2022年4月

   
ライフライナーズ ガダルカナル
ドスえもん ハイジャック・ゲーム クレヨンしんちゃん
もののけニンジャ珍風伝
大巨獣ガッパ
二百三高地(再見) チェリまほ THE MOVIE 30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい とんび 女子高生に殺されたい
さすらいの悶え 丹下左膳 こけ猿の壷 ドライブ・マイ・カー 性(セックス)のピンチ

ライフライナーズ


日時 2022年4月30日15:25〜
場所 シネマノヴェチェント
監督 菅原稜佑
製作 2021年


ガス代集金人の煙山(村松和輝)は恋人にフラれ、指輪を投げ捨てようとして思いとどまる。今日は応援している地下アイドルのゆのぴーの生配信が7時からあるのでそれまでには仕事を終わらせたい。仕事が終わったと思ったら上司からもう一軒追加の依頼が!
行ってみるとその落合は完全に金のない男でアパートはゴミ屋敷と化していた。しかも金はない。そこへ水道の集金人、電気の集金人までやってきた!お金は400円ばかりしかなくとても3つの料金は払えない。
ゆのぴーの配信は?

ノヴェチェントの自主映画大会3本目。今回の上映作品では一番短く37分。しかし展開も早いが密度は濃いのでいい意味でもう少し長く感じた。

水道、電気、ガスの集金人が自分が先だ、と主張する。しかも彼らはどうしても集金したい理由がある。水道屋は会社の若い女の子に「仕事変わってくれてありがとうございます。好きです」と言われたのでやり遂げたい、電気は「会社をクビになる!」というもの。
しかしゆのぴーが電気の人の彼女で、水道の人の若い子でもあると言うことが発覚!
落合さんもラーメン屋を営んでいたがつぶれてしまって、落合さんにラーメンを作らせて部屋のビールも飲んでその代金を払うということで金を作る、という展開。

ラストに大家が家賃滞納を取り立てにくるというオチ。
泣いて笑ってという人情喜劇で、そんなに目新しさはないけど十分にウエルメイドな作品としてこじんまりとまとまっていると思う。

ただ音楽を多用しすぎて常に効果音的な音楽が鳴っていて少々うるさい。
もう少し役者の演技をちゃんと見せてほしいと思う。
しかし十分なレベルではあるので、運が良ければ今の今泉力哉監督ぐらいには売れる可能性はある。
それだけのポテンシャルはあると思う。

もう1本30分の短編をつけて2本立て70分ぐらいで一般劇場で公開してほしい。それだけの価値はあると思う。








ガダルカナル


日時 2022年4月30日14:10〜
場所 シネマノヴェチェント
監督 得能佑介
製作 2020年


留萌の連隊にいる吉川(和田悠佑)は南方戦線に送られた。送られた先はガダルカナル。米軍が制圧している飛行場を奪還するために一木支隊に上陸させたが、失敗。次に川口支隊が向かったが、兵の数も多く、また戦車も要している米軍にはかなうはずもない。
吉川たちは取り残され、飢えとの戦いが始まる。分隊長は「大和魂があれば腰抜けの米軍など恐れるに足らずだ!」と繰り返すばかりである。
上層部もやっと撤退を決め、残存兵力を迎えに駆逐艦を差し向けた。
吉川はなんとか帰り着いた。しかし戦友を残して帰ってきたことの自責の念にかられる。


ノヴェチェントでの自主映画大会2本目。本日のお目当てである。
先日「二百三高地」を観たときにチラシを観たのだ。(そのチラシは正直ひどかったけど)
自主映画で「ガダルカナルの戦い」を描こうとして随分むちゃくちゃである。どんなものかと観てみたが、脚本がしっかりしていて好感が持てた。

いわゆる日本の戦争映画のフォーマットに従っているのだ。
「主人公の若い兵士は妻(恋人)を日本に残し戦地に向かう。上層部は無茶な作戦命令を出す。上官にはやたらと威勢がいいのがいる。そこでひどい負け戦を体験する」という日本の戦争映画のフォーマットのままなのだ。

戦闘シーンは夜が多く、周りは真っ暗。事実上も夜戦、夜襲が多かったのだが、なんだかしょぼく見えた。でも実際のガダルカナル島も暗かったろうから、これはこれでいいのか。

でも役者がへたくそで全然緊迫感が生まれないのが残念。終わった後のトークイベントで主演の和田さんがお見えになっていたが、軍事指導というか衣装で参加の目羅さん(「ペリリュー」の監督)の友人のサバゲー仲間なども出演しているためらしい。

役者がもっとしっかりしていて、戦況の説明も地図を出したりしていればもっとよかったと思う。
まあそれは無い物ねだりだとは思いますが。
でも基本しっかりした映画なので、これからも応援したい映画である。

上映時間は60分。短い。







ドスえもん


日時 2022年4月30日13:00〜
場所 シネマノヴェチェント
監督 金本真吾
製作 2020年(令和2年)


加州かす太は小学生。たばこも吸うし同級生の処女香ちゃん(しじみ)が好き。今日も彼女のことを考えてオナニーをしてるときに押入からドスえもん(海道力也)がやってきた。ドスえもんはかす太を助けるために未来から来たという。
この町はジョイアンが仕切っていて毎月上納金が必要だ。今月は忘れてたかす太は「殺される〜」というと、ドスえもんはジョイアンとその仲間を皆殺しにした。
「処女香ちゃんとエッチした〜い」というと処女香ちゃんを拉致してくれた。処女香ちゃんのおしっこはしじみ汁の味がしておいしい。
ドスえもんと散歩に出かけたかす太。目の不自由な人の白杖を取り上げた。階段で荷物が重くてたいへんそうなおばあさんの荷物を取り上げ中身の食べ物を食べ軽くしてあげた。ベビーカーの赤ん坊が泣いてうるさいので川に投げ捨てた。母親がうるさいので青姦してやった。今日もいいことをたくさんして気持ちがいいというドスえもんとカス太。
実はドスえもんは37人を殺した殺人犯だった。警察が聞き込みに来てそれを知ったかす太。ドスえもんはそんなかす太やかす太の両親も殺した。


