2020年11月

   
サラバ記念日
ガメラ 大怪獣空中決戦 
<4Kドルビーシネマ版>
燃えよドラゴン 街の灯(森崎東監督) さくら
吸血少女対少女フランケン the believers ビリーバーズ THE CAVE(ザ・ケイブ) 課外授業
最短距離は回りくどくて、
―落花流水―
きみの瞳が問いかけている 罪の声 人情紙風船
<4Kデジタル修復版>
Life 線上の僕ら
<ディレクターズカット版>
アスリート
〜俺が彼に溺れた日々〜
最後の抱擁 丹下左膳餘話 百萬両の壺
<4Kデジタル復元・最長版>

サラバ記念日


日時 2020年11月28日18:40頃〜 
場所 光音座1
監督 新倉直人
製作 OP映画


ライターの若本は知人の石橋から連絡を受ける。二人が常連のバー、三好がずっと閉店してるのでママ(坂入正三)が死んでしまったのかと心配して電話してきたのだ。若本もママの家は知らなかったが、同じく常連の鳥居が知っていたので3人で訪ねてみた。ママは生きていて「もうこんな関係やめようと決めたから、4月4日はサラバ記念日」という短歌を作っていた。ママは大失恋をしていたのだ。
ママの話では自動販売機でジュースを買おうとしたときに10円足らなくて困っていたときにさっと出してくれたのがきっかけだというのだ。
その男、伊達は若いハンサムで今美術の勉強をしているという。
ママはついその伊達に部屋を与え支えていたが、店や自分のマンションの権利書まで取られてしまったというのだ。
その伊達を懲らしめるべく3人は動き出す。まずは伊達の確認。
部屋からなんと女と出てきた。それを若本が問いつめると「彼女に知られ、親にママのことをばらす」と脅迫されたというのだ。
そして権利書を盗みだそうと鳥居が忍び込むのだが、権利書は見つからず、でも伊達を犯してやることには成功した。
ママもみんなが一生懸命になってくれるのはうれしいが危ないことはしないでね、と心配するが、石橋は「実はママのことが好きです」と告白。
自分たちの力だけではだめと3人はフィリップという助っ人を仲間に入れる。
フィリップは例の女(実は彼女ではなく姉)に「デパートで伊達君に個展を開かせてあげるから準備金として120万円を」と言い、まんまと120万円出させる。
そしてフィリップは伊達に近づき、「パリに留学したいなら店の権利書をくれれば手配してあげる」と言って権利書を入手。
だまされたとわかった伊達は三好の店に怒鳴り込む。ちょうどみんなで乾杯していたところ。しかし結局伊達はみんなに犯されただけだった。


別に無理して夕方遅くなってから見に来なくていいような気もするが(入ったのが18時半というのは今まででもっとも遅いのではないか?)、今コロナ禍で感染が拡大中で第3波が来ている。毎日発表される感染者数は3月4月より多いのだ。いつ緊急事態宣言がでてもおかしくない。
他の映画なら後に上映やDVDでの鑑賞も可能だけどホモ映画は完全にみられなくなる可能性がある。だから無理して見に来た。
備忘録で書いておくと、今日は本来「燃えよドラゴン」を見て15時から人と会ってその後光音座に来る予定だったのだが、「ガメラ4K」のチケットを誤って今日の分で購入してしまい、それが終わった17時半から東銀座から地下鉄に乗って18時40分には到着した次第。
ホモ映画は普通2回見るのだが、2回見ると23時半になってしまって終電に間に合わなくなる(最終は23時過ぎに乗らねばだめなのだ)。
だから1回しか見ていない。

新倉直人(小林悟)なので相変わらずのやる気のなさ。
若本とか石橋とか鳥居が代わる代わる伊達に押し掛けてやってるだけ。
話もなにもあったもんじゃない。
最後は伊達を複数で犯すのだが、ママも「そんな乱暴しないで」と言っていたが最後には自分も犯す方に回るという混乱ぶり。

そしてその犯すシーンもエロければいいのだが、着衣で下だけ脱いで犯してるから相変わらず男の裸を写したがらない。
さらに覆い被さるから服を着た背中だけが写っている。なんだそれ?
お前、ホモ映画撮る気ないだろ!

話の破綻はないけど、やる気のなさは伝わってくる映画でした。

(同時上映は「仮面の誘惑」)





ガメラ 大怪獣空中決戦 <4Kドルビーシネマ版>


日時 2020年11月28日15:50〜 
場所 丸の内ピカデリー・DolbyCinema
監督 金子修介
特技監督 樋口真嗣
製作 平成7年(1995年)


備忘録として恥を忍んで書いておくが、今日人生初めてのヘマをやらかした。
今日のこのガメラの上映は本来なら明日観に行く予定で、明日のチケットを買うつもりでネットで予約したら、「あっ」と気がついたら今日のチケットを買ってしまったのだ。
わああああああああ。
そういうこともあり得るから普段気をつけているのだが、座席が満席近かったのでついあわてたのがいけなかった。(そもそも今日の画面を観ていたのだが)

10時50分から新宿ピカデリーで「燃えよドラゴン」を観て食事して15時から16時まで人と会う約束があったので完全に間に合わない。しかし行かずに完全に無駄にするのもいやだったので、人と会うのが終わってから大急ぎで丸の内ピカデリーに行けば25分ぐらいの見逃しで済むと解り、前半はあきらめることにした。(福岡ドームのシーンが間に合えばなんとか満足出来る)
新宿ピカデリーを出てから丸の内ピカデリーにまず向かう。チケットをとりあえず入手する。(映画が始まってからの発券は時間がかかるかも知れないので)
それから14時前に新宿に帰り(このときに改めて一番近い地下鉄の出口とか確認した)、15時から人と会って16時25分には到着した次第。

海の岩塊の上で碑文が割れるあたりからだった。そして大迫刑事が福岡ドームを利用することを思いつくのだから目的のシーンには間に合ったことになる(よかった、よかった)周りの席の方、ごめんなさい。

この映画、初見は1995年3月。
大阪に転勤になって観た最初の映画(だったと思う)で、今はない難波の南街劇場(という名前だったと思う)で、2階席もあり当時としてもかなり古い作りに見えた(今はその場所に丸井が出来てその上にTOHOシネマズがある)。

今回やはり人の目の高さからの特撮シーンが非常に多く、それが臨場感やリアルさを生んでいると再確認。ビル越しに仰角で見るガメラやギャオスのかっこよさよ!
そして爆発のオレンジの炎が徐々に画面いっぱいに広がっていく美しさ。
まさに「樋口オレンジ」一色になるのだ。
樋口真嗣は当時30歳。まさに若手監督だったわけで、今までの特撮とはひと味もふた味も違い、「特撮新時代の幕開け」を感じたものだった。
(そんな樋口真嗣には「日本沈没」でがっかりする事になるのだが。「ローレライ」まではよかったんだけどね)

画も色のメリハリがつき、低音も響いて座席も見やすくて最高の環境での再見だった。ひょっとしたら劇場での鑑賞は南街東宝以来だったかも知れない。

今回お客さんは95年には生まれてなかったような若いファンが多かったのがうれしかった。
上映中は「終わったら拍手しよう」と感激を抱えながら観ていたが、終了後誰も拍手しなかった。しなくてよかった。いやしたかったな。
「シン・ゴジラ」の時は終わったとき拍手があったのだがなあ。
残念。

(その後ちゃんと鑑賞したくて12/3の夜の回で再鑑賞した)







燃えよドラゴン


日時 2020年11月28日11:50〜 
場所 新宿ピカデリー・シアター8
監督 ロバート・クローズ
製作 1974年(昭和49年)


