メル・ギブソン/特別奇襲戦隊・Z日時 2020年3月30日 場所 シネフィルWOWOW 監督 ティム・バーストール 製作 1981年 1945年1月。太平洋の南西サンバナ島にオーストラリアの特殊部隊「Z」が潜水艦で島に近づき、カヌーで上陸した。 隊長はケリー大尉(メル・ギブソン)、そして中国語を話せるヴェイチ(ジョン・フィリップ・ロー)、コステロ(サム・ニール)、他2名。 しかし上陸してすぐに日本軍の攻撃によってメンバーの一人が足を負傷した。歩けないと分かったことで、仲間の手によって殺されてしまう。 目的地の途中で民家を発見。中国人が住む一家だった。 一家の主人は日本軍に妻を殺され、憎んでいた。Zに協力することになる。 山中に墜落した飛行機を追ってきていた彼ら。しかし乗員がすでに村に避難したと知る。Zの目的は日本の終戦工作の需要人物として飛行機に乗っていたロンドン駐在外交官の今口を救出することにあった。 日本軍の今中中佐はZの捜索隊を出す。 オーストラリア=台湾合作映画。日本では劇場未公開で、ビデオ発売だけだったらしい。今回シネフィルWOWOWで放送され、「日本軍がすごい(たぶん変な意味で)」と聞いたので録画してみてみた。 端的に言ってつまらない。 まずつまらない原因がZのメンバーが何しにこの島にやってきたのか、しばらく分からない。 あえて「彼らの任務は何でしょう?」とミステリー的に引っ張っているわけでもないようだ。単なる説明不足なのだ。 そんなの最初に説明しなけりゃいかんでしょう。 で結局村へ行ってみたら、その今口はすでに村人によってかくまわれていた。 あっさり見つかってさあ連れてこうではひねりがなさすぎる。 たとえば「ナバロンの要塞」や「荒鷲の要塞」のような敵味方の丁々発止の知恵比べ、と言ったものは皆無。 これでは盛り上がらないよ。 それにメル・ギブソンが隊長なのだが、大した指揮もせず存在感が薄い。 というかみんなあんまり隊長のいうこと聞いてない。 見せ場らしいのは最後にその今口を連れて帰るとするのだが、今口は足を怪我していて歩けない。だから担架で連れていく。 Zのメンバーも一人、また一人とやられていく。 結局、メル・ギブソンが地元の船に今口を乗せるのだが、船に乗って落ち着いたところで今口をよく見たら、死んでいた、というオチ。 仲間も全員死んで、今口も死んで「戦争はむなしい」的厭戦ムードを出されてもなあ。 一応メンバーのヴェイチが地元の娘チェン・ホアと恋仲になり、「俺はここに残る!」と言い出す。おいおい気持ちは分かるけど、脱走兵になりゃしないか? 隊長がしっかりしてないからこんなことになるんだよ。指導力なし。 作戦も失敗して、部下も全員死亡して、部隊に帰ってら降格ものだな。 これは日本未公開だったようだが、それも納得のB級映画。 ちなみに日本人役はクレジットを見るとすべて台湾人みたいだ。 日本劇場未公開も納得の出来だった。 今日、昼間「MIDWAY」を観たので、その落差に驚いた。 MIDWAY日時 2020年3月29日 場所 アメリカ版blu-ray 監督 ローランド・エメリッヒ 製作 2019年 2019年にアメリカで公開されたローランド・エメリッヒ監督の「MIDWAY」。日本では2020年秋公開と言われているが、新型コロナウイルス問題で「007」をはじめ多数の映画が公開延期になっているので、その余波を受けてどうなるかわかったものじゃない。 ユニバーサルとかコロンビアなどのメジャーではなくLION GATEという会社の映画。調べてみたらホラー映画の「ソウ」とか作った会社。さらに中国資本も入った映画だが、そんな中小の会社の映画など、公開どうなるかなあ。 先日、ディスクユニオン・シネマ館に行ったらすでにブルーレイが入荷していたので、早速アメリカアマゾンに注文した次第。(最近は1週間で到着する) 最近1976年ジャック・スマイト版の「ミッドウエイ」が映画チャンネルで放送され、それを録画して事前に復習してから今回鑑賞。 1937年の東京の清澄公園でのアメリカ大使館海軍駐在武官補佐レイトンのシーンから始まる。この後、レイトンは山本五十六(豊川悦司)を囲んでの会食に参加。その後、二人で少し会話をするシーンもあり、「信頼できる情報ではあなたのコップの中はお茶だとか」と山本が下戸だったことも描かれている。 そこで「あなたはアメリカとの戦争は避けるべきだと発言して愛国者から狙われているとか」「いえ長い戦いは出来ないと言っただけです」と例の山本の有名な台詞も登場。 その後、日本軍のハワイ奇襲になる。レイトンはキンメル長官の後任のニミッツの知日のスタッフとして活躍するようになる。 そして日本のシーンでは山口多聞(浅野忠信)が非常にいい役で描かれていく。 山口は山本に「ハワイは楽しかったか?」(要するに戦果を聞いているのだが、なんだか英語の直訳っぽい言い回しだなあ)と聞かれて「南雲さんにオイルタンクなどの攻撃を止められて不十分でした。あの人はまた過ちを犯します」と完全に否定的。それを山本も聞いているのだから「山本は南雲ではなく、山口を信頼していた」と描かれる。そこまで露骨だったのかなあ、わからんけど。 1942年1月のマーシャル群島での初のアメリカ軍反撃作戦(映画で描かれるのは初めてではないか。私も知らなかったので、ネットで検索して知った)、珊瑚海海戦、ドーリットルによる初の日本本土空襲も描かれる。 このシーンでは昭和天皇が防空壕へ導かれるシーンあり。 そしてミッドウエイ作戦開始。 図上演習では日本の負け、と出たので南雲(國村隼)が怒り、「空母は真珠湾にいる前提で演習しなければだめだろう!事前にミッドウエイ北東にいることなど事前に作戦が漏れていない限りあり得ない!」と怒鳴り散らすシーンあり。 ここで南雲の無能さが予見されている。 ドーリットルたちは中国に降り立ったのだが、中国人から敵と見なされて銃を向けられる。だが英語教師が通訳としてなんとか最低限の意志疎通をするのだが、この時にアメリカ兵がお礼にライターを渡す。このライターが伏線になっていて、ラストで日本軍の詮索を受け、「おまえの息子がこれを持っていたぞ」と詰問されるシーンあり。アメリカ兵をかくまった証拠としてこの英語教師は殺されるんだろうな、と予感させる。 ミッドウエイ作戦では、ミッドウエイ島に記録映画の撮影に来ていたジョン・フォード登場! 