プロジェクト・ムーンベース 月面基地スパイ大作戦 | 横須賀綺譚 | アルプススタンドのはしの方 | グレース・オブ・ゴッド 告発の時 |
劇場 | 管制塔 | 夏を呼ぶ儀式 | わが青春に悔なし |
私がモテてどうすんだ | 一度も撃ってません | MOTHER/マザー | 痴漢電車 いやらしい行為 |
プロジェクト・ムーンベース 月面基地スパイ大作戦日時 2020年7月30日 場所 DVD 監督 リチャード・タルマッチ 製作 1953年(昭和28年) 1970年、アメリカは宇宙軍を創設しており宇宙ステーションも完成していた。しかし反民主主義者の国のスパイたちはこの宇宙ステーションの破壊を計画していた。今度の宇宙飛行に同行する学者がワーナー博士と知り、かねてから用意していたワーナー博士の替え玉をメンバーに加えた。 今回の飛行では月面の裏側の写真を撮ることが目的。パイロットのビル・ムーア少佐は「自分一人で出来ます」と主張したが「学者を乗せないと予算が下りないんだ」と上官に言われてしまう。さらに突然の大統領命令で船長はブリティス大佐に交代されられる。面白くないビル。 宇宙ステーションに立ち寄り、月面まで行く宇宙船に乗り換える。 そして月へ向けて出発。しかしビルはワーナー博士は偽物と悟る。正体が分かったワーナーは宇宙船の操縦の邪魔をし、結局月へ到着してしまう。 「テレビシリーズのパイロット版のして制作され長年未公開となっていた作品」と紹介された作品。ディスクユニオンで安くなっていたので購入。時間も63分と短い。 テレビシリーズのパイロット版っていうけどどんな番組を企画していたのだろう?この続きなのか?これを長尺化したものなのか? どっちにしろパイロット版で終わったようだ。 この作品「普通こうはならんだろ?」という展開をする。 まず冒頭、スパイ組織(まあソ連だろう)が代表が各地のスパイに指令を出すところから始まる。そしてワーナー博士が入れ替わるまで描く。 普通主人公の宇宙パイロットから始まってスパイがやってきてそれを見抜くという展開だと思うけどなあ。 そして宇宙パイロットの船長が突然女性に。ここは驚いた。普通は男性パイロットがいて副操縦士として女性がねじ込まれるんじゃないの? んで月の山の山頂にアンテナをつけなければステーションと交信できない。(このあたりではもうビルが主導権を握っているのだが) 一人では出来ないので、捕まえて縛っておいたワーナー(の偽者)を連れて山頂にアンテナを設置。ところがここであっさりワーナーは足を踏み外して山から落ちて死んでしまう。 いや、普通は最後まで生かしておいて「さあ助かる!」という直前で自分だけ助かろうとして助けてもらった恩を忘れて裏切るだろ? そしてやっと宇宙ステーションと連絡が取れ、月に不時着していることを知らせる。驚いたのは宇宙ステーションの将軍。 普通ここから世紀の救出作戦になるだろ?タイムリミットが来るとかでサスペンスを盛り上げるだろ? ところが「月基地が出来た!君たちは月基地建設の準備要員となるのだ!」と助けに来るどころかこれ幸いと任務変更である。 「食料とか必要なものは送るから」と無人ロケットで物資は届く。 さらにだ、最初はブリティス大佐を嫌っていたビルだが、いつの間にか恋心が生まれる。将軍からも「君は実はブリティスに恋愛感情を抱いているだろ?」とか言われて「ええ、まあ」「じゃ結婚しろ。しばらくは二人きりだから。結婚式の準備はこっちでやる」という感じで宇宙ステーションとのリモートで(という言葉は2020年になったから一般的になるが)結婚式を行う。 大統領も祝辞を述べたいとつながるが、女性である。 ああ、そういうことか。出発前にも「大統領に許可をもらってます」と女性記者が独占インタビューを行っていたし、そもそも女性が船長になるし、女性が優位なのは大統領も女性だからなのか! いや物語を作る方からいうと「将来は女性の方が立場が強くなっている」という設定があるんでしょうね。 そんなわけでお話はかなり「普通」をはずしているのだが、特撮シーンは楽しい。 宇宙ステーションの全景とかドッキングシーンは丁寧。東宝の「宇宙大戦争」の前である。 宇宙ステーション内は無重力で、みんな磁力靴を履いていて床にくっついて歩いているという設定だが、廊下ですれ違うとき、相手が上下逆になって天井を歩いていたり、会議室に入ると上官が普通に座っていて壁にいすが張り付いていてそこに二人が座るという形になる。 つまり90度傾いた状態。 いや話づらいと思うぞ。 なかなか珍品で観る価値はあった。 横須賀綺譚日時 2020年7月27日21:10〜 場所 新宿K's cinema 監督 大塚信一 結婚間近だった春樹(小林竜樹)と知華子(しじみ)は別れることになった。福島の知華子の父の介護のために実家に帰ることになったためだった。 9年後、途中に東日本大震災が起こり春樹は今までと同様に証券会社につとめていた。ある日、知華子の友人に会う。「知華子、震災の津波で行方不明で結局亡くなったらしい。彼女の身内はみんな死んでしまったようだ」と教えてもらう。客をだますようなことをしていた春樹は仕事にも疑問を感じ、有給を取ってまずは福島に行ってみる。 