2019年2月

   
あこがれ
弱腰OL 控えめな腰使い W不倫 寝取られ妻と小悪魔娘 ぐしょ濡れ女神は今日もイク! 刑事マルティン・ベック
さらば愛しき女よ 天才作家の妻
―40年目の真実―
かわいい女 フォルトゥナの瞳
七つの会議 ファースト・マン 雷魚 黒い下着の女 サイバー・ミッション

あこがれ


日時 2019年2月24日15:25〜 
場所 光音座1
監督 新倉直人
製作 OP映画 ENK


アキラ(古賀生詞)は18歳。家もなく希望もなく暮らしている。今日も友人とひったくりをした。歩いてる女性のハンドバックを自転車に乗った友人とひったくったのだ。友人といったん別れて待ち合わせをしたが相手はやってこなかった。喫茶店のコーヒー代300円も払えない。
困っているとサングラスの男、大木が払ってくれた。彼に誘われるままに飲みに行くアキラ。そこで森本というバーのマスターを紹介された。アキラの美少年ぶりに目を付けた大木と森本は彼に体を売らせることにする。
意外にもアキラはあっさり承知した。
早速森本は弁護士の成沢を紹介した。アキラを気に入った成沢は彼にアパートと当面の生活費を与える。しかしこれでアキラは満足しなかった。
「俺って何をしたらいいんだろう?」「タレントになれば。いい事務所紹介するよ」成沢に言われて芸能事務所に入るアキラ。
森本は新たな客を紹介してきた。「もう芸能事務所にも入ったんだし、勝手なことは出来ない」というアキラだが、「成沢よりもっと大物だから」と無理に行くようにいう。
ベンツの迎えでその鎌倉の大物に向かうアキラ。老人はアキラを気にいってくれた。老人は事務所にも口を聞いてくれて、彼をスターにするべく売り出させる。
アキラは左近寺聖として芸能界にデビューした。まだ新人だが大スター扱いだ。事務所の人間はアキラを「先生」と呼ぶ。
そんなアキラの元にかつてのひったくりの仲間がやってきた。「明後日会おう」と言ってその場を追い返す。
アキラは森本に彼の処置を相談した。「30万円でなんとかしてよ」。森本は大木に「そいつを黙らせてよ。でも10万円しか出せないって」。
大木は手下を使ってそのひったくり仲間を暴力で黙らせる。
しかし大木も「あいつも偉そうにしやがって」と気に入らない。
大木と森本はアキラの鎌倉の老人とのセックスや森本とのセックスを写真に撮り、アキラを脅迫する。
アキラは仕方なくまた別の男に抱かれるのだった。


新倉直人作品ってやる気がないとしか思えないような破綻した映画を見かけるが本作は別。やれば出来るじゃん、と大変失礼な感想がつい出てしまう。

主役の古賀生詞(ポスターでは「小賀」)がなかなかいい。
彼がこの手のゲイ映画にしては十分美少年なので話に説得力がある。
もちろん顔がいいだけでスターになれるほど甘くないのだが、そこはフィクションとして許そう。
悪人になってのし上がっていくのだが、さらに上手な奴がいるというピカレスクロマンである。

途中、鎌倉の老人の家から送ってもらうときに途中で降ろしてもらい、海岸を歩き「俺ってなにがしたいんだろう?」と自問するシーンがあるが、ここはなくてもよかったのでは?
のし上がっていこうとするだけでもいいと思うのだがなあ。

また森本には「30万円で」とアキラが言ったのに森本が大木には「10万円しか出せないっていうのよ」と値切るあたりがいい。こういうディテール、私は大好きです。

どこの誰とも知らないおっさんに犯されているところで終わるのがいい。
変に結論も出さずに、結末を自由に想像させるのがいいのだな。
勉強になった。

私はこの1本だけで新倉直人に対する評価を変えてもいいと思った。
よかった。
もう1回観てもいい。

同時上映「縄と男たち5  傷だらけの懺悔録」。以前にDVDで観ているので感想はパス。








弱腰OL 控えめな腰使い(「初恋とナポリタン」R18版)


日時 2019年2月23日20:05〜 
場所 上野オークラ劇場
監督 竹洞哲也
製作 OP PICTURES


本日の私にとってのメインはこの映画。本日はロフト・プラス・ワンで「84ゴジラ・コンプリーション」出版記念イベントに参加していたのだが休憩中に見ていたツイッターでたまたま和田光沙さんのツイートでこの映画の上映を知った次第。

この数年で一番気に入ってるピンク映画「初恋とナポリタン」のオリジナル(と言っていいのか)のR18版である。
ソフト化されることもないだろうし、今回見逃すといつ観れるか解らない。予定にはなかったが、急遽駆けつけた。

上映時間はこちらの方が短いのだが、逆にR15版にはなかったシーンもあった。

R15版にあってR18版にはなかったシーン。
桐子(辰巳ゆい)と日出実(しじみ)が飲んだ後に駅前広場(公園かな)で「あそこが30歳、それで次が35歳」と街灯の場所を示して歳を取っていくことを示すシーンはなし。
日出実が桐子に「服送るわ」と言って受け取るシーンがあったが、ここはなく、すぐに鮫川(那波隆史)との駅前で出会うシーンになっている。