シネマノヴェチェントでの自主映画特集の1本。今日は合計3本立てだがお目当ては「ガダルカナル」。今回の企画、出演の名村葵さんが3本目の「ライフライナーズ」の上映を持ちかけたところ、上映時間が37分で短いので「他の映画をご紹介を」と支配人が言ったところ、名村さんが出演した「ドスえもん」と「ガダルカナル」の2本も加えることになったそうだ。(名村さんはこの映画ではかす太の父親役)

冒頭、黒地に赤でタイトルとクレジットが出る。「ああ『ドス』というのはヤクザのドスかあ。ヤクザ風のパロディなのかな」と思ったところへかす太のオナニーシーンとなる。1階ではかす太の両親がバイブを使ってセックス中。
予想を遙かに越えた設定にまず度肝を抜かれる。

それからはもう下ネタ、おしっこ、アンモラル、バイオレンスネタのオンパレードである。
始まって5分で出ようかと思った。(ケチなので、つい最後まで観てしまうが、その精神も見直した方がいいかも知れない)

さすがについていけないなあ。
処女香ちゃんがお風呂に入っている時も処女香ちゃんの父親は処女香ちゃんのパンティをかぶって風呂をのぞいてオナニーしている。
もうめちゃくちゃである。

これがAVとして作られていたらどうだろう?
AVだったら「AVだ」という心の準備ができているから耐えられたろうか?
いやAVでも強姦ものは基本好きになれないしなあ。
おしっこネタもAVで観るとそれほど拒否感は起きないが、今回はとにかく腐臭がする。

こういう映画を撮る監督だから撮影中も助監督の弁当に「しじみ汁だ」と言っておしっこをかけているんではないかと思ったが、名村さんによるとまだ20代のおとなしい青年だという。
でもなんか俺は園子温みたいなイメージが出来ちゃったけどね。

そして次のおばあさんとか赤ん坊のエピソードなどは本気で腹が立った。
とにかくだめ。クソ映画ではない。クソである。

あと人が死ぬと「仁義なき戦い」みたいにスーパーが出るのだが、「ジョイアン 死亡 (12)」と出るのだよ。
これ、日本語の表現としておかしくないか?「ジョイアン(12) 死亡」だろう。
こういう日本語能力がない監督だから(周りもなにか言わなかったのか)こんな映画になったのだと勘ぐりたくなる。

まあ園子温も評価されたし、こういう過激な映画を好きな人もいるのは事実だから(ノヴェチェントの箕輪さんは面白かったと言っていた)、なんか表現規制につながる気がするのだ。

例えばこの映画の泣き叫ぶ赤ん坊を殺して「いい事した」というシーンを観て、現実に同じ事をしてしまった奴が将来出たとする。
そういった時に「表現の自由を規制すべきだ」という意見が出てしまう。
私自身は表現規制に反対の立場だが、こういう映画を見てそれをまねする奴が出てくると養護出来なくなってしまう。
「この映画を観てまねする奴が悪い」というのも正しい意見だが、それにしてもねえ・・・・・
映画監督も映画を作るときに「社会に対する影響」というものを頭の片隅に入れて作ってほしいとも思う。

これは監督に直接言いたい。






ハイジャック・ゲーム


日時 2022年4月29日
場所 DVD
監督 アレックス・マーキン
製作 2017年(平成29年)


ある立て籠もり事件で上司の指示に従わなかったためにロサンゼルスからワシントンのデスクワークに左遷されたFBIの捜査官グレッチェン・ブレア(デニス・リチャーズ)は乗り合わせた飛行機で他の乗客とのトラブルでビジネスクラスに座ることになった。
隣に座ったテリー・レノックスがきさくに話しかけてきたが、最後に乗り込んだ乗客の顔を見て顔色を変える。
ブレアがFBIと知ったテリーは「俺を護衛してくれたら5000万ドル差し上げる。この飛行機はやがてハイジャックされる」という。
突飛な話に取り合わないブレア。しかし飛行機は急降下し、何か様子がおかしい。
最後に乗った乗客や、キャビンアテンダントの一人が凶悪犯で飛行機を乗っ取ったのだ。ようやく事態を理解したブレアだが、そのときにはテリーは犯人たちによって機内のどこかに連れ去られた。
飛行機に乗っていた航空保安官とともに事態に立ち向かうブレアだが。


2020年9月21日に日ノ出町から伊勢佐木町に散歩した時に見つけた中古DVDショップで見かけて購入した航空パニックもの。
エアポートシリーズといい、このジャンルは定番シリーズらしい。
「エアポート2014」は「そんなアホな!」の連続だったが、本作はまともなアクション映画だ。

普通ハイジャックものだと何か犯人に要求があってハイジャックし、それを地上と交渉する、というパターンだが本作ではお宝が機内のテリーなので(正確にいうとテリーが持ってるお宝だが)地上側の管制室などのセットがいらないというコストパフォーマンスに優れたシナリオ。
本作、飛行機の客席、操縦席、貨物室のセットはほぼ3つである。
(冒頭の立てこもり事件の場面はロケだけど)

