2018年12月

   
NAUGHTY BOYS
ニセコイ 吹けよ春風 けんじ君の春 カリガリ博士
スモーキング
・エイリアンズ
バニー・レークは行方不明 バスケットボール・トライアングル ミステイク
春待つ僕ら 来る 斬、 ハード・コア

NAUGHTY BOYS


日時 2018年12月30日12:00〜 
場所 Galaxy
監督 今泉浩一
製作 平成14年(2002年)


がっちゃんとたかゆきのゲイカップルは同棲中。しかしがっちゃんは浮気ばかりしている。がっちゃんは「1回だけの相手だし、遊びだよ。心まで移った訳じゃないからいいだろ」とたかゆきに言い訳する。
しかし今夜だけは許せない。今日はがっちゃんの誕生日だのだ。怒ったたかゆきは「僕も浮気してやる!」と夜の街に飛び出していく。
たかゆきに浮気して欲しくないがっちゃんも追いかける。
「誰かとセックスする!」と飛び出したものの、どうすればいいかよくわからない。とりあえずくっつけバーに行ってみるたかゆき。そこで隣の人を紹介されたが、実はタイプじゃない。二人で外に出た。でもいい人そうだから「お話だけでも」と思っていたら彼の頭の上にたらいが落ちてきた。いったい何が?実はがっちゃんが落としたのだ。
続いてたかゆきに「モデルにならない?詳しくは店で話そう」と言われて連れて行かれたのはぼったくりバー。覆面男が現れてここもなんとか逃げ出せたが、実は覆面男はがっちゃんだった。
公園でたかゆきが困っているとケイイチが優しく話しかけてきた。


今泉浩一監督作品。
8月上映の「伯林漂流」の再上映とあわせての過去作品の上映。
この「NAUGHTY BOYS」はオークラで吉行由美監督作「浮気なぼくら」として映画化された作品の脚本を担当した今泉氏によるセルフリメイク。
吉行作品に不満があったのだろう。(「僕は恋に夢中」は同じコンビでも名作なのだが)

正直言うけど、レベル低い。いかにも「素人の自主映画」という感じ。
今泉監督も後年「伯林漂流」という名作を作るのだから、その成長が解る。

特にたらいが落ちてくるあたりのギャグが全く笑えない。後のぼったくりバーのシーンとか、謎の易者が出てくるあたりとか、公園でこの易者とがっちゃんとの戦いとか、まあラブコメにしようとしてるのは解るがことごとくすべっている。

やっぱりお笑いって難しいなあ。「ニセコイ」とかのギャグをバカにしてたけど、あれはあれでテクニックがいることなのだ。(役者とか撮影とか編集とか)

「一人の人を愛する」「色んな人とセックスしたい」という二律背反する気持ちを抱えるゲイ、というテーマは「伯林漂流」でも描かれるテーマ。
今泉監督の生涯かけて描きたいことかも知れない。

映画では最後に仲直りして朝の甲州街道を新宿から中野方面に自転車で二人のりするがっちゃんとたかゆき。
たかゆきのポケットにさっきのケイイチの携帯番号が書いたメモが入っていた。それを見つけたたかゆきだが、捨てるかと思いきや、捨てない。
これがゲイ、いや人間なのだなあ。
こういう描写好きです。

同時上映は短編「Let's Dance with SACKY!」






ニセコイ


日時 2018年12月28日19:20〜 
場所 TOHOシネマズ日本橋・スクリーン3
監督 河合勇人


ヤクザ集英組の一人息子・一条楽(中島健人)は普通の高校生活を送りたいと願っていた。しかし対立するアメリカのギャング・ビーハイブが縄張り荒らしを始めていた。戦争を避けるため、親分同士(宅間伸、団時朗)は旧知の仲のため、息子と娘を恋人同士と偽ることにした。そうすると子分たちもうかつには喧嘩できない。
楽は紹介された娘・桐崎千棘(中条あやみ)を見てびっくり。今日学校に転校してきた暴力的なゴリラ女だった。
抗争避けたい二人は仕方なく恋人の振りをすることに。しかし日曜日にデーとしてもビーハイブのクロード(DAIGO)や集英組の子分たちの監視があって気が抜けない。
楽には幼い頃に結婚を誓った相手があった。旅先で出会った少女に鍵のペンダントを渡し、自分は錠のペンダントを持ち続けてるのだった。
また楽にはクラスに想いを寄せる女の子、小野寺小咲(池間夏海)がいた。
秋の文化祭で小咲の提案で「ロミオをジュリエット」を上演することになった楽たち。ロミオは楽と決まったが、必然的にジュリエットは千棘に決まってしまった。しかし楽の思い出の女の子は小咲で、彼女も楽のことが好きだったのだ。
小咲の気持ちを知った千棘はジュリエット役を小咲に譲るが、文化祭当日、事故で小咲は足を怪我してしまい、代役を千棘が演じることになったが。


中島健人主演作品。昨年も「未成年だけど子供じゃない」という正月映画があったから2年連続正月主演だ。たいしたものである。
しかし予告編を見てその漫画的描写(楽が窓から飛び出してプールに落ちるとか、クロードのキャラクターとか)がいやになって期待度は低め。
しかしこれが意外とおもしろかったのだ。

