2023年2月

   
雨に唄えば バビロン ウルトラマンデッカー最終章 旅立ちの彼方へ・・・
パラサイト・イヴ 顔役 茶飲友達 シャイロックの子供たち
野獣狩り エゴイスト 突撃!隣のUFO スクロール

雨に唄えば


日時 2023年2月25日
場所 Amazon Prime
監督 ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン
製作 1952年(昭和27年)


サイレント映画の時代、ドン・ロックウッド(ジーン・ケリー)とリナ・ラモント(ジーン・ヘイゲン)は共演も多く、ビッグカップル、結婚間近としてゴシップをにぎわせていた。しかし実際はリナがドンに惚れているだけ。ドンは高慢なリナを嫌っていた。
新作映画の試写会に出席したドンは打ち上げパーティ会場への移動の途中でファンに囲まれ、逃げるときにたまたま来た車に乗り込んでしまう。
その車を運転していたのがキャシー・セルダン。突然の非礼を詫びたドンだったが、「映画俳優?ああ無言劇の人ね」とバカにする。
ところがドンはパーティ会場で、余興のダンサーの中にキャシーがいるのを発見。話しかけたが、口喧嘩になりドンにぶつけようとしたパイをリナにぶつけてしまう。
起こったリナはキャシーを働けなくしてしまう。
ドンはキャシーを探していたが、映画撮影のダンサー役で来ていたキャシーを発見。時に「ジャズシンガー」のヒットにより映画はトーキー時代を迎えていた。



今まで観ていなかったのが私にとっては不思議な映画。子供の頃に観た「ザッツ・エンタテイメント」でも雨の中でジーン・ケリーが歌うシーンはよく記憶している。(しかし不思議なのだ。ビデオもない時代なのだから家で何回も再生してみたということはあり得ない。テレビの映画紹介番組とか映画館で「ザッツ〜」を観たときしか映像は観ていないはずなのにめちゃくちゃ鮮明に覚えているのだ。やはり子供の時に観たものは印象が深いのか)

今回「バビロン」を観て「雨に唄えば」がモチーフとして使われていたのでいい機会と思って鑑賞。アマプラで無料で観られるし。

観て驚いた。「バビロン」はこの映画の一種のリメイクだったのだ!
ハリウッドの光と影、ホンネとタテマエ、表と裏、この2本は表裏一体をなす映画なのだ。「雨に唄えば」を観なければ「バビロン」は監督の意図は理解できまい。

今回、「雨に唄えば」の感想というより、「バビロン」との比較という観点に立ってしまうけど、仕方あるまい。
この2本、共通項が多いのだ。

主人公がヒロインと知り合うのは両方とも映画関係のパーティ。「雨に唄えば」では普通の酒と食事と歌の余興のパーティ。「バビロン」は酒とドラッグとセックスのパーティだけど。
しかもスター、新人女優、スターの信頼してている友人の3人が主役という構成も同じだ。

トーキー初期はスタッフも役者も慣れなくて撮影がうまくいかないエピソードは同じように描かれる。役者がサイレントと同じ演技をしたら観客から失笑を買ったというのも同じだ。

「雨に唄えば」ではそれをミュージカルに作り直して大成功!となるわけだが、「バビロン」ではそれを公開してしまい、(こちらでも「愛してる、愛してる」を連呼して失笑を買うのも同じだ)映画は大失敗。

要するに「雨に唄えば」はトーキーの変化に対応できたいわば「勝ち組」の話で、「バビロン」は乗れなかった「負け組」の話なのだ。

そして「バビロン」では1952年になって今は映画の仕事はしていないけど、「雨に唄えば」を観ていいことだけを思い出すのである。
そうかあ、「バビロン」はもう一度観ると見方が変わるかもしれないな。

「雨に唄えば」の話を書いておくと、冒頭のジーン・ケリーがファンから逃げるシーンで路面電車の上に乗って自動車に飛び乗る、これはスタントにしろ、本人にしろなかなかすごい技です。
ドナルド・オコーナーの「笑わせろ!」のアクロバット的な動きに感嘆、そしてラストの吹き替えをばらすためにカーテンを開けるシーンでは溜飲が下がる。