さらに夜便の設定なので、窓のそとは暗くてかまわない。合成の手間もないというコストのよさ。

客室部から貨物室にいける抜け道がある、という設定だがほんとにそんなのあるの?貨物室って気圧が外の気圧と同じじゃないの?人間入れるの?何でも直せる技術屋だから飛行機の操縦もできるっていう犯人の一人だけどそんなこと出来るの?という疑問は数々あれど、まあご愛敬だ。
むしろアメリカ映画でもそういうテキトーな映画があると思うとほっとする。

主人公が女捜査官というのもかっこいいですね。
犯人側にスチュワーデス(「そういう言い方は今はしない」と映画中でも指摘されてたけど)の一人が金髪で、主人公も金髪で、両方とも知らない俳優さんなので時々混同した。
アメリカ人にはわかるんでしょうけど、片方は黒髪にするとかアジア系、アフリカ系にするとかの区別があるともっとよかった。

事件の背景はテリーも含め彼らは窃盗グループでお宝は大量のダイヤ。このダイヤが合計10億ドル相当で、テリーを殺されそうになったから一人で持ち逃げして逃げてきたのをこの飛行機で捕まったということ。
10億ドルとは日本円で1000億でいくら何でも金額でかすぎ!と思ったが、このあたりもいい加減さもB級映画である。

飛行機は一旦どこかに着陸するのだが、犯人たちは飛行機のフライトレコーダーを操作してただの事故で墜落に見せかけようとする。そして再び飛び立つときに離陸する飛行機から脱出の滑り台をだして乗客をおろすという荒技。
おいおい時速数十キロは出てるだろ。普通に死ぬと思うぞ、とやっぱりつっこみたくなった。

まあでも時間つぶしに見るにはいい映画だった。
忘れるだろうけど。









クレヨンしんちゃん 
もののけニンジャ珍風伝


日時 2022年4月28日19:25〜
場所 新宿ピカデリー・シアター8
監督 橋本昌和


ある日、野原一家に「実はしんのすけの出産時に子供を取り違えた」という産婦人科の先生と親子がやってきた。しんのすけと同じ日に生まれた屁祖隠珍蔵(へそがくれ・ちんぞう)という少年が実は野原一家の子供だというのだ。理屈をつけて母親のちよめと野原家に一泊する。
しかしその晩、ちよめとしんのすけが何者かにさらわれた。ちよめは女忍者のくのいちだったが、珍蔵たちが住む人里離れた村には「地球のへそ」と言われる場所があり、そこを黄金で塞いでいた。その栓が抜けると地球のエネルギーが抜けてしまい、地球は死の星になるのだ。
その栓を守ってきたのが屁祖隠家だったのだ。その栓が抜けそうになったとき、もののけの術を使って動物の力を使って栓を塞いできたのだ。
だがその術を使うとやがて姿が動物になってしまう。
珍蔵の父ももはやゴリラになっていた。
しかしその黄金の栓を村の長老が削って私腹を肥やそうとしたために、栓がついにぬけてしまう。
放っておけばあと8時間で地球は死の星になる。
野原一家、春日部防衛隊、屁祖隠一家はもう一度栓をしようとする。


毎年「もう観るのやめようか」と思いつつ、やめないで見続けているクレヨンしんちゃんシリーズ。30年のシリーズになるそうで、もはやクレしんを観た世代が今度は大人になって子供をつれてクレしんを観る時代だ。
「ウルトラマン」「仮面ライダー」に匹敵する子供番組ですね。

今回「地球のへそ」という忍者との関連性がないネタでなんだか唐突すぎる展開だが、まあ細かいことをつっこむのは野暮だからやめておこう。
春日部防衛隊がまたしんちゃんを追いかける設定だが、「ギャグを入れるための寄り道」をしてイライラさせられることが多かったが、今回はそういう脱線がなく、よかった。

また回想シーンで赤ん坊のしんのすけ目線でひろしやみさえを観るカットはなんだかじんと来てよかったなあ。
あと忍者の森の幼稚園の女の子、後半活躍がなくなったのが少し残念。
まあキャラクターを増やしすぎても難しくなるだけというのはわかりますが。

まだまだ続きそうなクレしんシリーズ。
40年も迎えることでしょう。








大巨獣ガッパ


日時 2022年4月23日20:55〜
場所 目黒シネマ
監督 野口晴康
製作 昭和42年(1967年)


今年はガッパ公開55周年だそうです。公開日は4月22日。それを記念しての目黒シネマでの1回限りの35mmフィルム特別上映。
特に好きな映画ではないが。ツイッターで「ガッパ55周年応援」のアカウントが出来ていてやたらと応援してるので、こちらもあおられて鑑賞。
(横浜から来たがJRじゃなくても東急東横線、目黒線でも横浜から目黒まで行けるのですね)

見てる映画だし、ほぼ満席状態だったので「怪獣映画の迫力を感じるか」と思って空いていた一番前の席にしたが、目が痛くなった。
やっぱり普段慣れないことをするもんじゃないなあ。

調べてみたら2003年ぐらいに銀座シネパトスのレイトで見たし、2010年頃グリソムギャングでも見ている。

登場人物に無駄が多いなあ。
小高雄二の学者の部下に藤竜也と和田浩治って二人もいらんだろ。
しかも藤竜也は後半になるとアメリカの潜水艦に助けられた少年をつれてきたドクター・マクドナルドの通訳になっていて日系二世みたいな「外国語訛りのある日本語」を話している。それまでは普通に日本語話してたのになあ。

