2023年4月

   
太陽の怪物 ヒトラーのための虐殺会議
ヴィレッジ せかいのおきく SF第7惑星の謎 銀平町シネマブルース(8回目)
ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい 宇宙怪人ワンマグイ pour ロストケア
トリとロキタ 零落 劇場版 美しい彼〜eternal〜 生きる LIVING
ノートルダム 炎の大聖堂 ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー 左様なら ベイビーわるきゅーれ

太陽の怪物


日時 2023年4月30日
場所 DVD
監督 ロバート・クラーク
製作 1959年(日本公開1962年)


原子力研究所で事故が起こり、ギルバート博士が被曝した。病院に運ばれ検査が行われたが、一見問題はなさそうだ。しかし日光浴をしたところ、彼の体はトカゲ状の鱗が出てしまった。しばらくすれば元に戻る。日光を浴びなければ人間として暮らせる。
彼は山の上の家に一人でこもってしまう。上司の娘で同僚のアンは心配でならない。
ギルバートは夜にドライブに出かけ、給油したときに近くにあったバーで歌うトゥルーディに興味を持つ。
ある晩、再びその店に飲みに行く。閉店後もトゥルーディと飲むギルバート。しかしトゥルーディの男がやってきて、二人は逃げ出す。海岸で寝てしまうと朝になり、ギルバートの体は変異した。その場にトゥルーディを残し車で帰るギルバート。
放射能中毒の専門家が診察し、ギルバートの体は元に戻る可能性があるとする。しばらくは一切外に出ないようにいわれたギルバートだが、自分が押さえきれなくなり、また例のバーに出かけてしまう。トゥルーディやその男に殴られてしまう。しかしやり過ぎと思ったトゥルーディが自宅につれて帰り休ませる。
翌日の朝、例の男がやってきて「お前なにしてやがる!」と銃で襲いかかってきた。太陽に当たったギルバートは変異。男を殺してしまう。
ギルバートは警察に追われる羽目になり、アンに別れを告げて逃亡を続けるのだが。


購入したのは2010年3月である。買ってから10年以上そのままになっていたのだが、消化もしないといけないので鑑賞。
先週もB級SFを観たときに思ったけど「面白そう」と「面白い」は別である。

映画を見る前は放射能事故があって一見無事に済んだのだが、しばらくしてから奇妙な事件が起こる、その犯人は!みたいな感じでモンスターは少しずつ正体を表すのかと思ったらさにあらず。

映画が始まってから10分程度で主人公が日光を浴びると変異すると明かされる。で、不思議なことにしばらくすると元に戻るのだ。
このあたりは「蠅男の恐怖」なんかはうまくやってたなあ。

第一事故の原因がギルバート博士が二日酔いで放射性物質を落としたため、というのが何とも締まらない。バカじゃないかと思う。
その後もこの博士はバーに行って酒場の歌手(これが胸の空いた衣装で放漫なおっぱいを見せてくる。脱ぎはしなかったけど)と酒飲んで、ギャングの男が「俺の女に何すんだ!」と起こってきても殴り合いでお金も払わずバーを出て飲酒運転。

主人公がぜんぜん好きになれないのである。
そして最後はギャングを殺したことで(変異すると凶暴になるらしい)、警官に追われ、高い上の方に登って(いや上に登ったら逃げ場所ないじゃん)最後は追いつめられて、落下。

ギルバート博士って優秀な技術者だったかも知れないけど、人間的にだめだよなあ。
この映画、製作、監督、原案、主演がロバート・クラーク。
モンスターの造形はいいんだけど、話がだめだめで、がっかりな映画でした。

ちなみに日本公開の時の配給会社は大蔵映画。さもありなん。





ヒトラーのための虐殺会議


日時 2023年4月29日20:30〜
場所 Stranger(菊川)
監督 マッティ・ゲショネック


1942年1月20日。ベルリン郊外のヴァンゼー湖畔の大邸宅において、国家保安部長官のラインハルト・ハイドリヒはナチス親衛隊や内務省、外務省、法務省などの高官を招き、ある会議が行われた。いわゆる「ヴァンゼー会議」である。
今日の議題は今ドイツを悩ませている「ユダヤ人問題」。この最終的解決の方策を話し合うためだった。
高官15名と速記者1名による会議が始まった。


今年の1月に新宿武蔵野館で公開されたが、時間が合わなかったりして見逃していた
映画。先週、下高井戸シネマでも上映があったのだが、「銀平町シネマブルース」で川越スカラ座に行ったので見逃した。最近出来た映画館の菊川のStragerにGWに行ってみようかと思って調べてみたら上映があった。

この映画、音楽はなかったと思う。ひたすら会議で字幕を読むのに疲れるぐらいだ。20時半から22時半までの上映で、後半眠気が襲う。
それでも観る。観なければならない。

だれも何の異論もない会議かと思っていたらそうでもない。
自分たちの権限の縄張り争いが起き、「うちにとっては現在でも大負担です」「それはお宅だけでなくうちも同じだ」と議論が起きる。
そして議題に対して異論は出る。

「最終的解決」の対象となるユダヤ人の範囲は?
ユダヤ人とドイツ人が結婚した子供(2世)は?2世がドイツ人と結婚して出来た3世は?
「2世が結婚している場合は対象外とする」という意見に対して、「その2世に兄弟がいて未婚だった場合、家族の一部が対象になるというのはおかしくないですか?」と内務省の役人が反論する。

いまでも日本政府が何らかの給付政策を行うとすると「その範囲」というのが議論の対象になる。線引きは役人にとって重要なことなのだ。
「2世3世は断種(不妊治療のことなのだろう)をすれば時間がたてばいなくなるからそれでいいんじゃないですか」と内務省の役人は提案。

結局埒があかず、議長のハイドリヒは「ちょっとこっちで話しましょう」と別室に連れて行き、「まあまあ」と懐柔する。
また時々休憩もあって、ロビーで意見を出し合う。
日本の会議は「重要なことは会議ではなく、喫煙室で決まる」と揶揄されるが、ドイツだって同じじゃないか。
古今東西、会議というものはきっとそうなのだ。

この問題が一段落したら法務省の役人が「どうも気になることがあって。最終的解決の方法について根本的に気になることがあって・・・」と切り出す。

「過去に約1万人を処分するのに10時間かかったという報告があります」「1時間に1000人」「正確には・・・」という感じで新たな議論が始まる。つまり全ヨーロッパのユダヤ人1100万人を処分するには24時間稼働で440日以上。これは実際に行う兵士にとっては過酷な精神的ストレスになりませんか?精神を壊すことになりかねません。ドイツ兵にとって過剰な負担です」「銃弾も1100万発必要だ」

結局はアウシュビッツに処分場を作り、列車で送り込んでそのままガス室に送るから宿泊施設もいらないということで「それなら心配いりませんな」と皆納得する。

みんな真面目でそれそれの職務に対し、誠実で、忠実に行うとしている。
彼らは彼らなりの正義に乗っ取って議論を進める。
しかし「ユダヤ人の問題の最終的解決」、つまり虐殺することの是非はまったく疑問を感じない。

それが時代の空気だった。その時代では当たり前として気にならないことが後生においてはとんでもない事態のことだってあるのだ。
今の時代で「当たり前」「普通」と思っていることが実は「異様」だと後に判断されることはないだろうか?

