ピラミッド | ラーゲリより愛を込めて | ||
柳川 | REVOLUTION+1 | 今日もわれ大空にあり | 夜、鳥たちが啼く |
空の大怪獣ラドン<4K> | ブルーフィルムの女 | 赤穂城断絶 | ジェットF104脱出せよ |
シスター 夏のわかれ道 |
トロール | 飯島敏宏監督追悼上映会 | ダラダラ |
ピラミッド日時 2022年12月31日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 ハワード・ホークス 製作 1955年(昭和30年) 5000年前、エジプトのファラオ王(ジャック・ホーキンス)は無敵を誇り、周りの国々を制圧、財宝も集めていた。彼は自分の死後墓が荒らされるのが心配だった。 今回征服した国で道に落とし穴などの仕掛けがあり、その仕掛けの見事さに感心したファラオは捕虜のヴァシュタイン(ジェームズ・R・ジャスティス)に内部の仕掛けを命じた。ヴァシュタインはピラミッド完成後に仲間を奴隷から解放させることを条件に引き受けた。ヴァシュタインは迷路を造った後、その迷路を石でふさぐことを提案した。その案を認めたファラ王は早速ピラミッドの建設を命じた。各地方から男たちが集められ、ピラミッドの建設が始まった。 最初の数年は喜んで働いていた人々もやがて苦痛へと変化していった。 奴隷を増やし、食料を増やすため、近隣の国から貢ぎ物が命じられた。その中でもキプロスの国は貢ぎ物を拒否、その代わり国王の娘ネリファが貢ぎ物とされた。反抗的で気の強いネリファだったが、そこが気に入ったファラオは第2王妃とした。 ネリファにせがまれ、ファラオは自分の財宝を見せた。それをみたネリファはこの財宝がほしくなる。彼は親衛隊長のトレネーを誘惑し味方にした。 ファラオが死んでも第1王妃のナイラや息子が生きている限り自分は王になれない。そこで王子に笛を与え、その笛の音に誘われてコブラが誘われるように計った。笛の音にコブラがやってきたとき、ナイラは息子を守って犠牲になった。ファラオの側近のハマールはコブラは誰かが仕掛けたものと考え、国中の蛇使いを洗い出す。それを知ったネリファは一挙に王を亡き者にしようとトレネーに暗殺を命じる。トレネーもファラオも死んだ。 ピラミッドは完成した。王の棺は中に納められた。ネリファ、ハマールが迷路をふさぐ作業に立ち会った。ここから出れないと知らなかったネリファにハマールは「ここがあなたの王国です」と言い放った。 いつだったか全く記憶にないのだが(実家にいたころだけど、小学生か、中学生か、高校生の頃)、テレビの洋画劇場で観た記憶があった。 タイトルは確か「ピラミッド」だったなあ、と思い、再見を望んでいたがそれほどの熱意があったわけではないので40年以上そのままだった。 しかしTSUTAYA宅配レンタルにあると知り、早速取り寄せてみた。 監督がハワード・ホークスだったとは! まずはこの映画で間違っていなかった。 最初の方でヴァシュタインが砂を使って巨石を動かす方法(内部の筒に砂を入れておき、上に石をおけば砂を留めている部分を割れば砂が下に落ちて石が落ちるという方法)のシーンは何となく覚えていた。 そして笛を吹かせてコブラを誘導し、王妃が体でコブラを受けとめるシーン、ここはよく覚えていた。自己犠牲で母親が死んだことを大いに驚いた。(自己犠牲で驚くということはまだ小学生ぐらいに観たのか?) 前半では大勢の奴隷がピラミッド建設の為に働くエキストラの数に圧倒される。完全な大作である。 最後、ピラミッドが完成し、無数の石が徐々に降りていくシーンは圧巻だ。 このシーンでネリファが驚くシーンもなんとなく記憶していた。 そしてラストシーン。 ピラミッド建設が終わって自分の国へ帰るヴァシュタインたち。 一行の者が「王の名前は残るのだろうか?」という。 私の記憶では「それは時が決めることだ」という無常感のあるせりふで「所詮は人間同士の争いなど、長いときの流れの中では小さなことだ」という作者のメッセージを感じ、大きく記憶に残ったのだ。 ところが実際は違ったのだ。 「王の名前は残るのだろうか?」という問いに対し、「残る。ピラミッドとともに世界の歴史に残る」というせりふだったのだ。 え〜、そうなのかあ。 では私が記憶していたせりふは何だったのだろう? 日本語吹き替えの時の翻訳者の意訳か? はたまた私の記憶違いか? 意訳にしては意味が反対になってるし、やっぱり記憶違いかあ。 でも私の記憶の方が名せりふに感じるな。 しかしこの映画、壮大な話で企画としてはおもしろそうだが、どうも今一つ盛り上がらない。 やっぱりキャラクターが弱いのか? それに主役が応援したくなるキャラでもないのだな。 ファラオは単なるわがままな王だし、ネリファも復讐に燃える女なのだが、途中から奴隷には威張りだすし、さらにはファラオの財宝、地位がほしくなるという単なる悪女になっている。 ヴァシュタインが観客としては共感できるキャラクターなのだが、そもそもピラミッドの作り方がはっきり解らない現代としては建設シーンをドラマにするのは難しいのか。 その息子が青年になって後半活躍するが、こちらももう一つ弱い。 なんとなくキャラクターがみんな弱いので、物語を引っ張っていく主役がいないのだ。 それがこの映画の弱さかなあ。 でもいろいろ勉強になった。 再見してよかった。 ラーゲリより愛を込めて日時 2022年12月30日13:20〜 場所 新宿ピカデリー・シアター7 監督 瀬々敬久 昭和20年8月9日、ソ連の参戦によって満州ハルピンは攻撃を受けた。山本(二宮和也)は家族を残し、ソ連の捕虜になり、収容所送りになった。妻のもじみ(北川景子)は4人の子供を連れて1年かかったが、日本に帰ることが出来た。 数年が経ち、ラーゲリの元日本兵は日本に帰れることになった。しかしそのかかで一部の者が貨車から降ろされた。山本のほかには松田(松坂桃李)、山本の元の上官、原(安田顕)、漁師の息子で戦争には行っておらず漁をしていたら逮捕された新谷(中島健人)、帝国陸軍を引きずる元軍曹相沢(桐谷健太)。 山本はロシア語が話せたから最初は重宝されたが、やがては「反抗的」とされ目を付けられていく。 そして山本の体調が悪くなったが、ラーゲリの医者では何の治療も出来ない。松田が労働拒否を始め、みんなも従った。そしてついに山本は大病院で診察を受けたが、病名は喉のガンでもはや手遅れ。余命はあと3ヶ月だという。 ソ連が第二次大戦後、日本軍兵士をシベリアで強制労働させた話である。 タイトルからしていやなんだよね。「○○から愛を込めて」ってやめてほしい。