ジェットマン日時 2019年10月27日16:00〜 場所 ネオ書房(阿佐ヶ谷) 監督 荒木太郎 町に怪獣ママゴンが出現した!巨大なママゴンは池から這い上がり、そしてそれを打倒しようとした海賊男をあっさり倒した。 ジェットマンA、Z(仮称)は立ち向かうが歯が立たない。そこで大人のジェットマンことジェントルマン(荒木太郎)が登場する。 結局歯が立たず、話し合いで解決しようとママゴンに暴れてる理由を聞き出す。 そうするとジェットマンのZの方がママの布団におねしょをしたからだという。ジェントルマンが「ちゃんと布団をきれいにするから」として洗濯をしだして事なきを得る。 しかし今度はZがママの布団にうんこをする。 激怒したママは今度は本気で暴れ出すのだが。 こんな感じの話。最後はどうやって解決したんだっけ? 上映時間19分の短編。モノクロ、サイレント(効果音のみ)で今日の上映では活弁がついた。 怪獣映画的で「ウルトラマン」から始まる巨大ヒーロー物の焼き直しの焼き直しなのだが、チープな出来が笑いを誘う。 町のセットなど段ボール箱に窓の絵を描いただけ(だけと言っていいのか悪いのか)、ジェットマンたちが乗る空飛ぶ車(といっても車輪はついてないが)も紙で作ったような工作。 「駄菓子映画」というキャッチがついているが、言い得て妙でそのチープさがたまらない。 このチープさはサイレント映画の時代の手作り感である。 だからこそこの映画はモノクロサイレントであるべきであり、これがカラー、トーキーであったら逆に安さが惨めさに見えてしまったかも知れない。 そこまで考えてのモノクロサイレントなのだろう。 なんかよかった。 不倫、変態、悶々弔問日時 2019年10月26日16:33〜 場所 上野オークラ2 監督 竹洞哲也 脚本 当方ボーカル 製作 OP PICTUERS 飯塚みのる(森羅万象)は玄関の足下に飛び出していた釘にズボンの裾が引っかかり、バランスを崩して頭を打って死んだ。 お通夜の夜、一人で寝かされているが、みのるの意識ははっきりしていた。なにも見えないが声だけは聞こえる。 そこへ息子の嫁・麻耶(高瀬智香)がやってきた。しかし声からするともう一人松田(ケイチャン)という男がいる。しかも二人は始めた。 今度は孫娘の晴夜(ハレルヤと読む)(涼城りおな)がやってきた。賢介(櫻井拓也)という恋人の話をしだす。 そして幼なじみの彰(小林節彦)がやってくる。 まったくどいつもこいつも! 9月24日に急逝した櫻井拓也さんの追悼として上映。これが死の前の週に青森で撮影していた映画だ。ただし2本撮りだったと思うから、遺作の主演作はもう1本あるはずだ。年内に公開されるだろう。 (同時上映は「レンタル女子大生 肉欲延滞中(サイコウノバカヤロウ)」「ひまわりDays全身が性感帯」) ピンク映画はいつものことだが、予備知識は監督、脚本の名前ぐらい。 正直、抱腹絶倒だった。周りの観客は映画なんぞ観ないで他のことに熱中しているが、私は一人で何度も爆笑した。 基本、みのるの一人語りでナレーションが多いのだが、本作はそのナレーションが大成功してるだろう。 好感を持っていた息子の嫁がみのるの顔を観て「松田さん、スケベそうな顔してるでしょう?」「ん?松田って誰だ?」から始まり、孫娘は「霊が見える」とか言ってるし、連れてきた彼氏とは「前にこの部屋でやった」とか言い出すし、幼なじみの親友は好きだったスナックのママと始めちゃうし、おちおち死んでなんかいられない!という訳で最後は生き返る。 この笑いの機関銃は文章では表せない。 よかったなあ、もう1回観たい。おそらくはOPフェスでも上映されるだろうから、R15でも観たいな。 竹洞=小松コンビ作品は見逃せない。 櫻井拓也さんは本作ではゲスト出演。「サイコウノバカヤロウ」の続編も2本撮りで同時に作ってると聞いたから、まだ年末までには公開されるだろう。 楽しみ。 去年マリエンバードで<4Kデジタルリマスター版>日時 2019年10月26日10:05〜 場所 EBISU GARDEN CINEMA スクリーン1 監督 アラン・レネ 製作 1961年(昭和36年) どこかの巨大なホテル。男は女に「去年マリエンバードで僕たちは駆け落ちをしようとした。君はそのときは出来ないと言ったが、1年後のこの場所で再び会おうと言った。だからやってきた」という。 女は全く記憶にない。女には夫がいた。その夫もそのホテルにいる。 学生時代、80年代前半だったと思うが、「二十四時間の情事」と2本立ててリバイバル上映された。もちろん岡田英次が主演し広島を舞台にした外国映画ということで「二十四時間の情事」を目当てで言ったのだが、当然、もう1本のこちらも観ている。 上映されたのは確か有楽シネマ。マリオンと有楽町駅の間にあり、マリオンの裏側から有楽町駅に向かう道のマリオンを背にして右側の2階にあった。今はパチンコ屋になっているところだったと思う。 当時買ったパンフレットも探せばあるんじゃないかな。 難解な映画である。学生時代に観たときも思ったし、それは今も変わらなかった。 パンフレットをぱらぱらと斜め読みすると、戦争の記憶と絡めて「忘れてはいけないこと」と忘却についての映画らしい。そうなっちゃうと「夜と霧」というナチのユダヤ人虐殺問題の映画も観ないと理解できないらしい。こちらは33分の短編なので、そろそろ観てみようか。 結局のところ、上映時間の1時間35分はひたすら苦痛だった。 本作はシャネルがリマスターの予算を出しているそうだが、これはココ・シャネルが映画衣装を初めて担当したという縁らしい。 しかしこのホテルの建物や、その前に広がる直線模様の庭園など、デザインがどこか「この世でない」感じがしてそれもこの映画の魅力になっていると思う。 それよりも実は映画中に登場するゲームが興味深い。 7本、5本、3本、1本のマッチ棒(トランプでもドミノの駒でも映画では登場しないが石ころでもいい)をテーブルに並べ、二人のプレーヤーが棒を取っていく。 1、1度に何個取ってもいい、2、ただし一度に同じ列からしかとってはいけない、3、最後に取った方が負けという実に簡単なゲーム。 これが「ニム」というゲームらしい。 そしてこの映画を見てニムにはまった、という方が一文を寄せていた。 きっと必勝法があるに違いない。 考えてみたいと思う。 超・少年探偵団NEO Beginnig日時 2019年10月25日19:45〜 場所 新宿バルト9・シアター2 監督 芦塚慎太郎 小林芳狼(高杉真宙)は少年探偵団の初代団長の小林芳雄のひ孫。明智小五郎のひ孫・明智小夜(堀田真由)とは幼なじみ。この二人に一つ年上のワタリ(佐野岳)と3人で子供の頃から遊んでいた。 そんな芳狼も高校2年生。ある晩二十面相(声・神谷浩史)に「お前はこっちの世界の人間だ」と言われる夢を見る。 