警視庁物語 自供 | 風の谷のナウシカ | 警視庁物語 十代の足どり |
汝の敵日本を知れ |
21世紀の資本 | 海、翼、そして明日 | 恐竜グワンジ | 許された子どもたち |
三大怪獣グルメ | 警視庁物語 19号埋立地 |
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警視庁物語 自供日時 2020年6月28日 場所 amazon prime ビデオ 監督 小西通雄 製作 昭和39年(1964年) 四つ木橋の川で行李に入った死体が発見された。殴られて殺されたようだ。被害者が金持ち風ではなかった、多少のお金を持ってたことから物盗りではないようだ。持ち物に何か数式のようなメモがある。 これは競馬に関係しているのではないかと捜査主任(神田隆)が思った頃、三田村刑事(今井健二)が本庁の他の刑事からの情報で競馬のノミヤだったのではないかと情報を得てきた。 早速場外馬券売場からノミヤにあたる。聞き込みの結果、被害者は坂井とう男だとわかった。 坂井は取り立ても厳しく、靴磨きの木下は靴磨きの許可証を坂井に取られ、今は血液銀行通いをしているという。 また一方で坂井は戦争中は満州にいて、そこで結婚したが今は別れている。ところがその満州時代に結婚した妻と再会したらしい。 木下の元に刑事がいくとあっさり「私がやりました」と認める。 尋問をしたが自供も曖昧で、結局「ただで飯が食える」という理由で嘘の自供をしただけだった。 坂井の妻の住んでる場所は遺体発見場所からそう離れていない。 果たして? 緊急事態宣言中から配信で見始めた「警視庁物語」シリーズ。シリーズとしてはまだ1本あるが、すでに観ているので私にとっては最後の1本。 実に残念だ。 今回は前回の10代の性の乱れみたいな話と違って戦争秘話。 その前にどうしようもない男、木下を通じて血液銀行の様子が出てくる。 今もあんな感じかはわからないが、何十人と人が集まり、そこに縛り屋(潮健児)が人々の腕をゴムで縛る。林刑事(花沢徳衛)が話す。「ああやって腕を縛ってちの流れをしばらく止めて血を濃くするんだ」。何回も採血して血が薄くなると血が売れないのだ。係員が「大丈夫だよ、血を抜いてくれよ」「あんた他のところでも血を抜いて薄くなってるからだめ」「他には行ってないよ!」という願う。 南廣の刑事が「金のある人間はこないところですね」 後半は実は坂井は満州時代に結婚したが、子供ができて逃げ出した。 戦争で娘は死に勤め先の知り合いの同じくらいの赤ん坊をつれて逃げてきた。そしてこの娘を自分の子供として育てようと決意したのだ。 もちろん娘はそのことは知らない。 赤新聞(スキャンダル紙)の記者の口から「あなたの父は被害者の男性だ」と教えられてしまう。 それでショックを受けるが、母親は自首し、真相を知り血はつながってないけど本当の親子の絆を認め合う、という訳。 実際には母親は殺したというより過剰防衛。しかし死体遺棄の罪は免れない。 三田村刑事が「誘拐罪にはならないでしょうか?だって他人の子供を勝手につれてきているし」。主任「営利じゃないし相手の両親は亡くなってるからそうはならんだろう」という終わり方。 いつもは犯人役の今井健二が今回は刑事役。ちょっと違和感があった。 「警視庁物語」シリーズ。本当におもしろかった。 ネガがない1本が観れないのが実に残念。 風の谷のナウシカ日時 2020年6月28日12:30〜 場所 TOHOシネマズ上野・スクリーン3 監督 宮崎駿 製作 昭和59年(1984年) 千年前に世界は最終戦争によって滅亡し、環境は大きく変わり、腐海と呼ばれる森の中では毒が蔓延しており人間はマスクをしていないと5分と生きていられない。 そんな中で海沿いにある風の谷は海から来る風によって腐海からの毒が流されていた。族長の娘、ナウシカは腐海に住む人間には有害な巨大な虫たちをおとなしくさせる術を心得ていた。 ある日、巨大な飛行機がやってきて墜落した。そこには大きな「もの」が積まれていた。それは千年前に人類を滅ぼした巨神兵の一体だった。巨神兵はいなくなったと思われていたが、地中に生き残ったものを掘り起こしたものがいたのだ。 実はペジテ市のものが大国トルメキアに対抗する武器として巨神兵を掘り当てたが、それを逆にトルメキアに取られてしまったのだ。 トルメキアとペジテの戦いに巻き込まれてしまう風の谷。 ペジテの少年、アスベルは戦いをやめさせたいというナウシカの気持ちを解ってくれた。だがペジテの者たちはアスベルを無視し、巨神兵を取り戻すために「オウム」と呼ばれる巨大な虫を使って風の谷を襲おうとしていた。 ナウシカは単身、オウムをなだめるために動き出す。 ジブリ(というか宮崎駿)作品の再上映。