ボヘミアン・ラプソディ日時 2019年3月30日18:05〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン3 監督 ブライアン・シンガー ロンドンの空港で荷物の積み込みのバイトをしていたフレッド・バルサラ(ラミ・マレック)は趣味で音楽を作っていた。ライブハウスで見かけたバンドが気に入り、楽屋を訪ねてみる。そのバンドのボーカルが「君たちとではせいぜいパブ周りで終わりだ」と抜けていく。 それを知ったフレッドは自らを売り込む。歯科医の勉強もしているドラマーのロジャー・テイラー(ベン・ハーディ)に「そんな歯並びで歌えるのか?」と言われたが少し歌って見せたフレッドの歌声は見事だった。 フレッドはロジャー、ギターのブライアン・メイ(グウィリム・リー)ともにバンドを結成、バンド名を「クイーン」とし、自らもフレディ・マーキュリーと改名。後にジョン・ディーコンもベースで参加。 彼らの音楽がEMIの目に留まり、デビューが決定した。「キラー・クイーン」が大ヒット。彼らはロック界の頂点へと。 フレディはまだ売れない時代に知り合ったメアリー・オースティンと恋人関係にあったが、やがてフレッドはゲイに目覚めていく。 ソロデビューの話もフレディの元にきたが、一旦は断る。しかしバンド内の曲の名義、ギャラの配分などの話し合いに疲れたフレディはソロアルバムを作成する。しかしソロになってメンバーのありがたさを実感。 伝説のチャリティーコンサート、ライブエイドの出演でメンバーは再結集した。 昨年11月に公開され未だに上映中の大ヒット映画。 新宿ピカデリーでは1日1回の上映だが、キャパが2番目に大きいスクリーン3での上映だ。それでもまだほぼ満員だ。 昨年の段階ではクイーンはろくに知らないし(そもそも洋楽は私は疎い)パスするつもりでいたのだが、「クイーンを知らない世代でも楽しめる」と聞いて、大ヒットしている話題作は一応気になるので観てみようと思いつつなかなか時間が合わずにこの時期になった。 結論からいうとそれほど心は動かされなかった。やっぱりクイーンに対する前知識、思い入れの違いだろう。 クイーンを知ってれば「あのときああだったのか!」的なおもしろさがあったに違いない。それは「キングコブラ」を観たときの感激のように。 それに応援上映とかやってるから、映画の半分はライブシーンなのかなと思っていたが、それほど多くはない。あれだとラストのライブエイドのシーンぐらいしか「応援」出来ないんじゃないの? フレディ・マーキュリーがゲイだと自覚始めるシーンで、アメリカのツアーに行ったとき、バスの移動でドライブインでトラック運転手がトイレに入っていくのを見てつい扉の前まで行ってしまうという描写がおもしろかった。 フレディは最後エイズで亡くなるのだが、80年代前半はまだまだエイズに対する知識もなく、治療法延命法も解ってない時代だし、「エイズ=ホモだけの病気」だと思われていた。今ではそうではないと理解されているが。 クイーンのことを知らないと言っても「キラー・クイーン」ぐらいは知ってるし、他の曲もちらっと聞いたことはある。 結局映画の中では「ボヘミアン・ラプソディ」はフルで聞かせてもらえなかった。ネットで検索してちゃんと聞いてみようと思う。 L・DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。日時 2019年3月30日12:50〜 場所 イオンシネマ・シアタス調布・スクリーン11 監督 川村泰祐 親の仕事の関係で一人暮らしをする高校生の葵(上白石萌音)は実は同級生で学校一のイケメン柊聖(杉野遙亮)とつきあっていて、なおかつ同じアパートの同じ部屋に住んでいた。二人がつきあうようになったのは元々同じアパートだったのだが、葵が誤って柊聖の部屋を水浸しにしてしまい、その償いからだったが、今は二人はラブラブで住んでいる。 そこへ柊聖のいとこの玲苑がやってきた。玲苑はアメリカに住んでいたが、かつて一緒に住んでいた柊聖をアメリカに連れもどすために日本にやってきたのだ。 どうやらつきあっている女がいて、その女のために日本を離れないようだ。玲苑は柊聖ほどの頭があれば日本のような狭い世界ではなくアメリカの大学に行って世界を相手にする男になってほしいと思っていた。 柊聖の彼女を探す玲苑。