2019年8月

   
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(IMAX)
風俗図鑑 ヤレない男たち 大阪のエロ奥さん
昼間からよばい
変態怪談 し放題され放題 人生はシネマティック!
やりたいふたり セックスの季節 イソップの思う壷 劇場版 おっさんずラブ
LOVEorDEAD
アンダー・ユア・ベッド ダンスウィズミー セックスドキュメント
性倒錯の世界
ときめきの白濁日記
ローマの休日 太陽のない街 真空地帯 よこがお
天気の子 BD〜明智探偵事務所〜 ディア・ハンター<4K> ラストワルツ

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(IMAX)


日時 2019年8月31日12:10〜 
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン8
監督 クエンティン・タランティーノ


1969年2月のハリウッド。テレビの西部劇ドラマ「賞金稼ぎの掟」で人気を博したリック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)だが、今や仕事は低迷。若手スターのテレビ番組に悪役でゲスト出演することが多かった。エージェントのシュワーズ(アル・パチーノ)に「マカロニウエスタンに出演するか?」と言われる始末。
ずっとリックのスタントマンをつとめ、今は付き人兼運転手兼雑用係で親友でもあるクリフ・ブース(ブラッド・ピット)に愚痴を言う。
リックの隣に最近「ローズマリーの赤ちゃん」で大ヒットをとばしたロマン・ポランスキーとその妻シャロン・テート(マーゴット・ロビー)が引っ越してきた。
翌日の西部劇の撮影でリックはせりふを忘れるというミスを犯す。嫌悪感でいっぱいになる。
その撮影中にクリフは町でヒッチハイクをしてる女の子に出会う。彼女が住んでいるのはかつて西部劇のオープンセットだったところ。送っていったが、どうもこのヒッピー集団は怪しい。クリフもタイアにナイフを刺されて一悶着。
結局イタリアに行き、半年で4本の映画に主演するリック。
8月にアメリカに帰国した。帰国した直後、リックの自宅に例のヒッピー集団が現れ・・・・


映画ファン、クエンティン・タランティーノが描く映画界。彼とは同世代だから、日本とアメリカの育った環境は違うけどそれでも通じる部分はある。
彼が子供の頃に親しんだテレビ番組や映画、さらに映画界そのものをたたえる。

ストーリーはあまりなく、リック、クリフ、シャロンの日常の数日を描く。
所々でスティーブ・マックイーンやブルース・リーが登場し、にやりとさせられる。
特にリックが撮影所で「『大脱走』のスティーブ・マックイーンの役の候補だったですね」と言われて「大脱走」のシーンにディカプリオが合成されるのは笑ったし、楽しかった。
(同様にブルース・リーの登場シーンの後ろに「トラ・トラ・トラ!」の看板があるのが私にはツボだった。

シャロン・テートがマット・ヘルムの「サイレンサー」シリーズを観るシーン、私は「サイレンサー」シリーズは未見なので「私には」不発。
観てればもっと楽しかったに違いない。

そしてクライマックス。ネタバレで書くけど、誰かを殺そうと住宅街にやってきたマンソン・ファミリーが結局リックの家に侵入。そこでクリフに叩きのめされ、そのうちの一人はリックにかつて映画撮影で使い方を覚えた火炎放射器で焼きころされるという怒濤の展開!
さすが「イングロリアス・バスターズ」でヒトラーを殺してしまったタランティーノらしい。

シャロン・テートは死んで欲しくなかった!というタランティーノの夢なんでしょうね。そういう気持ち、すごくわかる。私なら「赤木圭一郎が助かる映画」を作ってみたくなりますもん。
(だからって今日本で作って欲しいとはあまり思いませんが)

小ネタもラストの展開も十分に楽しめました。
映画には関係ないが、リックが使っていた取っ手を持ち上げて氷を外す製氷皿、あれをわざわざアップで撮ると言うことは写したかったんでしょうねえ。確かにあれ、昔ありました。
70年代なら当たり前でわざわざアップにしません。
今は弾力性のあるプラスティックの製氷皿で、ひねって氷を外すのが主流ですから。

(リックが撮影で出会う子役少女はジョディ・フォスターがモデルと佐藤利明さんがツイッターで言っていた。1969年で8歳の設定。ジョディは1962年生まれだから、確かにモデルと言える世代ですね)









風俗図鑑 ヤレない男たち


日時 2019年8月25日19:31〜 
場所 上野オークラ劇場
監督 竹洞哲也
製作 OP PICTURES


平成最後の夜。あるソープランドの運転手ヨシオ(ケイチャン)は同じ店でボーイをしている後輩(吉田覚丸)のアパートに遊びに来た。平成最後の夜を楽しくすごそうと言うわけだ。ヨシオはテレビでかつての人気ボクサー(折笠慎也)の不倫疑惑のニュースを見て、かつて店で働いていた「吹かしショウタ」(櫻井拓也)のことを話す。
ショウタはかつてこのボクサーと非公式に勝ったというのだ。非公式とは公式戦ではないということ。ショウタはかつてやりまくっていたといい、ボクサーの妻ともやったことがあるという。
ヨシオは「平成の奇跡」の話をする。それは入店した元AV女優とショウタが結婚したという話だった。
そんな馬鹿話をしてるところへ同じ店で働くソープ嬢のマコト(辰巳ゆい)がやってくる。
後輩はデブでいかにもモテなさそうだが、実は彼女がいるという。
しかしその彼女とは最近うまくいってない。


今テアトル新宿でOPフェスが行われており、この映画も「ちゃのまつかのま」というタイトルで上映がある。上野の方が安いし(3本で1600円)、山内監督作品も上映されるし、櫻井拓也さんも出演なので、上野で鑑賞。

キャストも被ってるし、ロケ場所も同じところがあったので、「平成風俗史」とこの映画は2本撮りだろう。

事実上の主役はケイチャンと後輩の吉田覚丸だ。この二人の絶妙な間の漫才のような会話で話が進んでいく。
前半の櫻井拓也のエピソードなどは回想として語られ、やはり話を進行させるのはケイチャンである。
ケイチャンの役者としての実力をちゃんと認識させてくれた。

そして後輩役の吉田覚丸。この方は私は初めて見る役者さん。目はくりっとして、愛嬌のある顔で、体重は100Kgはあると思われるデブ。
ケイチャンとの会話が実に絶妙で「ノリ悪いなあ〜」とケイチャンにつっこまれ(ヨシオの口癖)、それをさらっと交わすあたりが実にいい。

また後半登場の辰巳ゆいもこの二人に負けない会話のテンポで盛り上げる。
辰巳ゆいはいまおか監督の「若きロッテちゃんの悩み」竹洞監督も「初恋とナポリタン」もよかったが、彼女は裸なしでも十分通用する実力があると思う。末永く活躍してもらいたい。

映画の方は彼女が将来のことをしきりと話すので(要は結婚を意識してるってこと)ちょっと引いていたのだが、結局最後はセックスして仲直り、という展開。
この時にその前にヨシオから「お前彼女のブラジャーのサイズ知らんのかい?知ってるやろ、普通」と言われて「普通知らないでしょう?」と返していた伏線があったため、彼女とセックスした後、彼女が寝てる間にブラジャーを確認、ヨシオに電話するというシーンがある。
こういう細かい動作が小松(当方ボーカル)=竹洞コンビはうまいなあ、と思う。

このコンビには本当に裸でないドラマでも作ってもらいたいと思う。

(R15版タイトルは「ちゃのまつかのま」)





大阪のエロ奥さん 昼間からよばい


日時 2019年8月25日18:30〜 
場所 上野オークラ劇場
監督 松岡邦彦
製作 エクセス


今から18年前の阪神優勝の時、真弓は友人のナツコにけしかけられて阪神の選手と同じ名前の男8人と一晩でセックスした。
今は東京で主婦をしている。
しかし今年は阪神が優勝しそうだ。普段は優しいがセックスは淡泊な夫。なんだか我慢できずに大阪に住むナツコを訪ねる。ナツコは大阪でスナックをやっていて、もちろん阪神ファン、トラきちの集まる店だった。
「星野仙一とやりたい」という真弓にナツコは「じゃうちのオーナーを紹介してあげる。星野さんに会わせてくれると思う」とオーナーの川上印刷の社長を紹介した。
しかし川上はなかなか紹介してくれない。いよいよ阪神が優勝。
川上の言う通りに星野がいるというホテルに行ってみると、虎のマスクを被った男がいた。