映画ファン向けのお遊びですよ、きっと。フォードは日本軍の空襲が始まって「避難してください」と言われても逆に喜々とする。 1976年版では「先に敵を発見した方が勝ち」と索敵合戦を日米が行うが、その辺の描き方はなし。 ミッドウエイ島からきた爆撃機の反撃を受けた南雲は「ミッドウエイの攻撃が不十分だ。雷装から爆装に変更!」と命じる。 赤城に攻撃された爆撃機がつっこんでくるシーンがあるが、これを赤城は交わす。その後で部下(草鹿?)が「体当たりするつもりだったのでしょうか?」「いやアメリカ人にそんな度胸はない。たまたま操縦桿の故障だったのだろう」とアメリカ兵を完全に下に見ている日本人として描かれる。 ちなみに他のシーンもそうなのだが、豊川、浅野、國村以外の日本人役はたぶん在米の日系人と思われる。日本語がいまいちネイティブじゃなかったしね。 そして爆装から雷装への再度の変更などがあって加賀、蒼龍、赤城が炎上。山口の飛龍でのきわめて少ない機での日本軍の反撃。 アメリカ軍の飛龍への攻撃では魚雷攻撃失敗、また失敗と描かれて3発目ぐらいでついに成功!って描かれ方で「スター・ウォーズかよ!」と思わず思ってしまった。 攻撃終了後は山口が若手の乗組員を退艦させ、艦長とともに残るシーンもあり、完全に山口多聞を評価した描き方だった。 戦闘シーンや空母の甲板上のシーンはすべてCGと思われる。 メイキングを見ると空母甲板上のシーンではブルーバックの前で(もちろん最低限の艦橋とかはセットで作ってあるが)演じられている。 今までと戦闘シーンの描き方で違うなと思ったのは失敗のシーンが多いのだ。空母に着艦の失敗、空母の速度が遅くて未熟なパイロットの発艦の失敗、空母に向かって落ちてくる飛行機があわやでぶつからない、などなど。 こういったシーンはCG時代になってかえって描かくことが出来るようになったのだと感じた。 あとアメリカ軍もニミッツの他、ハルゼーや暗号解読のロシュフォード、スプールアンスなども登場。 パイロットたちも多数登場するが、エンディングで彼らのその後が紹介され、実在の人物だったと解る。 だから1976年の「ミッドウエイ」のようなチャールトン・ヘストンが演じたような架空の人物がメインにいることはない。 米軍による日本艦隊への魚雷攻撃のシーンとか、いままで見たこともなかったエピソードもあり、日米戦争映画としては十分な出来だと思う。 日本公開が楽しみでならない。 痴漢電車 下着検札日時 2020年3月28日21:00〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 滝田洋二郎 製作 新東宝 何年か前に今はない銀座シネパトスでのピンク映画特集で観たのだが、一部寝落ちして「また機会があったら観たい」と感想に書いていたので再見。 その前にここ数日の動きを書いておくと、1月より感染が報じられていた新型コロナウイルスの影響で、東京オリンピックパラリンピックが1年程度延期と3月24日に発表。翌日25日の夜8時から小池都知事が「週末の外出自粛、自宅勤務の要請」を会見を開いて要請した。 それに伴って都内、神奈川のTOHOシネマズ、また新宿ピカデリーなどの松竹系、バルト9、109シネマズ、イオンシネマ、グランドシネマサンシャイン、ヒューマックスシネマなどの封切り館、上野オークラ、光音座、池袋シネロマンなどのピンク映画館はこの土日は閉館。平日も遅くまで上映しないといという。 ラピュタ阿佐ヶ谷は予定通りの番組、新文芸座はオールナイト番組のみ休止である。 小さな名画座は「そんなこと言ってられない」とばかりの営業だ。 本当は今日は「弥生、三月」を観て月に一度の光音座訪問の予定だったがすべて中止。「弥生」は極端な話レンタルになってからでも観られる。が光音座で上映中の野上正義監督「ある愛の終わりに」が観れないのが残念。3月31日で上映が終了し、番組が変わるので今回見逃すともうみる機会はない。新宿ぽるので上映してもらうのを待つばかりだ。 そしてもう1本が「せせらぎの淡い虹」。これは2013年1月公開で、この映画を観てからゲイ映画を本格的に観るようになったのだから、その作品の再上映で上映中止になるとはなんという巡り合わせ。 来週以降はもっと状況が悪くなり、土日の映画館中止はあり得る事態だから、来月の映画事情はどうなることやら。 たまってるDVDや録画があるから実は当分は困らないが、業界のいろいろな事情を想像すると心が痛む。 だからラピュタもレイトは中止、になってるかも知れないので、7時頃思わず確認の電話をした。 前回観たときは前半で寝落ちしたようだ。実際、前半のシーンは記憶にない。 この部分、黒真珠を持った日本兵は今や死にかけになっているのだが、黒真珠が目的の後妻にセックスを頼み、後妻がやらせてるときに亡くなる。 死に際に「マンタク」と言ったので、その謎を説くために蛍雪次朗の探偵を雇う。 床の間の掛け軸の上にマンタクがあったので見せてもらうが、半分しかない。このマンタクは死んだ男の姪で今は家出していないというので、点綴は無作為に電車の中で女たちのマンタクを取り巻くって彼女を探すっていう展開。 いくらピンク映画とはいえ、ちょっと無茶苦茶である。 そして姪は見つかり、マンタクを取り直す。そして昭和史に詳しい松木清張(竹中ナオト)も加わって謎を解くのだが、黒真珠を独り占めしたお後妻は、その姪も義理の息子も殺害する。 この息子の殺害が密室トリックになるのだ。 結局マンタクはあまり関係なく、掛け軸を見てその下に置いてある招き猫の片目が黒真珠と解る。 で黒真珠を盗んでいた松木清張を追いかけて黒真珠を取り返すが、結局は満州の広野へ、で終わる。 まあ滝田作品も何本か上映されるし、気が向いたらまた今回のピンク映画上映も通って見ようかと思う。 ひとくず日時 2020年3月22日19:45〜 場所 ユーロスペース1 監督 上西雄大 金田匡郎ことカネマサ(上西雄大)は泥棒稼業。ある家にガラスを割って入ったところ、そこには小さな女の子がいるだけだった。手や体にやけどの跡があるのを発見。カネマサは自身も母親からネグレクトされ、母親の男に虐待を受けた日々を思い出す。 その女の子におにぎりやサンドイッチを買って与えるカネマサ。