あと物語りが割とスイスイ進む。
プレイメイトの社長が「モスラ」のネルソンほど悪い奴じゃない。
もうちょっと悪辣さがあってもよかったけど。

「湖追い出し作戦」とか「子ガッパ輸送作戦」もすぐに成功するんだよな。それは成功するかに思えたが、寸前で何かトラブるが起こる!っていう風にしなきゃなあ。

熱海のセットとか立派なのですべてそれで良しなのだが、おそらくは輸出を意識して「ゲイシャ、フジヤマ、ニッコウ」を意識した絵作りも良しとする。

あと主題歌。美樹克彦の「ガッパ〜」の歌声はやたらと耳に残る。
今日は昼間の「二百三高地」もそうだけど主題歌が耳に残る日だった。






二百三高地(再見)


日時 2022年4月23日12:30〜
場所 シネマ・ノヴェチェント
監督 舛田利雄
製作 昭和50年(1980年)


シネマノベチェントで鑑賞。中野昭慶監督がゲストでお見えになる予定だったのだが、先日まで入院していてまだ外出は困難なようで今回は欠席。
代わりに助監督だった浅田英一さんが登壇。

2007年に東映撮影所の試写室で観て以来の鑑賞だったが、感想は以前と特に変わらない。
突撃、全滅、突撃、全滅が繰り返されるばかりで「映画としては」面白くない。
さらに「間」を取った演出で、演歌のようなくどさを感じる。
これが岡本喜八の「沖縄決戦」などはすごいテンポなのだなあ。

ロシアを愛していた小学校の先生のあおい輝彦が、前線での戦友の死に直面し、ロシアを憎むようになる。そしてロシア語の通訳もするのだが、そこで捕虜に「殺せるもんなら殺してみろ!」と言われ、殺そうとする。
周りからは「無抵抗の捕虜を殺そうとするのは何事か!」と叱責され、「最前線の戦場では条約とか関係ありません!」と反論するのは、テーマをせりふで言っちゃうんだ、と思った。

テーマとか主題をせりふにするのはライターとしてはやりたくなるんだけど、あんまりいい手法ではないわなあ、と改めて思った。
簡単だからやりたくなるんだけどね。
それは全体の流れから観客が感じるようにしなくちゃ。

あと佐藤允さんが入れ墨をしてる男でヤクザだと思っていたが、エンドクレジットで縁日で講談をしているのを見ると、組に入ってるようなアウトロー的なヤクザではなく、「テキヤ」ぐらいの人だったのかも知れない。

あとは新沼謙治ね。映画出演はこれ以外は印象がないけど、占領して軍旗を振るシーンはぐっときますねえ。
クレジットの除隊してから豆腐を売ってる「日常」に戻った姿も。

好きか嫌いかでいうとあんまり好きな映画ではないけど、70年代後半からの「大作映画」を代表する1本だったことは確かである。
戦闘シーンの兵隊の数とかすごいしね。







チェリまほ THE MOVIE
30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい


日時 2022年4月17日16:05〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン11
監督 風間太樹


安達清(赤楚衛ニ)と黒沢優一(町田啓太)は同じ会社に勤める同僚であり、恋人同士。地味で目立たない安達だが、そんな安達を営業成績ナンバーワンの黒沢が好きになったのだ。
キャンプデートや新年の初詣をして過ごしていたが、安達に長崎店の立ち上げメンバーに選ばれる。黒沢と離ればなれになるので、迷った安達だが「お前のためになるなら応援する」という黒沢の言葉に押され、長崎に転勤。
過労で倒れて黒沢を心配させた安達だったが、なんとか長崎店の立ち上げを終え、帰京した。
それを機会に一緒に暮らし始める二人。お互いの両親にお互いを紹介することにした。
果たして両親は認めてくれるのか。

2020年にテレビ東京で放送され(1話30分全12話)ヒットしたBLドラマの映画版。去年だったか、日本映画専門チャンネルだったか(違ったかも知れない)で放送され録画して観ていた。
私自身はそれほどはまったわけではないが、つまらなくはなかったので、映画版が出来たので鑑賞。

片方が「遠距離に行く」ていうお決まりの展開。このドラマ、そもそも少女コミックの「だめだめの私を学校一のイケメンが好きになってくれた」という定番の展開なのだが、ここでも「遠距離展開」になる。
まあ結局、「枷」を使用とするとそういう展開になるのか。

しかも8ヶ月って期間限定じゃん。「迷わず行けよ!」と突っ込んでしまう。
まあおじさんの8ヶ月と30歳の8ヶ月では時間の価値が違うのは分かるんですが。しかもトラックに引かれる事故かと思ったら単なる過労。

んで「8ヶ月たったら帰れるかと思ったらまだ帰れない」という展開になるかと思ったら、そのまま本社に帰れた。順調だなあ。
親への紹介も結局反対もなく、(反対されたが、あることがきっかけで和解したという展開もなく)二人の交際を認めてくれた。

まあ黒沢の両親の母親の方が「あなたたちが今の気持ちでいられるか心配」と言ってたけど、その場で認めるという展開。
物語として山とか壁がなさ過ぎじゃないか?