やがて葵とわかり、彼女がどれほどの女か見極める!と3人で暮らすようになった。 山崎賢人・剛力彩芽主演で映画化された「L・DK」(「・」は本当はハートマークで表記)。この映画の成功が現在の少女コミック映画化ブームになったと思う。以前は1年に2、3本だったが、今は毎月1本公開されてるイメージだ。この手の映画に批判的な意見もあるのは承知しているが、私はいいと思うよ。若いきらきらしてる男女が主演の映画というのは見ていて気持ちいい。 しかしそれが主演の男女を気に入れば、という前提付きだ。 上白石萌音は「ちはやふる」で覚えたが、特に好きではないが好感の持てる女優だ。 横浜流星はいままで彼の出演作を何本も見ているが、まるで記憶に残ってない。嫌いではないが、特に好きではないのだろう。 吉沢亮などは「オオカミ少女と黒王子」で出演シーンは少なかったものの、記憶に残り現在の活躍はうれしい限りである。 問題は杉野某である。 顔はまあ街で見かけたらイケメンになるのだろうけど映画で見ると何も魅力がない。まあ本作は横浜流星の方がいい役で見せ場もあるから目立ちようがないかも知れないが。 それにしても「アメリカの大学に行く」ってのがステイタスなんだなあ。 私自身がアメリカにあこがれる気持ちがないからかも知れないんだが、「安易な発想」という感想が拭えない。 結局のところ、前作の山崎賢人=剛力彩芽のコンビに比べれば格落ちした二番煎じの映画にしか見えなかった。残念。 運び屋日時 2019年3月30日10:25〜 場所 イオンシネマ・シアタス調布スクリーン11 監督 クリント・イーストウッド 永年家族を顧みずにデイリリーの栽培に熱意を捧げたアール・ストーン(クリント・イーストウッド)は新世紀になりインターネット通販などの影響で事業がたちゆかなくなった。娘の結婚式よりユリの品評会を優先させたような男を家族が迎え入れてくれるはずもない。 娘のパーティに来ていた男に「生涯交通違反なしなんだって?よかったら車を運転する仕事を紹介するよ」と言われる。 アールはそのときは聞き流したが、一度だけやってみることにした。 車を運転し、遠くの町のホテルの駐車場に車を停める。車を離れて戻ってみると約束通り金があった。100ドル札が100枚あるような札束に驚く。 一度だけの積もりだったが、退役軍人会館が火事で閉鎖の危機にあったり、孫娘の学費のために運び屋を二度三度と繰り返す。 最初は荷物に関心を持たなかったが、ある日荷物を開けてみると覚醒剤らしきものだった。道に車を停めていたので警官に声をかけられたが、なんとかやり過ごす。 麻薬捜査官ベイツ(ブラッドリー・クーパー)はアールたちの輸送路を捜査していた。一味に協力者を作り、あるルートを通る黒いトラックがその車との情報を得る。 しかし見つからない。アールはヤクを運ぶ途中、孫娘から自分の妻が危篤と連絡を受ける。見舞いに来るように言われるが「今はいけない」と断る。しかしヤクの運搬を途中で中止し、妻の元へ。 ヤクの密売人もベイツも賢明にアールを探す。 クリント・イーストウッド監督作品。去年のイーストウッド監督作品は見なかったが、ここ最近、イーストウッド作品は「そこそこおもしろいけどそれほどでもない」という毎回65点ぐらいの感じしか受けないのだな。 今回自身の監督作品での主演は「グラントリノ」以来11年ぶりだそうだ。ええ、「グラントリノ」ってそんな前だっけ?5年ぐらい前の感じしかしなかったのだが。 予告編で見たイーストウッドはもうよぼよぼのイメージ。実際87歳とか。そりゃすごい。 実話だそうで、主人公が家族を省みない人間だったと聞いてさぞ「女遊びばかりしていた男」と思っていたがさにあらず。 ユリの栽培というきわめてまっとうな仕事に熱中していたのだ。 実際仕事というのは達成感もあり、いやなことばかりじゃない。やりがいのある面もある。でなきゃこれだけの人間が熱中するはずがない。 途中で自分が運んでいるのはヤクだと気づくのだが、両親の呵責に苦しめられるわけでもない。麻薬犬の鼻を芳香剤(かな?)でバカにしたりしてやり過ごす。 最後には警察側にヤクの組織を摘発させいっぱい食わすのかと思ったらそうでもなく、単純に捕まる。 それにしても麻薬取り締まり官が朝食を食べてるドライブインで「家族は一番だ。大事にしなよ。そうでないと俺みたいに娘に口も聞いてもらえなくなる」という会話をした相手だったと知るシーンがよかった。 