敵が攻撃してきた。万事休す、の時に大凧に乗った白影(牧冬吉)参上。赤影は窮地を脱する。
そして竹中半兵衛より堺から運ぶ鉄砲の輸送隊がおそわれるという情報が入る。白影は一人輸送隊の護衛に向かう。しかしそれは敵の罠だった。
3人をバラバラにして一人ずつ倒す作戦なのだ。
何とか窮地を脱した白影。
その頃、赤影たちはなんとか金目教の本拠地に到達した。金目教の巨大な本尊が立ち上がり、赤影たちに襲いかかる!


東映まんが祭りの1本として公開されたテレビシリーズ「仮面の忍者 赤影」の劇場再編集版。上映時間51分。
立体映画として公開された。

当時の立体映画は右が緑、左は赤のサングラスをかけて鑑賞。私が観たDVDは付録としてこのサングラスがついていた。
もっともこの映画では最初に赤影が登場し、「君も仮面を付ければ忍者の世界が体験できる!」と教えてくれるから、公開時に配られたのはめがねタイプではなく、赤影の仮面のような形状をしていたのかも知れない。

んで普段はめがね(仮面)をかけないで観て、ここから立体!というと言うときに赤影が観客に向かって「さあ仮面を付けて!」と言ってくれる。
んで画面は「ここから仮面をつけてください」と出てくる。
(今アマゾンのネット配信でも観られるらしいが、この立体シーンは白黒になっているらしい。要確認)
立体シーンが終わると「仮面をはずしてください」と出る。

立体シーンが再撮影されたようで、普段のドラマはテレビの再編集らしい。だから最後の金目教の本尊との対決では今まで登場していなかった娘が出てきて襲われる。

この立体シーンは最初の坊主の対決(棒が目の前に延びてくる)、巨大ガマとの対決、鉄下駄を履いた怪人と白影の対決、最後の金目教との対決と合計4回ぐらいある。
はっきり言っておくが緑と赤のめがねをつけても立体効果は感じないし、色がおかしくなるだけだ。3Dは後の「アバター」ぐらいまで待たないとね。
(しかし3Dそのものが必要?という根本的な事情にぶつかり、最近はめっきり減ってきた。たぶん今後はVRになって3Dは消えていくんじゃないかと思う)

赤影そのものだが、「そんなアホな!」とツッコミを入れたくなるような忍術のオンパレードで、大人になった今は苦笑しながら観るしかない。
子供の頃は嘘と承知で楽しんでいたかなあ。
私は渋いおじさんの白影さんが3人の中ではでは一番好きでしたね。

赤影とか緑と赤の立体メガネとか何かと懐かしいアイテムの映画でした。
(ちなみに70年代には「オズの魔法使い」のテレビ版で一部立体にしていた。それ以降、続かなかったけど)





万引き家族


日時 2018年6月3日16:20〜 
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン4
監督 是枝裕和


東京の下町で暮らすある家族。家は今にも壊れそうな古い平屋だ。そこに治(リリー・フランキー)、信代(安藤サクラ)、祥太(城桧吏)、初枝(樹木希林)、亜紀(松岡茉優)の5人で住んでいる。彼らは初枝の年金を当てにし、治も日雇いで信代もクリーニング工場で働いている。しかし足りない分は万引きで補っていた。
ある冬の夜、団地の廊下で一人の少女がたたずんでいた。この子がそこにいるのを何回も見たことのある治と祥太、治はつい「コロッケ食べる?」と声をかけ、家に連れてきてしまう。
少女は名前をユリと名乗った。あまり幸せでないらしいユリを見かねて一緒に暮らすようになる。
ある日、ユリがテレビのワイドショーで紹介されているのを見る。世間は行方不明の少女を親が殺してしまったと思ってるらしい。
治は工事現場のけがでしばらく働かなくなってしまう。


是枝監督の新作。去年の秋に「三度目の殺人」だが、1年たたずに新作だ。しかもこの5月、カンヌ国際映画祭でパルムドール受賞。
6月8日公開だったが、この2日3日の2日間先行公開だ。
21年ぶりの日本映画パルムドール受賞ということでなにやら良くも悪くも騒がしい。
(「悪くも」というのは「『万引き家族』で海外で賞をとるとは何事だ!日本人が万引きばかりしてるようじゃないか!」とバカ、アホとしか言いようのない批判があるのだな)