でも若い女性で満席だし、「男同士」って言うだけである意味壁だから大きな壁があるともいえるのか。

私自身はBLがブームになってるからと言って社会全体のLGBTに対する理解が進んでいるとは思えない。
「怪獣映画が好きでも実際に怪獣が出てきたら好きといえるか」ということなのである。
しかし何十年も経ってBLを当たり前のように観てきた世代が大人になれば変わるのかも知れない。
だからBLブームがすぐにLGBTの理解に結びつくとは思えないが、進歩にはつながってる。「千里の道も一歩から」だけど。

安達の母親役で榊原郁恵登場。おばちゃんになったなあ。









とんび


日時 2022年4月16日18:35〜
場所 TOHOシネマズ日比谷・スクリーン2
監督 瀬々敬久


昭和37年、広島県で運送会社に勤める市川安男(阿部寛)は妻・美佐子(麻生久美子)との間に長男・旭が誕生した。酒飲みで喧嘩っ早い安男だが、周りの人々は暖かかった。
旭が3歳の時、職場に美佐子と旭が見学に来た。たまたま旭が持っていた手ぬぐいが積み荷に引っかかりそれで荷物のバランスが崩れ、旭を守ろうとして美佐子は崩れた積み荷の下敷きになって亡くなった。
父と子だけになった安男と旭。安男は旭に「母は自分を守ろうとして死んだ」と嘘をついた。高校生の頃、あることがきっかけで親子喧嘩になったとき、旭(北村匠海)は「母さんじゃなくて親父が死ねばよかったんじゃ!」と言ってしまう。
そんな旭も大学は早稲田に合格。東京へ出ていった。卒業後は出版社に勤めた。旭は東京に来た安男に「結婚したい人がいる」とある女性を紹介する。彼女は離婚歴があって3歳の男の子がいるという。


北村匠海が出演するので観る。彼の出演作は当分追いかけようと思う。
でも主演はあくまで安男の方なので、旭の小学校時代は別の子役が演じるので北村匠海はなかなか出てこない。上映が始まって1時間ぐらいしてやっと高校時代になり、匠海くん登場。

映画自体は「不器用で感情表現が下手な父親と息子の物語」でまあ人情噺である。私はこの手のものには反応しないタチなので、悪い映画だとも思わないが、特にいいとも思わなかった。
原作者の重松清が旭とほぼ同じ年らしいから自伝的要素もあるのかも知れない。

設定では旭は昭和37年生まれ。となると私と同級生。昭和54年の野球部のけつバットのシーンでは高校2年生らしいバッチをつけていたから、間違いない。
となると私と全く同じ時代を生きてきたわけだから、時代描写が何かと気になる。

安男は後に中古の一軒家を買うのだが、そこに設置されている電話がプッシュホン式。70年代後半にはプッシュホン式の電話はもうあったが、家庭用ではまだまだダイヤル式だったと思うのだが。まあ家を買ったのが75年頃と考えると「その時点での最新」のプッシュホン電話があっても無理はないのだが。

そして旭の部屋においてあった背の高いゴミ箱がたばこのセブンスターの柄。あの頃、なぜかたばこのパッケージをコピーしたゴミ箱が流行ったんだよね。セブンスターのほかはLARKとかあった。私の家にもあったから懐かしいのだな。

あとキャステングね。吉岡睦雄さんが阿部寛の同僚役でせりふ多し。よかったよかった。飯島大介さんも近所のおじさん役。
そして何より驚いたのは、音信不通になっていて、死の直前に再会する安男の父親役で足立正生!
まあ病室のベッドで寝たきりになってるだけで、せりふは一つもないのだが、この父親役が「どっかで見た顔だな。あっ足立正生だ!」と気づいてイスからずり落ちそうになった。
クレジットでも足立正生の名前があったからたぶん間違いない。

瀬々監督と足立正生かあ。まあピンクつながりだとは思うけど、意外なキャスティングで驚いた。
北村匠海も阿部寛と並んでも全くひけをとらない存在感でうれしい。

過去にテレビドラマで2回放送されたそうで、そのときは旭の役をNHKでは池松荘亮、TBSでは佐藤健だったそうで。池松の方は観てみたいですね。






女子高生に殺されたい


日時 2022年4月9日15:00〜
場所 新宿バルト9・シアター2
監督 城定秀夫


日本史の教師、東山春人(田中圭)は進学校の二鷹高校に着任した。
イケメンで親しみやすいキャラクターの春人はたちまち女子高生の人気者となった。実は彼はある目的を持ってこの高校に赴任したのだった。
前任の日本史教師が生徒と関係を持っていることを調べ、それをたれ込んで退職に追い込んだのだ。その後釜に彼は赴任した。
春人は通常ではない性癖の持ち主だった。かわいい女性に殺されたいのだ。それも崖から突き落とされるとか睡眠薬で練炭窒息とかの殺され方ではだめなのだ。女子高生に首を絞められ徐々に死にたい。
彼がその性癖に気がついたのは中学生の頃。その性癖の正体を知りたいと思い、心理学を勉強した。そのころ8歳の少女が大人を殺す事件があった。少女は二重人格で男に襲われたとき、別の人格が現れ男を殺したのだった。
その少女が今は高校生となって二鷹高校にいるのだ。その少女の別人格が覚醒するキーワードも確認した。文化祭の演劇の中でそのキーワードを言わせる台本も用意した。
そこへ心理カウンセラーの深川五月(大島優子)が着任した。彼女は学生時代、春人と同級生で恋人だった。


城定監督のバルト9での上映作品。今まで低予算で出演者も少ない作品だったけど、今回は違うね。エキストラの数が違う。
高校の始業式とか文化祭での生徒の数のエキストラは100名を越えているだろう。通常の少女コミックの実写化では当たり前だけど、城定作品でこの数のエキストラを見るとそれだけでもう感動である。