それほどよくもないが、外れもないイーストウッドの映画は、アメコミの映画化に占領されたハリウッドには必要な映画だと思う。 あと何年か解らないが、活躍してほしい。 男ざかり日時 2019年3月25日10:50〜 場所 日劇ローズ 監督 新倉直人 製作 OP映画 新田組の組長が出所した。若頭の半沢、3年目の岩井、昔からの子分のマサ(坂入正三)が向かえに出て、伊豆の別荘に入ってもらった。 岩井はまだ入って4年目、二人で風呂に入り、親分のしゃぶられ、自分も親分のモノをしゃぶらせられた。 岩井は4年前に両親が借金取りに追われて首をつり、その恨みを晴らすためにヤクザになった。親分は半沢は昔取り立てをやっていたと話す。 どうやら半沢が自分の親を死に追いやったと知った岩井は組を抜ける。 東京に帰り少年刑務所時代の仲間のミナミたちを呼び出す。 若頭の妹みすずは岩井に惚れてるらしい。 3人で車を盗んで伊豆にやってくる。ミナミはたまたま見かけたみすずを強姦しようとする。「こいつは関係ない」と止める岩井。 自分が死に追いやった夫婦の子供が岩井だと知った半沢は、「わびにきた」と素直になって岩井を海岸に呼び出す。 半沢の男気にふれた岩井は逆に「兄貴」と抱きつき、そのまま二人は海岸で絡み合う。 一方ミナミともう一人の仲間はマサが酒を飲ませ、やがて「入れ墨はどこですか?」「かっこいいですねえ」という会話からやがて絡み出す。 翌朝、一人の刺客がやってきたが、半沢が倒してしまう。 そして岩井は組を抜け、ミナミともう一人は東京に帰り、マサも「俺も連れてってくれ!」と組を抜ける。 刺客は逆に組長の風呂の相手をさせられる始末。 岩井は「兄貴!」と組に戻る、で終わり。 監督は新倉直人。相変わらずやる気も感じないし、「どうしてそうなる?」の展開が続く。 坂入正三とミナミたちのカラミなど完全に「男どうして犯せばいいんだろ?」という感じの投げやりでやる気もサービスも感じない。 こんな映画作ってたんじゃ、客も離れるわな、と思わせる映画だった。 ハルキのセイギ〜東春樹のボッキ診断書日時 2019年3月25日9:50〜 場所 日劇ローズ 監督 難波冬樹 製作 ENK 本来はセルビデオだったのをなぜか劇場公開もしてしまったらしい映画。 東春樹という役者は覚えていない。ENKの映画には出てなくて、ショー専門だったのかも知れない。 カメラ目線で春樹君とデートするパート、ENKの南大介が春樹君にインタビューするパート、その他春樹君のシャワー、オナニー、ショー(の練習風景?)のパートが交互に登場し、どれかのパートが15分ずつ出てくるような構成ではない。 デート、シャワー、ショー、インタビュー、デートみたいに続いていく。 映画ではなくビデオ作品だからカラミの描き方は激しい。 インタビューでは東京の練馬生まれ、身長163cm、体重48kg。 顔は田村正和の若い頃を50%引きしたような感じ。 インタビューのノリも悪いし、あまりやる気を感じない。 デートは最初に待ち合わせて電車に乗って「山下公園行きたいね」とか行ってるけど横浜ではない。 最後は居酒屋で食事してカウンターで脱がせて後ろを犯される春樹君。 その前に今のストーリーとは関係ない、シャワー、オナニーと続いてカラミ。そこでは相手役を掘ってたのにね。 インタビューは普通の質問から、インタビュワーの南大介が突然「好きな番号言ってごらん」春樹「?別にないです」大介「いいから」春樹「じゃ3番」の会話の後、洗濯ばさみを南大介が出し春樹の乳首を摘む。 その後ろうそく、張り型、電マと続き、最後は大介と絡む。 映画ではそういうのないけど、春樹の後ろの穴のアップもある。 そしてヤングHOMOショーの衣装をつけて踊ってるところ(たぶん客はいなくてビデオの撮影だけだと思う) いつ頃撮影されたかも解らないが、こういうのもあったんだなあ。 ジャレッドの旅立ち日時 2019年3月24日16:45〜 場所 広島・横川有楽座 監督 ダスティン・ランス・ブラック 製作 10%プロダクション ジョージアの田舎からロスに出てきたジァレットはとりあえずユースホステルに泊まった。同室になった奴・ハビエアは「時々ビジネスで使うから」と言われる。 掲示板に出ていた「盲目の女性を世話する」というバイトに応募する。 ヘインズ夫人で昔は目が見えたのだが今は盲目。