子供を連れだし、カネマサの行きつけのバーの女と一緒に銭湯に入れてやったりラーメンを食べさせたり、服を買ってやったりし、やっと心を開いて自分の名前が鞠だと教えてくれた。 やがて鞠の母親・凜が男と一緒に帰ってきた。今までと違う鞠の様子に気づいた男は鞠に暴力を振るう。そこへやってくるカネマサ。カネマサはつい男を殺してしまう。男を山に埋めるカネマサと凜。 金に困ったカネマサはある金持ちの家に入り、高級時計で50万の金を作る。一緒に盗んできた熊のぬいぐるみを鞠は気に入ってくれた。 しかしその泥棒がきっかけでカネマサは昔自分を逮捕した刑事に目を付けられる。 凜の男の仲間(木下ほうか)たちが殺した男の行方を探していた。押し入った男たちに対してカネマサは刃物を向ける。そこへ刑事がやってきて、とりあえずは収まった。 刑事に仕事を紹介してもらい、カネマサは鞠の父親になろうとするのだが。 いまおかしんじ監督「れいこいるか」にも出演した上西雄大氏の監督主演作品。ロンドン国際映画祭でグランプリも獲得し世界各国の映画祭で絶賛の作品。 出演者はほとんどなじみの薄い役者さんばかりだが、それがかえってリアリティを感じさせてしまう。 普通なら子供を救うのは、学校の先生とか児童相談所の職員とかになりそうだが、「たまたま入った泥棒」というアウトローに設定しているのが面白い。 前半のカネマサの子供時代の虐待を受けるシーンで、子供の手の甲にタバコの火を押し当てるシーンなど痛々しくて観てられない。映画館から逃げ出したくなった。 その後は「この野郎!」「このクソ女」しか言葉を知らないようなカネマサだが、やがて子供も信頼し出す。 刑事さえも見張っていたが、仕事を紹介するなど同情的である。 さてどう納めるかと思っていたが、結局殺人の方がばれて(どうしてばれたかは描かれない)、所轄ではなく、本部の方に逮捕されてしまう。 ここで車に連れて行かれるカネマサが絶叫したりして音楽もどーんと被さってちょっと演出過剰。 またさらにエンドクレジットが始まった段階で、いったん中断し、カネマサが出所するシーン(つまり15年後ぐらい)になる。 黙って出所したカネマサを追いかける若い女。これが成長し20歳ぐらいになった鞠なのだが、ちょっと子役時代と似てない。 そしてカネマサの母親が車いすに乗って登場。 男に虐待された後に母親が「アイス食べな、アイスを食べればいやなことも忘れられる」と言って常にアイスを持ってくるのだが、カネマサは「アイスで帳消しかよ!」と怒る。 そこで最後にもアイスを渡して泣くというラスト。 ここまでやられちゃうとなあ。ちょっと演出過剰すぎる。 しかし総じて映画のクオリティは高く、世界の映画祭で絶賛の理由も納得だった。 悶撫乱の女〜ふしだらに濡れて〜日時 2020年3月22日14:50〜 場所 上野オークラ劇場 監督 高原秀和 製作 OP PICTURES コンビニで働く玲子(奥田咲)は近くの倉庫で働いているらしい男(那波隆史)が気になっていた。毎回ではないが、弁当と一緒にモンブランのケーキを買っているその男。心の中で「モンブランさん」と呼んでいた。 ある日そのモンブランさんが仕事仲間らしい男たちから袋叩きにあっているのを見かける。「警察来ますよ〜」と大声を出すと、男たちは去っていった。見かねてそのモンブランさんを家に連れて帰る。 二人は結ばれた。 モンブランさんは警察に怯えており、何か秘密があるようだ。 玲子のコンビニの同僚は店長(小滝正大)と出来ていた。生理がなくなり妊娠したかも知れない。店長にいうとごまかすばかり。そんな時、モンブランさんの同僚はその彼女と出来てしまう。 玲子は離婚歴があって、今は子供と別れている。子供の誕生日の日に学校へ行ってみたが会えなかった。 その無念さを離婚に至った経緯とともにはなす玲子。モンブランさんと一緒に住むようになり、彼が数百万円を持っていることを知る。 その金の出所、そしてその経緯を話すモンブラン。 「一緒にどこかに行こう」と話す二人だったが。 先日一度会ったことのある宍戸英紀さん脚本でなんといっても那波隆史さん主演作と聞いて観に来た次第。 何やら事情のありそうな男、モンブランを那波隆史が演じる。 こういった中年男役はホント似合うんですよね、那波さんは。 那波さんは実はかつてはある中堅会社の経理課長だったのだが、部下と不倫関係になり、つい会社の金を別の口座に移し現金化し、その女に渡していた。「私、お父さんがいなくて、課長のことはお父さんみたいで素敵!」などと言われ、その気になってしまったのだった。だが完全にその女にだまされ、横領が会社にばれた段階で別れを切り出された。横領した現金をもって時候まで逃げてやろうと決意したのだった。 玲子もそもそも夫が浮気をしていて、そのストレスで買い物をしてカードローンが溜まって売春したことが離婚のきっかけだった。 玲子の同僚も望まぬ妊娠をしてしまい、最後は自分のコンビニに慰謝料代わりに売り上げをもらおうと強盗として入る。今は自分の恋人となっているモンブランの同僚(細川佳央)は店長を包丁で刺してしまう。 なんか4人とも自分だけの問題ではないのに何か人生の歯車が狂っていく。 そのあたりに人生の何か難しさを感じさせる良作だった。 夏のOPフェスでも上映されると思うけど、その節には是非再見したい。 なお同時上映は(今日の1本目12:40〜)は城定秀夫監督の「悦楽交差点」。麻木貴仁さんがどうみても本物のストーカーを映画に出したようなはまりっぷりだった。 ノーパン尼寺 熟れた茂み日時 2020年3月22日13:50〜 場所 上野オークラ劇場 監督 北沢幸雄 製作 エクセス 親のない暁子(佐々木基子)は弟とともに寺で育ち、その後高校教師となった。しかし今は事情があって出家したいと育った寺にやってきた。 住職の慈恵に頼んで出家して慈光となった暁子。 近くの大きな寺の住職(杉本まこと)もやってきて儀式は執り行われた。 しかしその晩、住職は近くの温泉街からコンパニオンを呼び、遊んでいった。自分の寺では檀家の手前なかなか出来ないので、毎回そうしているようだ。 そんな時、慈光の弟が訪ねてきた。弟は裏社会の抗争に巻き込まれ、人を殺してしまう。翌朝、慈光によって警察に自首する弟。 また夫のDVに悩む女性が寺に駆け込んでくる。夫が追いかけてきたが、追い返す。しかし翌朝、夫とその女性は一緒に帰って行った。 心臓に持病を抱えていた慈恵が急死した。