2019年9月

   
さよならジュピター 見えない目撃者 宮本から君へ
タロウのバカ 初恋ロスタイム 新・高校生ブルース アイネクライネ
ナハトムジーク
アド・アストラ 永遠に僕のもの 月下の獣宴 天国と地獄
記憶にございません! かぐや様は告らせたい
−天才たちの恋愛頭脳戦−
高校生ブルース いなくなれ、群青
ベニスに死す
<デジタル版>
死にたくなるよと夜泣くタニシ SFフランケンシュタインの逆襲 二十四時間の情事 
ヒロシマ・モナムール

さよならジュピター


日時 2019年9月8日14:00〜 
場所 シネマノヴェチェント
総監督 小松左京 
製作 昭和58年(1983年)


ストーリー省略。
今回ノヴェチェントの特撮同好会枠での上映。
封切り時に1回観て数年前にアメリカ版DVDで観た。
今回見直しても特に大きく感想が違うということはなかったけど、「それぞれ勝手に自分の国の言葉で話している」というのが気になったが、あれは自動翻訳機をそれぞれ身につけているのでわかる、というのが解った。
(最初の方で三浦友和がバッチ状のものを落とすのだが、それが自動翻訳機)

それにしても「当時は『守ってあげたい』のヒットもあったし松任谷由美が流行ってたなあ」とか「宇宙船のデザインとか『スター・ウォーズ』とか『2001年宇宙の旅』の影響をもろかぶりだなあ」とか「パソコンじゃなくて『コンピューター』の時代でマウスの概念がなかったなあ」とか「東宝も当時は三浦友和をスターにしようとがんばってたなあ」とか「やぱりサメのシーンは『ジョーズ』の影響かなあ」とか、80年代に流行っていたものが満載のタイムカプセルのような映画に見えた。

トークイベントは中野昭慶監督と長沼孝さん。
中野監督は「ブラックホールってどんなものか見てみたいね」とおっしゃっていて、「いやブラックホールは光も吸収しちゃうから人間が観ることは出来ない」となった。ここで思ったのが、やはり映画であれば「ブラックホール」を事前に見せなければなるまい。

そう考えるとやっぱり「妖星ゴラス」となるわけで、特に視覚化しなくてもすむ小説と基本的に視覚化しなければならない映画の違いで、そこが小松左京はやっぱり映画的な出来なかったのだろうか?

モーションコントロールが最初に導入された映画だったのだが、この映画だったわけだが、意外と使い勝手が悪くて苦労したそうだ。
そういう意味でこの映画は80年代に「最新だと思われたもの」を詰め込んだタイムカプセルのような映画だったな。と思いました・






見えない目撃者


日時 2019年9月29日15:05〜 
場所 グランドシネマサンシャイン・シアター2
監督 森 淳一


警察学校を卒業し、明日から任官という晩に夜遅くまで遊び歩いている弟を連れ戻しに街へ出た浜中なつめ(吉岡里帆)。だが交通事故になり、弟は死亡、自分は視力を失った。
それから3年、自分は弟を救えなかったという負い目から精神的に不安定ななつめだが、ある晩、道で車とスケートボードが接触しそうになった場面に遭遇する。行ってみると車の中から「助けて!」という若い女性の声が聞こえた。しかし車は走り去った。
なつめは警察に届け出るが、その時に若い女性が言ったレイサという名前で行方不明者を検索して貰うが該当の女性はいない。
スケートボードの少年を探し出した警察だが、その少年春馬(高杉真宙)は車の少女のことは知らないと言う。
なつめは春馬に会い、問いつめると実は運転手に金を貰って無かったことにしてもらったと証言。春馬も知り合いの名簿業者に頼んでこのあたりの女子高生にレイサという名前がないか探して貰うが見つからない。
だが「源氏名とか?」と言われ風俗店の検索で探したところ、それらしき女性が見つかった。
ある晩、春馬は車に牽かれそうになる。ナンバーを覚えていて、その車の所有者の元に言ってみると所有者は死んでいてさらにそこから4人の女子高生の遺体が発見された。
犯人は車の所有者の男で警察は動くが、なつめは疑い、真犯人を探そうとする。刑事の木村(田口トモロヲ)や吉野(大倉孝二)もしぶしぶ動き出す。
そして15年前に成田で同様の事件があり、その事件から意外な人物が浮かび上がる!


数年前中国映画で同様の映画が公開されたがその日本リメイク版。もっとも韓国版があって中国版が作られたそうなので二度目のリメイクだ。
両方とも観ていないので比較はしない。

単純に面白かった。
主人公は観たと証言するが、信憑性がないと警察は取り合ってくれずならば自分が、というのはサスペンスの王道。それを今回は目が見えないという設定で主人公に枷を貸す。
それを助けるのが高杉真宙。この美形コンビがビジュアルとしていいですね。

途中、「写真とってもいいですか?」と言われ「ハイ」となつめが髪を直すシーンが面白い。でもこのシーン、「この女の子は犯人とつながっていてなつめの写真を撮ろうとしているのでは?」と思ってしまった。
(結局関係なかったけど)

ひとつ難点を言えば、犯人が分かってから倒すまでは少々長すぎ。
じりじりと追いつめられるのはいいのだが、それにしても長くないか?
他県警(なつめたちのは神奈川県)なのは分かるけど、もう少しパトカーが早くきてもいい気がするが。

ラストの格闘で、なつめは電気をショートさせ、真っ暗にする。「暗闇だったら条件は同じ!」と座頭市ばりのせりふをいうかと思ったが、それはなかった。

全体としてサスペンス満点の犯人追跡もので、面白かった。
評判がよいだけのことはある。







宮本から君へ


日時 2019年9月29日12:30〜 
場所 グランドシネマサンシャイン・シアター9
監督 真利子哲也


文具メーカー「マルキタ」の営業マン、宮本浩(池松荘亮)は先輩の新保(松山ケンイチ)の紹介で知り合った中野靖子(蒼井優)とつき合うようになった。彼女の家に遊びに行ったときに昔の男裕二(井浦新)がやってきたときに「靖子が俺が守る!」と言った晩がきっかけだった。
その後、取引先真淵部長(ピエール瀧)や大野部長(佐藤二朗)とのとの飲み会に靖子を連れて行く宮本。一升瓶をラッパ飲みして酔いつぶれた宮本だが、真淵が自分の息子・拓馬を呼び出し、宮本と靖子を送らせた。
だが拓馬は泥酔して寝ている宮本の横で靖子をレイプした。
それを知った宮本は拓馬に喧嘩を挑むがあっさりやられて前歯を無くしてしまう。
だが宮本は引き下がらない。拓馬の居場所を突き止め、喧嘩を挑む。


2018年4月にテレビ東京の深夜枠でドラマ化されたものの続編の映画版。(ドラマが大ヒットしたから映画版、というほど簡単に映画になったわけではないらしいが)
このドラマは観ている。池松荘亮のファンだから観た。
熱血営業マン宮本が恋に仕事に奮闘するドラマで面白く観た。
真利子監督は「ディトラクション・ベイビーズ」とか「イエローキッド」であわない監督だな、と思ったがちょっと見直した。

しかし今回はダメ。
ドラマ版では熱い男宮本が、「ちょっと熱すぎるけど、こういう奴っていそう」と思わせる親近感があったので、「俺もこういう時代あったな」と思わせたが、今回は行き過ぎである。

前歯を4本折ってのその後、再度拓馬に勝負を挑むのだが、どうも派手すぎる。特にマンションの非常階段での格闘になると、アクション映画ならこれもありだが、サラリーマンものでは引いてしまう。
それに格闘シーンがやたら長いのだな。

このあたりがどうも「ディストラクション・ベイビーズ」で見せた「やたら長い格闘」(あくまで私の感覚)を見せられると引いちゃうんだなあ。
原作もそうなのだろうか?