今まで特に言ってなかったのだが、小夜は今アイドルとして活躍もしており、彼女が出演した番組で芳狼が小林少年のひ孫だと知れ渡った。 ミステリー研究会の3人、クロサキ、正太郎(板垣瑞生)、塚原が勧誘してくる。 小夜がドラマのせりふを覚えるために学校に遅くまで残っていたとき、青毛布をかぶった怪人に出くわす。 その真偽を確かめるために6人で夜の学校へ。そこで二十面相と出くわすが、すぐに消失した。 また中等部の3人が急に失踪する事件が起こる。 江戸川乱歩、明智小五郎、少年探偵団のファンである。子供の頃はポプラ社のシリーズはよく読んだ。お小遣いの関係で全部は読めなかったが、それでも半分は読んだんじゃないだろうか? そんな感じなのでこの映画もちょっと楽しみに観た。高杉真宙くんだし。 しかし見始めて5分で帰りたくなった。 冒頭、不思議な夢のシーンで小林少年と二十面相が対峙する。 このシーンがCGを多用した不思議な画で、この画のセンスがあわない。不快感だけ。 それから大した事件が起こらない。ロマノフ王朝の王冠とか良さそうなネタはあるのだが、話はそっちに振れない。 そもそもこの映画、何かものすごい大人の事情があるのではないだろうか? タイトルに「Beginning」とあるくらいだから、本シリーズがあると想像するのは自然。何本もあるから「その始まり」なのだ。 本来ならテレビシリーズが企画され、そのパイロット版的な位置づけで本作が作成されて、シリーズが本格的に始まる予定だったのがシリーズの企画が流れたとか。 パンフレットを観て「昨年深夜ドラマで好評を博したドラマの映画版」という記述があるのではないかと思ったが、それは無いようだ。 では一体なにがしたいのか? 今から思えば昔の黒沢浩のテレビシリーズ「少年探偵団」はまともだった。 二十面相といえば宝石や美術品を狙う大泥棒で変装の達人なのだが、一応ロマノフ王朝のなんたらとか出てくるが、そっちがメインではない。 あくまでメインは小林少年と二十面相が「おまえはこっち側の人間だ」と誘うだけ。 これって「スターウォーズ」のダースべーダーの「ダークサイド」の話じゃないの? たぶん元ネタはそんなところじゃないか。 また明智のひ孫がアイドルとか何の意味がある設定なのか? どうも二十面相や小林少年ががやりたいのではなく、本当にやりたかったのは何か別のもので、それにパブリックドメイン化した少年探偵団を利用したのでは? この間もDVDで「明智探偵事務所」なる意味不明の映画を見たし、パブリックドメインだからといって安直な利用は止めてほしいなあ。 きっとシリーズものを企画して、パイロット版として作ったが、出来がひどいので企画そのものがポシャったんではないかと思われる。 撮影が2017年だっていうし、何か「大人の事情」があったとしか思うえん。 バルト9なんかきっと2週目からは朝8時からの1回だよ、きっと。 櫛の火日時 2019年10月22日16:30〜 場所 シネマヴェーラ渋谷 監督 神代辰巳 製作 昭和50年(1975年) 広部(草刈正雄)は学生時代の恋人・弥須子(桃井かおり)と再会したが、出会って翌日に彼女は入院、その一週間後に死んだ。 失意の時に柾子(ジャネット八田)と出会う。柾子は人妻だったが、大学講師の夫・矢沢(河原崎長一郎)は若い女・あけみ(高橋洋子)と浮気していて離婚するつもりだった。 しかしあけみは他にも男がいた。一旦は家を出た矢沢だが、家に戻ってくる。家は柾子の名義だった。 矢沢は柾子に迫ったが、結局は矢沢の元を逃げ出す柾子。そして広部のアパートで暮らし始める。 矢沢は広部に会い、正式に離婚届を預けた。矢沢は「これから旅にでる」という。実は矢沢はあけみを殺したのだった。 この映画は公開当時、ポスターで知っていた。当時中学1年で、さすがに観ていない。しかし当時は映画のポスターにおっぱいが写ってるのは当たり前だったから(だからポルノ映画のポスターだって普通に街角にあった)、ポスターは見ている。草刈正雄が女性(ジャネット八田)の裸の胸に顔を寄せている絵柄はよく覚えている。 んで、どういう映画か気になっていたのだが、積極的に観る気もあまりなかったので40年以上そのままだった次第。 とにかく70年代は一般映画にも女性の裸は多く、当時でいえば「変奏曲」という映画も予告だけ観てずいぶんそそられたものだった。 (これは98年頃レンタルビデオで観たけど) とにかく暗い映画である。こんな映画がATGならともかく大東宝で一般映画として公開されたのだからちょっと意外である。 まあ角川映画登場前だし、何かと映画界も混迷していた時代である。 アメリカンニューシネマとかとにかく暗い映画の方が受けたようだ。 草刈正雄のイケメンぶりがいいのだが、かといってカメラはそれを強調するような撮り方はしない。そういうのは神代辰巳も興味がないのだろう。 当然、濡れ場はある(今なら福士蒼汰や山崎賢人が濡れ場をやるに等しい)。が日活ではないので、それほどハードではない。 しかし草刈も桃井かおり相手にパンツ1枚からそれを脱いでベッドに背理、バックヌードもちょっとだけ披露。 まあ私なんか草刈正雄目当てで今日は観に来てますから。 今回シネマヴェーラでは神代辰巳の本(1万円以上するのだ)が観光された記念での特集上映。 神代は以前いまおかしんじ監督が影響を受けた監督、ということでDVDを数本観たが、どれもピンと来ない。 やはり私にはあわない監督で、今回も草刈正雄以外は観る価値を見いだせなかった。 残念。 リュミエール!日時 2019年10月22日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 製作 2017年日本公開 1895年、フランスのルミエール兄弟がシネマトグラフを発明した。エジソンの発明したキネトスコープは箱の中をのぞく形式だったが、スクリーンに上映するという現在の映画の基礎を作ったのはリュミエールだ。 この映画はリュミエール(及び彼のカメラマンたち)が撮影した1400余の作品の中から約100本を選び4Kデジタル化したものを90分にまとめた。 フランス語で解説が入る。 有名な「工場の入り口」は複数のバージョンがあると初めて知った。 同様に有名な「列車の到着」。解説によって気づいたが、確かに構図がすばらしい。 構図の対角線上に列車が入ってくる。この画面に列車の位置づけが実に見事だ。 この映画を見終わってネットで検索したら、リュミエール兄弟の父は画家で、兄弟は写真家から写真関係の事業をしていて、そして「動く写真」の研究をしてシネマトグラフの開発に至ったらしい。 だからエジソンのように単なる機会の発明、だけでなく、「芸術としての映画」を作るクリエーターとしての才能もあったわけだ。 だからこそ、「構図」がしっかりした画を作ることが出来たのだろう。 