彼女の実家があった場所はすでに完全に更地になっている。 そこへ知華子の友人から電話があった。「知華子、横須賀にいるらしい」 早速横須賀に向かう春樹。教えられた住所に行ってみると、そこは「桃源郷」という老人ホームだった。知華子は川島(川瀬陽太)という男とこの小さな老人ホームで働いていた。 春樹のことは覚えていたが震災のことは全く覚えていない。「原発がそんな事故お越したら東京電力つぶれるよ。毎月請求来るよ」 いったいどうなっているのか。 ちょっと気になっていたがパスしようかと思ったが、この日いまおか監督と西山真来さんがトークゲストで登壇されるので、(連休最終日のレイトショーは迷ったが)行ってみた。 なかなかミステリアスな作品。 知華子に「そんな事故起こしたら東電つぶれるでしょ?」と言われれば「そういえばそうだな」と思ってしまう。 結局我々は過去を忘れ、空気に流されている。 まあ実際には福島のシーンがあるので、地震はあったのだが川島が「あったに決まってだろ。彼女はショックで忘れてるんだ」と言われたときはほっとする。 そして「忘れないために」とノートをつけているお婆さんがいて、でも川島はノートをつけさせまいと隠す。 川島は春樹には「あいつとは幼なじみで、地震の時父親はすでに死んでいた」と話す。しかし実は地震の後はまだ生きていて津波が来るときに知華子だけ助けて父親は見捨てたと話す。 川島はもと闇金で今は介護職。「いい人になりたくなった」と言うが、実はホームの老人が死んでから、その財産を勝手に処分していたとわかる。 なにが本当でなにが嘘なのか? 知華子はもう一度小説を書きたいとホームを辞める。春樹も出て行く。 二人で歩きながら話しているところで、突然せりふがカットアウト。 「え?映写事故?」と思わせて、シーンは最初に戻る。 すべては春樹の夢だったということだが、本当にそうだろうか? 最後のシーンは震災前ではなく、震災後なのでは? 記憶を失っているのは知華子ではなく、春樹なのでは? そんなもやもや感を残し、(それはとても心地いいのだが)映画は終わる。 人間の記憶の曖昧さ、それを見せつけられた感じがしてなんかよかった。 面白かった。 アルプススタンドのはしの方日時 2020年7月26日17:50〜 場所 新宿シネマカリテ・スクリーン1 監督 城定秀夫 東入間高校は甲子園出場。演劇部の安田(小野莉奈)と田宮(西本まりん)は学校から強制的に応援にかり出されアルプススタンドのはしの方に座っている。そこへ元野球部の藤野(平井亜門)と学年1番の成績の女子、宮下(中村守里)もやってきた。 安田は「野球部ってなんか威張っててやだよね。特に園田とか」という。 藤野も野球部だったが、今は辞めている。園田はプロのスカウトが見学に来るほどのピッチャーだが、同じピッチャーだった藤田は「園田がいる限り試合に出られることはない」と諦め野球部を辞めたのだ。 久住さん(黒木ひかり)は見た目も可愛くて成績もこの間の模試では宮下を抜いてトップになった。しかもブラスバンド部の部長で今回も応援で目立っている。さらに久住と園田はつき合ってるという。実は園田にあこがれていた宮下はそれを聞いてショックを受ける。 田宮はやたらと安田に気を使っている。安田たちの演劇部はこの間の演劇の県大会で出演者の一人がインフルエンザにかかってしまい、仕方なく辞退したのだ。それが田宮だった。 以来安田はやたらと「しようながい」を繰り返す。 ついに宮下が「しょうがないなんて言わないで!」と言う。 城定監督の新作。今年3月の大阪アジアン映画祭で上映されたのは知っていたが(「れいこいるか」も出品したので)、時間が合わずに見逃していたのだ。いよいよこの7月24日に公開。 Twitterで評判がいいのは知っていたが、泣けましたね。 登場人物はすべて挫折感を抱えている。 特に藤田君。演じる平井亜門のよさもあって「同じ練習しても追いつかないんだよねえ」というあたりから何だか涙である。 そうねえ、努力したからって報われるわけじゃないよね。 園田ももう一人の矢野くんも出てこない。 矢野は藤田の話では「俺より下手くそだけどめげない奴。バットの振り方にしても」と「普通」と「矢野」をやってみせるが見てる安田たちにはさっぱりわからない。 試合も負けそうである。しかも相手は春も甲子園出場。 安田はつい「負けてもしょうがないよね」と言ってしまう。 そこで園田君ファンの宮下さん大反発! 試合も9回裏2アウト満塁で逆転のチャンスさえある! バッターは矢野君! さて試合の行方は? 試合が終わった後、数年後になってみんな社会人になっている。安田は東入間高校の教師になり、演劇部の顧問になった。 そして藤田はグローブを作る会社に入社したという。 みんなでまたプロ野球の試合を見に来ている。 てっきり園田が選手になったかと思ったら、彼は今社会人野球の選手だという。 では誰? それがなんと矢野なのだ。スター選手ではないけど、とにかく努力をしてプロ野球の選手になった。 矢野もきっとプロ野球のはしの方、藤田も野球界のはしの方、安田も演劇界のはしの方。 みんなはしの方だけど、外ではない。