「007/ロシアより愛をこめて」から始まった「愛を込めて」というタイトルは私はみんな安易な感じで嫌いである。 ラーゲリで強制労働があった話は「不毛地帯」「人間の條件」で描かれて私は知っていたけど、考えてみればラーゲリだけに話を絞った映画は初めてかも知れない。 丸眼鏡をかけた二宮のアップのポスター。 もう観る前から「実直な日本人は苦労しました」という感じである。 事実、映画はその通りで裏切らない。 「日本人は実直で人間として当然のレベルの権利を要求してるだけなのにソ連(あるいは戦争)はひどい!」という話である。 それ以上でもそれ以下でもない。 松坂桃李が新兵の時、中国人の捕虜を殺させられた、というシーンぐらいは日本人の残虐性を入れてるけど、とにかく「日本人被害者論」である。 正直、そういうの見飽きたんですよね。 「日本人は加害者でもあった」という映画を作るべきだと思っていた時期もあったけど、やっぱり松坂桃李のシーンなどを観るとそれもつらいかなあ、と今は思ってしまう。 最後はてっきり家族と山本が再会すると思っていたので、山本がガンで死ぬ展開はちょっと意外だったが、没収されてしまうかも知れない遺言状を4人で手分けして暗記し、それを日本に帰ってから届けるという展開はやぱり泣かせる。 でも本当は何かの映画で見た知識だが、シベリアから帰った人々は冷戦下の西側陣営の一員である日本人からすると「共産化したスパイかも知れない」と思われ、帰ってからも苦労したそうな。今回その辺はふれてないですけどね。 まあ「日本人被害者論」に完全に乗っかった映画で、そういう視点だけで映画を作るのはもうやめましょう、という気分なので「何を今更」という気にしかなかった。 そういう意味で予想通りの映画だった。 だから公開されてもなかなか見に行く気がしなかったんだよ。 あと中島健人がふんどし姿で川で魚を捕るシーンあり。でも中島健人って髪を短くすると中山秀征に似てるな、とどうでもいいことを思った。 柳川日時 2022年12月30日10:00〜 場所 新宿武蔵野館1 監督 チャン・リュル 北京に住むドンは中年になっても未だ独身。しかし末期ガンでもう人生が長くないと知る。それがきっかけで兄チュンを食事に誘い、一緒に旅行したいと言い出す。行き先は日本の福岡の柳川だ。柳川は中国語ではリウチユアンと読み、それはチュンとドンの幼なじみと同じ名前。しかもネットで歌の動画があり、どうやらリウ・チュアンが歌っているらしい。 チュアンは兄チュンの恋人だったが、20年前に突然姿を消したのだ。 柳川の旅館に泊まる二人。そこの主人の中川(池松荘亮)はロンドンに留学した経験があり、今は故郷の柳川で自宅を改造した旅館を営んでいた。 柳川のバーで歌っているチュアンと再会するドンとチュン。 この柳川に来たきっかけはロンドンにいたときに中川と知り合い、「自分の故郷と同じ漢字だ」と言われたことがきっかけだった。 中川は実は17歳の時に子供を作っており、今は娘の祖父母が育てていた。中川はチュアンに好きだと打ち明けた。 池松壮亮が出演した中国映画。池松壮亮が出演していれば何でも観るタイプなので今回も鑑賞。池松は主演ではなく助演である。 しかし正直受け付けない。 フィクスでカメラは人物をとらえ、だらだらぼそぼそと昔の思い出話とかを話すだけである。 最近、NETFLIXで「今際の国のアリス・シーズン2」とか「ヒヤマケンタロウの妊娠」を観てテンポの早いドラマになれてしまったので、このダラダラ感はついていけない。 また兄弟が主人公なのだが、兄貴がやたらと威張り散らす。最近実生活で兄とうまくいってないので余計にいらいらする。しかしこの間観た「シスター 夏のわかれ道」も叔父とかの年上が威張り散らすし、やっぱりあの国はまだまだ年上が威張る世界なのか。「唐人街探偵」でも若い方が優秀なのにまだまだ主人公の叔父が威張って虚勢を張っていたからなあ。あの国はそうなのか? 映画が終わって本日は初日なので池松壮亮の舞台挨拶。 といっても舞台挨拶は池松だけなので結果的に池松が質問責めのような形になってしまった。 この映画は2020年1月のコロナの直前に撮影され、もう3年近く前の映画なのでちょっと記憶が薄れている様子。 この映画は中国でいえばインデペンデントの規模になるそうだが、スタッフは100人ぐらいいたという。じゃあ「唐人街探偵」なら何人いるんだ? 日本のインデペンデント映画ならスタッフ3〜4人だよ。(マジでそういうこともある) 監督は中国出身だが、韓国で映画作りを始めたという方で、今回初めて中国資本で映画を撮られたという。そういう国境を越えた活躍をされているので、こういう映画になるらしい。 また池松さんは今回英語のせりふで(ロンドン留学中にチュアンと知り合った設定なので)苦労したというわけではないが、「めんどくさいなあ」という気分だったらしい。海外作品に積極的な割には語学には興味が薄いらしい。 主演の方々は中国ではスター級の俳優だそうだが、私にはまったく馴染みのない方で、その辺も退屈の要素。池松さんは「撮影が終わった後、メールもらったけど中国語だったからぜんぜん返していない」そうです。 あと共演者の印象を聞かれてたけど、「いやいい方ですよ。やっぱり世界で活躍するような俳優さんはアメリカでも監督でも人格者ですよ」とあたりさわりがないというか、本音なのかそうおっしゃっていた。 確かに出演者からすると「また仕事がしたい」「この人のためになら頑張れる」と思われるような役者でなければスターにはなれないよ。 あとこの映画の俳優さんに紹介されて「1912」という中国映画の日本人役で出演されたそうだ。それは日本公開はなくなったそうですが。 映画の方はとにかくまったく受け付けず、結末もよく覚えていない。主人公がラストで死んだのはわかりましたが。 REVOLUTION+1日時 2022年12日25日13:20〜 場所 横浜ジャックベティ(ベティ) 監督 足立正生 2022年7月、安倍晋三元首相が参議院選挙の応援演説中に山上徹也(タモト清嵐 映画では川上徹也)の手製の銃によって殺害された事件を描く。 川上の父親は自殺した。そのことがきっかけで母親は統一教会に入信し、献金を重ねる。また兄も自殺した。母の統一教会への献金のおかげで家には全くお金がなく、子供の頃、妹は「時々はハンバーグが食べたい」とだだをこねたが、母は「世界の飢えた子のことを考えなさい」と言った。 徹也自身も家に金がないので大学進学はあきらめた。簿記の資格も取ったが、それが生かされることはなく低賃金の派遣労働。派遣先の上司とはよくもめて長くは続かなかった。