コロナ渦で映画館にひとは戻らず、そんな時期に新作は公開しにくい(席は1席ずつ空けての営業なので根本的に客を入れられない)状況で今は旧作をやった方がリスクが少ないということでジブリ作品を大公開。ほかにも「ゲド戦記」とか「千と千尋の神隠し」とか「もののけ姫」とかやってるけど、公開時に見逃した「風の谷のナウシカ」を選択。 公開当時は安田成美の歌う主題歌が大ヒットしたんだよね。それを聴きにいこうと思ったのだが、なんとその曲は本編では使われていない。 は?ってなものですよ。 84年当時は東西冷戦時代で第三次世界大戦による人類滅亡もなんとなく肌感覚で感じられたのですが、今さら米ソ(ソ連はないけど)、米中がミサイル核戦争を行うとは思えない。もちろん局地的な戦争はあるだろうけど。そもそも戦争って経済が根本だから戦争を行わずに生かさず殺さず金が儲かればよいのだよな、支配層からすると。 そうなるとグローバル時代には核戦争は似合わない。 だからといって人々の生活がよくなったわけではなく、東西対立が「貧乏VS富裕層」になった気はしますが。 それで戦いではなく、自然との強制だ!とこの作品は説く。それは全く賛成なのですが、どうもこの映画(というか宮崎作品は)は肌に合わない。 肌感覚でいいと思えないのですよ。「千と千尋」も「風立ちぬ」もだめだった。 いや話が解らないということはないのですよ。でも「ああそうですか」で終わってしまう。 しかしこの映画には推進力付きのグライダーみたいなのや巨大輸送機などいろんな飛行機が登場し、空中戦を行う。 この飛行機の動きは見事なもので以前友人が「宮崎駿は日本で今一番飛行機の動かし方を解っている」と言っていたのも納得。 「風立ちぬ」もあるし、ご本人も飛行機がお好きなんでしょうね。 ということで宮崎駿はもういいかなあ。でも話題について行くためにまだ観なくちゃいかんかなあ。 「巨神兵」とかやっと解ったよ。 警視庁物語 十代の足どり日時 2020年6月27日 場所 amazon primeビデオ 監督 佐藤 肇 製作 昭和38年(1963年) 多摩川の河原で10代の女性の死体が発見された。近所の母娘から行方不明の届け出がありすぐに判明した。名前は松本みどり。彼女には久美子という姉がいて背格好も同じくらいだという。 母親の話では昨夜は英語塾に行って8時頃塾を出たはずだという。みどりの塾友達の証言で塾を出たところで木元(砂塚秀夫)という城北大学の学生と会ったという。学校の友達の話では木元という学生は夏に海水浴に行ったときに知り合ったようだ。 また目撃者の証言で「みどりらしい女性が学生風の男と8時半頃河原で歩いていた」ということから木元が犯人と思われた。 一方、学校の友人の話ではみどりは浪人生の宮崎という男と喫茶店でお茶を飲んでるところを目撃されていた。宮崎に当たったところ、原田という産婦人科の息子の家に勉強に行っていたという。 木元に出頭してもらったが、彼には犯行時刻の頃にスピード違反で検挙されていた。原田を再度追求したところ、宮崎とは実は会ってなかったと証言した。しかも宮崎に堕胎のことで相談されたことがあったという。 「警視庁物語」シリーズ第22作。今回は「10代の性」がモチーフである。街角にはピンク映画の看板がおかれ、小学生でも「わあすげーなー」と見ている横を刑事たちが歩いていく。 ストリップ劇場があり、木元も「その時間はストリップを見に行った」とストリップ劇場が若者の身近にある。 刑事のひとりが「しかし刺激的だねえ。俺ら大人にも刺激があるのに若者には強すぎるんじゃないか?」とぼやいてしまう。 また前半には高校生の使う若者言葉(「エスケート」=エスケープしてスケートに行くこと。「カウンター」=ボクシング用語からきていて迎え撃つこと。つまり女性を口説くこと)に翻弄されるというおじさんの戸惑いも出てくる。 この感覚はちょっとおじさんぽくて(「今時の若者は」的発想なので)いやだったが、後半の展開はちょっと意外だった。 宮崎は浪人生だが、受験のストレス(母親が厳しかったと説明される。当時流行語にもなった「教育ママ」だったのだろう)もあって女性の体を求めたのだろう。それで久美子は妊娠。 久美子は妹から「お姉さん最近ちょっと太ったんじゃない?」と言われて妊娠が妹に悟られたと深読み。宮崎が「妊娠のことは誰にも言わないでくれ」と言われ、実は知らなかったみどりは逆に「お母さんにいう」と言われつい殺してしまったというのが真相。 そして後日談。久美子は実は想像妊娠で妊娠してなかったと原田の父の証言で解る。それを知った久美子は「妹を死なせ、恋人を殺人犯にしてしまった」後悔から自殺。おいおい長田刑事、ちゃんと見張ってろよ! 久美子の立場からすると死にたくもなるだろうけど、子供を二人連続して死なれた母親の気持ちはどんなものだろう。 これに対し、なにもいえずただ現場を去ることしか出来ない刑事たち。 