努力すればはしの方にはいける。 それでもいいじゃないか、はしの方でも。内側なんだから。 前半の藤田や安田の独白で挫折感を共有し泣いちゃったけど、やっぱりがんばろう!そうだよ、がんばればはしっこぐらいにはいけるから。 よかった。今年の第2位候補。 グレース・オブ・ゴッド 告発の時日時 2020年7月25日18:50〜 場所 シネスイッチ銀座2(3F) 監督 フランソワーズ・オゾン 今や5人の子供を持ち仕事も順調な40歳のアレクサンドルだったが、子供の頃のボーイスカウト時代の友人に「プレナ神父にさわられた?」の一言がきっかけで過去の性的虐待を告発しようとする。 教区の本部に連絡を取り、担当者も含めてプレナ神父に会うアレクサンドル。プレナは性的行為をしたことを認めたが謝罪はなかった。またその上のバルバラン枢機卿も対応するといいながら事実上なにもしない。 業を煮やしたアレクサンドルは自分については時効だが告発状を警察に送る。 告発を受け警察は過去に別の少年の母親から同様の告発があったことを発見。今は大人になったフランソワに連絡を取る。最初は「今更」と思ったフランソワだが、警察による法的対応だけでなくマスコミに公表することにし被害者の集まりである「沈黙を破る会」を結成。 そしてかつて同じ被害者だったジルという男も名乗りでる。 3人だけでなく多くの被害者が集まり、警察も協会も動かしていく。 朝、歌舞伎町前のヤマダ電機の前を通るのだが、そのユニカビジョン(大型テレビ)でこの映画の予告編をやっていたので興味がわいて観てみた。 シネマカリテでもやっていたが、丸の内ピカデリーでドルビー仕様の「Fukushima50」を観るために銀座に来たのでTCGの割引も適用されるので久々にシネスイッチにやってきた(いったい何年ぶりかな) 予告を観たときに「こういう映画前にもあったな」ということ。「スポットライト 世紀のスクープ」。2年くらい前だと思っていたが、2016年である。「スポットライト」はアメリカの話だが、こちらはフランス。全く別の人物だ。アメリカでもフランスでもあるということは世界中で起こってるのか、こういう性的児童虐待は。 しかも両方とも教会。日本ではキリスト教は少数派だし権威もないけど、教会以外の学校やとかでも起こっているのだろうか? それに両方とも少年に対する性的虐待だが、少年に対してあるなら少女にあってもおかしくない気がする。 こちらは被害者が言い出せなくて表面化していないだけだろうか? 映画の方は一人の男が戦い続けるという内容かと思ったらそうではない。 主人公は3人で1章、2章、3章とでもいうように変わっていく。 最初のアレクサンドルは自分の妻や子供にも正直にも話す。 これは勇気がいるだろうなと思う。自分の子供に「父さんは子供の頃神父にいたづらされた」とは言いにくいと思う。 またフランソワは17歳の頃に母親に訴え、そのことで両親は大騒ぎになるのだが、フランソワの兄は「弟ばかり気にしている」と両親をとられた気分になって彼もまた悩んでいたのだ。 「昔の話だ」「いつまで言ってる」などと世間からも攻撃される。 日本だけでなく、フランスでもそうなのだなあ。 正直「スポットライト」を観ているので、映画としては二番煎じ感は否めなかった。しかしそれとは別に小児に対しての性的搾取が許されていいわけではない。 こういう被害者を生まないためにも、加害者の側から何か防御する方法はないかと思う。 劇場日時 2020年7月25日10:00〜 場所 渋谷ユーロスペース2 監督 行定 勲 高校の頃から脚本まがいの創作をしていた永田(山崎賢人)は大学で上京して演劇の世界に出会う。そして友人(寛一郎)と劇団「おろか」を立ち上げたが、酷評だった。なんとかやってきたが、それでも劇団員からも批判され落ち込む永田。 そんな時渋谷で沙希(松岡茉優)と出会う。やがて沙希の部屋に住むようになる永田。沙希は中学高校と演劇部にいて演劇経験があったので自分の舞台に出演してもらう。沙希は好評で劇団の評価も少しあがった。沙希の笑顔がずっと続けばいいと思う。 友人に勧められて行った芝居を見て初めて演劇で泣く永田。その劇団の作演出が自分と同じ年と知り、ショックを受ける。 創作に専念したいと下北沢の沙希の部屋を出て高円寺で暮らし始める永田。沙希に男が出来たかもと疑う永田。 やがて沙希は酒を飲むようになり体調を崩す。実家に帰ることにする沙希。 二人の最後の晩、アパートで沙希が出演した芝居の台本を読みあう二人。 本来4月に公開予定だった行定監督の新作で山崎賢人主演作。山崎賢人が髭面のビジュアルが印象的である。ところがこれが似合うのだ。本物の二枚目ですね。本物ですからこうやってだらけたルックスになっても輝きが失われない。 今回は演劇青年で女の部屋で暮らす演劇作家の話。いかにも下北沢界隈にいそうである。永田は自分には才能があると思いつつも世間からは酷評、そして劇団員からも反発される。 僕自身は映画だったけど多少は共通点があるからなんとなく分かる。 まあ私は飯が食えるほどの才能はないと思って止めたけど。 でも辞め時を見失ってだらだら続けていく人も少なくない。 