原因は決められた手順を守らず自分の考えた効率のよいやり方でやろうとするのが気に入らなかったからのようだ。 ベンジンを飲んで自殺未遂をしたが、結局は自分で救急車を呼んだ。統一教会の修行で韓国に行っていた母は、徹也が死にかけても病院にはこなかった。 自分の家庭を壊した統一教会への恨みがそれを応援する安倍晋三への恨みに変わっていく。統一教会は「韓国を侵略した日本は悪で日本人が韓国に献金するのは当然」ということが教義だ。そんな宗教を応援する安倍晋三、自民党はいったいなんなのか? 川上は手製の銃で安倍晋三殺害を計画する。 本年7月に起こった安倍晋三殺害事件。それが統一教会を応援したことにより恨みを買った、と報道され、「安倍晋三はやはり畳の上では死ねない男だったか」というのは率直な感想だった。 そして8月半ばに「あの足立正生がこの事件の映画化を準備中」という話聞いて事件以上に驚いた。かつての60年代のピンク映画の時代で若松孝二がよくやったようなことである。それを今の時代でもやろうという。 (しかし8月末から9月にかけては森達也が福田村事件の映画化で、やってくれそうなスタッフキャストはみんなそっちに行っていて人集めに苦労したとか) さらに9月27日の国葬の日にぶつける形で上映しようと言うのだ。 へ〜足立正生の反権力精神、未だ衰えずだなあ、と感心したものだ。 9月27日の上映版は60分ぐらいしかなくて、今回公開されたものとはバージョンが違うらしい。今回のものは完成版として約80分。 とにかく一言でいうと「あれだけ色々なことが人生であったら、そりゃ安倍の一人ぐらい殺したくなるよな」ということ。 そして母親のこともどこか憎みきれない家族としての複雑な思いを抱える川上。 自殺未遂したときに病室が隣になった「あたしも宗教二世」という女性。アパートの隣の部屋に住む「父親が革命になりたくてアラブの行ってしまった」という女性。この二人の女性との交流が描かれる。このあたりはフィクションなのかも知れない。 映画としては川上が特別に珍しい存在ではなく、親の影響で子供が苦しむことがある、それはあってはならないという主張を感じた。 事件後、妹が独白で「兄もこれからいろいろ言われるし、民主主義への挑戦とか言うバカもいる。自分で民主主義を壊しておいてよくいうよ」という。(妹のせりふではなかったかも知れないけど、映画中には出てきた) 正直、これが足立監督の本音だろう。 本日は公開記念で足立監督、タモト清嵐、イザベル矢野(革命二世の女性役)が登壇。足立監督が最後に「昨日、名古屋、大阪で舞台挨拶をしてきて、お客さんから『分かり易すぎてつまらない』と言われた」と言っていたけど、分かり易いからこそ、今回はいいのである。 今まで小難しく撮ったりして足立作品は好きではなかった。今回は事件が事件だけに、ネタが大きいから誰が撮ってもある程度はおもしろくはなったと思うが、でも誰もやらなかった。 こういうのは先にやったもん勝ちである。 足立監督、正直言って見直した。 今日もわれ大空にあり日時 2022年12月17日 場所 DVD 監督 古澤憲吾 製作 昭和39年(1964年) 航空自衛隊浜松基地に山崎二佐(三橋達也)が着任した。所属ずるF86のタイガー編隊のメンバーをF104パイロット候補生にするためだ。 タイガー編隊のメンバーはリーダー格の三上一尉(佐藤允)、小村二尉(夏木陽介)、佐々二尉(当銀長太郎)、風間三尉(稲垣隆)。山崎は「お前等は腕があるつもりだが、まだまだだ」と叱責する。 訓練中に風間が操縦不能に陥った。山崎は「操縦桿をニュートラルにしろ」と叫ぶがパニックになった風間は出来ない。仕方なく脱出を命じたとき、操縦桿を一瞬離したためにニュートラルに出来、なんとか機体も風間も助かった。しかし三上はそれを「偶然にすぎない!」と隊長の判断を批判する。 風間はそれ以来、飛べなくなってしまった。査問会が開かれたが、とりあえず様子を見ることになった。三上が風間の訓練を申し出たが、なかなか彼の自信は回復しない。今度は山崎隊長がプロペラ練習機で風間と飛び立つ。山崎は途中でパラシュートで降下し、風間一人で着陸させるという荒技に出た。一時はパイロットを辞める決意をした風間だったが、なんとか復帰できた。 そして彼らもF104のパイロット訓練生として北海道の千歳基地への配属が決まった。配属の日は千歳は暴風雨で悪天候。誰もが今日は中止と思った。しかし山崎は「彼らにこの天候でも行けたという自信をつけさせたい」と千歳行きを強行する。 先日大映の「ジェットF104脱出せよ」を観て、前から気になっていたけど観る機会を得なかった東宝の「今日もわれ大空にあり」を(ボーナスも出て少し余裕があったので)廉価版DVDを購入し鑑賞。(といってもアマゾンで1805円だったけど) 監督は古澤憲吾、脚本は元陸軍パイロットの須崎勝弥。前年の「青島要塞爆撃命令」のメンバーだ。 しかしキャストが完全に東宝戦記映画と同じである。三橋達也、佐藤允、夏木陽介、整備員が中丸忠雄、基地司令が藤田進、千歳基地司令が田崎潤。そのまんまである。 しかし話の方は戦争映画なら、敵基地攻撃とか、攻撃による破壊とか、隊員の戦死とかいろいろ作りようがあるけど、平時の自衛隊だからそれはない。スクランブル発進もないしね。 だからどうしても脱落しそうになるメンバーを鍛えるとか、嵐の中をつっこむとかしか話の作りようがない。ラストで暴風雨の中の着陸とかの理由が「隊員に自信をつけさせたいから」というのは弱いよね。 これが「離島で病気の人に薬を届ける」とか「医者を運ぶ」とかなら緊急性があるけど、「自信をつけさせる」って弱いよなあ。 実際映画中でも千歳基地でもパイロットの平田昭彦が田崎潤に「今日はこの天候ではこないでしょう」といい、浜松のパイロット(二瓶正也)も「行くのは無茶だ。中止する判断も必要」という。 (もっとも戦時になったら天気関係ないけどね。敵は悪天候だからこそやってくるかもしれないから) かといって話作りとして主人公たちを危険な目にあわせなければならない状況作りも難しい。この辺は自衛隊映画の難しいところかも知れない。 その辺の作者たちの苦悩が伝わってくるけど、ラストの悪天候の中の千歳行きはそれなりに盛り上がった。 しかしこのDVD、プリントの状態がよくないのか、途中ナイトシーンが見えにくくなったり、空のシーンで気泡のようなものが見えたりよくない。 正直各種DVDは観たけどこんなに雑なDVDは始めてみた気がする。 夏木陽介と星由里子(基地の栄養士)との恋とか、戦時中に地元の人を死なせてしまった山崎の苦悩を娘(酒井和歌子)が知るとかのドラマに彩りを見せる。 