2019年12月

   
強がりカポナータ ゲイのおもちゃ箱
男はつらいよ お帰り寅さん 発情物語 幼馴染はヤリ盛り スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け ヘアピン・サーカス
カツベン! 東京の恋人 テラリウムロッカー 屍人荘の殺人
催眠 午前0時、キスしに来てよ ナイアガラ こんな、ふたり

強がりカポナータ


日時 2019年12月29日15:25〜 
場所 光音座1
監督 横山翔一
製作 OP PICTURES


海辺の町でイタリアンレストランを営む武(伊神忠聡)は元々は父がやっていた店を受け継いでいたが、今は父(近藤善揮)も弱ってきて車いすの生活だった。一緒に店をやっていた妹も結婚していった。妹の結婚相手の兄、一義(折笠慎也)がイタリアの料理修行から一時帰国した。
実は武と一義は7年前は付き合っていて、いつかお店を一緒にやろうと誓い合った仲だった。
久々の再会だが、一義は「実は向こうのオーナーに新店を任せると言われている。一緒にイタリアに来て欲しい」と言われる。しかし父の店をつぶすわけにも行かず、行くことは出来ない。
そんな話をした晩、帰り道で車の前に飛び出してきた男がいた。マッチョなその男は彰(後藤剛範)。彼は武の店で働かして欲しいといい、人手に困っていた武は受け入れる。たどたどしかったが礼儀のある接客は評判がいい。その上妹の部屋に住み、家族同様になってくれた。
そして彰はある晩、浜辺で武と絡み合う。
それを偶然一義は見てしまう。
一義はイタリアに帰ることにした。しかし彰は武の心が自分にはなく一義にあると知る。店を出た彰だが、一義と桟橋で出会う。
彰は「自分が店をやりますから武さんは一義さんのところへ行ってください」といい、カポナータを作る。それを食べた武は「これではダメだ」と言い放つ。一旦は諦めた武だが、彰に押され一義を追う。しかし桟橋にも船にもいない。
武は念のため思い出の海岸に行ってみる。そこには一義がいた。
二人は浜辺で抱き合い、波に打たれながら愛し合うのだった。


話は全部書いた。
OPの新作。「今回の新作はいままでとちょっと違うらしい」と聞いていたが、まさしくその通り。
映像がきれいで出演者もビジュアル的によく(個人的にはタイプではないけど)、誉め過ぎになるかも知れないがヨーロッパのゲイ映画みたいだった(「君の名前で僕を呼んで」みたいな)。

映像のシーンは夜の浜辺で彰と武が絡むシーンが美しい。
夜が青っぽい映像になっており、今までのOPでは観たことのない映像だった。光音座はDVD上映なので、音も画もイマイチなので、しっかりとしたブルーレイクラスの映像で再見したい。それぐらいの仕事はしてますよ。
またこのシーンだけでなく、全体的に暖色系の陰影のある映像でカラコレがしっかりしている。

出演では伊神忠聡が短髪、ヒゲのいかにもゲイ!っていう感じのビジュアル。まあゲイ雑誌なんかも彼のようなタイプがグラビアにいますからね。
こういうのが主役でも世間的には大ありなのでしょう。(私のタイプではないですが)

折笠さんは最近のピンク映画の常連で、去年のゲイ映画にも出演。安定の経験者枠である。
そして後藤剛範は重量上げとかやってそうなマッチョ体型。これが本当にマッチョなので、裸のシーンは実にかっこいい。(まあ私のタイプではないが)

映像も出演者もよく、実によくできた今までのOPゲイ映画とは一線をかくゲイ映画だった。
「最短距離は回りくどくて」といい、今年のOPのゲイ映画は攻めている!来年にも期待である。
もう1回ちゃんとした映像で観たい。





ゲイのおもちゃ箱


日時 2019年12月29日14:25〜 
場所 光音座1
監督 山本竜二、柴原 光、池島ゆたか
製作 ENK


電車に乗っている美青年(石井基正)。空いているにも関わらず男が隣に座り体を寄せてくる。避けた青年だがしつこい。やがて男は「ゲイのおもちゃ箱」という本をおいて降りていった。その本を手に取ってみると・・・

PART1「こんなホモを見た」(脚本 切通理作)
ある公衆トイレに眼鏡をかけたスーツ姿のイケメン(石井基正)が入っていく。色んな男が手を出してくるが彼は相手にしない。洗面台に貼ってあった太ったおじさんのイラストに書いてあった電話番号に電話し、相手に会いに行く。そこではお腹の出た中年男(山本竜二)いた。
イケメンは喜んで二人は絡み合う。

PART2「を、さがして」(脚本 柴原光)
時々頭痛に襲われそれが来るとヘッドホンのボリュームを上げてやり過ごす青年(石井基正)。彼には恋人(柴原光)がいたが今朝はワープロを取り出して小説を書いている。「ラストシーンは決めている」という彼だったが、翌朝彼は姿を消した。

PART3「暗闇の天使 ANGEL IN THE DARK」(脚本 五代響子)
モトマサ(石井基正)とカズヒコ(小林一三〜樹かず)は端から見ても仲のいいカップル。二人の仲は順調に見えたが、俳優を目指すカズヒコに役が付いたことから疎遠になる。やがて「俺と付き合ってたとか言うなよな」と言ってしまう。
それを聞いてショックを受けたモトマサはカズヒコを呼び出し、人気のない古いビルの屋上でカズヒコを指す。それからモトマサの行方は誰も知らない。


宝島社から発行された「ゲイのおもちゃ箱」という本をベースにした映画。この本はタイトルは聞いたことがあるが読んだことはない。ゲイの体験談集なのだろうか?