しかしよく考えればリナは破滅する訳で、その破滅した方を描くのが「バビロン」なのだ。

「バビロン」観た後だともう「雨に唄えば」は純粋に楽しめない。
先に見ておくべきだった。観てなかったことを後悔する。






バビロン


日時 2023年2月25日15:25〜
場所 新宿ピカデリー・シアター8
監督 デイミアン・チャゼル


マニー・トレス(ディエゴ・カルバ)はメキシコ系のアメリカ人で、映画界のどんな仕事でもいいから働くことを夢見ていた。今日も映画プロデューサーの開催のパーティの余興のために像一頭運ぶ仕事をやり遂げた。
そのパーティに忍び込もうとしたスターを夢見る女、ネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)や大スター、ジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)と知り合う。
パーティの最中のドラッグと音楽とセックスの乱痴気パーティでドラッグのやりすぎで一人の女優が死んだ。プロデューサーは明日の撮影で必要なのでそのパーティにいたネリーに「明日撮影に来い!」という。
チャンスをつかんだネリー。マニーもこのパーティでジャックに気に入られ、付き人として映画界に入っていく。


映画はここまでで30分くらい。このあたりでタイトルが出る。パーティのシーンなんか延々と続いている。このドラッグと音楽とセックス(集団乱交とかおしっことか)のパーティ。冒頭にも像がうんこを垂らすし、もうゲップが出てくる。
繁栄と退廃と富と栄光と虚飾と欺瞞とか、これらすべてを象徴するようなイメージの古代都市バビロン。それが当時のハリウッド映画界、と言わんばかりの乱れぶりである。

ネリーの最初の現場が西部劇の酒場の女役なのだが、このシーンの描き方のねちっこいこと。同じことがトーキー時代になってからのネリーの不慣れと撮影と録音の苦労ぶりをねちっこく描く。
このあたりの描き方が、今までの映画なら「今だから笑える苦労話」という視点で描くが、この映画はそうはいかない。「大混乱のいらいら」として描いて観ていて醜悪な印象だけが残る。

そして「ジャズシンガー」の成功で黒人音楽のジャズに注目が浴びたが、BGMではなく演奏者を写した映画になっていく。しかしライトの影響で黒人のプレーヤーが反射で光って「黒人っぽく見えない」という理由でさらに黒塗りをさせられる。なんかここも笑い話、苦労話ではなく「胸くその悪いエピソード」として描かれる。

とにかくこの映画に出てくるハリウッドは胸くその悪い世界だ。作者は映画界を描きたいのではなく、ハリウッドを題材として「人間社会の虚構と欺瞞」を描きたいのでは?と途中まで思っていた。

ところがネリーは結局ドラッグに溺れギャンブルで負けて途方もない借金を作る。それを返しにマニーが行くのだが仲間が用意してくれた金は実は映画の小道具。それをギャングのボスのところに返しに行くが、ここがまたまた秘密パーティ。なんかこうパーティばっかりでこの映画、半分はパーティシーンではないかと思う。日本の感覚だとこんなの嘘だろ?と思ってしまうけど、フジテレビの映画プロデューサーだった方の本を先日読んだが、氏が多少関わった80年代90年代のハリウッドでも日本では考えられないような豪華なパーティがあった、という話だから、案外あり得たかも知れない。

そうやって散々「この時代のハリウッドはクソ」と言っておきながら、最後には映画界を去ったマニーがたまたま入った映画館で観た「雨に唄えば」を観て涙する、っていう「映画っていいですねえ」的手のひら返しはどうなの?という印象。
なんか後味悪い映画だった。

ところで映画が始まる前に「権利の関係で一部シーンに日本語字幕がつきません。異常ではありませんのでご了承ください」と出る。実際に「雨に唄えば」関連のシーンには字幕がない。はて権利の関係で字幕が出せないってどういうことなのだろう?






ウルトラマンデッカー最終章 旅立ちの彼方へ・・・


日時 2023年2月24日19:55〜
場所 新宿ピカデリー・シアター8
監督 武居正能


スフィアの包囲の戦いが終わって平和になった地球。GUTS-SELECTのメンバーも新たな場所で活躍を始めようとしていた。そんな時、ある町の住民が集団で倒れるという事件発生。カナタ(松本大輝)たちは現場に向かう。そこで遭遇したのは宇宙人軍団だった。そこへ助けに現れたのがディナスという女性。彼女はウルトラマンに変身し、危機を救った。
話を聞くと彼女の星でも宇宙の支配を試みるプロフェッサー・ギベルスによる侵略にあい、それを救ってくれたのがウルトラマンだったというのだ。彼女もウルトラマンになる力を得て、他の星の為に戦っているのだという。
ギベルスによる地球侵略が始まった。GUTS本部も占拠され連絡が取れない。まずは本部を奪還しなくては。カナタ、イチカ、リュウモン、そしてディナスの4人で本部に向かう。