最後に映画的仕掛けがあると聞いていたが、このことだったのか。ネタバレになるけど、ラストの二人の部屋のシーンで部屋の壁が突然なくなり、演劇の舞台上になる。舞台には沙希の部屋のセットが組まれ、永田が自分自身を演じていて今までの愛の告白をする。 まあ永田の感謝が感動のポイントになるわけですけど。 (壁が崩れた時に「田園に死す」を思い出した) あと永田と沙希が肉体的接触が全くないのが気になった。同棲してるんだし、キスもするしセックスもするだろう。何にもないわけがない。 しかしキスシーンもないし当然セックスもない。 まあセックスの行為そのものはなくてもいいけど、二人でキスしてベッドに倒れ込みFO、ぐらいあってもいいんじゃないか? 山崎にはさせられないとかの大人の事情があったんだろうか? そこがすごく気になった。 この映画、本来は4月14日にTOHOシネマズ等で拡大公開の予定だった。しかしコロナ渦で映画館は休業。公開日も延期。 しかし7月になってアマゾンプライムでの配信とミニシアター系での全国30館程度に規模を減らしての公開と発表。 色々と批判、ご意見はあったと思うし行定監督も「観てもらうことを最優先とした」と言ってるが、別に嘘ではないと思うが資金回収を最優先にさせたということだろう。「ヒットしないと次が作れない」と言ってたし。 確かにコロナで映画自体がどんどん公開延期になっていき、今上映される新作はもともとそれほどヒットが期待されていたとは思えない映画ばかり。(長澤まさみの「MOTHER」で興収20億円は狙ってないですよね?) そんな中で「コンフィデンスマンJP」など23日から公開されたわけだが、完全にフジテレビもあきらめたのだろう。テレビ放映という2次収入もあるからいつまでもお蔵入りにさせるわけに行かないと判断したのかな。もともと東出の不倫騒動でケチがついていたし、コロナもあって先週には出演者の三浦春馬が自殺した。完全に呪われてしまったとしか言いようがない。三浦春馬の自殺の前から7月の公開は決まっていたが続編はもう「縁起が悪い企画」として企画しにくいだろうなあ。 「配信で公開した映画は『映画』とは呼べない」と言ってる人もいるようだが、これは「映画館にお金が落ちないから」という意味で呼べないということだろう。観客にとってはそれほど大きなことではない(と私もこの3ヶ月で思うようになってしまった)。 この「劇場」はアマゾンプライムでの公開の話がきて、やはり行定監督としては「映画館で観てもらいたい」という気持ちがあってお互いの妥協点としてミニシアターでの公開だったようだ。だから公開時の配給がよしもとに変わっている。 行定監督の「資金を回収したい」という気持ちも解るし「映画館でも観てもらいたい」という気持ちも分かる。個人的にはせめてアマゾンでの配信は劇場公開の1週間後にするとか時間差をつけられなかったのかと思う。 しかしアマゾンプライムからの収入と映画館からの配給収入ではおそらくアマゾンプライムからの収入の方が多いと思う。アマゾンプライムの希望で同時公開というのもやむを得まい。 DVDレンタルのために円盤を作る費用より配信の為のサーバーにかける費用の方が絶対に安いと思う。 もう40年前から言われてる(レンタルビデオが始まった頃から)ことだが、映像作品はあと何年経ってもあるだろう。 しかし「映画館で観る」「映画館」があと100年先にもあるかは解らない。 映画は配信で観るのが当たり前、という時代がすぐ先に来ても全くおかしくない。コロナ禍でそれに加速がついただけである。 映画の内容とは全く関係ない、そんなことも考えさせられた映画だった。 管制塔日時 2020年7月24日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 三木孝浩 製作 平成23年(2011年) 中学3年の藤田駈(カケル)(山崎賢人)は変わらない毎日に嫌気がさしていた。だからといって何をするわけではなく、学校へ行っても友人とも話さず一人で昼食を食べる。そんな日々に滝本瑞穂(橋本愛)が転校してくる。 瑞穂も人とは打ち解けない性格だったが、駈には話しかけてきた。 だが翌日には瑞穂の家の噂が広がる。父親が借金をしてこの地に逃げてきたらしい。打ち解けようとしない瑞穂の態度に周りも瑞穂を避けていく。 瑞穂も駈には心を開いた。駈の家にギターがあると知り、駈に無理矢理ギターを覚えさせ、自分も昔やっていたピアノを弾き始める。 二人でバンドをやろうと言い出す瑞穂。そして曲を作ってオーディションに出ようという。駈の両親とも打ち解け、幸せそうに見える瑞穂。 しかしある夜瑞穂の父親が飲んだくれて店を追い出されるを駈と瑞穂は見てしまう。 翌日から学校に来なくなる瑞穂。家に行ってみる駈。瑞穂に「曲出来た」と渡すが見ようとしない。数日後、瑞穂はまた引っ越していった。 出来た曲「管制塔」を歌う駈。また変わらない日常がやってきた。 山崎賢人の映画デビュー作。67分の短さ。まったく知らなかったがメイキングを見ると2011年4月9日初日で新宿バルト9で山崎賢人、橋本愛、三木監督の舞台挨拶付きで上映されている。 