これが単なる機械の発明をしただけ、なら映画をアートにまで出来なかったかも知れない。 「赤ん坊の食事」ではナレーションによる解説で、「庭の後ろの木が風に揺れている」「テーブルの上のコニャックの瓶の配置がすばらしい」という。確かに芸術的に構図を作ることが出来る人間でなければ出来ないよなあ。 また世界最初の喜劇映画の「水を撒く男」の作品だが、これも解説で教えられたが、ホースを踏んでいたずらした少年を男は追いかけてその場でしからずにわざわざカメラの前まで連れてきてからお尻をたたいてしかっている。 つまり明らかに演出をしているのだ。 常に奥行きを意識してとられている。 奥から手前に向かって物が動いてきたり(「列車の到着」もそうだ)、手前と奥、両方で何かが動いている。そのときに奥の動きは普通に撮るとどうしても手前のものとかぶってしまうのだが、奥の物は手前に比べ高さが高い位置にあるものを被写体として置く。 カメラアングルが完璧なのだ。 これはカメラを船に乗せて河岸の風景をとらえた映像でもそうだ。 遠くにある物はちょっと高いところにあるものを狙っている。 世界中にカメラマンが行って各地の風景を捉えたそうだが、その中に日本も出てくる。建物の前で剣士が剣道に試合をしている。 日本人が撮ったらどうしても正面からのショットになってしまうそうだが、ここでも「奥行き」を意識して、この試合を斜めから撮っている。 リュミエール自身が撮らなくても「構図は基本的にこうな!」という指示があったのではないかと想像される。 役者や物語に意識がいきがちな現代の映画と違って、絵画のように構図にこだわりを感じられるのだ。むしろ今の映画の方が見習うべきだ。 (それにしても4K化された映像は実に美しい。現在撮影されたかと思うほどだ) 本作とは関係ないが、日本では早野凡平がやった帽子の形を変えて物まねをする芸、あれをやってる人がいるのは驚いた。 ネットで調べてみたら、早野凡平のオリジナルではなく、ヨーロッパでは昔からある芸なんだそうだ。 映画のクレジット後に現代で同じ場所で「工場の入り口」をやってみた映像が出てくる。一番最初に出てくるめがねをかけたおじさん、最後にはアップになるが、マーティン・スコセッシ。本当に好きなんですね、映画が。 本作はフランス語のナレーションに字幕付きで鑑賞したが、字幕を読みながらではどうしても映像に集中できない。「日本語ナレーションが欲しいな」と思ったら立川志らくによる日本語版が収録されていた。こちらのバージョンでもう一度観てみよう。 時計じかけのオレンジ日時 2019年10月20日10:00〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン6 監督 スタンリー・キューブリック 製作 1971年(昭和46年) アレックス(マルコム・マクダウェル)は仲間と4人でやりたい放題。今夜はまずは浮浪者を襲い、不良グループとも喧嘩した。ある郊外の家を襲い、妻を強姦し作家の夫を襲った。 翌日、仲間からリーダーの座をおろされそうになるが、なんとかしまた別の家を襲った。しかし手口から相手に感づかれ、また仲間の裏切りに合い逮捕された。 懲役14年となったが、3年後「ある更正プログラムを受けると2週間で出所できる」という噂を聞きつけ立候補する。 それは暴行の映像やナチの映像を見せつけ、それらの行為を見ると吐き気がするように体質を変えるものだった。意図されていなかったが、BGMとして使われたベートーベンの第九も聞くと気分が悪くなることになった。 社会に戻ったものの、家にはすでに下宿人がいて自分の居場所はない、街では前に襲った浮浪者と出くわし、ボコられる。 止めに入った警官はなんと自分を裏切った昔の仲間だった。 彼らに暴行を受け、捨てられたところ、助けを求めて入った家は以前襲撃した家だった。妻は亡くなっており、夫は暴行が元で車いすに。 アレックスが第九を聞くと吐き気がすると知った作家は彼に大音響で第九を聞かせる。 作家は知り合いの野党の政治家に連絡、「アレックスの更正プログラムは非人道的だ」と現大臣を攻撃する材料に使われた。 アレックスは大臣から謝罪を受け、また強姦することを妄想するのだった。 午前十時の映画祭で鑑賞。今回の映画祭では初上映。 「博士の異常な愛情」「2001年宇宙の旅」とともにキューブリックのSF三部作とも言われている。 この映画はたぶん学生時代だと思うから80年代に観ている。インパクトはあったけど、好きになれない映画だった。 たぶんその1回しか観ていないと思う。 今回30数年ぶりの鑑賞となったわけだが、やっぱり好きになれない。 途中で帰ろうかと思った。 暴力描写がいやなのである。 女性を複数で強姦するとか、浮浪者を襲うとか、事故を装って他人の家に押し入って強姦とかもう許し難い。 さらに「雨に唄えば」を唄いながらの暴力とかやはりもう耐えられない。 で、30数年ぶりに観たわけだが、記憶に残っていたのはこの「雨に唄えば」とアレックスが器具で瞼を開っきっぱなしにされて映像をみるシーンとかだけ。 それだけ好きになれなかったのだろう。 この感覚は30数年たっても変わらないようで、とにかく生理的にだめ。 アレックスが今は警官になった昔の仲間に水ために顔を突っ込まれるシーンがあるが、結構長い。あれ何か仕掛けがあったんだろうか? 死ぬんじゃないかと思ってこちらがどきどきした。 アレックスも政治的駆け引きに使われるのだが、それが何らかの政治風刺になってるような気もするが、なんだかもやもやしたままである。 暴力描写がどうにも好きになれず、あわない映画だった。 っていうか「博士の異常な愛情」以外、キューブリックはあまり好きな映画がない。 楽園日時 2019年10月19日16:35〜 場所 イオンシネマシアタス調布・スクリーン8 監督 瀬々敬久 ある田舎町で少女が行方不明になった。小学生の愛華と紡が下校途中にY字路で別れたきり、愛華は家に戻らなかった。 近所の人が賢明に捜索したが、結局は近くの川でランドセルが落ちていただけで愛華は見つからなかった。 12年後。紡(杉咲花)も今は成人している。そのとき、また少女の行方不明事件が起こった。子供の時に母親と共に外国からやってきた豪士(綾野剛)を今まで異物のように感じてた住民は「あいつがやったに違いない」と豪士を追いつめる。追いつめられた豪士は今までのトラウマもあり、焼身自殺をしてしまう。 町の山奥の集落に田中善次郎(佐藤浩市)という男が暮らしていた。 若いときにこの町を出て千葉で結婚していたが、妻の死をきっかけにまた戻ってきていた。今は養蜂を営み、細々と暮らしていて集落の老人たちともうまくやっていた。しかし養蜂をきっかけに町おこしを考えて補助金を申請した善次郎だったが、それを集落の老人の怒りを買った。