敵のいない東宝戦争映画だった。 夜、鳥たちが啼く日時 2022年12月17日13:25〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン7 監督 城定秀夫 慎一は借家に暮らしていたが、裕子(松本まりか)と幼い子供のアキラが引っ越してきた。慎一は10代の時に新人賞を受賞した小説家だったが、あとが続かず、今はコピー機のメンテナンスの仕事をしている。 前の彼女と同棲していたが、彼女の職場のスーパーの店長と浮気していると疑い、それがきっかけで店長を殴ってしまい、彼女はバイトをクビになりそして出て行った。 裕子は慎一が当時働いていたライブハウスの店長の妻だった。店長の家に飲みに行くこともあり、公私ともにつきあっていたのだ。しかし店長は裕子のほかに女を作り、離婚を言い渡された。住むところがなくなった裕子は慎一の勧めで引っ越してきたのだ。慎一は前の彼女とうまくいかなくなった頃から、借家の前にあるプレハブの倉庫も借りていて、そこに寝泊まりすることにした。慎一は今でも小説を書き続けているが、それが出版される見通しはない。 アキラは慎一になついてきた。しかし裕子は「期待させないで」とアキラと慎一が仲良くすることを拒否する。 城定秀夫監督の新作。先日多摩映画祭で「銀平町シネマブルース」も観たが、これは来年公開。 事件の起きない映画だなあ。それでも何とか見せるのはやはり時系列をずらした構造だからか。裕子と慎一の心の距離の問題がテーマなのだから、映画の冒頭で引っ越してきて、「彼らはどうしてこうなったか」を描く方がよいのだろう。 慎一は10代の時に新人賞を取ったが、やはりそれだけでは小説家としてはやっていけない。バイトとか働きながら小説を書いている。そのパワーすごいよ。まあ若いこともあるんだろうけど、それにしても仕事が終わってからとか、裕子やアキラたちと遊びに行ってからも「今から書くから」と書いている。 すごいよ、小説を書く人は。(もちろんそこはテーマじゃないけど) 裕子も慎一も一度失敗しているので、ひたすら慎重になる。裕子などは何度も「期待させないで」と距離が近くなりすぎないように注意する。 それでも徐々に徐々にお互いがお互いを必要としていく過程は興味深い。 結局は最後は結ばれるんだけど。 今回はエロ度は低めの恋愛映画。 山田裕貴が髭面だが、なかなか雰囲気があってよかった。私の中での評価があがった。 またアキラ役の少年がなかなかうまく、よかった。 やはり城定監督作品ははずれが少ない。 空の大怪獣ラドン<4K>日時 2022年12月17日8:20〜 場所 TOHOシネマズ池袋・スクリーン1 監督 本多猪四郎 製作 昭和31年(1956年) 「午前十時の映画祭」枠での上映。昨日の16日からグループAで上映が始まり、TOHO新宿では2週間後の上映開始なのでわざわざ池袋まで観に来た。 「アバター」や「ドクターコトー診療所」などの正月の目玉作品が昨日から公開で完全に邪魔者扱い。地方ではそうでもないらしいが、東京では朝の8時台に1回上映というタイムテーブルである。 普段仕事に行く時間より早い時間に家を出た。 客層は予想通り8割がシニア。女性の2人連れもいたのが驚いた。あとは親と一緒の小学生が二組はいたな。 映画とは直接関係ない話ばかり書いてしまったけど、まあそういうことなのである。 もともと私は実は「ラドン」が好きな映画ではない。 というのは話がないのである。 前半は佐原健二の鉱山技師が主人公だったが、記憶喪失になったところから話の中心からはずれている。以降なぜか警察署長らしい小堀明男がいつもいる。 映画を引っ張っていく主人公、キャラクターがいないのだ。平田昭彦の古生物学者や何の専門家かいまいち解らない村上冬樹の学者とか、阿蘇山研究所職員とかがわらわらと登場するが、どの人も物語を牽引するにいたっていない。 それでもなんだかんだ言っても観てしまうのは博多襲来、西海橋破壊などの特撮シーンがため息が出るような素晴らしさなのだ。 西鉄が風圧でひっくり返って赤い電線が見えるのもご愛敬なのだ。 6月にあった井上泰幸展でこの西鉄駅周辺のセットが再現されていたけど素晴らしかった。 確かに今回の上映が始まった最初のうちは色の鮮やかさに感心したが、それも映画が進むうちに見慣れてきてそれほど興味がなくなってきた。 一昨日、なんとなく気分が乗らなくて「ガメラ2レギオン襲来」を観たのだが、登場人物たちがみんな「私(達)にも何か出きるかも知れない」と行動を起こす。しかしこの「ラドン」ではみんな何となく傍観してるだけなんだよね。白川由美にいたっては何の役割も果たしていない。 だから映画としてはそれほど好きではないんだけど、特撮シーンの素晴らしさにはたたただ目を見張るという映画が(あくまで私の評価では)「空の大怪獣ラドン」なのであります。 ブルーフィルムの女日時 2022年12月16日21:00〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 向井 寛 製作 昭和44年(1969年) プリント上タイトル「色仕掛け女極道 ”ブルーフィルムの女”より」 株の相場師の坂田は株で失敗し2000万円の借金を背負った。今月中に金貸しの内山に返済しなければならない。首をくくろうとしたが、妻に止められ、内山に返済猶予を願いでる。内山は「あんたの奥さんを貸してくれるなら」と坂田の妻を妻を抱いた。妻のあえぎ声を聞いて苦悩する坂田。 内山は今は気違いになって自宅の座敷牢に入れてある息子の相手をしてほしいという。仕方なく聞き入れた坂田の妻だが、帰り道、呆然としている中交通事故にあって死んだ。 家も売って引っ越した坂田とその娘まり子(橋本実紀)。まり子は学校をやめ、ゴーゴー喫茶で働き出すが、とにかく節約してお金を貯めていた。 坂田は娘の負担になってはいけないと服毒自殺した。 まり子は内山に復讐を誓う。 ゴーゴー喫茶の同僚の彼氏・次郎の紹介で、金持ちが集まる秘密パーティに参加する。報酬は10万円。もちろん体を提供する仕事だった。 後日、パーティの参加者と個別にあって体を提供するまり子。数日後、そのパーティに参加した男達は一同に集められた。実はまり子は個別にあった様子をフィルムに収めていたのだ。それでお金をもらうまり子。 それを聞いた次郎は「それはやりすぎだ」と責める。 一方内山だが、気の違った息子は見境がなくなり、息子に犯される。 そして次郎は「死んでくれ」とまり子を殺した。 ラピュタ阿佐ヶ谷の新東宝、国映ピンク映画特集での上映。 