2022年2月

   
ドグラ・マグラ 愛なのに
赤道越えて コタンの口笛 日本海大海戦 海ゆかば ガラスの鍵
ちょっと思い出しただけ 山口組外伝 九州進攻作戦 ザ・娼年倶楽部3 美女が蕩ける竿師の無限快楽奥義 大怪獣のあとしまつ

ドグラ・マグラ


日時 2022年2月27日16:00〜
場所 国立映画アーカイブ・小ホール(B1F)
監督 松本俊夫
製作 昭和63年(1988年)


青年(松田洋治)が牢獄のような部屋で目を覚ます。ここがどこで、自分が誰かさえ解らない。隣の房から「お兄さん、お兄さん」と呼ぶ声がする。そこへ髭の男がやってきた。自分は九州大学の法医学教授・若林(室田日出男)と名乗る。ここは九州大学医学部精神科の病棟だという。本来の教授であった正木教授(桂枝雀)亡くなったため、臨時に兼任しているという。
彼の話では青年が記憶を失ったのはある恐怖体験をしたからだという。正木教授が研究していたのは「胎児の記憶」、すなわち祖先の記憶が遺伝していくことについてだった。数ヶ月前に九州大学の医学生呉一郎は結婚予定の従姉妹を殺害したのだ。呉一郎と隣の病棟のモヨ子は実は中国の皇帝に可愛がられた呉青秀とその妻の妹だという。その皇帝は暴政をして青秀はそれをいさめるために妻を殺しその死体が腐っていく様を絵にして皇帝の人間のはかなさを知ってもらおうとしたのだ。しかし人間の腐るのは早く、仕方なく青秀は関係ない娘も殺害するようになった。町の人々に責められた青秀は町から逃げ出し、妻の妹と船で海へ逃げた。青秀は途中で海に身を投げたが、妻の妹は日本に着いた。そしてその子孫が呉一郎だというのだ。
そして正木教授が現れた。正木が言うには自分は死んでおらず、若林は自分の研究の手柄を取るために嘘を言ってるという。
果たして・・・・


公開は1988年10月。社会人になって2年目、本格的に忙しくなってきた頃の公開だ。この頃はもう年に2、3本しか映画館で映画を観なくなっていたが、それでもこの映画は観ている。この映画を観た後なぜか下北沢を歩いた記憶があるが、下北沢で観たわけではあるまい。ネット情報ではシネセゾン渋谷で上映されたのでそこで観たのだと思う。その後は下北沢に遊びに行ったのか。

それ以来機会があったらまた観たい、と思っていたのだがあまり上映の機会がなく(配給はシネセゾンだったのだろうか?この頃は映画会社以外が映画に出資し始めた時代だったのでどこが作ったのかもよくわからない)昨日「コタンの口笛」を観たときに明日夕方から上映されることを知り観に来た次第。(朝歯医者に行って免許更新に行ったのだ。その帰り。今回でゴールド免許だ!)

見直して思ったのが松田洋治のかっこよさだ。子役出身でテレビドラマなどには出まくっていたよう思う。青年期に入っての主演映画がこの作品。
いや〜イケメンだし演技力もいい。今でいうなら神木隆之介並である。
神木よりイケメンだから21世紀なら少女コミックの映画化だって主演していてもおかしくはない。

そして正木教授の桂枝雀。私は落語は詳しくないが、それでも枝雀は知っていた。この映画での怪演は男優賞ものだ。
はっきり言ってこの映画の成功は松田洋治、桂枝雀の二人に負うところが大きいと思う。

あとは木村威夫の美術。大正期のレトロな美しさと同時に正木の作った野外施設の真ん中にある傾いた頭だけの仏像。この異様な光景の美しさ。
映画全体の狂気と正気、嘘と真実、記憶と伝説がごっちゃになった世界観を見事に表現していた。

正直金があったのだな。今なら出来ないよ、こんな不条理な話に金かけることが出来るなんて。
今から思うとバブル経済が始まる頃で、各企業も芸術にお金を出す余裕もあったし、観客もそれを見に行くお金の余裕があった。