採用になり、ヘインズ夫人にも気に入られる。息子のマシューが忙しくて世話できないのでヘルパーを雇ったのだった。 ヘインズ夫人の夫は映画監督で、ヘインズ夫人も昔は女優だった。それで今でもきれいなのだ。 ジァレットが宿に帰ったが、ハビエアが仕事中で部屋に入れない。代わりの近くの部屋のロバートの部屋に泊まるが、ゲイのロバートが誘ってきた。 ジァレットはヘインズ夫人の家に住むことになった。マシューもゲイで、アンドルーという恋人がいるがやっぱり他の男への欲望は抑えきれない。 マシューがジァレットをデートに誘う。二人きりかと思ったら車の助手席にはアンドルーがいた。食事の後3Pに誘われるジァレット。 広島に昨年出来た(というか的場シネマと有楽座が移転した)横川有楽座。ピンク映画2本にゲイ映画2本という4本立て上映。ものすごい。それって需要あるの? 私が前の方で見たことも関係するのだが、手持ちカメラでやたらと振るし、ぐらぐら揺れるし、アップの連続で引きの画がないし、見づらい見づらい。 今日の4本目だからか、それとも手持ちカメラで画が揺れたからか気分が悪くなった。 話の方はおもしろくないし、だらだらと1時間35分も続き、イヤになる。 結局どうなったのかなあ。3Pはしなかったと思う。最後はマシューは降られて、ジァレットはヘインズ夫人に惜しまれながら仕事を辞める。 最後にヘインズ夫人は「夫のおかげで贅沢で豪華な暮らしは出来たけど、本当に好きだったのは別の人と後で気がついた」と言われ、本当に好きな人を大事にすることを学ぶジァレット。 それで最後はロバートのところにいったような気がする。 いや田舎に戻ったんだっけ? もはや話もろくに覚えていないぐらい、見てて飽きてくる映画だった。 本日は博多から小倉に出て小倉名画座で「フーテンのHOMOさん 夢人間」「十八歳」を鑑賞後、広島に移動してこの前に「走る男たち」を鑑賞。3本とも見てるので感想省略。 妻の母 媚臭の甘い罠日時 2019年3月24日14:45〜 場所 広島・横川有楽座 監督 関根和美 木内貴志(牧村耕次)は若い妻・美沙と再婚し、幸せな日々だった。しかし最近ポストに「お前の妻は若い男と浮気している」という脅迫状が届いていた。 困った貴志は学生時代の恋人の智子に相談する。実は美沙の母親でもあるのだ。学生時代につきあっていたが、卒業後は自然消滅、そしてそれぞれ別の人と結婚。美沙の母親を紹介されたとき、かつての恋人だったので驚いたが、二人がつきあっていたことは内緒にすることにした。 智子は会社の人じゃないかという。 しばらくして智子から連絡があった。美沙を訪ねてみたら今から出かけるというのでつけてみたら、美沙の前の恋人の一ノ瀬と会ってるのを見たちうのだ。 貴志は美沙を問いつめるとあっさり認めたが、先物取引で200万円の損失を出し、それを立て替えてもらい返済しているというのだ。 貴志は今度は実の娘が母を嫌ってしたのではないかと思い、娘を問いつめたが逆に「私がそんなことする訳ないじゃない!」と切れられてしまう。 智子にいろいろ相談するうちに二人はまた関係が戻ってしまった。 ある日、智子の部屋でライターを探してるときに脅迫状に使った新聞の切り抜きを発見する。 実は智子が犯人だったのだ。 娘が貴志といちゃいちゃしてるのを見てつい嫉妬したのだった。 こんな感じの話。 智子が犯人というのは最初からだいたい読めた。それにしても自分の再婚相手の母親がかつての恋人だった、というのはすごい設定だなあ。 今「正しい恋愛のススメ」というドラマをDVDで見てるが、それもあるシナリオライターが自分の息子の恋人(ウエンツ瑛士)と出来てしまう話。 まあ息子の友人に手を出す母親の話もピンクではあるけど、それ以上の設定だなあ。 この設定が認められるかどうかで感じ方が変わってくる気がする。 私は違和感が残ったが。 牧村耕次はおっぱいをなめるとき、舌をつきだしてきて妙にいやらしい感じだった。それが印象に残った。 月夜釜合戦日時 2019年3月21日18:50〜 場所 ユーロスペース1 監督 佐藤零郎 大阪、釜ヶ崎。ここは日雇い労働者と街娼のあふれる町。 メイ(太田直里)は飛田で公娼を今は街娼となって町に立っている。 大洞仁吉(川瀬陽太)はメイたちの住むアパートでその日暮らし。 大道芸人の逸見は釜ヶ崎のヤクザ、釜足組の宴会に呼ばれていく。