「養蜂の前に道路の修復とかやることがあるだろう!」善次郎は村八分状態にされ、追いつめられていく。 瀬々敬久監督の新作。原作は「怒り」「悪人」の吉田修一。吉田氏の短編集「犯罪小説集」の中の「青田Y字路」「万屋善次郎」の2本を元に映画用に脚本を作成。 いや変な感想だし、こういった感想しか出てこない自分はレベルが低いかなあ、と思うのだが、「田舎には住みたくないな」と思った。 豪士も証拠もなく、完全な思いこみで追いつめられる。善次郎も「俺を飛ばして申請した」みたいな取るに足らない理由で村八分となる。 平成の八ツ墓村である。結局は善次郎も村の住民を6人殺して自殺を図る。 住みたくない場所だ。 その前に善次郎の近所で善次郎が近くの森から木を移植する。元の森に戻すんだ、と言いながら。それが何か(ここがせりふでちらっとしか説明されない)の不興を買って元に戻される。 その際に善次郎が土を必死の形相で食らうのだが、ここがよく分からない。 パンフレットを読むと「ここには妻が埋葬されていた」と書いてあってそれならば、と納得。こちらもどこかで聞き逃したのかも知れない。 で、結局最初の事件はどうなったの?ものすごく気になる。 映画のラストでそれが出てくるのだが、それがはっきりしない。 冒頭でリサイクル品を売る豪士親子がヤクザにボコられるシーンがあるのだが、ヤクザにボコられて落ち込んで泣いている豪士の前を愛華が通りかかり話しかける。「どうして泣いてるの?」「これ(花で作った冠)あげる」と頭にかける。このシーンの豪士が「まるでキリストのようだ」と言う言葉がパンフレットにあったが、まさにそう見える。 そして愛華が過ぎ去った後、豪士はそれを追っていく。それを紡が見ている、で終わる。 ものすごくモヤモヤするのである。 いや、最初の事件の犯人探しのミステリーではないことは理解する。 でも私のようなタイプの人間は最初の事件の決着、がものすごく気になるのだ。 パンフを読むと佐藤浩市は「豪士が殺した」と考えているようだし、杉咲花が気になって瀬々監督に聞いたところ、監督は「やってる訳ないだろう」と言われたという。 解釈は観るものにゆだねる、ということなんでしょうけど、でもモヤモヤは残ったなあ。 あの結末を知ってからもう一度観ると感想が変わるかも知れない。 機会があればもう一度観てみたい。 スペシャルアクターズ日時 2019年10月19日13:25〜 場所 イオンシネマシアタス調布・スクリーン4 監督 上田慎一郎 売れない俳優の和人(大澤数人)は緊張すると失神するという持病を抱えていた。そのため、オーディションに行っても途中で失神してしまう。 バイトもクビになって困っていたときに弟の宏樹(河野宏紀)に数年ぶりに再会。 宏樹も今は役者をしているという。その事務所がちょっと変わっていて、芝居なら何でもする。例えばDV彼氏から別れたい女性の為に、新しい彼氏を演じるとか。 ある日、女子高生・祐未から新興宗教にはまってしまった姉が、実家の旅館をその宗教に差しだそうとしている、それをなんとかしてほしいというのだ。 早速彼らはその新興宗教・ムスビルのセミナーに参加し、内情を探るのだが。 「カメラを止めるな!」の上田慎一郎監督作品。夏の「イソップの思う壷」が2作目となるかと思ったら、「イソップ」は共同監督のため、この「スペシャルアクターズ」の方が、単独監督として2作目にカウントされるようである。 「カメ止め」がまるで10億円の宝くじに当たったようなヒットとなったため、そのプレッシャーたるや大変だったと思う。 観てるこちらもハードルが高くなる。 正直、どこかでうまく行かなくなってしまった感じがする。 話はいいのである。しかし「カメラを止めるな!」のようなジェットコースターのようなスピード感がなくなってしまった。 まず本題のムスリムの話になるまでが長い。 和人がスペシャルアクターズで働き始めてからのいくつかの仕事が不要である。 またはムスリムに潜入したところから始まって話を逆戻しさせてもよかったのではないか? しかしたぶん私が思いつくようなことは上田監督や周りは気づいていたろうし、それは「やりたくない」という気持ちがあったのではないか? また主人公のキャラクターがなんだかいらいらさせるのである。和人が弟に「お前悩みとかないだろう!」といい、弟は「兄貴が辛気くさいこと」と答えるが、この辛気くさい主人公が見てる私は乗れない。 弟が主人公でもよかったのではないか?などと考えていたら、オチがあった。 数年後のために書いちゃうけど、弟はIT起業家として成功しており、兄を心配してスペシャルアクターズに頼んだ、というオチ。 だからムスリムもすべてスペシャルアクターズだったのである。 そういう訳でシナリオはいいのだが、辛気くさい主人公と、もう一つ乗れないテンポのためにどうにも残念な作品だった。 上田監督、次回も期待したい。 HOW TO LOVE 浮気の心得日時 2019年10月17日22:00〜 場所 テアトル新宿 監督 若松孝二 製作 昭和45年(1970年) 「止められるか、俺たちを」でも紹介された若松孝二が「金のために仕方なく作った」というラブホテルで見るように作ったオリジナル作品。 本作の上映時間は25分。 これは「ラブホテルで過ごすのは2時間だから、1時間も映画を見ることは出来ない」ということらしい。 また当時、ラブホテル用に既存のピンク映画60分を30分に再編集していたそうだ。これも「だったら最初から30分の映画を作ればいい」ということのようだ。 現代の浮気の実体、ということで多分「カーマスートラ」でナレーションをしていた(多分)寺島幹夫が「現代の浮気の実体は・・・浮気したことがある、現在しているが50%」とかいちいち数字をあげて説明し、町で撮ってきた映像と重ね合わせる。 そしてある男女がラブホテルに入ってきて、ことを始める。これが浮気カップル。そこへ女の旦那が乗り込んでくる。 そこでナレーション「何があっても浮気を認めてはいけません。無理矢理連れ込まれたとかにしましょう」と浮気の心得を説く。 んで浮気相手の男は仕方なく帰り、女の方は夫に「あなたにしたい」と言って二人でするという展開で、めでたしめでたし。 トークイベントでは「最初に出てきた浮気カップルは実際は夫婦だった」という話が出て、なんか面白い。 「こんなのラブホテルで実際の浮気カップルが観たらシラケるよなあ」という話になった。 若松孝二を政治的な映画を作っていたとそれを観たがるファンも多いし、それは全く否定しないが、やっぱり「ピンク映画」というのが現実のフィールドであった。こういう裸の映画が嫌いで政治的な映画を作りたければ独立プロでまじめに映画を作ってる方がいい。 ピンク映画というフィールドで活躍していたのだから、こういう単なるエロ映画を撮っていても全くおかしくない。 