第1話は石井のような若いイケメンが山本竜二のようなでぶのおっさんを好きなのがいい。石井基正はそれほどタイプでもないが、以前も観たことあったけど今回はものすごくイケメンに感じた。やはり「人気があった」と言わせるだけのことはある。

第2話は石井はともかく柴原の声が小さくくぐもっていて非常に聞き取りづらい。というかよくわからない。小説を書くワープロに向かって抽象的なことを言う男が翌朝にはベッドにはいない。
気づいた石井が窓を覗いて微笑む。次のカットでは柴原が電車に乗っていて、エンド。いなくなって笑うのがよくわからないのだが、これは実は「苦笑」なのだろうか?
光音座は音も画も悪いので困る。

第3話は恋人に捨てられた男がその恋人を刺してしまう、というサスペンス作品。バーのマスター池島ゆたかが語り部となる。
怖いのは基正がいなくなって1週間後、池島が墓参りに行ったらそこで基正そっくりの車いすの青年に出会うこと。車いすの青年はスケッチに自分の空想を描く。1枚目はカズヒコの顔(似てないけど)。「こんなお兄さんと仲良くなれたらなあって思って」。2枚目はその青年がナイフで刺されてる絵。思いも寄らぬ展開に実に面白かった。

ラストはオープニングに戻って石井基正が最初の男に話しかけられる。
「本を読んでくれたんだね。もっと聞きたい?」と言われ「うん」と答える。そして乗客が山本竜二や柴原や、池島、樹かずである。そしてあの子も、と言われて指を指されてにっこり笑うのが若き日の切通理作さん。
(クレジットを観てから解った。私はここ数年の切通さんしか知らないので)

1話と3話が面白く、全体的に楽しめる映画だった。






男はつらいよ お帰り寅さん


日時 2019年12月28日17:40〜 
場所 TOHOシネマズ上野・スクリーン7
監督 山田洋次


今は作家となった満男(吉岡秀隆)は妻・ひとみの七回忌を柴又の実家で行った。ひとみとの間には娘が生まれ、今は中学3年生。妻の父(小林稔侍)からは再婚してもかまわないと言われ複雑な気持ちに。
出版社の勧めもありサイン会を行う満男。そこへ初恋の人、泉(後藤久美子)が現れる。泉は大学でヨーロッパに行き、今は国連の難民支援の団体で働いていた。たまたま日本に帰国していたタイミングで満男のサイン会を知ったのだった。
泉は別れた父がもう長くないかも知れないと言うことで母(夏木マリ)と会いに行く。泉は親とうまくいっておらず、満男の家族にあこがれを抱いていた。
翌日、ヨーロッパに帰る泉を満男は成田空港まで送っていった。


今年は「男はつらいよ」映画公開50周年ということで、復活作。
現在のとらや(とは言わないか)の面々の再登場に寅さんの思い出をつないでいく。
2時間近い映画だが、半分は回想シーンじゃないか?
その回想シーンだがおいちゃんが森川信と松村達雄と下条正己がいろいろ出てきてもそこは気にしてないようである。

それにしても懐かしさと違和感が同居する映画だった。
まず冒頭。満男が泉の夢を見る。夢から覚めてタイトルという展開は依然と同じだが、笑えるエピソードにはなっていないのだな。
そして歌になるのだが、何故か桑田佳祐が歌う。いや歌うだけならいいのだが、桑田の歌っている映像がかぶるのだ。なんで桑田が出てこなきゃいけないのだ。本編で何か役があって出てくるのかと思ったらそれはなし。
別に桑田に歌わせなきゃいけないことはないだろう。

それにしても何でこういう話にしたのだろう。
少なくとも私なら車一家の現在を描くならこうはしなかっただろう。

まず満男。
作家になっている。唐突過ぎないか。そもそもシリーズ現役時代に小説大好きの文学少年という設定があったのだろうか?私は覚えてないけど。
それに昔には出てこなかった人と結婚して子供も産まれ、しかも現在は亡くなっている。なんだそれ?
私はてっきり泉と結婚すると思っていたよ。

まあ今回映画を作るに当たって、「その後の満男と泉」が話の柱にするのは分かる。二人が結婚して今は幸せ、では映画にならんのも分かる。
でも作家ってどうよ?
泉がヨーロッパで働いているのは現実の後藤久美子とオーバーラップさせてるのか?

泉の父がダメ人間で見舞いに来た泉に「これで孫に絵本でも」と1万円を渡すのはいい。その後満男に「金くれ」と言って1万円を満男が渡し、「香典の前払いだと思って」とさらに金をせびるのはちょっと悪すぎる。

ラスト、「自分は今妻を亡くしている」と打ち明ける満男。それで感極まってキスする二人。おいおい満男は独身だからいいけど泉はヨーロッパに夫と子供がいるんだろ。キスはまずいんじゃないか。せいぜいハグぐらいにしておけよ。

「家族はつらいよ」で「年収1500万円の家庭の悩み」と書いたけど、この映画の満男も裕福だなあ。彼の家はかつて博が建てた家なんだろうか?さくらたちは柴又のとらや(じゃないか)に住んでるのだから、その可能性はあるけど。
それにしても新人作家である。会社辞めている。おいおい本の売価の10%が印税だぞ。満男の本が1500円で一冊あたり150円。サイン会を開くぐらいだからそれなりに売れたんだろうけどそれでも2万冊がいいところだろう。そうするとこの本で300万円である。
正直低収入だ。これなら普通はサラリーマンを続けながら小説を書き、売れてから作家専業だろう。
満男さん、売れる前に会社辞めてあんた無計画すぎないか?