また宮本が拓馬を倒してから、と倒すまで、を時間軸をずらして話を進めるもんだから話が分かりづらい。
時間軸をずらして映画を進める、というのは最近の映画の悪癖ではないか?

熱量もドラマ版位ならついていけたが、今回のように熱すぎるとついていけない。やっぱり真利子作品は苦手だな。
あと蒼井優、バックヌードまで見せたんだから最後まで見せろよ。
中途半端な脱ぎ方にちょっといらっとした。
池松荘亮、前歯を抜こうと言ったが原作者や蒼井優に止められたとか。
それは正しいと思います。
その意気込みは買いますが。





タロウのバカ


日時 2019年9月28日18:00〜日 
場所 テアトル新宿
監督 大森立嗣


タロウ(YOSHI)は戸籍もなく学校に行ったことがない。年は14歳か15歳。
高校生のエージ(菅田将暉)スギオ(仲野大賀)とつるんでいる。エージは柔道の特待生で高校に入学したが怪我をして柔道を辞めてしまい学校では居場所がない。
違法介護施設を運営している吉岡という男を襲ったら、鞄から拳銃が出てきた。それで万能感を持つエージやタロウ。


菅田将暉主演ということで何となく観に行った。
観て後悔した。申し訳ないが、私には合わない映画だった。
そりゃ世の中の閉息感にいらだつような気持ちはよく分かるよ。でもそれを棒振り回して怒鳴り声をあげるだけってのはどうも好きになれない。

登場人物がいっさい好きになれないんだな。
また拳銃を振り回すのだが、私なんかは「とてつもなく恐ろしいもの」という感覚があるので、使い方も分かってないようなバカがちゃらちゃらと振り回すと暴発するんじゃないかとハラハラする。
ヒッチコックの「ヒッチコック劇場」で誤って子供がなにも知らずに拳銃を手にしてしまい、暴発するんじゃないかとハラハラするサスペンスがあったがそんな感じ。
もう正視出来ないのだよ。

ラスト、スギオもエージも死に、楽しそうに野球をしている子供たちの中にタロウが乱入し、棒を振り回して叫び声を上げ続ける。

考えや表現が稚拙な感じがして、とにかく合わない、好きになれない映画だった。似たような映画で「ディストラクション・ベイビーズ」ってのがあった。あれを観たときの気持ちに近い。

でも菅田将暉が橋から投げおろされるシーン、投げられるところまではやっている。下にネットでも張ってあったのだろうか?そのカットは立派だった。
4週目ということもあって客席はがらがらだった。




初恋ロスタイム


日時 2019年9月23日13:50〜 
場所 グランドシネマサンシャイン・シアター7
監督 河合勇人


予備校生の孝司(板垣瑞生)はある日、時間が止まる経験をする。自分だけが動いていて周りが全部止まっているのだ。街へでてみると公園で一人の女子高生・篠宮時音(吉柳咲良)と出会う。しかし出会ったところで元に戻ってしまった。翌日も同じ時刻に時間が止まり、公園で再び時音と出会った。
やがて二人はお互いを意識しあうようになる。しかし時音は何かを隠してるようだ。
孝司の家で孝司の手料理を食べた日、時音は「もう会えない」という。
彼女の学校に行き、同級生に話を聞くと、彼女は入院してるという。会ってみると彼女はウィルソン病で、肝移植を受けなければ生きられない。
しかし彼女に合うドナーがいないのだ。ドナーは親族でなければならない。
そんな時、病院で青年医師・浅見(竹内涼馬)と出会う。
彼の話を聞いてすべての謎が解けた。実は孝司はドナーとして適合するのだ。浅見も同じ経験をしていて、神様がドナーとなりうる人物と出会うために時を止めているのだった。
孝司は時音と結婚してドナーになると言い出す。しかしドナーとなるには原則20歳以上でなければならない。
孝司は19歳でまだ1年。時音に気力で生きてもらおうと努力するのだが。


「時間が止まる」というSF的現象と恋愛を絡めた話のようで、ちょっと楽しみにしてみた。竹内涼馬も出てるしね。
時間が止まってるシーンなどを見て「がんばってるなあ」と関心。写真の書き割りとかグラスワークとかも使ってるのかな。それとも単純に役者にストップさせてるのかな。みんな頑張ってる。

さてどういう訳なのか考えてるのが楽しい。まるで作者とミステリーゲームをしてる気になる。
映画では孝司と時音の話の途中で時々竹内涼馬の医師が出てくるから、(最近時間軸をずらす映画も多いので)てっきり孝司の数年後が竹内涼馬だと思っていた。

だから時音が入院して孝司が竹内涼馬と出会うシーンで「はあ?違う人だったの?」と非常に驚いた。もう完全に騙された(いや騙したつもりはなかろうが)。
実は時音がすでに死んでる説も考えたのだが、違っていた。
ふーん、神様がドナーと出会うために作ったマジックだったんだ。

あと1年持たないと言われて実際に持たなかったら、浅見が頑張って19歳の孝司でもドナーになれるようにしてくれたという話。
おいおいそんな一時の感情でドナーになって大丈夫か?と心配するのは私の心が汚れてるからでしょう。

主役の板垣瑞生、なかなかよかった。また別の映画でも会いたい。


この後新文芸座の鈴木英夫特集で「悪の階段」と「その場所に女ありて」の2本立てを鑑賞。この2本にすべて持ってかれて「初恋ロスタイム」はすでによく覚えていない。残念。






新・高校生ブルース


日時 2019年9月22日21:00〜 
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 帯盛迪彦
製作 昭和45年(1970年)


高校生3人組、椎名(内田喜郎)、和島(菅野直行)、岡田(水谷豊)は童貞から脱すべく「フラレタリアート同盟」を結成。モテない男はモテる男たちに女性を搾取されているという考えからだった。来る文化祭までの1ヶ月の間に童貞を卒業することを目標とした。
同じクラスの田村京子(関根恵子)とは父親同士が仲がよかったことから幼なじみだった。しかし京子が親の転勤で東京を離れ、しばらく疎遠だったが、数ヶ月前に東京に戻り椎名と同じ高校に入ったのだ。
椎名たちは新宿でナンパするが全く成果なし。トルコ風呂に入ったが、お金が足らず追い出される始末。
仕方なく椎名は京子にキスしようとするが失敗、和島は英語教師にアタックするがこれも失敗、岡田も家の女中を襲ってみたが、これもだめ。
3人は水商売の女にしよう、とキャバレーに行ってみたらクラスメートのサナエ(三笠すみれ)がホステスをしてるのに遭遇してしまう。
しかしこれがきっかけで和島とサナエはつきあうようになった。
そしてついに童貞卒業。
京子の元にラブレターが届いたが、名前が書いていない。椎名は手紙の主を優等生ぶってるが実はクラスの女の子とラブホテルに行く館山ではないかと疑っていた。しかし実は岡田と解ると自分は京子とはキスまでいったがあきらめることに。だがそれも岡田や京子に知れ、結局は今まで通りになった。
岡田は夜の町で熟女に声をかけられ、そのまま童貞を卒業した。
椎名は京子がいやがるならとトルコに行きかけるが、京子が止めた。夜の高校の教室で京子が体をさらし「私だけを見て。ほかの女には触らないで」「君もほかの男には触らせないで」と二人とも誓い合った。