この映画は単に過去の過ちを糾弾するだけではない。
現在の我々も間違いを犯していないか考えさせられる映画なのだ。









ヴィレッジ


日時 2023年4月29日12:10〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン12
監督 藤井道人


霞門村(かもん)。この村では10年前にゴミ処分場を受け入れ、今は重要な施設になっている。この施設で働く片山優(横浜流星)はゴミの分別の作業をしている。夜は実はこの場所で不法投棄も受け入れていて、その作業も地元のやくざの丸岡(杉本哲太)に言われて手伝っている。優の母親(西田尚美)はギャンブル依存で丸岡に借金があり、抜けるに抜け出せなかった。
そんな時、東京に出て行った幼なじみの美咲(黒木華)が帰ってきた。村長の大橋(古田新太)に気に入られ、処分場でも働くようになった。
美咲の提案で、処分場のイメージアップのために小学生の見学をして、その案内人を優がすることになった。優の父親は実は殺人を犯しており、そのことをとやかく言うものもあったが、周りに押され、優は引き受ける。
見学会は好調、そしてテレビの取材も入り、優の人生は好転するかに思えた。
しかし天敵ともいえる大橋の息子で透(一ノ瀬ワタル)が美咲を襲う。その現場に優は駆けつけたが。


横浜流星主演で「新聞記者」などの話題作のスターサンズ製作、という以外前情報を入れずに観た。
予告を観た感じでは横浜流星の主人公が借金漬けになってタコ部屋に送られ話かと思ったらそうではない。主人公はこの村の青年。

ところが負の連鎖が襲いかかってくる。処分場ではゴミにまみれて(おそらく)低賃金、しかもいじめが横行、いじめの張本人は村長の息子なので逆らえない。母やギャンブル依存でやくざからの高金利。(ちらっと写った借用証では300万円借りていて月5万円の利息。つまり年利20%か)。しかも殺人犯の息子とか言われている。
どうしようもない日々。

そこへ幼なじみの美咲が帰ってきた。案内役を任せてくれた。やっと運が向いてきた!と思ったら村長のヤンキーが美咲を襲った。
という感じで下がったり上がったり、また下がったりほっとしたと思ったらまた下がる。追いつめられる。

日本の田舎の迷惑施設を受け入れるしかない産業のなさ、それに巣喰うやくざ、はぐれ者、権力者。
この村には能の伝統があって、という設定がちょっと妙な感じがしたが、「日本の伝統」のメタファーか。

とにかく横浜流星がすばらしい。前半の髭面で猫背での希望のなさ、案内人になってからのさわやかな笑顔。そしてまた追いつめられた時の狂気。
私が映画賞の審査員なら今年の主演男優賞は横浜流星で決まりである。

本作ではゴミ処理施設だけど、原発でも同じだろう。
抜け出せない、どん詰まりの田舎。そして「東京も同じ」と言われる日本。
すべてのツケが噴出している日本の現実を圧縮したような映画。
先月観た「TACKER」と同じく、希望がない日本の姿である。

美咲の弟役で、無邪気に不法投棄を告発してしまう高校生にHihiJetsの作間龍斗。
後味は悪い。観ていてカタルシスもない、でも圧倒的な迫力の映画。








せかいのおきく


日時 2023年4月28日19:00〜
場所 テアトル新宿
監督 阪本順治


安政5年(1858年)の江戸。中次(寛一郎)は汚穢屋(おわいや)の矢亮(池松壮亮)と出会い、矢亮の仕事を手伝うことにした。汚穢屋とは長屋や武家屋敷の厠の糞尿を買い取って江戸付近の畑にまいて地主から金をもらう商売。
急な雨の日、雨宿りした厠の軒先でおきく(黒木華)という女性と出会う。おきくは元は武家の娘だったが、父親(佐藤浩市)が勘定方として上役の不正を告発したのだが、逆に追放されてしまい今は貧乏長屋住まい。
父親は告発したことを恨みに思う一派により殺され、おきくもそれに巻き込まれ喉を切られ、一命は取り留めたが声を失った。
相変わらず金にならない中次と矢亮だったが、おきくが中次のことを好きらしいと知る。


テアトル新宿に行くと予告編をよく見せられたのだが、あまり食指が動かない。でも池松荘亮の出演作なので見ることにした。(本当は「ヴィレッジ」を見ようかと思ったのだが、夜の時間は日比谷でしかやっていないのだよ。

この映画、白黒、スタンダードサイズ。なぜ白黒にしたのはかはわからない。パンフレットなどに書いてあるかも知れないが、買ってないので読んでいない。糞尿の話だからリアルだと汚く感じてしまうからという説もあるけど解らない。

でもデジタルで白黒にするとフィルムとは違った色合いでどうも違和感が残る。なんとなく白っぽい。たぶん黒がグレーっぽい色調になってしまうからだろう。そこでなにか馴染めない。

そして汚穢屋という底辺のような職業なのだが、おきくが中次になぜ惚れたかがよくわからない。描写だと雨の日に厠の軒先で雨宿りしたところで一目惚れしたようである。それだけである。
私としては中次には別に魅力を感じないので、「なんでここで惚れる?」という疑問が離れない。これがなにか弱い者を助けるのに遭遇し、その男気に惚れた、というならまだ解るが、ただ一目惚れしたというだけ。
そこまでイケメンかあ?という疑問が残るのでまた違和感。

汚穢屋という仕事柄、武家屋敷では嫌われ、値段もつり上げられる。
そういった厳しさの中で矢亮は「こんな田舎クソ食らえと思ってたけど、こっちがクソ食らっちまったあ。ここ笑うところな」と自虐する。
でも私としては別に面白くない。

そもそも糞尿の話なので、いくら白黒映像とは言えなんか臭ってきそうでラブストーリーにはならないのだな。おきくは中次のことを臭いと思わないのだろうか?いや職業に貴賤はないのだけれど、臭いは気になる。
映画的にどうにも見ていて臭ってきそうで落ち着かないのだよ。

章立てされていて、章の最後のカットはカラーになる。その辺のルールの意図も理解できず、とにかく臭ってきそうで落ち着かなくて映画に対しても好印象は残らなかった。







SF第7惑星の謎


日時 2023年4月22日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 シドニー・ピンク
製作 1961年(昭和36年)


2001年の地球。このときには戦争も虐殺もなくなり、国連が世界を統治していた。火星、木星、土星などは探検され、生命の発見はなかった。
そして今度は7番目の天王星への探検が行われた。
隊員はエリック隊長以下総勢5名。天王星からは謎の電波が発信されており、その正体を探ることが目的だった。
天王星は零下の世界だったが、着陸してみると緑が広がっている。5人で外へ出たが、快適な地球と同じだった。
しかし隊員の一人が、「この景色には見覚えがあります。この森を抜けると小川があり、そこには大きな石があります」行ってみるとその通りだった。しかも植物には根がなく、木々の向こうには壁のようなものがある。
やがて隊長が自分の故郷の話をすると平原の向こうに隊長が言った通りの家や風車が出現した。行ってみるとそこには隊長のあこがれの女性がいた。
先ほどの壁は壁というより何らかのエアクッションのような圧を感じる。木の枝を刺してみたら突き抜けた。どうやら向こうに行くことは可能なようだ。
一旦宇宙船に戻る彼ら。隊員の中には「危険だからこのまま帰ろう」という意見もあったが、「この謎を探るのが目的だ」と隊長は継続を決断。
そして「この星では何者かが我々の記憶を実体化させているのだ」とその正体を探るために壁の向こうに行くことを決意する。