そして車も持っている。
山田洋次の頭の中には「日本では普通にサラリーマンをしていれば、家一軒と車ぐらい持てる」と思っているのだろうか?
確かにかつてならそうだった。だが今は野原ひろしが勝ち組に見えるのだ。

いろいろと不満点や疑問もあるけど、渥美清のシーンを観てる分には楽しかったな。
50周年記念のファンイベントみたいな映画でしたね。





発情物語 幼馴染はヤリ盛り


日時 2019年12月28日13:30〜 
場所 上野オークラ劇場
監督 竹洞哲也
脚本 小松公典
製作 OP PICTUERS


東京で自分レンタルのバイトをしていたテル(櫻井拓也)は故郷の青森に帰ってきた。十和田湖の湖畔でたたずんでいるとドローンが頭を直撃。当てたのは幼なじみの道夫だった。ドローンで空撮の練習をしていた所を操作を誤ったのだった。道夫は「映像の仕事がしたい」と言って青森を出て東京に行ったのだが、最近帰ってきたのだが元気がない。
テルは同じく幼なじみの雅美(川上奈々美)とも再会。雅美は市役所に勤めていて、同じく市役所で働く道夫の父親の元で働いていた。
住民を増やすためにCM映像を作ろうとしていて、テルにも手伝ってもらうことになる。そこでデリヘルをしながらアイドルをしている川野光、あだ名はリバたん(辰巳ゆい)と知り合う。リバたんは強引にこのCMのプロジェクトに参加してしまう。
しかし道夫は元気がない。いったいどうしたのか。


今年9月に急逝した櫻井拓也の最後の出演作。
9月中旬に竹洞組で「不倫、変態、悶々弔問」と2本撮りで撮影された。この映画の撮影の翌週に櫻井君(あえて君と呼ぶ)は急逝した。まさかこの2本の撮影の翌週に亡くなるとは誰も(もちろん本人も)思っていなかった。

本作は「サイコウノバカヤロウ」の続編で自分レンタルのテル再び登場。
櫻井君の代表作のテル役の続編が最後になったのは不幸中の幸いだった気がする。

リバたんや雅美と妄想の中でセックスするテルなので、話の中では彼はずっとやってない。この妄想シーンが面白く、CMの打ち合わせの会議で会議室にテルしかおらずにそこで雅美がやってきて「今日はみんなこれなくなっちゃったんだって」と言って二人で会議室で始めるシーンはワンカットで妙に長い。この長いカットでたっぷり魅せるのはベテラン櫻井君と今オークラで実力派(と私は思っている)川上奈々美ならでは。

また辰巳ゆいとは同じく妄想の中で風呂に入っているテルの元にアイドルのコスプレをしているリバたんが入ってきてそのまま始まるという楽しいシーンでよかった。

道夫は東京で映像の仕事をしている時にいやな思いをしたので帰ってきたという説明があるのだが、具体的になにがあったかは出てこない。
ここは私としてはちょっと弱いと思う。これが示されないと彼が引きこもりに近い状態なのがもっともなのか、甘いのかがよくわからないからどうもラストに盛り上がらない。
(父親は映像の仕事をさせようとしたが、かえって逆効果だったという説明がある)

このあたりがもっと長いR15版ならはっきり描かれているのだろうか?この辺が惜しいなあ。
ラストはドローンを使って引きこもった道夫を雅美が呼びかけて外に出てこさせ、それをリバたんがスマホで撮影した映像でCMは使われ「やり直せる町」というコピーがつくというオチ。
ここはちょっと感動しました。

ちょっと全体的に弱い気もするが、それでも櫻井君のユーモラスな演技が楽しめる作品。
もう一度言うがこれで最後だったのは不幸中の幸いだった。
本当に残念。

ちなみにこの映画で櫻井君が履いていた七分丈のハーフパンツは「オレとアイツの集金旅行」で履いていたのと同じものだった。
同時上映は加藤義一の「白衣の妹 無防備なお尻」小川欽也の「湯けむりおっぱい注意報」で櫻井拓也祭り!
オークラの櫻井君に対するリスペクトが感じられる番組編成だった。
櫻井君、お疲れさまでした!





スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け


日時 2019年12月27日19:30〜 
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン9
監督 JJ・エイブラムス


ストーリー省略。というよりよくわからなかったのである。
これは別に難解な映画、といっているわけではない。
スターウォーズは新3部作の時からそうなのだが、前作の内容をすっかり忘れているのである。今回だって、レイというフォースの使い手が主人公で、敵方にカイロ・レンというレイアとハン・ソロの息子がダースべーダーの役割をしているということぐらいしか覚えていない。

だから誰が誰やらさっぱり分からなくなる。
シスって何?っていう感じだから、フードをかぶった爺さんが出てきてもあんた誰?っていう感じ。
もう完全に私が悪い。
じゃあ鑑賞前に前作をソフトで見直せばいいのだが、そこまで好きじゃない。

そもそも僕にとってはスター・ウォーズは77年の第1作だけ面白くて最初3部作でも2作目3作目は熱が冷めてしまっている。
だから「スターウォーズ好き!」っていう人がうらやましい。
その分ゴジラとか好きなのはありますが。

亡くなったキャリー・フィッシャーが出演してるのはなぜだろう?
パンフレットにもそのことは触れられていない。そこを知りたくてパンフを読んだのだが。意識してみるとレイア将軍のカットだけ、色合いが違う気がする。オールCGなんだろうか。Twitterで「前作の未使用カットをつないだ」という意見を見たけど、そしたらせりふとかどうしたの?

またハリソンフォードがハン・ソロとしてカイロ・レンが改心して死ぬ直前に幻想として出てくる。それはいいのだがエンドクレジットでハリソン・フォードの名前がないのだよ。
見逃したのかと思ったら、Twitterで同じことをいってる人がいたから間違いない。
パンフレットにも触れられてないようだし、こちらも何か事情があるのかなあ。

バラバラな感想だが、ポーというキャラクターがハンソロのポジションを演じているのだな。それにしても全体的にキャラクターが増えすぎて、なんだかガチャガチャとしてよく分からない。
前から思ってるのだが、「スター・ウォース」は作品ではなく商品になりすぎて、2次使用の為だけに作品を作ってる気がする。
ああ純粋に作品だった77年版が懐かしい。