少林寺拳法の達人となったリー(ブルース・リー)は師匠かった拳法を悪いことに使うようになったハンという男の事を聞かされる。程なく国際情報局のブレイスウェイトからハンが開催する武術大会に参加し、内偵してほしいといわれる。ハンの所有する島で3年に一度行われる大会だが、島には要塞と化し用意に捜査が出来ないでいた。ハンは島で女性を麻薬漬けにして世界の金持ちに売っているという疑いがあったが証拠がない。
リーは乗り気ではなかったが、ハンの用心棒のオハラがリーの妹をレイプしようとして妹は自害したと聞かされる。
ハンの島には借金を抱えたアメリカ人のローバーと黒人のウィリアムズもいた。
到着した晩、祝宴が開かれ、すでに潜入捜査をしているメイ・リンと合流するが、まだ証拠は手にしていないという。
ハンの武術大会が始まった。
リーの最初の相手はオハラだった。リーはオハラを倒す。


今年はブルース・リー生誕80周年だそうで、11月27日はリーの誕生日だそうだ。それを記念しての(コロナで作品が少ないこともあるのかも知れないが)上映。実は「燃えよドラゴン」を観るのは生まれて初めてである。

ラロ・シフリンの主題曲はさんざん聞いていたし、またサントラとしてだけではなくテレビのバラエティでのBGMとしてもよく使われていたので、曲はすべて口ずさめる程度には覚えている。

ブルース・リーが主演だけど、格闘シーンは彼だけでなく、ウィリアムズ対ハンの手下のボロ(ヤン・スエ)とか、同じくボロ対ローバーとかいろいろの組み合わせが登場。
しかしやっぱりブルース・リーのかっこよさにはほれぼれするなあ。

昔は筋肉ムキムキに見えたのだが、改めて観るとスリムで筋肉質な体だ。
これが上半身裸で戦いまくるので、男の筋肉が見せ場である。
カンフー映画では上半身裸で戦うのだが、これはブルース・リーが作ったセオリーなのだな。一説によると香港時代のプロデューサーがゲイでリーに折角の筋肉を見せるように助言したとか。
さらにキックで相手の顔や首を一撃するので、さらにかっこいい。

ブルース・リーといえばヌンチャクだが、この映画ではヌンチャクのシーンは実はワンシーンだけで実に短い。やはり道具を使って相手を倒すより、生身の体で倒していく方がよかったのか。

最初の祝宴のシーンではハンがリンゴを投げると女たちがイヤリング状の手裏剣をさっと投げてリンゴに刺さるというご愛敬があって楽しい。
日活映画でもよくあるけど、こういった遊びが楽しいですねえ。
また007の「ドクター・ノオ」にも共通点が多かった。
悪役が島を所有して要塞としている、悪役が義手、などなど。
最後の戦いが鏡を多用した部屋というのも画がバリエーションがあってすばらしい。

有名な映画を劇場で鑑賞でき、満足した。







街の灯(森崎東監督)


日時 2020年11月23日20:10〜 
場所 シネマヴェーラ渋谷
監督 森崎東
製作 昭和49年(1974年)


恋愛仲介業を自称する梅吉(財津一郎)と千代松(堺正章)は要するにポン引き。客の言われるままに街で見かけた女の子に「3時間で5万円になるバイトがあるけどしない?」と声をかけてくるのだ。
今日も金持ちの客(森繁久弥)が最近CMに出ているヒロミ(栗田ひろみ)がいいと言い出す。困っていた二人だったが、千代松が上野駅で老人(笠智衆)がヒロミそっくりの女の子といるのを見かける。
その老人は上野駅で寸借詐欺をしているらしい。それをネタに揺すろうとした千代松だったが、「わしゃこれから九州に行く。歩いていく」と言いだし、女の子をつれて歩き出す。仕方なくついていく千代松。
女の子は記憶喪失で自分が誰か分からず、取り合えず花子と呼ばれていた。
横浜駅でコインロッカーに捨てられた赤ん坊を拾い、ヒッチハイクをする二人連れ(フランキー堺、研ナオコ)と出会う。
そして名古屋では親に捨てられた小学生の女の子と合流。
赤ん坊、女の子、花子、千代松、老人の5人で九州へ。九州の有明が老人の生まれ故郷で、ブラジルに行っていた老人が仕送りをしていたのだ。
そこへ行けば牛やヤギが沢山して暮らせるという話だったのだが。


この映画、封切り当時実家の近くの映画館で上映され、街角のポスターに関心を持ったものだった。その頃はもうチャップリンの映画を観ていたから「チャップリンの映画?」と思ったが出演者が全く違うので別の映画と解って観に行かなかった。紛らわしいことをするとちょっと記憶に残った。ほとんど忘れていたのだが、今回ヴェーラで森崎東追悼特集で上映されると知って観てみた次第。

この頃の堺正章はスパイダースも解散し、テレビタレントとして売れっ子だった。研ナオコなど歌手だが、テレビのバラエティ番組で「ブス」を売り物にした色物だった。いまならちょっと考えにくいな。お笑い芸人ならともかく、本来は歌手だぜ。
そして角川映画登場以前で大型化もしておらず、まだまだ従来のプログラムピクチャアの範囲を抜け出ていなかった。この映画も堺正章人気にあやかって作った人情喜劇(松竹は人情喜劇が会社カラーだった)。

そもそも九州に行くのはよいとして徒歩で行くという発想がすごい。
食事や寝るところどうするんだよ!横浜、名古屋ぐらいまでは考えてるけど、あとは三重県、滋賀県、一挙に岡山、広島、山口県の錦帯橋あたりはドラマはなくてただ歩いてるだけになる。雑だなあ。これで脚本がゆるされるのかと思ってしまう。

九州の有明がゴールなのだが、そこで老人は初恋の人お米を訪ねる。
しかし昔の恋のライバルだった栗三郎(三木のり平)が登場。お米は老人が好きだったのだが、それを捨ててブラジルへいったのだ。「あの時はお米さんを泣かせやがって!」と老人に殴るかかるシーンはこちらもじんときた。
栗三郎が「中国でもシンガポールでもお前のことは忘れなかった!」と殴りかかる。まだ戦争が終わって27年だ。戦争はこの間のことだったのだ。(しかしよく考えれば約50年前にブラジルへ渡ったのだが、それは大正の末。栗三郎たちが20歳だと仮定すると戦争にいってたのは40代になる。ずいぶん遅い召集ということになる)

故郷にもいられなくなった老人は銀行強盗をして金を作って千代松と花子をブラジルに連れて行こうとする。
結局逮捕されて老人は強制送還、花子は実は例のCMタレントと同一人物で芸能界でやっていけるかの不安から睡眠薬を飲んだりして記憶喪失になっていたという結末。

千代松は銀行強盗の金の入った鞄をすぐにしまえばいいものをいつも持ち歩いて、結局、跨線橋の上から列車に落としてしまって金はなくなるというオチ。

なんていうか60年代のプログラムピクチャアの全盛期から角川映画に影響を受けた1本立て時代に移行する、なにを作っても当たらない時代の映画のだったに過ぎない。
面白くはなかったが、70年代という時代を感じさせる映画だった。