ここまでで半分くらい。
60年代のアメリカB級SFである。白黒とか思ったらカラーだった。
「人間の記憶を具現化したもの」というのは他のSF映画でもあったが、割と早く隊長は気づく。てっきりラストでわかるのかと思っていたので。
「地球と同じ光景がある」というのを「地球に帰ってきてしまった?」と考える方向に話が行くと思っていたので。

で、壁の向こうに行ってみたら、隊員の恐怖心から一つ目の怪獣が登場したりする。この怪獣がよく出来ていると思ったら別の映画からの流用らしい。なんだ、がっかり。確かに他のシーンに比べて手間がかかってるから変だとは思ったんだよな。

謎の物体は脳のような形をした奴で、こいつを倒そうと大型バーナーを作る。しかし例の妄想の人間(美女)によってそれは取り上げられ、幻想の大型バーナーになってしまう。
これをもって壁の向こうに退治に行ったので、どうなることかと思ったら、バーナーが突然消えてしまう。隊長は「ならば直接液体酸素を燃やすんだ」とだったら最初からバーナー作らなくてもいいじゃないか、と思える作戦で相手を倒す。

でも隊長一人は例の妄想の美女を地球に連れて行こうとする。おいおい!
まあ、その美女も地球への帰り道で消えちゃうんだよな。

この手のSFって発想はよいので何となく「おもしろそう!」と思うのだが、脚本のツメが甘かったりひねりが足らなかったりで、結局観てみると大しておもしろくない。
でも「面白そう!」感はあるので、つい観ちゃうんですよね。









銀平町シネマブルース(8回目)


日時 2023年4月22日15:15〜
場所 川越スカラ座
監督 城定秀夫

「銀平町シネマブルース」も今回で8回鑑賞。
たぶん今回で最後かな。解らんけど。
備忘録としてメモ。
1回目 2022年11月20日 TAMAシネマフォーラム
2回目 2023年1月14日 新文芸座の城定監督オールナイト
舞台挨拶 城定秀夫、いまおかしんじ、平井亜門、守屋文雄
(「銀平町」「愛なのに」「ビリーバーズ」「アルプススタンドのはしの方」)
3回目 2023年2月11日 新宿武蔵野館 初日舞台挨拶 小出恵介、宇野庄平、平井亜門他
4回目 2023年2月23日 新宿武蔵野館 舞台挨拶 平井亜門、守屋文雄、他
5回目 2023年2月27日 新宿武蔵野館 トークイベント 城定秀夫、いまおかしんじ、山下敦弘
6回目 2023年3月31日 アップリンク吉祥寺 トークイベント いまおかしんじ、平井亜門、タカハシヒョウリ
7回目 2023年4月15日 川越スカラ座 城定秀夫、いまおかしんじ、日高七海
8回目 2023年4月22日 川越スカラ座 いまおかしんじ、平井亜門、木口健太


いまおか監督か平井亜門さんが登壇される時には行ってると思う。
今回、平井さんは高杉が自殺した理由について「高杉はずけずけ近藤監督にも言ってしまうタイプだから、人に言うクセに自分ができていないという時に直面したときがあって、自分を追いつめてしまったのではないか」という人物像を今回初めて語られたのが印象的。

また木口さんは「吹越さんは言葉では出さないが芝居のテンションをあげていき、こっちにもテンションあげろ、という圧が襲ってくるタイプ」とベタほめしていた。

今回もパンフレットサイン会があり、また買ってしまった。
これで終わりかなあ。また青梅のシネマネコでも上映されるので、登壇者の顔ぶれによってはまた見に行くかも?




ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい


日時 2023年4月21日19:25〜
場所 新宿武蔵野館・スクリーン1
監督 金子由里奈


七森剛志(細田佳央太)は高校時代に女子に告白されたことがあったが、人を好きになるということがよくわからなくて付き合わなかった。
京都の大学に進学。入学式で近くにいた麦戸美海子(駒井蓮)と仲良くなり、一緒に気になっていたサークル、「ぬいぐるみサークル」に行ってみた。ぬいぐるみを作るサークルと聞いていたが、実際は作っていないらしい。このサークルはぬいぐるみに話しかける人たちが集まったサークルだった。同じく新入生の白城ゆい(新谷ゆづみ)も入ってきた。
白城とは気があってよくメッセージのやりとりをしていた七森は白城に「付き合ってくれませんか?」と告白。
麦戸はいつの間にか大学に来なくなった。同じクラスの七森はプリントを届ける。やがて白城から別れを切り出される七森。


金子修介の娘の金子由里奈の商業デビュー作品。(いちいち誰の娘とかは本来不要なのだが、なんとなく書いてしまった)
なにやら3月の大阪アジアン映画祭で上映したときにティーチインで観客から辛辣な意見がでて監督が涙目になったという。
それだけでもないのだが「眠る虫」(2020年)の公開の時にポレポレ東中野で会っているので、それもあって観てきた。

ぶっちゃけ、ぬいぐるみサークル(ぬいサー)のメンバーはやさしいというか心が弱い。弱いからいけない、と言っているのではない。「感受性が強い」というか、一種「優しすぎる」ともいえる。

世の中に対するグチや不満はあるのだが、それを他人にぶつけるのもはばかられ(言語化すると「他人に負担を与えてしまうから」)、だから自分の心の声をぬいぐるみ話すことで解消しようとする。

彼らをコミュ症の一種だと思っていたら付き合っている人がいるという話も出てきて恋愛ができないわけではないらしい。
実際、七森も付き合おうとして告白をする。そしてプリクラを撮ったりしてデートっぽいことも重ねるのだが、やっぱり相手の白城に「本気で好きかどうかわからない」と言われてフられてしまう。

麦戸が大学に出てこなくなったのは、電車で痴漢を目撃したから。
それ以来、痴漢にあった人を他人に思えなくなり怖くなったのといままで痴漢にあったと言っていた高校時代の友人に寄り添えなかったことへの後悔から。(これを告白するシーンは迫力があった)

七森も地元に帰ったときに「お前、その調子じゃ童貞だろ」とからかわれて、その無神経さに腹が立ち、なんだか自分でも訳わからない感情に押しつぶされてしまったかのようなことが原因で大学に来なくなる。
でも今度は麦戸が迎えに来てくれる。

そして4月になり新入生がやってくる。
その新入生も何かを抱えているようだ。そんな彼に七森が話しかける。
「どうしたの?何かあったの?何かあったなら話を聞くよ」
自分が話すことで相手に負担になってしまうのでは?と心配していた彼らだが、どうやら「自分はその負担を引き受けよう」と決意したようである。

立派な成長である。
案外至極まっとうな結論でほっとしたような気もする。





宇宙怪人ワンマグイ


日時 2023年4月16日
場所 アメリカ版blu-ray
監督 Kwon hyeok-jin
製作 1967年(昭和42年)