偽物の恋が本物の恋に変わる、というのはラブコメではよくある話。(俺も1本書いてやろうかと思うぐらい)
前半の漫画的描写は好きになれなかったが、後半「ロミオとジュリエット」の公演が決まってからの展開がよい。
千棘も小咲も相手の気持ちを想って身を引いていく。
「映画で観客を感動させるのは自己犠牲だ」と言ったのは確かジェリー・ブラッカイマーだと思うが、まさしくこの精神だ。

「ロミオとジュリエット」の芝居でも実際の千棘と楽の気持ちがリンクし、オリジナルの展開になっていく。
このあたりの話の流れの妙は再見して確認したいところだ。

そしてニューヨークに帰る千棘を追いかける楽。
滑走路まで追いかけたが、やっぱりこれぐらい動きがないと面白くありません。空港のロビーでがちゃがちゃやるのもダメとは言わないが、滑走路まで追いかける(まるで「ブリット」だ!)

やはりこの手の恋愛映画では男優だけでなく女優が好みでないと楽しめないのだろう。「春待つ僕ら」は女優がダメだったのだ。(主に好みである)
中条あやみは「セトウツミ」で知ったが、あの映画では出演シーンは少ないが「この女優いいな」と思わせた。そして「3D彼女」本作と出演作が続いており、今後の活躍が期待できる。
しかも小咲役の池間夏海が地味な感じなので、主役二人を邪魔しないのでいいのだ。

岸優太が同じ河合監督の「黒崎君のいいなりになんてならない」に引き続き出演。原作をまとめるのに手一杯だったのか、キャラがちょっと薄い。
同じく転校してきて楽を「探している運命の人」と言ってのける警視総監の娘(島崎遙香)が出てくるが、小咲が楽にとっての思い出の人だったということは警視総監の娘は勘違いなのか?その辺がせりふ一言でもいいから説明して欲しかった。

中島健人、今年は24時間テレビのSPドラマで石ノ森章太郎を演じたが、役者としても活躍が今後も期待できる。楽しみである。









吹けよ春風


日時 2018年12月24日17:10〜 
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 谷口千吉
製作 昭和28年(1953年)


私(三船敏郎)はタクシーの運転手。この仕事は色んな人間模様が見られて、それがどんな小説より面白い。
今日も座席で痴話喧嘩してるカップル(小泉博、岡田茉莉子)がいたが、男が無理矢理キスをしたら仲直りしていた。
子供たちが「僕たち自動車に乗ったことがないからみんなで100円集めたから乗せてくれ」という。仕方なく乗せたら10人以上の子が乗ってきてすし詰め。100円分乗せたが、おろしたところで子供たちが帰り道が解らなくなってるので、仕方なく乗った場所まで送ることに。
ある雨の晩、濡れた若い女性(青山京子)を東京駅まで乗せた。どうやら家出娘らしい。案の定、東京駅で中年男(谷晃)が声をかけている。心配になってまた車に乗せて家に送ろうとしたが、家がどこか言わない。
仕方なく「もう知らん」と降ろしてしまった。手袋を忘れていったので、後で戻ったが、もういなかった。
日劇の前で有名な歌手(越路吹雪)を乗せた。次の公演までの時間つぶしがしたいという。外苑のイチョウ並木を楽しむと私が暇に任せて作った自分のタクシーを歌った替え歌を見つかって、一緒に歌ってくれた。
ある夜酔っぱらいの二人組(藤原釜足、小林桂樹)を乗せた。ぐでんぐでんに酔ってる二人で若い方(小林)は「俺の芸を見せる」と言って走ってるタクシーの窓から身を乗り出して屋根を伝って反対側の窓からまた乗り込むというのを何回もやった。危ないったらありゃしない。途中で見えなくなったから、落としたかと思って道を戻ったが見つからない。しかしよく見たらシートの床で寝ていた。
横浜からの帰り道、服装は立派だが言葉使いが女っぽい紳士(三国連太郎)を乗せた。だが彼はタクシー強盗。車をスピンさせ、何とか逃げ出す。強盗は取り逃がしたけど。
築地で老夫婦を乗せた。自宅で銀婚式をするための買い出しだという。聞けば息子を最近亡くし、大阪住まいだった二人だが、息子の亡き後のアパートに住んでるという。彼らの自宅で一緒に銀婚式を祝った。彼らはやっぱり大阪に帰って店をもう一度開く決心をする。
復員者らしい人(山村聡)とその妻を乗せた。中国からの引き揚げかと思ったら、何か事情があって刑務所に入っていたようだ。ご近所の手前、中国から引き揚げてきたことにするために、復員兵のような服装をしてきたようだ。子供たちが自分を受け入れてくれるか心配だった夫だが、それは杞憂だった。