今週は新作2本と旧作1本の組み合わせ。オークラも新作映画は煉瓦積みにして2週ずつやればいいのに。
でこの旧作だが、出来はひどい。

そもそも根本的に話がない。
「星野に会わせてあげる」と言われてもそんなことあり得ないだろ、と思ってしまう。
そしてスナックで乱交シーンがあり(吉岡睦男〜と表記されていた〜もいる)で、ナツコが「うちのトラキチのお客さんと話してたら18年前の優勝の晩にした人だったの」とか言う。

そして星野が待っているホテルに真弓が行ってみると、トラの被り物をした男がいる。ここが「このトラを被った男は阪神を象徴するのか?」とか余計なこと考えて「意味不明だなあ」と思ったのだが、途中で男が被り物を脱いで素顔をさらす。
そうすると現れたのは真弓の夫だった!という展開。
「ナツコさんに頼んで君に自分を取り戻して欲しくて一芝居したんだ」とまたまたよくわからない理屈をいう。
ふーん。

大阪の設定だけど、撮影は東京だな。タクシーが写ったけど、それが東京にあるような赤いチェッカーのタクシー。大阪のタクシーはほとんど黒だよ。
あと川上印刷のロケ場所は後藤大輔監督の映画(タイトル失念)と同じだと思った。





変態怪談 し放題され放題


日時 2019年8月25日17:20〜 
場所 上野オークラ劇場
監督 山内大輔
製作 OP PICTURES


不動産の営業をしていた私はある日、暗い感じの男をある中古の一戸建てに案内した。しかしその男は姿を消し、怪しい女性が現れて私は気絶した。数時間が経って気がついた。その話を新入社員(櫻井拓也)にしたら彼は辞めていった。
ある日家に帰ると妻は「好きな人が出来ました」と書き置きを残し出て行っていた。私はそれから酒におぼれ無断欠勤も続きクビになった。
解体業の会社の広告を見て早速行ってみた。三沢社長(森羅万象)はすぐに雇ってくれた。
そこは寮付きで私も寮に入った。そこではフジコという掃除や賄いを担当している女性がいた。同じく寮に住んでいる岩木(ケイチャン)という男は「フジコには手を出すな、あれは社長の女だから」と教えてくれた。
そういいながらも岩木は「フジコは実は休みの日はデリヘルで働いていて自分がデリヘルを頼んだら偶然にやってきて1回した」という話もしてくれた。
やがて私はフジコのことばかり考えるようになる。フジコは「社長を殺して。そしたらあなたの女になってあげる」と言ってきた。


オークラ映画恒例のお盆の怪談映画。お盆に怪談映画というセオリーを今でも守っている大蔵映画はすごい。今時テレビでもやらなくなった。
70年代ぐらいまでは夏には怪談番組があったけど今は聞かなくなったね。

というわけで今回も山内大輔監督が登板。
面白かったけど、ホラー要素は冒頭の中古物件のシーンが終わってからはさっぱりなくなる。
フジコに段々と惹かれていく過程はもちろん面白いんですが。

んで、物語は急転直下。社長が殺されたニュース画面になる。「殺したのは私ではない、岩木だった。岩木は傷害などの前科のある男だったから、迷わず殺すことが出来たのだろう」という展開。
そして最初の中古住宅はかつて夫婦が住んでいて強盗に殺されたという話があり、その犯人が実は中沢社長だったのだ。

殺された夫婦の怨念が私や岩木やフジコを動かし、中沢社長を殺させた、という結末。
もちろんこのオチは面白かったのだが、映画の中盤がホラー要素が全くなくなってるから、そこはちょっと惜しかった気がする。






人生はシネマティック!


日時 2019年8月25日 
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 ロネ・シェルフィグ
製作 2016年(平成28年)


1940年、ドイツによる空襲下のロンドン。イギリス政府は国民の戦意高揚のため、ダンケルクの撤退を映画にしようとする。
男は戦地に行っているし新しさも求めて、広告コピーライターから政府公報の短編映画の仕事をしていたカトリン・コートを脚本チームに選抜した。
双子の女性が船でフランスまで行って兵士を助けたエピソードを新聞で読み、取材するカトリン。しかし実際は途中で船のエンジンが故障しフランスには行ってない。大きな船に曳航されて帰ってきたときに途中で兵士を乗せて帰ってきたのが新聞で大きくなっただけだった。
しかし「事実と真実は違ってもいい」ということで、双子の姉妹はダンケルクに行った話が作られた。だが「エンジンが故障したのはイギリスの工業力のイメージが悪くなる」ということで、スクリューに何かが絡まったことに。
双子の姉妹には飲んだくれの父親がいたのだが、これが叔父になり、ダンケルクに同行したことになった。そしてその叔父を演じるのがかつて警察ミステリーの警部役が大ヒットしたヒリアードだが、かつてのスターの栄光が忘れられない彼は自分をかっこよくするためにやたらと脚本に注文を付けてくる。
さらにアメリカに参戦してもらいたい政府の要望で、アメリカの観客が共感を得やすいようにアメリカ人の登場人物を入れることに。そしてその役をアメリカ系の実際の空軍大尉に(もちろん役者は素人)演じさせることになった。
果たして映画は完成するのか?


有線放送の映画専門チャンネルの「ザ・シネマ」で放送のあった作品を六がして、予告編が偶然入って見たくなった。もう放送は終わっていたが、レンタルになっていたので、借りて観た次第。

うーん、でも思った映画とはちょっと違ったかなあ。
三谷幸喜の「ラジオの時間」みたいな「最初の脚本がしっちゃかめっちゃかになるが、何とか最後には納まる映画」かと思ったが、そういう訳でもなかったな。

確かにそういう映画でもあるのだが、ベースあるのは主人公の女性脚本家の「仕事と恋」のお話だ。「働く女性の仕事と恋」を描く映画で、素材として「戦意高揚映画の製作」を選んだようだ。

カトリンには同棲している売れない画家がいるのだが(事実上の夫)、仕事が来て絵を描きに地方に行ったりしてカトリンも脚本をやり遂げたくてついすれ違いになる。久しぶりに帰ってみたら夫は別の女を連れ込んでセックスしていた、という展開になる。
だから基本、現代の男女関係で、一応形だけ戦時中にした感じ。

その後、脚本チームのリーダーとつき合うことになるのだが、空襲で壊れかけていたセットの下敷きになって死亡。
それでカトリンは映画界から離れる。
しかし完成した映画を映画館に見に行くと観客が感動していて「私は3回観た」「5回観た。これは女性たちの映画よね!」と言ってくれたのを聞いて脚本の仕事に戻るという展開。
まあ結局は「働く女性の恋と仕事!」ですよ。

でもこの映画に出てくるこのダンケルク映画、実際に製作されたんだろうか?ネットで検索しても「元ネタの映画は○○という映画」というのが出てこないので、案外架空の映画かも知れない。
最後に映画館で観たときはカラー映画になってたけど、そりゃ当時から「風と共に去りぬ」とかカラー映画はあったけど、映画中で「(白黒の映像に)あとは色をつけるだけだ」というせりふがあったけど、着色なんだろうか?
私としては当時の映画技術の方が興味あるんですけどね。

イギリス国内でダンケルクのシーンを撮影するときに、遠景の兵士が煙を表現するのにグラスワークが使われていて、当時の使い方がよくわかる。
そこが面白かったが、個人的にはそっちを重点をおいて欲しかった。







やりたいふたり


日時 2019年8月24日21:00〜 
場所 テアトル新宿
監督 谷口恒平
製作 OP PICTURES+


漫画家志望の小崎愛(霧島さくら)は編集者(中村無何有)からデビュー作としてエロマンガを依頼される。処女の愛に取ってはハードルが高く、迷ったが「いやなら他に」と言われ引き受けた。編集者は「取材してみたら」とあるAV監督を紹介してもらった。
AV監督、タモツの話では妻とは学生時代の同級生で、ある朗読劇の録画を頼まれた時に観客で来ていた妻が隣の男に股間をさわらせていたのを観たのがきっかけだった。それから親友のような関係で、まさか結婚するとは思わなかった。しかし妻が自分の留守中に男を連れ込んでいるのを知り、やがてカメラで録画するようになった。しまいには自分の仕事の同僚のAV男優と寝ているのを知り離婚した。
しかし愛が妻の話を聞くと違っていた。彼女はタモツの何ともいえない目つきが好きで、その目に見られたいという。朗読劇の時も隣の男に無理矢理さわらせたのだ。そして結婚しても彼は逆に勃たずにタモツも妻が人としているのを見てオナニーして満足するのだった。
だがある日、タモツのポケットにあったSDカードを再生すると、そこにはAV女優とのハメ撮り動画があった。その時のタモツの姿はごくつまらない男にしか見えず、離婚を決めたという。
愛の元にタモツが浮気したAV女優から電話がかかってきた。
SDカードはその女優がタモツのポケットに入れ、妻に見せるようにしたようだ。