釜足組の跡目のタマオ(渋川清彦)は跡目を継ぐのがいやで家を出ていたが、この度戻ってきた。その宴会だったのだ。逸見はこれをきっかけに釜足組に入れて貰おうとするが、許されない。逸見と息子の貫太郎は釜足組の宝物の「釜」を持ち出してしまう。これを返す代わりに組に入れた貰おうという魂胆だ。 しかし結局組には入れてもらえず、その晩逸見は火事で死んだ。放火を疑われることもなく事故として片づけられた。 釜足組は組の宝の釜を取り戻すため、釜ヶ崎の釜を全部買い戻そうとする。 「つきよのかまがっせん」と読む。去年ぐらいから大阪で公開され、ツイッターの私のフォロワーでは少し話題になっていた。内容は知らないけど釜ヶ崎でオールロケした映画らしいとだけ知っていた。 パスしようかと思っていたが山中貞雄の「百萬両の壷」をモチーフにしていると聞き、俄然観たくなった。 観てみたが、「百萬両の壷」をそのままリメイクという感じではない。 釜ヶ崎に住む人々の無限のパワー(という言い方がいいのか不安だが)を描くことが一番のテーマだろう。 明るくむちゃくちゃなパワーに圧倒される。 主人公の二人に加え、釜ヶ崎の人々を支援する活動家、ヤクザ、町の浄化と称してヤクザと結びつく警察、それと癒着する再開発業者、そして空き缶拾いの二人組の男をはじめとする町の人々。 町の人々役で色んな人々が登場するが、これが役者ではなく本物の町の人々も多いらしい。 立ち飲み屋で「釜ヶ崎がなんで釜ヶ崎っていうか知ってるか?」という話題になって複数の人がそれをいうのだが、その「間」とかがいかにも素人っぽい。それを聞いていく川瀬陽太さんがなんとか「(彼らの台詞を)拾っていく」様が楽しい。 監督は実際に釜ヶ崎で支援活動をして釜ヶ崎に根づいた人だそうだ。そうだろうなあ、町の人との信頼関係がないと撮れそうもない映画だった。 この映画、16mmで撮影され上映も16mmで行われている。 フィルムのざらつき感がたまらなく合っている。パンフレット代わりに「批評新聞」というのを売っていたが(製作者がつくった機関誌らしい)ここで「今の時代16mmで撮ること」の難しさを延々と語られている。 そんなに難しいならやめればいいのに、と私なんか思ってしまうのだが、そこは目指すものが違うのだろう。 最後は釜ヶ崎を警察やヤクザと結びついて再開発を目指す業者が、火事を起こして警察に事故にして作戦が進行していた、ということ。 釜ヶ崎の人間は団結して彼らを追い出す。 釜ヶ崎の公園(通称三角公園)に炊き出し用の大きな釜があって(これは実際にはないものだろう)そこにメイが隠れたのだが、その釜を持って売ろうとする奴が出てくる。 その連中に釜が湿地帯のような場所にもっていかれるのだが、中から声がして驚いて逃げていく。 顔を出したメイが一言「釜(釜ヶ崎)あらへん」 再開発が進み、だんだん変わっていく釜ヶ崎を象徴する台詞だったような気がする。 「岬の兄妹」と違って明るさにあふれており、その点がすごく好感が持てた。 狂つた一頁(活弁ピアノ演奏付き)日時 2019年3月21日14:00〜 場所 近代文学館講堂 監督 衣笠貞之助 製作 大正15年(1926年) 作品紹介省略。 今回の上映会は映画関係ではなく、この映画の「新感覚派映画連盟」の一員の横光利一展の関連企画として上映。 だから名画座の映画館にはチラシがおいておらず、客層も映画ファンというより文学ファンが多かったようだ。 上映素材は国立映画アーカイブ(旧・フィルムセンター)が作成したオリジナルプリントを79分の映写スピードでDVD化したもの。 70年代に公開された音楽がついたサウンド版は、フィルムの(上映映画でいうと左側)に光学トラックをつけたため、左側がトリミングされているのだが、今回はオリジナルの画角での上映だそうだ。 それで解った。途中「大福引」のシーンで「大福引」の文字の片方の端が切れており、どうにも不思議だなと思っていた。 今回の上映では「大福引」の文字はちゃんと映画の中央にある。 やっぱり!こうでなくちゃあ。 弁士は片岡一郎、ピアノ演奏は上屋安由美。 最後に質問を受け付けていただいたので聞いてみたら、今回の台詞は、川端康成が残した脚本をベースに片岡氏の解釈(アレンジ)も入っての弁だそうだ。 最初に踊り子の後ろで大きな玉がくるくる回るシーンが印象的だが、時々「くるくるくるくる」という擬態語を片岡氏が挟む。 