長々とあらすじを書いたけど割と面白かった。前作は暴走高校生の鬼畜な話だったので、今回もそうかと思ったら全く違うライトなエロラブコメ。
観ていて気持ちがいい。「パンツの穴」の前にもこういう高校生の道程喪失のラブコメってあったのだな。

そして主人公は3人組。主役のイケメンにデブまたはお調子者キャラ、そしてまじめ風キャラなのだが、それが内田喜郎、菅野直行、水谷豊。
水谷豊の岡田は文学青年、と紹介されるが、彼が文学に熱中している姿は特に出てこないので(文芸部にいるとか小説を書いているとか)そんな感じはないけど。

3人組が前半で女性にナンパしまくるのだが、これが新宿西口、東口の今のアルタからABCマート(旧ワシントン靴店)付近。昔の新宿がちらちら写って懐かしい。
そしてトルコ風呂に入るのだが、入浴料500円と聞いてそれだけですべてのサービスが受けられるという勘違い。あれ、入浴料とサービス料が別なんですよね。入浴料は店、サービス料は女の子、という感じで。

それにしても当時はいかに学生運動ややくざ映画が流行っていたかが感じられる。
「我々は搾取されている!」とか「フラレタリアート同盟」とか「その規則」とか完全に学生運動のノリ。フラレタリアートはもちろんプロレタリアートのもじり。
やくざ映画は「これからやくざ映画でも観ようか、スカッとするぜ!」とか、椎名が京子に別れを告げるときに「離縁状」とか。
もう時代である。

和島がキャバレーで働いていた子とつきあうようになり、やがて結婚の約束をするというものいい。なんか泣かせますよ。
岡田が実は京子にラブレターを出していたというのは伏線もなく唐突なのが(例えば京子に対して何か思わせぶりな言動をするとか)、ちょっと残念。

ラブホに行っていた優等生はおとがめなしなのもイマイチ。ここは勧善懲悪になってもらいたい。
あと岡田が熟女に新宿ミラノ座の前でナンパされ、初体験するエピソードだが、後で怖いお兄さんが出てくるんじゃないかと冷や冷やしたが、そういうことはなかった。

本題とは関係ないが、この高校生、妙に金持ちなのだな。岡田の家は豪邸でお手伝いまでいて、岡田自らも「お腹好いた。なんか持ってきてよ」という。椎名と京子の家も銀行員でしかも遠方への転勤があったのだから都市銀行なのかも知れない。

何にしても内田喜郎くんの美少年、好青年ぶりがいい。
半年ぐらいしか違わないと思うが、「高校生ブルース」よりイケメンになっている。
彼の出演作を追ってみたい気もするが、主演級はほとんどこの2作で終わったようだ。
大映が倒産しなければもっと続いていたかも知れない。
残念。

見終わったあとそういえば岡本喜八にも「青葉繁れる」という高校生の童貞喪失映画があった。そういうのが流行った時期だったんだなあ。






アイネクライネナハトムジーク


日時 2019年9月21日11:20〜 
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン6
監督 今泉力哉


マーケティング会社に勤める佐藤(三浦春馬)は先輩の藤間さんの奥さんが家出してことがきっかけで、街頭アンケートを取ることになり、そこで手に「シャンプー」と書いた本間紗季(多部未華子)と知り合った。
佐藤の大学の同級生の織田一真と由美は学生時代に結婚し、今は女の子と男の子の子供がいた。その由美の友人で美容師の美奈子(貫地谷しほり)は常連のお客さん・板橋(MEGUMI)から「弟とつきあわない?」と言われていた。美奈子の元にその弟から電話がかかってくる。まだ会ってはいないが、電話での会話で好意を持っていく。しかし「しばらく仕事に専念したい」と電話を切った。実はその相手はボクシングの世界チャンピョンに挑戦するウィンストン小田だったのだ。
佐藤は友達の結婚式に行く途中で道路整理をする紗季と再会する。
10年後、佐藤は紗季と同棲していたが、まだ結婚してない。
一真の娘・美緒(恒抹祐里)は今は高校生。同級生の久留米(萩原利久)がちょっと気になる。


自主映画出身で今は上り調子の今泉監督作品。三浦春馬と多部未華子は3度目の共演だそうである。高校生同士の「君に届け」は中古でブルーレイを買っているのだがまだ観ていない。

登場人物も多く、いろいろと急に出てくるので観はじめは混乱する。
原作は連作の短編集だそうで、去年の「ここは退屈迎えにきて」と同じのようだ。
さらに話は途中で一気に10年後になり、久留米くん一家が突然登場する。
そして彼の学校で女子高校生が登場するのでさらに混乱。けどしばらくして一真の娘ということがわかり、話がつながってくる。

ちょっとわかりづらい部分もあるのだけれど、まあ説明過多になるよりいいか。
じんわりとした恋愛映画なので、非常に感想に困るのだな。
激しい事件とかない。

佐藤はついに高級レストランに沙希を誘い、「おいしいね」とかの当たり前のことを言って何もせずにレストランを出る。
んで駐車場でついに「さっき言おうと思ったんだけど」と結婚を申し込む。沙希は「ちょっと考えさせて」とか言う。

家に帰ってからも「俺たちもうつきあって10年だよね」とか佐藤がいうと「10年たったら結婚しなくちゃいけないの?」。
面倒くさい女だなあ。じゃ今更別れるのかよ。

佐藤の会社の先輩の藤間さん(原田泰造)も小さな不満が積み重ねって妻に逃げられた。なんか人と人との仲って小さなことの積み重ねなんだろうなあ。

そして「出会いがない」という佐藤に対して「出会いってなんだよ?」と一真は「道で落ちてるハンカチを拾ってとかいうやつか?」といい、その後も「そういう出会った人がその人でよかったって後で思えるかってことだよ」という。
この台詞はなんども登場する。このあたりは原作によるものなのか。

出会ってつきあいだしても本当にその人でよかったかなんてのは解らないし、むしろその人と時間を共有する間に作っていくものではないか?
彼氏彼女がいる人、結婚してる人にはいろいろとピンとくるものがあるかも知れないけど、私には他人事だった。

あと久留米くんがお父さんをバカにしているのだが、美緒が駐輪場で絡まれたときに助けてくれ、それと同じやり方で美緒のバイト先で助けるシーンはよかった。久留米くんもお父さんを見直したようである。
でも久留米くんが「俺は歯車にはなりたくない」とか言ってて母親が「みんなそう思うのよ」というシーンがあったが、私自身もそうだったから、やはり笑った。






アド・アストラ


日時 2019年9月20日20:30〜 
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン9
監督 ジョン・グレイ


