2019年1月

   
新・個人教授
十二人の死にたい子どもたち 黄昏のナルシー 仮面の宿命
〜美しき裸天使〜
マスカレード・ホテル
ある関係 夜明け 吹けば飛ぶよな男だが 天河伝説殺人事件
新・動く標的 動く標的 空の大怪獣Q 戦艦ポチョムキン
吸血鬼ノスフェラトゥ ハイジャック かちんこ!-平成任侠外伝- 不倫女房 絶品淫ら顔(再見)
痴漢電車 
食い込み夢(ドリーム)マッチ
白衣絶頂 夜の天使たち O嬢の物語 あいつの母親
淫靡な乳房

新・個人教授


日時 2019年1月29日 
場所 DVD
監督 ジャック・パラティエ
製作 1974年(昭和49年)


父親の実家で祖母が住む家に夏休みのバカンスに訪れたパトリック(ディディエ・オードバン)。父・ベルナールや、兄・ジュリアンも一緒だった。パトリックはいとこのディアに恋している。ディナの友人、マリーはベルナールに興味があるらしい。
パトリックは自分の思いを日記に書き留めていた。しかし意地悪な兄ジュリアンはそれを戸棚から発見し、ディナと回し読みしていた。
ベルナールの妹のリーズ(ナタリー・ドロン)はパトリックを連れてイチジクを摘みにいく。透けて見える薄いスカートにパトリックは心を動かされる。リーズはパトリックの悩みを聞いているうちにその林の中で、パトリックに女性の扱い方を教えていった。初めての体験にパトリックは感激した。
ディナの誕生日パーティの時、パトリックはディナに堂々と振る舞えた。ジュリアンは服装がよくないと言った父親の注意に怒って家を飛び出してしまう。行った先はポルノ映画館だった。
彼をホテルに迎えにきたリーズはジュリアンにも手ほどきをする。
そしてパトリックとディナも結ばれる。


70年代の「青い体験」や「エマニエル夫人」などのソフトポルノ・ブームに乗って公開された映画。その前に同じナタリー・ドロン主演で「個人教授」と同じような年下に初体験させる話の映画がある。こちらは未見。
この映画も「新」と言ってるけど、話のつながりはない。

この映画、ポスターの中央は男女が折り重なってキスをしている顔のアップだが、その手前にやや小さく(と言っても結構な大きさ)で若い男女がこちらにはお尻を向ける姿勢で、全裸で向かい合っているのが印象的だった。何しろ全裸だからねえ。目立ちますよ。
公開時は観てないけどこのポスターは印象に残っている。
しばらく忘れていたのだが、シネマノヴェチェントに張ってあるのを見かけ、思い出した。
迷ったのだが、どうしても気になったのでヤフオクでDVDを購入。

思った通り話はつまらん。
ナタリー・ドロンと結ばれるのがクライマックスかと思ったらそうではなく、40分ぐらい経ったあたり(映画自体は80分と短い)。

ディナも気になるけどリーズも気になる、とか、甥が自分の体に興味を持っているどうしよう、というような二人とも心の迷いはなく、リーズもあっさり初体験させてくれる。ちょっと拍子抜けした。この辺はもう少し丁寧に描いた方がいいんじゃないかなあ。
この辺が洋物のエロ映画の弱いところである。

でも「こうしてボタンを外すの」「抵抗しなかったらもう一つ外して」「相手がズボンをはいているときはこう手をいれるの」と徐々に迫っていくシーンは今観ても見応えがある。
そしてロングショットだが、二人が草原を全裸で駆けるカットもある。
ここ、公開時はたぶんぼかしがあったんじゃないかと思うけど、今回のDVDではぼかしなし。でもロングだからそれほど見えるわけじゃない。

でもナタリードロンの裸そのものは実はあんまり写らない。アップでごまかしたりするのだな。
そしてラストではディナとパトリックが結ばれるシーン。
ポスターの全裸男女はこの二人である。

そうそう前半にパトリックがディナのことを考えてオナニーするシーンがある。そのときに何かを手が上下に擦ってるカットがある。
はっきりとは解らないが、ナニをしごいてるのだな。公開時はここボカシが入っていたのだろうか。
その後にすぐにミルクがカップに注がれるアップになり、「ミルクを出しました」とも見えるモンタージュになってるのはご愛敬。

あとマリーが父親を誘惑するシーンがあるが、ここは結ばれたりしなかった。
このDVDにはテレビ放送時の日本語吹き替えも収録。
今度はこちらで楽しんでみよう。





十二人の死にたい子どもたち


日時 2019年1月27日16:45〜 
場所 TOHOシネマズ上野・スクリーン2
監督 堤 幸彦


ある廃病院の地下室に12人の若者が集まった。彼らは自殺サイトを見て集団自殺をしようとして集まった者たちだ。主催者はサトシ(高杉真宙)。12時に会は始まった。「全員が自殺しようと意志が固まったら決行しよう」とサトシはいう。
しかしその部屋には集まった12人のほかに1名の若い男の死体があった。ここには集まることは12人しか知らないはず。ではこの中の誰かが死体を持ち込んだのか?しかも他殺らしい。ここに他殺の死体があると自分たちが見つかったとき、自分たちも他殺と見なされるかの知れない。
「俺は自殺じゃなきゃ困るんだ。俺の母親は俺に保険金をかけた。殺されたんじゃ保険金が降りちゃうんだよ!自殺じゃなきゃだめなんだ!」とセイゴが叫ぶ。
そういえはおかしなことがたくさんあった。サトシがこの病院にやってきたとき、配電盤のブレーカーは上がっていた。誰か先にきたのか?ノブオ(北村匠海)がエレベーターを利用しようとしたら6階から降りてこなかった。行ってみるといすでエレベーターのドアが閉まらないようになっていた。
果たしていったい何がどうなっているのか?


「十二人の怒れる男たち」をまねたタイトルで、しかも「死にたい子どもたち」という何とも絶望的なタイトル。しかも北村匠海、高杉真宙、新田真剣佑、黒島結菜などの出演となれば俄然観たくなる。
しかしその恐ろしいタイトルのせいでちょっと尻込みしてしまいそうになる。

私は自殺とか苦手なのだ。特に若い人の自殺はたまらなくイヤである。
歳を取ると「いままでやってこれたんだから、これからも何とかなるんじゃないか」と根拠のない自信が持てる。いやもちろんそれが実行できるかは解らないのだが。
(ちなみに私は自殺は否定する。理由は実に単純で丹波哲郎が「自殺はいけません」と言ったからである。死後の世界でよいことにならないらしい)

彼らが自殺したい動機はイジメの結果であったり、性病を移されたことだったり、もともと病気で死期が近い、大好きなバンドのメンバーが
自殺したこの後追いだったり、アイドルとして自分と虚像のギャップの悩みだったりする。

気になることを手分けして調べ始める12人。やがてノブオが死体搬入に関わっていたらしいと解る。事態の真相が分かり、改めて自殺を実行するかの決を取る。

結果が「中止」で本当によかった。最近の映画は根性が曲がってるのも多いから、決行もあり得る。その点、この映画は「当たり前で面白くない」という意見も出るかも知れない中、当たり前の結末で本当によかった。
やはり若い人の自殺は後味が悪い。

しかし今回はやめたけど、まだアンリ(杉咲花)のように自殺を諦めないものもいる。話としてはそれでいい。あまりみんないい子になってはちょっとひねりがない。

とにかく北村匠海、新田真剣佑、高杉真宙、黒島結菜などのお気に入りの若手俳優の競演で楽しかった。
もちろんミステリーとしても面白かった。
ソフト化されたらもう1回観て細部を確認したい気にさせられた。
よかった。







黄昏のナルシー


日時 2019年1月26日17:39〜 
場所 光音座1
監督 小林 悟
製作 OP映画


ゲイのショーパブ「メリージェーン」で歌手として働く晴彦(MADOKA)はパブのママ。真田の家に同棲していた。絵を描くのが好きな晴彦は住宅街の高台からの景色を描いていた。そこへ毎日のように口笛を吹いて歩いていく美青年を見かける。
ある日、彼がお店にやってきた。彼の名は信吾。晴彦は信吾のテーブルに付き、手を握りあった。その姿をママの真田は見逃さなかった。
翌日もいつものように高台から絵を描く晴彦。しかし信吾はやってこない。そんな日が数日続いた。雨が降り出しても帰ろうとしない晴彦。
そこへ傘が差し出される。信吾だった。彼はこの数日風邪で寝ていただけだった。信吾と体も結ばれる晴彦。
二人は外人墓地、山下公園など横浜の街を歩く。
そんな二人を真田は見逃さなかった。
信吾の様子が最近変だと恋人のマリも思い始めていた。「女が出来たのね!名前を言ってみなさいよ」と責める。「晴彦」と応える信吾に「頭おかしいんじゃないの?異常よ」と捨てぜりふを言って出て行った。
真田は信吾を店に呼び出し、睡眠薬の入った水割りを飲ませ、ホテルに連れ込み犯した。
信吾が晴彦の家に電話しても「晴彦はいません」とつながない。さらに「信吾って男好きねえ。この間もあたしもホテルに連れてかれて散々にされたわ」と嘘をつく。
「そんな嘘だ!」とは思うものの、信じきれない晴彦。しかしお店の従業員が信吾にママが薬を飲ませて連れてった話をし、晴彦は再び信吾を訪ね、二人は抱き合う。
しかしそこへマリがやってきた。晴彦を刺そうとするマリ。晴彦をかばって信吾がマリのナイフを受ける。信吾は死んでいった。
ショーパブ「メリージェーン」は今日も営業している。