宇宙人が宇宙船に乗って地球にやってきた。地球侵略には朝鮮半島が適していると判断した彼らは、連れてきたモンスター、ワンマグイをソウルに落下させる。
同じ頃、韓国空軍のモ少佐は明日の結婚式に備え自宅に帰っていたが、台風接近の連絡を受け、基地に帰ることになった。当然花嫁は不満だが、仕方ない。
翌日、宇宙船にいたときより50倍の大きさになったワングマイはソウルを襲う。逃げまどおうソウル市民。結婚式場で待っていたモ少佐の花嫁も会場から逃げ出すが、ワングマイに捕まってしまう。
浮浪児の少年も逃げ出した金持ちの家で食事をしていたが、ラジオ放送で怪獣がやってくると知り、「俺が退治してやる!」とナイフを持って出ていく。ビルの前で待っていたが、ワングマイに飛びついて上っていく。
そして耳に入り鼓膜を破り、鼻へ抜ける。そして反対側の耳の鼓膜も破るがワングマイが暴れて鼻の穴から落ちそうになる。
少年はワングマイの背中に何か機械があるのを発見。これを壊し始めたが、結局ワングマイの手の中へ。花嫁を励ます少年。
少年が壊したのは宇宙人がワングマイを操るアンテナ部分だった。アンテナが壊れ、もはや操縦が出来ない。
高電圧で倒そうとするが、効果なし。核兵器の使用も検討されるが、空軍の決死作戦が決行される。
モ少佐も出撃。しかし攻撃を受けパラシュートで脱出。このときに花嫁と少年も救出出来た。
そしてF86がワンマグイに体当たりして(モ少佐が脱出したあとの機?)炎上。
宇宙人も作戦失敗を認めて帰って行く。
モ少佐たちは浮浪児の少年も弟にする事にしたのだった。
メデタシメデタシ。


Twitterで海外版のカルト映画の輸入で一部のマニアから知られる西新宿のビデオマーケットが「韓国の幻の怪獣映画が奇跡の復活」的なことで紹介されていたブルーレイがこれ。
アメリカアマゾンにはないし、ビデオマーケットで買うと7000円以上するので、ずいぶん迷ったが、ヤフオクで6000円ぐらいで出ていたので購入。

韓国語音声、英語字幕付き。内容は英語字幕を読んで理解した。英語字幕も全部読んでいる訳ではないが、だいたいはわかる。

冒頭の宇宙船。中にいるのは地球人が宇宙服を着てるのかと思った。それぐらい宇宙人感はないんだよね。
で、なぜか地球侵略を朝鮮半島からと決める。
一方ソウルでは韓国空軍のモ少佐(たぶんそういう名前)が翌日の結婚式の為に帰ってきて婚約者といちゃいちゃするが、ラジオで「台風接近のため軍人は緊急召集」の放送を受け基地に戻る。婚約者は不満たらたらである。
いやいや緊急召集を理解してくれない女性だと結婚してから困ると思うのだが。

そして怪獣ワンマグイは宇宙船から朝鮮半島に落下される。宇宙船では2mぐらいだが、地球に落ちたら50倍になるという。たぶん身長が50倍ではなく、体積が50倍なのだろう。

このワングマイ、造形がどうにもブサイクである。
たとえなら「ザルドス」が一番近いかな。ザルドスの造形を雑にして、半開きの口から常に舌が半分出ているのである。
韓国ではぬいぐるみにもなっているとか。ミニラ的な「キモカワイい」感じではある。

ミニチュアのビル群を壊すのだが、これが思ったより多い。しかもビルも細かく作り込んである。後の東宝、円谷プロのビルより余程立派な感じ。
でも合成カットは少ないんだ。

で、冒頭のモ少佐がこれから大活躍するかと思ったらさにあらず。
延々と避難民が描かれるのだ。と書くと聞こえはいいけど、漫才師のような二人組が登場し(韓国には漫才はないだろうけど、そんな感じの二人組)が出てきてこの事態を見ながら賭事をしいてる。
「俺は家を賭ける」「俺は女房だ!」などと言い合っていて、実際に片方が勝って女房を渡し、肝心の女房は「なにそれ!」などと夫婦喧嘩をはじめるという意味不明の行動に出る。

手のひらの上の婚約者の胸がはだけてちらっと乳房が見えかかるとワンマグイも喜ぶという異星人にも欲情する見境のない奴だ。

そして一転して金持ちの家で食事を漁る少年が登場する。まるで「84ゴジラ」の武田鉄矢である。
少年がラジオを聞いていたらアナウンサーが「我々の放送局に怪物がやってきました!ああ!」と言って放送がプツンと切れる。
「初ゴジ」のオマージュか?

例の婚約者もワンマグイに捕まって手の平の上。以後、ずっと手のひらに彼女を乗せたまま、ワンマグイは歩いていく。それではビルも壊しにくいだろう。
例の浮浪児(大島渚の「ユンボギの日記」の時代だから韓国もそういう時代だったんだろうか?)は「俺が怪物をやっつける!」と包丁を腰に差し、怪物に向かう。ビルの屋上からワンマグイに飛びついて、そのごつごつした皮膚を上っていき耳の穴に入って鼓膜を破る。果たして宇宙生物が人間と同じ構造をしているかはなはだ疑問なのだが、本人は「つんぼにしてやったぜ!」とご満悦。

しかしワンマグイもなんとか鼻の穴から出そうとするが浮浪児も鼻毛(たぶん)に捕まってなかなか落ちない。そして反対側の耳の鼓膜も破ってしまう。その後、背中についている機械を適当に壊し、中から出てきたコードを延ばして地上に降りようするが、コードが届かない。
ワンマグイもぶんぶんと浮浪児をコードごと振り回す。
結局は捕まって手のひらで婚約者と一緒になる。

またまたビルの避難民になる。「新聞紙をくれ〜」と叫んでいる男がいてなんとか新聞紙を手にれると隅っこでウンコをし出す。
おいおいおいおい、なんだそれ?
日本の怪獣映画では絶対にやらない描写だなあ。

そして避難民の中に妊婦がいて出産を始めてしまう。
周りの女性たちが「あんたも手伝って!」と妊婦の周りを大勢の女性で囲んで外から見えないようにする心使い。泣かせます。

でいよいよこのビルにもワンマグイはやってきて、ビルを破壊しようとする。ビルは倒壊しなかったけど、振動で例のウンコ男は尻餅をついてしまってしかめっ面。どうやらウンコの上に尻餅をついてしまったようです。

映画ももう終わりそうな時間なのだが、やっと電線に高電圧を流してくい止めようとする。いままでなにやっていたんだよ、遅いよ。
結局高電圧作戦は失敗。(お決まりですね)
やっと空軍の攻撃開始。

モ少佐が攻撃し、パラシュートで降りたモ少佐がついでに婚約者と浮浪児を助けて地上に到達。
そして(あっさり)ワンマグイは大炎上。
宇宙人の方は浮浪児がアンテナを壊した時点で「操縦不能」で負けを認めて撤退している。潔いなあ。

とにかく日本の怪獣映画では考えられないようなグダグダぶりで、怪獣の造形をよくないし、「珍品」としか評価のしようがない。

「ヨンガリ」は大映のスタッフが特撮を担当してるけど、この映画は完全に韓国スタッフによるものらしい。
とにかく(脚本も演出も含めて)なにをどう作ったらいいか訳が分からず右往左往して撮った感はある。
しかし初ゴジも(特撮は戦争映画で鍛えられていたにしても)、脚本とかは初めてジャンルだったのだから、やはり初ゴジは奇跡の1本なのだな、と改めて思う。






pour


日時 2023年4月16日
場所 amazon prime
監督 鈴木貴士
製作 2019年(令和元年)