妙にせりふがないのがこの映画の良さなのだ。 汝の敵日本を知れ日時 2020年6月22日 場所 NETFLIX 監督 フランク・キャプラ、ヨリス・イヴェンス 製作 1945年(昭和20年) NETFLIXの「おすすめ映画」「関連映画」みたいな欄を見ていたら突如表示されたのがこの映画。 第二次世界大戦にアメリカ陸軍省が製作したプロパガンダ映画。上映時間1時間強の中編。 NETFLIXの紹介文によると「現代の基準では差別的な表現が多い」と書いてあるので見てみた。 というかこんな非商業映画もあがってるとはNETFLIX恐るべし。 (あとジョン・フォードの「ミッドウェイ海戦」もあったな) ますは天皇。 昭和天皇の姿が数多く登場し、正直観たことのないようなシーン(別に衝撃のことをしてるわけではない)も多い。 その中でも皇紀2600年記念式典の映像は初めて観た。へーそんな映像があったんだ。 そして初代天皇、神武天皇は天照大神の子孫で、太陽神であり日本における天皇はローマ法王やアメリカ大統領とイギリス首相とかとにかく欧米の色々な偉い人を総合したような立場だと紹介する。 そして「八つの屋根の元に世界を治める」という「八紘一宇」の精神も大きく紹介される。 「現在の日本は神武天皇の言葉を実行しようとしている」と結論づけられる。まあそうなるか。 「誰も天皇を見てはいけない」「天皇を見下ろすことのないように天皇が街に出るときは2階以上の窓は閉める」「東京は上なので東京に向かう列車は上りという」と「ちょっと盛ってないか?」という紹介がなされる。 そして日本兵は小柄だが根性があるのでなかなか侮れないと紹介。 あと武士道。日本の歴史にも触れ、天皇を上に立つ大名の時代になり、だまし討ちが当たり前だった、と言われる。確かに戦国時代はそうだけど。 「だから武士道とはだまし討ちを奨励するのだ」と。 いや、結果的にはそうなったけど、武士道では奨励されてないと思う。 そういうのが横行するから、それをいさめるために「武士道」がある気がするが。 まあ「パールハーバーをだまし討ちで攻撃するのが日本人のやり方なのだ」といいたいらしいのですが。 そして米軍は日本軍を打ち負かしている!という流れなのだが、どこまで行ってるのかと思ったら、マッカーサーのフィリピン再上陸、硫黄島陥落、そして沖縄攻撃で映画は終わる。 ってことは1945年の5月ぐらいに完成した映画で、もう終戦直前じゃないか。(この映画を見た翌日の6月23日は沖縄の慰霊の日だ) まあこんなプロパガンダ映画を作らなくてもアメリカの勝利は確実なのにね。 勉強になりました。 21世紀の資本日時 2020年6月21日17:00〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン10 監督 ジャスティン・ペンバートン トマ・ピケティの「21世紀の資本」の映画化。 一種のドキュメンタリー映画。ピケティをはじめ数多くの経済学者が登場し、解説を加えていく。 映画は17、8世紀から話は始まる。1%の貴族と99%の平民しかいない時代。産業革命を経て格差を埋めるために「外国が悪い」とあおって第一次世界大戦となる。 そんな中で「需要を生み出すためにファッションが選ばれた。人々はもう飽きたという感覚から服を買うようになる。またクリスマス商戦というものも作られた」と説明される。 なるほどねえ、昔は服なんか「着れれば買う必要なし」だったのだな。 今の私もそれに近いが、それでも新しい服にはなんとなく興味わくものな。Tシャツなんか何枚もあるけど、新しいデザインがあるとつい買ってしまう。別に誰が見るわけでもあるまいし。 その後第二次世界大戦を経て、多くの人々が豊かになる時代になった。 日本でも高度経済成長の時代だ。それが70年代になってオイルショックを経て万人の成長が止まる。 やがて実体経済との成長とは別に株価で儲けるというバブルがやってくる。 日本だけでなく、アメリカでも住宅ローンみたいなもので投機が起こる。 そしてリーマンショックになる。 だが「つぶすには巨大すぎる」という理由で金融会社はつぶれない。責任者はたんまりボーナスをもらう。 日本と同じである。 そして富は集中し、富裕層は金が金を生む状況になる。 ある実験の話が興味深い。 その実験とは人を最初にコイントスで「富裕層」と「貧困層」に分け、双六をやらせる。 「富裕層」にはダイスを2つ持たせる。当然、富裕層の方が早く駒を進める。さらに貯金(たぶん人生ゲームのようなもの)も増える。 それだけでなく、富裕層役の人間は堂々としてきて態度も声もでかくなり貧困役をバカにし始める。貧困層役は自信を失っていく。 ゲームの後、富裕層に勝った理由を訪ねると誰もが実力と言い出す。実は最初にコイントスで勝っただけなのに。 