映画の内容は完全に嘘か真かわからない世界を言ったりきたりで話の筋を追うのはあまり意味がない。
ひたすらその狂気を楽しむべきだ。

こんなマイナーな企画がこれだけ豪華に作られてるのだから、やっぱり景気がよかったのだな、と映画の出来とは関係ないことも思った。
DVD買おうかなあ。










愛なのに


日時 2022年2月26日19:10〜
場所 新宿武蔵野館・スクリーン1
監督 城定秀夫


古本屋の主人、多田浩司(瀬戸康史)はもうすぐ31歳。かつてのバイト仲間に告白したがフラれ、そのことをまだ引きずっている。
そんな時、本を万引きした女子高生がいた。女子高生の名前は岬(河合優実)。浩司のことが大好きで結婚してほしいというのだ。戸惑う浩司。
浩司が告白した相手、一花(さとうほなみ)は亮介(中島歩)と結婚使用としていた。しかし結婚式の準備に気が乗らない。そんな事で一花とは最近喧嘩が多い。亮介は結婚式の打ち合わせを通じて知り合ったウエディングプランナーの美樹(向理祐香)と不倫していた。
ある日、亮介の上着のポケットに入っていたラブホテルのライターが一花に見つかってしまった。一花は「誰!」と詰め寄る。
「前の部署にいた子で俺のこと好きだって言ってた子で結婚祝いの会で会ってその子は結婚して夫が借金があって相談されてるうちになんとなく行ってしまって・・・」とでたらめを言う。
一花はもやもやして「じゃ私もあなたと同じ事をする!」と浩司に連絡を取る。ホテルに一緒に入った浩司と一花だったが。


最近作品を連発している今泉力哉監督と城定秀夫監督がお互いに脚本を提供しあってそれぞれ監督する「L/R15」の企画の1本。
城定監督作品に瀬戸康史が主演するというビッグニュース。上映前の舞台挨拶付きで鑑賞。(舞台挨拶は城定監督、瀬戸さん、河合優実さん)
瀬戸康史の役名が多田浩司なのは別に宛書きしたわけではなく、偶然だそうだ。
城定監督の話では「スタート時点ではざっくりとした企画だったが、瀬戸さんの出演が決まって本格的に企画が動き出した感じがある」と言っていた。確かに「瀬戸康史主演作品」となると出資者が決まりやすいとかロケ地とか諸々協力も得やすくなるのだろう。

今泉監督らしい群像劇だったので、女子高生と多田浩司が話の中心になるかと思いきや中盤は一花と浩司とか亮介、美樹などの話になってくる。
岬がなぜ浩司を好きになったか、または何か目的があるんではないかと思ってしまい、すこし気が気ではなかったが、そこは単純に「年上を好きなった女子高生」で裏はない。
いかんなあ、「女子高生が30男を好きになるには何かの理由が必要」と思ってしまう。心がすさんでいる。

映画はこの後、一花とホテルに入った浩司だが、「こういうのやめよう、よくない、俺じゃなくて誰でもいいんだろ?」といい断り続ける。
いいですねえ、好きな女に言い寄られても断る男。かっこいいです。

その後、結局一花にせがまれてする事になる浩司。コンドームをつけるときに「念のため2枚しよ」と言ったり「あれ?だめだ、触って」と頼むあたりはなかなか笑わせる。瀬戸さんの裸はでないけど、濡れ場をやるようになったとは彼も成長したものだ。30歳過ぎて結婚もして「かわいい、かっこいい」だけじゃやっていけなくなったことへの裏返しか。
でも瀬戸さんにはまだまだこう言った大人の役も演じていってほしい。

一花はその後、罪悪感にさいなまれる。それは不倫したことだけではなく、浩司として「気持ちよかった」のだ。亮介も美樹に「あなたはセックスが下手」と言われる。風俗で働いた経験(「学費のために風雨族では働いた」というあっさりした台詞が堪える)があり、その中でも「群を抜いて下手」という。セックスが下手って何だろうね、乱暴なセックスをしているようにも見えなかったが、完全受け身のセックスなのか。

結局一花はもう一度浩司とセックス。「結婚しても時々したい」と言われ、流石に断る浩司。
岬にも「もう最後にしますから返事をください」と白紙の手紙を渡される。悩んで悩んで「いろいろありましたが、やっぱり結婚してくださいと言われるとうれしいです」と返事をする。
その後岬の両親にその手紙がバレ、親に怒鳴り込まれる(親が守屋文雄さんだ!)。

一花は亮介とやっぱり結婚した。浩司は残されたが、岬はまた訪ねてきた。「いつか結婚しよう」という二人。
こんな感じで終わったかな。

瀬戸康史の完全主演かと思ったら、途中一花とか亮介や美樹のパートが思ったより長くて、ちょっと不満。まあ群像劇としての脚本は間違ってないですが、瀬戸さんを見に行った立場としてはやや物足りなさが残る。
一花に迫られる浩司のあたりなど、よかった。

浩司は設定では父親がやっていた古本屋を引き継いだ設定だそうで、浩司の部屋には仏壇と遺影がある。ピントがあってなかったが、その遺影はいまおかしんじ監督だった。
あと古本屋の常連客に飯島大介。

3月公開の城定脚本、今泉監督の「猫は逃げた」も楽しみである。







赤道越えて


日時 2022年2月26日15:20〜
場所 国立映画アーカイブ・小ホール(B1F)
監督 円谷英二
製作 昭和11年(1936年)