「管制塔」という曲が主題歌だが、映画のために作ったわけではなく、ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)というバンドの曲「管制塔」を聞いた三木監督が企画したらしい。 このガリレオ・ガリレイは稚内出身でこの「管制塔」という曲もバンドを組んで最初の曲だったようだ。 そんなエピソードを元に作られたオリジナル脚本で、オール稚内ロケ。 もう山崎賢人と橋本愛の二人芝居。 この場合、まだまだ新人の山崎は橋本に押されている。 山崎はもうせりふ回しなどは今と変わらず十分なレベルなのだが、表情がまだまだ固い。 出来上がった「管制塔」という曲を地元のスナック(麻雀も出来るバー風の店)で駈が熱唱するのだが、別にうまくはない。でも山崎賢人が歌を歌うシーンはその後でも観たことがなく、これはこれで貴重だろう。 映画自体は二人芝居だけだし、話は淡々として大して広がらないし、それほど面白くはない。山崎賢人の初主演作という点では観る価値がある。 観てよかったと思う。 夏を呼ぶ儀式日時 2020年7月23日15:35〜 場所 光音座1 監督 浜野佐知 製作 OP映画 裕太(日高剛)はどこかのビルで覆面二人組の男に追い回されていた。 やがて二人に捕まり(A:山本竜二、B:甲斐太郎)裕太は犯されお尻から血を流した。犯された後裕太は車で運ばれ外に投げ出された。 裕太は二人に落とし前をつけさせることを決意。自分が犯された場所や二人組の車を探し求める。 二人組はまた次の獲物を狙った。桐原(樹かず)という青年を同じように拉致しビルに連れ込み犯した。 二人組はBが主犯でAが従犯だったが、最近Aの様子がおかしいのをBは気になっていた。 裕太は行きつけのバーの常連でゲイの辺見に今回のことを相談する。辺見は「そんな奴はゲイの風上にも置けない」と言って裕太に協力。そのお礼にと一晩つきあってもらう。 辺見の紹介で桐原と会う裕太。手口が同じことから同一犯と確信する裕太。桐原が自分が監禁された場所の隣にゴルフ練習場があったと言ったことが手がかりになって場所が判明。 そんなとき、裕太がビルの周りをうろついているのを二人組は見つける。 「最近様子が変だぞ。あいつに惚れたんだろう」とBはAに詰め寄る。 「お前があいつにしたことをしてやる!」とAを犯すB。「俺たちのコンビは解消だ。もう関係ない」と出て行くB。 そして例のビルで裕太はAと再会。裕太を愛していたAは「君に殺されるなら本望」とおとなしく裕太に刺される。 死ぬ間際にAが言った「愛してるんんだ!」の一言が裕太は頭からこびりついて離れない。 裕太はAと絡み合う夢を見る。翌日、Aを殺した屋上に行く。Aの愛情を感じるのだった。 話は最後まで書いた。同時上映は「ほんとうの、夏色」。2015年に観ているので感想はパス。 光音座で新作を観るのは久々である。 6月に営業を再会してから3回目だが「せせらぎの淡い虹」「ぼくらの時代」、「ぼくらの季節」「アポロ MY LOVE」という番組で見た映画ばかり。それでなくても今年は見たい映画ばかりである。 だから初見の映画は久々だ。 山崎邦紀脚本なので「おそらくあわないだろうな」と思ったら予想を裏切らなかった。 山本竜二が裕太に惚れるのは許そう。でもね、その後裕太もいきなり殺すのもやりすぎだし、「愛してるんだ」と言われノンケ(たぶん)だったのに山本竜二のことが気になり出すって展開ありか? お前、それレイプ被害者の前で言えるか? まあピンク映画とかAVなんでファンタジーなのはわかるけど、この展開は納得できないなあ。 それと情報を与えてくれた辺見。「レイプなんてホモの風上にも置けない」といいながら「僕に任せてね」とノンケを裕太を犯している。 あんた、レイプ犯とドングリの背比べだよ。 基本的に山本竜二にキツイまなざしが苦手なので、どうも観ていて落ち着かない。あと山本竜二のおなかのしわを見させられてもお客さん喜ぶのかなあ。そりゃ山本竜二がタイプって人もいるだろうけどさ。 とにかく久々に見た初見のゲイ映画が山崎=浜野作品だったというのはまことに運が悪い。 わが青春に悔なし日時 2020年7月20日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 黒澤明 製作 昭和21年(1946年) 昭和8年、京大の八木原教授(大河内伝次郎)や学生たちは文部省からの介入に対し、「学問の自由」を訴え続けた。教授の娘・幸枝(原節子)は学生たちの人気の的だった。その中でも野毛(藤田進)と糸川(河野秋武)は仲がよかった。 しかし結局は八木原教授は大学を追われ、両親のことを思った糸川は反対運動を止め検事となる。野毛は大学を中退し、本格的に運動に身を投じ逮捕される。 5年後、今や立派な検事となった糸川は野毛を連れて八木原のもとを訪ねる。野毛の力強さの魅力に惹かれていた幸枝だったが、今はおとなしくなった野毛を見て少し失望する。 幸枝は東京に出て自活しようと決意し、今までならったタイプと英語でなんとか貿易会社で働きはじめる。 3年後、幸枝は銀座で糸川と再会。野毛は今築地で「東亜問題研究所」という事務所を開いているという。