話は全部書いた。クレジットに原作があったから本当のタクシー運転手が書いた手記が元ネタらしい。脚本は谷口千吉と黒沢明の共同。助監督は堀川弘通。
三船敏郎が珍しくヒューマンドラマに出演しているとツイッターで話題だったので鑑賞。なるほど珍しい。「七人の侍」の前年だ。
後の三船ならやらせない役だろうけど、まだまだいろいろやらせてみせる時代なっだのだろう。あと5年先なら小林桂樹が主演していたろうし、その方が似合う気がする。

青山京子のエピソードなど中途半端だったので、最後に出てくるんじゃないかと思っていたら予想通り銀座の街角で母親と仲直りした青山京子登場。まあパンパン(劇中の言葉)にはなってないと思ったけど、予定調和でよかった。
青山京子が「今夜家でクリスマスパーティするの。来てくださらない?」というので、クリスマスイヴの夜に見るにはぴったりの映画だった。





けんじ君の春


日時 2018年12月23日14:30〜 
場所 ユーロライブ
監督 森田亜紀


フリーターの沢口けんじ(戸塚純貴)は友人や彼女からお金を借りては返さない。バイトをしても長続きしない。今日も「明日までに電気代を払わないと止められる」と友人の正一(布施紀行)に頼み込む。
「今度はちゃんとやる」が口癖のけんじについ正一も金を払ってしまう。
そんなけんじを闇金の金融会社の社長・黒沢(那波隆史)ら3人組が公園で追いつめた。そんな場面を通りかかった女子大生・涼子(金城茉奈)が助けてくれた。涼子に惚れてしまうけんじ。
その頃けんじの部屋ではけんじの元カノの千春、清美、鯛子の3人が集まっていた。
けんじの故郷に住む姉(森田亜紀)も訪ねてくる。


先日「スモーキング・エイリアンズ」を観に行ったとき、那波隆史さんが「今度出演した『けんじ君の春』という映画の上映が23日にあります」と言われたので、那波さんの主演では無いけど、「これも縁だから」と迷った末に観に行った。

那波さんの出演作が観れたのはうれしいが、ただそれだけである。
この映画、「STRAY DOG」という劇団が製作の映画。監督の森田亜紀はこの劇団に所属する役者兼演出家。那波さんもこの劇団の所属。
元は森田さんは演出した舞台劇の映画化だそうだ。(主演の戸塚純貴はSTARY DOGではない)

ああやっぱりと思った。闇金3人組の会話で「沢口けんじってなんか有名人にいそうですね」「ああ沢田研二、ジュリーか」「ジュリーってなんですか?」という会話があり、こういう意味のない会話を延々とするのが小演劇の特徴だと私は思っている。

私は全く受け付けない映画だった。けんじのようなダメ人間が私はダメなのである。「だらしの無いところもあるけど、愛すべきダメ人間」とけんじのことを思わなければならない(思って欲しい)のは解るが、私の中では「愛すべきダメ人間」は存在せず、ダメ人間はダメ人間である。

上映後の舞台挨拶で那波さんが「初演の舞台を観たときは『森田さんの周りにはこういうダメ人間がいたのかな』と思った」とおっしゃってたけど、こういうダメ人間を支える女性というのは存在する。
こういうのが好きな女は周りが何を言ってもDV男とつきあったりするのである(たぶん)。
けんじが超絶なイケメンというならまだ解るけど、そうでもないしなあ。

だから私なんかは完全に監督とセンスがあわず、完全に好きになれない映画だった。
まあ涼子は小学生の時に先生にいたずらされ、それ以来男性恐怖症になった、というトラウマがあるのだが、けんじと出会ってすこし改善された、という成長がある。
またけんじもたばこを買おうとしてやめる、という描写が最後にあり、(一応)彼の成長もある。

撮影されたのは2015年4月だそうだ。来年1月にはDVDのセル&レンタルが開始されるそうだ。イベント上映ではなく、常設の映画館での上映はなかったようだ。まあ確かに面白くないからなあ。

那波さんファンとしてそこだけ観た映画だった。





カリガリ博士


日時 2018年12月23日 
場所 DVD
監督 ロベルト・ヴィーネ
製作 1920年(大正8年)


ある庭。フランシスは隣に座る男に目の前を通り過ぎた女性を「僕の婚約者だよ」と教える。そしてかつて自分の故郷の町、ハレシュテンバルで起こった奇妙な事件を話す。
その町にカリガリ博士という見せ物師がやってきた。祭りの一角に小屋を建て、そこで夢遊病者チェザーレに客の将来を占わせていた。
フランシスと友人のアランがカリガリ博士の見せ物を見に行く。アランがチェザーレに自分の寿命を訪ねると「明日の夜明けまでだ」と言われてしまう。
フランシスは翌朝アランが殺されたことを知る。その他にもカリガリ博士が町にやってきたとき邪険にあつかった役人も殺されていた。
フランシスは警察にカリガリ博士が怪しいと訴えるが、決め手がない。
仕方なくフランシスはカリガリ博士の小屋を見張り、中にチェザーレが箱に寝ていることを確認する。
しかしフランシスの恋人が襲われた。なんとかチェザーレから恋人を守った家人だったがそれを聞いて「そんなはずはない」と驚くフランシス。
警察とカリガリ博士の小屋に踏み込んだが、なんとフランシスが見張っていたのは人形だったのだ。
その間に逃げるカリガリ博士。彼が逃げ込んだのは精神病院だった。患者の中にカリガリがいると探し回ったが、なんとカリガリは院長だったのだ。院長が寝ている間に彼の研究資料を探ってみると11世紀に現れた「カリガリ博士と夢遊病者チェザーレ」の資料が出てきた。院長はこの資料に従って自分がカリガリ博士となって連続殺人を行っていたのだ!
そんな話をしたフランシス。彼もある建物に入っていく。そこは・・・・