またもう一人の夫に「おい」「ちょっと」とした呼ばれずに自分の人生に疑問を持ち不倫をする女性が登場するが、これがR15版だと最後に桐子と会って同級生だったと関係が示されるが、その会うシーンがなくなっている。
これだと桐子、日出実の物語と全く無関係にこの主婦のエピソードが挿入される形になる。しかしこれはこれでよかったと思う。

また鮫川がある高校の前に行き、校舎を見つめるシーンがあったが、この18版にはなし。
これでいいと思う。R15版だと最後の手紙で「自分は元教師ではない」というのだがこのシーンがあると「元教師ではない、というのが嘘」とも解釈できる展開になり、かえって複雑である。
18版の方の校舎を見つめるシーンがない方がすっきりする。

R18版にあってR15版になかったシーン。
桐子が最後に自分のアパートまで鮫川を誘うが、ここで足下のアップになって桐子の妄想として鮫川に抱かれるカットが数カット入る。
R15版にはない。「ピンク映画なのに主役のカラミのシーンがない」という珍妙なことになってしまうので、妄想の数カットでもやっぱりあったのだ。

もちろん映画としてはこのカットはなくてよい。
あと全体的にカラミのシーンがR15版に比べ長かったように思う。

今回観てそれそれの善し悪しが分かった。こちらのヴァージョンも観てよかった。





W不倫 寝取られ妻と小悪魔娘


日時 2019年2月23日18:40〜 
場所 上野オークラ劇場
監督 関根和美
製作 OP PICTURES


心理学の教授、吉永修一(なかみつせいじ)は妻とうまくいっていない。そのことを村木准教授(竹本泰志)に相談する。これが吉永を追放するチャンスと思った村木はセクシーな秘書・ひとみを吉永の元に送り込む。
セクシー攻撃に負けそうになる吉永だったが、なんとかはねのけ、結果的にはひとみをクビにする。
一方村木は吉永の妻笑子(江波りゅう)を口説き出す。実は子供を欲しがってる笑子。吉永は子供が嫌いのようで子供は無理と思っていた。村木は笑子を口説き、ベッドに誘い込む。
一方吉永のもとにレポートの提出期限が遅れてしまったがなんとかしてくださいと祥子(きみと歩実)がやってきた。レポートが受理され合格できないともう決まってるアメリカ・ハーバード大学への留学もいけなくなってしまうというのだ。留学費用を稼ぐためにキャバクラでバイトしていたため、期限を忘れてしまったのだった。
吉永はレポートを受理する代償として2週間の恋人体験を提案する。研究一筋で恋愛経験のない吉永は、それが妻とうまく行かない原因と思ってるからだった。彼氏(津田篤)がいる祥子だったが、「どうせ遠距離恋愛になって別れてしまうに決まってるから」と承知する。
結局笑子にも子供が出来(村木の子供らしいのだが)、夫婦は円満に戻った。


今週の番組の中で、チラシの中では一番大きく紹介されていたのがこの映画。これが新作かと思ったら2017年に公開された作品のようだ。
「えっ」と思って調べてみたら今月は他の3週も旧作ばかりで新作は2週目の竹洞哲也監督「密通の宿 悦びに濡れた町」だけらしい。月3本製作体制もいよいよ崩れてきたのかな?
今月は今年から上野オークラマスコットガール(4代目)になったきみと歩実特集と言うことで、毎週彼女の作品がかかっている。

映画の方だが前半に出てきたひとみはその後出てこない。後半登場の祥子はてっきり最初は村木の差し金だと思っていたが、そういう訳ではなかった。話に本格的に絡ませるならもっと早く登場させてもよかろうに。

あとW不倫がお互いにばれて修羅場になるかと思ったが、そうもならなかった。
話の展開は行き当たりばったりな感じがして収まりが悪いと思った。






ぐしょ濡れ女神は今日もイク!


日時 2019年2月23日17:30〜 
場所 上野オークラ劇場
監督 山内大輔
製作 OP PICTURES


上司の課長(野村貴浩)と社内不倫をしていたユリ子(朝倉ことみ)だが、妻の妊娠を理由に「もう終わりにしよう」と言われ、結局会社を辞めた。
街でばったり高校の同級生だった麻里(涼川絢音)は自分が今やっているNPO法人「希望の輪」の幸せ配達人となる。代表(和田光沙)が「セックスによって人類は争うことをやめ世界が平和になる」という考えでやっていた。
セックスの実地テストも終わり合格となったユリ子は早速訪問を始める。
佐藤源五郎さん(森羅万象)は夫婦で弁当屋をしていたが、奥さんが亡くなって元気がない。それを励ますユリ子。
麻里は親の介護のために女性とおつきあいのない太郎さんのところに行ったが、急ぎすぎて体を提供したがかえって逆効果。今度はユリ子が行ってみてなんとか太郎さんもいやされた。
次は小説家(川瀬陽太)。彼も売れない時代に苦労をかけた妻に先立たれ失意のどん底だった。死んだ妻に似ているということでユリ子は励ましていく。
前の会社の課長も不倫がばれて会社をやめて今は自堕落な生活をしていた。「俺とやり直してくれ」という元課長を振り切るユリ子。
ユリ子も「希望の輪」をやめて新しい生活に旅立つのだった。


話は最後まで書いた。今回の私にとってのメインは「弱腰OL 控えめな腰使い」。これは同時上映。

朝倉ことみの引退記念映画だったと知らずに観ていたら、映画中でやめるユリ子に語りかける形で出演者がカメラ目線で「今までありがとう!」とそれぞれが言う。
こういうスター映画は(たぶん)初めて観たので、それだけで新鮮だった。
やはりピンク映画は往年の映画の片鱗を残していて興味深い。