その事務所を訪ねる幸枝。また社会問題に情熱を持っている野毛に惹かれ、一緒に暮らすようになる。 しかし野毛は逮捕され、取り調べ中に死亡した。 幸枝の両親は京都に戻るように説得するが、「私は野毛の妻です」と野毛の両親の元へ。 野毛の母(杉村春子)、父(高堂國典)は複雑だった。息子はスパイといわれ村八分にされている。幸枝は母とともに田植えを始めたが、一夜にして村の者に荒らされた。それを見てついに父も怒る。 やがて終戦。 八木原教授は復学し、野毛の名誉も回復された。八木原は幸枝に実家に戻るように勧めるが「私はあの村の女性たちのために戦います」と村に戻っていく。 「女帝 小池百合子」という本が話題で先月読んだ。あまりも面白かったのだが、同じ著者が「原節子の真実」という本を出しているので早速こちらも読んだ。映画専門のライターが書いたものではないので大丈夫か?と思ったが全くの杞憂。下手な映画評論家よりもよほど充実した内容だった。 そういう訳で原節子の映画を何か見たくなり、黒澤明の「わが青春に悔なし」をDVDで鑑賞。 私にとって黒澤明は全作品を見ている数少ない監督である。当然この映画も観ているが、観たのはいつだろう。学生時代で文芸地下あたりで観たのだろうか?とにかく40年近く前なので内容はすっかり忘れていた。 これはもう「戦争と人間」である。 満州事変の頃から終戦までの時代を描き、戦争や政府に批判的だった人が虐げられ終戦を迎えて名誉を回復する話だ。 昭和21年製作でいかにも「戦後民主主義」を描く作品だ。 ついこの間まで「一番美しく」という戦意高揚映画を撮った黒沢明、軍人の鑑を演じ続けた藤田進。原節子も「新しき土」にも主演している。 そういう人たちが手のひらを返したように「戦後民主主義映画」を撮るのを観て一般の観客はどう思ったのだろう? 戦争中は戦意高揚映画を撮り、終戦後は「戦後民主主義」映画を撮ったことを一概には責めない。そうするしかなかったろうし、日本が負けるとは思ってなかったわけだし。それに映画のみならずあちこちで「手のひら返し」はあったわけだから当たり前だったのかも知れないが。 そんな「戦後民主主義」映画なのだが、驚いたのは「私は野毛の妻です」と会ったこともない野毛の両親の元に行って百姓になる展開である。 いやもちろん戦争中の価値観ではそうなのかも知れないが、映画を作ったのは戦後である。日本の「家」制度、女性は結婚したら夫の家の人間になる、という価値観を壊すことはしていない。 「戦後民主主義」の時代になっても「家」制度には作者たちは疑問を感じなかったのだろうか? それが当時の限界だったのだろうか? この解釈についてはちょっと研究してみたい。 原節子は特に後半の野毛の実家に入ってからが何やらものすごい迫力である。 この後原節子が黒澤映画に出たなら、また黒澤映画も違ったかも知れない。 あくまで僕の解釈だが、この次の「素晴らしき日曜日」を経て「酔いどれ天使」での三船敏郎の参加から黒澤は飛躍した。 「一番美しく」が「戦意高揚映画」なら、この「わが青春に悔なし」は「戦後民主主義推進映画」である。どちらも国策映画と言ってもいいのかも知れない。 私がモテてどうすんだ日時 2020年7月17日21:45〜 場所 新宿ピカデリー・シアター8 監督 平沼紀久 芹沼花依(富田望生)はアニメとBLを愛する腐女子のヲタク。 大好きなアニメのキャラクター・シオンが作中で死んで大ショック。食事ものどを通らず1週間学校を休んだら激やせした。しかし激やせしたおかげで美少女(山口乃々華)に! 学校へ行ってみたら、史学部の先輩六海(吉野北人)、クラスメートの五十嵐(神尾楓珠)、七島(伊藤あさひ)、後輩の四ノ宮(奥野荘)たち4人から告白される。 その上演劇部から今度の劇の主役のヒロインを頼まれる。 張り切った芹沼だが、張り切りすぎて雨の中で踊ってしまい、高熱を出した。そして1週間家で寝込む。そのときに4人のイケメンが差し入れたスイーツを食べ過ぎてまた元の体型に。 4人のイケメンは芹沼に元の体型に戻ってもらおうと、「やせたらBLを実演する」というトレーニングをやってみる。だが太った芹沼に興味を失った演劇部は彼女をはずしてしまう。 累計300万部のコミックの映画化。といっても全く知らなかった。 4人のイケメンが登場と聞いて、少女コミックの映画化が好きな私は見に行った。 主人公は腐女子のヲタク。数年前は地味で目立たない女の子、が主人公の定番だったが、変化してるなあ。 2月公開の「ヲタクに恋は難しい」といい、最近は腐女子も表に出てきた感がある。 んで、この映画(というかコミック)がヒットしている、という事実に驚く。 太った女子がモテなくて痩せたとたんに手のひら返しで男がよってくる、演劇部もヒロインをやってくれと頼んでくる。 人の価値を見た目で判断する出来事を肯定的に描いている。少なくとも「痩せたら人がやってくるってどういうこと?男ってサイテー」的な発言、発想はなく「美少女がモテるのは当然」とすべてを受け入れている。 こういう視点が気になった。もちろん芸能界とか接客業、サービス業ではそれがあるのはあるし、一般社会でもそりゃ可愛い子の方がなにかと有利だろう。