近い未来。地球に宇宙からサージ(電気嵐)が襲ってきた。これは海王星付近から発せられてるらしい。宇宙飛行士のロイ・マクプライド少佐(ブラッド・ピット)もこのサージで命を落としそうになる。
ロイの父・クリフォード(トミー・リー・ジョーンズ)は伝説の宇宙飛行士で知的生命体探査計画「リマ計画」の責任者として宇宙へ旅だったもののその後消息が不明になっていた。ロイは宇宙軍の幹部に呼び出され、実はクリフォードが海王星付近で生きてると思われると告げられた。
今回のサージもクリフォードが関わってる可能性がある。まずは火星にいき、そこからクリフォードにレーザーを使って交信してみてほしいと依頼される。
まずは月に向かい、月から火星へ。トラブルはあったものの、なんとか火星から交信を試みる。しかし軍はロイ抜きで宇宙船を海王星に送ろうとしている。ロイはその船に乗り込み、海王星を目指す。


ブラッド・ピットの宇宙もの。タイトルは意味不明。アストラって何?
話を聞くと面白そうなのだが、これが盛り上がりに欠ける。
そもそも話が脱線する。
月でも資源の争いがあって、月基地から宇宙船発射場にいくまでにゲリラに襲われる。ここがスピードが速くて、どうにも今までの「重力が軽い月」とは違うイメージでなんだか「?」って感じになる。

そして月から火星に向かう途中で遭難している宇宙船を見つけるとそこに
入ってみる。ところが実験用のサル(かな?)が凶暴化し、乗組員を殺していたのだった。ここで船長を失う。
ロイは操縦の補助をし、火星に到着。月の一件とか途中の船とか次々起こるので「これは誰かの陰謀?」と思っていたがそうではないらしい。
どうも本筋とは関係なく、なんか山がほしいので無理矢理作った感じ。

で、海王星に到着し、父と再会。父は「地球外知的生命と出会うまではなにがあっても研究を続ける」と主張。サージに関しては地球に帰りたがった乗組員が反乱を起こし、その影響で機器に不具合が生じ起こってしまったようだ。

つまり父親が「人類滅亡計画」に目覚め、地球をわざと攻撃した訳ではない。
「地獄の黙示録」も思わせるような構造だが、別に一人で「宇宙人オタク」になって研究をするおじさんの話なので、取り立てて「意外な結末」があるわけではなかった。
ちょっとがっかり。

そして「なんでも核兵器で解決する」というアメリカ人の発想通り、核兵器で宇宙船を破壊し、サージは止める。
そして地球に帰るのを拒んだ父は一人で残ってロイだけが地球に生還。
はあそうですか、としかいいようがない。






永遠に僕のもの


日時 2019年9月16日17:35〜 
場所 新宿武蔵野館2
監督 ルイス・オルテガ


1971年南米アルゼンチンの首都、ブエノスアイレス。
カルリートス(ロレンソ・フェロ)は盗癖があり、学校も転校させられ新生活を送らそうと両親は考えていた。カルリートス自身はその学校でラモン(チノ・ダリン)という青年と出会う。
カルリートスから「たばこの火を貸してくれない?」と話しかけたことから友人になる。ラモンはカルリートスを両親に紹介する。ラモンの父親はカルリートスに拳銃を撃たせてみる。父親も泥棒をいとわない男で、ラモン、ラモンの父、カルリートスの3人で銃砲店から多量の銃と弾薬を盗む。独断で動こうとするカルリートスをラモンの父はとがめたが、ラモンとカルリートスは金持ちの家、宝石店を次々と襲う。
金持ちの家では起きてきた老人を躊躇なく射殺するカルリートス。
盗んだ絵を美術コレクターに売ろうとする二人。美術コレクターはゲイでそのためにラモンは彼に自分のモノをしゃぶらせる。だがそれだけでなく、テレビにも顔が利くようで、新人発掘番組に出させてくれた。
ラモンとカルリートスが車に乗ってるときにたまたま検問にあった。カルリートスは身分証があったためになんとか逃れたが、ラモンは忘れれいたために拘束されることに。カルリートスはいったん家に帰り、ラモンのために金を用意し警察にまで行ったが、結局引き返してしまう。
このことがあってからラモンは拘置所で知り合った男とつるむようになった。カルリートスはついにラモンを交通事故を起こし殺してしまう。


数ヶ月前からチラシを観て知っていたこの映画。
主人公がバスタブに使っている絵柄なのだが、この少年が魅了に色っぽく、興味がわいた。しかしそれだけで観に行くのはちょっと迷ったが、結局観に行った(まあ早稲田松竹とかでみる可能性はあるけどね)

カルリートスは盗みに対して(いや殺人に関しても)なんの罪悪感を覚えない男のようだ。冒頭ある一軒の家に忍び込み、適当にレコードやバイクを盗む。
ラモンに話しかけるときも彼が反応しないので、授業で使うバーナーの火を近づける。どっか普通じゃない。このシーンでカルリートスはラモンに敵対心を抱いているのかと思ったら、全く逆。
このシーンが彼がどこかずれた男だと表すいいシーンだ。

その後、ラモンの父親に会わせてもらった時、父親は下はパンツ1枚の姿でソファに座っている。そこでパンツの隙間から見えるキンタマのカットが挿入される。ラモンはタイプの青年だったようだが、父親はタイプじゃないにしろ、ついパンツの隙間を見てしまう。ゲイゲイしいですね。

その後、ゲイの美術コレクターにラモンがしゃぶられているところを目撃する。カルリートスは嫉妬でめらめら。
そしてついに自分を捨てたラモンを交通事故で殺してしまう。
このシーンで流れる「朝日のあたる家」が印象的。

事件そのものは1971年にアルゼンチンで起こったことで、元にはなってるが、脚色も多いそうだ。でも主人公が美少年であったことは事実だおうだ。
正直、ラモンが日本人(というか私)にはそれほど外見的な魅力を感じないので、カルリートスが惹かれていく気持ちがピンとこない。最初は敵意を持ってると思ったほどだから。

しかしこの映画がなんだかんだ言ってもそれなりに見せてしまうのは、カルリートスを演じたロレンソ・フェロの力だろう。
彼の目や唇は妙にセクシーでエロい。
別の映画でも彼の活躍は見てみたい。日本で公開されるか微妙だけど。







月下の獣宴


日時 2019年9月15日16:38〜 
場所 光音座1
監督 山崎邦紀
製作 OP映画


カメラマンのヒデと恋人のタクは結婚することにして、その披露宴パーティを友人を集めて開催した。写真のスタジオにも使う一軒家を借り切り、4人の友人がやってきた。
そのうちの一人がヒデの元彼のヒサシだった。ヒサシはヒデと別れたあとアル中になっており、ヒデは彼をなんとかしたいと思っていたのだった。
ヒサシは家の隠し部屋に入ると自分はHIVの陽性患者だと打ち明ける。
そしてヒサシは「もう長くないからまた1回したい」とお願いし、「コンドームをすればセーフセックスが出来る」と誘い、それを受け入れるヒデ。
だが二人が部屋を出てきたところをタクに見つかってしまう。
怒ったタクは「結婚は止めだ!」と言い出す。それに対しヒデは「セックスなんて大したことじゃない、単なる粘膜と粘膜の接触じゃないか!」「それが重要なんだよ!」「ヘテロなら誰の子供か分からなくなるが、ゲイなら関係ない」「結婚ってのはセックスの拘束なんだよ」と大喧嘩。
ヒデは風呂に入り、人間社会がいやになって「お魚になりたい」と風呂に沈んでいく。それを見つけたタクも「ヒデがいなきゃ生けていけない」と自分の首を絞めて失神する。
だが興奮が冷めた二人はやがて顔を見つめ合い、笑いあい、やり直しを誓うのだった。