さくら


日時 2020年11月23日13:50〜 
場所 新宿ピカデリー・シアター9
監督 矢崎仁司


長谷川家は父・照男(永瀬正敏)、母つぼみ(寺島しのぶ)、長男・一(吉沢亮)、次男・薫(北村匠海)、長女で末っ子の美貴(小松菜奈)にメスの犬さくらの5人と一匹家族。
子供たちが夫婦の夜の行為の声を聞いてしまって翌朝美貴が「昨日なにしとったん?」と聞いてもつぼみがあっけらかんと性教育をしてしまうおおらかな一家。
一は野球部で活躍し、学校の人気者で家族のヒーローだった。そんな一にも彼女が出来、家にやってきた。その彼女、優子(水谷果穂)の母親は水商売で、母親の恋人がよく変わる家に育った子だったが長谷川家に出入りするうちに明るくなっていく。だが美貴は兄を盗られた気がして気に入らなかった。
薫も須々木原環(山谷花純)という彼女が出来、初体験も済ませた。
やがて優子は母親の恋人が九州に行くので一緒に行ってしまった。彼女から手紙は来なくなる。ふさぎ込む一。大学に行った一だったが、帰省した際に交通事故に遭った。一は歩けなくなり、顔にも大きな傷を負った。
結局一は自殺した。
それがきっかけで父も出て行く。薫も一浪して東京の大学に受かった。
年末に父が帰ってきた。その晩、さくらは調子がおかしい。心配する家族が逆に家族を一つにする。


北村匠海、吉沢亮、小松菜奈が兄妹を演じるという、そんな美形家族おるかいと思わずつっこみたくなるようなキャスティング。もちろん観たきっっかけはこの顔合わせだ。
予告編で吉沢亮が死ぬのは知っていたけど、山田洋次的な家族物語と思っていたので、この映画の展開には驚いた。

子犬をもらってくるあたりまでは普通。しかし性教育するあたりから驚いた。その後、薫はクラスメートに誘われてあっさり初体験を済ませしまう。
映画の内容が予想と違っていたので戸惑う戸惑う。
(ちなみに北村匠海の上半身裸というかパンツ姿を初めて見た。思った通りしまってないブヨブヨした体だった。太りやすい体質かも知れない)

また照男の元に女から(しかも水商売らしい)手紙が来て一家は大騒ぎ。
実は照男の高校時代の友人(加藤雅也)がおかまになってオカマバーをやっていたのだ。一家でその店に行くシーンは笑える。

優子は一に手紙を書くといっていたが、しばらくすると全く来なくなる。
元気がなくなる一。そして大学に行き、バイトしてお金を貯め自分で九州に会いに行こうとする。しかしそこで交通事故。
予告編で一の葬式のシーンがあったので、一が死ぬことは知っていたが、事故で死ぬ訳ではなかった。顔に大きな傷を負い、足は麻痺してもう歩けない。しばらくは生きていたがやはり耐えられず自殺する。

吉沢亮の顔の右半分を特殊メイクで壊してしまうとは驚いた。
北村匠海の童貞喪失もそうだけど、この映画のキャスティングは攻めてるなあ。一の葬式のシーンでは小松菜奈は失禁してたし。

それはさておき、美貴も同級生の同性愛らしい女の子に好かれ、愛の種類も様々でオンパレードである。
美貴は実は優子から一に届いた手紙を隠していたと打ち明け、さすがに薫に殴られる。
この世のいろんな愛の形を3人に経験させているようだ。

そして家族の気持ちがバラバラになりかけるけど、さくらの病気によって一つにまとまる。

予想とまったく違っていたし、エピソードも多く、とても1回みただけでは消化しきれない内容だった。
感想というよりただただ戸惑ってしまった。もう1回観て作品を今度はしっかり受け止めたい気持ちである。











吸血少女対少女フランケン


日時 2020年11月21日15:00〜 
場所 シネマ・ノヴェチェント
監督 友松直之 西村喜廣
製作 平成21年(2009年)


ヴァレンタインデー。水島(斎藤工)の通う高校では教師が女生徒のチョコを取り上げるなどしていた。そんな時、転校生のアリカドモナミ(川村ゆきえ)からチョコを渡される。そのチョコを口にした水島だがなんだか変な味がした。それからなんだか血がほしくなる。モナミに問いただすと実は自分は吸血鬼の末裔で自分の血を飲むとその人も吸血鬼になるという。
水島とつき合いたいフラノケイコ(乙黒えり)はモナミが気に入らない。
モナミが援交をしてるらしいと教師にチクるケイコ。しかしその教師もいなくなった。モナミが秘密を知られて殺したのだ。
屋上でそのことをモナミに詰め寄ったケイコだったが、誤って転落して死んでしまう。
ケイコの父親(津田寛治)は理科の教師だが、実は人間の再生をもくろむマッドサイエンティストだった。
ケイコを甦らせようとする父親。モナミの血が不思議な力があるとわかり、その力を借りてケイコは生き返る。父親によって改造された体で。
かくして吸血少女と少女フランケンの対決は始まった!


シネマノヴェチェントでの西村喜廣監督特集。西村監督は「虎影」を斎藤工を目当てで観に行って映画自体が私に合わなかったのでいい印象がなったのだが、今回斎藤工がゲストで来るので(15000円と高かったが)観に行った。

スプラッター映画で(両監督は「青春ラブコメだ」と言ってたけど)、私には合わない合わない。
部活動で「リストカット部」というのが出てきて全国大会で手首を切り合うという信じられない描写がある。(ちなみに対戦者として水井真希が出てたけど)

そして津田寛治が娘の体を、モナミの血がついた木ねじが動き出すというねじ虫によって体をつなぎあわせて再生しようとする。
腕はリストカットで鍛えられた腕を切り取って使って、足は黒人化したガングロ部の子の足を使って、肺は汚染された中国の空気でも生きられた中国人教師の肺を使う。
こういう猟奇描写が耐えられない。

後半対決が始まると東京タワーの展望台の上で対決が始まる。
この時にケイコの方は自分の腕を切り取って頭の上に載せヘリコプターのように回転させて上る。人の体を切り刻んで組み合わせてそれをギャグにするとはいったいどういう感覚なのだろう?
完全についていけない。

映画終了後は友松監督と西村監督のトークイベント。二人が共同監督になった経緯は最初友松監督が持ち込んだ企画だったのだが、プロデューサーが西村監督に任せようとしたので、そこは友松監督も交えての共同ということになったそうだ。

最後の質問の時に迷ったあげく聞いてみた。
「リストカット部のシーンとか痛々しくて観てられない。人間の体を切り刻んでそれをまた組み立てるとか人間の倫理としてどうよ?って言う気もする。表現規制をすべきだと思わずいってしまいそうになるが、それをいってしまうと今度は自分が規制される側になってしまうかも知れないから、表現規制はすべきではない。かといってこういう残酷描写は受け入れられない。観なきゃいいという反論もあるが、それを言ってしまったらお終いという気もする」と質問してみた。

両監督とも真摯に答えていただき、西村監督は「俺は絶対に断るシーンがある。それは女性が監禁されていじめられるシーン。それだけは撮れない」と言っていてすべては腑に落ちた。
西村監督にも人間らしさは残っている。僕は女性が監禁されてもそれほど嫌悪感は抱かない。その辺の感覚の差は何にでもあるのだろう。
その話でなんだかすべて気持ちが解った気がした。
友松監督は「我々は表現者として踏ん張っている。あなたも映画を作ってみるのもいいのではないですか?」とおっしゃっていた。これは嫌みとか喧嘩を売ってるわけではなく、「お互い表現者としてがんばりましょう」という意味に取れた。

