ソ連人工衛星 宇宙征服日時 2020年9月28日20:20〜 場所 シネマヴェーラ渋谷 監督 バーヴェル・クルシャンツェフ 製作 1957年(昭和32年) シネマヴェーラでの新東宝特集のおまけ上映。46分の中篇。今回の上映はアンコールが中心だったようだが、その1位が「ソ連脱出 偽狂人と女軍医」で上映時間もこちらが75分だったから組み合わせで上映。 この「宇宙征服」は今回初上映。 ドラマ風になってるかと思ったら完全にドキュメンタリーというか解説番組風の映画。ナレーターは宮田輝。本来はカラーだったそうだが、今回上映されたのは16mmの白黒版。 まずは「どうやって引力から抜け出すか?」という話から始まる。 ものが地上に落ちるのは秒速5m(だったかな。違ってたらすいません)。 だからこれ以上のスピードなら引力から抜け出せるという訳。 これはニュートンの時代からわかっていたが、最初は大砲で打ち出すという発想しかなかったようだ。しかしこれは限界があるというので、自ら推進力を持つロケットが考え出された。 しかし大きなロケット一つでは重量があり、不効率なので列車の発想で今でいう多段式ロケットが考え出されたという次第。 そして宇宙ステーション、月、火星、木星、土星に行く姿が描かれる。 この辺はミニチュア、アニメなどを使って説明される。 まあ面白いちゃ面白いのだが、ドラマ風なのもの期待していた(というか勝手に思っていた)ので教育映画のような出来だったので、ちょっとはずされた。 それは勝手に思っていた私が悪いのだけれど。 ソ連脱出 女軍医と偽狂人日時 2020年9月28日19:05〜 場所 シネマヴェーラ渋谷 監督 曲谷守平 製作 昭和33年(1958年) 昭和24年、ハバロフスク収容所。元陸軍中尉のフナハシ(細川俊夫)は絵がうまかったことからスターリンや所長の肖像画を描いて重労働からは解放されていた。しかしそれを面白くない元日本兵もいる。 フナハシはソ満国境の警備隊にいたのでスパイ容疑をかけられていた。スパイとされたら死刑。フナハシは生きて日本に帰るために気が狂った振りをした。突然笑いだし、お経を唱えるフナハシ。 しかし女軍医のリーザは彼の狂人ぶりは偽物ではないかと疑い出す。 やがてリーザはフナハシを愛し始める。 シネマヴェーラの新東宝特集。この映画は興味なかったのだが、もう1本が観たくてやってきた。 監督は曲谷守平で私の中では小森白と並んで史上ワースト監督である。 この手の新東宝映画を面白がる人もいるが、私はどうも苦手である。 どう考えてもまじめに作ってるとは思えない。 「昭和30年代は黒澤、小津が活躍し日本映画の黄金期」などという人もいてそれは否定しないのだが、一方では新東宝でこんなひどい映画も作られていたのだ。 それも含めて「黄金期」と呼ぶなら、そういう見方もあり、と思うけど。 フナハシの狂人ぶりははっきり言って失笑ものである。 民主化がどうのと言ってソ連の手先になっている奴らがいる。いつの時代も自分の考えなどなしに権力者に媚びへつらい、下のものには威張り散らす奴がいる。どうも軍隊時代の階級は関係ないようだ。 そこで病気の者や体が弱ってる老人をいじめて楽しむのである。 旧軍隊の内務班と同じだ。 こいつらが屋根に登ってソ連軍の女性のシャワーシーンを覗いていたりすると(これがエロか)、フナハシはその梯子をはずしてしまう。また狂人の振りをして、病室にあった糞尿をその悪い奴らに投げつける。 このあたりは爽快感がある。 しかし後半にいくに従ってこの女軍医が(フナハシは「彼女は実は軍医ではなく政治局の人間ではないか」と疑っている)「私はフナハシの嘘を暴きます」とか言ってるからてっきり何かやらかすかと思ったら、逆に好きインある。 もう強引である。 