現実も金持ちの子に生まれたか、貧困の子に生まれたかで変わってしまうのだ。もはや努力とかでは追いつけない(まあたまには追いつくけど、それは少ない。本当に少ない)。 「技術革新が新たな雇用を生む」というのは技術革新主義者(とは言ってないが)の妄想で、現実は技術革新はある分野の仕事を無くす。 車の発明で馬が不要になったように。 たとえば自動運転。これが実用化されたら雇用の中心となる運転手の仕事が無くなる。大失業になる。 結局「富裕層や税金逃れをしているグローバル企業にもっと課税して再分配しなければならない」ということ。 いやいやそんなことは解ってるし、それが出来れば苦労しない。 富裕層は政治にも食い込み、自分たちが損するような政策にさせないようにしている。 だから金持ちはずっと金持ちである。 あまりにも当たり前の結論で少し拍子抜けした。 まあ各時代を説明するのに過去の劇場映画のシーンを抜き出して説明に使ってるのは興味深かったですね。 海、翼、そして明日日時 2020年6月20日 監督 井上英之 製作 昭和52年(1977年) 自衛隊のPR映画。27分の短編。防衛庁の発注で東宝映像が制作を請け負ったようである。東宝マークはなし。 最初に「日本は海に囲まれており、ソ連の潜水艦の動きも気になる。海上封鎖されればたちまち日本は輸入が途絶え危機に陥る」とあおる。 「なんだかイヤだなあ」と思ってみていたが、「だから潜水艦の索敵が大事」と哨戒機と護衛艦が連携しての潜水艦の索敵演習の模様が出てくる。 実際に活躍している人は本物の自衛官。一応ドラマ仕立てだから「索敵開始!」「ソナーブイ投下!」とかいうのだが、へたくそである。 というかこっちがリアルなのだろう。 我々は田崎潤や藤田進の軍人演技になれすぎているのだ。 後半は「救助活動大事な任務です」と台風で遭難した船(漁船?)を救助に向かう。 まず空中から位置を確認、救命ボートを投下、そしてまずは遭難者をボートに乗せ、そのあと違う管区の船が救助に向かう、という感じ。 (この3人の遭難者で一番目立つポジションにいるのが先日亡くなった加藤茂雄さんである) 旋回する哨戒機、海中の潜水艦のカットなどは特撮。 音楽は伊福部昭の音楽が流れ、東宝特撮ムードを堪能できる。 一般にも発売してほしい作品だ。 恐竜グワンジ日時 2020年6月14日 場所 DVD 監督 ジェームズ・オコーナリー 製作 1969年(昭和44年) 1900年頃のメキシコ。アメリカから曲芸団が巡業にやってきた。 この曲芸団、インディアンとカウボーイのショーが売り物なのだが、最近はちょっと落ち目。かつてはこのショーの人気スターだったタックが帰ってきた。つきあっていた同じく人気スターのTJとよりを戻そうとしたのだ。しかしTJはカルロスが近くの谷で捕まえてきた高さ30cmほどの馬を使って新しいショーを考えていた。それを見たタックは近くで化石の採掘をしている古生物学者ブロムリー教授に見せる。 教授はほかにもいると考え、どこで捕まえてきたかを訪ねるが、カルロスは答えない。しかし地元のジプシーが「その生き物を返しなさい」と言っているのを知り、ジプシーに小さな馬の場所を教えた。 早速ジプシーたちがその馬を取り戻し、元の場所に返そうとする。それを追う教授。カルロス、TJ、タックたちも追いかける。 やがてジプシーたちはある谷のあたりで馬を放す。その馬を追いかけるタックたち。ある岩の壁の隙間に逃げていく馬。その隙間に入るとそこは太古の世界だった! レイ・ハリーハウゼンの特撮映画。元は師匠のウィリス・オブライエンが企画したもの。ウィリス・オブライエンと言えば「キング・コング」の特撮の人。 お話の方は谷に到着するまでが長く、恐竜が出てきてそれを捕まえて町へ連れて行って見せ物に使用としたところ暴れ出す、と完全に「キング・コング」と同じ。全く二番煎じもいいとこである。話は退屈。 これを考えると東宝特撮の方がバラエティに飛んでいる。 カウボーイと恐竜、という組み合わせに大喜びする人もいるだろうが、私は基本的に西部劇には燃えない性質なので、ピンとこない。 (日本で言えば「侍と怪獣」みたいな組み合わせかな) ところが特撮は「キング・コング」に比べると確実に進歩している。 最初の小さな馬の動きが実に自然。ストップアニメーションってカクカクした動きになりがちだが、実に自然なのだなあ。 そして画面の上半分は特撮、下半分は風景と言った合成が多かったが、今度は完全に合成されており、「この線からこっちが特撮、そっちが実写」という感じが全くない。 さらにプティラノドンが登場し、地元の少年ロペ(カーティス・アーデン)を足でつかんで連れて行く。話はそれるが、このロペ少年が「ニュー・シネマ・パラダイス」に出てきた少年みたいな感じでよかった。 