あと太郎の両親がなぜか合体していて醜悪なエイリアンのような形状になっているのが意味不明。なぜそうなのかの説明なし。ここはなんかいただけなかったなあ。

ユリ子のテストのシーンで真木今日子がゴーヤを腰にペニスバンドのようにつけて現れ、真木今日子がイクと先端から「ゴーヤ汁」が吹き出すのは面白かった。さらに言えば二人を見て奥で悶絶している和田光沙が芸が細かくてよい。





刑事マルティン・ベック


日時 2019年2月17日 
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 ボー・ヴィデルベルイ
製作 1978年(昭和53年)


ストックホルムの病院でニーマン警部が惨殺された。マルティン・ベック警部たちが捜査を開始する。彼の同僚はみな彼には多くを語らない。しかし直属の部下だったハルトだけはニーマンを尊敬していた。
ニーマンは家庭ではよき父親だったが、仕事では容疑者に暴力を振るったり高圧的で、訴えられることも多かった。しかし実際には訴えは取り上げられず、懲戒を受けたことはなかった。
ベックたちは「懲戒は受けてなくても訴えられた記録は残っているはずだ」と訴えの記録を当たり始める。9年前、行き違いからエリクソンという男の妻をニーマンは死なせていた。エリクソンの妻は糖尿病の持病で薬を打つ必要があったが、取り調べ中にそれをさせたかったのだ。
ニーマンとハルトは訴えられていたが、結局は懲戒されることはなかった。
ベックたちはエリクソンの実家に向かう。そこで彼が射撃の名手であるとか、その銃を持って出かけていると知る。彼の部屋のメモにはニーマンやベックの名前が書かれていた。ベックたちはエリクソンが犯人と確信。
しかしその頃、街では駐車違反の車を調べている時に警官がビルから狙撃される。そして次々と現場に来る警官を撃っていく。
この乱射魔となったエリクソンをベックたちは逮捕出来るのか。


「マシンガンパニック笑う警官」などの映画化で知られるマルティン・ベックシリーズ。本国スエーデンでの映画化だ。原作名は「唾棄すべき男」(映画のオリジナルタイトルは「屋根の上の男」)。
ニーマンは被疑者に容赦ない男で誤認逮捕も多かったので一部からは嫌われていたのだ。
なぜそう厳しいのかと言った説明はない。

前半は淡々と進み、意外な犯人が出てくるわけではない。それより捜査の途中で「1時間時間をくれ」と言ってベックがマッサージに出かけ、同僚刑事は「マッサージかよ」と愚痴ったりする。
ベック自信もはげたおっさんでとても主人公らしい颯爽とした感じはない。
またもう一人の若い部下も朝ベッドから出るときに息子がおむつのなかでウンチをして、茶色い物がついたお尻をシャワーで洗い流したり、その刑事自身もパンツをはいてない姿でウロウロする(股間はもろだしだが、日本版ではぼかしになっている)。
正直、このシーンはどうかと思うよ。

映画の後半はのんびりした捜査から一転してサスペンスフルな乱射魔との対決になる。
警官しか撃たないらしい、と解っているが、小さな子供が何も知らずに現場に紛れ込んできたりして、こわいこわい。

そして先ほどのベックの若い部下が「お前とは仕事とはいやだな」といういやな相手と組んで対処していく。
まず説得、これは応じず、狙撃班による襲撃も失敗。次にヘリコプターからの狙撃だが、逆にヘリが撃たれて町中に墜落する。

最後にベックが「私が行く」と行って単身乗り込む。しかしあっさりと撃たれる。ここホント「はあ?」って思った。普通ここは主人公が活躍するでしょう。確かにそういうセオリーも見飽きた気はいたしますが。

ベックの若い部下と気が合わない刑事が強行突破する。ベックの部下はベックをロープでつり下げる役。もう一人の方はエリクソンに向かう。
そこで「誰か一緒に行く奴」と言われて、なぜかこのビルの住人らしい若者が一緒に行く。

屋上への入り口に火薬を仕掛けたのはいいが、その刑事、火がない。仕方なく拳銃で導火線を撃って火をつける。
突入して刑事の方に注意が行ったときに先ほどのビルの住人がエリクソンの肩を撃ち、銃を取り上げることに成功。

なんか「普通こうでしょう!」というセオリーをことごとく外しまくる展開に「これがスエーデン映画だからなのか?それともこの映画の監督が変わってるのか?」と気になった。

しかしセオリー通りにしないのは大好きなので、この後半の展開は気に入った。
観てよかった刑事映画だった。




さらば愛しき女よ


日時 2019年2月17日 
場所 blu-ray
監督 ディック・リチャーズ
製作 1975年(昭和50年)