予想した話と全く違っていた。 私は「純粋な娘がだまされてブルーフィルムに出演させられてしまう」話だと思いこんでいた。(そしてTwitterの書き込みで「ラストが変」というのも気になっていた) 相場師が株で大損し、借金を抱えるという展開から「おお娘が売られるんだな」と思っていたら、まずは妻の方である。 おいおい妻も20代の後妻とかならともかく、五十路のおばさんだよ!内山はん、あんたもマニアックでんなあ。 このおばちゃんのおっぱいが出てくるかと思ったらさすがにそれはなかった。 とにかくこの時代のピンク映画はカラミのシーンとあえぎ声はあるけど、肝心の裸はほとんど出てこない。 でも本作はオールカラー。 そして69年にも座敷牢がある設定に驚く。横溝正史か江戸川乱歩の世界である。いまじゃこの設定は無理だけどね。 まり子はゴーゴー喫茶で体を売ってるかと思ったらそうでもないらしい。 とにかく秘密パーティでは「処女」という売り込みで参加。 その後、一人一人と会うのだが、「あるアパートの一室に男が入る」「まり子がレコードをかける」「二人が踊る」という3ショットが男性を変えて繰り返される。アングルも一緒。レコードの曲も一緒なので安易だなあという感想は否めない。 それにしても私の予想に反してまり子はブルーフィルムに出演させられる、ではなくて「ブルーフィルムを作る」側だったのだ。 ラストは車の中にいる次郎とまり子のカーセックスをしてるシーンで(それも埋め立て地のような場所)にスポーツカーがやってくる、中から強面の男が降りる、次郎は驚いて「死んでくれ」とまり子を殺す、という謎の展開。 ラピュタのロビーに貼ってあったプレスシートによると、ラストは恐喝容疑で逮捕される、という展開だったのだ。 現場で変えたらしいこの意味不明な展開。 やっぱりラストはまり子の念願の通り、内山と対決しなきゃ。内山は息子に犯されるという謎展開だし。 とにかく私の期待した映画ではなかったな、というのが本音。 本作、英字字幕付き。映画が終わったあとに「文化庁の支援で海外紹介用に映画字幕がつきました」と表示される。 果たしていつ頃作成したプリントなのか不明だが(状態はきれいだった)、こんな映画輸出するほどの映画かしらん?と思ってしまった。 赤穂城断絶日時 2022年12月11日 場所 東映チャンネル録画 監督 深作欣二 製作 昭和53年(1978年) 元禄14年3月14日。赤穂藩主・浅野(西郷輝彦)は吉良上野介(金子信雄)に対し刃傷に及んだ。その日のうちに処分が決まり、浅野は切腹、吉良はおとがめなし。その連絡は赤穂城にももたらされた。 吉良お咎めなしの決定に不服を持つ赤穂藩士は籠城、決起を願うが、城代の大石内蔵介(萬屋錦之介)はそれを禁じ、主君の後を追って切腹すると決めた。それは大石のたくらみで、同じく切腹しようとするものを集め、仇討ちをする同士を集めるための手段だった。 しかし吉良を討ちすることは、吉良をお咎めなしとした幕府の決定に背くことにもなる。そうなると仇討ちをした者たちは一族郎党にいたるまでとがめを受けることになる。それでも仇討ちをすると誓い合う者たち。 しかし大石はすぐには動かない。慣れない浪人暮らしで、脱落するもの、あるいは我慢できずに決行しようとする者も現れる。 いわずと知れた忠臣蔵である。 自分が初めて同時代で観た忠臣蔵映画だ。東映もヤクザ映画にもかげりがでて新しい路線を模索し、「柳生一族の陰謀」がヒットし、同じ深作監督、萬屋錦之介コンビで忠臣蔵の映画化だ。 当時から「今更忠臣蔵?」といわれていた気がする。 それでもオールスター映画だし、見に行った。そしてそこそこ面白く観た覚えがある。 今回封切り以来44年ぶりの再見。 前に観たときは「仁義なき戦い」を観ていなかったのだが、これはやっぱり「仁義なき戦い」につながる部分もあるのだな。 吉良は役者も同じ山守であり、幹部たちは陰謀を張り巡らす。なにも聞かされていない若者たちは血気にはやり、吉良を襲い、映画中の橋本(近藤正臣)のように堕ちていく。 橋本の妻(原田美枝子)が女郎屋で働くなどヤクザ映画でチンピラの女房がピンサロで働くエピソードと同じだ。 つまりは人間のやることは今も昔も対して変わりはないのだなあ。 「四十七人の刺客」では「浅野はなぜ吉良に切りつけたか?」が注目点になっていたが、この映画では今までの通り「吉良が浅野を愚弄し続け堪忍袋の緒が切れた」という感じで一切疑問はなし。 映画全体としてはせりふや演技は比較的まったりなので従来の感じである。しかしそこは深作さんらしく、カット尻は短く、間をとったりはしない気がした。 吉良側では渡瀬恒彦演じる小林平八郎がかっこよく、千葉真一演じる剣の達人不破数右衛門との吉良邸での対決はクライマックスらしい見物。 三船敏郎も吉良の隣の家の主人を演じ、かげながら大石を応援。 この映画では人々は(侍を含めて)密かに徳川の政治に反感を持っており、そのために大石をかげながら応援していたという視点で描かれている。 とにかくオールスターでそのほかにも峰岸徹、森田健作、加藤嘉、寺田農、佐藤祐介、藤岡琢也、芦田伸介、大滝秀治、松方弘樹、成田三樹夫、若林豪、そして丹波哲郎などなど豪華絢爛。 群像劇だしオールスター大作としてはやりやすい企画なんですよね。 さすがに映画では「四十七人の刺客」が最後で(たぶん)正統派はなくなりましたけど。(「決算!忠臣蔵」は正統ではないでしょう) ジェットF104脱出せよ日時 2022年12月10日17:00〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 村山三男 製作 昭和43年(1968年) 海津(倉石功)、郷原(酒井修)たちは航空自衛隊の訓練生として入隊した。まずはプロペラのT34。これで飛行機の基礎を学ぶ。いつもは教官が後ろで厳しく指導するが、教官の許可が下りれば単独飛行が出来る。 海津は同期の中で一番最初に許可が下りた。同期の全員が単独飛行を行うまでになった。ここで教官たちが適正を見て、戦闘機、輸送機、海難救助隊への配属を決定する。実家を大阪のうどん屋に持つ坂本は救難隊への配属が決定。「ジェット機に乗れないなら自衛隊辞める!」とまで言い一時は除隊を考えたが、結局は救難隊に行く。しかし坂本は訓練中の事故で命を落としたと連絡が入る。 海津、郷原は順調にジェット機のパイロットとして育っていった。 ある日、講義の時間で教官から「雲のある山の上で敵機と遭遇したらどうするか」との問いに郷原は「山の上に誘いだし撃墜します」と答えた。 