これはこの玉がくるくる回った様子と「狂った」の最初の文字のダブルミーニングで、片岡氏のアイデアだそうだ。 それにしてもやはり弁士がつくと映画の解釈がまるで違っている。 妻が狂人になったきっかけは自分にあると主人公の小間使いの男は思っているのだが、「妻を狂わせ、娘の結婚も破綻にしてしまう。なんて俺は罪深い」という贖罪の念がよりいっそうよく分かる。 サイレント映画も途中で字幕が入るとどうしてもシーンのリズムが乱れる。(そこでシーンが中断されるから) その点、字幕がなしならそういうテンポの中断はない。 衣笠たちがこの映画を字幕なしにしたのは「弁士がついて上映される」ことが大前提で当たり前と考えていたからではないか? 案外、サイレントで音楽なしでの鑑賞は考えていなかったのかも知れない。 また最後の質問コーナーで質問に答える形で片岡氏が言っていたが、「母親が死なせた子供は結婚する娘の下の子。子供は二人いた」んだそうだ。 そうか、それで死んだはずの子供の結婚話とかおかしいと思っていたんだ。 また妻を外に出そうとして周りから「君は気でも狂ったのか?」と責められ、「狂っているのは妻か?俺か?」と男が解らなくなるという展開も納得。 確かに切ない話だった。 弁士付きで観てよかった。 ちなみに冒頭のクレジットに英語字幕がついていたが、円谷さんは「Tsuburaya」と表記されていた。 家族のレシピ日時 2019年3月17日13:10〜 場所 イオンシネマ板橋・スクリーン4 監督 エリック・クー 高崎で父・和男(伊原剛志)叔父・明男(別所哲也)とラーメン屋を営む真人(斎藤工)。父が急死し、真人が10歳の時に亡くなったシンガポール人の母の日記を見つける。 母のことを知りたくて今は音信不通となっているシンガポールの叔父を訪ねる。シンガポールに住む日本人でフードブロガーの美樹(松田聖子)の力を借りて、叔父が経営するパクテーの店をたどることが出来た。 真人は祖母に会ったことがなかった。祖母は戦争中に父を日本兵に殺されていた。そのことが原因で日本人に敵意を持っており、日本人と結婚した娘を許せなかったのだ。 叔父と共に祖母を訪ねる真人だったが、祖母は真人に会おうことを拒絶した。 真人はパクテーのスープでラーメンを作る、ラーメンテーを作って祖母に持って行く。祖母は会ってくれなかったが、おいていったスープ、麺、具でラーメンを作り食べてくれた。 その味が気に入った祖母は真人を許す。 斎藤工主演で松田聖子も出演してるという知識だけで観に行った。斎藤工主演ならそれだけで観てもいい。 監督が日本人ではないでの「外国人が日本を舞台に取った映画なのかな?」と思って観たらちょっと違っていた。 冒頭は日本でラーメン店を親族で営む設定だが、父の死をきっかけに真人はシンガポールに行く。そこで父が母と知り合ったきっかけなどが語られていく。 途中、真人がホテルのテレビで「日本占領下を考える」という展覧会のタイトルが変更されたというニュースが流れる。 「あっ」と思っていたら祖母が日本人を敵視していた話になる。 歴史認識で「シンガポールは日本のおかげでイギリスから独立できたのだから彼らは日本に感謝している」と主張する人々が知ったら大騒ぎになるような内容。 宣伝が地味で2週目にも関わらず、ここイオン板橋では1日1回しか上映されないのはこのせいか。それとも関係ないか。 真人はその戦争展示会に行き、証言者の録音を聞く。「赤ん坊がぐったりしていると、やってきた日本兵がその赤ん坊を宙に投げる。そして落ちてくる赤ん坊を銃剣で突き刺した」というエピソードが語られる。 週刊新潮に書かれたら斎藤工も「売国役者」と言われてしまうかも知れない。 お話の方は日本兵に父を殺された遺族(つまり祖母)が日本人に恨みを持ているために真人の母が日本人と結婚したのが許せなかった。そして真人も拒絶していたが、パクテーとラーメンのコラボ料理を食べて思い直す、という展開。 お話は単純だが、料理のシーンが長く丁寧。「料理はすべての心をつなぐ」みたいな「いいお話」である。 松田聖子はシンガポールに住む日本人役。かなり老けた印象である。 岬の兄妹日時 2019年3月17日11:00〜 場所 イオンシネマ板橋・スクリーン12 監督 片山慎三 良夫(松浦祐也)は自閉症の妹の真理子(和田光沙)と二人暮らし。真理子は時々失踪する。