ラストの大艦隊を前にしてポーが演説するけど、アメリカ人ってああいうの好きだなあ。宇宙人と対決するような戦争ものではたいてい出てくるよ。
大艦隊を前にして万事休す!になったところで助けがくるには77年版のリメイクともいえ、お決まりのお約束である。
でも旗艦の船体に反乱軍(いまはレジスタンスらしいが)が乗っかって戦うところ、マスクも何もつけてないけど、ここは宇宙じゃないの?地表に近いの?と不思議に思った。
どうでもいいけど。

ラスト、どのような結末を迎えるのかと思ったら、名前がしかなく名字がなかった主人公のレイがタトウィーン星みたいな自分の故郷(たぶん)でばあさんに「名前は?」と聞かれ「レイ・スカイウォーカー」と答える。
おいおい勝手に襲名していいのかよ?
まあラストでは改心したカイロ・レンとキスしたから「結婚した」と拡大解釈も出来るし、ルークとレイアが遠くから見守ってたからいいんだろうけど。
血はつながってないし、女系ですね。そういうのを気にすることはないのだろう。

というわけで終わってほっとしている「スター・ウォース」。
どうするのかね。また10年ぐらいたったらやるのかな。
ディズニーとしてやってほしいだろうけど。






ヘアピン・サーカス


日時 2019年12月20日21:00〜 
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 西村 潔
製作 昭和47年(1972年)


島尾俊也(三崎清志)は仕事の帰り道で立ち寄ったドライブインの駐車場である女性と再会した。彼女は小森美樹(江夏夕子)。自動車学校の共感の島尾が1年前に教えた生徒だ。彼女はこちらの言うことも聞かずに校内のコースでスピードを出し、危険な運転だった。
島尾はかつてはレースドライバーだった。しかし海外のレースでライバルチームのドライバーが自分と競っている時に事故を起こし死んだ。そのことがあってレースの世界からは抜けていたが、かつてのチームオーナーの野田(睦五郎)は島尾の復帰を願っている。
島尾からチーム復帰を誘われた晩、帰り道で小森と再会。送っていくという小森。しかし小森とその仲間たちは路上で適当な車をターゲットにし、あおり幅寄せを繰り返し、追い込んでカーブで事故を起こさせ、それを「撃墜」と称して楽しんでいた。
島尾はスピードをもてあそぶ彼らに怒りを覚え、野田から車を借り、子守たちを待ち伏せする。
そして逆に彼らを追い込んでいくのだった。


ラピュタ阿佐ヶ谷での「東宝ニューアクション特集」での上映。他には「狙撃」「豹は走った」「白昼の襲撃」「野獣狩り」などが上映された。観ている作品ばかりだったが、この「ヘアピン・サーカス」は観てなかった。

原作は五木寛之の同名の短編小説。内容はカーアクションもの、ということだけしか知らずに観た。出演者の名前を観てもトップに書いてある二人は知らない。ポスターを観ても夜に車のヘッドライトが写ってるだけ。(一応車はトヨタ2000GTらしいとは解ったが)

主演の三崎清志さんは役者ではなくドライバーだそうだ。「カーアクションの映画だから本物のドライバーを役者にしよう!そうすると迫力あるシーンになるぞ!」という発想なのか、「どうせカーアクションはプロのドライバーなんだから俳優費節約のため、ドライバーの人に役者もやってもらおう」という発想なのか、とにかく今までの常識ではないキャスティングである。

まあ評価はいろいろあろうが、私は否定する。
やっぱり主役が演技ができないではまるで映画に魅力がないのである。
無表情のまませりふをいい、無表情で運転する。まるで面白くない。これがまあ黒沢俊男あたりが演じていたら、登場人物にも魅力がでて映画自体も面白くなったのではないか。危険な運転はドライバーがやって運転席での顔のアップなんてプロのドライバーだって運転中に撮影は困難だろうし。

あと肝心のカーアクションが夜。しかも街頭のない埠頭などでのシーンなので、暗くてよくわからない。解らないと言うことはないんだけど、それにしてもよく写らない。
登場する車も小森のトヨタ2000GTとか島尾の60年代クラウンとか小森の手下のセリカとか、後半の島尾のスカイラインとか車を知らない私でも知ってる車なのに、夜のカーチェイスではその魅力が生かされない。
これが昼間なら車もよく写ってよかったのになあ。
もっとも夜の話だから話がつながらなくなるけど、そこはなんとか脚本でカバーしてほしかった。

好きな人もいるから否定しないけど、私はがっかりの映画でした。他の東宝ニューアクションに比べ上映機会も少ないし、ソフトも東宝からでてないようだし、結局私としては「人気ないんだろうな」と思わせる映画だった。





カツベン!


日時 2019年12月15日11:30〜 
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン2
監督 周防正行


子供の頃から活動写真が大好きで弁士のマネばかりしていた染谷俊太郎(成田凌)。10年後、弁士になるにはなったが、それは泥棒の片棒を担ぐことだった。田舎を巡回して人が集まる場所で活動を見せている間に留守になった人々の家を荒らし回るのだ。俊太郎はいやになって追っ手に追われたときに彼らのトランクに詰められた金を奪って逃げてしまう。
そしてある町の青木館という映画館が人手が足りないと聞き、館主(竹中直人)に頼み込んでまずは雑用係で働き始める。
この青木館では茂木(高良健吾)は主任弁士として人気を得ていたが、近くのやくざの橘(小日向文世)が始めた映画館から引き抜きが始まっていた。
また俊太郎が子供の頃にあこがれた弁士山岡(永瀬正敏)がいたが、今はアル中である。ある日山岡が飲んだくれて使えなくなって番組に穴が空きそうになったとき、俊太郎が「俺がやります!」と言ってやらせてもらう。
子供の頃からの芸で様になっている俊太郎は「全盛期の山岡を思わせる」と評判。
一方子供の頃の幼なじみの松子(黒島結菜)が女優として戻ってきた。
だが橘から迫られていた。