「まだ出家したばかりのお前に寺を継がせるのもなあ。本山がなんというかなあ」という近くの寺の住職。 さらにその住職は慈光の体をむさぼり、「わしの言うとおりにすれば悪いようにはせん」と言い残す。 慈光は滝に打たれ、修行するのだった。 映画はほぼ唐突に終わる。おいおい何も解決してないよ。 そもそも暁子が出家したのは、高校教師時代に生徒と恋仲になって体の関係をもってしまい、それがばれて二人で心中しようとして生徒の方が死んで自分だけ生き残ったから。 それで出家したけど、弟は殺人を犯すわ、DVで救いを求めてきた女性は夫と(表向きは)仲良く帰って行くわ、頼りにしていた慈恵はなくなるわ、悪徳坊主には体を強要されるわ、悲惨である。 んで状況は何も解決せず、希望もなく終わる。 確かにハッピーエンドすぎるのもなんだが、これだけ問題山積みで映画が終わると逆にすがすがしい。ここまで放置するのもかえってすごい、と。 暁子の出家のシーンでは実際に髪を切り、そして剃っていく様を丁寧に描写していて、頑張っていたように思う。 それに続く滝に打たれての修行もなかなか景色のよいところで、見応えがあった。 一度死んでみた日時 2020年3月21日10:30〜 場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン7 監督 浜崎慎治 野畑計(堤真一)製薬会社の社長にして研究員。頭の中はいつも化学のことばかり。そんな父を娘の七瀬(広瀬すず)は憎んでいて今はデスメタルバンドでボーカルをして「一度死んでくれ」と絶叫していた。 そんな七瀬を社長秘書で存在感のないことからゴーストとあだ名される松岡(吉沢亮)が常に見守っていた。 野畑製薬は「若返りの薬」のロミオを開発していたが経営が芳しくなく、ライバル会社のワトソン製薬の社長(嶋田久作)から合併を持ちかけられていた。野畑製薬の経営コンサルタントの渡部は実はワトソン製薬と通じていて、この合併をまとめる気だった。 このロミオの開発中にジュリエットと言われる「2日間だけ死んだ状態になる薬」を開発していた。 渡部は計に「社長が一度死んでみたらワトソン製薬に情報を漏らしてる奴が動きます」とそそのかし、これを計に飲ませた。 死ぬ直前に遺書にサインをさせる。生き返る前に体を燃やしてしまえばこっちのものだ。 だが渡部のたくらみを知った松岡は七瀬と共闘し、会社合併を阻止することに。 広瀬すずと吉沢亮のダブル主演コメディ。結論からいうとまあそれなりに笑った。広瀬すずの反抗期のデスメタル少女ぶりがよい。 吉沢亮もなかなかのコメディで笑ったのだが、「存在感のない社員」を演出するために前髪をおろしているのだが、これが目を隠してしまっていて完全にだめ。広瀬すずはデスメタルで髪の毛を赤く染めているが、それでも顔ははっきり見せており、表情がわかる。 やっぱり表情がはっきり見えなきゃだめですよ。 役者の顔を観るためにお客さんは来てるんだから。 あと妻夫木聡、志尊淳、佐藤健、城田優、柄本時生、前野朋哉などが小さな役で出演。(顔見せのゲスト出演) 妻夫木などはその中でもせりふも多く、話にも関わるキャラクターなのだが、予告編にも名前が登場しないのはもったいないなあ。それとももう出す価値がないと思われてるのかな。 結論は七瀬が父を見直し、自分も野畑製薬に入って研究したいというというメデタシメデタシの結末。 「最初父を嫌っていた娘が父を見直す」という成長物語でありきたりすぎる結末。意外性もなにもない。 フジテレビの作ったただのコメディに多くを求めるのは間違いだとは思うけど、それにしてもありきたりすぎてなんだかなあ、という感じである。 観てる間はそこそこ面白く笑ったけど。 三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実日時 2020年3月20日19:30〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン5 監督 豊島圭介 1969年5月に東大駒場キャンパス900番教室で行われた三島由紀夫と東大全共闘の討論会の記録映像にその時の関係者にインタビューしたドキュメンタリー。 若松孝ニやポール・シュレイダーの三島映画にもこのシーンは登場する。 それだけ重要な討論会ではあったのだが、「TBSが撮影して残っていたから世に知られた」という面もあったようだ。その前にも一橋大学などでも討論会は行っていたそうだから。 最初に司会者・木村修が会を始めるときについ「三島先生」と言ってしまうのがほほえましい。その後に「いや、今三島さんを先生、と呼んでしまったのは我々のキャンパスを歩いている教授たちより遙かに『先生』と呼ぶのにふさわしいと思ったからで、そこは許していただきたい。では三島さん」と言っている。 「貴様は敵である三島を『先生』と呼んだ。それは貴様が三島に対して負けを最初から認めていたからだ。自己批判しろ」と言われるとでも思ったのだろうか。 そして芥正彦という演劇をしている青年が登場。学生結婚をしたようで、娘を肩車しながらの登場だ。髪型とか当時長髪ボサボサの感じで完全に学生運動家。 この学生が「解放区」について話し出す。 最初のうちは「神田解放区」とか言って話が具体性があるのだが、だんだん話が観念的になってくる。どうも私はこういう観念的な話が苦手である。具体性がない。「理論も大切だが、それ以上に大切なのが行動」という方が私の性にあうのだ。 「ごちゃごちゃ言う前にまずやってみろ」ということだ。 当時の三島が「楯の会」などの活動は行っていたが、だから結果的にはなにもしていない状態で、後の70年11月の決起行動を考えると彼は「理論より行動」型の人だったと思う。 結局芥氏はなかなか自分の思うとおりに三島氏が反応してくれないからか「あなたの話はつまらない」「だからもう帰る」と途中で帰ってしまう。 この芥氏はこの映画のためにインタビューを受けているのだが、完全にインタビュアーをバカにした態度を取り、見ていて不愉快である。 私はこういう「行動をしない人」が苦手である、というか嫌いである。 映画の最後で学生運動はあさま山荘事件で「単なるテロ組織」となってしまい終わりとなった、と結論付けされるのだが、それについて今はどう思うかという質問が現在の芥氏や「三島先生」君にされるのだが、「三島先生」君は「やはり自分の中で整理がつくまで時間がかかった」と言うけど、芥氏は「それは君の国の話だろ?