映画自体は好きではないが、トークイベントに参加してもやもやが晴れた。有意義な時間だった。





the believers ビリーバーズ


日時 2020年11月20日20:30〜 
場所 池袋シネマ・ロサ2(地下)
監督 平波亘


4つの物語が平行して描かれる構成の映画。一晩の話もあれば、数年間の物語もあり、数日の話もある。
「ドとレとミとファとソとラとシの音が出ない」「彼女」「シティポップ」「終電後の世界」
「ド〜」はミュージシャンと同棲していた主人公だが、その主人公の彼の友人が男も女も好きになれるタイプで主人公の彼と出来るが、結局その男は主人公の部屋に住み始め、最後には別の女を連れ込んで食事を作らせ主人公の目の前でキスを始める。
「彼女」は脚本家志望だったが、女優としての呼ばれることが多くなった女性と同性愛関係にある主人公。二人は別れるが女優の方は女性マネージャーと関係を持つがマネージャーは結婚する、と言って別れていく。
「シティポップ」は遅刻でバイトを首になった主人公が運命の女性を探して街を歩き、たばこの火を貸したことから言葉を交わした女性に魅了され、尾行する。
「終電後の世界」は終電後に街を歩いている女性に声をかけ「写真を撮らせてください」と言って写真を撮りながら話を聞いていく。
そこで知り合った女性から「セックスしてほしい」と言われホテルに行くがそこへ男が入ってきてボコボコにされる。


だいたいこんな感じの話がバラバラに語られていく。
理由はいくつかあるが、この映画、私にはあわなかった。
まず登場人物が似通っていて途中で区別が付かなくなる。
「シティポップ」と「終電後の世界」は解るのだが、「彼女」と「ド〜」の話がごっちゃになってしまった。不倫をしていた女性が出てきて、不倫相手の男性が「妻と別れる」と言ったので自分と結婚してくれるのかと思ったら別の女と結婚すると知ってショックを受ける、という話が出てくるが、この女性が「彼女」と「ド〜」のどっちの女性と同一人物かいまだに混同している。(私は5つのエピソードから構成されると思っていた)

思うに「20代」「金もってなさそう」「定職についていないフリーター」「アーティストもどき」「覇気がない」というような男女を問わず共通項が多い人物ばかりなのだ。
群像劇なら「高校生」「大学生」「中年」「老人」とかはっきりキャラクターの違う人物で構成した方がいいのではないか?
似たような人物ばかりなので、どれがどれやら混同する。
これが顔の知った役者が演じていれば区別も付くけど、似たような人物ばかりでは混同する。

それとねえ、私がおじさんだからそう思うのだろうけど、覇気がなくてアーティストもどき(ミュージシャン、女優、カメラマンなど)で服装もだらしなくて好きになれない若者ばかりが登場する。
いや、登場人物にそういうのが一人や二人いても大丈夫なのだが、全員そんな感じだと映画もいやになってしまう。

なんだか平波監督(この映画にも「シティポップ」で女性をナンパしようとして反撃を食らう男を演じている)の周りにいそうな人間だけで構成されているようでなんだか想像力の乏しさを感じてしまう。

そんな感じで好きになれない「ザ・自主映画!」って感じの映画でした。





THE CAVE(ザ・ケイブ)


サッカー少年救出までの18日間
日時 2020年11月18日18:30〜 
場所 新宿ピカデリー・シアター4
監督 トム・ウォーラー


タイのサッカーチームの少年たちが、試合の後コーチに引率されて近くの洞窟に探検に行く。しかし途中から雨が降り出し洞窟の通路に水がたまり彼らは帰れなくなってしまった。
公園の管理人が入り口付近においてあった自転車を見つけ、13人が閉じこめられたと察知。直ちに警察や消防が出動したが、洞窟にたまった水は大量で彼らの生死はわからない。まずはある程度水をくみ出さなければならないが、通常のポンプでは遅すぎる。
救助チームの中には強力なポンプを使用することを思いつき、工場に電話する。工場の社長の協力的で、すでに納品して使用しているところから借りてきた。しかし救助隊のキャンプの入り口で「許可がないので入れません」と断られてしまう。
何とか許可を取って排水した。しかしそのために近所の田圃は水没した。
そしてついに少年たちは発見された。しかも13人全員無事だ。
しかし水は相変わらず溜まっており、ここからの脱出は困難を極める。
元海軍のダイバーも事故で死亡した。


もう2年前になるけど2018年6月に起こったタイの洞窟に少年が閉じこめられた事故の映画化。映画になったことは知っていたけど、いつ公開かよく知らずにいて、ピカデリーの上映時間を観ていたらすでに公開されていることを知って、観に来た次第。

あまり感動で盛り上げすぎずにいて好感が持てた。これが音楽がどーんと流れたり、スローモーションでやられた日にゃ私はげんなりしてしまう。
100分ぐらいの映画だけど、まだまだ詳しく知りたい気がした。

少年たちがまず発見されるまで4日程度経っている。映画では彼らは上から垂れてくる滴を飲んでいただけだけど、それだけでよく4日も持ったなあ。あと子供だったからかえってもめなかったのかも知れないけど、パニックになる子とかよくいなかったな。
糞尿とかどうしていたんだろう?
発見されてからは食料は運ばれていたんだろうか?

それにしても前半の困難は折角強力なポンプを持ってきたのにそれが役人がどうのと言って使わせてくれないところはハラハラさせられた。
ああいう役人の仕切とか連絡の悪さって日本だけの問題じゃないんだなあ。
また最初は「外国人ダイバーの力はいらない」とタイ人だけで対応しようとする。結局はダイバーが一人亡くなって積極的に外国人にも頼るようになるのだが。

この映画をみる前はダイバーなら誰でも洞窟をいけると思っていたのだが、そうでもないのだな。考えてみれば海と違って洞窟は狭いし、暗い。
海なら広くて明かりもあるけどね。海軍のダイバーで海に潜れるだけでは洞窟ダイバーは無理なんだと解った。

そして後半活躍するイギリスのジム・ウォーニーを演じているのが「本人」と知って驚いた。普通に俳優かと思ったよ。
全員無事に助かってよかったよかった。
たった13人の為に全世界の人々が協力出来るとはこの世もまんざらでもない。
でもじゃなぜ戦争は無くならないんだろうね。

映画とは関係ないが、出てくる車がみんなトヨタか日野のトラック。さすが日本車!
洞窟の周りで仏教徒たちが祈りをするものさすが仏教国タイだけのことはある。
いろいろ勉強になった。









課外授業


日時 2020年11月17日 
場所 シネフィルWOWOW
監督 ヴィットリオ・デ・システィ
製作 1976年12月公開(昭和51年)


ピアノ教師のフォルメンティ(キャロル・ベイカー)はイタリアの田舎町に赴任した。
生徒のアレッサンドロは彼女の美しさに夢中になる。アレッサンドロは親友ガブリエルの妹、エマヌエルと付き合っていたが、二人はまだ何もしていない。ガブリエルはある日フォルメンティがバスで自宅に帰るのを見かけ、彼女のアパートを知る。
フォルメンティの部屋は向かいのビルのトイレから中を覗くことができた。それを知ったガブリエルはカメラで誰も見ていないと思って自慰行為をするフォルメンティを盗撮することに成功した。
その写真をもって「校長に見せられたくなければ俺の言う通りにしろ」を命令する。
まず教室に透けるブラウスを着てくるようにいう。次の日の授業ではフォルメンティが上着を脱ぐと乳房がブラウスから透けて見えた。それを見て動揺するアレッサンドロ。
アレッサンドロの様子がおかしいと思った母親は、ピアノのことで悩んでいるかとフォルメンティにピアノの個人レッスンを頼む。
アレッサンドロの家で個人レッスンをするフォルメンティだが、いたずらは止まらない。
まずはフォルメンティの服にコーヒーをこぼし、胸を透けさせる。
そして「先生の腋毛を剃ってあげるよ」とアレッサンドロとガブリエルでフォルメンティの腋を剃る。
ある日、エマヌエルの部屋に遊びにいったアレッサンドロはガブリエルが自分のベッドの下にフォルメンティの自慰行為の写真を隠していることを知る。フォルメンティは「もう怖くないわ」とガブリエルの要求を拒否する。