そして見せ場の一つ、カウボーイたちが投げ縄を使ってティラノサウルスを捕まえるところ。合計4本のロープを首にかけられるシーンは見事な技術である。 結局谷の入り口の洞窟を抜けるときにティラノサウルスは体が大きく岩を崩してしまう。それで無事捕獲できてショーになるが、ジプシーがティラノサウルスを逃がそうと進入し、やがて暴れ出すという展開。 町を襲い、教会に追い込みそして火を放って教会ごとティラノサウルスが燃えていく。 教会が燃えてるカットでメデタシで終わり、別に主人公が反省の弁を述べるわけではないんですが。 結局話はおもしろくないのだが(まあ飽きたということもありますが)、後半の谷についてからが特撮の見所満載で十分に満喫できた。 小さな恐竜を追いかけていたら、奥からティラノサウルスが出てきてくわえてしまうシーンが「『ジュラシック・パーク』のラストみたいだな」と思ったら特典映像のインタビューでも同じことを言っていたから私の思い込みではない。 やっぱりハリーハウゼンはすごいわ。 許された子どもたち日時 2020年6月13日17:05〜 場所 ユーロスペース・シアター2 監督 内藤瑛亮 市川絆星(きら)(上村侑)は小学生の頃はいじめられ顔には今もその時の傷が残る。中学生になった今は5人グループでその仲間の一人・樹をいじめていた。ある日、樹が作った手製のボーガンを使って遊んでいた。樹の態度が悪いと感じた絆星は樹をボーガンで撃った。矢は首を貫通し、樹は死んだ。その夜のうちに樹の遺体は発見された。 警察は防犯カメラに事件現場に向かう絆星たちが写っていたことから、絆星の元にやってきた。絆星は自白した。家庭裁判所での審判が始まった。 弁護士たちは絆星たちに否認させた。ボーガンの矢からは指紋は検出されず、防犯カメラの映像と強要されたこともあり得る自白のみしかなく、物証もないので結局は不起訴、事実上の無罪になった。 しかしネット上では実名を暴かれ、非難の嵐だった。当然家にも野次馬は押し掛ける、家に貼り紙はされる、学校には行けない、父親は事実上解雇された。樹の親は民事訴訟を起こすという。一家は引っ越した。 引っ越した先では名前を変え、暮らしていた。絆星も学校に通うようになった。 しかしその学校でもいじめはあった。演劇部でかつては先生とつきあっていたという噂のある桃子(名倉雪乃)が対処だった。 桃子はこの不思議な転校生のことを気になっていた。桃子のいじめの問題でクラスでグループ討議が行われた。「いじめらるほうにも問題がある」「人にされていやなことはしない」などの様々な意見が飛び交う。 蓮見は絆星が実は事件の犯人と気づいていた。そして絆星のことをついにネットに書き込み、公表してしまう。 被害者の父が絆星の家にもやってきた。父親はついに逃げ出した。 内藤瑛亮監督の渾身の自主映画。「先生を流産させる会」を観たときからの内藤監督ファンとしては観ないわけにはいかない。 当初は4月に公開予定だったと思うが、コロナ渦で緊急事態宣言があける予定だったGW明けに公開はいったん延期になったが、結局は6月1日公開に。しかし初日イベント等もなく宣伝もしづらい中での公開。私もTwitterで公開されていることを知った次第だから。 第1週は1日1回の夜の回だけなので、ヘビーそうな内容で日曜の夜に見に行く気にはなれず、2週目の土曜日にした。 偶然にも「三大怪獣グルメ」と続いて同じシアターでの上映だ。この自分にとっての2本立てはなんか妙である。 前半、特に引っ越すまではいわゆる「あるある」というか「そういう感じになるな」と予想される展開で進む。 証拠不十分により不起訴(これは「やってない」というより「やったとは決められない」ことによる)、暴走する正義、ネットの書き込み、「少年法厳罰化」の意見、絆星の家に押し掛ける人々、近所の人の嫌み、ものすごい情報量のもと話は進んでいく。 ここまでは実にドキュメンタリーを観てるような感覚だ。 だが引っ越してから桃子の登場からフィクション性が出てくる。 絆星が廃墟でたばこを吸い、ボーガンを作っている。そこを桃子が知って二人で秘密を共有するようになる。キスをする。 今まで事実や取材のもとに積み重ねてきたものに一気にフィクションが加速する。そこにちょっと違和感を感じた。 一方でイジメのグループディスカッションをするシーンというノンフィクションな部分も出てくる。その中でも「いじめられる方にも問題、原因がある」という意見。これは実際の中学生、小学生にもある意見だそうだ。 僕なんかは「イジメというものはストレス発散の金のかからない遊び」だと思っているので、対象には別にだれでもいい。たまたま対象になりやすかったということでしかなく、その理由に正当性はなく「たまたま」である。 それはたとえば露出の多い服装をしている女性が痴漢等の性被害にあったとき、「そんな格好をしてる方が悪い」という意見。