大蔵映画のゲイ映画第1作だそうである。監督は小林悟。
小林はピンク映画第1号の「肉体の市場」も監督しており、この世界ではノーベル賞ものであろう。

後の小林悟映画にあるような破綻はなく、やる気も感じられる。
ただ信吾と晴彦が出会う前に信吾とマリのシーンがあり、ここで二人のセックスが描かれる。これはいらないだろうと思うが、まだ何を作っていいのか解らない、手探りの時期なのだろう。(もっとも後に何を作ればいいのかが小林悟が解ったとは思えないが)

主演はMADOKA。この方は初期のゲイポルノで多数主演を務めた。この映画でも「知りもしないで」という演歌(というかムード歌謡)を歌うが歌手が本業だったのだろうか?
それにしても顔が暗いので、とにかく映画が暗くなる。

信吾を演じる田村隆(たぶん)はきりっとしたまあまあイケメン。
それにしてもママの真田が着物姿なのには時代を感じる。
まあ当時「笑っていいとも」などにも出ていたゲイバー「青江」のママがモデルなのだろう。着物のゲイバーのママなんて「昭和」感満載である。

ママが嫉妬しまくって嫌がらせをするとかオカマの醜い嫉妬で観ていて気持ちが暗くなるのだが、話はそれなりにしっかりしているので最後まで観れた。
まあ最後に悲劇が訪れ、バッドエンドになるのは最初のゲイ映画からなんですね。

結局は「ゲイは悲劇にしかならない」と作者たちが考えているようで、そこがまだまだゲイについての理解が作り手にもないような気がする。マリも信吾が男とつきあってると知って「頭おかしいの?」とか言っちゃうし(せりふは違ったかも知れないが、そういう趣旨のせりふ)

LGBTなんて言葉もないし、まだまだゲイは日陰の時代です。
だからと言って陽気なゲイ映画はまだまだ少ないですが。









仮面の宿命〜美しき裸天使〜


日時 2019年1月26日16:38〜 
場所 光音座1
監督 山崎邦紀(崎は立つサキ)
製作 OP映画


大学の哲学の教授、木月恭三(牧村耕次)はフリースクールでも人間学の講座を持ち、学生だけでなく一般の人々にも哲学を説いていた。
そんな木月を研究室のタチハラ(久保田泰也)は支えていた。ゲイの木月はタチハラとも関係があった。木月は脳を冒され余命が短かった。
そんなフリースクールに警備員をしている陽一という青年が現れた。木月はかつて愛したシュウヤを思い出す。
大学の事務局長にも大学よりフリースクールを優先する木月の姿勢を注意される。しかし木月は聞く耳を持たない。
木月は陽一に「君の裸の写真を撮りたい」という。戸惑ったものの、タチハラと二人でモデルになる。
今度は木月は陽一ひとりの写真を撮る。そのときついに木月は陽一のものをくわえてしまう。驚いて飛び出した陽一。
しかし木月はついに倒れた。陽一とタチハラは二人でヌード写真を撮り、それを病室の木月に届けようとする。
そのとき、木月の幻影がそこに現れる。木月はシュウヤとともに歩くのだった。


話は最後まで書いた。
苦手な山崎作品である。
まあわけ解らん、ということはないから、まだまともとも言えるのだが。

幻影のシュウヤはなぜか特攻隊のパイロット服を着ていて、その写真を観たタチハラに「特攻隊ですか?」と聞かれ「私をいくつだと思ってるんだ?」と笑われる。なんでパイロットの服なのかは全く不明。

牧村教授が「現代の妖怪ブームは八百万の神に通じるかも知れない。モンスターはどこにいる」とか哲学問答をする。
きっと山崎邦紀は頭がいいのだろうし、頭がいいばっかりに小難しい話をしたくなるのだろう(ただし本人は難しいとは思っていない)

それ自体は否定しないし、どんな映画を作ろうと勝手だ。
しかし光音座にゲイ映画を観る客は(少なくとも私は)あなたの小難しい話には興味がない。
つまり客層を考えた映画になってない、言い換えれば客を無視した映画なのだ。そういう映画はポレポレ東中野でやればいいと思うのだが、ポレポレ向けの映画を作れない(作らない)ところが山崎にとっても観客にとっても不幸なことである。
この映画に限らず、山崎作品は大抵そうだけど。





マスカレード・ホテル


日時 2019年1月25日21:20〜 
場所 新宿ピカデリー・シアター5
監督 鈴木雅之


都内で3件の殺人事件が発生。被害者、手口などに共通性や関連性を思わせる物はない。しかし各現場に残されていた数字の羅列のカードが次の反抗現場の緯度経度を示す物だったことから同一犯と推定された。
次の犯行現場は高級ホテル・コルテシア東京だった。
捜査本部は刑事をこのホテルの従業員に潜入される方法を取る。捜査一課の問題児、新田浩介(木村拓哉)はフロント係りを命じられる。指導係として山岸尚美(長澤まさみ)がつくことになった。
ホテルには部屋のグレードアップを狙うクレーマー(濱田岳)や常連をいいことにわがままをいう客(笹野高史)も多い。初めは反発する新田と山岸だったが、ホテルの備品を盗んだと思われた客(高嶋政宏)への対応でホテルへの被害を未然に防いだことから山岸は新田に一目置くようになった。そんな中視覚障害を装った片桐(松たか子)という客がいた。
もともとの3つの事件はやはり別々の犯人という結論になった。ネットで知り合った人間たちが単に現場予告のカードをおいていて、殺人は別々だったのだ。第4の事件は?犯人は?


木村拓哉、長澤まさみ主演の東野圭吾原作ミステリー。
新年第一弾にふさわしいフジテレビの豪華映画。
ただし私は木村拓哉が苦手なのである。苦手だが観たのはやっぱりミステリーとして面白そうだったから。

確かに面白いことは面白い。
昔ドラマで「HOTEL」という高嶋政伸のドラマもあったし、「グランドホテル」の時代から大型ホテルを舞台にした作品も数ある。

ミステリーとしてもくどくど説明しないし、その点はいいのだが、役者が(というか演出が)過剰なのである。
役者が少ない出番で印象を残そうとするせいか、やたらお客が怒る、クレームを付けるシーンが多い。観ていて「こんな客層の悪いホテルはイヤだな」と冗談で思ってしまった。

今の演出はとにかく過剰なのだ。先日ラピュタで「七人の刑事 終着駅の女」を観たが、これなど同じように様々な人々が集まってくる大型駅の人間模様を実に過剰にならずに描いていた。
このくらいの方が私にはあっている。
どうも味付けに懲りすぎて濃い味になってしまってるのだな。
もう観客の好みがこっちなのかも知れないが。

ストーカー被害に悩む女性のエピソードが出てくるが、このときに登場した山岸が語る過去のストーカー事例が伏線になっているのは面白い。

ミステリーとしては面白いが、役者たちのクドイ演技が気になって好きになれなかった。

あと結婚式をあげる花嫁役に前田敦子だが、そのストーカー(もどき)役で勝地涼が出てきたのはキャスティングの遊びとして素直に笑っておこう。







ある関係


日時 2019年1月20日17:10〜 
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 木村惠吾
製作 昭和37年(1962年)


西村貢(船越英二)は妻・佳由子(淡島千景)と二人暮らし。佳由子のいとこ・房子(三木裕子)もかつては一緒に住んでいたが、今は房子はアパートに住んでいた。
実は貢と房子は肉体関係にあった。貢の会社の帰りにホテルで情事を重ねる二人。
そんな中、佳由子が同窓会で熱海に一泊旅行したいと言い出した。房子とゆっくり過ごしたい貢は賛成した。佳由子は節約のために房子が勤めている薬局で歯磨き粉を会社の帰りに買ってくるように貢に頼んだ。歯磨き粉を頼まれた房子は事前にその歯磨き粉に毒物を仕込んだ。そして貢には「これは奥さん用で、あなたはこちらの歯磨き粉を使うように」と別のを渡す。毒物を仕込むのは薬剤師の房子には他愛のないことだった。
貢も会社の工場から劇薬を盗みだし、チョコレートに仕込んだ。佳由子にはそのチョコを「二日酔いの薬だ」と言って渡す。
佳由子は出かけ、翌朝貢の会社に「あなたの奥さんが亡くなった。至急熱海に行ってください」と警察から連絡が入る。
貢、それに房子は熱海のホテルに駆けつけるのだが。