フィリップ・マーロウ(ロバート・ミッチャム)は15歳の家出娘を連れ戻すところをムース・マロイという大男に目撃され、彼から人探しを依頼される。彼は銀行強盗をして7年間刑務所に入っていたのだがベルマ・バレントという女を探してほしいというのだ。
早速かつて彼女が働いていたバーに行ってみたが、経営者が変わっており黒人専門の店になっていた。今の経営者に話を聞こうと思ったが、相手が拳銃を出したため、マロイは殺してしまった。
マロイは身を隠す。マーロウは仕方なく昔の店の関係者を探す。バンドマンをしていたトミー・レイという男から、前の経営者は死んだが、その妻のジェシーなら知ってるという。
ジェシーを訪ね、聞いてみたが今のベルマは知らないと言う。ベルマの写真はないかと聞いたらトミーなら持ってるという。再度トミーを訪ねるマーロウ。彼から写真を受け取り、それをショービジネスの関係者に見せると彼女は精神病院にいることがわかった。マロイに写真を見せたが、「この女は違う!」と写真を破り捨てた。
マーロウに別の事件の依頼があった。マリオットという男の依頼で、友人が翡翠を盗まれてそれを買い戻す取引に同行してほしいというのだ。
その晩取引に向かうマーロウ。しかしマーロウは殴られ、マリオットは殺された。


ここまでで3分の1ぐらい。
昨日観た「かわいい女」と同様に探偵が出て行くと死体があり、彼は殴られ、悪い奴に拉致され、脅かされる、というセオリー通りの進行。
もっともこれはチャンドラーが作ったといえるのかも知れないが。

映画はこの後、マリオットの言っていた「翡翠を盗られた友人」がグレイルというロサンゼルスの有力者と解り訪ねる。そこへ現れたのが美しい妻ヘレン(シャーロット・ランプリング)。
その後も娼婦の館の女主人アムソーに拉致されたり、グレイルと同様の有力者のブルネットに脅かされたりする。

たぶんヘレンがベルマなんだろうな、と解るが、それでも満足である。
ベルマは今の地位を守るために昔を知るマロイが邪魔だったのだ。
最後にはベルマがマロイを撃ち殺す。

この映画の好きなのはロバート・ミッチャムだろう。私はマーロウではこのミッチャムが一番好きである。
ハンフリー・ボガートもエリオット・グールドもジェームズ・ガーナーも好きだが、マーロウという感じではない。

この映画、マーロウの独白が時折入る。これがいいのだな。
「大いなる眠り」もこの「独白」、というか「語り」がよかった。小説の台詞以外の彼の心境を綴った地の文にあたり、原作のムードを醸し出している。

撃たれたマロイに対して「撃たれたって彼のベルマへの愛は変わらなかったろう」とつぶやくのがいい。
ラストで殺されたトミーの泊まっている安ホテルに入っていくのがいい。
恐らくマーロウはこの事件で得た唯一の金(ブルネットからもらった2000ドル)をトミーの息子に渡すんだろうな、と余韻を残して終わるのがいい。

チャンドラー映画の傑作だろう。

余談になるがこのブルーレイの解説書にあったが、「動く標的」「ロング・グッドバイ」とこの映画は同じプロデューサーだそうだ。
ホントはチャンドラーをやりたかったが、資金的に高いのでまだ評価の低かったロス・マクドナルドの「動く標的」を映画化し、成功例を重ねて「ロング・グッドバイ」、でもアルトマンのこの映画は意図したものと違った映画になったので、三度目挑戦でこの「さらば愛しき女よ」になったとか。
そうだったんだあ。知らなかったなあ。






天才作家の妻―40年目の真実―


日時 2019年2月16日18:10〜 
場所 新宿ピカデリー・シアター10
監督 ビョルン・ルンゲ


アメリカの小説家ジョゼフ・キャッスルマンは眠れない夜を送っていた。それそろノーベル財団から文学賞受賞の連絡があるかも知れないのだ。
今年はやっとノーベル賞受賞。妻のジョーンと二人で受賞を祝った。
ジョゼフと妻は友人やら出版社や関係者との受賞記念パーティで忙しい。
息子のデビッドは新人作家だが、偉大なる父との関係は複雑になっている。
ノーベル賞授賞式に出席するためストックホルムに向かうジョゼフ、ジョーン、デビッド。しかし機内でライターのナサニエル・ボーンという胡散臭い男に話しかけられ、不愉快な思いをする。
ストックホルムでのノーベル財団のスタッフたちのおもてなしは至れり尽くせりだった。やがて専属女性カメラマンとジョゼフはキスをしようとしてしまう。実はジョゼフの浮気癖は周りの知るところで、ジョーンも数十年間悩まされていた。
ナサニエルはジョーンに近づき、バーに誘う。そこで「あなたは昔は大学で文学を教えていたジョゼフの教え子だった。当時のあなたの小説を読んだが、ジョゼフの初期の作品に近い。本当はあなたが書いているのでは?」と質問する。
ジョーンは「そんなことはない」と答える。
ノーベル賞授賞式の晩餐会のスピーチでジョゼフは「この受賞に値するのは私の妻です。彼女なくして今の私はない」とスピーチ。誰もが妻への感謝と受け取ったが、ジョーンは晩餐会の途中でホテルへ帰ってしまう。
あわてて追いかけたジョゼフだが。


「ノーベル賞作家が実は妻の代作だった!」という話だと聞いて「そんなこと実際にあったんだ。へー」と感心して観に行ったが、そういう映画ではなかった。

そもそも実話ではない。
実際のそんなことがあったら国際的スキャンダルだが、「ノーベル賞なんて日本人以外の受賞には日本ではほとんど報道されないから、日本で話題にならなかっただけだろ」と私は思いこんでいたのだ。
アホである。

これは要するに山田洋次の「妻よ薔薇のように」と同じで、夫婦の内助の功の話なのだ。
映画の舞台は90年代。この二人が40年前に結婚したのが50年代。
このころはアメリカでもまだまだ男尊女卑で女性作家は注目を浴びない時代だったというのだ。
へー、アメリカって日本よりそういうの進歩的だから、ないと思っていたが、この頃はそうだったのですね。