先月ぐらいに上野オークラでR18版が公開されたときにピンク版「羅生門」と紹介されたこの映画。最初は今日は観る気はなかったが、入り口でチラシを配っていたりして、何となく鑑賞。

これが面白かった。エロとストーリーががっちり融合している。
カラミとカラミをつなぐだけのためにお話があるようなピンク映画も多いが(別に嫌いではないが。ピンク映画の本来の姿とも言えるから)これは映画としてちゃんと成り立っている。

ラスト、離婚して再婚した妻の方が、今の夫の机からSDカードを見つけて、ふと思い出し、ネットにあがっていたタモツとAV女優のハメ撮り動画を観てオナニーする。そのシーンは何かもの悲しい。

さらにその前にワンカットでタモツたちのマンションで色んなカラミのシーンが各部屋で続くという離れ業のようなカットがある。
舞台挨拶でもこのカットが話題になったが、女優さんはベランダをかけて移動したり、カメラの下や後ろをそーっと通ったり大変だったそうだ。
このカットだけでも再見したい。ソフト化されたらもう一度観てみようかな。






セックスの季節


日時 2019年8月24日18:50〜 
場所 テアトル新宿
監督 佐々木浩久
製作 OP PICTURES+


女優志望のナナ(栄川乃亜)は枕営業で関係者とセックスする日々だった。彼女のことを気に入ってくれて「妻と別れてもいい」と言ってくれる男もいたが、彼女はそれには乗らない。
事務所は別の女優を売り出すために、自分を関係者とセックスさせていた。


今年もやってきましたテアトル新宿でのオークラのピンク映画のR15版の特集上映OPフェス。
今回最初に観たのは去年ぐらいからオークラ映画でピンク映画を撮り始めた佐々木浩久監督。
映画に対する苦悩を描いた作品という趣旨のことを監督がTwitterで発言されていたので、つい鑑賞。

でも正直観なきゃよかったなあ。私にはあわない。
舞台挨拶で佐々木監督がおっしゃってたが、この映画を観た黒沢清監督が「自由でいいですねえ」ということで誉めたそうだが、「黒沢監督だって『ドラキュラ娘の血が騒ぐ』とかあったじゃないですか」と佐々木監督が言うと「あれ日活から納品拒否されたから」と答えたそうだ。
そんな黒沢監督も「自由だ」と言われるのだから、その自由度は推して知るべし。

「映画で世界を変えられるか?」「変えられる」「変わらない」などの会話が出てくる。私自身は「映画には世界を変えるほどの力はない」と思っているのだが、まあ「世界を変えられる」と思いたい、あるいは「変えられるだろうか?」と考える気持ちは分かる。

そんなようなごちゃごちゃした問答が続く。自分の自問自答は自由だが、娯楽映画という形でやられるとちょっとなあ。
最後はどうなったかも忘れてしまった。

でもナナの友人が自殺してしまい、そのお骨が入った骨壺を落としてしまい、骨が散らばるシーンがある。ここで骨を拾ったナナが「熱っ」というのだが、このシーンを観て「仁義なき戦い代理戦争」を思い出した。
サイン会の時にこのことを聞いてみたら「そうですね」とおっしゃってました。

湾岸テレビのプロデューサーで、女性の「マン拓」を取るのが趣味、という男が出てくるが、これが久保新二。こういうの似合うなあ、本と。しかし久保さんがオークラの映画に出るって久しぶりじゃないか。

あとは佐々木監督のホラー映画つながりなのか木原浩勝さんが「この映画を見ると発狂する人が出る」という都市伝説の解説者として登場。
その前に同じ都市伝説の話で「某劇場支配人」で白石雅彦さん出演。

そういう出演者の小ネタは楽しくあったが、なんだか私にはあわない映画だった。





イソップの思う壷


日時 2019年8月24日13:55〜 
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン12
監督 上田慎一郎、中泉裕矢、浅沼直也


女子大生の亀田美羽(石川瑠華)は地味で目立たない。同じクラスに家族でタレント活動をしている兎草早織がいる。クラスでも目立つ存在の早織をつい見ていると、美羽は早織から「ひょっとして私のこと好きなの?でも私恋愛対象は男性なので」というと「違います」と答える美羽。
早織は今臨時講師としてやってきた眼鏡男子の八木に夢中だった。
ところが八木は早織の母親と不倫関係にあった。
復讐代行業の戌井はある男を田舎の広場で車で引きずり回していた。
戌井は早織の父親に頼まれて妻の不倫相手を懲らしめていたのだ。しかし不倫している相手はもう一人いる。それは八木だとばれていた。
しかし信司も若い女と不倫を楽しんでいた。そこへ早織が誘拐され、1000万円の身代金が要求される。


「カメラを止めるな!」が昨年大ヒットした上田慎一郎監督の最新作。
監督が3人の連名になっている。上田監督作品に関わっていたスタッフが今回は監督としてクレジットされてるようだ。どのような役割分担があったかは解らない。

先週の16日に公開され、TOHO新宿では1日5回ぐらい上映していたのだが、2週目になったら一気に1日1回。極端だなあ。
しかもツイッターを見ても見たという感想を全く目にしない。ひとつだけ見たが酷評していた。

そんな状態なので期待値は低かったし、話が逆転し始めたあたりで「?」となったのでややマイナスな気分になったが、後半に行くにつれ話を整理し始めたので話が分かってきた。

このような人物と人物が意外な関係があった、みたいに話が逆転していくのはどこかで見たと思ったら、そうだ内田けんじ作品だ。
(そういえば最近内田けんじって聞かないけどどうしてるんだろう?)

実は兎草一家と亀田一家は以前に玉突きの交通事故にあったことがあり、信司が自分の妻の治療を金を使って医者に優先させたため、亀田美羽の母は亡くなったという事件があった。それで亀田一家は荒れて、借金に追われる羽目に。そこで知り合った闇金の男(川瀬陽太)に兎草一家への復讐を持ちかけられ、それを中継し「人が死ぬところを見たい」という悪趣味な金持ちに高額な金で見せるという商売をする。
それに載せられて美羽たちは兎草一家を殺すところまで追いつめられるのだが・・・・という展開。

上映時間は87分と短いし、気軽に見れる映画だ。逆転逆転のお話の楽しさもある。「カメラを止めるな」と同じく、根底にあるのは家族愛。

単館系ミニシアターで上映した方が、案外ロングランされたのかも知れない。TOHOシネマズ向きの映画ではなかったかも知れません。
でもそれは東京だからいえることで、ミニシアターのない地方ではやはり上映されるにはTOHOシネマズの方がよかったんだろうな。





劇場版 おっさんずラブ LOVEorDEAD


日時 2019年8月24日10:10〜 
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン9
監督 瑠東東一郎


上海、香港への転勤から東京に戻った春田創一(田中圭)。しかし古巣東京第2営業所に戻っても恋人の牧凌太(林遣都)はいなかった。牧は天空不動産本社の新規プロジェクトGenius7のメンバーとして栄転していたのだ。
代わりに新入社員として山田正義(ジャスティス)(志尊淳)が入ってきていた。
牧の加わった新規プロジェクトはベイエリアに巨大なリゾート施設を作る計画だ。その土地の買収の一部を第2営業所でも請け負うことに。しかし永年住み慣れた土地故に買収もままならない。
やたらと懐くジャスティスに春田も悪い気はしない。しかしそんな中、所長の黒澤部長(吉田鋼太郎)は階段で転倒し、春田のことだけを忘れる記憶喪失になってしまう。当然恋のこともだ。そして黒澤はまたまた春田を好きになる。
またGenius7のリーダーの狸穴(沢村一樹)もやたらと牧に絡んでいるようだ。
そんな時、天空不動産の会長の娘がGenius7で提携していた鳳凰山グループによって誘拐されたと事実を知ってしまった春田。実は鳳凰山グループは新開発の土地にドラッグの密売の拠点にしようとしていたのだ。
会長の娘を助けにいった春田だが、逆に捕まってしまう。
それを知った第2営業所の面々が救出に向かう!