1月に終了した「ウルトラマンデッカー」の劇場版。
「デッカー」自体は見ていたけど、最近のウルトラマンは話がひねりすぎでスフィアがどうとか、未来の地球人に自分の星を滅ぼされるきっかけを作らされて恨みを持っているアダムスとか登場して好きになれない。
話もだんだんわかりにくくなってくるしね。これは難解な話、という訳でもないのについていけなくなるという不思議な現象。

しかし今回はレギュラーだったAIロボット・ハネジローが冒頭の10分ぐらいで「デッカー」のストーリーをダイジェストしてくれる。
これありがたい。世界観をちゃんと確認出来た。よくわからないなりに理解していた通りだった。

理由は忘れたが(テレビシリーズの最後でそうなったらしい)、今回はもうカナタはウルトラマンに変身できなくなっているのでGUTS-SELECTの武器で戦うしかない。人間対宇宙人、という私の好きな構図だし、話も複雑化していないので単純に楽しめた。

そして最後の最後になってカナタはやっぱりデッカーに変身してラスボスのギベルスと戦って勝利する。
この最後の最後にデッカー登場というのがいいです。溜めて溜めてから出てくるからいいんです。

今回女性の異星人が登場し、ウルトラマンに変身する。そうだよな。ウルトラマンも地球にだけきて地球だけを救ってくれてるはずもあるまい。
宇宙のどこかに地球同様にウルトラマンによって助けられている星があっても全然おかしくない。

あと異星人でウルトラマンに変身するのが女性というのも注目。過去にこういうのあったんだろうか?こうなってくるとウルトラマンに変身するのが今までは全部男だったが、これからは女性が主人公でウルトラマンになるのかも知れない。戦隊物も昔は5人中女性は1人だったが、今はジェンダー平等で男3人女2人だものね。
いろいろと考えさせられる。

あと今回、思ったけど怪獣対ウルトラマンのセットが今までみたテレビシリーズと似たような(というより同じ)アングルが多かったような気がした。アーカイブを使っているのか、それともセット自体を再利用しているのか。なかなか予算も厳しそうですね。





パラサイト・イヴ


日時 2023年2月23日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 落合正幸
製作 平成9年(1997年)


生物学者の永島(三上博史)は人間の細胞中のミトコンドリアについて研究していた。結婚1周年の日、愛する妻、聖美(葉月里緒菜)が交通事故で脳死となった。
麻里子という少女は腎臓の病気で週3回透析をしなければ生きられない。彼女を担当する医師吉住(別所哲也)の元に臓器提供者、聖美のことが連絡が入る。吉住は適応性が高いと判断、永島に臓器提供をお願いした。
永島は腎臓を与える代わりに肝臓を摘出してくれるように頼む。不信に思った吉住だったが、腎臓の提供を望んだ吉住は承諾。
永島は聖美の肝臓を使って細胞を増殖。聖美をなんとか生きながらせようとしていた。
麻里子の手術は無事終了した。しかし彼女の体に異変が起きる。
また永島が培養した肝臓の細胞も異常な増殖を始めた。その細胞におそわれた永島の研究者仲間の浅倉(中島朋子)が学会で何かにとりつかれたかのような発言を始めた。人間に寄生していたミトコンドリアが人類から抜け出して新たな生物を生み出そうというのだ。


公開当時、割とヒットしていたイメージがある映画。ホラーはあまり好きじゃないし、映画から遠ざかっていた時期だったので観なかった。同じ監督の落合正幸の「催眠」を観て、そのつながりで観ておく必要を感じたので鑑賞。
中田秀夫の「女優霊」が96年で「リング」が98年だからちょうどJホラーブームの始まりの頃である。

うーん、自宅でDVDで観てるせいかも知れないけど、展開が遅いなあ。
120分あるけど90分以内にまとめてほしいよ。

人間の細胞にミトコンドリアがいて云々、と冒頭で説明されるのだがよく解らない。そもそも素人に簡単に分かる話じゃないんだろうけど。
浅倉が最初の方で子供たちに「かたつむりには殻を堅くする微生物がいるけどそれが成長するとカタツムリの触覚に行き鳥に食べられやすくする」という話がつながってくるわけだ。
今まで寄生していた何かが人間を襲い出すという。
原作者の瀬名秀明氏はここに恐怖を感じたのか、「日本沈没」のように科学的裏付けでストーリーを展開していく。

ホラー的要素もあるけど、永島の聖美に対する異常な愛情が描かれており、「ガス人間第1号」的なマッドな愛を感じた。
最後はミトコンドリアに支配された聖美を抱きながら二人とも炎に焼かれて死んでいく、というラスト。