自衛のために自分に言い聞かせるならまだわかるけど、他人の被害への意見としてはそれはやはり間違っている。しかし実際には「被害者にも落ち度はある」の意見は大きい。 この映画、どんな結末を迎えるのかと気になり始める。映画は終わるが、少年たちの人生は終わらない。 絆星はもとの町に帰り、被害者の家に行く。謝るのも彼が再出発する一つの方法と考えたのかも知れない。しかし被害者の親が許してくれるはずもなく、事件現場に行って向き合おうとする。かつての仲間だった少年がいる、自分が押さえられなくなり殴る、他のイジメのグループを見つける、彼らも殴る、かつて自分がそうだったのに殴る、なにも解決できないもどかしさがたまっていく。 有罪になり、少年院に行けばあるいは自分でも納得できたかも知れない。 しかし現実にはこの世で生きていかねばならない。 ラスト、絆星は夢を見たと母親に話す。それは自分が爆発する夢だが、夢占いを見ると「再生」を意味していると話す。 それが本当かどうかはわからない。 しかし彼は「友人を遊びで殺した」という罪の意識を持って行き行きて行かなければならない。 瀬々監督の「友罪」を観たときもそう思った。 「過去になにがあろうと人は生きていかねばならない」 この少年がこれからどう生きていくべきか、彼は生きていけることが出来るのか我々も何か問われている気がする。 役者では絆星の上村侑がすばらしい。柳楽優弥の再来である。 三大怪獣グルメ日時 2020年6月13日15:00〜 場所 ユーロスペース・シアター2 監督 河崎 実 田沼雄太(植田圭輔)は理化学研究所に勤めて食糧不足解消のために生物の巨大化の薬、スタップZを研究していたが、膨大な予算を使ったためクビになり今は実家の寿司屋を手伝っていた。今年も近所の神社に奉納するタコ、イカ、カニを持って行く途中、何者かにそれは奪われた。 そして巨大化したイカ、タコが東京を襲った。通常兵器では攻撃しても弾力があるので役に立たない。なんとかいなくなったタコとイカだが、残された怪獣の肉片は意外にも美味で評判になった。 政府は怪獣対策のために「シーフード・モンスター・アタック・チーム」通称SMATを結成。 情報から雄太もSMATに関わることに。そこには雄太の幼なじみの星山奈々(吉田綾野クリスティー)がいた。雄太はスタップZは完成させていない。SMATにはかつて雄太の同僚でことごとく意見が合わなかった彦馬(安里雄哉)も参加することに。 雄太の友人、新実(横井翔二郎)はゲームの天才だった。 彦馬の提案でタコ、イカには酢砲で酢を浴びせかける作戦にでた。しかし今度はカニも出現。 彦馬は奈々にちょっかいをだす。雄太はそれが気になって仕方ない。 やがて国立競技場に怪獣を集め、酢砲で撃退する作戦に出たが歯が立たない。 新実が登場し、彼の開発した巨大ロボットが登場した! 河崎実監督の新作。 チープな特撮、いまいちマイナーな有名人等がワンシーン登場などのいつもの芸風。タコ、イカなどの造形はあくまでチープで恐怖感というよりかわいらしさを出している。 有名人は吉田照美(が主演した河崎監督の前作、「ロバマン」は観なかった)、村西とおる、泉麻人、彦摩呂、堀内正美、きくち英一などなど。 どうやって国立競技場に集めたかまったく不明。説明する気もない。 そして最大に笑ったのは巨大ロボット・ジャンボコックの登場。 これは地下鉄銀座線・稲荷町駅そばのいわゆる合羽橋道具街の入り口にあるニイミ洋食器店ビルの屋上にある巨大なコックの胸像がロボット化したもの。 これは笑ったなあ。このニイミ洋食器店の胸像は前を通るたびに「怪獣みたいだなあ」と思っていたが、それが具現化するとは! 「相変わらずしょうもない映画だなあ」と思いつつ観ていたが、これが登場しただけで許す。 次回作にも是非このジャンボコックは登場してほしい。あとついでに神保町にあるシャツの店の巨大おじさん看板も今度は具現化してほしいな。 ジャンボコックとあのシャツのおじさんが怪獣と戦うとかいいじゃないですが。 主役の3人は下手。 吉田綾野クリスティーは乃木坂だかのアイドルらしいのでまあ仕方ないとしても男優の二人は全く知らない。なんかバンドのメンバーで役者が本業じゃないのかな?と思っていたら、それなりに舞台とかしている役者だそうだ。ふーん。 ジャンボコックはポスターにも登場しておらず、完全に伏せられていたのでそのインパクトはすごかった。 またちゃんとした日本製の怪獣映画みたいな。ハリウッドのゴジラもいいけどなんか違うんだよなあ。 警視庁物語 19号埋立地日時 2020年6月7日 場所 amazon primeビデオ 監督 島津昇一 製作 昭和35年(1960年) 19号埋立地で男の死体が発見された。死体は絞殺で約1ヶ月前に埋められたようだ。着衣や歯の治療がないことなどから金はなかった方だと思われる。