昨年の4月スタートの連続ドラマでヒットした「おっさんずラブ」の劇場版。ツイッターのトレンドで1位になったとか話題だけど、それはディープなファンが一定数いたということで国民的ヒットという訳ではない。
だから正直「劇場版」の話を聞いたとき、「そこまでの人気かあ?」と思ったのだが、70億円のヒットを狙うわけでなければありなのだろう。

テレビドラマ版では話が大きくなりすぎないこじんまりした部分も面白さの要素なのだが、今回は海外ロケ(香港)はするわ、誘拐、爆発と話の風呂敷は広げるわ、で面白さの濃密さが薄まった気がする。予算が増えていろいろやりたくなったのは分かるけど、意味ないような気がするがなあ。

それに黒澤部長がもう一度春田に恋してくれなければ困るので、記憶喪失になるという苦しい設定。
いや解るんだけどね、「こうなって欲しい」という作者の都合も。だからあんまり批判すべきではないかも知れんけど。

それにゲイゲイしかったジャスティスと狸穴が実はゲイではなかった(二人とも「結婚する」「してた」だから)というオチはいかがなものか。
ラブコメとしてオチをつけたかったのは解るけど、これほどミスリードしていて「ゲイではなかった」もないと思うし、もと牧の恋人だった武川課長(眞島秀和)も黒澤部長を好きになるとかやりすぎだぞ。
これじゃただの乱交(してないけど)グループじゃん。
そういう意味では黒澤の元妻の蝶子(大塚寧々)に恋するマロ(金子大地)など気持ちのいいものである。

サウナの会話劇など面白いから、観てる間はそれなりに楽しんだけど、やはりゲイはゲイでいろいろ大変な部分もあるから、安易に女性客のエンタメにされてもなあ、とこのドラマの大ヒットには複雑な気分である。







アンダー・ユア・ベッド


日時 2019年8月17日15:55〜 
場所 テアトル新宿
監督 安里麻里


子供の頃から周りに存在を忘れ去れた男、三井(高良健吾)。大学生の時、自分の名前を呼んでくれた女性がいた。三井は勇気を振り絞ってお茶に誘う。彼女の名は佐々木千尋(西川可奈子)。彼女はよく話し、三井の趣味について聞いてくれた。彼の趣味はグッピーの飼育だった。
千尋は自分もグッピーを買いたいといい、三井は自分のを分けてあげることにし、今度の木曜日に千尋のアパートに持って行くことになった。
それから11年。三井は観賞魚店に勤めていたが、千尋の現在が気になって興信所に調べてもらった。千尋は結婚し、郊外に住んでいた。
千尋の家が見渡せる場所に観賞魚店を開き、その上に住む三井。
千尋の夫はDV男で夜昼なく彼女を殴り続け、暴力的なセックスを強要していた。
ある日、千尋が三井の店にやってきた。千尋は三井とは気づかない。グッピーを分け、「傷があって売れない水槽がある」とそれもただで差し上げる。千尋の家に届けに行ったとき、隙をみて合い鍵を作る三井。
それから三井は時々千尋の家に侵入した。しかし千尋の夫健太郎(安部賢一)のDVはますますひどくなる。


まったくノーマークだったが、朝日新聞の映画評(だったと思う)で「江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』『人間椅子』を思い出させる」と書いてあり、俄然観たくなった。
テアトル新宿では1日1回の上映で、公開してしばらくはレイトの21時
途中から16時頃からの上映。本日は高良健吾と西川可奈子のトークイベント付き。

まさにストーカーとなって彼女を監視する三井だが、ストーカーは自分の思いを押しつけるが三井は一切しない。ストイックである。
主演が見かけからしてキモい奴だと引いてしまうが、高良健吾なので観客の共感は得やすい。城定秀夫の「悦楽交差点」も同じような内容なんだけどね。

大学時代の約束は実際はどうだったか。
映画の回想では三井が部屋を訪ね「これからもグッピーの世話にきてね」と言われたり、今度言ったらDVの彼氏にと喧嘩になり、威勢良く彼を倒して結ばれる、というシーンが出てくる。
しかし千尋が三井の店に来て「グッピーを買いたい」と言ったとき、「私飼ったことないので」と言う。

千尋の夫のDVがひどくなったとき、カーテンの裏にいたにも関わらず、三井は怖くて助けることが出来ない。
だが再び千尋がいよいよ命の危険が及んだとき、三井が助けてくれたシーンは「やったー」という爽快感で私は満たされた。
まるで「スターウォーズ」でルークが危機に陥ったハン・ソロが助けに来た時と同じくらい快感があった。

観賞魚店に三河悠河演じる青年が「アロワナを飼いたい」とやってくる。
彼はあまり登場しないが、ラストで勤務先のコンビニで殺傷事件を起こす。出演シーンが少ないせいか、本来なら三井が「自分との同一性」を見いだすのだが、それが全体に生かされ切れてないのが残念。

そして健太郎を殺してしまった三井が自首する。交番にやってきた千尋が「三井くん」と呼んでくれたシーンは実に爽快感があった。本当によかった。

トークイベントは司会なしで二人で対談。
この作品、去年の8月末から2週間で撮影されたそうだ。廃工場に三井の部屋のセット、千尋の部屋のセットなどを組んで撮影されたとか。
三井の部屋から千尋の部屋を見下ろすカットはクレーンで撮影されたそうだ。
西川さんの話では三井がベッドの下に潜り込む時高良さんが「ミミズがいいですか?ダンゴムシがいいですか?」と聞いて監督も「?」となったという話をされてました。高良さんは覚えてないそうですが。
高良さんを生で観たのは初めてですが、物静かに淡々としかし饒舌にお話になる方でした。

ちなみに帰りに紀伊國屋書店で原作を買った。ソフト化されたらもう一度観てみたい。





ダンスウィズミー


日時 2019年8月17日11:30〜 
場所 TOHOシネマズ日比谷・スクリーン8
監督 矢口史靖


一流商社・四つ葉商事のOL・鈴木静香(三吉彩花)はある日、姪と一緒に行った遊園地でマーチン上田(宝田明)の催眠術を体験する。
信じていなかったが、マーチンの力で静香は音楽を聞くと歌って踊り出す体になってしまった!
翌日の会議であこがれの先輩村上(三浦貴大)と出席する会議で流れてきた音楽に合わせて歌って踊ってしまう。静香の中ではミュージカル映画のワンシーンだったが、実際は部屋をめちゃくちゃにしただけだった。
その場を逃げ出した静香。しかし結局会議でのプレゼンがうまくいったという村上に誘われて同じ部署への異動が決まる。
医者に相談したところ、この催眠術はかけた本人にといてもらうしかないという。マーチンを再び訪ねた静香だが、借金に追われたマーチンは夜逃げしていた。マーチンのさくらをしていた千絵(やしろ優)とともにマーチンを探すために探偵(ムロツヨシ)を雇う静香。


矢口史靖監督の最新作。劇中のせりふでも出てくるが「ミュージカルって突然歌い出したりして変じゃない?」という疑問を持つ方に向かって作ったミュージカル。

う〜ん、でもシナリオの作り方が疑問だったなあ。
まず静香がマーチンの催眠術にかかってミュージカル体質になるまでが長い。冒頭で会議のシーンでいきなり踊り出し、「実は・・・」と回想で理由をマーチンのことを説明したほうがテンポがよかったのでは?