そんな感じで待ちきれなくなって観た次第。
一言でいうと「よかった」である。

一緒に暮らしているこの5人、実はどういう関係なのかはっきりしない。
初枝が自分の夫がかつて新しい女と暮らし始めて生まれた家族の元に行く。一応月命日だから、という理由で。それも嘘では無かろうが、金を3万円ほどもらって帰る。その家にあった写真に亜紀が写っている。この二人はそういう関係である。

後半になって祥太は車の中から助け出された、それも炎天下のパチンコ屋の駐車場から助け出されたらしい。
信代はかつて風俗で働いていて、治はその客だったのだ。しかもどうやら信代の夫の暴力から助けるために夫を治は殺したようだ。

このようにみんな世間から捨てられた人々である。そういう人々がたまたま偶然に集まって暮らしている。
そういう人だって生きていく権利はある。親から捨てられた子供たちだが、信代の言葉を借りれば「選ばれたのかもね」。今度は親を選ぶ権利はある。

血のつながっていない家族だが、実の家族以上のつながりを持ってくる。
ラスト、祥太の乗ったバスを追いかける治の姿は「チャンプリンのキッド」である。

捨てられた子供(「誰も知らない」)、自分から去っていった相手の孫(あるいは子供、「海街dairy」)、家族のつながりは血だけではなく一緒に作ってきた時間(「そして父になる」)という今まで是枝裕和が描いてきたテーマをすべてぶち込んだ傑作だ。

リリー・フランキー、安藤サクラ、松岡茉優、樹木希林、そして新人、城桧吏が全員すばらしい。
この5人が今年の映画賞を総なめするのではないか?
特に安藤サクラが池脇千鶴の刑事に「お子さんからなんて呼ばれてましたか」(刑事の質問は子供たちはあなたのことをどう思っていたか、を聞きたいのだが)それに間を取って涙を流し「どう呼んでいたかしらね」というシーンはすばらしい。
安藤サクラのすごさを改めて観た。

あと亜紀は風俗店で働いている。その常連客に池松荘亮。どうやら吃音者らしいのだが、その孤独感がそれだけで伝わってくる。孤独な魂は孤独な亜紀には理解出来たようだ。

また祥太がたびたび万引きをする雑貨屋の主人の柄本明。子供の万引きを知っていて見逃している。でも最後に「おい、これをやる。妹にはやらせるなよ」というシーンは出番は少ないながらも印象に残る。

最後に新人、城桧吏。第2の柳楽優弥という声もあるようだが、たしかにちょっと似ている。今後の活躍に期待がかかる。

最後にもう一度。よかった。




友罪


日時 2018年6月3日13:10〜 
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン11
監督 瀬々敬久


益田(生田斗真)は鈴木(瑛太)という男と埼玉のある町工場で見習いとして働き始めた。益田はかつては週刊誌のジャーナリストで「すこしでも不正のない世の中にしたい」という気持ちを持っていたが、上司が自分の記事を単なる扇情的な記事にしてしまったことが元で喧嘩し退職していた。
鈴木とともに会社の寮に入る益田。寮と言っても単なる一軒家。先輩の清水は得体の知れない鈴木の部屋を「家宅捜索!」と言って合い鍵で平気で部屋に入るような男でどうも好きになれない。
鈴木は街で美代子(夏帆)という女性と知り合う。彼女はDV癖のある男(忍成修吾)からストーカー的なつきまといを受けていてそれを助けたことがきっかけだった。
タクシー運転手の山内(佐藤浩市)は息子がかつて人を殺してしまい、その償いで心がいっぱいだった。
益田は工場で不注意から怪我をして指を切断した時の対処がきっかけで鈴木と打ち解け出す。
しかしジャーナリスト時代の恋人から清美(山本美月)から14年前の「幼児連続殺害事件」について相談を受ける。その犯人は今起こっている殺人事件と同一犯ではないのか?
益田は14年前の事件をネットで調べてみる。すると犯人の少年Aは鈴木とそっくりだった。果たして鈴木は少年Aなのか?