松太は6歳の時、父、明によって涼子に預けられた。涼子には松太より2歳年上の娘、優衣がいた。
それから10年、松太(平井亜門)も高校生になり、優衣(藤間爽子)も卒業後のことを考える年齢になっていた。実は涼子の元には時々松太の母親から電話があったのだが、それを涼子は隠していた。
ある日、その電話を松太が取ってしまい、連絡があったことを隠していたことがばれてしまう。松太は「母親に会ってきます」と手紙をおいて出て行った。
3年後。涼子はすでに亡くなっており、優衣は涼子の友人のスナックで働いていた。松太は海の見える町のガラス工房で職人修行をしていた。


平井亜門で検索したところアマゾンプライムであった映画。
「うえだ城下町映画祭 自主制作映画コンテストノミネート作品」と紹介されているが、劇場公開はされていないようだ。
この頃の平井亜門は自主映画によく出ている。それでも主演である。

説明不足と省略の紙一重みたいな映画である。
出てくる女性たちが名前の知らない俳優さんばかりだから、誰が誰やらわからなくなる。

松太が家出して「小野奈々」という人の病室まで行くのだが、結局病室には入らない。この「小野奈々って誰?」になってしまう。ここが脚本と映像の違いで、脚本には「母親の奈々」と書けるけど、私には「誰?」である。優衣の母親が入院してるとも思ってしまった。

ここでいきなり「3年後」
えっ?松太は高校どうしたの?
なんで急にガラス細工職人になってるの?一緒に先輩らしき人と暮らしてるけど、なんでそうなったの?
涼子が亡くなったことも映像でも説明はなく、せりふでちらっと出てきて初めてわかる。
えっなんで死んだの?(後半で「風呂でおぼれて死んだ」とせりふがあるけど唐突すぎる。若い人が死ぬときは予兆を出さないとただ唐突になってしまうよ)

そしてまた優衣も松太に母が亡くなったことを連絡しない。電話番号が変わって行方不明という訳ではない。優衣も松太に好意は持ってるようだし、また松太もそうらしい。ここの所、登場人物がせりふでも行動でも示さないのである。

気を使ってなにもいわないようだが、かえって不信と誤解を生んでしまう。
まあ作者のいいたいことは「言葉にしないと伝わらない。気を使っていわないことがいいとは限らない」ということのような気がするが、正直、弱い。

最後はやっと母の亡くなったことを留守番電話で伝えてそれを聞いた松太が(電車で3時間ぐらいの距離らしいが)優衣の家に帰って再会して終わり、である。
取り立てて事件もないし、展開がなさすぎる。
第一、涼子の家は食堂なのだが、営業してる感じ(客のいるシーンが)全くない。これでは「今は営業をやめた店」にしか見えない。なんか意味不明になる。

平井亜門が出ているということ以外、観る価値を見いだせない映画だった。





ロストケア


日時 2023年4月16日8:30〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン1
監督 前田 哲


長野県で老人が亡くなり、現場にその家の住人ではない男性が死んでいる事件があった。倒れていた男は介護ケアセンターのセンター長とわかった。
センター長は金に困っていて自分たちが介護する老人宅に侵入し、窃盗を繰り返していたようだ。そして階段から落ちて死んだらしい。ではこの家の老人は?解剖の結果、毒物による死亡と判明。この介護施設ではこの3年間に40人以上の老人が亡くなっており、大半が事件性なしと判断されたが、亡くなった時刻が月曜と金曜に集中していた。当初はセンター長が殺して金品を奪っていたと思われたが、センター長は月曜と金曜は働いていて犯行は困難。このケアセンターで働いていた介護士、斯波(松山ケンイチ)が月曜と金曜に休みを取っていた。
状況証拠から斯波を取り調べを行う大友検事(長澤まさみ)。斯波は犯行を認めた。ただし彼には悪意はなく「お年寄りとその家族を救った」と供述。しかも大友が把握している殺されたと思われる41人ではなく、42人を救ったという。
あと1人は誰なのか?


誰もがこの映画の企画を聞いて思い出すのは2016年の相模原市の津久井やまゆり園の介護職員による大量殺人事件。厳密にいうとやまゆり園は障害者施設だし、やまゆり園の犯人の動機が「生きていない方が社会のため」という動機だったので、ちょっと違う。

斯波は最初に殺したのは介護士になる以前に殺した彼の父親。父親が倒れ、会社も辞め、父の年金とバイトで暮らしていたが、お金も無くなり、生活保護も受給できず、認知症も始まった父を殺してしまうという流れである。

ここから書くことはあくまで「映画として」の表現方法である。
この父親を演じるのは柄本明なのだが、彼が名優であることは否定しないが、映画に出演しすぎである。最近の映画では老人役というと全て、と言ってもいいくらい柄本明である。正直食傷気味である。

また彼が息子に脳梗塞でろれつが回らなくなった口で「俺を殺してくれ」と頼むあたりは長い、とても長い。観ていて飽きてくる。
大友検事と斯波との取り調べ(というか対決)も「私は本人や家族を救ってあげたのです」「あなたに他人の家族の絆を壊す権利はありません」と言い合うばかりで、同じ話を繰り返すだけ。
まあそれしか言えないのも解りますけどね。

大友検事の母が高級老人ホームに入って認知症になってきている設定が挿入されるが、どうも説明が過多になる。鈴鹿央士の事務官が「おばあちゃん子だった」というけどここもまた説明過多でいわゆる「泣かせ」「感動の押しつけ」になってしまっている。
もっとドライにいった方が「私は」好きである。

斯波は死刑を求刑したようだが、判決は映画では示されない。
映画ごときで簡単に結論が出せるような問題ではない。
老人が長生きして増えすぎたことが要因にあるのなら、数を減らすことを考えると麻生太郎の「年寄りはいつまで生きてるんだ」発言になり、成田勇輔の「集団自決してするべき」発言になってしまう。
そうしないためにどうするかを考えねばならないし、比率を減らす為には若い人を増やす、つまり子供を増やすことをしなければならないのに出生率は減る一方。
個人の家族の問題ではなく、社会構造の問題として考えるべきなのだが、今の政治はめんどくさがって個人の問題にさせようとしている。
腹立つ。





トリとロキタ


日時 2023年4月14日19:10〜
場所 新宿武蔵野館・スクリーン2
監督 ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ


ロキタ(ジョエリー・ムブントゥ)は難民申請をしていた。「弟」のトリ(パブロ・シルズ)はすでに難民と認められビザを取得しているが、役人は「弟というのは嘘だ」と疑っている。
まともな仕事はつけないロキタはイタリアンレストランのコックの指示で、違法薬物の売人をしている。でも働いたお金の大半はこの地にやってきたときの仲介業者にとられて、故郷へ送金も少ししかできない。
いつまで経っても降りないビザを待ちきれなくなったロキタは違法薬物組織の紹介で、大麻栽培の仕事につく。町外れの廃墟のような建物の中で、大麻を栽培する仕事だった。携帯の使用を禁じられ、SIMカードを取り上げられてしまう。
例のコックがロキタのところに荷物を届けるというので、「ロキタが寂しくないように僕の絵を届けてほしい」と頼むトリ。コックの車がロキタのところに行くならば自分も車に乗り込むことを思いつくトリ。
何とか栽培場に入り込み、ロキタと再会するトリ。