そうか60年代後半から起こったウーマンリブ運動から変わったと考えていいのかな。2010年代の今の話にしてしまうと、40年前が1970年代になってしまい、「女性作家が軽く扱われていた」という設定が成り立たなくなってしまう。

妻は夫を助けるということで自分がずっと書き続け、夫は編集、というかアドバイスするだけだったのだ。
夫の浮気癖に悩んだり、彼を愛してる自分がいたり、パーティで自分のことを「妻は書かない」と言われて怒ったり、授賞式のスピーチで「妻がいなければ今の私はない」と言われてかえって激怒してしまったり。

そういう複雑な夫婦間の愛情物語だが、結婚してない私にはさっぱりわからない感情だった。

あと原作ではこの夫が受賞するのはもっと規模の小さい賞だったそうだ。
映画的に派手にするためにノーベル賞にしたとか。
規模の小さな賞ならこういう話もあり得るが、ノーベル賞ぐらいになると「妻が書いてる疑惑」はもっと前から表に出てきそうだ。
話を盛りすぎてかえって不自然になってしまったと思う。

私の期待とは違った映画だった。






かわいい女


日時 2019年2月16日 
場所 DVD
監督 ポール・ボガート
製作 1969年(昭和44年)


私立探偵フィリップ・マーロウ(ジェームズ・ガーナー)はある男の居所を訪ねて安アパートにやってきた。目的の男はすでに引っ越していたが、そのあとに住んでいる男とは会えた。しかしそのアパートの管理人はアイスピックで刺されて殺された。
依頼人に「見つけられなかったから」と手付け金の50ドルを返すマーロウ。しかし依頼人のオーファメイは納得しない。そこへさっきのアパートで会った男から「すぐに来てほしい。預かってほしい物がある」と電話を受ける。男の指定したホテルに行ってみると、すでに殺された後だった。
男がカツラだと知っているマーロウはカツラを取ってみると裏に写真の現像の受取証がついている。
殺された男はギャングのスティールグレーブの部下だった奴だ。マーロウがその写真を受け取ってみると、スティールグレーブと美人がプールで抱き合ってる写真だった。その美人はモデルで女優のメイビス・ウォルド。
この写真を撮ったのは誰か?殺人の犯人は誰か?
マーロウにはスティールグレーブから「もう関わるな」と脅迫する男がやってくる。


最近ハードボイルド探偵物を集中的に観ているのでかなり前から気になっていたジェームズ・ガーナーがマーロウを演じた「かわいい女」をDVDを買って鑑賞。

正直ジェームズ・ガーナーは「ロックフォードの事件メモ」の印象が深いので、それと差は感じない。マーロウって感じじゃないんだよな。
探偵が誰かを訪ねると殺されていたり、ギャングが登場して脅かされたり、美人が登場して、警察に煙たがられて、といったこの手の探偵物のセオリーとかパターン通り。

それでもマーロウの事務所の隣が美容学校で、その講師がオカマっぽかったり、ホテルの私立探偵は被害者の財布の金をくすねたりとか、脅迫にくるのが東洋のカンフーの達人(ブルース・リー(!))なのだが、2回目の脅迫で誤ってビルから転落したりのおもしろキャラが出てくる。

またラストでスティールグレーブを殺した犯人がストリッパーなのだが、ステージにいる彼女と舞台袖にいるマーロウが会話しながら事件の犯人を暴くシーンはただ追いつめるだけより一ひねりのあるシーンで面白かった。

この手の探偵物にありがちな「誰のことだっけ?」という混乱を招きつつ、ジェームズ・ガーナーの探偵ぶりが楽しい一編。
やっぱり観て損はなかった。





フォルトゥナの瞳


日時 2019年2月15日19:30〜 
場所 新宿ピカデリー・シアター2
監督 三木孝浩


自動車の研磨会社で働く木山慎一郎(神木隆之介)は幼い頃に航空機事故にあって両親は亡くなったが一人生き残った。友人も恋人も作らず黙々と働く慎一郎だったが、ある日壊れた携帯の修理のために携帯ショップに立ち寄る。そこで桐生葵(有村架純)と出会う。
しかし彼女の姿が透けて見えた。その帰り道、別の男が透けて見えた。後を付けてみるとその男は交通事故で死んだ。翌日、慎一郎は携帯ショップに行き、葵に「話がある。30分だけ時間をください」という。葵の仕事が終わった後にコーヒーショップで会う二人。だが葵は透けていなかった。
安心して帰る慎一郎。数日後、葵が職場を訪ねてきた。「あの晩、あなたと会ってなかったら私は工場の爆発事故に巻き込まれて死んでいたのです」とお礼を言う。それから慎一郎は葵に「つきあってください」と告白する。
しかし慎一郎は心臓に痛みを感じた。精密検査すると心臓に負担がかかっているという。医者の黒川(北村有起哉)は人の死が解る「フォルトゥナの瞳」の存在を教え、「人の人生に関わるな。関わるとお前の体に負担がかかってやがてお前が死ぬ」と警告する。
しかしやがて近所の子供や葵が透けて見え始める。


百田尚樹原作。この男はツイッターなどで暴言を吐きまくり、ネトウヨ界の代表的存在。最近は「日本国紀」というデマ本を書いたりして私は嫌いなのだが、まあ神木隆之介と有村架純という二人の共演なのでピカデリーのポイントもあったし観に行った。