俺の国ではまだ終わってない」という。 完全に自分の負けを認めずに自分の中での主張の正しさのみを訴える視野の狭い男に見えた。こういう人とはお友達になれないな。 その点、「三島先生」君はお友達になれそうである。 瀬戸内寂聴らが「三島さんは若い人が好きだったと思いますよ」という。 そうだな、三島も「現状の日本がよくないから憲法改正などの行動を起こした」のであり(失敗したけど)、全共闘も「現状の日本がよくないから革命を目指した」訳で、「現状の日本がよくないから変えよう」という点では一致していた。 天皇を認めるか認めないかで不一致になってしまったけれども。 三島の天皇崇拝の原点は学習院時代に恩賜の時計をいただいた際に、式典に来た昭和天皇が3時間微動だにしなかったことだそうだ。そこでもう理屈なく「すごい」と思ってしまったらしい。そのあたりは10代の強烈な記憶なのだろう。 という感じでTBSが残していた討論会の様子なので、編集や画で面白い訳ではないのだが、観る価値はある映像だった。 ジュディ 虹の彼方に日時 2020年3月15日14:30〜 場所 TOHOシネマズ・スクリーン12 監督 ルパート・グールド 17歳の時に映画「オズの魔法使」とその主題歌「虹の彼方に」が大ヒットしてミュージカルスターとなったジュディ・ガーランド(レネー・ゼルウィガー)。最近は映画の仕事もなくもっぱらコンサートの地方巡業で稼いでいた。 しかし金銭感覚に疎い彼女はホテル代を滞納し、追い出されてしまう。困って頼ったのは元夫のシド。シドとの子供を二人抱えていたのだが、仕方なくシドに子供を預けることに。そこへ舞い込んだのがロンドン公演だ。 ロンドンのナイトクラブで5週間の公演。リハーサルに連れて行かれたが、公演の前日にも関わらず「そんな気分じゃない」と帰ってしまう。 初日になっても会場に現れないジュディ。スタッフがホテルに迎えに行くとジュディは「体調が・・」と言い出すが、無理にでも会場に連れて行く。しかしいざステージに立つと圧巻の歌唱をするジュディにみんな感心する。 その後も調子の悪い日に観客と喧嘩になってしまい、彼女も契約を打ち切られる。 もう代役が立つ日だったが、ジュディは「1曲だけ」とお願いしてステージ立つ。「虹の彼方に」を歌うが途中で歌えなくなってしまう。 その時、彼女の熱心なファンのゲイカップルが「虹の彼方に」を歌い出す。そしてそれは会場の観客の大合唱へとつながっていった。 ジュディ・ガーランドを描いた伝記映画。本年度アカデミー主演女優賞受賞。 ジュディ・ガーランドの生涯を描き「オズの魔法使」のメイキングシーンもあるような映画かと思ったら差にあらず。日本じゃそれほどの人気はないけど(パンフレットによると未公開作品も多く、晩年はコンサート活動が多かったので日本には活躍が伝わりにくかったようだ)、アメリカなどではみんな知ってるのだろうか? だからバックステージもの、を期待したのでちょっと予想と違う映画だったなあ。(つい先日予習のためにDVDで「オズの魔法使」を観たのに) 正直、ステージに穴は開けそうになるわ、ステージに出てもグダグダになってしまう彼女を観てこっちもつらかった。(面白くないという意味である) でも最後に「虹の彼方に」を歌って観客大合唱のシーンは感動した。 フジの「めざましテレビ」でアカデミー賞予想をやっていて(授賞式のレポートもする)SexyZoneの中島健人が「『ジュディ』が穫らなくて誰が穫る」と言っていたのだが、映画を見て思ったのが、中島健人にしてみれば同じくステージに立つ身としてなにか思うところがあったのかも知れない。そう考えるとこの映画を観て中島の胸に去来するものは何だったか。尊敬か、恐れか。 あと出待ちしていたゲイカップルの家に行って食事をするシーンがあるが、ジュディはゲイに人気があったんだそうだ。 一説によるとゲイを示すレインボーフラッグはジュディの「虹の彼方に」から来てるとか。知らなかったなあ。 劇場版 SHIROBAKO日時 2020年3月14日19:40〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン5 監督 水島努 武蔵野アニメーション(通称ムサニ)で制作を担当する宮森あおいは社長の渡辺に呼ばれて相談を受ける。 アニメ制作会社げ〜ぺ〜う〜が元請けとなって制作を準備中だった「空中強襲揚陸艦SIVA」をげ〜ぺ〜う〜が全く絵コンテをあげてこないので、事実上の中止状態になっていたのをムサニで独自に作ろうというものだった。 タイトルだけで脚本もない状態。でも製作発表だけはしてあるのでタイトルは変えられない。前に作ったテレビアニメが見切り発車で作り始めたことで結局お蔵入りになったことで会社は厳しい状況でこの状態で劇場用作品が作れるかということもあった。 前社長の励ましもあり、宮森は決意を固める。バラバラになっていたスタッフを集めて作品は完成しつつあった。 しかしげ〜ぺ〜う〜から「もともとうちが企画した作品を勝手に作った」とクレームを入れてきた。宮森は「もともとはそちらの製作の遅れが原因」と主張し、なんとか収めた。 作品は完成した。スタッフ試写も「悪くはないが、物足りない。ラストにもう少し見せ場がほしい」というものだった。 公開まで3週間しかない。監督は「今更どうこう出来ない。これでいい。俺は満足している」という。しかしスタッフは「監督の満足よりお客さんの満足です」といい、ラストをやり直すことに。 やっと作品は完成し、公開された。 アニメなんて「君の名は」とか「天気の子」ぐらいのヒット作しか観ないだが(それは避けてるわけではなく情報がないから)、ある人から「アニメ製作の内側を描いていて面白いです」と言われ、まったくこの映画を観る1時間前までは興味がなかったが、鑑賞することに。(今日はTOHOシネマズデイで1200円だし) 「シロバコ」とは(劇中では説明がないけど)完成作品を納品される箱のことをいい、一般映画で言えば「初号」に当たる言葉らしい。 この言葉はライトノベルの平坂読の「妹さえいればいい」で読んで知っていた。 まあアニメの業界のことは解らないので、それぞれなにをしてるのかよくわからない。「原画」とか「作画監督」とか言われても「なにする人?」