円谷英二が監督としてクレジットされるドキュメンタリー映画。
横須賀を出発した日本海軍艦2隻が、台湾、香港、シャム(タイ)、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド、ハワイ、トラック諸島、サイパンを練習航海し日本に帰ってくるまでの旅行記ドキュメンタリー。
海軍省後援。

白黒フィルムで撮影だけされ、そこに音楽とナレーションの解説が延々と流れるという構成。
映画の冒頭、指揮官だった方が登場し、延々とこの航海の意義を説く。
でも目線が下だから、おそらくカンペを読んでいたのだろう。いっそ紙持っていた方が正直だったかも。時々ちらっとカメラ目線になるからさらに気になる。

正直、映画としては特におもしろさはない。
各地に行って「歓迎されました」「歓待されました」「こんな余興を観ました」「日本人はがんばってます」の連続。
「豪州は白人しか移民を許さないので日本人はわずかしかいません」なんとなく白人社会を非難する言葉もある。
でも昔の香港やシャム(今のタイ)とか、ハワイのダイヤモンドヘッドまで(ちらっとだけど)登場する。
赤道を越えるときには「赤道の神様」が出てきてみんな仮装大会のお祭りをする。知らなかったなあ。
(円谷さんは「ハワイマレー沖海戦」の5年前にハワイに行ってたんだ!)

あと現地の人々を「土人」と言い放つ。まあ当時の表現としては当然だったんだろうね。今なら「先住民族」ていうけど。
「海外でも日本製品が使われている」「ハワイの人口の半分は日本人で(ホントか?)町には日本語の看板があふれていて外国とは思えない。神社も着物もある」とうたわれる。

航海が終わって日本に帰ってきて終わりかと思ったら、「太平洋には赤道を境にして二つの大きな海流がある。それなのに日本は300年も鎖国をして、その間にヨーロッパに東南アジア各国を占領されてしまった。しかし日本人は優秀だからこの遅れはすぐに取り戻せる!今だって海外に出た同胞はすでに18万人。その手助けをするのが日本海軍!」というプロパガンダをして終わる。

円谷さんは数ヶ月、海軍とともに航海し、当時の日本人では滅多に行けないような土地に行ってきたわけだ。
そのことが後の人生にどのような影響を与えたんだろう。
インファント島のような南海も見てきたわけだしなあ。
そんなことが気になった。








コタンの口笛


日時 2022年2月26日12:00〜
場所 国立映画アーカイブ・小ホール(B1F)
監督 成瀬巳喜男
製作 昭和34年(1959年)


北海道のある町の郊外。ここにアイヌ人の部落、コタンがあった。
ここに住む中学3年生の畑中マサ(幸田良子)、1年生のユタカ(久保賢〜後の山内賢)は父親(森雅之)と3人で暮らしていた。
ユタカは同じクラスの佐藤に「ア、イヌだ!」などとバカにされいつも悔しい思いをしていた。それを同じアイヌの小学生時代の恩師中西先生(土屋嘉男)に話しても「我慢するんだ」といわれ続けていた。
ある日英語の試験がよかったが、佐藤には「カンニングだ」と言われる。腹が立ったユタカは「血を採って顕微鏡で見て俺たちと日本人の血がどう違うか見てみよう!」と言うが、佐藤は逃げていった。
ユタカたちの隣にはフエ(水野久美)とフエの祖母(三好栄子)が住んでいた。フエは小学校の校長(志村喬)の息子(久保明)と仲がよく、フエの祖母は校長に「フエと息子さんを結婚させてほしい」と頼みにいく。
しかし突然の話で「周りのこともあるし」と断った校長。
そのことでフエは祖母と喧嘩し、町に居づらくなって家出。祖母はショックで寝込んで亡くなった。
佐藤はユタカの背中に「これは観光の見せ物で売り物です」と張り紙を貼る。ユタカは佐藤に夜の学校で決闘を申し込む。だが佐藤は手下にユタカを後ろから殴らせた。
ユタカはそれほどの怪我でなくて済んだが、「事を大きくすると却ってアイヌが悪者にされるおそれがある」と中西に言われそのままになる。
父親が失業したが、山での伐採の仕事が見つかった。ユタカもマサもアルバイトが見つかった。一家三人で上を向いていこうとしたその時、父親は伐採の事故で亡くなった。
ユタカたちの叔父は彼らの家から追い出し、それぞれ働きながら学校に行くことになった。


「伊福部昭の世界」という伊福部さんの映画音楽を集めたアルバムを高校生の頃に買い、その時に入っていた曲にこの「コタンの口笛」があった。
だからタイトルだけは知っていたが内容は知らなかった映画。今回国立映画アーカイブで上映されるので見に来た次第。