原作者が嫌いだから、という理由は大いにあるのだが、なんだか話のあらが気になる。
「まもなく死ぬ人が解る」というのは許そう。映画の世界ではゴジラだっているんだからそれはありだ。

しかし今まで自分の能力に気づかなかったのはなぜか?それとも単にもうすぐ死ぬ人と出会わなかっただけなのか?それなら急に彼の周りに死ぬ人が現れ始めるのはご都合主義ではないのか?
こう慎一郎の周りで人が死ぬともはや彼自身が死に神である。

それと何時間前からもうすぐ死ぬ人は透けて見えるのか?
人はいつかは死ぬのだがすべての人が透けて見えるわけではない。となると死ぬ何時間前(たとえば2時間前とか24時間前とか)になると透け始めるのか?
いくらフィクションとはいえ、その辺のルールは必要だ。
でないと幼稚園児が透けて見えてから実際の鉄道事故まで何日もあるし、社長(時任三郎)が透け始めてから数時間後に襲われるのがつじつまが合わないよ。

それとラスト電車事故で葵や園児たちが死ぬのを防ごうと幼稚園に電話をしたりしたことがきっかけで警察に追われるが、あの程度のことで警察は動くのだろうか?「遠足の日を変えなさい」と言っただけで「爆弾を仕掛けた」とか言ったわけでもないし。

そしてラストで「実は葵も同じ飛行機事故に遭遇していて、彼女もフォルトゥナの瞳を持っていた」っていうオチ、無理ないか?
同じ航空機事故にあっていたならもっと早くから名前ぐらい知っていても良さそうだし、なんかとってつけたようなのだなあ。

でもエンディングの葵が慎一郎が用意した婚約指輪を見つけるあたりでは葵のすすり泣きに重なって場内ですすり泣きの声がしたから、観客は感動していたのだろう。
「観客が一番感動するのは自己犠牲のシーン」と言ったのはジョン・ブラッカイマーだが、確かに自分の命と引き替えに何百人の命を救ったのだからな。

いろいろケチをつけたけど、全く魅力がないかというとそんなことはない。
「桐島、部活やめるってよ」以来、注目している神木隆之介も有村架純とのキスシーンやらバックハグのシーンでは「神木も大人になったなあ」と妙にうれしかった。
ベッドの上で二人が布団から肩からだけを見せての裸のシーンは今まで観たことのなかった神木の姿にどきどきした。

私にとっては神木隆之介と有村架純だけが見所の映画でした。




七つの会議


日時 2019年2月11日16:25〜 
場所 109シネマズ木場・シアター1
監督 福澤克雄


中堅電機メーカー、東京建電。日本有数の電機メーカー、ゼノックスの子会社にあたる。
この会社では営業1課が業績を上げ、営業2課はいつも未達で課長の原島(及川光博)は疲弊していた。1課にはいつも会議で居眠りしているぐうたら社員、八角(野村萬斎)がいて、1課長の坂戸(片岡愛之助)は手を焼いていた。ある日、有給を申請した八角に「ろくに仕事もしないで有給か!」と怒鳴った。それを八角が問題にしてパワハラで坂戸を訴えた。
優秀な成績の坂戸を上司の北川部長(香川照之)が守らないはずはないとみんな思ったが、人事部付けとなり行方不明になった。
新しく1課長になったのは原島。一方営業とは犬猿の仲の経理は八角の交際費に不審を感じ調べはじめる。
ねじ六といういわば下請けに対する過剰な接待。コスト高になったにも関わらず、ねじの納入業者をトーメイテックからねじ六に変えたなど不審な点が多い。社長の前でそれを追求したが、経理部長は逆に社長に「北川君が責任を持って変えたことだからいいんじゃないか?」と問題にしない。
変だ、何かある、もしや八角がリベートをねじ六からもらっている?
原島は女子社員の浜本とともに調べ始めるが、意外な事実が隠されていた。


今人気作家の池井戸潤原作。テレビでも映画でも引っ張りだこだ。
この映画、見ていて役者の過剰な演技に最初戸惑った。香川照彦とかやりすぎだろう。しかししばらくして気がついたが、これは時代劇なのだ。
サラリーマン時代劇なのである。

私が学校を卒業して会社に就職して猛烈に働いた(最初は)。その時に気がついたことは「日本人にとって『会社』とは江戸時代の『家』と同じなのだ」と思った。創業家はまさに殿様の家なのである。そういう感覚があるから滅私奉公で働くし、世襲も当然と思っている。

だからサラリーマン社会を描くのに必然的に時代劇と同じような手法で撮っても違和感がないのだ。
最初は戸惑った時代劇的演技だが、途中から「これは時代劇」と思って楽しむようになった。

事件の真実は実はコスト削減の必要性から強度の低いねじを製造し、それの偶然気がついた八角が動いている、というもの。
「その強度の低いねじを作らせた真の発信者は誰か?」というのが後半の焦点。そしてそれは二転三転する。

データ偽装、改竄。21世紀の日本では日常になった光景である。昔はこんなことなかった。物が売れなくなり、売り上げが追求できないなら利益を追求するようになったからだろうか?コスト削減は結局は企業の首を絞めると解っていながら誰も止められない。

最後は八角がマスコミや国交省にリークして事態を収集させる。
そして八角は国交省からの聞き取り調査も終わり、その席で委員の議員(役所広司)(役所広司の出演は知らなかったので驚いた!)「この事件の真の要因はなんだと思われますか?」と問われる。

「それはサラリーマンにとって会社は『藩』と同じだからです」と答える。これには驚いた。
先に書いたように私自身も完全に同じ考えだったので、池井戸潤が同じことを言ってくれて実にうれしかった。自分の意見に大いなる賛同者を得たと同じだ。

なぜだか知らないが日本人にはまだまだ「会社=家、藩」の意識が染み着いている。
この江戸時代的考えを変えなければいつまでも日本人は世界から見たら「理解不明な民族」なのだと思う。
戦後、GHQが時代劇禁止令を出したのは彼らにしてみれば「会社(組織)=家、藩」の発想を消したかったのかも知れない。
単なる「仇討ち禁止」の発想だけではなかったのではないか?