状態で、「監督」と「演出」が違うのもさっぱり解らない。 しかも今は昔のようにセルでもないだろうから、どこまで手描きでどこからPCでの作業になるのかさっぱり解らない。 その辺のことは「観てる人は知ってるよね?」であまり詳しくは説明されない。 さらに出てくる人物は(特に女性)は髪型と色が違うだけでみんな同じ顔に見えるから、誰が主人公なのかがさっぱり解らなくなる。 (実写だと知った顔とかポスターの写真でだれが主演か解るけど) でもアニメ製作にかける情熱は伝わってくるものがあり、「前田建設ファンタジー営業部」もそうだったけど「お仕事もの」として十分楽しかった。 宮森たちがげ〜ぺ〜う〜に乗り込むところが、着物姿の女性が二人あるいて向かっていき、高倉健などの任侠もののパロディになっていた。へ〜今でもそういうの作られるんだ。 初号(とは言わないかも知れないけど)が終わったあとのミーティングで「監督の満足よりお客さんの満足です!」というフレーズが印象に残る。 うん、クリエーターたるもの、この精神を忘れてはいけない。 作ってた「空中強襲揚陸艦SIVA」がどんな話かよくわからないけど、主人公たちが圧倒的な敵に対し負けを覚悟で立ち向かっていくで、最初は終わる。「いやこの後の戦いが観たい」ということで数分分の戦闘シーンが追加されるのだが、公開3週間前で可能なのだろうか? まあでもアニメだとやろうと思えば可能なんだろうな。実写じゃ絶対に無理だけど。 元々はテレビシリーズがあっての劇場版。今回の劇場版はテレビシリーズの短縮編集版ではなく、その続編になる。 オリジナルテレビシリーズも観たくなった。 ミッドサマー日時 2020年3月14日12:30〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン9 監督 アリ・アスター アメリカに住む学生のダニーは恋人のクリスチャンとうまくいってなかった。「妹の様子が変。メールも返事が来ない。両親も連絡が取れない」とダニーはクリスチャンに訴えるが「心配のしすぎさ」と取り合わない。 しかしダニーの妹は両親を道連れに自殺した。 失意のダニーをクリスチャンは友人たちとのスウエーデン旅行に誘う。 行く行かないで一悶着あったが、結局はスウエーデン人のペレの故郷の90年に一度のお祭りにマーク、そして人類学に興味を持つジョシュとともに出かけることに。 その村は今は白夜の季節で9時になってもまだ明るい。村の人々は白い衣装を付け、女性たちは花の冠をつけ、実に平和そうな風景だ。 翌日から9日間に渡るお祭りが始まった。 しかし「儀式」と称して二人の老人が崖から飛び降りる。女性は即死、男性は足を折っただけだったが、村人が木槌で頭をつぶす。 ダニー、クリスチャン、マーク、ジョシュはショックを受ける。 人類学に興味を持つジョシュはこの祭りのことを卒論のテーマにしようとする。村の伝承を書いた文書の写真撮影をお願いしたが断られた。 その晩、ジョシュは書庫に進入し、写真を撮る。何者かが部屋に入ってきた。 マークは枯れた大木に何げなしにおしっこをした。しかし村人の怒りを買う。「これは神様の木だ!」。やがてマークは姿を消す。 クリスチャンはペレの妹から求愛を受け、村人もそれを認める。クリスチャンは薬を嗅がされ、一軒家に連れて行かれる。そこではペレの妹が全裸で横たわり、村の女性たちも全裸で彼らの交わりを応援する。 ダニーは女性たちの踊りに参加する。この踊りは最後まで踊ったものが勝ちになり、女王になるのだ。ダニーは女王になった。 完全にノーマークだったが、やたらとTwitterで話題なので鑑賞することに。確か2月中旬に公開で、当初は新宿ピカデリーでも公開されてるという拡大公開。しかも本日はスクリーン9。スクリーン9はTOHO新宿の一番の大箱でここは普通公開直後の新作や大作の上映するところ。本日はTOHOシネマズデイでシネマイレージ会員は1200円。(だから観たのだが) しかもディレクターズカットとしたあと30分ぐらい長いバージョンも公開。この映画も2時間以上あるのだが、ディレクターズカット版は3時間近い。 ディレクターズカット版を観た人の話ではクリスチャンがセックスするところで通常版ではお尻にボカシが入るのだが、ディレクターズカット版ではボカシなしとか、同じくクリスチャンがセックスを終えて小屋を出たシーンでの性器にボカシがないとか。ただしここは性器が赤くなっていて、相手の女性が処女だった、という表現があるそうだ。 ふーん、感想に困るなあ。 普通の学生グループが秘密の儀式を見てしまってその宗教から追い回されるってホラー映画にありそうな感じだが、それともちょっと違う。 それほどホラー色を全面に出してる訳じゃない。 かといって宗教色を全面に出した「考えさせる映画」とも違う。 どちらでもあるようなどちらでもないような。 いや、話はわかるんですよ。別に否定したくなる内容ではない。 一つ確実なのは私が好きになるタイプの映画ではなく、ただただ感想に困るのだった。 ラストは女王になったダニーがもう一人生け贄を選ぶことになる。 そこでクリスチャンを選ぶ。ああここで最初の別れる別れないが利いてくるのかな、と後で気がついた。 T-34レジェンド・オブ・ウォー ダイナミック完全版日時 2020年3月7日18:45〜 場所 京都みなみ会館・スクリーン2 監督 アレクセイ・シドロフ 昨年の秋に公開されて好評だった「T-34 レジェンド・オブ・ウォー」の完全版。 好評なので完全版として再公開。 先月新宿ピカデリーで上映されたのは知っていたが、時間が合わず見逃していたのだが(最悪レンタルで観ればいいかと思っていた)、今回前日に「れいこいるか」の上映で大阪アジアン映画祭に参加。 その翌日に新世界で「不良番長」を観て(新世界国際で洋画3本立ても興味があったが、3本は時間的に難しいので)、前から行きたかった京都みなみ会館で「完全版」が上映されているので、京都で鑑賞。 26分も追加されているというのでかなり変わるかと思ったら、意外と印象は変わらなかった。こっちも正確に覚えているわけではないけど、収容所から逃亡したT−34が途中のガソリンスタンドで給油するシーンは前はなかったよなあ。 