ラピュタ阿佐ヶ谷の開館20周年企画でお客様のリクエストを上映する企画での上映。目的は「七人の刑事 終着駅の女」だが、1本だけ見るのもなんだから、その前にやっていたこの「ある関係」も見る。
上映時間も78分と短いから、完全に添え物。
監督もなじみのない監督だ。

しかしリクエストで上映されるだけあって拾い物だった。
それぞれ相手が知らない間に佳由子を殺そうとして薬物を準備する。
結局お互いは知らないから、お互いが準備した毒物で相手が死ぬラストになるのかな、と思ったらその通り。
しかし先が読めたがっかりより、その通りになった喜び、快感の方が大きい。

しかも意外な結末はそれだけではないのだ。
なんと佳由子は自殺。一緒に行ったのは学生時代の友人ではなく、不倫相手だったのだ。
それを熱海署の警部が説明するのだが「あなた方お子さんは?」「いえなかなか出来なくて」「だとしたら原因はあなたの方ですな。奥さん妊娠してましたよ」「えっ!」という具合。
今ならセクハラもどきの発言だが、「今までそこにいた方が相手の男の方の奥さん。この奥さん気性が激しくてねえ。あれじゃ旦那もつらかったでしょう」的なことを笑いながら言う。

いやいや人が死んでその言い方はないと思うが、それにしても観てるこちらも笑ってしまう。
この展開は予想外だったなあ。

そして貢と房子はその旅館に泊まるが、貢は妻の用意した歯磨き粉で歯を磨いて死亡、房子も佳由子の鞄にあったチョコを食べてしまう。
ラスト、房子のアップではなく、「また死んだってどういうことなんだ?」といいながら例の警部が旅館に入っていくラストは秀逸。
警部もさぞかし事件の解明に手間取ることでしょう。

原作は佐野洋の「不運な旅館」。読んでみようかな。





夜明け


日時 2019年1月20日13:35〜 
場所 新宿ピカデリー・シアター7
監督 広瀬奈々子


田舎町で家具の木工所を営む涌井哲郎(小林薫)は早朝釣りに行ったときに川で倒れている青年(柳楽優弥)を助ける。哲郎は自宅に連れて帰り、熱があるその青年を介抱した。
青年は自分の名をヨシダシンイチと名乗った。行くところがないシンイチを哲郎は自分の工場で働かせる。最初はやる気のなかったシンイチだが、哲郎が数年前に妻と子供を交通事故で亡くしていると聞かされる。しかも2階の部屋においてあって認定証から息子の名も真一と知る。
シンイチは仏壇にあった息子らしい男の写真を見つける。翌日、シンイチは髪を茶色く染めた。
工場仲間に連れて行かれたスナックの女の子から「どっかで見たことがあある」と言われて動揺するシンイチ。一緒に写真を撮ろうと言われて激怒してしまう。
数年前、この土地の今はパチンコ屋になっている場所にあったファミレスで火事があり、店長が大やけどを負い、先日亡くなったことがあったのだ。
哲郎は工場の従業員の宏美と再婚を予定していた。しかしいざ結婚という段階でどうも消極的だ。妻となる宏美は哲郎のそんな態度に怒りをぶつけてしまう。


是枝裕和の助監督をしていた広瀬奈々子の監督デビュー作。それだけなら観ないのだが、柳楽優弥主演と知って観に行く。柳楽はデビューしてからずっとファンなので、彼が出てると言うだけで観たくなる。(すべて
観てるわけではないが)

とにかく柳楽優弥と小林薫である。この名優二人を観てるだけで何か感動できる。話は進展が少ないし、あまり面白味はないのだが、とにかくこの二人で観てられるのだよ。

最初、青年を拾ってきただけでどう話が展開するのかと思ったが、柳楽優弥がパチンコ屋を見て何か動揺したり、みんなで行った居酒屋で店長が従業員を怒鳴りつけてるのをじっと見ていたりして何かあると思わせ、徐々に彼の過去が明らかになっていく。

シンイチは過去にこの近くの旭商科大学に通っていて、そのときに火事になったファミレスでバイトしていたのだ。
そしてガスが漏れているのを気づいていながら店長に言わずに店長がたばこに火をつけて火事になったのだ。彼はそれをずっと自分の責任と考えていた。

哲郎も息子と喧嘩したまま事故に遭ってしまい帰らぬ人になった。
そのトラウマを解決するためにシンイチの本名が持っていた免許証から解っても「シンイチになってやり直せ」という。
そして自分の結婚式で後継者として皆に紹介しようとする。
結局それに応えるのも負担でシンイチ(実は会沢光)は逃げ出してしまう。

これで話をどう終わらせるかと思ったが、シンイチが逃げ出してさまようところで終わり。
話は何も解決していない。
監督自身にも結論は出てないんじゃないかなあ。
柳楽優弥と小林薫を観てればなんだか満足出来ましたから、損した訳ではないですが。





吹けば飛ぶよな男だが


日時 2019年1月19日18:00〜 
場所 アテネフランセ
監督 山田洋次
製作 昭和43年(1968年)


大阪のチンピラ・三郎(なべ・おさみ)は兄貴分の鉄や弟分のガス(佐藤蛾次郎)らと繁華街で家出娘らしい娘・花子(緑魔子)に声をかけ無理矢理ブルーフィルムに出演させようとした。しかし嫌がる花子を使うのが気が引けて助け出す。
「家に帰れよ」と言ってみたものの、汽車賃のない花子はまた別の男に声をかけられる。見てられなくて救った三郎だったが、相手が1万円を払ったので、気をよくした。
続けて男(有島一郎)に声をかけ、二人をトルコ風呂に送ってしまう。
しかし男はなにもせずに帰って行った。男は実は学校の先生で、トルコに忘れ物をしたとかでまたやってきた。
そのころは花子は三郎知り合いの福原のトルコの経営者お清(ミヤコ蝶々)の店で働いていた。
やがて花子が妊娠していると解った。「俺の子供か?」と喜ぶ三郎だったが、知り合ったばかりの三郎の子ではなく、九州でつきあった男の子供だった。
今はつきあいのないその男の子供は堕ろせと簡単に三郎は言うが、花子はカソリックで堕胎や自殺は許されない。
やけになった三郎は町のチンピラと喧嘩して相手を怪我させてしまう。それで逮捕され、刑務所に入ってる間に花子は死んでしまった。


シナリオ作家協会主催の「脚本で観る日本映画史」シリーズの1本で上映。さすがに会場には柏原寛司氏をはじめ、脚本家の方も多い。
本日は山田洋次監督のトークイベント付き。

私は山田洋次というと「男はつらいよ」シリーズとその後の作品しか知らない。初期の頃は観ていないか、観ても昔なのでよく覚えていない。
だから「若い頃はこういう映画も撮っていたのか」という驚きと戸惑いで観ていた。

ますブルーフィルムを撮ってる男たちを主人公に据えてるのが驚いた。私が知ってる「男はつらいよ」は20作目ぐらいからですでに寅次郎は聖人君子で女に惚れてもセックスには興味がなかった。
ところが冒頭からブルーフィルムの撮影だ。(このシーン、三脚に3台のカメラを据え置いて撮影してたから8mmだったのかなあ)
そしてトルコ風呂(今のソープランド)の女将まで登場する。

へー山田洋次もこういう猥雑な世界の映画もあったんだ。
私は山田洋次はトルコとかブルーフィルムはむしろ憎んでいるくらいだと思ってたからなあ。

だから面白かったかというと私は好きではない。主人公がバカなのである。やくざでもいいが、主人公は頭がよくて(勉強が出来るという意味ではない)機転が利いてトラブルを解決出来る人間が活躍する映画が好きだ。
三郎が指を詰めるのだが(たしか撮影現場から女を連れだしたことが原因で)、指を詰めるか金払うか(だったと思う)の二者択一になったら私なら金を工面する方に話を持って行く。

また三郎の隣の部屋のおっさん(犬塚弘)がやくざだと知ると途端にヘイコラしだす。そのおっさんも幹部でもなく下っ端の組員である。
指を詰めて医者につれてってもらったりして(ちなみに私はこういうの、自分の指まで痛くなりそうで嫌いである)面倒見てもらったことで懐き出す。
おっさんの女房(石井富子)が「あいつ、あんたについて回るよ」というがその通りで、花子が堕ろす堕ろさないでもめてるときに町で唐突にチンピラと喧嘩になる(というかする)。
そこで「わいは○○組の舎弟じゃい!」とそのおっさんの名前を出してしまう。
そのせいでとばっちりがおっさんに行き、おっさんは組に呼び出され、お詫びのために指を詰める。

おっさんがわびを入れたり指を詰めたりするシーンはないが、その後登場したときに指に包帯を巻いていた。人の名前を語ったためにいい迷惑をかけている。
そのことをおっさんが責めるシーンがなかった。おっさんは潔い。