映画史の本を読めばサイレント期の代表作としてこの「カリガリ博士」が出てくる。同時にドイツ表現主義、という言葉も。
サイレント映画って今の映画とテンポが違うし、せりふもないから退屈な印象があるのだ。

このDVDには淀川長治さんの解説ビデオがついていて、あの淀川節でこの映画を誉め称える。書き割りによるゆがんだ風景、平行四辺形にゆがんだドア、直線でありながらくねくねとした道、すべてが異様な風景である。

これを観ているときは「ああこの時代はまだまだ映画と演劇の境界があいまいで舞台的なセンスで映画を作っていたのだな」と思っていた。
またチェザーレがアランを襲うシーンなど影を多用し、不気味な感じを出していた。確かにこの映画には無数の映画が影響を受けたろう。

だが最後に大どんでん返しがあったのだ。
フランシスの語りでこの映画は始まったが、語り終わったフランシスがある建物に入っていく。その建物が先ほどの話の中で出てきた精神病院の建物だ。観ているこっちは「?」である。

そして冒頭の婚約者が登場。フランシスは「僕といつ結婚してくれるんだい?」彼女は「私たちは王家の人間だから簡単には行かないわ」と答える。

そしてそばにチェザーレもいる。
「ああ、そうか!」と私は膝を打つ。
フランシスこそが精神病患者で、我々はフランシスの妄想を聞かされていたのだ。そしてこの病院の院長がカリガリ博士と同じ人物だ。
院長は言う。「彼は私をカリガリ博士という狂人だと思っている」

いやあこのどんでん返しには驚いたなあ。
奇妙な斜めの幾何学的な背景も単なる演劇と映画の境目ではなかったのだ。
精神病患者の奇妙なゆがんだ精神世界を表現していたのだ。
映画史上で語られるだけの作品だ。
恐れ入った。見事な映画である。





スモーキング・エイリアンズ


日時 2018年12月19日21:00〜 
場所 新宿k's cinema
監督 中村公彦


世の中、禁煙が常識で喫煙者は肩身が狭い。地方のある会社でも喫煙所は1カ所になってしまった。社長が肺ガンになったことをきっかけに、副社長(那波隆史)が休憩室をトレーニングルームにして喫煙所は非常階段の隅だけになってしまった。
シングルマザーの花沢(倖田李梨)はそんな会社で清掃の仕事をしながら高校生の娘を育てていた。ある晩、たくさんの流れ星を見た。
翌日、副社長とその部下の松本が屋上で会話をしていると、屋上にあった球体から何かが飛び出し、松本の口に入っていった。その何かに体を乗っ取られた松本。副社長も同じ運命になった。
警備員や花沢の同僚も異変に気づく。逃げまどううちにそのエイリアンはたばこの煙を吹きかけると死ぬと分かる。
いったんは倉庫に逃げた彼らだったが、ここでは食料もないので、社員食堂に向かうことに。たばこの煙をエイリアンに浴びせながら食堂に向かう彼ら。
なんとか食堂で一息着くが、ここにいつまでもいられない。テレビの情報ではこの会社だけでなく、周辺で起こってるらしいが助けがくる気配はない。
母親に会おうとした花沢の娘桐子がこの会社に向かってきた。
桐子を守るために花沢たちも立ち上がる!


ピンク映画で活躍する倖田李梨さんをはじめとするメンバーが作った自主制作映画。プロデューサーには「おやじ男優Z」のプロデューサーの空乃雲之さんもいる。
年末いろいろと忙しいのでパスしようかと思ったが、那波隆史さんが本日上映後のトークイベントにご出演と聞いて伺った。(他の登壇者は中村公彦監督、急遽川崎の劇場から駆けつけた倖田さん、滝本より子さん(倖田さんの同僚のおばさん役)、映画評論家の切通理作さん)

映画の方が昨今の禁煙ブームで喫煙者は肩身が狭いのだが、それが逆に非常事態に武器になるというワンアイデア映画。
私自身はかつてはたばこは吸っていたが、今は吸わなくなった。吸っていたのは7〜8年ぐらいで吸わなくなってからもう30年なので、喫煙者の気持ちも分からなくはないが、最近はもうたばこの煙は苦手である。
(最近コンビニでセブンスターが500円と知って驚いた。私が吸ってた頃は180円〜200円の時代だ。500円じゃランチが食べられるよ)

そういった「喫煙者頑張れ!」的な意味合いを持つSFコメディでそれなりに面白い。那波さんの副社長と倖田さんの対決シーンがあるが、那波さんは映画のようにボクシングの経験はないが、多少の格闘技の経験はあるそうで、動きが早くアクションも決まっていた。