稲垣吾郎が吉住の助手役で出演してるが、本筋には特に絡んでこず、完全にゲスト出演者の扱い。落合監督の次回作「催眠」で主演になるわけですが。





顔役


日時 2023年2月18日18:00〜
場所 アテネフランセ
監督 勝新太郎
製作 昭和46年(1971年)


大阪の刑事立花(勝新太郎)は上司のいうことなど聞かない型破りな刑事。今日も床屋で殺人事件があったが、やくざ同士の抗争のようだ。老舗の大組織大淀組と対立する入江組の抗争だ。床屋で殺されたのは大淀組。どうやら地元の信用金庫から入江組が不正融資を受けており、そのじゃまをした大淀組が逆に報復をうけたということだ。
信用金庫は逆恨みは信用失墜を恐れて警察に被害届を出さない。被害届がなければ警察は動けない。支店長(藤岡琢也)に被害届を出すように言った立花だったが、支店長は動きそうにない。そうしているうちに支店長が休日に家族でドライブしているときに交通事故が起き死んだ。大淀組がやったのだ。
大淀組の幹部杉浦(山崎努)を逮捕したが抗争は激化。組長(山形勲)まで町中で銃撃される事態に。だが警察にも圧力がかかり、納得のいかない立花は刑事をやめると言い出す。
大組織の幹部星野(若山富三郎)が二つの組の手打ちを申し出る。
手打ちは無事終わったかに見えたが、入江組は油断した隙につぶされた。
立花はそんな大淀組が許せない。


シナリオ作家協会主催の「脚本で見る映画史」シリーズ。映画を上映し、その作品の作家の方やゆかりの脚本家をお呼びしてのトークイベント付き。主催が作協だけあって業界関係者も多く、ラピュタやヴェーラとはちょっと雰囲気が違う。
今回のゲストは後に勝新太郎とは「警視K」で一緒に仕事をする柏原寛司氏。この「顔役」は勝の第1回監督作品。
(ちなみにネットで検索したりポスターとか見ると「ダイニチ映配」表記なのだが、今日上映された35mmプリントは東宝マークだった。東宝で再公開されたのだろうか?

勝新が主役なのだが、意外にも勝新のカットは少ない。柏原さんの話だと「勝さんは自分をかっこよく撮ろうというより共演の俳優を撮ろうとする」というお話。しかし共演の俳優もよく撮ろうとしてるようには思えないが。

冒頭の賭場のシーン、勝さんの本物指向で、「ホンモノ」の人たちなんだそうだ。今ならコンプラ的に無理である。
タイトルが出た後、人間の体の一部のドアップで始まる。なにをしてるのかと思ったが、水虫の薬を立花が塗っていてその足の指のアップなのだ。
そしてその指越しに刑事課長の大滝秀治を撮るというシュールなカット。

柏原さんの話では勝さんは打ち合わせをしていてもストーリーより画から入るタイプで「こういうカットを撮りたい」という話をばかりをしていて、聞いていてもなんだかよくわからない。それを録音していた勝プロのスタッフが文字起こしをしてくれたものを読んで初めてわかるという。

いわゆる説明的な台詞、カット、シーンは排除する。また自分を撮ることに興味がないせいか、立花の視点のカットで相手を撮り、自分はオフで話していく。
藤岡琢也の支店長が事故に遭うシーンなど、一種見せ場なはずだが、そういう石原プロ作品的な車のクラッシュシーンは撮らない。
正直、初めて見た人は戸惑ったのではないか?
そのシュールさが変わっていていい、と好きな人もいるらしいけど。
若山富三郎のやくざ社会の顔役が登場した時には、相手と話しているのだが、相手役を後ろ姿からとらえ若山の顔は完全に相手役の顔とかぶっていて声しか聞こえない。声だけ聞くと若山と勝は兄弟だけあって似ているので一瞬若山とはわからなかった。

ラスト、怒りに燃えた立花は大淀組の組長を連れだし、埋め立て地の穴に車を落とす。組長を車から出られないようにして、上からスコップで土をかけ埋めてしまう。
柏原さんもおっしゃっていたが「破壊!」(エリオット・グールド)にも通じる70年代らしい刑事映画だと思う。