そして映画はマーチンを追いかけるロードムービーへと変貌する。
そういう流れになるとは思っていなかったので意外だった。
私は彼女がミュージカル体質になりつつ、人助けをしたり、会社の危機を救ったり、とにかくプラスの方になっていく展開を予想していたので、ものすごく驚く、というか違和感を感じた。まあ私の思いこみなんでどうでもいいんですが。

あと村上という男が実はちょっと悪い男で、静香の前にチームにいたOLとつきあって辞めさせたのが実は村上らしい、という伏線があったにも関わらず、それが生きてこない。
ここは最後には村上の悪行がばれて一発かませなきゃ、なんか納得行かない。

最後に会社には戻らず、千絵とミュージカル教室を開くのもなんだか無理矢理な感じがする。(会社を辞める理由がないのだよ)

歌は基本昭和歌謡で、私のような音楽に知識のない人間でも楽しめた。
キャストでは宝田明がうさんくさい男を演じる。こういう胡散臭いプレイボーイを演じるとうまいなあ。こういう役は宝田にぴったりである。
しかし歌のシーンでは声の張りがなく、やや劣った印象を受けてしまったのは残念。



セックスドキュメント 性倒錯の世界


日時 2019年8月14日21:00〜 
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 中島貞夫
製作 昭和46年(1971年)


大映倒産、日活ロマンポルノ路線へ変更など、映画界が荒れた70年代前半。「仁義なき戦い」は73年だから実録路線になる前。
「とにかく製作費が安くて客の入る映画を!」ということで出てきた性風俗ドキュメンタリーシリーズ。ラピュタのレイトショーで今回は中島貞夫(!)監督の4作品の上映。

映画は街の人々を捉える。「この人たちは彼氏と彼女?彼女と彼氏?彼氏と彼氏?彼女と彼女?」というナレーション(西村晃)から始まる。
まずは東郷健登場。同性愛の話題だ。

なんとかいう医学博士が登場し、「性の指向は生まれてからの育った環境に影響されます。もともと子供は同性愛の傾向がある。子供の頃は男の子、女の子でグループになるが思春期になると男は女を、女は男と交わるようになる。同性愛は成長を拒んでいつまでも子供でいる状態」と今聞くと「ホントかよ?」いいたくなるような理屈を言う。

そして東郷健が主催するパーティの様子になり、同性愛の人々が集まっているのであちこちで男同士で抱き合い、キスをし、やがて裸で抱き合っていく。やがて東郷健と若い男がベッドで抱き合う。さすがにパンツは脱がないのだな、と思っていたら、そのうちに全裸になって69の姿勢になって東郷健が若い男をしゃぶり出す。このとき、カメラに尻を向けている東郷健ではない男の穴まで写った。ラピュタ阿佐ヶ谷で男のケツの穴を観るとは思わなかった。びっくりした。

そして性転換を日本で初めてしたと言われてる銀座ローズの話題へ。
彼はノーマルの男性と結婚生活をしていて、なすのぬか漬けなんぞ作っている。
彼の妹というのがレズビアンの男役。まじかよ?と言いたくなる兄妹。北海道の旭川に実家があるのだが、父親とはうまくいってなかったようだ。
(このあたりの話が彼らの生活の画にインタビューの音声がのっかる形になっていて、非常に聞き取りづらい)

で、実際に性転換手術をしてる若い男の話へ。
これが彼が手術をしているシーンをもろに捉える。瞼を(二重にしている?)手術があって、そのあと豊胸手術だ。胸の横を切り、そこにパイプ上の器具を刺し広げたところで(たぶんシリコン)を注入する。
こういう痛そうなシーン、私はだめ。ご丁寧にも両方の胸に処置するシーンが出てくる。

この後、レズビアンカップルだが、このタチ役の方が蛇使い。(最初登場したとき、獣姦的な人かと思った)
このあたりで戸川昌子のインタビューが入る。
その中で外国の同性愛者ってクリエーターがとかが多いが日本の同性愛カップルは「お店持ちたい」だので世界が狭い、と苦言を対す。

そして入れ墨も出てくる。入れ墨は性倒錯とはちょっと違う気もするが、「肉体に何かをする」ということで無理矢理入れてる気がする。

そして今度はSM。団鬼六と緊縛師の辻村隆の対談もあって、辻村氏は「僕はいままで何千という女性を縛ってきたけど、人によって快楽の度合いは違うから、同じ責め方をしたら快楽の子と苦痛の子に分かれてしまう。だから相手によって責め方を変えている」という話になる。
「奴隷になりたい、というのから動物になって馬になりたいということになる。そして動物から物になりたいと思い出す。それが究極の便器になりたい、です」と解説をつける。
こういう解説に流れる映像は緊縛のシーンで、ろうそく責めやなどはおこなわれている。そこでダーツの矢らしきものを体に刺す。
これは私にはきつかったな。
そして最後にはナレーションの解説はないが、茶色いものを口に頬張って足で顔を踏みつけられている映像が出てくる。たぶんスカトロですね。

今のLGBT時代とかからは考えられないような場面もある、とにかく70年代の穴場な感じの映画だった。






ときめきの白濁日記


日時 2019年8月14日15:23〜 
場所 光音座1
監督 山内大輔
製作 OP PICTUERS


ストーリー省略。
変だなあと思っていたのである。日本各地(といっても4館だけだけど)で上映されるゲイ映画館の数ヶ月分の番組を紹介しているHP「ゲイ映画館に行こう」では光音座1の8月の新作は「最短距離は回りくどくて」と紹介され、しかもblanc,noirとも1週おきに上映されると出ていたのだ。
(「最短距離」の上映は確かだが、2パターンの交互上映は記憶である)
ところがいつのまにか「ときめきの白濁日記」という作品になっていた。
その「ゲイ映画館に行こう」のHPでも情報がまったくアップされない。

キャストに「可児正光、山本宗介、森羅万象」の3人の名前があるだけで、監督名も解らない。光音座の公式ブログでも新作にも関わらず、内容紹介がない。
劇場前に貼ってあるポスターには橋の風景とか、森羅万象さんや可児さん、山本さんの顔写真しか載っていない。
「ひょっとして『最短距離』と2本撮りしたとか?」と思って劇場に入る。

チラシテーブルを観てもチラシがない。「?」である。「経費節減でついにチラシ止めたかな?」と思い、悪いので劇場には聞かなかった。
そして場内へ。もう1本が終わり、新作が始まった。

ファーストカットを観て「監修」のクレジットを観て「あっ」と気づいた。そういえば音楽も聞き覚えがある。
次のカットでは向理来さんの川の土手のカット。
なんと「最短距離は回りくどくて」の上映である。

上映時間は70分だから再編集ではないだろう。どっちのバージョンなのか気になるので最後まで観る。
「blanc」だった。
画質はロサで観たときはHD画質だったが、今回はSD画質なので新作にも関わらず、ボケボケ。
せっかくだからさあ。
向さんの美しさが解んないじゃん。
まあそれは仕方ない。

観てる間気になったが、主演者も監督名も隠し、出演者ではオークラ映画の常連の名前のみとし、正体を隠さねばならない理由はなんだろう?
邪推しかできないが、2つ考えた。

1つ目は向理来をはじめとするオークラ常連ではない方から「BL映画として上映すると聞いている。ポルノ映画館で上映するとは聞いていない」とクレームがついたから。
でもこれはあり得ないよなあ。
作品の権利はオークラなのだからいくらでも突っぱねられるし。
これが原因なら向理来出演ではオークラでは出なくなるだろうから、ファンとしては困る。大いに困る。
きっとこれは違う。

もう一つは観客対策である。
「最短距離は回りくどくて」は池袋で夜7時からの上映だけだった。
池袋に近い人ならいいけど、ちょっと遠方のファンなら見に来れない。
それは横浜で1ヶ月終日上映されるとなったら・・・
女性ファンが来て「ここは男性しか入れません」と断ったらお客さんもかわいそうだし、劇場も面倒になる。ウィンウィンどころかルーズルーズである。

そういう女性客対策で主演者も監督名も伏せた形なら納得できる。
完全な邪推で別の理由もある可能性も十分に考えられるが、そのためにいつもの公開記念舞台挨拶も今回は予定されていない。
ちょっと残念。

でもDVDも発売されるから、それは買いたいと思う。

同時上映は山本竜二監督「黄昏に燃えて〜あるハッテンバ神話〜」。
2017年に「飛び魚キッチン」で観たので感想省略。







ローマの休日


日時 2019年8月14日10:00〜 
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン12
監督 ウィリアム・ワイラー
製作 1953年(昭和28年)


ヨーロッパ各国を訪問中のアン王女(オードリー・ヘップバーン)は過密なスケジュール、お仕着せのお世辞に嫌気がさしていた。ローマの大使館に宿泊中に周りの者にあたってしまう。医師は睡眠薬で落ち着かせ寝かせようとする。しかしアンはみんなが居なくなった隙に部屋を抜け出し、出入りの業者のトラックに忍び込み街へ出る。
しかし薬が効いて寝込んでしまったところを通信社のブラッドリー(グレゴリー・ペック)に助けられる。寝込んでしまった彼女を放ってもおけず、自分のアパートにつれて帰る。
翌日、ブラッドリーは寝坊し、アン王女の会見に行きそびれた。しかし朝刊を見て自分の部屋で寝ている娘がアン王女と気づく。
上司に特ダネを約束し、ブラッドリーは急いでアパートへ。友人のカメラマン・アーヴィング(エディ・アルバート)を呼び出し、アンの「ローマの休日」をスクープしようとするのだが。