結局、偽とは証明できなあったのでフナハシは日本に帰れるのだが、そこでシャワー室に誘ってリーザは愛の告白をして、フナハシも肉欲には逆らえず、シャワー室で抱き合う。 リーザは自分の任務のために「好きになった」と嘘を言ってるのかと思ったら、そうでもないらしい。本気である。 どっちにしろ新東宝映画のテキトーさを代表するような映画。 今だったら作れないよな。狂人をこんな風に描いたら人権問題だよ。 The Highest Honor(「南十字星」海外版)日時 2020年9月27日 監督 ピーター・マックスウェル、丸山誠治 製作 昭和57年(1982年) 1941年、日本軍のシンガポール占領によってスパイ容疑で捕らえられていた日本大使館付き通訳の田宮(中村敦夫)は解放された。 オーストラリア軍はイギリス軍、海軍、陸軍から選りすぐりを集め、特殊部隊Zフォースを編成。 彼らは地元民の漁船に偽装し、日本軍の輸送船、タンカーなどの爆破に成功した。 しかしZフォースはやがては日本軍に捕らえられる。穏健な憲兵中尉の早川(志垣太郎)は日本軍の通訳になっていた田宮とともに拷問は避けようとする。 田宮とZフォースの指揮官ペイジ大尉(ジョン・ハワード)は田宮と心を通わせていく。しかし結果的に情報を得られなかったことからペイジ以下の捕虜は死刑が決定する。しかも銃殺刑ではなく、斬首による刑だ。 「どうせなら」とペイジは田宮に首をはねてもらうことを希望。 死刑は行われた。 日本映画「南十字星」の海外版。この海外版は105分。オリジナル日本版は140分。25分も差がある。 「南十字星」は1982年5月公開で、当時知っていたが観なかった。戦争映画とはいえ戦闘スペクタクルがあるような映画ではなさそうだったのでたぶんパスしたのだと思う。当時はお金のこともあって見逃す映画も多かった。 今回観たのは105分の海外版。これは海外ではDVD化されている。オリジナル日本版は事情はよくわからないが、ソフト化されていない。 映画自体も興行的には成功ではなかったし、配給は東宝だが、「ああ野麦峠」を製作した新日本映画社が製作。 この頃は丸源ビルとか映画とは関係ない業種の方々が映画を作りをした。 大抵1、2本作って終わりだったけど。この新日本映画社も同様。 まあやっぱり映画は難しいですよ。 で、肝心の映画だが、これがそこそこ面白かった。 冒頭に少し中村敦夫が出てきてその後特殊部隊の話になって出てこなくなったので心配したが、後半は大活躍である。 もともとこの日本人通訳と将校の交流の物語だったのだ。 前半は日本軍の非道ぶりが描かれる。中国人のゲリラ(もしくはその疑いがあるもの)を海岸に連れ出して、機関銃で連射して殺していく。 南京大虐殺並の虐殺である。 田宮は「死を恐れない連中に拷問は無駄でしょう」と懐柔させる方法を取る。コーヒーなど食事は普通にする。本が読みたいといえばシェークスピアなどの書物を差し入れる。 そうやって心を開かせようとする。 しかしまあそうは言っても口は開かない。 結局上層部の命令で裁判、死刑。 この裁判のシーンで「彼らは敵地に進入し大活躍し、彼らは英雄だ」とさんざん持ちあげておいて求刑は「死刑」。 まあそうだよな。 そしてペイジ大尉の処刑の順番が来たときに田宮が駆けつけ、「私にやらせてください」と懇願し、田宮が行うことに。 そのときに田宮は刀を振り上げ、くるっとみねのほうを向ける。 てっきり峰打ちで処刑しないのかな?と思ったら、次のカットでは墓標の十字架に血が飛び散るカット。 あれあれ? ここで映画は終わり、戦死者の共同墓地のカットで終わる。 ところが実は日本版ではこの後も続き、田宮が戦後戦犯裁判にかけられたが、ペイジの田宮による斬首は彼の希望だったと証明され罪には問われなかった、と続く。 結局この海外版は連合軍側の視点で描かれ、日本版は日本人の視点で描かれているのだろう。 日本軍のメンバーは豪華で藤岡琢也、北大路欣也、志垣太郎、寺田農、坂上二郎、草薙幸二郎などなど。 