しかし結局ビルを出るまでで話が終わっており、このエイリアン襲来の事態は何の解決もしていない。
もちろんヒッチコックの「鳥」のように解決がしないで終わるのもありなのだが、やっぱり主人公たちが事態を解決して欲しい。
私なら副社長にとりついたエイリアンがラスボスで、こいつを倒せば事態は収束に向かう、というわけで対決する話に持って行って欲しかったな。

昔のアメリカのB級SFの味(舞台が地方都市とか、閉じこめられた空間での右往左往とか)もあってそれなりに面白かったが、もっと面白くできたのではないかという残念さが残った。

あと個人的には那波さんがエイリアンにとらわれて後半しゃべらなくなるのが残念。彼の声は結構好きなので。




バニー・レークは行方不明


日時 2018年12月16日 
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 オットー・プレミンジャー
製作 1965年(昭和40年)


イギリスのロンドンにやってきたばかりのアン・レーク(キャロル・リンレー)は娘のバニーを保育園に預けて一旦家に帰った。お昼前に迎えに行くとバニーはいない。預けたときに保育園の先生には会えずに指定された部屋に残してきたのがうかつだった。
ロンドンで雑誌記者をしている兄・スティーブン(ケア・デュリア)に連絡を取り、園内を探すが見つからない。その上保育園の先生や職員も「そんな子は見ていない」と捜索に乗り気でない。スティーブンは職員は頼りにならないと警察に届け出る。
幼女の誘拐を心配したニューハウス警視(ローレンス・オリビエ)はバニーの写真を欲しいと頼む。しかし荷物はまだ届いていなくて写真はない。
家に帰ってみるとバニーのものだけ無くなっている。
警視は保育園の上に住んでいる元共同経営者の老婦人から、彼女の部屋に探しに来たときにアンが子供の頃架空の友達にバニーと名付けていたと話していたと聞く。
ニューハウス警視は「バニーは本当に存在したのか?アンの妄想ではないのか?」と疑い出す。


ツイッターなどで時折「『バニー・レークは行方不明』が面白い」と噂で聞いていたのだが、セルしかないと思っていたがレンタルもあると知って早速借りた次第。
今回始めてみたが、これが面白い!今まで見てなかったのが損した気分になった。

アンの登場シーンは先生に会えなかった彼女が給食室で給食のおばさんに会うところから。ここから観客はバニーを見ていない。だから観客もアンを疑い始める。しかしよく見ていると一旦家に帰ったアンが荷物の一部を整理したとき、洗面台に3本の歯ブラシがあるのを写す。アンとスティーブンとバニーだ。観客は警視と同様にアンを疑い出すが、ここはアンを信じよう。

また部屋に大家と称する男(別に嘘ではないらしいのだが)がやってきて観客をいらいらさせる。この男がなんだかいやな感じなのだ。
「もしやこの男が?」と観客をミスリードするには十分だ。
そしてアンはバニーの人形を修理に出していたのを思い出し、それを取りに行く。そこで人形を取り戻し、犯人が姿を現す。

あとは犯人との対決になっていくのだが、いかに刺激しないようにするかが問題。。ネタバレになるのでこれ以上は書けないけど。

でもこの人が犯人なら、アンももう少しこの犯人のことを最初から疑ってもよさそうな気がするのだが、それは意地悪な見方か?

何にしての犯人の意外性、サイコパスな犯人との対決など後半はミステリーからサスペンスに一気に流れていく。
シネスコの画面いっぱいに登場人物が動き、その流麗なカメラワークにも感動する。
面白かった。

また本筋には関係ないが、アンと警視が夜パブに行くシーンでそのパブでテレビが写されるが、そこでビートルズもどきのバンドが歌っている。へーやっぱりビートルズ風のバンドでイギリスではたくさんいたんだろうなあ、と思わせて今から見ると興味深い。







バスケットボール・トライアングル


日時 2018年12月15日17:42〜 
場所 光音座1
監督 関根和美
製作 OP映画


西北大学のバスケットサークル「KMS」は合コンが中心のサークルでバスケは遊び。そこへ元日本代表の朝霧亮介(中村拓)がコーチとしてやってきた。KMSのメンバーの巧(村井智丸)が「コーチがいないと来年の活動費が出ないから」と言い訳して呼んだのだった。巧はバスケをやりたいと思いつつも「バスケだけ」になるのに抵抗を感じ、わざとバスケ部の内題学に入学したのだが、やはりバスケへの情熱は押さえられない。
亮介は大学時代のバスケの親友にしてライバル、清彦(竹本泰志)がやっているスナックによく飲みに行っていた。しかし清彦はそこで働くミユキ(林由美香)とつきあっていた。清彦よりミユキが熱心だが、清彦は自分をEDと偽っていた。大学時代、清彦と恋人関係にあった亮介は不満だった。
巧もいつしか亮介にあこがれていた。そんな気持ちを察した亮介は巧とキスをする。バスケットに真剣に取り組む巧に昔の自分たちを見いだして好意をもったのだ。
亮介の気持ちは揺れていた。そしてミユキにも清彦と自分はゲイの関係にあると打ち明ける。ミユキは驚いて出て行った。
再び清彦と店で体を重ねる亮介だったが、それを巧に見られてしまう。
揺れる亮介。
結局翌日の試合に清彦にも応援に来てもらい、3人で仲良くやっていく道を選んだようだ。