それで刑務所から出所して花子の遺骨を故郷の島原に納骨して自分は外国航路の船員になるという。
好きになれないなあ、こいつ。
山田洋次というより共同脚本の森崎東のラインなのかも知れないけど。

ラストでお清は以前から「前に子供産んだことがある」と言っていたが、「それって俺か?」と三郎が聞く。
「アホ、その子はすぐに死んだ」という。
このシーン、ここでお清が泣くのだが、このカットを撮った時このカットがよすぎて、このままではお清の映画になってしまう、ということで撮影の高羽哲夫と山田洋次が心配し、切り返しの三郎の泣き顔も撮ったそうだ。
ミヤコ蝶々としてはいい演技をしたいし、山田洋次は全体のバランスを考えなきゃということでのせめぎ合いなのだな。

また観客からこのシーンが「ミヤコ蝶々さんだし、『男はつらいよ』の寅次郎の母親のエピソードとかぶってないか?なにか落語とかに元ネタがあるんでしょうか?」という質問があった。
山田洋次は「落語は昔から聞いていて染み着いてるから、ひょっとした瞬間に出てくるということはある」結局こういうシーンをミヤコ蝶々さんいやってもらいたかったということになるのだろう。セルフリメイクである。

本日、トークの後半は主演のなべおさみも参加。1時間ぐらい話し、なかなか豪華な時間だった。





天河伝説殺人事件


日時 2019年1月19日 
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 市川崑
製作 平成3年(1991年)


新宿の高層ビル街で男が死んだ。解剖の結果、毒物を飲まされたらしい。
男は京都で能衣装を扱う会社の営業マン・川島だった。特徴のある形の鈴が川島の所持品と思われ出所を洗う刑事たち(加藤武、斉藤洋介)。
その頃、ルポライターの浅見光彦(榎木孝明)は能に関する取材のため、奈良県の天川村を訪ねていた。ここにある天河神社には能に関する資料がたくさん保管されているのだ。
能の家元、水上流では宗家・和慶(日下武史)の後継問題が起こっていた。和慶の息子・和春は早くに亡くなり、和慶の孫の和鷹(山口粧太)と秀美(財前直美)のどちらかだったが、和春の嫁、秀美の母・菜津(岸田今日子)は秀美が跡取りになるべきだと考えていた。しかし水上流の幹部・高崎(神山繁)は「男がなるべきだ」と秀美が継ぐことを反対していた。和鷹は菜津の実の息子ではないのだ。
そんな時、高崎が天川村の山中で亡くなった。どうやら崖から突き落とされたらしい。
今度は「道成寺」の能舞台で和鷹が亡くなった。能面の裏に毒が塗られていて、舞の最中にその毒が口に入ったのだ。もともとは和慶がその舞をするはずだったが、和鷹を後継者にするために和慶がその日の朝に役を変わったのだ。
果たして事件の真相は?


この映画は封切りの時にも観ている。たしか今はない新宿東急だったと思う。角川映画で、完全に金田一シリーズを踏襲したものだった。
監督は市川崑で特に警察役で加藤武を配し、誰がどう観ても金田一シリーズの警部役と同じキャラクター。
そして金田一シリーズで常連だった小林昭二、常田富士男、大滝秀治、石坂浩二らが出演。どっからどう観ても二番煎じであり、作る方もそれを隠していない。
DVDにはメイキング映像があって、そこで撮影風景も出てくる。
石坂浩二は榎木孝明に「金田一の頃はさあ、フケがパン粉なんだけどあれそのうちベタベタしてくるんだよね。しかも頭洗ってもなかなか落ちない」という苦労話とか「加藤(武)さんとすれ違うシーンがあって、『あっ』とかやろうか」などと冗談で言っている。

そういうのどうなんだろうねえ。
セルフパロディとも言えるが、やっぱり単なる二番煎じである。
角川も横溝正史、森村誠一とブームを作ってきたから「今度は内田康夫だ!」となったのだろうけど、これも柳の下のどうじょう狙いでしかない。
内田康夫はそれなりに売れたし、2時間サスペンスドラマでも浅見光彦はやってけど、金田一ほどではなかった。

映画自体もなかなか事件が本格化しないし、テンポが悪い(というか饒舌な感じ)がして間延びするし、原作からキャストまでなにからなにまで二番煎じ感がつきまとった。
用は新鮮味がないのだな。

ラストカットで「浅見光彦事件ファイル1解決」みたいなテロップが出るからシリーズ化を狙っていたのだと思うが(当然だ)、映画はあまりヒットせず終わってしまったのだ。
それも仕様がないと思う出来だったし、当時もそう思ったし今回もそう思った。

そうそう和鷹役の山口粧太はテレビの刑事物「ジャングル」で若手刑事役をやっており、これを初めに活躍していくかと思ったら、そうでもなかった。当時、ちょっと期待していただけに残念に思った記憶がある。






新・動く標的


日時 2019年1月17日 
場所 録画DVD
監督 スチュワート・ローゼンバーグ
製作 1975年(昭和50年)


ルー・ハーパー(ポール・ニューマン)はニューオリンズにやってきた。
依頼人はデブロー夫人。しかし会ってみたら6年前に1週間情事を楽しんだ相手だった。
シンシア・デブロー夫人はこの土地の大地主オリビア・デブローの息子と結婚したが、オリビアがこの家も財産も仕切っていた。シンシアは夫との仲は冷え切っており、今は不倫を繰り返す日々だった。シンシアの夫宛にに「お前の妻は不倫している」という手紙が届き、シンシアが事前に読んだため、この手紙の主を突き止めてほしいということだった。数日前にやめた運転手のリーバスが怪しいという。
シンシアの娘スカイラーはハーパーを誘惑してくる。警察の警部補はやたらとハーパーを目の敵にする。キルボーンという悪党はオリビアの土地から石油が出るからと狙っている。
リーバスが常連のバーに行き、グレチェンという女とつきあってると解った。女からリーバスの部屋に行く。そこで何者かに拉致される。
やがてオリビアが死体で発見された。
ハーパーはキルボーンがリーバスに殺させたと考えるのだが。


「動く標的」から9年ぶりのハーパー探偵もの。「動く標的」を観たら再見したくなり、確かどこかで録画したはずだとDVDを漁って出てきたので鑑賞した次第。
封切りの時にも観ていて「狼たちの午後」と2本立てだったと思う。
この2本立ては「007」と怪獣映画しか観たことがなかった私にとって初めての「普通の外国映画」だったのかも知れない。

特にオープニングでハーパーが空港についてレンタカーに乗る。そのときに故障しているのかシートベルトをしないときになる警告ブザーが消えない。それでなにやら細工をする、というシーンはよく覚えている。
当時はシートベルトが義務化したころで、まだまだシートベルトに馴染めない人が多かった時代だ。
「シートベルトが当たり前」という現代からすると隔世の感がある。

そしてラストカットが女性になにか言われてハーパーが車に乗り込み手を振る(という表現はよくないのだがそうとしか言いようがない)カットはよく覚えていた。なんかこう車に乗り込んだカットでストップモーションというのが新鮮で鮮明に覚えていたのだ。

あと覚えてたのが部屋の中に水をいっぱいにして天窓から逃げようとしたがうまく行かなかったシーン。
とにかく映画の内容はよく覚えていないが、一部のシーンやカットはやたら覚えていたのである。
まあ映画を見始めたタイミングだったからだろう。他のタイミングだったら覚えてなかったかも知れない。

「動く標的」に比べれば登場人物が少なく、話はそれほど複雑ではない。
ハーパーの相手にハッタリをかませて情報を聞き出す方法は勉強になる。
正直、「動く標的」より話が複雑すぎないで好きかな。

捜査していると警官に捕まったり、悪者に拉致されたり、聞き込み先で拳銃を向けられたり本当この手の探偵もののパターンなのですが、それも「おきまり」ということで楽しめました。
そういえば「動く標的」は離婚協議中の妻が出てきましたが、今回はそういうのなし。(シンシアと以前関係があったというのはあるけど)

「ロンググッドバイ」に最近の日本の探偵ものは引っ張られてる気がするが、こういう探偵ものは日本でもまた観たい。






動く標的


日時 2019年1月14日 
場所 ムービープラス録画
監督 ジャック・スマイト
製作 1966年(昭和41年)


私立探偵ルー・ハーパー(ポール・ニューマン)は友人で弁護士アルバート(アーサー・ヒル)の以来で富豪のサンプソン夫人(ローレン・バコール)を訪問した。夫が昨日、空港でいなくなったというのだ。
お抱えパイロットのアラン(ロバート・ワグナー)では空港で少し離れた隙にいなくなったという。行く予定だったホテルにはサンプソン自身がキャンセルの電話をしたらしい。
アルバートは24歳下のサンプソンの娘、ミランダ(パメラ・ティフィン)と結婚を予定していた。しかしどう見ても似合わない。
サンプソンの部屋でフェイ(シェリー・ウインタース)というかつての映画スターの写真を見つける。手がかりがあるかと思って近づいたが、フェイの夫、ドロイに脅されただけだった。フェイの部屋にいたときにかかってきた電話からピアノバーの歌手・ベティも何か関連があるかも知れない。
やがて「50万ドル用意しろ」という手紙がサンプソン家に届く。
とりあえず金を用意することになったが。