あと映画が終わってクレジットが始まる前に戦車に乗っていた兵士たちの帰国後の姿(操縦兵はトラクターを運転し、農業をしている、途中の村でキリストの絵皿を持ってきた兵は絵の修復をしている、観測を得意としていた兵は猟師になっている、主人公の車長は通訳の娘を連れて実家に行く)のシーンはなかったと思う。 それぐらいしか気づかなかったから(それとても私が忘れてるだけかもしれないけど)、ワンシーンごっそりカットしたというより少しずつカットしていったということなのだな。 鑑賞が2回目なのだが、だいたい解っていても飽きずに楽しめた。 映画自体の力なのだろう。 ずべ公番長 夢は夜開く日時 2020年3月7日11:00〜 場所 新世界東映 監督 山口和彦 製作 昭和45年(1970年) 女ネリカンと呼ばれる赤城学園を出所したリカはクリーニング店に就職したものの、品物を盗んだ疑いをかけられ、それは店主の勘違いと解ったのだが、結局辞めてしまう。 結局新宿でバーのホステスを始めるが、そこには赤城仲間もいたし、ママ梅子も赤城学園出身だった。 その店は梅子が父親から譲り受けたのだったが、地元のやくざ・大羽(金子信雄)から売ってくれといわれ続けていた。 だがママは売る気がない。梅子の父と大羽は元は兄弟分だったが、対立し大羽に殺されたのだった。 店のホステス・マリの妹バニーは大羽によってヤク中にさせられていた。 バニーを一度は助けたリカだったが、バニーは大羽からクスリを盗んでいた。 それがきっかけで大羽は梅子からお詫びとして300万円要求する。しかたかく梅子は町金から借りたが、この町金が担保の店の権利を大羽に譲ってしまう。しかも翌日になったら利子として50万円要求してきた。 責任を感じたリカは大羽に体を許す代わりに借金をちゃらにしてもらうよう頼むが、大羽は遊ぶだけ遊んで金を払わなかった。 梅子の怒り心頭になり、かつて大羽の子分で恋人だった槙二郎(梅宮辰夫)と殴り込みをかける! ポスターに「すべ公番長シリーズ第1作」とある。もう製作時からシリーズが決まっていたのか。 まあこの頃の東映ってやくざもののシリーズで持っていたから、新しいシリーズを欲していたのかな。 副題の「夢は夜開く」はもちろん当時ヒットした藤圭子の同名の曲。 藤自身も新宿の流しの歌手の設定で登場し、一曲歌う。 そしてご丁寧にも「この娘も赤城出身だよ」と紹介される。そんな、可哀想に。 マリっていう娘が梅子のホステスでありながら大羽の手下でもある複雑な役(というかどっちにも世話になってる設定か)。 この女優が夏純子に似ていて、でも夏純子は冒頭の赤城学園でリカに喧嘩を売る一人で登場。すごく混乱した。 あと谷隼人がマリの幼なじみで登場。大羽に抱かれる前に海に遊びに行き「抱いて!」と頼み、女としての操のけじめをつけてから大羽に向かう。 谷隼人、イケメンでいい役である。 時代が違えばニ枚目としてもっと人気があったかも知れない。 ラストは雨の中、慎一郎と梅子が殴り込みに向かう。 このあたりのセンスは任侠もののお約束だった。 シリーズもそこそこ続いたらしいが、もういいかな、って感じ。 でも最後は梅子やリカも警察に捕まるので、次作はどういう感じで始まるかはちょっと興味がある。たぶんこの映画とは関係ない設定で始まるんでしょうけど。 不良番長 やらずぶったくり日時 2020年3月7日9:30〜 場所 新世界東映 監督 野田幸男 製作 昭和46年(1971年) 新宿で金がなくて困ってる神坂弘(梅宮辰夫)たちはトルコ風呂の女の子を引き抜いて他の店に売って儲けようとする。しかし同業の五郎(山城新伍)と鉢合わせ。仕方なく二人は組もうとしたが花岡組に脅され止めることに。仕方なく女性相手の風俗を自分たちで始めるが、倒産寸前の水産加工会社の女社長から代金の代わりに缶詰を受け取る。その缶詰を売ろうとしたが、これは水銀が入っていると言われて回収になっているシロモノ。 その会社を追いかけて港町に行き、そこで弘はネリカン仲間の信次(菅原文太)と再会。今は漁師の信次だが、捕ってきた鮪が水銀に汚染されていると言われ、廃棄処分させられてしまう。 しかしそれは地元の日の丸水産が仕組んだことで、水銀に汚染されていると嘘をついてただで手に入れていたのだ。 補償問題で揺れているこの町だったが、まずは弘たちはその漁師が得た補償金をばくちや女でこちらにいただく算段。 だが日の丸水産のからくりを知り、日の丸水産に殴り込みをかける! シリーズ11作目。 今回は特にタイアップのロケはなし。だが菅原分太がゲスト出演。 豪華である。やっぱり文太が出てくると画面に迫力が出る。 水銀汚染が出てきて、当時公害問題が話題になっていたご時世なんですねえ。 日の丸水産の悪徳の経理部長役で中田博久さん登場。 「キャプテンウルトラ」もがんばっている。 先月見たときと同様、とにかく展開が早く、次から次へといろんなことをやらかしてくれる弘たち。このジェットコースター感覚が「不良番長」の見所なんだろう。 今回は芦屋小雁、花紀京、岡春夫、由利徹などの喜劇人がゲスト出演。 でも不良番長シリーズって最後の殴り込みで双方みんな死んじゃうんですよね。(梅宮、山城ぐらいは生き残るか) それでも次作ではまた安岡力也をはじめ(メンバーは多少替わる)にたようなメンバーでまた登場する作りなんですね。 だいたいシリーズが解ってきたから、ひし美さんがでている最終作は見ようかな。それでだいたいもういいかなあ。 Fukushima50フクシマフィフティ日時 2020年3月6日14:00〜 場所 大阪ステーションシティシネマ・シアター3 監督 若松節朗 2011年3月11日14時46分。東日本大震災発生。 ここ福島第一原発も地震に襲われた。吉田所長(渡辺謙)、1、2号機の当直長・伊崎(佐藤浩市)も非常用電源を起動させ何とか体制を立て直そうとしていた。 その時津波警報が。「ここは海抜10mだから大丈夫」と思われたが、津波が地下にあった発電機を止めた。格納容器の圧力はどんどん高まっていく。ベントしかない。それは放射能物質を周囲にまき散らすことになるが、爆発するよりましだ。高齢の者を中心に決死隊を組んで立ち向かう。 311の福島第一原発事故を描くパニック大作! いやーこういうの観たかったんですよ。でもこういうことは何故か言いづらい。 311の事故をエンタメとして描いていいのか?ということを自分でも迷いがあるのだろう。 映画は地震が始まる瞬間から始まる。