「バスケットボール・トライアングル」って言うタイトルだから、バスケ部内の学生同士の話かと思ったら、学生とコーチとコーチの元恋人の話である。今日は「春待つ僕ら」もバスケ部の話だったしバスケ作品が偶然にも続いた。

話の方は特に印象に残らなかったが、カラミがさっきの池島作品よりねっとりとして濃いような気がして、そのあたりが女性監督ならではの、「男の裸に興味があるかないか」の差のような気がしたが、それはうがった見方だろうか?

バスケの試合のシーンは当然ない。バスケ部の他の男たちは話(というか恋愛)には絡んでこず、シャワーシーンでのヌードシーンで出るだけで完全に脱ぎ要員。
たくさんメールヌードが出てきて、そこは楽しめました。








ミステイク


日時 2018年12月15日16:38〜 
場所 光音座1
監督 池島ゆたか
製作 ENK

あるビルの屋上、男が女を撃ち殺した。その現場をサングラスをした男が見ていた。男が撃ち殺そうとしたところ、パトカーのサイレンが。
男は現場から逃げ出した。男の名は尚也(黒澤俊彦)。ある組織の殺し屋だ。尚也はその晩若い男(樹かず)を激しく抱いたがお金を置いて去っていった。尚也の元に組織のボス(池島ゆたか)から電話があった。
尚也はもうそろそろ足を洗わせてくれ、と頼む。尚也は喧嘩で二人死なせてしまったところをそのボスに拾われ殺し屋に育てられたのだ。
尚也にはイズミ(平岡きみたけ・たぶん)というデザイン学校に通う恋人がいた。自分の素性を全く話さない尚也にイズミは不満を持っていたが、学校を卒業したら一緒に暮らそうと約束していた。
ボスは尚也の願いを聞き入れ、辞めることを承知した。しかしその直後、イズミと一緒にいる部屋にボスは訪ねてきた。もちろん「尚也の叔父」という名目だったが。
尚也は最後の仕事であるヤクザの親分とその愛人を狙撃した。関係ない人まで殺してしまい、後味の悪い仕事だったが仕方ない。
尚也は気がかりになっていた、前の仕事の現場にいた若い男。そのビルの屋上に再び向かう。そこにその男はいた。
しかし・・・


池島ゆかたのサスペンス作品。池島監督はこういった小品サスペンスがうまい。
池島ゆたか自身が組織のボスを演じるのはどうにも似合わなくて苦笑したが、これも予算の都合で仕方なかったのかも知れない。

オチは実は屋上の男がサングラスをしていたのは盲目だったから。つまり犯行現場は音は聞いたが犯人の顔は知らないのだ。
そして男ではなく女。彼女は殺されたデザイナーの恋人だったのだ。
盲目と聞いてホッとして油断したところを尚也は復讐のために刺し殺される。

サングラスの男が尚也の悪夢にもたびたび登場し、「あれは幻だったのか?」ともミスリードさせてちゃんとオチをつける脚本はよかった。五代響子である。
池島監督の映画ははずれが少なくて、見ていて安心できる。









春待つ僕ら


日時 2018年12月15日11:40〜 
場所 109シネマズ川崎・シアター3
監督 平川雄一朗


春野美月(土屋太凰)は高校になって友達が出来ないでいた。そんな時、バイト先のカフェを訪ねてきた、女子に人気のバスケ部員に「あのバイトが終わった後話があるんだけど」と言われる。自分に告白されると思った美月だったが、それはバイトの先輩を好きで、友人が勘違いして美月を呼び出しただけだった。だがそれがきっかけでバスケ部の4人と親しくなる。
その中の浅倉永久(アサクラトワ・北村匠海)が同じクラスで友達になった。美月と同じクラスのレイナ(佐生雪)がバスケ部の熱狂的なファンで「バスケ部に近づく女子は許さない」と言っていることからバスケ部のメンバーと友達と言い出せなくなってしまう。結局、レイナには事情を説明し、友情は壊れずに済んだ。
美月には幼い頃「あやちゃん」と呼んでいたバスケのうまい女子がいた。強い彼女に美月はあこがれていたが、浅倉たちの試合の応援に行ったときに大きくなったその「あや」(小関裕太)に話しかけられる。実はあやは男だったのだ!
亜哉はアメリカに行っていたのだが、最近日本に帰ってきていた。亜哉は美月が好きで浅倉にも堂々と「しっかりしてないと奪っちゃうよ」と宣言。
浅倉たちバスケ部もインターハイに向けて頑張るのだが。


最近お気に入りの若手俳優の一人が北村匠海である。福士蒼汰、山崎賢人がツートップだが、それに負けないくらい最近お気に入りだ。友人に勧められて今年の1月期にフジで放送の「隣の家族は青く見える」でゲイ青年役で出演し、レンタルDVDで先日見終わったところだ。
そういうわけで「恋と嘘」以来の主演映画、「春待つ僕ら」も大いに期待した。