今月は小林悟と山崎邦紀の2本立て。はずれの月である。
しかもタクを演じる俳優が坊主頭で私が苦手なタイプなのでますます映画に乗れない。
ピンクは好みの俳優いかんだなあ、と改めて思う。

吉岡睦雄が誰ともカラミはないけど、コメディリリーフのゲイとして出演。
以上。



天国と地獄


日時 2019年9月15日15:28〜 
場所 光音座1
監督 小林 悟
製作 OP映画


大金持ち・岩崎家の慧(松原明)と使用人・亜紀夫(坂入正三)は自家用機で島の別荘に出かけようとしたが、途中で乱気流にあい、墜落した。
亜紀夫は気がつくと海岸に流されていた。慧も見つかり、二人は助けを待つことに。
慧は生来のわがままで言いたい放題。「コーヒーを持ってこい」「俺の服を着てるんじゃない」「水が飲みたい」「勝手に(俺の残り物を)食うな!」
普通なら怒り出すところだが、亜紀夫は耐える。それは彼の母親の人工透析の費用を慧の祖父に出して貰った恩があるからだ。慧も亜紀夫が嫌いだったが祖父の「あいつの面倒を見てやれ」の遺言があったからだった。
亜紀夫も耐えてきたが、ついに堪忍袋の緒が切れて一人でどこかへ行ってしまう。一人では何も出来ない慧。
やがて亜紀夫が戻ってきた。今までのことを詫びる慧。実は誰かに叱ってほしかったのだ。
慧は亜紀夫に心を許し、体も許した。
そこへ大型フェリーが通りかかり、二人は帰ることが出来た。
しかし亜紀夫は慧の元から去っていった。


ポスターやクレジットでは監督名は小林悟。でも今の光音座のチラシでは新倉直人。ポスターでは出演者は平尾幸一と坂入正三。光音座のチラシと映画のクレジットでは松原明と坂入正三。
まあポスターと映画のクレジットでは字が違うことはよくあるのですが。

それにしてもゲイ映画史上(というかピンク映画史上)登場人物が二人だけという珍品(小林悟は珍品が多いけど)。
一応、船の上から「あそこに人がいない?」と話してる男女が写るけど、声と画は別撮りでシンクロしていない。

基本登場人物が二人だけではカラミの組み合わせは一通りである。これが3人なら3通りになるのだが。だから最初の方で、慧が海で亜紀夫に体を洗わせて、その流れで無理矢理しゃぶらせるのが最初。
次のカラミが亜紀夫が帰ってきて「若!」と二人が意気投合して絡み出すという2シーンだけである。
あとはただだらだらと慧がわがままを言ってるだけ。

もうピンク映画ですらないよ。なんだこれ。
小林悟ならありがちだけどさ。
(もちろん黒澤明の「天国と地獄」とは無関係)







記憶にございません!


日時 2019年9月15日9:50〜 
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン9
脚本と監督 三谷幸喜 


黒田啓介(中井貴一)は病院のベッドで目を覚ました。なぜここに寝ているのかさっぱり解らない。街をさまよったところ、通行人に絡まれる。
実は黒田は総理大臣だったのだが、記憶を全く失ってしまったのだ。政界に入ってからの記憶はなく、子供の頃のことはかろうじて覚えている。
このことを知るのは井坂(ディーン・フジオカ)、番場(小池栄子)ら3人の秘書官のみ。鶴丸官房長官(草刈正雄)ら閣僚にも知らせていない。
戸惑う黒田だったが、自分は支持率2.6%の史上最低と言われていて、演説中に聴衆から石を投げられたことが原因だった。その上、前は同じ党だった今は野党第2党の国会議員山西(吉田羊)と不倫関係にあった。
同時に黒田の妻・さと子(石田ゆり子)は総理夫人の地位を利用しやりたい放題。息子の篤彦(濱田龍臣)は折り合いが悪い。
やがて黒田も理想の総理を目指そうとする。アメリカ大統領の要求もはねつけた。そして政界の陰の総理、鶴丸を追い出そうとする。


「ギャラクシー街道」がこけたせいで(かどうか定かではないが)映画が撮れなかった三谷幸喜の4年ぶりの新作。1週目だがTOHO新宿で一番大きいスクリーン9での上映だ。(朝イチの上映だが、それでも7割は埋まっていたろう)
しかも今回は「史上最低の総理」を描くコメディ。

現政権が「史上最低」と言われてるだけに現実とのリンクを感じてしまう。
「自分の仲間には便宜を図る」「妻は地位を利用してやりたい放題」「アメリカの要求は聞く」「ゴルフ好き」「女性を下にみる」「生活保護引き下げ」「消費税アップ」などなど。そもそも聴衆に暴言を吐くなど安倍総理の「こんな人たちに負けるわけにはいかない」発言に通じる。
さすがに嫌韓とか憲法改正は出なかったけど。
いい総理になろうとした黒田が「消費税引き下げましょう。その代わり法人税をちょっとあげればいいんじゃない?」というあたりは現実に山本太郎あたりが主張することで完全に現実とリンクする。

記憶喪失前の黒田啓介は安倍総理に見えて仕方なかった。だから現実世界を見せられてるようで全く笑えない。笑うどころか怒りがわいてきてしまうのだな。
もっとも三谷幸喜自身は特に政権批判をしたいわけではないらしい。
もちろん結果的かも知れないが、時事ネタは入れてるようだが。

そもそも10数年前に「総理と呼ばないで」という田村正和が総理を演じるドラマを作っている。あのときの総理は「汚職で主要メンバーがいなくなり、たまたまクリーンだった自分がなっただけ。クリーンだった理由は力がないから、誰も寄ってこなかったから」というもの。そして「私の夢は史上最短命だけは避けたい」ということだった。
あの総理も最後にはいい総理になり、やはり三谷幸喜の中で「総理にはこうあってほしい」という願望を描いたものと観るべきではないか。
(「家族を守れない男が国を守れるはずはない」というせりふは両方にあるしな)

しかし8月の安倍総理の夏休み中に安倍総理を招いての試写会を行ったとフジテレビで報じていた。(たぶん中井貴一のコネだろう)
その後三谷幸喜と対談したそうだが、果たしてどんな話をしたのか?
記者から「ご自身と重なるところはありますか?」と聞かれて「うーん消費税をアップしたというあたりかな」と安倍総理は言っていたが、おい、それだけかよ!自分の不倫以外はほとんど重なるじゃないか!
すっとぼけたのか自覚がないのか、安倍晋三という男は恐ろしい。
「自分が悪いことをしてる」という自覚が全くないんだろうな。ほんとに恐ろしい男である。