この映画は封切り当時に観ている。当時地元では2本立てだったから何か別の映画を観に行ってその同時上映で見たのだ。
その時には刺激的でしたねえ。透けるブラウスを着てピアノの前から振り返ると乳房が見えるのはショッキングだった。
考えてみれば教室であんなことをすれば噂になって校長の耳にも入ってもおかしくないと思うのだが、その辺はイタリア青春エロ映画の脚本のテキトーなところである。

そもそもこのジャンルは「青い体験」から始まったと思うが、この映画の頃には下火になっていたと思う。
(「個人教授」とか「卒業試験」とかあったなあ。そして「エマニエル夫人」から始まったソフトポルノ路線で「O嬢の物語」とか「アニーベル愛の妖精」とか出てくる。それで「ジョーズ」に始まった動物パニック路線とか出てきて徐々に下火になっていくんですが)

その後も(忘れてたけど)先生の腋毛を剃るシーンとかとにかくソフトにエロい。
そして主人公のおじさんの家に行き、おじさんの愛人と初体験。
(でもおじさんとかがエロいこと好きってパターン多いなあ。イタリアでも実際はそうでもあるまいが)

あと、ガブリエルが先生に意地悪した動機が「アレッサンドロを先生に取られたから」という感じだった。
この辺が初見の記憶では「ガブリエルはホモでアレッサンドロのことを好きなのよ」という主旨のことをはっきり言っていたと思うが、今回の翻訳ではそこまではっきり言ってなかったな。
初見で見た時には(別に他のイタリア青春エロ映画を見てるわけじゃないのだが)「変化球な展開だな」と思った覚えがある。

そして先生と(なぜか)体験し、彼女であるエマヌエルとのセックスに自信を持ったアレサンドロはひまわり畑でエマヌエルと全裸で戯れる。
外でセックスとかもう上級者ですね。

それにしても時々コートの下は全裸という露出狂男が登場するのだが、本編とは全く関係なく(驚く女性もいるが、観光客のおばあちゃんなどはキャアキャアと喜んでしまう)完全に意味不明だが、作品のテイスト(エロ映画ということ)には合っていたと思う。
「ヘア無修正」というDVDも欲しくなった。







最短距離は回りくどくて、―落花流水―


日時 2020年11月7日18:00〜 
場所 池袋シネマ・ロサ1(2階)
監督 山内大輔
製作 OP PICTURES


流花が気に入らない客を殺してしまったことから事態は一変。柴原の部下が死体を処理し、ほとぼりが冷めるまで流花と悠斗は身を隠すことになった。ここで二人はお互いの体を求め合うようになる。
柴原は新しいボーイのタクミの彼のセイヤと矢崎が何をたくらんでいるか調べるため、タクミを自分の部下に拉致させる。
そして警告のためにタクミをセイヤのいる矢崎のアパートまで送り届けた。もはや柴原を許せなくなったセイヤは矢崎が持っていた拳銃を持って柴原の元に向かう。
柴原が死に流花と悠斗は二人でどこかへ逃げようと決意。しかしそこで流花が真実を告白する。


先週の「雨とソーダ水」の続き。
前作のおさらい、みたいな感じで話は進み、前半は進展なし。しかし流花と悠斗のカラミのシーンはさすがによくできていた。この映画の主演ツートップだしね。力がはいったカラミでよかったです。

そして矢崎とセイヤのカラミも丁寧でよかったなあ。前作に比べ話の進展がない分、カラミに力が入ってましたね。

セイヤが柴原を殺すシーン、「ロング・グッドバイ」でマーロウがテリー・レノックスを殺すシーンに似ていて、爽快感があった。あとはセイヤが「ぺッ!」と唾を吐いてくれたら完コピだったんだけどね。

そして最後の最後、実は流花は青山先生ではなく、悠斗が好きだったと明かす。悠斗が高校生ので河原に一人でいた頃から見ていたという。
いやいやそれはいくら何でもやりすぎでしょ。
無理に続編を作ったせいか「実は」「実は」のひっくり返しの連続でここまでやるとどうとでもなってしまう。
この後は「実は矢崎と悠斗が愛し合っていた」になってしまうよ。

悠斗が好きな流花は実は青山先生に嫉妬して憎んでいたという展開になる。そして柴原に拉致された青山を殺したのは流花自信だと言うことも。
それを聞いた悠斗は「なぜそれを言うんだ。言わなければ分からないのに!」。
はっきりそのシーンは出てこないが、悠斗は流花を殺しそれを示すシーンで映画は終わる。

いやいやさっきも書いたけど話を複雑にしすぎでしょう。
前作で終わっておけば「ちょっと変わったラブストーリー」で終わったけど、ここまで来るともう精神を病んでる人ばっかりだよ。矢崎がいちばんまともですね。

山内監督のバイオレンス趣味がだんだん増加し、そういう自分の趣味に走るとは本人はそれほどやりたくなかったんじゃないかと思ってしまう。
OPのBLシリーズ第2弾、として全く別の企画でやればよかったんじゃないかなあ。
オークラ映画にはまた来年もBL映画を作ってほしいものだ。







きみの瞳が問いかけている


日時 2020年11月5日19:05〜 
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン5
監督 三木孝浩


アントニオ篠原塁(横浜流星)は酒の配達などのアルバイトをしていた。ある日住み込みの駐車場の管理人の仕事についた。事務所でテレビを見ているといきなり女の子が入ってきて「おじいさん、これ」とみかんをくれて、一緒にドラマを見ようとする。彼女、明香里(吉高由里子)は目が見えないのだ。それでドラマを一緒に見てくれる人に服装とか聞いてドラマを理解していたのだ。塁のことをおじさんと勘違いする明香里。
塁は孤児院の出身だったが、半グレ集団の主催するアングラの格闘技に選手として出場し、その半グレ集団の悪事にも携わっていた。
しかしまともなボクシングジムのトレーナー原田(やべきょうすけ)に拾われ、大内(田山涼成)会長にも将来を嘱望されていた。
しかしその半グレ集団も警察にあげられ、塁は刑務所に3年半入っていたのだ。
明香里と親しくなり、彼女と生活を立て直そうとする塁。
だが明香里の目が見えなくなった交通事故は自分が関連していたと知って驚く塁。半グレ集団で逃亡しようとした仲間(岡田義徳)が焼身自殺した時、たまたま両親を乗せて車で通りかかった明香里がそれを見て驚いて事故を起こしてしまったのだ。
そしてかつての半グレの地下組織の佐久間(町田啓太)から「もう一度リングにあがってくれ」と頼まれる。明香里に危険が及ぶことを恐れた塁は明香里と別れ、自らも「これで最後だぞ」と約束させてリングにあがった。


横浜流星と吉高由里子のW主演作。横浜流星のボクサー姿(要は上裸)も話題の一つ。
甘いラブストーリーかと思ったら、だんだん暗黒街ぽっくなってきて、仕舞いには「日活アクション」だった。

「悪い組織から逃げ出したが、また組織に誘われる」って完全に「拳銃無頼帖」ですよ。んで「盲目の少女」って完全に「紅の拳銃」。赤木圭一郎も「打倒(ノックダウン)」ってボクサー役もやってたしなあ。

ラストのリング対決で圧倒的に強そうな相手に打ちのめされながら、最後に一撃を食らわせて倒す、ってかっこいいなあ。
ファイトマネーで前払いでもらった金で明香里の目を治す塁。
自らは半グレ集団に復讐されるんだけど。

問題はその後である。
当然、明香里と塁は再会して「あなただったのね」になるはずである。
チャップリンの「街の灯」である。

「街の灯」と同様に明香里も店を持っている。
そしてボランティアで病院で患者のマッサージをしている。そこで塁の体をマッサージする。
おい!気付よ!
そして店にやってきた塁を追いかける。
でもここでも感動の再会はない。
3回目のチャンスでやっと塁と明香里は再会する。それは塁の母親が塁をつれて無理心中しようとした海岸。