ポール・ニューマンが私立探偵を演じるルー・ハーパーシリーズ。
原作はリュウ・アーチャーだがなぜか名前が変わっている。このあと75年にもう1本「新・動く標的」が作られた。こちらは劇場で観ている。たしか「狼たちの午後」と2本立てだったはずだ。

冒頭、ハーパーがベッドから起きる。冷蔵庫から氷を出し首にあてる。コーヒーを飲もうと思うがコーヒー粉がない。仕方なく昨日の出涸らしをゴミ箱から出して飲む、という描写が出てくる。
うがった見方かも知れないが、「ロンググッドバイ」と同じではないか。
ハンフリー・ボガートとは違った、現代の探偵像を作ったのかも知れない。
その後、車で富豪の家に。ここも「大いなる眠り」(ロバート・ミッチャムの方)を思い出した。

その後、ごちゃごちゃといろんな人物が出てくるが、この手の探偵ものにありがちな人物の混乱を招く。本格ミステリーみたいにわかりやすさは追求してないのだろう。
また失踪したサンプソンは顔写真も出てこず(ハーパーはもらっているがその写真は写さない)、最後に死体となって(それもトイレに転がってるだけ)出てくる。
もう事件の詳細などどうでもいいようだ。

実際に犯人は大したことなく、アランたちだった、という訳。
そしてサンプソンの居場所を犯人から聞き出し、助けに行ったところで死体を発見。ハーパーは殴り倒される。
連絡を受けてやってきたアルバートに助けられ、奪われた金も戻り、誘拐犯にまだ共犯がいたのだろうとアルバートが言う。

この後、ハーパーがアルバートが最後のサンプソン殺しの犯人だと指摘する。
ハーパーも優秀な警官だったようだが、退職して私立探偵、アルバートも優秀な検事だったらしいが今は退職して弁護士。
気まぐれなアル中のような金持ちのサンプソンが許せなかったという。
この二人の会話のシーンは伝わってくるものがあった。
なんだろう。でも「うまく行かなかった人間のぶつけようのない恨み」みたいなものが感じられた。

サンプソン夫人に金を返しに行こうとするハーパー。「夫が殺されたことを報告する。犯人も。撃つなら今だぞ」と言って歩き出す。
アルバートは撃とうとするが撃てない。「しょうがないなあ」といった感じで両手をあげるハーパー。ストップモーションで「THE END」。
粋なラストカットだった。
この最後だけでも観る価値はあった。







空の大怪獣Q


日時 2019年1月14日 
場所 シネフィルWOWOW録画
監督 ラリー・コーエン
製作 1982年(昭和57年)


舞台はニューヨーク。エンパイアステートビルの窓拭き人が首なし死体となって落下した。翌日、全身の皮をはがされた男の死体が発見された。
ニューヨーク市警の刑事、シェパード刑事(デビッド・キャラダイン)は皮をはがされた男の事件は、アステカ文明の儀式に関係があるのではと直感する。
売れないピアニストのクイン(マイケル・モリアーティ)は悪い仲間から宝石強盗に誘われていた。クインは「運転だけなら」と渋々引き受けるが現場でやっぱり手伝わされ、結局何も奪えずに逃走した。そのときに仲間のいるクライスラービルに逃げ込み、頂上で何かの巨大な卵を発見した。
その間にビル工事の人間が空からやってきた何者かに連れ去られたり、屋上で日光浴をしていた女性が行方不明、空から血が降ってきたりする怪事件が続く。
クインは強盗仲間に宝石を持ち逃げしたと思われ、隠し場所を教えろ言われ例の巨大な卵の元に連れて行き襲わせてしまう。
シェパード刑事はアステカの密教の儀式として神への生け贄として皮をはぐ事件が起こり、その儀式に空飛ぶ竜が呼び寄せられたと推理する。
クインは警察に捕まり、自分の罪を免除し100万ドルをくれたら怪物の巣のありかを話すと要求。渋々その要求を飲む市警察。
クライスラービルの卵をまずはマシンガンで撃ち抜いた。
密教の儀式も犯人をとらえかけたが逃がす。
怪物の親の方がクライスラービルに戻ってきた。警官隊による銃掃射が始まる!


ずっと昔から気になっていたこの映画、60年代ぐらいの怪獣映画かと思っていたら80年代の映画。日本では劇場公開されず、ビデオとテレビ放送だけだったようだ。今回シネフィルWOWOWで放送したの録画。

冒頭にR15指定、と出るが観てみて解った。全裸で日光浴する女性とか数秒けだが人の皮をナイフで剥ぐ描写とか、確かにR15である。

で怪獣映画を期待するとそれはあまり満足されない。
アステカ文明の密教がどうしたで怪獣がよみがえった、ってまるで「事件記者コルチャック」にあった感じである。しかしデヴィッド・キャラダインにはコルチャックのようなユーモアもない。

んで怪獣映画としてより、クインのだめっぷりが目立つ。女の前ではでかいことをいい、ピアノは大したことない、根性もないで単なるアホである。そして怪物の居場所を知ったとなると居丈高に要求をする。
怪獣の居場所を教えるから金をくれ、というキャラクターは初めて観た。
そういう意味では新しかったけど。
(しかしクレジット上では刑事よりこのだめ男の方が上。納得いかん)

怪物の方も大した活躍(破壊)もなく(マンハッタンの空撮がすばらしいけど)、警官隊の銃撃でやられてしまう。
そして傷ついて飛び立ち、どこかのビルにぶつかって落ちていく。
この落ちていくカット終わりである。ここはちゃんと死んだところを観たかった。ビルのぶつかるあたりはハリーハウゼンの映画のようなコマ撮りで、それは見応えがあったけど、いかんせん時間が短い。

だめ男のぐだぐだっぷりに時間が割かれ、肝心の「怪獣対人間」が少なかったのが残念。
ラストではもう一つ卵があった!というオチですが、これもこの手の映画の定番でしょう。



戦艦ポチョムキン


日時 2019年1月12日 
場所 DVD
監督 セルゲイ・エイゼンシュタイン
製作 1925年(大正14年)


戦艦ポチョムキンでは兵士の不満が高まっていた。食事に出される肉は腐ってウジがわいていた。水兵が「捕虜の食事の方がまだましだ!」と上官に訴える。しかし艦医は「問題ない」というだけ。
甲板に集合したときについに一人の水兵が反抗を始める。それに対し、艦長は逆らった者を銃殺にしようとする。いよいよ決起が始まった!
最初に声を上げた兵士は銃殺された。しかし水兵たちは戦艦を乗っ取り、オデッサに入港する。
そこでも人民は暖かく迎えてくれ、銃殺された兵士を弔う。
しかし政府軍も黙っていない。オデッサの大階段の上から銃を乱射し、制圧を試みる。逃げまどう群衆。子供がなぎ倒されて亡くなる。乳母車の母は銃殺される。乳母車は階段を下っていく。
そのとき、ポチョムキンの砲塔が火を噴き、政府軍の司令部を破壊した。
つかの間の休息。
しかし海軍艦隊がオデッサに向かってくる。
同志として合流を呼びかけるポチョムキンの兵士たち。果たして?


世界映画史にその名を残す「戦艦ポチョムキン」。
この映画は高校生の頃一度観ている。だから1980年頃に名古屋で上映される機会があったのだ。映画館での上映ではなく、何かのイベント上映だった。場所はよく覚えていない。

70年代はテレビの19時半からの1時間半番組で、「世界映画名場面大会」みたいな世界の映画の名シーンを集めて放送する番組が不定期であった。連続性はない企画だったと思う。
その中でもこの「ポチョムキン」のオデッサの大階段を乳母車は降りていくシーンは放送され、迫力の画面に圧倒されていた。
だから知っていたのだろう。その映画を観に行ったのだ。

サイレント映画なんて見慣れてないからあんまりピンと来なかった記憶がある。
今回サイレント映画を少し勉強しようと思って、この「戦艦ポチョムキン」を観た。

いや前に観た時より面白く観た。
特にオデッサの階段(この虐殺は史実ではないらしい)のシーン、逃げ惑う群衆、倒れた子供、銃を撃つ政府軍をカットバックでつないでいき、サスペンスを盛り上げる手法は実に見事である。この映画が作られて90年以上経つが、まったく見劣りしない。

同じくラスト。艦隊が迫ってくる、ポチョムキンは進む、エンジン全開、水しぶき、砲弾の装填、果たして撃ってくるか?というサスペンスは実に見事で、戦争映画の敵との衝突のクライマックスを盛り上げる一連のカットつなぎとまるで同じである。
すばらしい。
今でもこの映画から学べることは多いと思うよ。