今日もどこかへ行ってしまった。友人で警官の肇に相談するが、結局夜になってある人が真理子につけてあった名札で連絡してくれたのだ。実は男は真理子に金を渡し、体で遊んでいた。 良夫は足が悪く、そのことが原因で造船所をリストラされた。家賃も電気代も払えない。内職だけではだめだ。 仕方なく真理子を使って売春を始める。1時間1万円で最後までOK。 サービスエリアのトラック運転手に声をかけるが、そうはうまく行かない。繁華街ではやくざに脅される。 チラシを作ってポスティングする二人。 客は順調についた。しかしチラシのおかげで肇にもそのことがばれてしまった。 体の大きくならない青年・中村が何度か真理子を指名してくれていた。真理子はどうやら中村に好意を持ってるらしい。 そんな時、真理子の妊娠が発覚した。 はっきり言って観ていて途中で帰りたくなった。 私は知的障害者の出てくる映画が苦手なのである。どうも嘘くさく感じるし、彼らを理解した上で描いているのか疑問を感じるからだ。もちろん本当に障害者を理解した上で描いてるなら解るけど、なんか「知的障害者は嘘つかないから心がきれい」とか描かれるとダメである。 本作が「心がきれい」と描いたとは思わない。 しかし主人公たちを追い込むツール、道具、設定としてしか描かれてない気がする。 そもそも良夫は失業して生活保護とか受けられなかったのだろうか? 良夫が生活保護申請の知識がなくても、友人には警官の肇くんがいる。(この肇君を演じた俳優、どっかで観たと思ったら「男はつらいよ」の最後の方でくるま菓子舗の店員さんである) 警官ならそれぐらいの知識とかなかったのだろうか? 妊娠するが、どうしてコンドームをつけさせなかったのか? 「最後までOKですけどゴムはお願いします」と言わなかったのか? もちろん知識のない真理子がゴムをはずしてしまうという可能性はありだけど、どうにもなあ。 肇くんが「お前は足が悪いんじゃない。頭が悪いんだ!」というのももっともである。 映画は妊娠して、結局は堕胎するのだがその前に例の中村青年に「結婚してやってくれませんか」と頼みに行く。 「好きですよね?」と言われて「好きじゃないです」と答える。 映画の始まりは真理子がいなくなったとして町を探し回る良夫から始まる。 そしてラストもまた真理子がいなくなる。良夫は海岸の岩の上にいる真理子を見つける。 ここで良夫の携帯がなる。仕方なく出る。映画はここで終わる。 正直、映画を観ていていやな気分になったし、救いのないドラマで帰りたくもなった。しかしこの最後の電話が希望が持てた。 私はあの中村青年が思い直して電話をくれたと思いたい。 あるいは売春のシマを荒らされたヤクザからかも知れないが、私は希望を持ちたかった。 映画は最後には希望があるラストであってほしい。 主演の二人は実にがんばった。和田さんはピンク映画のイベントで会う機会もありそうだから観たことは話そう。 迫力のある映画だと言うことは認めるけど、好きかと言われると好きにはなれない映画だった。 翔んで埼玉日時 2019年3月16日17:00〜 場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン5 監督 武内英樹 かつて埼玉から東京に行くには川口で通行手形を見せなければいけない時代があった。 そんな時代、東京のエリートが集まる白鵬堂学園にアメリカ帰りの麻実麗(GACKT)が転入してきた。その類まれなる都会性に周りの学生はひれ伏す。しかし生徒会長の壇ノ浦百美(二階堂ふみ)(※男子生徒)だけは敵対心を見せた。だが麗の都会性は百美は認めざるを得ない。百美は麗を意識するようになる。 二人で遊園地に出かけたある日、進入していた埼玉県人が逮捕される現場に遭遇する。それを見て麗はその母子を助けようとし、麗も実は埼玉県人だったとばれてしまう。 追われる麗、麗と行動を共にする百美。やがて埼玉解放戦線の伝説の男、デューク(京本政樹)に助けられる二人。 百美の父である東京都知事(中尾彬)は千葉県民に通行手形撤廃を条件に協力させる。 ここに千葉対埼玉の戦いが始まる。果たして東京は? 1979年か80年頃、タモリの「オールナイトニッポン」で流れ始めたさいたまんぞうという歌手が歌うコミックソング「なぜか埼玉」。 この曲が流行り始めた頃から(と言ってもベストテンに入るようなヒットではなかったが)、埼玉をからかうネタが流行るようになった。 