勝手に白黒だと思っていたのだが、カラー映画。シネスコ。
出演者も水野久美とか宝田明とか久保明とか志村喬とか森雅之とか土屋嘉男とか東宝オールスターの面々だ。
ところが話はめちゃくちゃくらい。とにかく「アイヌ民族はいかに虐げられてきて、それが今も続いている」と見せられる。

映画は救いがない。
父親の新しい仕事が見つかって自分たちもアルバイトが見つかって生活が少しは上向く、という希望がでた段階で(このあたりで私は泣いた)映画は終わるかと思った。

ところがこの続くシーンで父親が死ぬのである。
いやそれはないでしょう。東宝のシネスコカラー作品とは思えない暗さである。もう今井正か山本薩夫の独立プロ作品なみの暗さである。
さらに父親の弟の叔父さん(山茶花究)が悪い奴で(まあいろいろ事情はあるにせよ)父の葬式もテキトーに済ませ、二人から家を取り上げて(「この家は父親の名義ではく俺の名義なんだ」という理由で)二人は見知らぬところへ働きに出される。
「学校へは行かしてくれるから」というけど中学までしか行かせてくれないだろうなあ。

また周りも残酷。ユタカのクラスの佐藤なんか一番のワルである。
この佐藤だけは何かの形でガツンと食らわしてほしかったな。
ユタカを怪我させておとがめなしでは残念すぎる。

そして志村喬の校長。
この件はいきなり「うちのフエと息子さんを結婚させてください」という祖母にもどうかと思うのだが。まずは当事者の気持ちでしょう。
それに校長の日本人とアイヌ人は差別しない、という教育方針に嘘はなくとも結婚となると親戚とかいろいろ絡んで自分の考えだけではうまく行かないことだってあり得る。
だから志村喬の校長を一概に責める気にはなれないなあ。
葬儀の時だって当事者の息子より気にかけてたし。

あとマサに絵を教える美術教師役で宝田明。
マサを絵に描いてその絵が展覧会に入選してそれをきっかけに東京へ絵の勉強にいく。ラストで葉書が来て「俺ぐらいの才能は東京にたくさんいる」と弱音を吐いている。
どうなったんだろうなあ。

水野久美もどうしたんだろう。家出してから出てこないけど。
ダンスが得意だったけど、キャバレーの踊り子になってやくざの女にでもなってしまっただろうか。

登場人物がだれ一人幸せにならない映画だった。
観ていてつらかった。やっぱりラストには希望が欲しいよ。







日本海大海戦 海ゆかば


日時 2022年2月23日13:30〜
場所 シネマ・ノヴェチェント
監督 舛田利雄
製作 昭和58年


日露戦争は2年目を迎え旅順も攻略し、ついにバルチック艦隊との艦隊決戦が戦争の勝敗を決めると思われていた。ロシアを出たバルチック艦隊は対馬海峡を通って日本海を抜けるか、あるいは太平洋から津軽海峡または宗谷海峡を通るかの3つのコースが考えられる。日本海軍は対馬ー日本海コースだと思われるが未だに決めかねていた。
そんな頃、戦艦三笠の軍楽隊に神田源太郎(沖田浩之)が配属された。軍楽隊も今回の戦闘では一般兵士と同じく戦う覚悟が必要だった。
源太郎を追いかけてせつ(三原じゅん子)がやってきた。源太郎とせつは結婚の約束をしたが、召集がかかった源太郎はなにも言わずに三笠に乗り込んだのだった。結婚を迫るせつだが、それを拒否する源太郎。
三笠での訓練では配属された砲術長の大上(佐藤浩市)に目の敵にされる源太郎や後輩の楽隊員。
三笠は一度佐世保で補給に入った。長崎まで追いかけてきたせつ。今度は断らずにせつを抱く源太郎。
いよいよ出航する三笠。果たしてバルチック艦隊はどのコースを取るのか。


公開当時、知ってはいたけど「軍楽隊が主人公」と聞いて興味がなくなり、その後いい評判を聞かないこの映画、今までなんとなく見逃してきた。
今回ノヴェチェントで上映されるので拝見した次第。

見始めて5分でいやになる。
軍楽隊が主人公だからといって、いちいちフルで流す必要はない。
源太郎が三笠に着任したとき、自分の同期(宅麻伸)がすでにいるのだが、ここで1曲フルで聞かせる。いや一部でいいから。長いんだ。

そして源太郎を追いかけてせつがやってくるのだが、いちいち長い。
最初は包丁出して死ぬの、指を切って除隊をねらうとかせつはギャーギャー言い出す。演じているのが三原じゅん子で現在自民党右派の参議院議員。隔世の感がありますなあ。