80年頃この映画を観たときは55年前の映画だった。2019年の55年前というと1964年その頃の映画なんか今でも普通に上映されている。80年当時は55年前の映画なんて全くと言っていいほど上映されないからなあ。
それはサイレントとかフィルムの保存とか上映が困難になっていたから。
そう考えると1925年からの50年は飛躍的に進歩してのだと改めて気づかされる。






吸血鬼ノスフェラトゥ


日時 2019年1月10日 
場所 DVD
監督 F・W・ムルナウ
製作 1922年(大正11年)


ブレーメン市の不動産屋レンフィールドはトランシルヴァニアの伯爵から家を仲介してほしいとの手紙を受け取った。レンフィールドは部下のハーカーに契約に行くように命じる。
ハーカーは恋人のニーナをおいてトランシルヴァニアへの旅に出る。
夜になって食堂に立ち寄ったハーカーだが、店の主人に「あの街に夜行くのはやめなさい。悪霊がいる」と言われてその夜はあきらめる。
翌日、馬車を雇って近くまで行ったが、「これ以上は行きたくない」と目的地のすぐ近くで降ろされてしまった。
しかしその伯爵が迎えにきてくれた。その晩二人きりで食事を取る伯爵とハーカー。食事中にハーカーはナイフで指を切ったが、それを喜々として見る伯爵。
翌朝、ハーカーの首には二つの噛み後があった。何か虫に刺されたのだろうか?いや伯爵は実は吸血鬼だったのだ。
ハーカーを残し、船でブレーメンに向かう伯爵。それを追いかけるハーカー。レンフィールドは魔力によって操られていた。
船の乗組員の生き血を吸い、伯爵はブレーメンに入るのだが。


最近、「狂った一頁」に関連してドイツ表現主義を勉強中。先日「カリガリ博士」を見たが、同じく表現主義で有名で、史上初のドラキュラ映画と言われている「吸血鬼ノスフェラトゥ」を観た。

本来は18コマ映写だと思われるが、24コマ上映になっているので、時折動きが変。映写スピードに関しては「日本SF映画創世記」で勉強になった。

ノラフェストゥの特殊メイクに関しては後のクリストファー・リーとは違うまた坊主頭に長い指で不気味な造形。これは怖かったろう。
また人を襲うシーンも影で表現され、その控えめな恐怖演出はいいなあ。
スプラッター映画みたいにストレートすぎる描写は私は苦手である。

ラストは古文書に「吸血鬼は汚れなき若い女性の生き血を飲むと死ぬ」とあって、それを読んだニーナは自らが犠牲になって街を救う。
ネットで検索するとハーカーとニーナは夫婦とあるけど、恋人なんじゃないかなあ。だからまだ処女のニーナは自らが犠牲になれると。
ノスフェラトゥはニーナの生き血を吸うのに夢中になって朝がきてしまい、日の光を浴びて消えていく。
こんなラスト。

またノラフェストゥは棺桶で寝るのだが、別の棺桶には土とネズミが積めてある。これはノラフェストゥが埋められていた場所の土で眠りたがるということらしい。

DVDに画面で表示される解説文では原作者に無断で映画化し、盗作裁判があったそうだ。裁判に負けてフィルムは廃棄されたと思われたのが見つかった!ということだそうで。
そういう盗作騒動があったから、日本では製作当時公開されていないらしい。
うん、勉強になった。






ハイジャック


日時 2019年1月6日 
場所 ムービープラス録画
監督 ジョン・ギラーミン
製作 1972年(昭和47年)


ロサンゼルス発の502便は無事飛び立った。しかしオハラ機長(チャールトン・ヘストン)にはトイレに口紅で「アンカレッジに行け。爆弾を仕掛けた」と書かれていると報告が入る。
とりあえずアンカレッジに向かう502便。犯人は誰かは解らないが、トイレの場所から考えてファーストクラスにいる乗客だ。
上院議員、中年夫婦、ジャズのチェロ奏者、ウェーバー軍曹など。ウェーバー軍曹は搭乗するときも「予約は入れたはずだ!」と地上係員ともめて乗ってきた乗客だ。
アンカレッジは天候不良で視界ゼロ。着陸しようとしたが無線の故障した小型機が航路に進入してきた!


高校生ぐらいの時にテレビの洋画劇場で観て以来40年ぶりぐらいに鑑賞。
面白かった。
当時、パニック映画が流行ったがチャールトン・ヘストンは常連で(といってもよく考えると「大地震」と「エアポート75」ぐらいなのだが)、なんとなくチャールトン・ヘストンが出てると「大作映画!」っていう感じがしたのだよ。

そしてこの映画は「ハイジャック」。まるで「エアポート」シリーズのような映画だが、ユニバーサルではなくMGMである。もっとも「大空港」が1970年だから、その路線を狙って作ったのかも知れない。
(監督は「タワーリング・インフェルノ」のジョン・ギラーミン)

アンカレッジ行きとなった502便。犯人はファーストクラスにいる、となるのだが、妊婦とか仲良さそうな中年夫婦とか上院議員とかあんまり怪しい奴はいない。挙動不審なのは無理矢理乗り込んだ軍曹ぐらいで、「ここで軍曹ってことはないだろう。妊婦が実は妊娠してないとか?」といろいろ考えたが、結局はやっぱり軍曹だった。彼は精神を病んでいたという設定だが、詳しくは説明されないが、ベトナム後遺症だったのかも知れない。

しかし完全に話は忘れていた。
でも2シーンぐらい覚えていてアンカレッジに着いたときに軍曹が「外は真っ黒だなあ」と言って隣の黒人ミュージシャンに「ごめん、変な意味じゃないんだ」「気にするなよ」というせりふ。
それとアンカレッジでFBIが貨物室から乗り込むのだが、離陸後、それを助ける。しかし凍傷でもうよれよれである。
FBIなのに「私はセールスマンです」と言い切るのだが、このシーンは昔観たときは「とにかく設定を貫き通す、つまり敵を欺くにはまず味方から」というように取ったのだが、今回の字幕版では「いや一応セールスマンの身分なので」という言い方で、ちょっとニュアンスの違いを感じた。

それは大したことではないが、そのあとモスクワ行きを命じる。モスクワへ亡命しようと言うのだ。ところがソ連では領空侵犯機として戦闘機に威嚇されてしまう。どうなる?とハラハラしたが、結局はソ連も事情を解ってくれてモスクワ空港に緊急着陸。
ファーストクラスの乗客も降りて自分がソ連に歓迎されることを夢想した軍曹だったが・・・・という展開。

航空パニック映画って、機内のセットが大半だから意外とお手軽に作れるようだ。
アンカレッジの視界ゼロの着陸、それを邪魔する小型機、ソ連での戦闘機による威嚇など、サスペンス要素も多く、楽しめる映画だった。
前半の犯人当てをもう少しミステリー要素を増やせばさらに面白くなったと思う。







かちんこ!-平成任侠外伝-


日時 2019年1月5日18:00〜 
場所 光音座1
監督 清水大敬
製作 OP PICTURES


今日もある場所で映画の撮影が行われていた。監督は「二十四の瞳」のようなほんわかとしたやくざ映画が撮りたいという。
そこへやくざの八尾の朝っ吉親分(森羅万象)が乗り込んできた。貸した金を返せと言う。しかし監督に金はない。なら製作中止になるかと思いきや、朝っ吉が監督をすると言い出した。それなら借金をちゃらにするという。
若手俳優二人がブルマの国に行き、麻薬の取引をしようとしたが偽札とばれる。「ヒーローが必要だ!」と直ちに一人(折笠慎也)がバイクに乗った月経仮面に。公園で撮影しようとしたら、バイクが来ない。仕方なく近くにあった自転車を無断借用、そしたら公園の管理人から「使用許可は取ってるか」と責められ、自転車の所有者(実は大手映画配給会社ジャパンピクチャーの社長)にも責められる。
仕方なく撮影場所を変えると朝っ吉は「自分の子供の頃を回想で入れる」という。それは父親が飯も食わしてくれないのに若い男を家に連れ込んで、お前は出て行けと言われ、カッとなって父親を刺し殺して少年院に入ったというものだった。
そして元監督から「実はシルクハットの親分(野村貴浩)からも金を借りていまして」ということだった。
案の定、シルクハットが取り立てにやってきた。もめ出す二人。スタッフが警察に電話し、シルクハットと朝っ吉は逮捕。しかしシルクハットの拳銃を朝っ吉が隠したおかげで懲役1年で済んだ。朝っ吉は組を解散すれば釈放してやると言われ、組の解散を選んだ。なにより映画を作りたかったのだ。
シルクハットを取り調べ中に彼を犯した刑事がいたが、その刑事が行くバーで張り込み、薬を嗅がせて拉致、動物園のゴリラ舎に入れ犯させた。
朝っ吉たちは映画を作り続け、ブルマの国で帰らなくなった水島を迎えにきた仲間が「水島、一緒に日本に帰ろう」とやったけど水島は向こうの男とできていたので帰らない、というシーンでクランクアップ。
映画はジャパンピクチュアに買われ、朝っ吉はワールドピクチュアという映画会社を立ち上げる。
刑を終えたシルクハットを自分の会社に迎える。シルクハットは「兄貴!」と呼ぶがもうやくざではないので盃は交わせない。
朝っ吉はシルクハットの尻でつながった。
シルクハットはビリーワイルダーのような映画を撮りたい、と言って「アパートの合鍵貸します」という脚本を書き、プロデューサーとして活躍することになった。