生前若松氏に会ったときに「『裸の銃弾』という映画を観て面白かった」という話をしたところ「俺も金のためにはああいう映画も作らなければならなくてさあ」と照れて笑っていたけど、僕は「金のため」に映画を作ることが悪いこと、恥ずべきことだとは思わない。 実際「裸の銃弾」はアクション映画として面白かった。僕は「面白い映画を作る能力」を誉めたのだ。 金のためにエロ映画を撮ってなにがいけない!と思う。 人間お金がなければ映画を撮れないし、映画も作れない。 ちなみに本作は映倫を通しているそうだ。若松プロとしては新事業だからラブホテルに作品を送る会社もあるし、作品にケチがついて事業がダメになったらまずいという判断が若松監督にはあったらしい(と足立正生がトークイベントで言っていた)。 割と真面目な男なのだな、若松孝二って。 だからこそ映画製作から配給まで一貫してやれる実業家としての一面も持ち合わせることが出来たと思う。 カーマ・スートラより 性教育書 愛のテクニック日時 2019年10月17日20:45〜 場所 テアトル新宿 監督 若松孝二 製作 昭和45年(1970年) 若松孝二追悼上映会での上映。 「止められるか俺たちを」でも出てきた若松プロを潤わせた映画だ。 インドの性愛を描いた本、カーマスートラの映画化。 正式タイトルは「カーマ・スートラより 性教育書 愛のテクニック」で「愛のテクニック」がメインタイトルだが、上映後行われた足立正男、高橋伴明、白石和彌、井上淳一たちのトークではみんな「カーマスートラ」と呼んでいた。 まあ、そっちの方が通りが良さそうだ。 内容を記しておくと、昔のドキュメンタリー映画でよくある男性ナレーション(井上幹夫)がクソ真面目に解説をしながら、カーマスートラに書かれている「抱擁」「接吻」「愛咬」などの項目を説明していく。 基本的に絵本のような本をめくりながら(トークイベントで話題になったが、これはカーマスートラをイメージして勝手に作った本だとか。感じで第1章「抱擁」とか漢字で書いてあるから変だと思った)、進行する。 そして時折写真スタジオの真っ白なホリゾントの前で男女(男は白いブリーフを履いている)が抱き合ったりする。 「愛咬」の章では背中とか腕とか咬んだ跡を写す。解説によるとこのころのインドは乳房を隠す習慣がなかったので、当時の女性は咬んだ跡のある乳房をさらけ出し、自分が愛されてることをアピールしていたってホントかよ! 嘘かも知れないなあ。 またSM(という言葉は使わなかったけど)シーンではおそらく「胎児が密漁する時」のシーンを流用していた。 そんな感じで延々と続き(と言っても45分ぐらいだが)後半「カーマスートラの教えに従わなかった男女の悲劇を見てみましょう」となる。 ある一軒家で3人の男女が死んでいる。 いきなり死体である。どうしてこうなったかを描いていく。 まず男が処女の女を「僕たち結婚するんじゃないか。だからいいだろ?」と女がいやがるのに犯そうとする。 んで結婚したはいいが、夫に心はなく、妻は偶然出会った車のセールス万と自宅で関係を持つ。そこで夫の出張中に自宅でセックスしていたら、夫が急に帰ってきて喧嘩になり、妻は夫を殺してしまう。 死体をどこかに処分しようと毛布にくるんでいるときに、セールスマンの妻がやってくる。セールスマンの妻(和服。この頃の女性はまだ和服を着ていた)は二人を殺してしまい、罪の意識で自分もガス自殺する。 すげー展開だなあ。 男女3人が死んでるところから始まるから、てっきり夫が若い女と浮気して、それを知った妻が両方殺すという話かと思った。 でも死んでいたのは被害者の自分たちの家じゃなくて、他人の家。 なんか驚いた。 今見るとエロくもなんともないのだが、当時はこれがロングランヒット立ったとか。「カーマスートラ」っていうタイトルがよかったのかなあ。 誰も読んだことがないけど、伝説のインドの性愛書ってイメージだけはある単語だから。「金瓶梅」みたいで。 決して面白くはないんだが、70年頃のピンク映画、そして若松孝二がこういうのも撮っていたというのを示すいい1本。 映画研究者は観ておくべきですね。 エンテベ空港の7日間日時 2019年10月14日13:40〜 場所 TOHOシネマズ日比谷シャンテ・スクリーン1 監督 ジョゼ・パリージャ ストーリー省略。 先日予習した「特攻サンダーボルト作戦」と大差なかった。 あの映画(テレビ映画だけど)は事件の直後だから「あのときはいえなかったけど、実は・・・」という裏話満載かと思ったら大差なし。 唯一あったのはエンテベに行く前に給油のために着陸した空港で「妊娠していて体調が悪くなった」として解放された女性。 事情徴収のシーンがあったが「実は妊娠してないんです」だと。 コイツ卑怯な奴だよ。 ハイジャックの主犯がドイツ赤軍な訳だが、この男女の苦悩が比較的描かれる。パイロットとは別の航空機関士(この当時は今と違って操縦室には3人いた)が、監禁されてるターミナルビルに水がでなくなり、屋上に上って給水タンクを修理するシーン。 ここで主犯のドイツ人(男のほう)と「革命家よりエンジニアの方が役に立って大切だ」というシーン。 あと女性の方がエンテベ空港の現在の稼働しているターミナルに行き、公衆電話から最愛の人に電話をかけるシーン。あのシーンは「これは実際は相手はでてないんだな」と私はわかったので、その後空港の係員が「その電話、故障してますよ」というのは蛇足だと思った。 それと人質の中に強制収容所に入れられた経験を持つ婦人が錯乱状態になるとか、ドイツ赤軍の男が「俺はナチとは違う!」と強調するあたりはドイツ赤軍の男の悩みを象徴しているエピソードだったと思う。 ラストの突入されたとき、人質もろとも自爆することだって可能は可能だったわけだから、それをしなかったのは彼らなりに良心があってのことだろう。 (これは「特攻サンダーボルト作戦」でも描かれたけど) あとイスラエル軍の突入部隊の一人の恋人がダンサーで、その前衛舞踊の練習シーンが時折挿入される。しかも彼女の本番が突入日で突入シーンとその前衛舞踏のシーンがカットバックされるのだ。 全くもって意味不明だったなあ。それとも日本人には解らない、あちらの人々には解る共通認識があるのかな。 しかも舞台に半弧の形にタキシードを来たダンサーが並んで踊りながら服を脱いでいくとい舞踏。決してストリップみたいなんではないけど。 そこでその恋人が時々、どさっと倒れる。うん、意味不明。 で、そのダンサーの恋人が死ぬとかではない。 例の唯一亡くなった突入部隊の隊長だけど、突入時に撃たれてた。こっちが本当なのかな。 個人的に好きなエピソードだった体調が悪くなって近くの病院に入院していたご婦人が突入の翌日行方不明になった件、今回の映画では描かれなかった。 ということで結論としては「特攻サンダーボルト作戦」を観ておけば十分で、本作は観なくても不自由はない映画だったと思います。 