そして2回目に長崎まで追いかけてきたときは結局源太郎はせつを抱く。
これが着物の胸元をちょっとはだけて口を寄せる程度。いやだからさ、そういう中途半端な描き方はやめようよ。
ここはおっぱいに吸いつかなきゃだめだし、それが出来ないならもっとストイックな描き方しなくちゃ。
(「二百三高地」の時、あおい輝彦だったかが出生の直前でズボンを脱いでやり始めるぐらいの濃密さがないと)
そして翌朝佐世保を出港する三笠を延々と走って人力車にも乗って高台から見送るせつ。描き方がくどいなあ。

そして軍楽隊ではなく一般兵士としての訓練も受けるのだが、その担当が砲台の長・大上を演じるのが佐藤浩市。(まだ若い)
これが金貸しとかしてるいやな奴なのだが、「女郎買いもせずに御稚児さんですませる」と陰口をたたかれ、軍楽隊の若い兵士が佐藤浩市に「故郷で小さいときに死んだ弟みたいだ。おまえと俺は今日から義兄弟だ」とかいう。

単純にこの大上の人間的な部分、を描いているようにも見えるがこの後本当に大上がこの若い兵士を犯すんじゃないかとドキドキした。その辺がどちらにもとれる描き方なんだよなあ。
結局なにもないんだけどね。

最後の30分にやっとバルチック艦隊との決戦開始。
もうこのあたりの血みどろの戦闘描写はさすが東映である。後の「男たちの大和」につながる砲台を守る男たちの視点で描く。

ラストに字幕がでるが、実際の日本海大海戦も30分ぐらいで雌雄が決する時間的には短い戦いだったようだ。
今日のトークゲストの長沼孝さんが打ち合わせでもらった台本を持ってこられていて見せていただいたが、ラストシーンは戦争後、せつと源太郎は東京で暮らし、子供向けの音楽教室なんぞやっていた。

映画は死んでいったものたちへ源太郎がトランペットを吹くシーンで終わる。これが曲が「海ゆかば」ではない。いやいやいやここは「海ゆかば」でしょう、と思ったが、「連合艦隊」のレイテ作戦の最後でも流れた「海ゆかば」は昭和になってからの作曲のようだ。

とにかく最後の戦闘シーンは見所があるが、それまでが延々と長すぎた。
当たらなかったのも納得できる出来だと思う。






ガラスの鍵


日時 2022年2月20日
場所 DVD
監督 
製作 1942年(昭和17年)


政治家のポール・マドウィックは上院議員のヘンリーを応援していた。ポールはヘンリーの娘、ジャネットと結婚しようと思っていたが、ジャネットはポールを好きではなかった。父親のヘンリーは選挙が終わるまでは我慢してほしいと頼む。
賭博場のオーナー、ニック・ヴァーナはポールに店を潰されそうになり、怒っていた。今日もヴァーナがポールの元に押し掛けたが、ポールの片腕のエド(アラン・ラッド)とともに追い返す。
ポールの息子のテイラーはばくち好きで、ニックに借金があった。ポールの妹のオーパルはテイラーを愛していた。それを知ったエドはオーパルに別れるように言う。しかし聞かないオーパル。
話をつけようとエドはテイラーに会いに行くが、家の前の道で倒れて死んでいた。
ヴァーナは新聞社のマシューズを使ってポールが犯人だと書かせ、ポールは窮地に追い込まれる。エドはヴァーナの元へ乗り込むが、逆に監禁されてしまう。なんとか逃げ出すエド。
逃げ出すときに怪我をしたエドは病院へ。なんとか退院したエドはマシューズの別荘へ。
そこではオーパルも交え、ヴァーナとマシューズがポールが犯人だという記事を書かせようとしていた。エドは「記事を書いた後、新聞社の抵当権を持っているヴァーナは新聞社を潰すだろう」と言い放った。ショックを受けたマシューズは自殺。
記事は何とか差し止めたが、ポールが「俺がテイラーを殺した」と言い出す。そしてヴァーナがでっち上げた偽の証人も殺された。
証人を殺したのは誰だ。テイラーを殺したのはポールなのか?誰かをかばっているのか?