話全部書いたら1000字超えた。普通は多くても600字ぐらいなんだけどね。

はっきり言う。この映画、ゲイ映画ではない。
4年前にも清水監督は「平成任侠伝 なんたら」というゲイ映画の形でやくざ映画を撮ったけど、また同じことをしている。
今度はやくざだけでなく、映画愛もぶち込んでいる。

何回も言うけど映画愛の映画って私はあまり好きでない。理由は自画自賛になるから。「カメラを止めるな!」は映画愛というより仕事愛を感じて納得できたけど。

冒頭山本宗介と折笠慎也のカラミから始まる。折笠は夏のゲイ映画で主役を演じ、その体がきれいだったのでまあよかったが、主役が森羅万象ではねえ。
いやもちろん森羅さんがいい役者であることは認めるが、ゲイ映画の主役としてはどうかである。たとえば役所広司がゲイ映画の主役をやっても私は楽しめない。

朝吉は「悪名」だったか。そしてシルクハットの親分は若山富三郎の東映での役名だろう。「ビルマの竪琴」のパロディなんてやってるけど30年以上前のパロディなんて今通じるのか?
また同様にシルクハットが登場して、元監督を縛って鞭で打つのだが、それをカメラマンに「撮れ」といって「カメラを止めるな!」という。
そういう分かりやすすぎるパロディはやめて欲しいなあ。
テレビのバラエティじゃないんだから。

最後は森羅万象と野村貴浩がからむのだが、男の裸ならなんでも言い訳じゃないだろう。同じくクランクアップ後にスタッフ全員で風呂に入って、一列に並んで尻を見せて隣の人の尻を洗いあう、というシーンはお客さんは喜んだのだろうか?(私以外のお客さんが喜んでくれたならよい)

とにかく「ゲイ映画って何を作ったらいいか解らないから、好きなことやろう」という観客無視の映画がまた誕生してしまった。
朝っ吉が最後に「映画館の暗闇で普段のいやなことを忘れさせるようなお客様の喜ぶ映画を作る!」と自社のモットーを叫ぶのだが、「それがこれですか?」と言い返したい。

やくざ映画を作りたい、映画愛のある映画を作りたいという気持ちは許そう。それなら山本宗介と折笠慎也を主役にして、監督や周りに翻弄される若手二人を主役にすべきだった。私はそう思う。

まあラストに朝っ吉の会社の社員全員が上半身裸にハッピ着て、「今年もみなさまのご多幸をお祈りします!」という新年の挨拶はよかったけど。
ただし光音座以外では正月に上映されるとは限らない。

同時上映は池島ゆたか監督の「ミステイク」。先月観たので鑑賞省略。





不倫女房 絶品淫ら顔(再見)


日時 2019年1月5日14:18〜 
場所 光音座2
監督 佐々木 尚
製作 エクセス


母が亡くなって住む場所を失った忠男(真央 元)は東京の親戚の真由美の元に越してきた。真由美は夫の康広(杉本まこと・現なかみつせいじ)と妹の美紀と3人暮らし。
忠男はドSな男で夜、「お前その男を見て興奮したんだろう」と責める。
忠男は康広の紹介である会社で働き始めたものの、どうにも性に会わない。会社を早退した日、忠男は真由美を強引に犯した。
そんな時、田舎から忠男の彼女が訪ねてきた。田舎に帰ろうと彼女はいうが、忠男はまだ帰る気はないらしい。
ある日やる気のない忠男を上司(久須美欽一)が責めると「俺には向いてない。やめてやる!」と怒って帰ってしまう。
家に帰って真由美を犯す忠男。次に美紀も犯す忠男。「妹には手を出さないで!」という真由美だが、美紀は「一緒に楽しもう」と3人で絡み出す。
やがて忠男は田舎に帰っていった。

最後まで書いた。
この映画、始まって数分で以前にも見ていることに気がついた。しかし自分のサイトを見ても掲載がない。
ここまで書き終わってまだUPしていない分を見たら、去年の10月に上のオークラで見ている。

あらすじ紹介を見たら、驚くほど同様に文章。
そして映画を見ながら「シュート!」の看板があった、とか真央元はゲイ映画で見たことがある、とか全く考えることが同じ。
同じ人間だからね。

真央元だが、顔はイマイチだが、女性を犯しているときの後ろ姿のカットでは、背中の筋肉やヒップラインがきれいだった。

ピンク映画では時々こういうことにぶつかるから注意。




痴漢電車 食い込み夢(ドリーム)マッチ


日時 2019年1月5日12:59〜 
場所 光音座2
監督 加藤義一
製作 OP PICTURES


こころ(桜木優希音)は通勤中に痴漢にあった。しかし若い男が助けてくれた。その男は高校時代の友人、渡瀬(櫻井拓也)だった。
こころには中華レストランに勤める恋人がいた。渡瀬は就職活動中。一流大学を出たもの、社会に出たらどうもうまく行かず仕事も長続きしない。
彼女とのセックスも肝心な時に勃たなかった。
こころと土曜日にランチを食べようと言うことになり、電車で向かう渡瀬。しかしすぐ近くでこころが痴漢されてるのを見て興奮してしまう。
すぐに電車を降りてその痴漢を追いかける。その痴漢に「俺興奮しました。弟子にしてください」という渡瀬。
銀二(小滝正大)という男は痴漢で相手をいかせる度にICカードに100円チャージしていた。自分は「トッキュウ」と名乗り、渡瀬を「ドンコウ」と名付けた。
渡瀬は銀二に指導を受け、初舞台にこころを選んだ。さわり始めたとき、別の女が逆に渡瀬に痴漢してきた。逃げ出す渡瀬。
銀二の元に新人が弟子入りしてきた。元アイドルでハニートラップにはまってスキャンダルになった男(山本宗介)だ。その男は「ドンコウ2号」と名付けられた。
二人は痴漢道に励む。
一方こころも渡瀬をさわってきた女性に話しかけられた。彼女は元スリでレイカといい、痴漢のおかげで仕事がしにくくなり、痴漢には恨みがあるという。
彼女と組んで痴漢撲滅をしようとするこころだった。


櫻井拓也さんが久々にピンクに出たので、本日は光音座1にも行く予定だったので、ついでに鑑賞。
この映画、途中で完全に心が離れた。

私は痴漢が嫌いなのである。私は相手がいやがってるプレイをするのは反対なのだ。逆に言えば相手が望むなら(健康に悪くない限りは)何をやってもありだと思う。

そういう考えなので痴漢は許せないのである。だから渡瀬が「痴漢の弟子にしてください」と言われて心が離れた。これが特に好きでない役者がやってればそうでもないかも知れないが、櫻井拓也さんにはいって欲しくなかったなあ。好きな役者さんには好きな役柄をやってもらいたいものですから。

一応渡瀬が弟子入りするときには「痴漢は犯罪だ!」とカメラに向かって宣言し、「それでもいいか?」と聞きますけどね。
私が痴漢物を考えるなら、徹底的に痴漢を悪者にして、主人公がやっつけ話を考えたい。

ラストで銀二は実は女(しじみ)で、同じくスリでレイカとはライバルだったと明かされる。一方、こころも自分を痴漢してるのは渡瀬と気づく。
「本来の渡瀬に戻してあげる」といい、画面は渡瀬の妄想としてこころと電車でセックスするシーンが出てくる。
しかし現実は「この人痴漢です!」と言われ警察に突き出される。
最後には痴漢は退治されるというオチにはなりましたけどね。

痴漢を肯定的に描くシーンがあり、私にはそれでダメだった。残念。







白衣絶頂 夜の天使たち


日時 2019年1月5日11:59〜 
場所 光音座2
監督 榎本敏郎
製作 新東宝


大病院の医師、森山(川瀬陽太)は看護婦の優子と不倫し、妻とは離婚調停中だった。その交渉にほとほと疲れていた。
ある日、優子の部屋でじゃれているときに優子が転んだ時に誤って頭を打ち、死んでしまう。アクアラングの経験がある森山は東京湾岸に彼女の死体を沈める。
それから病院を無断欠勤する森山。同僚看護婦と街で偶然再会。二人は体を重ねる。
しかし東京湾に捨てた死体が浮かび上がる。
森山は逮捕された。