でもねえ、3回もかかるのはくどすぎるよ。1回目で分かれよ!
もしくは「紅の拳銃」みたいにすれ違いで終わるとかさ。
いまでも日活アクションの精神が通じる作品があるのはよかった。でも贅肉が多すぎるけど。








罪の声


日時 2020年11月3日15:00〜 
場所 新宿ピカデリー・スクリーン2
監督 土井裕康


大日新聞の芸能記者、阿久津(小栗旬)はロンドンにやってきた。1983年にオランダで起こったベックマン事件のことを調べていたアジア人がいたという情報に頼ってきたのだ。1984年に日本ではいわゆる「ギンガ・萬堂事件」が発生し、その元になったと言われた事件だったからだった。しかし空振りに終わる阿久津。
その頃、京都でテイラーを営む曽根俊也(星野源)は家の押入の奥からある箱を発見する。中には手帳やカセットテープが入っていた。そのテープを聞いて驚いた。「ギンガ・萬堂事件」に使われた身代金受け渡しの指示の声が入っていたのだ。それは自分の声だった。なぜこんなことになっているのか?手帳を手がかりに父の昔を知る人々に当たってみる。手帳は父の兄、俊也の叔父のものではないかという。叔父は学生運動に傾倒しやがて過激化していったようだ。
阿久津は帰国後いやいやながら「ギン萬事件」の取材をする。
身代金は結局犯人たちは奪取出来なかったから、株価操作をして儲けたとという線で追ってみる。その線からやがてキツネ目の男も浮かび上がる。
同じ事件を追う阿久津と俊也はついに出会う。


数年前ベストセラーになった「罪の声」の映画化。原作は読んでいる。面白く読んだが、内容はすっかり忘れていた。

取材を重ねていき、徐々に事件の本質に迫っていく。
その過程で出会う名優たちの豪華競演!火野正平、堀内正美、木場勝己、桜木健一、佐藤蛾次郎、塩見三省、花王さむ、正司照枝、沼田爆、宇野祥平、水澤伸吾らがほんのワンシーン、ツーシーンだが印象に残る演技を見せる。
特に桜木健一は元警官の柔道家、という役だが、完全に「柔道一直線」と「刑事くん」のオマージュだ(それしか思いつかない)。

犯行に声を使われた子供は3人。曽根以外の二人の子供は一人は死に、もう一人も幸せとは言えない人生をたどる。(宇野祥平がいい!)
後半の宇野祥平のくだりとか、主犯の曽根の叔父(宇崎竜堂)に会って真相を聞き出すあたりは心を動かされる。

感動した気分で映画を見終わったのだが、よく考えたらこれはフィクションである。実際の声を使われた子供の正体は分からない。実は3人とも幸せな人生を送ったのかも知れないし、生きていれば今40代だから、原作や映画を見てる可能性だってある。

これ、どの程度真実なのだろう?
映画館を出る人が「キツネ目の男の正体をもっと詳しく知りたかった」と言ってたけど事件の全体像はそれほど詳しくはない。
一橋文哉さんの本だったかで「グリコ社長の監禁時に着せられたコートはかつてグリコが奨学金を出して通わせた学生に与えたコートで、そのコートは満州で配られたもの」的な話が出てきて、この事件は戦前から続く何かがあると書かれていたと記憶する。

今回の作品ではその辺は全く触れられてない。
3人の子供がその後どうなったかだけに焦点が当てられている。
まあ、「グリコ森永事件」ではなく「ギン萬事件」で別の事件だしな。
面白かったことは面白かったが、「グリコ森永事件」の真相を知りたいと思っていくと外されるなあ。

その点「3億円事件」は「白バイ警官の息子」でなんとなく決着はついてるし。「3億円事件」も様々なテレビ、映画になりましたけどね。
でも「グリコ森永事件」でも「途中で犯人が変わったと思われる」という見方はあるから、株価操作で儲けようと思ったがうまくいかずにグループの一部が身代金奪取に動き出した、という見方は出ていた。

面白かったけど、あくまでこれは一つのフィクション。
「グリコ森永事件」はもっと多くの作品になってもいいと思う。





人情紙風船 <4Kデジタル修復版>


日時 2020年11月3日11:45〜 
場所 EX THEATER六本木
監督 山中貞雄
製作 昭和12年(1937年)


江戸の長屋で今日、年取った侍が首をくくった。同じ長屋に住む新三は大家に掛け合って長屋のみんなで通夜と称して酒を飲む。
新三は髪結いが本業だったが、今は賭場を開いて暮らしている。そのあたりを縄張りにする弥太五郎源七に目を付けられている。
新三の隣に住む海野又十郎は今は浪人の身。しかし父の友人で又五郎の父のおかげで出世したと言っても過言ではない毛利に仕官を頼むがその場を誤魔化すばかりで取り合わない。
毛利は質屋の白子屋の娘、お駒を位の高い侍の家に嫁がせようと画策中だ。ところがお駒は番頭の忠七との結婚を望んでいる。
金に困った新三は白子屋に髪結いの道具を質草に金を借りようとするが、「そんなものでは金を貸せない」と断られる。
ある雨の晩、海野は毛利に会いに行く。しかし毛利はいつものように「明日来い」というだけ。「それでは明日の五つに伺います。門番にも私が参ることをお伝えください」と繰り返し言うとついに「もう来るな、道で会っても話しかけるな」と拒絶される。
新三は縁日に行ったお駒が雨宿りをしてるのに出くわす。新三は駕籠に乗せてお駒を自分の家に連れて行く。
それを知った白子屋の主人は弥太五郎に新三からお駒を連れ戻すように頼む。
白子屋や弥太五郎に一泡吹かせるのが目的の新三は弥太五郎が五両だしても取り合わない。


東京国際映画祭での4K上映。
山中貞雄作品は現存するのは3本だが、その1本は今まで未見のままにしておいた。DVDにもなっているので観ようと思えばいつでも観れるのだが、観てしまったら後がないので取っておいた次第。
東京国際映画祭で4K上映されるので、いい機会とついに鑑賞。

なるほどねえ。さすがに名作と言われるだけのことはある。
「人生どうもうまく行かない」を実に描ききっている。

話の方は長屋の大家が「俺が話を付けてやる」と白子屋に交渉にいく。
それで五十両で話を付けてくる。
顔をつぶされた弥太五郎は新三を許せない。
五十両をもらって酒をみんなで飲んでいる席から連れ出す。

新三も「ちょっと出てくる」長屋の住民が「借りてきた傘を返しに行ってくれないか」と頼まれ引き受ける。弥太五郎たちに囲まれて「傘は返しておいてくれよな」と弥太五郎の子分(加東大介)に頼む。
そして弥太五郎に囲まれたところでそのシーンは終わる。
殺されるシーンはないのである。
この辺の省略の潔さが素晴らしい。

海野も雨の中で毛利に「もう来るな!」と拒絶されるシーンが切ない。
うまくやる奴はうまくやってその恩に果たさない。
そして妻には「大丈夫、心配するな」としか言えない海野。
しかしすべてを悟った妻は夫を殺し心中する。
それも翌朝の近所の人々の「心中だ」の台詞だけで示す。
そして水路に紙風船だけが流れていく。
素晴らしい。

またスタンダードの奥行きを生かした構図が素晴らしい。
長屋の奥行きや江戸の町並みを奥行きを見せ、奥でも人が動き飽きさせない。シネスコではこういう奥行き感はないですよねえ。
撮影の三村明さんの力なのかも知れないが、今の若い人も是非見習って欲しい。
また今回の4K版、東京国際映画祭で上映して終わりではなく折角の素材を生かしていって欲しいものだ。