しかし教官は「それは無茶すぎる。出来るはずがない」と却下した。そのことを根に持った郷原は海津との訓練中に無断で山の上で危険な飛行を行った。それが他の航空隊に発見され報告され、郷原は査問会にかけられた。結果処分は厳しいものになり、郷原は除隊。 海津も宮崎の航空隊に派遣された。訓練中、フラップが下りなくなる故障が発生。ここままでは基地に着陸できない。 タイトルだけは知っていたが長らくみる機会がなかったので観ていなかった映画。 ラピュタ阿佐ヶ谷「大映映画を支えたバイプレーヤーたち」で鑑賞。 結構期待してたのだが、はっきり言ってつまらない。 ドラマ性は薄くてやたらナレーションで説明する説明だけの紹介映画なのだよ。 6人(ぐらい)の若者の成長ドラマもなく、地元で知り合った女の子との恋もなく、ひたすら説明、説明(訓練、訓練ではない)な映画。 とは言っても見所がないかと言えばそんなことはなく、自衛隊協力による空撮シーンはかっこいい。 T34から始まって、(この飛行機、確か「トラ・トラ・トラ!」でゼロ戦に改造された飛行機だ!そう思ってみるとフォルムが似ている)、T1とかF86(怪獣映画でおなじみ!)、最後はF104(「不毛地帯」の戦闘機だ!)などなどの飛行シーンがかっこいい。 はっきり言って映画の半分は飛行シーンではないだろうか? それにしてもこのドラマのなさはなんだろう? 脚本の問題か、演出の問題か、役者の問題か。 まずはナレーションの多さ。ここでドラマではなく単なる説明にしかなっていない。 そもそもドラマがあっても面白くないのだよ。坂本は「ジェット機に乗れないなら自衛隊辞める!」とかわがままだし、郷原にいたっては「金持ちの息子でスポーツカーをはじめスピードが得意」と紹介され、金持ちのわがまま坊やである。「俺に出来ないはずがない!」とか言って規律違反をするのかいかがなものか。除隊も当然だよ。 これが観客も納得するような理由での規律違反ならドラマにもなるが、こんなの葛藤もなにもないよ。 坂本の件にしても「事故で亡くなった」とする連絡が同期の者から受けるだけで、その事故の瞬間はない。 そもそもラストのクライマックスにしても「フラップが下りなくなった」「板付空港(福岡空港だな)に航路変更」「しかし板付も胴体着陸した飛行機がいて着陸できない」ってなんだよそれ。しかもその胴体着陸のシーンはなく、説明のみ。 やたら説明で片づけるなよ。 結局パイロットの命を守るため「飛行機も大事だが、パイロットはもっと大事だ」の基地司令(伊東光一)の許可で海津はパラシュートで脱出し、機は海に墜落。 このシーン、パイロットが脱出するカットは特撮だが、パラシュートが落下するカットに海に落ちる音がするだけで画はなし。 いやそこは見せてよ! 海津は同期の一人(平泉征)にヘリで救助される。 そういえば篠田三郎も訓練生の一人でちらっと出てたな。 とにかく若手スターと言えば聞こえはいいけど、ギャラの安い新人ばかりで手抜きの映像で低予算で作った映画。昭和43年だしなあ。 大映もきつかった頃か。 シスター 夏のわかれ道日時 2022年12月9日19:00〜 場所 新宿ピカデリー・シアター7 監督 イン・ルオシン 交通事故が起こった。被害者が名前を呼んでいたというアン・ランが警察に呼ばれた。被害者2人は夫婦でアン・ランはその娘。しかし被害者のスマホの写真には幼い男の子しか写っていない。アン・ランは女の子であるために両親から望まれず、大学に入ると同時に一人暮らしを始め、両親とは完全に連絡が経っていた。男の子を望んでいた両親はその後、男の子に恵まれていた。その男の子のズーハンはまだ6歳。 両親の兄弟はアン・ランが弟のズーハンを育てるべきだという。 しかしアン・ランには夢があった。今は看護師だが、北京の大学院に行き医者を目指すのだ。 ズーハンを養子に出そうと決め、あちこち養子縁組をあたるのだが。 予告編は何回か見ていて存在は知っていたが、それほど観る気もなかったのだが、文化放送の夕方のラジオで作家の山内マリコ(「ここは退屈迎えにきて」の作家)が誉めていたので観てみようと。 実際私自身が家族の問題で負担を強いられているので結論をどうつけるかが興味があったのだ。 映画自体は中国の一人っ子政策を理解していないとよくわからない。またこの映画で描かれてる中国は日本以上に男尊女卑、家父長制が色濃く残っている。 アン・ランの両親は男の子を望んだため、「娘には足に傷害がある」と申し出て2番目の子供生む許可を得ようとする。しかし少子化で悩んでいる日本としては驚きである。そもそも一人っ子政策は人口が過剰にならないようにするためだったのだから。 そしてアン・ランは頭が良かったために医学部にも進学できた。しかし親が「女に学問はいらん」という考え方だったので看護学部にさせられた。 でも本来なら医学部にいける力はあるのでさらに上を目指している。 また同じ病院につとめる医者が恋人。彼の両親に会ったが、結婚後は同居を望んですでに改築までしたという。 彼とは「一緒に北京の大学院に行こう」と約束していたが、実は彼にはその気はないようだ。 結局別れる。 んで父親の弟、つまり叔父さんだが、こいつがどうしようもない奴でギャンブル好きの男でそもそもの交通事故も相手が飲酒運転をしていたからだと主張し(警察は父の心臓発作ということで結論づけたのだが)金を取ろうとする。養子に出して得たお金を半分くれれば弟は育てるという。 しかしやらせてみたら子供を雀荘に連れて行き子供同士でもギャンブルをやらせているというくず男。それを知ったアン・ランはズーハンをつれて帰る。 後半、「お前が育てるべきだ。自分もそうしてきた」という父の姉が、「自分も若い頃はロシアに行って商売しようとか夢があった。しかしお前の父を学校にやるために犠牲になった」という。最後には「お前は自分のやりたいことをしなさい」と解ってくれた。 で交通事故の加害者の方(父子家庭で、娘とズーハンは同じ幼稚園という関係)の紹介で金持ちの家にズーハンを養子に出すことになる。 北京に行く日、ズーハンのおもちゃをその家に届ける。 そこで「もう2度とズーハンに会わない」という誓約書を見せられて、結局サインできずにズーハンを連れだし、公園で号泣、でエンド。 まあそうかあ。やっぱり姉として育てる道を選ぶのですね。 現実じゃなくて映画なのだから、いかようにでも結末はつけられるはず。 最後はズーハンは金持ちの家に養子に行き、「あなたも時々会いにきてやってくださいね」と言われるラストだって書けたはずだ。 しかしそうならなかったというのはやはり作者たち(脚本、監督などなど)が「姉は夢をあきらめて弟を育てるべき」という考えなのか。 