ところがちょっと違ったなあ。原作があるから原作に従うのかも知れないが、これじゃ「春待つ私」だよ。
「僕ら」とあるからバスケに頑張る4人の男たち+女の子、という映画かと思ったらさにあらず。

「もてない友人もいない私にイケメンが告白してくれる(しかも複数)話」という従来の少女マンガによくあるパターンにバスケが絡んだだけ。
しかも夏の花火大会とか年末カウントダウンとかも出てくる。

こちらが北村ファンで土屋太凰には何の興味がないかからかも知れないが、美月の葛藤(及びカット)を見せられてもぜんぜん心が動かされない。
せりふではちらっとあったけど、浅倉は子供の頃に両親をなくしてるとか。それならそれでもう少し彼の家庭環境とかドラマとかいくらでも掘り下げられそうだが、そういったものはなく、ただただ美月目線で物語が進められる。
だから「春待つ私」でしかない。

そのタイトルの「春待つ僕ら」だが、美月が高校生作文コンクールに応募し入選し、その書いた作文で「春になるといいことがあると思ってましたが、なってもいいことがない日々が続きました。でもこの高校に入学して春が来ました」的な作文から来ている。途中からあまりにも美月目線での物語なので気分が集中出来なかったので、作文の内容は違ってるかも知れないが、そんな感じだったと思う。

あと「亜哉」は子供の頃は女の子と間違えるような美少年だが、大きくなったら小関裕太じゃぜんぜんイメージわかないよ。

結局のところ土屋太凰の映画で北村匠海の映画ではなかった。
だから期待はずれだった。







来る


日時 2018年12月9日15:05〜 
場所 109シネマズ木場・スクリーン5
監督 中島哲也


田原秀樹(妻夫木聡)は月島製菓の営業部員。法事のために帰った田舎の実家に婚約者の香奈(黒木華)を連れて帰る。そこで「ぼぎわん」という子供を連れ去る「あれ」の噂を耳にする。そういえば自分が子供の頃、近所の女の子がいなくなったことがあった。
結婚式も無事終了し、秀樹と香奈の間に女の子が出来る。秀樹はイクメンパパになろうとしブログを開設。妊娠中から「いかに妻と子供の3人で充実した生活を送っているか」をアピールする。
しかしある日部屋に帰ったら荒れていた。何かに襲われると察した秀樹は高校時代の友人で今は民族学を研究する津田に相談。ライターの野崎(岡田准一)を紹介される。その野崎の紹介でキャバ嬢で霊媒師の真琴(小松菜奈)を紹介される。
しかしそれもむなしく「あれ」に騙されて秀樹は死んだ。
香奈は一人で子供の知沙を育てていたが、育児ノイローゼになっていた。秀樹の実家とも縁が切れ、自分の母親はもともと自分を育ててくれなかった。結局「あれ」に襲われた。真琴は知沙を救おうとするが力が足らない。そこで日本最強の霊媒師の真琴の姉。琴子(松たか子)が登場する。


日本映画であまり好きでない監督の一人が中島哲也である。彼が作りたい映画と私の観たい映画のベクトルが違うとしか言いようがない。
なら観なきゃいいと思うのだが、妻夫木聡、岡田准一共演となれば観ないわけに行かなくなる。
あと比較的好きな女優の小松菜奈も出てるし。

しかし中島哲也とは映画に対する考え方が違うなあ。
特にスターが出る場合、私は顔にきわどいメイクをするのは反対である。
なぜなら観客はスターの「顔」を観に来てるのだ。
本作ではキャバ嬢の真琴が小松菜奈と知っていたからまだ分かったが、エンドクレジットで松たか子の名前を見て「えっどこ出てたの?」と思った。パンフレットを見て真琴の姉の琴子と解った。

今回妻夫木と岡田はそれほどメイクもなかったからよかったからまだよかったし、あまりチャカチャカと細かくカットを割ってないから見やすかったし、登場人物も秀樹が実はイクメンパパではなく、単なる今で言う「インスタ映え」の外面だけの男だったとか、秀樹の友人の津田が秀樹を実は嫌っていたとか、キャラクターの「実は」が逆転逆転の展開があり、そこは面白かった。

しかし最後の松たか子の除霊シーンは大がかりすぎて引くし、第一長い。
こちらは「まだ終わんないの?」と否定的になりました。
中島監督作としてはまあ観れる出来でしたが、基本的にはあわない監督ですね。






斬、(ざん)