いまおかしんじ監督が3月31日のアップリンク吉祥寺での「銀平町シネマブルース」の舞台挨拶(平井亜門、タカハシヒョウリも登壇)で最近の映画の話題でこの「トリとロキタ」を「魂がえぐられるようにやばい!」と絶賛していたので、「銀平町」で武蔵野館に何回か行ったときに予告は観ていたがピンとこなかったのでパスのつもりだったが、いまおか監督がそこまでいうならと鑑賞。

ダルデンヌ兄弟監督は私は初めて。「ロゼッタ」「ある子供」「少年と自転車」などが有名だそうだが、私は全く知らなかった。まだまだ知らないことが多い。
BGMなし、説明的なシーンせりふなし、演技未経験の素人俳優の起用などの特徴があるそうだ。

確かに説明的なせりふはない。説明が不足していてよく解らない点も多い。そもそも舞台がどの国なのかもよく解らない(もっともこれはこちらの無知によるところが大きいが)、トリとロキタがどのようにしてであったかも解らないし、彼らがアフリカのどこから、どうしてこの国に来たかも解らない。もっともこれは日本に住んでるからであって、かの国では当たり前で説明の不要なことかもしれないけど。

後半、大麻工場になってからは奇妙なサスペンスが出てくる。大麻の一部を盗んで、売ろうとする。「そんなことしても見つかるって!」と声をかけたくなる。
組織の人間に見つかって工場から逃げ出す二人。
ここでアメリカ映画なら、二人を追いかける悪党の描写もカットバックする事だろうけど、この映画ではトリとロキタの逃げるところだけである。

ここが怖い。追っ手がどこまで来てるか解らない恐怖がある。
道路に出てヒッチハイクをしようとしているうちに追っ手に見つかってしまうロキタ。
あっさり殺される。

劇的な演出をすることなく、あっけなく殺される。
次のシーンはもうロキタの葬式。トリが別れの言葉を述べる。
麻薬組織がどうなったかなどの説明はなし。

そこはどうでもいいのである。トリとロキタがどのような道をたどったか、そこが重要で、他は枝葉末節なのだ。

うまく行かない姉弟、という話で成瀬巳喜男の「コタンの口笛」を思い出した。
後味の悪さでは双璧をなす。
ダルデンヌ兄弟、他の映画も見たくなった。




零落


日時 2023年4月9日18:10〜
場所 テアトル新宿
監督 竹中直人


漫画家の深澤薫(斎藤工)は8年続いた「さよならサンセット」の連載が完結した。しかし後半は売れ行きも落ちており、深澤自身も現在の漫画界と自分の方向性、立ち位置に悩んでおりすぐ次の連載が始められる状況ではなかった。
妻ののぞみは編集者(MEGUMI)だったが、最近は別の漫画家のサポートで忙しい。打ち合わせと称して何かと呼び出されている。
夜の町で風俗嬢に慰めを求める深澤。猫の目のような風俗嬢・ちふゆ(趣里)と出会い、彼女に癒しを求める。彼女が今月でやめると知ったとき、深澤はなんとか予約を取り付けた。そして彼女の連絡先を知り、故郷にしばらく帰るという彼女に着いていく。


斎藤工主演映画、ということで観に行った。しかしツイッターとか観ててもこの映画の感想が全くと言っていいほどあがってこない。
やめようかとも思ったが、斎藤工を観てるだけでも価値がありそうなので、やっぱり観た。

ああ、斎藤工以外観るところなし。
要するに漫画家、というかクリエーター全体に言えるのだろうけど、自分の描きたいもの、世間が求めるもの、ファンの受け止め方のギャップに悩む話である。
言ってみればグチ。

クリエーターの人たちには共感を得られるのかも知れないけど、私はそこまでクリエーターではない。
それに「ヒットするにはヒットするだけの理由がある」と考えるタイプなので売れてるマンガを見て「こんなのがヒットするとはおしまいだ」という気持ちも少しは分からなくはないが、それが世間である。

映画においても「今の日本映画のレベルは低い」と言うけど、60年代も「若大将」「無責任」シリーズ、「社長」シリーズ全盛の頃はきっと「日本映画のレベルは低い」と言われてたろうし。

風俗嬢(ホテトル嬢かな)の女優、どこかで観たなと思ったら去年放送していた「サワコ」の主演女優の趣里だ。不気味なほほえみをする子で個性派ですよねえ。
でも風俗嬢なんだからおっぱいぐらいは見せましょう。

彼女と深澤が出会う繁華街が横浜の野毛あたりでロケされてるようだが、話の中では特に横浜という訳ではないらしい。
あとロケ地で言えば、新人漫画家が編集者に「エロと暴力のあるマンガを欲しいんだよ。理屈っぽいことがやりたければ同人誌でやれ!」と叱責を受けるドトール、あれは歌舞伎町の入り口のドトールでロケされたと思う。

そういうどうでもいいことしか書くことがなく、この映画2時間以上もああるのだが、60分、いや30分でも出来たような気がする。





劇場版 美しい彼〜eternal〜


日時 2023年4月8日19:35〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン7
監督 酒井麻衣


高校時代の同級生で清居奏(八木勇征)を崇拝するように愛する平良一成(萩原利久)。対等な恋人でいたいと思う清居に対して同じ視点に立とうとしない平良に清居はいらだちを感じていた。
平良は人気カメラマン野口のアシスタントとして働くようにもなったが、未だに自分に自信がなくて撮りたいものを清居と言い切れない。
そんな中、清居の事務所の先輩で清居の相談相手の安奈(仁村沙和)にアイドル桐谷恵介(前田拳太郎)との交際情報が週刊誌に掲載される。
アイドルと人気若手女優にとっては厳しいスキャンダルになってしまった。ところがそのスキャンダルは清居にも飛び火し、安奈の真の交際相手は清居だと報じられてしまう。


テレビドラマ「美しい彼」の劇場版。シーズン1の再編集版は先月1週間限定で上映された。テレビのシーズン1の後シーズン2が放送されていたのだが、完全に見逃していて劇場版はその続きだから、Huluで配信が行われているので予習してから鑑賞。

シーズン2は4話。観たけど話はほとんど進展しない。
同居生活をする二人の日常、というかいちゃいちゃが描かれる。言ってみれば今回の劇場版の前振り、予告編的内容であった。
清居が料理に挑戦して大失敗するエピソードは清居らしくないエピソードでおもしろかった。

今回の劇場版の方はシーズン2の最後に登場したカメラマン野口との出会い、先輩女優安奈などのキャラクターも増える。
恋愛ドラマの続編っていったんつきあい始めたところで完結してるから、キャラクターを増やしてその影響を描いていくことになってしまうんだよね。

逆に今回は私がファンの平良の大学の写真部の部長、小山(高野洸)の活躍が無くなっていくのが寂しい。
平良のおっかけ仲間で安奈の追っかけをしている設楽(落合モトキ)が登場する。これがやっぱり最後には狂信的なファンとして清居を監禁するという暴挙に出る。