幻映画を拝見できてよかった。 ウルフズ・コール日時 2020年9月26日19:20〜 場所 新宿バルト9・シアター3 監督 アントナン・ボードリー フランス海軍の潜水艦チタンのソナー担当のシャンテレッドはシリアで特殊部隊隊員の回収作戦中に聞いたことのない音を聞いた。検索しても該当する潜水艦はない。迷いながらもクジラだと結論づけた。しかし作戦の半ばでやはり潜水艦と判断、危険を回避するために浮上したが、それは海上にいる敵ヘリコプターからの攻撃を受けることになった。グランシャン艦長の判断でヘリを攻撃、なんとか作戦は成功した。 しかしシャンテレッドは例の正体が気になる。軍上層部は「ドローン」と判断。しかし人の動きを感じたシャンテレッドは納得がいかない。 データから削除されたのなら紙ベースの記録を当たると該当する潜水艦があった。ロシアのティムール3だ。 一方フィンランドがロシアの軍事的圧力を受けていてフランスはそれを応援する立場にあった。フランスは原子力潜水艦レフローヤブルを出航させることになった。新艦長はグランシャン。シャンテレッドも乗艦する予定だったが、尿検査で大麻が検出され乗艦できなかった。 またチタンの新艦長は副艦長だったドルシが就任。 レフローヤブルとチタンは出航した。 そのとき、ベーリング海から核ミサイルがフランスに向けて発射されたと情報が入った。撃ったのは例のティムール3だ。 フランス大統領はレフローヤブルからロシアに向けての報復攻撃を下命。しかしシャントレッドはミサイルの音に違和感を感じ、ミサイルに核弾頭は積まれていないと判断。さらにティムール3がロシアが売却し、それを買ったのは中東のテロ組織だと判明した。 つまり、テロ組織がフランスに罠を仕掛け核戦争を起こそうとしているのだ。しかし一度下した核攻撃命令は取り消しが聞かない。 大将はレフローヤブルの攻撃を阻止するためにシャントレッドとともにチタンに乗り込む。果たして・・・・ あらすじで結構字数を取ったなあ。「狂武蔵」を観に行ったとき予告編を観て見たくなった映画。帰りにチラシをもらおうと思ったらないし、前売り券もなく、本日公開で観に行ったらパンフレットも作ってないし、配給元のやる気のなさが伝わってくる映画。得てしてこういうのは面白くない映画が多いのだが、本作は別。詳しい内容は知らずに観たけど面白かった。 「博士の異常な愛情」「未知への飛行」の潜水艦版ともいえる映画。 ロシアが一応敵っぽく描かれるが、それは結局は誤解。中東のテロ組織(アルカイダみたいな名前だった)がフランスを罠にはめたという設定。 チタンがレフローヤブルを攻撃したいのだが同軍だし第一先日まで上司だった艦長が乗る船である。レフローヤブルの艦長もかつての部下だから信用したいし、しかし軍人として命令にも従わなければならない。 そんな中で苦悩する艦長たち。 攻撃しないで済ませようと説得に向かったドルシは戦死し、核攻撃は阻止できたものの、チタンは撃沈。(こういう悲観的な終わり方はフランス映画の伝統か?) でもこの映画にも欠点はあると思う。 シャントレッドが前半では主人公として描かれ、本筋とはまったく関係なく書店員と恋人になっていきなりベッドシーン。 例の正体不明のものがティムール3とたどり着くまではいい。 (上官のパソコンのキーボードのパスワードをキーの音から推測するあたりは面白い) しかしチタンに乗り組んでからは仕事がなくなってしまうのだ。 (仕舞いにはソナー室を飛び出してベッドに逃げ込んでしまう) これは構成上失敗だったなあ。ソナー要員を主人公にしたのはよかったのですが。 最後、チタンから脱出するときに水圧で鼓膜が破損してしまうことを大将から指摘され、おそらくそうなったのだろうから(前半で恋人が後ろから近づいたとき、すぐに解ったのにエンディングでは気づかない)、それなら映画中の音も消さねばならなかったのでは? 