日時 2018年12月9日11:00〜 
場所 ユーロスペース1
監督 塚本晋也


幕末の江戸に近い農村。浪人、都築杢之進(池松荘亮)はある農家の手伝いをしながら暮らしていた。隣の家の市助(前田隆成)に木刀で稽古をつけ、その姉のゆう(蒼井優)は杢之進に想いを寄せていた。
ある日、ある侍が人を斬るのを目撃する。驚愕する二人だったが、それに触発されて猛稽古の杢之進と市助。そこに先ほどの侍、澤村(塚本晋也)がやってきた。
澤村は腕の立つ浪人を集め京に行き、幕府を守る為に戦うという。
侍になりたい市助は賛成し、杢之進も断る理由が見つからず引き受けることにする。
そんな時、村に浪人の集団がやってきた。彼らはいかにも悪そうな面構えで、村人はビビってしまう。護衛のために村に残ってほしいと願う村人だったが、彼らを安心させるために話にいく杢之進。彼らは決して善良ではなかったが、本人たち曰く「俺たちは悪い奴からしか奪わない」といい、その言葉を村人に伝え、安心するようにいう。
しかし市助がその浪人の集団と喧嘩をし、コテンパンにやっつけられる。
それを聞いた澤村は「私の仲間がやられたからには黙っているわけにはいかない」と単身乗り込む。
澤村は「一人逃がしたが、もう大丈夫だろう」という。しかしその一人が仲間をつれて村を襲い、市助も殺された。
「市助の敵を取ってほしい」と杢之進に懇願。
実は人を斬ったことなどない杢之進は躊躇する。結局澤村と二人で乗り込むが、斬ることは出来ない。


塚本晋也の初めての時代劇。あまりエンタテイメント性の高そうな映画ではなさそうな気がしたが、池松荘亮、蒼井優共演となれば観ないわけにはいかない。上映時間は80分と短い。

江戸時代なんて戦国時代と違って戦のない世の中だったわけだから、人を斬ったことのない侍なんて当たり前にいたのではないか。
大抵の時代劇では主人公は人を斬る。当たり前のように斬る。悪い奴なんだから斬ってよいのだ、という映画ない常識で話が進む。
たまに人を斬るのをためらう奴が出てきても喜劇的なキャラクターである。

しかし本作の杢之進は本当に躊躇する。そりゃそうだろうな。
ちなみに今の自衛隊が戦争になった場合。どこまで戦えるか私は疑問に思っている。いくら立派な装備があって訓練をしたところで所詮は「練習」にすぎない。実弾を躊躇なく撃てるだろうか?

そういう基本的な問題を突いた映画で、視点としては面白いのだが、それが映画として面白いかと言えば疑問である。ここは最後に澤村と杢之進は迷った末にも最後が振り切って相手を斬りまくらなくては映画としては面白くない。

塚本晋也の実験的精神は買うが、「映画として」私が求めているものかどうかは別の話。残念だった。






ハード・コア


日時 2018年12月2日13:50〜 
場所 ヒューマントラストシネマ渋谷・シアター1
監督 山下敦弘


今の世の中の空気になじめない権藤右近(山田孝之)は右翼系の結社に所属し、自分の理想の世界に変えようとしていた。それが何かは解らないが。
今日もスナックで酒を飲んでいるときに客たち(松たか子、他)の振る舞いに我慢が出来ずに喧嘩した。酔いつぶれた右近を迎えにきたのは商社マンの左近だった。左近と右近はまったく違う生き方をしていてお互いになじめなかった。
右近は結社が週1回群馬県の山の中で埋蔵金の発掘を行っていた。結社の会頭・金城の調査の結果だというのだ。しかし一向に出てこない。同じく埋蔵金の発掘をしている牛山(荒川良々)とは仲がいい右近。
ある日、牛山がねぐらにしている廃工場でロボットを発見した。そのロボットは意外に頭が良かった。それを見抜いた左近はロボットの知能を使って埋蔵金を発掘させる。それはあった。
その埋蔵金を金に換えようと左近は中国マフィアに交渉に行った。
結社の番頭の水沼が右近のアパートにやってきた。会頭が人を殺したというのだ。その死体を廃工場に隠した右近たちだったが。


山下敦弘監督作品。最近の山下作品はピンとこないことも多く、正直パスするつもりでいたが、いまおかしんじ監督がツイッターで「2回観た」というので「観なければ!」と思ってみた。

正直、やっぱりだめだった。いやもう世界観があわないとしかいいようがない。
話は解る。突然天才的なロボットが登場するのも別に気にならない。
しかし埋蔵金とかロボットとか世直しとか女(ここには書かなかったが水沼の娘が男好きでセックス好き)とか兄弟の生き方の違いとかいろいろ要素がありすぎてどれも焦点が合ってない気がする。

詰め込みすぎて上っ面なでただけというか。
だからどのポイントも中途半端な印象で散漫なだけだった。
これが原作を読んでると違うのかなあ。

さて本作ではいまおか作品常連の佐藤宏さんが左近が中国マフィアと交渉しにいく時に乗る漁船の船長役だったようだ。佐藤健と佐藤宏のダブル佐藤のシーンだったようで撮影は行ったが、編集でカットされたそうで、佐藤宏さんはクレジットには名前がでるが本編には出てこない。

また守屋文雄さんもイメージシーンで会頭に斬られるサラリーマン役で出演していた。これは解った。

いまおか監督などはいましろたかし(本映画の原作者)の漫画もお好きだったし、その辺の最初の関心が違ったのだろう。
私にはちょっと違う映画だった。