瀬々敬久監督、生田斗真主演。「自分の同僚はかつての少年Aなのか?」と疑うミステリーかと思ったら、予想以上にヘビーな映画だった。
予告編を観て佐藤浩市が瑛太の父親役なのかと思ったらさにあらず。
彼らの事件は全く別である。山内の子供は無免許で交通事故を起こし、小学生を3人もはねたのだ。

そしてその息子が今度結婚したいと言い出す。
果たしてそれは許されるのか?
益田の調査で鈴木はかつての少年Aであると明白になる。
それだけではない。益田もかつて中学時代に友人のいじめに加担してしまい、彼を死なせた罪を背負っている。
自分は生きていていいのか?幸せになってもいいのか?

「加害者の人権ばかりいうが被害者の人権はどうなってるんだ!」という世間の声がある。オウム事件、神戸の児童殺傷事件(この映画の鈴木の犯罪のモデルだ)などが起こってから厳罰化の風潮が強い。
世間は正義が大好きで不正を見逃さない。(その割には相手によるのだが)

その意見も理解しよう。しかし少年犯罪の加害者はまだ若い。自殺でもしない限りこれから何十年も生きていかねばならない。
人は何があっても、何をやってもやっぱり生きていかねばならない。
そんな人は笑ってもいいのか?ということです。

ラスト、鈴木も益田も鈴木は最初の事件現場、益田は友人の自殺現場に向かい、それぞれの気持ちの整理を付けようとする。
そのときいお互い全然違う場所いいるはずなのにお互いの視線は交錯し、それぞれ誰かがやってきたことに気づく。このカットバックは益田と鈴木がお互いを友人として必要として認め合うように見える。

しかしそれぞれ誰かがその場所にやってきて、それぞれを必要としているようにも見える。益田には清美が、鈴木には美代子だ。
映画としては生きていくことが、幸せになってもいいと結論づけされているように思う。
その意見には賛成する。

人は何をしても何があっても生きていかねばならない。





英霊たちの応援歌 最後の早慶戦


日時 2018年6月2日17:20〜 
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 岡本喜八
製作 昭和54年(1979年)


昭和18年、太平洋戦争の戦局は悪化し、野球もアメリカの競技ということで文部省から禁止されようとしていた。そんな中、早稲田大学野球部に慶応義塾大学から「最後の早慶戦を!」と申し入れがあった。慶応側は承知していたが、早稲田側は許可を出さずに最後は黙認、という形を取った。
早慶戦も終わり、学生たちは入隊していった。大学生上がりだということで海軍兵学校出身者からは下に見られていた。
やがて戦争は激化し、硫黄島玉砕、そして沖縄戦が行われていた。
そんな中、学生たちは次々と特攻へ出撃していく。


東京12チャンネル(現・テレビ東京)の開局15周年記念映画。
テレビ東京は後発だとは知っていたが、この頃はまだ15年だったんだ。
とは言っても他局も昭和30年前後に開局だから、まだ20数年だったんだ。東京12チャンネルもこの頃はまだ東京の地方局で全国ネットはしていない。
後のテレビ放送が前提だから画面サイズはスタンダードである。

うん、でもその決して悪い映画だとは思わないのだが、こちらが「岡本喜八作品」ということでハードルを高くしているせいか、映画に乗れないのだなあ。
この70年代は(あくまで私見だが)岡本喜八の低迷期なのだな。

特攻隊で死んでいく若者、という岡本喜八向きな題材だと思うが、「肉弾」ほどの自由度が与えられなかったのか、きまじめすぎる、というか恥けっぷりが足らない。
永島敏行の家のお手伝いさん(大谷直子)が永島を追って土浦の食堂、台湾で遊郭の女中、そして九州では女郎になって追いかけていくエピソードは「戦争と人間・完結編」の北大路欣也と夏純子を思わせる。(脚本は山田信夫と岡本喜八の共同)

ちなみにその台湾のシーンだが、学徒兵の仲間と女郎屋に行くのだが、その中に役所広司らしい人がいる!
アップはないし、ピントはあってない位置にいるのだが、あの頬骨の感じが似ている。39年前の映画だから役所広司も20代前半だ。気になってエンドクレジットをよく見たら、やっっぱり役所広司の名前があった。
間違いなかったようだ。