「なぜか埼玉」そのものは確か「父がこういう変わったレコードを忘年会で貰ってきました」と番組宛に送られたことがきっかけだったと思う。 タモリだけでなく三遊亭円丈の新作落語に「足立区ランド紛争」というのがあった。フォークランド紛争時のネタだから1982年頃である。 埼玉が「足立区なんて埼玉だ!」として東京に攻め行って足立区を埼玉県に編入しようと攻めてくる話である。 その枕で「息子が家を建ててそれを親に報告した。春日部に家を建てたと言ったら『人の道を外れたことをするな!』と叱られる。『お言葉ですが人の道とは何でしょうか?』『人の道も知らずに育ったのか。人の道というのは小田急線、京王線、中央線を言う。これが西武新宿線になるとちょっと違う』」というネタだった。母親にも「春日部に家を建てるような子を産んだ覚えはありません」と言われ、息子はショックを受けて自殺するという話だったと思う。この落語、もう一度聞きたいなあ。 そんなことを思い出したのがこの映画。 予告でも使われたが二階堂ふみの「埼玉県人にはそこらへんの草でも食わしとけ!」のせりふに象徴される埼玉をネタにするギャグの数々。 関東圏の人間には分かるけど、果たして地方の人間には笑えるのかな? 埼玉は「大東京」に隣接してるからバカにされるけど、地方に行けば十分都会で通用する規模である。そうなると関東圏以外の人には笑えるのだろうか? 衣装もネタもばかばかしいが金はかけて画は立派である。 この映画、大ヒットだそうだ。 大がかりにやったからこそ、受けたんだろうな。 東映もがんばったと思う。 君は月夜に光り輝く日時 2019年3月16日14:15〜 場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン7 監督 月川 翔 岡田卓也(北村匠海)は高校2年生。新学期になって新しいクラスになったが、まだ会ったことのないクラスメートが病気で入院しており、励ましの寄せ書きをみんなで書いた。「会ったことないから」と書くのが乗り気ではなかった卓也だが、結局書いてしかも当人に届ける羽目になった。 入院しているのは渡良瀬まみず(永野芽郁)。「早く病気がよくなるといいですね」の卓也のコメントに「これって何か冷たくない?」と言われてしまう。彼女は「グミ食べたい」のメモを看護師に内緒で卓也に渡す。 卓也も今度はグミを買って訪れた。その際に彼女が父親に貰ったという大切にしているスノードームを壊してしまう。 お詫びに、と卓也はまみずはやりたくても出来ないことを代行することに。 まずはジェットコースター、山盛りパフェを食べる、人気のスマホを買ってくる。そのスマホを使ってテレビ電話で中継する。ショッピングモールに行く、バンジージャンプをする。 いつしかまみずを好きになっていく卓也。スーパームーンの晩、彼女を病室から連れ出し、屋上で月を見る。 そこで告白するが、彼女は倒れてしまう。 北村匠海主演作。最近一番のお気に入り若手俳優である。北村匠海主演でなければ観に行かなかったろう。 「春待つ僕ら」が消化不良だったため、今回は堂々とした主演でうれしい。(クレジット上では永野の方が上だが) 難病ものは一時に比べると減ってはいるがまだまだなくならないジャンル。こういうのは好きではないのだが、本作ははからずも少し泣いた。 スーパームーンをバックにした二人などいい画になっている。 ポスターの黄色いバックもこの月。 及川光博がまみずの父親役だが、卓也が訪ねてきて「君みたいな青年がいつかやってきて、『娘さんをください』って言われると思っていた」に続き「一度言ってみてくれ」のあたりは泣きそうになった。 私も卓也の立場ではなく、父親の立場で泣いている。 まああのくらいの子供がいてもおかしくない歳だからな。 北村匠海はどこかちょっと暗い感じがあり、どこやか物憂げである。その物憂げな表情が、どこかこの作品と似合う。 他の明るい感じの若手俳優ならちょっとこの感じは出ない。 「君の膵臓を食べたい」の時から観ているが、あの作品はそれほど評価しなかった。 本作とはどこが違うのか、検証のために再見したいと思う。 ウルトラマンR/B(ルーヴ)
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