かぐや様は告らせたいー天才たちの恋愛頭脳戦ー


日時 2019年9月14日17:55〜 
場所 MOVIX昭島・シアター6
監督 河合勇人


日本有数の財閥の娘・四宮かぐや(橋本環奈)と秀知院学園一の優等生・白銀御行(平野紫耀)、二人は生徒会の副会長と会長の立場であり、そしてお互いを意識しあっていた。
しかし「告白することは相手に隷属することになり、自分からは告白してはいけない」と二人とも自分にルールを作ってしまっていた。
生徒会書記・藤原千花(浅川梨奈)が「懸賞で映画のチケットが当たったが、自分は行けない」と恋愛映画のチケットを二人に譲ろうとする。しかし「一緒に行こう」と誘うことが出来ない。


キンプリの平野紫耀主演映画。共演は橋本環奈。橋本環奈はこの後年末公開の「午前0時に、キスしにきてよ」で片寄涼太とも共演しておりラブコメ路線では安定の地位のようだ。「キングダム」でも山崎賢人と共演しており、日本のイケメン俳優とは全制覇的に共演している。売れっ子なんだな。個人的には好きではないのだが(ほら、「ハルチカ」で佐藤勝利を蹴ったから)、彼女の女優としての活躍は認めねばなるまい。

冒頭で過剰な扮装とか、テロップの多用、佐藤二朗のナレーションの顔を隅に出す、等のバラエティ演出がある。しかし同様の映画(何だったか忘れた)でも思ったが、こういったバラエティ的演出は最初だけで、あとはこういうのはない。観客の心を映画に引き込む最初だけで、後半はちゃんとするのだろう。

映画はこの後、かぐやと白銀がババ抜き対決をしたり、結局映画には行ったが並んで席を取ることが出来なかったり、花火大会に生徒会のメンバーで行きたいと思ったが行けなくなるのをなんとかしたりのエピソードが続く。
生徒会は10月で解散し、来期は再選挙となる設定のようで、解散したときにかぐやは倒れる。それを白銀はかぐやが心臓病でストレスが危険と勘違いする。
会計・石上優(佐野勇斗)を選挙スタッフにして生徒会長に立候補したかぐやを生徒会長にさせまいと再び選挙に出るのだが、演説会でお互いを誉めあってしまう、という展開。

まあ主役二人の明るい美形を楽しむには十分な映画だった。話はなんてことないんだけど、やっぱりスターを楽しむことは重要である。
平野紫耀はやせてる体型が多いジャニーズの中では、胸板も厚く肉体派。彼が風呂上がりタオルを腰に巻いた姿でタオルが落ちる、というシーンがあったが、ここはもう少しちゃんと彼の体を写してほしかった。監督が興味がなかったのかも知れない。

あと佐野勇斗の役をジャニーズの誰かにやらせても良さそうだが、平野だけでも客が入ると自信があってのことだろうと勝手に推測。
(永瀬廉は「うちの執事が言うことには」で神宮寺勇太を共演させたし、11月公開の「ブラック校則」では佐藤勝利と高橋海人の共演だ)

観た映画館はMOVIX昭島。今日は朝から箱根ヶ崎で開催中の村瀬継蔵展に行き、そこで知った横田基地友好祭でオスプレイを観て、夕方からここで映画。公開2週目だが、280ぐらいの客席に2割ほどの入り。
新宿と違って地方のシネコンだからとも思うが、意外とヒットしてないのかなあ?










高校生ブルース


日時 2019年9月13日21:00〜 
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 帯盛迪彦
製作 昭和45年(1970年)


高校2年生の北原美子(関根恵子)は学校一の美人と悪ガキ3人組の五十嵐(篠田三郎)たちはいつも登校中の北原を見ていた。
実は優等生の加藤昇(内田喜郎)と北原はつきあっていた。北原がテニスが好きらしいと知り、テニスをきっかけに仲良くなり、ついに体育館倉庫で「君の胸にさわっていい?」と体を重ねる。
美子は妊娠した。それを昇に告げると「堕ろそう。僕たちはまだ高校生なんだから」という。
遊んでそうな五十嵐に「俺の友達が彼女を妊娠させちゃって」と相談するがいい情報は得られない。
昇は意を決して産婦人科医を訪れ相談。3ヶ月以内なら体の負担も少なく、費用も1万円程度だという。昇は家には「朝トレーニングをする」と偽って牛乳配達のバイトを始める。
美子は子供を堕ろすことに罪悪を抱き始めていた。彼女は化学の実験中に硫酸を盗み出した。
ある日、昇を体育館倉庫に呼び出す。


70年代になって一般映画にもエロの要素が濃くなっていた70年代。
関根恵子だけでなく松坂慶子も「夜の診察室」などのお色気映画があったが、大映の高校生のお色気映画は「レモンセックスシリーズ」と言っていたんだそうだ。知らなかった。「初恋はレモンの味」なんていうフレーズがあるが、それにセックスを足したのか。この時代の方がよっぽど高校生はやりまくっていたように思えてくる。
原作は柴田成人「傷だらけの十六歳」(知らんけど)

この昇というのが優等生で厳格な父のもと、「朝食はみんなで食べると決めたろう!」と怒るようなルールに厳しそうな一家である。
それにしても学校一の美少女を体育館倉庫に誘って運動マットの上で「君の胸にさわりたい」と言って服を脱がす。この時、関根恵子のおっぱいは見えるのである。

このとき15歳。
今じゃ15歳を脱がしたら児童ポルノで大問題である。過去作なら公開してもいいのだろうか?

昇は「これから大学に行って就職もしなきゃいけないし、子供を堕ろすしかないんだよ!」という。前半は私も同感するがならば子供が出来るようなことをするのがいけない。
セックスしちゃいけないと言っているのではない。「避妊しろ!」と言っているのだ。生中だししちゃいかんよ。そりゃしたいだろうけど。

そして美子が復讐のために硫酸をかけられるんじゃないかとびくびくしながら体育館倉庫にいうと(ポスターにもあったけど)「思いっきりお腹を踏んで!流産させて!」という。
美子もちょっとイっちゃってる気がする。これが妊娠による情緒不安定と言う奴か。そうか女性は初めての妊娠だと「新しい命を身ごもった」という責任の重さでどうしたらいいかわからなくなるんだな。

そして流産。母親にも知られることとなるが、母親も相手については聞かない。肝の座った母親である。
もっとも母親も夫と死別し、夫の友人という男性とおつきあいしてるので自分のことは棚に上げなかったのかも知れない。

しかし美子はそんな別の男と関係がありそうな母親に嫌悪感を示し「大人って汚い!」という。そういえば最近こういうせりふ聞かなくなったなあ。今はそういう時も子供は許す展開になるものね。
錯乱した美子は硫酸を母の恋人のおじさんが自分を描いた絵にぶちまけ、水槽に流し金魚を殺し、床にぶちまけ、片方の手をその硫酸にふれさせる。やけどは包帯をして学校に行くシーンがあるから、それほどでもなかったかも知れない。
彼女は昇に別れを告げる。

とにかく70年代前半の時代を表すような映画だった。「同棲時代」もこのこのころだしね。映画自体もエロに走ったし、社会も性に関して隠そうとしなくなったんだろうな。映画も、雑誌も。