この映画、学生時代にたぶんテレビ放送でも見ている。
その時に慶応の学生が銀座通りの店の地図を書き、店の名前を埋めていくというをしていて、出撃する直前にわからなかった最後の一軒を思い出す、というシーンはよく覚えていた。
どうでもいいことだが、案外こういった「ちょっと気になる」が人生には重要だと思わされたシーンだった。

あとは岸田森、今福正雄、中谷一郎などの岡本組常連が脇を固める。
(高橋悦史や天本英世はいなかったな)
決して悪い映画ではないのだが、この頃の岡本喜八はなんというか元気がない、迫力がない、勢いがない、という感じがしてイマイチである。







妻よ薔薇のように(家族はつらいよV)


日時 2018年6月2日13:45〜 
場所 新宿ピカデリー・シアター5
監督 山田洋次


横浜の東急田園都市線らしい平田家。平田周造(橋爪功)は趣味のゴルフ、妻(吉行和子)はカルチャーセンター通いと忙しい。長男・幸之助(西村まさ彦)は商社勤めで、今日から香港にクレーム対応で出張。
そして周造夫婦が実家の墓参りで瀬戸内海の田舎に帰った。そんな日々に幸之助の妻・史江(夏川結衣)が二階で掃除中にうたた寝をしている時に泥棒に入られた。被害は冷蔵庫にしまってあった史江のへそくり約40万円。
仕事がうまくいって上機嫌で帰ってきた幸之助だったが、妻がへそくり40万円貯めていたことを知り激怒。さらにうたた寝をしている最中の出来事だったので「俺が仕事で大変な時に昼寝か!いい身分だな!」と言ってしまう。
それを聞いた史江は家出してしまう。
周造たちは帰ってきてびっくり。家が荒れている。史江がいないとこの家は回らないのだ。
次男の庄太(妻夫木聡)は幸之助に史江さんに謝って帰ってきてもらうように頼めというが、幸之助は「なんで俺が謝らなきゃいけないんだ!」と取り合わない。
果たしてどうなる平田家!


「家族はつらいよ」シリーズ第3弾。意外と続くな、このシリーズ。
見終わって感想を一言で言うと「推定年収1500万円の家庭にも悩みはあるだろうし、その悩みも理解できるが、年収400万円以下の私には共有は出来なかった」ということ。
完全にずれまくってるよ、山田洋次は。

「主婦の家事労働がいかに大変かを描きたかった」みたいなことを山田洋次は抜かしているが、それを知らないのはあなただけだよ。
山田さんなんかは映画監督としては(少なくとも収入的には)苦労はなかった方だろう。
松竹で「男はつらいよ」シリーズで十分安定した収入はあったはずだ。
(もちろんずっと作らされるご苦労、不満はあったろうけど)

そもそもああいう専業主婦をやってるなんて実に収入的には恵まれてるだろう。もちろん横浜郊外にあれだけの家があればローンだって安くないだろうし、子供たちだって中学高校で金もかかるだろう。
それにしたって外に働かなくなってなんとかやっていける家庭である。
いやもちろんそれはそれで私にはわからない苦労もあるだろうが。

だからさ、こういう専業主婦で三世代同居で働いてるのはお父さんだけ、という家庭は今でも多いのだろうか?いやないとは言わないが、富裕層なのだろうなあ、幸之助なんか会社では部長クラスで年収は1500万円ぐらいなのだろうなあ、と完全にうらやむだけである。

それに史江がやってみたかったことって「フラメンコ」だよ。
史江がいくつの設定かわからないが、40代後半として高校生は30年前だ。80年代後半でももうフラメンコははやりじゃなかったよ。
どんだけセンスが古いんだ、山田洋次は。

観客層は60〜70代の夫婦らしき人が多く、私なんか完全に「ナウなヤング」
文句ばっかり言ってるこのシリーズだが、何で観ちゃうかというと妻夫木聡と蒼井優夫婦がみたいから。
ラストで蒼井優の妊娠が告げられ、次回は子連れとなるようだ。