イエスタデイ日時 2019年10月14日10:20〜 場所 TOHOシネマズ日比谷スクリーン12(別館) 監督 ダニー・ボイル イギリスの小さな海辺の町、サフォーク。この町でスーパーで店員のアルバイトをしながらジャック(ヒメーシュ・パテル)は歌手になる夢を追っていた。しかしライブで聞いてくれるのは友人だけ。その中でも幼なじみのエリー(リリー・ジェームズ)はマネージャーをしていてくれたが、恋愛関係ではなかった。 あるライブの帰り、世界中が12秒の停電に見回れ、ジャックは交通事故にあってしまった。幸い前歯を2本折る程度で済んだのだが、気がついた世界ではおかしい。ビートルズを誰も知らないのだ。 小さなライブで歌ったことがきっかけで協力者が現れた。彼の自宅のスタジオでミニアルバムを録音。だがそれはビートルズの曲のコピー。だがこの世界では誰も知らない。 そのアルバムを勤め先のスーパーで配り、テレビ出演につながった。テレビで歌ったことがきっかけでエド・シーラン(本人)から連絡があり、「よかったら俺の前座で来週モスクワに来てくれないか」と誘われる。 それがきっかけで全米デビューにつながっていく。 だがジャックには「ビートルズの曲を盗作している」という負い目があった。 基本、ビートルズのファンである。だからビートルズネタということで観に行った。 世界大停電をきっかけにこの世がビートルズがいなかった世界になる。 この話、最後はどう決着をつけるのだろう?最後は元に戻るのか?と思っていたが、そこは完全に触れない。 最後まで「なぜビートルズが消えたか」は明らかにならない。 ほかにもコカコーラとかたばこ(シガレット)とかがない。これは何か共通項があって、最後にその謎が明かされるのかと思ったら、それはなかった。 そういうSF的な設定に対する答えはこの映画では用意されない。 (ラストにハリーポッターもいない世界だと明かされるが) それにしてもビートルズのナンバーが登場するのは楽しい。 主人公のジャックもビートルズのコピーバンドをやってたわけではないから、歌詞の一部はうろ覚えだ。 「エリナ・リグビー」の歌詞が解らず悶々と悩むシーンや、「ペニーレイン」や「ストロベリー・フィールズ」を実際に見に行くところは、よかった。 というのも私自身が20数年前(1992年頃)、リバプールに行って確認してるのだ。 ああストロベリー・フィールズは今は更地になってるのか、とか個人的に感慨を深くした。 ビートルズの曲がもちろんたくさん出てくるが、デビューの頃と解散の頃ではかなり曲も変わってきてるのだが、それが混在し、作者たちはその辺のこだわりはないらしい。 結局いつかばれるんじゃないかと怯えながら暮らし、実際同じようにビートルズがいた世界を知ってる人が出てくる。だからといって訴えたりせずに「広めてくれてありがとう」と言うのだけど。 最後には「実は僕が作ったんじゃありません。だから僕が儲けるわけにはいかない。無料ダウンロード出来るようにします」とパブリックドメイン化してしまう。 ビートルズの曲は高いと聞くが、これ皮肉というか嫌みなのかね?それとも素直に受け取っていいのかな? 何にしてもこの映画に登場するビートルズナンバーはエンドクレジット以外はカバー曲で、これがちゃんとフルで聞いてみたい。 サントラCD買おうか知らん。 うたかたの想い日時 2019年10月13日15:29〜 場所 光音座1 監督 小川欽也 製作 大蔵映画 高校の体育教師の小泉(萩原章〜たぶん)が静夫(しょういち〜たぶん)と出会ったのは小泉の勤務した高校だった。オリンピック候補にもなった小泉だが、結局夢はかなわなかった。陸上部の静夫と出会い、「お前ならオリンピックも夢じゃない」と期待する。 しかし卒業後、静夫は東京に行ったものの、大学には進学しなかった。音信のない静夫を心配に思った小泉は、静夫を訪ねてみる。静夫はゲイバーに勤めながら小遣いをくれる女・直子とセックスの日々だった。 「お前をなんとか大学に入れてやるから、とにかく走り続けろ」という小泉。 静夫はゲイバーの常連客(久須美欽一)から寵愛を受けていたが、本音ではいやだった。その気持ちが伝わったか、夢で静夫の苦しみを感じる小泉。そしてついに上京し、静夫を支えることに。 とりあえず静夫と同じゲイバーで働き始める小泉。再び走り始めた静夫。実は以前から静夫は小泉が好きだったのだ。なにもしてくれない小泉に業を煮やし、自分から体を重ねる静夫。 一見うまくいったようだが、静夫は小泉の気持ちを信じきれないでいた。 静夫は小泉のことを「単に自分の夢を果たさせるための人形」ではないかと思っていたのだ。 そんな時、静夫は体調が悪くなった。直子にお金を貸してくれるように頼むと断られる。さらに「セックスが出来ないんじゃ意味がない」とまで言われ、喧嘩になって突き飛ばしてしまう。それが当たり所が悪くて直子は死んでしまった。 殺人を犯してしまい、自分は小泉に合わせる顔がないとして、静夫は死を選ぶ。 それを知った小泉もまた死を選ぶのだった。 話は全部書いた。 小川欽也作品。話が暗い。しかも静夫役があの世のホモの不幸を全部背負った(ような)沢まどかにちょっと似ている。沢まどかが20代の感じなのだ。 だからなんか陰鬱なムードである。 で、後半になって心臓が悪いらしい描写が出てきて、病院に行って「もう走れない」となって、直子の家に行って「セックス出来ないなんて意味がない」と言われてカッとなって殺してしまう。 話が飛躍しすぎ。 実は映画の冒頭で小泉は遺骨を抱えていて「私が静夫と出会ったのは・・」と静夫は死ぬことが説明されている。 後半、心臓に持病があるらしいとなった時、「病気で死ぬパターンね」と思ったら人を殺して自殺って展開で驚いた。 だったら持病なくてもよかったんじゃないかなあ? さらに驚いたのは静夫が亡くなって生きる希望をなくした小泉が、遺骨を抱いたまま車で堤防から海へと突っ込むのだ。 ピンク映画だから本当に車が海へダイブする映像なんかないし、そこは車からの視点でカメラを揺らしたりして誤魔化しているのだが、そんなに苦労するなら、そんな設定にしなければいいだろうに。 第一砂浜に延びた堤防みたいなところから車でダイブしても死なない気がするけどなあ。 バッドエンドのゲイ映画は好きじゃないです。 同時上映は榎本敏郎監督「迷走者たちの猥歌」。 数年前に観ているので感想はパス。 特攻サンダーボルト作戦日時 2019年10月12日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 アービン・カシュナー 製作 1977年 1976年6月、イスラエルのテルアビブ発アテネ経由パリ行きのエールフランス機がパレスチナのテロリストにハイジャックされた。 