世界の映画史に残り、オールタイムベストテンでも上位に入るであろう名作中の名作、「ローマの休日」だ。
今回「午前十時の映画祭」枠で上映され、お盆休みなので観に行った次第。
DVDも10年ぐらい前に(たしか何故か安かったのだ)買って自宅にあるのだが、観ていない。
特に理由はない。買ったけど観てないDVDはたくさんある。

スクリーンで観るのはたぶん初めてではないかと思うがかなり記憶に残っていた。いや、リバイバル上映が高校生ぐらいにあった気もする。
ただ最初に観たのは小学生ぐらいにテレビ放送だ。カット版だったが、きわめて印象に残った。その後映画館かビデオかよく覚えていないが、観ている。(テレビ版ではブラッドリーの最初のポーカーのシーンがなかったと思う)

それでも最後に観たのは2〜30年前だが、ほとんどのシーンを覚えていた。
忘れていたのは、美容室で髪を切ったとき、アン王女は一人だったというあたりだ。
ソフトクリーム(ジェラート?)を食べる階段のシーンで再会するのは忘れていたな(ずっと一緒にローマを回ると思っていた)。

いやそんなことはどうでもよい。
この映画、見直して改めて思ったが、完璧なのである。
昔少しだけシナリオの勉強をしたときに、冒頭のシーンでアン王女が来賓と挨拶をするシーンがある。そこでアンの靴が脱げてしまうあたり。
あの靴を脱いでしまうあたりで、彼女の「退屈」を表しており、靴のような窮屈なものから抜け出したい、という気分も表している。
その後の靴が脱げていることに気づいた周りのものたちの目線で知らせあうシーンは今観ても笑える。

そして髪を切るシーン。ここで髪を切るのでヘップバーンのロングヘア姿、ショートヘア、そして後に額を出すなどの様々な髪型を見せてくれる。
オードリー・ヘップバーンはこの映画では新人だったが、この映画の成功のひとつはやはり彼女にあるのは誰もが認めることだろう。

最後の会見のシーン、記者たちの中にブラッドリーがいるのを発見したときの表情!
「思い出の場所は?」と聞かれて周りが「どの土地も魅力があり」と言わせようとするが「ローマです!」と答えるシーンはよく覚えていた。
が今回はそこより泣いた場所があった。
その前に「ヨーロッパの友好関係について」の質問で「国と国との信頼関係を信じます」とここまではペーパー通りで「個人と個人の友情のように」と付け加え、周りをざわつかせる。そしてブラッドリーが「それはきっと守られると思います」といい、彼女がホッとした表情を見せる。

うまいなあ、こういう言葉で説明するんじゃなくて「言葉を借りて裏の意味、隠された意味を伝える」なんて実にうまい。

完璧な映画、とはこういう映画を言う気がする。
DVDで再見しようと思う。






太陽のない街


日時 2019年8月10日18:20〜 
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 山本薩夫
製作 昭和29年(1954年)


大同印刷では大争議が行われていた。始まりは38人の首切りだったが、組合が猛抗議し、全面ストライキにいたったのだ。
会社側はヤクザを雇って新しい工員を運び込もうとするが、それを阻止する組合員。
ある日、工場で放火未遂があった。未遂で終わったが、行ったのは交渉が遅々として進まないことに腹を立てた組合員(原保美)だった。
幹部のあるもの(二本柳寛)はヤクザに襲われる。ストのために給料がでないために会社側と妥協を言い出すものも現れる。
その中で妊娠していた女子行員がなくなった。その病弱だった父親も区bつり自殺する。ストライキによる混乱がなければ死なずに済んだろう。
ストライキはまだ決着がついていない。


「真空地帯」と同じく山本薩夫監督作品。ラピュタでの「独立プロのあゆみ2」での上映だ。
これもタイトルは知っていたが観ていなかった。

これ戦後の争議の話かと思っていたら、戦前のストライキの話である。考えてみれば歴史の教科書に「蟹工船」と並んでよく出てくるプロレタリア小説が原作、だから戦前にストライキがあってもおかしくないのだがちょっと驚いた。

それに比べて今の労働者はなんておとなしいのだろう。
ストライキなんて70年代までは鉄道でよくあり、ストライキは日常だった。80年代に入ってすぐまではストもあったし、そういえば85年頃一部の労働組合が一部の電気系統を破壊し、電車を始発から3時頃までストップさせた事件があったな。やはり国鉄民営化がストがなくなった要因の一つか。
そしてバブルによって労働者自体も景気がよくなったが、その後は派遣社員の増加で労働者間の分断が起き、組合そのものが無力化した、という解釈でいいだろうか。完全に資本家は勝利したのである。
やっぱり「ストは怖い」「労働者は団結させてはならない」という資本家の恐怖があったのだろうなあ。

この映画でも一部のものは会社側と妥協しようとし、それを説得する側も「今妥協したらいままで苦労して、亡くなったものたちに悪いじゃないか!」と心情的に訴える。しかしこれって戦争の終結時に徹底抗戦派が「死んだものに顔向け出来ない」と言った論理と同じである。
そういうのって不思議なもんだなあ。

映画の方は会社側が暴力や懐柔を行い、幹部は逮捕とかで新幹部は妥協しようとしたり一進一退を繰り返す。
登場人物も多く、群像劇になってる点など70年代の大型映画で見た山本作品に通じるものがあり、共産党的でありながら大資本のような大型映画も作れる(共産党的映画は規模の小さい映画になりがちだ)という希有な監督だったと改めて認識した。
(でもこの頃の映画らしくテンポは悪いし、ちょっと退屈したのも事実。時代の問題ですが)






真空地帯


日時 2019年8月10日15:40〜 
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 山本薩夫
製作 昭和27年(1952年)


陸軍刑務所から3年ぶりに原隊に復帰した木谷一等兵(木村功)。彼は上官の林中尉(加藤嘉)の上着から財布を取り出し金を盗んだということだった。しかし実は林中尉のものとは知らずに落ちていた財布から金を抜き取っただけだった。木谷はそのころ女郎の花枝といい仲であり、金がほしかったのだ。
しかし林の上着から盗んだと憲兵に逮捕される。木谷は落ちていた財布から金を取っただけだと盗みについては無実を訴える。そして「俺より林は悪いことをしている」と暴露し出す。木谷は経理課に勤務していたのだが、林中尉や金子軍曹(金子信雄)らは物資の横流しで私腹を肥やしていた。その経理課内部の勢力争いに木谷は巻き込まれていたのだ。林は木谷をつかって金子たちの不正を司令部に訴えようとしてた。
木谷の部隊から南方へ何名か派遣されることになった。昔の不正を知る木谷は南方へ送られることになった。今時南方へはたどり着けるかどうかすら怪しい。
木谷は脱走を試みるのだが。


山本薩夫監督作品。山本作品は映画の見始めのころよく見ていたが、この「真空地帯」はタイトルと陸軍内務班の実状を暴いた作品、ということとは知っていたが長らく見逃していた。
今回ラピュタ阿佐ヶ谷での「戦後独立プロのあゆみPART2」の特集鑑賞。

正直いうけど「あれ?」と思った。
陸軍内務班での新兵いじめは私としては「人間の條件」や「戦争と人間」で散々観ていたのでそれほどではないな、と思ってしまったのが本音。
もちろん新兵の失敗をねちねちと殴るのはよくないけどね。
でも「衝撃」はなかった。それは肯定してるわけではなく「初めて」ではなかったからだろう。

大体、主人公も拾った金をネコババして女郎屋へ行ってるから、「人間の條件」の仲代や「戦争と人間」の山本圭に比べればそれほど威張れたものではない。
その辺でもうこの映画にのれなくなってしまった。まあ確かに金が落ちていたらそのまなポケットに入れる方が人間的かも知れないけどさ。

だからこの作品では「衝撃」はなかったけど、それは今の視点で観るからだと思う。時代は昭和27年。戦後7年で陸軍があったのはついこないだ。
「太平洋の鷲」とか「さらばラバウル」が作られている時代には衝撃的な内容だったと思う。