本日は追加ゲストでクールスのメンバーで「警視K」で共演した方(お名前失念)も登場。
勝さんの破天荒な話で終始盛り上がった。








茶飲友達


日時 2023年2月18日12:40〜
場所 ユーロスペース1
監督 外山文治


孤独な老人、時岡(渡辺哲)は毎日を孤独に送っていたが、ある日新聞の三行広告に「茶飲み友達募集」の文字を見かける。電話をしてみたがそこは同年代の女性を紹介し、お茶だけでもいいし「玉露コース」を選ぶとお茶を買ってもらってさらに自由恋愛という名目で体の関係を持つことができた。
かつて風俗で働いていた佐々木マナ(岡本玲)が代表をつとめていて、行き場のない高齢女性たちがマナやスタッフと暮らしていた。ある日、マナたちはスーパーで半額になったおにぎりを万引きしようとした女性を助けた。マツコというその女性、自殺も考える状態だったが、マナたちは自分たちの仕事を手伝うことを提案する。最初は男のパンツを脱がせることにさえ抵抗があったがやがてはお店のナンバー3の活躍をするようになる。
マナは母親と折り合いが悪く、もう長くはなかったが母親は風俗で働くような子は私の子ではないと言い放っていた。
高齢者施設にも常連客ができ、仕事は順調だった。しかしマツコの客がマツコがシャワー中に自殺してしまい、ホテルに警察も来る事態になり、マナたちは摘発されてしまう。


高齢者向けの売春組織というショッキングなテーマ。
冒頭から渡辺哲の老人が女性とセックスするシーンがあり、生々しさはこの上ない。
老人といえども若い女性の方がいいのでは?とも昔なら思ったが、若い娘より同世代のシルバーな女性の方が気安さがあって落ち着くという肝わかってきた。若い娘だと罪悪感だって出てきてしまうものなのだ。

そういう「老人の性」「孤独な老人」ばかりが登場する。幸せな家族に囲まれながら、「エッチな遊び」を楽しむ老人(たぶんそういう人もいるだろうけど)は出てこない。

金はあっても老人施設に入れられて全く会いにこない息子を持つ老人とか、冒頭の時岡のような一人暮らしの老人とか。このあたりはとにかく10年後の自分を観るようで正視出来なかった。

マツコが客の老人が自殺するのを止められなかったのはその気持ちがよく解ったからだろう。「生きていたって・・・」と思えば自殺も止められまい。

マナは逮捕後、取り調べで女性の取り調べ官に「ルールはルールだから」と言われる。いやそれはそうなんだけど割り切れなさが残る。

映画はつきあっていた相手との間で妊娠したが相手が既婚者だったためにシングルマザーでやっていこうというスタッフも登場する。
このあたりは「老人だけじゃなく若者だって生きづらい」ということを描きたくての登場だったかも知れないが、ちょっと全体的に長くなった気がする。2時間超えの映画になっているからもう少し話の間口を絞った方がよかった気もする。

しかし老人のセックスとか生々しい。未来の俺だよ。




シャイロックの子供たち


日時 2023年2月17日18:50〜
場所 新宿ピカデリー・シアター1
監督 本木克英


東京第一銀行長原支店。ここは下町で中小企業も多く融資先もそんな中有小企業が多い。
お客様一課の滝野(佐藤隆太)は最近赤坂支店から異動してきた。ある日赤坂支店時代の顧客で不動産業の石本浩一(橋爪功)から呼び出しを受ける。住宅販売の計画があるが、協力してくれる会社の社長が飛んで会社を任されたのでこの会社に10億融資してほしいと依頼される。
石本の話は怪しくて滝野は断りたかったが、彼は石本に弱みを握られていた。業績をあげたい一心の上司たちはこの話に飛びついた。支店長九条(柳葉敏郎)から本店も説得してもらい、融資は降りた。
しかし利払いが遅れ、石本は「ちょっと間、利息の100万円を立て替えておいてくれ」と言われる滝野。仕方なく滝野は田端(玉森裕太)が顧客に届ける予定だった900万円の現金のうち100万円を盗んでしまう。
100万円の紛失で支店内は大騒ぎ。その100万円の帯封が北川(上戸彩)のバッグから見つかったことから北川が疑われた。北川は否定、上司の西木(阿部サダヲ)は警察に届けることを提案した。しかしことを公にしたくない支店長は課長たちで100万円を分担して自腹を切った。
石本の会社に送った郵便物が宛先不明で返送されてきた。西木、田端、北川はその住所に行ってみるとそこは会社ではなくおんぼろアパート。
何かがおかしい。


数ヶ月前から新宿ピカデリーなどで予告を見かけた本作品。今旬の作家池井戸潤原作。
大人のエンタメとして楽しみにしていたので、初日夜に駆けつける。

大銀行が舞台だが、本店と100億円単位の取引をする会社の話ではなく、下町の支店と中小企業が舞台。
支店長や副支店長は課長たちに売り上げ達成で激を飛ばしている。

そんな中での滝野は石本に押し切られる。利息を立て替えてくれ、と言われて金に困った滝野は「つい」銀行の金に手を付けてしまう。
帯封の後始末もお粗末だが、銀行員なら現金100万円がなくなったら大騒ぎになることがわからなかったのか?まあせっぱ詰まっていた、と言えばそれまでだがちょっと疑問。
実際ゴミ箱まで探され振り込みの控えまで出てきてしまうし。