コスミック出版の廉価DVDの「犯罪の世界」の1本。
観始めてダシール・ハメットが原作と知り、ちょっと期待した。
が、だめだった。

なんかテンポ悪いし、主役もアラン・ラッド(「シェーン」以外は初めてみたかも知れない)ではどうも押しが弱い。
悪党のところに乗り込んで監禁されるのだが、これが洗面台にカミソリがあったのを発見して、自分が縛られてたベッドを切り裂いてその綿に火をつける。
火事騒ぎに乗じて脱出、という展開。

このシーンあたりから悪党の手下が強面で、なかなか活躍してくれる。
ここはよかった。

結局ヘンリーを死なせたのは、てっきり妹かと思ったが、議員の父親。
賭事に狂った息子を追いかけて説教してるうちにもみ合いになって、息子の方が歩道の縁に頭をぶつけて死んでしまったということ。

ラストでエドは町を去ってニューヨークに行こうとする。
議員の娘ジャネットはエドに惚れているが、エドは「君は俺やポールを見下してるんだろ?」と寄せ付けない。
でもジャネットは無理にキスしてきて、ここでフる、っていう「マルタの鷹」的ラストかと思ったら、そこにポールがやってきて、二人の仲を認める。
そうするとエドがニコッと極上の笑顔をしてジャネットと手を取り合って出て行く。

なんだそれ?
そのハッピーエンドはないような気がしますが。
「マルタの鷹」には及びませんでした。










ちょっと思い出しただけ


日時 2022年2月19日13:10〜
場所 テアトル新宿
監督 松居大悟


佐伯照生(池松荘亮)は今は舞台照明の仕事をしている。元はダンサーだったが怪我をして踊れなくなり、今はこの仕事。
タクシー運転手の野原葉(伊藤沙莉)は今日も東京の夜を流している。2021年7月26日。コロナ禍で東京オリンピックが行われている。
ある夜、葉はミュージシャンの客を乗せた。トイレに行きたいというので、ある劇場の前で止まる。客は劇場にトイレを借りにいった。なかなか戻ってこないので、様子を見に行くと、終演後の舞台である男が踊っているのを見かける。それは照生だった。
二人はかつてつきあっていた。


池松荘亮主演作。池松荘亮は私にとっては今の日本映画で「この人が出てれば観に行く!」という気にさせる俳優だ。
話の内容を聞いて「花束みたいな恋をした」に似てるな、と思ったが、それは予想通りだった。

一応変化は加えてあって、描かれる日は照生の誕生日の7月26日。それを時系列を逆にして、その1日1日を前の年、前の年とさかのぼって描いていく。

まあ全く同じことも出来ないだろうけど、それにしても単に時系列をずらしただけじゃん。「変化を付けるための変化」でしかなく、あまり効果があったように思えない。

それにデジタル時計が「JULY 27」と示すので、頭の回転が弱ってる私としてはパッと分からない。「7月27日ね」と一瞬考えなくてはならないのだ。

一緒に水族館に行ったり、テレビで映画を観ながらケーキを食べたり、足を怪我して連絡しなくて喧嘩になったり、誕生日を後輩のかわいい女の子から祝われているシーンが続く。そして二人の出会い。

結局時系列を逆にしているのが意味が分からず、普通にやってもよかったんじゃないかと思う。
行きつけのバーのマスターが(ラストで分かるが、ゲイで菅田俊が好きなのだ)照生に「なに考えてる?」「いやちょっと」と言って笑うシーンは最高である。

今回初めて観ると時間軸が逆なので脳内で再生しながら観ないと分かりづらいので、もう一度観たら感想変わるかも。
池松荘亮を観てるだけでもその価値はありそうだ。

それにしても冒頭でみんながマスクをしている。コロナ禍をそのまま舞台にしている映画は初めて観た。その点はちょっと新しい。








山口組外伝 九州進攻作戦


日時 2022年2月18日
場所 東映チャンネル録画
監督 山下耕作
製作 昭和49年(1974年)


九州大分県の夜桜銀次こと平尾国人(菅原文太)と石野組組長石野(梅宮辰夫)は闇市時代の愚連隊時代から兄弟分だった。別府温泉の開発に絡む利権問題で石野は撃たれ、銀次はその報復をした。警察の追求をかわすために石野のつてで大阪十三に潜んだ。内縁の妻はパチンコ店で働き、そこで騒ぎを起こしたチンピラ古田憲一(渡瀬恒彦)を拾ってきた。同じ九州のよしみで古田をかわいがる銀次。
その頃、石野は日本一の大組織兵藤組の舎弟となり、それをバックに九州で活躍しようとしていた。憲一が大阪のやくざで喧嘩を起こしてしまう。銀次はそれを収めるために憲一を撃つ。
大阪では玉造あたりを根城にした双竜会が幅を利かせていた。しかし双竜会が兵藤組の組長、田岡にバーで喧嘩を売ったことから抗争が始まった。
この抗争に銀次も参加。郡司(松方弘樹)が双竜会幹部(今井健二)を撃ったことで抗争は終結した。
銀次は石野の紹介で九州の海津(渡辺文雄)に世話になることになった。
ここでも銀次は騒ぎを起こし、やがて殺される。
「兵藤組石野の兄弟分を殺した」ことをきっかけに兵藤組は九州に進攻を始めた。