そして田中圭が今までの「いい人」キャラを封印し、今回はダークな役。
映画の事前情報を入れずに見たから「ひょっとしたら女子高生に囲まれてヒャッホー、いっそ殺された〜い」というようなラブコメかも知れないと思ったが、少数性癖の男のダークな作品。

こういう少数性癖者にスポットを当てる作品を私は観たかったのだ。
少数性癖者は実に苦しい。自分から努力してその性癖になった者はいない。気がついたらそんな性癖に苦しめられるのだ。
ちょっと変態ぐらいならまあお金を払えばなんとかする事が出来る。

しかしあまりにも特異な性癖だと誰かを犠牲にしなければその快感は得られない。
ここまで明確に「殺されたい!」とは思わないにしても「首を絞められたい」という、その一歩手前のような性癖なら存在する。

そういった特異な性癖者を「異常者!」と単に断罪するのではなく、どこか理解し、彼らが破滅しない状態の一歩手前で事件を終わらせる。
「性の劇薬」もそうだけど、少数性癖者は人がしなくていいような苦労を背負う。
その不幸すら人には共有されない。

そんな悲劇をこの映画は描いた。
よかった。







さすらいの悶え


日時 2022年4月8日21:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 秋津隆二
製作 1973年(昭和48年)


女子大生の須美(谷ナオミ)は結婚を誓った恋人壮一(武藤周作)という恋人がいた。しかし壮一を好きな妙子(青山リカ)は須美に嫉妬し、自分が小遣い稼ぎで知り合った会社社長・榊に強引に犯させようとした。
しかしあわやという時に壮一が駆けつけた。壮一は榊を殺したと勘違いしたが、そのまま予定通りアメリカへ留学した。
数年後、須美は「トンヅラの朱美」として活躍していた。朱美は男をホテルに連れ込み、男が目を離した隙に財布を奪ってホテルから逃げるのだ。
ある日、ヤクザの組長からその手で財布を奪い、組長が怒っている事態になった。朱美は仲間の「くどきのオミチ」からやばいと聞き、とりあえず箱根の温泉街へ。
その街にはアメリカに渡った壮一が今は殺し屋となったカズとなってやってきていた。


六邦映画特集6本目で今回の特集の最終作。これで今回の6本はすべて観た。
話がもう無茶苦茶である。こういう無茶苦茶さを逆に笑って楽しめればよいが、あいにくとそこまでの寛容さは私にはない。

この後、箱根の温泉街で興行しているストリップの一座の踊り子が映画プロデューサーと名乗る男〜実は榊によってだまされる。

その踊り子が抜けたものだから困っているところへ朱美が代役にたつと言い出す。そしてその一座には妙子がいて再会、というご都合主義を越えた展開。

そして朱美をかつての恋人と知らずに探すカズも参戦。
なんでアメリカに留学して殺し屋になったか完全に不明。
今のピンク映画、エロVシネはレベルがあがったよ。ここまで無茶苦茶じゃないもん。

そして舞台は東京に移ってついにカズと朱美は再会。
榊も女に逃げられ、組織に唐突に殺され、めでたしめでたしって脱力する展開。
もう完全にわざと話を無茶苦茶にしてるだろ!っていう感じだ。

それでもこの特集を見続けたのは、60年代70年代のピンク映画の実際を観たかったから。
「若松孝二だけを観て当時のピンク映画を語ってはいけない」という自説の証明の為である。
それには役立った。






丹下左膳 こけ猿の壷


日時 2022年4月3日17:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 三隅研次
製作 昭和29年(1954年)


日光の修復をどの藩に割り当てようかとなった時、「実は柳生が隠し財産を持っている」と提言され、謀反の芽を絶つために幕府は柳生但馬守に命じた。
柳生にはそんな金はない。しかしご意見番の老人が「こけ猿の壷に隠し財産を記した地図が隠されている」と申し上げた。しかしその壷は江戸にいる但馬守の弟源三郎が持っている。直ちに江戸に使者が走った。
その話を聞きつけた泥棒のお島(高峰三枝子)は壷を盗み出す。追っ手に追われたお島の仲間の与吉はたまたま出会った子供のチョビ安に壷を預けたが、チョビ安はそれが盗まれたものだと知り、元の持ち主に帰すために壷を持ち去った。
与吉に追われたチョビ安は左膳(大河内傳次郎)に助けられた。
柳生と対立する丹波守もこの話を聞きつけ、壷を盗み出そうとする。左膳と争っている時に壷は誰かにまた盗まれた。
実は幕府もこの争いを聞きつけ、大事に至らぬうちにと壷をいったん隠したのだ。
果たして壷の行方は?


ラピュタ阿佐ヶ谷4月からの特集は「第1回監督作品特集」ということで各映画監督の第1回作品ばかりを集めての上映。
その中で「丹下左膳 こけ猿の壷」と聞けば山中貞雄の「百萬両の壷」と分かるじゃないですか。この戦後のリメイク版はいかに?と思い、見に来た次第。

脚本は衣笠貞之助。
これが全くの山中版とは別物。最初の「こけ猿の壷に宝の地図があるが、それは弟にやってしまった」というところだけ。
弟も「それはお家の一大事だ!」と壷を真剣に探し出すし、柳生と敵対する丹波まで登場する。

そして壷は実は将軍側が持ち去ってこけ猿の壷の地図を手に入れるが、すでに虫食い状態で使い物にならない、というオチ。
ええ、あの壷の秘密がそのままになっていることが面白かったのに。