海中から浮き上がってヘリの音が聞こえたりすると「あれ音聞こえてるの?」とか思ってしまう。あの場合、ヘリの音は主人公の主観の音ですから。 そういう細かい疑問点、不満点はありますが、総じて面白かった。 DVDとかで再見したいです。 リスタートはただいまのあとで日時 2020年9月24日18:20〜 場所 シネリーブル池袋・スクリーン1 監督 井上竜太 東京でサラリーマンをしていた光臣(古川雄輝)は会社に疑問を感じ長野県の生まれ故郷に帰ってきた。地元の駅に降り立ったとき「光臣だろ!」と話しかけきた青年がいた。近所の熊井さん(蛍雪二朗)の息子・大和(竜星涼)だという。大和は養子で光臣が東京に行ってから養子になったので、光臣が大和のことを知らないのは当然だった。 光臣は父親(甲本雅裕)の仕事の家具職人を継ぐつもりだったが「俺の仕事がいやで東京に出て行った奴に今更継がせない」と断られてしまう。 たまたま熊井さんの農家で人が必要だったので、大和に誘われてしばらく手伝うことになる光臣。 最初はやたらなれなれしい大和を警戒した光臣だったがやがて心を開くようになる。光臣は自分でもわからない感情に動かされ、大和が寝てるときにキスしてしまう。 大和の縁談や、大和が時々女性と会っていると聞いて心がざわつく光臣。 だが女性は大和と同じ施設で育った女性で姉と弟のような関係だという。大和はずっと気になっていた自分の親のことを調べるため、東京の亀戸に光臣と向かう。 はっきり言うけど一言で言って「BLをなめるなよ!」ということである。 どういう事情があって作ったのか(原作者はコミックを描いたのか)解らないけど、「BLって流行ってるみたいだから作るか」程度の認識としか思えない。 そもそも同性愛って性欲に結びつくものなんですよね。「すごく心配する」「すごく親しい」「すごく一緒にいると落ち着く」的な感情だけなら単なる親友です。精神的な結びつきはあるとは思いますが。 そこで「同性愛」が来るのは性欲と結びつくわけで。はっきり言えば「性欲のない同性愛はそれは同性愛ではなく友情」と言ってもいいかも知れない。 もちろん同性愛者同士で「すごく仲良いけどセックスはしたくない」というのはある。それは同性愛者ではない同性同士でもあることで。 要するになんで光臣が大和にキスしたかが解らない。 そもそも光臣が同性愛者、という設定なら納得がいく。仕事もうまくいかず、恋人とも別れそれで故郷に帰ってきて故郷で新しい出会いがある、っていうならよかったと思う。 それが突然友情からキスにいくからねえ。 なんか完全に作者の都合なんだよな。 それに「作物をもっと優しく扱え」とか「(家具の)木は生きている」とかなんかどっかで聞いたような頑固職人のせりふで辟易する。 しかも施設で育ったとか本当の親がどうとか出てくる要素が安易すぎ。 どっかで聞いたような話。 ラストで亀戸まで行くのだが結局親のことは解らない。 うーん、ここは親と再会するとかしないといけないんじゃないか? またクリエーターたるもの普通はどこか「自分らしさ」「目新しさ」を出そうとする。いわゆる新しい着眼点である。それがない。 まあ強いて言えば「田舎を舞台」にしてるという点だが、それも今泉力哉の「hislの方が上である。 だから光臣が同性愛者で今まで好きになった男とはまったく違いタイプの男の大和にだんだん惹かれていき、ついにキスしてしまって大和に拒絶されて、それが村の噂になっていられなくなって再び東京へ行こうとするが大和に駅に迎えに来られる、という展開ならすべて(あくまで私は)納得するのだが。 これはあくまで「私だったらこうする」ということなんですが、BL映画を作るならもっと真剣に取り組んでいただきたかったです。 男同士がキスすればBL映画って訳じゃないですよ。 