そもそも融資の段階で10億なのだから分譲予定地を誰も見に行かないのか?などなど素人の私が見ても疑問を感じるが、まあそれは言わないでおこう。

そして特にエリート行員でもないらしい西木が気づきはじめ、100万円紛失事件で濡れ衣を着せられた二人とともになにが起こっているかを暴いていく。
犯罪の始まりからそれが暴かれていく過程を見せられ、サスペンスでいっぱいだ。

また西木も「兄の工場の借金の連帯保証人になっている」というのが(私には)現実とリンクし堪えられない。
西木が相談に乗っていた不動産物件で九条や石本にも一泡吹かせ溜飲を下げる。

柄本明のビルオーナーから無価値同様のビルを15億円で売ることができた謝礼として3億円受け取る。このあたりの一筋縄ではいかない世の中というものがあってよかった。

「あきらとアキラ」は超頭のいいエリート銀行員で大企業が舞台なのでいまいち親近感がわかなかったが今回は都市銀行とはいえ、下町の小さな支店が舞台で銀行ものにしては親近感が沸いた。

ラスト、西木があのあとどうなったのか、映画ではちらりと姿を見せるだけだが、気になった。
原作も読んでみたい気もする。









野獣狩り


日時 2023年2月12日
場所 amazon prime 有料
監督 須川栄三
製作 昭和48年(1973年)


ストーリー省略。
この映画は2003年に(もう20年前か!)浅草東宝のオールナイトで観ている。(「弾痕」「血とダイヤモンド」と同時に観ている。「弾痕」の前に何かが上映されているはずなのだが、感想文がない。観なかったのか?それとも2回目の鑑賞で感想を省略したのか?)

前回観たときは「反体制の革命組織に何か期待していたが結局は金で裏切られた。という作者の裏切られた感に満ちている」というような感想を持ったが、それは変わらなかった。これが案外時代の空気であったのかも知れない。

今回再鑑賞したのは、大河原孝夫監督の「誘拐」を事情があってDVDで再見したのだが、その特典映像で撮影の木村大作氏が自身の初カメラマン作品で、同じように銀座でロケした本作にちらっと触れていたからだ。
DVDを買おうかと思ったが、amazon primeで400円のレンタルで観られたのでそれで観た。

映画全体の感想は変わらなかったが、銀座のゲリラ撮影とかは尖ってますねえ。日曜日の歩行者天国の中を身代金の鞄を持って藤岡弘が走って伴淳三郎の刑事たちが追うんだが、ゲリラ撮影。ただし「誘拐」の時のようなエキストラはいなくて、歩行者天国の中を役者が走るだけだから、それほどでもない。

この映画、スタンダードサイズなのだが、16mmカメラとの併用のためにそうなったんだろうか?
後半、ビルの警備員が犯人の一味とわかり、日比谷の今のTOHOシネマズ日比谷のビルのあたりから日比谷通りに入って犯人が乗ったタクシーを藤岡弘が追いかけるのを1カットで撮ったのはなかなか。
犯人が乗ったタクシーの外観は写っていないから、カメラはおそらくタクシーになる乗用車の助手席から犯人をとらえ、犯人が逃げるのを前から撮り、日比谷通りに出てからタクシーを呼び止めてカメラが乗った車が止まる、それに犯人が乗り込む。そして後ろから藤岡弘が追いかける。タクシーが信号で止まってしまい、追いつかれそうになったので反対の扉から降りる、そうするとカメラも追って車を降りるでワンカット。
運転手がいるにも関わらず運転手側から降りたので「?」となったが、そうか、止まってるんだから運転手が先に降りたのかな。

ここもそうだけど、ラストでビルの屋上に追いつめられた主犯を追い詰める藤岡弘。ビルの屋上の壁を伝っていくのだよ。たぶんスタントではないと思う。しかもそれをカメラは俯瞰でとらえる。するとだな、よく見るとカメラマンの影がはっきり写ってしまってるのだ。