主演の野村萬斎。彼を現代劇で観るのは私は初めてだが、ゆるめたネクタイに無精ひげが実にかっこいい!ああいうのに私はあこがれるから、ぴしっとした格好が今でも苦手なのだ。
野村萬斎主演の私立探偵物とか観たいですね。本気でそう思いました。





ファースト・マン


日時 2019年2月11日12:30〜 
場所 109シネマズ木場・シアター7
監督 デイミアン・チャゼル


1961年、テストパイロットのニール・アームストロング(ライアン・ゴズリング)は機械の構造にも詳しく、危険な状況に陥っても対処できる能力を持っていた。しかしそもそも「危険な状況」に陥ってしまうこと自体が問題という声もあった。ニールにとっては幼い娘、カレンの病気が心配だった。だがカレンは亡くなった。
当時、アメリカはソ連と宇宙開発の競争に明け暮れていた。常にソ連が一歩先を行き、悔しい思いをしていた。
ニールは月へ行くため準備計画、ジェミニ計画に飛行士として参加する。
月にロケットで行っても再び重いロケットでは出発することが難しい、そこで飛行する宇宙船と着陸船を二つのドッキングを成功させる必要があった。ジェミニ計画はそれを成功させる計画だ。だがソ連が先に成功させてしまう。
一方アポロ1号で火災があり、乗務員3名が死亡した。宇宙開発は人命を無視するただの金食い虫として世論の逆風にあう。
そんな中、いよいよニールを船長とするアポロ11号が月に向かうことが決定した!


あんなに世界的に有名なミッションなのに一度も映画化されたことのなかったアポロ11号による月面着陸。月への通信に関係した南半球のパラボラアンテナの話、「月のひつじ」(だっけ?)とかあったけど、「計画そのもの」を描いた話はなかった。
でも「ホントは月に行ってない」って言う人もいるらしいが、どうなのだろう?私は「マスコミ向けの写真はねつ造の疑いが強いが、月への到達自体は本当だ」と思う、というか信じたい。

しかしこれだけ壮大なプロジェクト映画の割には面白くないのだなあ。
日本でも「黒部の太陽」とか「富士山頂」とかプロジェクトを描いた映画ってあったけどどれも面白かった。しかしこの映画ってそうでもない。
なぜだろう?映画自体がアームストロング船長が中心すぎて他のキャラクターがやや薄いからだろうか?

しかし我々は成功を知っているのだが、当時は「宇宙開発に膨大な予算を使うなら、福祉にもっと予算を回せ」という意見が大きかったとは知らなかった。全国民が応援しているのかと思ったらそうでもなかったのだな。
確かに失敗して無駄になるリスクも大きかったからなあ。

ニールが自宅を出発する前夜、息子たちに黙って出て行こうとするニールを妻がなじる。これも私は成功を知ってるけど当時の妻にすれば死んでしまう危険も多かったわけですからね。
また無事に帰還してから、まだ検疫室でガラス越しに手をあわせるシーンが印象的だった。

なるべく盛り上げる演出は排して淡々と進めたかった演出意図は理解するが、ちょっと物足りなさは残った。










雷魚 黒い下着の女


日時 2019年2月8日21:35〜 
場所 早稲田松竹
監督 瀬々敬久
製作 平成9年(1997年)


人妻の紀子(佐倉萌)は入院中の病院を抜け出して東京近郊の田舎町へ向かう。その町の裕幸(鈴木卓爾)は会社をさぼってパチンコに行き、テレクラで出会いを求めていた。ガソリンスタンドの店員・和昭(伊藤猛)jは職場では浮いている存在で、彼も周囲に溶け込もうとしていない。
紀子はこの町について髪を切った。そして不倫相手の田辺のいる高校に電話をする。「近くに来たから会いたい」しかしその願いは聞き入れられなかった。その電話をした公衆電話にはテレクラのチラシが貼ってあった。
その電話番号に電話してみる紀子。
出たのは裕幸だった。二人は会い、ホテルへ。その途中に立ち寄ったガソリンスタンドで和昭と出会う。
紀子は裕幸とのセックスの後、風呂場で裕幸を用意していたナイフで刺し殺した。
数日後、警察が紀子から事情を聞いていた。和昭も「ガソリンスタンドで裕幸と一緒だった女か?」と紀子を面通しされる。和昭は「違う」と答えた。
数日後、和昭は紀子の病院を訪ねる。そこで訊く。「人を殺す気分ってどんな感じなんだ?」和昭はかつて自分の子供を殺され、丸焼きにされた経験を持っていた。