周防監督新作。かつての無声映画時代のあれこれを描くとは映画ファンとしては面白そうである。
しかしちょっと外されたなあ。

まず物語の中心となる青木館に行くまでが長い。
子供の頃の便所から映画館に進入するエピソードから始まって俊太郎が泥棒団で活動するのが描かれ30分ぐらい費やされる。
こっちとしてはどうにもプロローグが長すぎていらいらする。

私なら青木館から話が始まって俊太郎がやってきて泥棒団を追う刑事(竹ノ内豊)がやってくる形で話を進める。
便所から映画館に入るエピソードなどあとで入れればよい。

んでラストで例の俊太郎が奪った金を巡って橘側が青木館を家捜しし、フィルム倉庫にあったフィルムをバラバラにしてしまう。
「明日どうする?」となって残ったフィルムをつなぎ合わせてそれで活弁しようとする。

編集と音でなんとかする、というのは周防監督のピンク時代経験からきてるかも知れない。なにせピンクの現場はある日に撮影して翌日に続きを撮りに行ったら雪が降ってまるで風景が変わっても撮ってつなぐ現場だからな。

「カツベン!」に話を戻すと、俊太郎は橘に捕まった松子を助けに行って遅くなる、さて間に合うか?というクライマックスのはずだが、助けに行ってもたもたし、また青木館に戻るあたりで「二人で逃げましょう」「いや僕は行けない。用事を済ませてくるから駅で待っててくれ」というあたりでまたもたもた。
観てる私ははらはらではなく「いらいら」する。

私としては松子を助け出したらダッシュで戻って編集でつないだ映画をちゃんと見せてほしかった。その方が「私は」面白かったなあ。

松子は結局女優を辞めるつもりでいたが、映画監督(池松荘亮)に誘われて京都の撮影所に向かう。
この監督が後の板妻の「雄呂血」を撮ることになる。

青木館は最後には橘との争いから火事になるのだが、俊太郎が残していった金が見つかり再建資金にされるっていう展開だが、おいおい盗んだ金だぞ。私はそういう展開は好みじゃないなあ。

映画の途中で今はアル中になった名弁士山岡が「映画はすでに完成している。活弁がなくても映画は成立するが、活弁は映画がなくては成立しない」と言っていたが、捕まった俊太郎は刑務所の中で映画はなしで弁だけを監房で行い、周りの囚人から喝采を浴びる。
言ってることが矛盾してる気がするが、これは周防監督なりに「いやそんなことはない!活弁だけでも映画は成立する!」と言いたかったのだろうか?

「関東大震災からあとは・・・」というせりふがあるので、舞台設定は大正の末か昭和の初めなのだろう。するとトーキーの時代はすぐそこである。
「トーキーの到来で活弁は必要なくなった」というあたりまで描いてほしかったが、それは周防監督にはなかったのだろう。

映画が終わってから「日本には活弁があって本当のサイレントではなかった〜稲垣浩」と出てくるが、これはトップに持ってくるべきではなかろうか。
それと冒頭の東映マークが観たこともない白黒のマークになっていた。
サイレント期には東映はなかったので、かえって違和感しかなかった。






東京の恋人


日時 2019年12月14日18:30〜 
場所 アップリンク吉祥寺・スクリーン3
監督 下社敦郎


群馬県に住む大貫タツヤ(森岡龍)は東京に住む大学の先輩を訪ねた。二人は大学時代に自主映画を作っていた。先輩は今は体を壊し、生活保護を受けながら風俗で働く妻に養ってもらっていた。先輩はかつては映画も評価されたこともあったし、大貫自身も脚本で入選したこともあったのだが。
翌日、かつての恋人マリナ(川上奈々美)に会う。駅前であったのだが、マリナは「海に行こう」と車で海に向かう。
浜辺でマリナの写真を撮る大貫。そして二人はホテルへ。ホテルで彼女の写真を撮るうちに二人は体を重ねる。
今は二人とも結婚しており、「W不倫」だ。
別れ際に「昔のテープがあった」とビデオテープを渡すマリナ。
群馬に帰ってから、妻が実家に泊まってくると言う晩、そのビデオを再生してみる。
そこにあったのは過去に撮ったビデオではなく、彼女からのメッセージだった。


「MOOSIC LAB 2019」での上映。監督は最近のいまおかしんじ作品の音楽を担当している下社敦郎さん。
音楽だけでなく、自身も自主映画を監督なさっている。

私自身、学生時代に自主映画を撮っていた時代もあったから、主人公の挫折感は伝わってくるものがある。
しかしどんな人だって挫折感はあるのだろうな。
映画監督になっても「俺はこの程度の作品しか撮れない。それに比べて○○監督は」と忸怩たる思いを抱くのだろう。
満足してしまえば挫折感もないが、その代わり何の進歩もないだろう。
それがいけないとは言わないが。

マリナのくれたテープには彼女が自撮りした告白が描かれる。
「あなたは私にとって大事な人。私と分かれるんだから懲役18年ぐらいは食らいなさい」という趣旨。
こういう誰かの残された手紙を見て涙する、ってよくあるパターンだとは思うが、それでもやっぱり心は動かされますよ。

出演の川上奈々美はやっぱりいいですね。
竹洞監督のピンク映画は何本か拝見していますが、彼女は今オークラ映画にでている女優さんではトップクラスで私はお気に入りです。

自主映画を撮っていた人ならこんな美人と付き合ってそして別れた後もこう言わたいと思うのは普通です。
今日、同時上映で観た「テラリウムロッカー」が女性目線だが、この映画は一種の男性の夢である。
ラストのテープのシーンなど「ベタだ」と批判するのは間違いじゃないけど、私は好きですね。





テラリウムロッカー


日時 2019年12月14日18:00〜 
場所 アップリンク吉祥寺・スクリーン3
監督 葛 里華


ある会社のOLの岡本さん。会社の自分のロッカー内に水槽を入れ、そこで植物を育てていた。
ある日会社の花壇を手入れしてる人と知り合う。植物のことを聞いているうちに例のロッカーの自分の花壇を見せることに。彼は「これでは日が当たらない」という。岡本さんは中にランプを取り付けるが「これは本物じゃない」と言われる。
自分をやたら食事に誘ってくれる男性社員がいる。