私はこの映画を感動するには観るのが遅すぎた。10代の頃に観ていればもっと違った感想を持ったかも知れない。




よこがお


日時 2019年8月10日11:45〜 
場所 テアトル新宿
監督 深田晃司


市子(筒井真理子)は和道(池松荘亮)の美容室にやってきた。予約で和道を指名し、顔を覚えて貰う。「前の店でお会いしましたか?」という和道に「死んだ夫と名前が同じだったもので」と答える。
市子は大石家に訪問看護師として定期的に訪問していた。その家の長女・基子(市川実日子)と次女・サキから慕われていて時々勉強も教えていた。
ある日、サキが行方不明になった。数日後、犯人は逮捕された。犯人は市子の甥・辰男だった。一度だけ辰男は市子が基子やサキに勉強を教えて行る時に出会っている。それが事件のきっかけになったかは分からない。
市子は基子の母親の洋子に犯人は自分の甥だと告げようようとするが、基子が止める。「市子さんともう会えなくなる」。
市子は医師の戸塚(吹越満)と婚約していた。しかしそれを基子に離した途端、雑誌記者から電話がかかってきた。マスコミから執拗な追求を受ける市子。大石家にも出入り禁止となり、介護の会社も退職を余儀なくされた。市子はしだいに追いつめられていく。


「淵に立つ」の深田晃司の新作。もっとも深田監督だから観たわけではなく、キャストに池松荘亮がいたから。
市子が徐々に追いつめられていく過程が面白い。怖い。

実は時間軸が過去と現在に分かれていることを理解せずに観ていたので、和道との場面がかなり混乱した。美術館で和道と市子が出会うのだが、そこで彼女が大石基子であることを話し、「おばあさんは先日亡くなった」と話す。ここで混乱した。「ではあのおばあさんは誰なのだろう?実は実の祖母ではない?大石家では入れ替わりが起こっている?」とか考えてしまった。また基子と市子が動物園に行くのだが、二人で歩いてる直後のカットで基子と和道が動物園にいるカットになる。
まあ実をいうと映画を見終わってパンフを読んだら「大石家で色々あって今度は和道に近づいた」という和道のパートが現在で、サキの誘拐事件のパートが過去だと知り、やっと話が自分の中で解決した次第。
(パンフにシナリオが掲載されているが、ちゃんと「現在」「半年前」と書かれている)

その辺が冒頭の美容室での和道との出会いが終わってから「半年前」とテロップ出してくれればいいのだが、そういう「過剰説明」は深田監督は好まないのだろう。

基子は学生時代に友人と体を見せあっこしたといい、なにやら同性愛っぽい。はっきりと描写はないし、そうでなくてもいいのだが、市子に親しみ、友情、それ以上の複雑な感情を持っている。その感情が牙を剥いてしまったときが本当に怖い。
(でも基子の年齢が20代後半と思われるが、市川実日子ではちょっと歳がいってると思う。まあ大したことではないけど)

マスコミの取材攻勢もすさまじいが、それ自体を批判してるようにも思えない。基子の感情はちょっと行き過ぎだが、でも異常というほどでもない。何かそれが運悪く悪いものと悪いものが運悪く重なってしまったとき、もっと悪い状態を生んでしまうという、まるで何か落とし穴に落ちてしまったような怖さがあり、非常に面白かった。

心理サスペンス、という単なるエンタメではない、人間の怖さをあぶり出しており、非常に侮れない映画だ。今年の記憶に残る映画である。





天気の子


日時 2019年8月9日18:30〜 
場所 新宿ピカデリー・スクリーン1
監督 新海 誠


神津島の高校生、帆高は家出して東京にやってきた。東京に向かう船の中で須賀圭介という男と知り合い、名刺をもらった。東京についたが身分証もない彼は働くことも出来ない。雨宿りしていたところ、ゴミ箱から拳銃の入った鞄を拾う。マクドナルドで夜を明かしている所、バイトの女の子がビックマックをくれた。
数日後、この間の女の子がいかにも風俗の男たちに連れて行かれそうになるのを助ける帆高。そのときについ拾った拳銃を相手に向けてしまった。
結局圭介を頼る帆高。圭介は雑誌の編集プロダクションをしており、住み込みで手伝いをする事になる。
マクドナルドのバイトの女の子・陽菜と再会し、彼女の家に行く。彼女は親を亡くし弟と二人暮らしだった。彼女は一時的にだが雨を晴れにする能力を持っていた。帆高は彼女の能力を使って「晴れにします。1回3400円」というバイトを始める。


2016年の「君の名は」でその夏大ヒット中だった「シン・ゴジラ」の記録をあっさり抜いた新海誠。その新作である。
「シン・ゴジラ」は作品も好きだが、あまりヒットしなくなっていたゴジラシリーズをシリーズ最高のヒットを記録し、「おおお!」と喜んでいるところあっさり抜き去り、その点でもいい感情は持っていない。(作品とは関係ない話である)

今回の「天気の子」は「君の名は」ほどはヒットしていないようだが、それでも公開して3週以上は経ってるのにまだ最大のスクリーン1で上映(別のスクリーンで上映してることもあるけど)。でも場内は7割ぐらいで私が座った隅の1列は私しか座っていなかった。

そういう話はいいとして、どうにも世界観についていけないのである。
陽菜はある廃ビル(このビルが「傷だらけの天使」にも登場した代々木のビルだそうだ)の屋上の神社の鳥居をくぐったことから「晴れにする能力」を身につけたという。ついていけない。
もっとも「ゴジラとか怪獣とかいるわけないだろ!」と思う人もいるだろうから、許して欲しい。

そして「その能力を使いすぎると天にいってしまう」「雲には湖ぐらいの水分が含まれてるから実はその中で生物が住んでいるかも?」という設定が出てくるが、これがいちいち説明されるのだ。圭介が売れない編集者をしてるけど、「ムー」のような超科学の記事を書き、帆高もその手伝いをさせられるので、取材という形で観客にも説明するのだ。
もう圭介が編集者であるのは、この設定を説明するシチュエーションを作る為だけである。こじつけである。

そして、結局陽菜は「天気にする」という能力を使いすぎて体がだんだん透けてくる。そのころ東京はずっと雨続きの異常気象で陽菜の晴れにする能力が役に立ったのだが、その雨もいよいよひどくなる。
都内も災害級になるのだが、陽菜は自分の力を使って東京を晴れにする。
ところが陽菜がいなくなって帆高は彼女を取り戻そうとする。
しかし帆高は拳銃の件で警察に追われてしまう、という展開。

もうファンタジーなので、体が透けるとか雨を止めるとか雲の中にいるとか全然かまわない。でも拳銃が出てくるのが許せない。拳銃が出てくると(こちらがミステリーとかアクション好きだからなのかも知れないけど)どうしても関心がそっちにいってしまう。
ところが拳銃については刑事が「○○が捨てた拳銃をあの子が拾ったんでしょうかね」という一言しか説明されない。
おそらくは帆高が陽菜を救いにいくためにそれを阻む設定が欲しかったのだろう。その為に警察に追われる必要があった、それで拳銃を持たせた、と思われる(あくまで推測)

でも私の感覚から言うと拳銃というものを出してしまうと、それこそ村上虹郎が主演した「銃」という銃が話の中心なるべきなのだ。
どうにもご都合主義で銃を出されても困るのである。
それにいったんは廃ビルでその銃をなくしても、後半で警察に追われてビルに行ったときにまた偶然手にするって、出来すぎだろう。

それと根本的になぜ東京に雨が降り続けるのかよく分からない。

公開した頃に「主人公が突飛な行動をとってそこが賛否ある」みたいな意見を新聞だったかで読んだけど、いつするのかとどきどきしたが、まったくなかった。
たぶん「せっかく晴れたのに彼女を救うためにまた雨に戻してしまう。みんなの迷惑を考えろ」ということだと思うのだが、私はそうは思わなかった。好きな女のためなら無茶をするのは当たり前ですよ。

新海誠って異常な現象(隕石とか長期の雨とか)に若い男女が立ち向かい、そして二人はいったん別れるけど数年後に再会する、っていうパターンが好きなのかな。
私には理解できない世界観の映画でいかに私が世間とずれているかを思い知らされた。(本気で思ってるわけじゃないけど)





BD〜明智探偵事務所〜


日時 2019年8月5日 
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 名倉良祐
製作 平成30年(2018年)