TENET テネット日時 2020年9月21日20:00〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン6 監督 クリストファー・ノーラン ウクライナのオペラハウスでテロ事件が発生。大量殺人を防ぐために特殊部隊が突入。主人公(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は会場の爆破を阻止し、スパイが持ち盗んできた「プルトニウム241」を持ち出した。 主人公は捕まり自殺を図ったが、CIAからもらっていた毒薬は毒ではなかった。 生き残った主人公は「テストに合格した」と言われ、第三次大戦を防ぐミッションを言い渡される。核戦争より恐ろしいその終末。敵は未来の人類で時間を逆行してくるというのだ。そういえばオペラハウスでも弾が戻っていったことがあった。未来の人類は時間を逆行する装置を発明したとようだ。 実験見せられる主人公。その弾丸がインド製と知った主人公はインドの武器商人に向かう。主人公はその人物に接触したが、その黒幕は女性だった。その話ではロシアの武器商人セイターが未来と現在をつなぐ何かを知っているらしい。彼は「地図に載っていない町」の出身で、その町では爆発実験などが行われたらしい。その爆発の後で未来と現在をつなぐ何かを彼は発見したのだ。 セイターに近づくため、彼の妻キャットに近づく。キャットは絵画の鑑定人だったが、偽物をオークションにだし、それを競り落としたのがセイターだった。偽物を売ったと知られたくないキャットはセイターに従うしかない。その絵を取り戻すことを条件にキャットは主人公に協力することに。 コロナ渦で多くの大作が公開延期になっているが、その中で久々の大作。 クリストファー・ノーランは最近は巨匠扱いだが、まだ彼の真価を私はわかってない。 本作もフィルムのIMAX撮影で、IMAX設備のある劇場ではIMAXと通常版の2種類で上映。「ダンケルク」の時は両方みたけどそれほどの違いを感じなかったので、今回は通常版を観た。 新宿ピカデリーはスクリーンをシネスコサイズにしていて、そこにこの映画を上映してるのだが、上下も切れていて「額縁」状態で上映。 何だろうね、さっぱりわからないよ。 私は映画は全世界で同じ状態で観るようにするべきと思うので、IMAXしか出来ないとか、そういう製作姿勢は積極的には指示しない。 時間の逆行、という点が目新しさだけど、物語の基本は「007」とか「ミッション・インポッシブル」と同じ。 主人公のスパイが手がかりをたどって全世界を行き、女性がいて黒幕が持ってるお宝で黒幕の野望を主人公が阻止する、って感じ。 飛行機が格納庫に突っ込むシーンは実はミニチュアではないらしい。 (なんかそんな記事をネットで読んだ。違ってたらごめんなさい) 時間が逆行するとか昔からある単なる逆回転の表現の延長だろうけど、主人公が順行で周りは逆行、という画が面白い。 前に出てきた敵みたいな奴が実は未来から来た自分だったとか、オチもきいている。でもこのアイデア、「インターステラー」もやってたよな。 ノーランは時間の流れ、に対しての興味が深いのだろう。 時間の流れ方が人物によって違ったり(「インターステラー」とか)、パートごとに流れが違うとか(「ダンケルク」とか)、そういう時間軸の流れの違いが彼の中でのテーマなのかな。 今回はそれを表現するモチーフとしてたまたま「スパイアクション」を使ったということで。 思えばそのものが実際の時間軸とは異なるものだ。早回しや逆転、カットが変われば一瞬で何年も経過していたりとか。 そういう実験性と娯楽映画の融合が彼の関心なのかな。単なる妄想だけど。 アイスクリームのかほり日時 2020年9月21日12:15〜 場所 光音座1 監督 剣崎 譲 製作 ENK 営業マンの秋田ゆう(梅田なつき)は営業に向かない性格なのか成績は悪かった。