それが中国なのか。 なぜこういう結末を選んだのか、作者たちに聞いてみたい気がする。 トロール日時 2022年12月4日 場所 NETFLIX 監督 ローアル・ユートハウグ ノルウェーの山間部の鉄道トンネル工事現場で謎の事故が発生した。政府は残された足跡にも見えるくぼみを地質学者の説明に従い、単なる陥没事故として片づけようとしていた。しかし足跡にも見える複数の陥没に対しての意見を求めるために呼ばれていた古生物学者のノラ・ティーデセン教授が事故の瞬間をとらえた映像に巨大な人型の生物が写っていることを発見する。 事故現場に向かうノラと首相補佐官のアンドレス。その時近くで家が破壊される事件が起きる。住民は地下室に避難して無事だったが、話を聞いているうちにノラは民族学学者だった父が言っていた民話に登場する巨人、トロールではないかと考える。 父は異端の学者として学会を追放され、田舎にこもっていた。クリス大尉、ノラ、アンドレスはノラの父の元に向かう。父を伴って巨人が消えた現場に行ってみた。そこには大きな岩があるだけでなにもない。しかしその岩が突然動き出した!それは石で出来た巨人、トロールだったのだ! ここまでで40分ぐらい。1時間40分の映画だが、エンドクレジットや各国の吹き替えキャストクレジットが8分ぐらいあるから、本編尺としては90分ぐらいである。 トンネル工事事故、謎の足跡、学会を追放された学者、民話、伝説に登場する巨人、などなど怪獣映画らしい要素がつぎつぎと登場。 いや〜楽しいですね。 トロールの正体は「キリスト教文化になる前のノルウェーの独自文化の時代にはトロールが普通にいた。トロールはキリスト教文化によってトロールは滅ぼされ、伝説や民話はすべてトロールが悪役に書き換えられた」という歴史的新説に基づいたもの。 この辺はノルウェーの歴史や文化に無知なのでよく解らない。ノルウェーの人はどう思ったんだろう? その後は巨人撃退として教会の鐘の音を嫌うとか、そういう作戦。 そして父の残した言葉から、首都オスロの宮殿の地下にはかつてのトロールが全盛だった頃の白骨が隠されていた!という真実。 こういう伝説は面白いですねえ。 侵略者たちは旧支配者の城のあったところに新たに城を建てる習慣があったので、地下に残されたのだ。 そしてノラたちはこの骨を使ってトロールを郊外におびき出し、「太陽光に弱い、おそらく紫外線が苦手」という仮説で紫外線を照射させる。 それも政府の国防大臣らしき人は強行にミサイル攻撃を主張し、ノラとかクリス大尉、アンドレイが個人的に紫外線作戦に参加していく、というのも王道の展開。 遊園地を襲ったときも子供を助けたりして「ホントはそれほど悪い奴じゃない」とされるトロール。こういうのも「ウルトラ」シリーズ的発想ですね。 遊園地が襲われて世界各国でニュースになったとき、日本のニュースも登場し「ノルウェーにゴジラのようなものが現れました」と言ってたから、ゴジラを知らないわけではあるまい。 その巨大生物の造形が話の展開上、岩石人間みたいになってしまっており、いわゆる「怪獣」ではないのが私の好みではない。 それに都市の破壊も少ないしね。 そういう細かい不満はあるものの、怪獣映画らしいストーリーで面白かった。怪獣映画ファンにはお勧めです。 飯島敏宏監督追悼上映会日時 2022年12月2日18:00〜 場所 和光大学ポプリホール鶴川地下2階ホール 監督 飯島敏宏 2021年10月17日に亡くなった飯島敏宏監督の追悼上映会。 この前には別プログラムとして「ホームカミング」は上映されたが、そっちはパスしてウルトラ関係のプログラムだけ見た(1500円で安かったし)。 上映作品は3本。 「ウルトラQ 2020年の挑戦」「ウルトラマン 侵略者を撃て」「ウルトラセブン 勇気ある戦い」。デジタル上映(おそらくブルーレイ)。 ところが3本目の「ウルトラセブン」のオープニングクレジット途中で画面がフリーズ、歌だけが流れるトラブル発生。(そういえば開演前にウルトラサブスクのCMが流れたが、そのときも真っ暗な画面に音声だけというトラブルが起こったな) 結局別のディスクでも試したが、主催者はあっさり上映を断念。 (この件に関しては後で書く) 2本だけの上映でトークイベントに移った。 ゲストは桜井浩子さん、古谷敏さん、撮影の稲垣涌三さん、司会は小中和哉監督。 トークのポイントを備忘録として記す。 古谷さん: ・飯島監督は映画の監督と違っておしゃれで洗練されていたイメージで撮影上でホコリまみれで映画を作ってる人たちと違って、赤坂の都会的な感じがした。 ・ケムール人で初めて着ぐるみ(当時はぬいぐるみと呼ばれたそうだ)に入った。 最初はローラースケートで動く予定もあったのだが、頭の仕掛けが重くてできなくなり、まだ若かったので足を延ばして走るスタイルになった。 ・ウルトラマンの時は成田亨さんと打ち合わせしながら、各部を確認品柄作ったので、いきなり完成品を見せられるという形ではなかった。 ・ウルトラマンのファイティングポーズはグーではなく、パーの開いた形でやろうとみんなで決めていた。スペシウム光線をどう出すかというのは飯島監督や中野さん、撮影の高野さん、私などで試行錯誤しながら決めた。手の小指側から光線を出すが、どうしても手がふるえてしまうので、クロスして手を安定させることになった。 ・前屈みのポーズは古谷さん自身が「理由なき反抗」ジェームズ・ディーン風に構えたということと、ホリゾントが低いので高野カメラマンからなるべく低く低くと言われた結果。 ・怪獣とウルトラマン対決の殺陣などみんなやっとことがなく、これもみんなで試行錯誤してやった。的場さんは「俺の仕事じゃない」的な態度だった。円谷さんに頼まれて現場を手伝っている関係上、みんなも何もいえなかった。 桜井さん: ・飯島監督はまじめな方で現場で冗談をいうような方ではなかった。だからちょっと怖く見えた部分もある。でも作品では笑いの要素を入れる方だった。 ・「ウルトラマン」の現場で撮影3日目ぐらいでイデ隊員役が二瓶さんに変更になったが、キャップも私も聞かされていなかった。だから二瓶さんが「お早う!」といきなり来たときはびっくりした。 ・スカイドンの時、ハヤタ隊員はカレーのスプーンを置いてから部屋を出ている。だから次のカットでスプーンを掲げるのはおかしいのだが、実相寺さんは「いいんだ」と気にしなかった。 稲垣さん ・合成の中野稔さんは飯島作品だと丁寧な合成が多い。きっと飯島監督とは話が通じ合ったのかも知れない。 ・「2020年」で飛び込み台から飛び降りる人が消えるカットの合成はすごい。当時はモーションコントロールなんかなかったから、見事な職人技だ。 ・バルタン星人とイデ隊員が会話するシーンはTBSの社内廊下で撮影されたのだが、現場には中野さんも立ち会っていて、バルタン星人が何体も出てくる合成になった。 最後にスクリプターの田中敦子さんも参加。 ・飯島さんは取れ高を聞いてくることはなかった。きっと頭の中で自分で計算していたのだろう。実相寺さんや中川さんは逆に「そんなに撮ったら前後編になってしまいます」と言っても聞かない人だった。 ・特撮の現場は火も使って危険だったので本番の時は私は外に出された。外にいても隙間から火や煙が出てきたので「中の人は大丈夫だろうか?」といつも心配してしまった。 だいたいそんな感じのお話。 とにかくトークの内容が濃く、ロフトプラスワン並のディープな話のので、あまり詳しくないファンにはわかりづらかったと思う。 で上映中止の件だが、今回の上映会は「グローイングアップ映画祭 鶴川ショートムービーコンテスト」の特別番組として開催。 市民団体が行っているイベントなのだが、トラブルに関しての対処問うものがまったく準備されていない。 主催者にクレームを入れたが「返金も何もできません」の一点張り。 金を返してもらうことが目的ではないが、それにしても不誠実。 仮にも映画祭なのだからもっと映画に対して真摯に向き合ってほしい。 最後に写真撮影があったのだが、先日スマホが画面割れで機種変更したので、今度は初めて手帳型ケースに入れてみた。しかしこれが場合によっては熱を持ちやすいことがわかり、写真撮影タイムではカメラが起動しなくなると言うトラブル発生。写真撮影があるときはこれから気をつけなきゃ。 また今日は来週12月10日に新文芸座で行われる「ゴジハム復活上映」(「×メカゴジラ」と「ハム太郎」の2本立て上映とトークイベント)のチケットが取れなかった。 昨年は2分で完売したというので構えていたのだが、クレジット決済の段階で「決済出来ません」の表示が。 M社のアプリ内のバーチャルカードで決済しようとしたのだが、これが機種変更のおかげで、不正を防ぐためか、別機種でアプリにログインすると最初は限度額が0円になってしまうしようになってるらしい。 そのために決済出来なかったようだ。 んでもたもたして別のカードでやろうとしているうちにチケットは完売。 まあ3200円の高額のイベントだからいいんだけどね。 手塚監督来るから行きたかったが、チケットが取れなかったのだから、失礼にはならないか。 とにかく「ゴジハムチケット失敗」「上映中止」「写真撮影出来ない」などデジタルトラブルに見回れた1日だった。 帰りに新宿で旧知のイベント戦友と焼き肉食べれたからチャラにはなったけど。 ダラダラ日時 2022年12月2日20:00〜 場所 新宿K'cinema 監督 山城達郎 良太郎(浦野徳之)はかづき(芦原優愛)と同棲中。コロナで会社は倒産し、今はフードデリバリーの仕事をしている。ある日、家に帰ってきたら自分たちの部屋から男が出てきたのを見てしまった。かづきは浮気していたのだ。かといってかづきは「別れる気はない」という。 良太郎が配達で行った先の女性さとりに誘われて1時間過ごす。しかし彼女はベトナム人と偽装結婚していた。ベトナム人は近所でベトナム料理店を開いている。さとりは良太郎の学生時代の親友とも関係を持っていて、その親友はさとりに惚れていて「俺が彼女を幸せにしてやる」と言っている。 配給:国映映画研究部、とある。国映ではなく「国映映画研究部」である。中の人は坂本礼さんをはじめ、いまおかさんとか女池さんとかが大なり小なり関わっているようだ。「企画 朝倉大介」の名前がないから(朝倉庄助はあるけど、これは坂本礼さんの変名らしい)オネエサンが関わってるか否かが関係しているのかも知れない。 要するに国映のメンバーがピンクを離れて自主的に撮った映画を配給してるようだ。ブロードウエイの張江暁さんがスチルで入ってるし、たぶん挙力もしてるらしい。 映画そのものは主人公より、さとりに惚れている主人公の友人役のエピソードがおもしろかった。 さとりに「俺がさとりさんを幸福にする!」というのに対して(行為の最中だが)さとりは「あたしってそんなに不幸?」と聞く。 確かになあ、相手から見て不幸に見えても本人はそう思ってないこともある。実際にベトナム人とは最初は在留資格が欲しくての結婚だったかも知れないけど、最後には改めて愛し合っての結婚に変わったからなあ。 細かいことだけど、良太郎と友人が出会うシーンが友人の車をよけようとして良太郎が自転車で転ぶところから始まるのだが、出会って二人が校歌を歌いだして友人を確認しあうシーンは面白かった。 こういうシーンがかけるのが才能なのだろう。 本日は上映最終日で山城監督、主演の浦野さん、芦原さん、山城監督の日本映画学校時代の先生であるサトウトシキ監督のトークイベント。 最初に浦野監督から映画の成立の経緯の説明があったが、もともとは国映がやっていたピンク映画シナリオ募集に応募された川崎龍太さんの脚本がベースになっているそうだ。 (コロナ禍にあわせて主人公の設定に変更があって元々は郵便局員だったらしい) そして江利川深夜さんという助監督の方が初監督作品として制作される予定だったが、江利川さんが急死なさって、助監督をする予定だった山城さんが監督をされたのだとか。 トークの最後の最後におっしゃっていたが、実は撮影中に主演の良太郎の役者が交代したそうだ。本来良太郎役で撮影も始まっていた役者さんがコロナに感染したか、濃厚接触者になったかでとにかく撮影に参加できなくなったのため、今更仕切り直すことは不可能ということで、急遽、今回別の役でご出演予定だった浦野さんに変更になり、前の役者さんが不可能になった連絡のあった晩に連絡を取り役の変更を伝え、翌日に衣装あわせ等の準備、その翌日から撮影再開となったそうだ。 だから相手役の芦原さんは2人の役者さんと絡みとかも演じられたとか。 しかもタイプが違う役者さんだったので戸惑ったとか。 浦野さんはオーディションをして主役の候補にはなっていたのだが、今回は最初はかづきが不動産会社に勤務している設定で、その下見にくるカップルの男性役だったそうで。 そういうことあるんだなあ。知られてないだけで結構起こってるのかも知れないけど。 あと良太郎と友人が劇中で歌を歌うシーンがあるのだが、その歌のことで無断使用だなんだでいろいろあるらしい(ここでは書けない) ということで映画そのものより、映画の裏側が面白かった。見に行ってよかった。 |