手にしていたのは数珠。林刑事(花沢徳衛)らはこの数珠を手がかりに仏具店を回る。新興宗教の日々教ではないかとわかった。信者は多かったが、とりあえず現場付近の28名の名簿を作成した。 その頃浅草の交番から連絡があった。数ヶ月前に酔っぱらいで説諭訓戒をした男に似ているというのだ。浅草に聞き込みに行ったところ、露天商の武井為七とわかる。武井のアパートに行ったが1ヶ月姿を見ていないという。 しかも武井には女房・初子がいて、10ヶ月ほど前に別れ別の男と再婚したという。引っ越し先に行ってみたがすでに初子は引っ越した後だった。近所の聞き込みでは武井らしき男が時々訪ねてきたという。 武井は酒乱でしかもろくに働かない男だった。初子の引っ越し先を訪ねる刑事。初子と今の夫森中(織本順吉)を任意で同行してもらった。 「警視庁物語」シリーズ19話。18話の「謎の赤電話」はネット情報ではネガが破損していてプリントはないそうだ。残念。 さて今回も地道な捜査で徐々に犯人に迫っていく。 まずは身元の特定で近所に聞き込み。(犯人は近所のものと判断されたが車で運んできたとは思わなかったようだ。まだ誰でも車がない時代だから?) そこで近所の主婦に「私の夫だ!」というのが現れるが、これが気が触れているという展開。また「自分の夫らしい」という主婦も現れるが、これが単に夫が失踪していたのを「夫は大阪に行ってるらしいです。大阪を調べてくれれば夫でなかったとはっきりします」と証言をし、単に今回の事件を利用して夫を捜してもらおうとする。 こういう細かなエピソードが好きだ。 結局被害者は酒乱で妻に暴力を働いており、たまりかねて逃げ出したが追いかけられ妻が殺したという顛末。 夫婦ともに「私がやった」といい、告白のシーンで音楽が流れウエットな展開になる。そういうウエットな展開は好きではないので、ちょっとなあ。 あと夫の方が任意同行してその後にもう一回新事実がでて犯人が違っていた(ただし妻以外)という展開を期待したが、それはなかった。 前半の追いつめていく展開がよかっただけにラストは残念。 AKIRA日時 2020年6月6日11:20〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン8 監督 大友克洋 製作 昭和63年(1988年) 1988年に大爆発が東京で起こり第三次世界大戦が勃発。 31年後の2019年。東京湾に埋め立て地を作りNEO東京を作り来年には東京オリンピックを予定していた。 そんな中、高校生の金田はバイク仲間とつるみ、敵対するグループとの喧嘩に明け暮れていた。そんな時、バイクでの喧嘩をしてるときに自分の仲間の鉄雄が警官やアーミーの連中に連れ去れた。 その前に鉄雄は老人の様な顔をした少年を保護しようとするアーミーの争いに巻き込まれたのだ。そこで見たものを隠蔽するか、あるいは何かの影響を受けたか。 金田は暴走行為で逮捕されたが、その現場でデモをしていた女性と出会う。 その女性は反政府組織のメンバーだった。鉄雄を助けるためにもその女性を通じて反政府組織に荷担することになっていく金田。 老人のような少年たちはあの大爆発に関係していたようだ。 今回4Kリマスターされた「AKIRA」が4月に公開。しかし結局コロナ騒動ですぐ上映中断になってしまったけど。昨日6月5日から都心のTOHOシネマズも再オープンしたのだが、特に観たいものもなかったので(新作が公開され始めるのは6月19日からだ)、封切り時に一度観たこの「AKIRA」を選んだ。 内容は全く覚えておらず、第三次世界大戦で東京は壊滅し、東京湾に新都心を建設しているということしか内容は覚えていなかった。 映画中で2020年に東京オリンピックが予定されており、これが未来を予測していたと話題になった。 新しい東京をスラムのような東京が混在するのだが、1988年代の未来予測がええ、と思ったなあ。 スマートフォンはおろか携帯電話すら予測していない。登場人物たちは新しいタイプの公衆電話で会話している。 さらに主人公がたむろするバーにジュークボックスがおいてあるが、これがCDをかけるジュークボックスなのだよ。 確かに私も携帯電話は予測しなかったし、音楽は形は変われどくるくる回るものにだけ(カセットテープとかレコードとかCDとか)に収まってると思っていた。データで保存できるとか1990年代にパソコンが始まった頃でも想像つかなかった。1990年代はハードディスクの容量が1ギガなかったものね。 そういう未来予測はともかく、肝心のテーマ。 かつての研究者はそもそものエネルギーについての研究だった。動物が進化するエネルギー、それをたどっていくとミトコンドリアになるわけだが、そもそもアミノ酸などの無機物が生物に変化するエネルギーとはなんだったか。 