OVER DIRVE オーバードライブ


日時 2018年6月1日21:20〜 
場所 TOHOシネマズ新宿スクリーン11
監督 羽住英一郎


日本全国を転戦して行われるラリー競技。スピカレーシングの檜山直純(新田真剣佑)とシグマレーシングの新海彰(北村匠海)が首位を争っていた。そこへスポーツエージェントの会社から遠藤ひかる(森川葵)がスピカの担当として配属される。
スピカは直純の兄・篤洋(東出昌大)が整備を担当していた。車に負担をかけずに競技を優先させる篤洋と常に全開で行く直純は常に対立していた。
スピカとシグマの争いは一進一退を繰り返していた。直純はマニラでの配敗戦の晩、パーティの席で勝った彰と喧嘩を起こしてしまう。
しかし彼のいらだちの元凶は幼い頃の初恋の相手を忘れられないことにあった。彼女は実は篤洋の方が好きだった。直純は彼女に振られた時に「兄には好きな人がいるんだ」と嘘を言ってしまう。彼女はその後、ボストンに留学、しかしそこで銃乱射事件に巻き込まれて亡くなっていた。
「俺が彼女を殺した」と直純は自分を責めていた。
最終戦、直純の車は先行した車がクラッシュし停車しているのに激突、湖に落ちてしまう。直純やナビは助かったが、車は大破している。しかし翌日のレースに間に合わせるため篤洋たちは必死で修理した。
翌日、その車で直純はレースに出る。


東出昌大、新田真剣佑、北村匠海というイケメン3人が活躍するカーレース映画といえば期待は高まる。
でもちょっと違うんだよなあ。

オープニング、遠藤ひかるが初めてラリーを観て驚くシーンなのだが、砂埃で車が見えなくなる。いやいや現実はそうかも知れないが、車が見えなくなっては面白くないでしょう。
路面に少し水をまくとか砂埃を少なくする方法はいくらでもあるはずだ。

まず主人公の直純が好きになれない。あんな素行不良の悪役のイメージはやはり主人公のライバルとして栄えるのではないだろうか?
「F2グランプリ」では3人のドライバーの描き訳がすばらしく、最後のレースでは誰が勝っても楽しめた気がする。

だから私がライターだったら、新海彰の方をスピカのドライバーにして、対立するシグマのドライバーに直純を置くね。兄弟で別チーム、という方がよくないか。
個人的にはまじめな新海の方がキャラとして好きだし。

そして遠藤ひかる。何のために存在しているのか解らない。
新人でレースのことは解らない、というなら、観客に説明するのを聞いてくれる、という新人キャラを生かして、もっとラリーのことを説明した方がいいだろう。
ラリーはレースと違って目の前で抜きつ抜かれつをするわけではないそうですから、その辺のルールをきちっと観客に説明するべきではないか?
ナビがノートの何を読んでいるのかを途中で説明されるが、もっと早くに説明されてしかるべきでは?
それにスポーツマネージメントならスポンサーとの軋轢、というシーンもあってよかったんじゃないか?

そして根本的にラリーのシーンが短すぎる。やたらとラリーシーンがあるが、どれも短い。まるでニュースのハイライトシーンだけを写してる感じがあるのだな。

これは手抜きではなく、車やエキストラ、コクピットのシーンなどはきちんと撮っているから、ラリーの最初から最後まで丁寧に描く、という気がないのだろう。ギャレスの「GODZILLA」も、ハワイ決戦はあっさりといて、最後のLA戦まで引っ張って丁寧に描いていたが、今回もそうするかと思ったら、それもなかった。

その辺が実に残念だなあ。

あと全体的にいえるのはキャラクターがたくさん登場する割には活躍が少ない。
ライバルの新海も、スピカオーナーの都築(吉田鋼太郎)も、直純のナビの片岡(佐藤貢三)、デザイン志望あったがメカニックに回されたと不満の増田、などなど魅力的なキャラクターが多いのにこれらが生かし切れてないんだよなあ。
上映時間が1時間45分なのだが、これだけのキャラを魅せるにはあと30分あってもよかったのでは?

面白くなりそうな要素が満載だったのに、どうも生かし切れなかった不満が残った。惜しい映画だと思う。