昨夜、東映チャンネルで録画した「仁義なき戦い 頂上作戦」を観て、同じく録画したままになっていた「山口組外伝 九州進攻作戦」を鑑賞。
この映画は学生時代に今はなき新宿昭和館で鑑賞した覚えがある。
菅原分太主演の実録路線もの、ということで観に行ったが面白くなかった印象がある。

今回約40年ぶりに鑑賞。
やっぱり面白くない。監督が山下耕作だからか、なんだか妙にシーンが無駄に長くてまどろっこしい。
また「仁義なき戦い」は敵味方、情勢がそれこそ5分に1回変わっていくスピーディーさが完全に飽きさせなかった。

そしてキャラクターの魅力。
単純に登場時間の長短ではなく、「仁義なき戦い」ではワンシーン、せりふ一つでも印象に残った。岡島を殺した志賀勝の「あんたら見取った通りじゃ」の捨てぜりふなど強烈だものなあ。

兵藤組の代表として吉村弘(津川雅彦)が登場するが、これがもう一つ印象を残さない。
そもそも銀次という男には「筋」が感じられない。一応「クスリは稼業にしない」という筋はあるらしいのだが。主役に魅力がないから、どうにもなのだなあ。
弟分の憲一をいきなり撃つとは(ここで死んだと思ったが、その後も登場する。大して活躍ないけど)思わなかった。
「狂犬」として悪役キャラとして準主役ならともかく、主役ではきつい。
石野が主役で石野の視点から見て「夜桜銀次」を描けばもっとよかったかも知れない。

それに九州進攻するのは主役の銀次が死んでからなので、学生時代に観たときは「看板に偽りありだな」と思った覚えがある。
(タイトルに「山口組」とつくと客が入るという営業的側面もあったようだが)

銀次が淋病になって自分でペニシリンを買ってきて注射するあたりは面白くもあったが、どうにもはじけ方がない。
山下耕作は実録路線には興味がなかったのではないか。そんな感じさえする。

(あと博多駅が今と全く違う形で出てきたが、あれは撮影当時の博多駅だったのか、あるいは全く違う駅で撮影したのか。ビルになった博多駅しか知らないので、そこは「おおっ」となった)







ザ・娼年倶楽部3 美女が蕩ける竿師の無限快楽奥義


日時 2022年2月13日
場所 東映チャンネル録画
監督 貝原クリス亮
製作 令和3年(2021年)


横浜の半グレ集団・エゴイストが東京で竿師を始めた。しかしベニカ(並木塔子)たちのサンゲ・ブランカが考える「女性を喜ばせる竿師」とはほど遠い、脅迫まがいの行為をしていた。しかも他の竿師を襲ってつぶしにかかっているらしい。
当然サンゲ・ブランカの京介(吉田タケシ)たちも襲われた。なんとか難を逃れたが、顧客情報をねらって秘書業務をしている希美(架乃ゆら)が襲われた。裏社会の伝手を使って希美を助け出すベニカや京介。
決着をつけるために「どちらが女をイカせられるか」というゲームをすることになる。負けたら指を詰め、この世界から足を洗うこと。
当然サンゲ・ブランカのナンバーワン・S(山本宗介)が出る予定だったが、エゴイストの奴らに襲われる。代わりに京介が出ることになった。


この3連休は東京を離れていたため、映画を見ることが出来なかった。
今月になってからまだ1本しか映画を観ていない。それで短い映画を、と思って「1」「2」を観て録画したままになっていた「3」を観た。

なんかどんどんつまらなくなっていくなあ。
「竿師対決」とかなんだか無理矢理な対決だ。そもそもどう判定するのか、ってことが解らんし。
さらに希美と京介が愛し合うようになるのだが、竿師とスタッフの恋愛は禁止、という設定が出てくる。

京介の父親が伝説の竿師(森羅万象)というのも何だかなあという感じだが、そこは森羅万象が出てくると、それなりに見せるのだな。

結局京介は女をイカせられなかったのだが、相手が媚薬を使って感じさせていた、ということで失格。
なんだそれ?
京介が負けそうになって最後に逆転、という展開にしたかったのは分けるけど強引すぎる展開。だからそもそも「竿師対決!」という設定が無理筋なんだよ。
これも3作目で「強大な敵が現れる!」っていうように持って行きたかったのは解りますが。