Life 線上の僕ら<ディレクターズカット版>


日時 2020年11月2日20:50〜 
場所 シネマート新宿1
監督 二宮 崇


高校生の伊東章(白州迅)は下校時に道路の白線を歩き続け、はみ出たら死ぬ、というゲームを一人でしていた。ある日同じゲームをしている西有希(楽駆)と出会う。意気投合した二人は毎日たわいもない会話をするのを楽しみにする。ある日、衝動が押さえられなくなった章は有希にキスをしてしまう。その場から逃げ出した章だったが、翌日も夕希は同じように接してくれた。
二人とも大学生になって会う時間も増えた。デート中につい物陰でキスをしてしまう章。夕希は拒否するわけではないが、困ったような顔をする。
本当はキスして迷惑なのか?思い悩んだ末、夕希の部屋にいるときに思わずベッドに押し倒してしまう。「そういうのダメ!」と章を突き飛ばす。


先日仙台の映画館、フォーラム仙台に行ったときに仙台駅の方の系列間で上映され、満席だと教えてもらった映画。高校生の制服姿の男子高校生二人がキスしようとしているポスターが見事である。キャッチーだ。このポスターだけでも観たくなる。
元は1話30分枠のテレビドラマを2時間の映画に再編集した劇場版。
配信でも観られるのだが(アマゾンプライムで1話200円)、この劇場版はドラマ版にはなかった最後のシーンがあるとかで観に行った。
(東京ではシネマート新宿で1週間レイトでの上映)
仙台で公開されたのは、仙台で撮影された映画だからだそうだ。

結論から言っていい映画だった。日本のBL映画としては上位の方に入る。
夢があって、発想が安易でなく、ゲイの葛藤も描いて、ハッピーエンド。
切なくてでもハッピー。「ゲイでよかった」と思える映画なのだ。
(ゲイムービーってバッドエンドが多いから)

話の方は夕希が章に「そういうのだめ!」と言ったのはキスや押し倒すことが「ダメ!」なのではなく、いきなりなのが「ダメ!」なのである。
床にガムテープを張って「今こっちに来たら電流100万ボルト!」というあたりが可愛い。100万ボルトは電圧なのだが、その辺が違うのもまた可愛い。(なんとなく章の方がタチで夕希の方がウケだ)
その後、二人は体の関係にもなったんだろうけど二人で裸でベッドに入ってるだけでそこは写さない。

その後、二人は就職して一緒に暮らす。
しかし章は母親の「普通に大学出て、普通に就職して、普通に結婚しなさい」という「普通」が染み込んでいたのだろう。
この「普通」が染み込む感覚はよくわかる。
大人はつい「成功することより失敗しないこと」を優先して考えてしまう。

章は高校生の頃に自分に告白してくれた女子が、今の会社に途中入社して「つきあってください」と言われ、結局最後には結婚してしまう。
私はゲイは結婚すべきではないと思うのだが、結局結婚する人もいるんだろうなあ。
ここがこの映画が東京ではなく、地方都市(ロケしたのは仙台)なのがミソである。

でも結局章は夕希を忘れられずに離婚。よく夕希も待ってたなあ。あの子ならいくらでも恋人は出来そうなのに。

まあ不満もなくもない。
ラストで章と夕希は再会するのだが、夕希がかつて「オーロラを見に行きたい」行ってたから、北欧まで行ったら再会!って画としてはいいけど偶然が過ぎるのでは?
せいぜい日本の場所にしておいた方が現実的だった気がするなあ。

あと章の父親。母親は「普通」を繰り返し、ラストでは「自分に正直に生きたい」と感情を爆発させ、結局納得してくれる。でも父親が影が薄いなあ。役者もさえないし。

そういう細かいことはあるけど、総じていい。ソフトが欲しい気持ちだ。

主演の二人がいい。特に夕希役の楽駆がいい。それほどイケメンではないのだが、笑ったときの満面の表情が実にいい。
今後の活躍が楽しみだ。レイト1週間の上映だが、ヒットして欲しいなと思う。
よかった。









アスリート〜俺が彼に溺れた日々〜


日時 2020年11月1日 
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 大江崇允
製作 令和元年(2019年)


元競泳選手の海堂航平(ジョーナカムラ)は今は子供水泳教室でコーチの日々だが、評判はよくない。ある日家に帰ると妻は離婚してほしいという。高校生の娘水菜は知っていたようだ。
酒に溺れた航平はある繁華街に迷い込む。そこで介抱してくれた青年、悠嵩(ユタカ〜こんどうようぢ)に出会う。悠嵩につれられてあるバーに入る。そこはLGBTQの人々が集う店だった。初めての世界に戸惑う航平。酔いつぶれた航平は結局ユタカの家に泊めて貰う。
翌朝、航平の朝食を作って悠嵩は出かけていった。航平も水泳教室に向かったが結局悠嵩の部屋に帰ってきた。一人の家に帰っても仕方なかったからだ。
やがて航平は悠嵩を愛するようになり、二人は体を重ねた。
二人の関係は幸せに見えたが、ある晩、バーで「悠嵩は前は売り専をしていた」と聞いて航平は動揺する。
航平は悠嵩が以前の恋人らしい映画会社の社長とキスしているのを観てしまう。つい売り言葉に買い言葉で「売春野郎!」と言ってしまう航平。
それを聞いて悠嵩は部屋を出ていくのだが。


アマゾンだったかを見ていた時に「こんどうようぢ主演のBL映画」があるのを知って早速レンタルで取り寄せて観た次第。
光音座でゲイ映画を観て帰ってからどうしても観たくて夜も遅かったが観た次第。

正直がっかりである。
まず妙に真面目に作ろうとして混乱している。いったいこの映画の企画はどこから始まったのだろう?
脚本が先にあったのだろうか?
それとも「ジョーナカムラとこんどうようぢの美形カップルでBL映画を」というキャスティングありきだったのか?

根拠ないけど後者のキャスティングありきな気がする。
こんどうようぢは以前から知ってはいたが中性的な美形でモデルとかで活躍し、じっくりとその魅力を味わってみたいと思っていたので、歓迎である。
ジョーナカムラはまったく知らない人だったが、体のたくましく、セクシーで大人の魅力満点で申し分ない。

ところが脚本がだめだめなのである。「LGBTQをテーマにした脚本を書け」と言われて何にも分からずに真面目に本を読んで勉強して書き上げたようなシナリオだ。何を描きたいのか訳分からなくなってしまったのではないか?

まず二人の出会いが新宿2丁目だ。「ゲイ=新宿2丁目」というのも発想が安易。そしてゲイバーのママのプリシラが登場する。「ゲイ=おねえ」の発想。テレビのゲイタレントのイメージのまま。
そしてその店に行って悠嵩が挨拶代わりのように隣に座っていた友人とキスをする。その店の奥では男同士でキスしている。
いやいや「妄想の中の新宿2丁目」である。「日本はどこからでも富士山が見える」と同じくらいの発想だ。

そして悠嵩が「売り専だった」というのが彼が何故売り専をしたいたのか、などの話の広がりはなく中途半端。
悠嵩はアニメ作家を目指しているが普段は何をしてるか謎である。
チャットボーイとかのテレビ電話で話すバイト(?)をしてるようだが、それが本業ではないだろう。
「本場のフランスに行って勉強したい」とか行ってるけど日本の方がアニメは上ではないか?