「まだ平和な日常」という前振りはなし。 その後、チャイナシンドロームや格納容器爆発の危険と隣り合わせの戦いが始まる。そう完全に戦争映画である。 監督は「空母いぶき」と同じ若松節朗。その他「ホワイトアウト」「沈まぬ太陽」などの大作映画を作っていながらあんまり話題にされないのは何故だろう。 「日本の危機!」を描くパニック映画として楽しんだ。楽しんでいいのかという疑問を感じつつも。ただしまあ一応収束してるんだし(もちろん今後どうする?の問題はあるけど)そこは楽しもう。 それにしても描き方にちょっと疑問が残った。 本店や政府のメンバーの描き方が足らない気がする。人物説明でスーパーが出るのは吉田所長と伊崎だけ。段田安則とか篠井英介とかどの立場の人なの?と疑問が残る。 そして一番は菅総理の描き方。ちょっと悪役っぽい「現場をじゃまする人」の扱いなんだよな。 3月12日に現場に視察に行ったのは「情報があがってこないから、正確な判断が出来ない。一度現場の責任者と話したい」という総理側の意向も十分納得出来る。 だがこの映画では「この忙しいのに来ないでくれよ」、来たら来たで「ルールを守らないわがままな人」になっている。 まあ百歩譲って「現場からすると決してありがたくはなかった」と解釈しよう。 そして海水注入を官邸が止めさせた、という感じになっている。 その前に吉田所長がスタッフの一人に「もし官邸から海水注入禁止の指示が来たらな・・・」と耳打ちしてるシーンがある。 ここはなんと言っていたのかはっきりしない。小説版とか読んで確認しよう。 また「撤退などあり得ない!」と東電本店で総理が怒鳴るシーン。私はこの行為は正しいと思うし、総理も怒っているのは現場に対してではなく(現場は最後まで踏ん張るとする自己犠牲精神で描かれる)、東電の本店幹部に対してである。 その総理に対してフクイチのメンバーが「何言ってるんだこいつ?」的な発言をするし、吉田所長はズボンを脱いで履き直す作業をする振りをしてパンツを出して総理に抗議したように見える。 これどうなんだろう? Twitterなどを見ると「総理側の描き方に違和感」という意見もあるから、こう思うのは私だけではないようだ。 まあここはさっきも言ったように「現場にとってはうざかった」とあくまで現場視点で描いたから、と解釈しよう。 (他のシーンがいいから、あんまりこの映画の悪口は言いたくないのだよ) 最後に圧力容器から圧力が抜けた要因は解っていない。完全に神様のお許しとしかいいようがない状況で、映画でもその原因は描かれない。 映画の結論としては「俺たちは自然を甘く見ていた」という。 確かに民主党政権がどうの、という以前に「想定外の津波」という言葉で責任者は責任回避を計るが、そもそも「想定していなかったこと」が事故のすべての原因だ。 また米軍も「トモダチ作戦」ということ善人で描かれるのも「ほんとにそう?」と思う。 オリンピックの聖火ランナーも福島が発で、「ここまで復興しました」というのもちょっと違和感。 現政権よりなどと思いたくない。 単純に「現場からの視点」「現場の実感」という気持ちで描かれていたに違いないと解釈しておこう。 犀の角日時 2020年3月5日21:00〜 場所 ユーロスペース1 監督 井土紀州 製作 平成20年(2008年) ポリタンクを持ったグループを高校生ぐらいの少年少女が襲う。 その中の一人崇(櫻井拓也)は相手のグループの少女の一人を助けてしまう。 襲われたグループは宗教団体「カフ・サマージ」の出家信者だった。彼らは共同生活をしていたが、水の設備が壊れ修理を水道業者に頼んだが、すぐに壊れてしまう。仕方なく川の水を組んできたのだった。 襲った高校生グループは葬儀会社に勤める男(吉岡睦雄)にけしかけられていた。実はその男も元信者で「欲望を捨てろ」と言った教祖が女とベンツに乗っているのを見て信じられなくなって辞めたのだ。カフ・サマージはその後殺人事件を犯し、住民から危険視されている。 グループのリーダーに「やってこい」と言われ、一人で襲撃。崇はこの間助けた少女と再会。だが崇は襲うことも出来ない。彼女の名前はポーシャと聞き出す。 崇はポーシャと会い、自分の気持ちを告白し、彼女にキスまでする。 果たして彼らの行く末は。 櫻井拓也の特集上映で上映。この映画が長編デビュー。 日本映画学校の俳優コース(今はない)の学生が卒業制作として俳優コースの学生がプロのスタッフに撮ってもらうという作品。 学生の中からオーディションを経て役を振られて出演。当然のことながら主役もあれば端役もある。櫻井氏はその中で主役に抜擢。 いやー観ていてびっくりした。ピンク映画などで見せていたはっちゃけた役と違い、おとなしく朴訥とした高校生役。 すげーいいんですよ。 結局教団と悪ガキグループは再度対立。嫌がらせに教団メンバーの一人が悪ガキに暴行してしまう。 仕方なく教団のメンバーは町を出て行く。 崇はポーシャに「俺は学校を止めて働く。一緒にこの町を出よう」という。しかし彼女は教団を抜けることを拒否。二人は別れることとなる。 なんかこう「学校をやめて働く」って若者がいいそうなんだよね。 大人になった今ではとてもじゃないが言えないけど、思わずこう言っちゃう若者がよかった。それを言える櫻井拓也は「学生の芝居」ではなく、すでに「一人前の役者」だった。 彼の生前にこの映画を、観てなかったことを恥じる。観て直接感想を言いたかったなあ。 あと役者では吉岡睦雄がいい。教団の女教祖と喫茶店ではなすシーンがあるが、靴を脱いで靴下をめくりながら教団に対するうらみつらみを言うシーンは吉岡さんならではの演技。 生前の櫻井氏は吉岡氏をよく誉めていたが(同じピンク関係でも川瀬陽太ではなく吉岡氏を誉めていた)、やっと解った。この映画のことがあったのだろう。 デビュー作から観てきた吉岡氏の方が、「ひまわりDAYS」でやっと共演した川瀬陽太より親近感があったのだろう。 (帰りの渋谷駅の井の頭線と山手線をつなぐルートで吉岡氏に似た人とすれ違った。たぶん本人だと思う。なんという偶然) 今回の特集上映がなければ見れなかった映画。 観てよかった。いままで観てなかったことを恥じる。 日本映画大学実習制作&卒業制作作品集
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