「MOOSIC LAB 2019」内での上映。30分の短編。
「東京の恋人」が目当てて見に行ったのだが、同じプログラムの同時上映。

見終わって舞台挨拶があったのだが、監督は若い20代の女性。
「ああなるほどねえ」って思った。いいとか悪いではなく、主人公の「岡本さん」と同世代の女性らしい葛藤だ。

岡本さんの仕事は朝早くきてお茶の準備をし、新聞を整理し、会議の誰も読まない資料をコピーする。
「私の仕事なんか誰でも出来る」と自分の存在価値を見いだせない。
そこで会社に行く目的を「ロッカーの植物を育てること」に見いだそうとしている。

「自分てなんで存在してるのだろう?私なんかいなくたって誰も困らない」と悩んでいる。
それは何となく解る。男だって、おじさんになってもやはり「自分がいなくても」と思うことはあるだろう。そもそも会社とは「誰か一人が抜けても大丈夫」のように出来ている(あるいはしている)のだから、そう思えてくるのは無理もない。

岡本さんは結局はロッカーから植物をだし、自分の机の上に水槽をおけることを主張する勇気を持った。
そういうところに共感する人も多いのだな。
それはよくわかった。







屍人荘の殺人


日時 2019年12月14日12:30〜 
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン4
監督 木村ひさし


神紅大学のミステリー研究会の学生・葉村譲(神木隆之介)は先輩の明智恭介と学内の事件を解決する日々。人は二人をホームズとワトソンと呼んだ。そんな時、剣崎比留子(浜辺美波)という女子大生から、近くフェス研究会で行われる合宿に同行してほしいと言われる。最近部室で「次の生け贄は誰だ?」というメモが見つかったので何か事件が起こるのではと心配したのだ。実は剣崎も学生探偵で腕は明智より上らしい。
葉村は剣崎の可愛さに見とれて承知する。
フェス研の合宿というのは長野県で行われる音楽フェスの会場の近くにあるOBの七宮(柄本時生)が持つ別荘で過ごすということだった。
しかしこの七宮とその友人の立浪(古川雄輝)の目的はやってくる女子大生らしい。
ところがフェスの会場でゾンビが発生した。どうやら何者かがウイルスを観客に注射し、ゾンビ化したのだ。
フェス会場から別荘に逃げ帰る彼らだったが、明智はすんでのところでゾンビに捕まってしまう。
別荘に取り残された彼ら。翌朝、フェス研の部長の進藤が死体で発見される。ゾンビに襲われたようにも見えるが、いつゾンビが来たのか。そして立浪もゾンビに襲われた死体で発見された!


神木隆之介、中村倫也、浜辺美波のトリプル主演によるユーモア本格ミステリーと思って見に行ったら大違い。大違いでもないのだが、予告編やチラシ、そしてパンフレットでも触れられてない点がある。
それはゾンビの登場だ。知らなかったからめちゃくちゃ戸惑った。
原作は出てるから読んでる人は知ってたろうけど、映画で初めて、という人は戸惑ったんじゃないだろうか?
だからそのゾンビが登場してもしばらくは「夢のシーンとか?」という疑いが晴れなかった。

しかしどうやらゾンビは(映画中では)本物。この設定は参ったなあ。
閉じられた別荘での殺人事件というのは「雪で交通が遮断された」とかはあるけど、ゾンビを持ってくるとは!
想像の斜め上をいく展開である。

その上トリプル主演だと思っていたのに明智は早々にゾンビにやられてしまう。後半になって出てくるかと思いきや、全く出てこない。
(ラストのワンシーンだけ)これも驚いた。
中村倫也ファンは怒り出すんじゃないか?ポスターとかチラシでは3人が同等の扱いだぞ!

それを除けば犯人はだいたい予想の通りでそれほどの意外性はなし。
本作の面白さは神木隆之介である。
ヘタレな助手で剣崎に誤って覆い被さってついキスしようとしてしまったり、「死体を片づけてくれたらキスしてあげる」と言われ、喜々として行うところなど爆笑である。

また全体的に明智との会話の間など上質な漫才を観てるようで実に心地よかった。

ゾンビが出てくるという展開に大いに戸惑ったが、神木のコミカルな演技に魅了された。この点はよかったと思う。





催眠


日時 2019年12月13日 
場所 DVD
監督 落合正幸
製作 平成11年(1999年)


一晩に3人の不審な自殺があった。一人は妻の誕生日を祝う老夫婦の夫、一人は結婚式の披露宴で新郎が、一人は足が折れるまで無茶な走り方をした陸上選手。不審だったが目撃者もいて他殺とは思えない。
刑事の櫻井(宇津井健)は疑問を持ちながらも手がかりがない。たまたま犯罪者の心理についての講習を行っていた嵯峨(稲垣吾郎)は「催眠による暗示を受けていたのではないか」と仮説を立てる。
ならばその催眠をかけたのは誰だ?
テレビでエセ催眠術師の実相寺(升毅)が若い女性に催眠術をかけるのをショーにしていた。そこでその女性が「みどりの猿」というのを聞く。
実は自殺した人々も死の間際に「みどりの猿」とつぶやいていた。彼女、入江由香(菅野美穂)を調べ始める櫻井たち。由香は拒食症で入院歴があったが、病院スタッフからそのときに催眠をかけられもてあそばれていたらしい。
彼女に対する取り調べが始まったが、逆に櫻井たちは彼女に暗示を与えられてしまう。実は由香は多重人格で、人に催眠をかけ死に追いやっているのだった。


90年代末から2000年代の始め、「ジャパンホラー」というジャンルが少し流行った。といってもそれほど何本もできた訳じゃなかったが。
確か「リング」の成功から「割と低予算でできるヒット路線」ということで流行ったのだ。(この後は「病気で恋人や夫か妻が死ぬ路線」「少女コミックの実写化路線」が流行ることになるのだが)