しかしそれに異議を申し立てるのではなく受け入れてるのだ。 私が見てきた多くの作品では「人は見た目じゃなくて心が大事」ということを描いてきた。現実が見た目で判断されるから、せめて作品の中だけでは見た目ではなく中身で判断される世界を描いてきた。 それが見た目で判断されるのが当たり前、という世界を描くとはなあ。 そういうものなのかね、現代は。現状を変えようとするのではなく、肯定的なんだなあ。 とにかくそういう世界観に違和感を持ったので、どうにもそこばかり気になる。 また4人のイケメンもBC級な感じで安っぽさを感じる。 これが数年前の山崎賢人や福士蒼汰なんかが演じていたらだいぶ違ったかも?(せいぜい神尾楓珠が合格ラインか) 出演者では富田望生がいい。 「ソロモンの偽証」でデビューしたが、今年もテレビ「美食探偵」で活躍していた。順調にキャリアを重ねていて、今後も期待できる。 一度も撃ってません日時 2020年7月12日9:30〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン12 監督 阪本順治 純文学でデビューしたものの、その後売れずにハードボイルドに転向した作家・市川(石橋蓮司)。今までずっと担当だった児玉(佐藤浩市)まもなく定年で新人の五木(寛一郎)に引き継ぐという。五木に「あなたの小説は殺人描写ばかり詳しくて物語がない」と批判される。 市川が帰った後、児玉は伝説の殺し屋の話をするのだった。「この20年で他殺が疑われる自殺、迷宮入りの殺人事件が約20件。市川の確証説はそれをモデルにしてるが描写が詳しすぎる」 市川は御前零児というペンネームだったが、昼は普通の暮らし、夜は取材と称して夜の街に繰り出していた。そこでの行きつけの店は「Y」。元検事の石田(岸部一徳)、元ミュージカル歌手のひかる(桃井かおり)と夜な夜な過ごしていた。 実は石田は検事を辞めてからヤクザの弁護士もつとめ、裏社会にも通じていた。彼から殺しの依頼を受けていた。しかし市川が殺すわけでではなく、今西(妻夫木聡)という男に依頼していたのだ。そして今西が行った仕事の内容を詳しく聞き取ってそれを小説にしていたのだ。 石田からまた依頼を受ける。しかし相手のヤクザも周(豊川悦司)という中国人ヒットマンを雇っていた。周も伝説の殺し屋が市川と思い、追い始める。 結局その、つまりは最終的には妻夫木聡が出演してるから観に行ったようなものだ。 本来は春に公開の予定だったが、コロナで映画館の休館があり7月3日になった。 うーん、セントラルアーツの黒澤満さん、丸山昇一さんの世界である。 私も一時期このセントラルアーツの日テレ火曜9時のアクションものとかはよく見ていたから、まあ嫌いじゃないです。 でもねえ、昔はよかった式の話は苦手である。 冒頭、出版社のベテラン児玉は新人の五木に「おまえ生意気だぞ」と言って「それ、パワハラすよ」と言われる。 パワハラ問題がこの場合当てはまるのかは別にして、「昔はよかった」式の感慨を児玉は持つのである。 そして市川、石田、ひかるの3人は学生運動の頃からの知り合いで、「あの頃はよかった」式の話になるのである。 そんな感じで戦後ベビーブーム世代がやたらと「昔はよかった」式の懐かしみをしながら、ぐずぐず言っている映画だ。 こういう発想はどうも苦手である。 そんなものは何も生まないのである。「近頃の若いものは」という老人のグチ。ああ、いやだねえ。 市川が周に狙われてると知り、今西にボディガードを頼もうとするが、彼は結婚したくて、バツイチ子持ちの看護師に恋をして結婚を考えている。 そういうデートがあるからとボディガードを断る。 そういうのも「今時の若い奴は・・・」的な発想を感じた。 結局オチも中国人殺し屋の周も黒澤の用心棒で藤田進の先生みたいに「実は撃ったことがない」ということ。 それもなんだかなあ。 「ハードボイルド作家が知識だけはあっても実践がなくて殺しを依頼され立ち往生するコメディ」と思っていたが、違っていた。ちょっとがっかり。 MOTHER/マザー日時 2020年7月5日12:40〜 場所 TOHOシネマズ・スクリーン3 監督 大森立嗣 シングルマザーの秋子(長澤まさみ)は一人息子の周平(郡司翔)と二人暮らし。秋子は働くことが嫌いなタイプで生活保護も使い果たし、埼玉の両親に金を借りに行くが、すでに何回も借金をしている家族は秋子に冷たかった。 そんな時、ゲームセンターで遼(阿部サダヲ)と出会う。二人は意気投合し、遼の仕事先の名古屋のホストクラブに周平をおいて行ってしまう。 電気もガスもない部屋で暮らす周平。秋子は市役所の福祉事務所の男に押しつけていったが、帰ってくるなりその男を「周平にいたづらした。職場に言う」と言って二人で恐喝。拒否した男と遼はもみ合いになって男は怪我をする。てっきり死んだと思った二人は逃亡。しかし死んでなかったと分かると二人で帰る。秋子は遼の子を妊娠した。だが遼はどこかへ行ってしまった。仕方なくまた両親の元へ行った秋子と周平だが、今度は「縁を切る」とまで言われてしまう。 5年後。周平(奥平大兼)には冬香という妹ができていた。 