二十面相をあと一歩で取り逃がす明智小五郎(小木茂光)。
明智探偵事務所では助手の小林(小澤廉)が新人の井上(寺坂頼我)の面倒を見ていた。そこへ「女子高生の娘、沙月がいなくなった」という母親が訪ねてくる。結局それを引き受ける小林。
沙月の写真から友人を訪ねるが、沙月は不良グループとつるんでいたが、抜け出すつもりだったようだと解る。
小林は少年探偵団に招集をかけ、この街や沙月の友人についての情報を集めさせる。
そして解ったのは街の所々にある落書きのようなマーク。これは暗号になっていてどこかの場所を指しているという。小林が困り果てたとき、明智が帰ってきた。暗号をすらすら解く明智。小林は井上をつれてその場所に向かうのだが。


明智小五郎とか少年探偵団というと無条件で観たくなるクチなので鑑賞。
はっきり言うけどサイテーの出来。
これなんか違う映画の脚本に無理矢理明智小五郎とか少年探偵団を入れたのではないだろうか?
全く内容がまとまってない印象なのだ。

冒頭、二十面相が出てくるが捕まらない。ここで団次郎が二十面相をやったときの中村警部みたいな警部が登場するが、彼はその後出てこない。
そして井上がやさぐれていて、血の繋がっていないという父親から「お前の家じゃない、出てけ!」と言われて家族も仲間もいない設定。
は?だから?
それって少年探偵団ワールドには似合わないよ。

そして探偵団の団員がたくさん出てくるが、どうも小澤廉の所属する男性グループのメンバーらしい。
街中に暗号があると解るが、これがどんな暗号かは観客には特に示さない。
えっ?観客にも謎解きの楽しみをくださいな。

そして明智がちゃっちゃと説いて、ある場所を示すと知りその場所に自転車で二人乗りして駆けつける。
(この自転車はさっき話したテレビの「少年探偵団」のパロディとかオマージュなんだろうか?)

行ってみたらそこで煙が出てきて二人は捕まっている。そしておかしな男が出てくる。これがかつて医学博士だったが論文の盗用だか改竄があって世間を追われた男。いまや臓器売買に手を染めているのだ。
暗号のスタートが「新しい人生を始めたい人」とか書いてあってそれがきっかけで暗号にチャレンジしてたどり着くと臓器を売買されてしまうのだ。
この猟奇的展開は意外だったので驚いた。

で小林君が犠牲になりそうになるのだが、この時、上裸でいすに縛られている。この上裸カットがこの映画唯一の見所。
このシーンで今まで上品でおとなしかった小林が犯人に向かって「うるせー!自分の人生は自分で決める」とか怒鳴るシーンもなんだかねえ。
小林君、キャラが違うと思うよ。

前半に出てきた「吸うと眠くなるタバコ」が後半の伏線で、何とか敵を封じ込めることが出来た。
しかし事件の裏側には組織がありそうとなり、「真相の究明は明智先生が引き継いでくれた」とまたもや観客無視。

2作目が出来そうだが、そういう気配は今のところ全くなし。

どう観ても「少年探偵団」ワールドじゃないんだよね。
冒頭で行方不明の女子高生が所属していた不良グループの名前が「夜光人間」と行ったりして「少年探偵団」の小ネタがあるかと思ったらそういうわけでなし。

滅茶苦茶がっかりな映画でした。

ディア・ハンター<4K>


日時 2019年8月4日12:10〜 
場所 早稲田松竹
監督 マイケル・チミノ
製作 1978年(昭和53年)


ベトナム戦争の時代、アメリカの製鉄所で働く、マイケル(ロバート・デ・ニーロ)、ニック(クリストファー・ウォーケン)、スティーブン(ジョン・サベージ)は近く戦地に行くことになっていた。
スティーブンは結婚式を挙げ、その翌日、マイケル、ニックにスタンリー(ジョン・カザール)たちも加えて鹿狩りに出かける。
ベトナムではニックとスティーブンはマイケルと再会。敵の捕虜になったが、そこで敵の兵士は捕虜を使ってロシアン・ルーレットに興じていた。
死への恐怖からスティーブンは精神に変調を来し出す。マイケルは自分がロシアンルーレットをするときに弾を3発入れさせ、隙を見て敵を倒す。
3人で脱走したものの、ニックだけがヘリに助けられ、マイケルとスティーブンはヘリから落ちてしまう。
スティーブンはヘリから落ちたときに足を負傷した。マイケルは彼を助け、なんとかアメリカ軍のジープに乗せてもらう。
別れ別れになった3人だが、ニックは本国送還が決まった。その晩、町に出かけたニックだが、銃声を聞きつける。銃声の先に行ってみると闇カジノでロシアンルーレットを見てしまう。その場をむちゃくちゃにしたニック。その場にはマイケルもいたが、混乱のためニックと話すことは出来なかった。だがニックは場の顔役の男に「おまえ大金が欲しくないか」とゲームに誘われる。
帰国するマイケル。しかし自分だけが助かった贖罪の気持ちが消えない。スティーブンは両足が亡くなったが、帰国していた。しかし不自由な体になったために周りから決別し、病院にこもっていた。
スティーブンを訪ねるマイケル。スティーブンの元にサイゴンから毎月大金が送られてくると知る。マイケルは「ニックだ」と察し、再びサイゴンへ。


記録の為のあらすじで結構字数を使った。
この映画、初公開以来40年ぶりの鑑賞だ。昨年末4K版が公開されたのだが、2週間で終わってしまい見逃していた。今回早稲田松竹で上映され、駆けつけた次第。

初公開の時は高校生だったが、特に前半のベトナムに行くまでの描写が1時間あって、このあたりが特に話があるわけでもなく、だらだらと続き、そこがいやだった。
大人になって見方が変わるかと思いきや、ドキュメンタリーのような淡々とした描写が延々と続く。やっぱり「ここは長い」と感じた。
田舎町の製鉄所で働き、おそらくは幼なじみの彼らの姿はアメリカ人からすると親しみ(あるいは既視感)を感じるのだろうか?
映画ばかり見ているとニューヨークやロサンゼルスのような都会に住むアメリカ人の姿しか知らないが、こういった田舎に住むアメリカ人の方が多いだろうしなあ。

でも最後まで見ると前半の淡々とした日常風景が後半の戦場の地獄との対比になり、あのだらだらがやっぱり必要なのかと思う。
ニックの遺体が故郷に戻り、友人たちが葬式の後の食事の席で歌を歌う。
その時に「ニックに」と言って乾杯しストップモーションになるラストは忘れられない。

公開当時、この映画のギターの主題曲「カバティーナ」がヒットし、よく耳にした。このもの悲しげなギター曲は映画史に残る音楽だと思う。
またロシアン・ルーレット(という言葉は映画では出てこない)というものを日本に知らしめたのは大きい。

あまりの重さに何度も観たい映画ではないし、また観ることはなさそうだが、映画史に残る名作である。
それは断言できる。




ラストワルツ


日時 2019年8月4日10:00〜 
場所 早稲田松竹
監督 マーティン・スコセッシ
製作 1978年(昭和53年)


ザ・バンド(という名前のバンド)の解散ラストライブと彼らへのスコセッシ監督のインタビューで構成されるドキュメンタリー。

そもそも「ザ・バンド」というグループを私は知らない。のでさっぱり解らない。インタビューでも出てきたが、本当は別の名前をメンバーはつけようと思ったがマネージャーに止められて、それで「ザ・バンド」になったそうだ。

この映画とは全く関係ないが、昨日阿佐ヶ谷ロフトAで今年で9回目の「鈴木邦男生誕祭」が行われ、ゲストにれいわ新選組の山本太郎代表や蓮池透さん、松本智津夫の娘のアーチャリーさん、そして森達也さんがやってきた。打ち上げの席で森さんと話したときに映画「A」は別にオウムと麻原を意味するのではなく、「タイトルはなし」でいきたいと考えたらプロデューサーから「それでは困る、何でもいいからつけろ」と言われて、当時「少年A」もあったことから「じゃ『A』で」となったそうだ。
だから「X」でもよかったらしい。
それとこのバンドも同じだな、と思った。

またこのラストライブにエリック・クラプトンやリンゴ・スター、ボブ・ディラン、ニール・ヤングなどが登場。
しかし私なんざ音楽に全く興味がないクチなので、リンゴ・スター以外は顔も知らないからさっぱりありがたみが伝わってこない。

インタビューでは日本語字幕はあるけど、歌の歌詞には字幕なし。
さっぱり解らん。
もうただただ2時間ぼーっとしてるだけである。

そういえば昨日森達也さんが「ニール・ヤングは俺の青春!」と言っていたのを思い出した。
なんかやたらと森さんとの縁を感じる映画だった。まったく関係ないけど。