すごいなあ、とにかくがんばってるよ。久々に観てよかった。






エゴイスト


日時 2023年2月12日10:50〜
場所 テアトル新宿
監督 松永大司


ファッション雑誌の編集の仕事をしている浩輔(鈴木亮平)はゲイ仲間との会話でパーソナルトレーナーの指導で体作りをする事にした。ゲイ仲間に紹介されたトレーナーは龍太(宮沢氷魚)。龍太の指導でトレーニングや食事に気を使う浩輔。やがて二人は惹かれあった。龍太は母子家庭で複数の仕事をしながらパーソナルトレーナーの仕事もしていて頑張っていた。そんな頑張ってる龍太を応援したと思うようになる。順調に行くように見えたが、龍太が突然別れを切り出す。「俺、売りもやってて、なんか浩輔さんに申し訳ない」。
電話をしても出てくれない龍太に会うために、ネットで売り専のサイトを検索し、彼を指名してみる。ホテルで待っていると龍太がやってきた。驚く龍太。浩輔は売り専をやらなければ暮らせないなら自分が毎月10万円渡すから、と龍太を説得。二人は再びつきあい出す。
龍太の希望で浩輔は龍太の母(阿川佐和子)に会うことになった。母は優しく迎えてくれた。体が悪かった母は病院通いの必用が出てきた。浩輔はそのために中古車を購入。名義は龍太のものとした。ドライブに行く約束をした日、龍太が来ないので電話をしてみた。電話には母が出た。龍太は突然死したという。


鈴木亮平と宮沢氷魚がゲイカップルで登場するという以外内容を知らないで観た。しかもタイトルが「エゴイスト」。どっちかがすっごいわがままで、でも別れられないという内容かと思っていたら全く違っていた。
基本、浩輔はいい人なのである。彼は中学生の時に母親を亡くしている。
だから母親の世話をする龍太を「うらやましいな」という。

ゲイの話というより私は浩輔の話だと思う。すべてのゲイが浩輔と同じことをするとは思わないし、異性愛だって同じことが起きると思う。
男女カップルでも結婚して配偶者が亡くなった場合、義理の母親とどう付き合うかという問題だ。これは「東京物語」でも出てくる。
そう考えるとそれほど特異な話ではなかろう。

それより最初に売り専をしていることを隠していた龍太なので、母親を支えているという話が嘘ではないかと思いながら観ていたので、本当だったので逆に驚いた。
タイトルの「エゴイスト」は(よく言えば「無償の愛」なのだが悪くいえば)「自己満足の愛」ということなのだろう。

でもこのカップル、前半でセックスするのだが、初めは龍太がタチなので「へ〜逆かと思っていた」と思ったら、時が過ぎて今度はシャワールームで「いい?」と浩輔が聞いて浩輔がタチをする。そういうカップルなのですね。
また龍太が売り専をしている姿が数シーンのスケッチ的映像が出てくるが、実際にいそうな感じでリアルな感じがした。

という好意的なことを書いたけど、演出、撮影が全く気に入らなくて二度と観たくない。前編手持ちカメラで常にカメラがゆれているのだ。
先週の「スクロール」もそうだったが、私はこの手の映像が全くだめで「船酔い」ならぬ「カメラ酔い」をして気持ち悪くなるのだ。

たとえばゲイ仲間と喫茶店に行きケーキを食べていると「このケーキは・・」とうんちくをのべ始めると、ケーキにパンするとか、龍太のアパートに行ったとき「鞄こちらにどうぞ」といわれて鞄をおいたときにその鞄にパンするとか、とにかく必要以上にカメラが動くのだ。もう気分が悪くなる。

二人の動きをカメラが追う、という記録映像、ドキュメンタリー風に撮りたかったんだろうけど、私にしてみれば完全に観づらいだけ。
だいたい映画なんだから細かいせりふはアドリブかも知れないけど、基本せりふがあって話しているのだ。ドキュメンタリーとは違う。
こういう映像を撮る監督の映画はもう観たくないな、と思ってしまった次第。





突撃!隣のUFO


日時 2023年2月5日10:30〜
場所 池袋シネマロサ・スクリーン2(地下)
監督 河崎 実


各地で発生するUFO目撃事件、それを調査するために「URL」という組織が設立されていた。UFOの目撃情報があればどこへでも行って間違いかどうか確かめるのが任務だ。
今日も調査員の滝史郎(ヨネスケ)と岡本洋(濱田龍臣)は駆けつけた。
岡本にとって今回が初めてのUFOとの遭遇。ビビっていると滝は車のトランクから巨大なしゃもじ型の装置を取り出した。アダムスキー型円盤の中に入る二人。その中では「グレイ」型宇宙人がまさに食事をしていた!
滝は1年前に妻と子供が宇宙人に誘拐され、それを追うためにURLにはいったのだ。
その他にも「やべー奴(ハリウッドザコシショウ)」との遭遇、少年消失事件、小型UFO捕獲などなど数々の事態に向かう滝と岡本!
果たして滝は妻と子供を取り戻せるのか!