たぶん原作はこっちに近くて、山中版がオリジナルなんだろうな。
だから原作者は山中版に不満を持っていたのかもしれない。
結局幕府も柳生に恥をかかせるのが目的ではないから、幕府が金を埋めてその地図を壷にかくして、それとなく壷を返す、という展開。

それにしても大河内の丹下左膳はかっこいいね。
独特の嗄れ声がまたいい。それでいて片手(しかも左手)でばっさばっさと相手を倒す様は痛快である。

機会があったら大河内の他の丹下左膳も観てみたいと思った。この映画が大河内の最後の丹下左膳だそうで、他の左膳はなかなか上映の機会はなさそうですが。







ドライブ・マイ・カー


日時 2022年4月2日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 濱口竜介
製作 令和3年(2021年)


俳優、演出家として活躍する家福(カフク)悠介(西島秀俊)はテレビドラマの脚本家である妻、音(オト)(霧島れいか)と二人で暮らしていた。二人の間にはかつて娘があったが、19年前に4歳で肺炎のため死んでいた。
ウラジオストックの演劇祭の審査員のために成田空港に向かった家福だったが、寒波で飛行機が飛ばなくなりいったん家に帰った。そこで見たのは妻が別の男に抱かれている姿だった。家福は音に気づかれないようにその場を去り、ホテルに泊まった。
ある日家福が出かける時に「帰ったら今夜話せる?」と音は言った。しかし家福が帰ると音は死んでいた。
2年後、広島の演劇祭の参加のため、家福は愛車のSAABで向かった。
参加する俳優はアジア各国から来た俳優。家福はそれぞれの俳優の母国語でせりふを言わせ、舞台上では日本語以外は字幕で投影するやり方。
そんな中に音のドラマに以前出演した俳優の高槻(岡田将生)も参加していた。演目はチェーホフの「ワーニャ伯父さん」。以前の公演では家福自身がワーニャを演じていた。しかし今回は家福は高槻をワーニャに選んだ。
演劇祭の規定で交通事故の危険性から演出家は運転を禁じられていた。代わりに専用のドライバーをつけるという。家福の担当になったのは渡利みさき(三浦透子)。彼女の運転は車に乗っているのを忘れさせるような静かな運転だった。
こうして家福の広島での2ヶ月の生活が始まった。


米国アカデミー賞受賞で沸き立つこの映画。去年からカンヌ等でも受賞していたし、何かと話題だったのだが、上映時間3時間と聞いて怖じ気付いて見なかった。レンタルDVDにもなったし(本来は劇場で見たかったが、今金欠なので)DVDで鑑賞。DVDは「インターナショナル版」と表記されてるが、日本劇場公開版とどう違うかは分からない。

上記のあらすじはここまででだいたい1時間。
妻が亡くなって広島に移動する間にやっとクレジットが出る(映画が始まって40分後)。
上映時間の3時間だが苦痛ではなかった。
ただし最近の映画(というかあくまで自分が見ている映画)とは違って行間を読ませる映画だなあというのが率直な印象。

そして言語によるコミュニケーションを第一としない。
家福の演出は独特だ。
俳優は世界各国からやってきて、せりふもそれぞれの言語で話す。舞台上にはスクリーンで台詞の日本語訳が表示される。
映画自体、言語によるコミュニケーションを拒否、あるいは越えようとしているように感じられる。

いや言語だけではなく、耳は聞こえるがしゃべれない俳優も登場。完全に言語は不要ということか。
さらに高槻は過去に女性問題を起こして今は事務所も首になりフリー。そして共演の中国人女優と「相談に乗っているうちに」家福「でも君は北京語も英語も出来ないだろう」「ええですから・・・」と体の関係を持ったことを明かす。

完全に音声によるコミュニケーションをこの映画は越えようとしている。
家福の稽古方法も独特で、延々と本読みを繰り返す。それもわざと感情を入れずにそれこそ棒読みのようにしゆっくり読ませる。
俳優たちは非常に戸惑う。そして各国の言語で演じるので俳優によっては「外国語の時はお経みたいで眠くなっちゃう」という。
そして(映画では説明されないが)、台詞終わりのタイミングを伝えるために1回テーブルをたたく。

この映画では説明されない、というのが多い。
家福の妻が自宅に男連れ込んでセックスするのは珍しくなかったようだが、冒頭でセックスした相手は高槻ではないか?少なくとも私は思った。

また運転手のみさき年を聞いて「5年前18歳で広島にやってきたということは今は23歳か」と家福は言う。
そして後のシーンで「もし娘が生きてれば23歳だ」とだけ言わせる。
そうか、家福はみさきに自分の娘を重ねていたのか、と分かる。

高槻もなにがあったか具体的には説明されない。しかし会話から女性問題でフリーになり、ラストの北海道行きのフェリーのテレビニュースで「過去に未成年と・・・」の一言があり、高槻は近づいてきた女性が未成年とは知らずにセックスし、問題になり、高槻自身は「はめられた」と思っている。小出恵介みたいなケースですね。

高槻はバーとかで自分の写真を撮っていた奴にやたら絡む。おそらくフリーになったきっかけもこういう素人の画像がSNSに投稿されたことがきっかけだったのかも知れない。そしてついに相手を半殺しにしてしまい、傷害致死で逮捕される。

結局、みさきも母を実家の土砂崩れで亡くしたが、「救えなかった、救わなかった」と悔やんでいる。家福も「もう少し早く家に帰っていれば妻を助けられたかも知れない」と悔いている。
みさきの北海道の実家に行って崩れた家を前で二人は「でも我々は生きていかねばならない」と決意する。
でもあれだけ言語を否定してきた映画なのに、ラストは思いを台詞で言っちゃうんだな。