脚本、井土紀州、監督、瀬々敬久コンビのピンク映画。国映=新東宝作品だから一応ピンク映画だけど、とてもピンクのカテゴリーの映画ではない。伊藤猛が働くガソリンスタンドの店長と女性スタッフがトイレで絡むところぐらいか。(それも特にエロくはない)
ピンク映画としては完全に失格だろう。

でも映画としては面白かった。
初めて会った裕幸を殺してしまう紀子の気持ちはなんとなく理解できた。
裕幸も結婚していてまもなく子供が産まれると説明される。仕事を家族の仮病でさぼってパチンコにテレクラ。まあ誉められるような人間ではない。

紀子にしてみれば高校教師の田辺とうり二つだったに違いない。
和昭も後半になって「子供を殺された」と独白する。この子供の死は詳しくは解らないのだが、「理不尽に殺された」という点では裕幸の家族と同じだろう。

後の「ヘヴンズ・ストーリー」や「友罪」につながる、「人を殺した人間と、身近な人を殺されて残された人間」との対峙というテーマで十分見応えがあった。
「ヘヴンズ・ストーリー」のように饒舌ではない分、私は絶対こっちの方が好きです。

タイトルの「雷魚」は和昭が川で網で捕らえた魚で「雷魚は寄生虫がいるのでどの業者も引き取ってくれない」という「居場所がない」という意味で使われる。和昭も紀子も居場所が見いだせない人間たちだ。

和昭と紀子はホテルに行く。紀子は首吊り自殺をしかけるが死にきれない。(というか実は死ぬ気がなかった?)それを和昭が殺し、死体は川で小舟の上で燃やしてしまう。

和昭はこの町を去るのだが、それまで居場所のなさ故かテレクラによく電話していた女(時々画面にいた)と一緒に電車に乗り東京へ着く。
和昭はきっとやり直せるんだろうなと希望を持たせるラストでよかったと思う。

また映画の冒頭、紀子、裕幸、和昭がそれぞれバラバラに登場し、その3人がやがてかみ合っていく展開はうまいなあと勉強になった。
あとカメラ。
和昭が川で網を使って漁をするのだが、この時に朝焼けの景色が実に美しい。

レンタルDVDにもなっているので是非再見したい。







サイバー・ミッション


日時 2019年2月3日17:05〜 
場所 新宿ピカデリー・シアター9
監督 リー・ハイロン


天才ハッカーだが今はただのゲームオタクのリー・ハオミン(ハンギョン)はコンビニでスマホ決済がうまく行かない女の子を助けた。連絡先を交換したハオミンだったが、ゲームショーで出会った男から「君は監視されている」と告げられる。彼は香港警察の刑事で、サイバー犯罪を追っていた。女の子がハオミンの鞄にカメラを仕掛けたのだ。
仕掛けたのは天才ハッカーのチャオ・フェイ(リディアン・ボーン)。彼もハッカーでモリ・タケシ(山下智久)か新しいOS、オアシスを乗っ取るように指示され、その相棒としてハオミンを選んだのだ。
刑事の指示に従い、フェイの仲間になるハオミン。
二人で協力し、オアシスを乗っ取ることができた。しかしモリの目的はオアシスを使った交通網システムを支配し、欧州の銀行幹部が乗ったプライベートジェット機を遠隔操作で乗っ取ることだった!


山下智久外国映画初出演作品。ハッカーの黒幕を不気味に演じる。
熱心なファンなら何ヶ月も前から楽しみにしていたのかも知れないが、それほどのファンではないので、公開の1月25日の直前に知った。山下君の映画なら観てみたい。

でも「サイバーミッション」というサイバー犯罪を描いたアクション映画、と聞いてだいたい内容が想像ついた。
そしてその想像は裏切られなかった。

ハッキング自体は映画では結局はパソコンをカタカタいじってるだけしか画が作れない。そしてハッキングしたかと思ったら結局は何らかの形で昔ながらの追跡になって最後は拳銃とかの撃ち合いである。
この映画で言えば最後はモリがオアシスにハッキングして飛行機の居場所を隠しているのだから、逆ハッキングしてモリがハッキング出来なくすればいいのではないか?

でもそれだと映画にならないから、結局は最後にはアクションになる。それがいけないと言っているのではない。だからハッカーとかコンピュータシステムの時代になって映画はやりにくくなったのである。昔の生の人間が現場に言って何とかするのが映画的には盛り上がるのだ。
007の初期の頃はそんな感じだった。

で、結局面白かったかなのだが、これでつまらなくはないのだな。しかし特に面白くはない。
なんかこうどっかで観たような感じの連続なのだ。
まず主役のリディアン・ボーンだがこれがトム・クルーズになんとなくにており、どうみても「ミッション・インポッシブル」の焼き直しである。

そして悪役の山下だが、がんばっているのだが、いかんせん貫禄に欠ける。どうも決定的な悪の強さを感じない。
もう一人のハッカー役のハンギョンもインパクトに欠けるのだなあ。
リディアン・ボーンのハッカーも実はモリを内偵中の捜査官だった、というオチも悪くはないが、驚きに欠ける。伏線があるとかすればよかったんじゃないのか?

アクションシーンもそつはない。
そつがない脚本でそつがない演出、でも結局はインパクトに欠けて「観てる間は退屈しなかったが、特に記憶に残らない映画」だった。
どうせ忘れるだろうから書いておくと、チャオ・フェイには恋人がいて最後には二人のハッカーを守って死んでいく役。
まあパターンと言ってしまえばそれまでの展開でした。