うーん、劇場版になるとスケールアップのせいなのか、どうしてもこういう派手な展開になってしまうんだよね。
これは劇場版「おっさんずラブ」でも思ったけど。

結局のところ八木勇征の美青年ぶりや萩原利久とのいちゃいちゃを楽しむ映画であり、それは100%達成されている。
特に最後の平良が清居を撮影するシーンのカメラ越しの清居の表情は実に色っぽくてすばらしい(クレジットを観るとこのシーンは実際に萩原が撮影したらしい)

やっぱりこういう恋愛映画は出演者が命ですよ。美青年が登場しなければ意味がないし、また失敗である。
その点では大成功な作品であろう。

初週土曜日の夜の回、昼間の舞台挨拶中継回は満席だったようだが、大箱のスクリーン7はさすがに空いている。
でも7番を割り当てられるだけ、ヒットしていると言えるのだろう。







生きる LIVING


日時 2023年4月8日15:10〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン5
監督 オリヴァー・ハーマナス


ロンドン市役所の市民課課長のウィリアムズ(ビル・ナイ)は波風立てず無難に仕事をしていくことしか頭にないような男だった。
ある日病院に診察結果を聞きにいくと余命半年から9ヶ月と言われる。
その日から仕事を休み始める。
町で出会った元部下の女性マーガレット。彼女は役所の仕事をやめ、レストランで働いていた。生き生きとした彼女に何か曳かれるウィリアムズ。
そして彼は前から陳情のあった公園建設に取り組む。


実を言うと黒澤明の「生きる」は私は好きではない。なんか説教臭くて苦手なのである。
だから今回もパスの予定だったが、ツイッターで評判がいいのでつい魔が差した。

結論からいうとやっぱりだめ。
それよりあの映画がロンドンを舞台にしても成立するとは思わなかった。いわゆる「お役所仕事」はあちらでも通じるのだなあ。
感心したのはそこまで。

この映画の脚本は数年前にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ。配給もこの点を売りにしている。
黒澤の「生きる」が好きじゃないと言ったけど、面白かった箇所もあるのだ。

まず志村喬が自分がガンと知るシーン。日本の医者は告知しない。胃潰瘍だとしか言わないわけだが、おしゃべりの噂好きの病院患者がベラベラとガンの症状の話をする。それを聞いた志村喬がだんだんと表情が曇っていくシーン。
ここはすごいよ。「医者は告知しないのになぜ彼は末期ガンと確信したか」が見事に表現されている。すばらしい名シーンだ。
ところがリメイク版では普通に告知されている。

次、初めの方の市役所のシーンで、志村喬が「業務効率化に関する私案」(そんなようなタイトル)のレポートの表紙を破って印鑑拭きにするカット。
この短いカットで「主人公は昔は仕事に燃えていたが、今は完全に体制に流されている」というのを表した名カットだった。
これも脚本が見事。

そして地元のおばちゃんたちが公園建設を陳情にくるシーン。
この連続した各課のたらい回しのモンタージュはすばらしかった。

この3つの「生きる」の好きなシーンが完全に無くなっていた。
リメイク版私には完全に観る価値のない映画になってしまっていた。

あっ強いて言えばスタンダードサイズだったこと、冒頭のクレジットのシーンが、当時の荒い粒子のフィルム状の加工をされていたこと。
本題に入ると通常の今の画質だったけど。








ノートルダム 炎の大聖堂


日時 2023年4月7日18:35〜
場所 シネスイッチ銀座2(上)
監督 ジャン=ジャック・アノー


2019年4月16日。パリのノートルダム大聖堂の火災報知器担当者として新人が出勤した。日勤だけのはずだったが、夜番が来れなくなり仕方なく23時までいることになった。
今日もノートルダム大聖堂は世界中から観光客がやってきていて、様々な言語でガイドにより説明がされている。
18時過ぎ、ミサの最中に火災報知器がなった。職員が火災報知器が検知していた箇所を点検にいったが出火していない。誤報を判断された。しかい18時43分に再び報知器がなった。別の場所を再度確認すると屋根部分で出火している。外からは煙がでている状況で、周りの市民も気づきだし、消防にも通報がいく。
18時50分頃火災を確認するために消防隊が出動。1キロもない距離だったが、渋滞や道路工事のためになかなか近づけない。
やっと消防隊が駆けつけたが、狭い階段をホースが伝い、水圧があがらず消火できない。やがて炎は屋根全体に広がり出す。
ここにある文化財の救出も行わなければならない。


2019年に起こったパリの名所の一つ、ノートルダム大聖堂火災を映画化。この火災は記憶しているが、この映画もユーロスペースで予告を観るまで「そういえばそういう火事もあったな」という程度の認識だった。
しかし「タワーリング・インフェルノ」以来の火災パニック映画ファンとしては見逃したくない。初日に観てきた。しかし配給が弱いのか都内では銀座と109木場ぐらいで上映館は少ない。

主人公の消防士がいて家族の元から出勤し・・・・というようなグダグダのドラマがないのがいい。
事件をセミドキュメンタリー風に追っていく。
沖縄の首里城、ソウルの南大門のように時として文化財の消失は起きる。

今回も原因は改修工事中のたばこの火の不始末、漏電などが可能性としてあげられているが、出火のシーンはない。(調べてみると、タバコや漏電の可能性があるが、本当の原因はわからないという調査結果になっているようだ)

最初の警備員が経験豊富ならあるいはボヤで済んだかもしれないが、それは「IF」の世界であろう。

それにしても火災の再現の見事さ。公式HP情報によると実物大のセットを組んで撮影したようだ。他にも一般の人がスマホ等で撮影した映像や、もちろんCG合成なども使われているのだろうが、見事である。
臨場感抜群。

そして火災現場の緊張感だけでなく、「猫が屋根に登って降りられなくなった」と連絡してくるおばあちゃんをユーモラスに挟み込む。こんなのも対応しなければならないのだから、パリ消防局の大変である。
ちなみにフランスの消防署は階級は軍隊と同じような大尉とか曹長、准将などと言っているから最初は陸軍かと思って混乱した。

火災の再現度がすごい!という小学生みたいな感想しか出てこないが、余計なドラマがない分、真に迫っていてよかった。
最初の火災を感知した警備員、どうなっていたかと思ったらラストに登場。感情を特に露わにすることもなく、現場から去っていく姿はかえって彼の心境の複雑さを表していた。

初日に駆けつける価値のある映画だった。





ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー


日時 2023年4月2日16:20〜
場所 新宿ピカデリー・シアター9
監督 阪元裕吾


ちさと(高石あかり)と深川まひろ(伊澤彩織)は相変わらずだらけた日々。1回だけしか行ったことのないジムの会費がたまりにたまって384万円になって請求がきた。仕方なく銀行へ駆け込んだ二人だが、二人組の銀行強盗に遭遇。殺しはしなかったがボコったため、殺し屋協会から謹慎処分となった。
一方兄弟殺し屋のゆうり(丞威)とまこと(濱田龍臣)は腕が立ったが、殺し屋協会からは下請けのバイト扱いのために低く扱われていた。
二人はマネージャーから「殺し屋協会の殺し屋が死ねば、繰り上げて正社員になれる」と言われ、ちさととまひろがターゲットになった。
人影のない道でちさとたちを狙ったがあえなく逆襲。死体処理専門担当の田坂(水石亜飛夢)にまだ死んでないゆうりたちの処理を頼んだが、ゆうりたちは逃げ出すことに成功。田坂も二人に撃たれた。
ゆうりたちが持っていた拳銃から二人の正体や目的がわかった。
偶然地元の定食屋で出くわしたちさと、まひろ、ゆうり、まこと。
二人対二人の対決が始まった。