「ワーニャ伯父さん」を家福は演じ、公演は成功したようだ。
ラスト、家福のSAABには韓国ナンバーがついていて、みさきは韓国のスーパーで買い物。
帰りの車ではみさきは楽しそうに車を走らせる、で終わる。

ちょっと唐突なラストで面食らう。
なぜみさきは韓国にいるのか、なぜ家福の車に一人で乗っているのか、なぜ犬がいるのか?
そんな疑問が浮かぶ。

日本ではなく韓国に行った理由がよく分からない。
これは想像だが、家福もみさきもそれぞれの近しい人を亡くしてしまった日本ではなく、外国に転地したかったのではないか。家福は緑内障を患っていたから、そのせいでもう運転をやめたのではないか。
韓国に行ったのは広島の演劇祭で知り合った韓国人コーディネーターに紹介してもらったのではないか?
家福とみさきは疑似親子として幸せに暮らし始めたのではないか?
犬も韓国人コーディネーターが犬を飼っていて、みさきは犬をかまっていた。彼女は犬好きで、ひょっとしたら犬も韓国人からもらったか、今は近所に住んでいるのかも知れない。

そんな色んなことが想像できるラストシーン。
思ったよりこの文章も長文になった。
自分が普段見ている映画とは違った映画で、見たことのないタイプで面白かった。
あと映像が見事でそこは撮影賞もの。
岡田将生が助演男優賞を取らないのはおかしい、という意見をみたが、確かに家福の妻の思い出を語るシーンの岡田将生は今までにない迫力だった。たしかに助演男優賞ものだ。








性(セックス)のピンチ


日時 2022年4月1日21:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 秋津隆二
製作 昭和48年(1973年)


保険の外交員をしている未亡人の亜麻子(藤ひろ子)はある日道を歩いていると不思議な老人に出会い、彼に引き寄せられるようについていった。
そしてその老人の部屋で「あなたには私と同じテレパシーの才能がある。私の能力を授けるために体を重ねよう」と体を重ねた。そしてある手鏡を渡し、「この手鏡で未来が見える」と言われる。「わたしは11時59分に死ぬことになっている」といい、その老人は首吊り自殺した。
亜麻子は新人外交員スミ子(谷ナオミ)とともに、ある新規顧客に向かった。その顧客は亜麻子の夫の友人で不動産会社の社長の山乃を訪問した。
山乃は亜麻子やスミ子に契約の約束をしたが、その引き替えに食事に誘った。スミ子はその後ホテルに連れて行かれた。亜麻子は手鏡でスミ子が不幸になると知り、この仕事を辞めるように言った。
山乃はそれだけでなくスミ子の体もねらった。自分の2号のマンションに連れて行き、「この女性の契約をする」と言った。2号の方は山乃をスミ子にとられることを警戒した。スミ子の夫は昼間旋盤工、夜は夜警の仕事をしていたが、その夜警の仕事をしていたのがたまたま山乃の会社だった。2号は夜警の夫を自分の部屋に呼び、抱きついているところをスミ子に見せつけた。スミ子は離婚した。
岬陽子(青山リマ)は美大に通う学生だったが、最近貧乏画家の野山に惹かれていた。陽子は伯父で画商の牟田に「野山の絵」と称して自分の絵を渡す。
陽子と街で出会った亜麻子はテレパシーの能力を授ける。手鏡に写ったのは陽子が有名になっている姿だった。
例の絵は新聞で話題になった。野山がそれを知り、「これは陽子の絵だ!」と牟田に詰め寄った。
野山と今はやくざになったスミ子の夫は牟田を殺した。野山は自殺した。スミ子の夫は逃亡した。陽子は有名画家になった。


六邦映画第5弾。あと1本で終了である。
話がもうむちゃくちゃだよ。「テレパシー」とか言ってるけど未来が見えるなら予知能力だろう!
最初の老人が死ぬのは自殺だし、そりゃ死ぬのも分かるよな。交通氏子で死んでもよかったんじゃない?

それにスミ子のエピソードも別に予知能力関係なく、単なる不幸物語でよくないか?
夫が相手の会社の夜警(時代を感じるな)をしているって強引すぎないか?少なくとも山乃の会社名を聞いただけで「夫がお世話になっております」って言わせた上で話を進めればまだ納得できるが。
山乃もスミ子との契約の時に「わしが死んでもこの娘(2号)に金がいくように契約を結ぶ」って言うけど、基本第三者を受取人とする事はできないんじゃない(保険金殺人を防ぐため)?
それともこの時代は出来たのか?

そして話は唐突に画家の話になる。オムニバス形式だよ。
自分の絵を他人の絵と称して売り込むってそれおかしくないか?「他人の絵を自分の絵として売り込む」ならまだ分かるが。
スミ子の夫が急にヤクザ(山本昌平)になっていてびっくり。思わず「一人二役?」か俺の見間違い?と思ったよ。何でヤクザになってるんだ!

そしてどういう感情の行き違いか、ヤクザと無名画家が画商を殺してしまう。もうカオスだよ。
陽子は結局有名画家になり、これから手鏡を利用してもっとビッグになるつもりらしい。貧乏画家に惚れたあなたはどこへ行った?
ヤクザは「スミ子に会いたい」と二人の故郷へ帰る。
亜麻子はどうなった?

なんだかもう話の整合性がここまで無茶苦茶なのも珍しい。
関係ない要素を無理矢理につっこんでる感じがあって、どうしてこういうホンになったか聞きたいものだ。