道で寝ている3人に福祉事務所の亜矢(夏帆)が声をかける。 3人は簡易宿泊所で暮らせるようになり、周平もフリースクールで学び、よい方向に向かったかのように思えた。しかし遼が戻ってきた。闇金から金を借り、結局追われる4人。遼は「迷惑かけられないから」と闇金の元へ行った。 半年後、地方で住み込みで働く周平。寮に住まわせてもらっている秋子。 結局はそこも出る。もう一度埼玉の両親の元へ。金を奪うために秋子に「おばあちゃんたちを殺してこい」といわれる周平。 「長澤まさみが毒親を演じる異色作」と聞いていて長澤まさみはそれほど好きではないし、内容も重そうなのでパスしようかと思ったが、脚本が港岳彦さんと聞いて見に行くことにした。 場所はこの7月3日にオープンしたTOHOシネマズ池袋である。豊島区役所とか豊島公会堂のあった場所が立て替えられ、シネコンも入る複合ビルになったのだ。グランドシネマサンシャインに続き、池袋の映画街も再び活況を帯びてきた。 しかしまあやっぱり観ない方がよかったかな。ちょっと仕事でいやなことがあって気分が沈んでいるのだが、そんな気分の時に見る映画じゃない。 また肉親が金を借りにくるとかもう現実とリンクして逃げ出しなくなる。 子供を捨てない秋子は「誰も知らない」の母親に比べればましか、と思っていたが、そうでもない。完全に寄生している。 そして元夫に金を借りに行くが、父親に「お父さんと暮らすか」と聞かれても「お母さんがいい」という。 他人からすると理解できないのだが、どうもそうなるらしい。 そして最後にいたっては祖父母を殺害させ、秋子による教唆を否定する周平。 周平は弁護士に「母親が好きじゃだめですか?」といい、秋子も「周平は私の子供、分身。私の好きにしていいはず」と言いのける。 理解不能なのだが、それでも世の中理解不能なことが起きる。 観ていて気持ちがいい映画ではないし、金を払って見たい映画ではないな。(ポイントで観たけど) それだけインパクトはあったし、力のある映画なんだろうけど、人に勧める気分になる映画ではなかった。 「子供たちをよろしく」「ひとくず」「許された子供たち」「MOTHER」の4本立てオールナイトでやったら生きていく希望を無くすような気がする。この4本がこの半年間で公開されたという事実は重要。日本では今やまともな親子関係が壊れつつあるとみんなが思ってるのではないかという気になる。 痴漢電車 いやらしい行為日時 2020年7月4日21:00〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 佐藤寿保 製作 平成5年(1993年) ストーリー省略。 ラピュタ阿佐ヶ谷でのレイトショーでのピンク映画特集。 コロナで閉館前から始まっていたが、1週目の途中で休館になったせいか、最初から再上映のようだ。 今日、昼間地下のザムザでシネマ・ノヴェチェント関連でアニメ「イヴの時間」の上映イベントの手伝いにかり出され、イベントは6時に終わったがそのまま残って鑑賞。(ザムザの構造など初めて知った) チラシを見て「助監督 今岡信治」とあったので思わず選んだ。 しかし上映前にロビーに貼ってあったプレスシートを見て「あっこの映画、以前観た」と気がついた。 「監督失格」という林由美香のドキュメンタリーの公開前イベントでなんとTOHOシネマズ六本木ヒルズ(そのころは新宿も日比谷もない)でオールナイトで上映されたのだな。 「たまもの」も上映されたと思う。 そのときは「誕生日」というタイトルで上映されたのだ。(もちろん映画の中では「痴漢電車〜」のタイトルだったと思う。原題「誕生日」公開時タイトル「痴漢電車〜」で番組が組まれていた) その日は映画3本観てそのあとオールナイトである。 2011年6月でのイベントだ。当時でも「つらいな」と思ったけど、「多羅尾伴内 十三の魔王」の上映が昼間神保町シアターであり、絶対に観たかったのだ。 2011年6月といえば東日本大震災の3ヶ月後。もちろん被災地はまだぜんぜんだったけど、少なくとも東京は日常を取り戻していた。(実は放射性物質が降っていたとかあるけど、あくまで表面上は取り戻していた) 今はコロナ渦である。 4月から本格的にコロナに対する対応が始まり、5月末緊急事態宣言が解除され6月から映画館は再開。しかしソーシャルディスタンスの問題で客席定員は半分に制限され、第一人が映画を観る気分ではないのか、来ない。 繁華街の人の数も一時に比べれば戻ったものの、コロナ前に比べれば8割ぐらいの感覚だ。 んで映画の方だが、当時の映画日記を読むと「寝そうになった」と書いてる割には各シーンがよく記録されている。 今回も昼間のイベント疲れもあって寝そうになった。というか時々数秒寝ていたと思う。 ラストで林由美香がダイナマイトを爆発させたような気がしていたが、それは記憶違いだったというのである。 映画の感想は以前書いた以上のものはなかった。 今回はフィルムでの上映だが、ニュープリント同様にピッカピカの状態だった。そこはよかった。 まあレイトとかオールナイトで観たら寝る映画だな。 機会があればまた昼間の体調のいいときに観てもいいかなと思う。 |