封切りの時にも見ていたが、20年ぶりに再鑑賞。
不思議な事件が起こり、それを追っていくと真相は?というミステリーで、この作品では人の死に方がえぐかったりして「ホラー」(というかグロなんだけど)である。
「リング」は「死者の魂」というオカルトだったが、本作は「催眠」という医学でもまだ解明し切れてない心の問題で割と科学的。

だからといって面白い訳でもないんだが。
入江由香がテレビに出ていることから安易にたどり着く。ここまでがミステリーだともう少し何重かの聞き込み、捜査があってたどり着くのだが割と安易である。

その後の展開ももたらもたらとしてなにやら展開が遅い。
もう少し展開にメリハリがあったらなあ、と思う。
追う側が櫻井刑事と嵯峨なのだが、観るこっち側の問題なのか宇津井健の方が存在感が大きく、稲垣吾郎はどうにも弱い。
ここで主人公のキャラクターが弱いので、櫻井が死んだ後はどうにもますます失速してしてしまう。
この辺がどうにも面白くない(家で観ていて後半眠くなり、「あと10分で終わる。がんばろう」と思いながら観ていた)理由かな。
いやこの映画110分あるのだが、90分ぐらいだったらもう少し締まった展開になってよかったのではないか?

宇津井健は映画は「新幹線大爆破」以来24年ぶりの出演。警察署長に中丸忠雄、櫻井の上司に大杉漣。この3人とももうこの世にいないと思うと隔世の感がある。
また稲垣吾郎と菅野美穂はこの映画の共演で仲がよくなり交際へ発展していったとか。
ちなみにチーフ助監督は手塚昌明。

午前0時、キスしに来てよ


日時 2019年12月7日12:30〜 
場所 グランドシネマサンシャイン・スクリーン11
   新宿ピカデリー・スクリーン2(16:30〜)
監督 新城穀彦


花沢日奈々(橋本環奈)は勉強一筋の高校生だが、実はシンデレラのような王子様との恋にあこがれていた。
彼女の高校に元アイドルグループのリードボーカルで今は俳優となった綾瀬楓(片寄涼太)がロケにやってきた。エキストラとして参加する日奈々。
休み時間に綾瀬が女子高生のお尻を観て「やっぱ女子高生のお尻はムチムチだなあ」とつぶやいているところを見てしまう。そのとき綾瀬と目があってしまう日奈々。
翌日、映画が始まるまでの時間つぶしにゲームセンターでクレーンゲームをしているときに綾瀬と再会する日奈々。どうやら綾瀬は日奈々に好意を持っているらしい。


よかった。2回観た。1日に2回同じ映画を観るのはいまおかしんじの「白日夢」以来かと思ったが、韓国で2014年にギャレス・エドワーズの「GODZILLA」を観ている。でも「GODZILLA」は「わざわざソウルまで行ったから出来るだけ観なきゃ!」と思って観たからなあ。必ずしも映画の出来の問題ではない。

ただしこの面白さは極私的な面白さであって、万人にお勧めしたりしない。自分自身が「スターの恋」というテーマに非常に興味があって自分でも書いたからだ。

映画はこの後、綾瀬の撮影時のキスシーンを日奈々が目撃してしまったり、綾瀬の部屋に遊びに行ってドキドキしたりの徐々に二人の関係が深まっていくのが描かれる。
そして綾瀬の元カノの美人女優が復縁を申し出たり、その二人がキスしてるところを目撃したり、日奈々は日奈々で幼なじみの男子、浜辺彰(眞栄田郷敦)が告白してきたりとこの手の少女コミックの定番の展開。

「ローマの休日」を観たときに「これ以外の展開はあり得ない完璧なストーリー」と思ったが、今回も「これ以外の展開はあり得ないな」と私は気に入った。(というか私が書いた本でも似たような展開になるのだ)

最後はマスコミにばれることになり相手が女子高生ということで叩かれ、結局は別れる。
そして3年後、日奈々が20歳になって再会するというハッピーエンド。
彰が結局は身を引くのだが、二人を再会させようと映画館のチケットを渡し、「一緒に行こう」と行っておきながら結局は「行けなくなった」とメールを送る。
その直後の彰のカットがすごくいい。せりふもないのだが、あの表情で自分が身を引いたことを分からせる。

周りのすべての人(綾瀬のマネージャー役の遠藤憲一がいい)に助けられて再会して付き合い出すというハッピーエンド。

出演では片寄涼太がスターらしくていい。歌手出身の俳優、という役柄で、自身のキャリアとあわせてもぴったりである。これが福士蒼汰や山崎賢人では歌手のシーンが浮いてしまうだろう。
また橋本環奈ってあまりいいイメージを持っていなかったが(たぶん「ハルチカ」で好きになれなくなったから)、今回は女子高生役で好演。こういう少女コミックものでも女優に魅力を感じないと猿芝居にしか見えないからなあ。

とにかくよかった。この良さは私にとってだけだろうけど。









ナイアガラ


日時 2019年12月4日 
場所 Bru-ray
監督 ヘンリー・ハサウエイ
製作 1953年(昭和28年)


ポリー(ジーン・ピーターズ)とレイ(ケイシー・アダムス)はレイが勤務する会社のコンテストに入選して、賞品のナイアガラの滝旅行にやってきた。
自分たちが泊まる予定だった滝の見える部屋にはまだ前の宿泊客がいた。妻のローズ・ルーミス(マリリン・モンロー)は夫・ジョージ(ジョゼフ・コットン)が体調が悪いので延泊を申し出る。ポリーは快く承知した。ポリーとレイはナイアガラ見物に出かけたが、人影のない場所でローズが夫以外の男、パトリック(リチャード・アラン)とキスしているのを目撃してしまう。
翌日、ジョージが行方不明になったとスターキー警部(デニス・アダムス)は連絡を受ける。付近を捜索したところ、男の死体が発見された。
スターキーはローズに遺体を確認してもらう。ローズは夫と認めたが、その場で倒れてしまう。誰もが夫の死がショックで倒れたと判断した。
ポリーとレイが元々泊まる予定だった部屋に変えてもらった。ポリーが一人でうたた寝をしているとき、男が入ってきた。なんとそれはジョージだった!