同僚のさえことはつきあっていたものの、結婚の予定はない。 最近男に犯される夢をよく見る。 新人の山形(山口健)に「営業を教われ」と部長にいわれる始末。 ゆうと山形は大阪新世界を回る。山形は新世界を「昼間っから酒を飲んでる人が多い町。信じられない」というが、このあたりで10歳ぐらいまで過ごしたゆうには懐かしい町だった。 ある裏路地に入ると子供の頃によく行ったアイスクリーム屋があった。当時は20円。「今でも20円ってことはないですよね?」と店主に声をかける。店主は子供の頃と同じ人で、ゆうのことを覚えていてくれた。 その晩、山形に連れて行ってもらったのは「店内で自由恋愛が出来るホモバー」だった。山形はゲイでゆうは誘われたが、断った。 しかし夢で山形とセックスする夢を見た。 数日後、ゆうはアイスクリーム屋の店主と飲みに行く。自分のことはケイゾウと呼んでくれという。酔っぱらって「泊まっていくか」と言われたが、その日は断った。 そしてまたアイスクリーム屋に行ってみると大量注文が入ってケイゾウはてんてこ舞いしていた。思わず手伝うゆう。 アイスクリームの製造中の卵と牛乳を混ぜた匂いを嗅いで「ええ匂いやろ」とゆうにも嗅がせるケイゾウ。 その晩、ケイゾウの部屋でケイゾウは「アイスクリームの匂いに魅せられた。そして同じ匂いのものを発見した。オナニーしたときに出てきた精子や。それ以来男しか愛せんようになった」と告白した。 ゆうもケイゾウが自分のことを子供の頃から愛していたと自覚した。 二人の体は結ばれ、ゆうは会社を辞めさえことも別れ、ケイゾウに弟子入りした。二人はアイスクリームを作り続ける。 2週間前にも来たけど4連休だし、タイミングがずれれば見逃すこともあるので、同時上映が先日見た「アリアが聞こえる」だけど観に来た。 剣崎監督は「広島物語」とか割と外れが少ないので(もっとも最近は小林悟の破綻ぶりを楽しむようになってしまったが)、今回はちょっと残念。 それはカラミのシーンを妙におしゃれに撮ろうとしてしまったのだ。 暗がりの中で照明をピンスポットで横からあてたりしてかっこいい映像を撮ろうとしてるのだが、そういう演出はこの場合不要である。 ゲイ映画専門館で上映される映画のだから、男の裸はちゃんと撮ってほしい。内容が優れていて一般館でも上映されるレベルならまだ解るけど、そうでもないだろう。 アイスクリームのかおりを嗅いでエクスタシーを感じたとか、なかなかのマニアである、ケイゾウさんは。さらに子供の頃のゆうを「愛情の対象だった」と言ってるから、ショタコンである。ちょっとやばいおっさんだ。 回想シーンで子供時代のゆうが怖がって後ずさりしているカットが入るから、ただ可愛いと思っていただけではなく、実際に手を出していた可能性がある。 ゆうも「11歳の頃にこの町から引っ越したけど、最後の方ではアイスクリームを食べた記憶がない」と言っている。 やばいよ。ケイゾウは50代でゆうは今30歳で20年前の話だから、30代のケイゾウはゆうに手を出していたのか。 でも今のゆうはケイゾウの愛を受け入れ、二人でセックスしアイスクリーム屋をやりたいという。もっともはやってなさそうだし再開発の来てるからどうなるか解らんけど。 映画としてはさっきも書いたけどカラミのシーンでもっとちゃんと移してくれたらよかったけどなあ。なんで妙にアートに走ってしまったんだろう。 主役の梅田なつきは顎がとがったルックスでぜんぜんだめだし、せりふも下手。いいところなし(ゲイ映画ではいつものことだけど)。山口健を主役にしてくれた方がよかったな。 新世界の風景が数カット出てくるが、新世界日活が映っていた。ここは今の日劇ローズの場所でいいのかな?(後で調べたらすぐ近くだけど同じではないらしい) ちょっと惜しい映画だった。 