櫻井拓也さん出演作を観に行ったときの同時上映。監督は榎本敏郎、脚本は井土紀州。

全体的に話が暗く、陰鬱としたムードが漂う。
私はどちらかと言えば「ピンク映画は明るくあるべきだ」と思うので、こういうのは苦手である。

後半森山の相手役となる女性看護婦が「運命ってあると思います?どんなに頑張っても結局は運命に従って人間は生きているような気がして」と言っていたが、森山もその運命にもてあそばれるような生き方だったな。






O嬢の物語


日時 2019年1月3日 
場所 Blu-ray
監督 ジュスト・ジャカン
製作 昭和51年(1976年)


O(コリンヌ・クレリー)は恋人のルネに言われてある洋館にやってきた。そこでは複数の女性たちが乳房を開いたドレスを着ていて、下半身に下着はつけていたい様子だった。
そこで彼女も同様なスタイルをさせられる。彼女は全裸にされ、そんなドレスを着せられる。女たちからここのルールを聞かされる。それは自分からは話してはいけない、男たちには従うということだった。そこにいる男たちに次々と犯されるO。恋人のルネが望むなら、彼女は従った。
彼女の世話はピエールという男だった。普段はピエールは女たちには興味を示さないのだが、彼女だけは好きになる。
やがてルネが迎えに来て、アパートの自宅に帰る。
ルネにステファン卿というルネの義理の兄を紹介される。「我々は何でも共有してきた」とステファン卿はいい、Oはステファン卿に引き渡された。
Oは写真家。モデルのジャクリーヌにルネは関心を持った。ステファンに言われ、ジャクリーヌを得るように言われる。まずは自分の家に住まわせ、お互いにその美しい体を楽しむようになる。
やがてルネに引き合わせる。


私が中学生の時に公開。
「エマニエル夫人」もヒットし、ソフトポルノブームとなるという今では考えられない時代だった。さすがに中学生では観に行けなかったが(行ったら人生に大きな影響を与えたかも知れない)、ずっと記憶に残っていた。DVD化はされていたから観るチャンスはあったと思うが、どうしても観たい!というほどではないのでそのままになっていた。
今回Blu-rayになったのを購入し、鑑賞。
(年末にシネフィルWOWOWでも放送され、「しまった」と思ったが、見比べるとこのセル版はヘア無修正、テレビ放送はぼかしありである。それに画質もやや劣る)

さすがジュスト・ジャカンだけあって映像がきれい。フォギーをかけたようなソフトフォーカスなのだが、これがなにやら妙に高級感を出している。
「エマニエル夫人」もこの高級感がよかっただろう。(あとはあの映画は主題歌ね)
主役のコリンヌ・クレリーは実に美しい。スタイルのよさ、乳房の形の良さには感嘆する。

話の方は前半の初めての館のシーンは刺激的。乳房を露わにしたドレスをまとって複数で歩くカットや、その服装で食事をするシーンなど、非日常性がエロい。
特に最初に車の中でOのパンティを脱がせ、ブラジャーの肩紐を切ってしまうシーンは実にエロい。(この車のシーンは予告編にもあって、当時から記憶に残っている)

全編この館の中の話かと思ったら、途中で館は出てしまう。
だから後半になって日常に戻るとやや刺激が落ちる。またこの「O」の正体が不明で、そこが余計にそそられたのだが、女性写真家だと明かされてしまう。そうなると「誰にでも心の奥にあるM性」という訳ではなく、女性写真家、という特殊性が生まれて普遍性がなくなってしまった気がした。
その辺が惜しい。

その後もOと他の女性とのレズシーンとか両手をつるされて鞭で打たれるとか(この両手を上に縛られて全裸で立っているカットが映画雑誌「ロードショー」のグラビアを飾っていた。もちろん股間はピンクのハートマークで隠されていたけど。これは刺激的だった。もはや映画雑誌の仮面をかぶったエロ本。中学生には刺激的だった)刺激的なシーンは多く、ストーリーはどうでもよく、ひたすら刺激の強い、しかし美しいカットの連続で、「エマニエル夫人」よりエロさは増していた。

「エマニエル夫人」に比べてSMチックな話がイマイチ受けなかったのか、ヒットの具合は落ちたようだが、こちらも負けず劣らず70年代のソフトポルノブームでも重要な位置を占める作品だと思う。








あいつの母親 淫靡な乳房


日時 2019年1月2日14:35頃〜 
場所 シネラマパワー(愛知県一宮市)
監督 松岡邦彦
製作 エクセス


ヨウコ(平田洸帆)の夫は石油関係の仕事で長期の海外赴任中。今は大学生の息子ワタル(高橋剛・たぶん)と二人暮らし。ワタルの友人シュウスケが気になって仕方ない。ワタルにシュウスケ(柘植亮二・たぶん)を家につれてくるように言う。
ワタルがテレビゲームに夢中になってる間に、「パソコンの調子が悪い」と自分の部屋に誘い出す。乳房を露わにして誘ったものの、このときは相手がびっくりして未遂。
ヨウコは今度はシュウスケをサングラスをかけ派手な服装で大学にまで迎えにいく。
そして部屋に連れ込み、今度はものにした。シュウスケは童貞だったようだ。
シュウスケにも言い寄ってくる女が居て彼女とホテルにいく。
やがてシュウスケはヨウコを避けたくて大学を休み出す。ワタルが心配して見に行くがはっきりしない。そのワタルからシュウスケの母親(床屋の理容師)が商店街の旅行で2日間以内と聞き出す。それを聞いてその晩、シュウスケの家に行く。床屋のいすでセックスする二人。そして自分の家にもつれて帰る。ワタルに見つかりそうになったが、なんとかかわす二人。シュウスケが家に戻ると、ワタルと自分の母親がセックスしていた。
しかしそれは幻想だったけど。


こんな感じのお話。最後はどうなったっけ?よく覚えていない。
シュウスケとヨウコの絡みが繰り返されるばかりで、ちょっと退屈する。
シュウスケと同級生の子との絡みのシーンがあるけど、完全に無理矢理挿入したエピソードで、だから彼女が疑いだいだすとか本筋に絡んでくることはない。

最後にワタルと母親がセックスしてる幻想を見るけど、幻想でなくてもよかったんじゃないかなあ。
ラストでは4人で大乱交、とか。

主役の平田洸帆があまり魅力的でないのが残念。シュウスケ役の青年がわりと男前で、アイドルっぽい二枚目なので、よかったと思う。
ポスターをよく見ると監督名の横に小さく「『親友の恥母 さかり下半身』より」とある。リメイクかと思ったが、そうではなく改題なのだろう。

ということで見に行ったシネラマパワーの話。
以前からネットで愛知県に奇妙な形のピンク映画館があるとは聞いていたが、京都・千本日活や、名古屋・中村映劇に行ってピンク映画館巡りをしているので行ってみた。
一宮から名鉄尾西線で2つ目。5分ぐらい。しかし一宮から30分に1本しか電車がないので、接続は悪い。

奇妙な柱状の建物なのだが、映画館はこの柱状の部分ではなく、2階部分にくっついた四角い部分だ。館内はもちろん古いが、汚いという感じでもない。ネット情報でも見てもおばあさんが一人で切り盛りしてるらしいが、掃除も頑張っているのだろう。
今はDVD上映だし、一人でもなんとかなるだろうけど、それにしても一人じゃきついだろう。火曜日が定休日らしい。
(12/31に1/2の上映時間を訊こうと思ったが電話に出なかった。休みだったのかも知れない)

1階の階段前とかにタイムテーブルなし。2階の切符売り場にもなし。タイトルが書いてあるだけ。自動販売機で1200円のチケットを買ってロビーのない場内をぬけ館内へ。
横8列、縦9列の72席+最後列にいすが並べてある。この最後列のいすでお客さんが隣のお客さんを握っていた。
また途中でたばこ臭くなったので、よく見たら数列前でたばこを吸ってる人が!一応場内禁煙と書いてあるが、黙認されてるのだろう。
(その後2列ぐらい前の人も吸った)

まず入って上映されていたのが加藤義一監督「巨乳OL 美乳人妻」。始まって何分ぐらいから見始めたのかが解らないが、このあと1時間ぐらいあったから、まだ数分だったかも知れない。
夫の浮気相手と部屋に行った女性(倖田李梨)さんがその浮気相手の女性と旅する話。なかみつせいじの詐欺師が出てくる。

画面がどうも変だと思ったら、ビスタの映画をシネスコで上映されている。よほど指摘してやろうかと思ったが、そういう野暮なことはやめておいた。(だからおっぱいが横に長くなる)
場末感でいっぱいだなあ。

もう1本は池島ゆたか監督「熟女の色香 芳醇な恥蜜」。これ見たことあるなと思ったら、「ダブルサイコ」だ。もう一度見たかったが、15時半になり、これ以上経つと外の写真が撮りづらくなる、帰りもぎりぎりになるので断念。

いい記念になりました。