急病人を途中の空港で降ろし、飛行機はアフリカのウガンダ・エンテベ空港に着陸した。 ウガンダのアミン大統領は中立を装っていたが、反イスラエルのスタンスで、事実上テロリストの味方だった。 テロリストの要求は主にイスラエルに逮捕されている仲間の釈放だった。乗客たちはエンテベ空港の旧ターミナルに移され、監禁状態になった。 その中で一人の婦人が食べ物に当たったのか体調を崩し、病院へ入院する措置がとられた。 イスラエル政府内でもテロリストの要求に従うか否かで意見が割れていた。 イスラエル人以外の乗客は解放され、テロリスト対イスラエルの構図がはっきりをしてきた。アミン大統領と旧知の人間を使ってアミンを味方にしようとするが、アミンは基本反イスラエルの立場なので進展しない。 自国民を見捨てる訳にはいかず、サンダーボルト作戦と名付けられた突入作戦を計画。 軍内部にターミナルを再現し、そこで演習を繰り返す。55分で作戦完了の目途が立った段階でいよいよ作戦が決行された! 1976年に実際に起こったハイジャック事件を元にした映画。この頃は日本赤軍も活躍していてハイジャック事件は珍しくなかった。 日本人が人質だった訳でもないし、この事件の日本での扱いは少なくとも日本航空がハイジャックされたときより小さかったのではないか? (いや当時私がバカで関心がなかっただけなのかも知らないけど) んでこのほとんどの人質の救出作戦成功という映画的な題材をハリウッドが見逃すはずはない、ということで、76年の年末には「エンテベの勝利」という映画が作られて上映された。 しかしパレスチナ側の抗議で(劇場に爆破予告があったのだ)上映は1週間で中止。(「勝利」という言い方が気に入らなかったらしい) この時「今の映画館は随分サラリーマンになったものだ。一昔前なら『脅迫なんぼのもんじゃい!』と上映しただろう」という意見が確かキネ旬に載っていた。(当時の私には映画情報と言えばキネ旬だったのだ) 私は観ていない。バート・ランカスターなどが出演し、オールスターキャストだが、当時から「安直に作った映画」と評判はよくなかった。 観てみたいと思ったのだが、こちらはソフト化されていない。 んでもう1本のエンテベ映画がこの映画。最初は「エンテベ急襲」という邦題で、雑誌のラインアップにもあがっていたと思う。 結局こちらも「エンテベの勝利」の上映中止騒動があって、「今度もあってはたまらん」と思ったのか、日本公開は見送られた。その後「特攻サンダーボルト作戦」として劇場公開され、今ではDVDにもなっている。 気にはなっていたが、観るタイミングを逃し、今日まで来た。それが今観る気になったのは「エンテベ空港の7日間」という同じ題材の映画がこの10月に公開された。それで予習のためにいいきっかけと思ってレンタルで観た次第。 観始めてスタンダードサイズだったから、テレビ映画だったんだと気づいた。だから時々フェードアウトがあり、ここがCMのタイミングだったんだろう。 乗客役のマーティン・バルサムと突入部隊の司令官のチャールズ・ブロンソン程度が知ってるスターで、あとはイスラエル首相役でピーター・フィンチがぎり知ってる役者さんかな。 テロリストを完全な悪役として描くのではなく、途中の空港で妊婦をおろしたり、エンテベ空港で体調の悪くなった婦人を病院に送る。 そして突入が行われたとき、手榴弾を爆発させようとして、このマーティン・バルサムと目があって止めている。 またテロリストが全員死亡し、並べられた遺体を見つめるイスラエルの司令官(チャールズ・ブロンソン)が優しく感じられた。 突入部隊は飛行機にベンツを積んでいて、空港に着陸した後、このベンツでターミナルに近づく。これがアミン大統領を偽装したわけだ。 そしてエンテベを去るときにウガンダ軍の追撃を避けるためにミグ戦闘機を破壊する。 これはウガンダに対する戦闘行為とも取れ、アミンは激怒だろう。 案の定、病院に入院していたために救出を断念した婦人が行方不明になったと最後に字幕で説明される。 後に「食人大統領アミン」っていう映画も作られたぐらい悪役だからな。 作戦がうまくいきすぎて映画的にはもう少し山が欲しいところだが、面白かった。 蜜蜂と遠雷日時 2019年10月6日13:20〜 場所 新宿ピカデリー・シアター6 監督 石川慶 芳ヶ江国際ピアノコンクールは今年はレベルが高いと評判だった。 そこに数多くの若者が挑戦する中、4人の注目される人々がいた。かつて天才少女と言われたが、恩師であり母を亡くしたことがきっかけでピアノが弾けなくなった亜夜(松岡茉優)、亜夜の母に子供の頃にピアノを教わり、今やジュリアーノ音楽院で期待の星マサル(森崎ウィン)、楽器店に勤めながら音楽を続け、今回が年齢的に最後になる明石(松坂桃李)、今まで全く無名だった天才少年、塵(鈴鹿央士)の4人だ。 1次予選は4人とも通過。続く2次予選。 あるものは楽しみ、ある者は不安と戦いながら予選を戦っていく。 恩田陸のベストセラー小説の映画化。小説そのものはよく知らなかったが、映画は数ヶ月前から予告とかチラシが出ていたので楽しみにしていた。 楽しみの目的は去年のスピルバーグの「レディプレーヤー1」に出演した森崎ウィン、そしてイケメンの新人、鈴鹿央士だ。 森崎の役はジュリアーノ音楽院に在籍ということなので、英語のせりふも多い。さすがハリウッド映画で活躍しただけあって、お手の物である。 またピアノも堂に入っていた。 そして全く未知数の鈴鹿。こちらも顔が小さいせいか、小柄に見えたが、実は思ったより長身の印象を受けた。 自分に自信、というよりピアノを弾くことが楽しくてたまらず、不安もないもないという怖いもの知らずの天才少年の天真爛漫さがよく出ていた。 またハリウッドで活躍した森崎ウィン、怖いもの知らずの新人という設定が鈴鹿そのものを彷彿とさせ(もちろんそれは狙ったものだろうが)、そのねらい通りに出来ていたと思う。 でも正直言って映画として面白かったかというと微妙なのだな。 これは受け手の私の問題でもあるのだが、例えば明石が2次予選を終わって本人も「落ちた」というのだが、観てる私には落ちるレベルなのかがさっぱり分からない。 これがスポーツなんかだとタイムとかが出るから、はっきり解るのだけれど。 この明石の場合も「落ちた」と言っても「いやいやそうは言っても受かるんでしょ?」と思ったために落ちた時間が私にはさっぱり解らない。 すべてこんな感じで彼らの演奏がすごいのか拮抗してるのかダメなのががさっぱり解らないのだな。これではこちらは盛り上がらない。 これが小説だと、逆に心理を書けるから逆にいいのかなあ。 音楽が実際に聞けるから映画の方がよさそうな気もするが、必ずしもそうとは言えないことの見本みたいな映画だった。 森崎ウィンの鈴鹿央士のこれからに期待する。 (パンフによると鈴鹿は「先生、好きになってもいいですか」でエキストラにきたときに広瀬すずにスカウトされたんだそうだ。広瀬すずもそんな立場になったのか) 青い指紋日時 2019年10月5日11:00〜 場所 シネマヴェーラ渋谷 監督 青戸隆幸 和田敏三 製作 昭和27年(1954年) 日本の中心東京。今夜もパトカーが巡回している。そこへ世田谷で殺人事件があったと連絡が入る。パトカーは急行。やがて鑑識や捜査一課も到着。被害者は夫婦、子供は助かっていた。現場検証から泥棒に入ったところ、主人に見つかり殺人に及んだと推定された。妻の手には髪の毛が残っていた。犯人かも知れない。直ちに鑑識へ。 翌日ベテラン刑事が近所を回ったところ油差しが落ちていた。この油差しは輪タク(自転車タクシー)が落としていったものらしい。輪タクの運転手に聞き込んでいくと先日食事をしている間に輪タクが盗まれた運転手がいた。運転手の話では輪タクになれてるものが盗んだのではないかという。今回の犯人とは違うかも知れないが、とにかく当たってみよう。 またお手伝いの話から腕時計が盗まれているらしいと分かる。 最近修理にだしたという話から、有名時計店に聞き込みにいく。被害者が時計を修理した店がわかり、時計の特徴も正確に分かった。しかしここからは進展がない。 そんな時、別の場所でタクシー強盗殺人が起こった。犯人は運転手を絞め殺す際に使った手ぬぐいに青い指紋がついていた。この青いものはビリヤードに使うチョークらしい。早速ビリヤード店を当たる刑事たち。 新宿のビリヤード店で「しんちゃん」と呼ばれる男が浮かび上がった。 たまたま店にやってきたその男を追いかけるが、代々木の踏切で見失ってしまう。 世田谷の事件、タクシー強盗と失態が続く警視庁に非難が集まる。 そのとき、例の時計を売ったという男が出てきた。しかもその男は輪タクの運転手もしていたらしい。 その男の家にいく刑事たち。尋問すると時計は世田谷の家に犯人を連れて行っただけだという。実行犯はしんちゃんという男だ。 そのしんちゃんに女の元へ4時に渋谷に来いという連絡が入った。 しんちゃんと呼ばれる男は逮捕され、世田谷の事件も解決した。 話は全部書いた。シネマヴェーラの新東宝特集。嫌いではないのだが、ゆるそうなタイトルが並んでいて(「地下帝国の死刑室」とか「一等マダムと三等旦那」とか)ちょっと観たくもあるのだが、きりがないので今回はパス。(観なくても人生に影響が出るとは思えない) それでも観る気になったのはツイッターで長谷川公之脚本だと知ったから。 「警視庁物語」の脚本家で刑事物と聞けばその内容は期待できる。 私はスーパー刑事が何でも解決してしまうタイプの刑事ものは飽きているので、こういう集団捜査ものが好きなのだ。 刑事たちは特に名前もなく、黙々と捜査に当たる。 輪タクの運転手が集まっている場所で高架の電車が走り、ロープウエイ(ケーブルカー)があるので渋谷らしい。 そしてビリヤード場があるのが新宿。新宿ビリヤード、という店名が出てくるけど、かつて見たことがあるような気がする。 そして犯人を追いかけたが、あわや、というところで踏切が閉まり、そこへやってきたのが長い貨物列車なのでぜんぜん踏切が開かず犯人を取り逃がす。代々木の踏切じゃなかろうか?と思ったら次のシーンで新聞が「代々木で取り逃がす」と記事になっていたので間違いない。 「犯罪ドキューメタリー}(ママ)とタイトル上に表記されるのだが、そのまま東京の記録映画にもなっている。そういえば冒頭の東京はやたら暗かったが(フィルムの感度もあるのだろうが)今よりは街灯も少なく、暗かったのだろうなあ。 また何の役にも立たない情報提供者があったり、世田谷の夫婦の残った子供は祖父母が引き取ったとか、例の腕時計を売った男(織田政雄)の家に刑事がいったとき、家族で食事をしているので「まあ食事がすむまではなってやろう」と人情味を見せたりする。 こういう描き方が私は好きである。 ほんとに「警視庁物語」の原型といえる作品で、シリーズ0と言っても過言ではない。 面白かった。観てよかった。 モスラ<東宝チャンピョン祭り版>日時 2019年10月5日 場所 日本映画専門チャンネル 監督 本多猪四郎 製作 昭和49年(1974年) オリジナルは1961年(昭和36年)で101分。 チャンピョン祭り版は62分。 1974年冬期のチャンピョン祭りで上映された。同時上映は「海底大戦争 緯度0大作戦」。 日本映画専門チャンネルは5月の「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」公開を記念してゴジラ映画のチャンピョン祭り版とオリジナル版を放送。 公表だったようで、その後も月に1本、「緯度0大作戦」などのチャンピョン祭り版を放送している。 その中で今月は「モスラ」なのだが、これが上映時間が62分。 ゴジラ映画のチャンピョン祭り版とかカットは15分ぐらいで、それほど大きく印象が変わるようなことにはなってない。 だからあまり重要視しないでスルーしてきたのだが、この「モスラ」はオリジナルは101分なので約4割カットされている。 そこまでカットされたらかなり変わってるだろう、と思って鑑賞。ゴジラなどだとこのチャンピョン祭り版をみる機会もあるのだが、この「モスラ」のチャンピョン祭り版は考えてみたら観たことなかった。 まあズタズタである。 ストーリーがわかるだけ。まるで8mm版を観てるぐらいズタズタ。 特に前半がカットされ、最初に小泉博の中條博士を訪ねるシーンもない。 いわゆるムード作りのシーンが全くない。おかげで香川京子のシーンがほとんどなくなっている。 志村喬の社会部長のシーンの方が残っている。 こうしてみるとストーリーを進めるためのキャラクターと映画の遊び(ムード)を作るためのキャラクターがはっきり分かれており、志村喬が前者で香川京子など完全に後者だったとわかる。 そして結果として作品は話があるだけの面白くもなんともない作品になっていた。 カット版はこういうカットした人の意図が作品の構造がわかるので、やっぱりそれなりに興味深い点はあるのだな、と改めて思った。 (面白くはないけど) そしてこの「モスラ」に関していえば、クレジット部分に今まで聞いたことのないような歌が挿入されている。(ザ・ピーナッツではなく、男女混合の合唱) これが「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」のエンドクレジットに登場した「ソレソレ」の歌にちょっと似てる気がする。案外影響を受けてるのか? このカット版、確認したらDVDやブルーレイの特典映像に含まれていた。アメリカ版ブルーレイは買ったんだが、日本版は買ってなかった。 また講談社のゴジラシリーズでもソフト化されてなかった。 だから観てなかったんだな。 |