んで関根恵子の相手役の内田喜郎。七三分けをしたいかにも優等生のイケメン。この後の活躍を調べてみたら大映倒産後、行き場がなくなって一時期ジャニーズ事務所にもいてレコードも出したんだそうだ。
この頃はまだまだ独自でJrを育てるのではなく、江木俊夫もそうだけど子役出身を集めていた時代もあったのだな。
世の中知らないことがまだまだあるなあ。

そしてさらに驚いたことに「大怪獣ガメラ」で親に亀を捨てさせられる少年を演じていたと知ってびっくり。
家に帰ってブルーレイで確認したが、太っていてだいぶ違う。1953年生まれだから当時16、7歳。ガメラの頃は11、2歳か。成長著しい時期ですからね。

特におもしろい映画ではないけど、次もちょっと見たくなりました。





いなくなれ、群青


日時 2019年9月7日15:10〜 
場所 グランドシネマサンシャイン・シアター1
監督 柳 明菜


階段島。ここは人口2000人の人が住む。みんなある日この島にやってきてどうやってきたか誰も知らない。高校生の七草(横浜流星)は3ヶ月前にやってきて、食事付きの寮に住み、不自由であるがそれなりに満足していた。
ある日、七草の幼なじみ真辺(飯豊まりえ)がやってきた。彼女は「なんでこんな島にいるのか納得がいかない。帰る方法を見つけたい」という。
この島には郵便もやってくるし、ネットも出来る。しかしメールを送信したり掲示板に書き込むことは出来ない。情報の受信は出来ても送信は出来ないのだ。七草の友人佐々岡や委員長の水谷は真辺と協力するという。
水谷が実行委員の音楽祭で中等部の豊川のヴァイオリンの弦が切れた。だがこの島ではヴァイオリンの弦は手に入らない。佐々岡は何とかするという。
この島はいったい何なのか?


横浜流星主演ということで鑑賞。
彼のことはもちろん以前から知っていたが、恋愛学園もので主人公の友人のちゃらい男とか目つきが鋭いので不良の役とかそんな役が多くてあまりいい印象はなかった。
しかし今年になって「L・DK」とか「チアダン!」とかで主役を演じるようになって俄然印象が変わった。
俺も人を見る目がない。

この映画のことを知ったのは8月の後半だったのだが、バルト9で前売りを買ったとき(TOHOやピカデリーでの上映はなし)、この映画のチラシがなかったので売店の子に「この映画のチラシないんですか?」と聞いたら「流星君いま人気なので」と謝られた。なるほど、それなら仕方ない。
バルト9はポイントもなにも付かない嫌いな劇場なので、ちょうど池袋に行く用事もあったので、7月にオープンしたグランドシネマサンシャインで鑑賞。サンシャイン通り入ったところの旧池袋東映の跡地に83年頃出来たシネマサンシャインが移転してリニューアルした感じだ。

映画以外の感想をグダグダと書くのは困ったことに語るべきものがないのだな。
ファンタジーミステリーとも言うべき内容なんだろうけど、真辺という女が「帰りたい帰りたい」とギャーギャーうるさくて好きになれないキャラクター。
話しも別に大きな展開があるわけでもなく、田舎の島の風景だけなので画的にも変化に乏しい。

という訳で少し寝落ちした。2、3分だと思うんだけどね。
起きたら佐々岡がヴァイオリンの弦を入手していて、豊川が「実は弦は私が切った」とか言い出している。「何故自分で切ってまでえんそうしたくなかったんだい?」みたいな話をしている。

この島では捜し物を見つけたら帰れるという設定なのだが、最後には七草が見つける。それをこの島にある遺失物所に行って報告するのだが、「僕は僕に捨てられた消極的な人格」とか言い出す。

そうかあ、人格かあ。人間自分を変えようとして自分の嫌いな性格を捨てようとするものだが、その捨てられた方の視点で語るとは珍しい。
だからといって好きかと言うわけではないですけど。

結局横浜流星の顔しか私には楽しむ要素がない映画でしたね。
あと佐々岡を演じた松岡広大がよかった。また違う映画でも彼を観てみたい。





ベニスに死す<デジタル版>


日時 2019年9月7日10:00〜 
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン3
監督 ルキノ・ヴィスコンティ
製作 1970年(昭和45年)


ストーリー省略。
今年で終了の「午前十時の映画祭」枠での上映。映画祭での上映は初。
このHPには書かなかったけど、10年ぐらい前にニュープリントでのリバイバル公開上映があった。テアトル銀座で観た記憶がある。
そのときに「えっニュープリントでこの程度?」と思うくらいに画質がイマイチだったのだ。
「きれいになった!」という感じはなかったのだな。

今回この映画祭での上映でデジタル化されている「ベニスに死す」だから、(最近「日本のいちばん長い日」や「八甲田山」などでその画質に感動したから)期待したのだが、「あれれ?」という感じだった。
そういえばマカロニウエスタンってみんな画質が日本でいう東映調のざらついた感じだったよなあ。
もちろんヴィスコンティとマカロニウエスタンを同列に扱うなんて黒澤明と日活アクションを同列に扱うようなもんだから、もちろんこの見方は当てにならんけど。
今回の上映でもざらざらした画質で、「ベニスに死す」の画質について再認識した次第。

新しい感想は特にないのだが、タージオの出演シーンが思ったより少なかっただな。
特にホテルから出て海岸の天幕の張れる小屋やたくさんある海岸に出る通路の柱に手をかけて回転しながらタージオが回って行くシーン、かなり時間があった気がしたのだが、今日観たら割と速く回っていた。
あのアシェンバッハ(ダーク・ボガート)を誘うような目で見るシーン好きなのだなあ。

あんな目で見られたら誰でも狂っちゃいますよ。





死にたくなるよと夜泣くタニシ


日時 2019年9月5日18:50〜 
場所 テアトル新宿
監督 後藤大輔
製作 OP PICTURES+


精力剤を販売する会社でOLをする谷静香(和田光沙)。かつては引きこもりでBLオタクで今は腐女子だ。仕事でストレスがたまり、ある日会社の水槽にあったタニシを飲み込んでしまう。
倒れてしまって助けられた静香だったが、その日から体の中から声が聞こえる。それがトイレに行ったら姿を現した。蟯虫(声の出演 野村貴浩)だというのだ。
静香は一転し、社交的になろうとし、会社の創業者の息子で課長(小滝小大)とホテルに行く。しかしいざということに蟯虫がじゃまをする。
課長は別のOLの篠原ともつきあってるらしい。
会社で水槽にタニシを飼っているもうすぐ定年のアイバイチロウ(なかみつせいじ)と知り合うのだが。


OP PICTURES+での上映。実写とアニメが融合されたピンク映画、ということで見に来てみた。

和田光沙の映像にアニメで蟯虫が合成され、実に見事に溶け混んでいる。
アニメと実写がカットバックで出てくると思っていたので、この技術には驚いた。
いやもちろんTOHOシネマズで上映される映画なら別に普通である。
映画の内容よりアニメと合成された映画をピンク映画として作るべきなのだろうかと考えてしまった。

もちろん若松孝二の時代から時々ピンク映画は「単なるエロ映画ではない何か」であろうとした。それは低予算ながら女性の裸があるという一点のみを言い訳として自分の作りたいものを作っていく映画であった。

もちろん本作にも裸は登場する。しかしその上にアニメも合成させるという自由な画を作られると「予算がない中で考え出された表現」とは違う気がしてしまう。

もちろんもちろん個人がパソコンを操作すれば可能であろう。しかしそれは膨大な手間がかかる。本作も相当な手間がかかったと思われる。
ピンク映画の予算でその働きに見合ったお金が得られるのだろうか?