確か初めてニューヨークに行ったときの機内での上映された映画だったのがこのナイアガラ。(初めてニューヨークに行ったとき、というのが実はあやふやなのだが、とにかく海外旅行に行った時の機内上映というは間違いない)

いや実は上映されたのは知っていたが、観なかったのである。知らない映画だったし到着してからの時差ボケ予防の為に睡眠を優先させたのだと思う。(ちなみに初めてのニューヨークの時、が正しければ黒澤の「用心棒」も上映された)
その時に少しは観たのだが、それはクライマックスで滝に船が落ちそうになるシーンだった。

そんなこともあって30年弱気になっていたが見なかった映画。今回先月末にアメリカ発売版ブルーレイ(日本語字幕・吹き替え声付き)を安く買ったので観た次第。

こういう映画だったのかあ、というのが素直な感想。サスペンス映画だがどうにもバランスが悪い。
(ちなみにマリリン・モンローの初カラー映画だそうだ。彼女の代表作はこの映画の後になるので、この「ナイアガラ」の頃はまだまだ新人である)

本来なら主役はポリーのはずなのだが、マリリン・モンローやジョセフ・コットンの方がクレジットでは格上である。
ローズの不倫の現場を目撃したり、ルーミスに襲われるのはポリー。
普通に考えたらポリーを主役にして彼女の巻き込まれ型サスペンスにすればいいのだが、役者の格の問題からなのか、ファーストシーンは妻の不貞や戦争の後遺症で精神が不安定になっているジョージの苦悩から描かれる。

この辺が惜しいなあ。
それと結局ジョージはロースを殺してしまい、自分もアメリカに逃げようとするが検問があって逃げられない。たまたまポリーたちが釣りに出かけていた船を奪って逃走。この時にポリーも乗っている。もともと燃料の少なかった船は途中でガス欠になり、滝に流されそうになる!というのがクライマックス。

あと生きていたジョージが自分が生きていることを黙っていてもらうために滝でポリーを追いつめポリーが滝に落ちそうになるとところとか、クライマックスもあって見所はある。ただし特にラストの滝のシーンなどはヒッチコックだったらもっと盛り上がったろう。

あと不倫相手とローズが連絡をとるときに、土産物店の絵はがきに書いて、目で合図して伝言を伝えるシーンは小技が利いていてよかった。
あと書かなかったけど、ナイアガラの滝を全編に渡って堪能できる観光映画としてもよかったと思う。







こんな、ふたり


日時 2019年12月1日12:05〜 
場所 光音座1
監督 池島ゆたか
製作 ENK 1998年


淳之介は大学で美術史の講師、和彦は会社員。二人は同棲している。
和彦は30歳になり、会社の同僚のマリコ(林由美香)から言い寄られ、飲み会のあとについホテルに行ってセックスをしてしまう。
数ヶ月後、マリコから妊娠したと告げられる。一方淳之介も実は過去に結婚しており、別れた妻との間に椿という息子がいた。椿の誕生日にプレゼントを送ったが宛先不明で戻ってきた。
マリコの件を淳之介に話す和彦。3人で話そうという淳之介。3人との話し合いの中で淳之介はマリコが子供を産んで和彦と淳之介で育てるのはどうかと提案。マリコも「結婚できないならそれもありか」と承知する。
3人は楽しそうに将来について話し合う。
そんな時、淳之介の元に「椿は亡くなった」という手紙が元妻(吉行由美)来る。驚いた淳之介は妻に電話する。元妻は息子は死んだ、事故だった、今度再婚するを繰り返すばかりで何も言わない。しかし実は息子を淳之介から切り離す嘘だったのだ。
またマリコにも専務の息子との縁談が持ち上がった。マリコはそれに乗り、妊娠中の子供は堕した。
それを聞いてやけになり、公衆トイレで知り合った男と一夜を過ごす和彦。一方淳之介も大学の研究生(樹かず)から誘われホテルへ。
いろいろあった二人だが、元の生活に戻った淳之介と和彦だった。


脚本・五代暁子、監督・池島ゆたかの名コンビ。
話のメリハリはあるし、ゲイ映画としては質のいい方だと思う。今日の同時上映は小林悟監督の「走る男たち」。話はすっかすか。それに比べれば何倍も上出来である。
ただし好きな映画と聞かれればノーである。

まずゲイが子供をつという発想が好きになれない。
現実に自分で子供を持とうとするゲイがいた場合、それをあえて止めはしない。しかし自分の問題に置き換えて考える場合、私は反対である。
ゲイは子供を持つべきではないと思う。
ゲイは生物として子供を有する能力はない。ならば子供を持つべきではない。やっぱり親子とは父親と母親がいるべきだと思う。同じことを言うが誰かがやろうとしても止めないが。

また淳之介の元妻は子供の椿には父親がゲイだとは絶対に許せないのである。あきらかにゲイを否定する。

こういうゲイについての問題意識のある映画はテアトル新宿とかケイズシネマでやるべきであって光音座で上映する映画にはふさわしくない。
光音座にゲイ映画を見に来てる人たちは世間のしがらみを忘れて、純粋にゲイになって楽しむのである。
そういう中において「ゲイとは?」みたいな問題意識を持った映画はふさわしくない。と思う。

そういう意味では小林悟のおバカ映画もまだ好感が持てる。
映画の方も淳之介も和彦も行きずりのセックスをし、このまま別れてしまうのかと心配した。

淳之介と和彦がラストでは争って別れてしまうのかと思ったが、結局元の鞘に収まったので、ほっとした。

ウエルメイドなのだが、好きになれない映画だった。