また水泳教室で他とは違って「おかま!」とかいじめられている少年が出て来るが、「LGBTQの始まり」みたいなことを描きたかったのだろうが、結果的に意味不明。
悠嵩の元彼の自称「小さな映画会社」の社長が出て来る。なんだかなあ。

そういった発想がテレビ等で植え付けられたイメージに影響されてる気がするが、最大の失敗はラブシーンに失敗していることだ。
最初に航平と悠嵩がキスするシーンはここはじっくりと美しく描かねばならないはずだが、初キスが頭で隠れて見えない。後ろから撮ってしまって唇と唇が重なる様がちゃんと撮れてないのだよ。

悠嵩は自分がゲイだと父親に言えずに悩んでいて、それで危篤の父親に病床でついに打ち明ける。でも父親は意識がないまま。おいおい、ここは白々しくても「お前が幸せならそれでいい」と言わせろよ。

海岸で再会した悠嵩と航平だが、まだ日があるのにキスをして服を脱ぎ出す。いやいや、人目があるからいけません!
普通の男女だってキス止まりでしょ、外なら。
そして悠嵩は去っていく。
1年後、プリシラが亡くなって(この店でのお通夜のシーンでプリシラの養女が出て来る。ここも意図不明なのだが)、フランスに行っていた悠嵩が帰ってくる。
「でもすぐ帰るよ」で終わり。

なんだかなあ。LGBTQとかBLに関心がない人たちが無理矢理作らされたような映画で、そういう失敗作の見本のような映画だった。

でもよかった点がひとつだけ。
悠嵩はたばこを吸うのだが、航平が最初に泊まった朝に航平がたばこをほしいというので1本渡し、火をつけるところ。たばこを加えた航平にまるでキスするように自分のたばこから火をつける様はよかった。
私はあまりたばこは好きではないけど。






最後の抱擁


日時 2020年11月1日15:30〜 
場所 光音座1
監督 小川和久
製作 OP映画


若松エイジ(久須美欽一)は40を過ぎたベテラン俳優。主役ではなくなったものの、バイプレーヤーとして一目おかれる存在だった。
テレビ局のプロデューサーの篠原と「いい脚本が欲しい」と話してるときに「新人の脚本家が売り込みにきている」と聞いて篠原とともに喫茶室で会う。
そのライターの卵、高井菊男を気に入る若松。早速ドライブや自分の行きつけのゲイバーに連れて行く。そして役者の立場からの脚本のアドバイスをしていく。自分の家に泊め勉強させる。
高井には同じく女優志望の彼女、チハルがいたがなかなか目が出ない高井に飽きかけていた。
高井を泊めた晩、若松は思わず高井にキスをしようとするが思いとどまる。しかしそれを高井は知っていた。
ホモではない高井は若松を避けようとする。電話をかけても「今忙しいから」と切ってしまう。
しかしチハルが他の男に乗り換えたことがきっかけで若松に会いたくなってゲイバーで再会。再び高井は若松の助力を得て脚本を書く。書き上げた脚本は篠原も認め、作品化が決まった。若松も刑事役で出演する。
「現場も知っておいた方がいい」という若松に撮影現場に連れてこられる高井。しかしそこでチハルと再会した。
チハルは高井が売れ始めたと知ってまた近づいたのだ。
その頃、若松は体調に異変を感じていた。どうやらガンの可能性がある。
しかし「この作品だけは」と無理をして出演。クランクアップの日、若松は倒れた。
若松の体調を知った高井は、ゲイバーのメンバーにも不義理を叱られお見舞いにいく。
「退院したら若松さんの別荘に行きましょう」
その言葉通りに二人は別荘に行き、体を重ねた。


監督の小川和久は小川欽也の別名。役者としては姿良三の名前もあるそうだ。本作でも姿良三が出演クレジットにあるから、途中出てくる映画監督が欽也監督自身かも知れない。

話としては面白かった。中年男が若い男を応援するのだが、若い男は義理を忘れるという永遠の(?)テーマである。
僕なら若手俳優を育てる一流脚本家、と設定が逆になるが、それではありきたりだったのかも知れない。こういう設定もありだなと思う。

高井はゲイではないし、若松もひたすらプラトニックに応援する。じゃあゲイポルノではないじゃないかということで裸のシーンは行きつけのゲイバーのカップル従業員、ミチルとタカシがその役割を担う。だから裸のシーンはこの二人のカラミが都合4回ぐらい出てくる。

この二人がカラミ担当だけでなく、要所要所でポイントを押さえる。そして若松が入院したにも関わらずお見舞いにも行こうとしない高井を「そんな不義理な奴は帰りやがれ!」とチハルともども追い出すシーンは爽快感がある。
そして若松の体がかなり悪いと高井が知るシーン、医者のせりふがオフで語られ、雪の中を高井が立ち尽くす。雪になったのは偶然だろうか、それにしても雪が強く降る中立ち尽くす高井は様になっていた。

で、ラストの別荘での若松と高井のカラミなのだが、暗い中見つめ合って絡み出し、その最中で「おわり」と出る。
ここが盛り上がりに欠けるのだなあ。
普通音楽とか流して「二人は結ばれた」感を演出するのだが、そういう高揚感はない。
また若松はガンの1年か半年でガンが再発と言われているので、結局近々死ぬのかね?
その辺の決着がなく、「とりあえず体を重ねることが出来ました」で終わる。

なんか中途半端な終わり方だなあ。
基本的には中年男と若い子の話で好きな話なのだが、いかんせん私は久須美欽一があまり好きではないので(いや役によってはいいのですが)、ちょっと好きというほどの映画にはならなかった。

いろいろと惜しい映画だった。






丹下左膳餘話 百萬両の壺<4Kデジタル復元・最長版>


日時 2020年11月1日11:15〜
場所 EX THEATER六本木
監督 山中貞雄
製作 昭和10年(1935年)


ストーリー省略。
今回は東京国際映画祭の「日本映画クラシックス」枠での上映。
4Kデジタルリマスターに「復元・最長版」と来た。

期待していったが、その期待にそぐわぬ出来。
特に音声がクリアになり、初見はフィルムだったと思うがDVDを購入したときに日本語字幕を出してせりふを確認したことがあったが、今回はほとんど聞き取ることが出来た。もちろんそうは言っても元々の音質もあって聞き取れない部分もあったけど。

あと音楽が大きすぎてせりふの邪魔をしてるような印象を持つシーンもあったが、ここまで来ると改変というか勝手に変えていいか迷うこともあると思う。
復元はあくまで初期の状態に戻すことだから可能だからと言ってやたらといじっていいものではないだろう。
(例えば特撮映画で飛行機を吊るピアノ線は今は消せるだろうが、消すのは私は反対である。

そして最長版というからには例のGHQによってカットされたシーンだ。
ラスト近く、壺を売ろうとする少年を止めに行く左膳の前に少年の父を殺した奴らが立ちはだかる。
(その前の少年の父を殺したヤクザもんを倒すシーンはかっこいいねえ。「坊主、目を閉じて十数えるんだ」と言わせて、「十!」と行ったところで切り倒す爽快感!いいですねえ)

ここで左膳が相手を倒して少年の元に駆けつけるのだが、GHQのチャンバラ禁止令でカットされたシーン。玩具フィルムの中にあったものをリマスターして挿入した感じで復元されている。
しかし音声効果音はないのでここは完全に無音だ。ここもチャンバラの効果音を入れようと思えば入れられるけど、入れてない。
そこまでやると「やりすぎ」になるからね。

もっともこの映画、大胆な省略で笑いを誘うシーンが多いので、このシーンがなくても意外に違和感はない。

これで見やすくなったんだし、若い映画大学の学生などに見せてほしいものだ。
この映画の笑いの取り方は今でも使えるよ。
せっかく4Kにして見やすくなったのだから、ソフト化するなり、しまい込まずに広く鑑賞できるようにして後生に伝えてほしいものだと思う。背切に思う。