小難しいことを行ったけど、さすがにアニメまで持ち出されると、小難しい表現をするのとは違った意味でピンク映画の枠を越えてしまった気がする。
なんか妙な違和感だけが残った。

出演ではあと和田光沙のロッカーの弟役で櫻井拓也さん。
なかみつせいじが何故か坊主頭になって出てきた。他の仕事との兼ね合いという訳ではなく、この映画のために沿ったらしい。
なんか意味があったのだろうか?






SFフランケンシュタインの逆襲


日時 2019年9月2日 
場所 DVD
監督 ロバート・ガフニー
製作 1965年(昭和40年)


NASAのスティール博士たちと空軍は、今度の宇宙パイロットとしてフランク・サンダースを新聞記者に紹介する。新聞記者の「今まであなたは全く名前を聞いたことがなかったのですが」という質問にフランクは「私はシャイなので」と答えた後硬直してしまう。
新聞記者をごまかしたスティール博士だったが、実はフランクはロボット人間だった。宇宙開発で人間の犠牲者が出るのを避けるために開発されたのだ。
その頃、宇宙ではある星から宇宙船がやってきていた。その船には王女とナディアという副官が指揮していた。彼らは自分たちの星が核戦争でダメになり、女性がいなくなったので地球の女性を拉致にきたのだ。
そのとき、フランクの乗ったロケットが発射された。しかし宇宙人はそれを自分たちが攻撃されたと勘違いし、撃墜してしまう。
フランクは脱出した。それを見た王女は「ミサイルに人が乗ってないだろう。あれは宇宙船じゃないか!」とナディアを非難。そして自分たちが見られたかも知れないとフランクを殺すことに。
地球上でフランクを発見し、攻撃する宇宙人。フランクは顔が焼けただれ部品がむき出しになってしまう。そして制御装置が壊れたフランクは人々を襲っていった。
宇宙人たちも「時間がない」と近くのホテルのプールから女性たちを拉致していく。
フランクが出す電波からスティール博士はフランクを発見。同時に宇宙船を発見する。スティールの助手が援軍を呼びに入ったが途中で宇宙人に拉致されてしまう。
果たして助手の救助は出来るのか?


3年ほど前に買っていたB級SFのDVD。久々にこういうクラシックSFを観たくなり、鑑賞。
まあ兎に角ひどい。
つまらないを越えている。

大体タイトルのフランケンシュタインってなんだよ?
原題は「フランケンシュタイン・ミーツ・スペースモンスター」みたいなタイトルだから、もともとフランケンシュタインは入っている。
宇宙ロケット飛行士用に開発されたフランクがフランケンシュタインって言われれてもなあ。
そうは思えないよ。

そして宇宙人もバカ。
地球から発射されたら即「我々を攻撃してきた!」だもん。
バカかよ!

そして王女様はなんだか王女様のコスチューム。でもまあ昔の「宇宙大作戦」も今観ると結構ユルいからまあ許そう。
しかし兵士の部下たちが普通の宇宙服着てるじゃん。なんだよそれ、テキトーでもいいから宇宙人っぽくしろよ。

宇宙船の中には「モル」と呼ばれる怪物がいて、これが町に出て暴れてくれればまあよかったんだが、そんなこともなく宇宙船内で博士の助手(書き忘れたけど女性)を脅すだけ。
がっかりだよ。

大体、尺延ばしとか思えないような無意味なカットが多いぞ。人物の車での移動のカットが無意味に長かったり、どう観ても緊張感がない曲が流れる。(これが当時のビートルズ風なんだな。ホント、ビートルズのコピーバンドみたいな曲なんだよ。今では残ってないけど、こういう時流に乗ったバンドが当時は多かったんだろうなあ。日本のGSブームみたいなものがアメリカにもあったのかな。

とにかく編集がむちゃくちゃなんだよ。素人がつないだんじゃないかと思うくらい。
ラストはフランクが宇宙船に乗り込んで自分に優しくしてくれた助手を足しけ出すんだけど、なんだかカットがぶつ切りでよく分からん。
これ、昔名画座でよく見た「コマ跳びのするプリント」からDVDを作ったのか知らん?

物語のヤマとかそういうのも一切なくだらだらとした話が変な編集でだらだら続き、クライマックスの高揚感もないという珍しい映画。
自主映画のほうがまともなんじゃないかと思った。






二十四時間の情事 ヒロシマ・モナムール


日時 2019年9月2日 
場所 DVD
監督 アラン・レネ
製作 1959年(昭和34年)


先週の木曜日だったかに久しぶりにディスクユニオン新宿店に行き、そこで中古で800円で売っていた。
2、3年前に4K修復版を元にしたDVDが発売されていたのは知っていたが、4000円ぐらいした(と思う)ので手が出せないでいたが、800円ならいいかなと思った。
ジャケットもかっこよく、思わず買おうかと思ったが、アマゾンで確認したら950円ぐらいで販売されている。衝動買いはよくないと思って、その日は止めたのだが、やっぱり気になり今日買ってしまった。
(DVDを開けてみたら、定価1800円の帯が入っていた。そうか、廉価版が発売されていたのか)

家に帰って画質の確認もかねて少しだけみるつもりだったが、結局全編観てしまった。
10年以上前にテレビ放送を録画したのを鑑賞したが、このDVDはさすがにコントラストも利いていて、高画質である。観ていて気持ちがいい。
初めの数分だけを観るつもりだったが、映像の美しさに惹かれてつい観入ってしまう。

前はこの映画をすべてのシーンを理解しようとしたためにかえって疲れてしまった。
結局はこの映画はヒロシマを描くのではなく、主人公のヌヴェールでの悲劇に終わった愛の思い出の話である。
それが反戦映画を撮るために広島を訪れ、その記憶が蘇ったのだ。

主人公にとって初恋で初体験だったドイツ兵との恋。そのドイツ兵を殺したのはおそらくはフランス人である。戦争がなければうまく行ったかも知れない愛。それが第二次大戦での一番の被害象徴広島で蘇る。

従って岡田英次の日本人も実は彼女の幻想なのかも知れない。
ドイツ兵の彼が、広島で日本人となって現れたのだ。
そういう視点に立つとなんとなく解るような気がしてきた。

そう解釈すると岡田英次が消えたりまた出てきたりも納得できる。
ラストの唐突な終わり方も理解できる。

それにしても驚いたのが、(先日NHKでドキュメンタリーが放送され本編も放送された)「ひろしま」の映像が使われていたことだった。
だから加藤嘉や月丘夢路も登場している。
「ひろしま」を観たとき、「『二十四時間の情事』の岡田英次が出てるなあ」と思ったのだが、「ひろしま」を観てアラン・レネは岡田英次の起用を思いついたのかも知れない。

それほど好きというわけではないが、観ていて惹かれる映画である。
やはり魅力のある映画だ。