それにしても京介役の吉田タケシ、最初に観たときはイケメンに見えなくてがっかりだったが、3本も観るとそれなりに魅力を感じるようになったから不思議だ。

あとラストは京介がサンゲ・ブランカを辞めて独立すると言い出す。同じ倶楽部でなければつき合ってもかまわないだろう、という理屈。
これも強引だなあ。

とにかく無理が多くなった話で、残念。







大怪獣のあとしまつ


日時 2022年2月5日20:20〜
場所 109シネマズ木場・スクリーン3
監督 三木 聡


謎の大怪獣が日本を襲い、そして正体不明の光によって倒された。
千葉県のその死体の後始末が今後の問題。政府は観光資源として外国人観光客を見込んで残す方針。しかし腐敗臭が漂い始める。
また内部で腐敗したガスがたまり、爆発するかも知れない。
国防軍とは別の特務隊がとりあえず死体処理を担当することになった。
特務1尉の帯刀アラタ(山田涼介)は環境大臣の秘書官の雨音ユキノ(土屋太凰)と恋人同士だったが、2年前に未確認飛行物体を追いかけているときにアラタが行方不明になり、それ以来別れてユキノは今は総理秘書官、雨音正彦(濱田岳)の妻になっていた。
また死体が爆発すれば腐敗臭だけでなく、体内にあった胞子を浴びると体中にキノコが生えるということも分かってきた。
果たして怪獣の死体は処理できるのか?


松竹と東映が共同製作のこの映画。怪獣映画ファンにとってはやや正当派の映画ではないが、怪獣もの、ということで期待された。山田涼介主演だしスター級のキャストが集結し、なかなか期待が高まる。
でも前日の2月4日公開でツイッター上では批判が続出している。
日曜日に見に行こうかと思っていたが、土曜の夜にした。
(昼間は15:20〜ラピュタで「砂の器」春日和秀さんトークイベント〜聞き手樋口尚文があって、今月中に109シネマズに行かないとポイントが失効するのだ)

うーん、人がいうほど悪くはない。映画を見る前に脚本だけ読んだら案外面白いと思ったかも知れない。
話は悪くないのだ。ただし演出というかキャラクターの味付けが私の好みでない。

まず閣僚たち。閣僚会議での発言はまるで小学校の学級会レベル(いやこっちの方がまともかも?)で発言を遮る、茶化すでまともな会議ではない。
この閣僚たちのドタバタが一番見ていて不快だった。
それと閣僚のジタバタを出すのは「シン・ゴジラ」の影響ですね。

そして作戦をきちっと描かない。
国防軍が冷凍にしようとするのだが、アラタたちが「もうすぐ春なんだし溶けるのでは?」と心配し、直後のシーンでは溶けだして右往左往するシーンとなる。
う〜ん、凍結作戦も見せてよ。

同じことが次の作戦でも言える。上流にあるダムを爆破して水流で海に流してしまえばにおいが広がらない、という作戦。
しかしダムが2重構造になっていたために爆破が失敗。
爆破プロのオダギリ・ジョーが一人で爆破に向かう。この決死の行動を見せて欲しかったのだが、すぐ次に水が流れるカットになってしまう。

あと下ネタ。
怪獣映画と下ネタがこんなに相性が悪いとは思わなかった。
「陰毛で石鹸泡立てるとよく泡が立つだろ?」とか(ほかにもあったが忘れた)、究極なのは染谷将太のユーチューバーがキノコまみれになって環境大臣が股間を見て(ここが黒くぼかされてるのもイヤだけど)、「そこだけキノコの種類が違うのはなぜ?」と聞くシーン。
下ネタもレベルが低すぎる。
また同じことを総理大臣(西田敏行)も言うのだ。くどいよ!

それと外国の対応で「観光資源になる」となったら、外国(韓国を模してると思われる)が「我が国の大陸棚で発生したのだから我が国のものだ」と主張し、「腐臭がする」となったら「腐臭が我が国にきたら抗議する」というシーン。
ここ笑えないんだよねえ。面白くない。
三木監督のレベルってネトウヨか?と思う。

そして最後、シルエットしかでないけど、アラタが「ウルトラマン的ななにか」に変身して地球外へ死体を持って行く、というオチ。
つまりアラタはハヤタ隊員と同じで3年前に未確認飛行物体に遭遇したときに「ウルトラマン的なもの」になる能力を身につけ、最初に怪獣を倒した光もその「ウルトラマン的なもの」の「スペシウム光線的なもの」でやられた、というオチだったのだ。
これ面白い?

あと本筋とは関係ないけど、アラタとユキノが飲みに行くシーンで横浜のポーラスターでロケされてるのは驚いた。
まだあるんだ。

本作「怪獣映画に出てくる死体の後始末はどうしてるんだろうね?」という飲み屋の会話レベルから始まっていることは想像されるが、それはあくまで飲み屋の会話のレベル。現実にやるべきではない。
話だけ聞いてると面白そうなんだけどなあ。(ラストのオチを除く)