昨日アマプラで1作目を見たのはこの2作目を観るための予習。なぜ2作目を見たかったというと濱田龍臣がメインキャストで出演しているから。
濱田龍臣が殺し屋で、たばこを斜にくわえてダークにかっこいい。
(似合わない気もしますが、そこはそれファンの贔屓目で)

シリーズものにありがちなレギュラーキャラの活躍を増やしている。今回は死体処理専門の田坂さん。ちさとやまひろに「あんたらは俺たちを掃除屋とバカにしてるだろうけど・・・」とグチグチ嫌みをいう。
この映画のキャラではこの田坂さんは好きである。あと実際の上司役の渡部さん(だったかな)。この二人が勤め人風で割と納得出来るキャラかな。

しかしまあ殺し屋協会に下請けのバイトがある、っていうのも現代社会の正社員、バイト、派遣のヒエラルキーを象徴しているようで世知辛い。
これを面白いと思うかひねりすぎと思うかは観客次第。私はどたいらかというと後者である。
宍戸錠とか日活映画、岡本喜八映画の殺し屋は令和の今は生きられないのか。

ラストは撃たれて傷ついたちさととまことを残し、まひろ対ゆうりのガチの殴り合いバトル。ここは二人ともアクションが出来る方なので迫力がありましたねえ。
決着がつき、負けを認めるゆうりとまこと。4人でお菓子(名前は聞いたことはあるが何だっけ)を食べながら談笑。案外和解するかと思いきや、やっぱりゆうりとまことを撃つ女子二人。この流れの潔さはかっこよかったねえ。鳥肌が立つような良さがありました。

女子二人の強烈なダメダメキャラがどうにも好きになれないので、映画全体としては好きではないが、ガンアクションの描写(発砲音も含めて)はすばらしいものがあり、そこは素晴らしかった。

あと「花束みたいな恋をした」の話を延々とするのはどうなんだろう?
ちょっとクドい気もしたけど。






左様なら


日時 2023年4月1日
場所 amazon prime video
監督 石橋夕帆
製作 令和2年(2019年)


岸本由紀(芋生悠)はクラスでちょっと浮いた存在の瀬戸綾(祷キララ)とはちょっと仲がよかった。瀬戸はクラスの女子とはつるまずにどこか孤高な存在だったのだ。ある日、学校帰りによった海岸で綾は由紀に「私引っ越すことになった。新しいお父さんの転勤だって」と告げ、綾は由紀にキスをした。初めてのキスに戸惑う由紀。
しかしその晩、綾が交通事故で死んだと連絡が入る。由紀は綾の葬式では泣かなかった。
しばらくして綾は事故ではなく自殺だったと噂が流れる。
クラスの女子のボス的存在の子が綾のことを悪く言っているのを聞いて思わず花瓶の水をかけてしまう由紀。
それがきっかけで今度は由紀が浮いた存在になってしまった。そんな由紀を好意的に思ってくれるのは中学時代からの同級生の飯野慶太(平井亜門)だった。


アマゾンで平井亜門で検索すると出てきたこの映画。「アルプススタンドのはしのほう」以前の映画である。「アルプス」と同じスポティッドプロダクション配給。ミュージックラボ(スポティッドが主催する若手監督の映画祭というかコンペ的なイベント)枠での制作のようである。
1時間25分と短めだし、アマプラの星でも星4つと比較的高めだったので見てみた。

いやまあなんていうかなあ。大きな事件は「同級生の死」というのがあるけど、それ以外はほとんどなにもないような淡々とした映画。
ホント、女子高生の日常を描いただけなのだな。途中で遠足とかあるけど、淡々としてるし。

最近見た「少女は卒業しない」もあったけど、こちらは「ここままでは卒業できない」という4人の少女がどう決着をつけるか、というカタルシスがあった。でもそういうのもないんだよなあ。

今時の女性なら共感する部分はあるんだろうか?
もはやおじさんだし(いやもうお爺さんの域になっている)、遠い過去では男子校だったし、女子中高生というのは人生で一番遠い存在なのだ。
だから「あるある」的な共感はベースとなるものがないので、さっぱりわからない。

だから好きとか嫌いとかいいとか悪いとか以前に「はあ?」という感覚が強い訳です。

平井亜門は由紀にキスしようとして避けられるシーンが切ない。
亜門の弟役で小学生が出てきたが、これが「銀平町」の映画大好き中学生川本守役の小鷹狩八に似ていたが、クレジットでは出てこなかったから別人だったのだろう。スポティッドだからそうかと思ったのだが。





ベイビーわるきゅーれ


日時 2023年4月1日
場所 amazon prime videoレンタル
監督 阪元裕吾
製作 令和3年(2021年)


杉本ちさと(高石あかり)と深川まひろ(伊澤彩織)は女子高生だが、組織に雇われた殺し屋の顔を持つ。高校卒業と同時に「社会でもやっていけるように」と二人で暮らしてバイトもするようにいわれる。
ちさとの方はなんとかバイトも出来るが、もともと人と話すのが苦手、というか無理というまひろはバイトの面接に行っても落とされる。
1週間前に殺した相手がやくざの幹部で、その親分の浜岡(本宮泰風)から狙われる。浜岡の娘のひまり(秋谷百音)によって、ちさとは突き止められたが拳銃をとられただけでなんとか助かった。
しかしちさとのバイト先のメイドカフェに浜岡がやってきた。単に新しい商売の研究に来ただけだったが、結局はメイドの接客を「バカにしてんのか!」とキレてしまい、メイドたちを脅し出す。仕方なく浜岡を殺すちさと。
このことによってひまりがちさと達に喧嘩を売ってくる。仕方なく対決するちさととまひろ。


一昨年池袋シネマロサでは9ヶ月以上のロングランヒットをしたという話題作。この映画のことは知っていたけど、なんとなく観る気がしなくてそのままになっていた。この3月に続編が公開され、しかも新宿ピカデリーがメイン館。ずいぶん出世したなあ、と思っていたけど濱田龍臣が新キャラで出演している。こっちは観たいので、それならばとアマプラで440円でレンタル出来たので、鑑賞した次第。

「女子高生が凄腕の殺し屋」という設定は新しさなのだろうけど、私にしてみればひねりすぎ。もう宍戸錠のような殺し屋が活躍する時代ではないのか。

出てくる女性キャラクターがまひろにしろ、敵のひまりにしろ、女性として一番苦手なギャルタイプで好きになれない。私がおじさんだからかもしれないが、とにかくお近づきになりたくないタイプだ。
だから映画そのものにも乗り切れない。

やくざの浜岡も和菓子屋の店主(仁科貴)の「はいお釣りは200万円」という冗談に対し「何年かかっても200万円払え!」と団子の串で刺すあたりは醜悪である。
そう、この映画の人物は醜悪なのだ。
だから好きになれないのだなあ。

殺し屋ものここまでひねるような時代になってしまったか。
もはや宍戸錠の殺し屋が活躍する時代は終わってしまったようだ。
ここまでひねってしまうと次はどうひねるのか?
少なくとも私が見たい映画にはならない気がする。

まひろ役伊澤さんはスタント出身らしいが、さすがにアクションは決まっていた。