河崎実監督作品。絶対というわけではないけど、特撮ファンだし、ここ数年の大体の河崎映画は観ている。
でも今回は期待したのだ。なんといってもお気に入りの若手の一人、濱田龍臣が主演なのだ。
金曜日公開だが、昨日は京都で舞台挨拶があったようだが、東京の舞台挨拶は3日目の今日。舞台挨拶回を観に行ったよ。

河崎作品は合うときと合わないときがあるのだが、今回は大当たりだったなあ。でも映画そのものの面白さというより濱田龍臣の魅力かな。
考えてみれば「ウルトラマン・ジード」以来、濱田さんの主演作品はないのだ。(地方局のドラマとかはでたらしいが)
それでけでもう満足である。

「怪奇大作戦」のSRIをヒントにした組織URL!制服のジャンパーもSRIジャケットのデザインを模しているし、何よりヨネスケの役名が「滝史郎」だ。濱田龍臣は「岡本洋」でSRIでは「野村洋」だった。
女性隊員も「さゆり」だし、所長も名前も「忠」だ。

途中さゆりと岡本の会話がせりふ一つ一つで切り返しがあって「なんかカット割りが細かすぎるな」と思っていたら舞台挨拶で監督が明かしてくれたがさゆり役のAKBの方がクランクインの翌日にコロナに感染し、ロケ地の蒲郡で隔離状態になってしまい、撮影スケジュールが大幅に狂ったらしい。

だから滝、岡本、さゆり、所長の4人でミーティングのシーンも肩越しのカットはスタッフが演じていて、さゆりのカットは別日に撮ったそうだ。だから森次さんには会ってないそうで。従って前述のさゆりと岡本の会話がやたらとカットが割ってあるのもそういう事情だっただろう。

とにかく濱田龍臣のさわやかな笑顔が満載の映画で、それだけでDVDが買いたくなった。楽しかった。






スクロール


日時 2023年2月4日13:40〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン6
監督 清水康彦


<僕>(北村匠海)は会社で上司のコダマ(忍成修吾)に毎日のように怒鳴られている。屋上でたばこを吸っているときに<私>(古川琴音)と出会う。<私>は会社でコダマと対立して辞めていった。
<僕>の大学時代の友人のユウスケ(中川大志)はテレビの番組制作会社に勤めていた。そこへ大学時代の友人の森(三河悠牙)が自殺したと連絡が入る。しかしユウスケは森のことを覚えていない。スマホの写真をスクロールすると写真があったが、その写真を撮ったときのことは覚えていない。<僕>に聞いてみたところ「お前の方が親しかったんじゃない?」と言われてしまう。ユウスケは番組になるかと森の取材を始める。
ユウスケはバーで偶然知り合った菜穂(松岡茉優)とつきあい始める。菜穂は結婚を夢見ていたが、ユウスケはその気はなく、その場限りのノリで会話するような男だ。親に紹介したいと言われ重くなるユウスケ。
コダマは、<僕>にパワハラを繰り返し、ついに逆に会社をクビになった。近所で連続放火事件が起きる。犯人はコダマだった。


北村匠海主演ということで無条件で前売りを買い、昨日公開で今日観てきた。
正直言ってがっかりである。

せりふはわかるし、シーン毎では何が起こってるかがわかる。しかし映画全体として何をやりたいのかよくわからないのだ。
いや「世間はつらいことやうまくいかないことばかりだけど、生きていこう」ってことがテーマらしいことは解る。
でもなんか伝わってこないんだよなあ。

自殺した森がパワハラで自殺したらしいのだが、その家族間の問題もあったらしいし、学生時代に友人がいなくて孤独だったらしい。自殺の理由も一つではないのだろう。
そして北村匠海のナレーションの<僕>のナレーションが入るのだが、「社会に絶望している。生きてる意味がない。死にたい」とかいう。
勘弁してくれよ。

兎に角若い人は大変だ。まだまだ何十年も生きていかねばならない。これからのことを考えると絶望しかないかも知れない。もう人生の大半は生きてきてどうゴールするかということを考える自分にはもちろん彼らの悩みは解るけど、どこか共有は出来なくなったのか。

またカメラ自体もハンディで撮っているのか終始揺れている。私はこの揺れてる画面が大の苦手なのだ。20年ぐらい前から船酔いならぬ「画面酔い」をして気分が悪くなるのだな。
映画が終わって2時間経ってもまだすっきりしない。
照明も暗くて観にくいし。

とにかく勘弁してほしい映画だったな。K'sinemaで上映されるような自主映画ならともかく、北村匠海が主演でTOHOで上映されるような映画にはふさわしくない映画だった(あくまで私にとっては)