事故物件 怖い間取り日時 2020年9月20日19:10〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン1 監督 中田秀夫 お笑い芸人の山野やまめ(亀梨和也)と中井大佐(瀬戸康史)はジョナサンズというコンビを組んでいたが10年たっても芽が出ず、解散することにした。ネタを考えていた中井は放送作家としての道を歩み出す。 やまめはピン芸人としてどうしようかと思ってるときにテレビのプロデューサーの松尾(木下ほうか)から事故物件に住んで怪奇現象をレポートする企画を持ち込まれる。事故物件とは前の住人が自殺、殺人、孤独死など変死した物件だ。不動産業者は契約しようとする人にそれを告知する義務がある。 仕方なく引き受けるやまめ。一軒目で録画中になにやら白いものが写っていた。番組は成功し、松尾は大喜び。 以前からやまめを応援してくれていた梓(奈緒)は霊感があって昔から人には見えないものが見えるという。彼女はやまめの部屋で恐怖を感じる。 中田秀夫の新作。山野やまめにはモデルがいて、実際に存在するピン芸人だという。私は知らなかったけど。 怪奇現象のホラー映画というより、「事故物件に芸人を住まわせてそれを番組にする。トラブルが起きれば喜ぶ」というテレビ局の体質の方がよほど怖かった。 本当に怖いのは幽霊ではなく、テレビ局である。 又吉直樹の「火花」と同じくの芸人の話に見えた。 売れないから解散した、相方は放送作家を目指す、本来のお笑いの仕事ではなく、完全に奴隷状態にされても仕事を求める悲惨な芸人だ。 事故物件に住むのはお笑いで目指していたものではないだろう。 それでもネタにする、金を稼ぐためには事故物件に住む。 そして自分の体験談を語るトークショーをして、いつの間にか恐怖体験の本まで出している。何にでも金に換える、エンタメにしてしまう、テレビの体質の方がよほど怖い。非人間的である。 映画の世界の方がなんぼかましだ。 予告編を観たときは瀬戸康史の出演をぜんぜん感じなかったのだが、思ったより出演シーンが多くてうれしかった。 それほど積極的なファンではないけど好きな方だから。 ラストの千葉の稲毛の物件で、霊と対決したときに瀬戸康史が大きめの線香を吹いて対抗するのだが、ちょっとお間抜けな感じがした。 それほど怖くなく、この位の怖さの方が私の好み。 3件目の物件で息子が母親を殺したというのだが、そのイメージシーンで息子役が吉岡睦雄さん。活躍してますね。うれしいです。 ミッドウェイ(ローランド・エメリッヒ版)日時 2020年9月20日15:20〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン3 監督 ローランド・エメリッヒ 製作 2019年 コロナ渦で公開がどうなるかと思っていましたが、ハリウッドのアメコミ大作やディズニーが次々と公開延期になったので逆に早まった感じで9月12日に公開。 3月に米国版ブルーレイで鑑賞済みだが、日本語字幕なしで観たのでちゃんと観たかったのだ。 思ったのは米軍もミッドウェイの時はビビリまくっていたのだなあ、ということ。 結果を知ってる我々はアメリカの情報の正しさを知ってるわけだが、確かに渦中の人たちは「日本海軍は本当にいるのか?」という疑心暗鬼にかられていたのだなあ。 出撃前のパイロット達も「生きて帰れないかも」と不安そうなも「アメリカ最強!」ではない描き方でよかった。 (この辺は日本語字幕がないとよくわからなかったのだ) Twitterで噂になってたけど、明らかにカットになっていたエピソードがあった。 ドゥーリットル中佐を助けた中国人の英語教師を日本軍が詰問し「お前の息子がこのライターを持っていたぞ」というシーン。 日本軍による虐待行為を描いたシーンだからカットされたのかな。 