アミノ酸やらなにやらの部品は出来てもあるだけではいつまでも部品の入った箱にすぎない。それが機械になるにはなんらかのエネルギーが必要、ということで、そのエネルギーを研究していてそれがAKIRAで、という感じ。(あってる?) そのAKIRAの影響を脳に受けると念力を獲得するのか、日頃から金田に対してコンプレックスを抱いていた鉄雄は世界を支配しようとするという感じ。 映画としてのクライマックスは鉄雄の力を倒そうとするアーミーや岩田との戦い。ちょっと長生きもするが宇宙の衛星からレーザーを照射したりしてサービス満点である。 ラストにぶわっーと鉄雄が大きくなっていくこ所は記憶に残っていた。 映像の動きもなめらかで当時としては画期的だっだし、アニメに詳しい人が見たら今はCGでそれほどでもないことが当時としては絵の枚数をはじめとして膨大なことだったとか。 それよりもアニメファンでもない私が公開当時に観ていたということで、「大人向けのアニメ」としての本格的な始まりだったんじゃないか? あとは芸能山城組のドラム、太鼓の音楽。 1980年代の最先端を改めて確認したような映画だった。 シン・ゴジラ日時 2020年6月3日18:30〜 場所 新宿バルト9・シアター4 監督 庵野秀明 製作 2016年(平成28年) コロナ禍である。「禍」なんて言葉は今まで使ったことなかったのに今では慣用句になった。 4月8日だったかに緊急事態宣言がだされ、翌日から全国すべての映画館が休業した。 5月連休も終わり、緊急事態宣言はとりあえず5月末まで延長となった。 5月中旬には首都圏をのぞく地域での緊急事態宣言も解除された。 映画館は5月20日頃から再会された。東京の緊急事態宣言は5月25日に解除され、6月1日から映画館の営業も許可された。 しかし全面的に「もう大丈夫」となったわけではなく、「気をつけながら」「様子を見ながら」となっただけだ。 6月1日から新宿ピカデリー、バルト9は営業再開、他の東京の映画館も6月5日(金)から営業再開だ。ただし5月末ごろから一時は1桁に減った新規感染者数も2桁を続け、第2波となってもおかしくない状況。 指定席の映画館では席は1席おきしか販売せず、ネット上の予約画面では市松模様の状況である。 まあ空いてる方がのんびりしてるのだが。 また3月末から新作が公開されなくなり、5月中に再開した地方の映画館は番組に困り、「君の名は」「天気の子」などのアニメや「シン・ゴジラ」も上映され、この3つがだいたい定番の番組である。 「午前十時の映画祭」をやっていた映画館ではその中から「ローマの休日」や「ベンハー」「タワーリング・インフェルノ」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」なども上映されている。 で、映画館再開1発目はやはり「シン・ゴジラ」にしたかったのでバルト9にした。本音をいえばバルト9は好きな映画館ではないので避けたかったがまあ仕方ない。でもゴジラ・ストアの直上だからよしとするか。 しかし見直して思ったのは4年の歳月である。 ついこないだの映画だと思っていたが、あれからいろいろあったのだなあ。 出演者では亡くなった方(大杉漣、原日出子)、大河ドラマの主役になった方(長谷川博己)、ほとんど無名から主演映画が出来た方(高橋一生)、クスリで逮捕された方(ピエール瀧)、女性問題で消えた方(小出恵介)などさまざまである。 栄枯盛衰とはよく言ったものだ。 そしてこの映画、改めて観て思ったのは「日本が壊滅的な危機に直面したけど、みんなで頑張って克服した!」っていう映画である。 同じく危機に陥っている現在、非常に元気が出た。 しかし同時にがっかりもする。 現在の日本の体たらくには目を覆うばかりだ。 東京オリンピックの開催に固守するあまりに現実の感染状況を直視せず、感染者数を少なく見積もる、感染防止には人々の移動、接触を制限するしか方法がないのだが、休業補償を出したくないばかりに「自粛願い」とお願いだけ、日本人はそういうのは素直に従う国民だから仕方なく休業する、おかげでなにかどうかは解らないけど人口あたりの死者の比率は欧米に比べれば(ただし東アジア各国の中では高い)少ないのを「民度の高いから」と自分の手柄のようにいう麻生大臣、中小企業に対する給付金の事業を幽霊法人に委託し20億円も中抜きし電通に再委託しさらに自民党に献金させる、さらに政権に甘いとされる黒川検事長を無理矢理定年延長させ検事総長に就任させようとしたり(これは週刊文春の黒川氏の賭麻雀〜それも朝日、産経の記者とだぜ、おい〜報道により黒川氏が辞任したが)などなどとにかくこの緊急事態下でも自分のことしか考えない政権。 悲しくなるよ。 映画のこととは関係ないのだが、2020年6月の映画界の記録として書き留めておく。 |