今回の公開は去年「空母いぶき」のキノフィルムの配給。 戦争映画とかお得意のようだから、今後も期待したい。 窮鼠はチーズの夢を見る日時 2020年9月20日12:20〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン7 監督 行定 勲 大伴恭一(大倉忠義)は大学を卒業して以来会ってなかった後輩の今ヶ瀬渉(成田凌)の訪問を受けた。今ヶ瀬は今は興信所に勤めていて、大伴の妻から身辺調査の依頼を受けたのだ。恭一が仕事で知り合った女性と不倫関係にあった。渉はそれを正直に報告するか迷って連絡してきたのだ。 「何でもするから」という恭一に学生時代から恭一にあこがれていた渉はキスをせがむ。ホテルに行ってキスをする二人。 その不倫相手とも別れられない恭一。結婚記念日の晩、恭一は妻から別れてくれるよう頼まれる。1年前から交際している男がいるというのだ。 一人暮らしになった恭一の部屋に渉は入り浸るようになる。 大学時代の恭一の昔の彼女、夏生と再会する恭一。夏生には渉が恭一を好きだと見抜かれる。レストランで対決する二人。恭一はもともと学生時代から「流され侍」と言われるほど言い寄られると断れないタイプだった。 渉は恭一と同居することになった。 しかし会社の後輩・岡村たまきからも頼られていた。やがて二人は婚約する。だがいざとなると渉のことも忘れられない。 大倉忠義、成田凌のBL映画。TOHOシネマズのような大手の映画館でここまでストレートなBL映画が上映されるのは初めてではないか。 先週から上映が始まって2週目だが、7番スクリーンはTOHO新宿でも2番目に大きなスクリーンでそこがほぼ満席(コロナ渦の半分座席状態だが)。99%女性客。男性は知らないだろうけど、まだまだこのBL映画の市場として延びる要素はあると思う。日本の男性プロデューサーはわかってないだろうけど。 前半の恭一が離婚して渉が入り浸り始めた頃、洗濯機で恭一の服を洗うシーンがある。そこで恭一のブリーフのにおいを嗅ぐ渉。自分のブリーフも脱ぎ、一緒に洗濯機で洗おうとするが、やめて洗濯機の中を探り出す。そして次のカットで恭一のブリーフをはいている渉。 おお、いいですねえ。 そして肉体の絡み合いも割と丁寧に描く。渉、受けかと思ったらタチなんですね。(と思ったら後半の絡みでは渉が恭一に犯されている) いくら好きになってもどうにもならないもどかしさがいい。 そして当たり前だが成田凌がいい。萌え袖にして猫背で膝を抱えて上目使いの姿勢などリアルないそうなゲイである。 しかし気になったのはちょっと長いこと。 岡村たまきと結婚する事になって別れのために海岸までドライブするのだが(この朝焼けが美しい)、ここで大きくフェードアウト。ここで終わるのかと思ったらまだ続く、 そして渉のことが忘れられずに恭一はゲイバーに行く。 (ここの描写が短髪、髭、ぽっちゃり系のゲイばかりがいるバーで「割とイメージがありきたりだな」とも思ったが、店によってはそういうタイプが多いかな。でも今は新宿2丁目も人少なくなったけどね) 渉は恭一のような誰にでもいい顔をするタイプは本当は好きじゃないのだが、「例外はある」という。うん、好きになるって理屈じゃないんだよね。 結局恭一はたまきと婚約を解消し、渉が来るのを待つ。渉は別の男と寝ているがそれほど本気にはなっていない。 宙ぶらりんの状態で、話の結末としてはよかったと思う。 それにしても美しい映画。主演の二人が美しいだけでなく、美しい景色、美しいインテリア、おしゃれなレストラン。美しすぎて現実離れしてるんだけど、まあ映画なんだからそれもいいか、と思う。 今年の私のベストテンに入る映画だった。 クレヨンしんちゃん
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